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22世紀に残したい上田の風景:わらボッチと稲わら焼き
上田に暮らして以来、かけがえのないこの地域の風景として心に刻まれたのが塩田平のわらボッチと稲わら焼きの風景です。2007/11/03、塩田平で撮った風景を載せておきます。 茨城や山形でもこのような原初的なわらぼっちと稲わら焼きの風景は見たことがありません。機械化による大規模な営農でなく、手作業による昔からの営農の姿がこの風景に顕れています。ちなみにわらボッチはこの地域では「にょっ」と呼ぶらしい。円錐形をなしたわらボッチが整然と立ち並ぶこの地域の無形的な文化形態は美しく、絵になります。 稲わら焼きは条例によって禁止されている県もあります。秋になるとそこかしこで稲わら焼きの煙が立ち上ります。いつまでこのような風景を見続けることができるのか。わらぼっちと言い、稲わら焼きの煙と言い、心の中に眠
2023-02-25
2
上田電鉄がなくなったら・・・?②
では、上田電鉄がなくなることのデメリットを見てみましょう。鉄道路線の廃止転換方法の代表的なものとして、バス転換があります。もし上田電鉄をバスに転換した場合、塩田方面に向かうバスを新設せねばなりません。別所温泉に行ったことのある方ならわかるかもしれませんが、別所温泉をはじめとした塩田地域は道が狭く、バスは交通の妨げとなる可能性があります。そのほかのバスによる弊害は数多くあり、運賃の高騰、車両当たりの乗客定員が減少するほか、バス特有の予測できない遅延壁があります。別所線の廃止を望む声は多くないですが、デメリットは数多くありそうです。
2023-02-15
3
上田電鉄とは?
上田地域にはたくさんの企業や施設、団体があり、それぞれ星の数ほどに課題があります。一般企業も数多くありますが、せっかく上田市のことを学ぶので、上田地域にしかない企業はどうだろう、上田市の象徴のような企業はどうだろうと考え付きました。そこで、中心地の上田駅から塩田平を経て別所温泉へ至る上田電鉄について考えることにしました。 上田電鉄別所線は1921年に川西線として開通し、以降上で気を中心に放射状の路線が広がっていきました。 70年代にはモータリゼーションによって経営危機、実際にその十年後には同様の理由で真田・傍陽線などが廃止されました。 しかし別所線だけは観光需要もあってか存続され、税金が源泉の補助金によって経営状態は回復しました。結果的に積極的な設備投資や新幹線の開通もあり、
2023-02-15
4
学生による地域キュレーション2022(信州上田学A受講生)
長野大学の地域科目「信州上田学A」を受講した学生が「信州上田」を接点とした地域キュレーションの学習成果です。タイトルを選ぶとその学生のマイサイトを表示します。 ▼カテゴリ1:蚕都上田
【1】
長野県の中でなぜ上田市が蚕都で有名なのか
【2】
上田の養蚕の歴史を掘り下げ、伝え続けるには。
【3】
蚕都上田の歴史と未来
【4】
製糸業の歴史
【5】
蚕都上田の歴史
【6】
蚕都上田
2023-02-10
5
中塩田駅周辺のロケ地
中塩田駅周辺では、まさに「中塩田駅」がロケ地となっています。 ・「告別」(2001) ・「零 ゼロ」(2004) などがあります。
2023-02-08
6
大学前駅周辺の聖地(JA信州うえだ塩田東山観光農園)
大学前駅周辺の聖地、最後は「JA信州うえだ塩田東山観光農園」がロケ地となった作品です。いちご狩りなどが楽しめる人気のスポットですよね! ・「零 ゼロ」(2004) ・「博士の愛した数式」(2006) ・「たとえ世界が終わっても」(2007) ・「それでも、生きてゆく」(2011) ・「赤い糸の女」(2012) などがあります。
2023-02-08
7
塩田町駅周辺の聖地
塩田駅周辺には、「塩田中学校」があります。頻繁にロケ地として使われている中学校です。在学生が羨ましい…! 塩田中学校では、 ・「さよなら、クロ~世界一幸せな犬の物語~」(2003) ・「血と骨」(2004) ・「嫌われ松子の一生」(2006) などのロケ地となりました。 https://map.umic.jp/loca_map/map.html
2023-02-08
8
西塩田時報から学ぶライフハック④
西塩田公報には『家庭メモ』というコラムがあり、生活に役立つコツやレシピなどを紹介している。 ここでは私が気になった記事を紹介していく。 ~この記事で知ることができるライフハック一覧~ ・味噌のカビを防ぐには笹の葉を表面に敷き詰める ・食塩をさらさらのまま保存するには、容器の底に粉炭を入れてその上にザラ紙(新聞紙などのわら半紙)を12枚敷き詰めておく ・水虫対策には、煎茶を患部に当てる ・切り傷に応急手当には、煙草の粉を患部に当てておくと出血が止まる ・醤油の白カビを防ぐには容器に焼酎を入れておく ・やけどをしたときにはきゅうりの種を綿にしみこませて患部に当てると痛みも引き水ぶくれにもならない。 今回は応急手当だったり、調味料の保存法の知恵ですね。私が気になったのは「煙草の粉」
2023-02-08
9
西塩田時報から学ぶライフハック③
西塩田時報には『家庭メモ』というコラムがあり、生活に役立つコツやレシピなどを紹介している。 ここでは私が気になった記事を紹介していく。 ~この記事で知ることができるライフハック一覧~ ・玉ねぎを調理するとき、ぬるま湯の中で皮をむくと涙も出ないし、手にも臭みが残らない ・天ぷらの衣にはすりおろしたとろろ芋やベーキングパウダー、重曹を混ぜると軽くておいしい衣になる ・魚を焦がさずに焼くには、尾やヒレなどの焦げやすい部分に塩を塗ってから焼くとよい。また二をかぶせて焼くと熱が逃げないので、上手に焼ける パンを薄く切るには包丁を熱い湯につけて温めてから切るときれいに切れる ・革物の汚れには揮発性のもので洗った後、コールドクリームか靴クリームを薄く塗る 今回は調理の知恵が多いです。天
2023-02-08
10
村のトピック
村での些細な出来事を取りあげられている。お祭りや講演などのイベントから、火の用心といった注意喚起まで、町中の出来事が掲載されている。 現在の広報と似ている部分であり、何年経っても続いているのが面白いと思った。 「西塩田公報」昭和26年6月10日 https://www.mmdb.net/mlab/uedagaku/pdf/nishishioda/vol2.pdf
2023-02-08
11
農事メモ
