| 写真 | タイトル | 説明 | 登録日 |
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1 |  | 立科町散策③ 【大庭遺跡】 | 2022/06/21(火)
立科町役場から少し歩いたところにある【大庭遺跡】へ。
長野県にきて驚いたことの1つは”縄文時代の遺跡が至るところにある”ということ。
小学校に縄文土器があったりして非常に面白い。
立科町にもその1つ大庭遺跡があると知り、訪れた。
行ってびっくり、
大庭遺跡は”古墳時代、奈良時代、平安時代わたる複合遺跡””とのこと。
縄文時代である約6500年前の竪穴式住居が17棟、墓が85基。
古墳時代~奈良平安時代である約1400年前の住居址18棟、高床式倉庫が1棟が検出されている。
この遺跡を見ていて考えたことは2点。
1点目は
このような貴重な複合遺跡がなぜ全国的に、いや長野県内にすら知られていないのか。
もしかしたら、私が知らないだけかも知らない。
が、少なくとも周りにいた上田市民の知 | 2022-06-21 |
2 |  | 立科町散策① 【立科町役場】 | 2022/06/21(火)
ご縁があり、長野県立科町へ。
長野に住み始めて3年目だが初めて訪れた。
まずは情報収集に町役場へ。
すると、入り口に豚熱まん延防止対策のため靴裏を消毒してくださいとの看板が。
豚熱とは「豚やいのししが感染する病気であり、強い伝染力と高い致死率が特徴」らしい。
私の地元(福岡県)では見たことがなく、
地域色がでてるなと早速実感。
初めてみた看板に戸惑いながら消毒をして町役場の中へ。
町役場の中には多くのパンフレットが。
自分の住んでいる上田市から
とても近い所にこんな魅力的な町があったのか。
と驚きわくわくしながらパンフレットを手に取り散策へ。 | 2022-06-21 |
3 |  | 霊泉寺の大ケヤキ | 樹齢数百年とされる霊泉寺大欅は、霊泉寺温泉の入口を守るシンボルとなってきましたが、2008年、その寿命を終えて倒木し現在は幹だけが残っています。倒木し幹の下部だけが残っているとは言え、根をはったまま生命を維持しています。年老いたひだがつくる表情の深さが何よりも雄弁にそのことを語りかけてきます。
★上田市の文化財/霊泉寺大欅
このページに倒木前の大ケヤキの360度パノラマビューが掲載されています。 | 2022-06-19 |
4 |  | 初夏の上田 | 6/18の昼、上田市築地の辺りのふと目にした風景。信号待ちでふとゲットした自然の風景です。千曲川に合流する浦野川の河口域です。目の前に展開している山の右端に千曲公園、岩鼻があります。山々の緑も次第に色濃くなり、田植えされた稲も少し伸びてきました。まだ暑くなりきらない、初夏の爽やかさを感じました。 | 2022-06-19 |
5 |  | 蚕糸の光について | 2021/10/30
会場:上田マルチメディア情報センター(長野県上田市)
話し手:糸のまち・こもろプロジェクト理事長 清水寛美
紹介資料:蚕糸の光(1956年6月号)
| 2022-06-13 |
6 |  | 海野町に建設中のマンション2 | 上田市の海野町商店街に現在2棟建設中のうちの1棟がこのマンション。本格的な工事はまだこれからです。建設用地に囲いがされ、古い建物は取り壊されています。すぐ近くの丸陽ビルにあるまちなかキャンパスうえだを利用する時、最寄りの駐車場がここにあって重宝していたのですが、今は昔のこととなりました。駐車場ができる以前には金光堂という楽器店がありました。いつ頃まであったかな? | 2022-06-11 |
7 |  | 海野町に建設中のマンション1 | 上田市の海野町商店街に11階建のマンションが建設中です。50戸が新たな住民となります。現在、海野町には1棟のマンションが建ち、このマンションも含め2棟が工事中です。
中心市街地にマンションが3棟、まちの住民構成が大きく変わっていきます。コンパクトシティの実現とも言えます。これからの「まち」というものはどう変わっていくのでしょう。 | 2022-06-11 |
8 |  | 山家神社 | 2022.06.09(木)
上田市眞田、山家神社へ。(写真)
山家神社は古くから上田城の守護神として、
歴代上田上藩主から一般民衆に至るまで
深い信仰があったとされている。
鳥居にはおおきな桜の木があり、
とても風情が感じられる。
境内に入ると森に入ったように
自然が周りに広がっており時間の流れをゆっくり感じることができた。(写真)
宮司さんの書いた「白山大権現」(写真)と私の御朱印帳の文字(写真)を見てみるととても字体がよく似ている。
御朱印は去年12月にいただいたもの。
きっと宮司さんが書いてくれたものではないかな、と思った。
現在、アリオ上田店「赤ちゃん本舗」と山家神社はコラボしており宮司直筆の腹帯守りと御朱印のプレゼントを行っている。
お堅いイメージのある神社が
少し | 2022-06-10 |
9 |  | 菅平高原 | 長野県上田市菅平湿原に訪れました!
天候はあいにくの雨。
しかし、水芭蕉の花がきれいに咲いていたことが非常に印象的です。
小学校時代に聞いた「夏の思い出」の歌詞に出てきて以来見てみたかった水芭蕉。
出身地・福岡県は群生地ではないため初めて見ました。
「変わらぬ美しさ」という花言葉通りまっすぐきれいな白いお花。
上田市菅平は自然が豊かで非常に魅力的な場所だと感じました。
別の季節にまた、訪れたいと思います。 | 2022-05-31 |
10 |  | いにしえの丘公園 | 生島足島神社に向かう道中で寄り道をしつつ移動していると偶然古墳らしき物を見かけた。設置された説明文から名前は「他田塚古墳」と「塚穴原古墳」だと言うことが分かった。上田市に住んで2年ほど経つがこんなに身近に古墳があるとは思っていなかったので驚いた | 2022-05-17 |
11 |  | 上田市の星空事情 | 上田市は標高が高く、空気も非常に澄んでおり、天体観測に非常に向いている。今は5月だが、冬場は特にオリオン座や冬の大三角を素人でもわかるくらいはっきりと観測することができる。写真は5月上旬の上田の星空を撮影した
…つもりなのだが、少々スマホでは限界があったようだ。
一応かなり熱心に拡大してみると、右の方と、真ん中の少し左下あたりに天体のようなものを確認できる。
肉眼ではもっと多くの星が見えるので、是非夜は空を見上げてみて欲しい。 | 2022-05-17 |
12 |  | 太陽光パネル設置率 | 予てから思っていたが、地元の静岡より太陽光パネルを多く見る気がしてならなかった。
いざ家の屋根などに目を向けてみると、改めて見ても確かに多い。気になって「太陽光発電 普及率 都道府県別」で検索してみたところ、長野県は山梨県に次いで2位とわかった(但しデータは2014年とちょっと古いもの)。
しかしながら地元の静岡県も第4位に食い込んでおり、意外だった。
帰ったらもっとよく観察してみよう。 | 2022-05-17 |
13 |  | 野良猫が多い住宅地 | 通学時によく通る道だが、ネコチャンとの遭遇率が非常に高い。首輪はつけておらずこちらが近づくともれなく逃げ出すため、野生のもので間違いない。結構距離を取って撮影しているが、なかなか思った写真が撮れず苦労する。写真は珍しく二匹撮れた例。 | 2022-05-17 |
14 |  | 上田飛行場跡(上田千曲高校) | 上田千曲高校に足を運び、戦前に上田市に存在した「上田飛行場跡」の碑を見に行った。
碑には戦時中の上田地域での主な出来事などが記されており、飢饉があったことなどがわかった。 | 2022-05-17 |
15 |  | 上田地域の道祖神 | 上田市で三年以上暮らして、自分の出身地と比べてとても道祖神の数が多いと感じた。道祖神は道端にあり、悪霊や疫病などを防ぐ神とされているが、こんなに多いのも何故だろうと感じて探索してみた。
よく探してみると、普段からそこにあったのに見逃していたものなどもあって、いつもの風景がまた違って見えたのが新鮮だった。
また、写真のものは生島足島神社の近くにあり、よく見ると「道祖大神」と刻まれていて、珍しく感じた。どういうところが道祖神とは違うのかなどが気になった。 | 2022-05-17 |
16 |  | 上田市内の牧場 | 美ヶ原高原という牧場です。牛や馬がいました。とても広大で空気も澄んでいて、気持ちが良かったです。 | 2022-05-14 |
17 |  | 上田市への感想 | 初めて上田に来たとき山がとても近く360度を囲まれていると感じた。もともと海に近い地域で育った私にはとても見慣れない光景だったことを覚えている | 2022-05-10 |
18 |  | 本とお茶を楽しめるブックカフェNABO | 本と茶「NABO」by VALUEBOOKSに行ってきました。
NABOは落ち着いた雰囲気のレトロなブックカフェで、お茶を飲みながら本を楽しむことができます。店内とテラスに席があり、お茶を注文すると店員さんが席まで運んでくれます。
本が好きな人、お洒落なカフェが好きな人におすすめです。 | 2022-05-10 |
19 |  | 昔懐かしの揚げパンが食べられるピザハウス ミッキーズ | ピザハウス ミッキーズさんで揚げパンをいただきました。昔懐かしの揚げパンをお手頃価格で食べられます。揚げたてもちもちでとても美味しいので、ぜひ味わってみてください。 | 2022-05-10 |
20 |  | 喜光堂の桑の葉ほうじ | 喜光堂さんで信州上田のお茶『桑の葉ほうじ』を買いました。養蚕業が盛んだった頃、桑の葉は蚕の餌とされていました。その桑の葉を喜光堂さんの技術で焙煎されたのが桑の葉ほうじです。
実際に飲んでみると、甘いものにもしょっぱいものにもよく合い、美味しかったです。
桑の葉ほうじは健康に良く、便秘や高血糖に効果があるそうです。
お茶の他にも、抹茶ソフトクリームやほうじ茶ソフトクリームも美味しいのでぜひ食べてみてください。 | 2022-05-10 |
21 |  | みすず飴食べ比べ | みすゞ飴本舗 飯島商店 上田本店で購入したみすず飴、みすずあられ、生みすず飴を食べ比べてみました。
お馴染みのみすず飴は、ねちねちとした食感のゼリーと、ぺりぺりしたオブラートの食感が特徴的なゼリー菓子です。果物の甘さが強く、噛んでいくとジャムを食べているような濃厚さがありました。
みすずあられは、みすず飴の半分ほどの大きさで、オブラートが粉状になっているゼリー菓子です。みすず飴よりも食感が柔らかく、あっさりしているため、軽い食べ心地でした。
生みすず飴は、フルーツのフレッシュ感が強く、
表面はツルツルしていました。通常のみすず飴と比べてプルプルしており、果物を食べているようでした。
3つのみすず飴を食べ比べてみて、私が一番好きだと思ったのはみすずあられです。みなさんもみすず飴を食べ | 2022-05-10 |
22 |  | みすゞ飴本舗 飯島商店で歴史を感じる | 上田駅から徒歩3分程度にある、みすゞ飴本舗 飯島商店 上田本店に初めて行ってきました。
本店は大正モダンな雰囲気で、みすず飴やジャムが販売されていました。みすず飴の他にも大正時代のものと思われる道具、花岡塗という上田市特有の漆工芸品が展示されていました。
ショーケースにはみすず飴が展示されており、宝石のような輝きを放っていました。上田市民ですが、みすず飴がこんなに綺麗なものだとは思っていなかったので驚きでした。
本店を出て少し歩いたところに分店がありました。分店は明治時代に養蚕業が栄えていた頃、上田駅から出荷される蚕の繭を一次集積用に建てられた繭蔵だそうです。この建物は貴重な国民的財産として大切にされています。
分店でもみすず飴やジャムを購入できます。
みすず飴本舗専用の駐車場 | 2022-05-10 |
23 |  | 上田市塩田平 塩野神社 | 塩田平にある塩野神社。ここには龍の彫刻があるのだが、これに関する民話が伝わっている。昔夜に龍が彫刻から抜け出して、御神木に登って悪さをしていた。困った村人が龍の目玉を抜き取ってしまった。抜け出すことはなくなったが、ある時大雨が降り御神木に雷が落ち、根元が焼けてしまった。目玉をえぐらなければ、空に登って収めてくれたのではないか、ここまで酷くならなかったのではないかと村人が後悔したという内容である。
現在この御神木には屋根がかかっている。 | 2022-05-10 |
24 |  | 上田市別所温泉 将軍塚 | 上田市別所温泉駅から少し登ったところにある。戸隠にいたという伝説がある鬼女紅葉を倒したと伝わる、平維茂の塚。
塚には「朝日さし夕日かがやくそのもとに黄金千枚二千枚」という、朝日長者や徳川埋蔵金伝説に登場する歌と類似した詩が書かれている。別所が衰退し、家屋が残り3軒になったら掘って、埋まっている黄金を使え。3軒になる前に掘り返すと別所が滅びるという言い伝えが残っている。
ちなみに、鬼女紅葉を倒すことに使われた刀は北向観音で授かったとされているそうだ。 | 2022-05-10 |
25 |  | レトロ感溢れる古民家カフェ 甘味処 雪屋Conco | 雪屋Concoさんは上田駅から徒歩2分ほどの場所にある、レトロ感溢れる築80年の古民家をリノベーションしたカフェです。美味しいかき氷や和甘味などが人気です。
雪屋という名前の通り「雪のようなかき氷を食べたい」という思いから、かき氷のことを雪と呼んでいるそうです。
まさに雪のような食感の雪たちをみなさんも味わってみてください。
写真は上から順に抹茶大納言、杏仁豆腐の雪です。他にもいちごミルクなどの定番の味の雪、季節限定の雪がありますので、食べ比べなどしてみてはいかがでしょうか。
雪の他にもランチ、あんみつ、パフェ、パンケーキ、大学芋、色々あります。ランチでは昔懐かしのソフト麺や、チーズ好きにはたまらないチーズ焼きなどがあります。
支払い方法は、電子マネー支払いがあります。カード払いはでき | 2022-05-10 |
26 |  | 上田市塩田平 舌喰池 | 上田市塩田平に存在するため池群のひとつである。西暦700年頃の奈良時代に築造されたと伝わる。雨乞い行事の「百八手」の舞台でもある。
江戸時代に2度の改修工事が行われ、現代に至る。昭和には養鯉産業で栄える。
平成では植生調査の実施から多様な植物が確認され、「舌喰池 憩いの広場」という緑地公園も造成された。東屋もあり、自然環境も豊かであることから、安らげる場所である。
舌喰池は大池とも呼ばれる。舌喰池という名称は、造築の際に水が溜まらず、人柱に選ばれた娘が悲しみから自らの舌を喰い切って池に身を投げた民話に由来する。 | 2022-05-09 |
27 |  | 『埋もれた歴史』自費出版の労作 | 今から3年ぐらい前になるのかな?
ふだんは翻訳のお仕事をされている東郷えりかさんが歴史の探求で上田市に来られてその時にお話をお聞きし、上田市教育委員会にご案内しました。その探求成果を『埋もれた歴史』という書籍にまとめられました。それが2年前の2020年です。
書籍の表紙の写真にご注目ください。馬に乗る人物が最後の上田藩主松平忠礼です。その傍に佇む方が東郷さんの高祖父の方になります。この方は「門倉伝次郎[LINK]」です。『上田市史・下巻[LINK]』(1940年、1238~1239頁)に記されています。
幕末、上田藩上屋敷は隅田川に面した浅草瓦町、幕府の御蔵のすぐ隣にありました(「 | 2022-05-08 |
28 |  | 【5月9日(月)~13日(金)】海野町レトロ写真館 | 昔の写真をスライドショーで上映する「海野町レトロ写真館」を開催します。
【日時】
5月9日(月)~5月13日(金)14:00~17:00
※お好きな時間に出入りできます。
【場所】
海野町会館1階
今回は、すや呉服店・海野町会館の方にご協力いただきました。
スライドショーで使用した写真は信州上田デジタルマップの「海野町レトロ写真館」に投稿してあるので、下記のリンクよりご覧ください。
また、昔の写真を自宅に所蔵している方がいらっしゃいましたら、信州上田デジタルマップへ投稿してみませんか?
興味のある方はチラシの連絡先にご連絡ください。
お待ちしております!
海野町レトロ写真館 | 2022-05-06 |
29 |  | 蕎麦でつながる地域の輪 | 但馬には出石という場所があり、出石そばが有名です。
実は、この出石そばは上田と深いつながりがあります。
江戸時代中期のお国替えにより、出石藩主松平氏と信州上田藩仙石氏が入れ替わりとなりました。
その際、仙石氏とともに来たそば職人の技法が在来のそば打ちの技術に加えられ、出石そばができました。
このことがきっかけで、出石が所属する豊岡市と上田市は姉妹都市として交流しています。
いつか出石そばと信州そばを食べくらべしてみたいです。 | 2022-05-05 |
30 |  | 信州上田学2021/学びの成果発表会 |
(2時間1分) | 2022-04-22 |
31 |  | 上田小県の感染症に関する情報源泉ピックアップ | 『上田小県における感染症の歴史』 発刊記念研究発表会(2022/03/26)およびブックレット内容に関連する一次資料の一部を以下にピックアップします。
★私共の村(『塩尻時報』第14号1920/03/11)
★トラホーム予防に就て(『塩尻時報』第14号1920/03/11)
★第二章 近代上田のはじまり/第四節 新しい生活環境へ
一 病気と対策
二 予防・衛生の普及
三 病院と医師・保健所
(『上田市誌 第14巻 近現代編(1)「新しい社会を求めて」』66~72頁)2002年10月)
★加美畑神社の疱瘡社(『神畑村誌』163,260頁)
★川辺村の赤痢1914年(『神畑村誌』163 | 2022-04-03 |
32 |  | 『上田小県における感染症の歴史』発刊記念研究発表会2022/03/26 | 上田小県近現代史を考える集い
『上田小県における感染症の歴史』発刊記念研究発表会
2022/03/26(土)14:00~16:10 上田市立上田図書館大会議室
主催:上田小県近現代史研究会
協力:d-commonsプロジェクト(長野大学前川研究室プロジェクト)
後援:デジタルアーカイブ学会 地域アーカイブ部会
▼全編動画記録 (116分)
<発表会プログラム>
☆開会の挨拶 小平千文会長
☆基調報告「社会科学の課題としての感染症」 桂木惠
☆報告1「上田小県における『スペイン風邪』の実態と対応」 冨田隆順
☆報告2「ジェンダーの視点から見た感染症」 清水たか子
☆閉会の挨拶 村山隆
<発表ごとの記録(別ページにリンク)>
★開会の挨拶 小 | 2022-04-02 |
33 |  | 第28号『上田小県における感染症の歴史』 | 上田小県近現代史研究会ブックレット第28号『上田小県における感染症の歴史』
【編著・発行】上田小県近現代史研究会
【発行】2021年12月10日
【定価】600円(税別)上田市内の書店でお買い求めください。
パンデミック(世界的大流行)はこれまでも幾度となく立ち現れ、先人たちもその度に脅かされてきました。多くの命が奪われ、社会活動に支障をきたしました。しかし、その都度全力で立ち向かい、できる限りの対策を講じて乗りこえようとしてきました。なす術もないと思われた時でさえ絶望せず、しばしば神仏に疫病退散を祈り続けました。(略)
もう一度各章にわたり取り上げたテーマについて、明らかにできた教訓や課題、厳しい条件の中でも命や暮らし、さらには文化を守るための人々の努力があったことを確認してみましょう。( | 2022-03-13 |
34 |  | 当研究会発行のブックレット バックナンバー | 号によっては品切れがあります。上田市内の書店でお買い求めください。または上田小県近現代史研究会事務局へお申込みください(下記に住所記載)。
号数 ブックレットタイトル 著者 発行年月
1 『深町広子と上田自由大学』上原民恵[著] 1995.03,2000[改訂]【品切れ】
2 『上田小県地方に空襲があった』新津新生[著] 1996.07,2005[改訂]【品切れ】
2 『上田小県地方に空襲があった 増補改訂版』新津新生[著] 2005.07【品切れ】
3 『信州の鎌倉 別所温泉―歴史と文化―』上田小県近現代史研究会[編] 1997.10,1998[改訂]【品切れ】
4 『金 | 2022-03-06 |
35 |  | 信州上田学を通して | 信州上田学は上田市について詳しく調べるきっかけとなった。他人と友人が全然違うように、よく知っているということは愛着に繋がった。
私はサントミューゼについて探求して、サントミューゼが更に好きになった。色々な工夫や理念、ルーツが共感できたり、面白いと感じたりしたからだ。次、訪れる時には調べる前と違う視点で楽しめると思う。
信州上田学を通して、情報を夢中で探すことの楽しさに気づけた。インターネットで検索すれば、無料で簡単に手に入るからこそ、情報の価値に気づけていなかったように思う。実際にまち歩きをしたり、図書館や資料館を訪れたりして、自分の足をつかって・お金を払って情報を得るということが新鮮で面白く、重要だと感じた。
この投稿のように、ネット上に誰もがアクセスできるように情 | 2022-02-15 |
36 |  | まとめ | 上田市の美味しい食べ物を巡る中で、様々な分野の食べ物を食べることが出来た。
主にinstagramやネットのサイトにまとめられているお店などから行くことが出来そうなところや興味を持ったところをメインに訪れた。
訪れた所はどこも美味しく、上田には美味しいお店がたくさんあることを感じることができた。
まとめサイトだけではまだまだ知られていないカフェやお店も多く、若者が訪れることが多いお店のほとんどはinstagramで話題になっているお店が多いと思った。
そういったものを多くの人の目に留まるような発信の仕方をしていけたらいいと考えた。
また、この探求を通して、数を増やすことはなかなかできなかったが、私の投稿を見て少しでも食べ物やお店に興味を持ってくれる人がいるといいと思った。
【参考】
https://tabelog.com/nagano/ | 2022-02-14 |
37 |  | 貰い風呂 | 戦後の日本では持ち風呂の所有率が低く、祖母の実家では「貰い湯」をしいたそうだ。東京特殊電線という会社では無料で大衆浴場を開放していたためよく利用していたらしい。
祖母の話より | 2022-02-14 |
38 |  | 食糧難 | 当時の上田は全体的に食糧が不足していたが、田んぼや畑を所有しているごく一部の人たちは周りに比べると豊かな生活をしていたそうだ。
祖母の話より | 2022-02-14 |
39 |  | 小学校でのくじ引き | 祖母の通っていた小学校では進駐軍が児童をグラウンドに集めてくじ引きによって物資を配給していたそうだ。ノートなどの学習道具が多かったが高価な景品だと靴があったらしい。 | 2022-02-14 |
40 |  | 「私の地域探求」一覧(情報通信文化論2021成果物) | ★:マイテーマ ◆:探求者のマイサイトにリンク 【1】~【7】の地域は上田
【1】上田の歴史
★1「上田藩第6代藩主 松平忠固」(探求者:yo-to)
★2「上田の歴史(貿易、蚕糸業、金融)」(探求者:じょうじ)
◆3「明治の上田での生活」(探求者:T)
★4「戦時中の暮らしについて」(探求者:みるくた | 2022-02-13 |
41 |  | 地域探求のまとめ | 今回、情報通信文化論の研究のために上田市の映画館について調査した。調べるにあたって、インターネットで検索したり、図書館に行き資料を探したり、実際に現地に足を運ぶことを行った。
調べていて一番に感じたのは、どの資料からも同じくらの情報しか得られないということである。探している情報がかなり古いということが原因か、元となる一次資料が極めて少ない。図書の資料であれインターネット上の記事であれ、元の資料が少ないことから、同じ資料から情報を得ざるを得ない。そのため、どの資料からも同様の情報しか得られないという結果になったのでは無いかと考えられる。
だが、あくまでこれは歴史などを調べる時限定の話であり、現在を知りたい場合はと感じた。なぜなら、インターネット上の記事や図書は、過去に誰か | 2022-02-13 |
42 |  | 善光堂 | この写真は、海野町商店街にある海野町会館が所蔵する一枚である。
一枚目が平成11年のアーケード取壊し前、二枚目が昭和41年の海野町拡幅工事前に撮影された写真である。 | 2022-02-13 |
43 |  | マジックミシン | この写真は、海野町商店街にある海野町会館が所蔵する一枚である。
一枚目が平成16年の新アーケード建設後、二枚目が平成11年のアーケード取壊し前、三枚目が昭和41年の海野町拡幅工事前に撮影された写真である。 | 2022-02-13 |
44 |  | ポケットパーク | この写真は、海野町商店街にある海野町会館が所蔵する一枚である。
一枚目が平成11年のアーケード取壊し前、二枚目が昭和41年の海野町拡幅工事前に撮影された写真である。 | 2022-02-13 |
45 |  | ムラタ靴屋 | この写真は、海野町商店街にある海野町会館が所蔵する一枚である。
一枚目が平成11年のアーケード取壊し前、二枚目が昭和41年の海野町拡幅工事前に撮影された写真である。 | 2022-02-13 |
46 |  | 梅花堂 寺島理容館 | この写真は、海野町商店街にある海野町会館が所蔵する一枚である。
一枚目が平成11年のアーケード取壊し前、二.三枚目が昭和41年の海野町拡幅工事前に撮影された写真である。 | 2022-02-13 |
47 |  | 白木屋 魚民 | この写真は、海野町商店街にある海野町会館が所蔵する一枚である。
一枚目が平成11年のアーケード取壊し前、二.三枚目が昭和41年の海野町拡幅工事前に撮影された写真である。 | 2022-02-13 |
48 |  | ルイ,サンク | この写真は、海野町商店街にある海野町会館が所蔵する一枚である。
一枚目が平成11年のアーケード取壊し前、二枚目が昭和41年の海野町拡幅工事前に撮影された写真である。 | 2022-02-13 |
49 |  | MARUGEN はなおかストア | この写真は、海野町商店街にある海野町会館が所蔵する一枚である。
一枚目が平成11年のアーケード取壊し前、二枚目が昭和41年の海野町拡幅工事前に撮影された写真である。 | 2022-02-13 |
50 |  | 上田デパート | この写真は、海野町商店街にある海野町会館が所蔵する一枚である。
一枚目が平成11年のアーケード取壊し前、二枚目が昭和41年の海野町拡幅工事前に撮影された写真である。 | 2022-02-13 |
51 |  | やおふく 小波 | この写真は、海野町商店街にある海野町会館が所蔵する一枚である。
一枚目が平成11年のアーケード取壊し前、二枚目が昭和41年の海野町拡幅工事前に撮影された写真である。 | 2022-02-13 |
52 |  | 宮尾眼鏡店 | この写真は、海野町商店街にある海野町会館が所蔵する一枚である。
一枚目が平成11年のアーケード取壊し前、二枚目が昭和41年の海野町拡幅工事前に撮影された写真である。 | 2022-02-13 |
53 |  | 富士アイス 松田時計店 | この写真は、海野町商店街にある海野町会館が所蔵する一枚である。
一、二枚目が平成11年のアーケード取壊し前、三枚目が昭和41年の海野町拡幅工事前に撮影された写真である。 | 2022-02-13 |
54 |  | 海野町会館 | この写真は、海野町商店街にある海野町会館が所蔵する一枚である。
一枚目が平成11年のアーケード取壊し前、二枚目が昭和41年の海野町拡幅工事前に撮影された写真である。 | 2022-02-13 |
55 |  | カメラ東京 | この写真は、海野町商店街にある海野町会館が所蔵する一枚である。
一枚目が平成11年のアーケード取壊し前、二枚目が昭和41年の海野町拡幅工事前に撮影された写真である。 | 2022-02-13 |
56 |  | キムラ自動車商会 | この写真は、海野町商店街にある海野町会館が所蔵する一枚である。
一枚目が平成11年のアーケード取壊し前、二枚目が昭和41年の海野町拡幅工事前に撮影された写真である。 | 2022-02-13 |
57 |  | セシモ洋服店 | この写真は、海野町商店街にある海野町会館が所蔵する一枚である。
一枚目が平成16年の新アーケード建設後、二枚目が平成11年のアーケード取壊し前、三枚目が昭和41年の海野町拡幅工事前に撮影された写真である。 | 2022-02-13 |
58 |  | つかだ電機 | この写真は、海野町商店街にある海野町会館が所蔵する一枚である。
一枚目が平成11年のアーケード取壊し前、二枚目が昭和41年の海野町拡幅工事前に撮影された写真である。 | 2022-02-13 |
59 |  | 海野町ふれあいホールちょこっと | この写真は、海野町商店街にある海野町会館が所蔵する一枚である。
一枚目が平成16年の新アーケード開設後、二枚目が平成11年のアーケード取壊し前、三枚目が昭和41年の海野町拡幅工事前に撮影された写真である。 | 2022-02-13 |
60 |  | うえしん海野町支店 | この写真は、海野町商店街にある海野町会館が所蔵する一枚である。
一枚目が平成11年のアーケード取壊し前、二枚目が昭和41年の海野町拡幅工事前に撮影された写真である。 | 2022-02-13 |
61 |  | まとめ | ため池のつくられた歴史や、民話などを調べることで、ため池自体ができた経緯は降水量の関係で同じだったことがわかった。しかし、そのため池一つ一つには違ったエピソードが存在することがわかりおもしろかった。
現実離れした民話が多く残っており、特に、舌喰池に残っている伝説は印象的で、このように残酷な話が残っていることが衝撃だった。
面白い話を知ることができたし、知らなかった歴史を学ぶことはできたが、ネット上では思うように深掘りをして調べことができなかったように感じる。そのため、受け売りとなる二次情報ではなく自ら調べる一次情報の重要さを実感した。
〈参照した資料〉
Googleマップ
信州上田 塩田の里 http://www.shiodanosato.jp/
長野県上田市塩田地域におけるため池群の維持管理と存続https://www.geoenv.tsukuba | 2022-02-12 |
62 |  | まとめ | ここまでを述べ、無電柱化をなぜ上田市が推進しているのか?そのメリットは理解していただけたと思う。
しかし、ただ闇雲に無電柱化を推進していくのはまた違う。この上田という歴史や自然豊かな場所だからこそ、無電柱化という言わば地域を大切にする取り組みからさらに地域の人々が自分たちの住む町に対して思いやりを持つ場所にこの上田地域がなることを目指し、この上田をもっと美しく誇りをもつことを願う。 | 2022-02-12 |
63 |  | 6 まとめ | 明治~大正時代の文化や生活について調べていて、西洋の文化が取り入れられ現代つながる様々な変化が訪れたことを知り大変興味深く思いました。伝統や文化的特徴が残るというのは、そのもの自体に価値があることの証明なのだと感じました。
上田市も建築や鉄道開発などの点で影響を受けており、養蚕業で発展した街がさらに賑わうことの一助となりました。「蚕都上田」と呼ばれる当時の上田市は、金融業も盛んであり、資料で見てみると街の中の銀行の多さが如実にそれを表しています。製糸業の盛んな街には銀行の数が多いのも大きな特色なのだと思われます。
この探求を通して、上田市の文化的特徴や、当時の観光、産業の発展について深く知ることが出来ました。現在の上田市は、観光都市として発展しているわけではありませんが、こ | 2022-02-10 |
64 |  | 蚕種とは? | 蚕種製造業とは蚕の品種改良を行い蚕に産卵させた台紙を製造し出荷する業務をいう。
