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1擬洋風建築を残し続けるために擬洋風建築を残し続けるために擬洋風建築は幕末から明治頃にかけて日本の各地で建築された、日本の大工らが西洋風の建物を見様見真似で建てた西洋風の建築物であり、和洋折衷、様々な意匠や工法が混じった建築物は、文明開化、近代化の象徴的な存在です。しかし、現在その多くは取り壊しや火災などで失ってしまっています。この数少ない重要な建物を残すため、多くの人に魅力を知ってもらうことが重要だと思いました。 その魅力の一つは石の再現です。壁面の出隅は「隅石積」を、壁に漆喰を塗ることで模しています。木造建築でありながら、石造の建築に見せかけるという面白さと知恵を感じます。 もう一つの魅力は独自性です。玄関に唐破風屋根を設けられていたり、天井の飾りに、波に千鳥、松竹梅、菊などが描かれていたりして、洋風に見せながら和の要素を含む和2023-01-31
2上田のelaboration上田のelaboration 上田の一番の課題は地元の住民が上田市の歴史についての姿勢が問題あると考えた。交通の不便さ、若者へのアプローチの弱さ、そこから繋がる上田の地の魅力が広く知られていないなどの課題がいろいろある中、地元理解という土台が無ければ上田市が発展するにあたり、観光客の理解が深まらず上田の魅力が伝わらないと考えた。これより、上田の課題を地元理解に絞り、なぜその課題が提起され、その課題をどう解決させていき、どのような結果になることが理想的であるかを探究し提示することを目的とする。  例を挙げると、「真田丸」というドラマが始まり、真田幸村が大いに話題を呼んだ。上田市はその話題に際して、上田城を築城したのは真田昌幸であるという真実を広く公表することなくイベントや観光客を迎えた。さらに現在、上田2023-01-19
3上田市の課題(途中経過)上田市の課題(途中経過)①歴史を伝えるアプローチが小さい。 ②若者を外であまり見ない。若者離れの傾向 ③交通手段の薄さ(私鉄への依存、ばすのすくなさ) ④上田市の住民が上田市を理解しきれていない。 ・なぜそうなるのか ①過去・歴史のエピソードを伝えるための広告が少なく、その魅力を押し出せていない。 ②若者向けのイベント・建造物が少ない。また、若者だけでなく高齢者向けの娯楽施設が少ない。 ③広大な土地の使い方の工夫が足りない。 ④交通手段の普遍化 ⑤駅、駅周辺の過疎化 ・何を探求するか ①歴史を持つ建造物を世の中に伝える方法の工夫 ②上田の環境に適合するイベント、娯楽施設など ③交通手段の活性化のための交通手段(電車又はバスなのか)そしてそのルート(どこを運行するのか) ④若者を離れさせず、若者が進んで将2023-01-19
4現代のタイポグラフィーの例②現代のタイポグラフィーの例②企業ロゴにもタイポグラフィーが使用される。 タイポグラフィーは現代でも広告効果が認められ重要視され続けている。2023-01-09
5大正期には「キネマ文字」のフォント集まであった大正期には「キネマ文字」のフォント集まであった矢島周一は大正15年(1926)3月に日本で最初のタイポグラフィー字典といわれる『図案文字大観』を出版。自らの映画広告のレタリング制作の経験から考案した書体を集大成したという。以後の日本映画広告では明らかにこの『図案文字大観』の書体が活用されており、使用事例が幾つも確認できる。 『図案文字大観』 矢島周一・著 1926(大正15)より引用2023-01-09
6大正期の報知新聞紙上の映画宣伝に見られるタイポグラフィー大正期の報知新聞紙上の映画宣伝に見られるタイポグラフィー大正期に、新聞広告、商業ポスター、マッチなどの商品パッケージ等、広告を中心に重要視されるようになったタイポグラフィーだが、特に大正2年(1913)ころから映画広告に登場し、「キネマ文字」と呼ばれるようになった。 映画(当時で言う「活動写真」)は寄席、劇場に並ぶ大正期の三大大衆娯楽であり、「キネマ文字」の普及にも大きな力となったはずである。 報知新聞 第 17232 号、5 面、大正 14 年 1 月 22 日発行 東京、報知社2023-01-09
7大正期の新聞広告に用いられたタイポグラフィー大正期の新聞広告に用いられたタイポグラフィー大正期に入ると、日本のタイポグラフィーは欧文書体の影響を受け、毛筆書体から離れた独特な書体が続々と登場した。広告効果としてのタイポグラフィーが重要視されるようになった。 『新聞広告選集』大阪朝日新聞社・編 大阪朝日新聞社(1926)より引用2023-01-09
