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1真田氏最古の文書は信玄からの書状真田氏最古の文書は信玄からの書状「其の方年来の忠信、祝着に候。然らば本意の上に於て、諏方(訪)方(形)参百貫并ならびに横田遺跡上条、都合千貫の所これを進じ候。恐々謹言。 天文十九庚戌  七月二日 晴信(花押)   真田弾正忠(幸隆)殿」 この文書が効力を持つことになったため、上田の地にかなりの土地を得ることができたわけでありに幸隆の子昌幸が上田城を築くもととなったともみられる文書であり、その意味でも貴重なものであるとされています。 武田信玄は真田一族と深い関わりをもっていることがわかります。 https://museum.umic.jp/sanada/siryo/sandai/020202.html2023-01-30
2上田の名将とのつながり上田の名将とのつながり上田で最も知られる一族といっても過言ではない真田氏、なかでも真田昌幸は甲斐の信玄の元へ送られたと伝えられています。人質といっても、奥近習おくきんじゅう(小姓こしょう)として信玄に仕え、十四歳のときには、川中島合戦で初陣を果たしたそうです。 https://museum.umic.jp/jinbutu/data/051.html2023-01-30
3前川ゼミレポート前川ゼミレポート私は、なぜ上田氏は真田氏のPRに固執するかについて疑問を持ったため調べることにした。というのも、上田市には別所温泉近辺にたくさんの歴史的建造物があり、「信州の鎌倉」という別名まで付けられるほどのだからだ。そして「別所温泉」という名前自体は全国的にもある程度知られている。まったくの無名の観光地をアピールするわけではないのになぜここを差し置いて真田氏に固執するのだろうか。 真田氏に固執する理由として思いついたのが歴史好きに対するアピールの強さだ。二度にわたる上田の戦い・大阪の陣で有名な真田幸村にゆかりのある地(真田村)であることから、上田城や真田氏についてアピールできる。だが、この真田氏についてもやや疑問がある。一般人に「武将の真田」と言って思い浮かべるのは真田幸村だろう。この真田2023-01-26
4市街地方面の神社・寺院と真田氏市街地方面の神社・寺院と真田氏上田城周辺には、神社・寺院が多数存在する。しかも、同じような場所に集まっている場合が多い。これは、地域のシンボルである上田城に深く関わってくる。1583(天正11)年、上田城を築城した真田昌幸は、城下町として海野町を作った。これは、先祖の地である海野郷(現在の東御市本海野)より、新たな本拠地近くに住民を移住させたことに由来する。それに伴い、海野郷近辺にあった寺院を城の近くに移した。例えば願行寺や日輪寺といった寺院がこれに該当し、真田氏の先祖である海野氏が開いたとされる場合が多い。特に願行寺は、江戸時代に上田藩の菩提寺になったほど、この地域や人々に深く根付いていたと考えられる。また海野町には、商売繁盛を利益とする高市神社がある。これは昌幸がつくったものだ。 このように、上田城を築城す2023-01-26
5真田氏~仙石氏 藩主の移り変わり真田氏~仙石氏 藩主の移り変わり仙石氏が上田藩主を務めることになった理由は、1622年に当時の上田藩主を務めていた、真田信之(幸村の兄)が松代へ移封されたことが原因である。 「上田城は真田の城」というイメージが強いが、実は真田氏が城主を務めたのは信之とその父昌幸の2代だけである。 参考サイト 上田市立博物館 https://museum.umic.jp/hakubutsukan/ueda-castle-history/03/2023-01-25
61年後期 前川課題発見ゼミ最終まとめ1年後期 前川課題発見ゼミ最終まとめ調査テーマ「地域の特色・歴史」まとめ 上田の歴史的な出来事・人物と聞かれれば多くの人々が「真田氏」に関する事柄を思い浮かべるだろう。しかし、今回の調査を行う中で、真田氏以外にも日本の歴史・文化に多大な影響を与えたと言える人物も存在することを知った。 例えば、上田藩主を務めただけでなく、江戸幕府老中として条約の締結にも尽力した「松平忠固」、日本の児童画に大きな転換・影響を与えた「山本鼎」は良い例だろう。功績としては素晴らしい物であると断言できるものばかりだ。 特に山本の考えは当時としては(今の価値観で考えても)先進的な物だった。山本は真の意味での「自由」を求めた人物であり、今日の教育活動に一石を投じるものであると感じた。現代ですら「型にはまった教育」が基本的である中、山本は2023-01-19
7前川ゼミ活動考察前川ゼミ活動考察 今まで上田市の外で生活をしたことがないので、客観的な視点ではないかもしれないが、自分なりに上田市について感じたこと、考えたことをまとめる。上田市というのは上田城の城下町であったり、北国街道が通っていたこともあり、歴史がある町である。気候も安定していて、自然も多い。スキー場やキャンプ場、温泉も多く、車があれば日帰りでスキーや温泉を楽しむことができる。新幹線も通っており、東京など首都圏へのアクセスも良い。そのせいか、近頃では海野町商店街などに若者向けのバーや、都会志向の洒落た店が増えてきた印象がある。加えて県外からの移住者向けかと思われる高級マンションも増えてきた。一時的ではあるが真田氏の本拠地が上田城ということもあり、NHK大河ドラマ「真田丸」の人気によって上田が賑わっていたこ2023-01-19
