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登録リスト(該当:37件)
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1
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1
林倭衛 (はやししずえ)
父は、倭衛が小学校在学中に製糸工場経営に失敗し、明治40年の春、倭衛と弟を実家の小林家にに預けたまま夜逃げ同様に東京へと出てしまいました。実家は上田駅に近い北天神町通りで蚕種用の和紙などを商っていましたが、倭衛は友人たちから離れ孤独にさいなまれましたが、同じ頃に同じ北天神町に移り住んだ馬場衛まさるが、生涯の友となりました。約1年の後にようやく父母の下に引き取られはしたものの、何かにつけて旧士族出身にこだわって失敗を繰り返す父に対して、倭衛は激しく不信を覚え続け、やがて少年の孤独感は次第に不屈な自立心へと成長していくのでした。 明治43年には印刷会社の給仕となり月給を得るようになると、近くの水彩画研究所の夜間部に入り、明るく旺盛な好奇心のままに、生涯にわたる美術関係の友人を
2023-02-01
2
戦時版の新聞③「プロパガンダ映画」とまとめ
映画までもプロパガンダとして利用されていたことが分かる記事である。 イギリス領インドの青年を日本人(岡倉天心等)が助けるといった内容であると書かれている。 実際の人物までもプロパガンダ映画で使われていたことに驚いた。 岡倉天心の「東洋は一つ」という言葉を都合よく解釈し、戦争に利用したように感じる。 参考サイト
【戦後75年】戦時中の中部日本新聞をPDFで読んでみよう
2023年1月31日閲覧 ▼この資料は以下から参照できます。
『中部日本戦時版』「
2023-01-31
3
戦時版の新聞②
バチカン市国について書かれた記事である。しかし、内容は敵国(アメリカ、イギリス)に対する批判である。 現代の世界史とは違った視点から歴史を見ることができ、興味深く感じた。 参考サイト
【戦後75年】戦時中の中部日本新聞をPDFで読んでみよう
2023年1月31日閲覧 ▼この資料は以下から参照できます。
『中部日本戦時版』「戦争と闘ふヴアチカン 非道へ法王の睨み」(昭和19年3月16日)
2023-01-31
4
戦時版の新聞①
選民思想をかき立たせるような書き方をしている記事であるように感じる。 情報媒体が限られていた時代であるため、このような偏った情報でも疑いようもなく受け入れられていたのだろうか。 参考サイト
【戦後75年】戦時中の中部日本新聞をPDFで読んでみよう
2023年1月31日閲覧 ▼この資料は以下から参照できます。
『中部日本戦時版』「我等の身体 これぞ日本人の優秀性」(昭和19年3月2日)
2023-01-31
5
記事2
これらの記事から、満州事変後に、満洲国の移民の宣伝である、東京以外の地方ではそういう宣伝があれば全方位で、特にあの時代で影響力が高いの新聞で宣伝が多ければ、全面戦争の始まりのサインではないかと思う。 参考資料:西塩田時報(1937~)第161号~第180号 昭和十二年四月号 昭和十二年七月号
2023-01-30
6
戦後80年で人々の価値観はどう動いたのか
戦後日本において、新幹線が開通し、オリンピックが開催され、インターネットが普及する間に、日本人の価値観・人生観はその生活の様相とともに大きく動いてきたように思われる。そこで、戦前の人々の価値観は、現在を生きる我々から見ていかに違うのかを研究する。 本記事では西塩田時報第百八十二號第五頁を取り上げて述べる。 「幹部修養講習會に出席して」という項目は、「原田晴章」なる人物が、「三好武治」なる人物の講演の一端を書くというもの。講演の内容は、主に支那事変(日中戦争の、当時の日本での呼び名の一つ)についてのものである。 「日本で今度の事變での勝利は精神力である」 「支那事變は世界に類の無立派なる所の正しき戰争である」 このような記述がある。やはり根拠のない精神論や戦争を美化する意
