登録リスト(該当:26件)

写真タイトル説明登録日
1常田毘沙門堂常田毘沙門堂お寺を引退した活文禅師が、この毘沙門堂に寺子屋を開き、教え、そして生涯を閉じた。門下には佐久間象山はじめ1000余人がおり、この地方で幕末から明治維新にかけて活躍したという。2022-12-04
2眞田神社眞田神社 眞田神社は上田城本丸跡に鎮座しており、真田氏、仙谷氏、松平氏という歴代の上田城主を御祭神としている。しかし、本来は松平家の御先祖をお祀りする御宮であり、松平(しょうへい)神社と称していた。  松平家は、真田氏、仙谷氏のあと、江戸時代中期から明治の廃藩に至るまで7代160余年の長きにわたる上田藩主であった。  上田藩主となった系統の藤井松平氏の初代忠晴公は、隠退後は忠山と号した。寛文9年(1669)に亡くなった。忠山公の御墓所は京都の金戒光明寺にあり、京都に忠山公の御霊をまつる忠山社が設けられてもいた。これが眞田神社の起源となっている。  明治維新の変革の中、国に接収された上田城もまもなく民間に払い下げられ、城跡は急速に桑園・麦畑などに変化していった。そのような情勢の中で、旧上田藩士や2022-11-30
310/27 神川小地域学習支援① 地域探検~お気に入りの場所やものを探そう~10/27 神川小地域学習支援① 地域探検~お気に入りの場所やものを探そう~全3回ある授業の1回目です。 10月27日に神川小の3年生の児童と一緒に、国分地区を探検し、お気に入りの場所やものを探すという学習支援を行いました。 今回は蚕影神社→信濃国分寺駅→国分寺→史跡公園の順番で地域を探検し、みんな思い思いにいろんな物にカメラを向けていました。 児童はクロームブックで写真を撮ることに非常に興味を持っていて、神社などの大きな建造物から駅に咲いている花や公園に落ちている葉っぱなどの小さなものまで写真をたくさん撮っている児童が多く見受けられました。 「こんなところに文字が書いてある!」「なんだこれ!?」と不思議に思ったり新しい発見ができた児童や「こんなの見つけたよ!」「きれいな写真が撮れたよ!」と私に見せてくれる児童もいました。 子供はこういうところに興味を持つんだ2022-10-27
4上田探検 西部地域 杉並木古株上田探検 西部地域 杉並木古株これは杉並木古株である。かつて267本の杉並木があり、そのうちの1本のみがここに祀られている。これは史跡名勝天然記念物に指定されている。住宅街の中に紛れており、見逃してしまいそうな様子だったが昔から根を張り、生き続けてきたこの杉は実際に見なければ分からない程に威厳に溢れていた。2022-10-31
5杉並木古株杉並木古株真田昌幸が上田城築城の際、城の西側にあたる秋和集落に267本の杉を植えたと伝えられています。このうち1本残った杉の木が史跡名勝天然記念物に指定されていたが、台風で倒れ今はこの古株から当時の杉並木を偲ぶだけとなっている。2022-10-31
6仙台東照宮 その4仙台東照宮 その4【聞き取り調査】 北六町内会副会長(東照宮役員) ・東照宮のパンフレットに全部書かれている ・社殿には何も残っていない ・全戸に 500文 の田畑が与えられ、年貢や町方諸役が免除 されたほか、東照宮の 「仙台祭り」の 日には絹布着用の特権が与えられていた。 (仙台市青葉区 北六地区 平成風土記 ~北六地域界隈の史跡・施設巡り~ より)2022-02-09
