日米和親条約と日米修好通商条約

日米和親条約と日米修好通商条約

出典:Wikipedia 下関戦争https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8B%E9%96%A2%E6%88%A6%E4%BA%89

 最後に、忠固が関わった二つの条約について詳しく見ていきたい。
 日米和親条約の調印前に忠固(当時は忠優)は徳川斉昭との論争を制し、城中評議の場で五年後の交易承認という結論が出ていた。評議の翌日、斉昭は抗議の意思から参与辞職の意向を、自らの参与就任を推薦した老中首座の阿部正弘に伝えた。これを受けて阿部は、参与辞職を思いとどまらせるために会議の結論を覆し、交易の承認をしないという決定をした。そして日米和親条約は交渉術で勝った日本がアメリカから譲歩を引き出し、漂流民の人道的な扱いや食料・薪水・石炭の供与、長崎・下田・函館の開港などの内容に留まった。日米和親条約締結後、斉昭はアメリカの条約に基づいた「下田三箇条」と呼ばれる要求を拒否するか否かで忠固との対立を深めていった。ここでまたも阿部が斉昭に同調して下田三箇条拒否の方針を固めた。阿部を味方につけた斉昭は忠固をはじめとする下田三箇条賛成派の老中三人の更迭を要求した。阿部は斉昭を制御しきれず忠固と他一人を免職とした。その後も斉昭は国政全般に口を挟むなど増長し続け、斉昭を擁護しきれなくなった阿部は老中首座を退いた。ほどなくして阿部正弘が病没し、後ろ盾を失った斉昭は参与を辞職した。
 
 斉昭が辞職したことで忠固(このとき改名)は国政に復帰することになった。そして、交易を含む条約交渉に入ることが宣言された。日本側が今まで実施してこなかったため最も厄介に感じていた関税率は、日米修好通商条約の14回目の最終交渉で決定された。その内容は一般の輸入品への関税率は20%、輸出品への関税率5%であった。そして関税率は日本側の意思で変更が可能となっていた。また、アメリカが課していない輸出税を日本が課すことで双務性が崩れないようにするため、日本はアメリカに片務的最恵国待遇を約束した。これらから、関税自主権がないことと片務的最恵国待遇の約束が不平等であるということは否定される。加えて、日米修好通商条約の第6条にある領事裁判権については、日本人のアメリカ人に対する犯罪は日本が裁き、アメリカ人の日本人に対する犯罪はアメリカが裁くこととなっている。ここで疑問視されるのは、日本人がアメリカで犯罪をした場合について曖昧にされている点だが、当時の両国の刑罰は罪の重さに大きな違いがあったし、海外渡航も許可されていなかった。そのため当面は曖昧にしておく方が良策だったのだ。よって、領事裁判権を認めることも不平等とは言えない。なお、関税自主権がなくなったのは下関砲撃事件や生麦事件などの事件に起因する。下関戦争に勝ったイギリス・フランス・オランダ・アメリカは莫大な賠償金で幕府に揺さぶりをかけ、その減免と引き換えに関税率の一律5%への削減などの要求したのだ。もちろん幕府側も逆提案をして交渉を長引かせ減税実施を遅延させるなど抵抗を見せたが、ついに受け入れざるを得なくなった。そして、日本側の意思で関税率を変えることが出来るという日米修好通商条約の内容も削られ、関税率5%が固定されてしまったのである。
 
 そして、調印を待つという段になって条約勅許問題が浮上してきた。交渉担当者の岩瀬忠震と新しく老中首座となった堀田正睦が諸大名を同意させるために、天皇の権威を利用しようと勅許の取得を検討し始めたのだ。彼らは勅許獲得に失敗した後、松平慶永を大老、一橋慶喜を将軍後継にすれば勅許を獲得できるだろうと考えた。そして将軍である徳川家定に松平慶永の大老推挙を進言したところ、家定はそれを却下しその場で井伊直弼を大老に任命することを宣言した。これは家定を無能扱いするような噂を流し続けた一橋派に属する松平慶永が大老になることを阻止するため、そしてもともと蟠りがあった徳川斉昭を実の父とする一橋慶喜を避け、紀州の徳川慶福を後継にするためだったと考えられる。大老に就任した井伊は条約調印には勅許が必要であるとして、勅許獲得に自らが大老であることの存在意義を賭けていたようだ。それに対して忠固は、勅許は不要であるとしていたため、相容れないことを知ると井伊は忠固更迭へと動き出した。そして、忠固を罷免したいが堀田正睦は留めたい井伊と、松平慶永を大老に推薦した堀田正睦を罷免したいが忠固は留めたい家定とが互いにそれぞれの罷免を認め合うことにし、堀田と忠固は将軍後継が決まり次第罷免となった。政治生命に期限がつけられた忠固は、アロー戦争で清国を侵略・蹂躙した英仏軍艦隊が日本に来航するだろうことに焦りつつ条約調印を急いだ。1858年7月29日、忠固はついに城中評議で井伊に賛成した一人以外の賛成を得て、条約の調印に至った。通説では井伊直弼が無勅許調印断行したとなっているが、無勅許調印を認める評議を主導したのは忠固なのである。

登録日:2022-02-14 投稿者:yo-to
地区コード上田地域(上田市)
ハッシュタグ
(キーワード)
    ライセンスこのライセンスは原作についてあなたに対するクレジットの表示を行う限り、あなたの作品をリミックスし、改変し、あなたの作品を使って新しい作品を作ることを許すものです。これはもっとも懐の広いライセンスです。ライセンスされた資料の流通・利用の最大化のためにお勧めしています。 表示(BY)
    投稿者yo-to
    管理番号9
    カテゴリ名私の地域探究
    トップにもどる
    地図で見る
    情報を探す
    キーワード
      同じキーワードを持つ記事