農業で大切になるポイントや注意すること、栽培方法などがメモとしてまとめられている。 「馬鈴薯の収穫は必ず乾燥した時に実施して下さい」など、農業初めての人でも読んだら分かりやすく、ここまで詳しく説明する広報は見たことがないため、面白いと感じた。 「西塩田公報」第59号 昭和27年7月5日 https://www.mmdb.net/mlab/uedagaku/pdf/nishishioda/vol2.pdf
2023-02-08
12
元旦の広告欄
ページ全体の2/5が別所温泉 花屋ホテルの広告となっている。 #16
『西塩田時報』第4号(1924年1月1日)2頁
2023-02-05
13
ふれあいの里公園
塩田の館を中心とした庭園風の公園です。独鈷山を背景に四季を通じて楽しめるよう、さまざまな樹木が植えられています。また高台の地形を生かしてあるため、塩田平が一望できます。 引用元 Ueda City Database ( 2032014) https://museum.umic.jp/johogura/nishishioda/2032014/2032014.html
2023-02-04
14
終わりに
西塩田時報を読み進めていく中で、自分のテーマと関係のない面白い記事がいくつかあり、探求に時間がかかってしまった。 戦前の記事からは、まず「食」に関する記事を探すことが難しく、記事があっても、材料の栽培方法や保存方法について書かれていることが多いという印象を受けた。 戦後の記事からは、たくさんの「食」に関する記事を見つけることができ「家庭メモ」や「季節の料理」のような記事が多い印象を受けた。その中には現代でも食べられているメニューやレシピがあったが、食材の違いや、栄養素の偏りといった面で、現在とは大きく異なっていた。 戦前と戦後の記事から、戦前は材料の栽培保存、戦後はレシピや栄養素について書かれていることが多いと感じた。 このことから戦後は戦前に比べ、他国の食文化が普及したり、
2023-02-01
15
西塩田時報から学ぶライフハック②
西塩田公報には『家庭メモ』というコラムがあり、生活に役立つコツやレシピなどを紹介している。 ここでは私が気になった記事を紹介していく。 ~この記事で知ることができるライフハック一覧~ ・壁についたインクや墨汚れを落とすには白布に食酢を二倍に薄めたものをぬらして拭く ・手についた魚臭さはミカンの皮を茹で、その煙を手に当てると匂いは消える ・鼻が詰まるとき、洗ったドクダミの葉を塩でもみ、細かく刻んだものを鼻の中に入れる。30分から1時間ほど待機×3回ほど行うと鼻詰まりが解消される。 薬が簡単に手に入らない時代だと思うので、こういった身近な植物を使った治療法が良く記載されています。 現代でもこの知識は活用され、薬という風に形を変えて存在しているものも数多くあります。昔の人の知識
2023-02-01
16
西塩田公報から学ぶライフハック①
西塩田公報には『家庭メモ』というコラムがあり、生活に役立つコツやレシピなどを紹介している。 ここでは私が気になった記事を紹介していく。 ~この記事で知ることができるライフハック一覧~ ・サビた包丁には大根の切り口に歯磨き粉をつけて磨く ・おでき(ニキビ?)には患部に直接ゴボウの葉を当てて縛っておくと膿が抜ける ・新品の歯ブラシを使う前に熱い塩水に水が冷めるまでつけておき、しっかりと乾かしてから使うと二倍長持ち ・味付けをする際、塩は砂糖よりも材料にしみこむ速度が速いため、砂糖は先に使うこと 現代では用途によってさまざまな洗剤や掃除用具が存在 していますが、この記事掲載時(昭和28年4月5日)にはまだそういったものはなく、知恵を用いて生活をしていたことがうかがえます。 また、
2023-02-01
17
上田のスポーツ
塩田地域では青年たちによるスポーツの大会が開かれており、競技は野球とバレーでした。記事の内容には競技のなかでのスポーツマンシップについてやどんなプレーがでたのかが書かれていました。 それとは別にも村の体育祭も開催されていました。多様な種目にわたるものになっており、おもしろい名前の競技もありました。「まずいっぷく」や「2百才リレー」などがとても興味をもちました。 また、現在でも上田オール西部というソフトボールチームが存在しています。大会に優勝し北海道での全国大会に行くことも書かれています。同様にバレーもママさんバレーとしてチームがあり、こちらも優勝を経て全国大会に行っています。これらも過去の歴史として地域で盛んだったスポーツの熱が残っていることが一つの地域の伝統なのではないでし
2023-02-01
18
小学校だより 運動部
学校だよりの内容はいまの小学生がもらってくるものと同じで保護者向けのものでした。しかし今よりも謙っておりとても丁寧に固い表現な印象をうけました。 運動部の欄では野球部の部分のみを投稿しているがそれぞれの部活動のメンバーがフルネームで掲載されていました。プライバシー面で今は論争が巻き起こりそうですね。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1260 『西塩田公報』第83号(1954年8月5日)4頁 リンクする場合は以下のようにHTMLで記述する “”は付けないこと
https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p1261.jpg
2023-01-31
19
川西野球排球大会
塩田の地区でスポーツの大会が開かれていたことを初めて知りました。こども達のリトルやクラブチームの試合は現在でもありますが、地域で試合が開かれていたことに驚きです。中塩田や室賀などのいまでも知っている地名が野球やバレーができるほどに人数が集まっていたことが一番の驚きです。いまもやってほしいですね。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1260 『西塩田公報』第83号(1954年8月5日)4頁 リンクする場合は以下のようにHTMLで記述する “”は付けないこと
https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p1261.jpg
2023-01-31
20
はじめに
西塩田時報の斜め読みで見つけた「うつかり喰へない菓子」という記事に面白みを感じ、当時の食生活をテーマにキュレーションを行うことにした。 時代の変化に伴う食生活の違いに興味を持ったため「戦前と戦後の食生活の違い」をテーマに記事をまとめた。 各記事の説明欄には、当該資料の私なりの要約が書かれている。 「終わりに」には資料を読んだ私なりの考察が書かれている。
