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1北海道① (2022.05.17~2022.05.18)北海道① (2022.05.17~2022.05.18)2022年05月17日(火) 松本空港9時20分発の飛行機で北海道、新千歳空港へ。 この旅行はFDA(Fuji Dream Airline)のお得な飛行機プランを見つけ約1週間前に決まった弾丸旅行! 1歳以来の北海道ということもありテンションMAX。 今回の旅行から新たに始めたフライトログ(写真)を客室乗務員の方に渡して旅行がスタート。 一般的に客室乗務員はCA(Cabin Attendant)と呼ばれているがFDAのみFA(Flight Attendant)と呼ばれているらしい。 飛行機の中からは日本アルプス、佐渡島、津軽半島などが確認できた。 飛行機を降りる際に、フライトログ帳を返却していただいた。 フライト中にFAさんと何度か会話をして「北海道旅行はほぼ初めて。」ということを知っていただいた。 そのこともあり、素敵な1ページ目のログ帳(写真)を書いていただい2022-06-09
2フォギーな浅間サンラインフォギーな浅間サンライン5/1、軽井沢大賀ホールから上田への帰り道、浅間サンラインに入ると霧が立ち込めてきました。軽井沢町から御代田町、小諸市にかけて。沿道にあるピンクの芝桜も霧に覆われています。周囲の風景は霧にさえぎられて見えません。沿道の樹木がまるで日本画のように朦朧化して印象的な風景でした。小諸を過ぎると次第に霧は解消しました。2022-05-07
3地域探求のまとめ地域探求のまとめ 今回、情報通信文化論の研究のために上田市の映画館について調査した。調べるにあたって、インターネットで検索したり、図書館に行き資料を探したり、実際に現地に足を運ぶことを行った。  調べていて一番に感じたのは、どの資料からも同じくらの情報しか得られないということである。探している情報がかなり古いということが原因か、元となる一次資料が極めて少ない。図書の資料であれインターネット上の記事であれ、元の資料が少ないことから、同じ資料から情報を得ざるを得ない。そのため、どの資料からも同様の情報しか得られないという結果になったのでは無いかと考えられる。  だが、あくまでこれは歴史などを調べる時限定の話であり、現在を知りたい場合はと感じた。なぜなら、インターネット上の記事や図書は、過去に誰か2022-02-13
4舌喰池(したくいけ)舌喰池(したくいけ)舌喰池は塩田の里交流館(とっこ館)の近くに位置するため池であり、手塚自治会によって管理されている。貯水量は13万㎥もある。 耐震のための改修工事や、田園空間整備事業による水辺景観の整備が行われている。また、百八手という千駄焚きを行って雨乞いをする祭りや、舌喰池付近の芝生でコンサートの開催を行うなど、文化遺産やレクリエーションの取り組みを行っている。 舌喰池には悲しい伝説が伝えられているので紹介したいと思う。 昔この池がつくられた頃、土手から水が漏れて十分に水をためることができなかった。そこで池の改修をするに当たり、土手に「人柱」を入れなければ水がたまらないという話が出回った。悩んだ結果くじ引きで決めることになり、美しい娘が人柱に選ばれた。 娘は日夜悲しみに明け暮れたが、人柱に2022-02-09
5身延線の開通身延線の開通明治38年あたり、以前の富士川鉄道を企画した資産家をはじめ、甲州の資産家らが賛同し、「富士身延鉄道株式会社」を設立した。この計画では以前の、富士市の岩淵から富士川の流域に沿って甲府までというコースから富士宮市大宮地区の経済発展を考え、富士から大宮を通り甲府に向かうルートで計画された。そのため、甲府までの鉄道の用地買収に加えて、先ほども説明した富士馬車鉄道の権利の買収を行なった。 日蓮宗の総本山である身延山参拝を鉄道計画の一つの目的としていたため、富士身延間の工事をまず行った。富士大宮間は問題なく開通された。しかし、大宮から芝川、そしてその北部の工事がはじまると、第一次世界大戦と重なり物価の異常な高騰により、建築資材の調達、用地買収が難しくなっていき、中断を余儀なくされてしま2022-02-05
64 年表からひもとく4 年表からひもとく坂井村誌内の年表を一部引用し、特に重要な部分をまとめた。

昭和12年(1937年)

盧溝橋事件が勃発。村内の予備兵に召集下令があり、村内に一気に緊張感が流れた。 ・銃後後援会(後に奉公会)結成、村防護団結成・応召家庭の農作業奉仕。 ・軍の指示により、初めて防空演習が行われる。 ・国防婦人会結成(全村)、国民精神総動員長野県実行委員会(会長・県知事)坂井村支部(支部長・村長)結成。 ⇒日中全面戦争の開始に伴って始められた、国民の戦争協力を促す官製国民運動。「精動」と略されることもある。1937年(昭和12)8月第一次近衛文麿(このえふみまろ)内閣は「国民精神総動員実施要綱」を閣議決定し、同年10月「挙国一致、尽忠(じんちゅう)報国、堅忍(けんにん)持久」のスローガンのもとに国民精神総動員