7仙台東照宮 ~仙台祭りから仙台・青葉祭りへ~仙台東照宮 ~仙台祭りから仙台・青葉祭りへ~中間報告 調べた内容 【仙台東照宮由緒】 東照宮について ・東照宮は、徳川家康公を御祭神としてお祭りしている神社。 ・将軍家によって創建された日光や久能山の東照宮を始め、御三家や各藩主によって全国各地に創建された。 仙台東照宮 ・正式名称は東照宮ですが、他の東照宮と区別するために仙台東照宮と呼ばれている。 ・仙台の東照宮は、1654年(承応3)、仙台藩の初代藩主伊達政宗公の世継ぎである2代藩主伊達忠宗公によって創建されました。 社殿の造営 ・造営にあたっては実に5年のときをかけ、全国から良材を集め、選りすぐりの一流の職人を筆頭に総勢83万4835人が従事したと言われています。 ・日光東照宮や久能山東照宮が権現造という建築様式を採用しているのに対し、仙台の東照宮は拝殿と本殿を別棟にして、その間2022-01-26
8千曲川を駆けた戦国武将千曲川を駆けた戦国武将千曲市の上流、佐久・小諸地域は、武田信玄のゆかりの地が多いです。 佐久市新海三社神社は武神が祀られており、信玄が箕輪城攻めをする際、祈願文を奉納したり、川中島合戦前に戦勝祈願した生島足島神社があります。ここの神社は、家内安全、健康長寿、安産祈願などの御利益があり、結婚式を挙げる方もいらっしゃいます。 続いて、甲斐の武田信玄が、越後の上杉謙信と覇を争った、5回、12年にわたる戦いの中で、信玄が戦勝を祈った寺社についてです。 川中島合戦の1回目の戦いは、天文22年(1553)、長野市布施、続いて千曲市八幡で行われ、この「布施の戦い」で信玄は後退する。このとき、上杉謙信が攻略した千曲市荒砥城は、現在史跡公園として整備されています。 3回目は、弘治3年(1557)長野市上野原で行われ、戦の前に、謙信は千2022-01-26
9一番「強い」地域資源一番「強い」地域資源長野大学って一番強い地域資源だと思うんですよ 強いってどういうことか? 地域資源って店だったり自然、史跡って感じで色んなものがあるんですけど、1つだけ絶対に関わっている要素があるんですよ。 それは人です! それをたくさん抱えている大学という組織は地域において強い力を持っていると思うんですよね カードにするならユニットの強化系ですかね~2021-11-22
10山居倉庫山居倉庫米どころ庄内に1893年に建てられた米保管倉庫。 NHK朝の連続テレビ小説「おしん」のロケ地にもなった。 現在も現役で利用されている農業倉庫で、2021年3月26日に国指定史跡に認定された。 美しいケヤキが構える、ケヤキ並木も観光スポットとして有名だ。2021-05-05
11[14/09/11]枡形道路・たつ道[14/09/11]枡形道路・たつ道この道を見て、これが枡形とは感じにくい。なぜならこのような曲がった道筋はそこら中にあるからです。「たつ道」は説明板を読んで知りました。 史跡をめぐる時に重宝するのは地元の観光パンフ類です。この日は上田市真田地域自治センターによる『真田三代に出会うMAP 本城・長谷寺・山家神社コース』がどれほど役に立ったか計り知れません。簡潔に勘所が押さえてあって、参照しながら感心していました。 この場所はややわかりにくく、また道路幅が狭く車で進入できなくはありませんが、本来、どこかに車を置いて歩いて訪れる方がよいところであることは現地に行ってみて初めて気づきます。「現地の道は狭いので、山家神社の駐車場に車を置いて歩いて行こう。徒歩?分」のような説明がパンフに載っていたら、そうしたと思いま2021-05-01
12[14/09/11]安智羅明神[14/09/11]安智羅明神日向畑遺跡に行くつもりで安智羅明神に先に立ち寄りました。史跡「安智羅様」の看板に誘導されました。祠と鳥居が建っています。その手前には門石のような石柱が2つ建っています。「辛亥九月建立」と読めます。辛亥(しんがい)と聞くと先に「辛亥革命」を連想してしまうせいか、「辛亥九月」には違和感がありました。これは干支のイノシシという意味のようです。イノシシ年9月…何年をさすのでしょうか。 角間自治会による説明板の存在が実にありがたい。この説明を見て安智羅明神を理解しました。
