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1上田紬の歴史<繁栄>上田紬の歴史<繁栄>今回は上田紬がいつどうやって繁栄していったのかをまとめました。 上田紬は400年ほど前に戦国武将の1人して名高い真田昌幸が上田城が築いた時に、地場産業として奨励された真田家が麻つくった「真田織」が元になっています。 その後、上田地域の気候や風土が向いていたということもあり、蚕種業や養蚕業が盛んに行われ、現在の上田紬が形成され、江戸中期には京都や江戸の多くの人々に愛用され、日本三大紬の1つとなりました。2023-02-01
2上田城下町絵図上田城下町絵図2023-02-01
3上田城跡公園上田城跡公園真田信繁(のぶしげ)こと、幸村は、上田で青年期を過ごしたといわれています。上田城の築城がはじまってしばらくの後、上杉家に人質に出され、そこで、兼続と出会ったのです。2023-02-01
4真田幸村真田幸村幸村(信繁)は上田城を築いた真田昌幸の次男(信之〔のぶゆき〕の弟)として生まれ、2度にわたる徳川軍による上田城攻撃を父とともに退けている。 そして、大坂の役にあたっては、豊臣秀頼の大坂城に招かれ、徳川勢を相手に華々しい活躍ののちに討死〔うちじ〕にし、名を後世に残した。2023-02-01
5上田の魅力と発信上田の魅力と発信 長野県の観光地利用者統計調査結果によると、上田市の主要観光地のトップはやはり上田城跡であった。真田幸村の知名度もあるが、トップに位置している理由として駅から比較的近い距離にあることも関係しているのではないかと考えた。     上田市は新幹線が通っており、他県から観光に来るには比較的アクセスがしやすいといえる。これは、実家と上田を往復する中で実際に感じたことである。   上田の魅力とはやはり、歴史的な建造物や自然の豊かさであると私は考える。それに加えて、都市部からのアクセスのしやすさも挙げられるのではないかとおもう。実際の目的地ではなくても、目的地までの中継地として気軽に立ち寄り観光することができる。日帰り旅行のコースプランなどを積極的に発信していくことで、上田市の魅力を広2023-01-30
6真田氏最古の文書は信玄からの書状真田氏最古の文書は信玄からの書状「其の方年来の忠信、祝着に候。然らば本意の上に於て、諏方(訪)方(形)参百貫并ならびに横田遺跡上条、都合千貫の所これを進じ候。恐々謹言。 天文十九庚戌  七月二日 晴信(花押)   真田弾正忠(幸隆)殿」 この文書が効力を持つことになったため、上田の地にかなりの土地を得ることができたわけでありに幸隆の子昌幸が上田城を築くもととなったともみられる文書であり、その意味でも貴重なものであるとされています。 武田信玄は真田一族と深い関わりをもっていることがわかります。 https://museum.umic.jp/sanada/siryo/sandai/020202.html2023-01-30
7初代上田藩主 真田信之初代上田藩主 真田信之真田信之は初代上田藩主を務めた人物であり、上田城を築城した真田昌幸の息子である。信之は徳川家に仕える猛将本田忠勝の娘、小松姫と結婚し、関ヶ原の戦いでは父昌幸、弟幸村とは対立することとなる。その後は上田領を任され、農村の復興と上田城下町の整備に尽力したが、1622年に松代へと移封されることとなる。 参考サイト 上田市デジタルアーカイブポータルサイト https://museum.umic.jp/sakuhin/web.html 上田市博物館 https://museum.umic.jp/hakubutsukan/ueda-castle-history/03/2023-01-28
8前川ゼミレポート前川ゼミレポート私は、なぜ上田氏は真田氏のPRに固執するかについて疑問を持ったため調べることにした。というのも、上田市には別所温泉近辺にたくさんの歴史的建造物があり、「信州の鎌倉」という別名まで付けられるほどのだからだ。そして「別所温泉」という名前自体は全国的にもある程度知られている。まったくの無名の観光地をアピールするわけではないのになぜここを差し置いて真田氏に固執するのだろうか。 真田氏に固執する理由として思いついたのが歴史好きに対するアピールの強さだ。二度にわたる上田の戦い・大阪の陣で有名な真田幸村にゆかりのある地(真田村)であることから、上田城や真田氏についてアピールできる。だが、この真田氏についてもやや疑問がある。一般人に「武将の真田」と言って思い浮かべるのは真田幸村だろう。この真田2023-01-26
9市街地方面の神社・寺院と真田氏市街地方面の神社・寺院と真田氏上田城周辺には、神社・寺院が多数存在する。しかも、同じような場所に集まっている場合が多い。これは、地域のシンボルである上田城に深く関わってくる。1583(天正11)年、上田城を築城した真田昌幸は、城下町として海野町を作った。これは、先祖の地である海野郷(現在の東御市本海野)より、新たな本拠地近くに住民を移住させたことに由来する。それに伴い、海野郷近辺にあった寺院を城の近くに移した。例えば願行寺や日輪寺といった寺院がこれに該当し、真田氏の先祖である海野氏が開いたとされる場合が多い。特に願行寺は、江戸時代に上田藩の菩提寺になったほど、この地域や人々に深く根付いていたと考えられる。また海野町には、商売繁盛を利益とする高市神社がある。これは昌幸がつくったものだ。 このように、上田城を築城す2023-01-26
