はじめての方へ
|
新規ユーザー登録
ログイン
カテゴリ選択
最初の投稿
藤本史料ピックアップ
ようこそ上田!
歴史文化スポット
地域の記録
自然
温泉・観光・食
祭・イベント
商品・工芸品
気になるスポット
地域めぐり・まちあるき
旅れぽ
文書記録
写真記録
講座等記録
面白記事抄
私の地域探求
上田のelaboration
人物伝
2020信州上田学A
2020信州上田学B
2021信州上田学A&B
2022信州上田学
プロジェクト研究
地域学習研修記録
公文書利用地域学講座
長大サミット2021
その他
登録リスト(該当:461件)
≪
1
2
3
4
5
≫
写真
タイトル
説明
登録日
1
~番外編~
映画「サマーウォーズ」(2009)も上田市が舞台となった映画です! 上田駅周辺の「上田城跡公園」「海野町商店街」、別所線からは少し外れますが、「砥石・米山城跡」「上田高校」などがモデルとなっているシーンが登場します。 上田駅構内や別所線の特徴でもある丸窓が描かれているシーンもあります。 https://nagano-ueda.gr.jp/s-wars/guidemap.html
2023-02-08
2
上田蚕糸専門学校
また、明治43年には上田蚕糸専門学校(現・信州大学)が設立された。中等教育期間である小県産業高校と、高等教育機関である上田蚕糸専門学校が上田に作られたことは、上田の養蚕業・蚕糸業の繁栄ぶりが窺える。 現在の信州大学繊維学部は、日本で唯一の繊維学部である。 参考サイト:みんなでつくる信州上田デジタルマップ ▼この資料は以下から参照できます ぶ「信州大学繊維学部」 https://d-commons.net/uedagaku?c=&p=11526 (2023/02/06)
2023-02-08
3
西塩田時報から学ぶライフハック④
西塩田公報には『家庭メモ』というコラムがあり、生活に役立つコツやレシピなどを紹介している。 ここでは私が気になった記事を紹介していく。 ~この記事で知ることができるライフハック一覧~ ・味噌のカビを防ぐには笹の葉を表面に敷き詰める ・食塩をさらさらのまま保存するには、容器の底に粉炭を入れてその上にザラ紙(新聞紙などのわら半紙)を12枚敷き詰めておく ・水虫対策には、煎茶を患部に当てる ・切り傷に応急手当には、煙草の粉を患部に当てておくと出血が止まる ・醤油の白カビを防ぐには容器に焼酎を入れておく ・やけどをしたときにはきゅうりの種を綿にしみこませて患部に当てると痛みも引き水ぶくれにもならない。 今回は応急手当だったり、調味料の保存法の知恵ですね。私が気になったのは「煙草の粉」
2023-02-08
4
西塩田時報から学ぶライフハック③
西塩田時報には『家庭メモ』というコラムがあり、生活に役立つコツやレシピなどを紹介している。 ここでは私が気になった記事を紹介していく。 ~この記事で知ることができるライフハック一覧~ ・玉ねぎを調理するとき、ぬるま湯の中で皮をむくと涙も出ないし、手にも臭みが残らない ・天ぷらの衣にはすりおろしたとろろ芋やベーキングパウダー、重曹を混ぜると軽くておいしい衣になる ・魚を焦がさずに焼くには、尾やヒレなどの焦げやすい部分に塩を塗ってから焼くとよい。また二をかぶせて焼くと熱が逃げないので、上手に焼ける パンを薄く切るには包丁を熱い湯につけて温めてから切るときれいに切れる ・革物の汚れには揮発性のもので洗った後、コールドクリームか靴クリームを薄く塗る 今回は調理の知恵が多いです。天
2023-02-08
5
小県蚕業学校
現・上田市付近である当時の長野県小県郡では、明治25年に小県蚕業学校(現・上田東高校)が全国に先立てて設立された。蚕業教育の充実化が図られていたため、先ほどの小説が作成された明治29年当時も、小県郡の蚕産業は盛んだったことが推測できる。 参考サイト:みんなでつくる信州上田デジタルマップ ▼この資料は以下から参照できます。 ミッチー「小県蚕業学校(『上田市史』下巻1940)」 https://d-commons.net/uedagaku?c=&p=2303 (2023/02/06閲覧)
2023-02-06
6
村のトピック
村での些細な出来事を取りあげられている。お祭りや講演などのイベントから、火の用心といった注意喚起まで、町中の出来事が掲載されている。 現在の広報と似ている部分であり、何年経っても続いているのが面白いと思った。 「西塩田公報」昭和26年6月10日 https://www.mmdb.net/mlab/uedagaku/pdf/nishishioda/vol2.pdf
