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1さながらワルハラ城、角川武蔵野ミュージアムさながらワルハラ城、角川武蔵野ミュージアム所沢に出現した巨大な石造りのように見える城塞。何だと思いますか? 現代の都市環境に石でできた堅牢な城塞に見えます。周辺の都市環境の中で、一際目立ち、異物感があります。誰もが「なんだ、あれ」と思って見てしまうインパクトがあります。さながらワルハラ城。ワーグナーの楽劇『ニーベルングの指環』のあの神々の城を真っ先に連想しました。あの隈源吾さんの建築デザインとは後から知りました。 角川武蔵野ミュージアムはこの異物感のある建築ばかりでなく、施設のコンセプト自体が常識を覆す画期的なミュージアムです。建物から歌舞いて(とんがって)います。松岡正剛さんが館長。ホームページを見ると、松岡正剛館長がいかにも、という感じで、そのコンセプトを披露しています。これは面白い! ★2022-06-05
2開智学校開智学校令和元年に国宝となった旧開智学校。 その付近には、現在の開智小学校もあり小学生が元気に通う光景がみられる。 文明開化の時代を象徴する洋風とも和風ともいえない不思議な建築は「擬洋風建築」と呼ばれている。特に目につくのがシンボルともいえる学校名を掲げる二人の天使。どことなく日本人的な顔をしていて羽が茶色いというのも珍しい姿である。2022-05-10
3上田映劇の内装(2)上田映劇の内装(2)上田映劇に見学させて頂いた際、昔使用していた使用人室やプロジェクターを特別に案内させて頂いた。  画像にある映写機は、フィルム映画を上映するときに用いるものである。現在も実際にこの映写機を用いてフィルム映画の上映を現在でも行っているとのことだった。  二階にある使用人室は、上田映劇が映画の上演で賑わっていた際に、寝泊まりするために用いられていた。また、映画「晴天の霹靂」「浅草キッド」で上田映劇が舞台として使用された際も用いられた。ネット上の記事を確認したところ、舞台で用いられたセットが記念として残されているとのことだったが、見学させて頂いた際にはセットの劣化に伴い昨年撤去されたとのことだった。ロビーなどに比べ、一般の方が入られることが少なく改装されていないのか、1917年に建築さ2022-02-13
46 まとめ6 まとめ明治~大正時代の文化や生活について調べていて、西洋の文化が取り入れられ現代つながる様々な変化が訪れたことを知り大変興味深く思いました。伝統や文化的特徴が残るというのは、そのもの自体に価値があることの証明なのだと感じました。 上田市も建築や鉄道開発などの点で影響を受けており、養蚕業で発展した街がさらに賑わうことの一助となりました。「蚕都上田」と呼ばれる当時の上田市は、金融業も盛んであり、資料で見てみると街の中の銀行の多さが如実にそれを表しています。製糸業の盛んな街には銀行の数が多いのも大きな特色なのだと思われます。 この探求を通して、上田市の文化的特徴や、当時の観光、産業の発展について深く知ることが出来ました。現在の上田市は、観光都市として発展しているわけではありませんが、こ2022-02-10
5上田蚕種協業組合事務棟上田蚕種協業組合事務棟上田市にある蚕種の象徴的な木造二階建て建築。 登録有形文化財(建造物) 上田蚕種協業組合は、1916年上田蚕種株式会社として設立したのが始まり。主要な建物が翌6年に完成。その後、昭和45年から現在の社名となっている。最盛期には22万箱の蚕種をこの組合から出荷していた。 このような建物からのみで22万箱もの量の蚕種が製造されていたことから、その技術高さが感じられる。2022-02-09
6仙台東照宮 その2 仙台東照宮とは仙台東照宮 その2 仙台東照宮とは宮城県にある仙台東照宮も他の東照宮と同じように徳川家康公を祀る神社である。仙台東照宮の最寄り駅である東照宮駅へは仙台駅から仙山線で一駅で行ける。仙台駅から北に2キロほどの小高い丘の上に位置しており近くには梅田川が流れる。 正式名称は東照宮だが、他の東照宮と区別するために「仙台東照宮」と呼ばれている。 仙台東照宮は伊達政宗公の世継ぎである2代藩主伊達忠宗公が、徳川家康公が休息したといわれる地に創建した。 この場所は天正19年(1591)、葛西大崎一揆の鎮圧に援軍として奥州へ向かった徳川家康公が政宗公の案内でその帰路に休息した地である。また仙台藩の中心である青葉城の正確な北東(鬼門)の位置にあたる。 創建当時は天神社の境内地であり、この天神社は移されて現在の榴ヶ岡天満宮となっている。 造2022-02-09
7【仙台東照宮由緒】【仙台東照宮由緒】【仙台東照宮由緒】 東照宮について ・東照宮は、徳川家康公を御祭神としてお祭りしている神社。 ・将軍家によって創建された日光や久能山の東照宮を始め、御三家や各藩主によって全国各地に創建された。 仙台東照宮 ・正式名称は東照宮ですが、他の東照宮と区別するために仙台東照宮と呼ばれている。 ・仙台の東照宮は、1654年(承応3)、仙台藩の初代藩主伊達政宗公の世継ぎである2代藩主伊達忠宗公によって創建されました。 社殿の造営 ・造営にあたっては実に5年のときをかけ、全国から良材を集め、選りすぐりの一流の職人を筆頭に総勢83万4835人が従事したと言われています。 ・日光東照宮や久能山東照宮が権現造という建築様式を採用しているのに対し、仙台の東照宮は拝殿と本殿を別棟にして、その間に唐門を配置しているとい2022-02-09
84 上田市の建築物4 上田市の建築物明治、大正から機能を失わず現在まで残り続けている上田市の建物を身近なところから探してみました。 旧宣教師館、上田蚕種協業組合事務所棟、大家駅、飯島商店、別所温泉など数多くあり、この時代から存在する産業や文化を読み解くことが出来ます。 私たちが利用する上田駅も明治21年に開業されたものであり、駅や店が多い街の庶民の生活は非常に賑わっていたのだと思われます。 また、上田市は養蚕業で発展を遂げた地域です。観光、文化、特産品の面でもそれは大きく影響していると思います。2022-02-09
