登録リスト(該当:19件)

写真タイトル説明登録日
1食生活(『西塩田青年団報』第4号(1946年11月25日)2頁)食生活(『西塩田青年団報』第4号(1946年11月25日)2頁)見出しに惹かれ読むと、想像より重い内容であった。私の本来のテーマからは少しばかり脱線しているかもしれないが、紹介させていただく。 敗戦にからめ、「武士は食わねど高楊枝」「腹が減っては戦ができぬ」といういわば真逆ともいえる二つのことわざに言及し、食の大切さを語る。 人間らしさとは何かを問うこの文章からは何とも言えない悲壮感が伝わってくる。敗戦後1年3ヶ月ほど経過した段階では、相変わらぬ絶望感がまだ日本中に漂っていたのだろう。 ▼資料出典元 #964 『西塩田青年団報』第4号(1946年11月25日)2頁2022-02-09
2現代用語の基礎知識(『西塩田青年団報』第33号(1949年12月20日)1頁)現代用語の基礎知識(『西塩田青年団報』第33号(1949年12月20日)1頁)その名の通り、現代日本において知られるようになってきた用語を紹介している。外来語についても紹介している。 今の私たちにとっては身近な言葉も、こうして徐々に浸透していったんだということがわかり、面白いと感じた。2022-01-27
3運動服調達 決算について(『西塩田青年団報』第32号(1949年11月20日)1頁)運動服調達 決算について(『西塩田青年団報』第32号(1949年11月20日)1頁)学校の野球・排球用のユニフォーム調達のための寄附結果を掲載、お礼している記事。 スポーツに対する協力体制が感じられ、スポーツが村民にとっても娯楽的に親しまれていることがわかった。2022-01-27
4新憲法とポツダム宣言(『西塩田青年団報』第5号(1947年5月20日)2頁)新憲法とポツダム宣言(『西塩田青年団報』第5号(1947年5月20日)2頁)明治憲法(大日本帝国憲法)が改正されたのは、憲法をポツダム宣言に沿う内容にしなくてはならなかったからだと主張している記事。改正後の憲法がポツダム宣言に準じているということを、実際にそれぞれの条文を比べることで示している。 日本を愛する人民として、新憲法とポツダム宣言は理解しておくべきだという主張が、当時の政治への意欲を表しているように感じた。2022-01-27
5拔け切れぬ弊習 村議戰を顧みて(『西塩田青年団報』第5号(1947年5月20日)1頁)拔け切れぬ弊習 村議戰を顧みて(『西塩田青年団報』第5号(1947年5月20日)1頁)記事発行以前に行われた村議員選挙において、それがいかに非民主的なものだったかということを痛烈に批判している記事。後ろ盾の無い民主団体や個人は不利な状態に立たされ、女性の候補者も一人も現れなかったという状況を、封建的なかつての選挙と変わらないと言っている。 戦前や戦時中ではこのような政治に対する批判は絶対にできなかったと思うので、自らの意見を自由に発信できる時代の訪れを感じた。2022-01-27
6スポーツ欄(『西塩田青年団報』第2号(1946年9月20日)4頁)スポーツ欄(『西塩田青年団報』第2号(1946年9月20日)4頁)地域の野球・卓球の体育祭典のリザルトを掲示した記事。 戦前ではスポーツをやる余裕など無かっただろうと思うが、こうして大会が開けるまでに平和が戻ってきたということを表す、微笑ましい記事だと感じた。2022-01-27
7民主苦言(『西塩田青年団報』第2号(1946年9月20日)1頁)民主苦言(『西塩田青年団報』第2号(1946年9月20日)1頁)農村の民主化政策に対して消極的、反動的な意見を排除して意欲的に民主化を進めようと呼びかけた記事。 GHQを中心とした国内改革の成果が見られる記事であるように感じた。2022-01-27
8英靈故山に還る(『西塩田青年団報』第1号(1946年8月25日)1頁)英靈故山に還る(『西塩田青年団報』第1号(1946年8月25日)1頁)戦死した五名の男子。その名前と戦死日時、場所が中央に大きく書かれていた。 この記事における「英靈」とは死者、特に戦死者の霊を敬って言う語を意味していると思われ、「故山」とは彼らの故郷。 つまり、故郷に遺体という形ではあるが再び還ってきた五名の霊を追悼しよう、という心がけが見受けられる。 国のために命を捧げて死ぬのは美徳であり、仕方ないことだという戦前の考え方が薄れてきているようにも思えた。2022-01-27
9ビタミンの話(『西塩田青年団報』第5号(1946年12月25日)3頁)ビタミンの話(『西塩田青年団報』第5号(1946年12月25日)3頁)記事では、ビタミンは人間が生きていくうえで不可欠な物質であるとした上で、摂取すべき食材が各ビタミンごとに示されている。 ビタミンB1不足によって起こる脚気はかつて国民病であったというが、戦後になって知識が広まり、食料不足も次第に解消されたことで、ようやく解決に向かったのだろう。 ▼この記事は以下から参照できます。 #973 『西塩田青年団報』第5号(1946年12月25日)3頁2021-12-14
10『火事』( 『西塩田青年団報』第2号(1946年9月20日)3頁)『火事』( 『西塩田青年団報』第2号(1946年9月20日)3頁)地震・火事・雷は恐ろしく、地震と雷は不可抗力であるが火事はまったく不可抗力ではない。といったことが述べられている。 お互いに注意をすれば火事を未然に防ぎ、もし起こったとしても被害を最小限に抑えられるという小さいことだがとても大切なことであると気づかされた。 この記事は以下から参照できます #957 『西塩田青年団報』第2号(1946年9月20日)3頁2021-12-14