2023-01-31
21
記事3
この記事は戦事の状況の報告である、「帝国」や「正義」などの語彙で、今の所で見ればは妙な体験だ。 参考資料:西塩田時報(1937~)第161号~第180号 昭和十二年八月号
2023-01-30
22
記事2
これらの記事から、満州事変後に、満洲国の移民の宣伝である、東京以外の地方ではそういう宣伝があれば全方位で、特にあの時代で影響力が高いの新聞で宣伝が多ければ、全面戦争の始まりのサインではないかと思う。 参考資料:西塩田時報(1937~)第161号~第180号 昭和十二年四月号 昭和十二年七月号
2023-01-30
23
記事1
昭和六年一月号 この記事は徴兵制度を示したものである、全面戦争前の1931年に戦争の準備をはじめと見える様子。 参考資料:西塩田時報(1930~)第81号~第100号 昭和六年一月号
2023-01-30
24
尺貫法からメートル法へ(1933)
メートル法に関するプリントを、生徒の各家庭に配布したという記事である。この記事の翌年の1934年に、日本従来の尺貫法が廃止され、メートル法が取り入れられた。これまで使ってきた単位を、使わないようにしなければならないと考えると、当時の学生はとても苦労しただろう。教育において、使用する単位を変えるということはとても大変なことだ。 #507 「西塩田時報」第114号(1933年5月1日)3頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/pdf/nishishioda/ns07_101to120.pdf
2023-01-27
25
皆勤賞(1928)
1928年の西塩田村の学校における、皆勤賞に関する記事である。この記事を見て、当時から学校を休まないことを表彰する文化があることが分かった。また、25%もの生徒が1年間皆勤賞というところを見て、現在よりもはるかに高い数値に驚いた。おそらく当時は、今よりも学校を休んではならないという風潮が強かったのであろう。もしくは、外で遊ぶことが多かったから体が強かったのだろうか。 #234 「西塩田時報」第54号(1928年5月1日)2頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/pdf/nishishioda/ns04_041to060.pdf
2023-01-27
26
防空講習(1937)
1937年7月7日に当時の上田中学校で、防空に関する講演があったと書いてある。防空とは敵の空中からの攻撃から身を守ることである。1937年7月7日は日中戦争が開戦した日であり、当時の学校にも戦争に対する緊迫感が漂っていたことが予測される。 #738 「西塩田時報」第165号(1937年8月1日)2頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/pdf/nishishioda/ns10_161to180.pdf
2023-01-27
27
はじめに
私は、大正・昭和初期における教育の特色について調べていきたいと思う。西塩田時報の学校行事などについて書かれた記事を参照して、当時どのような教育が行われていたのかを解き明かしていく。また、当時、軍国主義となっていった日本だが、教育にはどのような影響が及ぼされたのかなども詳しく見ていきたい。
2023-01-27
28
別所温泉の歴史
塩田平を囲む山なみの西方にそびえる夫神(おがみ)岳のふもとに、この地方の古い歴史とともに、絶えまなく湧き続けて来たのが別所の温泉である。この自然の出湯と人とのかかわりは、夫神岳の麓から古代の布目瓦が多数発掘されたことによっても、その古さが想像される。 国造や国府の所在していた古代から、庶民の安息療養の場所であり、また温泉の効能と医薬信仰が、やがて仏教の霊場としての北向観音堂となったであろう。 別所の温泉は昔から”七久里(ななくり)の湯”と呼ばれたといわれ、平安時代の有名な和歌集にもその名をとどめている。 鎌倉時代には北条氏の居館塩田城にも近いので北条一族の好んで来湯することも多かったと想像される。国宝八角三重塔のある名刹安楽禅寺は北条氏の開基によるところから、別所とい
2023-01-26
29
上田市の自然文化について
別所温泉は、信州最古の歴史を持つ七久里の湯と呼ばれる温泉を持ち、平安時代の有名な和歌集にも記されている。安息の場として栄えた別所温泉は、かつて真田幸村の隠し湯があったとも言われていて、1500年以上の歴史を持っているとされている。 また別所を含む塩田平は、信州の鎌倉とも呼ばれ、温泉に限らず多くの文化財が残されている。 「幕宮池」と呼ばれる池は、日本で最も降雨量が少ないとされる位置にあり、多くのため池が作られた場所である。 〈参考資料〉 https://www.ro-da.jp/shinshu-dcommons/others/01DD001H230003 https://adeac.jp/shinshu-chiiki/catalog/mh055500
2023-01-26
30
戦後80年で人々の価値観はどう動いたのか
戦後日本において、新幹線が開通し、オリンピックが開催され、インターネットが普及する間に、日本人の価値観・人生観はその生活の様相とともに大きく動いてきたように思われる。そこで、戦前の人々の価値観は、現在を生きる我々から見ていかに違うのかを研究する。 本記事では西塩田時報第百八十二號第五頁を取り上げて述べる。 「幹部修養講習會に出席して」という項目は、「原田晴章」なる人物が、「三好武治」なる人物の講演の一端を書くというもの。講演の内容は、主に支那事変(日中戦争の、当時の日本での呼び名の一つ)についてのものである。 「日本で今度の事變での勝利は精神力である」 「支那事變は世界に類の無立派なる所の正しき戰争である」 このような記述がある。やはり根拠のない精神論や戦争を美化する意
2023-01-26
31
ゼミ発表資料
参照 Vol113■とく☆とく信州 塩田平のため池群 | 楽園信州 https://blog.nagano-ken.jp/magazine/various/622.html
2023-01-27
32
別所温泉の魅力を塩田平活性化に活かす
別所温泉には落ち着くカフェ、きれいな景色など様々な魅力があります。 ただ道が狭く、坂も多いため、観光が大変という面もあります。 そこで超小型車の活用やガイドの方を募り、車で移動しながら、そしてガイドの方の説明を聞きながら、別所温泉を観光するというのも良いのではないでしょうか?