93 生活の場3 生活の場明治~大正時代の建築については、日本は古来から一貫した木造建築でしたが、明治には洋風の石造、煉瓦造が移入され末期には鉄骨造や鉄筋コンクリート造の新構造が出現し、大正期の耐震耐火の本格的近代建築へ発展しました。いわゆるルネッサンスやネオバロックの復古様式の二番煎じが移植され、疑似洋風建築と呼ばれるような建築物が多く造られました。しかし洋風化には多額の費用がかかったため、庶民の生活の場である住宅は、やはり日本家屋が多かったそうです。 生活を便利にしたアイテムとしてはランプやマッチが挙げられます。江戸時代まで使われていた行燈やろうそくに比べ石油式ランプはかなり明るく、通り沿いに設置されたガス灯は夜の街を照らすのに大変役立ちました。 また、マッチの輸入によってそれまで火打石で火を起2022-02-09
102 文明開化2 文明開化この時代は西洋の文化が日本に浸透し始め、現代につながる様々な変化が生じた時代です。 食や服飾、建築などの文化において西洋の要素を取り入れ、模倣し、日本のものを取り入れるなどをして洋風に変わっていきました。 服装に関しては軍人や役人、上流階級の人の間には制服や礼服として早くから洋服が広まっていきました。庶民の間では着物が一般的であり、外で洋服を着ている男性も家では和服に着替える等の例もあったそうですが、髪型は明治に入り大きく変わりました。「散髪令」によってちょんまげを切ることが強制されました。男性は誰もが洋風の短髪になり、それに合わせて山高帽などの帽子も流行るようになりました。 女性は明治に入っても着物に日本髪が主流でしたが、化学染料を使った染物や西洋風の模様が取り入れられ、2022-02-08
11身延線の開通身延線の開通明治38年あたり、以前の富士川鉄道を企画した資産家をはじめ、甲州の資産家らが賛同し、「富士身延鉄道株式会社」を設立した。この計画では以前の、富士市の岩淵から富士川の流域に沿って甲府までというコースから富士宮市大宮地区の経済発展を考え、富士から大宮を通り甲府に向かうルートで計画された。そのため、甲府までの鉄道の用地買収に加えて、先ほども説明した富士馬車鉄道の権利の買収を行なった。 日蓮宗の総本山である身延山参拝を鉄道計画の一つの目的としていたため、富士身延間の工事をまず行った。富士大宮間は問題なく開通された。しかし、大宮から芝川、そしてその北部の工事がはじまると、第一次世界大戦と重なり物価の異常な高騰により、建築資材の調達、用地買収が難しくなっていき、中断を余儀なくされてしま2022-02-05
12旧中込学校へ旧中込学校へ佐久市にある重要文化財「旧中込学校」へ10月に行ってきました。 見た目は、松本にある開智学校に似ていると思いました。 緑色と白色を基調としたシンプルな洋風デザインです。 この学校は、日本の学校建築に現存する最古級の擬洋風建築物だと言われています。 校内はもちろん、当時使われていた教科書や、教育道具が大変綺麗に保たれていました。 私が一番面白いと思ったのが、大きなそろばんです。 とても大きくて、昔の師範学校には、「大きなそろばんの扱い方」といった授業も開講されていたのではないかと想像するくらい、大人の先生が一人で取り扱うには大変そうな大きさでした。 仮に今の時代に計算を教えるとしても、大きな電卓は使いませんよね(笑) 今なら、どうでしょう、先生の手元をカメラで写しながら、プロジェクタ2022-02-04
13仙台東照宮 ~仙台祭りから仙台・青葉祭りへ~仙台東照宮 ~仙台祭りから仙台・青葉祭りへ~中間報告 調べた内容 【仙台東照宮由緒】 東照宮について ・東照宮は、徳川家康公を御祭神としてお祭りしている神社。 ・将軍家によって創建された日光や久能山の東照宮を始め、御三家や各藩主によって全国各地に創建された。 仙台東照宮 ・正式名称は東照宮ですが、他の東照宮と区別するために仙台東照宮と呼ばれている。 ・仙台の東照宮は、1654年(承応3)、仙台藩の初代藩主伊達政宗公の世継ぎである2代藩主伊達忠宗公によって創建されました。 社殿の造営 ・造営にあたっては実に5年のときをかけ、全国から良材を集め、選りすぐりの一流の職人を筆頭に総勢83万4835人が従事したと言われています。 ・日光東照宮や久能山東照宮が権現造という建築様式を採用しているのに対し、仙台の東照宮は拝殿と本殿を別棟にして、その間2022-01-26
14上田映劇の内装上田映劇の内装 上田映劇は映画撮影やライブなどに合わせて一部改装されたりしているそうだが、建物自体は大正6年に建築されてから変わっていないため、歴史を感じる事が出来る建物となっている。 2014年に上映された「晴天の霹靂」のメイン舞台となっていたため、入り口には雷門ホールと看板が立てられたりしていた時期もあった。しかし、あくまで映画のセットとして付けられたものということもあり、耐久性が高くなく昨年撤去されたのこと。 上田の市街地に建てられていることもあり建物の横幅が広くないため、外側から建物を見ても建物自体が大きく見えない。だが、奥行きのある建物となっているため、シアターに入ってみるとシアター内の広さに驚かされる。 シアター内は一階と二階の二つに分かれているが、現在は安全上の問題で一階のみ利用可2022-01-26
