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1学生による地域キュレーション2022(信州上田学A受講生)学生による地域キュレーション2022(信州上田学A受講生)長野大学の地域科目「信州上田学A」を受講した学生が「信州上田」を接点とした地域キュレーションの学習成果です。タイトルを選ぶとその学生のマイサイトを表示します。 ▼カテゴリ1:蚕都上田 【1】 長野県の中でなぜ上田市が蚕都で有名なのか 【2】 上田の養蚕の歴史を掘り下げ、伝え続けるには。 【3】 蚕都上田の歴史と未来 【4】 製糸業の歴史 【5】 蚕都上田の歴史 【6】 蚕都上田2023-02-10
2常田製糸場常田製糸場【概要】 常田館製糸場は明治33年(1900年)創業の製糸工場である。笠原工業株式会社構内に常田館製糸場に関連する施設15棟が現存しており、そのうち明治から大正時代にかけて建てられた7棟が平成24年に国の重要文化財に指定されている。国内最高層の木造5階建繭倉庫、大正時代末の鉄筋コンクリート5階建倉庫群などは、製糸技術が発達した時代の先人達の工夫と知恵の足跡が歴然と残る貴重な文化遺産である。 【歴史】 嘉永5年(1852)諏訪郡平野村に生まれた笠原房吉(かさはらふさきち)が、明治33年「常田館製糸場」を創業した。以来110年余、製糸業の隆盛と衰退のなかで、製糸工場建物は増築・取り壊し・焼失・改築・移転・用途変更等の紆余曲折を経ながら今日に至っている。 【現在】 笠原工業(株)では施設の一部を一般公開している。 公開2023-01-26
3蚕都上田の歴史と未来蚕都上田の歴史と未来私は「蚕都上田の歴史と未来」というテーマで蚕都について探求しました。より考えを深めるために計四か所の施設に見学に行きました。 一枚目の写真は上田駅の構内に設置されている繭の女神様です。蚕糸業の全盛期時代である大正時代から蚕は上田の地を支える存在であったことが分かりました。 二枚目、三枚目の写真は常田館製糸場と上田蚕種協同組合事務棟です。製糸場は繭の乾燥や保管のために多窓式になっているなど建物ごとに様々な工夫が見られました。製糸場の建物15棟中7棟は国の重要文化財に、事務棟は文化庁の登録有形文化財にそれぞれ指定されています。四枚目の写真はホール、美術館などの複合施設であるサントミューゼです。名前の由来は蚕都からきており、人々の交流の場として上田市には欠かせない存在になっています2023-01-26
4信州上田学まとめ信州上田学まとめ私は蚕都上田の歴史について探求しました。重要文化財である常田館製糸場や上田蚕種協業組合などに見学に行き、実際に使われていた建物をこの目で確かめることができ、改めて上田が蚕都の盛んな地域だったということを実感しました。特に印象的だったのが常田館製糸場の建物内で見つけた「猫は蚕の神様です」という言葉です。蚕が無事育ち、良い繭を作ってくれるようネズミ避けのために猫にまつわる様々な祈願がされていたと分かりました。常田館製糸場は綺麗に保管されており、中には繭で作った作品などもあったので、行ったことが無い方はぜひ足を運んでいただきたいと思いました。2023-01-25
5蚕業の施設蚕業の施設長野県上田市では、かつては蚕業が盛んな地域であった。それを象徴するのが常田館製糸場である。この製糸場は明治33年創業の歴史ある建造物である。当時の養蚕業は日本の近代化の原動力であり、様々な箇所で利用されていた。この施設では、室温度、通風、乾燥などを整えることで、一年を通して平均的に生糸を生産することが可能となっていた。 木造5階建繭倉庫、鉄筋コンクリート5階建倉庫群などは、国指定重要文化財に指定されている。2023-01-25
6現代にも伝わる養蚕現代にも伝わる養蚕上田市の小学校では、3・4年時に蚕を育てる学校が数多くあります。塩川小学校では、8月に上田市常田にある「上田蚕種」から蚕種を譲り受け、9月下旬頃に繭になるまで育てます。小学校生活の思い出として強烈に残る学年行事です。2023-01-20
7常田毘沙門堂常田毘沙門堂お寺を引退した活文禅師が、この毘沙門堂に寺子屋を開き、教え、そして生涯を閉じた。門下には佐久間象山はじめ1000余人がおり、この地方で幕末から明治維新にかけて活躍したという。2022-12-04
8上田市と大正ロマン上田市と大正ロマン上田市には柳町以外にも旧常田館製糸場、上田蚕種会館、信州大学繊維学部講堂など蚕都を感じさせる建築物が多く残っている。また、市には、このような建物以外にも別所温泉周辺の旅館や施設、またみすずあめの飯島商店、上塩尻など「大正ロマン」あふれる街並みが多く顕在しており、最近では上田を紹介する際にも「大正ロマン」というワードが使われているように感じる。これを活かし、町のデザインや都市開発につながってほしいと考える。2022-11-30
9繭倉庫繭倉庫常田館製糸場の繭倉庫。大通りに位置しているため観光にも訪れやすいのではないだろうか2022-11-30
10常田毘沙門堂常田毘沙門堂文政12年(1829)のころお堂の脇に寺小屋を開き、多聞庵と名付けられました。活文の名声は以前から広くいき渡っていたので、武士をはじめ農民や商人それに子供にいたるまで教えを受けたい人たちが殺到し、一時は1000人を越すほどでした。 毘沙門堂は、大正15年(1926)に建てられたものです。2022-11-30
11常田池常田池ため池が多いことで有名な上田市。常田池もそのひとつで、池の周りにはちょっとした休憩スペースもある。2022-11-30
12笠原工業常田館製糸場笠原工業常田館製糸場上田市常田にある笠原工業常田館製糸場は明治33年に操業し国指定重要文化財にも指定されている。2022-11-30
13常田館製糸場常田館製糸場国指定重要文化財にされた「笠原工業旧常田館製糸場施設」を見学しに行きました。構内には建物15棟が現存されていて、その内7棟が重要文化財として一般公開されています。昔のままの木造の繭倉庫は圧巻でした。機械などはありませんでしたが、当時の技術を知ることができました。展示品もあり、なんだか心が和みました。 常田館製糸場は1900年(明治33年)に創業し、110年余り、製糸業の隆盛と衰退の中で、製糸工場建物は増築、取り壊し、焼失、改築、移転、用途変更等の紆余曲折を経ながら今に至ります。現在はスチロール製品を製造しています。3階繭倉庫と5階繭倉庫は、多窓式と呼ばれる自然乾燥を前提とした繭倉庫の形式である一方で、4階繭倉庫と5階鉄筋繭倉庫は密閉 式の繭倉庫であり、大正時代以降は乾燥機の発達により通風による乾燥が2022-11-30
