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1上田蚕種協業組合上田蚕種協業組合養蚕が盛んだった上田盆地は、千曲川とその支流が作る扇状地や河岸段丘が発達し、桑の栽培適地であった。年間降水量が少ないことも蚕の飼育に適していたため、上田盆地は春蚕の産地であった。2022-11-28
2上田の蚕種業の歴史上田の蚕種業の歴史いつから始まったのか、上田の特徴を踏まえて蚕種業の歴史をとらえていきたいと思います。 江戸時代の末期から昭和にかけて、長野県の経済を支えたのが蚕糸業です。養蚕が盛んだった上田盆地は、千曲川とその支流が作る扇状地や河岸段丘が発達し、桑の栽培適地でした。また、年間降水量が1000㎜未満という気候は蚕の飼育に適しており長野県内でも上田盆地は春蚕の産地でした。また、松本盆地では夏秋蚕を中心として発展してきた地域であり、いつも対比されていました。こうした傾向は養蚕飼育技術が改良される明治末期まで続きました。2022-11-22
3戦国時代の上田城戦国時代の上田城戦国時代、天才的な軍略家として称された真田昌幸が、上杉家に対抗するため徳川家康を説得し、上田城を築城した。上田城の築城構想は、実に巧みなものとなっている。 千曲川の北岸一帯は、神川や矢出沢川が作った谷間にある、勾配の大きな扇状地となっており、千曲川の河岸段丘となっている。そのため、大外堀の役割を果たしているため、簡単には攻め込まれない。城の南端でも、千曲川の分流が高低差の大きな岸をつくっていることや、対岸や東側も難攻不落の地となっている。 この時代から土地を生かした築城がされていたとは驚きで、上田の土地柄ならではのことであると感じた。 参考文献・資料 ・信州街あるき 上田城址を訪ねる上田城跡2022-02-04
4上田工業の歴史上田工業の歴史①蚕のまち上田 江戸時代の末期から昭和にかけて、長野県経済は蚕糸業に支えられていた。上田はそんな長野県中でもいわゆる「蚕都」として名をはせていた。その要因としては、扇状地や河岸段丘の発達により桑の栽培適地であったこと。また、雨が少なく乾燥した気候が蚕の飼育に適していたこと。そして全国にさきがけて開校された、小県蚕業学校(現在の上田東高校)や上田蚕糸専門学校(現在の信大繊維学部)などによる蚕業教育が充実していたことが挙げられる。 ②精密機械工業へのシフト 長野県が戦前から養蚕・製糸業に代えて精密機械工業へと産業育成の重点をうつし、かつ終戦後の1960年代には高度経済成長で商工業が発展したこともあり、上田の蚕糸業(養蚕、蚕種、製糸)も例外なく衰退を迎えた。しかし蚕糸業で培われた技術的2022-01-25
5戌立石器時代住居跡戌立石器時代住居跡縄文時代中期末の敷石部をともなう住居跡。 付近には現在は小諸市分の寺ノ浦のほか、広い範囲に集落跡が確認されており、大集落跡であったと思われる。 復元住居は昭和63年度に建てられた。 辺りは木々が生い茂っているが、石器時代は河川があったと思われ、多くの人々がいたのだろうか。 現在は投稿写真のような復元住居が1つあるのみで、どこか忘れられている寂しさも感じた。2020-05-26
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