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1上田自由大学を彷彿させる旧山越脩蔵宅上田自由大学を彷彿させる旧山越脩蔵宅1921年、上田で「信濃自由大学」(後に上田自由大学)が始まってから約100年が経過しました。当時の神川村の青年だった山越脩蔵、金井正らが始めた上田自由大学は「学ぶとは何か」「自由とは何か」といった時代を超えた根源的な問いかけを現代に対しても投げかけています。 今日8/23、たまたま信濃国分寺の周辺を訪れました。上田自由大学の主要メンバーの一人、山越脩蔵(1894-1990)の生家が現在も残っています。その屋敷の広大さは外塀の大きさからもうかがい知れます。しっかりと綺麗に保全されていることに感心をしました。道路側から見える手前は増築された建物。山越脩蔵が暮らしていた時代の母屋はその奥にあります。 現在はバックパッカーが宿泊できる宿として運営されていることを知りました。歴史的な建造物をこのような形で保全・2022-08-23
2古いホテル古いホテル大通りから少し隠れるように存在している古いホテル「ビジネスホテル信濃路」。客がいる様子はなく、どうも営業はしていないようだ。 調べてみたところ、このホテルに関しての情報は全くなく、当時の雰囲気を掴むことはできなかった。 この建物周辺にはたまにしか通らなかったため、ホテルをじっくりと眺める機会は今回が初めてだった。実際建物の前を立ち見上げた時は、その古い外見に少し恐怖心を感じた。2022-05-09
3第28号『上田小県における感染症の歴史』第28号『上田小県における感染症の歴史』上田小県近現代史研究会ブックレット第28号『上田小県における感染症の歴史』 【編著・発行】上田小県近現代史研究会 【発行】2021年12月10日 【定価】600円(税別)上田市内の書店でお買い求めください。  パンデミック(世界的大流行)はこれまでも幾度となく立ち現れ、先人たちもその度に脅かされてきました。多くの命が奪われ、社会活動に支障をきたしました。しかし、その都度全力で立ち向かい、できる限りの対策を講じて乗りこえようとしてきました。なす術もないと思われた時でさえ絶望せず、しばしば神仏に疫病退散を祈り続けました。(略)  もう一度各章にわたり取り上げたテーマについて、明らかにできた教訓や課題、厳しい条件の中でも命や暮らし、さらには文化を守るための人々の努力があったことを確認してみましょう。(2022-03-13
4検索でわかること検索でわかること江南=志津衛の確信が持てたのは、昔の信濃教育会という書籍の検索で見つかったからです。長野県は教育熱心な土地なのでしょう。記録がしっかり残っています。こちらは、検索結果ですが、参観日について記述したもののようです。ここにはっきり在上田の鈴木江南の名前が記されています。 鈴木姓は日本でも多いため、同性同名なのかも確信がもてていませんでしたが、さすがに上田限定だと他にいないでしょう。 他にも算術についての考察など、全文確認できるものなど、教育に関する記述があります。この文献についても、いつか機会を設けて確認したいと思います。2022-02-24
5那須与一とは那須与一とは 那須与一は、『平家物語』や『源平盛衰記』に登場する武将です。与一とは10あまり1、つまり11男を示す通称となっています。その名の通り10人兄がいますが、10人のうち9人が平氏の味方となり、残る1人も罪を得てしまったため、与一が家督を継ぎました。その後与一は彼らに那須各地を分地します。屋島の戦いにて扇の的を射ったことで有名です。  誕生日は不明で、京都伏見にて病死、即成院に埋葬されたと伝えられています。しかしその年月日は史料により異なり、那須系図(那須隆氏蔵)、那須拾遺記によると1189年8月8日、那須系図(続群書類従)によると1190年10月となっています。  那須与一が頼朝より与えられたと伝えられる荘園は以下の五つです。 ・丹波国五賀庄(京都府船井郡日吉町) ・信濃国角豆庄(長野県松本市、塩尻市) ・若狭国東宮2022-02-15
6上田紬について~小岩井紬工房~上田紬について~小岩井紬工房~小岩井紬工房 地元特産品を活かし上田紬のブランド価値向上をめざす 多くの工房が手織から力織機へいこうするなかにあって「手織りに徹する」という信念をもつ小岩井紬工房。 「上田の特産品を利用して、上田らしさがアピールできる紬をつくりたい」という思いを抱き続け、構想から3年以上を費やして生み出した新商品は「林檎染」と名付けられた。その名の通りに使用するのは林檎の樹皮で、すべて上田産。経糸、緯糸ともに100%の草木染めは珍しいという。「改善の余地はまだまだある。もっと突き詰めて行かないと、味や深みはでません」と現状に満足することはない。小岩井さんの頭の中には、すでに別の特産品を活かした新商品のアイデアがあるという。「これからも、上田らしさにこだわって、上田紬の価値を高めたい」と前向き2022-02-09
7上田紬について⑤上田紬について⑤上田紬の染色の工程 林檎染め 品種の違いで染め上がりの色が変化する 1.剪定 リンゴの木の内側まで太陽の光が届くようにするために不要な林檎の木(枝)を切り落とす作業 2.気の皮を削る  ふじ オレンジみがかってる 信濃ゴールド 白っぽいいろ  (気の部分は薪ストーブをやっている人にあげている) 3.乾かす 4.煮出し袋に樹皮をいれる(樹皮は糸と同じくらいの量をつかう) 5.水をため、樹皮をその中にいれる 6.水を沸騰させながらよくまぜる 7.沸騰させたら冷ます 8.糸を入れ、均等に液につける 9.沸騰させながら1時間ほどかけて染める 10.媒染する (金属物質を媒体にして染料を繊維に定着させる工程) 11.媒染液に20分ほど糸をいれる 12.媒染後に糸をよく水洗いする 13.再び染色する 2022-02-09