2023-01-26
33
塩田平のため池
上田は雨が少なく、その中でも特に塩田には大きな河川が通っていないため水不足になりやすい。しかし米作りをするためには水がたくさん必要である。そこで塩田平には江戸時代を中心に多くのため池が作られた。それぞれの池に個性的な名前が付けられているので、散歩がてら観察してみるのも面白い。
2023-01-26
34
塩田から見る
私は信州上田学の授業を通じて、塩田の地域の発展に必要なことを自分なりに考えました。
2023-01-26
35
桑皮生産増強に就て(『西塩田村公報』第5号2項)
桑皮生産の増強についての記事である。上田は桑栽培の適作地であったことから桑が多く栽培されていた。 蚕の餌として生産していたと考えていたが、戦時中は繊維資源としても生産していたようである。 また、「東亜共栄圏」という言葉が多く使われている。 日本政府がスローガンとして使っていただけでなく、日常でも「東亜共栄圏」という言葉が使われていたことが分かる。 ▼この記事は以下から参照できます。
#928 『西塩田村公報』第5号(1942年5月22日)2頁
2023-01-25
36
別所神社本殿
別所神社本殿は、別所温泉の北方、常楽寺に隣接し、塩田平をはじめ遠く浅間連峰が望める小高い丘の上にあります。 https://museum.umic.jp/bunkazai/document/dot14.htmlより引用
2023-01-25
37
岳の幟
塩田平の西辺に位置する別所温泉地区には、「岳の幟」と呼ぶ雨乞〔あまご〕いの祭りが伝わっています。この塩田地方は昔から水不足で大変悩まされてきた所で、灌漑〔かんがい〕用の溜〔ため〕池も多く造られ、雨乞い行事もいろいろ行われてきました。 ー中略ー 祭日は例年七月十五日(近年その日に近い日曜に変更)として、別所の上手〔わで〕・院内〔いんない〕・大湯〔おおゆ〕それに昭和四十九年大湯から独立した分去の四地区で、輪番〔りんばん〕に幟の役に当ります。夜明前に、上部に笹のついた竹竿と巻いた布を担いで夫神岳に登り、日の出と共に九頭竜神の石祠に布と神酒を供え、郷中の安全と五穀豊饒〔ごこくほうじょう〕を祈ります。 ー中略ー 支度を整えて日影公民館に待機をしていた三頭獅子とささら踊りの一行がそれに加わり
2023-01-25
38
別所温泉 解説
塩田平を囲む山なみの西方にそびえる夫神(おがみ)岳のふもとに、この地方の古い歴史とともに、絶えまなく湧き続けて来たのが別所の温泉である。この自然の出湯と人とのかかわりは、夫神岳の麓から古代の布目瓦が多数発掘されたことによっても、その古さが想像される。 国造や国府の所在していた古代から、庶民の安息療養の場所であり、また温泉の効能と医薬信仰が、やがて仏教の霊場としての北向観音堂となったであろう。 別所の温泉は昔から”七久里(ななくり)の湯”と呼ばれたといわれ、平安時代の有名な和歌集にもその名をとどめている。 鎌倉時代には北条氏の居館塩田城にも近いので北条一族の好んで来湯することも多かったと想像される。国宝八角三重塔のある名刹安楽禅寺は北条氏の開基によるところから、別所という地名は
2023-01-25
39
大東亜戦争完遂映画会(『西塩田村公報』第5号4項)
農村でも映画会を開き、戦果を伝え、国民の団結力と忠誠心を強めていたと考えると、いかにマスメディアが戦争に利用されていたかが分かる。 上映されていたものはおそらく大本営の戦果発表だと思われる。そのアーカイブはNHKの戦争証言アーカイブス、戦時録音資料で参照できる。 この記事が書かれた当時(1942年5月22日)は、日本軍が優勢であったとされる。アジア・太平洋戦争の転換期であるミッドウェー海戦はこの新聞が発行されて約2週間後に起こる。 NHK「戦争証言アーカイブ 戦時記録資料 勝利の記録」
https://www2.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/sp/list.cgi?cat=kiroku
2023年1月25日閲覧 ▼この記事は以下から参照できます。
#930 『西塩田村公
2023-01-25
40
塩田平の魅力の発信
塩田平のちにはため池が点在しており、塩田平の駅を降りるとため池が広がっています。もともとこの土地は塩田3万石といわれる上田藩の穀倉地帯だったのにも関わらず、恵みの雨が少ない地域でした。そのため、古くから人々にとってため池は、支えになっていたのです。そして、この塩田平には長い歴史があります。歴史があるということは、人が生きた物語があるということです。私は、こういったものを上田の地元の人はもちろん、観光客の方にも伝え発信していきたいと考えました。 こういった、地方の魅力を磨き上げ発信していくためには、まず若者の力は必要です。しかし、現在、地方の若者の人口は年々減少し、若者はみんな都心に流出していしまっています。その原因には、地方の地元の魅力をあまり理解できてなく、利便性だけが追
2023-01-23
41
上田の魅力と活性化
単元3を通して、塩田平地域は「信州の鎌倉」と呼ばれ、多くの寺院や文化財、ため池など様々な魅力があることが分かった。しかし、活性化を考えたときに、オシャレや写真映えなどに興味がある若者からすると、現在の塩田平にあまり興味が湧かないと感じた。 そこで、ため池を活用した花火を打ち上げやイルミネーション、夜桜や紅葉をライトアップすることで若者を呼び込めると考えた。広いため池では、スワンボートのような足漕ぎボートを設置することで、若者だけでなく親子も楽しめると考える。 また、生島足島神社で祭りを開催したり、マルシェのようなものを開いたりすることで、老若男女問わず楽しめる場所になると考えた。マルシェでは地域の特産品などの宣伝を行うことも可能である。 以前、「信州上田レイライン線」
2023-01-23
42
釜めし
大学前駅から別所温泉方面に2駅進んだ中塩田駅のすぐ近くにある、小料理屋 禅美庵で食べた釜めし。1000円代前半と学生にも優しい値段でとてもおいしいのでおすすめしたい。
2023-01-23
43
鉄道施設としての別所線
写真の通りに別所温泉駅では、日本遺産の別所線の鉄道施設としての説明看板が立てられています。 上田から別所温泉までの路線は大正10年(1921年)に開通したと書かれています。 また、真っ赤な鉄橋である千曲川橋梁(きょうりょう)は224メートルの長さであったそうです。 中塩田駅や別所温泉駅など駅舎に近代の趣が残っている様子が見る事が出来ます。
2023-01-22
44
前川ゼミ まとめ
課題の提起 大学に進学するにあたり塩田平のアパートを借りた。半年ほど生活してみて上田市の中心地や海野町商店街と比べてあまり生活しやすいとは言えなかったため。 なぜそうなのか 田んぼやため池が多いため土地が確保できないので生活に必要な施設などの距離が遠い。 探求の目標 どのようにすればもっと住みやすい街にできるのかを見つける 「塩田平を住みやすい街に」 塩田平は上田駅周辺と比べて非常に住みにくく感じた。スーパーなども遠く24時間営業ではないし、スポーツ用品店などもアリオまだ行かないとない。それなのに電車の本数も少なくバスもないためどこに行くにしても車が必要となってくる。そのためまだ免許や車を持っていない人や免許を返納したお年寄りなどにとっては非常に生活しずらくなっていると思
2023-01-19
45
スマートな時報サイレン(『西塩田公報』第71号(1953年8月5日)2頁)
この記事はスマートな時報サイレンを紹介した記事です。役場屋上に取り付けたということでしたが、埋め込み式なのはとてもシュールだと感じました。サイレンといえば浮いているイメージでしたから、当時では画期的なサイレンだったのでしょうか。しかし、サイレンの音が建物に共鳴して役場に影響は無かったのでしょうか。それだけが気になります。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1210 『西塩田公報』第71号(1953年8月5日)2頁
