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1真田昌幸真田昌幸真田昌幸は戦国時代から江戸時代初期にかけての武将。武田信玄・勝頼に仕え、武田氏滅亡後には自立した。子には真田信之、真田信繁らがいる。 上田合戦で徳川軍を2度に渡って撃退し、徳川家康を大いに恐れさせたという逸話があるすごい人物だ。2023-02-08
2上田紬の歴史<繁栄>上田紬の歴史<繁栄>今回は上田紬がいつどうやって繁栄していったのかをまとめました。 上田紬は400年ほど前に戦国武将の1人して名高い真田昌幸が上田城が築いた時に、地場産業として奨励された真田家が麻つくった「真田織」が元になっています。 その後、上田地域の気候や風土が向いていたということもあり、蚕種業や養蚕業が盛んに行われ、現在の上田紬が形成され、江戸中期には京都や江戸の多くの人々に愛用され、日本三大紬の1つとなりました。2023-02-01
3まとめ~武田信玄武将の起請文〔八三通〕~まとめ~武田信玄武将の起請文〔八三通〕~写真の起請文は、武田信玄が配下の武将を、下郷(下之郷のこと。以下同じ)諏訪大明神(生島足島神社)へ集めて、信玄に絶対背かぬことを、神前で誓わせたものです。誓いの言葉を牛王紙の裏に書き、血判を押して、差し出させたもので、全国的に有名なものです。 この貴重な文書が生島足島神社に残っていることに歴史的な価値があると感じました。 https://museum.umic.jp/bunkazai/document2/089-1.html 武田信玄と信州は深い関わりがあり、その中でも生島足島神社に信玄がこだわったというのも面白く感じました。そして、信玄についてだけではなく当時の人びとがどのような宗教観や価値観を抱いていたのかを副産物として知ることができ、特定の人物だけでなく、社会がどのように動いていったのか文書から読み解けることにもつながることがわかりました2023-01-30
4壱叶・三かわ連署願文壱叶・三かわ連署願文この文書は戦国時代の武将室賀信俊の妻壱叶と、信俊の弟経秀〔の妻三かわが、武田信玄に従って出陣した夫〔の無事を、下之郷大明神(生島足島神社)にお祈りして差し上げた、お願いの文書で、願文といいます。戦国時代の女性の願文や女性の花押〔かおう〕(書〔か〕き判〔はん〕)を記した文書は、例が少なく大変珍らしいものであるそうです。 この時代の女性の苦悩がうかがい知れます。 https://museum.umic.jp/bunkazai/document2/089-5.html2023-01-30
5はじめに~武田信玄と上田のつながり~はじめに~武田信玄と上田のつながり~武田信玄は戦国時代に甲斐国(山梨県)の守護を独占してきましたが、一見関わりのなさそうな上田とはいったいどのようなつながりがあるのでしょうか?。 信玄は領地拡大のために信濃に侵攻した歴史が残っています。現在の上田地域を支配していた村上氏との上田原の合戦、砥石城の戦いで負け戦さとなったものの最終的には、村上氏をも越後へ敗走させ、川中島の戦いを経て北信濃までその支配下に治めたのがおおまかな史実です。 上田との関わりは、玄配下の武将たちが起請文を奉じた場所が生島足島神社であり、数多くの古文書が残されているという点です。   https://museum.umic.jp/ikushima/komonjyo/index.html2023-01-30
6前川ゼミレポート前川ゼミレポート私は、なぜ上田氏は真田氏のPRに固執するかについて疑問を持ったため調べることにした。というのも、上田市には別所温泉近辺にたくさんの歴史的建造物があり、「信州の鎌倉」という別名まで付けられるほどのだからだ。そして「別所温泉」という名前自体は全国的にもある程度知られている。まったくの無名の観光地をアピールするわけではないのになぜここを差し置いて真田氏に固執するのだろうか。 真田氏に固執する理由として思いついたのが歴史好きに対するアピールの強さだ。二度にわたる上田の戦い・大阪の陣で有名な真田幸村にゆかりのある地(真田村)であることから、上田城や真田氏についてアピールできる。だが、この真田氏についてもやや疑問がある。一般人に「武将の真田」と言って思い浮かべるのは真田幸村だろう。この真田2023-01-26