8染色の工程とこれから期待される人染色の工程とこれから期待される人小岩井紬工房 地元特産品を活かし上田紬のブランド価値向上をめざす 多くの工房が手織から力織機へいこうするなかにあって「手織りに徹する」という信念をもつ小岩井紬工房。 「上田の特産品を利用して、上田らしさがアピールできる紬をつくりたい」という思いを抱き続け、構想から3年以上を費やして生み出した新商品は「林檎染」と名付けられた。その名の通りに使用するのは林檎の樹皮で、すべて上田産。経糸、緯糸ともに100%の草木染めは珍しいという。「改善の余地はまだまだある。もっと突き詰めて行かないと、味や深みはでません」と現状に満足することはない。小岩井さんの頭の中には、すでに別の特産品を活かした新商品のアイデアがあるという。「これからも、上田らしさにこだわって、上田紬の価値を高めたい」と前向き2022-02-08
9上田紬 染色の工程上田紬 染色の工程林檎染め 品種の違いで染め上がりの色が変化する 1.剪定 リンゴの木の内側まで太陽の光が届くようにするために不要な林檎の木(枝)を切り落とす作業 2.気の皮を削る  ふじ オレンジみがかってる 信濃ゴールド 白っぽいいろ  (気の部分は薪ストーブをやっている人にあげている) 3.乾かす 4.煮出し袋に樹皮をいれる(樹皮は糸と同じくらいの量をつかう) 5.水をため、樹皮をその中にいれる 6.水を沸騰させながらよくまぜる 7.沸騰させたら冷ます 8.糸を入れ、均等に液につける 9.沸騰させながら1時間ほどかけて染める 10.媒染する (金属物質を媒体にして染料を繊維に定着させる工程) 11.媒染液に20分ほど糸をいれる 12.媒染後に糸をよく水洗いする 13.再び染色する 14.最後によく洗う 2022-02-08
10愛國(信濃)愛國(信濃)この写真は、海野町商店街にあるすや呉服店が所蔵する一枚である。2022-02-05
11万葉集と千曲川①万葉集と千曲川①信濃なる 千曲の川の さざれ石(し)も 君し踏みてば   玉と拾はむ 作者:不明 意味: 信濃の千曲川の小石でさえ、あなたが踏まれた石ならば、玉と思って拾います。 私の考察 この歌は恋の歌だと思います。 好きな人が触れた石を大切に拾い上げる乙女心が読み取れます。2022-01-27
12上田紬が庶民的なものから高級品になるまで~江戸時代から戦前~上田紬が庶民的なものから高級品になるまで~江戸時代から戦前~古代から中世にかけて信濃の織物として知られていたのは、麻布であった。(中略)紬は屑繭等を原料として地機で織れたから、原料生産地がそのまま織物生産地となり得た。しかもそれは商品としてよりも、農村で自家用として織られている場合が多かった。 紬は、江戸時代の庶民に許された唯一の絹織物であった。 上小地方の蚕糸業は江戸中期を過ぎる頃から、1つは養種製造、もう一方は生糸生産へと重点が移っていった。江戸中期にすぐれた繰糸技術が取り入れられ、良質の生糸が生産されるようになった。その結果蚕種・生糸の生産で十分な利益を挙げることができるのであれば、手間のかかる機織をする必要はない。このようにして幕末期に近づくに従って、上小地方の上田紬・上田縞の生産は減少していった。 さらに安政6年横浜開港以2022-01-26
13上田紬が庶民的なものから高級品になるまで~江戸時代から戦前~上田紬が庶民的なものから高級品になるまで~江戸時代から戦前~古代から中世にかけて信濃の織物として知られていたのは、麻布であった。(中略)紬は屑繭等を原料として地機で織れたから、原料生産地がそのまま織物生産地となり得た。しかもそれは商品としてよりも、農村で自家用として織られている場合が多かった。 紬は、江戸時代の庶民に許された唯一の絹織物であった。 上小地方の蚕糸業は江戸中期を過ぎる頃から、1つは養種製造、もう一方は生糸生産へと重点が移っていった。江戸中期にすぐれた繰糸技術が取り入れられ、良質の生糸が生産されるようになった。その結果蚕種・生糸の生産で十分な利益を挙げることができるのであれば、手間のかかる機織をする必要はない。このようにして幕末期に近づくに従って、上小地方の上田紬・上田縞の生産は減少していった。 さらに安政6年横浜開港以2022-01-26
14上田紬が庶民的なものから高級品になるまで~江戸時代から戦前~上田紬が庶民的なものから高級品になるまで~江戸時代から戦前~古代から中世にかけて信濃の織物として知られていたのは、麻布であった。(中略)紬は屑繭等を原料として地機で織れたから、原料生産地がそのまま織物生産地となり得た。しかもそれは商品としてよりも、農村で自家用として織られている場合が多かった。 紬は、江戸時代の庶民に許された唯一の絹織物であった。 上小地方の蚕糸業は江戸中期を過ぎる頃から、1つは養種製造、もう一方は生糸生産へと重点が移っていった。江戸中期にすぐれた繰糸技術が取り入れられ、良質の生糸が生産されるようになった。その結果蚕種・生糸の生産で十分な利益を挙げることができるのであれば、手間のかかる機織をする必要はない。このようにして幕末期に近づくに従って、上小地方の上田紬・上田縞の生産は減少していった。 さらに安政6年横浜開港以2022-01-26