上田市の蚕種は立地の好条件から死亡率が少ない良質な蚕種を製造していたため全国的にも有数の蚕種製造地帯となった。 | 2022-02-09 |
65 |  | 上田蚕種協業組合事務棟 | 上田市にある蚕種の象徴的な木造二階建て建築。
登録有形文化財(建造物)
上田蚕種協業組合は、1916年上田蚕種株式会社として設立したのが始まり。主要な建物が翌6年に完成。その後、昭和45年から現在の社名となっている。最盛期には22万箱の蚕種をこの組合から出荷していた。
このような建物からのみで22万箱もの量の蚕種が製造されていたことから、その技術高さが感じられる。 | 2022-02-09 |
66 |  | 千曲川と蚕種 | 上田市の蚕種産業が盛んになったきっかけとして千曲川の存在が大きい。川原の乾燥地帯という蚕種に好条件な土地に、千曲川の下流部の最も適した場所では、両岸から岩鼻の断崖がせまっており、谷幅850mという狭い谷となっている。そのため風はこの峡谷を通って強風となり吹き付ける。つまり下流部年中川風が吹いていた。この強風の影響で蛾を死滅させてしまう害虫「カイコノウジバエ」は桑葉に産卵が出来なかった。そのため、卵の植え付けられていない歩桑が育つというわけである。この歩桑の活躍もあり上田の蚕種は大きく成長した。 | 2022-02-09 |
67 |  | 美味だれ焼き鳥提供店 | そ美味だれ焼き鳥を提供する店舗は、上田市にたくさん存在する。下記URL先に公式の一覧が存在するため、少しでも興味がある方は出向いてみて欲しい。
https://oidareyakitori.jp/archives/category/shop | 2022-02-09 |
68 |  | 「美味だれ焼き鳥」として成立 | 画像:https://www.facebook.com/oidare/
2010年頃、市民有志が上田市のご当地グルメを発掘する調査を行った結果、信州上田の「焼き鳥」の食べ方は他とはなんだか違うということが発覚した。
上田市ではこのたれで食べることが定着しており、特別な呼び名は存在しなかった。2011年2月、市民有志により実行委員会が発足され「美味だれ」と命名された
2012年には、上田市を商標権者として、『美味だれ焼き鳥』『美味だれ』が商標登録された
参考文献:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%8E%E5%91%B3%E3%81%A0%E3%82%8C%E7%84%BC%E3%81%8D%E9%B3%A5 | 2022-02-09 |
69 |  | 上田の産業の歴史(間違えて消したので再掲載) | 【動機】
上田市には養蚕や観光業など、特徴的な産業が多く、それらがどのようにして発展していったのか気になったから。
【調べ方】
上田市の産業の発展について図書館の資料や公文書館を利用して調べていく。 | 2022-02-08 |
70 |  | おいだれ焼き鳥の歴史 | 画像:焼き鳥 鳥正 さん 以下より拝借
https://tabelog.com/nagano/A2004/A200401/20000407/
昭和30年代の高度経済成長期
上田市も活気に溢れるなか、多くの人々が家路につく前の時間を焼き鳥店で過ごしていた。
需要に合わせて焼き鳥店が増える中、上田市の焼き鳥店「鳥正」の初代店主である宮下正三氏が、焼き鳥の新しい食べ方を考案した。焼き鳥にニンニク醤油だれをかけて食べるという方法を、仲間と相談しながら作り上げたといわれてる。
瞬く間にこの食べ方が広まり、今のおいだれ焼き鳥となった。
引用元:https://oidareyakitori.jp/ | 2022-02-09 |
71 |  | 舌喰池(したくいけ) | 舌喰池は塩田の里交流館(とっこ館)の近くに位置するため池であり、手塚自治会によって管理されている。貯水量は13万㎥もある。
耐震のための改修工事や、田園空間整備事業による水辺景観の整備が行われている。また、百八手という千駄焚きを行って雨乞いをする祭りや、舌喰池付近の芝生でコンサートの開催を行うなど、文化遺産やレクリエーションの取り組みを行っている。
舌喰池には悲しい伝説が伝えられているので紹介したいと思う。
昔この池がつくられた頃、土手から水が漏れて十分に水をためることができなかった。そこで池の改修をするに当たり、土手に「人柱」を入れなければ水がたまらないという話が出回った。悩んだ結果くじ引きで決めることになり、美しい娘が人柱に選ばれた。
娘は日夜悲しみに明け暮れたが、人柱に | 2022-02-09 |
72 |  | 5 当時の上田市について | 上田市の文化的特徴と言えばやはり「蚕都」として発展した点です。
養蚕業、製糸業を始め関連産業が好況で、桑園も拡大していき、多くの住民が蚕中心の生活をしていたのだと思われます。また、こういった街の繁栄は演劇等の娯楽にも広がり、演芸館・劇場が建つこともありました。さらに、市民の生活用品である酒類・醤油・味噌を扱う店、綿糸・染物を商う店、魚・金物・雑貨を商う店が集まり、上田の町の繁栄を支えていました。
観光の面でも産業の面でも古くからにぎわっていた街であり、また別所温泉などの温泉宿も多くあったため、観光地としても発展していたのではないでしょうか。
信州最古の温泉である別所温泉は明治時代にはすでに年間宿泊、入浴客数が2万人を超えており、大正時代には観光旅館として設立し温泉収入が別所 | 2022-02-09 |
73 |  | 上田紬について③ | 上田紬が高級品になった背景
終戦後、まだ衣類が欠乏していた頃、商工省は京都のコブラン機とともに上田紬など数種を、技術保存織物として自由商品に指定した。
などの数種を、技術保存織物として自由商品に指定した。農家の家内生産によって、ほそぼそ自家用を織りだす程度であって、絹紬が機業として再開していく機会が、なかなか熟さないでいた。このとき昭和24~5年頃から、神科出身で元蒙古自治政府最高顧問をされた故金井章次氏は、軍放出の真綿を利用して糸を紡ぐことを提唱、農村副業による手織りのなかから紬織りの再興を考えた。草木染の紬織りを現代に生かそうと苦心をされる一方、草木染料や媒染材の化学研究をされて、生産量の増大や、新販路の開拓のことに努力をはらわれた。江戸時代からの上田縞・上田紬の名声は、特 | 2022-02-09 |
74 |  | 4 上田市の建築物 | 明治、大正から機能を失わず現在まで残り続けている上田市の建物を身近なところから探してみました。
旧宣教師館、上田蚕種協業組合事務所棟、大家駅、飯島商店、別所温泉など数多くあり、この時代から存在する産業や文化を読み解くことが出来ます。
私たちが利用する上田駅も明治21年に開業されたものであり、駅や店が多い街の庶民の生活は非常に賑わっていたのだと思われます。
また、上田市は養蚕業で発展を遂げた地域です。観光、文化、特産品の面でもそれは大きく影響していると思います。 | 2022-02-09 |
75 |  | 第二次世界大戦以後の上田紬 | 第二次世界大戦以後の上田紬
終戦後、まだ衣類が欠乏していた頃、商工省は京都のコブラン機とともに上田紬など数種を、技術保存織物として自由商品に指定した。
などの数種を、技術保存織物として自由商品に指定した。農家の家内生産によって、ほそぼそ自家用を織りだす程度であって、絹紬が機業として再開していく機会が、なかなか熟さないでいた。このとき昭和24~5年頃から、神科出身で元蒙古自治政府最高顧問をされた故金井章次氏は、軍放出の真綿を利用して糸を紡ぐことを提唱、農村副業による手織りのなかから紬織りの再興を考えた。草木染の紬織りを現代に生かそうと苦心をされる一方、草木染料や媒染材の化学研究をされて、生産量の増大や、新販路の開拓のことに努力をはらわれた。江戸時代からの上田縞・上田紬の名声は、特有 | 2022-02-08 |
76 |  | 第二次世界大戦以後の上田紬 | 終戦後、まだ衣類が欠乏していた頃、商工省は京都のコブラン機とともに上田紬など数種を、技術保存織物として自由商品に指定した。
などの数種を、技術保存織物として自由商品に指定した。農家の家内生産によって、ほそぼそ自家用を織りだす程度であって、絹紬が機業として再開していく機会が、なかなか熟さないでいた。このとき昭和24~5年頃から、神科出身で元蒙古自治政府最高顧問をされた故金井章次氏は、軍放出の真綿を利用して糸を紡ぐことを提唱、農村副業による手織りのなかから紬織りの再興を考えた。草木染の紬織りを現代に生かそうと苦心をされる一方、草木染料や媒染材の化学研究をされて、生産量の増大や、新販路の開拓のことに努力をはらわれた。江戸時代からの上田縞・上田紬の名声は、特有の風合や柄模様にもあったが | 2022-02-08 |
77 |  | 丸山商店 | この写真は、海野町商店街にある海野町会館が所蔵する一枚である。 | 2022-02-08 |
78 |  | アルファ | この写真は、海野町商店街にある海野町会館が所蔵する一枚である。
一枚目が平成11年のアーケード取壊し前、二枚目が昭和41年の海野町拡幅工事前に撮影された写真である。 | 2022-02-08 |
79 |  | いも平 | この写真は、海野町商店街にある海野町会館が所蔵する一枚である。
一枚目が平成11年のアーケード取壊し前、二枚目が昭和41年の海野町拡幅工事前に撮影された写真である。 | 2022-02-08 |
80 |  | キクチ洋装店 | この写真は、海野町商店街にある海野町会館が所蔵する一枚である。
一枚目が平成11年のアーケード取壊し前、二枚目が昭和41年の海野町拡幅工事前に撮影された写真である。 | 2022-02-08 |
81 |  | 銀座食堂 | この写真は、海野町商店街にある海野町会館が所蔵する一枚である。
一枚目が平成11年のアーケード取壊し前、二枚目が昭和41年の海野町拡幅工事前に撮影された写真である。 | 2022-02-08 |
82 |  | 上田紬が庶民的なものから高級品になるまで~戦後以降~ | 第二次世界大戦以後の上田紬
終戦後、まだ衣類が欠乏していた頃、商工省は京都のコブラン機とともに上田紬など数種を、技術保存織物として自由商品に指定した。
などの数種を、技術保存織物として自由商品に指定した。農家の家内生産によって、ほそぼそ自家用を織りだす程度であって、絹紬が機業として再開していく機会が、なかなか熟さないでいた。このとき昭和24~5年頃から、神科出身で元蒙古自治政府最高顧問をされた故金井章次氏は、軍放出の真綿を利用して糸を紡ぐことを提唱、農村副業による手織りのなかから紬織りの再興を考えた。草木染の紬織りを現代に生かそうと苦心をされる一方、草木染料や媒染材の化学研究をされて、生産量の増大や、新販路の開拓のことに努力をはらわれた。江戸時代からの上田縞・上田紬の名声は、特有 | 2022-02-08 |
83 |  | 学生による地域キュレーション2021:全部①~⑱ | ▼地域キュレーション発表会記録
★テーマ①「上田と観光」(発表者:り)
★テーマ②「上田市と松川村の手当・補助の比較」(発表者:飯沢)
★テーマ③「塩田平をめぐる」(発表者:オガサカ)
★テーマ④「上田の歴史にふれる」(発表者:崔)
★テーマ⑤「山道を | 2022-02-08 |
84 |  | 地域キュレーション⑭「上田市の自然環境」(信州上田学A2021) | ▲クリック/タップして発表動画をご覧ください。
地域キュレーション「上田市の自然環境」 (マイテーマ公開ページにリンク) 発表者(学生):てん(発表者のマイサイトにリンク) 長野大学/信州上田学A2021発表会(2022/02/02オンライン実施)
(科目担当:前川道博@長野大学) | 2022-02-08 |
85 |  | 地域キュレーション⑫「上田市の主な工業」(信州上田学A2021) | ▲クリック/タップして発表動画をご覧ください。
地域キュレーション「上田市の主な工業」(マイテーマ公開ページにリンク) 発表者(学生):To go(発表者のマイサイトにリンク) 長野大学/信州上田学A2021発表会(2022/02/02オンライン実施)
(科目担当:前川道博@長野大学) | 2022-02-08 |
86 |  | 地域キュレーション②「上田市と松川村の手当・補助の比較」(信州上田学A2021) | ▲クリック/タップして発表動画をご覧ください。
地域キュレーション「上田市と松川村の手当・補助の比較」(マイテーマ公開ページにリンク) 発表者(学生):飯沢(発表者のマイサイトにリンク) 長野大学/信州上田学A2021発表会(2022/02/02オンライン実施)
(科目担当:前川道博@長野大学) | 2022-02-08 |
87 |  | 海野町ふれあいサロン | この写真は、海野町商店街にある海野町会館が所蔵する一枚である。
一枚目は平成16年の新アーケード開設後、二枚目は平成11年のアーケード取壊し前、三枚目が昭和41年の海野町拡幅工事前に撮影された写真である。 | 2022-02-08 |
88 |  | 1はじめに | 私の探求テーマは、「明治~大正時代の上田市民の生活、文化」です。
明治~大正時代の大衆文化、庶民の生活を調べ、そのなかで上田市独特の文化や特徴を見つけることにより、地域の文化的特徴や個性を活かした地域活性化のヒントを得ることを目的としています。
実際に当時から存在する建物を自分の足で見に行ったり、デジタルアーカイブや市の図書館から当時の資料を探したり、インターネットから参考するなどして学習を進めていきました。
文明開化で他国の文化と日本の文化が混ざり合うこの時代に、上田市民はどうやって生活していたのか。調べていて興味深い事ばかりでした。 | 2022-02-08 |
89 |  | 堀内紙店 | この写真は、海野町商店街にある海野町会館が所蔵する一枚である。
一枚目が平成11年のアーケード取壊し前、二枚目が昭和41年の海野町拡幅工事前に撮影された写真である。 | 2022-02-07 |
90 |  | 仲よし衣裳店 | この写真は、海野町商店街にある海野町会館が所蔵する一枚である。
一枚目が平成11年のアーケード取壊し前、二枚目が昭和41年の海野町拡幅工事前に撮影された写真である。 | 2022-02-07 |
91 |  | 市民の日曜広場 | この写真は、海野町商店街にある海野町会館が所蔵する一枚である。 | 2022-02-07 |
92 |  | 上田別所線の歴史 | かつて、この上田盆地には、北は真田町(現上田市)、南は丸子町(現上田市)、西は青木村と縦横無尽に鉄路が張り巡らされ、その全長は57.2kmに及びました。そうした鉄路も今や別所線11.6kmを残すのみとなっています。
これは当時の北東線 公園前駅の写真。 | 2022-02-07 |
93 |  | 上田市役所訪問記録 | 2019年度に上田市役所を訪問し、上田市役所はオープンデータに対してどのような認識をしているのか尋ねた。
データを用いた具体的な案があるわけでは無く、大学生や地域と協調し、考えていきたいという声を得ることが出来た。 | 2022-02-07 |
94 |  | 上田市「別所線応援プロジェクト」 | 令和元年台風19号に伴う千曲川欠損により、令和元年10月13日早朝に上田電鉄別所線千曲川橋梁が崩落した。そこでこのプロジェクトを始めると、上田電鉄別所線に対し上田市内外から数多くの鉄道ファンの方々から寄付が集まったそう。
[参考文献・写真]
https://www.city.ueda.nagano.jp/site/besshosen/14543.html | 2022-02-06 |
95 |  | 別所線がこれからも市民の希望をあたえる存在になるために | 平成28年町はNHK大河ドラマの影響で上田市内の観光客が激増し、別所線の輸送人員は15年ぶりに130万人に回復した。今までは「乗って残そう」だったが、これからは「乗って活かそう」をキーワードにしていく。別所線に乗って人が動くことが沿線地域の活性化につながり、地域と一体となって別所線を活かしてもらうことを目的としているという。起点の上田駅から終点の別所温泉駅、その途中駅の「地域の魅力」の掘り起こしも念頭に置いている。
このような方針でこれからも別所線は、路線維持のため努力し続けるようだ。
[参考文献]
https://www.mintetsu.or.jp/association/mintetsu/pdf/63_p26_27.pdf
[写真]
「上田電鉄は28日の運賃を無料とし、平日ダイヤで運行 乗車数に制限をかけながら、多くの乗客を運んだ」から
https://tetsudo-ch.com/11331277.html | 2022-02-06 |
96 |  | 1路線だけ生き残った鉄路 | 長野県上田盆地には始め五つの路線が張り巡らされていた。車社会の進展にともない昭和40年代までに次々と廃止となったが、唯一残ったのが別所線であったという。
しかし、昭和48年、輸送人員の減少を理由に上田交通が廃線を表明した時があった。沿線住民による存続運動が起こり、翌49年、国と県による鉄道軌道欠損補助の公的支援とともに、上田市が3年間の補助金を交付することで、別所線存続が決まった。3年後の昭和52年にも、沿線住民により存続運動が行われたが、この時点では上田交通の営業努力で赤字幅が減少していたため、廃線を免れている。
[参考文献]
https://www.mintetsu.or.jp/association/mintetsu/pdf/63_p26_27.pdf
[写真]
https://www.city.ueda.nagano.jp/site/besshosen/5563.html | 2022-02-06 |
97 |  | 海野町レトロ写真館 | デジタルマップに投稿してある古い写真を利用して、スライドショーイベントを開催する予定です。
場所は海野町商店街にて行います。
詳細は後日投稿します。 | 2022-02-05 |
98 |  | 醋屋呉服店 | この写真は、海野町商店街にあるすや呉服店が所蔵する一枚である。 | 2022-02-05 |
99 |  | 謎の球体 | この写真は、海野町商店街にあるすや呉服店が所蔵する一枚である。 | 2022-02-05 |
100 |  | 田園風景 | この写真は、海野町商店街にあるすや呉服店が所蔵する一枚である。 | 2022-02-05 |
101 |  | 石柱碑 | この写真は、海野町商店街にあるすや呉服店が所蔵する一枚である。 | 2022-02-05 |
102 |  | 気球 | この写真は、海野町商店街にあるすや呉服店が所蔵する一枚である。 | 2022-02-05 |
103 |  | 醋屋呉服店 | この写真は、海野町商店街にあるすや呉服店が所蔵する一枚である。 | 2022-02-05 |
104 |  | 南川久太郎氏 一同 | この写真は、海野町商店街にあるすや呉服店が所蔵する一枚である。 | 2022-02-05 |
105 |  | 愛國(信濃) | この写真は、海野町商店街にあるすや呉服店が所蔵する一枚である。 | 2022-02-05 |
106 |  | 上田祇園祭 | この写真は、海野町商店街にあるすや呉服店が所蔵する一枚である。 | 2022-02-05 |
107 |  | 上田市集会 | この写真は、海野町商店街にあるすや呉服店が所蔵する一枚である。 | 2022-02-04 |
108 |  | 上田市の建物 | この写真は、海野町商店街にあるすや呉服店が所蔵する一枚である。 | 2022-02-04 |
109 |  | 醋屋呉服店 | この写真は、海野町商店街にあるすや呉服店が所蔵する一枚である。 | 2022-02-04 |
110 |  | 瀬下洋服店前 | この写真は、海野町商店街にあるすや呉服店が所蔵する一枚である。 | 2022-02-04 |
111 |  | 旧上田図書館 | この写真は、海野町商店街にあるすや呉服店が所蔵する一枚である。 | 2022-02-04 |
112 |  | 醋屋呉服店 | この写真は、海野町商店街にあるすや呉服店が所蔵する一枚である。 | 2022-02-04 |
113 |  | 醋屋呉服店 | この写真は、海野町商店街にあるすや呉服店が所蔵する一枚である。 | 2022-02-04 |
114 |  | 醋屋呉服店 | この写真は、海野町商店街にあるすや呉服店が所蔵する一枚である。 | 2022-02-04 |
115 |  | 醋屋呉服店 | この写真は、海野町商店街にあるすや呉服店が所蔵する一枚である。 | 2022-02-04 |
116 |  | 醋屋呉服店 | この写真は、海野町商店街にあるすや呉服店が所蔵する一枚である。 | 2022-02-04 |
117 |  | MIZUMATCH―長大サミット2021発表団体/登壇者紹介① | ▼発表動画
https://youtu.be/VR3TfoZnqbs?t=180
「ミズとマチ(水と街)をマッチさせよう」をコンセプトに、上田市、千曲川を拠点に活動する団体。最近は菅平高原でのスカイランタンイベントをクラウドファンディングで実行するなど幅広く地域貢献活動に取り組んでいる。
| 2022-02-04 |
118 |  | 小学校の貼り紙 | 7月頭に、上田市近くの小学校で地域住民を対象にした学校開放日がありました。
実際に1年生から6年生までの授業を見学することが出来たため、タブレットがどのように授業で使われているのかを見学させてもらいました。
小学校の先生なりに試行錯誤しながらではありますが、児童主体でタブレット学習をすすめている姿が見受けられました。
画像は、タブレットの使用ルールと、学校目標や児童会目標を廊下に貼ってある、貼り紙です。
デジタル教科書の強みは、黒板に投影した教科書のページに直接メッセージを書いていくことが出来ます。しかし、一枚スライドをめくると、そこにはもう先ほどまで書いていた情報は残っていません。
すなわち、2022年現在「覚えてほしいこと」は、アナログの方が良い。ということが出来ます。
それ | 2022-02-04 |
119 |  | キュレーションのまとめ | 電線の無電柱化は、景観の向上・災害時の被害の軽減・防災時に自治体が緊急輸送路に指定している道路のためなど、自然災害が多く観光や地域文化や歴史を大切にしている日本にとって、これからの日本の未来を担う大切な取り組みだと感じた。
電線と電柱は太平洋戦争終戦後、戦後の日本の経済復興として、急増する電力や通信需要を支えるためにたくさん建てられてきたものです。そのため、経済のために活躍してきてくれた電線と電柱に感謝しながら、次世代の無電柱化の日本をこの上田市も積極的に目指していければと思う。 | 2022-02-02 |
120 |  | サントミューゼができる前 | サントミューゼは、昭和24~56に操業していたたばこ産業(株)の上田工場(JT)跡地だそうだ。JTから工場跡地の活用を上田市に打診し、再開発が行われ公共ゾーンとして建てられたのがサントミューゼだ。また、JT以前、上田が蚕都として栄えていた頃は金紡の上田工場だったらしい。上田市マルチメディア情報センターのYouTubeでは、当時の様子を見ることができる。工場で働く女性の姿、彼女らが広場でダンスする様子、少し映り込んだ上田城などが映像で記録してあった。 | 2022-02-02 |
121 |  | 虚空蔵山 | 調べたところ上田市以外に松本市にも虚空蔵山という名の山があるそうですが、今回は上田の方の虚空蔵山を紹介します。
標高は1077mと低く、近くには以前紹介した太郎山があります。ただ山道は勾配が大きいそうで、地面も岩が結構あって少しだけ危険です。私はそういう道が好きなのでおすすめします。
2016年に「虚空蔵山米担ぎ大会」という催しが開かれていたそうです。今後コロナが収まり次第
開かれる可能性があるので、興味がわいた人がいれば参加してみてください。
参考:長野県魅力発見部「上小の里山歩き③~上田市虚空蔵山編」https://blog.nagano-ken.jp/josho/info/11548.html(2022/02/02)
松本商工会議所ポータルサイト-みごろ-「第二回虚空蔵山米かつぎマラソン大会」https://migoro.mcci.or.jp/feature/detail/2016072100027/(2022/02/02) | 2022-02-02 |
122 |  | 独鈷山 | 信州百名山に選ばれた山です。標高1266mと比較的低く、整備もされているため、登山をしたことがないという方にもおすすめできます。ただ、ルートによっては急な坂があるそうです。
また、近くにひまわり畑もあり、9月の上旬~中旬が見頃だそうです。
参考:長野県公式観光サイト「長野県おすすめ低山10選」https://www.go-nagano.net/theme/id=19410#anchor02(2022/02/02)
上田市「独鈷山麓ひまわり畑
」https://www.city.ueda.nagano.jp/soshiki/msangyo/2040.html(2022/02/02) | 2022-02-02 |
123 |  | まとめ | 自分はどうしたらより多くの人に関心を持ってもらえるかということを考え、できるだけきれいに写真に収めることを心掛けました。上田は降水量が少ないためにため池が多くそれに伴って水に関連した自然環境が多かったです。また歴史のあるため池も多く名前の由来にも様々な説があり現在でも何が由来かわかっていないことも多々ありました。
近年では、利用しなくなったため池を防災の為に埋めてしまうということも少なくなく、人にとっては価値がなくても生き物にとっては時に重要な住処になっており、このような自然を守っていくためにも、多くの人に自然の良さ・尊さを知ってもらえたなと考えています。そのきっかけにほんのわずかでも自分の探索があったならば非常に嬉しく思います。今回は主にため池に焦点を当てることが多かった | 2022-02-02 |
124 |  | まとめ | これまで主に手当・補助について数字で比べられるものに限定されてしまうが比較してきた。
どちらの自治体も人口減少に対する対策を講じているが、上田市は新しい人を手に入れるための地域資源の活用や都市開発などに力を入れているように思えた。また、松川村は若者が定住してくれるような工夫や出生率を上げようとしたりなど、市と村で目指すべきものやできることの違いが大きく出たように感じました。
授業の一環としてですが自分の地元について触れることができました。将来還元できるようになりたいと思います。 | 2022-02-02 |
125 |  | 2.上田市の蚕の歴史 | 信州上田では江戸時代から蚕の卵の生産で栄え、その後も養蚕、製糸業などさまざまな発展を遂げていき全国から「蚕都上田」と呼ばれるようになりました。
しかし、現在は様々な理由から蚕糸業は全国で衰退し、風前の灯火となっています。
衰退している蚕糸業ですが、上田地域でもまだ蚕糸業は残っています。
上田地域で有名な蚕関連の会社は常田館製糸場という会社。明治33年(1900年)に創業された製糸工場です。
蚕糸業は大きく分けて蚕種業、養蚕業、製糸業の3つに分けられ、蚕の卵を生産し、質を高める「蚕種業」、蚕を成虫まで育ててそれを管理する「養蚕業」、蚕の繭から糸を取り生糸に加工する「製糸業」に分かれます。
次の記事では蚕という虫について解説していきます。
今の若い人は蚕という虫に接点が全くないので少 | 2022-02-02 |
126 |  | 上田市の人口計画について | 上田市の人口の将来展望は令和47年12万人であり
前の記事で触れた移住支援金についても基本目標1の⑤や基本目標の3の③が関わっていると考えられる。 | 2022-02-02 |
127 |  | まとめ | 地域を調べていく中で、住んでいたが知らなかったことや、知っていたことでもその深いバックグラウンドを探求できたと思う。この講義をとらなかったらこんなに深く知ることができなかっただろうし、良いきっかけとなった。また、調べるにあたり、インターネットでも容易に検索をかけることができ、非常に便利な時代だと改めて感じたが、実際に現地に行ってみて感じたことわかったことがあった。この経験を生かし、気になったことは深く調べたいと思ったし、なにより、地域を知ることが面白いと感じた。 | 2022-02-02 |
128 |  | 別所の強み②大きな神社・お寺が多数存在 | 北向観音を初めとする、比較的大きな規模の神社やお寺が存在する。歴史に興味のある人は様々な神社やお寺に触れることができ、良い刺激となるだろう。 | 2022-02-02 |
129 |  | 別所の強み①コンパクトで回りやすい | 別所温泉は湯田中温泉街に比べ、コンパクトで回りやすいと思った。神社や参道も充実しており、1日で十分満喫できるだろう。 | 2022-02-02 |
130 |  | 共通点③電車が少し不便 | 私は電車を利用して探索を行ったのだが、どちらも本数が少ないこと、また、運賃が高いことがわかった。これはどちらとも私鉄であり利用者数が少ないため仕方が無いことではあると思った。利用状況について、1枚目が別所温泉駅、2枚目が湯田中駅のものである。どちらも利用者数が横ばいで少ない傾向にある。
また運賃については、上田電鉄が1キロ約49円(上田~別所温泉間)と私鉄で全国2位、また長野電鉄は約34円(長野~湯田中間)と高い水準であった。 | 2022-02-02 |
131 |  | 共通点②神社やお寺が多く存在する | 探索している中でどちらとも神社やお寺が多く存在することに気づいた。私が訪れたところでも別所で4箇所、山ノ内で2箇所であった。回りきれなかったものもあるため、比較的多く感じた。調べてみると、「温泉の周辺」ではなく「山」に神社やお寺が多いということであった。縄文時代に遡るが、その時代の人々は山には神々が宿り、材料や燃料、また、食料等の恩恵を与えてくれるのは山のおかげという考え方、そして、神話で山には神々が降りる場所であるというような考えに基づき、そ信仰対象が次第に山自体になり、現在様々な神社が山にあると言われている。
参考:「見せる登山と温泉記録」https://wotcool.com/mountain-notes/mountain-faith/ | 2022-02-01 |
132 |  | 共通点①駅舎が似ている | 上が別所の駅舎、下が山ノ内の旧駅舎である。私はこの二つの駅舎がとても似ているように感じた。
調べてみると、別所温泉駅舎は1950年の改築と2008年の改装で現在の姿に、旧湯田中駅舎は操業開始の1927年に創られた建物が、2003年に改修されて現在の姿へと、完成した時期は少しずれていた。別所温泉駅舎は2008年の改装で大正時代をイメージして作られ、旧湯田中駅舎は志賀高原にちなんだ山小屋風駅舎を目指して作られたことがわかった。このことより、どちらとも似てはいるが相互の関係性はあまりわからなかった。 | 2022-02-01 |
133 |  | 上田市の鉄道 | 上田市の主な鉄道は別所線があるが、ほかの栄えている都市の鉄道と比べると足りない部分が多いと感じた。足りないところとしては改札がない、駅員の以内駅がほとんど、電車の来る時間がながすぎる、駅前の道の舗装が不十分、駅のある道が大通りなどでないなどが挙げられた。さらに地図を見てみると別所線としなの鉄道が上田市を通っているが、このふたつが通る場所以外に鉄道などはなく車を持っていないと利用しきれない施設などが多くもったいなさを感じる。 改善策としては別所線の駅員がいないなどクリアし安いものは改善し、上田駅周辺の市街地にも鉄道を通し、別所線の足りない部分をその鉄道で満たせばさらに生活しやすい町になると考えた。 | 2022-02-01 |
134 |  | 成果報告(まとめ) | まとめとして現在開発中の上田市を舞台にするゲームの全貌を書いていきたいと思います!