https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p1210.jpg
2023-01-16
46
バス時間表(『西塩田公報』第56号(1951年12月5日)4頁)
この記事は、古文書を探るという記事の中になぜかバスの時刻表が載っている記事です。何の脈絡もなく時刻表が出てきているところと、運賃は果たしてかかるのだろうかという疑問も湧き出てきます。バスもイラストではなく写真を利用しているところに編集者のセンスが垣間見えます。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1160 『西塩田公報』第56号(1951年12月5日)4頁
https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p1160.jpg
2023-01-16
47
上田市マルチメディア情報センター
上田市マルチメディア情報センターは、長野大学の少し上に位置している、情報化を総合的に支援する環境が整っている施設である。 ●施設・概要 学生は無料で使用できる学習スペース、3Dプリンターがあり、アニメや映画などを250作品以上見ることができるPCが置かれていた。また子供や大人も活用できる学習空間がある。 他には教育支援や無線LAN有線LANの管理など地域にも貢献している施設である ●上田資料映像鑑賞 上田市の50年前の資料映像を見させていただいた。 そこでの貴重な映像を紹介する。 ●「上田つむぎ」信越放送 1964年1月16日放送/上田紬/私たちの周辺 人手を要する養蚕は機械化をする必要はあるが、あまりにも機械化をしてしまうと伝統が欠如してしまう可能性があるとのこと。 手織りのものは個人に合わせて作
2023-01-12
48
2023元日の上田
2023年の元日は晴天に恵まれ、塩田平にある生島足島神社へ初詣に出かけました。いつも見慣れている風景ながら、「上田とはどんなところか?」、改めて眺め直してみました。 上田からは烏帽子岳が最もよく見えます。何よりも烏帽子状の山容が美しい。 次に美ヶ原、深田久弥が「日本百名山」に選んだ山の一つ。山の頂は起伏が極めて少なく平坦に長く続き、これが一つの山とは認知しがたいぐらいに「控えめ」な佇まいをしています。地元の人は美ヶ原とは呼ばず「うつくし」と呼びます。山頂はほぼ平坦ながらわずかばかり高く見える山頂にテレビ塔がいくつも立ち並んでいます。美ヶ原はこのテレビ塔の存在がアクセントとなり不思議に美しい。 小牧山は地元の人々もそれが何山かを意識することなく存在している超低山です。この地点は地
2023-01-03
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女の多い話(『西塩田時報』第7号(大正13年7月1日)4頁)
【女の多い話】 小学校において、男児よりも女児の方が多いとする統計データについて、「飛鳥生」なる人物が私見を述べるという項目。一般に男性と女性の人口比は105:100と言われている。飛鳥は先述の統計を「面白い研究材料」と述べていたが、私も甚だそう思う。飛鳥はこれについて、女性の労働が少ないことが原因であると冗談交じりに述べていた。 【雑草】 「名のある人によって成し遂げられた事ばかりが尊い事ではない」という書き出しが目を引いた。功績をあげた人がどんなに名のある人かよりも、功績そのものがいかに素晴らしいかを評価すべきであるというのは、私の人生観に一致する。価値観というのは時代と共に変わっていくものと思っていたが、共にする場合もあるものだと感じた。
2022-12-28
50
川西野球排球大会
今でもこれほどな大差がつくのは野球でも珍しいため面白かった。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1180 『西塩田公報』第60号(1952年9月5日)2頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p1180.jpg
2022-12-27
51
子供はしつけ第一 服従の習慣から――(『西塩田時報』(1930)第81号(昭和5年8月1日)3頁)
子どものしつけについて書かれた記事です。子どもが言うことを聞くのは親が習慣をつけているかどうかだと、子どもの心のあり方を述べながら説明しています。 ▼この記事は以下から参照できます。 #349 『西塩田時報』第81号(1930年8月1日)3頁
https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0349.jpg
2022-12-26
52
体力検査成績発表!!(『西塩田時報』第187号(1925年6月1日)1頁)
学校のカリキュラム上の新体力テストのようなものだと思いましたが、地域の青年団員の成績結果でした。一番上に百米(100m)の結果が広報されているのですが、12秒台の方が先頭にいらっしゃいます。現在においてもかなりの記録です。靴や走り方を学べばもっと良い記録を狙えると思います。 ▼この記事は以下から参照できます。 #364 #364 『西塩田時報』第187号(1925年6月1日)1頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/pdf/nishishioda/ns11_181to204.pdf
2022-12-26
53
健康第一
いつの時代も健康って大事だよなあと考えさせられたこの記事が好き。 『西塩田時報』第16号(1925年3月1日)4頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0074.jpg
2022-12-26
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生活雑記(『西塩田時報』(1954)第82号(昭和7月3日)3頁)
日常の様子が描かれた雑記です。朝からご飯をつくり、主人を送り出し、洗濯をして…とせわしなく家事や畑仕事をこなす女性の姿が描かれています。 新聞をゆっくり読む暇もない様子の女性から、ひとときと書いたのはなぜかなと考えてしまいます。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1255 『西塩田公報』第82号(1954年7月5日)3頁
https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p1255.jpg
2022-12-26
55
農事メモ(『西塩田広報』第80号)
当時の気候変動に農家はどのように対応すればよいかが描かれていた。 #1246『西塩田広報』第80号 2ページ
2022-12-26
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支部通信「浅間山行」
浅間山登るのがしんどいというのが伝わってきて面白いと感じた。そして、今よりは道も整備されてなかったのではないかなどと想像が膨らんで、見ていて面白いと感じた。 『西塩田時報』第9号(1924年9月1日)3頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0047.jpg
2022-12-26
57
秋冬の短歌と俳句(『西塩田時報』第32号(1949年11月20日)2頁)
数多くの短歌や俳句がある中で、房子さんの「雨晴れや夕日に映える紅葉山」が風景・情景が頭の中で想像できて、素敵だったため、選びました。 皆さんはどの短歌や俳句がお好きですか? ▼この記事は以下から参照できます。 『西塩田時報』第32号(1949年11月20日)2頁
https://https://mmdb.net/mlab/uedagaku/pdf/nishishioda/ns15_post021to040.pdf
2022-12-26
58
禁酒