15信濃国分寺本堂信濃国分寺本堂本堂は1829年(文政12年)に発願、1840年(天保11年)に起工、1860年(万延元年)に竣工した。近世の堂としては東信地方最大の建造物で、彫刻にみられる鋭い彫りや、絵様に江戸時代末期の特徴があらわれているそう。2022-01-25
16尾澤木彫美術館尾澤木彫美術館そんな農民美術品を実際に見たり、購入できる美術館があります。それは信濃国分寺駅近くにある尾澤木彫美術館です。実際に新潟の山中にあった古民家を洋風にリフォームして活用した外観がとても素敵でした。その中には多くの農民美術が飾られています。ここは農民美術の先駆者出会った山本さんと共にいた尾形千春さんとそのご子息である尾澤敏春さんの木彫り作品などが貯蔵されています。2022-01-25
17信州は山の国信州は山の国信州も信濃も、ほとんどいまと同じ長野県のことだと、初めて知りました。 信濃の地名は、山国の地形から「段差」を意味する古語である「科」「級」(しな)に由来しているとされ、名付けられ方で分かるとおり、坂と峠の多い県です。 長野県は、四方八方を2,000~3,000m級の山々に囲まれたまさに山国。県面積は、1万3,562.23平方キロメートル。(境界未明含む)全国第4位の広さです。 総人口は206万5,359人 (2,018年7月1日時点)ですが、 人口密度は1平方キロメートルあたり152.3人で、全国で下から9番目と少ないことも、山国の特徴。 県のほぼ全域が標高500メートル以上、 可住地面積の割合が低く、また人口密度(1平方キロメートルあたり)も152.3人と全国で第38位にランクインするぐらい少ないなど、山国の特徴が顕著に出ています。 特に、妙高山(2,4542022-01-24
18小林昌人「蚕業の先駆者を輩出した上田市上塩尻の集落と民家」1990小林昌人「蚕業の先駆者を輩出した上田市上塩尻の集落と民家」1990【左】テキストコード化版 【右】『信濃』誌記事コピー 蚕種製造の中心地であった上田市上塩尻の歴史的・文化財的価値について言及した論文は小林昌人氏(1931~2001、長野県松本市生まれ)の「蚕業の先駆者を輩出した上田市上塩尻の集落と民家」(1990)が最初ではないかと思われる。 ここにその論文を転載し、諸活動の参考にしていただきたい。『信濃』誌記事はコピーでは読みにくいため、テキストコード化も行った。 所載:『信濃』第42巻第1号 pp.23~35 信濃史学会 1990 年1 月 テキストコード化・文書整形:長野大学前川道博研究室 2018 年09 月13 日2022-01-18
19千曲川の歴史千曲川の歴史日本一の長さを誇る信濃川の上流を流れる千曲川。 川はいつの時代も人々の暮らしに恩恵を与えます。 しかし、一方で洪水や決壊によって猛威を振るうということが2019年の台風19号による災害で分かりました。 そこで、先人たちはどのようにして千曲川と関わってきたのか関係資料を中心に調べていきたいと思います。2021-12-21
20信濃商業新報(明治45年)紹介 ~若山牧水を中心に~信濃商業新報(明治45年)紹介 ~若山牧水を中心に~2021/07/09 「渋沢栄一と小諸商人」展(糸のまち・こもろプロジェクト主催) 会場にて(長野県小諸市) 2021-11-18
21生島足島神社生島足島神社生きとし生けるもの万物に生命力を与える「生島大神」と、生きとし生けるもの万物に満足を与える「足島大神」の二神が祀られ、摂社(下社・下宮)には諏訪大神が祀られる信濃屈指の古社です。 御本殿は神池に囲まれた神島の中にまわりを老樹に囲まれて建っています。御扉の奥には御室と呼ばれる内殿(室町期建立)があり、内殿には床板がなく大地そのものが御神体(御霊代)として祀られています。この池を巡らせて神域とされる島をつくる様子は「池心の宮園池(いけこころのみやえんち)」と称され、出雲式園池の面影を残す、日本でも最古の形式の一つとされるものです。現在の社殿は昭和15年に国費をもって竣工したものです。内殿は平成10年9月「県宝」に指定されました。 また、ドラマや撮影に使われることもあり秋になると周りの山々2021-07-24
22別所温泉駅別所温泉駅別所温泉駅は1921年(大正10年)に上田温泉電軌川西線の「別所駅」として開業したのが始まりで、1924年(大正13年)には「信濃別所駅」に改称、さらに1930年(昭和5年)になって「別所温泉駅」と改称された。レトロな見た目でかわいいので、写真映えします。2021-07-23
23人物62 小河滋次郎人物62 小河滋次郎信濃国上田城下で上田藩医・金子宗元の次男として生まれ、1918年には方面委員制度(民生委員の前身)の確立に尽力した人物である。2021-07-20
24信州が蚕糸王国ってホント? ポスト蚕糸業(産業)の視点から信州が蚕糸王国ってホント? ポスト蚕糸業(産業)の視点から信州が蚕糸王国ってホント? ポスト蚕糸業(産業)の視点から(講演採録全文) 講師:前川道博(長野大学企業情報学部教授) ▼元の講演はコチラ https://youtu.be/yS-xdWDMTwE?t=2779 信州学「信州の蚕糸業とシルクロード」講座 第2回  2016年10月6日/まちなかキャンパスうえだ

【1】蚕糸業って何? 蚕種製造、養蚕、製糸

■そもそも蚕糸業とは?