2023-02-08
7
農事メモ
農業で大切になるポイントや注意すること、栽培方法などがメモとしてまとめられている。 「馬鈴薯の収穫は必ず乾燥した時に実施して下さい」など、農業初めての人でも読んだら分かりやすく、ここまで詳しく説明する広報は見たことがないため、面白いと感じた。 「西塩田公報」第59号 昭和27年7月5日 https://www.mmdb.net/mlab/uedagaku/pdf/nishishioda/vol2.pdf
2023-02-08
8
元旦の広告欄
ページ全体の2/5が別所温泉 花屋ホテルの広告となっている。 #16
『西塩田時報』第4号(1924年1月1日)2頁
2023-02-05
9
別所温泉 北向観音 まめまき
北向観音では豆まきの行列が本坊常楽寺を出発する。芸能人や七福神、鬼も加わっての道中となる。観音堂で法要の後、福引き入りの豆やサインボールが投げられる。 引用元 Ueda City Database ( 2690054) https://museum.umic.jp/johogura/bessho/2690054/2690054.html
2023-02-04
10
ふれあいの里公園
塩田の館を中心とした庭園風の公園です。独鈷山を背景に四季を通じて楽しめるよう、さまざまな樹木が植えられています。また高台の地形を生かしてあるため、塩田平が一望できます。 引用元 Ueda City Database ( 2032014) https://museum.umic.jp/johogura/nishishioda/2032014/2032014.html
2023-02-04
11
別所温泉遠景
引用元 Ueda City Database ( 3032029) https://museum.umic.jp/johogura/bessho/3032029/3032029.html
2023-02-04
12
別所温泉将軍塚
常楽寺参道入口にある中型の円墳で将軍塚と呼んでいる。この地方の相当の有力者を葬った。墳上には鎌倉時代の七層の石造多層塔が建っている 引用元 Ueda City Database ( 2581070) https://museum.umic.jp/johogura/bessho/2581070/2581070.html
2023-02-04
13
実践講座2:地域資料のデジタルアーカイブ化講座[第1回]
【講座タイムテーブル】 ゲスト講師:小平千文さん(上田小県近現代史研究会会長)、桂木恵さん(同事務局長) 10:00 講座のねらいと概要 10:15 藤本蚕業歴史館・概要 10:30 藤本蚕業歴史館・バックヤード資料見聞 11:00 藤本蚕業の資料整理をふり返る (12:00 休憩) 13:00 資料整理の課題と方法、資料目録の作成~藤本蚕業所蔵資料を例に~ (14:20 休憩) 14:30 受講者の皆さんのデジタルアーカイブ構築課題を聴きあう 16:00 終了 ▼参考サイト 本講座では次のアーカイブサイト構築をモデルケースとしてご紹介いたします。 藤本蚕業歴史館アーカイブ(史料目録) https://d-commons.net/fujimoto-index/ 藤本蚕業アーカイブ(デジタル化資料) https://d-commons.net/fujimoto-arch/ ▼実習用サイト みんなでつくる信州上田デジタルマップ https://d-commons.net/uedagaku/
2023-02-03
14
あんかけ焼きそば
中華料理の定番メニューとして知られているが、上田市に訪れたときは一度は食べておきたいご当地グルメ。 蒸した中華麺を油で焼きつけるようにして炒めるか、油で揚げたものの上に、肉や魚介、野菜などを炒めて、調味料やスープ、片栗粉を加えて作った餡をかけたものである。上田市であんかけ焼きそばが有名な店として「日昌亭」「福昇亭」などが挙げられる。 引用元https://d-commons.net/uedagaku?c=&p=10786 https://mecicolle.gnavi.co.jp/report/detail/5785/
2023-02-01
15
おやき