2023-01-26
7
大東亜戦争完遂映画会(『西塩田村公報』第5号4項)
農村でも映画会を開き、戦果を伝え、国民の団結力と忠誠心を強めていたと考えると、いかにマスメディアが戦争に利用されていたかが分かる。 上映されていたものはおそらく大本営の戦果発表だと思われる。そのアーカイブはNHKの戦争証言アーカイブス、戦時録音資料で参照できる。 この記事が書かれた当時(1942年5月22日)は、日本軍が優勢であったとされる。アジア・太平洋戦争の転換期であるミッドウェー海戦はこの新聞が発行されて約2週間後に起こる。 NHK「戦争証言アーカイブ 戦時記録資料 勝利の記録」
https://www2.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/sp/list.cgi?cat=kiroku
2023年1月25日閲覧 ▼この記事は以下から参照できます。
#930 『西塩田村公
2023-01-25
8
大正期の報知新聞紙上の映画宣伝に見られるタイポグラフィー
大正期に、新聞広告、商業ポスター、マッチなどの商品パッケージ等、広告を中心に重要視されるようになったタイポグラフィーだが、特に大正2年(1913)ころから映画広告に登場し、「キネマ文字」と呼ばれるようになった。 映画(当時で言う「活動写真」)は寄席、劇場に並ぶ大正期の三大大衆娯楽であり、「キネマ文字」の普及にも大きな力となったはずである。 報知新聞 第 17232 号、5 面、大正 14 年 1 月 22 日発行 東京、報知社
2023-01-09
9
大正期の新聞広告に用いられたタイポグラフィー
大正期に入ると、日本のタイポグラフィーは欧文書体の影響を受け、毛筆書体から離れた独特な書体が続々と登場した。広告効果としてのタイポグラフィーが重要視されるようになった。 『新聞広告選集』大阪朝日新聞社・編 大阪朝日新聞社(1926)より引用
2023-01-09
10
明治中期の読売新聞紙上の広告に見られるタイポグラフィー
日本のタイポグラフィーは、平安から始まり江戸期までは、篆書(てんしょ)・隷書・楷書・行書・草書など毛筆を基にしたものであった。 明治に入り、欧文書体との融合が始まった。 写真のような明治中期の新聞広告には英語表記も見られるが、タイポグラフィーの多くはまだまだ毛筆書体を元にしている印象だ。 読売新聞 第 5751 号、4 面、明治 26 年 7 月 26 日発行 東京、日就社
2023-01-09
11
生活雑記(『西塩田時報』(1954)第82号(昭和7月3日)3頁)
日常の様子が描かれた雑記です。朝からご飯をつくり、主人を送り出し、洗濯をして…とせわしなく家事や畑仕事をこなす女性の姿が描かれています。 新聞をゆっくり読む暇もない様子の女性から、ひとときと書いたのはなぜかなと考えてしまいます。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1255 『西塩田公報』第82号(1954年7月5日)3頁
https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p1255.jpg
2022-12-26
12
運動のシーズン!(『西塩田時報』第70号(昭和4年9月1日)3頁)
運動促進を喚起する内容の記事である。まず「ゴム底足袋」というワードのインパクトがすごかった。また百年程度で足袋からいまの靴に進化していることにも驚いた。現在の新聞にあるような小さな広告だが面白さを感じた。 ▼この記事は以下から参照できます。 #305『西塩田時報』第70号(1929年9月1日)3頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0305.jpg
2022-12-26
13
おまるのめのひ (六)第181