 今回、この講座は、多くの方に、後からも学習していただけるように、ということで、オンデマンド配信することを想定していますので、全く初めての方がこれを見ると「えっ? 蚕糸業って何?」、そういう基本的な疑問ですね。これを最初の方は誰もわからないわけです。その辺のところも含めてお話をさせていただきたいと思います。
2021-07-15
25長野県管下信濃国小県郡常磐城村 村社(1884/明治17年 上田町)長野県管下信濃国小県郡常磐城村 村社(1884/明治17年 上田町)上田市公文書館所蔵 長野県管下信濃国小県郡常磐城村 村社(1884/明治17年 上田町) 下のリンクを選ぶと文書全体のPDFをダウンロード表示します。ダウンロード表示には時間がかかります。
PDF長野県管下信濃国小県郡常磐城村 村社(1884/明治17年上田町)
13頁/1.48MB
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13ファイル/10.8MB
▼上田市公文書館資料情
2021-06-28
26信州そば・江戸前そばの発祥信州そば・江戸前そばの発祥信州そば そば切りは1574年の信州木曽定勝寺の落成祝いに振る舞われたのが最古の文献記録。日本国内では蕎麦が食べられてたが、「そばがき」や「そば団子」などが主流。 信州は山間地、高冷地が多く、昼夜の気温差が高くて蕎麦の栽培には最適な土地。 江戸時代には信州信濃国の本山宿から全国に麺状の蕎麦が広まっていった。 江戸前そば 男一人で江戸に出張する機会があるため、外食ビジネスの需要が高まった。1657年頃、浅草にできた一膳飯屋を皮切りに、蕎麦を提供する店が出現。気軽にお腹を満たせるスタイルが江戸っ子に受けて、町には蕎麦屋が瞬く間に増えた。2021-05-14
27そばの歴史そばの歴史蕎麦が日本の歴史上はじめて文献に登場するのは、奈良時代の歴史を記した「続日本記」で8世紀頃。栽培の容易な蕎麦は救荒作物として奨励された。 鎌倉時代、室町時代になると頻繁に文献に登場。そばの栽培が普及していった 江戸時代には信濃国本山宿から蕎麦を麺状にする「そばきり」が全国に広まったと伝えられている。とりわけ江戸では信州そばがルーツとされる江戸そばが大変な賑わいを見せる。 江戸で1789年に信州の行商人が信州更科蕎麦屋を始めたのをきっかけに、藪そばと共に江戸中にそばが広まった。2021-05-14
28長野県営上田野球場長野県営上田野球場上田古戦場公園内にある野球場。 アマチュアからプロ、社会人と多くの野球人が利用している。 グラウンド、電光掲示板、観客席ともに整っており、選手や観客にとって上田市内では最高の野球場とプレイヤーである私も感じています。2021-05-05
29古戦場跡公園古戦場跡公園戦国時代に行われた真田と村上の戦いである、上田原合戦の跡地。現在は公園になっている。武田氏の快進撃を止めた戦いであり、この戦いで武田信玄は初期の武田四天王、板垣信方と甘利虎泰を失うこととなった。現在はグラウンドなどになっており、戦場跡は案外身近にある事を思い知らされた。2021-05-05
30残照館残照館ここは「信濃デッサン館」という私設美術館を閉館してから出来た場所である。 この残照館という名前は日暮れのせまった道を歩く男の感傷から生まれた館名である。 ここも素晴らしい作品が多いと感じたのでぜひ見に行ってほしい。2021-05-05
31[14/09/11]角間渓谷と角間林道[14/09/11]角間渓谷と角間林道角間温泉を過ぎると角間林道の入口に突き当たります。岩屋観音の下に位置しています。この辺りから上信越高原国立公園のエリアになっていることを知りました。角間林道は「信濃路自然歩道浅間高原ルート 湯の丸山-角間路線」としても案内板で示されています。 角間川の渓流の景観が印象的です。2021-05-01
32散策マップ散策マップこのマップは旧神川村を案内するものであり、とてもわかりやすく描かれています。大屋駅から信濃国分寺駅のたった一駅であるが紹介されているものが多いです。2021-01-31
33くるみそば(和菓子)くるみそば(和菓子)くるみそばは、長野県上田市国分にある株式会社信濃路うさぎやで販売されている和菓子である。 信濃路うさぎやは昭和27年創業であり、創業時より代表銘菓として販売され県内外問わず多くの人に親しまれている。 うさぎや独自製法の白あんをそば粉で作った皮で包みくるみをまぶして作られたお茶請けとしてよく食べられるお菓子である。そば粉を使用しているため香り豊かでありお茶だけでなく紅茶やコーヒーにも合うそうだ。 参照資料: 信濃路うさぎやHP2021-01-27
34廻廊跡廻廊跡この廻廊は中門と講堂をつないでいる。歩く場所ということもあり、きれいに整備されていることが分かる。2021-01-25
35金堂跡金堂跡石段の部材と思われる凝灰岩の切石が発見されている。基壇は東西29.7m、南北19.3mで、推定される建物規模は正面24.2m、側面14.4mである。2021-01-25
36講堂跡講堂跡高さ約50cmの基壇と、本来50個ある礎石のうち27個が良好な状態で残っていたことが分かっている。基壇の規模は東西34m、南北20mで、建物は正面28.8m、側面14mと確認されている。2021-01-25
37信濃国分寺跡史跡公園信濃国分寺跡史跡公園これは信濃国分寺跡史跡公園の写真である。一部しか写っていないが公園自体はもっと広い。公園の中に資料館が置かれている。昭和に行われた信濃国分寺の発掘調査の結果、中門や金堂などの遺構を確認・推定することができた。寺域は、僧寺がおよそ東西176メートル、南北178メートル、尼寺は東西148メートル、南北150メートルと判明した。これらの遺構の保存と活用のため、全国で最初の史跡公園に認定された。 遊具はないが犬の散歩をしたり子供がボール遊びをするにはとても良い場所である。紅葉の季節になると国道沿いにある木が色を変え、鮮やかになる。2021-01-25