14上塩尻における養蚕業②上塩尻における養蚕業②本来常田製糸場を訪れるつもりだったのですが閉館時間が過ぎてしまい、「手織り上田紬小岩井工房」に向かいました。西上田駅から国道のそばを通り、小道に入った先にありました。遅い時間に訪れたのにも関わらず、ご丁寧に案内してもらい、二階にある機織り機も見学させてもらいました。 上田紬は結城紬(茨城県結城市を中心)と大島紬(鹿児島県奄美大島の奄美市名瀬地区を中心)に並ぶ日本三大紬に選ばれており、丈夫かつしなやかで縦糸と横糸の重なりによって多様な柄や色合いを生み出すのが特徴とされています。 入ってすぐ左側には買い物ができるスペースがとられています。そこで様々な話をお聞きしましたが、中でも小岩井工房の方が考えられたという「りんご染め」の上田紬がとても興味深かったです。りんごの品種と媒染の2022-11-30
15蚕糸業からの転換蚕糸業からの転換上田市を代表する蚕糸業の遺構と言っても過言ではない建築物である常田館製糸場。その所有者である笠原製糸は笠原工業に改称したのち現在では、精密機器や電子部品の開発、製造を行っている。常田館も笠原工業の現在の事業の一つである発泡スチロールの倉庫として現役で活躍している。内部を見学すると奥まった場所には発泡スチロールが積まれて保管されていた。2022-11-30
16上田の蚕業上田の蚕業長野県上田市では、かつては蚕業が盛んな地域であった。それを象徴するのが常田館製糸場である。この製糸場は明治33年創業の歴史ある建造物である。当時の養蚕業は日本の近代化の原動力であり、様々な箇所で利用されていた。この施設では、室温度、通風、乾燥などを整えることで、一年を通して平均的に生糸を生産することが可能となっていた。 木造5階建繭倉庫、鉄筋コンクリート5階建倉庫群などは、国指定重要文化財に指定されている。2022-11-30
17蚕の神様蚕の神様蚕やさなぎ、繭までをかじり荒らす鼠は養蚕を悩ませてきました。鼠駆除のために猫を飼う一方、蚕が良い繭を作ってくれるように猫にまつわる様々な祈願をしました。上田地域周辺では「唐猫さま」と呼ばれていたり、「猫瓦」と呼ばれる猫耳状の二つの角が出ている屋根もあるそうです。 常田館製糸場内の展示にも四匹の猫を見つけました。現在身近な存在である猫が神様として祀られていることが興味深かったです。2022-11-30
18常田館製糸場 見学常田館製糸場 見学現笠原工業株式会社の常田製糸場は80年余りにわたって生糸の製造がおこなわれていました。構内には建物15棟が現存しており、うち7棟が国の重要文化財に指定されています。 この写真は五階繭倉庫です。多窓式繭乾燥・保管のための生繭倉庫として建設されました。製糸方法の変化に伴い、繭の保管・乾燥という目的から品質向上を目的とした干繭倉に改造され、小窓の多い造りになっている。2022-11-30
19猫は蚕の神様です猫は蚕の神様です常田館製糸場の建物の中で見かけた「猫は蚕の神様です」という文がとても印象的でした。蚕が無事育ち、良い繭を作ってくれるようネズミよけのため猫にまつわる様々な祈願がされていたようです。2022-11-29
20常田館製糸場常田館製糸場現在の笠原工業株式会社である。明治11年岡谷市にて製糸業を開始し、明治33年に常田館製糸場として上田市にて工場を創業した。しかし1984年には構造改善事業によって上田工場製糸操業は休止されてしまった。現在は発砲スチロールの販売、研磨切断などを行っている。また現存している建物のほとんどが国重要文化財とされている。2022-11-29
21重文常田館製糸場重文常田館製糸場重要文化財に指定されている常田館製糸場へ行ってきました。現在は笠原工業株式会社となっており、事務所のある繰糸棟には今でも湯気抜きの小屋が残っていました。倉庫の中にも入ることができ、貴重な体験ができました。2022-11-29
22蚕都としての上田 ー常田館製糸場見学をうけてー蚕都としての上田 ー常田館製糸場見学をうけてー私は県外から進学してきました。養蚕と聞いて思い浮かぶのは、やはり富岡製糸場でした。 しかし、信州上田学の講義の中で、上田の蚕都としての歴史に触れ、現代に残る歴史を広くアピールする必要があると思いました。 養蚕業全盛期から、衰退してからの長野県の主要産業への流れや、背景にある気候や地域性などをアピールすると良いのではないかと感じました。 常田館製糸場を見学し、当時の人々に養蚕が身近なものであり、工夫の詰まった産業であったことを学びました。 後世へ伝えていくには、このようなデジタルアーカイブは特に重要な役割を果たしていくように感じます。2022-11-29
23常田館製糸場外観常田館製糸場外観左から、五階鉄筋繭倉庫・三階繭倉庫・五階繭倉庫。 三つの建物は、国指定重要文化財です。 木造の繭倉庫は国内随一の規模であり、鉄筋コンクリートの繭倉庫も当時の技術・知恵が残るものとして、貴重な遺産であるとされているそうです。 年間通して、均一な生糸の生産には「湿度・温度・風通し・乾燥・保管管理」など、大切なことがたくさんあるようです。これを管理しやすくする工夫が、建物の構造にあるのだと思いました。2022-11-29
24常田館製糸場へ。常田館製糸場へ。上田駅から徒歩で10分弱。重要文化財として登録される常田館製糸場があります。 現笠原工業の構内に現存する15棟の製糸場時代の建物のうち7棟が重要文化財に指定されています。現在は、製糸業は終了し、他事業へ転換していますが、当時の建物を倉庫として使用されているようです。その為、予約なしで見学できるのは、「五階鉄筋繭倉庫」「三階繭倉庫」「五階繭倉庫」の三つの建物のみとなっていました。 入口付近、常田館製糸場の概要が書かれた看板には、 群馬県富岡製糸場は、「国営」の模範工場として「フランス式」の製糸が行われた。対して、常田館など、諏訪・岡谷では「民営」で「イタリー式」の製糸が行われた。 といったことが書かれています。 富岡製糸場など、群馬の製糸業と比較するのも面白いなと思いました。2022-11-29
25常田館資料室常田館資料室長野県での蚕種製造の歴史は上田地方が最も早く、藤本善右衛門家によって寛文の時代に始められたとされている。はじめ奥州産蚕種を仕入れ販売していたものが、次第に奥州へ出向き蚕種製造をするようになり、自家製造へ発展し全国へと販路を広げていった。上田地方が日本一の蚕種製造地帯となった背景としては、蚕種の改良と歩桑による種繭の生産によるものである。2022-11-28
26笠原組常田館製糸所笠原組常田館製糸所明治11年諏訪岡谷で笠原組が製糸業を始め、明治33年に上田へ進出した。2022-11-28
27常田館製糸場常田館製糸場常田館製糸場に行ってきました。 かわいいクラフトや貴重な資料などが展示されており、大変興味深かったです。 私は古い建物が好きなので、とても楽しかったです。2022-11-28
28上田の蚕業について⑤上田の蚕業について⑤常田館製糸場に行きました。飾ってあるクラフトの中には猫が多く「猫は蚕の神様です」という張り紙もあり、また、猫瓦というものも展示されていました。 上田の蚕業について記された記録には、「養蚕で恐ろしいことは、蚕が病気で死んでしまうことです。(中略)羽虫や鼠の防除にも配慮するよう注意しています。鼠は蚕を食べてしまうので、猫を飼ったり、猫の画を蚕室に貼ることも流行しました」(「上田市誌 近現代編(2) 蚕都上田の栄光」22ページ 上田市誌編さん委員会 平成15年3月1日信毎書籍印刷株式会社より)という記述があります。 公益社団法人 日本動物福祉協会のホームページでは、「【動物福祉】とは一言でいえば、『動物が精神的・肉体的に充分健康で、幸福であり、環境とも調和していること』です。」と紹介されています。2022-11-28