812月22日分 調査まとめ12月22日分 調査まとめ上田城の築城・歴史 「日本一の兵」真田幸村を輩出した真田氏は、現在の上田市真田町の周辺を拠点として活動していた。上田城の築城が開始されたのは1583年のことで、真田幸村の父である真田昌幸によって築城が開始された。当時徳川家康に仕えていた昌幸は、その援助を受けながら築城をしていた。しかし、北条と手を組もうとする徳川から土地の受領を要請された際にこれを拒否。徳川と断絶した昌幸は、上杉家に助力を求め次男の幸村を人質に差し出す。これにより、上杉方から戦力と築城の支援を受けた。上田城が一旦の完成を迎えた1585年、家康は鳥居元忠らを真田領に進軍させ「第一次上田合戦」が始まった。およそ1万の軍勢で進軍してきた徳川軍を昌幸は謀略を用いて少数の軍勢で撃退した。時は流れて関ヶ原の戦い最中の1600年、家康の息2022-12-22
9後期 前川課題発見ゼミ後期 前川課題発見ゼミ1年後期 前川課題発見ゼミ 地域の特色・歴史を広めるために J22103 渡辺己太朗 elaboration課題の提起 上田地域探検や、長野大学での講義を通していく中で、自分が今まで知っていた「真田」についてはもちろん、上田自由大学や蚕種業など、興味を引き立てられる歴史・特色が多いことを知った。これらについて自分の中で更に知識を深めたり、広めたいと思い今回の課題発見テーマとした。 なぜそうなのか? 上田は歴史ある町であり、多くの歴史的な場所や伝統的な文化が残っている。しかし、「真田氏」の話題性が高いことや上田市がそれをシンボルのように扱っていることや、単純に認知度が不足していることでその他の場所や物について視点が向きにくいということが原因だと思った。 何を探求するのか ・上田の魅力を伝えていく方法 ・地元2022-12-15
10なぜ真田氏以外のアピールが弱いのかなぜ真田氏以外のアピールが弱いのか– 探求テーマ(タイトル) なぜ真田氏以外をあまりアピールしないのか – elaboration課題の提起 なぜ真田氏以外をあまりアピールしないのか – なぜそうなのか(=仮説、問題の構造を描いてみる) アピールする力がそもそも低い(真田含めて) 別所温泉近辺に対して関心が薄い – 何を探求するか 他県に対しての地元PRの仕方 – 探求の目標(何を明らかにするか) なぜ真田に頼ってしまうのか – どのように探求するか インターネットなどで調べてデータから考察 – 週間計画(週ごとに何をするか) 段階的に情報を得る2022-12-15
11眞田神社眞田神社眞田神社は真田氏、仙石氏、松平氏という歴代の上田城主を御祭神としています。しかし、もともとは松平家の御先祖をお祀りする御宮であり、松平神社と呼ばれていました。 4枚目の写真は城内唯一の大井戸で、この井戸の抜け穴は白の北方、太郎山麓や藩主居館跡にも通じていたとの伝説があります。2022-12-05
12市街地方面の寺院、神社市街地方面の寺院、神社やはり城下町らしく、この地を治めた真田氏に縁あるものが多い。欧州ではキリスト教、東洋で仏教、そして日本の神道。古来より信仰というものは人々の生活の隣にあるものだった。信仰のあり方はその地域の生活のあり方ともいえる。歴史を紐解くうえで貴重な材料となり得るものである。(今回キリスト教を取り上げなかったのは、ここいら一帯はキリシタンが現れた時期が遅かったと考えられるためである。)2022-12-04
13願行寺願行寺浄土宗の寺院、願行寺。設立には海野小太郎が関わっており、入り口の四脚門は市の指定文化財に登録されている。 古くは真田昌幸が上田城下町を作る際に海野郷から城に近い厩裏町に移され、その後息子の真田信之によって現在地に移された。 それにしても、「願い行く寺」ってなんかいいですよね。2022-12-04
14高市神社高市神社海野町の通りにある神社。祭神は「大国主(オオクニヌシ)神」、「事代主(コトシロヌシ)神」。大国主神は大黒天、事代主神は恵比寿神として七福神にも数えられる。 この神社は海野町の商いの神様である。 境内には「運の石」という石があり、開運と悪運除けがご利益。真田昌幸が上田城築城の折に白鳥神社から霊力宿る石を授かった。それがこの神社のご神体。そして、その石に縁ある石を高野山から持ってきて運の石とした。2022-12-04
15日輪寺日輪寺曹洞宗の寺院、「日輪寺(にちりんじ)。浅間山大噴火の犠牲者を弔うための像や、道元禅師(曹洞宗の開祖)の像や観音堂がある。この寺院は、1545年に真田氏の先祖・海野小太郎幸義公によって建てられた。2022-12-04
16眞田神社眞田神社 眞田神社は上田城本丸跡に鎮座しており、真田氏、仙谷氏、松平氏という歴代の上田城主を御祭神としている。しかし、本来は松平家の御先祖をお祀りする御宮であり、松平(しょうへい)神社と称していた。  松平家は、真田氏、仙谷氏のあと、江戸時代中期から明治の廃藩に至るまで7代160余年の長きにわたる上田藩主であった。  上田藩主となった系統の藤井松平氏の初代忠晴公は、隠退後は忠山と号した。寛文9年(1669)に亡くなった。忠山公の御墓所は京都の金戒光明寺にあり、京都に忠山公の御霊をまつる忠山社が設けられてもいた。これが眞田神社の起源となっている。  明治維新の変革の中、国に接収された上田城もまもなく民間に払い下げられ、城跡は急速に桑園・麦畑などに変化していった。そのような情勢の中で、旧上田藩士や2022-11-30