飲酒のデメリットが延々と綴られており、ユーモア溢れる記事だった。非常に文章のリズムが良いため、声に出して読んでみることをオススメする。 これを読めば「禁酒してみようかな」と思えるかもしれない。 ▼この記事は以下から参照できます。 #75 『西塩田公報』第1号(1923年7月1日)4頁
https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0004.jpg
2022-12-26
59
家庭メモ(『西塩田広報』第77号)
料理や衛生管理に必要なものについて今では様々な便利なものが普及し、それを買えばよいが当時はそういったものがなかったので身近にあるもので工夫されてきたことが記されている。 ♯1230 「西塩田広報」(昭和29年)4ページ
2022-12-26
60
昭和27年(1952)の殺人事件(『西塩田時報』第73号)
西塩田広報第73号より 加害者の住所が朝鮮でしたので、てっきり異邦人の犯罪かと思いましたら、当時の朝鮮のこの地区は日本領土でした。強盗内容も千円とありますが、当時の相場としては約5倍ほどだそうです。(間違っていたらすみません)時代背景がわかる記事ですので取り上げさせていただきました。 ▼この記事は以下から参照できます。 #364 #364 『西塩田時報』第73号(1952年7月3日)2頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/pdf/nishishioda/ns17_post061to080.pdf
2022-12-26
61
食べる楽しみ食べる工風(『西塩田時報』第22号(1949年1月25日)3頁)
お正月の雰囲気がこの記事から感じられるので、お気に入りです! ▼この記事は以下から参照できます。 『西塩田時報』第22号(1949年1月25日)3頁
https://https://mmdb.net/mlab/uedagaku/pdf/nishishioda/ns15_post021to040.pdf
2022-12-26
62
女子の意見の出ない訳(『西塩田時報』第6号(1947年6月20日)4頁)
男女同権の思想がちょうど広まった時代、女性の意見が少ないことが、当時の男性はどう思っていたのかが分かるお記事です。一理あると思える意見もあれば、それは筋違いだろうと思ってしまう意見もありおもしろいと思いました。 ▼この記事は以下から参照できます。 『西塩田時報』第6号(1947年6月20日)4頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/pdf/nishishioda/ns14_post001to020.pdf
2022-12-26
63
農村のテトメよ
男尊女卑が激しく当時は束縛が多かった女性だが農業をすることには何の束縛はないという当時の風習が分かるという部分が興味深く面白いです。 ▼この記事は以下から参照できます。 #364 #364 『西塩田時報』第84号(1930年11月1日)2頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0364.jpg
2022-12-26
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標語(『西塩田時報』第28号(1926年3月1日)3頁)
今から約100年前の時代の標語です。 緩い現代を生きている身からすると、少し厳しく感じました。 ▼この記事は以下から参照できます。時報』第28号(1926年3月1日)3頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/pdf/nishishioda/ns03_021to040.pdf
2022-12-26
65
成人式行事(『西塩田時報』第100号、1956年)
私は今年度成人式を行いますが、こんなに昔から成人式があったことに驚きました。しかし、式の内容はいまと全く違う内容であったので非常に興味深かったです。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1327 『西塩田公報』第100号(1956年1月1日)1頁
https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p1327.jpg
2022-12-26
66
農業議員選挙(『西塩田時報』第82号、1954年)
昔は農業議員選挙というものがあったことに驚きました。さらに今では選挙はCMやチラシなどで目にすることが多いですが、かつては時報でそれを伝えていたことにも驚きました。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1254 『西塩田公報』第82号(1954年7月5日)2頁
https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p1254.jpg
2022-12-26
67
運動のシーズン!(『西塩田時報』第70号(昭和4年9月1日)3頁)
運動促進を喚起する内容の記事である。まず「ゴム底足袋」というワードのインパクトがすごかった。また百年程度で足袋からいまの靴に進化していることにも驚いた。現在の新聞にあるような小さな広告だが面白さを感じた。 ▼この記事は以下から参照できます。 #305『西塩田時報』第70号(1929年9月1日)3頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0305.jpg
2022-12-26
68
お盆用必需品は自分の店で!(『西塩田時報』第69号(昭和4年8月1日)3頁)
お盆に必要なものは組合でそろえてくださいという内容の広告の記事だが、現在のCMを文面にしたらこうなるのかなと想像もできて面白い。また、「組合」「配給」も当時の様子を想像できて興味深かった。 ▼この記事は以下から参照できます。 #301『西塩田時報』第69号(1929年8月1日)3頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0301.jpg
2022-12-26
69
いゝ本を読みたい
「いゝ本を読みたい」という極めて世俗的なタイトルに惹かれた。何かに触れて心が動かされるという行為は、今も昔も変わらないということを実感できた。昔の人というのは遠い存在に感じがちだが、この記事を読んで近くに感じることができた。 「そして自分の頭の悪いのが何より悲しみの深い一つだ」という最後の一文が特に共感できる部分である。 ▼この記事は以下から参照できます。 #75 『西塩田公報』第17号(1925年4月1日)1頁
https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0075.jpg
2022-12-26
70
給桑上の注意
当時の蚕への給桑について書かれていました。 桑の状況や蚕の状況、気温などに考慮して与えていたのかが分かります。 蚕の食欲に普通期、此連食期、間食期、休食期があるのがとても興味深かったです。 この記事は以下から参照できます。 「西塩田時報」第142号(1935年9月1日)4貢
2022-12-26
71
さばとにしんの調理法
西塩田時報には、「家庭メモ(家庭欄)」というコーナーがあり、ここでは家庭の豆知識を読むことができます。 昭和24年と古い記事なのですが旬の魚のレシピとしてサバとニシンが紹介されていました。 ぜひ皆さんも作ってみてはいかがでしょうか? この記事は以下より読めます。 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/pdf/nishishioda/ns16_post041to060.pdf
2022-12-26
72
小学校だより 『西塩田時報』第19号(1925年6月1日)3頁