タイトルは[上田で〇〇してみたら……!?]
形で進めていこうかなと思っています。
まず、そもそもなぜ上田探索をしていたのか?何が目的なのか?
それは、どういった魅力が、どういった地域資源があるのかを見たいためです。そして、せっかく住んでるんだから何かしら形にしたいなと思っております。
それがこのゲームとしての形になっているという訳です。
こういう物を通して自分の住んでる場所をしっていきたいなぁという思いもあります。
さて、このゲームの狙いや目的としては、「上田といいうものに遊びつつ触れる」というところです。
さらに考える要素も詰め込むため地域教育などでも活用できると考えています。
遊びつつ触れる | 2022-02-01 |
135 |  | 上田市の鉄道ルート | 上田市は上田駅から別所温泉に伸びる別所線としなの鉄道が小諸や長野まで伸びてはいるが、別所線と反対方向の比較的栄えている上田駅前には他の鉄道が通っておらず、joyjoyなどの娯楽を楽しめる場所もせっかくあるのに活用しきれていないと感じた。 | 2022-02-01 |
136 |  | 上田藩主居館 | 現在上田高校がある場所には、かつての真田氏以降、仙石氏、松平と続いた上田藩主の居館がありました。一般的に城主の御殿は城の本丸に設けられていますが、上田城は徳川家に恨みを買っていた歴史的背景があり、三の丸とはいえ城の中心からだいぶ離れた場所に建てられました。同行東側の表門と、その両脇に続く土塀、堀、土塁は上田市の文化財に指定されています。 | 2022-01-31 |
137 |  | ため池と防災 | 地震によって堤体に亀裂が入ったり、大雨によって水位が上昇したりして、決壊の危険性が高まることがある。これに対して、上田市はハザードマップを出している。ため池ハザードマップ|上田市ホームページまた、ため池は減災にも役に立っている。保水能力が高く、洪水を防いだり、土石流をせき止めたりすることもある。
実際に大雨被害では平成16年の台風23号によって淡路島だけで1013箇所のため池が被災し、内178か所が決壊してしまった。地震では平成23年の東日本大震災では、3700か所のため池が被災し、被害額約400億円の被害を出した。
参考
ため池の災害事例から見た減災機能と維持管理|茨城大学農学部毛利栄征
| 2022-01-30 |
138 |  | ため池の現状と様々な機能 | 長野県のため池の数は全国26位の1892か所であり、全国的にため池は、瀬戸内海式気候の場所に多いことがわかる。この気候区は降水量が少なく比較的晴天率が高いという、上田市と同じような特徴を持っている。
ため池は様々な機能を持っている。
その土地独自の生態系を保ったり、地域の歴史的な文化の保持などが挙げられる。山間部のため池では、洪水調節機能や、土砂流出防止機能なども挙げられる。
また、現在、全国ではため池の様々な利用が進んでいる。福岡県福岡市では、蓮花寺池というため池に、水上太陽光発電を設置し利用を進めており、約400世帯の電気を発電している。
参考・引用
ため池をめぐる状況について|農林水産省農村振興局整備部防災課
| 2022-01-30 |
139 |  | まとめ | 今回の地域探検学習に取り組んでみて、おいだれについて詳しく理解できたただけでなく、PCを使っての調べ方や上田についての知識も増えたのでとても良い収穫になったと思う。また、上田に来て初めて美味だれの存在を知った時、食欲をそそるニンニクの匂いに驚いた。こういう地元特有の物品は町おこしや地元ならではの価値を見出せるのでもっと広めていくべきと考えた。上田市は他の街や県よりも自慢できるモノばかりあるため、自信を持って広めたいと思う。
参考文献
https://www8.shinmai.co.jp/odekake/article.php?id=ODEK20110514013489
https://style.nikkei.com/article/DGXKZO73673640Y1A700C2KNTP00/
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%8E%E5%91%B3%E3%81%A0%E3%82%8C%E7%84%BC%E3%81%8D%E9%B3%A5#:~:text=%20%E7%BE%8E%E5%91%B3%E3%81%A0%E3%82%8C%E7%84%BC%E3%81%8D%E9%B3%A5%20%EF%BC%88%E3%81%8A%E3%81%84%E3%81%A0%E3%82%8C%E3%82%84%E3%81%8 | 2022-01-28 |
140 |  | 美味だれ焼き鳥提供店 | 上田市内には、たくさんの美味だれ焼き鳥を提供している店があるため紹介しようと思う。皆さんも是非美味だれ焼き鳥を楽しんでいただきたい。
焼き鳥店舗はこちらから→https://oidareyakitori.jp/archives/category/shop | 2022-01-28 |
141 |  | 美味だれ焼き鳥の歴史 | 日本が高度経済成長期だった昭和30年代、上田市の産業も大きく発展していました。まちは働く人たちで活気にあふれ、その活気は仕事終わりの時間も収まることはありませんでした。そんな活気ある時代、上田では多くの人が家路に着く前の時間を焼き鳥店で過ごしていました。そして、家で待つ家族のためにその焼き鳥をお土産に持ち帰るというのも日常的な風景のひとつでした。
需要とあわせて焼鳥店の数も次第に増えるなか、鳥正の初代店主である宮下正三氏が、焼き鳥の新しい食べ方を考案。焼き鳥にニンニク醤油だれをかけて食べるという方法を、仲間と相談しながら作り上げたといわれています。その食べ方は見る見るうちに上田中に広がり、新しく店を出す人々も、タレの味を覚えるために修行に入ったり、味を盗むために通い詰めたり | 2022-01-28 |
142 |  | じまんやきの歴史と比較 | 引用 「あんこ」と「カスタードクリーム」どちらがお好き?「じまんやき」の「富士アイス」 ~上田市海野町商店街6~
https://blog.nagano-ken.jp/wp/josho/wp-content/uploads/2015/09/20fuji2.jpg
じまんやきは上田市のソウルフードの1つになっている。
じまんやきは海野町商店街の一角の富士アイスで売られている。じまんやきを作っている富士アイスの本店は山梨県甲府市に本店を置いている。富士アイス上田店は昭和10年に開業し、長野県で一番古参の店になっている。富士アイスは創業当初は富士屋という店名だった。富士アイスの富士は日本一の山を自慢している富士山に由来する。
次にじまんやきについて解説します。じまんやきは「自慢の味。自慢したくなる味。」から由来しています。
じまんやきは1個80円とリーズナブルな価格であり、太鼓上に | 2022-01-27 |
143 |  | 私の課題探求 | なぜその探求テーマを選んだのか
テーマを考える最中、上田紬のイベントが最近あったことを思い出したことがきっかけだ。またメンバー全員が服が好きということもあって上田紬に興味関心があったためこのテーマに設定した。
何を探求しアウトプットするのか
上田紬の歴史や庶民的なものから高級品に変化するまでの過程を調べ、どのようにしたら現代の若者にとって身近になるかを考える。
具体的にどのような資料を調べるのか
インターネットのサイトや可能であれば上田紬の工房に足を運び実物を実際に見てみる。また先生から送って頂いた上田市立博物館図録を参照する。 | 2022-01-27 |
144 |  | 上田紬について① | 〇紬とは
紬とは、紬糸を平織りにした絹織物で作られた着物のこと。 絹特有の光沢を持つ生糸とは違い、紬糸で織られた生地は落ち着いた光沢と凹凸のある表面で独特の風合いがある。 丈夫で軽く、普段着やちょっとしたおしゃれ着におすすめな着物で、最初はかっちりとした着心地ですが、着慣れるほどに柔らかく馴染んできます。簡単に言うと、糸を先に染めたあとに布を織る絹織物でかつ、カジュアル
用のきもののことです。
〇上田紬の魅力
目の細かい糸使いでしっかりと織り込まれていて丈夫で強い。縞・格子柄が多く、 シンプルで飽きのこないデザインで江戸時代から織り継がれている。また、大島紬や結城紬と並ぶ日本の三大紬として知られ、紬の中でも軽くて丈夫なことから全国で広く愛用されてきた。
〇上田紬の歴史
今から | 2022-01-27 |
145 |  | 別所線の今と昔の比較(1) | この写真は1927年に開通された北東線上田の公園前駅を写したものです。現在は、上田城跡公園のけやき並木となっています。
[参考文献・写真]
上田市ホームページhttps://www.city.ueda.nagano.jp/site/besshosen/5563.html | 2022-01-27 |
146 |  | 家庭生活の民主化から | この記事では終戦後の民主化政策に困惑する女性の意見を知ることができる。男性よりも女性が教育を受ける機会が少なかった当時の状況で「男女同権」を主張する民主主義に対して女性にはあまり受け入れられなかったようだ。
『西塩田青年男報』第5号(1946年12月25日)第一頁より | 2022-01-27 |
147 |  | 上田紬が庶民的なものから高級品になるまで~江戸時代から戦前~ | 古代から中世にかけて信濃の織物として知られていたのは、麻布であった。(中略)紬は屑繭等を原料として地機で織れたから、原料生産地がそのまま織物生産地となり得た。しかもそれは商品としてよりも、農村で自家用として織られている場合が多かった。
紬は、江戸時代の庶民に許された唯一の絹織物であった。
上小地方の蚕糸業は江戸中期を過ぎる頃から、1つは養種製造、もう一方は生糸生産へと重点が移っていった。江戸中期にすぐれた繰糸技術が取り入れられ、良質の生糸が生産されるようになった。その結果蚕種・生糸の生産で十分な利益を挙げることができるのであれば、手間のかかる機織をする必要はない。このようにして幕末期に近づくに従って、上小地方の上田紬・上田縞の生産は減少していった。
さらに安政6年横浜開港以 | 2022-01-26 |
148 |  | 上田紬が庶民的なものから高級品になるまで~江戸時代から戦前~ | 古代から中世にかけて信濃の織物として知られていたのは、麻布であった。(中略)紬は屑繭等を原料として地機で織れたから、原料生産地がそのまま織物生産地となり得た。しかもそれは商品としてよりも、農村で自家用として織られている場合が多かった。
紬は、江戸時代の庶民に許された唯一の絹織物であった。
上小地方の蚕糸業は江戸中期を過ぎる頃から、1つは養種製造、もう一方は生糸生産へと重点が移っていった。江戸中期にすぐれた繰糸技術が取り入れられ、良質の生糸が生産されるようになった。その結果蚕種・生糸の生産で十分な利益を挙げることができるのであれば、手間のかかる機織をする必要はない。このようにして幕末期に近づくに従って、上小地方の上田紬・上田縞の生産は減少していった。
さらに安政6年横浜開港以 | 2022-01-26 |
149 |  | 上田紬について | なぜその探求テーマを選んだのか
テーマを考える最中、上田紬のイベントが最近あったことを思い出したことがきっかけだ。またメンバー全員が服が好きということもあって上田紬に興味関心があったためこのテーマに設定した。
何を探求しアウトプットするのか
上田紬の歴史や庶民的なものから高級品に変化するまでの過程を調べ、どのようにしたら現代の若者にとって身近になるかを考える。
具体的にどのような資料を調べるのか
インターネットのサイトや可能であれば上田紬の工房に足を運び実物を実際に見てみる。また先生から送って頂いた上田市立博物館図録を参照する。 | 2022-01-26 |
150 |  | 上田紬が庶民的なものから高級品になるまで~江戸時代から戦前~ | 古代から中世にかけて信濃の織物として知られていたのは、麻布であった。(中略)紬は屑繭等を原料として地機で織れたから、原料生産地がそのまま織物生産地となり得た。しかもそれは商品としてよりも、農村で自家用として織られている場合が多かった。
紬は、江戸時代の庶民に許された唯一の絹織物であった。
上小地方の蚕糸業は江戸中期を過ぎる頃から、1つは養種製造、もう一方は生糸生産へと重点が移っていった。江戸中期にすぐれた繰糸技術が取り入れられ、良質の生糸が生産されるようになった。その結果蚕種・生糸の生産で十分な利益を挙げることができるのであれば、手間のかかる機織をする必要はない。このようにして幕末期に近づくに従って、上小地方の上田紬・上田縞の生産は減少していった。
さらに安政6年横浜開港以 | 2022-01-26 |
151 |  | 上田紬について | なぜその探求テーマを選んだのか
テーマを考える最中、上田紬のイベントが最近あったことを思い出したことがきっかけだ。またメンバー全員が服が好きということもあって上田紬に興味関心があったためこのテーマに設定した。
何を探求しアウトプットするのか
上田紬の歴史や庶民的なものから高級品に変化するまでの過程を調べ、どのようにしたら現代の若者にとって身近になるかを考える。
具体的にどのような資料を調べるのか
インターネットのサイトや可能であれば上田紬の工房に足を運び実物を実際に見てみる。また先生から送って頂いた上田市立博物館図録を参照する。 | 2022-01-26 |
152 |  | 手洗池(てあらいけ) | 手洗池には二つの名前の由来がある。こららを紹介したいと思う。
昔、柳沢村(現上田市古安曽)に幹が6メートルもある大きなけやきの木がありました。ある秋、このけやきの木の枝が折れてしまい、村人は何か変わったことが起きるのではないかと心配していました。すると翌年の夏、すさまじい嵐が起こりました。このため山のほとんどの木が風や落雷のために倒れてしまい、村人は途方に暮れました。さらにこの年も大きなけやきの木の枝が折れてしまい、その翌年もまた大荒れに見舞われました。村人たちは、大きなけやきのせいではないかと考えるようになり、どのようにしたらよいか考えていました。
ちょうどその時、木曽義仲に仕えていた手塚太郎金刺光盛という人が、丸子のお城から手塚へ帰る途中、柳沢を通られましたので、相談した | 2022-01-26 |
153 |  | 上田映劇の内装 | 上田映劇は映画撮影やライブなどに合わせて一部改装されたりしているそうだが、建物自体は大正6年に建築されてから変わっていないため、歴史を感じる事が出来る建物となっている。
2014年に上映された「晴天の霹靂」のメイン舞台となっていたため、入り口には雷門ホールと看板が立てられたりしていた時期もあった。しかし、あくまで映画のセットとして付けられたものということもあり、耐久性が高くなく昨年撤去されたのこと。
上田の市街地に建てられていることもあり建物の横幅が広くないため、外側から建物を見ても建物自体が大きく見えない。だが、奥行きのある建物となっているため、シアターに入ってみるとシアター内の広さに驚かされる。
シアター内は一階と二階の二つに分かれているが、現在は安全上の問題で一階のみ利用可 | 2022-01-26 |
154 |  | ため池の歴史② | ため池は農業用水を確保するためだけに使われていたと思っていたが、歴史を遡るとそれ以外にも利用されてきた歴史があった。
例として挙げられるのは食用鯉の養殖である。塩田地域のため池は水温が高く、養蚕が盛んであったことから、鯉の餌としてたんぱく質の豊富な蚕の蛹が多く採れた。このような地域特徴から鯉の養殖に使われてたが、1980年代末には鯉の養殖は衰退し、今はフナの養殖に非常に少数のため池が使われているだけである。
〈参考文献〉
長野県上田市塩田地域におけるため池群の維持管理と存続
https://www.geoenv.tsukuba.ac.jp/~chicho/nenpo/43/08.pdf | 2022-01-26 |
155 |  | ため池の歴史① | 塩田には多くのため池がみられる。その理由は降水量と土地が関係している。上田市は年間降水量が全国で最も少なく、その中でも塩田平は最少の地域であった。しかし、気温も低すぎず肥沃な土地で、水田農業に最適の地域だった。そこで農民は農業用水を確保するためにため池を作ることにしたのだ。この地域の土壌が粘土質で、ため池の土地を作るのに好都合だったことも影響していたのだろう。
〈参考文献〉
信州上田の里 塩田の里
http://www.shiodanosato.jp/tameike/rekishi.php | 2022-01-26 |
156 |  | 上田映劇の歴史 昭和まで | 1917年に末広座跡に上田劇場が開館した。
当時は芝居、落語、講談、浪曲、歌謡などが催された。
上田劇場の前身となるのは末広座だが、末広座の開館日は不明である。
しかし、1912年の上田町地図に末広座、中村座が載っているとのことから
1912年以前に開館されていたと思われる。
1922年に発行された「上田市街明細図」に上田劇場、上田電機館、中村座が載っている。
1919年に「上田演芸館」というのも開館されたとされているが
詳しい場所の情報が無いため、上田市街明細図から探し出すことが困難だった。
昭和初期(1926~1932?)頃に上映するものを映画中心とし、
上田映画劇場と名称を変更。
1960年代後半 映画の人気がピークに至る。
1964年 桟敷(さじき)席から現在の椅子席(270席)に改築された。
映画館の話題から少 | 2022-01-26 |
157 |  | 上田紬に「興味を持ってもらう」 | 上田紬に興味を持ってもらうために、「上田紬を軸とした旅行プラン」を提案します。
・新幹線代(出発地が北陸新幹線沿線の場合)+着付け代(ゆたかやさんに依頼)(+宿泊の場合ホテル代)を込みにしたプラン
・紬割:対象店舗・スポットに紬姿で行くと割引などのサービスを受けられるようにする。旅行客に「上田紬でめぐる」おすすめスポットを載せた地図をプレゼントし、掲載地が紬割対象。地図は上田駅・上田城周辺、別所温泉を中心に作成。
・オプションとして+1000円で別所線の1日フリーパス
・Instagramの活用:Instagram広告の利用、「#上田紬」キャンペーン(#上田紬をつけてに上田紬に関する写真を投稿してくれた人の中から抽選でギフト券や上田市ゆかりの品をプレゼント)
☆多くの人、特に若い世代に上田紬を知ってもらう | 2022-01-26 |
158 |  | 進捗報告 | 上田のゲームを作っているという話ですが、一応ゲームのシステムだけはできあがりました!