10眞田神社眞田神社眞田神社は「上田合戦」に勝利した真田昌幸・幸村親子をはじめ代々の上田城主を祀った神社なので、「勝負運」や「勝運」、落ちない城ということで「学業成就」のご利益があるとされています。2023-01-26
11真田氏~仙石氏 藩主の移り変わり真田氏~仙石氏 藩主の移り変わり仙石氏が上田藩主を務めることになった理由は、1622年に当時の上田藩主を務めていた、真田信之(幸村の兄)が松代へ移封されたことが原因である。 「上田城は真田の城」というイメージが強いが、実は真田氏が城主を務めたのは信之とその父昌幸の2代だけである。 参考サイト 上田市立博物館 https://museum.umic.jp/hakubutsukan/ueda-castle-history/03/2023-01-25
12まとめまとめ上田には歴史が詰まっている。 私は長野大学に入学してから上田市とのかかわりが増え、より感じるようになった。 例えば、上田城。石垣やお城の後はそこに時代を感じさせる。神社やお寺も意外と上田にあったりする。 上田駅を出てすぐの商店街は今も昔もそこに存在している感じがする。少し歩けばいろんなお店があって、昔ながらのものもあれば最近できたおしゃれなお店まで、点在している。 上田市がどうやって歴史をつないで今の姿になっているのかを私たちは肌で感じながら暮らすことができる。 それこそが上田にある魅力の一つではないだろうか。2023-01-23
13上田の都市開発について(前川課題発見ゼミ)上田の都市開発について(前川課題発見ゼミ) 私は、上田の探検を通して、上田は細い道が多いことや、郊外に市街地が拡散していることが課題であると感じた。これらの問題の解決方法の一つとして、道路交通網の整備や区画の見直しといった大規模な都市開発が不可欠だと考えた。  そこで、近年急速に都市開発がなされ、区画が整理された佐久平と交えて、上田の行っていくべき都市開発の在り方について考えた。  佐久平はかつて田園風景の広がる盆地であったが、新幹線の開通により急速な発展を遂げたことは周知の事実である。一般的に、新幹線の開通に伴う佐久平の都市開発は、成功例の一つだといわれている。  だが、この急激な発展によって生まれた弊害もある。その弊害は、佐久市の岩村田地区に顕著に表れている。岩村田はかつて佐久市の中心市街地であった。しかし、新2023-01-23
14上田のelaboration上田のelaboration 上田の一番の課題は地元の住民が上田市の歴史についての姿勢が問題あると考えた。交通の不便さ、若者へのアプローチの弱さ、そこから繋がる上田の地の魅力が広く知られていないなどの課題がいろいろある中、地元理解という土台が無ければ上田市が発展するにあたり、観光客の理解が深まらず上田の魅力が伝わらないと考えた。これより、上田の課題を地元理解に絞り、なぜその課題が提起され、その課題をどう解決させていき、どのような結果になることが理想的であるかを探究し提示することを目的とする。  例を挙げると、「真田丸」というドラマが始まり、真田幸村が大いに話題を呼んだ。上田市はその話題に際して、上田城を築城したのは真田昌幸であるという真実を広く公表することなくイベントや観光客を迎えた。さらに現在、上田2023-01-19
15前川ゼミ最終まとめ 上田の課題解決と魅力発信前川ゼミ最終まとめ 上田の課題解決と魅力発信前半のゼミ活動で行った町歩きを通して上田市について魅力と課題の両方を感じることができた。 まず私がゼミ活動やこれまでの日々で感じた上田市の魅力は以下のものがある。 ①分野別で名所が多い 例旅行→別所温泉  歴史→上田城  ウィンタースポーツ→菅平 ②美味しい食 ③学生へのサポートが手厚い  例町キャン ④自然が豊か 一方で感じた課題は以下の通りだ ①別所線の利用者の少なさ  原因→本数少ない、運賃高い  私も悪天候、帰省時以外めったに使わない ②情報が伝わりにくい  店側、イベント主催側からの発信が少ない ③商店街の元気が無い  例海野町商店街で若者を見ることが少ない ここで考えた課題の解決策がイベントの活性化である 例えば別所線をつかってスタンプラリーなどのイベントを行うことで利2023-01-19
16前川ゼミ活動考察前川ゼミ活動考察 今まで上田市の外で生活をしたことがないので、客観的な視点ではないかもしれないが、自分なりに上田市について感じたこと、考えたことをまとめる。上田市というのは上田城の城下町であったり、北国街道が通っていたこともあり、歴史がある町である。気候も安定していて、自然も多い。スキー場やキャンプ場、温泉も多く、車があれば日帰りでスキーや温泉を楽しむことができる。新幹線も通っており、東京など首都圏へのアクセスも良い。そのせいか、近頃では海野町商店街などに若者向けのバーや、都会志向の洒落た店が増えてきた印象がある。加えて県外からの移住者向けかと思われる高級マンションも増えてきた。一時的ではあるが真田氏の本拠地が上田城ということもあり、NHK大河ドラマ「真田丸」の人気によって上田が賑わっていたこ2023-01-19