29上田の蚕業について③上田の蚕業について③上田の蚕業について記された記録には、工女の消費活動についても以下のような記述があります。 工場の休日は日頃の長時間労働から解放された工女にとっては楽しいひとときで、小間物屋に寄って化粧品や小物を求めたり、呉服屋で普段着を買ったりしました。おやつの鯛焼きは工女に人気があり、休日や工場の開業前になると店先に行列ができるほどでした。(中略)常田館などのような大きな工場になると、呉服屋や小間物屋などが出張して郷里へのお土産を売りました。(「上田市誌 近現代編(2) 蚕都上田の栄光」135、136ページ上田市誌編さん委員会 平成15年3月1日信毎書籍印刷株式会社より) 既婚でもなく、子どもでもない、大人の労働者である工女たちの消費行動は羽振りが良いように感じられます。加えて、結婚前に、経済力と自由がある2022-11-28
30常田館製糸場常田館製糸場上田市の蚕都としての歴史を示す、重要な遺産である常田館製糸場です。国の重要指定文化財にも指定されており、明治から大正にかけて建設された15棟もの建物が現在も保存されています。平日だということもあり、観光客らしき姿はほとんど見られませんでした。蚕都としての歴史を伝えていく為にも、より多くの人に訪れてもらえるようなPRが必要だと感じました。2022-11-28
31常田館製糸場常田館製糸場常田館製糸場は1900(明治33)年に創業した製糸工場です。現在は所有主の笠原工業株式会社の社用地社屋として営業使用中です。国指定重要文化財となっています。2022-11-27
32常田館製糸場見学まとめ常田館製糸場見学まとめ常田館製糸場を見学させて頂いて改めて、蚕糸業、製糸業について興味を持つことができました。常田館製糸場の施設15棟のうち7棟は重要文化財、他の施設は上田市指定文化財に指定されており、貴重な建物であることが感じられました。 分かったこととして、建物の至る所に繭を守るための工夫がされていると感じました。その中でも国内唯一の木造五階繭倉庫は存在感があり、繭を守るため扉が四重になっているそうです。長い歴史の中で最善の工夫がされてきたから、ここまで建物が残り、製糸業が続いているのだと思いました。そして養蚕業、製糸業が上田の発展を支えてきたのだと感じました。 今回は予約をとっていなかったので、五階繭倉庫の中は見学することはできませんでしたが、団体で見学する際は予約をとって、ガイドをしてもらい、2022-11-26
33常田館製糸場見学4常田館製糸場見学4三階繭倉庫、二階繭倉庫、五階繭倉庫の壁にそった通り道です。階段ではなく、なだらかな傾斜になっていました。なぜこのような造りにしてあるのかは分かりませんが、歩きやすく、重たいものを運ぶ際は運びやすいと感じました。 その通り道にせみ竿が展示されていました。現在のクレーンのような役割をしており、重いものを少ない労力で持ち上げるためのものだそうです。昔の人の工夫が感じられました。2022-11-26
34常田館製糸場見学3常田館製糸場見学3五回鉄筋繭倉庫の1、2階を見学させて頂きました。現在は展示会場となっていましたが、建物はそのままなので、階段の急さに驚きました。また防火が重視された造りになっており、火事などが起きても建物が焼失しないよう工夫されているのだと感じました。 様々な作品や切り繭などを見ることができました。蚕や蛹をかじってしまう鼠を駆除する目的で猫が飼われたり、祈願されたりしていたということも初めて知りました。2022-11-26
35笠原工業常田館製糸場笠原工業常田館製糸場笠原工業に残る製糸工場の遺産は、「蚕都」とうたわれた上田地域の製糸工場に関連する倉庫群や建造物が、セットとして残っていることにその価値が集約されています。製糸場道構では、この常田館は民営で、イタリー式製糸を行っており、日本の近代製糸業を語り対比する上で欠かすことのできない遺産です。繭倉庫は、南乾燥機が発達した時代の倉庫までの変選が歴然と残り、学術的にも貴重な近代化道産として指定されました。2022-11-25
36笠原工業常田館製糸場笠原工業常田館製糸場蚕都上田歴史・文化財マップにて現存している蚕に関わる場所を巡ってみました。 四つ目は笠原工業常田館製糸場です。 明治33年からある、製糸工場です。2022-11-24
37常田館製糸場見学2常田館製糸場見学2常田館製糸場の外観です。 製糸場は蚕の繭から生糸を作る工場であり、繭を乾燥させ保管する工程、繭を出庫し、煮て柔らかくする工程、繰糸機械を使って糸とりする工程などが行われているそうです。 4棟残る繭倉庫は、初期の多窓式多層倉庫から繭乾燥機が発達した時代の倉庫までの変遷が歴然と残り、学術的にも貴重な近代文化遺産として指定されています。2022-11-24
38常田館製糸場へ見学常田館製糸場へ見学信州上田学で触れた養蚕の歴史を掘り下げるため、常田館製糸場へ見学へ行きました。 道中、「蚕影町の由来」という看板を見つけ、思わぬところで蚕都の面影を感じることになりました。2022-11-24
39常田館製糸場見学1常田館製糸場見学1蚕都上田について学ぶため、常田館製糸場に見学に行ってきました。 上田駅から常田館製糸場に行くまでの道で「蚕影町の由来」と書かれた看板を見つけました。そこの周辺が一面桑畑であったことや、常田館が建設されて、機械製糸業が主流となり、蚕の道(シルクロード)と呼ばれて蚕都の全盛を迎えたことなどが書かれていました。神社や町の名前に「蚕」という字が入るほど、蚕糸業が当時の生活に大きな影響を与えていたのだと感じました。2022-11-24
40笠原工業常田館製糸場笠原工業常田館製糸場平成24年12月28日 旧常田館製糸場施設が重要文化財として指定。 平成22年2月17日 笠原工業常田館製糸場が上田市指定文化財に指定。 明治33年(1900年)に笠原房吉によって「常田館製糸場」(屋号は〇二)は創業しました。明治以降、日本の生糸は輸出世界一の座を占有してきました。生糸の性状は原料である繭の影響を直接受けて変化します。国内最高層の木造5階建て繭倉庫、大正時代末の鉄筋コンクリート5階建て倉庫群などによって、年間を通して均等な生糸を生産した常田館製糸場は学術的にも貴重な文化財になっています。2022-11-13
41常設ランプ展常設ランプ展常田館製糸場の5階鉄筋倉庫のギャラリーには常設ランプ展があり、かさ地蔵やかわせみ、ねこ、サックスなど様々な和紙のランプシェードを見ることが出来ます。2022-10-30