15上田映劇の歴史 昭和まで上田映劇の歴史 昭和まで1917年に末広座跡に上田劇場が開館した。  当時は芝居、落語、講談、浪曲、歌謡などが催された。  上田劇場の前身となるのは末広座だが、末広座の開館日は不明である。  しかし、1912年の上田町地図に末広座、中村座が載っているとのことから 1912年以前に開館されていたと思われる。 1922年に発行された「上田市街明細図」に上田劇場、上田電機館、中村座が載っている。  1919年に「上田演芸館」というのも開館されたとされているが  詳しい場所の情報が無いため、上田市街明細図から探し出すことが困難だった。 昭和初期(1926~1932?)頃に上映するものを映画中心とし、 上田映画劇場と名称を変更。 1960年代後半 映画の人気がピークに至る。 1964年 桟敷(さじき)席から現在の椅子席(270席)に改築された。 映画館の話題から少2022-01-26
16信州大学繊維学部講堂(旧上田蚕糸専門学校講堂)信州大学繊維学部講堂(旧上田蚕糸専門学校講堂)当時の上田は、高品質な蚕種・生糸の生産と、三吉米熊らによる人材育成により、近代日本の主要産業であった蚕糸業の発展に大きく貢献し、「蚕都上田」と称された。 この講堂ほとんど改変を受けることなく建築当初の姿を残しており、現存する近代の中・高等教育施設の建造物としては屈指のものだ。2022-01-26
17丸、環、〇、円形、輪、和が魅力丸、環、〇、円形、輪、和が魅力サントミューゼは上から見た時に丸みを強く感じるなぁと、施設案内板や広場のベンチを見て考えた。端にいても、その逆端にいる人が見えるデザインだと思った。ベンチに複数人で座って話していても、全員お互いの顔が見える。交流にもってこいの形状だ。2022-01-26
18「木」が印象的な建物「木」が印象的な建物 少し離れてサントミューゼを見た時に、木がたくさん使われていると感じた。サントミューゼ自体もそうなのだが、外にあるトイレや倉庫も木材が使われていた。前回、館内を見て回った時も同じようなことを感じたのを思い出した。  近くで見ると白い木材はコンクリートだった。木材の板とコンクリートの板が混合していたのだ。コンクリートについている細かい筋が木目調に感じさせるのか、不思議と木材と調和している。2022-01-26
19信州上田学・地域連携パートナー事業アグロフォレストリープロジェクト活動記録2信州上田学・地域連携パートナー事業アグロフォレストリープロジェクト活動記録2信州上田学〜地域連携パートナー事業アグロフォレストリープロジェクトでは、長野大学地域づくり総合センターと(一社)信州上田里山文化推進協会が連携して、古くから自然と調和していきてきた先人の知恵を伝承し、次世代の若者が地域資源を活用して自らの力で未来を開いていくための人づくり、地域づくりを行っています。  塩田平・別所温泉地区を中心に、上田市は、「レイラインがつなぐ太陽と大地の聖地〜龍と生きるまち」として、日本遺産になっています。学生たちも龗や九頭竜大権現を祀る男神岳、女神岳に抱かれた民話や雨乞い祭り、文化財について学びました。   今年の8月、10月には、ボランティアガイドの会など他の地域団体とも共同して、日本遺産に認定された塩田・別所地区の文化財についてレイラインの観点から方位や日2022-01-05
20三楽時(安楽寺・常楽寺・長楽寺)三楽時(安楽寺・常楽寺・長楽寺)安楽寺の創設ははっきりしていないが、729~749年の間に高層として知られる行基(ぎょうぎ)によって、また、824~834年の間に慈覚大師円仁によって開かれたという説がある。国宝にも指定された八角三重塔があり、こちらに使われている木材を調査したところ、正応2年(1289年)に伐採した木材が内部に使用されていたことがわかり、13世紀末に建築された塔であると考えられている。 常楽寺は北向観音堂と同じく天長2年に建てられた。境内には樹齢350年とも言われる宝船ののような御船の松があり、この宝船で阿弥陀様が極楽浄土に導いてくれるという。また、本堂の裏には北向観音の霊像が出現したとされた場所に700年もの歴史がある石造多宝塔が保存されており、鎌倉時代に天台宗の拠点として栄えていたことが伺える。 長楽寺は焼失して現在は存在2021-12-21
21あいそめの湯②あいそめの湯②信州最古の温泉といわれている別所温泉であるが、あいそめの湯に飾られていた別所温泉の歴史が書かれたものがあったので、自分でも深く調べてみた。 別所温泉は景行天皇の時代、日本武尊の東征の折りに発見されたといわれている。または平安時代(794年-1185年)中期の女流作家、清少納言によって書かれた「枕草子」にある「湯は七久里の湯、有馬の湯、玉造の湯」という一節の中の「七久里の湯」が起源ではないかという説もある。 12世紀に入ると別所は木曽義仲(源 義仲)信州を平定するために派遣した軍勢によって火を放たれ、多くの寺院建築が灰になってしまったが、大悲殿ならびに安楽寺の八角三重の塔だけは焼失をまぬがれた。その後、焼失した別所の寺院は源頼朝、次いでに塩田北条氏によって再建されることとなった。そして、こ2021-11-16
22中善寺中善寺中善寺の参拝料は200円です。 中善寺に入ると、紅葉ときれいに手入れされた木々が見えます。とてもコントラストがきれいでした。 進んで右手に中善寺薬師堂があり、茅葺がきれいなお堂が見えます。長野県最古の木造建築であり、このように綺麗に残っていることに驚きです。 進んで左手には、枯山水のようなものがあります。整備されており、とてもきれいでした。2021-11-15
23別所温泉駅別所温泉駅電車を降りると、歴史を感じる趣深い駅構内が見えます。また、外観は和洋折衷の建築になっています。 現在はコロナウイルスの感染防止対策のため、利用できませんが、レンタサイクルもありました。温泉街まで少し歩かなくならないため、よい試みだなと感じました。2021-11-15