17宗吽寺宗吽寺上田駅から徒歩10分にあるお寺 真言宗智山派 宗吽寺は、真田氏の祖とされる海野幸義ゆかりの日輪寺の隣に建つ。 道路脇に寺号標石を兼ねた門柱が立ち、切石敷の参道の奥に威厳を感じさせる鐘楼門が見える。2022-11-01
18上田探検 まちなか 上田城上田探検 まちなか 上田城ここは上田城です。歴史の偉人、真田幸村を輩出した真田氏の城であり、周囲は散歩コースとなっており、春は桜、秋は紅葉を楽しめる。上田城内は昔使われていた道具が展示されており、当時の上田城を堪能することができる。2022-10-31
19上田城豆知識上田城豆知識上田城や藩主屋形(上田高校)の土塁、堀、城下の寺社の配置等には鬼門除けが見られます。真田氏の頃から設けられていたものとされているようです。鬼門とは北東の方位で、鬼が出入りする方角として忌み嫌われ上田城では、東北の角を落としていることが分かります。2022-10-29
20城下町城下町上田城の城下町はどこなのか疑問に思い調べてみると、海野町、原町、鍛治町、紺屋町、横町、柳町、田町の七つの町が上田の城下町であることが分かった。上田が宿場になると、海野町分に横町、原町分に柳町田町ができたようである。今は、柳町が残っている。上田城とその城下町の大部分は、真田氏の時代にすでに形成されていたといえる。上田城築城から約80年後の寛文3年(1663)の資料によれば、海野町、鍛治町、横町、原町、木町、柳町、紺屋町、田町という町分は、戸数350戸、人口2610人であったようだ。2022-10-29
21真田神社真田神社真田神社は、 2度に渡る圧倒的不利な状態の上田合戦に大勝利した真田幸村の神霊を祀っている神社。 恋愛、学業、スポーツ、ビジネスなどで、真田氏の知略や勝運にあやかれるパワースポットとして人気の神社。2022-10-28
22真田氏記念公園真田氏記念公園NHKドラマ「真田太平記」の放映を記念してできた公園。 池波正太郎氏の筆になる「真田氏発祥の郷」の石碑や真田幸隆、昌幸、幸村の真田三代の肖像が並んでいる。2022-10-28
23上田城 二の丸跡の歴史物④ 眞田神社上田城 二の丸跡の歴史物④ 眞田神社上田城本丸跡に鎮座する当社は、真田氏、仙石氏、松平氏という歴代の上田城主を御祭神としています。 <引用文> http://sanada-jinja.com/about/ 10月21日15時頃にフィールドワークしました。  上田城跡に鎮座する神社、行った時には人が多くいてお守りなどを買っているなどとても栄えていることがわかりました。歴史的に調べてみると、この神社は城主を御祭神として信仰する歴史があるそうです。ちなみにご利益は「勝負運」「学業成就」などです。2022-10-27
24真田神社真田神社真田神社は、2度に渡る圧倒的不利な状態の上田合戦に大勝利をおさめた真田幸村の神霊を祀った神社。 恋愛、学業、スポーツ、ビジネスで「ここぞ!」という時に、真田氏の知略や勝運にあやかるパワースポットとして人気2022-10-27
25海應院海應院天文5年に創建された曹洞宗の古い寺。昔は小諸城内五軒町にあり、関ヶ原合戦の際に真田氏を攻めた徳永秀忠の宿舎にもなった。小諸市の花である「コスモスミレ」を見ることが出来る。寺までの石畳が距離があり、中に入っていくと外の喧噪が遠くなっていくのを肌で感じることが出来る。2022-05-05
26まとめまとめ上田城を観光して、地域の歴史を知り、代表的な場所をめぐり、改めて真田氏について学べた。 上田創造館では、農具や再現された鍛冶屋の職場や農家の暮らしや商家の生活を垣間見れた。日本史の教科書にでできた現物をみれて楽しめた。 信州大学繊維学部では、上田地域では養蚕業が盛んだったことが登録有形文化財が現存することによって、実感した。また、天皇陛下が訪れたことに驚いた。2022-02-02
27上田藩主居館上田藩主居館 現在上田高校がある場所には、かつての真田氏以降、仙石氏、松平と続いた上田藩主の居館がありました。一般的に城主の御殿は城の本丸に設けられていますが、上田城は徳川家に恨みを買っていた歴史的背景があり、三の丸とはいえ城の中心からだいぶ離れた場所に建てられました。同行東側の表門と、その両脇に続く土塀、堀、土塁は上田市の文化財に指定されています。2022-01-31
28石湯(いしゆ)真田幸村公隠しの湯について石湯(いしゆ)真田幸村公隠しの湯について石湯は真田幸村公隠しの湯とも言われています。 大河小説「真田太平記」に、別所の湯がしばしば登場します。 物語の仲で重要な位置を占める向井佐平次が真田幸村と初めて逢うのも、その幸村が女忍者の、お江(こう)と結ばれるのも別所の岩の間から湧きだす温泉の白い湯気の中だったそうです。 そして、関ヶ原の合戦には真田の忍者草の者達が、別所の里に身を潜めて上田城に篭城する昌幸親子をじっと見守っていたそうです。 今も豊かに岩の間から湧きだす温泉の石湯は真田氏にとって真田氏にとって大切な隠し湯だったそうです。 その前に建つ「真田幸村公隠しの湯」の票石は真田太平記の作者、池波正太郎氏の筆の物だそうです。2022-01-26