不思議な日記を読んでいるようでした。昔の言葉なのに全部ひらがなで書いてあるのが面白いなと思いました。今の新聞でいうとあんずちゃん的な位置にある子供用の文章なのかと思いました。 私が子供だったらきっとこの文を読まずに外に遊びに行っているだろうなと思います。 参照元↓ https://mmdb.net/mlab/uedagaku/pdf/nishishioda/ns11_181to204.pdf https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p1261.jpg
2022-12-22
14
家庭心得帖(『西塩田時報』第60号(1952年9月5日第2頁))
料理や洗濯、予定の立て方など、生活がプラスになる情報が掲載されています。 主婦の知恵などが新聞に載っているのは読んでいても面白く、実際に使える知識なのでためになると思いました。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1180 『西塩田公報』第60号(1952年9月5日)2頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p1180.jpg
2022-12-21
15
上田市における地域メディアと活用法について
◎まず地域メディアとはなにか 地域=区切られた土地。土地の区域。(広辞苑より) メディア=媒体、手段。特にマスコミュニケーションの媒体(広辞苑より) とあり、合わせると特定の地域を対象として行っているメディア、つまり媒体のことです。 代表的な例として挙げると、テレビのローカル局があります。ローカル局ではその地域について特化した番組を制作していたりと、全国ローカル局ではあまり取り上げられない話題にフォーカスを当てて、限定した話題に注目を当てることが多いです。 では、上田市ではどんな地域メディアを実践しているのか調べられたものの一部を挙げてみます。 週刊上田:新聞 広報うえだ:フリーペーパー(インターネットでも閲覧可) 上田ケーブルビジョン:ケーブルテレビ 丸子テレビ:ケーブルテレ
2022-08-05
16
京城日報での13回忌の記事
こちらは昭和5年12月5日の京城日報です。11/12の冒頭に、志津衛13回忌の法要が行われた記事が掲載されています。出火当時の様子や、その人柄、その後の家族の様子まで詳しく書かれています。外地であるはずの京城でも日本と同じように新聞が発刊されていること、当時の事件や広告記事など、現在とあまり変わりがないことに驚きます。 祖父俊三が京城大学在学中で、野球をしていると記載されています。上の兄たちとともに鈴木三兄弟と野球で有名だったそうです。
2022-02-24
17
上田電鉄別所線の軌跡を追う
上田の市街地に向かうとき、大学に行くとき、夕飯の買い物に行くとき…。皆さん少なくとも一度は、上田電鉄別所線を利用したことがあるのではないでしょうか。 別所線は今年で100周年を迎えたそうです。そこで私は、その100年の間にどういう改革やストーリーがあったのかを調べて発信しようと思います。 参考資料は、主に昔の文書や新聞記事、可能であれば別所線の運営に携わる方にインタビューが出来たら良いなと考えています。
2021-12-21
18
入學前の家庭教育に就て(『西塩田時報』第1号(1947年1月25日)2頁)
初等科一年生を受け持つ先生が保護者へ向けて書いた、入学前までにできるようになっていてほしいことを示したもの。カタカナの読み書きの習得から毎朝顔を洗うなんてことまで書かれている。 今の新聞ではあまり見られない記事で、当時と今の新聞の在り方の違いが感じられる。 さらにタイトル横の“父兄の皆様”という言葉も最近は聞かなくなったなと。 ▼このページは以下から参照できます。 #976
『西塩田時報[戦後]』第1号(1947年1月25日)2頁
2021-12-14
19
「西塩田時報」13号(1948年3月25日)1頁
自分は企業情報学にいるため新聞業の規範というタイトルに興味を持った。新聞業の人間が持つ責任や義務、その他の教訓のようなものが長々と書かれていた。自分たちも近代になり誰でも莫大な量の情報を扱えるようになった以上、見習うべきことや考えさせられることがあると感じた。#59
