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登録リスト(該当:5件)
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小泉大日堂
山奥にどっしりと構えるこのお堂。古びた建物には威厳を感じ、周りはお墓なので少しの怖さを覚えます。 ここは、上田市小泉にある小泉大日堂。806年創建された寺院で、所有者は高仙寺。 ご本尊は大日如来、宇宙そのものであるといわれる如来様です。現世安穏、諸願成就のご利益があるといわれています。 元々は、大日堂だけでなくたくさんの建物が建っていたようですが、坂城の武将・村上義清と甲斐の虎・武田信玄が戦った「上田原の合戦」で、戦火に遭い大日堂だけが残りました。
2021-05-05
2
潮海寺
奈良時代、聖武天皇のころ(およそ750年)名僧行基により開かれたと伝えられる当地方きっての古刹高野山釈迦文院の直末といわれ、平安時代に坂上田村麻呂の帰依によって寺領が寄進されたといわれている。往古は寺領3千石、寺域に75坊を数える名刹として知られていたが、兵火により全焼し、伽藍の規模は残された22の礎石と布目瓦によってしのばれるのみ。 現在、この地には朱塗りの薬師堂金剛院が建てられ、薬師如来縁日の毎月8日午前10時から護摩が焚かれている。不動明王像が安置されている書院風の学頭坊は、薬師堂の南200メートルほどのところにあり、さらに100メートルほど南に市指定文化財の仁王門がある。江戸中期に建てられ、平成3年に解体修理が行われた寄棟造りの八脚門の左右には、高さ3メートルほどの寄木造りの仁王像が立ってい
2021-05-03
3
[14/09/11]角間渓谷・鬼ヶ城と岩屋館
角間温泉は岩屋館のみが存在する温泉です。秘境の湯という感じがします。 この辺りから急に岩の絶壁が角間川に迫り、この道路もその間をぬって延びているかような場所です。「鬼ヶ城」の説明板には「角間鬼ヶ城遊歩道周囲略図」が描かれています。遊歩道に沿って行くと、鬼ノ門、鬼ヶ城があり、一杯清水の近くを通ってこの場所に戻れるようになっています。 それにしても、真田幸村ばかりでなく、坂上田村麻呂の伝説まであるとは恐れ入りました。
2021-05-01
4
上田市 手塚地区について
手塚(てづか)は上田市の西塩田に位置する地区である。付近には独鈷山があり、ため池も多く、別所温泉も近い。 手塚の地名の由来は、伝承によると、奈良時代に塩焼王が反乱を起こして当地に流罪となったが、再び勢力を挙げて反乱を企てたため、最終的に坂上田村麻呂によって討伐され、その塩焼王の怨霊を恐れた当地の人々によって両手を埋葬された事に由来するとされる。なお、この塩焼王の両手を埋葬した場所が、現在も「王子塚古墳」として残っている。 平安時代にはこの地より手塚氏が出て、手塚光盛が源義仲の家臣として活躍した。後に、この手塚氏からは江戸時代に水戸藩に仕えた手塚良仙光照という蘭方医 がおり、さらに、日本漫画界の巨匠である手塚治虫もこの手塚氏の系統だとされる。 手塚の地名の由来にこれほど偉大な歴
2021-02-27
5
小泉大日堂の表参道
小泉大日堂のある高仙寺は、征夷大将軍坂上田村麻呂が東夷平定の帰陣の際に建設を始め、806年(大同元年)に竣工したと寺の沿革の説明板には記されています。現在、大日堂に行くには車で「裏参道」を通るようになっています。すると「表参道」があるはず。その表参道がどうなっているのかに興味を引かれ、表参道を途中まで歩いてみました。 この集落は実に古い。全体が傾斜地にあり、家々に石垣が築かれています。しばらく集落沿いの参道を進むと寺の並木参道に出ました。杉並木が整然と立ち並び、印象的な景観です。この参道並木は市指定記念物となっています。
2020-05-27
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