42重文常田製糸場重文常田製糸場製糸場は蚕の繭から生糸を作る工場です。昭和59年に製糸業は終了したが、構内には旧笠原組常田館製糸場時代の建物15棟が維持され、そのうちの7棟が国の重要文化財に指定されているそうです。 公開時間:10時~16時(15時30分入場まで) 公開日程:3月下旬より11月末日(期間内無休) アクセス:上田駅から徒歩7分2022-10-30
43常田館製糸場常田館製糸場明治33年(1990)創業の機械製糸工場。 国指定重要文化財 製糸に関連する施設15棟が現存しており、そのうち明治から大正時代にかけて建てられた7棟が平成24年に国の重要文化財に指定される。 蚕種で栄えていた上田の養蚕を製糸で支えていた。 養蚕・製糸・紬糸・機織り・教育など蚕糸業にまつわる種々の活動が総合的な発展を遂げて「蚕都上田」と呼ばれるまで成長する。2022-02-09
44常田館製糸場常田館製糸場嘉永5年(1852)諏訪郡平野村(現岡谷市)に生まれた笠原房吉は、開通したばかりの信越線上田駅に近いこの地に、明治33年(1900)「常田館製糸場」を創業した。常田館製糸場は、かつてあった講堂・劇場や病室は失われてしまっているが、近代製糸工場の前途の特徴を示す建物群がまとまって残っているのは県内ではここだけである。国内最高層の木造5階建繭倉庫、大正時代末の鉄筋コンクリート5階建て倉庫群などは製糸技術が発達した時代の先人達の工夫と知恵の足跡が歴然と残り、学術的にも貴重な文化遺産になっている。 「参考文献」 http://www.kasahara.co.jp/kasahara/tokidakan/2022-02-08
457.まとめ7.まとめ参照した一次資料 ・http://www.silk.or.jp/kaiko/kaiko_yousan.html ・http://www.kasahara.co.jp/kasahara/tokidakan/ ・https://www.pref.nagano.lg.jp/kyoiku/bunsho/bunka/rekishi/rekishi/gendai.html 私は過去に常田館製糸場を訪れた時の記憶とその後、蚕について調べた情報を元に新たに見聞を深めて「私の地域探求」に蚕糸業のトピックをインプットすることが出来た。これにより以前よりもさらに蚕について理解を深めることができた。 また、「私の地域探求」に取り組み、蚕糸業がどのようにして衰退し、その衰退を防ぐにはどのようにしたら良いかを考えて自分なりに解決策を出せたのが収穫だと考える。 現在、蚕糸業は風前の灯火の状態であり、突発的な蚕ブームが来なければ再興は難しいと考えます。しかし、絹などの美しい文化を保つために蚕糸業をみんなで支えていく必要がある2022-02-03
466.若者に蚕を知ってもらうには6.若者に蚕を知ってもらうにはこれまで蚕について様々なトピックを紹介してきましたが、蚕糸業の衰退を止めるためには若者の力が必要不可欠です。 若者に蚕を知ってもらうための策を幾つか考えました。 5の記事で紹介した蚕糸を使ったアートを通して蚕を知ってもらう策。 近年、SNSの普及に伴い若者の影響力が絶大的な権限を得ています。日本の世の中の流行は若者のスマホの中から始まっていて、何気ない投稿がその年の流行を決めるとも言われています。 SNSに蚕を使ったアートを載せたり、アリオやサントミューゼなどの大型施設で展示会をするなど人の目に触れさせるようにしなければならないと感じました。 蚕の飼育を流行にする案。 蚕という虫は品種改良されたため、人の管理がないと生きられません。そのデメリットを逆手にとって若い人が蚕を飼育しや2022-02-03
475.蚕を使ったアート5.蚕を使ったアート私は常田館製糸場を訪れた時、鉄骨繭倉庫には絹糸を使ったアートが沢山並んでいました。様々な種類のアートが展示してあり、絵のようなものから立体なアートまで若者が興味を持ちそうな作品が沢山展示してありました。 近年、InstagramやTIKTOKが文化の流行を促しており、それを利用している年齢の層は若者です。 そういった若者をターゲットに普段、馴染みのない蚕を知ってもらう機会を設けて蚕という文化に触れてもらうといった策で蚕糸業を活性化しようと考えました。 次の記事では蚕を若者にどうやってアピールするかを考察していきます。2022-02-03
482.上田市の蚕の歴史2.上田市の蚕の歴史信州上田では江戸時代から蚕の卵の生産で栄え、その後も養蚕、製糸業などさまざまな発展を遂げていき全国から「蚕都上田」と呼ばれるようになりました。 しかし、現在は様々な理由から蚕糸業は全国で衰退し、風前の灯火となっています。 衰退している蚕糸業ですが、上田地域でもまだ蚕糸業は残っています。 上田地域で有名な蚕関連の会社は常田館製糸場という会社。明治33年(1900年)に創業された製糸工場です。 蚕糸業は大きく分けて蚕種業、養蚕業、製糸業の3つに分けられ、蚕の卵を生産し、質を高める「蚕種業」、蚕を成虫まで育ててそれを管理する「養蚕業」、蚕の繭から糸を取り生糸に加工する「製糸業」に分かれます。 次の記事では蚕という虫について解説していきます。 今の若い人は蚕という虫に接点が全くないので少2022-02-02
491.上田の蚕糸業を選んだ理由1.上田の蚕糸業を選んだ理由皆さんは信州上田の蚕糸業についてどのぐらいご存知でしょうか? 私は正直、1年生の前川ゼミで常田館製糸場を見学するまでは具体的に蚕という虫を知らず、むしろ虫は苦手なので興味は全くありませんでした。 しかし、常田館製糸場を訪れてからは蚕にとても興味を持ち、蚕の製造方法や蚕の糸を使ったアートなど、蚕を知らない方にも興味を持ってもらうために上田の蚕糸業を選びました。 現在、蚕関連の産業は上田のみならず、全国で衰退しています。   この記事を通して蚕について知ってもらい、全国で衰退している蚕糸業を守っていきたいです。2022-01-30
50上田藩の死者数、正福寺の千人塚上田藩の死者数、正福寺の千人塚千曲川流域には、「戌の満水」の流死者供養塔が幾つも残されている。それには2種類ある。一つは、多くの犠牲者を出した現地に建てられたもの、もう一つはたくさんの流死者が流れ着いて埋葬された場所に建てられたものだ。千曲川の上流では、上畑村(佐久穂町・248人)小諸城下(小諸市・507人)所沢川流域の金井村(東御市・130人)田中宿・常田村(東御市・68人)などで多くの流死者を出した。そして、まず大量に流れ着いたのが、上田だった。 「千曲川も上田まで来ると、流れが緩やかになる。上流から流されてきた死体が上田に流れ着いた。上田藩主の命令で段丘上の秋和の正福寺の門前に引き上げ、埋葬して、後に碑を建てた。それが千人塚と呼ばれている。また正福寺境内には石造地蔵尊があり、縁者がたくさん亡くなっ2022-01-24