17elaboration探求まとめelaboration探求まとめ上田城と地元の松本城を比較し、松本城が地元の人から愛され誇られているのかを探求した。 前提として、天守閣の有無は割愛させてもらいこの探求テーマを考えた。 上田城と松本城の魅力の比較について主に2つ挙げる。 一つはイベントの豊富さである。 まず、松本城は春夏秋冬でイベントが設けられている。2022年に松本城で行われたイベントを調べていくと 春のイベントは「夜桜会」、「桜並木 光の回廊」をはじめとする5つ。 夏のイベントは「太鼓祭り」、「和服来場者入場無料事業」などの計3つ。 秋では「そば祭り」と「お城祭り」の2つ。 冬は、「冬囲い」、「氷彫フェスティバル」をはじめとする6つ。 四季折々のイベントが合計で16件も催されている。 県外の人だけでなく、地元の我々も訪れる機会が多くそのため、自信をも2023-01-12
1812月22日分 調査まとめ12月22日分 調査まとめ上田城の築城・歴史 「日本一の兵」真田幸村を輩出した真田氏は、現在の上田市真田町の周辺を拠点として活動していた。上田城の築城が開始されたのは1583年のことで、真田幸村の父である真田昌幸によって築城が開始された。当時徳川家康に仕えていた昌幸は、その援助を受けながら築城をしていた。しかし、北条と手を組もうとする徳川から土地の受領を要請された際にこれを拒否。徳川と断絶した昌幸は、上杉家に助力を求め次男の幸村を人質に差し出す。これにより、上杉方から戦力と築城の支援を受けた。上田城が一旦の完成を迎えた1585年、家康は鳥居元忠らを真田領に進軍させ「第一次上田合戦」が始まった。およそ1万の軍勢で進軍してきた徳川軍を昌幸は謀略を用いて少数の軍勢で撃退した。時は流れて関ヶ原の戦い最中の1600年、家康の息2022-12-22
19上田elaboration上田elaboration探求テーマ「上田のシンボルの普及+若年層に対するアプローチ」 私が上田探検隊や自らの目で見てきた上田の魅力は、歴史的な建造物に身近に触れられるという点である。しかしながら、それに気づいている人は限りなく少なく思える。そんな上田市と地元の松本市を比較した時に、松本も上田と似た魅力を持ち合わせている。だが、松本に住んでいると頻繁に歴史に触れたくなる。それはなぜなのか考えた時に、松本城という圧倒的なシンボルの魅力に隠されていると考えた。もちろん天守閣があり、存在感が凄まじいことは大前提として、それだけで、地元の人々が訪れているとは思えない。では、観光客だけでなく地元市民も頻繁に訪れる理由は何か。調べれば一瞬で訳が分かった。それは、多種多様な四季折々のイベントである。春は夜桜会、光2022-12-21
20探求テーマ探求テーマ探求テーマ 上田にしかない魅力をアピールしていくにはどうすればよいか elaboration課題の提起 上田には、上田城をはじめとする様々な歴史的建造物があるが、城だけならば松本城のほうが見ごたえがある。そういった他と比べて優劣がつけられてしまうものではなく、上田にしかないものを発信していく必要があると思う なぜそうなのか SNSの活用不足 何を探求するのか よりよいアピールの方法、上田にしかないもの 探求の目標 上田の魅力を発見し、それを他の人に発信できるようにする どのように探究するか 実際に町を歩く。デジタルマップなどを活用する2022-12-15
21上田招魂社上田招魂社上田招魂社は眞田神社と同じく上田城内に建立されている神社です。戊辰戦役従軍の戦死者をはじめ日清日露の戦争を経て今次の大東亜戦争に至る間国家の為尊き命を捧げられた5,936人の英霊をまつる御社です。2022-12-05
22眞田神社眞田神社眞田神社は真田氏、仙石氏、松平氏という歴代の上田城主を御祭神としています。しかし、もともとは松平家の御先祖をお祀りする御宮であり、松平神社と呼ばれていました。 4枚目の写真は城内唯一の大井戸で、この井戸の抜け穴は白の北方、太郎山麓や藩主居館跡にも通じていたとの伝説があります。2022-12-05
23上田城の紅葉上田城の紅葉上田城へ紅葉を観に行ってきました。とても綺麗でした。また、自然に触れてリフレッシュすることができました。2022-12-05
24真田神社真田神社上田城跡公園にある真田神社。風が吹き、絵馬がお互いにぶつかり合ってカラカラと音を立てていました。2022-12-05
25山家神社山家神社上田市真田町長にある山家神社です。「白山大権現(はくさんだいごんげん)」と称えられ、ご利益としては上田城鬼門除けの神として広く信仰されています。2022-12-05
26上田城上田城真田幸村で有名な上田城。二度にわたる徳川軍を退けた難攻不落の城と呼ばれている。大河ドラマの「真田幸村」や「サマーウォーズ」のモデルとしても知られ、多くのファンから人気の観光スポットにもなっている。春に行ったときは桜が満開で川に移る姿や楽し気な屋台の列が印象的でした。奥に進むと結構大きな神社もあって素敵な場所でした。2022-12-05
27上田城門上田城門上田といえば、で多くの人からまず最初に出るのが上田城だと思います。こちらは千本桜祭りの様子になります。約1000本の桜が咲き誇り、夜はライトアップされた夜桜が見られます。2022-12-05
28春の上田城春の上田城千本桜まつりの際の上田城です。 桜が綺麗にライトアップされ幻想的な光景です。2022-12-05