29ため池の歴史③ため池の歴史③この資料から、塩田のため池がいつ頃造られたものなのか読み取ることが出来る。 真田氏の時代(1622年まで)には、山田池、舌喰池、小島池、甲田池などの広大な池が修造築または新築された。 そして、仙石氏の時代(1706年まで)には、手洗池、上原池、上窪池、山田新池などが造られた。この時代は、どの大名も領内の新田開発に力を入れた時代であるため、仙石氏もため池の築造・修造に力を入れたことが分かる。 松平氏の時代(1867年まで)に造られたため池は小さいことが見受けられるが、この時代のため池政策は、従来のため池の堤塘の高さを増し、貯蓄量を増大させるものであったからである。 〈参考文献〉 信州上田 塩田の里 http://www.shiodanosato.jp/tameike/rekishi.php2022-01-26
30千曲川を駆けた戦国武将千曲川を駆けた戦国武将千曲市の上流、佐久・小諸地域は、武田信玄のゆかりの地が多いです。 佐久市新海三社神社は武神が祀られており、信玄が箕輪城攻めをする際、祈願文を奉納したり、川中島合戦前に戦勝祈願した生島足島神社があります。ここの神社は、家内安全、健康長寿、安産祈願などの御利益があり、結婚式を挙げる方もいらっしゃいます。 続いて、甲斐の武田信玄が、越後の上杉謙信と覇を争った、5回、12年にわたる戦いの中で、信玄が戦勝を祈った寺社についてです。 川中島合戦の1回目の戦いは、天文22年(1553)、長野市布施、続いて千曲市八幡で行われ、この「布施の戦い」で信玄は後退する。このとき、上杉謙信が攻略した千曲市荒砥城は、現在史跡公園として整備されています。 3回目は、弘治3年(1557)長野市上野原で行われ、戦の前に、謙信は千2022-01-26
31真田街道へ真田街道へ真田街道ののれんが立ち並んでおり、暗い中でも 目立っていました。 交差点付近に石碑が建てられており、 車通りの多い道路がすぐそこにあって騒がしい感じがしていたけれど、歴史を感じる静かな雰囲気がありました。 真田氏 祖父幸隆、父昌幸、兄信之が統治した地を結ぶ街道の通称で、江戸期には嬬恋村を通って高崎市方面へ抜ける街道を上州街道、信州街道と呼び、高崎市から沼田市を通って片品村、会津方面へ抜ける街道を会津街道(群馬県側の総称)、沼田街道(福島県側の総称)と呼んでいたとされています。 URL:https://www.city.ueda.nagano.jp/contents/sanadakaidou/2021-12-15
32上田藩主上田藩主上田と言えば真田氏が思い浮かぶが、その後の仙石氏・松平氏の治政はどのようなものだったのか気になったので調べ、それぞれを比較してみたいと思う。 参考資料については、上田市立博物館やデジタルアーカイブなどを活用して調べていきたい。2021-12-21
33上田駅お城口上田駅お城口上田駅といえば、真田氏ゆかりの六文銭マークのイメージが強いと思います。駅前の広場には真田幸村の騎馬像もあります。馬にまたがる勇ましい姿が印象的です。 周辺には中国寧波市から寄贈された石刻獅子像や、上田駅再開発のモニュメントとして作られた水車などがあります。どれも上田駅のシンボルとして親しまれています。2021-12-21
34地域キュレーション「上田探検」2021地域キュレーション「上田探検」2021信州上田学A(2021年度後学期)の地域キュレーション課題「上田探検」に取り組んだ学生たちのアウトカムをご紹介します。
  1. 上田とコンテンツツーリズム (りった)
     上田の観光事業への取り組みを知り、よりよい策を考える。
  2. 別所温泉めぐり (あゆ)
     別所温泉街を巡り、気になるスポットを撮影する。
  3. 塩田平をめぐる (オガサカ)
     別所温泉がどのような場所であるのか、歴史的背景や、地理的な側面から見たい。
  4. 上田の歴史にふれる (崔)
     昔の上田は何があって、何をしていたのかを探求し今後の活動に活かす。
2021-11-17
35上田城跡公園上田城跡公園上田城の跡を核とした公園。春夏秋冬、季節の花が咲く。地元の人だけではなく、観光客も多く訪れる場所だ。広々とした公園で、ゆったりと過ごすことができる。追いかけっこをする子供、ベンチで談笑する人、写真を撮る人、歴史を楽しむ人、ジョギングする人…みんな自分なりの楽しみ方をしているのが、のびのびとしていていいなと思った。2021-11-15
36上田城の歴史2上田城の歴史2関ヶ原の合戦後、上田城は徳川の手で破却されたが、真田に代わって上田城主となった仙石氏によって復興された。1626年に修復された上田城は真田氏時代の縄張りを受け継いだとみられ、仙石氏の後に城主となった松平氏の代になっても、その姿にほとんど変化はなかった。明治維新後、廃藩置県により1874年に上田城は民間に払い下げられ、再び廃城となった。この際、本丸付近を一括して購入した丸山平八郎氏は、1879年の祭り神社(現真田神社)創建に当たり本丸南側の土地を神社用として寄附し1893年には残りの土地を遊園地要として寄附した。これが上田城跡のの公園化の第一歩になった。2021-11-14
