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1市街地方面の寺院、神社市街地方面の寺院、神社やはり城下町らしく、この地を治めた真田氏に縁あるものが多い。欧州ではキリスト教、東洋で仏教、そして日本の神道。古来より信仰というものは人々の生活の隣にあるものだった。信仰のあり方はその地域の生活のあり方ともいえる。歴史を紐解くうえで貴重な材料となり得るものである。(今回キリスト教を取り上げなかったのは、ここいら一帯はキリシタンが現れた時期が遅かったと考えられるためである。)2022-12-04
2科野大宮社科野大宮社祭神は「事代主命(コトシロヌシノミコト)」、「大巳貴命(オオナムチノミコト)」。なかなかの規模の神社。近くに高校があったり、スーパーがあったりする。こういった施設が入り乱れている点も上田市のいいところ。2022-12-04
3高市神社高市神社海野町の通りにある神社。祭神は「大国主(オオクニヌシ)神」、「事代主(コトシロヌシ)神」。大国主神は大黒天、事代主神は恵比寿神として七福神にも数えられる。 この神社は海野町の商いの神様である。 境内には「運の石」という石があり、開運と悪運除けがご利益。真田昌幸が上田城築城の折に白鳥神社から霊力宿る石を授かった。それがこの神社のご神体。そして、その石に縁ある石を高野山から持ってきて運の石とした。2022-12-04
4太神宮社太神宮社祭神は「天照(アマテラス)皇大神」、「豊受(トヨウケ)皇大神」。1622年に秋和から今の場所へ遷された。上田地域の伊勢信仰の中心。境内にはお稲荷様らしき連鳥居がある。2022-12-04
5諏訪神社諏訪神社祭神は「建御名方富命(タテミナカタトミノミコト)」。 諏訪大社の分社、分神として、諏訪大明神と称された。2022-12-04
6太郎山太郎山上田市の北に位置する里山。 近くには太郎山神社があり、信仰も根強い。 歩道も整備されており比較的登りやすい山である。2022-12-02
7根子岳根子岳上田市の菅平高原に位置する山。 緩やかな登山道が印象的で周りの広々とした景色を楽しみながら登ることができる。 頂上は広々としていて小さい神社がある。2022-12-02
8受け継がれる蚕都の伝統受け継がれる蚕都の伝統 今でも養蚕が盛んだったころのまま姿を残す建物がある。上田蚕種株式会社の建物である。  また一方で、新しい施設に「サント(蚕都)」と名付けられた例もある。「上田市交流文化芸術センター サントミューゼ」はホール、美術館の他に交流芝生広場があり住民の憩いの場となっている。2022-12-01
9蚕影社蚕影社上田の最初の町の成型として考えられるのが蚕影社であり、神畑にあるこの社は28か所あるとされている神社の一つである。この神社群は養蚕の神を奉り、蚕の安定を図るために作られた。そのような経過を経て、上田地方では養蚕の拡大に伴い各地で養蚕振興が盛んになったことがうかがえる。また、神社は古代における村や集落の中心であったため、昔から現在にかけてまで、蚕は街づくりの基盤となっていたと考えることができる。2022-11-30
10養蚕業が衰退した理由養蚕業が衰退した理由日本の繭生産量は、今から約90年前1930年(昭和5年)の40万トンをピークに減少し、昭和40年代に持ち直しの傾向が見られたものの、2016年(平成28年)には約130トンまで落ち込んでしまいました。繭生産量の減少に伴う製糸業の衰退も著しく、昭和34年には1871工場あった国内製糸工場数は、平成26年にはわずか7工場を残すのみとなってしまいました。 日本の絹産業は、生糸の原料となる蚕の繭を作る養蚕農家から、生糸を作る製糸業者へ。そして絹織物業者へという流れから、おもに着物や帯などに加工・縫製されて小売される形になっている。 衰退した理由としては和装から洋装へ変化する「和装離れ」により需要そのものが減少したと考えられている。価格競争で中国などから低価格繭の流入や、後継者不足など社会構造の変化も考えられます。2022-11-30
11上田蚕種協同組合上田蚕種協同組合旧上田蚕種株式会社の建物を組合の事務所として活用されている。蚕都としてのシンボルを現在も活用している良い例だと感じた2022-11-30
12上田染谷高校上田染谷高校上田染谷高校は普通科と国際化で教育目標が違う。普通科は「向学の気風あふれる活気に満ちた学校づくりを通して、学力・情操・身体の調和ある発達を図り、将来の地域社会を担い、国際社会の平和と発展に寄与できる人間を育成する。」に対し、国際化は「自国の言語・歴史・文化への理解を深め、国際交流などの活動を通じ、社会の様々な事象に対する探究的な学びの姿勢を育み、豊かな国際感覚を持ち将来にわたり地域社会及び国際社会に貢献できる人材を育成する、語学力を高めるとともに、国際社会の諸問題に対応する思考力、情報を的確に発信するためのプレゼンテーション能力、実践的なコミュニケーション能力を養い、新たな社会を創造する力を育む。」とだいぶ違っている。2022-11-30
13上田東高校上田東高校教育目標を自由な精神と責任・規律を重んじる態度を養い、自主性・創造性・協調性に富んだ個性豊かな人格の形成を目指す、憲法にもとづいた平和で民主的な社会をにない、国際社会に生きていくために必要な知識と判断力を養う、社会のさまざまな変化に柔軟に対応し、課題を積極的に解決していく力を養う、としている。上田西高校は私立であるが上田東高校は公立高校である。2022-11-30
14上田千曲高校上田千曲高校質実剛健を教育目標とし、工業科・商業科・家政科と3つの大学科を擁する上小唯一の総合的な専門高校。社会人して、円満の人格、品位ある個人の完成を期としている。2022-11-30
