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1上田城散策① 真田石上田城散策① 真田石大きな石垣が目を引く真田石。真田信之が父の形見として持って行こうとしたが微動だにしなかったという言い伝えがあるそう。どこの石垣を見てもそうだが、どういった技術で石をこんなに高く積んだのかとても気になる。2021-12-21
2仙石氏と松平氏の歴史仙石氏と松平氏の歴史 仙石氏は三代から五代目の上田城の城主を務めました。三代目城主の仙石忠政が関ヶ原の戦い後に破却された上田城を再建させ、現存する西櫓もこの時に建てられた貴重なものとなっています。  松平氏は六代から十二代目までの城主を務めました。その間実に160年余りであり、上田城の歴史の半分以上が松平氏が治めていたことになります。主に千曲川の洪水によって破損したがけの石垣の設置や、地震による石垣と櫓の修復工事などが行われていました。2021-12-17
3袋町袋町黄金沢川を後にした投稿主は、なんとなく川が流れていた記憶を頼りに歓楽街、袋町へ。とても小さな川なのですが、「蛭沢川」という名前がちゃんとありました! そんな蛭沢川にかかる橋は写真上から大黒橋、弁天橋、棗(なつめ)橋、柳橋と、一つ一つ名前がつけられています。石垣風の橋の下の構造、お揃いの欄干のデザインがレトロを醸し出していました。2021-11-15
4安政年間上田城下町絵図安政年間上田城下町絵図松平氏在城時代の上田城下町絵図で、武家屋敷の屋敷割を中心に描かれている。基本的には元禄年間の上田城下町絵図と変わっていない。上田城の本丸については「御本丸」と書かれているのみで省略されている。また、二の丸には、堀や石垣・土塁は描かれており、櫓や門などの建築物がない様子が分かる。 二の丸東虎口の外には、「文武学校」・「稲荷宮」がある。ここは、元禄年間の上田城下町絵図では、家臣の屋敷地だった。また、「御作事」と記載されている場所は、元禄年間の上田城下町絵図では「御中屋敷」だった。現在の清明小学校の敷地となっている。2021-11-14
5上田城 大手門上田城 大手門大手門は城の正面にあり、上田城では門の枡形を構成する石垣と、その前南北に堀があっただけで城門は造られていなかったと言われています。2021-07-23
6松本行きました松本行きました松本城とても綺麗でした 綺麗な街並みで、街全体が景観を保っていてとても雰囲気が良かったです。 将来住むならこのような街に住みたいと思いました。2021-05-06
7駿府城駿府城これは静岡市にある駿府城の写真である。別名が静岡城や府中城。築城主は徳川家康であり、石垣やお濠などが存在する。いくつか再建造物があるがとても歴史があるものである。上田には上田城があるため相違点や類似点などを見る懈怠と思う。2021-05-05
8[14/09/11]山家の「真田氏館跡」[14/09/11]山家の「真田氏館跡」枡形道路とたつ道を進むと民家の石垣にぶつかりT字路となります。余談ですが、このような傾斜地に広がる集落がどことなく和歌山県の九度山に似ていることを想起しました。 この民家のある土地が平らに整地されていることから、ここに館があったという推定が興味を引きます。さらに、ここが真田氏の館跡であるという仮説もワクワクするようなものです。 真田氏の館跡はすでに真田町の各所で見てきました。角間の館跡、ここ山家の館跡、お屋敷公園の館跡、伊勢山にも館跡があったらしい。真田氏は角間から次第に低い方へと移り、やがて上田城へ。やがて真田信幸の代になり、上田藩主居館跡に、更にその後は松代へ移ることになります。この変遷をたどるだけでも実に興味深い。2021-05-01
9[14/09/11]松尾古城の解説、角間渓谷を進む[14/09/11]松尾古城の解説、角間渓谷を進む角間渓谷の入口に道案内と「松尾古城」の説明板があります。そのすぐ隣にもう一つの案内板があります。 道案内のある場所から角間渓谷までは3kmと記されています。角間川の谷筋になるこの道筋は緩い傾斜で延々と続きます。途中に転々とする角間の集落は傾斜地のため、家の前に築かれた石垣などが印象的です。道路も狭い。途中拡幅工事が行われていました。周辺は杉林に変わり、山道らしくなります。2021-05-01
10上田城の石垣上田城の石垣真ん中に目立つ大きい石はどのようにしてここに運んできたのか。石の形状に合わせて積み重ね、間は小石で埋めて知恵がここに詰まっている。2020-11-05