37上田城の歴史上田城の歴史上田城は、真田幸村の父、真田昌幸によって1585年に完成したと考えられている。初め徳川家康のもとで上杉に対する城として築かれたが、沼田領の帰属をめぐり、徳川と手切れとなり、その後上杉方の城として完成した。 その直後、徳川の大軍が上田城を責め、第一次上田合戦(神川合戦)が勃発したが、昌幸の巧みな戦術により徳川軍は大敗した。また、1600年には関ヶ原合戦の前哨戦といえる第二次上田合戦が起こり、徳川秀忠率いる3万8千人の軍勢が攻め寄せたが、これも見事に退けた。この徳川との二度の合戦に勝利したことで、真田と上田城の名は、天下に知られるところとなった。2021-11-14
38上田城の歴史上田城の歴史 上田城は天正11(1583)年真田幸村の父である真田昌幸によって築城され、天正13(1585)年第一次上田合戦・慶長5(1600)年第二次上田合戦の二度にわたり徳川の大軍を退けたことで知られています。 二度もの実戦経験があり、上田城のような戦歴を持つ城は全国でも珍しく、他に例がありません。 関ヶ原の合戦後、上田城主は真田信之となり、以後には仙石氏(三代)、松平氏(七代)と代わり、廃城後は公園となり現在に至っています。2021-10-29
39真田神社真田神社城門を通るとすぐにある真田神社は、松平氏を祀ってあった松平神社だったが、太平洋戦争後に歴代城主である真田氏と仙石氏も合祀されて上田神社となり、昭和38年に真田神社と改称されました。真田の知謀にちなんで、学業成就にご利益がある神社と言われています。その影響もあってか、神社を入って左側にある絵馬には学業成就に関した内容のものが吊り下げられていて、またその場所を写真スポットとしてもお客さんに提供している。記念写真をとる場所としても人気であります。2021-07-23
40人物02 真田信之人物02 真田信之 真田昌幸の嫡男、永禄九年生る。母は寒松院三修氏、幼名を源三郎と言ふ。天正十八年徳川家康の女小松姫を迎て室とす。文禄二年九月諸大夫に任じ、伊豆守と稱す。以下真田氏篇第三章にその事跡を載す。 『上田市史・下巻(1940)』1195頁を転載 (目次位置) 社寺古墳及人物誌  人物篇2021-07-21
41阿梅の墓、真田大八(片倉守信)の墓阿梅の墓、真田大八(片倉守信)の墓白石市の当信寺に阿梅の墓、片倉守信の墓が並んで建っています。阿梅は幸村の三女、片倉守信は次男、真田大八です。真田幸村は大坂夏の陣の際に、敵将であった片倉重長に子どもの養育を託したと言われています。重長は阿梅、姉妹の阿菖蒲、おかね)、大八を養育しました。 阿梅は重長の正室の死後、重長の後妻となります。大八は片倉守信と改名して仙台藩士となります。大八の家系が後に復活を徳川幕府から許された仙台真田家になります。現在に至るもなお、姉と弟の墓が白石に残っています。昔を今に伝える数奇な物語です。2021-05-11
42真田幸村ゆかりの寺・清林寺真田幸村ゆかりの寺・清林寺白石の寺・清林寺は、真田幸村の遺臣・三井奉膳が開基です。真田昌幸、幸村に仕えた三井景国の次男とされています。寺紋が真田家の家紋・六文銭です。2021-05-11
43片倉家菩提寺・傑山寺片倉家菩提寺・傑山寺★常英山傑山寺 http://kessanji.jp/ 白石市の傑山寺は、白石城主片倉小十郎景綱が片倉家の菩提寺として創建した寺です。本殿の前には片倉小十郎景綱公像が建っています。歴代藩主の墓所があります。 ☆仙台真田家と傑山寺 http://kessanji.jp/history/sanada.html2021-05-11
44上田城跡公園上田城跡公園徳川家康が上杉氏に対抗するために築城した。その後上杉に奪われ増築されている。真田氏が第一次上田合戦時、徳川の軍を撃退。現在残っているモノは江戸時代に再建されたモノらしい。堀は深く出入り口も限られているため、責めるのはとても苦労したことがうかがえる。自然豊かで、落ち着いているため観光目的でも休憩目的でも立ち寄る価値は十分あると思う。2021-05-05
45上田城 堀の中の自然上田城 堀の中の自然 上田城の魅力の一つに堀がある。その中を歩いているとたくさんの自然に触れることができる。ふと上を向くと…。きれいな景色がどこでも見れてしまう。  昔通っていた電車の名残も感じながら、歴史ロマンに浸るのもいいのではないだろうか。  2021-05-05
46塩田城跡の石碑塩田城跡の石碑塩田城は北条義政が建てたと言われている。 また、戦国時代には武田氏の重要な拠点としても使われていた。その後、上田城が築城されたため廃城となったが攻めづらく守りやすい城である。この石碑は実際の塩田城の少し下に建てられている2021-05-05
47眞田神社眞田神社真田家が公に認め参詣のある唯一無二の真田神社。 真田氏発祥の地より時の流れに変節せず、誠の心で真田氏の遺徳を後世に受け伝える。2021-05-03
48真田神社真田神社真田氏、仙石氏、松平氏という歴代の上田城主を御祭神としている。おみくじの種類が豊富で、歴史に興味が無く友達や家族と来ても楽しめるだろう。2021-05-03
49[14/09/11]米山城・砥石城を望む[14/09/11]米山城・砥石城を望む真田氏記念公園の前に「自性院」という道案内があり、日が暮れる前に立ち寄ってみようと見晴らしのよい崖地のここに車を停めてみました。ここの道案内では崖地の階段を登り150mと示されています。周囲に花壇があり「花のまちづくり推進地区」という看板が立っています。赤、オレンジ、紫の花々が植えられて美しい。この高台から真田氏の居城でもあった米山城、砥石城の山並みが見えます。 電信柱やSEIYUの看板によって俗世間の風景と化してはいますが、眺望のよい場所に佇むことができて幸いでした。2021-05-01