『西塩田時報』第13号(1924年12月1日)1頁
この記事は以下から参照できます
2021-12-14
20
雪國 (『西塩田時報』第27号(1926年2月1日)4頁)
これは長野県の新聞社主催のスキー講習会の記事です。スキー自体は戦前からあったものと知っていたのですが、大正時代から今現在まで長野県で有名なスポーツとして楽しまれていることに文化としての完成度の高さを感じました。また、長野県も雪國としてふさわしい地なのだと思います。
2021-12-14
21
ああ、感激の優勝旗(『西塩田時報』第204号(1940年10月31日)6頁)
この資料は、上田市営運動場という場所で行われた体育大会の様子を記している。上田市営運動場という場所を調べて見たがどの施設のことを指しているのかがハッキリしなかった。というのも、この運動会が開催された昭和15年(1940年)には上田城跡公園陸上競技場はあったが、当時から陸上競技場という名で呼ばれていたと思われるため(勝俣英吉郎の銅像に記されている碑文に陸上競技場と記されていることから)、運動場という名前で新聞に載せるかどうかが怪しいと判断したためである。この体育大会では現在も競技として残っている100M走や800Mリレーの他に、バトンの代わりに俵を用いたリレーや手榴弾投という現在にはあまり聞かない競技が記されている。 現在の新聞では大会が開催されたことを掲載する際は、結果しか載せないことが多い
2021-12-13
22
地域メディアの在り方
地域メディアの種類、特徴、課題を調査し、在り方を探る。 地域メディアとは、一般的には日本全国ではなく、特定の地域を対象として情報を伝達する媒体とされている。 「地域」の範囲として、都道府県や市区町村を1つの範囲とする分け方だけでなく、東北地方・九州地方といった広範囲な地域ブロックや、尾張地方・三河地方、県北・県南のような地理的・文化的背景で分けた地方、小さいものでは学区まで様々な分け方が存在している。 「メディア」の種類には、新聞やフリーペーパーのような紙媒体、ラジオやテレビなどの音声を含むもの、ブログのようなwebが存在しており、それぞれ情報の発信者や情報量などに特徴がある。 メディアの種類と特徴として、 ・新聞は、一般的に情報の信憑性が高いと思ってもらいやすい、情報
2021-07-17
23
信州が蚕糸王国ってホント? ポスト蚕糸業(産業)の視点から
信州が蚕糸王国ってホント? ポスト蚕糸業(産業)の視点から(講演採録全文) 講師:前川道博(長野大学企業情報学部教授) ▼元の講演はコチラ https://youtu.be/yS-xdWDMTwE?t=2779 信州学「信州の蚕糸業とシルクロード」講座 第2回 2016年10月6日/まちなかキャンパスうえだ
【1】蚕糸業って何? 蚕種製造、養蚕、製糸
■そもそも蚕糸業とは?
今回、この講座は、多くの方に、後からも学習していただけるように、ということで、オンデマンド配信することを想定していますので、全く初めての方がこれを見ると「えっ? 蚕糸業って何?」、そういう基本的な疑問ですね。これを最初の方は誰もわからないわけです。その辺のところも含めてお話をさせていただきたいと思います。
2021-07-15
24
在外資産補償関係(1955/昭和30年 殿城村)
下のリンクを選ぶと文書全体のPDFをダウンロード表示します。ダウンロード表示には時間がかかります。
在外資産補償関係(1955/昭和30年 殿城村)
414頁/88MB
全頁JPEG画像[長辺1280ピクセル] ZIP形式で圧縮
414ファイル/103MB
▼上田市公文書館資料情報 在外資産補償関係 ざいがいしさんほしょうかんけい 請求番号 01-S30-01-6977 文書の種類 旧役場文書 地域 殿城村 作成年度(和暦) 昭和3
2021-03-07
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高崎だるま