15木々と水の音が響く神聖な場所木々と水の音が響く神聖な場所今回は「別所温泉森林公園」や「別所氷沢の風穴」の近くにある、「三嶋神社」にきました! 木々に囲まれ、静かに流れる水の音を聞きながらの参拝。 とても身が締まる気持ちになりました。 日が陰っている時間帯でしたので、全体的に薄暗く、少し怖くもありました。 その厳かな雰囲気に圧倒されながらも、これぞ日本という感覚を直に受けることができた、良い経験となりました。2022-11-30
16戸隠神社 中社戸隠神社 中社 ゼミの研修で戸隠神社の中社に行く機会があった。これは、その時に撮影した写真である。  戸隠神社には、奥社・中社・宝光社の3社が存在している。平安時代から修験道が行われ、日本有数の霊場として知られていた。 この歴史は古く、嘉祥2年(849)頃、学問行者により戸隠寺(奥院)が開かれたと言われる。康平元年(1058)に宝光院、寛治元年(1087)に中院がそれぞれ開かれたと伝えられている。  中社のご祭神は「雨八意思金命 あめのやごころおもいかねのみこと」である。この神は素戔嗚尊(すさのおのみこと)の度重なる非行に天照大神がお隠れになった時に岩戸神楽(太々神楽)を創案し、岩戸を開くきっかけを作った神である。  学業成就・商売繁盛・開運・厄除・家内安全に御神徳がある。2022-11-30
17養蚕国神社養蚕国神社養蚕国神社は大星神社と一緒になっていて、敷地は広かったですが、養蚕国神社の建造は小さめでした。説明文がわかりやすく書かれており、どのうなことがあったのかがすぐわかりました。 1937年(昭和12年)、上小蚕糸業界の尊崇神ときて蚕影神社の建立を決議しました。 竣工は昭和16年4月28日で、同時に遷宮奉祝祭が執り行われました。以後、関係者によって例年蚕糸祭が開かれています。2022-11-30
18感染対策ばっちり感染対策ばっちり 眞田神社を訪れたときにお参りしようとしたら、鐘を自分で揺らして鳴らすのではなく、手をかざすことによって鳴らすという画期的なものを見つけました。お賽銭箱の上に3つ並んでいたので、順番を待つ時間も短縮され、一石二鳥です。  本当は動画を掲載したかったのですが、うまくいきませんでした。。。2022-11-30
19生島足島神社生島足島神社 生きとし生けるもの万物に生命力を与える「生島大神」と、生きとし生けるもの万物に満足を与える「足島大神」の2神が祀られ、摂社(下社・下宮)には諏訪大神が祀られる信濃屈指の古社である。  ご本殿は神池に囲まれた神島のまわりを老樹に囲まれて建っている。御扉の奥には御室と呼ばれる内殿があり、内殿には床板がなく大地そのものが御神体として祀られている。この池を巡らせて神域とされる島を作る様子は「池心の宮園池いけこころのみやえんち」と称され、出雲式園地の面影を残す、日本でも最古の形式の1つとされるものである。  2枚目の神楽殿からちょこっとのぞく内殿の写真が個人的ベストショットです。2022-11-30
20眞田神社眞田神社 眞田神社は上田城本丸跡に鎮座しており、真田氏、仙谷氏、松平氏という歴代の上田城主を御祭神としている。しかし、本来は松平家の御先祖をお祀りする御宮であり、松平(しょうへい)神社と称していた。  松平家は、真田氏、仙谷氏のあと、江戸時代中期から明治の廃藩に至るまで7代160余年の長きにわたる上田藩主であった。  上田藩主となった系統の藤井松平氏の初代忠晴公は、隠退後は忠山と号した。寛文9年(1669)に亡くなった。忠山公の御墓所は京都の金戒光明寺にあり、京都に忠山公の御霊をまつる忠山社が設けられてもいた。これが眞田神社の起源となっている。  明治維新の変革の中、国に接収された上田城もまもなく民間に払い下げられ、城跡は急速に桑園・麦畑などに変化していった。そのような情勢の中で、旧上田藩士や2022-11-30
21アリオ神社アリオ神社 2021年12月28日にアリオ上田に設置された通称アリオ神社。本当の名前は「四阿流尾神社(あずまやりゅうおじんじゃ)」といい、上田市真田町長にある「山家神社」の分祀だそうだ。  社の大きさは横68㎝、奥行き88㎝、高さ約100㎝で総ヒバ造り。真田町の建築業者が設計し、武石村の大工が建築した。  山家神社の始まりは、食物の実り、郷の安寧、人々の無事を大きなしぜんのなかの一部として生かされていることに感謝し、祈りを捧げ掌を合わせたことである。  主祭神は国造り、国護り神話の中心的な神である大国主神、対偶神の伊邪那伎神との国生み、神生みの伊邪那美神、伊邪那伎神が伊邪那美神を追って黄泉国に到り、そこから逃げ帰ろうとして、黄泉平坂で争った際、間に立って二神の調停をした菊理媛神である。  神社の隣には2022-11-30
22上田蚕種協業組合事務棟上田蚕種協業組合事務棟この建物は、1917年に上田蚕種株式会社として成立したのが始まりです。1970年に現在の社名に変更されました。 上田蚕種協業組合事務棟は、蚕都上田の歴史を伝える象徴で、貴重な建物です。2022-11-30
23上田蚕種協業組合事務棟上田蚕種協業組合事務棟上田蚕種株式会社の事務棟として大正6年に完成し、建物はほとんど改変されていないそうです。正面は左右対称の構成となっており、木造二階建てで屋根は瓦葺きの建物です。 文化庁の登録有形文化財にもなっています。とても歴史を感じる建物でした。なぜ、改変されずに当時の姿をとどめていられているのか疑問に思いました。2022-11-30
