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登録リスト(該当:18件)
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1
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写真
タイトル
説明
登録日
1
別所温泉将軍塚
常楽寺参道入口にある中型の円墳で将軍塚と呼んでいる。この地方の相当の有力者を葬った。墳上には鎌倉時代の七層の石造多層塔が建っている 引用元 Ueda City Database ( 2581070) https://museum.umic.jp/johogura/bessho/2581070/2581070.html
2023-02-04
2
お菓子の歴史(点心時代)
菓子は一日二回の食事の間に食べる間食用として長く続いていたが、鎌倉時代になると都会では三食制となったため、菓子は嗜好品になり、一般庶民からは縁のないものになった。 そのころ、茶が日本に渡来して、喫茶が流行した。その際に使用する菓子を「点心」と呼ぶ。もともと、点心とは定食と定食との間の小食であり、間食やおやつを意味する。点心には主に羹(あつもの)という汁と、まんじゅう類があり、それぞれ多くの種類がある。これらが和菓子の発展に繋がっていった。 守安正 著『お菓子の歴史』,白水社,1965. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2507981 (参照 2023-01-27)
2023-01-27
3
別所温泉の歴史
塩田平を囲む山なみの西方にそびえる夫神(おがみ)岳のふもとに、この地方の古い歴史とともに、絶えまなく湧き続けて来たのが別所の温泉である。この自然の出湯と人とのかかわりは、夫神岳の麓から古代の布目瓦が多数発掘されたことによっても、その古さが想像される。 国造や国府の所在していた古代から、庶民の安息療養の場所であり、また温泉の効能と医薬信仰が、やがて仏教の霊場としての北向観音堂となったであろう。 別所の温泉は昔から”七久里(ななくり)の湯”と呼ばれたといわれ、平安時代の有名な和歌集にもその名をとどめている。 鎌倉時代には北条氏の居館塩田城にも近いので北条一族の好んで来湯することも多かったと想像される。国宝八角三重塔のある名刹安楽禅寺は北条氏の開基によるところから、別所とい
2023-01-26
4
常楽寺
北向観音の本坊で、鎌倉時代には天台数学の道場として栄えていた。境内には国の重要文化財に指定されている石造多宝塔があり、苔が生えていて趣を感じることができた。樹齢350年の「御船の松」は、とても立派な松だった。 別所温泉旅館組合「別所温泉のオススメ観光情報[公式]」 https://www.bessho-onsen.com/ (最終閲覧2023/1/26)
2023-01-25
5
別所温泉 解説
塩田平を囲む山なみの西方にそびえる夫神(おがみ)岳のふもとに、この地方の古い歴史とともに、絶えまなく湧き続けて来たのが別所の温泉である。この自然の出湯と人とのかかわりは、夫神岳の麓から古代の布目瓦が多数発掘されたことによっても、その古さが想像される。 国造や国府の所在していた古代から、庶民の安息療養の場所であり、また温泉の効能と医薬信仰が、やがて仏教の霊場としての北向観音堂となったであろう。 別所の温泉は昔から”七久里(ななくり)の湯”と呼ばれたといわれ、平安時代の有名な和歌集にもその名をとどめている。 鎌倉時代には北条氏の居館塩田城にも近いので北条一族の好んで来湯することも多かったと想像される。国宝八角三重塔のある名刹安楽禅寺は北条氏の開基によるところから、別所という地名は
2023-01-25
6
安楽寺
別所温泉駅から徒歩10分程度のところにある安楽寺に訪れた。 鎌倉時代中期には鎌倉北条氏の外護により禅寺として栄えた曹洞宗のお寺。門までの杉並木に圧倒されたと同時に、二つの池もまた風情を感じた。常楽寺に続き、別所三楽寺の一つである安楽寺にもぜひ訪れてほしい。
2022-10-30
7
安楽寺本殿
天長年間(824〜834)の創立と言われている。 曹洞宗の寺院 当時の国宝、重要文化財など、多くの鎌倉時代の文化遺産を貯蔵する、信州最古の貴重な禅寺となっている。 真田太平記では、真田幸村が別所温泉を訪れた際の常宿(隠れ宿)として、そして草のものの隠れ家として記されている。
2022-10-23
8
別所神社
熊野本宮大社の分霊のため、鎌倉時代(1190~1199年の間)に「熊野社」として建てられた。その後、天和2年(1682年)に現在の場所に転移建設され、明治11年(1878年)に「別所神社」に改称された。
2021-12-21
9
三楽時(安楽寺・常楽寺・長楽寺)