2022-01-29
7上田映劇の内装上田映劇の内装 上田映劇は映画撮影やライブなどに合わせて一部改装されたりしているそうだが、建物自体は大正6年に建築されてから変わっていないため、歴史を感じる事が出来る建物となっている。 2014年に上映された「晴天の霹靂」のメイン舞台となっていたため、入り口には雷門ホールと看板が立てられたりしていた時期もあった。しかし、あくまで映画のセットとして付けられたものということもあり、耐久性が高くなく昨年撤去されたのこと。 上田の市街地に建てられていることもあり建物の横幅が広くないため、外側から建物を見ても建物自体が大きく見えない。だが、奥行きのある建物となっているため、シアターに入ってみるとシアター内の広さに驚かされる。 シアター内は一階と二階の二つに分かれているが、現在は安全上の問題で一階のみ利用可2022-01-26
8上田映劇の歴史 昭和まで上田映劇の歴史 昭和まで1917年に末広座跡に上田劇場が開館した。  当時は芝居、落語、講談、浪曲、歌謡などが催された。  上田劇場の前身となるのは末広座だが、末広座の開館日は不明である。  しかし、1912年の上田町地図に末広座、中村座が載っているとのことから 1912年以前に開館されていたと思われる。 1922年に発行された「上田市街明細図」に上田劇場、上田電機館、中村座が載っている。  1919年に「上田演芸館」というのも開館されたとされているが  詳しい場所の情報が無いため、上田市街明細図から探し出すことが困難だった。 昭和初期(1926~1932?)頃に上映するものを映画中心とし、 上田映画劇場と名称を変更。 1960年代後半 映画の人気がピークに至る。 1964年 桟敷(さじき)席から現在の椅子席(270席)に改築された。 映画館の話題から少2022-01-26
9サントミューゼサントミューゼ上田駅から10分ほど歩き、サントミューゼを訪れた。驚きであったのは、複合型文化施設であるということだ。演劇や演奏が行われるホールもあれば、美術館もある。他にも、普段から市民が利用できるような防音室や個室があった。ここに来れば、文化的経験ができると思わせてくれる場だった。芸術ふれあい事業など地域の文化活動の活性化にも貢献しているようだった。また、外は芝生の広場になっていて、ボール遊びをする人、ごはんを食べる人、何かをノートに書いている人がいて、いろいろな過ごし方をしていて、面白いと思った。2021-12-19
10舌喰池舌喰池この池は2000年前からある非常に歴史が深い池である。 さて舌喰池とは物騒な名前だ。諸説あるがこの名前の由来は水漏れがひどかったこの池を改修するとき堤の真ん中に人柱を入れなければ効果がないと言われ、くじ引きで人柱に選ばれた娘が舌を噛み切って自殺してしまったということからこの名前が来ている。その他にも塩田地方では土手の崩れることを「くいる」といい、土手を築くたびに下が崩れる「したくいる」が舌喰になったという説もある。 水鳥も飛来しており、カイツブリなどの様々な水鳥を見ることができる。 そのほかにも池のほとりはかなり広く芝生が生えきれいに整備されているので、池や水鳥などを眺めながらのピクニックにも絶好の場所となるだろう。 またこの池は全国ため池100選にも選ばれている。近くには資2021-11-17
11公園のジョウビタキ公園のジョウビタキ生島足島神社の近くにある公園に立ち寄ったらジョウビタキのオスが姿を現した。ジョウビタキは人家近くによく現れる人気の野鳥だが、下之郷にもジョウビタキがいた。 ジョウビタキは縄張り性の野鳥のため、ここへ訪れれば高確率で出会えるだろう。 ジョウビタキは目線の高さくらいのものにとまって獲物を捕まえる習性を持っているが、この公園は目線の高さのフェンスなどがありジョウビタキが好みそうなとまり台があった。これらにとまりながら芝生の虫や地面の実などを食べていたのではないか。2021-11-15
12自然豊かな公園、梅林公園自然豊かな公園、梅林公園春は梅が、夏には紫陽花が咲く美しい公園。年中花が咲いており、多くの人が訪れる。2021-05-05
13芝生田区新家の道祖神芝生田区新家の道祖神新家池下に建立されています。2021-02-22