安智羅明神(あんちらみょうじん)  鎮座地 上田市真田町長角間 この地は真田家の古いお屋敷跡で松尾古城のふもとに位置する。 神社のご神体は真田幸隆の幼少の姿を写した像と伝えられている。 ※創立は一五三〇年(
2021-05-01
13沼田公園写真沼田公園写真説明 沼田公園内の史跡及び資料に関する写真 像、鐘楼、またそれらに関する説明の看板 用法 実際の公園内に残されているものを一次資料として確認できる。2021-02-09
14信濃国分寺跡史跡公園信濃国分寺跡史跡公園これは信濃国分寺跡史跡公園の写真である。一部しか写っていないが公園自体はもっと広い。公園の中に資料館が置かれている。昭和に行われた信濃国分寺の発掘調査の結果、中門や金堂などの遺構を確認・推定することができた。寺域は、僧寺がおよそ東西176メートル、南北178メートル、尼寺は東西148メートル、南北150メートルと判明した。これらの遺構の保存と活用のため、全国で最初の史跡公園に認定された。 遊具はないが犬の散歩をしたり子供がボール遊びをするにはとても良い場所である。紅葉の季節になると国道沿いにある木が色を変え、鮮やかになる。2021-01-25
15御殿場遺跡御殿場遺跡 重要文化財である顔面付釣手形土器が出土した遺跡です。昭和41年には、緊急発掘調査により、縄文時代中期中葉に属するもの5戸、縄文時代中期後葉に属するもの11戸、平安時代に属するもの3戸、時代の判明しないものが4戸検出されました。現在は、長野県史跡に指定され、縄文時代の竪穴住居を復原し、展示しているようです。2020-11-27
16信濃国分寺史跡公園 万葉植物園信濃国分寺史跡公園 万葉植物園今から1.500年ほど前から300年以上にわたってつくられた歌集、万葉集に詠まれた植物を集めた植物園です。植物園の広さは1haで、詠われた植物のうち、上田でも育つことのできるものが植えられています。万葉の時代の方々が自然や野の花をみて感じ取ったことを、現代に生きる私たちが同じように体験できることに魅力に感じました。2020-08-09
17砥石城・米山城砥石城・米山城県の史跡に指定されている山城。城跡からは上田市街と真田の町並みが一望できます。 この地方に勢力を張っていた村上義清の重要な拠点であり、武田信玄が2度目の敗北を喫した「砥石崩れ」の舞台です。 2009年のアニメ映画館「サマーウォーズ」の舞台となりました。 三方を崖っぷちで囲まれ、攻めてくる敵を迎え撃つのにもってこいの地形と見晴らしの良さ、理想的な山城に思えます。 軽く登山ですが、よく整備されて、登りやすいです。 朝遅く出て、ゆっくり登っても、午前中に降りて来られます。 小学生の遠足で行くようです。 駐車場あります。無料。 上信越自動車道・上田菅平ICから、車で約5分で着きます。2020-08-03
18真田家の足跡真田家の足跡上田が全国に誇るの真田家の住んでいた史跡を巡り、彼らがどこで何を考え、何を見ていたのかを探っていこうと思います。 又、彼らがどのように上田を治めていたかを学び、現在の上田への影響なども実際に見て回りたいと思います。 ・探検ルート・ 上田城→真田神社→砥石・米山城跡→芳泉寺→真田本城2020-06-12
19上田市に古墳?(二子塚古墳)上田市に古墳?(二子塚古墳)前方後円墳です。はっきりと形が残るものは小県策地方唯一であり、大変貴重とされています。発掘調査が行われていないため、内部の様子は不明ですが墳時代中期のものとされています。発掘調査が行われていないため、全貌が見られず残念ですが、どちらが前方部でどちらが後円部なのかを考えてみると楽しかったです。また、上田市に古墳があることはあまり知られていないため、もっと多くの人に知ってもらえるといいと思います。2020-05-26