「おやき」は、小麦粉と蕎麦粉を水または湯で溶いて練り、薄くのばした皮にあんや野菜など旬のものを包み焼いたもので、信州を代表する郷土料理。 地域によっては「やきもち」とも呼ばれる。平成21年10月に、おやき事業者20社により「信州おやき協議会」が設立され、信州おやきの文化を守り発展させていくこと、全国的認知度を向上させていくこと、顧客満足のための品質向上を図ることを目的とし、おやきに関する各種イベントや勉強会、おやきつくり教室などをおこなっている。 引用元https://d-commons.net/uedagaku?c=&p=54244 https://www.maff.go.jp/j/keikaku/syokubunka/k_ryouri/search_menu/menu/oyaki_nagano.html#:~:text=%E3%80%8C%E3%81%8A%E3%82%84%E3%81%8D%E3%80%8D%E3%81%AF%E3%80%81%E5%B0%8F%E9%BA%A6%E7%B2%89%E3%81%A8,%E3%81%8C%E7%99%BA%E8%A6%8B%E3%81%95%E3%82%8C%E3%81%A6%E3%81%84%E3%82%8B%E3%80%82
2023-02-01
16
野沢菜
地元の親戚から野沢菜をお土産に買ってきて欲しいと言われるくらい、長野では有名な郷土料理。野沢菜漬けの原料「野沢菜」は、アブラナ科の植物で、菜の花の仲間。野沢菜は漬物が有名だが、栽培の際に間引かれたものは地元ではお浸しなどにして食べられている。また、上田市で有名な「おやき」の具材としてもよく使われている。 引用元https://d-commons.net/uedagaku?c=28&p=4078 https://mail.google.com/mail/u/1/?tab=wm&ogbl#inbox
2023-02-01
17
信州そば
長野県と言えば「信州そば」と言われるほど有名な郷土料理。時期を問わず食べられているが、そばは年二回の収穫時期があり、収穫仕立ての新そばが美味しいと言われている。信州の新そばは一般的に10月中旬から11月上旬に出回る。 引用元https://d-commons.net/uedagaku?c=&p=11581
2023-02-01
18
1997年の上田駅 新幹線開通に向けて
今回は1997年6月、新幹線開通に向けて改装工事中の上田駅を見ていく 画像は前回と同じく「さいきの駅舎訪問様(http://ekisya.net/A-GENEKI/160-SINETU/161-UEDA.html)」より引用する 1997年、長野駅高崎駅間が開通された それに際し、上田駅は駅舎を改築、現在の上田駅駅舎の形へと変化を遂げた。
2023-02-01
19
1950年の上田駅
こちらは1950年の上田駅の様子だ (さいきの駅舎訪問より引用 http://ekisya.net/A-GENEKI/160-SINETU/161-UEDA.html) 1950年11月に上田駅は改築されたようで土産物屋のある観光指向の強い駅舎であるということが窺える。
2023-02-01
20
昭和48年の広報うえだのキッチンダイヤル
昭和48年広報うえだのキッチンダイヤルの献立だ。 28日にすきやきうどんとある。 https://museum.umic.jp/iiif/pdf/ueda-kohoS480416.pdf
2023-02-01
21
サントミューゼ
上田市には上田市交流文化センター「サントミューゼ」がある。サントミューゼという名前は「蚕都(さんと)」に由来する。立派な大ホールでは、しばしばミュージカル、演劇など様々な芸術を鑑賞することができるので、興味を持った方がいたらぜひ足を運んでほしい。 参考サイト:みんなでつくる信州上田デジタルマップ ▼この資料は以下から参照できます yin「市民の交流の場 サントミューゼ」 https://d-commons.net/uedagaku?c=&p=11229 (2023/01/27) 以上のことから、上田と養蚕は切っても切れない関係であることがわかった。上田市の発展は、養蚕の発展によるものと言っても過言ではない。また、養蚕と演劇にも関係があることがわかった。演劇は、リアルに、生で感情や想いを伝えられる・受けとれる手段であり、養蚕の歴史を残すための手
2023-01-27
22
うどん屋があげられている!