50[14/09/11]真田氏記念公園[14/09/11]真田氏記念公園真田氏記念公園については改めて触れることもありません。公園前に「真田三代ゆかりの地マップ」が建てられていました。また「信州上田 幸村街道」の幟が新しいものになっていました。 この公園、駐車場が狭すぎてここに降りて何を見るのか、いまひとつ中途半端な印象は否めません。真田三代(幸隆、昌幸、幸村)のレリーフ肖像画があるのですが、いまひとつつまらないというのが正直な感想です。 私が最も普遍性があると感じるのは「真田氏発祥の郷」という呼び方。この書は池波正太郎によるものです。真田氏といえば幸村にのみフォーカスが当たりますが、幸隆、昌幸にも遡って三代にフォーカスを当てているのはよい。しかし、信綱、昌輝は軽く扱われています。信之は無視されています。信之を主人公にした物語『真田太平記』の2021-05-01
51[14/09/11]上州街道・石の道しるべと分され[14/09/11]上州街道・石の道しるべと分され上州街道石碑群の場所から旧上州街道の道筋を車で移動して下りました。その途中、またしても真田自治会による説明板と出会いました。 見るからにY字路です。街道の分岐点であることがわかります。群馬につながる道、上田につながる道、まさに真田氏の所領でもあった沼田方面と小県がここでつながっていたことがわかります。2021-05-01
52[14/09/11]山家の「真田氏館跡」[14/09/11]山家の「真田氏館跡」枡形道路とたつ道を進むと民家の石垣にぶつかりT字路となります。余談ですが、このような傾斜地に広がる集落がどことなく和歌山県の九度山に似ていることを想起しました。 この民家のある土地が平らに整地されていることから、ここに館があったという推定が興味を引きます。さらに、ここが真田氏の館跡であるという仮説もワクワクするようなものです。 真田氏の館跡はすでに真田町の各所で見てきました。角間の館跡、ここ山家の館跡、お屋敷公園の館跡、伊勢山にも館跡があったらしい。真田氏は角間から次第に低い方へと移り、やがて上田城へ。やがて真田信幸の代になり、上田藩主居館跡に、更にその後は松代へ移ることになります。この変遷をたどるだけでも実に興味深い。2021-05-01
53[14/09/11]角間川と角間橋[14/09/11]角間川と角間橋角間川に架かる角間橋です。そのすぐ背後に古い真田氏の居館跡(日向畑遺跡、安智羅明神)、さらにその背後に松尾城跡があります。この橋からは川はさらに下ったところにあります。つまり当時は川を地面とし、居館が高いところに位置していたと想像できます。2021-05-01
54[14/09/11]日向畑遺跡と松尾城跡登り口[14/09/11]日向畑遺跡と松尾城跡登り口『真田氏資料集』(上田市立博物館)によると日向畑遺跡が発掘されたのは1971年。それほど昔でないのが意外です。「古くは真田氏の菩提所であったと伝えられる常福寺の跡M」にあたり、「幸隆以前の真田一族の墓地ではないかと考えられている」。 真田氏の古い居館跡とされていることから、日向畑遺跡がその墓所であるとするのは最も順当な推定です。歴史の未知の領域に一歩踏み出したかのようなワクワク感を感じる遺跡でした。 なお、日向畑遺跡は松尾古城の登り口にもなっています。背後の山が古城であるということもさらにそのもっともらしさを後押ししているようです。2021-05-01
55[14/09/11]角間区民広場[14/09/11]角間区民広場安智羅明神と日向畑遺跡の間に矩形の公園「角間区民広場」があります。真田氏館跡とされる日向畑遺跡の屋敷跡であるようです。ゲートボール場になっているようです。
角間区民広場  真田昌輝第十二代 真田幸雄 書 (以下裏面の文面) 昭和五十四年末中電送電線架設実施計画がはじまりこれに対する地域補償金を基金とし公共施設の区民広場建設に当り、町当局をはじめ土地所有者・工事施工者・関係区民の深いご理解とご協力によりここに完成をみるに至りました。 ここに所在する日向畑遺跡をはじめ松尾城跡は真田氏発祥の関係域跡群の一つとして重要な文化財であります。この遺跡を誇りとし この広場が区民のさわやか健康づくりの場として大いに活用されることを期待します。 昭和五十七年九月吉日 (略)
2021-05-01
56[14/09/11]真田町の真田→横沢を進む[14/09/11]真田町の真田→横沢を進むまさに里山の秋、収穫の秋です。稲が黄金色の実をつけて稲穂の先が垂れ下がってきました。収穫も間近いことでしょう。 真田氏発祥の地とされるのがこの周辺、旧真田町真田です。標高730mですから、上田城よりさらに300mほど高い位置になります。 上田から菅平へと続く国道144号線から一歩集落の中に入ると傾斜地に展開する独特の景観に変わります。何度訪れてもどこがどこなのかがよく記憶できません。道が曲がり、似たような傾斜地の特性を持っていることに一因があります。2021-05-01