38仁王門仁王門この写真は信濃国分寺の仁王門である。仁王門であるがかなり迫力がある。国道18号線沿いにあるということで交通量も多く、横目で見てもかなりの存在感を示している。2021-01-25
39三重塔三重塔この写真は重要文化財にも指定されている三重塔である。高さはおよそ20メートルある。外部は和唐折衷様式であり、内部は純唐様式である。2021-01-25
40蘇民将来符蘇民将来符これは「蘇民将来符(そみんしょうらいふ)」と呼ばれるもので、疫病を除いて福を招く護符である。ドロヤナギという木を彫って六角錐形にしており、この形状と図柄は重要な文化財とされている。昭和43年には上田市の民俗文化財に指定されている。 [参考文献] 蘇民将来と八日堂縁日https://museum.umic.jp/somin/category_top/s_index.html2021-01-25
41当時の八日堂縁日の様子当時の八日堂縁日の様子この絵は昔の八日堂縁日の様子を描いたものである。この絵の中に人は363人描かれているが、現代ではこの地域に住む多くの方は八日堂縁日に行っている。昔から伝わる伝統的なお祭りである。2021-01-25
42信濃国分寺資料館信濃国分寺資料館信濃国分寺資料館は国道18号線沿いにある。ここには信濃国分寺跡に関する資料を中心に、文化財はもちろん、伝統的なお祭り(八日堂縁日)に関する資料などが多く保管されている。 この地域のこれまでの歴史を学ぶ場として利用ができる。2021-01-25
43信濃国分寺について信濃国分寺について国分寺は聖武天皇の命令により、国ごとに国分寺が創建された。信濃国分寺は奈良時代に上田に建立されたが、承久の乱で焼失したと言われている。そのため、室町時代に上田市国分に再建された。これが信濃国分寺である。写真は信濃国分寺本堂である。 [参考文献] 信濃国分寺公式ホームページhttp://shinano-kokubunji.or.jp/2021-01-25
44長沼地域の歴史長沼地域の歴史 長沼地域は「大町・穂保・津野・赤沼」の4つの集落で構成されています。戦国時代には武田氏の北信濃統治の中心であったことから城下町として繁栄していました。  今は「信州リンゴ発祥の地」やアップルラインと呼ばれる国道があるほどリンゴの町として知られていますが、その始めは明治末頃から始まりました。2021-01-25
45上田市の重要文化財上田市の重要文化財テーマを選んだ理由は、上田市の重要文化財に指定されている信濃国分寺について調べたいと思ったからである。 信濃国分寺の歴史を主に探求したいと考えている。 調べる方法としては、実際に信濃国分寺に行ったり信濃国分寺資料館を訪れたいと考えている。また、信濃国分寺のホームページなども活用して調べていきたい。2020-12-21
46信州上田学B2020②青年たちの手で学び舎をつくり、文化的地域をつくってきた歴史に学ぶ信州上田学B2020②青年たちの手で学び舎をつくり、文化的地域をつくってきた歴史に学ぶ

講座記録

▼第2回10/08講座(市民開放講座第2回)  講師:小平千文氏(上田小県近現代史研究会会長) 86分

講義資料

青年たちの手で学び舎をつくり、文化的地域をつくってきた歴史に学ぶ
補足資料
2020-11-30
47科野大宮社 +まとめ科野大宮社 +まとめ上田駅東にあるイオンスタイル近郊にある小さな神社です。入口すぐにある太い木が特徴的です。 秋ということで紅葉がとても綺麗で、葉が舞い散る様はとても情緒を感じました。 今回の探検では、本来は信濃国分寺に訪れるつもりでしたが、時間とメンバーの体力の都合上断念しました。が、常田館製糸場では今までで一番と言っていいほど面白い情報が入手できたのでこれだけでも十分かと思います。信濃国分寺については駅も近くにあるので時間があるときに行きたいです。2020-11-19
48第3回街歩きまとめ第3回街歩きまとめ当初の予定であった信濃国分寺は時間の都合で行くことが出来なかったが、訪れた場所は綺麗なところが多かった。今回は寺や神社が大半を占めてしまったが、前回も訪ねたお寺とともに街中に位置しているものの紅葉が綺麗な場所が多いなと感じた。2020-11-17
49上田探検Ⅰ 生島足島神社上田探検Ⅰ 生島足島神社生きとし生けるもの万物に生命力を与える「生島大神」と、生きとし生けるもの万物に満足を与える「足島大神」の二神が祀られ、摂社(下社・下宮)には諏訪大神が祀られる信濃屈指の古社です。赤い鳥居が印象的で、近くを通ると必ず目に入ります。境内には歴史館があり、昔の姿を見ることができます。2020-10-18
50生島足島神社生島足島神社下之郷にある生島足島神社は諏訪大神が祀られる信濃屈指の古社です。 国の重要文化財であり、また、長野県指定文化財、上田市指定文化財です。 樹齢800年の夫婦欅があり、安産や子宝に恵まれるなどの言い伝えがあります。2020-10-16
51日本三所信濃長谷観世音全図(日本博覧図1897所載)日本三所信濃長谷観世音全図(日本博覧図1897所載)『日本博覧図』は関東を中心とした地域の名所旧跡、寺社、豪商の邸宅等を描いた銅版画集。1897年(明治30年)発刊の第12編には上田小県の寺社・邸宅等20点の銅版画が収録されている。「日本三所信濃長谷観世音全図」(長谷寺)はその一つである。2020-09-25
52大輪精舎之図(日本博覧図1897所載)大輪精舎之図(日本博覧図1897所載)『日本博覧図』は関東を中心とした地域の名所旧跡、寺社、豪商の邸宅等を描いた銅版画集。1897年(明治30年)発刊の第12編には上田小県の寺社・邸宅等20点の銅版画が収録されている。「大輪精舎之図」はその一つである。 タイトルには「長野県信濃国 大輪精舎之図 小県郡上田町」と記されている。 大輪寺(大輪精舎)は、真田昌幸による上田築城に伴い、砥石城の麓の畑山から移されたと伝えられている。大輪寺には真田昌幸の妻寒松院の墓がある。 参考資料:『上田市誌』第9巻「真田氏と上田城」2002年2020-09-25