上田市制70周年記念タイムスリップ手作り城下町という記事があった。 400年前の城下町を再現しようというものだった。写真は、多くの人が訪れている様子がある。 お茶屋、うどん屋、野菜売り。そば屋がいない! http://db.umic.ueda.nagano.jp/data/johogura/datadisp.php?arg_sano=2049058
2023-02-01
23
西塩田時報から学ぶライフハック②
西塩田公報には『家庭メモ』というコラムがあり、生活に役立つコツやレシピなどを紹介している。 ここでは私が気になった記事を紹介していく。 ~この記事で知ることができるライフハック一覧~ ・壁についたインクや墨汚れを落とすには白布に食酢を二倍に薄めたものをぬらして拭く ・手についた魚臭さはミカンの皮を茹で、その煙を手に当てると匂いは消える ・鼻が詰まるとき、洗ったドクダミの葉を塩でもみ、細かく刻んだものを鼻の中に入れる。30分から1時間ほど待機×3回ほど行うと鼻詰まりが解消される。 薬が簡単に手に入らない時代だと思うので、こういった身近な植物を使った治療法が良く記載されています。 現代でもこの知識は活用され、薬という風に形を変えて存在しているものも数多くあります。昔の人の知識
2023-02-01
24
西塩田公報から学ぶライフハック①
西塩田公報には『家庭メモ』というコラムがあり、生活に役立つコツやレシピなどを紹介している。 ここでは私が気になった記事を紹介していく。 ~この記事で知ることができるライフハック一覧~ ・サビた包丁には大根の切り口に歯磨き粉をつけて磨く ・おでき(ニキビ?)には患部に直接ゴボウの葉を当てて縛っておくと膿が抜ける ・新品の歯ブラシを使う前に熱い塩水に水が冷めるまでつけておき、しっかりと乾かしてから使うと二倍長持ち ・味付けをする際、塩は砂糖よりも材料にしみこむ速度が速いため、砂糖は先に使うこと 現代では用途によってさまざまな洗剤や掃除用具が存在 していますが、この記事掲載時(昭和28年4月5日)にはまだそういったものはなく、知恵を用いて生活をしていたことがうかがえます。 また、
2023-02-01
25
上田のスポーツ
塩田地域では青年たちによるスポーツの大会が開かれており、競技は野球とバレーでした。記事の内容には競技のなかでのスポーツマンシップについてやどんなプレーがでたのかが書かれていました。 それとは別にも村の体育祭も開催されていました。多様な種目にわたるものになっており、おもしろい名前の競技もありました。「まずいっぷく」や「2百才リレー」などがとても興味をもちました。 また、現在でも上田オール西部というソフトボールチームが存在しています。大会に優勝し北海道での全国大会に行くことも書かれています。同様にバレーもママさんバレーとしてチームがあり、こちらも優勝を経て全国大会に行っています。これらも過去の歴史として地域で盛んだったスポーツの熱が残っていることが一つの地域の伝統なのではないでし
2023-02-01
26
小学校だより 運動部
学校だよりの内容はいまの小学生がもらってくるものと同じで保護者向けのものでした。しかし今よりも謙っておりとても丁寧に固い表現な印象をうけました。 運動部の欄では野球部の部分のみを投稿しているがそれぞれの部活動のメンバーがフルネームで掲載されていました。プライバシー面で今は論争が巻き起こりそうですね。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1260 『西塩田公報』第83号(1954年8月5日)4頁 リンクする場合は以下のようにHTMLで記述する “”は付けないこと
https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p1261.jpg
2023-01-31
27
川西野球排球大会
塩田の地区でスポーツの大会が開かれていたことを初めて知りました。こども達のリトルやクラブチームの試合は現在でもありますが、地域で試合が開かれていたことに驚きです。中塩田や室賀などのいまでも知っている地名が野球やバレーができるほどに人数が集まっていたことが一番の驚きです。いまもやってほしいですね。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1260 『西塩田公報』第83号(1954年8月5日)4頁 リンクする場合は以下のようにHTMLで記述する “”は付けないこと