群馬県ではだるまが有名である。どこのお店や家に行っても大小様々でデザインも豊富なだるまが飾られている。 ○だるまの歴史○ だるまの発祥の地は群馬県の高崎市の少林山達磨寺だといわれている。高崎のだるまはもともと「富岡だるま」と呼ばれ親しまれてきた。しかし昭和30年に富岡が高崎市と合併し富岡村の名前が消えて以来、「高崎だるま」「縁起だるま」「副だるま」などの呼び名が付いた。だるまは江戸の人々が疫病から逃れるために、祈り、まじないを信じて作ったと考えられている。当時疱瘡が子どもの間で流行り、この病気は赤色を嫌うとされていたことから、早く治るようにとだるまには赤色に塗られた。疫病の予防法が見つかったことにより、だるまは農作祈願のための縁起物として買い求められるように変化した。特に群馬
2021-01-26
26
卒業生の名簿(『西塩田公報』第47号(1951年3月10日)2頁)
この記事は西塩田時報に載っていた当時昭和26年3月の卒業生の名前が書かれています。 この記事の面白いところは今では恐らくあり得ないということです。 卒業生の名簿は顔写真が載っていないとしても名前は立派な個人情報です。 今の世の中で例えるならば、新聞にどこの学校を卒業した何組の誰さんと載る訳で様々な親御さんがいる中、このようなことになれば当然のごとくクレームが入るのではないかと思います。 誰でも読むことができる時報に公に個人情報を載せられるのはこの時代だからこそだと思うので、今とは異なるという意味で面白いなと感じました。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1124
『西塩田公報』第47号(1951年3月10日)2頁
2020-12-16
27
君たちは幸福だ(『西塩田時報』第2号(1923年9月1日)4頁)
ヒコーキという作家か匿名住民が、同年に愛人と心中した有島武郎に影響されて自殺していく若者について語っている。 概要は「信じる人に命まで捧げられる君たちは幸福だ。今まで古い考えを壊していくのが若者であり、文化というやつなのだろう。」という感じなのだが、私には「信じる人に後先考えずに命まで捧げちゃう君たち若者はオメデタイ奴らだな」と皮肉っているように見えた。 このヒコーキという人は様々な記事でこのような皮肉を込めたような記事を書いているので、他の号でも探してみたい。 ▼この記事は以下から確認できます
『西塩田時報』第2号(1923年9月1日)4頁
2020-12-13
28
禁酒(『西塩田時報』第1号(1923年7月1日)4頁)
全体がラップ調に感じられるほどテンポが良く、酒を飲むことで起こる様々な弊害を語っていた。最後には禁酒をして、貯金をしよう、と締めくくられるのだが、授業内であったように若者がこのような文章を書いていると思うと、いかに酒で壊れる部分が多く、いかに金銭的余裕がなかったかを伺わせる。 個人的パンチラインは、「ホントに仕様がない仕方がない。一生出世の望みがない。望みがないからやけが出る。~四百四病の其の本も、貧の病の原因も、酒でないとは言はせない。」のあたり。 ▼この記事は以下から確認できます
『西塩田時報』第1号(1923年7月1日)4頁
2020-12-13
29
西塩田時報 第113号
私が二番目に面白いと思ったのはこの記事です。 いもち病について書かれていて、内容としてはイネなどがなってしまう病気とのことでした。 お米は貴重な食料資源だったので当時は新聞の一面を飾るほどの出来事だったのではないかと考えます。
2020-12-10
30
尾澤木彫美術館の外観
尾澤木彫美術館は長野県上田市に位置する農民美術の美術館。館長の尾澤敏春氏およびその先代である尾澤千春氏の作品を数多く展示している。また世界各地の木彫人形も展示している。建物は新潟の豪雪地帯から移築した寄棟中門造の民家を改装したもの。 農民美術とは 長野県上田市を中心とした大正時代の工芸運動。東京美術学校を卒業し、パリで留学していた画家・山本鼎(1882~1946)が提唱した。冬場の副業として取り組み、農村の経済水準と文化水準を高めることを目指したもの。器や小物入れといった日用品から人形や木版画といった美術品、また手縫いや刺しゅう等その領域は多岐に渡る。 【参考文献】 石川義宗、禹在勇(2018)『長野県の木工文化:デザイン史から見た農民美術の意義』日本デザイン学会デザイン学研究概要集 神田愛子『