24明治二十四年上田全図明治二十四年上田全図この図面は、上田の町を印刷により表わした初期の地図だ。実測図ではないため、縮尺や距離感は不正確である。地図の周囲にとは、明治維新後の近代化した上田の姿を、建築物を中心に表している。「上田尋常小学校」「高等小学校(旧藩主屋敷)」、「上田女学校」、「上田停車場」、「第十九国立銀行」、「上田橋」などが見られる。図面の中央の上田城本丸には「松平神社」がある。また、本丸には櫓が2基残っていたことがわかる。二の丸は「監獄」となっている。また、大手門の堀が残存していた。明治21年に鉄道の駅「上田停車場」(現在の上田駅の前身)が営業を開始するとともに、駅と「海野町」「原町」をつなぐ「松尾町」も開通した。2021-11-14
25安政年間上田城下町絵図安政年間上田城下町絵図松平氏在城時代の上田城下町絵図で、武家屋敷の屋敷割を中心に描かれている。基本的には元禄年間の上田城下町絵図と変わっていない。上田城の本丸については「御本丸」と書かれているのみで省略されている。また、二の丸には、堀や石垣・土塁は描かれており、櫓や門などの建築物がない様子が分かる。 二の丸東虎口の外には、「文武学校」・「稲荷宮」がある。ここは、元禄年間の上田城下町絵図では、家臣の屋敷地だった。また、「御作事」と記載されている場所は、元禄年間の上田城下町絵図では「御中屋敷」だった。現在の清明小学校の敷地となっている。2021-11-14
26元禄年間上田城下町絵図元禄年間上田城下町絵図仙台氏在城時代の上田城下町絵図で、武家屋敷の屋敷割を中心に描かれている。上田城は、本丸については「御本丸」と書かれているのみで省略されている。また、二の丸は「二御丸」と書かれており櫓や門などの建築物がない様子が分かる。「御中屋敷」と記載されている場所は、現在の清明小学校の敷地となっている。「追手口」(大手口)からが城内だ。 城下町全体を見渡すと、城下町と家臣の屋敷は城の東側に偏っていいることが分かる。また、絵図の所々に赤く塗られた四角形の印があるが、これは、「番所」で、武家屋敷と町屋の境・藩主屋敷・お城の虎口(入口)などの要所に設置されている。2021-11-14
27安楽寺・八角三重塔安楽寺・八角三重塔黒門を抜けて向かったのは安楽寺、八角三重塔。ココでは主に国宝である八角三重塔を見てきた。 この塔は一見四重に見えるが、一番下の屋根がひさしに相当する「裳階(もこし)」にあたることから、裳階付き八角三重塔として認定された。 建築年代は明らかになっていないが、鎌倉時代末期が定説となっている。また、建築様式については、当時中国の最新技術であった唐様が用いられ、和洋の塔とは違った重厚な佇まいになっている。 下から見上げることで重厚感や塔の存在がより際立って見えた。秋に訪れたこともあり、紅葉とのコラボレーションが素晴らしく綺麗だった。2021-11-14
282020信州上田学Aふり返りまとめ2020信州上田学Aふり返りまとめ▼全体まとめと成果
  1. 2020信州上田学A講義録(担当教員:前川道博)
  2. 信州上田学A2020⑭オンライン発表会記録 2020/07/29
  3. >信州上田学2020/学びの成果発表会(信州上田学A/B合同) 2021/01/24
▼上田市行政チャンネル
  1. >長野大学公開講座「信州上田学A」学生と市民の合同発表会 2020/07/29
  2. >信州上田学2020/学びの成果発表会(信州上田学A/B合同) 2021/01/24
▼学生受講生のマイサイト
ニックネーム、テーマと内容は一致していないケースがあります。
  1. 上田の食
2021-10-06
29信州が蚕糸王国ってホント? ポスト蚕糸業(産業)の視点から信州が蚕糸王国ってホント? ポスト蚕糸業(産業)の視点から信州が蚕糸王国ってホント? ポスト蚕糸業(産業)の視点から(講演採録全文) 講師:前川道博(長野大学企業情報学部教授) ▼元の講演はコチラ https://youtu.be/yS-xdWDMTwE?t=2779 信州学「信州の蚕糸業とシルクロード」講座 第2回  2016年10月6日/まちなかキャンパスうえだ

【1】蚕糸業って何? 蚕種製造、養蚕、製糸

■そもそも蚕糸業とは?

 今回、この講座は、多くの方に、後からも学習していただけるように、ということで、オンデマンド配信することを想定していますので、全く初めての方がこれを見ると「えっ? 蚕糸業って何?」、そういう基本的な疑問ですね。これを最初の方は誰もわからないわけです。その辺のところも含めてお話をさせていただきたいと思います。
2021-07-15
30醋屋藤金物店醋屋藤金物店 海野町商店街にある醋屋呉服店が所蔵している写真の一枚である。  この写真の店舗は、現在の海野町商店街にはない醋屋藤金物店である。昔は醋屋という名前の店舗はいくつかあった。しかし、今は醋屋(すや)呉服店のみとなっている。    一般的に金物店では、「鍋・釜」類、「利器・工具」、「建築金物」「家具金物」などの種類に分類されるが、どのようなものが販売されていたのか興味がある。2021-06-11
31京都タワー京都タワー京都駅前にある電波塔。清水寺などの有名寺社仏閣に次ぐ京都のシンボルです。四季折々に発光が変更され、京都人の心に深く刻まれている建築物です。 高さ制限により高層建築物を建設できない中、唯一京都の空に突き刺さっているタワーですが、何一つ違和感を生まない不思議で愛らしい存在だと思います。2021-05-06
32長野大学図書館の建設について長野大学図書館の建設について特徴的な形をしている長野大学附属図書館を見て、どんな人がどんな思いで建設に携わったのか、ということが気になり、少し調べてみた。 ・長野大学附属図書館の建設は1997年に北野建設が行った。(http://www.kitano.co.jp/showcase/education/) ・長野大学付属図書館のレンガ壁のデザインについて(http://www.tbd.co.jp/project-02.html)2021-05-06