24常田館製糸場 見学常田館製糸場 見学現笠原工業株式会社の常田製糸場は80年余りにわたって生糸の製造がおこなわれていました。構内には建物15棟が現存しており、うち7棟が国の重要文化財に指定されています。 この写真は五階繭倉庫です。多窓式繭乾燥・保管のための生繭倉庫として建設されました。製糸方法の変化に伴い、繭の保管・乾燥という目的から品質向上を目的とした干繭倉に改造され、小窓の多い造りになっている。2022-11-30
25生島足島神社生島足島神社日本の真ん中に位置していると言われている「生島足島神社」です。池には鯉や鴨がいて、餌やりができました。2022-11-30
26上田蚕種協業組合上田蚕種協業組合登録有形文化財である上田蚕種株式会社に行ってきました。この建物は上田蚕種株式会社の事務棟として大正6年に完成したそうです。「蚕都上田」を象徴する建物であることが伝わってきました。2022-11-29
27常田館製糸場常田館製糸場現在の笠原工業株式会社である。明治11年岡谷市にて製糸業を開始し、明治33年に常田館製糸場として上田市にて工場を創業した。しかし1984年には構造改善事業によって上田工場製糸操業は休止されてしまった。現在は発砲スチロールの販売、研磨切断などを行っている。また現存している建物のほとんどが国重要文化財とされている。2022-11-29
28重文常田館製糸場重文常田館製糸場重要文化財に指定されている常田館製糸場へ行ってきました。現在は笠原工業株式会社となっており、事務所のある繰糸棟には今でも湯気抜きの小屋が残っていました。倉庫の中にも入ることができ、貴重な体験ができました。2022-11-29
29上田蚕種協業組合上田蚕種協業組合大正5年1916年地元の蚕種家が出資して上田蚕種株式会社として設立したのがはじまり。昭和45年に現在の社名となった。最盛期には22万箱の蚕種をこの組合から出荷していた。建物は検査室、食堂、催青室(蚕の卵を掃立予定日にそろって孵化させるため温度・湿度・光線を調節した部屋)、貯蔵の冷蔵庫や採卵室が配置されている。2022-11-29
30上塩尻まちあるき:モリス先生と一緒に上塩尻まちあるき:モリス先生と一緒に上塩尻まちあるきでは、建築史学のマーティン・モリス先生をお迎えして一緒にまちあるきし、古建築の保全・活用に関するレクチャーもしていただきました。モリス先生は上塩尻の蚕種製造民家の建築史的調査をされた方で、上塩尻の建築・景観に対しては特別の関心を持たれています。 モリス先生の母国イギリスは歴史的な建造物である古建築を民間の意思で保全活用する「ナショナルトラスト」が発達した社会です。日本では歴史的建造物を保全し活用しようという気運は少ないのが実情です。上塩尻では「佐藤家住宅(三ツ引)」が2021年、上塩尻では初めて国登録有形文化財となりました。これを機会に、上塩尻の古建築、歴史的景観の貴さが再発見され、地域づくりに活かされていくことを願いたいものです。2022-11-29
31蚕養国神社②蚕養国神社②蚕養国神社で行われた行事の様子がホームページで公開されていて、とても興味深かったです。 関心のある方は、ぜひ見てみてください。2022-11-28
32蚕養国神社①蚕養国神社①蚕養国神社は、木に囲まれた中にひっそりとある雰囲気がとても素敵だと思いました。 神社のすぐそばに駐車場があるので、車で行くことができます。2022-11-28
33上田の蚕業について⑤上田の蚕業について⑤常田館製糸場に行きました。飾ってあるクラフトの中には猫が多く「猫は蚕の神様です」という張り紙もあり、また、猫瓦というものも展示されていました。 上田の蚕業について記された記録には、「養蚕で恐ろしいことは、蚕が病気で死んでしまうことです。(中略)羽虫や鼠の防除にも配慮するよう注意しています。鼠は蚕を食べてしまうので、猫を飼ったり、猫の画を蚕室に貼ることも流行しました」(「上田市誌 近現代編(2) 蚕都上田の栄光」22ページ 上田市誌編さん委員会 平成15年3月1日信毎書籍印刷株式会社より)という記述があります。 公益社団法人 日本動物福祉協会のホームページでは、「【動物福祉】とは一言でいえば、『動物が精神的・肉体的に充分健康で、幸福であり、環境とも調和していること』です。」と紹介されています。2022-11-28
34上田の蚕業について④上田の蚕業について④蚕業を行っていた頃の農家の主婦についても現在の社会の状況と重なる部分が多々あります。 女性の労働について記録された書籍(「人権の確立と女性のあゆみ」 (平成14年)編集者 上田市誌編さん委員会 発行者 上田市・上田市誌刊行会より)に載っている写真を見ると、家の一角のような場所で女性や子どもが写っていたり、女性が男性に交じって働く写真があったり、特定の性別や年齢で限らず、人々の生活に蚕業が根付いていたように思われます。特に女性の仕事は家事育児、給桑作業や農作業など多岐にわたるように見受けられました。 同誌によると、 「明治から大正期に蚕糸業が全盛であった上田地域では、多くの農家の主婦が蚕の世話に始まる農作業や家事に追われ、目の回る忙しさでした。乳幼児をかかえた母親たちも例外ではなく、重2022-11-28
35上田の蚕業について③上田の蚕業について③上田の蚕業について記された記録には、工女の消費活動についても以下のような記述があります。 工場の休日は日頃の長時間労働から解放された工女にとっては楽しいひとときで、小間物屋に寄って化粧品や小物を求めたり、呉服屋で普段着を買ったりしました。おやつの鯛焼きは工女に人気があり、休日や工場の開業前になると店先に行列ができるほどでした。(中略)常田館などのような大きな工場になると、呉服屋や小間物屋などが出張して郷里へのお土産を売りました。(「上田市誌 近現代編(2) 蚕都上田の栄光」135、136ページ上田市誌編さん委員会 平成15年3月1日信毎書籍印刷株式会社より) 既婚でもなく、子どもでもない、大人の労働者である工女たちの消費行動は羽振りが良いように感じられます。加えて、結婚前に、経済力と自由がある2022-11-28