7上田のelaboration上田のelaboration 上田の一番の課題は地元の住民が上田市の歴史についての姿勢が問題あると考えた。交通の不便さ、若者へのアプローチの弱さ、そこから繋がる上田の地の魅力が広く知られていないなどの課題がいろいろある中、地元理解という土台が無ければ上田市が発展するにあたり、観光客の理解が深まらず上田の魅力が伝わらないと考えた。これより、上田の課題を地元理解に絞り、なぜその課題が提起され、その課題をどう解決させていき、どのような結果になることが理想的であるかを探究し提示することを目的とする。  例を挙げると、「真田丸」というドラマが始まり、真田幸村が大いに話題を呼んだ。上田市はその話題に際して、上田城を築城したのは真田昌幸であるという真実を広く公表することなくイベントや観光客を迎えた。さらに現在、上田2023-01-19
8文楽『本朝廿四考』を観る文楽『本朝廿四考』を観る国立劇場 2022/12/06、国立劇場小劇場に文楽を観に行きました。前回の文楽鑑賞は05/20、『競伊勢物語』を国立劇場小劇場で。2022年は2回ながら文楽を観る機会に恵まれました。 国立劇場が建て替わるということで現在の国立劇場のさよなら公演が続いています。これもさよなら公演の一つ。初日に行ってきました。 『本朝廿四考』は中国の『二十四孝』にならい、本朝(わが国)の孝行に優れた人物を採り上げた物語という意味合いかと思います。その詮索はともかくとして、奇想天外で度肝を抜く物語でした。 歴史上、信州でたびたび戦いを繰り広げた上杉謙信と武田信玄、武田信玄の子武田勝頼、上杉謙信の知将・山本勘助、信州の武将・村上義清らが歴史上の人物というよりは、自由に創作された物語2022-12-12
9那須与一とは那須与一とは 那須与一は、『平家物語』や『源平盛衰記』に登場する武将です。与一とは10あまり1、つまり11男を示す通称となっています。その名の通り10人兄がいますが、10人のうち9人が平氏の味方となり、残る1人も罪を得てしまったため、与一が家督を継ぎました。その後与一は彼らに那須各地を分地します。屋島の戦いにて扇の的を射ったことで有名です。  誕生日は不明で、京都伏見にて病死、即成院に埋葬されたと伝えられています。しかしその年月日は史料により異なり、那須系図(那須隆氏蔵)、那須拾遺記によると1189年8月8日、那須系図(続群書類従)によると1190年10月となっています。  那須与一が頼朝より与えられたと伝えられる荘園は以下の五つです。 ・丹波国五賀庄(京都府船井郡日吉町) ・信濃国角豆庄(長野県松本市、塩尻市) ・若狭国東宮2022-02-15
10千曲川を駆けた戦国武将千曲川を駆けた戦国武将千曲市の上流、佐久・小諸地域は、武田信玄のゆかりの地が多いです。 佐久市新海三社神社は武神が祀られており、信玄が箕輪城攻めをする際、祈願文を奉納したり、川中島合戦前に戦勝祈願した生島足島神社があります。ここの神社は、家内安全、健康長寿、安産祈願などの御利益があり、結婚式を挙げる方もいらっしゃいます。 続いて、甲斐の武田信玄が、越後の上杉謙信と覇を争った、5回、12年にわたる戦いの中で、信玄が戦勝を祈った寺社についてです。 川中島合戦の1回目の戦いは、天文22年(1553)、長野市布施、続いて千曲市八幡で行われ、この「布施の戦い」で信玄は後退する。このとき、上杉謙信が攻略した千曲市荒砥城は、現在史跡公園として整備されています。 3回目は、弘治3年(1557)長野市上野原で行われ、戦の前に、謙信は千2022-01-26
11郡山城跡郡山城跡郡山城は、戦国武将・毛利元就の居城です。 吉田盆地を見渡す場所に築かれた中国地方最大級の山城です。2021-05-06
12上杉神社上杉神社上杉神社は戦国最強の武将と語り継がれている上杉謙信を祭神として米沢城本丸跡に建立されました。上杉謙信にあやかって開運招福や諸願成就、さらには学業成就や商売繁盛のご利益もあるとされるパワースポットです。春には米沢上杉祭り、冬には上杉雪灯篭祭りが行われます。2021-05-05
13雨宮刑部の墓雨宮刑部の墓武田氏と村上氏の合戦である上田原合戦でなくなった村上側の武将、雨宮刑部(あめみやぎょうぶ)のお墓。道外れにひっそりと立っている。現在は公園や野球場がある場所で、合戦があり多くの人が亡くなったという事を知ることができた。また今自分がいる所は、昔何が行われた場所なのかに興味を持たせてくれた。2021-05-05