https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p1261.jpg
2023-01-31
28
野沢菜
野沢菜は、県の北東にある野沢温泉村の住職が宝暦6年に京都から天王寺かぶを持ち帰り植えたのが始まりといわれている。温暖な地域の天王寺かぶは、標高600メートル近くもある高冷地の野沢温泉村の気候風土により突然変異を起こし、根が育たず葉と茎だけが大きくなり地域独特のものとなった。味は美味しいと好評で、地名の付いた「野沢菜」として広まっていった。 野沢菜食べたことがあったが画像のツルヤの野沢菜油炒めが特別美味しかった。漬物に香ばしさが追加されるだけでこんなにうまいかという感じだった。 参考文献 https://nozawakanko.jp/about/nozawana/ https://d-commons.net/uedagaku?c=28&p=4078
2023-01-30
29
やたら漬け
やたら漬けの名前は、なすやきゅうり、しその実やみょうがなど、「やたら野菜を使って、やたらおいしい」ことが由来だという。半年かけて漬ける冬の保存食で、何種類もの野菜を使う。通常、漬け物の野菜は全部同時に漬け込むが、やたら漬けはそれぞれの野菜の収穫時期が異なるので、季節別に漬け物桶に塩漬けにしておく。その後11月頃に、塩抜きした野菜を粗く刻み、唐辛子や調味液に数日ほど漬け込んで完成する。 由来にもある通り、様々な野菜を使われていて食感が非常に楽しい漬物だと感じた。山形県のだしに通ずるものがあるような食べ物だという印象を受けた。ご飯が進む味付けでくどさがなくたくさん食べれるものだと感じた。 参考文献 https://www.maff.go.jp/j/keikaku/syokubunka/k_ryouri/search_menu/menu/40_30_hyogo.html https://d-commons.net/uedagaku/j22
2023-01-30
30
鯉こく
佐久市に伝わる「鯉こく」は、大胆に筒切りにして味噌で煮た汁もので、佐久地域の正月には欠かせないものとなっている。佐久ホテルの篠澤社長の八代前の先祖の篠澤佐五右衛門滋野包道が延享3年(1746)の正月6日に伊勢神宮の福島鳥羽大夫神官を邸宅に招き、「鯉こく」を食べさせたことがきっかけで正月に「鯉こく」を食べるようになった。 実際に鯉の切り身を買ってきて作ってみた。汁気をかなり飛ばす料理で非常に時間と手間がかかる料理という印象を受けた。凝縮された味付けで鯖味噌が一番近い味付けだと感じた。 https://d-commons.net/uedagaku?c=28&p=7106 https://life.ja-group.jp/recipe/detail?id=8279
2023-01-30
31
「d-commons.net UI磨き上げ」まとめ(2022年度 プロジェクト研究)
タイトル:d-commons.net UI磨き上げ 概要:d-commons.net上に存在しているUIの課題点を発見し、解決案を考察する。UIの利便性向上を図り、更に洗練されたサイトにするためのブラッシュアップを促す。加えて、d-commons.netをより面白くするためのアイディアを考案する。 ・マイテーマ
プロジェクト研究 信州上田デジタルマップ 課題探求 2022前期
教員向けd-commons.net(eduスクウェア)の研修会 アンケート結果&考察
プロジェクト研究 信州上田デジタルマップ 課題探求 その他考察
2023-01-30
32
2022年度 プロジェクト研究発表会資料「d-commons.net UI磨き上げ」
本記事に登録されている画像は、2023年1月28日「プロジェクト研究発表会」で使用した資料(画像版)です。 画像表示されているものと、クリップファイルに登録されているものは同一のスライドです。お好きな方法で閲覧してください。 また、こちらはPDF版の資料です→
PDF版
2023-01-30
33
プロジェクト研究(長野大学前川ゼミ)2022アウトカム
長野大学企業情報学部前川ゼミ/プロジェクト研究2022成果報告 ▼前川ゼミ2022成果報告 47分 ゼミメンバーの各自が成果を報告しています。(発表順は以下の順と同じ)
▼前川ゼミ・ポートフォリオ(マイサイト) 【1】川口将太(4年)
企業のソーシャルメディアを用いたメディア戦略
【2】高山大和(4年)
持続的な地域活性化策~大洗モデル~
【3】林 亮太(4年)
「海外視聴者向けの日本国内旅行動画」その特徴と活用方法の調査
【4】中澤愛華(4年)