36上田の蚕業について②上田の蚕業について②上田の蚕業について記した記録には、工女の労働待遇について以下のような記述があります。 糸引きは手の器用さが求められることから繰糸の仕事は主に女性が行い、製糸工場で働く人の9割以上は女性で、男性は1割にも満たなかったそうです。製糸工場が盛んになるにつれ労働力を確保するため各工場が工女募集に力を入れるようになり、金銭面の事情から、前貸し金を用意できる大きい工場が有利でした。工女の8割ほどは16~26歳の義務教育終了から結婚前の人たちだったため、勤続年数によって、針箱・鏡台・ちりめん羽織などが出され、長期勤続者になると結婚するときの嫁入り道具が揃うほどでした。工場では休日を利用して、花見や温泉へ連れて行ったり、工場が落語・浪花節・義太夫などを聞かせる慰安会をすることもありました。楽しいひ2022-11-28
37上田の蚕業について①上田の蚕業について①上田の蚕業の発展について記された書籍では、「町村誌をみると、『男、農桑を業とす、農隙養蚕、山稼をなす、。女、養蚕をなす。余間生糸及び縫織をなす。』とあるように、上田地方では桑が稲作に次ぐ重要な作物であり、男女とも養蚕を手掛け、」(「上田市誌 近現代編(2) 蚕都上田の栄光」37ページ上田市誌編さん委員会 平成15年3月1日信毎書籍印刷株式会社より抜粋)と述べられています。そのことから、男女が同じ事柄について役割分担を行い、分業して働いていたことがうかがえます。また、上田の女性の人権の確立について記録された書籍によると、江戸時代は仕事の線引きはあまりなく、必要とあれば一家が協力して家を回すという文化だったとのことです(「人権の確立と女性のあゆみ」134ページ(平成14年)編集者 上田市誌編さん委員会2022-11-28
38生島足島神社生島足島神社県内でも諏訪大社に次いで古いとされている生島足島神社。創建がいつかはっきりしていないが、平安時代の書物にはその名が記されていた事から、かなり古い歴史を持つことがわかる。生島足島神社では毎年1月に、お粥を使ってその年の農作物や蚕の出来高を占う行事が行われており、蚕都としての長い歴史を垣間見ることができる。2022-11-28
39蚕養国神社②蚕養国神社②県歌である「信濃の国」の3番後半の歌詞には、蚕都上田の蚕糸業が日本経済の命運を左右する程重要な産業であることが歌いこまれている。 養蚕・生糸から始まった上田市産業文化の発展を願い、平成19年に神社脇に「萬葉歌碑」が建立された。上田市の産業と蚕には深い関わりがある。2022-11-27
40蚕養国神社①蚕養国神社①上田市内には「蚕」の名がつく神社が7社ある。 その中で、蚕が繭になる直前の大きさと同じ大きさの女神像が安置されている蚕養国神社に行ってきた。 昭和12年に上小蚕糸同盟会は蚕糸業界の尊崇神として蚕影神社の建立を決議したが、具体的には上田大星神社の摂社蚕養国神社の増営をすることとなった。工事が完了したのは昭和16年6月28日で、同時に遷奉祝祭が執り行われた。以後関係者によって例年蚕糸祭が開かれている。2022-11-27
41蚕神像蚕神像手に繭をのせた「蚕神」のブロンズ像が上田駅構内に飾られている。上田市内には蚕の神に関する神社も多数存在している。2022-11-27
42高市神社高市神社海野町商店街にある神社です。受験前にここに立ち寄り、運の石を触って験担ぎしてから受験しました笑笑。2022-11-27
43常田館製糸場常田館製糸場常田館製糸場は1900(明治33)年に創業した製糸工場です。現在は所有主の笠原工業株式会社の社用地社屋として営業使用中です。国指定重要文化財となっています。2022-11-27
44養蚕と着物養蚕と着物今や服はユニクロやGUなどでとても安く買うことが出来ます。それこそ1着2.3000円で手に入ります。 一方生糸を使った着物は1着どんなに安くても十数万はします。 何故こんなにも高価なのでしょうか。 私は昨年上田蚕種株式会社様を訪問させて頂きました。その際、蚕の飼育の様子などを拝見しました。実際に見てみたところ、厳しい温度や湿度管理、病気など労力が想像以上にかかることを知りました。もっと安価に手に入れば着物を日常の中で着ることが出来るのではと思った私は問題の多さを目の当たりにしました。2022-11-25
45上田蚕種株式会社上田蚕種株式会社蚕都上田歴史・文化財マップにて現存している蚕に関わる場所を巡ってみました。 五つ目は、上田蚕種株式会社です。 大正6年に建てられた、蚕都の象徴の一つである、蚕種会社です。2022-11-24
46常田館製糸場見学1常田館製糸場見学1蚕都上田について学ぶため、常田館製糸場に見学に行ってきました。 上田駅から常田館製糸場に行くまでの道で「蚕影町の由来」と書かれた看板を見つけました。そこの周辺が一面桑畑であったことや、常田館が建設されて、機械製糸業が主流となり、蚕の道(シルクロード)と呼ばれて蚕都の全盛を迎えたことなどが書かれていました。神社や町の名前に「蚕」という字が入るほど、蚕糸業が当時の生活に大きな影響を与えていたのだと感じました。2022-11-24
47卒業研究 概要卒業研究 概要卒業論文の概要の草案です。 <概要> これまで地域活性化策として、地域外から大企業や工業を誘致することで地域の発展を図る「外来型開発」が行われてきたが、誘致企業の本社が地域外にあることによる経済効果の低さや雇用が創出できないなどの問題点からその有用性は疑問視された。 その結果、「外来型開発」の代わりとして、地域の連携や固有性を重視し、企業や自治体、住民が主体となりその地域の文化や自然を守りながら行う「内発的開発」が取り組まれ始めた。 実際先行研究として、この「内発的開発」は地域の雇用創出や経済効果といった面において有用であり、その効果の持続性も高いとされている。また先行研究ではさらに、持続的な地域活性化に必要なものは「人づくり」であると結論付けられており、地域活動を行う主2022-11-22