当時の西塩田小学校生徒の身体測定の結果が載せられた記事。「身体測定の結果が公にされる」こと事態が現代では考えられないことですが、結果についての講評から軍隊としての戦力をほのめかす様な印象を受け、時代の違いを感じられる記事でした。 ▼この記事は以下から参照できます #85
『西塩田時報』第19号(1925年6月1日)3頁
2022-12-26
73
家庭パンの作り方 『西塩田時報』第138号(1935年5月1日)3頁
一般家庭向けの食パン、菓子パン用のフルーツジャムやクリームのレシピが掲載されている記事です。小麦粉、砂糖などの単位がグラムだけでなく匁(もんめ)でも書かれていたり、文体が現在と異なっている点に興味を惹かれました。一番気になったのは材料についてで、「家庭パンの作り方」とありますが、当時の一般家庭でバター等はどれぐらい貴重だったのか等想像が広がる記事でした。 ▼この記事は以下から参照できます。 #615
『西塩田時報』第138号(1935年5月1日)3頁
2022-12-26
74
文芸・雑煮(『西塩田時報』第12号(1948年1月30日)4頁)
文芸のコーナーに掲載された小説。戦後の雰囲気を感じさせる。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1006『西塩田時報』第12号(1948年1月30日)4頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p1006.jpg
2022-12-26
75
偶言(『西塩田時報』第124号(1934年3月1日)4頁)
悪意はないのに人との用事を先送りにしてしまう悪習を改めるべきだという記事。 現代にも通ずるこの習慣は戦前にもあったのかもしれない。 ▼この記事は以下から参照できます。 #552『西塩田時報』第124号(1934年3月1日)4頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0552.jpg
2022-12-26
76
乳児の育て方
現代ではネットや書籍など様々な情報ツールが存在し、分からなければそれらを頼れば大抵は解決できます。しかし、過去戦前の世ではそのような対応をとれない中、本記事のように時報の中で情報の提供が行われていたようです!今回はその中で目に付いた「乳児の育て方」といった内容の記事を取り上げてみました。 想像以上に詳しく説明がなされていて驚きました。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1168 『西塩田公報』 第31号(1926年6月日)1頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/pdf/nishishioda/ns03_021to040.pdf
2022-12-26
77
睡眠について
現代、理想的な睡眠についてはいろいろな研究や見解をもとに様々な意見が展開されています。そんな中、過去戦前の世の中では一体どういった睡眠サイクルが良いものとされていたのか本記事ではそう言った内容を知ることができます。 戦前の世の中だからこその違った視点などで論じられている部分もあり、なかなかに興味深かったです... ▼この記事は以下から参照できます。 #1168 『西塩田公報』 第29号(1926年4月1日)4頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/pdf/nishishioda/ns03_021to040.pdf
2022-12-26
78
主食類盗難予防に就て(『西塩田時報』[戦後]第30号 1949年9月20日)
この時代でもまだお米は貴重なものであったことが分かった。盗んでいくものがお金ではなく、お米を盗んでいる所が今の時代には全く見当がつかないところで面白さを感じた。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1063 『西塩田時報[戦後]』第30号(1949年9月20日)3頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p1063.jpg
2022-12-26
79
なぜ金を政府へ(『西塩田時報』第188号 1939年7月1日)
金を納めさせる理由として日本で使われている「お札」では海外との取引が出来ないということが書かれている。 当時はそれを理解していなかった人も多かったのかもしれない。 ▼この記事は以下から参照できます。 #843 『西塩田時報』第189号(1939年8月1日)1頁 (恐らく表記ミスで189号になっているが正しくは188号)
https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0843.jpg
2022-12-26
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故郷から兵たいさんへ(『西塩田時報』第176号 1938年7月12日)
兵隊さんが安心して戦えるように故郷から幼い子供がメッセージを送っている。 漢字とひらがなが織り交じっており、どこか心にグッとくるものがあった。 ▼この記事は以下から参照できます。 #784 『西塩田時報』第176号(1938年7月12日)2頁
https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0784.jpg
2022-12-26
81
学校だより
学校生徒の身長体重について、全国と比較したデータなどが載っている。 現代では、生徒の発育状況について詳しく記事になることは考えられないが、当時は身長や体重も重視されていたのだと思った。 ▼この記事は以下から参照できます。 西塩田時報 第一号(大正12年7月1日発行 3ページ)
2022-12-26
82
歳入出予算表
村のお金がどのような用途に使われていたのかが細かく書かれている。 伝染病の予防費や学費ものっていて、金銭の状況から当時の村の様子が想像できて新鮮だと思った。 ▼この記事は以下から参照できます。 西塩田時報 第一号(大正12年7月1日 2ページ)
2022-12-26
83
法律の施行内容、詳細に関する説明。
今回、私が紹介させてもらう記事は恩給法についての説明の箇所です。 当時、戦後による急速な時代の変化により法律改正があった際は一般国民にしらせるべく、あらゆるメディアを活用してその法律制度について説明がなされていたようです。昨今、法律改正が行われることがありますが細かい説明、項目までしっかり掲載されることは少なくなったと感じる点があります。私はこの当時の掲載の仕方が非常に効果的であると思ったので、現代にも反映させるべき点であると考えます。 (参考文献:西塩田広報第七六号 46頁)
2022-12-26
84
パトロールカー
西塩田村にパトカーが導入された際の記事を見つけました。今とは違ってパトカーと略さずに「パトロールカー」と呼ばれていることが新鮮に感じました。また、形状も現代のパトカーとかけ離れていて驚きました。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1196『西塩田公報』 第67号(1953年4月5日)2頁
2022-12-25
85
野菜のゆでかた
野菜をゆでる際のコツが書かれた記事を見つけました。料理が下手な自分にとっては、結構参考になりました。あと、右上にミッキーマウス(?)が描かれているのが気になりました。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1168 『西塩田公報』 第57号(1952年4月1日)4頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/pdf/nishishioda/ns16_post041to060.pdf
2022-12-25
86
夢を読む
時代背景が伺える言葉選びと病弱な青年が活字によって人々の夢について語る部分がとても興味深かった。