29願行寺願行寺浄土宗の寺院、願行寺。設立には海野小太郎が関わっており、入り口の四脚門は市の指定文化財に登録されている。 古くは真田昌幸が上田城下町を作る際に海野郷から城に近い厩裏町に移され、その後息子の真田信之によって現在地に移された。 それにしても、「願い行く寺」ってなんかいいですよね。2022-12-04
30高市神社高市神社海野町の通りにある神社。祭神は「大国主(オオクニヌシ)神」、「事代主(コトシロヌシ)神」。大国主神は大黒天、事代主神は恵比寿神として七福神にも数えられる。 この神社は海野町の商いの神様である。 境内には「運の石」という石があり、開運と悪運除けがご利益。真田昌幸が上田城築城の折に白鳥神社から霊力宿る石を授かった。それがこの神社のご神体。そして、その石に縁ある石を高野山から持ってきて運の石とした。2022-12-04
31上田城上田城上田の歴史、ここにあり!上田といったら上田城のイメージが強く、観光客も多く訪れる。2022-11-30
32染谷城染谷城染谷城は「大熊屋敷」とも呼ばれ、真田昌幸の重臣・大熊氏が上田城の東の守りを固めるために配置された城館と考えられている。2022-11-30
33日輪寺日輪寺天文14年(1545)真田家の先祖である海野小志廊幸義公によって創建された禅宗のひとつ、曹洞宗の寺院です。 海野家が没落すると後裔の真田家が庇護し真田昌幸が上田城に居城を移す際この地に移されたとされ、寺紋は真田家と同じ六文銭を掲げています。2022-11-30
34本陽寺本陽寺本陽寺は小諸城主であった仙石秀久が文禄5年(1596)に亡くなった夫人のため建てたお寺です。 夫人の墓を中心に上田城主二代 政俊の子供、忠俊の墓のほか五輪塔・舟型・角柱型などの石塔婆が大小11基あります。また、幼児の墓が6基もあります。 近くに幼稚園があって幼稚園児が遊んでいました!2022-11-30
35上塩尻における養蚕業②上塩尻における養蚕業②本来常田製糸場を訪れるつもりだったのですが閉館時間が過ぎてしまい、「手織り上田紬小岩井工房」に向かいました。西上田駅から国道のそばを通り、小道に入った先にありました。遅い時間に訪れたのにも関わらず、ご丁寧に案内してもらい、二階にある機織り機も見学させてもらいました。 上田紬は結城紬(茨城県結城市を中心)と大島紬(鹿児島県奄美大島の奄美市名瀬地区を中心)に並ぶ日本三大紬に選ばれており、丈夫かつしなやかで縦糸と横糸の重なりによって多様な柄や色合いを生み出すのが特徴とされています。 入ってすぐ左側には買い物ができるスペースがとられています。そこで様々な話をお聞きしましたが、中でも小岩井工房の方が考えられたという「りんご染め」の上田紬がとても興味深かったです。りんごの品種と媒染の2022-11-30
36眞田神社眞田神社 眞田神社は上田城本丸跡に鎮座しており、真田氏、仙谷氏、松平氏という歴代の上田城主を御祭神としている。しかし、本来は松平家の御先祖をお祀りする御宮であり、松平(しょうへい)神社と称していた。  松平家は、真田氏、仙谷氏のあと、江戸時代中期から明治の廃藩に至るまで7代160余年の長きにわたる上田藩主であった。  上田藩主となった系統の藤井松平氏の初代忠晴公は、隠退後は忠山と号した。寛文9年(1669)に亡くなった。忠山公の御墓所は京都の金戒光明寺にあり、京都に忠山公の御霊をまつる忠山社が設けられてもいた。これが眞田神社の起源となっている。  明治維新の変革の中、国に接収された上田城もまもなく民間に払い下げられ、城跡は急速に桑園・麦畑などに変化していった。そのような情勢の中で、旧上田藩士や2022-11-30
37手織り 上田紬 小岩井紬工房手織り 上田紬 小岩井紬工房上田紬は、400年ほど前、真田昌幸が上田城を築城した際に地場産業として奨励した真田織が始まりと言われています。上田の気候や風土が養蚕に適していたことで、江戸時代には日本三大紬の一つとなりました。 上田紬の特徴は、丈夫なことです。この小岩井紬工房さんは創業以来手織り一筋で、上田紬独自の丈夫でしなやかな風合いを織りつむいでいます。 小岩井紬工房さんでは、工房見学、花瓶敷織体験、着尺や帯、小物の販売をしています。ぜひ行ってみてください!2022-11-28
38上田城の紅葉上田城の紅葉上田城の紅葉の写真です。赤や黄色など色とりどりの木々に魅了されました。2022-11-14
39小岩井紬工房さん小岩井紬工房さん今回、小岩井紬工房さんで工房の見学と上田紬についてお話を伺いました。 小岩井紬工房さんは上田紬の伝統である縞・格子柄のほかに、上田市ならではの信州上田産のりんごの樹皮を用いて染めた林檎染や上田城跡公園の桜で染めた桜染など様々な種類の上田紬が販売されています。 また、着物や帯だけでなく現代のニーズに合わせて上田紬のネクタイやカードケース、ハンドバッグなども販売されています。 工房見学だけでなく、花瓶敷織り体験(所要時間40分・2500円)、『織りの休日倶楽部』など実際に制作を体験することもできます。詳しくは小岩井紬工房HPをチェック!2022-11-13
40上田紬の歴史・特徴上田紬の歴史・特徴上田紬は今から約400年前、真田昌幸が上田城を築城した際に地場産業として奨励した真田織が始まりだそうです。 江戸時代には結城紬(茨城県・栃木県が主な生産地)、大島紬(鹿児島県が主な生産地)と並んで上田紬が日本三大紬のひとつに数えられました。 上田紬は手触りがよく、軽く丈夫で吸放湿性の高いことが特徴です。 また、縞と格子柄が特徴の上田紬は縦糸と横糸の重なりで様々な色や柄が生まれます。 小岩井紬工房さんで工房見学をさせていただき、上田紬についてお話を伺いました。 写真は小岩井紬工房さんで見学させていただいた際の写真です。2022-11-13