53信濃蚕種組合事務所外部及内部之図(日本博覧図1897所載)信濃蚕種組合事務所外部及内部之図(日本博覧図1897所載)『日本博覧図』は関東を中心とした地域の名所旧跡、寺社、豪商の邸宅等を描いた銅版画集。1897年(明治30年)発刊の第12編には上田小県の寺社・邸宅等20点の銅版画が収録されている。「信濃蚕種組合事務所外部及内部之図」はその一つである。 信濃蚕種組合は1889年(明治22年)、藤本善右衛門(塩尻村)、工藤善助(丸子村)、田中忠七(上田町)、倉島弥平(神川村)、佐藤郡三(県村)の5人が発起人となって上田小県全域の蚕種製造家と販売業者が一緒になって結成した。良質の蚕種の製造と販売を保つため、蚕病検査、種繭の処理法、採桑の規定を設けて組合員に遵守させた。組合長の藤本善右衛門らは長野県に検査所を設ける運動を起こし、国会にも要請し1897年(明治30年)、蚕種検査法が成立した。その結果1898年(明治31年)、小県郡蚕種同業組合が設立された。18972020-09-24
54信濃国分寺 ハス田 信濃国分寺 ハス田 このハス田は、地域の農家のご好意により、平成16年に本堂裏の約200坪の水田を借り受け、住職の方が鉢で育てていたハスの苗を植えたことが始まりだったようです。平成17年には、約300坪、27年に約200坪、そして28年には約100坪の池がつくられました。平成17年から「はすの花を育てる会」が結成され、整備や管理が行われてきたようです。私は蓮の花を間近で、実際に見たことは初めてでした。一面にピンクや白の蓮の花が咲いている光景を目にしたときは、思わず声が出てしまいました。ハス田越しに見る本堂も立派でした。ただ、蓮の花が早朝に咲き、昼過ぎには窄んでしまうことを知らなかったので、もう少し早い時間帯だったら、大きく開く蓮の花を楽しむことができたのかなあと思います。気になったので蓮の花言葉を調べてみると、「清らかな心2020-08-09
55信濃国分寺信濃国分寺境内には、国の重要文化財に指定されている和唐折衷様式の三重塔があります。現存する国分寺の塔の中では最も古いです。偶然にも、私が訪れた8月8日のみ、三重塔の内部の公開がされていました。仏の傍には、蓮の花も咲いていました。清らかに生きることの象徴とされている蓮の花は、仏教にも継承されているらしく、死後の極楽浄土に咲く花として親しまれてきました。そのために、如来像の台座や仏像を安置する仏具には蓮の花が彫られていることも多いようです。2020-08-09
56信濃国分寺史跡公園 万葉植物園信濃国分寺史跡公園 万葉植物園今から1.500年ほど前から300年以上にわたってつくられた歌集、万葉集に詠まれた植物を集めた植物園です。植物園の広さは1haで、詠われた植物のうち、上田でも育つことのできるものが植えられています。万葉の時代の方々が自然や野の花をみて感じ取ったことを、現代に生きる私たちが同じように体験できることに魅力に感じました。2020-08-09
57上塩尻蚕種製造民家群上塩尻蚕種製造民家群全国一の蚕種製造地といっていい上塩尻の蚕種製造民家群。古いまちなみの地区は全国に数多くあっても蚕種製造民家群がこれだけの規模で現存している地区は国内では稀有です。世界一の蚕糸王国であった日本の蚕種製造の中心地として並外れた価値を持つ産業遺産ではないかと思います。これこそ「世界遺産」にふさわしい。 上塩尻蚕種製造民家群はこれまでにも全国的に関心を持たれる節目がありながら、それをステップに次に踏み出しきれなかった経緯があります。 ふり返ってみると小林昌人氏による集落・民家の調査レポートが古い(「蚕業の先駆者を輩出した上田市 上塩尻の集落と民家」『信濃』1990年1号)。同氏による『写真集 民家の風貌』(1994年)にも上塩尻の民家が収録されています。大がかりな調査事業としては上田市による「塩尻地2020-07-18
58尾澤木彫美術館の外観尾澤木彫美術館の外観尾澤木彫美術館は長野県上田市に位置する農民美術の美術館。館長の尾澤敏春氏およびその先代である尾澤千春氏の作品を数多く展示している。また世界各地の木彫人形も展示している。建物は新潟の豪雪地帯から移築した寄棟中門造の民家を改装したもの。 農民美術とは 長野県上田市を中心とした大正時代の工芸運動。東京美術学校を卒業し、パリで留学していた画家・山本鼎(1882~1946)が提唱した。冬場の副業として取り組み、農村の経済水準と文化水準を高めることを目指したもの。器や小物入れといった日用品から人形や木版画といった美術品、また手縫いや刺しゅう等その領域は多岐に渡る。 【参考文献】 石川義宗、禹在勇(2018)『長野県の木工文化:デザイン史から見た農民美術の意義』日本デザイン学会デザイン学研究概要集 神田愛子『2020-07-15
59信濃国分寺駅信濃国分寺駅しなの鉄道線の駅。信濃国分寺の近くに位置している。2020-07-13
60信濃国分寺 ハス畑信濃国分寺 ハス畑本堂の北側に位置するハス畑です。見渡す限りのハスの花々は、本当に綺麗でした。2020-07-13
61信濃国分寺 三重塔信濃国分寺 三重塔室町期の建築様式で、外部は和様を主とした和唐折衷様式、内部は純唐様式です。高さは約20メートルで、国の重要文化財に指定されています。2020-07-13
62信濃国分寺 本堂信濃国分寺 本堂この本堂(薬師堂)は江戸末期の建造で、東北信では善光寺につぐ規模だそうです。長野県の県宝にも指定されていることもあり、見応え抜群でした。2020-07-13
63信濃国分寺仁王門信濃国分寺仁王門国道18号線に面した信濃国分寺へいざなうシンボルで、昭和53年の建立だが、江戸期の仁王像を安置しています。2020-07-13
64豆cafe enju /残照館豆cafe enju /残照館塩田平の前山寺近くにある旧信濃デッサン館は、今年6月6日に「KAITA EPITAPH 残照館」と名前を変えて再オープンしました。 そこに併設しているのが、今回ご紹介するカフェ「豆cafe enju」です。 美術館併設だけあって、とてもセンスの良い空間で、テラス席も十分あり、オープンな雰囲気なので、天気のいい晴れた日にピッタリのカフェです。テラス席からは、広大な塩田平が一望できます。 調理を担当しているのは、上田市在住のおうち料理研究家、王鷲美穂さん。発酵文化を中心に、心と体に優しい料理の研究をされている王鷲さんの作る料理は、味はもちろん美味しいだけでなく、手作りの味噌が使われていたり、栄養も満点。見た目も雰囲気に合っていておしゃれな雰囲気です。 わたしは、この日は、味噌リゾットと自家製ジンジャエール2020-06-29