48土佐神社土佐神社2022/02/27 高知県、土佐一宮 土佐神社へ。 ここ、土佐神社は1570年に長宗我部元親により再建されてる神社。国の重要文化財にも指定されている。 私は旅行に行くと調べることが2つある。 1つ目は山。その場所で有名な山を調べることは山好きあるある。 2つ目に寺社仏閣と教会。一見、寺社仏閣と教会は反対のように見えるかもしれない。しかし、私がこれらが好きなのは”時には人の心のよりどころ””時には願う場所”と人を惹きつけるという所になんともいえぬ魅力を感じているから。 実はこの土佐神社には個人的なエピソードがある。 マイサイトでも投稿したが5月に北海道に行ったときのこと。 私がいつも通り、御朱印帳に日記を書いているとCAさんに「御朱印やられているんですか?」と声をかけていただいた。御朱印帳2022-11-22
49一番お世話になっている神社一番お世話になっている神社生島足島神社に行ってきました。我が家から徒歩10分程度で行けるので初詣に毎年訪れています。パワースポットしても有名らしく観光バスなどをよく見かけます。様々な行事を行っているので今度参加してみたいなと思いました。身近な場所が有名になると自分も誇らしくなります。2022-11-13
50YouTubeに関する研究 11/14報告YouTubeに関する研究 11/14報告今週は1本の動画を公開しました。 この動画はこれまでの研究に沿った動画ではなく軽井沢と銀座に店を開いているジェラート店「リビスコ」の社長さんの依頼と協力の元で制作したものになります。 ですが、動画の構成を鉄道動画界隈で非常に人気のあるジャンル「迷列車で行こう」(※1)にしたため、投稿後1~2日で当チャンネル最多記録である5302回再生、登録者+33人という数字を記録しています。 ここで得られた視聴者を維持、さらには増加に繋げられるよう、今後の動画投稿と研究を進めます。 ※1「迷列車で行こう」とは 自動音声ソフト「ゆっくり」を用いて、鉄道に関する「ちょっとおかしな車両」や「訳ありの鉄道会社の歴史」などを少し小ばかにしつつ紹介する動画ジャンル。今年で13年目を迎え、100以2022-11-15
51藤本蚕業歴史館で学ぶデジタルアーキビスト養成リスキル/リカレント講座藤本蚕業歴史館で学ぶデジタルアーキビスト養成リスキル/リカレント講座藤本蚕業プロジェクト + デジタルアーカイブ学会地域アーカイブ部会シリーズ研究会 「藤本蚕業歴史館で学ぶデジタルアーキビスト養成リスキル/リカレント講座」 地域資源のデジタルアーカイブ化とその活用を図ることができる人材育成が本講座のねらいです。リタイアされた方々にとってはリカレント(学び直し)な学習、教員・文化施設職員などにとってはリスキル(スキル・知識の新たな獲得)の学習機会となります。藤本蚕業歴史館(長野県上田市)をフィールドにオンライン形式で開催します。 ▼講座概要 実践講座1:地域資料活用によるキュレーション講座 【日程】2022~23年   12/10(土)10:00~16:00 藤本蚕業歴史館に学ぶ地域アーカイブの活用   12/17(土)10:00~16:00 藤本蚕業所蔵資料で近現代のキュレーション2022-11-14
52佐藤家住宅等見学会2022/10/29(藤本蚕業プロジェクト主催)[終了]佐藤家住宅等見学会2022/10/29(藤本蚕業プロジェクト主催)[終了]令和4年度長野県地域発元気づくり支援金事業「藤本蚕業資源活用事業」 佐藤家住宅・旧佐藤宗家/藤本蚕業歴史館見学会 蚕種の里とも呼ばれた上田市上塩尻に残る全国的にも希少な蚕種製造施設/蚕種製造民家を見学し、建物に触れながら建築上の特色や歴史的背景などを学び、地域づくりに活かしていきます。見学会の様子をデジタルアーカイブ化し、全国に向けても情報発信する機会とします。 【見学内容】佐藤家住宅(三ツ引)(2021年国登録有形文化財登録)、旧佐藤宗家(蚕室2 棟と邸宅跡)、藤本蚕業歴史館(旧藤本蚕業社屋)を見学。藤本蚕業歴史館展示室を事前開放。 【日時】2022 年 10 月 29 日(土) 14:00~16:00 雨天決行 (歴史館の事前見学 13:00~) 【場所】藤本蚕業歴史館に集合(長野県上田市上塩尻 248)駐車場あり 【主催】藤本蚕業プロジェ2022-11-14
53みすゞ飴本舗みすゞ飴本舗明治27年に上田倉庫株式会社の蚕繭集積倉庫として建築され、蚕繭出荷の前線基地として活躍した繭倉の一つです。 蚕都上田が盛んだった当時は数十棟の繭倉が上田駅前に軒を連ねていましたが、終戦後は生糸関連産業が急速に衰退し、昭和30年代から40年代前半にかけて次々と取り壊されていきました。 昭和45年、飯島商店(現在のみすゞ飴本舗)が諏訪倉庫から2棟の繭倉を購入し、現在も飯島商店事務棟・作業棟であるとともに、当時の蚕都上田について知ることができる貴重な産業遺産になっています。2022-11-13