11地方選挙に望む『西塩田青年団報』第4号(1946年11月25日)1頁地方選挙に望む『西塩田青年団報』第4号(1946年11月25日)1頁選挙の理由や意義または仕組みなどが書いてあった。選挙の制度が地方選挙では村長・議会議員・知事などを決める。選挙に出るものは私的な欲望ではなく、村の代表として信頼される人物が望ましいとも記述してあった。 今でも選挙が行われており、昔の名残も残っているように感じ、面白いと思った。 『西塩田青年団報』第4号(1946年11月25日)1頁2021-12-13
12第二次農地改革に就て(『西塩田青年団報』第4号(1946年11月25日)1頁)第二次農地改革に就て(『西塩田青年団報』第4号(1946年11月25日)1頁)農地改革に関する記事。 戦後日本で行われた政策のひとつである農地改革の実際の内容を見て取れる。 これにより土地を得た人と取り上げられた人がいることが良くわかる。 農地委員か地方長官の許可がないと取得・取り上げが行えず行政の管理下に置かれている。 ▼この記事は以下から参照できます。 #963 『西塩田青年団報』第4号(1946年11月25日)1頁2021-02-10
13本秋の麥作に就て(『西塩田青年団報』第2号(1946年9月20日)1頁)本秋の麥作に就て(『西塩田青年団報』第2号(1946年9月20日)1頁)麥作に関する記事。 各農家へのお願いが書かれている。 食糧危機ながらも乗り越え、稲作も順調に進んだとあり、食糧不足に光明をもった様子。 肥料不足は続いている模様。 ▼この記事は以下から参照できます。 #955 『西塩田青年団報』第2号(1946年9月20日)1頁2021-02-10
14事業部の構想(『西塩田青年団報』第1号(1946年8月25日)2頁)事業部の構想(『西塩田青年団報』第1号(1946年8月25日)2頁)戦後、西塩田青年団報となった。 「事業部の構想」の記事。 終戦後の復興に向けた心構えや意気込みが見て取れる。 食糧不足も続いており、遊休土地の利用や未利用資源の活用などぎりぎりの状況である。 ▼この記事は以下から参照できます。 #952 『西塩田青年団報』第1号(1946年8月25日)2頁2021-02-10
15太平洋戦争における上田地域の状況太平洋戦争における上田地域の状況上田地域は上田合戦や太平洋戦争など数々の戦いに関わっているが、とりわけ日本の総力を挙げて戦った太平洋戦争では様々なモノ・事・人に影響が出ている。そのような状況を上田地域ではどのようであったのか調査したいと思う。どんな生活だったのか、行政は何をしていたのかなど見ていき当時の戦争を考えていきたい。ネット情報や「西塩田時報」のような資料、国会図書館デジタルコレクション、上田市立公文書館などで戦争に関する資料(農業や徴兵、訓示など)を調べる予定。 「西塩田時報」を中心に調べた結果。 農會欄(『西塩田村公報』第1号(1941年3月30日)2頁) 農會欄(『西塩田村公報』第3号(1942年2月15日)2頁) 2020-12-21
16ビタミンの話(『西塩田時報』第5号(1946年12月25日)3頁)ビタミンの話(『西塩田時報』第5号(1946年12月25日)3頁)ビタミンについて説明している記事である。(一)ビタミンの人体内に於ける役割、(二)ビタミンの種類、(三)主なるビタミンの分布並に缺乏性という3つの小見出しがある。昭和21年12月25日までに見つかっていた主なビタミンの種類や効果が文章や表形式で分かりやすく説明されている。 ビタミンをVと略していることや、昭和21年12月25日までのビタミンについての情報が分かりやすく書かれていて面白いと思ったため、この記事を採り上げた。 ▼この記事は以下から参照できます。 #973 『西塩田青年団報』第5号(1946年12月25日)3頁2020-12-14
17民主々義と現代青年の任務(『西塩田時報』第1号(1946年8月25日)3頁)民主々義と現代青年の任務(『西塩田時報』第1号(1946年8月25日)3頁)戦後日本が民主主義を採用することは必然であり、日本独自のデモクラシーを建設して日本の存在意義や世界への貢献としようという記事。 終戦後日本は民主主義国家へとなっていくがアメリカやイギリスの真似ではなく日本独自の天皇を戴く民主主義を建設しなければならないといったような内容が書かれており、国家のアイデンティティというものを考える面白い記事である。 ▼この記事は以下から参照できます。 #953 『西塩田青年団報』第1号(1946年8月25日)3頁2020-12-14
18虫牙虫発生と防除法(「西塩田時報」第4号(1946年11月25日)1項虫牙虫発生と防除法(「西塩田時報」第4号(1946年11月25日)1項私は、この記事が面白いと思った。この記事には、この時代の農作物情報も載っており、豆牙虫の防除方法まで書いてある。 また、この時代にこの虫のせいで大きな損をしたことも書いてあり、時代背景が良くわかる記事だなと思った。 この記事は以下から参照できます。 #963 『西塩田青年団報』第4号(1946年11月25日)1頁2020-12-14
19『西塩田時報』Vol.2(戦後編1946~1956)ページごとの画像『西塩田時報』Vol.2(戦後編1946~1956)ページごとの画像それぞれはJPG画像です。ダウンロードしてお使いください。 (『西塩田時報』全ての号のページごとの画像リンクHTML記述データはコチラ。) #951 『西塩田青年団報』第1号(1946年8月25日)1頁 #952 『西塩田青年団報』第1号(1946年8月25日)2頁 #953 『西塩田青年団報』第1号(1946年8月25日)3頁 #954 『西塩田青年団報』第1号(1946年8月25日)4頁 #955 『西塩田青年団報』第2号(1946年9月20日)1頁 #956 『西塩田青年団報』第2020-12-06
地図で見る


ログイン トップページへ