ゲームの流れ
開始前
職種(販売、作成、行政、労働)・スタートの駅を決める
資金1万からスタート
↓
(1周目以外スタート時にイベント)
↓
行きたい駅にいったり、働いたり制限時間内に自由に行動できる
(駅は実際の時間に比例
働くのは1回につき持ち時間の25%消費)
この時に、街にあるクエストみたいなのを町民から受けられる
(何があるかはランダム
受けたら完了・放棄するまで消えないが1周で交換される)
このクエストを完了していくと評価が上がって一定以上でその地区の駅を占領出来る
↓
エンド、次の人
職種
販売→物を仕入れて売る職業
物の売り買いに長けているため、物を買う時にその時の値段の10分の1の数値の割引をされる
( | 2022-01-26 |
159 |  | つけば漁で獲れる魚 | 「つけば漁」では、季節によって獲れる川魚が異なり、6月末まではハヤ(ウグイ)、7月から10月まではアユが獲れる。
「つけば漁」について調べる前は、なぜこのような魚たちが勝手に集まるのかと疑問に思っていたが、上田地域は千曲川の中流域で、ハヤなどの生息に適している地域ということが分かり、さらに、魚が集まるための場所を作る漁師さんたちの努力の賜物だということも知ることが出来た。
<参考>
上田市 「千曲川のつけば漁」上田市ホームページ
(https://www.city.ueda.nagano.jp/soshiki/nosei/2544.html) (2022-1-24 閲覧) | 2022-01-26 |
160 |  | サントミューゼは散歩にも最適 | 外周してみて感じたのは、サントミューゼは敷地が広く、施設まわりのアプローチも整備されているので、グルっと一周するだけでもいい散歩になるということだ。実際、犬を連れて散歩する人をよく見かけた。
また、駐車場の方へ行くと川沿いの歩道に上がることができるスロープがある。川沿いの道へでると、千曲川と山々、住宅、不思議と調和する上田市の街並みが見られる。夕方に行くと夕日も見れるのでオススメだ。
そして、スロープを上る途中、サントミューゼ越しに雪を被った山が見えた。サントミューゼがその自然の景色を邪魔をしていないことに驚いた。 | 2022-01-26 |
161 |  | サントミューゼを外から考える | 前回サントミューゼを訪れてみて建物自体に魅力を感じ、その魅力を探るべく再訪。 | 2022-01-26 |
162 |  | 上田紬の魅力 | なぜその探求テーマを選んだのか
テーマを考える最中、上田紬のイベントが最近あったことを思い出したことがきっかけだ。またメンバー全員が服が好きということもあって上田紬に興味関心があったためこのテーマに設定した。
何を探求しアウトプットするのか
上田紬の歴史や庶民的なものから高級品に変化するまでの過程を調べ、どのようにしたら現代の若者にとって身近になるかを考える。
具体的にどのような資料を調べるのか
インターネットのサイトや可能であれば上田紬の工房に足を運び実物を実際に見てみる。また先生から送って頂いた上田市立博物館図録を参照する。 | 2022-01-25 |
163 |  | 比較から見る上田市工業の強み | 上田市の隣には、機械・金属工業の中小企業を中心とし、優れた技術力を持つ坂城町がある。工業の分野が似ている両市町には、どのような違いがあるのか。
今回は坂城町と上田市それぞれの工業統計調査を参考にし、それらを比較するための指標として、平成30年における両市町の[①事業所数②従業者数③製造品出荷額④現金給与総額]四つを用いてみた。
《上田》 《坂城》
① 390事業所数 204事業所数
② 18890人 6068人
③ 52,667,396万円 22,748,130万円
④ 9,066,947万円 2,874,596万円
上記からもわかるように、精密機器や機械・金属という主要製品が同じでも、上田の方が製造品出荷額と現金給与総額が高い。これは事業所数・従業者数が上田の方が多いことに加え、大企業の工場を有していたり | 2022-01-25 |
164 |  | 上田市の位置は工業向き | ・日本のほぼ中央に存在するため交通インフラが良い
鉄道:JR北陸新幹線・しなの鉄道・上田電鉄別所線(上田駅で接続)
高速道路:上信越自動車道(菅平インターチェンジ)
東京から約190km(北陸新幹線で最短80分)
県庁所在地長野市から約40km
[参考資料]
上田ってどんなところ?-上田市ホームページ(https://www.city.ueda.nagano.jp/soshiki/uedapr/5606.html) 上田市ホームページ 上田市 上田市長 土屋 陽一 2022/01/19参照 | 2022-01-25 |
165 |  | 様々なレシピ | ニンニク醤油仕込みの美味だれは、焼き鳥の他にサラダや鶏丼、オムライスなどにもよく合う。また信州野沢菜にも美味だれをかけると絶品である。焼き鳥に関してはほぼ全てに合うが、個人的にはぼんじりとねぎまに良く合う。上田市中心部の人気店「つづらや」では、客が卓上のツボからタレを焼き鳥にたっぷりとかけて食べる。炭火で香ばしく焼いた塩味の焼き鳥に、ガツンとニンニクの風味と甘辛味が絡み合い、パンチの効いた味わいだ。
地元有志でつくる「美味だれで委員会」が進めている普及活動の一つが、タレを焼き鳥以外の料理でも活用する取り組みだ。地元飲食店やコンビニなどと協力してメニューを開発。唐揚げやラーメン、チキンバーガー、クレープなど様々な可能性を広げてきた。
ボトル詰めしたタレを販売する動きも広がって | 2022-01-25 |
166 |  | 定着 | 上田ではこのたれで食べることが定着し、特別な呼び名は存在しなかった。2011年2月、市民有志により実行委員会が発足。上田地方の方言で親しい仲間に使う愛称である「おいだれ」、「美味しいタレ」、好みにより後から追加できる「追いダレ」の3つの意味を持たせた『美味だれ』と命名された。2012年には、上田市を商標権者として、『美味だれ焼き鳥』『美味だれ』が商標登録された。この料理の原形は焼き鳥店のテーブルに置かれた、たれの入ったコップに焼き鳥を浸して食べる方法であり、この場合は衛生上、大阪の串カツなどと同様に二度漬けは厳禁とされている。 | 2022-01-25 |
167 |  | 美味だれを深く掘り下げる。 | すりおろしたニンニクが入った醤油ベースのたれに焼き鳥をつけたり、焼き鳥にたれをかけたりして食べるものである。昭和30年代に、上田市内の焼き鳥店で考案され、市内の家庭や店舗に広まったとされる。さらに、たれにすりおろしたリンゴが加えられるなど、店舗ごとに個性的な味が生まれていった。 | 2022-01-25 |
168 |  | 上田工業の歴史 | ①蚕のまち上田
江戸時代の末期から昭和にかけて、長野県経済は蚕糸業に支えられていた。上田はそんな長野県中でもいわゆる「蚕都」として名をはせていた。その要因としては、扇状地や河岸段丘の発達により桑の栽培適地であったこと。また、雨が少なく乾燥した気候が蚕の飼育に適していたこと。そして全国にさきがけて開校された、小県蚕業学校(現在の上田東高校)や上田蚕糸専門学校(現在の信大繊維学部)などによる蚕業教育が充実していたことが挙げられる。
②精密機械工業へのシフト
長野県が戦前から養蚕・製糸業に代えて精密機械工業へと産業育成の重点をうつし、かつ終戦後の1960年代には高度経済成長で商工業が発展したこともあり、上田の蚕糸業(養蚕、蚕種、製糸)も例外なく衰退を迎えた。しかし蚕糸業で培われた技術的 | 2022-01-25 |
169 |  | 山本鼎さんとは | まず農民美術とは農民の方々が作物の育たない冬の間に行なう生業として生まれました。提唱したのは山本鼎さん。彼は立ち寄ったロシアでそこの人々が行なっていたものを参考にし帰国後、長野県神川村(現在の上田市)にて第一回農民美術講習会を開きました。彼自身も多彩な芸術家であり、彼が起こした農民美術運動は後の世に大きな影響を与えました。 | 2022-01-24 |
170 |  | 菅平高原 | 菅平高原は上信越高原国立公園に属し、冬の寒さが厳しい土地。
数多くのスキー場があり、冬季はウィンタースポーツを楽しめる。
県道34号長野菅平線が冬季通行止めとなり長野市からのアクセスはできないが、国道406号を使い上田市・須坂市からのアクセスが可能となっている。 | 2022-01-24 |
171 |  | 上田藩の死者数、正福寺の千人塚 | 千曲川流域には、「戌の満水」の流死者供養塔が幾つも残されている。それには2種類ある。一つは、多くの犠牲者を出した現地に建てられたもの、もう一つはたくさんの流死者が流れ着いて埋葬された場所に建てられたものだ。千曲川の上流では、上畑村(佐久穂町・248人)小諸城下(小諸市・507人)所沢川流域の金井村(東御市・130人)田中宿・常田村(東御市・68人)などで多くの流死者を出した。そして、まず大量に流れ着いたのが、上田だった。
「千曲川も上田まで来ると、流れが緩やかになる。上流から流されてきた死体が上田に流れ着いた。上田藩主の命令で段丘上の秋和の正福寺の門前に引き上げ、埋葬して、後に碑を建てた。それが千人塚と呼ばれている。また正福寺境内には石造地蔵尊があり、縁者がたくさん亡くなっ | 2022-01-24 |
172 |  | 小林昌人「蚕業の先駆者を輩出した上田市上塩尻の集落と民家」1990 | 【左】テキストコード化版 【右】『信濃』誌記事コピー
蚕種製造の中心地であった上田市上塩尻の歴史的・文化財的価値について言及した論文は小林昌人氏(1931~2001、長野県松本市生まれ)の「蚕業の先駆者を輩出した上田市上塩尻の集落と民家」(1990)が最初ではないかと思われる。
ここにその論文を転載し、諸活動の参考にしていただきたい。『信濃』誌記事はコピーでは読みにくいため、テキストコード化も行った。
所載:『信濃』第42巻第1号 pp.23~35 信濃史学会 1990 年1 月
テキストコード化・文書整形:長野大学前川道博研究室 2018 年09 月13 日 | 2022-01-18 |
173 |  | 備忘メモ 塩尻地区/上塩尻・過去の調査研究 | 蚕種製造の中心地であった上塩尻(上田市上塩尻)については、過去30年以上にわたり学術的な調査研究、地域づくりに向けた調査研究が取り組まれてきた経緯がある。惜しまれることにそれらは主体が異なり、断続的であることが共通した傾向である。
2018年8月時点で、過去における調査研究をリストアップし、それぞれの調査研究の内容を概観した。 | 2022-01-18 |
174 |  | 上塩尻の集落の模型(1992年)発見 | 【上】集落模型(佐藤家住宅の部分)1992年
【下】集落模型(佐藤家住宅[佐藤尾之七邸宅])1897年(『日本博覧図』所載、上田市立博物館所蔵)
蚕種製造民家群が数多く残る上塩尻の民家は1989年度から1991年度にかけて当時の工学院大学山崎弘研究室によって調査されました。それからかれこれ30年近くが経過し、その調査を知る人も少なくなったばかりでなく、所在がわからなくなっていた調査資料を最近になってやっと探り当てることができました。そのことだけでも大きな感動です。
そしてつい先日、その調査で作成された上塩尻の集落のミニチュアが発見され、眼前で確認しました。「長野県上田市上塩尻の養蚕民家集落 Scale:1/500 1992.3.28 工学院大学 山崎研究室」と記されています。
山崎研究室の調査では、上塩尻の蚕種製造民家のうち23軒が調査 | 2022-01-12 |
175 |  | 藤本善右衛門(昌信・保右・縄葛) | 「上田を支えた人々 上田人物伝 藤本善右衛門(昌信・保右・縄葛)」
https://museum.umic.jp/jinbutu/data/028.html
(上田市マルチメディア情報センター)
ネットで藤本善右衛門を検索すると参照ページは意外に少なく、現時点ではWikipediaにすら記載されていません。ほぼ唯一、内容を知ることができるのがこの記事です。説明文は『上田市誌第28巻』の「藤本善右衛門」を要約した内容になっています。
「上田地方を蚕種製造の全国的な中心地に発展させた功労者」として紹介されています。藤本善右衛門は蚕種製造を営んでいた上塩尻の佐藤本家の当主の襲名です。代々の当主のうち、特に業績のあった昌信(1722-1773)、保右(1793-1865)、縄葛(1815-1890)が紹介されています。
縄葛は1845年、蚕種の新品種「掛合」を育成し「明治初年の蚕種輸出の大変盛んだった時 | 2022-01-12 |
176 |  | 信州上田学・地域連携パートナー事業アグロフォレストリープロジェクト活動記録2 | 信州上田学〜地域連携パートナー事業アグロフォレストリープロジェクトでは、長野大学地域づくり総合センターと(一社)信州上田里山文化推進協会が連携して、古くから自然と調和していきてきた先人の知恵を伝承し、次世代の若者が地域資源を活用して自らの力で未来を開いていくための人づくり、地域づくりを行っています。
塩田平・別所温泉地区を中心に、上田市は、「レイラインがつなぐ太陽と大地の聖地〜龍と生きるまち」として、日本遺産になっています。学生たちも龗や九頭竜大権現を祀る男神岳、女神岳に抱かれた民話や雨乞い祭り、文化財について学びました。
今年の8月、10月には、ボランティアガイドの会など他の地域団体とも共同して、日本遺産に認定された塩田・別所地区の文化財についてレイラインの観点から方位や日 | 2022-01-05 |
177 |  | 私の地域探求計画 | タイトル
「上田市の伝承、昔話など」
なぜこの探求テーマを選んだのか
太郎山の「太郎山民俗遊歩」や姨捨山伝説など、上田市には色々な伝承や昔話があることを知った。そこで、そういった話についてもっと知りたいと思った。
何を探求しアウトプット化するか
上田市にまつわる伝承や昔話などを調べる。太郎山民俗遊歩が手元にあるので、まずはその内容を詳しく探求したい。
具体的にどのような資料を調べるか
まずは学校の図書館で探してみて、あればそこのものを利用する。なければ上田市立の図書館を利用する。インターネットも使うが、できれば極力使わない方針で行きたい。 | 2021-12-23 |
178 |  | 上田市無電柱化推進計画について | これは上田市が出している上田市無電柱化推進計画である。ここには無電柱化の推進に関する基本的な方針が示されており、現在の上田市における無電柱化の現状や今後の方針など上田市における無電柱化について全て掲載されていた。 | 2021-12-22 |
179 |  | 上田別所線を掘り下げ、広めたい。 | 上田別所線は改めて掘り下げてみたい。今年になり、事故から復活し全線開通となった上田別所線。上田市街に行ける唯一の公共交通機関として長大生は多く利用していると思う。上田別所線をの歴史なども掘り下げ、もっと広める方法を資料を参考にしながら考えていきたい。 | 2021-12-22 |
180 |  | アリオ上田前の無電柱化の工事写真 | これは上田のアリオ前の交差点を撮影したものである。前回は別所線の城下駅から赤坂上駅の間で電柱の地中化について触れたが、今回は少し離れた上田のアリオ前でもやっていたことからこの工事は一部分の電線の地中化ではなく大規模な工事なのではないかと思った。そのため、インターネットを使い上田市の電柱の地中化について調べてみると上田市が公式に出している計画案を見つけることが出来た。
電線の地中化の工事は写真のように一度あった歩道や道路を掘り返して設置していくため、多くの手間と時間がかかる。 | 2021-12-22 |
181 |  | ここらへんで一旦まとめ | なんで上田探検をしているののか、それはゲームを作りたいからです
(なんでわざわざ”ゲーム”なのかというのは「どうして地域資源で遊ぶの?」の記事を参照)
参照とは書きましたが一応なんとなく概要だけ。ホビーとして地域資源を発信すれば興味が無い人でも巻き込めるかなって思っているからです。さわりだけでも「こういうのがあるんだ!」みたいな感覚になって上田に触れる人が一人でも増えてくれたら嬉しいです。
さて、ここまで色々なものを見てきました。古墳、池、景色と。
それをどうゲームにまとめるか。
https://docs.google.com/document/d/1moarKFrUze8l2_XUbDJjwM9SZ0_LW3H7RcgTzq4o_4A/edit?usp=sharing
原案としてはこんな感じにまとまっております。
簡単に説明しますとマップは別所線区間内で行う陣取りゲームです。
特産品などを宣伝だった | 2021-12-22 |
182 |  | 太郎山山頂 | 太郎山の山頂です。もっと良い場所から写真撮りたかったんですが、人がいっぱいいたのでちょっと難しかったです。上田市全体が見れますし、一応ここからも富士山を見ることができるらしいです。 | 2021-12-22 |
183 |  | 上田藩主 | 上田と言えば真田氏が思い浮かぶが、その後の仙石氏・松平氏の治政はどのようなものだったのか気になったので調べ、それぞれを比較してみたいと思う。
参考資料については、上田市立博物館やデジタルアーカイブなどを活用して調べていきたい。 | 2021-12-21 |
184 |  | 標高605m | 上田駅発の菅平線バスに乗り、揺られること20数分…
スポットライトに照らされた「幸村の里」の大きな看板を目印に、降車を決意しました。
降りたのは「殿城口」というバス停でした。
この写真は、歩道を歩いていて目に入ってきた看板を撮影したものです。上田市は上り坂も下り坂も多く、山の上にいる事を体感しますが、こうして看板を見ると、より山の上にいることを実感します。 | 2021-12-15 |
185 |  | 上田市の養蚕業の発展と今 | なぜその探求テーマを選んだのか
1年生の時、常田館製糸場を訪れ、蚕の製造方法や過去から現在までどのようにして衰退していく養蚕業を守り続けてきたかを学び興味を持った。
何を探求しアウトプット化するか
蚕の衰退原因とそれをどのようにして解決するかを探求し、常田館製糸場のように蚕を使った現代アートを作り、現代に繋げるといった活動などをどのように広めるかの案を考える。
具体的にどのような資料を調べるか
上田市公文書館ネットなどの資料や実際に聞いた話を参考に様々な視点から調べる。 | 2021-12-21 |
186 |  | 明治・大正期における上田の金融の歴史について | ・テーマ選定理由:上田はかつて蚕糸業が発達した地域であり、それに伴って金融業が栄えた歴史があることを知り、興味を持ったから。
・何を調べる:明治・大正期の金融に関する資料、年表を当たり、それによって当時の上田が全国的にどれぐらいの規模で経済的に栄えていたのかを調べる。
・具体的な資料:国立国会図書館資料、去年授業で扱った上田市誌データ、附属図書館内の書籍 | 2021-12-21 |
187 |  | 上田市の観光 | 私は、上田市の観光名所や名物について探求したいと思います。
今知っている情報に加え、新しい情報や知識を収集することで自分も上田市のことを楽しみながら学び、発信したいと考えています。
具体的に、観光地や名物についてのサイトで情報を集めたり、訪れたりしたいと考えています。 | 2021-12-21 |
188 |  | 上田飯 | 上田の名物といえばなんだろうか。まず挙げられるのは美味ダレと自慢焼きか。この二つくらいならば上田市民ではない私でも知っている。そんな上田飯のルーツ等に興味を持ったので調べて投稿していきたい。ついでに最近の上田飯として上田圏内の美味しい店等も上げられたらと思っている。 | 2021-12-21 |
189 |  | 美味だれ | 探求テーマ選択理由:自分は居酒屋でバイトをしているのだが、焼き鳥に付けるために出されているたれをとても美味しく感じ、またそのタレが上田名物と知ってより興味が湧いたから。
探求内容:たれが上田市民に取ってどのような存在なのか、全国にはどれほど知れ渡っているのか、どのように作られているのかなど。
調査に用いる資料:おいだれ図鑑 | 2021-12-21 |
190 |  | 明治の上田での生活 | 私は歴史が好きで、特に過去の庶民の暮らし等の大衆文化に興味があるので、明治~大正時代の上田市民の生活について探求していきたいと思います。
昔の地域独特の文化や特徴、上田で生きる上での庶民の知恵などを調べ、当時の生活について知ることでより知見を広げていきたいです。また、上田市での暮らしを知ることにより、地域発展のヒントを得られればなと思います。
調べ方については、資料館や図書館等に足を運んだり、デジタルアーカイブ等で資料を探したいと思っています。 | 2021-12-21 |
191 |  | 上田のため池 | 私たちは上田市塩田のため池について調べようと思う。
このテーマを選んだ理由は、上田に来てため池が地元と比べ多いという印象を抱いたからである。どうしてこんなにため池が多いのか興味を持ったので、塩田の歴史やどんなものがあるのか調べたいと思った。
上田市文書館の資料や長野大学付属図書館、塩田の里交流館などで塩田の歴史とため池の関係をまとめていきたい。 | 2021-12-21 |
192 |  | さわむら | 上田市丸子にある和洋菓子店「さわむら」。先日、バナナマンの日村さんがロケで訪れ、長野県を代表する郷土食の一つである「おやき」を紹介していた。1つ140円で、1日なんと500個も売り上げるそうだ。
私はあんこと野沢菜の「おやき」を購入した。生地はびっくりするほどモチモチ、そして自家栽培の野沢菜を使用しているようで、塩味が程よく生地に合い、多くの人に愛されているのが納得できた。
完売するのが早いので、購入する方は開店してからすぐに来店してほしい。 | 2021-12-21 |
193 |  | 華龍飯店 | 上田市上田原にある中国四川料理の「華龍飯店」。安い値段で大盛りが評判と聞いてはいたが、今回が初めての来店でとても楽しみにしていた。
私は「炒飯と唐揚げ1個ランチ」を注文。注文の品が届き驚愕したのが、炒飯の量と唐揚げの大きさである。炒飯は食べても全然減らず、半分食べてやっと多店舗の一人前という印象を受けた。また、唐揚げは自分の拳と同じくらいの大きさで、これだけでも満足感が得られた。
来店される方はお腹を空かせていかないと痛い目を見るので注意してほしい。
最後に、メニューを見ていると「カエルの唐揚げ」があり挑戦するのにかなりの勇気がいるなと思った。 | 2021-12-21 |
194 |  | 塩田平 観光 | 塩田平には生島足島神社や安楽寺、前山寺に代表される多くの寺や、神社があり、それを観光資源として利用している。また、別所温泉という温泉もあり人気の観光地となっている。
写真は前山寺。
参考・出典
[上田市]信州上田観光情報/温泉エリア
(参照 2021/12/20) | 2021-12-21 |
195 |  | 塩田平 気候 | 日本有数の寡雨地域であり、内陸性の気候であるため夏は平均気温は高い。冬は気温は低いものの、雪はあまり降らない。また、内陸性の気候によって年較差が大きく、盆地特有の気候によって日較差も大きい傾向にある。日照時間も全国平均より長い傾向にある。寡雨地域であることで、過去には養蚕が盛んになったり、ため池が多く作られたりした。
写真は日照時間に影響される太陽光発電の写真と、ため池の多さを示した地形図である。
参考・出典
長野県地方気象台/長野県の気候
地理院地図Vector[国土地理院]上田市地形
(参照 2021/12/20) | 2021-12-21 |
196 |  | 塩田平 工業 | 塩田には多くの工場が存在する。この写真はその中の一部の写真である。上田市は、最大5000万円の助成金なども出し、積極的に企業誘致を進めている。
参考・出典
上田市-工場等設置事業助成金
(参照 2021/12/20) | 2021-12-20 |
197 |  | 「上田市の主な工業」まとめ | 今回、上田市内における十の企業を調査気づいたことをまとめていきたいと思う。
まず一つは、やはり機械・精密機器製造が盛んであったということだ。上田市は隣接する坂城町同様に機械・精密機器を工業の強みとしているという情報は調査前に持っていたが、実際に具体的な企業を通じて知ることができた。逆に、針や食料品などの製造にも大きな役割を持っているということも確認でき、多様性も見ることができた。
次に、全国、または世界に展開する企業が複数あったということだ。上田という地から多くの製品が広がりを見せていくというのは、上田で学ぶ人間として驚きであり、誇らしいことでもあった。
今回は数多く存在する中小企業に触れることができなかったために調査結果としては物足りなさがあるが、上田市の工業における一般 | 2021-12-20 |
198 |  | 《上田市に主力工業を置く企業④》エスビー食品株式会社 | 関連会社など(国内):県内二つ・東京・北海道・岩手・宮城・千葉・埼玉・神奈川・新潟・静岡・愛知・石川・大阪・広島・岡山・香川・福岡・鹿児島・沖縄
主力製品:食料品
スパイス&ハーブ・香辛料
カレー・シチュー・ハヤシ
パスタ・その他麺類
中華・エスニック
紅茶
ジャム・タルト
インスタント食品
ぬか漬けの素
フレッシュハーブ
健康食品
参考資料
S&B ヱスビー食品株式会社(https://www.sbfoods.co.jp/) エスビー食品株式会社 代表取締役社長 小形 博行 2021/12/13参照 | 2021-12-20 |
199 |  | 《上田市に主力工業を置く企業③》東京特殊電線株式会社 | 関連会社など(国内):県内二つ・群馬
関連会社など(国外):中国・インドネシア・フィリピン
主力製品:ケーブル
・高性能同軸ケーブル (半導体テスタ、USB3.1 Type-C、次世代映像インターフェース、5G機器、Virtual Reality機器など)
・三層絶縁電線(車載用や、大容量サーバ用などの高周波、高出力トランス用途)
・耐熱電線(自動車・産業機器などの内部配線)
・極細合金線(各種コイル、電子部品、高周波部品など)
・高周波ケーブルアセンブリ(デジタル信号伝送用途など)
・ヒータ製品(採暖・加熱・保温・防露・霜取・育苗など)
・コンタクトプローブ(ICパッケージ基板・高密度プリント基板・半導体ウェーハ(プローブカード)の検査など)
・フレキシブルフラットケーブル(電気・電子機器内部の信号伝送や電力供給)
参考資料
東京特殊電線株式会 | 2021-12-20 |
200 |  | 《上田市に主力工業を置く企業②》長野計器株式会社 | 関連会社など(国内):県内四つ・東京・北海道・宮城・埼玉・千葉・神奈川・静岡・愛知・富山・滋賀・大阪・香川・広島・福岡
主力製品:圧力計や圧力センサを中心とする各種センサなどの精密機器
参考資料
長野計器コーポレートサイト(https://www.naganokeiki.co.jp/)長野計器株式会社 代表取締役社長 佐藤 正継 2021/12/13参照 | 2021-12-20 |
201 |  | 《上田市に主力工業を置く企業①》山洋電気株式会社 | 関連会社など(国内):県内三つ・東京・北海道・宮城・栃木・山梨・石川・静岡・愛知・京都・大阪・広島・福岡
関連会社など(国外):中国・台湾・韓国・タイ・インド・シンガポール・ジャカルタ・アメリカ・フランス・ドイツ
主力製品:精密機器
・クーリングシステム(冷却ファン,ファンユニットなど)
・パワーシステム(太陽光発電システム用パワーコンディショナ,無停電電源装置 (UPS)など)
・サーボシステム(サーボモータ・アンプ,ステッピングモータなど)
参考資料
山洋電気株式会社 (https://www.sanyodenki.co.jp/) 山洋電気株式会社 代表取締役会長 山本 茂生 代表取締役社長 児玉 展全 2021/12/13参照 | 2021-12-20 |
202 | ![[上田市に本社を持つ企業⑥]松山株式会社 [上田市に本社を持つ企業⑥]松山株式会社](https://d-commons.net/img/noimage.png) | [上田市に本社を持つ企業⑥]松山株式会社 | 関連会社など(国内):県内三つ・北海道・宮城・栃木・岡山・熊本・宮崎
主力製品:水田や畑の改良整備や耕起などの用途の作業機
参考資料
ニプロ 松山株式会社(https://www.niplo.co.jp/) 松山株式会社 取締役社長 松山 信久 2021/12/13参照 | 2021-12-20 |
203 | ![[上田市に本社を持つ企業⑤]株式会社シーティーエス [上田市に本社を持つ企業⑤]株式会社シーティーエス](https://d-commons.net/img/noimage.png) | [上田市に本社を持つ企業⑤]株式会社シーティーエス | 関連会社など(国内):県内二つ・北海道・岩手・宮城・山形・福島・茨城・栃木・群馬・千葉・東京・新潟・富山・石川・山梨・岐阜・静岡・愛知・三重・京都・大阪・兵庫・広島・福岡・熊本・宮崎・鹿児島・沖縄
主力事業:ITインフラ・工事など
・デジタルデータサービス事業 (建設業向けクラウドストレージサービスを軸とした、建設現場向けITインフラシステムの提供)
・測量計測システム事業
・ハウス備品事業(ユニットハウス・オフィス備品や空調機能などのレンタル、販売)
・環境安全事業(道路標示・標識等の交通安全に係わる事業と、公園施設等の環境安全に係わる事業)
参考資料
会社概要|株式会社シーティーエス(https://www.cts-h.co.jp/company/data/) 株式会社シーティーエス 代表取締役社長 横島 泰蔵 2021/12/13参照 | 2021-12-20 |