54上田市マルチメディア情報センターを学生と見学上田市マルチメディア情報センターを学生と見学11/10、1年生の課題発見ゼミの課題発見「上田のelaboration」の一環で上田市マルチメディア情報センターを見学しました。この施設が開所したのは1995年、それから約四半世紀が過ぎ、社会の状況も大きく変化しました。開所当時、次世代産業としてもてはやされたマルチメディアは現代においては「DX」として語られる段階へとパラダイムシフトしました。施設名自体がその歴史を物語っています。建物の前に植えられた欅の黄葉が眼前に迫って印象的でした。植樹当時は低かった樹木が成長した景観美もまた施設の歴史を物語っています。 見学では施設内の施設見学の他、同館収蔵のSBC(信越放送)制作による1964-65年の記録映像などを鑑賞しました。アーカイブ映像が次世代の地域の歴史認識の情報源となることも改めて実感をしました。2022-11-12
55加美畑神社加美畑神社上田原合戦の折に、武田信玄公が通ったとされる神社。 氏神は今日まで住民から崇拝される大明神で、子孫繁栄や無病息災などを祈願していた。2022-11-11
5610/27 神川小地域学習支援① 地域探検~お気に入りの場所やものを探そう~10/27 神川小地域学習支援① 地域探検~お気に入りの場所やものを探そう~全3回ある授業の1回目です。 10月27日に神川小の3年生の児童と一緒に、国分地区を探検し、お気に入りの場所やものを探すという学習支援を行いました。 今回は蚕影神社→信濃国分寺駅→国分寺→史跡公園の順番で地域を探検し、みんな思い思いにいろんな物にカメラを向けていました。 児童はクロームブックで写真を撮ることに非常に興味を持っていて、神社などの大きな建造物から駅に咲いている花や公園に落ちている葉っぱなどの小さなものまで写真をたくさん撮っている児童が多く見受けられました。 「こんなところに文字が書いてある!」「なんだこれ!?」と不思議に思ったり新しい発見ができた児童や「こんなの見つけたよ!」「きれいな写真が撮れたよ!」と私に見せてくれる児童もいました。 子供はこういうところに興味を持つんだ2022-10-27
57上田探検隊まとめ上田探検隊まとめ上田探検隊を通じて、私は上田の名所について新しく知っていく度に、上田に住んでいながら自分は上田についてまだまだ知らないんだなと感じさせられました。実際に愛宕神社や、一里塚については初見でしたし、上田城の近くにあることぶき商店も上田探検隊の活動で初めて知りました。上田についてまだまだ知らないことが多いということを実感したのと共に、魅力がある場所が結構あるにも関わらず、自分のように上田に住んでいたけど知らなかったりと、上田市の魅力があまり色んな人に行き届いていないのも実感しました。2022-11-06
5810/20、27 上田探検隊中間まとめ10/20、27 上田探検隊中間まとめ2日間の探索を通して、上田市のまだ知らなかった魅力を知ることが出来たと思います。2日間とも、有名な場所を回ったりすることはもちろんですが、地域の風景や自然など、実際に歩いたからこそ気づける魅力にも視点を当てて散策しました。1日目の別所温泉では歴史的な建造物や自然に触れることが出来ました。初めて訪れたのですが、多くの寺社や透き通った川、高所からの風景など長野県としての魅力が多く詰まった場所だと感じました。2日目の西部地域は、様々な場所に観光スポットが点在しているといった印象を持ちました。距離的には長いかもしれませんが、今回前川先生が用意してくださったような観光マップを利用することが有効だと感じました、興味を持った人たちが紅葉の時期などに観光すれば、山が近いこともあってとても良い体験2022-11-06
59高山祭 【秋の八幡祭】高山祭 【秋の八幡祭】2022/10/09 世界無形文化遺産「秋の高山祭」。 たまたま岐阜に行く用事があり もしかして! と思い調べて見ると高山祭の日と同じであったため向かった。 諏訪大社の御柱祭といい天神祭といい自分は祭りに縁があるなぁと思う。 高山祭は日本各地から大勢の人々が来ていた。 人が多く屋台が見えない人のためYouTubeでライブ配信も行われていた。しかし、高山祭を見に来ている人は年齢層も高くライブ配信が見れないという人も中には居た。 私は運良く見ることができた。 からくり奉納には非常に感動した。 春の山王祭も是非いきたい。2022-11-05
60愛宕神社について②愛宕神社について②愛宕神社のいわゆる建物の中には入れなかったものの人々が参拝する場所には行けました。軽いお賽銭箱のような物が扉についていました。上田市の眞田神社に比べるとやはり建物は小さいものの、自然に囲まれた神社の神聖な雰囲気を味わえました。2022-11-03
61愛宕神社 上愛宕神社 上愛宕神社の下の鳥居から階段を登り、その上にある愛宕神社につきました。その愛宕神社は山にたてられているため、周りは草木が生い茂っており、田舎にある神社というイメージがぴったり当てはまる様でした。この雰囲気が個人的には結構落ち着くものだったのでとても心安らぎました。2022-11-03
62愛宕神社について愛宕神社について愛宕神社は入口の鳥居から既に歴史を感じさせます。その奥には見上げるほどの段数の多い階段があり、傾斜もきつく、かなり危険でした。しかし、登った後に上から見る街並みは上田城の上から見る景色とはまた違う景色で、綺麗だと感じました。実際に上ってみる価値はあると感じました。ですが、危ないのには変わらないので、上るかどうかは個人の判断にお任せします。2022-11-03
63常楽寺常楽寺常楽寺に行ってきました。別所温泉駅周辺は温泉だけでなく、歴史を感じるお寺や神社がたくさんありました。見どころがたくさんあるのでぜひきてみてください。2022-11-03
64コスモスコスモス秋和の北側、生塚神社周辺にはコスモスが咲いています。時期は既に遅めですが、2、3輪ほど綺麗に咲いていました。2022-11-03
65上田市の景色上田市の景色愛宕神社から見える景色。若干紅葉もしていて綺麗だった。田舎の街並みがよく見える。2022-11-03