51上田市の養蚕業の発展と今上田市の養蚕業の発展と今なぜその探求テーマを選んだのか 1年生の時、常田館製糸場を訪れ、蚕の製造方法や過去から現在までどのようにして衰退していく養蚕業を守り続けてきたかを学び興味を持った。 何を探求しアウトプット化するか 蚕の衰退原因とそれをどのようにして解決するかを探求し、常田館製糸場のように蚕を使った現代アートを作り、現代に繋げるといった活動などをどのように広めるかの案を考える。 具体的にどのような資料を調べるか 上田市公文書館ネットなどの資料や実際に聞いた話を参考に様々な視点から調べる。2021-12-21
52キモノマルシェ2015/信州シルクロードへの誘いキモノマルシェ2015/信州シルクロードへの誘い キモノマルシェ2015/キモノアカデミー/信州の蚕糸を知ろう 「信州シルクロードへの誘い」 会場:旧常田館製糸場施設(重要文化財、長野県上田市) 2015/10/04 講師:前川道博(蚕都上田プロジェクト代表世話人) 内容:前半レクチャー、後半見学。国内に残る近代の製糸場は富岡製糸場とここ常田館製糸場の2つ。蚕種製造でも栄えた上田は蚕都と呼ばれた。女工さんたちが働いていた工場の情景も想像してみよう。2021-11-29
53キモノマルシェ2013/信州の蚕糸を知ろうキモノマルシェ2013/信州の蚕糸を知ろう キモノマルシェ2013 in 上田 キモノアカデミー/信州の蚕糸を知ろう 「蚕都上田と旧常田館製糸場施設」 2013/11/17 講師:前川道博(蚕都上田プロジェクト代表世話人)2021-11-29
54常田新橋常田新橋竣工平成11年の比較的新しい橋である常田新橋。なんといってもその特徴は、カラータイルが敷き詰められた非常に広い歩道。そして独特なモニュメント。 このモニュメント、展望台としての機能を持っているようなのですが…現在本当に上ってよいものなのかは不明です。もし興味がある方は安全のためにも、上田市に確認を取ってから上ってみるのをお勧めします!2021-11-13
55「長野県企業局」ってなあに?「長野県企業局」ってなあに?こんにちわ! 先ほどの記事の続きになるんですが、常田新橋に抜けるときのお話です 自転車でつっーと走って向かっている時に柵でガチガチに囲まれているよく分からない施設があるじゃないですが 調べてみたところ県の施設でその中でも僕が見てきたやつは水道を管理する部署らしいですね イメージキャラクターもいるみたいで名前は「すいじん様」(感じだと粋人様) 水滴に仙人みたいな顔と杖がついた可愛らしいキャラクターです ここをゲームに使うとすれば資源提供みたいな感じでリソースの源にしてここから発展していくみたいなポジションに置こうかな?2021-11-12
56上田に「古墳」!?!?上田に「古墳」!?!?先日千曲川の写真を撮ろうとして、いつもは143号線を通って行くんですがちょっと常田新橋に抜ける方に変えてみたんですよ。 それで一本道とはいえ方向音痴なもんでマップ見ながらじゃないと動けないんですね そしたらなんか画面の端の方に移ってるじゃないですか これは行くっきゃないなと思っていった訳ですよ まあただ敷地内にありそこまでよくは見れなかったのですがご紹介だけ 名前は「タタラ塚古墳」 古墳時代後期に築かれた古墳と推定されています。上田悠生寮の敷地内にあるため近くではよくは見られなかったのですが案外外に出てる部分は小さいな~って思いました 写真も撮れていないので今回は無いのですがちゃんとアポを取り今度リベンジしたいと思います! これをカードに使うのだとしたら後方支援として後ろに配置し2021-11-12
572020信州上田学Aふり返りまとめ2020信州上田学Aふり返りまとめ▼全体まとめと成果
  1. 2020信州上田学A講義録(担当教員:前川道博)
  2. 信州上田学A2020⑭オンライン発表会記録 2020/07/29
  3. >信州上田学2020/学びの成果発表会(信州上田学A/B合同) 2021/01/24
▼上田市行政チャンネル
  1. >長野大学公開講座「信州上田学A」学生と市民の合同発表会 2020/07/29
  2. >信州上田学2020/学びの成果発表会(信州上田学A/B合同) 2021/01/24
▼学生受講生のマイサイト
ニックネーム、テーマと内容は一致していないケースがあります。
  1. 上田の食
2021-10-06
58上田の人物伝一覧(『上田市史』1940から)上田の人物伝一覧(『上田市史』1940から)上田市史・下巻(1940)』の「社寺古墳及人物誌/人物篇」をハイパーメディア化。(長野大学「マルチメディア論」2020/2021実習で分担作成) 人物01 真田昌幸
 真田一徳斎幸隆の第三子、天文十六年生る。 人物02 真田信之
  真田昌幸の嫡男、永禄九年生る。母は寒松院三修氏、幼名を源三郎と言ふ。 人物04 真田幸村
 幸村は正幸の代二子、永禄十一年生ると云う。 人物05 仙石政俊
 先の小諸城主後上田城主たりし仙石忠政の
2021-07-21
59人物84  武七人物84 武七常田村の人、屋根屋を業とし、父を六平といい(略)時に年五十一。 『上田市史・下巻(1940)』1299頁を転載 (目次位置) 社寺古墳及人物誌  人物篇2021-07-20
60小島麦二小島麦二麦二は常田の人、通称は鍋屋久兵衛という。(略) 『上田市史・下巻(1940)』1040頁を転載 (目次位置) 社寺古墳及人物誌  人物篇2021-07-19
61人物91 よし女人物91 よし女常田村喜七の女なり。父の死後五年にして夫を迎へ別家せしが、夫病死せしかば本家なる親のもとに同居するに至れり。(略) 『上田市史・下巻(1940)』1303頁を転載 (目次位置) 社寺古墳及人物誌  人物篇2021-07-19
62人物85 七女人物85 七女常田村小三朗の女なり、幼にして父母に仕う、年十三にして父を喪ひ母に養わる。(略) 時に年四十七。 『上田市史・下巻(1940)』1299頁、1300頁を転載 (目次位置) 社寺古墳及人物誌  人物篇2021-07-19
63人物90 るい人物90 るい常田村兵九郎の女なり。(略) 常田村役所また其行為を記して之を郷閭に掲ぐ。 『上田市史・下巻(1940)』1302頁を転載 (目次位置) 社寺古墳及人物誌  人物篇2021-07-19
64人物44 竹内八十吉人物44 竹内八十吉八十吉は國分村、上澤の人、萬蔵の子。文化十年生る。後常田新町柳澤榮三郎方へ同居す。年十一にして、中澤本次郎に就き彫刻を習う。 『上田市史・下巻(1940)』1242、1243頁を転載 (目次位置) 社寺古墳及人物誌  人物篇2021-07-19
65信州が蚕糸王国ってホント? ポスト蚕糸業(産業)の視点から信州が蚕糸王国ってホント? ポスト蚕糸業(産業)の視点から信州が蚕糸王国ってホント? ポスト蚕糸業(産業)の視点から(講演採録全文) 講師:前川道博(長野大学企業情報学部教授) ▼元の講演はコチラ https://youtu.be/yS-xdWDMTwE?t=2779 信州学「信州の蚕糸業とシルクロード」講座 第2回  2016年10月6日/まちなかキャンパスうえだ

【1】蚕糸業って何? 蚕種製造、養蚕、製糸

■そもそも蚕糸業とは?