204 | ![[上田市に本社を持つ企業④]アート金属工業 [上田市に本社を持つ企業④]アート金属工業](https://d-commons.net/img/noimage.png) | [上田市に本社を持つ企業④]アート金属工業 | 関連会社など(国内):県内三つ・愛知・大阪
関連会社など(国外):ドイツ
主力製品:ピストン(自動車のエンジンなど内熱機関において、熱エネルギーを運動エネルギーに変換する部品)
参考資料
アート金属工業 公式企業サイト (http://www.art-piston.co.jp/) アート金属工業株式会社 代表取締役社長 三城 伸五 2021/12/13参照 | 2021-12-20 |
205 | ![[上田市に本社を持つ企業③]オルガン針株式会社 [上田市に本社を持つ企業③]オルガン針株式会社](https://d-commons.net/img/noimage.png) | [上田市に本社を持つ企業③]オルガン針株式会社 | 関連会社など(国内):県内四つ・熊本
関連会社など(国外):ベトナム・中国・台湾・シンガポール・ドイツ
主力製品:針
・ミシン針(家庭用・工業用いずれも)
・メリヤス針(ニット素材に用いられる)
・フェルト針(繊維を複雑に絡め合わせた不織布をつくる)
・ブローブ(「導通検査=電気的な接続を確認する試験」に用いられる)
参考資料
オルガン針株式会社 「一本の針に心を込めて、世界の顧客に手渡そう」. (https://organ-needles.com/company/outline/) オルガン針株式会社 代表取締役社長 増田 良介 2021/12/13参照 | 2021-12-20 |
206 | ![[上田市に本社を持つ企業②]日置電機株式会社 [上田市に本社を持つ企業②]日置電機株式会社](https://d-commons.net/img/noimage.png) | [上田市に本社を持つ企業②]日置電機株式会社 | 関連会社など(国内):県内三つ・宮城・石川・埼玉・東京・神奈川・静岡・愛知・大阪・広島・福岡
関連会社など(国外):アメリカ・中国・シンガポール・タイ・韓国・インド・ドイツ・台湾・アラブ首長国連邦・インドネシア
主力製品:電気計測器
・自動試験装置(基板検査装置)
・記録装置(データロガー、メモリハイコーダ、デジタルオシロスコープ)
・電子測定器(LCRメータ、電力計、耐圧試験器など)
・現場測定器(クランプメータ、テスタ、絶縁抵抗計など)
参考資料
日置電機株式会社-Hioki(https://www.hioki.co.jp/jp/) 日置電機株式会社 代表取締役社長 岡澤 尊宏 2021/12/13参照 | 2021-12-20 |
207 | ![[上田市に本社を持つ企業①]シナノケンシ株式会社 [上田市に本社を持つ企業①]シナノケンシ株式会社](https://d-commons.net/img/noimage.png) | [上田市に本社を持つ企業①]シナノケンシ株式会社 | 関連会社など(国内):県内三つ・東京
関連会社など(国外):アメリカ・ヨーロッパ・中国・台湾・タイ・インド・メキシコ
主力製品:電子機器・精密機器
・精密モーター、アクチュエータ
・産業システム機器(映像/ハイスピードカメラ・サーモ グラフィー(遠赤外線カメラ))
・福祉・生活支援機器(録音図書機器、補聴器)
参考資料
ASPINA|シナノケンシのコーポレートブランド(https://jp.aspina-group.com/ja/) シナノケンシ株式会社 代表取締役社長 金子 元昭 2021/12/13参照 | 2021-12-20 |
208 |  | 自慢焼きの歴史 | 上田市の名物の1つである自慢焼き。上田市民で食べたことがある人や知っているという人は結構な数がいると思います。それがいつからできて、どのように有名になったのかが気になったので調べようと思いました。
実際に自慢焼きを買ってみて写真をアップしたり、自慢焼きのルーツは何かを簡単にまとめたいと思います。
出来たら自慢焼きを実際に作っている映像をリアルタイムで配信しているサイトのURLも貼れたらいいと考えています。 | 2021-12-20 |
209 |  | 上田市の映画館 | 私は「上田市の映画館」を地域探求テーマにして探求していきたいと考えている。
なぜならば、情報通信文化論の授業中に触れた「上田市街明細図」に上田劇場や上田電機館などの施設が載っていたが、ネットで調べて見てもどのような歴史があったのか、どのような作品が上映されていたかが不明瞭だったため、調べて見たいと感じたからである。
このテーマを探求し、上記の上田劇場の他にどのような劇場があったのか、どのような作品が見られていたかのアウトプット化を行っていきたいと考えている。
調べ方については、上田市内の図書館へ赴き資料の閲覧を主に行い、現在も残っている施設に関しては、直接足を運ぶことも視野に入れて探求していきたい。 | 2021-12-20 |
210 |  | 柳町 | 上田城築城とともに作られた城下町であり、旧北国街道沿いの江戸時代のころからの面影が残る街並みになっています。現在ではお酒や味噌などのご当地名産品を扱っている店が多くあります。上田城から歩いて10分ほどの距離のため、お城への観光のついでに寄ってみるのもいいでしょう。 | 2021-12-17 |
211 |  | 山道の役割 | 色々な山道を通ってきてわかってきたことは、町から町へ通り抜けるための山道と、ドライブスポットとしての山道に分けられることだ。
通った道の例を挙げると、前者は鳥居峠や新地藏峠が当たる。しかし、新地藏峠に関しては真田町やそれより北の地域から長野市に行くときは近道になるが、上田市街地からなら街中を通った方が近道になる。
後者は、美ヶ原公園西内線・長野県道178号・ビーナスライン、記事には上げていないが室賀峠等が挙げられる。
平地の道路網が発達するにつれ、走りにくく時間のかかる峠道の使用率は減り、廃道化の進む道が出てくるのだろう。 | 2021-12-17 |
212 |  | 上田における交通の2大生命 | 上田における交通関係において車と電車って便利に動くなら欠かせないですよね。別所線が無くなったらものすごく困るみたいな人も多いんじゃないでしょうか。
これって欠かせないよねっていう要素がある状態の時、つまりそれを利用する人が割合で見ると多いんだと思います。
つまり、少なからずそれが何かしらの危機に陥ったとき「守ろう」という連帯感が生まれる根源になるとも言えます。
実際、鉄橋が被害を受けたとき(その時ここにはいなかったので現地がどうだったかは分かりませんが)、端から見てる分には重要な要素なんだなっていうのが伝わるぐらい連携しているように見えました。
血液というか血管というか、そういった循環器的な役割が確立されているとそこを中心に施策を考えたり出来る、つまりベースが定まっているので | 2021-12-15 |
213 |  | キャラクターがいると魅力的に感じる | 別所線のキャラクターの「北条まどか」さんってちゃんとストーリーがあるみたいですね。僕は最初見たとき、あんまり言い方は良くないと思うんですけど看板として使われてる存在なのかなって思いました。
でもちゃんと調べてみるとしっかり練られたストーリーと立ち位置があるみたいですね。
長いのでここでは割愛しますがウェブで見られる絵本的なものもあるみたいですよ。
さて、このようなキャラクターがいることでどのような効果があるか。一瞬は目をとめますよね。さらに、ちょっと調べてみようってなったらその地域資源についても触れるきっかけになりますよね。そうやって輪を広げていくための役割を担えるのがキャラクターだと思っています。
ただ、ちょっと残念だなと思ったのが物語に触れるきっかけがあんまし見当たら | 2021-12-15 |
214 |  | 「赤い鉄橋」 | 今回はあの別所線の上田から城下間を結ぶ「赤い鉄橋」について書いていこうかなと思っています。
僕の印象では別所線の区間の一部という認識では無く、もう独立した名所という印象を受けています。
そう印象づけた原因はついこの間まであの橋は使えない状態だったのに別所線は運行していたからな気がします
豪雨によって被害を受けてしまった橋ですが、別所線は交通における車に並ぶ人権といっても差し支えないと思います。その一部が通れなくなりましたがなんとか復活してココだけがピックアップされたような状態の時にこっちに僕は来たもんですから、それがファーストインプレッションとしてすり込まれたんでしょうね。
たまにアリオに行くんですが、時々橋の写真を撮ってる人を見かけるのでそこそこの人気もうかがえます。 | 2021-12-15 |
215 |  | 人が集まれる大きな施設 | 突然なんですけどサントミューゼってすごいいいですよね
なんでかっていうと、入学式だったりで人を大勢入れられるキャパシティがあるから。
僕も入学式と講義で何度かお邪魔させていただいたんですが、大ホールの他にスタジオだったり練習室だったりいくつも部屋があるんですよね
しかも美術館も併設されてるから何度行っても飽きることが無い場所ですよね
集まれる場所って、一体感が生まれたり、そこを中心に網が広げるみたいなことが出来る「拠点」的な役割を果たしてくれると私は考えているので、地域資源の中で実は「建造物」っていうカテゴリでくくるなら城とかよりも重要な位置づけにあるんじゃないのかなって最近は思ってますね。 | 2021-12-15 |
216 |  | 柳町屋 | 柳町にある、上田市の名産品を使った商品を開発・販売しているお店。人気商品は、上田産のリンゴ「真田REDアップル」を使用したアップルたまごタルト。パイ生地の味のがあまり強くなく、リンゴのおいしさを感じられるタルトです。 | 2021-12-03 |
217 |  | 「上田市の主な工業」はじめに | 本記事では上田市の工業の特徴を探るべく、上田市内の企業をいくつか取り上げたうえで、その傾向を考えていきます。
※掲載企業は「上田市に本社を持つ」「上田市に主力工業を置く企業」の中から投稿主の裁量で選択したものです。調べきれず掲載できない企業が多くありますが、これらの企業を主要ではないとして貶める意図はありませんので御了承ください。 | 2021-12-15 |
218 |  | 機械縫裁 | この写真は、海野町商店街にあるすや呉服店が所蔵する一枚である。
この写真の写る人々の服装から、このお店は裕福だったことが分かる。 | 2021-12-13 |
219 |  | ああ、感激の優勝旗(『西塩田時報』第204号(1940年10月31日)6頁) | この資料は、上田市営運動場という場所で行われた体育大会の様子を記している。上田市営運動場という場所を調べて見たがどの施設のことを指しているのかがハッキリしなかった。というのも、この運動会が開催された昭和15年(1940年)には上田城跡公園陸上競技場はあったが、当時から陸上競技場という名で呼ばれていたと思われるため(勝俣英吉郎の銅像に記されている碑文に陸上競技場と記されていることから)、運動場という名前で新聞に載せるかどうかが怪しいと判断したためである。この体育大会では現在も競技として残っている100M走や800Mリレーの他に、バトンの代わりに俵を用いたリレーや手榴弾投という現在にはあまり聞かない競技が記されている。
現在の新聞では大会が開催されたことを掲載する際は、結果しか載せないことが多い | 2021-12-13 |
220 |  | キモノマルシェ2015/信州シルクロードへの誘い |
キモノマルシェ2015/キモノアカデミー/信州の蚕糸を知ろう
「信州シルクロードへの誘い」
会場:旧常田館製糸場施設(重要文化財、長野県上田市)
2015/10/04
講師:前川道博(蚕都上田プロジェクト代表世話人)
内容:前半レクチャー、後半見学。国内に残る近代の製糸場は富岡製糸場とここ常田館製糸場の2つ。蚕種製造でも栄えた上田は蚕都と呼ばれた。女工さんたちが働いていた工場の情景も想像してみよう。 | 2021-11-29 |
221 |  | 保命水とは? | 柳町の路地にある水場。明治14年に付近にある海善寺の湧き水を木管を繋いで引いてきたもの。上田市に上下水道が開設される大正12年まで生活用水・非常用水として、地域住民や北国街道を往来する人々に多く利用されていた。利用されている時も、生活用水として使われなくなってからも、地域住民が価値を見出し、長年、維持してきたことが感じ取れた。 | 2021-11-22 |
222 |  | 神川・山本鼎の会の紹介 | 神川・山本鼎の会は平成29年2月に発足された会です。会員は95名ほどいます。
「山本鼎の偉業を顕彰し、氏の考えと人間愛を未来へとつなげる、次代を担う青少年が先輩達たちの知恵を学び、自主自立の精神を目覚めさせ、ひろく世界へ羽ばたくことを応援する」という目的で活動しています。
活動内容は「山本鼎とそれを支えた神川人、山本鼎の親族・友人・芸術家を現出する」「活動の起点となった日本農民美術研究所に記念碑を建立し長く未来に語り伝える」「関係上田市マップを作成配布し、人々の関心を再び高め、上田市のまちづくりにつなげてゆく」「自由大学の全容と遺産を上田市から広く発信する」です。 | 2021-11-22 |
223 |  | 地域キュレーション「上田探検」2021 | 信州上田学A(2021年度後学期)の地域キュレーション課題「上田探検」に取り組んだ学生たちのアウトカムをご紹介します。
- 上田とコンテンツツーリズム (りった)
上田の観光事業への取り組みを知り、よりよい策を考える。
- 別所温泉めぐり (あゆ)
別所温泉街を巡り、気になるスポットを撮影する。
- 塩田平をめぐる (オガサカ)
別所温泉がどのような場所であるのか、歴史的背景や、地理的な側面から見たい。
- 上田の歴史にふれる (崔)
昔の上田は何があって、何をしていたのかを探求し今後の活動に活かす。
| 2021-11-17 |
224 |  | 前山寺の三重塔 | 紅葉の季節真っ只中の秋の前山寺は、銀杏が見頃でした。
立派な門をくぐってすぐに目に入ったのは、前山寺の有名な「三重塔」でした。迫力があるのはもちろん、散る銀杏の葉と塔のコントラストが綺麗で、写真を撮りたくなりました。風が強い日だったので落ち葉も多かったのですが、銀杏の葉が黄色い絨毯のようになっており、境内が色づいていました。
三重塔は国の重要文化財にも指定され、元弘年中(一三三一年)讃岐国善通寺から来上した長秀上人により正法院を現在の位置に移し、前山寺を開山したと伝えられています。
前山寺のHP→ https://www.zensanji.info/ | 2021-11-17 |
225 |  | 前山寺のくるみおはぎ | 事前に電話での予約が必要ですが、前山寺では胡桃おはぎをいただくことができます。お寺は山を登ったところにあるので見晴らしが良く、座ったお座敷のガラス窓からは、しおだを一望することができ、おはぎに舌鼓を打ちつつ景色も楽しむことができます。餡子で包まれたものではなく、胡桃入りのタレを付けていただきます。軽い食感なので、飽きることなく食べられます。甘いものや和菓子が好きな人にぜひ食べてもらいたい一品です。 | 2021-11-17 |
226 |  | 日昌亭 | 上田市民のソウルフードと言ったら、「あんかけ焼きそば」。その「あんかけ焼きそば」を食べることが出来るのが、昔から地元の人たちに愛されている「日昌亭」である。
また、「日昌亭」には本店と支店があり、私は支店の方へ行った。お店の中に入ると内装はシンプルで、「静か」というのが第一印象であったが、メニューを選んでいるときや頼んだものを待っているときの厨房から聞こえてくる調理音。これがまた気分を落ち着かせるような感じでとても良かった。
本題の「あんかけ焼きそば」だが、あんかけたっぷり、野菜たっぷりで麺はとてもパリパリ。そして、麺は脂濃くなく、しっかりと焼かれているのがはっきりと分かった。
さらに、からし酢もお好みでかけることが出来て、かけるとガラッと味の印象が変わり、より一層美 | 2021-11-15 |
227 |  | 映画のワンシーンに出てきそう! | 上田市大手にある上田市新参町教会。赤色の尖がった屋根を持った白い木造の建物。上田の映画ロケ地がまとめられた本で知り、レトロな少し哀愁を感じるような見た目に惹かれて、実際に行ってみた。上田には映画のロケ地となった場所がたくさんある。ロケ地を巡ってみるのも上田の楽しみ方の1つかもしれない。 | 2021-11-15 |
228 |  | 上田城二の丸橋 | 上田の名所、上田城で真っ先に観光客を迎えるのがこの二の丸橋。下は遊歩道になっているためくぐり抜けることも可能です。
かつて下を電車が運行していたというこの橋。下から仰ぎ見ればその大きさ、歴史を体感できるでしょう。 | 2021-11-15 |
229 |  | 袋町 | 黄金沢川を後にした投稿主は、なんとなく川が流れていた記憶を頼りに歓楽街、袋町へ。とても小さな川なのですが、「蛭沢川」という名前がちゃんとありました!
そんな蛭沢川にかかる橋は写真上から大黒橋、弁天橋、棗(なつめ)橋、柳橋と、一つ一つ名前がつけられています。石垣風の橋の下の構造、お揃いの欄干のデザインがレトロを醸し出していました。 | 2021-11-15 |
230 |  | ありがとう、黄金沢川 | 黄金沢川にはたくさんの橋が架かっている…!
味を占めた投稿主はそのまましばらく下流に進んでいったのですが、数々の小さな橋に遭遇しました。名前の無い橋もこれだけ撮影できました。(撮影雑ですみません)
たくさんの情報提供、ありがとう。黄金沢川。 | 2021-11-15 |
231 |  | 太鼓橋 | さらに下流を目指していたところ、偶然見つけたのがこの太鼓橋!
大部分が木製であるこの小さな橋は、周りの紅葉する木々と相まって、美しく調和していました。
普段はあまり使われないような橋にも、こういったデザイン的なこだわり感じられるということに、この橋の設計や建設に携わった人たちの愛を感じました。 | 2021-11-15 |
232 |  | 「言葉」屋さん? | 上田市柳町にある本屋さん。古本を含め、店主のこだわりを感じる様々な本が並んでいた。絵本がたくさん置いてある印象だが、お客さんのほとんどは大人。「子どもの頃読んだな~」「もう一回読みたい!」そんな声が聞こえてきた。ここは、懐かしさという癒しと、とっておきの一冊に出会える本屋なのだろう。そして、思い出という過去と現在の自分、その本を楽しんでいた誰かとつないでくれる場所だ。 | 2021-11-15 |
233 |  | 松茸のピザ!? | 長野県上田市別所温泉のイタリア料理店「Capitolini(カピトリーノ)」。美味しい松茸グルメが食べられると評判のお店。看板メニューの松茸ピザは、独自の2層式石窯で焼き上げられていて、松茸の香りが存分に楽しめる。 スタッフのアットホームさも魅力の1つ。店主がレジ対応をしながら、お客さん1人1人に話しかけている様子が印象的だった。私が店を訪れた時、ちょうど混雑時で15分ほど待っていたのだが、そのお詫びにと食後に追加で松茸ごはんをサービスで出してくれた。もちろん絶品だった。 | 2021-11-15 |
234 |  | 珍しい自販機!? | いつもの学校への通り道にあって思わず撮っちゃいました
毎日通ってるのに気づかないコトってあるんですねー
この時は買わなかったんですが機会があるときに買ってみようかなと思います
けっこう数が減ってたりするんで人気なんですかね?
カードに使うんでしたら回復アイテムになりますかね~ | 2021-11-15 |
235 |  | 上田散策 | 上田駅から出発し、まずは上田市が推奨している上田駅周辺観光モデルコースを参考に上田を散策することにした。
観光モデルコースを参考にした理由は、上田市が観光客に何を見てもらいたいのかを知りたいと思ったからだ。
それを通して上田の魅力を客観的に見ることができるのが今回の探索の目的である。 | 2021-11-14 |
236 |  | 旅の終わりの足湯 | 今回の旅では約10km歩いた。久しぶりにここまで動いたため、とても疲れた。しかし、最後に足湯を堪能し、足の疲れが吹っ飛んだ気がした。温泉には浸かっていないため、今度訪れた際は温泉でも癒やされたいと思った。 | 2021-11-14 |
237 |  | 大星橋 | 黄金沢川に沿って下流へ進むと現れたのがこの大星橋。
この付近は二子塚古墳や大星神社など、歴史を感じる街並。少し錆びたこの橋も、趣を演出する要素の一部となっている。そう感じました。 | 2021-11-14 |
238 |  | 黄金沢大橋 | こちらも上田バイパスにかかる橋の一つ。
黄金(こがね)沢大橋という名前は、橋の下を流れる黄金沢川という河川から由来しているようです。
…黄金だった時代があったんだろうなぁ、と思わずしみじみ眺めてしまいました。 | 2021-11-14 |
239 |  | 別所神社 | 腹ごしらえをし、向かった先は別所神社。温泉街を歩いていて目に入ったので行ってみた。上り坂が急で大変だった。
こちらは昔から縁結び・子宝の御利益があると言われている。ご本殿はお堂の裏にあり、少し驚いた。
また、ここからは別所温泉の町並みと山、そして空を一望できる絶景スボットになっていた。幸いにも晴天に恵まれ、素晴らしい景色を堪能することができた。 | 2021-11-14 |
240 |  | ホッと一息~食事編~ | 食事は北向観音の参道にある橋本屋食堂さんでとった。とてもアットホームな雰囲気で、おばあちゃんの家に帰ったような感じに浸った。私はざるそばを頂いた。やはり信州と言うことで間違いの無いおいしさだった。
また、自然と暮らす喫茶 hanatokiさんにも立ち寄った。休業した店舗を借りて運営している。店名は、店主が花の咲く頃を意味する「花時」と「花と木」をかけて名付けたそうだ。雰囲気はおしゃれの一言。私は青木村のさつまいもを使用したチーズケーキを頂いた。非常に上品な甘さで、いくらでも食べられそうだった。
どちらもそれぞれ違った良い雰囲気であったため、別所温泉に訪れた際は是非、足を運んで欲しい。 | 2021-11-14 |
241 |  | 常楽寺 | 常楽寺は、先ほど紹介した北向観音をお護りする本坊。別所三楽寺(長楽・安楽・常楽)の一つとして建立された。また隣接する常楽寺美術館には寺宝や北向観音に奉納された絵馬等が収蔵・陳列されている。
本堂裏には、北向観世音様が出没したとされる石造多宝塔がある。こちらはとても神秘的な雰囲気且つ自然豊かな場用であり、どこかジブリのワンシーンを醸し出しているように思え、感動した。 | 2021-11-14 |
242 |  | 安楽寺・八角三重塔 | 黒門を抜けて向かったのは安楽寺、八角三重塔。ココでは主に国宝である八角三重塔を見てきた。
この塔は一見四重に見えるが、一番下の屋根がひさしに相当する「裳階(もこし)」にあたることから、裳階付き八角三重塔として認定された。
建築年代は明らかになっていないが、鎌倉時代末期が定説となっている。また、建築様式については、当時中国の最新技術であった唐様が用いられ、和洋の塔とは違った重厚な佇まいになっている。
下から見上げることで重厚感や塔の存在がより際立って見えた。秋に訪れたこともあり、紅葉とのコラボレーションが素晴らしく綺麗だった。 | 2021-11-14 |
243 |  | 北向観音 | 別所温泉駅に到着し、まず初めに訪れたのは北向観音。境内には樹齢1200年の「愛染桂」が立っており若者たちからは縁結びの霊木として親しまれている。また、こちらは昭和14年に長野県の天然記念物に指定された。
お堂はとても厳かな雰囲気に包まれていた。本堂が北を向いたものはほとんど例がなく、「北向観音」という名称はこれに由来するという。長野県で有名な善光寺が来世住生を願うのに対し、北向観音は現世利益を願うとされており、向き合っている両方をお詣りした方がいいと言われている。
またこのお堂の対角には、額堂と呼ばれる絵馬堂が建っており、現在は仁王像が建っていた。 | 2021-11-14 |
244 |  | 蛇沢大橋 | 上田特有の急坂を上って上田バイパスに出ると蛇沢大橋はあります。高架橋であるため、足が竦むような高さがあります。しかしその高さを活かした景色は長野の緑豊かさを満喫できます! | 2021-11-14 |
245 |  | 常田新橋 | 竣工平成11年の比較的新しい橋である常田新橋。なんといってもその特徴は、カラータイルが敷き詰められた非常に広い歩道。そして独特なモニュメント。
このモニュメント、展望台としての機能を持っているようなのですが…現在本当に上ってよいものなのかは不明です。もし興味がある方は安全のためにも、上田市に確認を取ってから上ってみるのをお勧めします! | 2021-11-13 |
246 |  | 千曲川橋梁(上田電鉄別所線) | 朱色の鉄橋。毎日のように別所線が通っている千曲川橋梁だ。令和元年度に長野県を襲った令和元年度東日本台風により一時は崩落の憂き目に遭ったものの、2021年に復活を果たした。この災害においては、まさに復興の象徴ともいえるのではないだろうか。 | 2021-11-13 |
247 |  | 上田橋 | 上田橋…?どこかで聞いたような。
そう、この橋、上田大橋と一文字違いの名前をしています。「大」があるかないかの差ですね。
上田大橋に名前負けしているようにも思えてしまいますが、上田橋は竣工昭和45年という上田市最古の橋という歴史が特徴!長寿橋としてこれからも頑張っていただきたいですね。
また、アリオや上田城に最も近いのもこの橋です。 | 2021-11-13 |
248 |  | 古舟橋 | 青いボディが特徴の古船橋。
真田カラーである赤色ではなく、敢えて青色なのは近くの上田橋(次項で紹介)と比較しやすくするためなのかな、と勝手な想像が膨らみました。 | 2021-11-13 |
249 |  | 上田大橋 | 上田大橋は「大橋」の名が表す通り、全長470mを超える上田市内有数の巨大な橋。さらに竣工が平成12年という比較的新しい橋でもあります。
(余談)写真の石碑に描かれている塔は何なのか疑問に思い調査してみたところ、その造りから上田別所温泉に存在する国宝の、安楽寺八角三重塔だと判断できました。 | 2021-11-13 |
250 |  | 対影橋 | 半過山口橋の近くに見えたので思わず撮影。
小さな橋ですが、薄緑色の欄干が目に優しい! | 2021-11-13 |
251 |  | 半過山口橋 | 半過山口橋は上田坂城バイパスを上田方面に降りていく橋です。
「上田 道と川の駅」を通ることもあり、交通量が多い重要な橋です。
また、長野県の天然記念物である半過岩鼻(写真左)、下塩尻岩鼻(写真右)が一望できるのも特徴です! | 2021-11-13 |
252 |  | 探索のねらい | このサイトでは、上田市街地に点在する橋に焦点を当てています。
私たちが普段生活している街の風景。橋というのは何気なくそれらに溶け込んでいると感じる。交通の要所として必要な大橋から、街の雰囲気に馴染んでいる小さな橋まで。敢えて目立たないそれらに注目するのは、新たな発見があり、面白いのではないだろうか。
そういったねらいをもって探索を行っていきます。
※本サイトが紹介しているのはほんの一部です。市街地周辺全ての橋を掲載しているわけではありませんので、御了承ください。 | 2021-11-13 |
253 |  | 川って見てると癒やさるよね? | こちらは千曲川の写真でーす!
朝・昼・夜と違う景色に見えて1個の川でも何個もあるような感覚になりますよね!
僕はちなみに夕方の顔が好きです。夕日が反射して柔らかくキラキラしてて美しいなと思います!
ここには写ってないんですけど赤い鉄橋もマッチしてるなーと思いました!
ここを使うのであれば敵陣との境目として配置すると面白いかなーと思います | 2021-11-13 |
254 |  | 池は見たこと無かったんだよなあ | こちらは長池の写真です!
佐渡って湖はあるんですけど池は無いのでどんなもんかなあって感じで見に行ったんですよ
なかなかキラキラしてて見応えあるなーとは思いました
こんな住宅街のど真ん中にあるのって景色としてはミスマッチじゃないんかなとか思ってたんですけどそんなことなく自然に一部としてちゃんと溶け込んでましたね
ここ眺めながらお茶飲みたいなあ
ここをカードに使うなら配置して敵の移動速度を遅くする地帯とか、雨の日には水かさが増してこの近辺が通れなくなるとかそんなオブジェクトですかね
だんだん形が見えてきた気がします | 2021-11-12 |
255 |  | 調べて出てこない場所でも名前があるところ以上の価値がある場所も存在する | 3つ連続で同じ時系列の投稿にはなるんですけどまたまたタタラ塚古墳に向かう途中の話です
ホントに特に何か施設があるわけでもなく民家しかない坂でした。上りがけっこうきつかったので自転車を降りて歩いて上っててさすがに疲れたなーと思って立ち止まりました。それでなんか予感がして後ろをふと振り返ったらこんな景色が広がってるじゃないですか!
こりゃ撮るしかねえなああ!
そんな感じで撮ったんですけどもう1週間早かったら真っ赤じゃなくてもうちょい色々な色のコントラストが広がってて惜しいことしたなーみたいな感じになったとはいえ、まあ綺麗ですよね
来年のリベンジに期待ですね!(リベンジすること多いな笑)
ここをゲームで使うとしたらイベントカードとして味方の士気を上げるみたいな感じで春夏秋冬バージョン | 2021-11-12 |
256 |  | 「長野県企業局」ってなあに? | こんにちわ!