33小諸城大手門小諸城大手門小諸城は城が城下町より下にある日本唯一ともいわれる穴城で、大手門はその入り口の城門である。平成の大修理を終え、以前の姿に甦った。この大手門は重要文化財に指定されており、東日本を代表する大手門建築の一つである。歴史と照らし合わせながら見ていくと、その時代にいるような気持ちにさせてくれるという印象でした。2021-05-05
34上田蚕種-2上田蚕種-2 上田蚕種協業組合事務棟の説明文。建物の特徴について説明されている。上田蚕種株式会社は時代の進行に伴って蚕糸の中心地から軍需工場、そして戦後の名称変更等、様々な役割を担っていた。このような建物の存在は、主に20世紀における上田の様相の変化を知るうえで重要であると考える。2021-05-05
35上田蚕種-1上田蚕種-1 上田蚕種協業組合事務棟の写真。この建物は、1916(大正5)年に上田蚕種株式会社として建てられた。上田蚕種株式会社は、上田蚕糸専門学校(現・信州大学繊維学部)や小県蚕業学校(現・上田東高校)を抱える上田市常田に設立され、上田蚕糸の中心地として機能した。戦後に協同組合及び協業組合として一時名称が変更されたが、2003(平成15)年に再び株式会社の名が復活した。協業組合時代に建物が国の登録有形文化財に指定されたため、この名になっている。2021-05-05
36池生神社池生神社小島大池のすぐ脇に建立されている神社。拝殿は新しく立て替えられている。池の周りに奉られている神社はみる機会が少ないので、参拝するには良い機会だと思う。2021-05-05
37八幡大神縣社八幡大神縣社源義仲とも縁のある社。社は周辺を住宅街で囲まれているが、それを感じさせないほど落ち着いた雰囲気が作られいる。他にもいつもの小さな社があるので、立ち寄るには良い場所だと言える。2021-05-05
38薬師如来像と薬師堂薬師如来像と薬師堂薬師堂とは,薬師如来を本尊とする仏堂の呼び方です。薬師如来とは,病気などに効果がある仏とされています。 この薬師堂は江戸時代後期より存在していたとされており,昭和になり向きを変える移築作業が行われました。その後,平成25年(2013年)に現在の建物が建築されています。 身近なところにとても歴史が深い建築物あり,とても驚きました。2021-05-04
39富士山本宮浅間大社富士山本宮浅間大社全国に約1,300社ある浅間神社の総本社で、本宮の本殿は徳川家康による造営で、「浅間造」という独特の神社建築様式であり、国の重要文化財に指定されています。GWということもあり、流鏑馬祭りを行っていました。とても賑わっていました。2021-05-03
40黒田代官屋敷黒田代官屋敷黒田代官屋敷とは、現在の静岡県菊川市下平川にある江戸幕府旗本・本多助久の代官となった黒田家の屋敷。現存している18世紀中頃の建築物として大変価値が高く、主屋、長屋門、米蔵、宅地など 屋敷全体が重要文化財に指定されている。この貴重な文化財の黒田代官屋敷は、現在、22代黒田家のご家族が居住されている。2021-05-03
41赤レンガ倉庫赤レンガ倉庫明治33年に建てられた製茶構造の一部である。構造はレンガが主。イギリス積みであり、内部は木造2階建てである。茶産業に関わる建築物として貴重な遺構である。この赤レンガ倉庫は登録有形文化財として登録された。(第22-0194号)静岡県菊川市の街のルーツかつ当時の製茶工場の様式を現在に伝える日本で唯一の産業資産。2021-05-03
42善光寺善光寺善光寺は東日本最大級の規模を誇る仏教建築の傑作です。 お寺だけではなく食べ歩きもできるため多くの人が訪れる観光スポットになっています。2021-04-30
43常田館製糸場 (五階繭倉庫)常田館製糸場 (五階繭倉庫)これは常田館製糸場の「五階繭倉庫」の写真である。明治38年(1905年)に建築された国内唯一の木造5階建繭倉だ。当時は繭を乾燥・保管する目的で作られたが、現在は比較的軽いプラスチックや発泡スチロールなどの倉庫として利用されている。建物の軽量化をはかるため、壁は薄く、柱もやわいが、震度4にも耐えられるくらい丈夫な造りとなっている。 参考URL:常田館製糸場 施設紹介2021-01-27
44常田館製糸場 (五階鉄筋繭倉庫)常田館製糸場 (五階鉄筋繭倉庫)常田館製糸場は明治33年(1900年)創業の製糸工場だ。 15棟の施設が現存しており、そのうち7棟が国の重要文化財に指定されている。 写真3枚目は、「五階鉄筋繭倉庫」の内部である。大正15年(1926年)に竣工した、長野県内に現存する最古の鉄筋コンクリ―ト造5階建て建築物だ。現在1階はイベントの開催やワインセラーとして利用されており、2階と3階には従業員の方々が制作した芸術作品が展示されている。作品はライトアップされており美しかった。 参考URL:常田館製糸場 施設紹介2021-01-27
45【どこここ】上田大神宮【どこここ】上田大神宮現北国街道沿いにある(誰も知らないであろう)小さな神社です。 と言ってもローカル神社にしては規模は大きめで、生島足島神社にあるような赤色の建築物、巨大な窯など面白い物がありました。 間違えてもじゃあ生島足島神社でいいじゃんと言ってはいけないです。2020-11-03
46長野市台風19号災害ボランティア長野市台風19号災害ボランティア私は新型コロナウイルスによる影響から、第2期災害ボランティア活動に7月から10月までの期間で月に1回参加している。台風19号による堤防の決壊から大きな浸水被害を受けた現地の様子や災害ボランティアの活動についてまとめていく。 多くの住宅では建築物の再建や住宅内の整備などが済んでいるが、10月12日で1年が経過した現在でも住宅内の泥出しや、浸水した家具や家電などを2階から住宅外に運ぶ作業などをしてきた。また浸水した住宅の内部の様子や住宅の2メートル近くの浸水した跡から、当時の浸水の被害が大きかったことがうかがえる。現地の方と話すことで片付けが遅れてしまった背景には、連日の大雨警報などによりボランティアが中止になってしまうこと、新型コロナウイルスの影響からボランティアに参加したくても県内の長野市内の2020-10-26