2022-12-25
87
K君の日記
弟妹のけんかしている描写から始まるK君の日記。何気ない日常の中に現在の弟妹の姿から昔の自信を連想し懐かしんだりしているところに面白みを感じた。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1183『西塩田公報』第62号(1952年11月5日)3頁
2022-12-25
88
みんな輪になれ
この曲が発売されたのは昭和16年8月とされている。当時の踊りと言えば盆踊りが主流とされていたが軍歌に振り付けを付けて子供たちに教えていた人たちがいたそうだ。まさに軍国世界の音頭である。 ▼この記事は以下から参照できます。 『西塩田村公報』第7号(1943年3月30日)6頁
2022-12-25
89
お嬢様試験の問題集ーアナタは如何?ー(『西塩田時報』第31号(1949年10月20日)4頁)
10個の質問で自分がどのくらいのお嬢様かどうかを知ることが出来る記事。古い記事や堅い内容の記事が西塩田時報の中で非常にカジュアルな内容で目に留まった。お嬢様とはこうあるべきという心持を学ぶことが出来る。現代にも通じる内容などもあり、興味深いものだった。
2022-12-25
90
君たちは幸福だ
人の妻と心中したA氏と彼の後を追った若者達について書かれている。A氏を崇拝した若者達への皮肉がこもっている。 ▼この記事は以下から参照できます。 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0008.jpg
2022-12-25
91
青年の聲 【『西塩田時報[戦後]』第4号(1947年4月20日)1頁】
太平洋戦争が終結した際の日本国内の様子が書かれている。自分にとっては教科書的な内容であった国民主権や思想良心の自由への移行への国内の動向を知ることが出来た。今では当たり前にあるような考え方も当時は反発もあったようだ。現代とギャップが非常に興味深いものだった。
2022-12-25
92
学力試験問題
試験問題 当時の時勢が試験問題に現れている。 ▼この記事は以下から参照できます。 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0001.jpg
2022-12-25
93
暦の話『西塩田時報』第92号(1931年7月1日)1頁)
学者たちは、現在の暦はよく出来ているが不都合な点も多いため、もっと合理的で便利な暦を作ろうと長年研究していた。その結果、一年が13ヶ月からなる暦が作られ、それが国際会議に提案され採択されそうになっている。この機会に、暦の編み方、暦の歴史などについて書いてみるという内容の記事です。 まず1年が13ヶ月の暦が開発され採択されそうになっていた事実に驚きました。また、筆者は6ヶ月に渡り太陽や月、その他惑星について詳しく解説しており、この記事を読むだけで科学について学べそうだと感じました。 ▼この記事は以下から参照できます。 #397『西塩田時報』第92号(1931年7月1日)1頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0397.jpg
2022-12-25
94
壮丁学力検査問題(『西塩田時報』第1号(1923年7月1日)1頁)
明治時代、徴兵制度に基づいて満20歳の青年全員に行われた「壮丁検査学力試験」の問題が載っていました。壮丁検査とは、徴兵検査受検義務者を壮丁と称し、教育や学力の程度を測るための調査です。 「人の本分は何か」という問いや、「我等の進むべき道」という題の作文がありました。また、書取では「議会協賛」や「心身鍛錬」などが出題されていました。問題から、戦争が身近にあり、求められているのは化学的な知識や学力ではなく、愛国心や天皇や国策に関する理解だったことが読み取れました。 この記事は以下から参照できます。 #1『西塩田時報』第1号(1923年7月1日)1頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0001.jpg
2022-12-25
95
部落ニュース
この記事は西塩田時報の中で2番目に興味深いと思った記事である。これをなぜ選んだか、それは今ではあまり良い印象で使われない用語とされている「部落」という言葉が日常で使われていたということをしっかりと確認出来る生地だからである。 時代の移り変わりをしっかりと認識させる、そんな1枚であるなと思い昔のことに思いをはせながら読める記事である。 ▼この記事は以下から参照できます。 #567 『西塩田時報』第128号(1934年7月1日)3頁
https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0567.jpg
2022-12-25
96
イスカの嘴
私が西塩田時報の中で一番面白いと思ったものは「イスカの嘴」というタイトルの上田劇場で披露する予定の物語 今では使われないような「お役人」という言い回しもさることながら、文末が「エへヽヽヽヽ」で終わっているところにとても惹かれた。 村長にお願いする文言が書かれていたりしており、文末の「エへヽヽヽヽ」があることにより、下の立場のものらしい小物感がとても醸し出されていて読んでて面白い文章であった。 ▼この記事は以下から参照できます。 #5 『西塩田公報』第号(1923年9月1日)1頁
https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0005.jpg
2022-12-25
97
不況に對する意見表示(『西塩田時報』第82号(1930年9月1日)1頁)
この時代の景気や社会情勢が顕著に示されていてこの文だけで不況であったことが読み取れる部分が面白いと思った。 農民は節約をせざるを得ない状況にあり、生活が非常に苦しい状況であったことがわかった。また、この状況に対して消費節約、生活改善を促す内容ばかりであり、政治的な対応はされていなかったということも読み取れた。
2022-12-24
98
青年期の問題に就て(『西塩田時報』第65号(1929年4月1日)2頁)
青年期の問題について記載されており、その内容の中でも結婚年齢が徐々に遅れているという内容が現代と通じていて面白いと思った。この頃から「青年」や「壮年」が何歳からと規定されていたことを知り、驚いた。昔は15~25歳を青年と呼んでいたが、時が経つにつれ年齢が変化しているということを知った。 ▼この記事は以下から参照できます。 #284『西塩田時報』第65号(1929年4月1日)2頁
2022-12-24
99
お嬢様試験の問題集ーアナタは如何?ー(『西塩田時報』第31号(1949年10月20日)4頁)
「お嬢様なら○○であるでしょうね」と書かれた10個の問題があり、自分はどのくらいお嬢様であるか知ることができる記事だ。 男の友達を持っている、化粧が上手、花嫁修業のお稽古に忙しい等がお嬢様の条件とあり、偏見のことばかりが書かれているように思えるが、自分に当てはめて考えてみると面白いと思うので、是非ご覧いただきたい。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1068『西塩田時報』第31号(1949年10月20日)4頁
2022-12-23
100
女性の心理(『西塩田時報』第3号(1946年10月20日)3頁)
女性は感情性が強く、その感情が女性の心情を支配するものだと記されている。 同年4月に、女性に参政権が与えられた。「女性として、最も大切なことは慈愛心であり、柔順にして判断力が強く、徒に感情に走らず、事に嘗つては堪え忍ぶ底力の強いのが日本女性の美点とする處である。」という文章が、男女平等、女性を下に見ないために書かれた記事なのかと推測できる。 ▼この記事は以下から参照できます #961「西塩田時報」第3号(1946年10月20日)3頁
2022-12-23
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