先ほどの記事の続きになるんですが、常田新橋に抜けるときのお話です
自転車でつっーと走って向かっている時に柵でガチガチに囲まれているよく分からない施設があるじゃないですが
調べてみたところ県の施設でその中でも僕が見てきたやつは水道を管理する部署らしいですね
イメージキャラクターもいるみたいで名前は「すいじん様」(感じだと粋人様)
水滴に仙人みたいな顔と杖がついた可愛らしいキャラクターです
ここをゲームに使うとすれば資源提供みたいな感じでリソースの源にしてここから発展していくみたいなポジションに置こうかな? | 2021-11-12 |
257 |  | 上田に「古墳」!?!? | 先日千曲川の写真を撮ろうとして、いつもは143号線を通って行くんですがちょっと常田新橋に抜ける方に変えてみたんですよ。
それで一本道とはいえ方向音痴なもんでマップ見ながらじゃないと動けないんですね
そしたらなんか画面の端の方に移ってるじゃないですか
これは行くっきゃないなと思っていった訳ですよ
まあただ敷地内にありそこまでよくは見れなかったのですがご紹介だけ
名前は「タタラ塚古墳」
古墳時代後期に築かれた古墳と推定されています。上田悠生寮の敷地内にあるため近くではよくは見られなかったのですが案外外に出てる部分は小さいな~って思いました
写真も撮れていないので今回は無いのですがちゃんとアポを取り今度リベンジしたいと思います!
これをカードに使うのだとしたら後方支援として後ろに配置し | 2021-11-12 |
258 |  | 美ケ原高原美術館 | 今日の最終目標地点、美ヶ原高原美術館へ到着。
道の駅としても有名である。
気温は0℃。さむい。加えて体がもっていかれるほどの強風が吹いていて寒さが倍増。
ご飯を食べていこうと思っていたが、今年はもう終わりみたいで断念。
それでも上田を見下ろせる景色は綺麗で、心を奪われた。
暖かい時期などはドライブで寄る人も多く、車がある方は寄ってみるといいかもしれない。 | 2021-11-11 |
259 |  | 須川湖について | 上田市のほぼすべてのため池では釣りが禁止になっているため、ここ須川湖は人気の釣りスポットとなっています。釣れる魚はブラックバス・ブルーギルなどが主ですがあまり多くは釣ることができません。車を止められる場所もあり、かなり釣りはしやすいです。夜間の釣りは禁止となっているので注意が必要です。また釣り糸などのごみが多く、ここは水鳥も多く生息しているので各自でごみを持ち帰るなどして須川湖の浄化に努めましょう。 | 2021-11-10 |
260 |  | 上田の道路と環境の関わり | 上田駅から長野大学の道のりで道路と環境が関わることを探してみた。
1枚目の上田駅温泉口近くの写真は普段何気なく見る街路樹の写真である。街路樹には、景観を向上させるメリットや車の排気ガス・騒音などを緩和させる役割、更には夏の強い日差しを和らげるなど沿道の環境を良好に保つメリットがある。また、他にも街路樹があることで道の曲がり方などが分かりやすくなるため、ドライバーの視線誘導にも役立っているとのことである。
2枚目の写真は千曲川の両脇の土手沿いの写真である。土手(堤防)はこの場合川の氾濫を抑え込む役割であるが、その他にも交通渋滞の緩和を促す役割もあり渋滞緩和から排気ガスの充満も減少させることが出来る。
3枚目の写真は別所線の城下駅から赤坂上駅付近の道路の写真であり、電線の地中化が | 2021-11-15 |
261 |  | 上田の地域資源を見つけたい! | 初めまして!
信州上田学を受講している長田悠馬と申します!
簡単に自己紹介します!
僕は、新潟県の出身で地元地域で魅力を伝える活動をしていてその中でカードゲームを作っています。
具体的には、地域資源の特徴などをカードの効果に絡めて「遊べる」状態にして「知る」きっかけにしてもらおうという取り組みです!
せっかくここに来たんだしそれをこの上田の食べ物、生き物、文化を見てそれで遊んでいけたらいいなと思っています!
よろしくお願いします!
ちなみに画像は上田城で撮ったものです! | 2021-10-27 |
262 |  | 2020信州上田学Aふり返りまとめ | ▼全体まとめと成果
- 2020信州上田学A講義録(担当教員:前川道博)
- 信州上田学A2020⑭オンライン発表会記録 2020/07/29
- >信州上田学2020/学びの成果発表会(信州上田学A/B合同) 2021/01/24
▼上田市行政チャンネル
- >長野大学公開講座「信州上田学A」学生と市民の合同発表会 2020/07/29
- >信州上田学2020/学びの成果発表会(信州上田学A/B合同) 2021/01/24
▼学生受講生のマイサイト ニックネーム、テーマと内容は一致していないケースがあります。
- 上田の食
| 2021-10-06 |
263 |  | 飯沼神社 | 飯沼(上田市生田)に飯沼神社があります。神社は古くからある地域のコモンズです。境内には現在、飯沼公民館がります。またその近くには飯沼区の文書を保管する文庫蔵があります。 | 2021-09-19 |
264 |  | 蚕都上田探訪/飯沼郷蔵 | 郷蔵とは江戸時代、年貢米を貯蔵した倉庫です。飯沼(上田市生田)にあるこの郷蔵は教育委員会の説明板によると1729年に建てられ、その後度々の改修を経て現在に残っています。
この郷蔵からは幕末期、横浜からの生糸輸出を裏付ける大量の資料が発見されています。横浜開港資料館などが長年かけてその調査研究に当たってきました。驚くべき米倉庫です。我が国の生糸輸出や蚕糸業の歴史を紐解く数多くの文書がこのような倉庫に残っていたことも驚くべきことです。
この場所は飯沼の集落内にあり道は狭くわかりにくいので現地に行くには注意がいります。マップに位置を示しておきました。 | 2021-09-19 |
265 |  | 蚕都上田探訪/松田玄冲の墓と顕彰碑 | 横浜開港(1859年)と共に列強の貿易商を相手に生糸貿易を始めた中居屋(中居屋重兵衛)の番頭の筆頭が松田玄冲(まつだげんちゅう)です。上田市生田の飯沼の出身。松田玄冲の墓の前に中居屋重兵衛顕彰会、上田郷友会、群馬県嬬恋村の連名による顕彰碑が立っています。
どこにあるのかがわからず、中居屋重兵衛顕彰会の方に教えてもらってやっと目的地にたどり着くことができました。確かにこの場所、普通では全くわかりません。GoogleMapの位置情報でご確認ください。 | 2021-09-18 |
266 |  | 醋屋(すや)呉服店 | この写真は、海野町商店街にあるすや呉服店が所蔵する一枚である。
日本の伝統的な着物を身にまとい、まっすぐ立っている男性は、醋屋呉服店の主人の御遺族である。
瓦屋根の建物の入り口の上に「二五三番」と書かれている。これは住所を表示している。その上の提灯に書かれてる文字は濁って読めない。 | 2021-07-24 |
267 |  | 上田染谷丘高等学校 | この写真は、海野町商店街にあるすや呉服店が所蔵する一枚である。
明治34年「小県郡立上田高等女学校」として設立された。写真の建物が建てられたのは、現在の上田城跡公園の東側、清明小学校がある場所である。
明治42年には女子中等教育の充実を図るため、郡立から県立へ移管され、「長野県立上田高等女学校」と変更された。
大正 5年に校舎は、上田城近くの丸堀校舎から、上田町鍛冶町裏の新校舎へ移転となった。
現在の「上田染谷丘高等学校」になったのは、昭和 23年4月である。 | 2021-07-24 |
268 |  | 奉祝提灯行列 | この写真は、海野町商店街にあるすや呉服店が所蔵している一枚である。
「奉祝」と書かれた旗や提灯を掲げていることから、祝い事だということが分かる。また、真ん中に書かれている文字をよく見ると「銀婚式祀念」と書かれていることから、誰かの銀婚式を祝っているということも分かる。昔の祝い事には着物や浴衣を着ている人もいれば、スーツを着ている人もいて、今とあまり変わらない。 | 2021-07-24 |
269 |  | 旧上田市役所 | この写真は海野町商店街にあるすや呉服店が所蔵している一枚である。
写真には、旧上田市役所の全体が鮮明に映っている。建物の設計がシンメトリになっているので、バランスの良い安定した建物であると感じる。
この建物は、現在の上田商工会議所の場所に建っていた。 | 2021-07-24 |
270 |  | 温泉薬師瑠璃殿 | 現在の建物は文化6年(1809)、地元の人々によって再建されたもの。この地には、温泉の薬効でさまざまな病気を治すという温泉信仰が昔から根強く、「るり」は、薬師如来を「瑠璃光如来」とよぶことからきている。舞台の上からは、別所温泉の旅館街を見渡すことができる。 | 2021-07-23 |
271 |  | 愛染堂 | 現在の建物は明治15年(1882)に色川徳兵衛が建てたもので小規模ながら精緻な彫刻が施され格式のある造りです。愛染明王が祀られ、一般民衆は愛欲を無罪とし、それを糧として幸福を得ることが出来ると解釈し「恋愛・縁結び・家庭円満」を司る仏として信仰が広がりました。 | 2021-07-23 |
272 |  | 愛染カツラ | 樹齢1200年の老木で若い人からは縁結びの木と呼ばれています。天長の昔、常楽寺の火坑出現の観世音菩薩が影向した霊木といわれています。昭和14年6月5日、長野県の天然記念物に指定されました。見た目から長い月日が思い浮かぶほど貫禄があり、見るだけで自然と力をもらえます。 | 2021-07-23 |
273 |  | そば処 倉乃 | 上田市真田町渋沢標高1000mの霧下で、自家栽培、自家製粉したそば粉を、四阿山からの湧き水で打つ拘りの手打田舎そばのお店です。別所温泉の途中にあるのですが、別所温泉は上田市街地とは離れているため、目にする機会が少ないと思うので、投稿を通じて色んな人に知っていただけたらと思います。 | 2021-07-23 |
274 |  | 北向観音堂 | 北向観音堂は、平安時代初期の天長2年(825年)、比叡山延暦寺座主の慈覚大師円仁により開創された霊場。源平争乱の中で全焼したが、建長4年(1252年)塩田陸奥守北条国時により再興された。長い歴史があり、今の時代の幸せを願い極楽世界でも幸せがあるようにと建てられた。 | 2021-07-23 |
275 |  | 別所温泉駅 | 別所温泉駅は1921年(大正10年)に上田温泉電軌川西線の「別所駅」として開業したのが始まりで、1924年(大正13年)には「信濃別所駅」に改称、さらに1930年(昭和5年)になって「別所温泉駅」と改称された。レトロな見た目でかわいいので、写真映えします。 | 2021-07-23 |
276 |  | 上田の人物伝一覧(『上田市史』1940から) | 『上田市史・下巻(1940)』の「社寺古墳及人物誌/人物篇」をハイパーメディア化。(長野大学「マルチメディア論」2020/2021実習で分担作成)
人物01 真田昌幸 真田一徳斎幸隆の第三子、天文十六年生る。
人物02 真田信之 真田昌幸の嫡男、永禄九年生る。母は寒松院三修氏、幼名を源三郎と言ふ。
人物04 真田幸村 幸村は正幸の代二子、永禄十一年生ると云う。
人物05 仙石政俊 先の小諸城主後上田城主たりし仙石忠政の | 2021-07-21 |
277 |  | 人物02 真田信之 | 真田昌幸の嫡男、永禄九年生る。母は寒松院三修氏、幼名を源三郎と言ふ。天正十八年徳川家康の女小松姫を迎て室とす。文禄二年九月諸大夫に任じ、伊豆守と稱す。以下真田氏篇第三章にその事跡を載す。
『上田市史・下巻(1940)』1195頁を転載
(目次位置)
社寺古墳及人物誌
人物篇 | 2021-07-21 |
278 |  | 人物84 武七 | 常田村の人、屋根屋を業とし、父を六平といい(略)時に年五十一。
『上田市史・下巻(1940)』1299頁を転載
(目次位置)
社寺古墳及人物誌
人物篇 | 2021-07-20 |
279 |  | 人物59 八木与一郎 | 兼助の子、慶応三年九月十五日江戸麹町六番町の薩邸に生る。(略)
尚最近菅平生物研究所長たり。
『上田市史・下巻(1940)』1090、1091頁を転載
(目次位置)
社寺古墳及人物誌
人物篇 | 2021-07-20 |
280 |  | 人物47 世良田亮 | 安政五年を以て上田に生る。(略)明治十年米国留学を命ぜられ、同十四年卒業、後二ヶ年間欧州を歴遊し、同十六年帰朝し、海軍中尉に任ぜられ(略)、海上には彼の巨艦鎭遠等其功績に大なるものありき。(略)
『上田市史・下巻(1940)』1261頁を転載
(目次位置)
社寺古墳及人物誌
人物篇 | 2021-07-19 |
281 |  | 人物40 門倉伝次郎 | 上田藩士。文政三年八月二十六日生る。(略)
慢性腎臓炎に罹り、十月十八日逝く。年七十一
『上田市史・下巻(1940)』1238~1239頁を転載
(目次位置)
社寺古墳及人物誌
人物篇 | 2021-07-19 |
282 |  | 人物19 山田維則 | 維則は上田藩士。(略)
あすよりは春をむかふるいとなみに軒の松葉の雪や拂はん
『上田市史・下巻(1940)』1209~1210頁を転載
(目次位置)
社寺古墳及人物誌
人物篇 | 2021-07-19 |
283 |  | 人物15 安原龍淵 | 龍淵は通稱清介、名は邦憲、字は有文又右文。(略)
『上田市史・下巻(1940)』1207・1208頁を転載
(目次位置)
社寺古墳及人物誌
人物篇 | 2021-07-19 |
284 |  | 人物56 鈴木志津衛 | 父は旧上田藩士、幸蔵の次男。明治五年九月二十七日生る。
『上田市史・下巻(1940)』1269~1271頁を転載
社寺古墳及人物誌
人物篇 | 2021-07-19 |
285 |  | 人物05 仙石政俊 | 先の小諸城主後上田城主たりし仙石忠政の嫡男、元和三年七月小諸城に生る。(略)
猶領主篇参照のこと。
『上田市史・下巻(1940)』1012頁、1013頁、1014頁を転載
社寺古墳及人物誌
人物篇 | 2021-07-19 |
286 |  | 人物29 岡崎如毛 | 如毛は上田柳町の酒造家小堺屋五代目平助にして、名は知方。五窓緀、壱老人の別號あり。文政十三年四月十二日召す。行年六十八歳。(略)
『上田市史・下巻(1940)』1223頁を転載
(目次位置)
社寺古墳及人物誌
人物篇 | 2021-07-19 |
287 |  | 人物61 小菅武夫 | 小管訓導殉職記念碑(略)
『上田市史・下巻(1940)』1275頁を転載
(目次位置)
社寺古墳及人物誌
人物篇 | 2021-07-19 |
288 |  | 小島麦二 | 麦二は常田の人、通称は鍋屋久兵衛という。(略)
『上田市史・下巻(1940)』1040頁を転載
(目次位置)
社寺古墳及人物誌
人物篇 | 2021-07-19 |
289 |  | 人物91 よし女 | 常田村喜七の女なり。父の死後五年にして夫を迎へ別家せしが、夫病死せしかば本家なる親のもとに同居するに至れり。(略)
『上田市史・下巻(1940)』1303頁を転載 (目次位置) 社寺古墳及人物誌 人物篇 | 2021-07-19 |
290 |  | 人物50 新田義徳 | 新田左中將義貞二十二世の孫と稱す。(略)
尚碑文篇参照のこと。
『上田市史・下巻(1940)』1264頁を転載
(目次位置)
社寺古墳及人物誌
人物篇 | 2021-07-19 |
291 |  | 人物11 井上直元 | 直元は上田藩士。元俊の子。通称は四郎左衛門。字は仲泰、宜休又水風と号す。延宝5年6月生る。天性温潤、学を好む。風に伊藤仁斎に就きて学び、終身其説を奉ず。
『上田市史・下巻(1940)』1195頁を転載
(目次位置)
社寺古墳及人物誌
人物篇 | 2021-07-19 |
292 |  | 人物07 松平忠固 | 忠優は忠学の養子、實は潘磨国姫路城主酒井雅楽頭忠實の二男。安政四年九月忠固と改名す(略)
『上田市史・下巻(1940)』1198頁を転載
(目次位置)
社寺古墳及人物誌
人物篇 | 2021-07-19 |
293 |  | 人物18 糸賀希亮 | 希亮は上田藩士、通称は聘三。(以下略)
『上田市史・下巻(1940)』1209頁を転載
(目次位置)
社寺古墳及人物誌
人物篇 | 2021-07-19 |
294 |  | 人物85 七女 | 常田村小三朗の女なり、幼にして父母に仕う、年十三にして父を喪ひ母に養わる。(略)
時に年四十七。
『上田市史・下巻(1940)』1299頁、1300頁を転載
(目次位置)
社寺古墳及人物誌
人物篇 | 2021-07-19 |
295 |  | 人物09松平忠厚 | 忠厚、通称銀次郎。上田藩主松平伊賀守忠固の二男にして、嘉永四年八月二十四日江戸に生る。
『上田市史・下巻(1203)』1019頁を転載
(目次位地)
社寺古墳及人物誌
人物編 | 2021-07-19 |
296 |  | 人物43 服部元戴 | 上田藩士、義孚の二子。享和元年5月生る。名は義則、通称は半左衛門、元戴或は半斉と號す。(略)
『上田市史・下巻(1940)』1242頁を転載
(目次位置)
社寺古墳及人物誌
人物篇 | 2021-07-19 |
297 |  | 人物53 正力直太郎 | 安政三年十一月九日上田藩士正力六郎左衛門の長男として、上田市木町(当時鉄砲屋敷という)に生る。(略)
殊に信州教育界に対しては空に輝く明星として、永遠に不滅の光を放つべし。
『上田市史・下巻(1940)』1266、1267頁を転載
(目次位置)
社寺古墳及人物誌
人物篇 | 2021-07-19 |
298 |  | 人物06 松平忠周 | 松平忠晴の三男、幼名與十郎、寛文七年兄忠昭の養嗣となる、是父忠晴の願に依る。(略)
『上田市史・下巻(1940)』1198頁を転載
(目次位置)
社寺古墳及人物誌
人物篇 | 2021-07-19 |
299 |  | 人物26成澤寛経 | 弘の塾に学び、翌年昌平に入り、古賀茶渓に就く。(略)
『上田市史・下巻(1940)』1034頁、1035頁を転載
(目次位置)
社寺古墳及人物誌
人物篇 | 2021-07-19 |
300 |  | 人物25 瀧澤省吾 | 上田藩士。文政九年十一月十九日生る。(略)
『上田市史・下巻(1940)』1033頁を転載
(目次位置)
社寺古墳及人物誌
人物篇 | 2021-07-19 |
301 |  | 人物90 るい | 常田村兵九郎の女なり。(略)
常田村役所また其行為を記して之を郷閭に掲ぐ。
『上田市史・下巻(1940)』1302頁を転載
(目次位置)
社寺古墳及人物誌
人物篇 | 2021-07-19 |
302 |  | 人物08 松平忠明 | 忠明は上田城主松平氏の分知、更級郡鹽崎五千石の 領主である。(略)
法名は感應院殿前信州太守見譽利天騰運 大居士と云ふ。
『上田市史・下巻(1940)』1200頁、1201頁、1202頁、1203頁を転載
(目次位置)
社寺古墳及人物誌
人物篇 | 2021-07-19 |
303 |  | 人物57 宮本右次 | 慶応元年十一月九日埴科郡戸倉村に生る。(略)
『上田市史・下巻(1940)』1271頁、1272頁を転載
(目次位置)
社寺古墳及人物誌
人物篇 | 2021-07-19 |
304 |  | 人物39 丸山忠右衛門 | 房山村の人なり。性は丸山氏、世々相つぎて、(略)
~所以なり。
『上田市史・下巻(1940)』1239項を転載
(目次位置)
社寺古墳及人物誌
人物篇 | 2021-07-19 |
305 |  | 人物44 竹内八十吉 | 八十吉は國分村、上澤の人、萬蔵の子。文化十年生る。後常田新町柳澤榮三郎方へ同居す。年十一にして、中澤本次郎に就き彫刻を習う。
『上田市史・下巻(1940)』1242、1243頁を転載
(目次位置)
社寺古墳及人物誌
人物篇 | 2021-07-19 |
306 |  | 人物22 加藤勤 | 勤は維藩の子、通称彦五郎、字は士成、天山と号す。(略)詩文若干あり、明治十一年死す、年六十七。
『上田市史・下巻(1940)』1214・1215頁を転載
(目次位置)
社寺古墳及人物誌
人物篇 | 2021-07-18 |
307 |  | 人物28 成澤雲帯 | 雲帯は上田原町の呉服問屋、萬屋七郎左衛門が俳名なり。(略)
『上田市史・下巻(1940)』1222頁~1223頁を転載
(目次位置)
社寺古墳及人物誌
人物篇 | 2021-07-18 |
308 |  | 人物80 かん女 | 田町善助の娘なり。(略)
時に年三十五。
『上田市史・下巻(1940)』1296頁を転載
(目次位置)
社寺古墳及人物誌
人物篇 | 2021-07-18 |
309 |  | 人物94 のぶ | のぶは上田領分福田圓四郎の娘、文化二年十五歳の時、上田原町豆腐屋德石衛門に引取られ、其忰に娶はされた。
『上田市史・下巻(1940)』1304頁、1305頁を転載
(目次位置)
社寺古墳及人物誌
人物篇 | 2021-07-17 |
310 |  | 人物46 伊藤久右衛門 | 天保十年十一月上田町の丸山家に生まれ、(略)
~同僚たりし渡邊國武の書なり。
『上田市史・下巻(1940)』1260頁、1261頁を転載
(目次位置)
社寺古墳及人物誌
人物篇 | 2021-07-17 |
311 |  | 人物88 くさ女 | 房山村博助の女なり。 昭和四年四歳にして野武村の四郎兵衛の養女となる。 明年四郎兵衛死し養母の手に育てられる。 『上田市史・下巻(1940)』1301頁を転載 (目次位置) 社寺古墳及人物誌 人物篇 | 2021-07-17 |
312 |  | 人物65 勝俣英吉郎 | 慶應元年三月十八日上田藩御殿医勝保家に生る。(略)
~やみのゝむらかはき
『上田市史・下巻(1940)』1282頁、1283頁を転載
(目次位置)
社寺古墳及人物誌
人物篇 | 2021-07-16 |
313 |  | 信州が蚕糸王国ってホント? ポスト蚕糸業(産業)の視点から | 信州が蚕糸王国ってホント? ポスト蚕糸業(産業)の視点から(講演採録全文)
講師:前川道博(長野大学企業情報学部教授)
▼元の講演はコチラ
https://youtu.be/yS-xdWDMTwE?t=2779
信州学「信州の蚕糸業とシルクロード」講座 第2回
2016年10月6日/まちなかキャンパスうえだ
【1】蚕糸業って何? 蚕種製造、養蚕、製糸
■そもそも蚕糸業とは?