8明治中期の読売新聞紙上の広告に見られるタイポグラフィー明治中期の読売新聞紙上の広告に見られるタイポグラフィー日本のタイポグラフィーは、平安から始まり江戸期までは、篆書(てんしょ)・隷書・楷書・行書・草書など毛筆を基にしたものであった。 明治に入り、欧文書体との融合が始まった。 写真のような明治中期の新聞広告には英語表記も見られるが、タイポグラフィーの多くはまだまだ毛筆書体を元にしている印象だ。 読売新聞 第 5751 号、4 面、明治 26 年 7 月 26 日発行 東京、日就社2023-01-09
9運動のシーズン!(『西塩田時報』第70号(昭和4年9月1日)3頁)運動のシーズン!(『西塩田時報』第70号(昭和4年9月1日)3頁)運動促進を喚起する内容の記事である。まず「ゴム底足袋」というワードのインパクトがすごかった。また百年程度で足袋からいまの靴に進化していることにも驚いた。現在の新聞にあるような小さな広告だが面白さを感じた。 ▼この記事は以下から参照できます。 #305『西塩田時報』第70号(1929年9月1日)3頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0305.jpg2022-12-26
10お盆用必需品は自分の店で!(『西塩田時報』第69号(昭和4年8月1日)3頁)お盆用必需品は自分の店で!(『西塩田時報』第69号(昭和4年8月1日)3頁)お盆に必要なものは組合でそろえてくださいという内容の広告の記事だが、現在のCMを文面にしたらこうなるのかなと想像もできて面白い。また、「組合」「配給」も当時の様子を想像できて興味深かった。 ▼この記事は以下から参照できます。 #301『西塩田時報』第69号(1929年8月1日)3頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0301.jpg2022-12-26
11企画展「ご近所さんの近代遺産 原町通り編」企画展「ご近所さんの近代遺産 原町通り編」池波正太郎 真田太平記館 同館で3/26~6/19の期間、企画展「ご近所さんの近代遺産~原町通りの商店編~」が開催されています。 →企画展 原町の古い写真を柱に、原町の商店とも関連する事物を展示する企画です。森田屋石森呉服店の道具、西澤書店の大正・昭和期の帳簿の束、河合薬局の衝立、「本草綱目」、各商店の色刷り広告などが展示されていました。太平記館の展示は展示会場が狭いということもあり、関連の企画展示を具体的にどのようにキュレートすればよいかのよきお手本でもあります。無理せず、原町商店街の「昔」を手際よく展示構成していました。2022-06-05
12京城日報での13回忌の記事京城日報での13回忌の記事こちらは昭和5年12月5日の京城日報です。11/12の冒頭に、志津衛13回忌の法要が行われた記事が掲載されています。出火当時の様子や、その人柄、その後の家族の様子まで詳しく書かれています。外地であるはずの京城でも日本と同じように新聞が発刊されていること、当時の事件や広告記事など、現在とあまり変わりがないことに驚きます。 祖父俊三が京城大学在学中で、野球をしていると記載されています。上の兄たちとともに鈴木三兄弟と野球で有名だったそうです。2022-02-24
13YouTubeを用いた情報発信、またYouTubeという市場の難しさ 最終報告YouTubeを用いた情報発信、またYouTubeという市場の難しさ 最終報告2021年度の研究テーマに関する最終報告になります。 詳細は添付PDFにあるのでここでは研究を始める経緯について簡単にまとめます。 YouTubeは個人、団体、自治体、企業などあらゆる層が 情報発信を行っており、そこでの広告収入を職業とする YouTuberも広く知られる職業となりました。 しかし、その一方で ・YouTuberは簡単に大金が稼げると思われている ・広報用と見られるチャンネルを持ちながらも長期間  更新が見られない企業・自治体が多い などのことから、YouTubeへの参入が甘く見られているのではないかという疑問を持ち、 「YouTubeという市場の難しさをまとめる」 という狙いを定め、調査を始めました。 当初は、自身のYouTubeチャンネルを用いた活動と その効果のみを調査していましたが、言語化と指標化、 数値化が困難であった他2022-01-28