14小泉大日堂小泉大日堂 山奥にどっしりと構えるこのお堂。古びた建物には威厳を感じ、周りはお墓なので少しの怖さを覚えます。  ここは、上田市小泉にある小泉大日堂。806年創建された寺院で、所有者は高仙寺。  ご本尊は大日如来、宇宙そのものであるといわれる如来様です。現世安穏、諸願成就のご利益があるといわれています。  元々は、大日堂だけでなくたくさんの建物が建っていたようですが、坂城の武将・村上義清と甲斐の虎・武田信玄が戦った「上田原の合戦」で、戦火に遭い大日堂だけが残りました。2021-05-05
15武士(もののふ)武士(もののふ)上田駅のすぐそこにあるラーメン屋。観光客にはうってつけの位置です。特徴的なのはメニュー名に戦国武将の名前がついているところです。メニューを見るところから楽しめます。おすすめは「武士味くらべ左近VS幸村」。白醤油と白豚骨の両方が楽しめます。2021-05-05
16[14/09/11]真田氏歴史館[14/09/11]真田氏歴史館真田氏歴史館が開館したのは1991年ということです。NHKのドラマ『真田太平記』(大河ドラマではありません)が放送されたのが1985年。ドラマで使用された昌幸・信之・幸村の甲冑などが展示されています。 開催中の企画展「大坂冬の陣」を見学しました。戦国武将の中でも人気が高い真田幸村の人気にもかかわらず、幸村所用の甲冑「南蛮銅具足」がそれほど有名でないのはどうしたわけでしょうか。「伝幸村」「幸村所用」とされる遺産はいくつかありますが、この甲冑もその一つです。  2021-05-01
17上田とYouTube上田とYouTube上田市に興味がある人にも上田市に住んでいる人にも、上田のことをもっと知ってもらいたい!そこで上田のことを取り上げているYouTubeチャンネルの皆さんを紹介したいと思います。 1.上田市行政チャンネル  上田の行政についての報告や上田で働くことの魅力、上田自然の魅力などが知れる。 2.上田市交流文化芸術センター  上田市の文化的な活動を紹介していて、特に文化・芸術を活かしたシティプロモーション映像はぜひ。 3.一般社団法人 信州上田観光協会  上田の武将達が上田の食や文化、観光を楽しく紹介!30秒間に上田の四季がつまった動画も。 4.上田地域振興局農地整備課  上田の自然に着目した動画がたくさん。水と巡る信州上田地域の旅シリーズは上田に住んでいるからこその楽しさがある。2021-02-10
18おもてなし武将隊おもてなし武将隊写真で見るよりも、実際生で見る甲冑はとても迫力があります。修学旅行生もたくさん来ていて、とても人気のあるスポットだと思う。2020-11-04
19信州上田おもてなし武将隊信州上田おもてなし武将隊上田城を盛り上げるため水曜日を除いてほぼ毎日午前10時からと15時からおもてなし武将隊に会うことができます。 少し物足りないなと思っていた心をみたしてくれます。 詳しくはホームページをご覧ください。2020-11-01
20上田探検Ⅱ 真田十勇士上田探検Ⅱ 真田十勇士上田駅周辺を歩いているときにこのような像がありました。はじめは何の像かわかりませんでしたが、調べたら「真田十勇士」の像でした。真田十勇士とは、豊臣方の武将真田幸村の家臣として活躍したとされる十人の勇士の総称のことです。私は半分の五人しか見つけることができませんでしたが、全員を見つける楽しみがあります。像になるということは、ここ上田にとって重要な人たちなのだと感じました。2020-11-01
21ようこそ上田 真田幸村と行く上田城ようこそ上田 真田幸村と行く上田城 上田のシンボル、上田城の魅力をおもてなし武将隊の真田幸村公が紹介してくれます! 長野大学インターンシップ(2014)により制作した映像 協力 上田市観光課2020-07-12
22武士武士いつもバイト帰りに食べて帰るラーメン屋さんです。 地域の武将の名前に由来したメニューがあり、個人的には左近がオススメです。2020-05-21
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