665倍速:神社を下る5倍速:神社を下る愛宕神社の、約180段にもなる階段を下りました。あまりに長いので5倍速です。 2022-11-03
67愛宕神社愛宕神社山の中にある神社。急な階段を登ると突如現れる。落石注意の看板もあり怖い。上から見る景色はきれいだった。2022-11-03
68愛宕神社愛宕神社上田市秋和にある、愛宕神社。上田市内には何故か、「愛宕神社」という神社がいくつかあります。長い階段は180段以上…!登る途中に後ろを振り返ると、上田市街が一望できます。2022-11-03
69生島足島神社生島足島神社2022-11-03
702022-11-02
71長福寺長福寺生島足島神社に隣に建つ長福寺は平安時代の康保2年(965)創建で、創基は祐存上人と伝えられている。境内の一隅にある八角円堂は奈良、法隆寺の夢殿を模して、二分の一の縮尺で建てられた美しい御堂で、信州夢殿と呼ばれて親しまれている。 境内の中で一番目立っていたのはやはり八角円堂で普通の寺とは全く異なる印象を受けた。2022-11-01
72生島足島神社生島足島神社創建は不詳。社伝では、建御名方富命(摂社諏訪神社祭神)が諏訪へ向かっていた時、この地に留まり、生島・足島両神に米粥を煮て献じたという。この伝承から、生島・足島両神は当地の地主神であると見られており、伝承自体は現在も特殊神事の「御籠祭(おこもりさい)」に名残を残している。 赤を貴重とした建物は周りから見ても大変目立っており、訪れたのは平日だったにも関わらず参拝者は多くいた。2022-11-01
73長野大学長野大学荘厳な山長野県上田市にある公立大学。環境ツーリズム、社会福祉、企業情報の3学部からなり、全国津々浦々から学生が集まる多様性のある大学。食堂もある。2022-11-01
74記念植木記念植木大学前駅にあるハナミズキ。上田交通株式会社創立100周年を記念して植えられた。すぐ近くにファミマがある。2022-11-01
75上田探検 まちなか 高市神社上田探検 まちなか 高市神社ここは高市神社という街中にある神社である。ここには運の石というスポットがあり、悪運を祓い、良運を呼び寄せると言われています。2022-10-31
76生島足島神社生島足島神社こちらは有名な観光地ですが、せっかくなのでよって写真を撮りました。生島足島神社です。赤い建物がとても美しく、池の鯉もゆったりと泳いでいて、風情を感じる場でした。また平日にも限らず多くの人でにぎわっており、上田の観光地として大きく貢献しているのだな、と目で感じました。2022-10-31
77コミュニティーカフェ「縁舎」コミュニティーカフェ「縁舎」生島足島神社のすぐ近くにあったあったカフェ、縁舎の写真です。この日は運悪く店がお休みでした… 外装、特に瓦屋根や年季の入った壁などから、とても風情を感じてすてきだな、と感じました!2022-10-31
78眞田神社眞田神社眞田神社は上田城の中にあります。過去の上田城の城主を御祭神にしているそうです。2022-10-31
79上田探検 西部地域 愛宕神社上田探検 西部地域 愛宕神社ここは愛宕神社という場所である。少し長い階段を渡った先にある神社である。ここには鬼瓦という装飾、厄除けに使われた歴史ある瓦があり、秋頃ならば山の紅葉と歴史を同時に堪能できる。2022-10-31
80常楽寺常楽寺別所温泉駅から歩いて10分程度のところに常楽寺というお寺がありました。休憩所や美術館がありすぐ近くには別所神社もありました。観光のために整備されているなと思いました。すぐ裏に山があり長野県らしさも感じた。2022-10-31
81知る人ぞ知る知る人ぞ知る山の中にひっそりと存在する愛宕神社。階段の段数が多く、上るのに一苦労しましたが、その分上から見る景色は綺麗だと感じました。上田市内には、他にも愛宕神社が存在しています。2022-10-31
82生島足島神社の景観生島足島神社の景観現在生島足島神社は紅葉が神社の赤に映えていて、より生島足島神社の赤がきれいに目立っている。2022-10-31
83生島足島神社生島足島神社生島足島神社は日本の中心にあると呼ばれている神社です。 内殿には床板がなく大地そのものが御神体としており、平成10年には県宝になっています。2022-10-31
84生島足島神社大鳥居生島足島神社大鳥居大学の近くの道に突如ある大きな鳥居を見つけました。 田園の中に建ってある鳥居はとても迫力がありました。2022-10-31
85上田市の隠れた名所達上田市の隠れた名所達今回、私達は上田の隠れた名所を回っていきました。 手始めに愛宕神社へ私達は向かいました。鳥居の奥に182段もの角度が急な階段があり、上るのに一苦労でした。 the山奥の神社という感じで自然豊かでした。その次に私達は一里塚へと向かいました。アピナやバローの後ろ側の通路の片隅に地蔵さんがいるのですが、その横に植物が踏まれていった後のような細い道の先に道標がありました。上田にこのような場所があることを長年上田に住んでいるのに初めて知りました。このような隠れた名所というのも静かな雰囲気があって心癒されると思い、良いなと感じました。2022-10-31
86西部地域 秋葉神社西部地域 秋葉神社二子塚古墳の近くにある神社。周りに住宅地があるが、古墳の近くのためか足元が不安定な場所に位置していると感じた。2022-10-30
87山本宣治記念碑山本宣治記念碑安楽寺から、北向観音堂に向かう途中にあった山本宣治の記念碑。 そこには3つ石碑があり、一つには人間を信じる心と彫られていた。 その言葉は上田自由大学の講師であった、タカクラテルが残したものであった。彼はかつて、農民運動・民主主義と社会進歩の運動に指導的役割を果たしていたという。別所三楽寺に訪れた時には、この記念碑に立ち止まってみてほしい。2022-10-30