65生島足島神社 山宮社生島足島神社 山宮社東山の麓から、10分ほどなだらかな山道を登っていくと、密やかに生島足島神社の山宮社があります。 ここは、生島足島神ではなく諏訪大社の神様を祀ってあるらしく、山中に山宮社を置くことで、里にある生島足島神社との間に、山と里でエネルギー循環が起きることを意図したようです。 神道では、万物に神々の意識が宿るとする「八百万の神」の思想を大切にしていますが、昔の人は、自然に対して畏敬の念を抱き、山に神聖なものを見出していたのですね。 この山宮社は、先日、日本遺産に認定されたレイライン(生島足島神社〜信濃国分寺へと続く光の筋)の中心に位置します。 皆さん、ぜひ、行かれてみてください!2020-06-29
66『上田市史・上巻』1/2(1940年)画像データ『上田市史・上巻』1/2(1940年)画像データページ番号は表紙からの通し番号になっています。それぞれはJPG画像です。ダウンロードしてお使いください。 1ページ 表紙 2ページ 序 3ページ 4ページ 緒言 5ページ 6ページ 編集の経過 7ページ 8ページ 目次 2020-06-28
67『上田市誌』(全31巻 2004年)目次『上田市誌』(全31巻 2004年)目次『上田市誌』全31巻 発行:2002~2004年 編集者:上田市誌編さん委員会 発行者:上田市、上田市誌刊行会 以下から各巻の目次と奥付が参照できます。なお、対象の「上田市」は2006年の合併以前の旧上田市が対象です。 第01巻 自然編(1)上田の地質と土壌 第02巻 自然編(2)上田の気象と川や湖 第03巻 自然編(3)上田の動物と植物 第04巻 歴史編(1)上田盆地のあけぼの 第05巻 歴史編(2)上田の弥生・古墳時代 2020-06-27
68『信濃蚕糸業史・下巻』(1937年)『信濃蚕糸業史・下巻』(1937年) <目次> 製糸篇  第一章 総論  第二章 江戸時代信州各地に於ける製糸業の発達  第三章 開港以後の製糸業  第四章 日清戦争より世界大戦に至る時代  第五章 大正時代  第六章 現代  第七章 製糸技術の変遷  第八章 経営史  第九章 皇室と信州蚕糸業  第十章 本県製糸業者の米国視察と米国絹業者の入信  第十一章 生糸貿易に関する史料 <奥付> 昭和十二年六月一日 昭和十二年六月五日2020-06-24
69『信濃蚕糸業史・中巻』(1937年)『信濃蚕糸業史・中巻』(1937年) <目次> 蚕種篇  第一章 蚕種製造業の発達  第二章 蚕種販売  第三章 蚕種業の奨励  第四章 蚕種業に関する組合の起源及其変遷  第五章 江戸時代に於ける蚕種に関する法規の変遷  第六章 明治時代に於ける蚕種規則の変遷  第七章 蚕種検査  第八章 きょうそ駆除  第九章 蚕業取締事務機関の変遷  第十章 国立原蚕種製造所松本支所設置の沿革  第十一章 蚕品種の変遷附蚕品種整理に関する2020-06-24
70第十九国立銀行について-5 (八十二銀行)第十九国立銀行について-5 (八十二銀行)八十二銀行上田支店。これまで、上田は生糸業の発展によって栄えたが、第一次世界大戦後に続いた慢性不況と1929(昭和4)年の世界恐慌により生糸価格が崩壊するなど、その繁栄にも暗い影が忍び寄ってきた。このような不況により、当時、県内の最大銀行であった信濃銀行の倒産などが発生し、長野県は「全国一の不況県」と言われるまでになった。このような中、1931(昭和6)年、第十九、六十三銀行が合併し、それぞれの行名の数字を足した呼称である「八十二銀行」が誕生した。2020-06-23
71生島足島神社生島足島神社生きとし生けるもの万物に生命力を与える「生島大神」と、生きとし生けるもの万物に満足を与える「足島大神」の二神が祀られ、摂社(下社・下宮)には諏訪大神が祀られる信濃屈指の古社です。(HP参照)2020-06-22
72『信濃蚕糸業史・上巻』(1937年)『信濃蚕糸業史・上巻』(1937年) <目次> 栽桑篇  第一章 桑園の期限及発達  第二章 桑品種の変遷  第三章 桑苗生産の変遷  第四章 栽培法の桑栽培法  第五章 桑樹仕立法の変遷  第六章 桑園肥料  第七章 歩桑々園の発達  第八章 夏秋蚕専用桑園の期限及発達  第九章 桑葉売買  第十章 桑園災害  第十一章 桑園の消長  第十二章 桑園経済  第十三章 桑園改善に関する本県当局の施設  第十四章 桑園の分布  第2020-06-21
73『上田市史・下巻』(1940年)『上田市史・下巻』(1940年)

上田市史・下巻』(1940年)

1352頁/容量 234MB ダウンロード表示には時間がかかります。 目次と奥付(抜粋・PDF)
<目次> (第二紀 自上田築城至廃藩置県)  第二篇 第二篇藩政時代(続)[LINK]  第四篇 自明示維新当時至廃藩置県迄[LINK] 第三紀 自廃藩置県至上田市政施行迄  第一篇 廃藩置県
2020-06-21
74『上田市史・上巻』(1940年)『上田市史・上巻』(1940年)

上田市史・上巻』(1940年)

1110頁/容量 232MB 下の画像を選ぶとPDFをダウンロード表示します。ダウンロード表示には時間がかかります。 目次と奥付(抜粋・PDF)
<目次> 上田市の地理的概観及市内大小字名表 【第一紀】 第一篇 上代の上田地方[LINK] 第二篇 奈良時代の上田地方[LINK] 第三篇 平安時代の上田地方
2020-06-21