 今回、この講座は、多くの方に、後からも学習していただけるように、ということで、オンデマンド配信することを想定していますので、全く初めての方がこれを見ると「えっ? 蚕糸業って何?」、そういう基本的な疑問ですね。これを最初の方は誰もわからないわけです。その辺のところも含めてお話をさせていただきたいと思います。
2021-07-15
66上田蚕種-2上田蚕種-2 上田蚕種協業組合事務棟の説明文。建物の特徴について説明されている。上田蚕種株式会社は時代の進行に伴って蚕糸の中心地から軍需工場、そして戦後の名称変更等、様々な役割を担っていた。このような建物の存在は、主に20世紀における上田の様相の変化を知るうえで重要であると考える。2021-05-05
67上田蚕種-1上田蚕種-1 上田蚕種協業組合事務棟の写真。この建物は、1916(大正5)年に上田蚕種株式会社として建てられた。上田蚕種株式会社は、上田蚕糸専門学校(現・信州大学繊維学部)や小県蚕業学校(現・上田東高校)を抱える上田市常田に設立され、上田蚕糸の中心地として機能した。戦後に協同組合及び協業組合として一時名称が変更されたが、2003(平成15)年に再び株式会社の名が復活した。協業組合時代に建物が国の登録有形文化財に指定されたため、この名になっている。2021-05-05
68上田市と岡谷市における蚕業の比較 まとめ上田市と岡谷市における蚕業の比較 まとめ 私は、上田市と岡谷市の蚕糸業の比較として、蚕糸業における様々な施設についてまとめた。その中で理解した相違点や共通点、蚕の今後の展望についてまとめる。 ・相違点  同じ蚕糸業で栄えた上田市と岡谷市だが、上田市は「上田蚕種協業組合事務棟」や「常田館製糸場」の現存から養蚕業や製糸業を行っていたことがわかる。一方で岡谷は、「岡谷蚕糸博物館」に展示されている多数の繰糸機や「宮坂製糸所」の現存から製糸業で栄えたといえる。 ・共通点  岡谷市の工女さんは、1910年には岡谷の人口2万3000人に対して、工女さん1万5000人と65%を占めていた。その後、1930年には岡谷の人口7万6500人に対して、工女さん3万4500人と45%を占めており、工女さん達は岡谷市の支えとなっていた。工女さんは10代半ばから20代前半の若い女性で、重要な2021-02-10
69常田館製糸場常田館製糸場国指定重要文化財の常田館製糸場です。 蚕都上田に関連する製糸場の遺産2021-01-31
70常田館製糸場 (奥帳場兼創業者住宅・賄蔵・炊事場)常田館製糸場 (奥帳場兼創業者住宅・賄蔵・炊事場)これは常田館製糸場の「奥帳場兼創業者住宅、賄蔵、炊事場」の写真である。以前、製糸場で働く工女さんたちは住み込みだった。会社から大切にされており、生活の補助を受けたり、当時は貴重だった白米をお腹一杯食べたりすることができたそうだ。 参考URL:常田館製糸場 施設紹介2021-01-27
71常田館製糸場 (五階繭倉庫)常田館製糸場 (五階繭倉庫)これは常田館製糸場の「五階繭倉庫」の写真である。明治38年(1905年)に建築された国内唯一の木造5階建繭倉だ。当時は繭を乾燥・保管する目的で作られたが、現在は比較的軽いプラスチックや発泡スチロールなどの倉庫として利用されている。建物の軽量化をはかるため、壁は薄く、柱もやわいが、震度4にも耐えられるくらい丈夫な造りとなっている。 参考URL:常田館製糸場 施設紹介2021-01-27
72常田館製糸場 (五階鉄筋繭倉庫)常田館製糸場 (五階鉄筋繭倉庫)常田館製糸場は明治33年(1900年)創業の製糸工場だ。 15棟の施設が現存しており、そのうち7棟が国の重要文化財に指定されている。 写真3枚目は、「五階鉄筋繭倉庫」の内部である。大正15年(1926年)に竣工した、長野県内に現存する最古の鉄筋コンクリ―ト造5階建て建築物だ。現在1階はイベントの開催やワインセラーとして利用されており、2階と3階には従業員の方々が制作した芸術作品が展示されている。作品はライトアップされており美しかった。 参考URL:常田館製糸場 施設紹介2021-01-27
73過去記事まとめリンク+α過去記事まとめリンク+α生島足島神社 上田市内のローカルレストラン探訪 #1 ミルキーウェイ 【エモい】夜のローカル鉄道無人駅 【道なき道】くらます山散歩道 上田市内のローカルレストラン探訪 #2 拉麺酒房 熊人 上田市内のローカルレストラン探訪 #3 隠れキッチン 上田駅周辺市街地 上田市内のローカルレストラン探訪 #4 刀屋 2021-01-14
74上田探検 リンク上田探検 リンク柳町の水路 http://d-commons.net/uedagaku/admin/content_edit.php?id=3343 リンゴの自販機 http://d-commons.net/uedagaku/admin/content_edit.php?id=3234 道祖神 http://d-commons.net/uedagaku/admin/content_edit.php?id=3237 熊人(ラーメン屋) http://d-commons.net/uedagaku/admin/content_edit.php?id=3239 臼だったもの http://d-commons.net/uedagaku/admin/content_edit.php?id=3240 古びた井戸 http://d-commons.net/uedagaku/admin/content_edit.php?id=3242 刀屋(そば屋)の薬味 http://d-commons.net/uedagaku/admin/content_edit.php?id=3342 上田城跡公園 http://d-commons.net/uedagaku/admin/content_edit.php?id=3344 至る所にいる真田 http://d-commons.net/uedagaku/admin/content_edit.php?id=3345 サマーウォーズ自動販売機 http://d-commons.net/uedagaku/admin/content_edit.php?id=3346 日輪寺 観音堂 http://d-commons.net/uedagaku/admin/content_edit.php?id=3564 宗吽寺 http://d-commons.net/uedagaku/admin/content_edit.php?id=3566 常田館製糸場 h2021-01-14