47安楽寺 国宝八角三重塔安楽寺 国宝八角三重塔安楽寺は長野県上田市別所温泉にある曹洞宗の寺院です。また長野県で最古の禅寺であるといわれています。安楽寺にある木造八角三重塔は、木造の八角塔としては全国で一つしかないという貴重な建築で、長野県では一番早く国宝に指定されました。 国宝の八角八重塔は本殿の裏を上った山腹にありました。お地蔵様の並ぶ道を通って階段の上を見上げると、どっしりと構えた八角八重塔が見えました。近くで見るとなお厳かで歴史を感じました。神秘的で幻想的な場所でパワーをたくさんもらえました。2020-10-18
48八角三重塔八角三重塔安楽寺の奥にある、有料で見ることができる国宝です。写真を見て分かるとおり、スマホの画面に収まりきらないくらいの大きさでした。敷地はそこまでの広さはなく、日本最古の禅宗様建築で木造なのに今でも崩れず残っていることがすごいと思いました。2020-10-16
49八角塔八角塔安楽寺の八角三重塔。鎌倉時代の木造建築とは思えないほど美しく独特の雰囲気がある場所だった。2020-10-16
50上塩尻 蚕種製造民家まちなみウオッチング上塩尻 蚕種製造民家まちなみウオッチング私の所属するJIA(日本建築家協会)長野県クラブと、長野大学前川道博研究室において、上田市上塩尻地区に残る蚕種製造民家や歴史的な街並みの見学会が行われました。全国的にも珍しい民家建築が多く残るこの地の未来に向けた保全や活用方法を考えるきっかけとして、企画されたもので、詳しくはJIA長野県クラブのHPの会員レポートをご覧ください。 https://jia-nagano.com/blog/9487.html2020-08-07
51前山塩野神社拝殿及び本殿前山塩野神社拝殿及び本殿独鈷山〔とっこざん〕の北の山麓に位置し、その古さを物語る大きく深い森につつまれた神社が前山の塩野神社です。神社の前には太鼓橋がかかっていますが、その下には独鈷山の清らかな湧き水が滝となって流れ、それがやがて本流の産川と合流して塩田平を潤〔うるお〕しています。 この建築物を選んだ理由としてはこの神社には建物の歴史と言える棟札が、文明年間より今日まで30枚そろっていることや「甲子〔きのえね〕大祭」といって60年毎の神事が継続され、盛大に行われているため、いつか行ってみたいと思ったからです。2020-08-06
52安楽寺八角三重塔安楽寺八角三重塔安楽寺にある木造八角三重塔は、木造の八角塔としては全国で一つしかないという貴重な建築で、長野県では一番早く「国宝」に指定されました。「国宝」といえば、「世界的にみて国民の宝とすべきもの」(「文化財保護法」)となっていますので、この塔は長野県が世界に誇る貴重な文化財ということになります。 この建築物を選んだ理由としてはふつうの塔は四角のものですが、この塔は「八角形」であるという希少性から、他の人にも知ってほしいからです。2020-08-06
532度目の海外イタリア・ミラノ編(03)ミラノ中央駅2度目の海外イタリア・ミラノ編(03)ミラノ中央駅ミラノ中央駅 日本の鉄道の駅舎はみんな平均化されて、どこの駅も一緒に見えてしまう。 こんな重厚な建築の駅舎って少ない、かないですよね。2020-08-06
54【番外編】市役所が生まれ変わります。【番外編】市役所が生まれ変わります。手続きでお世話になる市役所は人々にとって欠かせない存在だ。 それが予定上では来年の3月に取り壊される。そして隣に建築されているものが新しい市役所と生まれ変わる。 新しい市役所はより良いバリアフリーが設置されるそうで、今後に期待だ。 ちなみに、取り壊される市役所のスペースは駐車場になるらしい。かなり広くなると思われる。2020-07-26
55みすゞ飴本舗みすゞ飴本舗100年以上の歴史があるここ「みすゞ飴本舗」では信州の伝統であるみすゞ飴を販売しています。飴だけでなく、四季のジャムやゼリーな様々な果実の風味を楽しむことができます。また、お店は大正13年から現存している歴史ある建築物であり、店内も大正の雰囲気が味わえる素敵な空間でした。ぜひ、訪れてみてください。2020-07-21
56蚕の里サロンの地域景観セミナー2016蚕の里サロンの地域景観セミナー2016上田市小牧にある「蚕の里サロン」で地域景観セミナーに参加した際の記録です。 ★シルク文化地域コミュニティー 遊び学び体験、絹の里づくり 2016/11/20(日) 建築家が語る「蚕都うえだ」「地域愛&歴史景観」 お話されたのはミサワホーム総研の大谷宗之さんです。 いくつかの興味深い視点を提示されました。 ・その地域が持っているキャラクターに着目 ・なぜ建物がそういうふうに建っているのか ・なぜこんなに密集しているのか 上田の場合、養蚕がポイントになる。寒い時は室内を暖め、暑い時は風通しをよくする。空気が読めないと蚕は育てられない。 大谷さんは英国や南プロバンスの地域景観などを紹介しながら、上田らしい景観と地勢的特色のある事例として、小牧、上塩尻、別所を採り上げていました。非常に平易な解説で私も2020-07-18
57上塩尻蚕種製造民家群上塩尻蚕種製造民家群全国一の蚕種製造地といっていい上塩尻の蚕種製造民家群。古いまちなみの地区は全国に数多くあっても蚕種製造民家群がこれだけの規模で現存している地区は国内では稀有です。世界一の蚕糸王国であった日本の蚕種製造の中心地として並外れた価値を持つ産業遺産ではないかと思います。これこそ「世界遺産」にふさわしい。 上塩尻蚕種製造民家群はこれまでにも全国的に関心を持たれる節目がありながら、それをステップに次に踏み出しきれなかった経緯があります。 ふり返ってみると小林昌人氏による集落・民家の調査レポートが古い(「蚕業の先駆者を輩出した上田市 上塩尻の集落と民家」『信濃』1990年1号)。同氏による『写真集 民家の風貌』(1994年)にも上塩尻の民家が収録されています。大がかりな調査事業としては上田市による「塩尻地2020-07-18