41上田探検隊まとめ上田探検隊まとめ上田探検隊を通じて、私は上田の名所について新しく知っていく度に、上田に住んでいながら自分は上田についてまだまだ知らないんだなと感じさせられました。実際に愛宕神社や、一里塚については初見でしたし、上田城の近くにあることぶき商店も上田探検隊の活動で初めて知りました。上田についてまだまだ知らないことが多いということを実感したのと共に、魅力がある場所が結構あるにも関わらず、自分のように上田に住んでいたけど知らなかったりと、上田市の魅力があまり色んな人に行き届いていないのも実感しました。2022-11-06
42上田を象徴する城上田を象徴する城車をおりて一番最初に到着したのが上田城でした。大河ドラマ真田丸で一躍有名になり、今も広く地域の人に愛されている上田城。真田昌幸によって築城され、その後幾度の戦いでも陥落せず、その形を守り続けてきた。貫禄に溢れ、歴史を物語っていて雰囲気や城の創りに圧倒されました。地域の人達が歴史を大切にしていることがよく伝わりました。2022-11-03
43愛宕神社について愛宕神社について愛宕神社は入口の鳥居から既に歴史を感じさせます。その奥には見上げるほどの段数の多い階段があり、傾斜もきつく、かなり危険でした。しかし、登った後に上から見る街並みは上田城の上から見る景色とはまた違う景色で、綺麗だと感じました。実際に上ってみる価値はあると感じました。ですが、危ないのには変わらないので、上るかどうかは個人の判断にお任せします。2022-11-03
44大手門公園大手門公園上田城と海野町商店街の中間地点的な所にある公園です。公園というよりは休憩場所見たいな場所です。この時期は紅葉も見れますし、夏場は緑が生い茂って季節を感じられます。 涼しくきれいな場所で落ち着くことができます。歩き疲れた時に一息つくのにもってこいです。2022-11-03
45上田城上田城上田市といえば上田城 紅葉が始まっていて綺麗でした。今年は紅葉の始まりが遅かったなと感じます。敷地内は広く日当たり良いところも日をよけれるとこも複数あるので散歩にちょうど良いです。また春は桜が咲き誇りとても綺麗になります。季節を感じることができる素晴らしい場所です。2022-11-03
46紅葉紅葉上田城の近くにある百余亭の庭園です。2022-11-03
47丸山邸丸山邸明治4年、廃藩置県により上田城を買い取り、明治18年、当時の上田町に寄贈したのが丸山平八郎です。丸山邸はその私宅「木屋平」です。2022-11-03
48石垣石垣東虎口櫓門の石垣には真田石が用いられています。石垣ひとつとっても意味があるということを初めて知り、驚きました。2022-11-01
49東虎口櫓門東虎口櫓門東虎口櫓門から入りました。下から見上げるととても迫力がありました。2022-11-01
50上田城跡公園上田城跡公園友達と上田城跡公園に行ってきました。自分の通う学校の近くに歴史を感じられるスポットがあることはとても素敵なことだと思いました。2022-11-01
51上田探検 まちなか 上田城上田探検 まちなか 上田城ここは上田城です。歴史の偉人、真田幸村を輩出した真田氏の城であり、周囲は散歩コースとなっており、春は桜、秋は紅葉を楽しめる。上田城内は昔使われていた道具が展示されており、当時の上田城を堪能することができる。2022-10-31
52眞田神社眞田神社眞田神社は上田城の中にあります。過去の上田城の城主を御祭神にしているそうです。2022-10-31
53上田探検 西部地域 丸山邸上田探検 西部地域 丸山邸ここは丸山邸と呼ばれる場所である。この石垣は明治政府より払い下げになった上田城の石垣を移築して築いたものであり、丸山邸付近の景色は風情あるもので、かつては時代劇のロケ地にもなっている。石垣くらは当時の迫力を思わせるような魅力があり、ロケ地にされるのも納得の風景だった。2022-10-31
54上田城の歴史と観光写真上田城の歴史と観光写真上田市の有名観光スポットに行ってきました。2022-10-31
55上田城の風景写真上田城の風景写真上田市の有名観光スポットに行ってきました。 秋の上田城2022-10-31
56杉並木古株杉並木古株真田昌幸が上田城築城の際、城の西側にあたる秋和集落に267本の杉を植えたと伝えられています。このうち1本残った杉の木が史跡名勝天然記念物に指定されていたが、台風で倒れ今はこの古株から当時の杉並木を偲ぶだけとなっている。2022-10-31
57上田城上田城天正11年(1583)真田昌幸によって築城されました。 第一次・第二次上田合戦で徳川軍を二度にわたり撃退した難攻不落の城と呼ばれています。 信州上田真田丸大河ドラマ館が併設しており、信州上田の主たる観光地として観光客でにぎわいます。2022-10-31
58上田城上田城上田市でも特に有名な上田城。紅葉シーズンだったので盛り上がってしました。2022-10-31
59西部地域 丸山邸西部地域 丸山邸明治時代に上田城から移設したとされる石垣が残る、丸山平八郎の邸宅。 近辺には矢出沢川が流れており、涼しげな雰囲気だった。現在は近くに植物屋なども置かれている。2022-10-30