75上田探検リスト上田探検リスト第1回探検 ○超誓寺 https://d-commons.net/uedagaku/detail.php?cat=&id=3175 ○カレーラーメン https://d-commons.net/uedagaku/detail.php?cat=&id=3176 ○あんこ餃子 https://d-commons.net/uedagaku/detail.php?cat=&id=3177 ○くらます山散歩道 https://d-commons.net/uedagaku/detail.php?cat=&id=3178 ○リンゴの自販機 https://d-commons.net/uedagaku/detail.php?cat=&id=3179 第2回探検 ○赤い橋 https://d-commons.net/uedagaku/detail.php?cat=&id=3296 ○ローソン https://d-commons.net/uedagaku/detail.php?cat=&id=3297 ○刀屋 https://d-commons.net/uedagaku/detail.php?cat=&id=3298 ○謎の釜 https://d-commons.net/uedagaku/detail.php?cat=&id=3299 ○呈蓮寺 https://d-commons.net/uedagaku/detail.php?cat=&id=3300 ◎第1回第2回まとめ https://d-commons.net/uedagaku/detail.php?cat=&id=3329 第3回探検 ○宗吽寺 https://d-commons.net/uedagaku/detail.php?cat=&id=3525 ○日輪寺 https://d-commons.net/uedagaku/detail.php?cat=&id=3526 ○常田館製糸場 h2021-01-14
76上田市と岡谷市における蚕業の比較上田市と岡谷市における蚕業の比較・地域探求テーマ 「上田市と岡谷市における蚕業の比較」 ・この探求テーマを選んだ理由 私の地元では、小学校の地域学習として岡谷蚕糸博物館や宮坂製糸所の見学を行っており、蚕業を身近に感じる機会が多くあった。また、上田市と岡谷市は蚕業が盛んであったことが共通しており、それぞれの蚕業の歴史の仔細や、そこに共通点があるかどうかについて興味があるから。 ・探求しアウトプット化すること 上田市と岡谷市の蚕業の歴史や当時の様子について探求するとともに、そこから共通点や相違点等を見つけ出し、記事にまとめて投稿したい。 ・具体的に調べる資料 信州上田デジタルマップ 信州デジタルコモンズ 長野大学附属図書館の地域資料室 岡谷蚕糸博物館 など ・調査記事一覧 2020-12-21
77科野大宮社 +まとめ科野大宮社 +まとめ上田駅東にあるイオンスタイル近郊にある小さな神社です。入口すぐにある太い木が特徴的です。 秋ということで紅葉がとても綺麗で、葉が舞い散る様はとても情緒を感じました。 今回の探検では、本来は信濃国分寺に訪れるつもりでしたが、時間とメンバーの体力の都合上断念しました。が、常田館製糸場では今までで一番と言っていいほど面白い情報が入手できたのでこれだけでも十分かと思います。信濃国分寺については駅も近くにあるので時間があるときに行きたいです。2020-11-19
78常田館製糸場②常田館製糸場②木造繭倉庫は足場が悪く、階段も急なため、お年寄りの方が見学するには危険な場所であると感じました。当時、製糸場で働いていた人がこんなに過酷な環境で働いていたということを知り驚きましま。2020-11-19
79常田館製糸場①常田館製糸場①常田館製糸場の見学をしてきました。蚕糸業が盛んであった上田市の遺産として残された常田館製糸場は、当時の姿をそのまま残した貴重な文化財であることが分かりました。鉄筋繭倉庫にはギャラリーがあり、そこでは様々な展示物も見ることが出来ます。2020-11-19
80常田館製糸場 エレベーター常田館製糸場 エレベーターこのエレベーターを使って大量の繭を運んでいたのだろう。階段が非常に急で一段一段高かったが、労働者はこのエレベーターを使っていたのだろうか。2020-11-19
81常田館製糸場内の床常田館製糸場内の床所々隙間があり、歩いていると床を貫通しそうで心配だった。ここを通って当時の女性たちが大量の繭を運んでいたと考えると、感慨深い。2020-11-19
82常田館製糸場常田館製糸場明治時代からの建物が現在に至っており、当時の様子が伺える。繭を大量に保管しており、蚕糸業において重要な役割をしていたのだろう。2020-11-19
83上田探検3まとめ上田探検3まとめ今回は常田館製糸場のみの探検となったが、非常に歴史を体感することが出来、有意義な探検となったと思っている。今回の探検で、信州大学繊維学部講堂を除く上田の主要な蚕糸施設は大方訪れたので、次回からは丸子にあるいくつかの蚕糸施設を訪れたいと思った。2020-11-18
84常田館製糸場-5常田館製糸場-5 当時の天皇皇后両陛下が御観賞された桑の木。左から臥竜桑・3倍体桑・枝垂れ桑の3品種が植えられている。常田館製糸場を有する笠原工業にはこれまで二代二度にわたって天皇皇后両陛下が訪れており、昭和39(1964)年に昭和天皇皇后両陛下が、平成28(2016)年に現在の上皇上皇后陛下がご視察されている。まさに、上田を代表する施設である。2020-11-18
85常田館製糸場-4常田館製糸場-4繭蔵内にある倉庫の一つ。旧字体で「第二号倉庫」と書かれている。このように現在では使用されていない漢字が表記されていることからも、繭蔵が非常に歴史の古い建物であることが感じられる。2020-11-18
86常田館製糸場-3常田館製糸場-3常田館製糸場の鉄筋コンクリート造りの繭蔵。この繭蔵も当初は木造であったが、1925(大正14)年に出火し建物が全焼したため、1926(大正15)年に鉄筋コンクリート製に新築された。鉄筋コンクリート造りの建物は当時としては珍しく、最新の技術を用いて強固に作られている。2020-11-18
87常田館製糸場常田館製糸場上田が蚕都だった事がわかる施設跡 7棟ある建物全てが国指定の重要文化財、かつて倉庫だった建物は圧巻の大きさだった。 また建物内を見学することが可能だが、階段が急だったり、明かりがついていなかったり、床が抜けそうだったり施設を回るのも一苦労といった感じだった。2020-11-18