58下塩尻蚕種製造民家群の佇まい下塩尻蚕種製造民家群の佇まい2017/11/27の記録。日本一の蚕種製造地を私は「上塩尻蚕種製造民家群」と呼んできましたが、より包摂的には「塩尻地区蚕種製造民家群」と呼ぶのが適切です。本日、日本ナショナルトラストのUさんが上田に来訪され、地元の方と塩尻地区(秋和・上塩尻・下塩尻)を見聞しました。 下塩尻はこれまであまり見聞したことがなく、地元のMさんの御案内で私も認識を新たにしました。下塩尻は北国街道沿いばかりでなく、千曲川沿いの一帯に「蚕種製造民家群」が集積しています。上塩尻と違い、千曲川沿いの低地に屋敷が広がっているせいか、一軒一軒の家々の敷地が広く、狭いところに屋敷がひしめきあう上塩尻とは対照的です。総じてゆったり感があります。その佇まいが下塩尻の景観をなしています。川べりという立地のせいか、集落の景観が群馬県2020-07-18
59上塩尻元宿・蚕室民家の佇まい、清水さん宅上塩尻元宿・蚕室民家の佇まい、清水さん宅2018/11/05、上塩尻・元宿の清水さん宅を訪れました。元宿は上塩尻の中心である北国街道沿いの大村とは違い、千曲川沿いの平坦な土地に広がる区域です。かつて千曲川の大洪水により壊滅的な被害を受けた歴史的背景があります。その一方で、千曲川の上流から運ばれる肥沃な土砂が桑の栽培に適し、この地の蚕種製造を育みました。この条件は千曲川沿いに広がる下塩尻にも共通しています。 清水さん宅の主屋は上田市の調査資料によると明治28年に建てられたらしい。蚕種製造民家の多くが明治20年代に建てられています。門の構えも立派です。中庭も丁寧に手入れがされて、屋敷全体の佇まいが美しい。家の品格というものを感じます。 清水さん宅の敷地からは上塩尻の中心の集落が遠望できます。背後に虚空蔵山系の山が一望できます。蚕種製造2020-07-18
60上田にモリス先生来訪上田にモリス先生来訪2019/11/30、千葉大学のマーティン・モリス先生が上田に来訪されました。翌日12/1のまちなかキャンパス講座「わたしたちの地域マップをつくる第3回」の講師を引き受けていただき、その前日のこの日、塩尻地区のある古い民家を地元の方々と見聞させていただきました。モリス先生はイギリス出身ですが、驚くほど日本の伝統建築に詳しく、訪問先の室内を簡易的に測定し、建築上の特徴などからその年代の推定までされていました。 少し驚いたのはフィートのメジャーで寸法を測り始めたこと。「あれあれメートルでなくていいの?」と思いましたが、よくよく考えてみればフィートと尺の単位は極めて近似しており、尺のメジャーの代わりにフィートのメジャーを使っているのだとわかりました。なるほど!です。 モリス先生は、長年上塩尻を研究2020-07-18
61上田蚕種を見学上田蚕種を見学2018/05/10、上田蚕種を見学させていただきました。大正年間に建てられた洋風建築は景観的にも美しく印象的です。蚕糸業が殆ど廃業した現在、上田蚕種は今なお現役の蚕種製造会社です。その希少性は強調し過ぎてもし過ぎることはありません。手塚社長に蚕種製造の工程などについてもご説明をいただき、蚕種製造の行程に応じた各施設を見ることができました。 その中でも特に冷蔵室で本物の蚕種を見せていただけたのは幸運でした。蚕種は鉛色をしています。全国で行われていた蚕種製造の施設は、現在ではたった2社しかありません。上田市の上田蚕種と松本市の高原社です。蚕種製造が過去形でなく、現役の産業であり、それがまさにここ蚕都上田の上田蚕種で支えられていることを多くの方々に知ってもらいたい。2020-07-18
62上塩尻の蚕種製造民家群と文書を見聞する上塩尻の蚕種製造民家群と文書を見聞する2018/08/18、上田市上塩尻の蚕種製造民家群と文書を見聞する会を開きました。長野大学前川研究室、上塩尻自治会、上塩尻今昔の会の連携で実施したものです。地元上塩尻の方々を中心に、建築や歴史文化の専門の方などが加わり20名ほどが参加しました。 幕末から近代にかけて日本の産業を牽引した蚕糸業の中でも、長野県は蚕糸王国と呼ばれるほどに近代日本の殖産興業に貢献をしました。その中で上田小県は蚕都上田と呼ばれ、その中心地の一つでした。とりわけ上塩尻を中心とした塩尻地区は蚕種製造の一大中心地となり、江戸時代から幾人もの優れた蚕種製造家を輩出した他、各家が蚕種製造業を営んでいました。その当時の蚕種製造民家は現在もなお数多く残り、「蚕種製造民家群」という全国的にも稀有な歴史的景観地区となっています。 2020-07-18
63別所温泉 花屋別所温泉 花屋 長野県上田市別所温泉に、大正6年(1917)に創業した。6500坪の敷地に点在する木造建築1500坪、棟ごとに渡り廊下で結ばれ、ほぼ全館が登録有形文化財指定の宿です。  源泉掛け流しの大浴場を完備した、格式ある老舗の温泉旅館。歴史情緒溢れる大正レトロな客室を揃え、露天風呂付きの客室もあります。2020-07-13
64信濃国分寺 三重塔信濃国分寺 三重塔室町期の建築様式で、外部は和様を主とした和唐折衷様式、内部は純唐様式です。高さは約20メートルで、国の重要文化財に指定されています。2020-07-13
65常田館製糸場常田館製糸場常田館製糸場は1900年(明治33年)から約120年間操業しましたそして、明治日本の産業遺産として現存する建築物の歴史的価値が評価され、現在は国の重要文化財に指定されています。 。そして、常田館製糸場のほかにも上田市には糸に関連した町や遺産があることが分かった。2020-06-23