60真田家が生む松代とのつながり真田家が生む松代とのつながり 松代と上田のつながりとして、真田丸や真田幸村(信繁)で有名な上田にゆかりのある真田家が挙げられます。上田城主・真田昌幸の次男幸村(信繁)ではなく、長男にあたる真田信之が上田より松代に入部し、松代藩十万石は幕末まで治めてきました。  ちなみに、今年2022年は信之の入部400年目の年だそうです。真田家家紋である六文銭を商標にしている六文銭合資会社の存在がつながりの証拠とも言えるでしょう。2022-10-30
61上田城の堀の秘密上田城の堀の秘密上田城の堀には1箇所欠けている部分があります。 これは建設当時、風水において縁起の悪い方角を無くす目的があったそうです。これがあったからこそ真田晶幸は徳川軍を退けることができたのかもしれません。2022-10-29
62大手門公園大手門公園海野町商店街と上田城の中間地点にある小さな公園。 商店街などで買ったものを食べる際はココがオススメ! 木々に囲まれ水の音が聞こえるここで癒されましょう。 秋には紅葉も見ものです。2022-10-29
6310/27まちなか側探求10/27まちなか側探求長野大学を出発し上田城で降り、丸山邸を散策し、千人塚それから八坂神社・二子神社に参拝、バイパス通りのコスモスを眺めバローに到着しました。発展した街中の中に根強く生きている歴史を感じられました。具体的にはその地域に流れている川の周りを景観を乱さないブロック塀や、道路などが作られておりその空間を観光に活かしていたり、丸山邸では気さくに挨拶をしてくれ、その中の植物展に気軽に誘って説明をしてくれたりとくれたりと上田の魅力は地域の人からも強く感じられた。地域の人がその歴史を大切に保存している姿勢が見られた。2022-10-29
64山極勝三郎の偉業山極勝三郎の偉業信濃国上田城下(現在の長野県上田市)に生まれた人物で東京大学医学部を首席で合格し、後にドイツに留学。 当時、日本のがん研究の第一人者となった。1915年には世界で初めて化学物質による人工がんの発生に成功。 ノーベル生理学、医学賞にも4回ノミネートされた。2022-10-29
65上田城を攻めるには上田城を攻めるには上田城に続く道は私が見たところ三本ありました。三方向からこれるのは、今も、昔もなのでしょうか。お堀があるのは、このことも関係しているのでしょうか。2022-10-29
66上田城豆知識上田城豆知識上田城や藩主屋形(上田高校)の土塁、堀、城下の寺社の配置等には鬼門除けが見られます。真田氏の頃から設けられていたものとされているようです。鬼門とは北東の方位で、鬼が出入りする方角として忌み嫌われ上田城では、東北の角を落としていることが分かります。2022-10-29
67城下町城下町上田城の城下町はどこなのか疑問に思い調べてみると、海野町、原町、鍛治町、紺屋町、横町、柳町、田町の七つの町が上田の城下町であることが分かった。上田が宿場になると、海野町分に横町、原町分に柳町田町ができたようである。今は、柳町が残っている。上田城とその城下町の大部分は、真田氏の時代にすでに形成されていたといえる。上田城築城から約80年後の寛文3年(1663)の資料によれば、海野町、鍛治町、横町、原町、木町、柳町、紺屋町、田町という町分は、戸数350戸、人口2610人であったようだ。2022-10-29
68上田城のトンネル上田城のトンネル上田城の外側の堀ですが、実は昔電車が通っていました。上田交通真田傍陽線(さなだそえひせん)という電車が50年間走っていました。 廃線となったのは1972年だそうです。なんか懐かしい感じ。知らんけど。2022-10-29
69上田城上田城上田城の本丸跡は、二重の堀に囲まれているように見えた。調べてみると、一つ目は、本丸土塁の隅おとしだということがわかった。これは土塁の北東を、切り込み「鬼門よけ」としたもので、上田城の大きな特徴の1つであるとわかった。二つ目は、尼ヶ淵と呼ばれるものであり、当時城の粛には千曲川が流れ、穏やかで深みのある流れが、天然の堀となっていたと分かった。2022-10-29
70サマーウォーズサマーウォーズ上田城 南櫓・北櫓・東虎口櫓門は、2009年に公開されたアニメーション映画「サマーウォーズ」ではヒロインの実家、陣内家お屋敷の門として登場することで話題となりました。上田市観光会館にあるサマーウォーズノートは、サマーウォーズファンの皆さんの熱いメッセージが溢れていました。2022-10-29
71像上田城内にあった、真田幸村の青年期の銅像がありました。凛々しい顔つきをしていました。2022-10-29
72井戸井戸上田城内に大きな井戸がありました。お城が現役で使われていた時に重要施設として扱われていたのか、とてもきれいな状態でした。2022-10-29
73上田城の中にあった神社上田城の中にあった神社上田城の中にあった絵馬を飾った小道がありました。写真映えも十分するので、観光客にとっては一定数の需要があると感じました。2022-10-29
74上田城南櫓・北櫓・櫓門 上田城南櫓・北櫓・櫓門 昭和34年11月9日、上田城南櫓・北櫓・櫓門は、県宝 建造物に指定された。年代的に、江戸時代初期である。北櫓と南櫓は民間に払い下げられ、遊郭として利用されていた。 しかし、その後東京の目黒雅叙園に売却されたが、市民に買い戻されて、現在の場所に移築された。 北櫓と同じ二重二階の櫓となっているのが特徴です。2022-10-28