安楽寺の創設ははっきりしていないが、729~749年の間に高層として知られる行基(ぎょうぎ)によって、また、824~834年の間に慈覚大師円仁によって開かれたという説がある。国宝にも指定された八角三重塔があり、こちらに使われている木材を調査したところ、正応2年(1289年)に伐採した木材が内部に使用されていたことがわかり、13世紀末に建築された塔であると考えられている。 常楽寺は北向観音堂と同じく天長2年に建てられた。境内には樹齢350年とも言われる宝船ののような御船の松があり、この宝船で阿弥陀様が極楽浄土に導いてくれるという。また、本堂の裏には北向観音の霊像が出現したとされた場所に700年もの歴史がある石造多宝塔が保存されており、鎌倉時代に天台宗の拠点として栄えていたことが伺える。 長楽寺は焼失して現在は存在
2021-12-21
10
安楽寺・八角三重塔
黒門を抜けて向かったのは安楽寺、八角三重塔。ココでは主に国宝である八角三重塔を見てきた。 この塔は一見四重に見えるが、一番下の屋根がひさしに相当する「裳階(もこし)」にあたることから、裳階付き八角三重塔として認定された。 建築年代は明らかになっていないが、鎌倉時代末期が定説となっている。また、建築様式については、当時中国の最新技術であった唐様が用いられ、和洋の塔とは違った重厚な佇まいになっている。 下から見上げることで重厚感や塔の存在がより際立って見えた。秋に訪れたこともあり、紅葉とのコラボレーションが素晴らしく綺麗だった。
2021-11-14
11
戸隠神社
急峻な山容と、裾野を潤す豊かな水が、 古くから農耕民に仰がれ、 水をつかさどる神・九頭龍が棲む所とあがめられていた戸隠山。 鎌倉時代の仏書「阿娑縛抄(あさばしょう)」には、 849年、戸隠山を開山した行者・学問が窟の中で祈念して 九頭一尾の龍が現れたことが記されています。 その後は、多くの修験者が入り、 信仰と修験者のメッカとして栄えた神域・戸隠。 その名残は今も、戸隠古道や戸隠神社、宿坊にみられ、 毎年春から秋にかけて全国から講仲間が大勢この地を訪れ、 代々継がれてきた御神楽、祭りの数々が献奏されます。 戸隠奥社
2021-05-16
12
そばの歴史
蕎麦が日本の歴史上はじめて文献に登場するのは、奈良時代の歴史を記した「続日本記」で8世紀頃。栽培の容易な蕎麦は救荒作物として奨励された。 鎌倉時代、室町時代になると頻繁に文献に登場。そばの栽培が普及していった 江戸時代には信濃国本山宿から蕎麦を麺状にする「そばきり」が全国に広まったと伝えられている。とりわけ江戸では信州そばがルーツとされる江戸そばが大変な賑わいを見せる。 江戸で1789年に信州の行商人が信州更科蕎麦屋を始めたのをきっかけに、藪そばと共に江戸中にそばが広まった。
2021-05-14
13
龍光院
鎌倉時代に建立された曹洞宗のお寺である。 ここら辺一帯を支配していた塩田北条氏は鎌倉幕府執権の北条氏の血筋であった。 また、山菜料理を提供している。 門には武田氏の御札が貼られているのを見つけた
2021-05-05
14
中国寧波市との友好の証「石刻獅子像」
鎌倉時代に上田の地に禅宗文化を伝えた別所温泉安楽寺の開祖樵谷惟遷などが寧波と往来したという縁から平成7年に上田市と友好交流都市提携を結びました。この像は友好交流提携10周年を記念して寧波市から贈呈されました。上田市からは「上田獅子」の石彫レリーフを送りました。
2020-11-05
15
安楽寺と八角三重塔
安楽寺に続く道のり。とてもいい写真が撮れた。自然と一体になれる感じがする。八角三重塔は近くで見ると迫力があった。鎌倉時代からあるとは思えないほど綺麗で立派だった。
2020-10-21
16
八角塔
安楽寺の八角三重塔。鎌倉時代の木造建築とは思えないほど美しく独特の雰囲気がある場所だった。
2020-10-16
17
「信州の学海」碑
かつて塩田を「信州の学海」と呼んだのは、鎌倉時代の高僧・無関普門。遠地へのアクセスも困難であった当時、遠方から学問を修めに塩田の地まで人々がやってきたことを象徴する呼称です。「学びの海」、なんとまた意味深い言語化かと思います。 塩田中学校に「信州の学海」碑があります。 「信州に却回して塩田に館す乃ち信州の学海なり」 確かに碑にその謂れが刻まれています。 cf.塩田中学校のホームページにも紹介されています。
http://www.school.umic.jp/shioda/2008/0603-104114.php
2020-09-12
18
上田なのに鎌倉・・・?
生島足島神社からすぐ西側の道にこんな看板が立っていました。 「鎌倉道遊歩道?上田なのに?」と思い写真を撮りました。 後に調べてわかったことなのですが、ここ塩田平は鎌倉時代に塩田北条氏が統治したことから「信州の鎌倉」と呼ばれているそうです。
2020-05-26
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