66信州夢殿 長福寺 本堂信州夢殿 長福寺 本堂本堂の建築年代は、記録から寛文9年(1669年)とされていましたが、今回の解体調査により、外陣中央間仕切り部分に存する蓑束上部の実肘木から「寛文八年六月豊後之國日田郡友田村ノ住人(後)藤作之丞作之」の墨書が発見され、寛文期に建てられた事が明らかとなっています。2020-06-22
67信州夢殿 長福寺 夢殿信州夢殿 長福寺 夢殿昭和十七年に篤い観音信者である大塚稔氏(大塚工芸社創立者)が観音像と八角のお堂を寄進されたものです。八角のお堂は「信州夢殿」と称され全て奈良法隆寺の夢殿完全二分の一に写し、瓦までもが奈良の物を使用するなど当時の匠の技が結集された昭和を代表する建築です。 ぜひ一度実際にみていただきたいです。2020-06-22
68流域潤す水源 四阿山流域潤す水源 四阿山新入生の清水国寿です。専門は建築設計ですが、それにこだわらず、上田地域の様々、色々、あるあるを求めて学んでいきたいと思います。よろしくお願いします。 さて、今年6月1日に真田地域群馬県境にある四阿山(2354m)に登ってきました。四阿山は上田地域千曲川右岸を潤す神川の源で、山頂より東側に降った雨は太平洋に注ぎ、西側は日本海に注ぐまさに日本の分水嶺です。真田町長(おさ)の山家神社の奥宮が山頂にあり毎年この日が例祭(開山祭)です。今年はコロナ禍により規模縮小、参加者は少人数でしたが、写真は昨年(2019)の例祭の様子。巫女さんが舞を奉納し、命のもととなる水に感謝し五穀豊穣を願います。 来年は、このように多くの人たちが登頂できるように祈ります。 上田地域の水源、水事情を探検していきたいと思ってい2020-06-14
69明治時代を体感!旧中込学校明治時代を体感!旧中込学校佐久市に現存する擬洋風学校である。明治8年に完成し、日本国内に現存する擬洋風学校としては最も古い建築物の1つでもあり、長野県宝・国重要文化財に指定されている。また、敷地を含めて国史跡にも指定されている。移築や改変等が少ないため、当時に近い姿で残っている点が特徴であり、気軽に明治の雰囲気を感じる事ができる。 正面から見て横長でなく縦長な形をした校舎、八角形の塔の部分には太鼓が吊るされている点が興味深い。他にも、カラフルなガラスが目を引き、魅力を感じる。2020-05-26
70安楽寺安楽寺曹洞宗の寺院である安楽寺 国宝の八角三重塔があり長野県で最古の禅寺 豊かな森林に囲まれてとても美しい場所です 本堂に向かって伸びている石段がとてもきれいで印象的でした 本堂もとてもきれいで、中には吊るし雛が飾ってありました 八角三重塔まで階段が長くたいへんな道のりですが、頑張ってのぼる価値があります2020-05-25
71蚕都上田まちあるき2009(4)~市街地編~蚕都上田まちあるき2009(4)~市街地編~ 主催:蚕都上田プロジェクト 2009/11/07実施 案内人:斎藤功氏(長野大学環境ツーリズム学部教授)、竹内秀夫氏(都市・建築工房、建築家) 企画・制作 蚕都上田プロジェクト 探訪ルート:三吉米熊像、長野県蚕業試験場上田支場跡、原町~海野町(かつての蚕業、金融施設の集積地)、丸子線上田東駅跡、上田蚕種株式会社事務棟など2020-05-24
72蚕都上田まちあるき2008蚕都上田まちあるき2008 企画・制作:蚕都上田プロジェクト 2008/10/25の記録 竹内秀夫さん(都市・建築工房、建築設計) 斎藤功さん(長野大学環境ツーリズム学部教授、地理学) 新津新生さん(上田小県近現代史研究会) 小野寺芙美子さん(梅花幼稚園園長) 三田育雄さん(長野大学地域連携センター長)=まちあるきの企画者 <まちあるき探訪先リスト> リンクを選ぶとその部分を頭出し再生できます。 1. 上田駅前に集合 2. 往時の駅前の状況 3. 曳家した繭倉 木造4階建(笠原工業) 4. 2020-05-24
73旧土浦中学校本館旧土浦中学校本館山形県出身の建築家・駒杵勤治(こまぎね・きんじ)による名建築、旧茨城県立土浦中学校本館(1904年施工)は、1976年、重要文化財に指定されました。 近代の木造洋風建築の校舎として絵になる外観のよさ、建物の様式美、気品があります。NHK朝のテレビ小説『エール』(2020年)では昭和初期の音楽学校の校舎として使われています。 本館前に掲げられた重要文化財説明板(茨城県教育委員会)には、建物の特色として次のように書かれています。 「平面構成は、凹字型の左右対称で、正面を重視した古典的な手法をとっている。廊下を教室の西側に配した点は、当時の学校建築の基本に従ったものである。意匠的にはゴシック様式を基調とし、正面中央玄関の三進突燭アーチ・左右の突燭・切妻破風・屋根窓などの直線的な意匠が特徴になっている2020-05-18
74上塩尻の蚕種製造民家群と文書を見聞する上塩尻の蚕種製造民家群と文書を見聞する2018/08/18、上田市上塩尻の蚕種製造民家群と文書を見聞する会を開きました。長野大学前川研究室、上塩尻自治会、上塩尻今昔の会の連携で実施したものです。地元上塩尻の方々を中心に、建築や歴史文化の専門の方などが加わり20名ほどが参加しました。暑いとは言え、連日の猛暑からは解放されたように秋めいた爽やかさが感じられる一日となりました。

全国的にも稀有な蚕種製造民家群

幕末から近代にかけて日本の産業を牽引した蚕糸業の中でも、長野県は蚕糸王国と呼ばれるほどに近代日本の殖産興業に貢献をしました。その中で上田小県は蚕都上田と呼ばれ、その中心地の一つでした。とりわけ上塩尻を中心とした塩尻地区は蚕種製造の一大中心地となり、江戸時代から幾人もの優れた蚕種製造家を輩出した他、各家が蚕種製造業を営んで
2020-05-10
75琵琶湖疎水琵琶湖疎水琵琶湖疎水。ライトアップされていて実に綺麗でした。2020-05-08
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