20毘沙門山古墳毘沙門山古墳これは栃木県にある毘沙門山古墳という寒川古墳群蹟の一つです。 田んぼがずっと広がっている平地にポツンとここだけ木が生え膨らんでいたので以前から何か気になっていました。 近づいてみると説明書きから寒川古墳群蹟で現存する唯一の古墳であることが分かりました。 5世紀後半に造られたとされる古墳で正確な規模は不明なものの推定全長41.2メートル、後円部34メートル、高さ5.18メートル、周湟幅約1.2メートルの前方後円墳だそうです。 また、周湟内からは土師器や埴輪片なども発見されているそうで何だかワクワクしました。 実際に前方後円墳を見たのは初めてでしたが、地上からではあまり形のイメージが湧かない不思議なものに感じました。2020-05-26
21明治時代を体感!旧中込学校明治時代を体感!旧中込学校佐久市に現存する擬洋風学校である。明治8年に完成し、日本国内に現存する擬洋風学校としては最も古い建築物の1つでもあり、長野県宝・国重要文化財に指定されている。また、敷地を含めて国史跡にも指定されている。移築や改変等が少ないため、当時に近い姿で残っている点が特徴であり、気軽に明治の雰囲気を感じる事ができる。 正面から見て横長でなく縦長な形をした校舎、八角形の塔の部分には太鼓が吊るされている点が興味深い。他にも、カラフルなガラスが目を引き、魅力を感じる。2020-05-26
22戌立石器時代住居跡戌立石器時代住居跡縄文時代中期末の敷石部をともなう住居跡。 付近には現在は小諸市分の寺ノ浦のほか、広い範囲に集落跡が確認されており、大集落跡であったと思われる。 復元住居は昭和63年度に建てられた。 辺りは木々が生い茂っているが、石器時代は河川があったと思われ、多くの人々がいたのだろうか。 現在は投稿写真のような復元住居が1つあるのみで、どこか忘れられている寂しさも感じた。2020-05-26
23寺ノ浦石器時代住居跡寺ノ浦石器時代住居跡三方ケ峰から南に緩やかに傾斜する丘陵上に位置。 昭和の初めに調査が行われるようになり、1930年(昭和5年)、縄文時代後期の住居址が発掘され、出土品には縄文土器や打製石斧・磨製石斧などがあったといいます。 復原住居が建てられたが、落雷で壊されてしまった。 今は看板などしか残っていないが、国の史跡指定を受けている大変珍しい場所であることに驚きました。2020-05-26
24神川合戦の地神川合戦の地これは神川地区にある神川合戦の地というところの木で作られた六文銭です。 このご時世なのでコロナウイルスがいち早く終息するようにというメッセージが書かれています。 地域のある団体の方が作ったそうで、こういった取り組みは素晴らしいなと思いました。2020-05-25
25蚕都上田まちあるき2009(1)~西塩田・別所編~蚕都上田まちあるき2009(1)~西塩田・別所編~ 【日時】 2009年9月19日(土) 【ルート】  上田駅温泉口→飯沼(高札場跡、郷蔵、飯沼公民館、古文書保管庫)→カネタの煙突→近代工業百年記念公園→丸子郷土博物館→丸子公園(依水館で昼食)→大屋駅(石碑)→上田駅温泉口 〈内容〉 かつて製糸業のまちとして活況を呈した旧丸子町を中心にまちあるきを行った。飯沼では、幕末・明治期に横浜貿易で活躍した生糸商人の足跡をたどる。その後、器械製糸工場で発展した丸子の史跡・歴史をめぐる。 〈案内人〉 阿部勇氏(上田歴史研究会代表、上田飯沼史学会会員、上田教育委員会) 奥村栄邦氏(上田飯沼史学会会長) 〈制作〉 企画・制2020-05-24
26八丁鎧塚古墳群八丁鎧塚古墳群須坂市には古代氏族の墳墓である古墳が多く分布しています。そのほとんどが、川原石を積み上げた積石塚と呼ばれる古墳です。中でも、八丁鎧塚古墳は県史跡に指定されています。 畑や果樹園に囲まれているので、頑張って探してください。2020-05-24
地図で見る


ログイン トップページへ