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登録リスト(該当:11件)
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上田の蚕業について③
上田の蚕業について記された記録には、工女の消費活動についても以下のような記述があります。 工場の休日は日頃の長時間労働から解放された工女にとっては楽しいひとときで、小間物屋に寄って化粧品や小物を求めたり、呉服屋で普段着を買ったりしました。おやつの鯛焼きは工女に人気があり、休日や工場の開業前になると店先に行列ができるほどでした。(中略)常田館などのような大きな工場になると、呉服屋や小間物屋などが出張して郷里へのお土産を売りました。(「上田市誌 近現代編(2) 蚕都上田の栄光」135、136ページ上田市誌編さん委員会 平成15年3月1日信毎書籍印刷株式会社より) 既婚でもなく、子どもでもない、大人の労働者である工女たちの消費行動は羽振りが良いように感じられます。加えて、結婚前に、経済力と自由がある
2022-11-28
2
上田の蚕業について②
上田の蚕業について記した記録には、工女の労働待遇について以下のような記述があります。 糸引きは手の器用さが求められることから繰糸の仕事は主に女性が行い、製糸工場で働く人の9割以上は女性で、男性は1割にも満たなかったそうです。製糸工場が盛んになるにつれ労働力を確保するため各工場が工女募集に力を入れるようになり、金銭面の事情から、前貸し金を用意できる大きい工場が有利でした。工女の8割ほどは16~26歳の義務教育終了から結婚前の人たちだったため、勤続年数によって、針箱・鏡台・ちりめん羽織などが出され、長期勤続者になると結婚するときの嫁入り道具が揃うほどでした。工場では休日を利用して、花見や温泉へ連れて行ったり、工場が落語・浪花節・義太夫などを聞かせる慰安会をすることもありました。楽しいひ
2022-11-28
3
六工社の当時を見つめる
長野県立歴史館の常設展示にて当時の蚕糸業について見て学んできました。※撮影OKと表示がありました。 和田英が工女たちの指導をしていた六工製糸場は、官営富岡製糸場をモデルとし、一回に50人が作業できることから「フランス式50人繰り」と言われていました。 当時の様子を描いた絵にも、大人数の工女が並んで作業している様子が描かれていました。 また、人の小ささから工場は自分の想像しているよりも大きいことが容易に想像できました。それだけでも、この時代の蚕糸業の産業としての重要さや中心になっていたのだろうなと感じることができました。
2022-10-30
4
旧横田家住宅について
旧横田家住宅は1800年代前半から中頃にかけて建築されたとされる武家屋敷です。横田家は、幕末から明治・大正・昭和にかけて最高裁判長や鉄道大臣等多くの秀才を生んだ家です。明治時代には世界遺産の富岡製糸場へ伝習工女として働き、製糸場の様子を記した有名な「富岡日記」を書いた横田英がここで育ちました。
2022-10-29
5
現代に繋がる主導的産業の偏移について
幕末の開港によって長野県は地域経済を世界につなげることになった。そこで長野県を国外まで広げる一翼を担ったのは生糸でした。 長野県は外国との交流が始まると、器械製糸を取り入れ、養蚕や蚕種業の技術開発や改良に力を入れました。それで、蚕糸王国と呼ばれることになったわけです。長野県の近代のあゆみは養蚕や製糸業の盛衰に左右され長野県の命綱は、蚕糸業であったと断言して過言ではありません。 長野県の製糸業は県外や外国にまで進出し、日本の製糸の中心となります。なので、長野県内のいたるところの農家では養蚕が営まれました。 蚕糸業は大正時代から昭和初年にかけて全盛期を迎えますが、1929年(昭和4)からの世界大恐慌の影響をうけ、製糸業を営む会社の倒産が相次ぎ、繭価の価値の大暴落のため生活を養蚕に
2022-08-10
6
糸のまち・こもろツアー
こちらの写真は、2022年7月3日に行われた糸のまち・こもろツアーの様子です。 まず、酢久商店(純水館資料館前)へ集合し、そこから地元会員ガイドの清水季志子さん、清水寛美さんを中心にこもろの町を散策しました。 散策した場所は以下の通りです。 ・嶋田屋(明治16年まで萬屋太物呉服店) ・海慶院 ・宗心寺の高橋平四郎のお墓 ・小山家一族のお墓 ・寿町の蚕種蔵 ・工女さんのお墓 ・丸萬製糸場 ・光岳寺 ・宗心寺山門より荒町通り豪商 ・純水館(小山家前)(渋沢栄一宿泊の家) ・玄関前の小山久左衛門銅像
2022-07-10
7
第28号『上田小県における感染症の歴史』
上田小県近現代史研究会ブックレット第28号『上田小県における感染症の歴史』 【編著・発行】上田小県近現代史研究会 【発行】2021年12月10日 【定価】600円(税別)上田市内の書店でお買い求めください。 パンデミック(世界的大流行)はこれまでも幾度となく立ち現れ、先人たちもその度に脅かされてきました。多くの命が奪われ、社会活動に支障をきたしました。しかし、その都度全力で立ち向かい、できる限りの対策を講じて乗りこえようとしてきました。なす術もないと思われた時でさえ絶望せず、しばしば神仏に疫病退散を祈り続けました。(略) もう一度各章にわたり取り上げたテーマについて、明らかにできた教訓や課題、厳しい条件の中でも命や暮らし、さらには文化を守るための人々の努力があったことを確認してみましょう。(
2022-03-13
8
純水館の工女さんについて
2021/07/09 「渋沢栄一と小諸商人」展(糸のまち・こもろプロジェクト主催) 会場にて(長野県小諸市) 話し手:糸のまち・こもろプロジェクト理事長 清水寛美
2021-11-17
9
小諸の製糸場/工女たちのものがたり
「糸のまち・こもろの歴史歩き」(糸のまち・こもろプロジェクト主催、2015/09/19実施)では、小諸にあった丸萬製糸場を見下ろす場所に純水館の工女の墓4基があります。故・野澤敬氏が工女の墓の前でその解説をされました。 添付の資料「工女たちのものがたり」(PDF)は、当日参考資料として配られたものです。
2021-07-05
10
上田市と岡谷市における蚕業の比較 まとめ
私は、上田市と岡谷市の蚕糸業の比較として、蚕糸業における様々な施設についてまとめた。その中で理解した相違点や共通点、蚕の今後の展望についてまとめる。 ・相違点 同じ蚕糸業で栄えた上田市と岡谷市だが、上田市は「上田蚕種協業組合事務棟」や「常田館製糸場」の現存から養蚕業や製糸業を行っていたことがわかる。一方で岡谷は、「岡谷蚕糸博物館」に展示されている多数の繰糸機や「宮坂製糸所」の現存から製糸業で栄えたといえる。 ・共通点 岡谷市の工女さんは、1910年には岡谷の人口2万3000人に対して、工女さん1万5000人と65%を占めていた。その後、1930年には岡谷の人口7万6500人に対して、工女さん3万4500人と45%を占めており、工女さん達は岡谷市の支えとなっていた。工女さんは10代半ばから20代前半の若い女性で、重要な
2021-02-10
11
常田館製糸場 (奥帳場兼創業者住宅・賄蔵・炊事場)
これは常田館製糸場の「奥帳場兼創業者住宅、賄蔵、炊事場」の写真である。以前、製糸場で働く工女さんたちは住み込みだった。会社から大切にされており、生活の補助を受けたり、当時は貴重だった白米をお腹一杯食べたりすることができたそうだ。 参考URL:
常田館製糸場 施設紹介
2021-01-27
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