11上田城上田城長野大学に来てからまだ上田城に行った事がなかったため今回初めて行きました。 お城と言うと天守閣のある大きなお城をイメージしますがこの上田城にはそのような大きくお城はありません。ですが周囲を囲む石垣や建物から歴史を感じる事ができます。ただ率直な意見を言うと少し寂しさを感じてしまいました。2020-11-01
12石垣石垣石垣のある家。上塩尻地区にたくさんあった。今まで石垣は城跡でしか見たことがなかったのでこのような街の中にあることに驚いた。貴重であるためこれらの建物が存続し続けることを願う。2020-08-09
13上田城跡上田城跡真田幸村の父、真田昌幸によって築城された。 日本百名城二七番・日本夜景遺産に認定されている。 写真は上田城東虎口櫓門である。「真田石」と言われる直径約3メートルの大きな石が石垣に使われている。2020-07-22
14前山寺前山寺拝観料がかかるので私はじっくりと見ることができませんでしたが、木造茅葺き屋根の本堂と国重要文化財の三重塔があります。花の寺といわれ、桜・藤・紫陽花・イチョウなど、季節によって違った花を楽しむことができます。古い松やケヤキの大木が並ぶ参道では、木漏れ日や抜けていく風が心地よかったです。石段や石垣、大木などにみられる苔の様子に惹かれました。2020-07-22
15時代が変われど物流を支え続ける(真田傍陽線真田駅跡)時代が変われど物流を支え続ける(真田傍陽線真田駅跡)道路の脇にひっそりとある、草に覆われた石垣のようなもの。 よく見れば上にはトラックが停め置かれている。 ここは真田傍陽線の2か所ある終点のうちの片方、真田線の真田駅跡。 この石垣は当時のホームである。 人々や貨物が行きかったホームも、現在はトラックの駐車場となって目立たぬ存在となっている。 時代は変わってしまったが、鉄道が廃止となって半世紀が経とうとしている現在でも、地域の物流を支えている。2020-07-15
16北向観音堂北向観音堂北向観音堂は、平安時代初期の天長2年(825年)、比叡山延暦寺座主の慈覚大師円仁により開創された霊場。 大きな石でできてる石垣は、迫力があって魅力的である。大きなパワーが感じられる。2020-07-06
17上田城上田城真田昌幸が築いた平城である。2度にわたって徳川軍を撃退したことで知られている。上田城は天守閣がないため、見どころがないように感じるが城好きには十分楽しめると思う。個人的には城の南側から見る尼ヶ淵側の石垣が迫力がある。もちろん、上田城といえば写真の東虎口櫓門がイメージされるが、これもまた迫力があり、とても美しい。2020-06-23
18上田城上田城初めて上田城に行ってきました。コロナの影響にもかかわらず、かなりの人がいてびっくりしました。石垣や建物に歴史を感じました。2020-05-31
19小泉大日堂の表参道小泉大日堂の表参道小泉大日堂のある高仙寺は、征夷大将軍坂上田村麻呂が東夷平定の帰陣の際に建設を始め、806年(大同元年)に竣工したと寺の沿革の説明板には記されています。現在、大日堂に行くには車で「裏参道」を通るようになっています。すると「表参道」があるはず。その表参道がどうなっているのかに興味を引かれ、表参道を途中まで歩いてみました。 この集落は実に古い。全体が傾斜地にあり、家々に石垣が築かれています。しばらく集落沿いの参道を進むと寺の並木参道に出ました。杉並木が整然と立ち並び、印象的な景観です。この参道並木は市指定記念物となっています。2020-05-27
20北向観世音道の看板(上田市小島)北向観世音道の看板(上田市小島)かつてこの道が北向観世音道(別所街道)であったことを伝える看板。上田城下から別所に至る主要な道であったことが記されている。 別所街道の面影を探すうえで非常に役立つものである。 この並びには趣のある石垣を要する民家があり、この道が古くからあることを教えてくれる。2020-05-25
21西塩田小、新旧西塩田小、新旧旧西塩田小学校は現在、さくら国際高校に。今はめずらしい木造校舎の佇まいが実にいい。かつて小津安二郎の映画『一人息子』(1936年)に挿入されたのがこの学校の風景です。その面影は今もあります。 手塚の集落の奥まったところに「日就学校跡」「西塩田小学校跡」を発見。石垣があり、その上が平坦な広い敷地。学校だった面影があります。 西塩田小は最初はこの跡地にあり、後にさくら国際高校の敷地に移り、さらに塩田小学校に移りました。2020-04-22
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