今回、この講座は、多くの方に、後からも学習していただけるように、ということで、オンデマンド配信することを想定していますので、全く初めての方がこれを見ると「えっ? 蚕糸業って何?」、そういう基本的な疑問ですね。これを最初の方は誰もわからないわけです。その辺のところも含めてお話をさせていただきたいと思います。
 | 2021-07-15 |
314 |  | 人物36 勝俣守謙 | 守謙は上田藩士。(略)
門下に掛山勘右衛門、木村盛珍あらはる。
『上田市史・下巻』2/2(1940年)1236頁
人物誌 | 2021-07-14 |
315 |  | 人物33 田毎月丸 | 上田藩士、平野六左衛門の子にして、天文六年三月上田鎌原口に生る。(略)
~後評者と仰がれたり。
『上田市史・下巻(1940)』1044~1048頁を転載
(目次位置)
社寺古墳及人物誌
人物篇 | 2021-07-14 |
316 |  | 人物87 宇平次 | 宇平次は、佐七の子にして世々商を営み、始め房山村に居りしが後柳村に就舎す。(略)以下に続きしに事跡を載す。
『上田市史・下巻(1940)』1301頁を転載
(目次位置)
社寺古墳及人物誌
人物篇 | 2021-07-14 |
317 |  | 人物52 久米由太郎 | 嘉永五年二月二十四日江戸小石川小日向新坂に生る。(略)
稀に見る盛儀なりき。
『上田市史・下巻(1940)』1265頁を転載
(目次位置)
社寺古墳及人物誌
人物篇 | 2021-07-14 |
318 |  | 人物68 飯島保作 | 文久三年九月二十一日市内横町佐兵衛氏の長男として生る。(略)
昭和六年六十三銀行と合併し八十二銀行(資本金壱千五百萬)圓を創立して、其頭取となり、前途尚氏の手腕と要する多々ある際に於て、病に冒され昭和六年七月廿六日、遂に逝去せしは惜むべき事なりき。(略)
『上田市史・下巻(1940)』1286、1287、1288貢を転載
(目次位置)
社寺古墳及人物誌
人物誌 | 2021-07-14 |
319 |  | 人物21 山口毅 | 上田藩士。通称は平太郎字は子強、玄山と号す。(略)
明治五年死す。年五十六。
『上田市史・下巻(1940)』1030頁を転載
(目次位置)
社寺古墳及人物誌
人物篇 | 2021-07-14 |
320 |  | 人物33 田毎月丸 | 上田藩士、平野六左衛門の子にして、天文六年三月上田鎌原口に生る。(略)
~後評者と仰がれたり。
『上田市史・下巻(1940)』1044~1048頁を転載
(目次位置)
社寺古墳及人物誌
人物篇 | 2021-07-14 |
321 |  | 人物16 林希言 | 希言は上田藩士。道信(原泉)の孫。初名道理、字は有中又士寛、金渓と号す。兄弟五人希言は其長なり。(以下略)
『上田市史・下巻(1940)』1208・1209頁を転載
(目次位置)
社寺古墳及人物誌
人物篇 | 2021-07-14 |
322 |  | 人物41 竹内善吾 | 山田村竹内友吉の二男。
上田に来てからは小諸などの場所で従学した。
開地改めや算数の才を様々なところで発揮した。
『上田市史・下巻(1940)』1055~1058頁を転載
(目次位置)
社寺古墳及人物誌
人物篇 | 2021-07-14 |
323 |  | 人物10 河瀬運甕 | 名は義胤。通稱は丈右衛門、字は貞郷、運甕又蓬州と號す。上田藩士。(略)
河瀬丈右衛門義胤之墓と刻す。
『上田市史・下巻(1940)』1198・1199頁を転載
(目次位置)
社寺古墳及人物誌
人物篇 | 2021-07-14 |
324 |  | 人物12 林道信 | 道信は上田藩士。通称は四郎兵衛。
原泉、また有隣と號す。(略)
『上田市史・下巻(1940)』1205頁を転載
(目次位置)
社寺古墳及人物誌
人物篇 | 2021-07-14 |
325 |  | 海野町商店街の歴史探求 | | 2021-07-05 |
326 |  | 醋屋本チラシ | この写真は、海野町商店街にあるすや呉服店が所蔵しているチラシである。
明治23年11月信州上田海野町のチラシで、醋屋呉服店の広告が掲載されているほか、干支や節分・お彼岸などの行事が書かれている。
現在とは全く異なったチラシに価値を感じる。 | 2021-07-04 |
327 |  | カメラの梅花堂 | 一枚目は、戦前に撮影されたカメラの梅花堂の写真である。夜間照明を行っていたころで、ゑびす講の日に撮影された。
二枚目は、現在のカメラの梅花堂の写真である。今と昔で変わらず、同じ場所で営業を継続している。 | 2021-07-03 |
328 |  | あさつゆ海野町店 | 海野町コミュニティショップ「CoReeeWaコレイーワ」にて、あさつゆ海野町店がオープンした。
この日は、多くの人々が新鮮な野菜やお花、お惣菜などの加工品を求めてこの店に訪れていた。
毎週火曜日・金曜日の午前10時から正午に営業している。 | 2021-07-03 |
329 |  | 二十三夜尊(上田市下和子) | 鹿教湯へ向かう県道沿い東内に「二十三夜」と刻まれた月待塔をがあります。下和子自治会で設置した「二十三夜尊」という説明板が建てられています。 | 2021-07-02 |
330 |  | 社寺明細帳(1880/明治13年 上田町) | 上田市公文書館所蔵
社寺明細帳(1880/明治13年 上田町)
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▼上田市公文書館資料情報
社寺明細帳
しゃじめいさいちょう
請求番号 01-M13-01-5 | 2021-06-28 |
331 |  | 長野県管下信濃国小県郡常磐城村 村社(1884/明治17年 上田町) | 上田市公文書館所蔵
長野県管下信濃国小県郡常磐城村 村社(1884/明治17年 上田町)
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▼上田市公文書館資料情 | 2021-06-28 |
332 |  | 常磐城村氏神替届(1882/明治15年 上田町) | 上田市公文書館所蔵
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▼上田市公文書館資料情報
常磐城村氏神替届
ときわぎむらうじがみかえとどけ
請求番号 01-M15-01-563
文書の | 2021-06-28 |
333 |  | 山本鼎と神川小学校児童の自由画 | 上田市マルチメディア情報センターのHPから、山本鼎と児童の作品を閲覧しました。神川小学校の児童の作品660作品が載っていて数の多さに驚きました。自分の目で見て感じ取ったものを描くことが大切という「児童自由画教育」を提唱した山本鼎により、同じ家を描いていても児童によって白黒の絵であったりカラフルな絵であったり角度が違ったりと、児童が自由に描いている様子が見て分かりました。お手本の絵をまねする必要はなく、自分の思ったように描けば良いということが山本鼎が伝えたい思いなのかなと私は感じました。 | 2021-06-20 |
334 |  | 上田市立博物館での収蔵品撮影 | カメラにポラのフィルムバックを装着して最終確認を行います。ポラロイドカメラの写真と同じで時間とともに絵が現れるようです。撮影されたポジフィルムはドラムスキャナーで取り込まれ、データになります。 | 2021-06-20 |
335 |  | 上田市立博物館での収蔵品撮影 | 上田市立博物館のサイトでデジタルアーカイブの作り方が公開されていたのでそちらを拝見しました。普段は写真のようにガラスケースに展示されていますが、収蔵品が多いことや持ち運ぶ際に破損・紛失する恐れがあることなどを考え、展示室にスタジオを作り撮影を行ったことが分かりました。 | 2021-06-20 |
336 |  | デジタル化に向けた公文書の撮影 | 先日、自分のスマホと西部公民館に保管してある一眼レフで閲覧申請した資料の撮影を行いました。スマホでの撮影はもちろん簡単なのですが、それに比べ一眼レフでの撮影は、スタンドを用いながらピントや上下左右のバランスを整えながら行わなければいけないため、準備も含め思っていたより大変でした。しかし、スタンドを使えば一眼レフの方が断然スマホよりも安定して撮れるため、今回のような資料を撮影する上ではスマホよりも一眼レフの方が良いということが分かりました。 | 2021-06-14 |
337 |  | 醋屋藤金物店 | 海野町商店街にある醋屋呉服店が所蔵している写真の一枚である。
この写真の店舗は、現在の海野町商店街にはない醋屋藤金物店である。昔は醋屋という名前の店舗はいくつかあった。しかし、今は醋屋(すや)呉服店のみとなっている。
一般的に金物店では、「鍋・釜」類、「利器・工具」、「建築金物」「家具金物」などの種類に分類されるが、どのようなものが販売されていたのか興味がある。 | 2021-06-11 |
338 |  | 雨の日の海野町商店街 | 雨の日の海野町商店街は人の気配がなく静かだった。
気候に関わらず、賑わう商店街になって欲しい。 | 2021-06-11 |
339 |  | すや呉服店 | 醋屋(すや)呉服店は海野町商店街で創業130年を超えた老舗である。現在は、年配向きの呉服やジャケット、ブラウス等を販売している。
呉服店の店主とその家族が大事にしている昔の写真を見せていただいた。白黒の写真であったが、上田市の風景や代々のご先祖様の写真は迫力があり、とても貴重な物だった。 | 2021-06-06 |
340 |  | 上田市公文書館 閲覧申込み資料 | 上田市目録検索システムを使い、今回は3つの資料の申請し閲覧しました。掲載するには申請する必要があるため、今回はまだ掲載することができませんが、今後掲載する予定です。 | 2021-06-02 |
341 |  | 2021プロジェクト研究活動計画 | | 2021-05-26 |
342 |  | 公文書館展示 上田町から上田市へ | 上田市公文書館を訪れた際に、公文書館展示ということで、「上田町から上田市へ~明治22年の上田町誕生から大正・昭和(戦前)までの歩み~」というタイトルで、写真パネルや原本資料、上田町が誕生した時の文書などが展示されていました。これらを見て、私はまず上田市が誕生する前は上田町であったことを初めて知りました。地元民であるにもかかわらず、やはりまだ知らないことがたくさんあったと思うと、とてもいい機会になりました。そして、その当時に書かれた文書なども置いてあり、今となってはとても貴重なものであると改めて感じました。そして、このような貴重な資料があることをまずはもっと地元の人に知ってもらいたいとも感じました。 | 2021-05-25 |
343 |  | 上田市公文書館 | 先日初めて上田市公文書館に行ってきました。この建物の存在自体は知っていましたが、なかなか行く機会がなく、今回初めて訪れてみたのですが、やはり場所もとても分かりづらいがために、地元の方にもほとんど知られていないようで、それがとてももったいないように感じました。この建物には、明治時代に作成された公文書などが保管されており、閲覧するには申し込みが必要なのですが、現代にとってはとても貴重な資料がたくさん保管されているため、上田のことを知るにあたり、特に地元の方には知っていて欲しい場所であると私は感じました。 | 2021-05-25 |
344 |  | 上田市新庁舎 | 令和2年12月の現場状況
→連結棟の建設が急ピッチで進められています。
また、3月の竣工に向け内装工事も終盤を迎えています。
令和元年9月から工事を進めていました新本庁舎の建設工事が完了しました。 | 2021-05-16 |
345 |  | 美ヶ原高原 | 上田市、松本市、小県群長和町にまたがる高原。
行き方は車でいくのが妥当。原付では割と疲れると思います。標高約2000mもあり、辺り一面を見回すことが出来ます。晴れていれば富士山も見えるらしいです。
ここで買うことが出来るソフトクリームはとてもおいしいです。テラスで景色を見ながら食べることが出来るのでカップルにもおすすめです。
ドライブもおすすめでくねくねした道は走り甲斐があると思います。 | 2021-05-14 |
346 |  | からあげセンター | 上田駅の一階にあるからあげ定食メインの定食屋です。
からあげだけでなく、飲み会用のメニュー(予約制)やカレー、ラーメンもあります。
からあげも様々なバリエーションがあり、気分に合ったからあげを食べることが出来ます。
量が多いので学生の味方です。
個人的にはからあげ定食大が満足度高いです。
思ったより脂っこくないのでヘルシーな気がします。 | 2021-05-14 |
347 |  | 味楽亭 | 寺下駅から徒歩5分程度の距離にあるとんかつメインの定食屋です。
ダイナミックなカツには驚きと食欲をかき立てるには十分です。
衣サクサクで中はジューシー、この言葉がよく似合う店です。
個人的にはヒレ、ロースの定食とからあげ定食がとてもおすすめです。 | 2021-05-14 |
348 |  | かめや | 神畑駅から2,3分の距離にある定食屋です。
メニューとしては揚げ物や麺類、丼物がメインで
ヒレカツ定食とカツ丼が個人的におすすめです。
店の雰囲気が良く、アットホームで居心地がとても良いです。
コスパも良く学生の見方だと思います。 | 2021-05-14 |
349 |  | 地域学講座②地域の資料探しと成果物のネット展示 | (1)探求テーマに沿った資料探し 12分
講師:前川道博(長野大学企業情報学部教授)
講座資料(PDF)
(2)それぞれの探求テーマとQ&A 48分
受講者の皆さん+講師
(3)キュレーション成果のネット公開
講師:前川道博(長野大学企業情報学部教授)
※動画記録は後日公開します。
講座資料(PDF) | 2021-05-10 |
350 |  | 下半過 大慈(いつくしみ)の湯 | 下半過 大慈(いつくしみ)の湯は上田-坂城バイパスから旧道へ抜け、下半過の農道を進むと見えてくる鉱泉湧出です。
この湯は、観世音菩薩藩の大慈大の誓いが世に現れたものとされ、近隣住民などからは大慈の湯、ないし下湯と呼ばれています。
泉温が1999年時点では24.8℃、pH7.2、蒸発残留物量は0.2g程度の冷鉱泉です。
総硫黄としては硫黄泉の定義には足りていませんが、源泉周囲では硫化水素があり、非常に薄い硫黄泉であるとも考えられます。
2020年春ごろまでは源泉付近に案内板が建てられ、温泉スタンドとして観光客や遠方の人々に開放されていましたが、2020年の夏~冬ごろに発生した土砂崩れの影響で源泉の湧出が停止し、看板も撤去され実質的に廃湯となっているようです。
近辺にあるびんぐし湯さん館とは泉質が近いようです | 2021-05-07 |
351 |  | ひっそり公園3 | 時間 18時
天候 晴れ
馬場町にある公園です。隣には川が流れており、建物の間にひっそりとありました。ここも遊具は少ないですが、小学生が帰りに寄ったりしていました。学校終わりに友達と過ごす家に到着する前の時間は大人になってからもかけがえのないものです。 | 2021-05-06 |
352 |  | 上田市 商店街 | 長野県上田市 大手通り 朝の商店街です。
素晴らしい青空ですが、人はいません。 | 2021-05-06 |
353 |  | 上田城跡公園 遊歩道 | 2021年5月5日
上田公園の遊歩道です。 | 2021-05-06 |
354 |  | ひっそり公園2 | 時間 18時
天候 曇り
上田のイオン近くの公園です。比較的ひっそりとしている公園の中では大きな場所です。木陰が多く、とても静かで落ち着いています。座る場所などを置けば自然と人が集まる空間になるのではないでしょうか。 | 2021-05-06 |
355 |  | 千曲公園 | 鼻岩の上にある千曲公園の景色です。 | 2021-05-06 |
356 |  | 岩鼻 | 道と河の駅の横にある。岩肌が削れ、鼻の穴のようになっている。 | 2021-05-06 |
357 |  | 上田市のネット広報 | 上田市の取り組みにハッシュタグを利用した
広報などを行っていた。 | 2021-05-06 |
358 |  | 須々貴山神社 | 階段が507段ありました。 | 2021-05-06 |
359 |  | 最寄り駅 | 工事してましたが、GWだけ開通してました | 2021-05-06 |
360 |  | 上田城跡公園 さくら | 2021年の桜です。
ライトアップされており、とても綺麗です。 | 2021-05-06 |
361 |  | 上田市ホームページ | 上田市シティプロモーションのホームページ。
パンフレットなども様々な年齢層に向けて作られている
と感じた。 | 2021-05-06 |
362 |  | 半過古墳群 | 縄文、弥生、平安時代のものが見つかっているそうです。 | 2021-05-06 |
363 |  | 上田市パンフレット | 観光案内所に伺って上田市のパンフレットをいただいた。
真田関連のものに偏っているものが多くあった。 | 2021-05-06 |
364 |  | 柳の湯 | 上田市の銭湯。湯温が高い。 | 2021-05-06 |
365 |  | 樋之詰(とよのつめ) | 別所温泉石湯から森林公園へ至る道の最中に突如として現れる野湯(?)。
これは正式名称を樋之詰(とよのつめ)と言い、湯川をボーリングした源泉をポンプによって揚湯し、近隣住民の生活用水として供しているもののようです。
水温はおよそ20.4℃、pHは8.95。泉質はほかの別所温泉群と同じく、単純硫黄泉と思われます。
民家の真横という立地も相まって浴びたり入ったりはまず不可能。
開湯時期は不明。
別所温泉の歴史は古く、その多くの期間を源泉の自然湧出のみで乗り越えてきました。
しかし、別所温泉源泉の湧出量は年々減少し、それに対する策として昭和30年頃からボーリングによる掘削が行われました。樋之詰もその開発の一環で開発されたものだと思われます。 | 2021-05-06 |
366 |  | soin cafe(ソワンカフェ) | 上田市にあるカフェです。白を基調とした外観に、シンプルだけどオシャレで落ち着く雰囲気の店内でした。写真は蕎麦粉で作られたガレットです。ガレットの表面のパリッと、中心はモチモチとした食感と、新鮮でシャキシャキな野菜を楽しめる一品でした。料理のメニューだけでなくドリンクの種類も豊富なので迷ってしまいます。 | 2021-05-06 |
367 |  | ドリームプラザ | ここはちょっとした買い物や食事ができる場所である。
お土産などが買えるため観光客も訪れる場所だ。
また清水が舞台であるちびまる子ちゃんの施設が中にあり小さな子には人気である。
上田市とはアニメの舞台が一緒という共通点があり、少し興味深いと感じた。 | 2021-05-05 |
368 |  | cafe and bal LIFE | 2019年4月にオープンしたばかりのお店。パスタやピザなどのイタリア料理を中心にメニューが豊富。デザートのスイーツもおすすめ。リーズナブルで店内もとてもおしゃれなのでぜひ行って欲しい。 | 2021-05-05 |
369 |  | 熱烈ホルモンぶぅ | 上田駅すぐそばにある焼肉屋さん。
表にかかっている看板は部位の名前らしいが、オッパイは本当に牛の乳房の部位らしい。
ホルモン好きは是非訪れたい場所。 | 2021-05-05 |
370 |  | 地元の商店街 | これは地元の清水区にある商店街のイベントの様子である。
ここでは、七夕祭りや仮装の祭りなどが行われることがある。普段は地元の人通りしかないが、イベント時にはたくさんの人が訪れる。
上田市にもこのようなイベントがあるのだろうか。 | 2021-05-05 |
371 |  | 甘味処 雪屋Conco | お城口天神通にあるかき氷をメインとして扱っているお店。
パンケーキやドリンクメニューもあり、駅にも近いので時間があるときに立ち寄りたい場所。
一休みするのにベストな古民家風カフェでゆっくり過ごせる。 | 2021-05-05 |
372 |  | やまざきや | 昭和31年創業の和菓子屋。代表的な商品はおやき。でも私のおすすめは店頭販売限定のお団子。とにかくおいしい。小さいお店だが、お店の前を通るといちも人が並んでいる。子どもの日やひな祭りの時期になると特に混んでいる。 | 2021-05-05 |
373 |  | cafe and bal LIFE | 上田市赤坂付近にあるバル。
普通の家のような外観だが中はおしゃれなバルで安くておいしい料理を提供している。
昼はカフェ、夜はバルとして楽しめる。 | 2021-05-05 |
374 |  | DARUMAN street foods | 上田駅付近、大手通りにあるリラックスできる雰囲気のダイニングバー。
カクテルのメニューが豊富だったので、20歳になったら是非訪れたい場所。 | 2021-05-05 |
375 |  | EMPIRE 上田店 | 上田駅付近にある、ニューヨークスタイルのイタリアンをメインに提供しているお店。
5人掛けのボックス席は仕切りも高く個室のように感じられゆっくり食事を楽しめる。
フードだけでなくドリンクも充実しており特にワインのメニューが豊富。
上田市とは思えないほどおしゃれな雰囲気である。 | 2021-05-05 |
376 |  | 柳町 | 北国街道沿いの家並みが残る通り。現在では信州上田の魅力的な名物・銘品を扱う店舗が並ぶ、江戸時代の面影を残した上田城下の商い処。昔ながらの街並みがとてもいい雰囲気を醸し出している。写真ではなかなか伝わらないので実際に行ってみることがおすすめ。 | 2021-05-05 |
377 |  | 呈蓮寺 | 浄土宗のお寺。もともとは太郎山のふもと付近にあったが、参詣者に不便な地ということから1433年に現在地に移転した。
車での移動では見つけられないような大通りから離れたところにあった。この周辺を歩いてこそ見つけることのできた場所。緑が多く風が気持ちいい。大通りから離れた場所にあるため静かでとても落ち着く。 | 2021-05-05 |
378 |  | 長野県営上田野球場 | 上田古戦場公園内にある野球場。
アマチュアからプロ、社会人と多くの野球人が利用している。
グラウンド、電光掲示板、観客席ともに整っており、選手や観客にとって上田市内では最高の野球場とプレイヤーである私も感じています。 | 2021-05-05 |
379 |  | 上田大神宮 | 明治19年に伊勢皇太神宮と同じ神明造りで3分の1の規模の社殿の建立が計画され、明治24年に柳町大神宮として鎮座した。
大通りに面した場所に本格的な神宮があるので景観としては少しミスマッチな感じがする。でも大きな神社なのでお参りをするにはよさそう。 | 2021-05-05 |
380 |  | エンパイア | 上田駅から徒歩約10分のおしゃれな雰囲気のお店。リラックスのできる店内、店員さんも気さくで料理を楽しめる。次は是非ピザを食べてみたい。 | 2021-05-05 |
381 |  | 上田城跡公園野球場 | 上田城跡のすぐ横にある野球場である。
通称は上田市営球場。
2008年に公開した映画「ラストゲーム 最後の早慶戦」のロケ地にもなった。
上田城跡公園のすぐ横に位置していることもあり、野球の試合があるときは多くの市民が観戦しています。(公開試合の場合) | 2021-05-05 |
382 |  | モンテリア | 大学前駅から徒歩約10分の場所にある、豊上製菓の直営店。ジェラートやバームクーヘンが売られている。種類も様々でボリューム満点のジェラートは是非食べていただきたい。 | 2021-05-05 |
383 |  | ニコニコ亭 | 大学前駅から徒歩約5分の場所にあるレストラン。昭和レトロで落ち着く雰囲気。メニューも豊富。平日日替わりランチもある。 | 2021-05-05 |
384 |  | 生島足島神社 | 上田市下之郷にある神社。赤を基調としている建物が多かった。大きな池もあり、静かな雰囲気だったが、お正月には多くの参拝客で賑わう。 | 2021-05-05 |
385 |  | 太郎山山頂 | 標高1,164.3mの太郎山山頂は広い草地になっており、上田市の全貌を見ることが出来ます。マスクをしたお地蔵さんが立っており、上田市を見守っています。
なじみのある施設や建物を見つける事が出来るとテンションが上がります。
自然豊かでとてもいい山なので、皆さんも是非登ってみてください。 | 2021-05-05 |
386 |  | ひっそり公園1 | 時間 18時
天候 曇り
ここはツルヤ上田中央店の奥にあるひっそりとした公園です。決して広くはなく、また遊具も多くはありません。ですが、こどもたちが遊べる空間である公園、若者からお年寄りが集まれる公園はとても良いものです。屋外に気軽に集まれるそんな空間がこれからも使われて残されていくことを願っています。 | 2021-05-05 |
387 |  | 思い出のベンチ | 時間 18時
天気 曇り
なかなか気づかないものではありますが、上田にはベンチがいたるところにあります。ここは私が中学生のときによく友達と帰り道にだべっていた場所です。一見なんでもない、この空間はだれかにとっては思い出の場所だったりします。どうかこういう場所がこの先も残ってほしいですね。 | 2021-05-05 |
388 |  | ミルキーウェイ | 神畑駅から徒歩一分圏内にある日本式洋食レストラン。
すべての料理に共通しているのが、量の多さである。
値段も基本安いのでコストパフォーマンスが非常に高い。
また、昼と夜どちらも営業しているのでいつでも通うことが出来る。
※写真はチキンカツ定食(確か) | 2021-05-05 |
389 |  | 上田市で夜景を見るならここ | 玄蕃山の見晴らしの丘です。ここは上田市の中央を一望できるスポットです。夜景はここが1番綺麗に見える所だと個人的に思います。 | 2021-05-05 |
390 |  | 隠れた古民家風店舗 | 時間 16時
天候 晴れ
上田駅前一帯は比較的お店も多く発展している地域ですが、その中でも古民家のような雰囲気のある建物があることに驚きました。先輩がお店で働いているらしくいつかは訪れたいお店のひとつです。 | 2021-05-05 |
391 |  | わたしの海野町商店街 | 時間 16時
天候 晴れ
私が19年間過ごした商店街です。外見も人も変わりつつありますが、私の愛する地元の街であることにはかわりありません。いまでも素晴らしいお店がたくさんあるのでみなさんぜひ一度はいらしてください。 | 2021-05-05 |
392 |  | 七苦難地蔵尊堂 | 別所温泉駅から北向観音境内に向かう道の途中にある立派な地蔵尊堂。
北向観音の別当である安楽寺の地蔵尊をこの場所に設置し七苦難地蔵尊として祀ってある。
地蔵尊堂でこれほど立派なものは見た事がなく驚いた。
地蔵尊堂にはたくさんの名札が貼られていた。
お供え物もしてあり、別所温泉の地域の人々に大切に、愛されていることがわかる。 | 2021-05-05 |
393 |  | 太郎山神社 | 太郎山神社は登山道の山頂付近にある神社です。
本殿は明治6年に再建され、平成元年には上田市指定有形文化財に指定されています。
神社の側には休憩所があり、そこから上田市を眺めることが出来ます。 | 2021-05-05 |
394 |  | 温泉薬師瑠璃殿 | 別所温泉北向観音境内にある温泉薬師琉璃殿。
この温泉薬師は伝説には行儀菩薩の創建、慈覚大使の再建と言われているが、以前の一は今の「大師湯」の西隣にあったそう。
1741年湯川の氾濫によって薬師堂は流され1743年から再建を湯本講中で計画したとのこと。
現在も残る建物は1809年に湯川講中の積立金により再建された。
崖に建てられた薬師堂であるがその安定感に驚く。
建設の方法に昔の人の知恵が絞られているのではと思う。 | 2021-05-05 |
395 |  | 夫婦杉 | 北向観音堂境内にある夫婦杉。
杉本から2本に分かれた杉の大木が並んで立っています。
上田市別所温泉のパワースポット…?