神川小学校における地域学習支援
【5】春原百々羽(2年)
蚕について地元の人が学ぶ理
2023-01-30
34
別所温泉森林総合センター
森林公園(別所温泉森林公園)天神岳のふもと、別所温泉から車で10分、赤松と杉の林に囲まれた公園。森林総合センター、山菜料理、バンガロー、キャンプ、林間広場にはテニス場、フィールドアスレチック等ある。 別所温泉森林総合センター http://db.umic.ueda.nagano.jp/johogura/datadisp.php?arg_sano=2691026
2023-01-29
35
愛染桂
当地方では稀にみる大木のカツラ(雄木)で樹高22m、目通り5.5m、枝張り14m。北向厄除観音の霊木とされている。近年境内にある愛染堂とこのカツラの木を結んで愛染桂といい、若者たちから縁結びの霊木として親しまれている。 川口松太郎の名作「愛染桂」はこの木からヒントを得たという説もある。 引用元 解説愛染桂(市指定天然記念物) http://db.umic.ueda.nagano.jp/johogura/datadisp.php3?arg_sano=668015
2023-01-29
36
温泉薬師瑠璃殿
本尊薬師如来。北向観音堂の西方の崖の上に建てられた一風変わった建物で「医王尊瑠璃殿」と呼ぶ。建立年代は明らかでないが、資料によれば焼失した後文化6年(1809)に地元湯本薬師講中によって再建されたという。温泉の効能に併せて病気を除き解脱するという深い温泉薬師信仰に由来するものである。「瑠璃殿」という名は、薬師如来を瑠璃光如来とも呼ぶところからとった名である。 引用元 http://db.umic.ueda.nagano.jp/johogura/datadisp.php?arg_sano=668014
2023-01-29
37
別所温泉石湯
別所温泉石湯石湯の表には、真田太平記の池波正太郎書「真田幸村公隠しの湯」の碑がたつ。 引用元 http://db.umic.ueda.nagano.jp/data/johogura/datadisp.php?arg_sano=2581061
2023-01-29
38
別所温泉駅の歴史
別所せんはは大成10年に「川西線」として開業した。 当時「信濃別所駅」という名前で開かれ、昭和5年に、駅名が「別所温泉駅」となり、同25年に現在の駅舎が完成した。 この駅舎が一年で最も混雑するのは、大みそかから正月三が日まで。二年参りのときには終夜運転も行われ、北向観音に訪れる人たちでいっぱいになる。 引用元 Ueda City Database ( 3033024) https://museum.umic.jp/johogura/bessho/2691012/2691012.html
2023-01-29
39
仙石氏~松平氏 藩主の移り変わり
仙石氏3代の後に上田藩主を務める松平氏は、上田藩の歴史の中で一番長い7代続くことになる。松平氏で初めて上田藩主を務めたのは松平忠周であるが、彼の時代に上田へ移封されたのだが、同じく但馬国出石(兵庫県)へ移封された仙石氏とは領地を入れ替わる形で上田を収めることとなった。 参考サイト 上田市デジタルアーカイブポータルサイト https://museum.umic.jp/sakuhin/web.html 上田市立博物館 https://museum.umic.jp/hakubutsukan/ueda-castle-history/03/
2023-01-29
40
初代上田藩主 真田信之
真田信之は初代上田藩主を務めた人物であり、上田城を築城した真田昌幸の息子である。信之は徳川家に仕える猛将本田忠勝の娘、小松姫と結婚し、関ヶ原の戦いでは父昌幸、弟幸村とは対立することとなる。その後は上田領を任され、農村の復興と上田城下町の整備に尽力したが、1622年に松代へと移封されることとなる。 参考サイト 上田市デジタルアーカイブポータルサイト https://museum.umic.jp/sakuhin/web.html 上田市博物館 https://museum.umic.jp/hakubutsukan/ueda-castle-history/03/
2023-01-28
41
松平忠固
松平家は仙石氏3代の後に上田藩主を務める事になった家である。その中でも特に功績を残したのが忠固であるといえるだろう。忠固は上田藩主だけでなく当時の江戸幕府老中も務めており、条約の締結や、開国が成された際に上田の特産物を貿易に用いようと提案した人物でもある。 参考サイト 上田市立博物館 https://museum.umic.jp/hakubutsukan/ueda-castle-history/03/ 松平忠固史 https://www.matsudairatadakata.com/