57[14/09/11]真田氏歴史館[14/09/11]真田氏歴史館真田氏歴史館が開館したのは1991年ということです。NHKのドラマ『真田太平記』(大河ドラマではありません)が放送されたのが1985年。ドラマで使用された昌幸・信之・幸村の甲冑などが展示されています。 開催中の企画展「大坂冬の陣」を見学しました。戦国武将の中でも人気が高い真田幸村の人気にもかかわらず、幸村所用の甲冑「南蛮銅具足」がそれほど有名でないのはどうしたわけでしょうか。「伝幸村」「幸村所用」とされる遺産はいくつかありますが、この甲冑もその一つです。  2021-05-01
58[14/09/11]真田町を進む、途中駅前食堂[14/09/11]真田町を進む、途中駅前食堂旧真田町に入って間もなく「駅前食堂」が右手に見えてきます。この店名が面白い。かつて鉄道・真田傍陽線が通っていたときにここに駅があったことに由来しています。隠れスポットとして知っておくと訪れたときに楽しいです。ただしこの時は通過しました。 最初に向かった先は真田氏歴史館です。2021-05-01
59[14/09/11]ようこそ真田の郷へ、途中伊勢山バス停[14/09/11]ようこそ真田の郷へ、途中伊勢山バス停真田氏発祥の地「真田」は上田の市街地からはやや遠く、菅平高原に行く途中にあります。上田市街から行くとずっと登り坂になります。そうした坂の途中に伊勢山バス停があります。 このバス停は映画『サマーウォーズ』で描かれたことから同映画の聖地巡礼の地として知る人ぞ知る隠れスポットとなって久しくなります。 伊勢山バス停を過ぎると「ようこそ真田の郷へ」の看板が見えてきます。ここからがいよいよ「信州真田」です。上田市に真田町が合併する前の町域となります。2021-05-01
60真田神社真田神社上田城本丸跡に鎮座するこの真田神社は、真田氏、仙石氏、松平氏という歴代の上田城主を御祭神としています。 しかし、もともとは松平家の御先祖をお祀りする御宮であり、松平神社と称していました。 神社の近くには、実際に昔使われていた井戸や巨大な兜、真田幸村の像などがあります。 個人的には、神社前の門や兜が記憶に強く残っています。2021-04-25
61白鳥神社白鳥神社これは2021年2月10日に撮影した白鳥神社の写真である。 海野氏と真田氏の氏神として祀られた。2021-02-10
62上田と沼田の歴史観の違い まとめ上田と沼田の歴史観の違い まとめ調べた内容のPPでのまとめ2021-02-10
63戸鹿野八幡宮戸鹿野八幡宮説明 代々沼田が信奉していた神社 1580年に真田正幸が出陣に際して祈願したといわれる2021-02-09
64小松姫の墓小松姫の墓説明 沼田にある小松姫の墓 上田にもあるらしい2021-02-09
65沼田公園写真沼田公園写真説明 沼田公園内の史跡及び資料に関する写真 像、鐘楼、またそれらに関する説明の看板 用法 実際の公園内に残されているものを一次資料として確認できる。2021-02-09
66沼田資料館写真沼田資料館写真説明 沼田資料館の写真 16~18世紀の資料 用法 沼田市における真田に関する事実のまとめ2021-02-09
67真田祭り真田祭り説明 上田城下町で毎年4月末に行われる真田三大をたたえる祭り。真田氏発祥の地として上田市内では真田ゆかりの地が多くある。 用法 上田市の真田資料は16世紀が多いという一つ 参考 https://www.mtlabs.co.jp/shinshu/event/sanada.htm2021-01-27
68上田城パンフレット上田城パンフレット説明 上田城の内装について書かれているパンフレット。どういった設備が整備されているのかを知ることができる。また、どういった城なのかも書かれている。 用法 沼田公園のパンフレットとの比較化 情報として載っている年代2021-01-27
69沼田公園パンフレット沼田公園パンフレット説明 沼田公園のポイント及び歴史の詳細について書かれているパンフレット。真田氏や沼田氏の歴史を概要として知ることができる。 用法 上田城パンフレットとの比較化 掲載されている年代の調査2021-01-27
70別所温泉駅別所温泉駅久しぶりに別所線に乗りました。 電車好きの私にとっては丸窓電車が印象的な路線ですが、現在は真田氏をイメージした電車なども走っています。 写真は駅舎と、乗ってきた電車を一緒に撮影したものです。2020-11-06
71至る所にいる真田至る所にいる真田今回の探検で随所に確認できた真田氏 駅やバスなら地域に根付いたものとして六文銭を記載しているとわかるが、コンビニにまで真田の影が見えると思わなかった。2020-11-04
72上田探検2 まとめ上田探検2 まとめ上田探検2を通して、上田駅周辺や商店街などの大通り、上田城周辺はかなり賑わっていると感じた。自分の地元と比較したときに、上田は駅前だけでなく広い範囲で観光客や地元の方の交流を見ることができたので、上田市は市の観光資源を有効に活用できていると感じた。観光資源の活用については、観光者向けの順路マップが多く設置されている、真田氏に関わるモノ(例えば真田十勇士の像)が上田駅から歩いて行ける範囲の至る箇所に置かれている、サマーウォーズの自動販売機が設置されている点から実感することができた。 商店街や坂道を歩いていて思ったのは道が狭く人が多くいる割に自転車を押すでもなく歩道を走っていたということだ。それらの場所は道路の幅が狭い、交通量が多い、路肩駐車が多いという印象が強かった。この点は観2020-11-01