2020-07-15
31
『上田市史・下巻』2/2(1940年)画像データ
ページ番号(画像データの連番)は表紙からの通し番号になっています。それぞれはJPG画像です。ダウンロードしてお使いください。
647ページ
第四章 諸官衙
648ページ
649ページ
650ページ
651ページ
652ページ
653ページ
654ページ
2020-06-28
32
『信濃蚕糸業史・下巻』(1937年)
『信濃蚕糸業史・下巻』(1937年)
1602頁/容量 213MB ダウンロード表示には時間がかかります。
★
目次と奥付(抜粋・PDF)
<目次> 製糸篇 第一章 総論 第二章 江戸時代信州各地に於ける製糸業の発達 第三章 開港以後の製糸業 第四章 日清戦争より世界大戦に至る時代 第五章 大正時代 第六章 現代 第七章 製糸技術の変遷 第八章 経営史 第九章 皇室と信州蚕糸業 第十章 本県製糸業者の米国視察と米国絹業者の入信 第十一章 生糸貿易に関する史料 <奥付> 昭和十二年六月一日 昭和十二年六月五日
2020-06-24
33
『信濃蚕糸業史・中巻』(1937年)
『信濃蚕糸業史・中巻』(1937年)
1258頁/容量 89MB ダウンロード表示には時間がかかります。
★
目次と奥付(抜粋・PDF)
<目次> 蚕種篇 第一章 蚕種製造業の発達 第二章 蚕種販売 第三章 蚕種業の奨励 第四章 蚕種業に関する組合の起源及其変遷 第五章 江戸時代に於ける蚕種に関する法規の変遷 第六章 明治時代に於ける蚕種規則の変遷 第七章 蚕種検査 第八章 きょうそ駆除 第九章 蚕業取締事務機関の変遷 第十章 国立原蚕種製造所松本支所設置の沿革 第十一章 蚕品種の変遷附蚕品種整理に関する
2020-06-24
34
『信濃蚕糸業史・上巻』(1937年)
『信濃蚕糸業史・上巻』(1937年)
1077頁/容量 129MB ダウンロード表示には時間がかかります。
★
目次と奥付(抜粋・PDF)
<目次> 栽桑篇 第一章 桑園の期限及発達 第二章 桑品種の変遷 第三章 桑苗生産の変遷 第四章 栽培法の桑栽培法 第五章 桑樹仕立法の変遷 第六章 桑園肥料 第七章 歩桑々園の発達 第八章 夏秋蚕専用桑園の期限及発達 第九章 桑葉売買 第十章 桑園災害 第十一章 桑園の消長 第十二章 桑園経済 第十三章 桑園改善に関する本県当局の施設 第十四章 桑園の分布 第
2020-06-21
35
『上田市史・下巻』(1940年)
『
上田市史・下巻
』(1940年)
1352頁/容量 234MB ダウンロード表示には時間がかかります。
★
目次と奥付(抜粋・PDF)
<目次> (第二紀 自上田築城至廃藩置県) 第二篇 第二篇藩政時代(続)
[LINK]
第四篇 自明示維新当時至廃藩置県迄
[LINK]
第三紀 自廃藩置県至上田市政施行迄 第一篇 廃藩置県
2020-06-21
36
『上田市史・上巻』(1940年)
『
上田市史・上巻
』(1940年)
1110頁/容量 232MB 下の画像を選ぶとPDFをダウンロード表示します。ダウンロード表示には時間がかかります。
★
目次と奥付(抜粋・PDF)
<目次> 上田市の地理的概観及市内大小字名表 【第一紀】 第一篇 上代の上田地方
[LINK]
第二篇 奈良時代の上田地方
[LINK]
第三篇 平安時代の上田地方
2020-06-21
37
『蚕糸王国信州ものがたり』
『蚕糸王国信州ものがたり』 共著:前川道博 信濃毎日新聞社 2016年10月出版 分担執筆者:阿部勇[編著]、伊坪達郎、高林千幸、小野一英、桂木恵、山浦直人、前川道博 ISBN-13: 978-4784072934
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『蚕糸王国信州ものがたり』で検索
2020-05-25
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