杉の木の下に来ると、大きく高い杉の姿に圧倒されます。
この夫婦杉が、北向観音のそばで、信州の歴史を見つめてきたのではないかと思います。 | 2021-05-05 |
396 |  | 島屋菓子舗 | 別所温泉、北向観音裏参道にある和菓子の専門店「島屋菓子舗」。
季節のお菓子を中心に、自家製オリジナル製の商品の製造販売を行っています。
一個から厄除饅頭を買うことができるお饅頭屋さん。
どら焼きやバターどら焼き、黒胡麻クルミ餅なども購入可能。
別所温泉には島屋菓子舗以外にも、鹿教湯温泉中程に位置する「塩川菓子舗」さんや「手塚屋製菓舗」などの和菓子屋さんで、厄除饅頭を販売しています。
別所温泉で厄除饅頭のお気に入りのお店を見つけることもできそう。
お土産や小腹の空いたときにおすすめだと思いました。 | 2021-05-05 |
397 |  | 十福の湯 | サークル活動で十福の湯に行った際に撮った写真。木の彫刻のフクロウが可愛らしい。 | 2021-05-05 |
398 |  | 上田蚕種-1 | 上田蚕種協業組合事務棟の写真。この建物は、1916(大正5)年に上田蚕種株式会社として建てられた。上田蚕種株式会社は、上田蚕糸専門学校(現・信州大学繊維学部)や小県蚕業学校(現・上田東高校)を抱える上田市常田に設立され、上田蚕糸の中心地として機能した。戦後に協同組合及び協業組合として一時名称が変更されたが、2003(平成15)年に再び株式会社の名が復活した。協業組合時代に建物が国の登録有形文化財に指定されたため、この名になっている。 | 2021-05-05 |
399 |  | 西部地域-1 | 4/24の花桃イベントに参加した時に取った上田市街の写真。この日は非常に晴れていて、見晴らしが良かった。市街地を見てみると、沢山の建物が並んでいるが、その真後ろには山々がそびえ、そこに沿うように後ろの建物は建てられていることが分かる。上田の街が山と一体となっていることが分かる。 | 2021-05-05 |
400 |  | 諏訪神社 | JA信州うえだ営農部塩田営農センター近くにある諏訪神社です。諏訪神社は,長野県の諏訪湖にある諏訪大社が総本社となっています。全国におよそ25000社ほどあります。諏訪大社に関係する施設が上田市にもあるとは思いませんでした。 | 2021-05-05 |
401 |  | 龍光院 | 鎌倉時代に建立された曹洞宗のお寺である。
ここら辺一帯を支配していた塩田北条氏は鎌倉幕府執権の北条氏の血筋であった。
また、山菜料理を提供している。
門には武田氏の御札が貼られているのを見つけた | 2021-05-05 |
402 |  | 愛宕神社(仁古田) | 川西の仁古田地区の愛宕山中腹に建立されています。火伏の神が奉られているとされています。見晴らし台も設置されていたりと、周りの景色を楽しみたい方にはオススメです。パワースポットとも呼ばれていることがあるという噂なので、ハイキングを兼ねていかがでしょうか。私も登りましたがとても良い運動になると思います。 | 2021-05-05 |
403 |  | 塩野神社(保野) | 市内にある塩野神社と名がつく2つの神社のうちの1つである。黄色く塗られた鳥居も特徴的である。この宮を中心に行われる祇園祭が市の無形文化財にしてされている。加えて廻り舞台も文化財にしてされている。毎年夏に祇園祭が執り行われるので、機会があれば参加してみたいとも思う。 | 2021-05-05 |
404 |  | 池生神社 | 小島大池のすぐ脇に建立されている神社。拝殿は新しく立て替えられている。池の周りに奉られている神社はみる機会が少ないので、参拝するには良い機会だと思う。 | 2021-05-05 |
405 |  | 五加八幡神社石灯籠 | これほどの大きな石灯籠はなかなか見ることは出来ない。灯篭の正面には勝海舟の筆とされる「修善生洪福」という文字が刻まれている。近くに八幡大神縣社もあるのでぜひ行かれてみてはいかがでしょうか。 | 2021-05-05 |
406 |  | 上田市消防団第12分団第11班の倉庫 | 上田市消防団第12分団第11班の倉庫だと思われしもの。
横には、道具らしきものがあった。だいぶ古い。錆びている。 | 2021-05-05 |
407 |  | 太郎山から持ってきた石らしい | 石が重なってある灯篭みたいなもの。
昔から、これは何なんだろうと思っていた。
祖母に聞いてみると、ひい爺ちゃんの時代(戦争前or戦争中)に太郎山という山から、石を持ってきたらしい。
詳細は、不明。 | 2021-05-05 |
408 |  | 木の電柱 | 木の電柱を見つけた。
昭和30年代までの電柱は、木製丸太だったそうだ。
一瞬、目を疑った。けれど、歩いていくと結構な数の木の電柱があった。普段全然、地域を見ていないんだな~と感じた。 | 2021-05-05 |
409 |  | 道祖神 | 道祖神のお祭りの日、時間帯は夜です。
夜に太鼓を持って、地域を回ります。「道祖神のお祭りだ~~!」と言いながら、太鼓を鳴らし、数人の子供たちでまわりに行きます。数人は、道祖神のところで待っています。 | 2021-05-05 |
410 |  | 道祖神 | 道祖神の祠は、山口地区のいくつかの場所にあります。
ここの場所は、道祖神の日、奥の神社らしきところの扉が開きます。子供たちは、その中に座って道祖神の日を楽しみます。
お菓子や甘茶、豚汁などがあったりします。 | 2021-05-05 |
411 |  | 道祖神の時に渡すお札 | 写真は、家の壁に貼ってあるものです。
このような習字の時に使うような紙に、ハンコのようなもので押して作っていきます。
私自身、小学生の時に地区の友達と一緒に作りました。
猿田彦大神は、その昔、天孫降臨の時の道案内をしたと言い伝えられている神様だそうです。
★天孫降臨とは…
天皇家の由来と古代国家の起源に関する神話。天照大神が孫の瓊瓊杵(ににぎ)尊に神宝(三種の神器)を与え,天壌無窮の神勅を発し,天児屋(あめのこやね)命などの神々を供に高天原から日向(ひむか)の高千穂峰に降臨させたという。 | 2021-05-05 |
412 |  | 道祖神 | 長野県上田市上田 山口地区には、道祖神という地区の行事があります。
「道祖神」と書かれている石の前に小屋などを一時的に建て、そこでお賽銭箱とお札を用意します。訪れて、お賽銭箱にお金を入れてくれた人に、お札をあげます。子供には、お札とお菓子をあげます。
お札は、小学生の手作りです。 | 2021-05-05 |
413 |  | 本当に緑色 緑橋 | 上田原の合戦の地は、今は県営球場や小学校になっている。辺りを散策していると何やら緑色で塗られた橋が。
その名も緑橋。住宅街から産川を渡り小学校に行くためにかかっている橋で、ペンキでベタベタに塗られている。渡ってみると鉄板の音が心地よく何か懐かしい気持ちになる。自然の中にケミカルな人工物、異質な感じが面白い。
筆者は上田市立川辺小学校の卒業生なのでよくこの橋を渡っていた。学校の始まりと終わりにいつもわたるこの橋は、行くときは嫌で帰るときはウキウキだった。 | 2021-05-05 |
414 |  | 小泉大日堂 | 山奥にどっしりと構えるこのお堂。古びた建物には威厳を感じ、周りはお墓なので少しの怖さを覚えます。
ここは、上田市小泉にある小泉大日堂。806年創建された寺院で、所有者は高仙寺。
ご本尊は大日如来、宇宙そのものであるといわれる如来様です。現世安穏、諸願成就のご利益があるといわれています。
元々は、大日堂だけでなくたくさんの建物が建っていたようですが、坂城の武将・村上義清と甲斐の虎・武田信玄が戦った「上田原の合戦」で、戦火に遭い大日堂だけが残りました。 | 2021-05-05 |
415 |  | 河童除けのお地蔵様 | 住宅街の一角に、大きな欅と祠があって一体のお地蔵様が祀られている。実はこのお地蔵様、河童除けのお地蔵様なのである。
妖怪がいるかいないかの議論はさておき、この上田という地域は降水量が少なく、田んぼにはため池の水を使う。現にため池がたくさんあり農業用の用水路もたくさんある。子どもが誤って落ちる、などの被害が頻繁にあったということは容易に想像ができる。
今日も近くで遊ぶ子供たちを守りながら、お地蔵様はひっそりとたたずんでいる。 | 2021-05-05 |
416 |  | 松本の道 | 上田市だけでなく松本市に行ってみて探検してみた。
柳町のような昔の雰囲気を醸し出している。 | 2021-05-05 |
417 |  | とある場所からの街並み | 自転車で走っているときに横を見るとかなりいい感じだったので撮ってみた。上田市も中々に広いのだなと思うことができた。 | 2021-05-05 |
418 |  | 塩田城跡の石碑 | 塩田城は北条義政が建てたと言われている。
また、戦国時代には武田氏の重要な拠点としても使われていた。その後、上田城が築城されたため廃城となったが攻めづらく守りやすい城である。この石碑は実際の塩田城の少し下に建てられている | 2021-05-05 |
419 |  | 残照館 | ここは「信濃デッサン館」という私設美術館を閉館してから出来た場所である。
この残照館という名前は日暮れのせまった道を歩く男の感傷から生まれた館名である。
ここも素晴らしい作品が多いと感じたのでぜひ見に行ってほしい。 | 2021-05-05 |
420 |  | 前山寺の三重塔 | この三重塔は国の重要文化財である。また、この塔は「未完成の塔」と呼ばれています。
この建物は元々は塩田城の安全を祈る寺としての役割もあったらしいと言われています。 | 2021-05-05 |
421 |  | 無言館 | 太平洋戦争などで戦死した画学生の遺作、遺品が展示されている美術館である。
作品を見ているとなんとも言えない悲しい気持ちになってくるが、ぜひ一回は見る価値はあると感じた。 | 2021-05-05 |
422 |  | 太神宮社(通称おたやさん) | この神社もバイトへ向かう途中にあり、毎回気になっている所でした。太神宮社は「おたやさん」という通称で親しまれているらしく伊勢御師による大麻頒布の旅屋に祀る神社です。境内には八坂社・津島社・猿田彦社蛭子社・天満社・稲荷社・秋葉社四条公神社といった多くの社が奉られていました。その中でも稲荷社の赤鳥居の存在感が強く、引き寄せられるように鳥居をくぐりました。不思議な空間で神隠しを連想させるようなスピリチュアルな場所でした。一つ一つの鳥居の大きさは私がギリギリ通れるサイズでした。 | 2021-05-05 |
423 |  | 陣馬塚古墳 | 陣馬塚古墳は古墳時代後期の円墳です。
染屋台地を見下ろす位置にある陣馬塚古墳の埋葬者は、この台地の開発にかかわった先駆的有力者だったと考えられています。
自然に囲まれ、玄蕃山の高台に位置する様は、埋葬者がいかに力を持っていたかを想像させられます。 | 2021-05-04 |
424 |  | 東條健代神社 | 上田市にある東條健代神社は由緒・創建年月とも不明で謎に包まれていましたが、悠然と構える本堂からは歴史を感じさせられました。
また境内には上田市指定樹林の立派なケヤキが立ち並んでおり、自然の力強さも感じられました。
また本殿にある彫刻はとても素晴らしいモノでした。 | 2021-05-04 |
425 |  | 玄蕃山公園 | 玄蕃山公園は上信越道上田菅平インターチェンジのすぐ近くの高台に位置しており、上田市を一望できます。
自然豊かな環境でリフレッシュに最適なのではないでしょうか。
また高台にあるため夜にはきれいな星空が見えます。
リフレッシュしたい時などに訪れてみてはいかかがでしょうか。 | 2021-05-04 |
426 |  | 中塩田小学校 盈進学校・本郷学校跡 | 現在の上田市立中塩田小学校の敷地内にある盈進学校・本郷学校跡です。盈進学校は1873年に開校し,1886年から本郷学校になりました。
ぱっと見ただけでは学校の歴史がわからない中,思っていたよりも歴史が長いことに驚きました。
【参考】
上田市立中塩田小学校 「中塩田小学校のあゆみ」 (2009)
http://www.school.umic.jp/nakashioda/syoukai/cat19/20090730-114954.php | 2021-05-04 |
427 |  | 喜八 豆大福 | 県道177号線沿いの和菓子屋喜八さんの豆大福である。上田に来て以来気になっており、有名店の和菓子を食べてみたいと思ったため選んだ。豆大福は一個130円であり、その日の朝についたお餅を使っているため滑らかな味わいである。その餅と相性ピッタリな餡子と豆で、とても食べやすく美味しかった。豆大福のほかにもどら焼きや最中も販売している。 | 2021-05-04 |
428 |  | 保野公民館 | 地域にある公民館であり、通常であればその地域に生む住民の方々に向けたイベントや子供たちを集めてイベントを行っている。コロナ禍前は人が集まっており、じっくり調べてみたいと思い選んだ。このような公民館を見るとどこか懐かしい気持ちになった。掲示板もあり、更新されていればその地域特有の情報が入ってくると思った。 | 2021-05-03 |
429 |  | 保野の市神 | 今回の街歩きで初めて発見したが、上田に住んで以来の疑問を解決できる発端になった。保野という地域では、昔に市場が開かれておりその市場ががあった跡である。市神とは市場が安全に開かれるために見守る神様のことである。夏場にこの地域にお神輿があるが、地域の伝統的なお祭りが開かれていることに関連していると思った。 | 2021-05-03 |
430 |  | 上田警察署保野分署跡 | 塩田郵便局近くの細い道にある跡である。以前から存じていたが、じっくり見ることはなかったため選んだ。明治時代にこの場所に分署があり、非常に短い期間ではあったものの現在でも跡が残っていることに関心を持った。かなり広い範囲の分署であったことから、地域の住民の方々に密接にかかわっていたのではないかと推測した。 | 2021-05-03 |
431 |  | 神畑公園 | 寺下駅から歩いてすぐの場所にある公園。近くを通ると、かなり人が多くいて地域の方々に人気のある公園なのではないかと思い選んだ。子供が遊べる遊具やキャッチボールや走り回ることができるグラウンドがあり、親子連れの方々や子供たちが集まっている公園である。決して大きくはない公園ではあるが、どこか懐かしい気持ちになると思った。 | 2021-05-03 |
432 |  | 生島足島神社の御旅所社 | 鳥居自体は何メートルかあり、小さいわけではなかったが、周りの木が高すぎて鳥居が小さく見えた。 | 2021-05-03 |
433 |  | 他田塚古墳 | 古墳が崩れないように石を重ね合わせてつくったとみられるトンネルのようなものを見て、昔の時代にこんなにすごいものをつくることができたことを不思議に思った。 | 2021-05-03 |
434 |  | 上田城跡公園 | 上田城は、徳川の大軍を2度にわたって退け、日本全国に名を馳せた真田昌幸の居城です。
現在は城跡公園として整備され、上田市の観光拠点になっています。 | 2021-05-03 |
435 |  | 自然運動公園 | 写真のようにすごく広大な敷地でした。敷地内には写真のようなスポーツを楽しむことができる場所がいくつかあるようでした。 | 2021-05-03 |
436 |  | 生島足島神社 | 生島足島神社(いくしまたるしまじんじゃ)は、長野県上田市下之郷にある神社。式内社(名神大社)。旧社格は国幣中社で、現在は神社本庁の別表神社。 | 2021-05-03 |
437 |  | 上田城跡公園 | 上田城とその周辺の石碑・石像、自然。全体的に緑が多く、池などもあったため夏に来ると涼しげだった。歴史的な建物を詳しく知るためというよりかは、観光を楽しむのが適している。歴史を学ぶなら博物館へ行くのが良いだろう。 | 2021-05-03 |
438 |  | 八幡大神縣社 | 大きなたくさんの木に囲まれた場所にある、神秘的な雰囲気を持った神社です。この神社には写真のような小さな鳥居がいくつか見られました。 | 2021-05-03 |
439 |  | 真田神社 | 真田氏、仙石氏、松平氏という歴代の上田城主を御祭神としている。おみくじの種類が豊富で、歴史に興味が無く友達や家族と来ても楽しめるだろう。 | 2021-05-03 |
440 |  | 生島足島神社 | 生きとし生けるもの万物に生命力を与える「生島大神」と、生きとし生けるもの万物に満足を与える「足島大神」の二神が祀られている。大きな神社なため、出店があったりする。買い食いしても楽しめるだろう。 | 2021-05-03 |
441 |  | 生島足島神社 | 立派な鳥居がある大きな神社です。鳥居の左隣にあった神池を見ると鯉のような魚が泳いでいました。 | 2021-05-03 |
442 |  | 長福寺 | 曹洞宗のお寺。小さなお寺。 | 2021-05-03 |
443 |  | 生島足島神社の大鳥居 | 普通の道にそびえたつ大鳥居は普通の鳥居に比べて大きく、柱が太くしっかりとしており、すごくインパクトがありました。 | 2021-05-03 |
444 |  | 超誓寺 | 浄土教のお寺。小さなお寺。春は桜がきれい。 | 2021-05-03 |
445 |  | 武石の森 | 長野県上田市にあるアウトドアができる武石の森に行きました。ため池にいるニジマスとイワナが釣れ、その場で調理し、食べることが出来ます。美味しかったです。また行きたいなあ | 2021-05-03 |
446 | ![[14/09/11]枡形道路・たつ道 [14/09/11]枡形道路・たつ道](https://d-commons.net/upload/4/39/thumbnails/004196.jpg) | [14/09/11]枡形道路・たつ道 | この道を見て、これが枡形とは感じにくい。なぜならこのような曲がった道筋はそこら中にあるからです。「たつ道」は説明板を読んで知りました。
史跡をめぐる時に重宝するのは地元の観光パンフ類です。この日は上田市真田地域自治センターによる『真田三代に出会うMAP 本城・長谷寺・山家神社コース』がどれほど役に立ったか計り知れません。簡潔に勘所が押さえてあって、参照しながら感心していました。
この場所はややわかりにくく、また道路幅が狭く車で進入できなくはありませんが、本来、どこかに車を置いて歩いて訪れる方がよいところであることは現地に行ってみて初めて気づきます。「現地の道は狭いので、山家神社の駐車場に車を置いて歩いて行こう。徒歩?分」のような説明がパンフに載っていたら、そうしたと思いま | 2021-05-01 |
447 | ![[14/09/11]日向畑遺跡と松尾城跡登り口 [14/09/11]日向畑遺跡と松尾城跡登り口](https://d-commons.net/upload/4/39/thumbnails/004193.jpg) | [14/09/11]日向畑遺跡と松尾城跡登り口 | 『真田氏資料集』(上田市立博物館)によると日向畑遺跡が発掘されたのは1971年。それほど昔でないのが意外です。「古くは真田氏の菩提所であったと伝えられる常福寺の跡M」にあたり、「幸隆以前の真田一族の墓地ではないかと考えられている」。
真田氏の古い居館跡とされていることから、日向畑遺跡がその墓所であるとするのは最も順当な推定です。歴史の未知の領域に一歩踏み出したかのようなワクワク感を感じる遺跡でした。
なお、日向畑遺跡は松尾古城の登り口にもなっています。背後の山が古城であるということもさらにそのもっともらしさを後押ししているようです。 | 2021-05-01 |
448 | ![[14/09/11]安智羅明神 [14/09/11]安智羅明神](https://d-commons.net/upload/4/39/thumbnails/004191.jpg) | [14/09/11]安智羅明神 | 日向畑遺跡に行くつもりで安智羅明神に先に立ち寄りました。史跡「安智羅様」の看板に誘導されました。祠と鳥居が建っています。その手前には門石のような石柱が2つ建っています。「辛亥九月建立」と読めます。辛亥(しんがい)と聞くと先に「辛亥革命」を連想してしまうせいか、「辛亥九月」には違和感がありました。これは干支のイノシシという意味のようです。イノシシ年9月…何年をさすのでしょうか。
角間自治会による説明板の存在が実にありがたい。この説明を見て安智羅明神を理解しました。
安智羅明神(あんちらみょうじん)
鎮座地 上田市真田町長角間
この地は真田家の古いお屋敷跡で松尾古城のふもとに位置する。
神社のご神体は真田幸隆の幼少の姿を写した像と伝えられている。
※創立は一五三〇年( | 2021-05-01 |
449 | ![[14/09/11]ようこそ真田の郷へ、途中伊勢山バス停 [14/09/11]ようこそ真田の郷へ、途中伊勢山バス停](https://d-commons.net/upload/4/39/thumbnails/004180.jpg) | [14/09/11]ようこそ真田の郷へ、途中伊勢山バス停 | 真田氏発祥の地「真田」は上田の市街地からはやや遠く、菅平高原に行く途中にあります。上田市街から行くとずっと登り坂になります。そうした坂の途中に伊勢山バス停があります。
このバス停は映画『サマーウォーズ』で描かれたことから同映画の聖地巡礼の地として知る人ぞ知る隠れスポットとなって久しくなります。
伊勢山バス停を過ぎると「ようこそ真田の郷へ」の看板が見えてきます。ここからがいよいよ「信州真田」です。上田市に真田町が合併する前の町域となります。 | 2021-05-01 |
450 | ![[14/09/11]上田市常盤城の街路樹「しだれ桑」 [14/09/11]上田市常盤城の街路樹「しだれ桑」](https://d-commons.net/upload/4/39/thumbnails/004179.jpg) | [14/09/11]上田市常盤城の街路樹「しだれ桑」 | 上田市常盤城(ときわぎ)の国道18号線沿い、向源寺前に緑地帯があります。ここにしだれ桑が植えられています。信号待ちのせいで、街路樹のしだれ桑に目をやる余裕ができました。蚕都上田にふさわしい環境美化にブラボー!です。 | 2021-05-01 |
451 |  | 上田招魂社 | この上田招魂社は戊辰戦役従軍の戦死者をはじめ日清日露の戦争を経て今次の大東亜戦争に至る間国家の為尊き命を捧げられた人々の英霊をまつる御社。
真田神社の近くにあるため、向かった際にも足を延ばしてみてはどうでしょう。 | 2021-04-25 |
452 |  | 真田神社 | 上田城本丸跡に鎮座するこの真田神社は、真田氏、仙石氏、松平氏という歴代の上田城主を御祭神としています。
しかし、もともとは松平家の御先祖をお祀りする御宮であり、松平神社と称していました。
神社の近くには、実際に昔使われていた井戸や巨大な兜、真田幸村の像などがあります。
個人的には、神社前の門や兜が記憶に強く残っています。 | 2021-04-25 |
453 |  | 長福寺 | 1625年に金蓮寺覚裕が土生町にあった長源寺の堂舎を移転し、長福寺と改め開山された場所です。
長福寺には「お参りして下さった皆様がみんな仲良く笑顔で暮らせますように」という意味を持つ「なかよし地蔵」があり、とても可愛らしいものでした。
生島足島神社のすぐ近くにあり、向かった際に立ち寄ってみてはどうでしょうか。 | 2021-04-25 |
454 |  | 飯綱神社 | マップを開いた時に山道にあるこの神社を見つけ実際に行ってきました。
家と家の間の狭い道を通った場所にあって、見つけるのに少し苦労しました。
少し下った所に「熊人」という人気のあるラーメン屋があるので、行ったついでに立ち寄るというのもいいかもしれません。 | 2021-04-25 |
455 |  | 生島足島神社 | 下之郷駅付近にある生島足島神社に来ました!
行きとし生けるもの万物に生命力を与える「生島大神」と、生きとし生けるもの万物に満足を与える「足島大神」の二神が祀られています。
周りが自然に囲まれ、とても心が安らぐ場所でした。 | 2021-04-25 |
456 | ![塩尻村大字上塩尻字壱丁田全図(地籍図[旧公図]) 塩尻村大字上塩尻字壱丁田全図(地籍図[旧公図])](https://d-commons.net/upload/4/38/thumbnails/004164.jpg) | 塩尻村大字上塩尻字壱丁田全図(地籍図[旧公図]) | 小県郡上塩尻村大字上塩尻之内 第七番字壱丁田全図
(上田市税務課所蔵)
塩尻村大字上塩尻(かみしおじり)字壱丁田(いっちょうだ)の地籍図である(現在は上田市上塩尻)。
字壱町田は現在の塩尻保育園の辺り、塩尻小学校と北陸新幹線に挟まれた区画、国道18号線の上塩尻交差点の北西側の区画である。
地籍図は1889年(明治22年)の市制町村制施行に伴い、上田町大字常磐城(旧常磐城村)の地籍図として1890年頃作成したものと思われるが、年代の記載がないため確認できない。 | 2021-03-22 |
457 | ![塩尻村大字上塩尻字信福寺/宮田全図(地籍図[旧公図]) 塩尻村大字上塩尻字信福寺/宮田全図(地籍図[旧公図])](https://d-commons.net/upload/4/191/thumbnails/004163.jpg) | 塩尻村大字上塩尻字信福寺/宮田全図(地籍図[旧公図]) | 小県郡上塩尻村大字上塩尻之内 第六番字真福寺 第七番字宮田 全図
(上田市税務課所蔵)
塩尻村大字上塩尻(かみしおじり)字信福寺(しんぷくじ)/宮田(みやた)の地籍図である(現在は上田市上塩尻)。
字信福寺、字宮田は区画が小さいことから合体した全図となっている。藤本蚕業歴史館から南に150mほど下った辺りの区画である。かつては水田であったが、現在は宅地化している。
なお、「上田市文化財マップ」に字信福寺にあった「上塩尻板碑」の解説がある。
地籍図は1889年(明治22年)の市制町村制施行に伴い、上田町大字常磐城(旧常磐城村)の地籍図として1890年作成したものと思われるが、年代の記載がないため確認できない。 | 2021-03-22 |
458 |  | 上田築城三百五十年祭記念写真帳(1932/昭和7年) | 下のリンクを選ぶと文書全体のPDFをダウンロード表示します。ダウンロード表示には時間がかかります。
▼上田市公文書館資料情報
写真アルバム・上田築城三百五十年祭記念写真帳ほか
しゃしんあるばむ・うえだちくじょうさんびゃくごじゅうねんきねんしゃし | 2021-03-07 |
459 |  | 上田町会議案綴(1902/明治35年 上田町) | 下のリンクを選ぶと文書全体のPDFをダウンロード表示します。ダウンロード表示には時間がかかります。
▼上田市公文書館資料情報
上田町会議案綴
うえだちょうかいぎあんつづり
請求番号 01-M35-01-1356
文書の種類 旧役場文書
地域 上田町
作成年度(和暦) 明治35年
| 2021-03-07 |
460 |  | 在外資産補償関係(1955/昭和30年 殿城村) | 下のリンクを選ぶと文書全体のPDFをダウンロード表示します。ダウンロード表示には時間がかかります。
▼上田市公文書館資料情報
在外資産補償関係
ざいがいしさんほしょうかんけい
請求番号 01-S30-01-6977
文書の種類 旧役場文書
地域 殿城村
作成年度(和暦) 昭和3 | 2021-03-07 |
461 |  | 上田市参事会綴(1919/大正8年上田市) | 下のリンクを選ぶと文書全体のPDFをダウンロード表示します。ダウンロード表示には時間がかかります。
▼上田市公文書館資料情報
上田市参事会綴
うえだしさんじかいつづり
請求番号 01-T08-01-1397
文書の種類 旧役場文書
地域 上田市
作成年度(和暦) 大正8年
作成年度 | 2021-03-07 |
462 |  | 上田市 手塚地区について | 手塚(てづか)は上田市の西塩田に位置する地区である。付近には独鈷山があり、ため池も多く、別所温泉も近い。
手塚の地名の由来は、伝承によると、奈良時代に塩焼王が反乱を起こして当地に流罪となったが、再び勢力を挙げて反乱を企てたため、最終的に坂上田村麻呂によって討伐され、その塩焼王の怨霊を恐れた当地の人々によって両手を埋葬された事に由来するとされる。なお、この塩焼王の両手を埋葬した場所が、現在も「王子塚古墳」として残っている。
平安時代にはこの地より手塚氏が出て、手塚光盛が源義仲の家臣として活躍した。後に、この手塚氏からは江戸時代に水戸藩に仕えた手塚良仙光照という蘭方医
がおり、さらに、日本漫画界の巨匠である手塚治虫もこの手塚氏の系統だとされる。
手塚の地名の由来にこれほど偉大な歴 | 2021-02-27 |
463 |  | 明治35年 常磐城區有土地建物寄附之件 | 『明治35年上田町会議案綴』(上田市公文書館所蔵)より
土地や建物の寄附について、土地の広さや建物の見積もり金額が記されている。
「前記ノ土地建物ハ上田町大字常磐城ノ所有ノ処上田尋常高等小学校ノ用ニ供スル為左ノ条件ヲ付シ上田町ヘ寄附スルモノトス」
年代や地名から推測すると、上田尋常高等小学校常磐城分教場(現上田市立西小学校)に使用された土地や建物と思われる。
【参考資料】
『上田市誌 近現代編(8)学校教育のあゆみ』上田市誌編さん委員会/編(上田市 2003年) | 2021-02-27 |
464 |  | 上田電鉄別所線の終点が今とは違う場所になるはずだったという話 | 上田市誌近代編(4)⑰変わる人や物の流れ 106ページより。
延伸計画とはまた異なるが、別所線の終点が現在の別所温泉駅よりも先、北向観音の下になるはずであったという内容が載っている。
ルート案が常楽寺の方を通るか、旅館花屋のそばを通るか考えられたが、2通りで対立してしまったため現在の位置に落ち着いた、ということである。
私は何度か別所温泉駅から北向観音や大師湯などへ歩いて行ったことがあるが、上り坂を10分ほど歩かねばならず、たしかに鉄道がそこまで伸びていれば大変利便が良かったのではないかと考える。 | 2021-02-27 |
465 |  | 議事書類綴 | 別所温泉の外湯が5ヶ所されているが残っているものは3ヶ所である。
大正8年別所村_議事書類綴(上田市公文書館所蔵)によると村営温泉:大湯・玄斉湯・大師湯、久我湯・石湯 5ヶ所改修議案が提出されている。(大正8年12月18日提出)
現存の外湯は大湯、大師湯、石湯の3ヶ所であり、2ヶ所が廃止になった時期と理由を調べたい。 | 2021-02-27 |
466 |  | 上田温泉電軌真田線の延伸計画について | 1926年11月25日の官報第4277号と1935年9月16日の官報第2613号に、上田温泉電軌(現在の上田電鉄)真田線の真田から先の区間の延伸について記述があった。
以下が国立国会図書館デジタルコレクションのURLである。
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2956427/3
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2959092/4
この2つの官報では、終点であった真田駅から先、当時の小県郡長村の大字であった大日向地区への路線敷設免許の下付と失効それぞれについて記述されていた。
下付が1926年、失効が1935年であることを考えると、その間の昭和恐慌によって計画を断念せざるを得なくなってしまったのではないかと考えられる。 | 2021-02-27 |
467 |  | 上田松本電鉄計画 | 1951年に運輸省告示第二百四十八号にて告示されたものである。
国立国会図書館デジタルコレクションのURLを以下に張り付けておく。
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2963979/4
この計画は「上田松本電鉄」という会社のもので、一説によるとかなり本格的なものであったとされる。
以下、内容を要約する。
申請の理由
・もともと国鉄信越本線、篠ノ井線が開通するまでは松本~東京間の街道筋に当たっていた
・現在は急峻な峠を越えて往復する1日4回のバスがあるだけである
・上田~松本間が3時間以上かかる
・冬季は降雪に阻まれて運行不能となる不便さがある
・輸送力が少ない
・沿線の産業、文化、観光資源の開発などに、非常な障害となっている
開通のメリット
・上田~松本間がわずか1時間半で到達される
・沿線住民が多大な利便を | 2021-02-27 |
468 |  | 上田松本間に計画された鉄道 | 大正8年(1919年)に泉田村に提出された、鉄道敷設に関する意見書の内容を
まず前置きとしては、
・上田松本間はもともと2つの県道で旅客や貨物の輸送が盛んだったが、信越本線と篠ノ井線ができたことによって衰退した。
・世の時勢が交通機関の発展を促している
ということが述べられている。
この路線が開通した時のメリットとしては、
・沿線に浅間温泉、別所温泉、田沢温泉、沓掛温泉などの年間の観光客が10万人を超える観光資源がある
・沿線に石炭などの特産品が少なからずある
・信越本線と篠ノ井線の半分の距離しかない
(関東と濃尾地方の連絡にも大きな利点がある)
・篠ノ井線が塩沢の辺りなどで地盤崩壊が起きるときにバイパスとして機能する
(軍事的にも利点である)
ことが挙げられている。
当時沿線で石炭の | 2021-02-27 |
469 |  | 長大サミット発表団体/登壇者紹介 |
「ミズとマチ(水と街)をマッチさせよう」をコンセプトに、上田市、千曲川を拠点に活動する団体。最近は菅平高原でのスカイランタンイベントをクラウドファンディングで実行するなど幅広く地域貢献活動に取り組んでいる。
長野大学の国際活動を行う団体。外国人を招待してイベントを開催するなど日本と外国のつながりを大切に活動する。
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