75上田城跡上田城跡上田城跡に友達と行きました。石垣についての説明を読んで、石垣で大きい石を使っているのは権威を示すためだとわかり、面白かったです。そして石垣にも歴史があるのだと新しい発見でした。2022-10-28
76上田市立第二中学校上田市立第二中学校上田市立第二中学校です。上田城のすぐ隣にある公立の中学校です。2015年から新校舎になったため、公立とは思えないきれいさで正直長大よりきれいです。 自分が通っていた中学校や小学校は公立なのでもちろん全然きれいではありませんし、きれいなのは私立だけだと思っていました。しかし、同じ北陸新幹線沿いである金沢に旅行で行った時も、公立でこのようなきれいな学校があったため、北陸新幹線の2015年における長野 - 金沢間開業によって近年また栄え始めた地域では、このように公立学校にお金が使われることがあったのかなと考えました。2022-10-28
77北国街道・柳町北国街道・柳町旧北国街道沿いの家並みが残る通り。上田城下の商い処。 創業350余年の老舗酒蔵がある。歴史を伺える雰囲気の酒屋である。2022-10-28
78お城お城この写真は、上田城の櫓を映したものです。とても美しい建造物です。撮影日の日は非常に空も晴れており、より移送う櫓が場えていました。2022-10-27
79上田城 二の丸跡の歴史物⑤ 青年眞田幸村公之像上田城 二の丸跡の歴史物⑤ 青年眞田幸村公之像幸村の初陣とされる第一次上田合戦頃の、青年・真田幸村をイメージして造型されたもの。彼の眼が見据える先は徳川の大軍である。 <引用文> https://kojodan.jp/castle/60/photo/229664.html 10月21日15時頃にフィールドワークしました。  青年時代の真田幸村を表した銅像。眞田神社すぐ横にある。後ろには、壮大な景色が広がっていてとても綺麗でした。この銅像の場面は幸村の初陣、徳川との戦いを表しています。なんとこの戦いの結果は幸村が勝利を収め、大名として独立を確定させた戦いです。こう言ったことから眞田神社のご利益が「勝負運」なのかと考察できました。2022-10-27
80真田幸村の神輿真田幸村の神輿上田城周辺には真田幸村の神輿があります。近くに行ってみることはできませんが、遠くから見ることはできます。2022-10-27
81上田城上田城三つの写真の内、上田城・大阪城の記念碑は、上田・大阪両市長の友好城郭記念宣言を機にして設立したものである。石碑は旧真田城の石を使用しているらしい。2022-10-27
82上田上田この写真は上田城から見た、上田の街の景色です。上田城は、高台の上に築かれているためととてもよく見えます。2022-10-27
83上田市立博物館上田市立博物館現在、上田城の近くにある上田市立博物館では期間限定で上田城跡出土の金箔瓦が公開されています。 ぜひ是非見に行って見に行ってください。2022-10-27
84上田城 二の丸跡の歴史物④ 眞田神社上田城 二の丸跡の歴史物④ 眞田神社上田城本丸跡に鎮座する当社は、真田氏、仙石氏、松平氏という歴代の上田城主を御祭神としています。 <引用文> http://sanada-jinja.com/about/ 10月21日15時頃にフィールドワークしました。  上田城跡に鎮座する神社、行った時には人が多くいてお守りなどを買っているなどとても栄えていることがわかりました。歴史的に調べてみると、この神社は城主を御祭神として信仰する歴史があるそうです。ちなみにご利益は「勝負運」「学業成就」などです。2022-10-27
85甘利探検隊~上田城編~甘利探検隊~上田城編~10月20日に上田城にフィールドワークを実施しました。 博物館に行き、甲冑の数の多さに驚愕しました。2022-10-27
86甘利探検隊~上田城編~甘利探検隊~上田城編~10月20日に上田城にフィールドワークを実施しました。 城内にある真田神社の奥ゆかしさに感心しました。2022-10-27
87甘利探検隊~上田城編~甘利探検隊~上田城編~10月20日に上田城にフィールドワークを実施しました。 城内にある井戸の深さに驚愕しました。2022-10-27
88甘利探検隊~上田城編~甘利探検隊~上田城編~10月20日に上田城にてフィールドワークを実施しました。上田城の門にて大きさに圧巻しました。2022-10-27
89甘利探検隊~上田城編~甘利探検隊~上田城編~10月20日に上田城に行きフィールドワークを実施しました。二の丸から見える景色を見て感動しました。2022-10-27
90上田城 二の丸跡の歴史物③ 真田石上田城 二の丸跡の歴史物③ 真田石 大手の石垣に巨石を用いる例は多く、城主はその権威を示すために、大きさを競ったという。真田石は、真田信之が松代に移封を命じられた際に、父の形見として持っていこうとしたが、微動だにしなかったという伝承がある。現在ある石垣は仙石忠政が造ったものであるが、真田石に寄せる人々の敬愛の情がうかがえる伝承である。 <引用文>https://kojodan.jp/castle/60/memo/1938.html 10月21日15時頃にフィールドワークしました。東虎口櫓門を抜けるとすぐ横に大きな石垣があり、説明看板のようなものが石垣の前に設置されていました。そして気になり調べてみると、なんと、石の大きさで権威を示すということを知りました。実際に見てみると本当に大きくて、真田の権威の大きさを実感することができました。2022-10-27