73上田探検Ⅱ 街の看板上田探検Ⅱ 街の看板上田駅周辺ではこのような看板が多く設置されています。ここには「真田氏ゆかりの城下町」と書かれていて、真田氏に関わる場所が紹介されています。地図をよく見ると、お寺がたくさんあることが分かります。これらのお寺は上田城に関係しているのかなと思いました。お寺だけではなく、上田駅周辺には素敵なお店がたくさんあります。2020-11-01
74上田市のマンホール上田市のマンホール上田駅前の周辺に設置されているマンホール。 真田氏の家紋である六文銭と、旧上田市の市の花であるツツジがデザインされている(合併後現在の市の花はさくら)。2020-10-05
75大輪精舎之図(日本博覧図1897所載)大輪精舎之図(日本博覧図1897所載)『日本博覧図』は関東を中心とした地域の名所旧跡、寺社、豪商の邸宅等を描いた銅版画集。1897年(明治30年)発刊の第12編には上田小県の寺社・邸宅等20点の銅版画が収録されている。「大輪精舎之図」はその一つである。 タイトルには「長野県信濃国 大輪精舎之図 小県郡上田町」と記されている。 大輪寺(大輪精舎)は、真田昌幸による上田築城に伴い、砥石城の麓の畑山から移されたと伝えられている。大輪寺には真田昌幸の妻寒松院の墓がある。 参考資料:『上田市誌』第9巻「真田氏と上田城」2002年2020-09-25
76人物04 真田幸村人物04 真田幸村幸村は正幸の代二子、永禄十一年甲州躑躅ヶ崎なる真田屋敷に生ると云う。 『上田市史・下巻(1940)』1196頁を転載 (目次位置) 社寺古墳及人物誌  人物篇2020-07-20
77人物77 仙之助人物77 仙之助仙之助は幼にして横町の太右衛門の贄、養父母に事えて孝養を蓋して怠らず。(以下略) 以下真田氏篇第三章にその事跡を載す。 『『上田市史・下巻(1940)』1111頁を転載 (目次位置) 社寺古墳及人物誌  人物篇2020-07-20
78人物01 真田昌幸人物01 真田昌幸真田一徳斎幸隆の第三子、天文十六年生る。(略) 以下真田氏篇第三章にその事跡を載す。 『上田市史・下巻(1940)』1195頁を転載 (目次位置) 社寺古墳及人物誌  人物篇2020-07-12
79ようこそ上田 真田幸村と行く上田城ようこそ上田 真田幸村と行く上田城 上田のシンボル、上田城の魅力をおもてなし武将隊の真田幸村公が紹介してくれます! 長野大学インターンシップ(2014)により制作した映像 協力 上田市観光課2020-07-12
80『上田市史・上巻』1/2(1940年)画像データ『上田市史・上巻』1/2(1940年)画像データページ番号は表紙からの通し番号になっています。それぞれはJPG画像です。ダウンロードしてお使いください。 1ページ 表紙 2ページ 序 3ページ 4ページ 緒言 5ページ 6ページ 編集の経過 7ページ 8ページ 目次 2020-06-28
81『上田市誌』(全31巻 2004年)目次『上田市誌』(全31巻 2004年)目次『上田市誌』全31巻 発行:2002~2004年 編集者:上田市誌編さん委員会 発行者:上田市、上田市誌刊行会 以下から各巻の目次と奥付が参照できます。なお、対象の「上田市」は2006年の合併以前の旧上田市が対象です。 第01巻 自然編(1)上田の地質と土壌 第02巻 自然編(2)上田の気象と川や湖 第03巻 自然編(3)上田の動物と植物 第04巻 歴史編(1)上田盆地のあけぼの 第05巻 歴史編(2)上田の弥生・古墳時代 2020-06-27
82大輪寺(『上田市史』下巻1940)大輪寺(『上田市史』下巻1940)上田市史・下巻(1940)1102~1105頁 (目次位置) 社寺古跡及人物誌  第一篇 社寺   第二章 寺院    第二節 禅宗     大輪寺2020-06-19
83真田神社真田神社立派な鳥居の真田神社。上田市民のお散歩コースの一角になっている。上田城跡公園内にあり、境内には真田井戸と呼ばれる井戸がある。 歴代の上田城主を合祀し上田城跡守護の由緒ある神社として地域住民に愛されている。 大学入学を祈願し、ここを訪れることも。 神社としての威厳を保ちつつ、現代要素も感じる。2020-05-26
84眞田神社眞田神社上田城城跡跡地にある眞田の神社です。。真田氏、仙石氏、松平氏達歴代上田城主を御祭神としている。もともとは松平氏を祭っていたことから松平神社と称していました。上田城の跡地内に構えており、落ち着いた雰囲気にとても惹かれるものとなっています。真田井戸の奥の丘に登ると素晴らしい景色が見えます。2020-05-26
85銭澤時計店の商品「甲冑エプロン」銭澤時計店の商品「甲冑エプロン」上田市の木町にある銭沢時計店を久しぶりに訪れました。このお店の佇まいのユニークなこと。銭沢さんからは200年ぐらい前の足軽の屋敷であったと聞いています。 銭沢時計店はその主屋が足軽屋敷であるということだけでもユニークなのに、ユニークなことがさらに。時計店なのになぜ真田グッズ店なのでしょうか? 銭沢時計店のヒット商品は「落ちない上田城」という学習ノート。受験生に根強い人気があります。さらに最近、ユニークな商品が出ました。「甲冑エプロン」。なんとまあ! 真田氏の家紋3種が全部描かれています。六文銭、州浜、結び雁金。エプロンに真田の家紋集ですか。おお!2020-04-22
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