75信濃銀行支店跡(蚕都まちあるき2008)信濃銀行支店跡(蚕都まちあるき2008)看板「すわん」のある鉄筋コンクリート造の建物がかつての信濃銀行支店だった。この道路は上田駅から続くメインストリートだった時代がある。旧上田東駅の近くにある。周辺には宮下製糸場など複数の製糸場があった。蚕都は銀行業が盛んであったことを物語っている。 解説:斎藤功さん(長野大学環境ツーリズム学部教授、地理学)=当時 蚕都上田まちあるき2008 (企画・制作:蚕都上田プロジェクト) 2008/10/25の記録2020-06-19
76他田塚古墳他田塚古墳 塩田平を望む下之郷の東山山麓の南西斜面にある、下之郷古墳群の中心的な古墳。この古墳には、信濃の古代豪族である他田氏に関係した古墳との言い伝えがある。古墳の平面の形は円墳で、南西部に入り口がある横穴式石室をもった大きな古墳である。2020-06-12
77神畑橋神畑橋人が橋の下におりているところを何度か目撃して、気になっていたのでよく観察しようと撮ってみた。 2020年にもなると、普通に川に降りれる所はなかなかないが、ここはちゃんと、手前にも奥のほうにも、きれいな階段があって普通に降りれるようになっていた。水もきれい。2020-06-05
78生島足島神社生島足島神社「生島大神」と「足島大神」の二神が祀られ、摂社(下社・下宮)には諏訪大神が祀られる信濃屈指の古社です。高齢の木や池があります。池があるからなのか、かもがいました。2020-05-26
79生島足島神社生島足島神社生きとし生けるもの万物に生命力を与える「生島大神」と、生きとし生けるもの万物に満足を与える「足島大神」の二神が祀られ、摂社には諏訪大神が祀られる信濃屈指の古社だそうです。最初に訪れた時のイメージは赤を基調としていてとても綺麗でした。神社では珍しい橋もあります。2020-05-26
80信濃善光寺信濃善光寺地域:長野市 説明文:善光寺は644年に勅願により伽藍が造営され、本田善光の名を取って「善光寺」と名付けられました。創建以来十数回の火災に遭いましたが、その度に、民衆の如来様をお慕いする心によって復興され、護持されてまいりました。何回も火災にあっているのにかかわらず、壮大さを失わない大変立派な寺院である。実際に善光寺の前に立つと想像以上の大きさに圧倒されます。2020-05-26
81旧北国街道の丹波島宿旧北国街道の丹波島宿信濃国に存在した脇往還で、中山道と北国街道を連絡し、松本藩や松代藩、善光寺へ向かう道のひとつとして整備されていたものでこの丹波島塾は北国街道と北国西街道が合流している場所で多くの宿屋が存在してました。その名残でこの道路沿いの家の表札には昔の宿屋の名前が書いてあります。2020-05-26
82千曲川 アリオ上田付近千曲川 アリオ上田付近日本最大の河川である千曲川、新潟県では信濃川と呼ばれている。上田に来るまで千曲川と長野県では呼ばれていることを知らなかった。現在別所線の線路が崩壊している。2020-05-26
83生島足島神社生島足島神社上田市下之郷にある「生島足島神社」です。 「生島大神」と「足島大神」の二神が祀られ、摂社(下社・下宮)には諏訪大神が祀られる信濃屈指の古社です。 真っ赤な鳥居が特徴的で大変おしゃれな神社だと感じました。2020-05-26
84楽茶レンガ館楽茶レンガ館明治時代に流行した施釉煉瓦がとても美しい建物となっております。 この建物は現在「楽茶レンガ館」というレストランとなっています。明治45年では信濃中牛馬合資会社」という運送会社でした。その後、国登録有形文化財になり、昭和34年に善光寺郵便局になりました。平成に入ってからは長野市物産館として様々な人に親しまれてきましたが物産館は閉鎖となる。そして現在、フレンチレストランとして地元の方々から愛されています。2020-05-26
85生島足島神社生島足島神社生きとし生けるもの万物に生命力を与える「生島大神」と、生きとし生けるもの万物に満足を与える「足島大神」の二神が祀られ、摂社(下社・下宮)には諏訪大神が祀られる信濃屈指の古社である。赤の鳥居が目立つのですぐに場所もわかる。正月には多くの参拝客であふれる。鯉に餌をあげて子どもの頃に戻った気がした。最後の2枚の写真はトイレのマークの写真で、細かいところにも遊び心があることがわかる。2020-05-25
86『蚕糸王国信州ものがたり』『蚕糸王国信州ものがたり』『蚕糸王国信州ものがたり』 共著:前川道博 信濃毎日新聞社 2016年10月出版 分担執筆者:阿部勇[編著]、伊坪達郎、高林千幸、小野一英、桂木恵、山浦直人、前川道博 ISBN-13: 978-4784072934 【購入はAmazonで】『蚕糸王国信州ものがたり』で検索2020-05-25
87蚕都上田まちあるき2008蚕都上田まちあるき2008 企画・制作:蚕都上田プロジェクト 2008/10/25の記録 竹内秀夫さん(都市・建築工房、建築設計) 斎藤功さん(長野大学環境ツーリズム学部教授、地理学) 新津新生さん(上田小県近現代史研究会) 小野寺芙美子さん(梅花幼稚園園長) 三田育雄さん(長野大学地域連携センター長)=まちあるきの企画者 <まちあるき探訪先リスト> リンクを選ぶとその部分を頭出し再生できます。 1. 上田駅前に集合 2. 往時の駅前の状況 3. 曳家した繭倉 木造4階建(笠原工業) 4. 2020-05-24
88生島足島神社生島足島神社生きとし生けるもの万物に生命力を与える「生島大神」と、生きとし生けるもの万物に満足を与える「足島大神」の二神祀られている信濃屈指の古社。 赤を基調とした厳かな雰囲気で「夫婦欅」や「家族幸せの欅」など普段あまり見られない神木が見られるのが面白い。また、真田幸村ゆかりの地でもあります。 この神社は日本の中心にある神社だとも言われています。 ご利益がありそうです。2020-05-24
89信濃国分寺跡地信濃国分寺跡地信濃国分寺跡地。 藤の花が美しく、季節によって様々な顔を見せてくれる。2020-05-23
90信濃国分寺信濃国分寺歴史の長いお寺。 1月8日には八日堂縁日が行われる。2020-05-23
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