91上田城 二の丸跡の歴史物② 東虎口櫓門上田城 二の丸跡の歴史物② 東虎口櫓門天正11年(1583)真田昌幸によって築城された上田城は、第一次・第二次上田合戦で徳川軍を二度にわたり撃退した難攻不落の城。春は上田城千本桜まつり・秋には上田城紅葉まつりが行われ、現在は信州上田真田丸大河ドラマ館が併設しており、信州上田の主たる観光地として観光客でにぎわいます。 <引用文> https://nagano-ueda.gr.jp/uedajo/about.html 10月21日15時頃にフィールドワークしました。  上田城跡に聳え立つ大きな門、この門はなんと、大河ドラマだけでなくサマーウォーズに出てくる門のモデルにもなってるそうです。徳川軍を二度も撃退したなんて、凄く頑丈なことがわかります。歴史的にも、見た目も話題性がとても高い歴史物だと感じました!!2022-10-26
92上田城跡 二の丸跡の歴史物① 二の丸橋上田城跡 二の丸跡の歴史物① 二の丸橋現在、市立博物館がある一角に上田監獄署ができたのは明治18年。城跡に残っていた石垣や土塁の上に更に高い塀を築き、周りを囲みました。現在の二の丸橋のところが正門となり、頑丈な門が石垣の間に作られました。そんな事情もあり、公園利用者のために二の丸橋の南側にもう一つ橋を設けていたようです。現在のけやき並木のところに鉄道(上田温泉電軌(き)北東線)を通すことになった昭和初年に、この橋は撤去されましたが、二の丸橋が二つあったというのは、現在では想像もできません。 <引用文>https://www.city.ueda.nagano.jp/soshiki/shogaku/2024.html 10月21日15時頃にフィールドワークしました。上田城 二の丸跡の入り口には二の丸橋という橋があり、歴史を調べてみたら、二の丸橋が元々2つもあったなんて、驚きました。2022-10-26
93昭和の残り香を巡る~①上田城編~昭和の残り香を巡る~①上田城編~上田城やその城下町が残る上田市、江戸時代より城下町として繁栄を続けてきた。今回の探求では知られざる明治から昭和時代の「昭和の残り香を巡る」というテーマで探求を行いました。 今回は「遊郭としての上田城」の紹介です。 遊廓(ゆうかく)とは、公許の遊女屋(女郎屋)を集め、周囲を塀や堀などで囲った区画のことです。 上田城は戦国時代、真田家の防衛拠点として大きな戦果を挙げた城で有名な場所であります。 一方、戦国時代が終わった後明治維新以降、二基の櫓は、払い下げが行われ、それぞれ金州楼、万富楼という名前を付けられ、昭和の初期まで遊郭の妓楼としての役割を果たしていました。 ※妓楼→遊女を置いて客を遊ばせる家。 防衛拠点としての上田城は皆さんが良く知る歴史であります。しかしそれ以降の歴史は知らな2022-10-25
94上田城跡上田城跡上田城跡公園 毎年いろいろなイベントが行われいる きれいな外見だった2022-10-25
95上田城下の新名物上田城下の新名物上田城下、アリオ上田に向かう方角に石垣を下りると、赤紫色の看板が目に付きます。「ことぶき商店」というお店です。2年ほど前に開業したおいも屋さんで、ねっとりとした「蜜いも」が名物。たっぷりの甘いたれが付いたさつまいも、本当に絶品!これで300円という値段も最高です…!2022-10-25
96上田城の知られざる歴史上田城の知られざる歴史上田城の入り口はいくつかありますが、市役所に最も近い入口は橋になっています。橋の下は昔堀がありましたが、ちょうど50年前までは、この場所に電車が走っていました。「上田交通 真田傍陽線」という路線で、写真の場所には「公園前」という駅がありました。橋の裏側には電車の架線の跡が残っています。2022-10-25
97丸山邸丸山邸たそがれ清兵衛のロケ地です。石垣はかつて上田城のものだったようです。明治時代にこの場所に移されたとの事です。とても歴史を感じました。この辺は川辺で涼しく散歩にちょうど良いです。 上田市は自分が思ってた以上に歴史に満ちあふれてると思いました。2022-10-24
98丸山邸丸山邸諏訪部という地域の矢出沢川沿いには丸山邸という石垣造りの立派な邸宅があります。この石垣はもともと上田城から運んできたらしいです。実は10年前くらいに丸山邸は火事で屋根が落ちていたりもするんですが、そんなことを微塵も感じさせないほど繁盛してます。今は邸宅内の蔵を改造して映画鑑賞ができたり、お洒落な観葉植物を販売していたり。時間の都合上カフェの写真はありませんが、ここの蕎麦はおいしいとのこと。是非!2022-10-24
99杉並木古株杉並木古株正福寺の千人塚のすぐそばにあります。かつてここには杉の木が267本あったらしいです。杉の木は上田城築城の際に有名な真田幸村…の父親である真田昌幸が植えたと伝わっているそうです。2022-10-24
100千人塚千人塚秋和の正福寺にある千人塚です。千曲川が氾濫(戌の満水1742年)して、犠牲になった人を供養しています。ちなみに昔は上田城下の公園のところは千曲川だったらしいですよ。正福寺のの観音堂には養蚕にまつわる仏様が祀られているそうです。2022-10-24
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