88紡績工場は今…紡績工場は今… 授業で教わったように、上田の鐘紡上田工場跡地がアリオ上田、サントミューゼ、上田警察署として再利用されているのと同様、松代紡績工場跡を訪れてみました。  広い土地を生かし、 ・合資会社六工社跡地→JA長野厚生連 長野松代総合病院 ・六文銭合資会社跡地→長野市松代文化ホール のように、病院や交流施設として市民のために利用されていることが分かりました。2022-10-30
89当時の道具はどんな感じ?当時の道具はどんな感じ? 長野県立歴史館で蚕糸業に使われてきた道具を見ることができました。※撮影OKと表示されていました。  道具や機械を実際に見てみると、復元模型の大きさや動きに驚きました。上田蚕糸専門学校のノートや座繰り器も見ることができました。  当時の状況を体験することは不可能ですが、この蚕糸の学習をしたことでより細かく学ぶことができ少しだけ雰囲気を感じられた気がします。2022-10-30
90六工社の当時を見つめる六工社の当時を見つめる 長野県立歴史館の常設展示にて当時の蚕糸業について見て学んできました。※撮影OKと表示がありました。  和田英が工女たちの指導をしていた六工製糸場は、官営富岡製糸場をモデルとし、一回に50人が作業できることから「フランス式50人繰り」と言われていました。  当時の様子を描いた絵にも、大人数の工女が並んで作業している様子が描かれていました。  また、人の小ささから工場は自分の想像しているよりも大きいことが容易に想像できました。それだけでも、この時代の蚕糸業の産業としての重要さや中心になっていたのだろうなと感じることができました。2022-10-30
91真田家が生む松代とのつながり真田家が生む松代とのつながり 松代と上田のつながりとして、真田丸や真田幸村(信繁)で有名な上田にゆかりのある真田家が挙げられます。上田城主・真田昌幸の次男幸村(信繁)ではなく、長男にあたる真田信之が上田より松代に入部し、松代藩十万石は幕末まで治めてきました。  ちなみに、今年2022年は信之の入部400年目の年だそうです。真田家家紋である六文銭を商標にしている六文銭合資会社の存在がつながりの証拠とも言えるでしょう。2022-10-30
92風格ある下之郷公民館風格ある下之郷公民館選挙のために訪れた下之郷公民館。道路の向かいには、生島足島神社がある。公民館というと、割とモダンなイメージがあったため、お寺や伝統のある民家のような風格のある建物に驚いた。2022-10-30
9310/27まちなか側探求10/27まちなか側探求長野大学を出発し上田城で降り、丸山邸を散策し、千人塚それから八坂神社・二子神社に参拝、バイパス通りのコスモスを眺めバローに到着しました。発展した街中の中に根強く生きている歴史を感じられました。具体的にはその地域に流れている川の周りを景観を乱さないブロック塀や、道路などが作られておりその空間を観光に活かしていたり、丸山邸では気さくに挨拶をしてくれ、その中の植物展に気軽に誘って説明をしてくれたりとくれたりと上田の魅力は地域の人からも強く感じられた。地域の人がその歴史を大切に保存している姿勢が見られた。2022-10-29
94上田城豆知識上田城豆知識上田城や藩主屋形(上田高校)の土塁、堀、城下の寺社の配置等には鬼門除けが見られます。真田氏の頃から設けられていたものとされているようです。鬼門とは北東の方位で、鬼が出入りする方角として忌み嫌われ上田城では、東北の角を落としていることが分かります。2022-10-29
95上田城の中にあった神社上田城の中にあった神社上田城の中にあった絵馬を飾った小道がありました。写真映えも十分するので、観光客にとっては一定数の需要があると感じました。2022-10-29
96真田神社真田神社受験の時以来に真田神社に訪れたのですが、絵馬で飾られた道や真田像など綺麗で、歴史好きにはたまらない場所だなと感じました。今後も大事な時にはお参りしたいと思いました。2022-10-28
97真田神社真田神社真田神社は、 2度に渡る圧倒的不利な状態の上田合戦に大勝利した真田幸村の神霊を祀っている神社。 恋愛、学業、スポーツ、ビジネスなどで、真田氏の知略や勝運にあやかれるパワースポットとして人気の神社。2022-10-28
98生島足島神社生島足島神社生島足島神社です。古くから塩田平は日本の中心であると考えられ、生島足島神社は日本中央の神社であるとされていたそうです。2022-10-28
99真田神社2真田神社2真田神社には大きな真田の兜があります。 ぜひ、見てみて下さい。2022-10-27
100上田城 二の丸跡の歴史物⑤ 青年眞田幸村公之像上田城 二の丸跡の歴史物⑤ 青年眞田幸村公之像幸村の初陣とされる第一次上田合戦頃の、青年・真田幸村をイメージして造型されたもの。彼の眼が見据える先は徳川の大軍である。 <引用文> https://kojodan.jp/castle/60/photo/229664.html 10月21日15時頃にフィールドワークしました。  青年時代の真田幸村を表した眞田神社すぐ横にある銅像。後ろには、壮大な景色が広がっていてとても綺麗でした。この銅像の場面は幸村の初陣、徳川との戦いを表しています。なんとこの戦いの結果は幸村が勝利を収め、大名として独立を確定させた戦いです。こう言ったことから眞田神社のご利益が「勝負運」なのかと考察できました。2022-10-27
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