88常田館製糸場-2常田館製糸場-2 常田館製糸場にある木造繭蔵。この繭蔵は、国内では最高層の木造五階建繭倉庫で、1905(明治38)年に建てられた。建物では蚕種の均等な製造を行うため、窓を四重にするなど蚕の徹底的な管理が施されており、品質向上に向けて努力した後が伺える。2020-11-18
89常田館製糸場-1常田館製糸場-1 常田館製糸場の看板。常田館製糸場は、1900(明治33)年に諏訪郡平野村(現岡谷市)出身の笠原房吉によって創業され、以後100年以上にわたって製糸業の隆盛、そして衰退の中で残った貴重な建造物となっている。そのため、2012(平成24)年には国指定重要文化財に登録されている。2020-11-18
90常田館製糸場常田館製糸場常田館製糸場は明治33年(1900年)創業の製糸工場で、敷地内には施設15棟が現存しており、そのうち明治から大正時代にかけて建てられた7棟が平成24年に国の重要文化財に指定されている。実際に無料でいくつかの建物を見学することができ、ところどころに繭が置いてあった。木製の床はかなり老朽化が進んでいるためか危険なところもあり、良くも悪くも歴史を感じられる建物だった。2020-11-17
91【肝試し会場?】常田館製糸場 内観 #2【肝試し会場?】常田館製糸場 内観 #2常田館製糸場北側にある三階繭倉庫、五階繭倉庫の廊下、内観です。 重たい扉を開けると、#1の鉄筋倉庫と比べて明らかに手が付けられていない上、殆ど光が入ってこずほぼ真っ暗な空間が出現。床も古いが故にかなりギシギシしていて、今にもお化けが出そうな場所でした。 ただ、祖父母の家にも無いような古い機械、骨董品、天板や壁、文字書きなど、かなり面白いものが見れて良かったです。2020-11-17
92常田館製糸場 内観 #1常田館製糸場 内観 #1常田館製糸場の内部はかなり面白い物が存在していたので、更に2つに分けて紹介します。 写真は場内西にある「五階鉄筋繭倉庫」の内部です。どうやら定期的にイベントがここで開催されているらしく、大正時代のまま残されていそうな壁の中にミニ会場のようなものがありました。上階には様々な繭作品が展示されていて、どれも綺麗でした。 また、袋に入った大量の繭が置いてありました。おそらくイベント用に置かれているものでしょう。 #2では場内北の建物を紹介します。2020-11-17
93【大正の遺産】常田館製糸場 外観【大正の遺産】常田館製糸場 外観上田駅に沿って東に進むとある上田市に残る遺産の1つです。 入ってすぐの事務所を通して、無料で見学可能です。 外観は周りの建物と比較しても明らかに古いもので、ここだけ100年前からほぼ変化していないことが伺えました。 内観は別の記事で投稿しています。2020-11-17
94常田新橋のモニュメント?常田新橋のモニュメント?千曲川にかかる常田新橋の真ん中にあるモニュメント?を撮影しました。 このモニュメント、実は階段がついています。きっと登ることが出来るのでしょう。そこから見える景色はどんなものなのか想像すると本当に登ってみたくなります。 しかし、階段には柵のようなものがありました。イベントなどでは解放されるのでしょうか。。。 モニュメントとは関係ありませんが、常田新橋はとても歩道が広く、自転車などでも通行しやすいです。私の地元の橋はみんな歩道が狭いので、常田新橋を見習ってほしいものです…。2020-08-03
95人物84 武七人物84 武七常田村の人、屋根屋を業とし、父を六平といい、年八十九母七十四年、武七父母に仕えて日夜力を喝す。(略) 以下続きにその事跡を載す。2020-07-27
96常田館製糸場前の信号常田館製糸場前の信号タイトルの通りである。観光地でみられるのは~前という信号があり、観光客はそこを目印に車を走らせるだろう。だが、それは製糸場前にはない。確かに写真では写っていないところに案内版があるが、ドライバーからは見えるのだろうか。観光スポット化へのヒントかもしれない。2020-07-21
97ホリデイスポーツスクラブホリデイスポーツスクラブ常田館製糸場の隣にあるスポーツクラブ。コロナウイルスの影響か客はおらず、車が数台とまっているだけだった。営業していないようにも見受けられた。写真を見てもらえばわかるが、駐車場がかなり広い。常田館製糸場の駐車場はバス数台でうまりそうだが、十数台は入りそうである。2020-07-21
98蚕影町。蚕影町。蚕影町の名前の由来を示した看板。「こかげちょう」と読む。町には国指定重要文化財の常田館製糸場があるなど、文字通り蚕の町だったことがわかる。2020-07-20
99野球と蚕糸業野球と蚕糸業1927年に建設された上田市営野球場。蚕都上田の隆盛があって、地元に野球場が出来る。キモノマルシェで旧常田館製糸場の鉄筋繭倉庫を現存する長野県最古の鉄筋コンクリート造の建物(1926年=大正15年)として紹介したばかり。なるほど、この野球場の建物に接する鉄筋コンクリート造の橋はその竣工年がその翌年(1927年=昭和2年)になっています。蚕都上田の隆盛を背景に当時としてはまだ数少なかった鉄筋コンクリートの建造物が建造されたことがわかります。 野球と蚕糸業。この視点で知り得ているのは諏訪蚕糸学校(現岡谷工業)の甲子園での輝かしい準優勝の記録。校名に「蚕糸」とあることからもはっきりとその学校の背景がわかります。蚕糸業による経済的繁栄があって、野球が盛んになったことが物語られています。 (2016/10/28投稿2020-07-18
100学生と旧常田館製糸場を見学学生と旧常田館製糸場を見学2018/05/10午後、1年生のゼミで「上田まちなか探検」を実施しました。最初の約1時間、常田館製糸場を見学しました。常田館製糸場は製糸工場の産業遺産で、笠原工業が管理しています。重要文化財に指定されています。2年前の2016年、天皇皇后両陛下が視察で訪問されました。 蚕都上田の中でも常田館製糸場は代表的な上田の製糸場です。1900年に創業しています。歴史ある産業遺産であるにもかかわらず、上田の地元住民でも知らない方が多い。 見学当日、笠原工業の笠原会長が1年生17人に対応をしてくださいました。次世代を担う若い学生たちへの産業文化の伝承というミッションをお感じになってのことと思います。蚕糸業のことを平易に手短に解説をされ、皇后陛下とのお約束だからと、皇室の養蚕に関するビデオを見せていただきまし2020-07-18
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