14上田紬に「興味を持ってもらう」上田紬に「興味を持ってもらう」上田紬に興味を持ってもらうために、「上田紬を軸とした旅行プラン」を提案します。 ・新幹線代(出発地が北陸新幹線沿線の場合)+着付け代(ゆたかやさんに依頼)(+宿泊の場合ホテル代)を込みにしたプラン ・紬割:対象店舗・スポットに紬姿で行くと割引などのサービスを受けられるようにする。旅行客に「上田紬でめぐる」おすすめスポットを載せた地図をプレゼントし、掲載地が紬割対象。地図は上田駅・上田城周辺、別所温泉を中心に作成。 ・オプションとして+1000円で別所線の1日フリーパス ・Instagramの活用:Instagram広告の利用、「#上田紬」キャンペーン(#上田紬をつけてに上田紬に関する写真を投稿してくれた人の中から抽選でギフト券や上田市ゆかりの品をプレゼント) ☆多くの人、特に若い世代に上田紬を知ってもらう2022-01-26
1511月第2、3週の活動広告11月第2、3週の活動広告第4週目の投稿が遅れていますが、23日以降の一週間で投稿できる予定です。 先週の15~18日までは、撮影に出ており、 新しい企画に沿ったシリーズを投稿するのに十分な撮影ができています。 次回の動画を投稿後に、上記で撮影したシリーズを優先して投稿する予定です。 いわゆる「旬のネタ」を投稿することでの傾向を見たいと考えています。 また、登録者数が70人に到達し、チャンネル内の総合的な視聴回数、総再生時間も増えています。 変更したサムネイルに関しても好評であり、 「過去のサムネイルも変更してみては」との意見もいただいているので、前向きに検討する予定です。 直近の動画URL 2021-11-22
16⑭ツルヤとメディア⑭ツルヤとメディア長野大学/地域情報メディア論2021 オンライン公開発表会「地域と地域メディアの課題」 発表者⑭ツルヤとメディア ▼発表(YouTube) ▼発表資料(PDF) 2021-08-10
17⑳広報全般2/長野大学の広告媒体の課題分析について⑳広報全般2/長野大学の広告媒体の課題分析について長野大学/メディアプランニング論2021 学生による大学広報の改善提案 発表者⑳広報全般2/長野大学の広告媒体の課題分析について ▼発表(YouTube) ▼発表資料(PDF) 2021-08-09
18醋屋本チラシ醋屋本チラシこの写真は、海野町商店街にあるすや呉服店が所蔵しているチラシである。 明治23年11月信州上田海野町のチラシで、醋屋呉服店の広告が掲載されているほか、干支や節分・お彼岸などの行事が書かれている。 現在とは全く異なったチラシに価値を感じる。2021-07-04
19上田駅に真田の広告上田駅に真田の広告上田駅内に何枚か張られていた広告。 駅内に数枚張られていて真田を売りにしているという ことがとても伝わった。2021-05-06
20千串屋千串屋1枚目が2012年、2枚目が現在の外見を表した写真である。 現在も1階にある焼き鳥屋は特に変化がないが、2階に関しては、今では居酒屋ができていたり、一番上の広告のようなものも新しいものに変わっている。 (2012年の写真→Googleマップ・ストリートビューより引用)2021-01-24
21広告(『西塩田時報』第193号(1939年12月1日)2頁)広告(『西塩田時報』第193号(1939年12月1日)2頁)1941年に太平洋戦争が開戦することを考えると、まだ随分豊かな広告が流れていたと思い、気になった。誰に向けた広告なのだろうか。 地主が居たことを考えると、その富裕層に向けたものであるかもしれない。戦地の兵隊のためにこれを購入し送るものもいたかもしれない。2020-12-14
22【江戸時代?】北国街道 柳町【江戸時代?】北国街道 柳町上田駅から徒歩15分程の所にある、古風な見た目をした店が並ぶ場所です。 なんでも江戸時代の雰囲気が楽しめるとの噂で少し楽しみでしたが、正直なところ車が普通に通っていたり、道路東側は電線が張ってあったり、現代風の広告旗が置いてあったりと建物はしっかりしているだけあって残念な感じがありました。 ただ、直前にそばをたべたので今回は無理でしたが、美味しそうな食べ物がちょくちょくあったのでまた来たいと思っています。 ちなみに2枚目はモノクロ写真にしたら昔っぽい写真になるんじゃね?と思って取ったらただの綺麗な白黒写真だったものです。2020-11-03
23別所温泉駅別所温泉駅別所温泉駅の外観。駅名表記が非常にレトロであり、駅舎は少し洋風の家のような外観になっている。また、駅のホームに多く設置されていた広告も昭和風であり、非常に歴史を感じる景観となっている。2020-10-21
24別所温泉-2別所温泉-2別所温泉にあった広告や注意書きの1つ。別所温泉特有のものというわけではないが、年号が平成16年とかなり古いものであったため、なぜそのような注意書きが貼られたままなのか疑問に思ったので撮影。2020-10-21
25佐久市浅科八幡神社前停留所佐久市浅科八幡神社前停留所 八幡神社前のバス停。室内の壁面広告がレトロ。2020-09-10
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