14上田市立美術館サントミューゼ上田市立美術館サントミューゼ今までの投稿で長野県全体の美術館について探求してきた。今回は上田市の美術館であるサントミューゼについて調べていく。 〈サントミューゼの概要〉 サントミューゼ(上田市交流文化芸術センター・上田市立美術館)は、平成26年10月2日に開館しました。大小ホール、美術館、交流芝生広場など、多くの皆さまが芸術とふれあい、人々が交流する場として整備されています。 苗木を植え、育て、木になり、森になる 芸術を通じて感じたこと、体験したことは心のどこかにずっとあり続けます。 森になるには、長い時間がかかります。 でも、まちやひとが芸術や芸術家を通じて感じたことが、このまちの財産となって、いつか大きな木になり、森になってほしい。 サントミューゼがまちとともに続ける活動には、そんな想いを込めています。 2021-02-01
15上田のボス上田のボス名所、というわけではありませんが。上田城跡公園の芝生の広場を散策中に見つけたものです。遊具に紛れて強面のゴリラを発見しました。なぜゴリラなのか。フォルム的にこどもに遊んでもらいやすいものだからなのか、妙にリアル感があり観光客の目を引くためなのか。もしかしたら、この公園の守り神なのか。いや、なにも意味はないのか。考えれば考えるほど謎は深まるばかりです。もう一度言わせてください。なぜゴリラなのか。2020-11-05
16自然運動公園・広場自然運動公園・広場自然運動公園内には、体育館、プール、マレットゴルフ場、アーチェリー場等の施設があります。自然の傾斜を利用した「子供の広場」もあります。広い芝生に咲く黄色い花や、木陰にあるベンチが好みでした。緑に囲まれ、木陰も多いので、一休みにも最適です。2020-06-23
17塩田地域を一望できる・山王山公園塩田地域を一望できる・山王山公園塩田の山に構える前山寺(ぜんさんじ)。お寺から少し下ったところにあるのが山王山(さんのうやま)公園です。 公園からは塩田地域全体を見渡すことができます。特に夜や早朝に訪れると、普段とは違った塩田の景色を見ることができます。 園内は芝生が広がり、遊具もあるので家族で訪れても楽しむことができる公園です。2020-06-04
18塚田歴史伝説館塚田歴史伝説館巴波川沿いにある風情ある蔵の景観を見せてくれる江戸時代の材木問屋の家屋を歴史伝説館として公開しています。塚田家は江戸時代後期の弘化年間(1844~48)から木材回漕問屋を営んできた豪商でした。当時は木材を筏に巴波川から利根川を経由して江戸深川の木場まで運んだと言われています。蔵芝居《巴波川悲話》のロボット人形劇では、ロボットおばあちゃんの三味線演奏がとても印象深いです。2020-05-26
19生島足島神社生島足島神社生島足島神社へ行ってきました。神社の名前はよく聞くのですが、今まで行ったことがなかったので、気になって行ってみました。 生島足島神社は大きな池が特徴的な神社で、鳥居をくぐると池の上に社が建っていました。 池では鯉や鴨が泳いでいて、芝生で休んでいる鴨の姿もありました。 境内にはもの凄く独特な御神木がありました。印象に残る姿形をしていたので、思わず写真を撮ってしまいました。2020-05-26
20芝生公園のモニュメント芝生公園のモニュメント自分が通っていた小学校の横にある芝生公園のモニュメントです。小学校の時は何のモニュメントなのか不思議に思っていたのですがよく見てみると長野市野外彫刻賞をとった作品だということがわかりました。2020-05-26
21岳南忠霊廟岳南忠霊廟戦地へ行った人々を慰霊する目的でつくられた忠霊廟。敷地内には慰霊の心と平和を祈る文字が刻まれた石板がある。芝の地面が整備され桜の木が植えられており、季節には優美な印象を持つスポットとなる、穏やかな時間の流れを感じさせる場所である。2020-05-25
22東御中央公園東御中央公園東御中央公園は広大な芝生や木製のアスレチック、プールやテニスコートといった設備が整っており、豊かな自然を感じることができます。 散歩やピクニックで訪れる人も多い公園です。イベントなども毎年数多く行われています。2020-05-25
23東福寺野自然公園東福寺野自然公園標高300mの台地に広がる自然豊かな公園です。 園内には、時計台・芝生広場・大型複合遊具・ふわふわドーム・パークゴルフ場・郷土館・バーベキュー広場やSLハウスなど、子どもから大人までみんなで一緒に楽しめる施設がいっぱいあります。 また、晴れた日は富山湾を一望できます。 入場料はかかりますが、豊富なエンターテインメントでそれ以上の価値を得られると思います。 今回写真を撮ることはできませんでしたが、特にふわふわドームが有名で、巨大なドーム型のトランポリンのようなものには誰もが熱中します。2020-05-23
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