2023-01-28
42
はじめに
上田市によると、『平成18年3月6日に、旧上田市、旧丸子町、旧真田町、旧武石村の1市2町1村が合併し、新しい「上田市」が発足しました。』とある。そのため上田の過去の資料を調査するにあたって上の4地域に分割して比較していく。 参考 ”合併(平成18年3月6日)に関すること”,上田市,2019-12-12https://www.city.ueda.nagano.jp/soshiki/gyokan/6028.html(2023年1月27日閲覧)
2023-01-27
43
尺貫法からメートル法へ(1933)
メートル法に関するプリントを、生徒の各家庭に配布したという記事である。この記事の翌年の1934年に、日本従来の尺貫法が廃止され、メートル法が取り入れられた。これまで使ってきた単位を、使わないようにしなければならないと考えると、当時の学生はとても苦労しただろう。教育において、使用する単位を変えるということはとても大変なことだ。 #507 「西塩田時報」第114号(1933年5月1日)3頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/pdf/nishishioda/ns07_101to120.pdf
2023-01-27
44
皆勤賞(1928)
1928年の西塩田村の学校における、皆勤賞に関する記事である。この記事を見て、当時から学校を休まないことを表彰する文化があることが分かった。また、25%もの生徒が1年間皆勤賞というところを見て、現在よりもはるかに高い数値に驚いた。おそらく当時は、今よりも学校を休んではならないという風潮が強かったのであろう。もしくは、外で遊ぶことが多かったから体が強かったのだろうか。 #234 「西塩田時報」第54号(1928年5月1日)2頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/pdf/nishishioda/ns04_041to060.pdf
2023-01-27
45
蚕種業における歴史的建築物について
かつて蚕種業で栄えた上田を参考に地域を活性化していく方法を模索した。 建築物の特徴としては、作業を行いやすいよう、屋敷をつなぐ渡り廊下跡があり、温度調節のための木造の暖房施設があった。発展を示す跡として、屋敷が多く建ててあり、家紋付きの瓦や蔵など当時の発展の象徴が多くあった。 今回の建築物は上田市上塩尻の建築を参考にさせていただいたが、養蚕に関わる設備跡はもちろん、目地時代当時の発展の様子や当時の文化を表すもの(家紋・猫瓦)が実在する資料として現存していた。これらの建築物は国登録有形文化財にもなっており、価値が高いものになっている。 今回のイベントを介して、建築物を見学することができたがそれらを通して、別の気づきがあった。地域の方が養蚕の歴史を詳しく知らない方がほとん
2023-01-27
46
くるみ生産量一位の長野が作る信州の銘菓 くるみのハーモニー
引用元:https://www.usagiya-ueda.com/blog 香ばしいビスケットの中に、ミルクキャラメルを絡めたくるみがたっぷりと詰められた人気のお菓子「くるみのハーモニー」。くるみの生産量全国一位の長野県が生んだこのお菓子は、おいしさが人気の理由なのはもちろんのこと、焼き色よく、サイズ感もかわいらしく、見た目も愛されるひとつの理由になっています。 そのパッケージデザインはいたってシンプルに仕上げられています。 お菓子の第一の特徴であるくるみのイラストが表面に印刷されており、あとは商品名が記載されているのみ。 歴史にゆかりある上田の地らしさがにじみ出たデザインだと感じました。商品の包みが和紙のような質感になっていることもこれを助長しているように見えます。
2023-01-27
47
かわいい見た目に全世代から人気のお菓子 餅屋伝助のウサギ餅
引用元:https://ueda-tabi.com/mochiyadensuke/ ウサギの形に丸めた可愛いお餅の中に、餡が入ったお菓子です。ウサギ餅はカスタードクリーム、カマンベールチーズ、チョコレートの3種類。上品な甘さがあり、ふんわりもちもちな食感、口溶けの良い柔らかなお餅に餡がマッチしていて、どの世代の人からも人気のお土産として愛され続けています。 この商品でのデザイン面を考えるにあたって着目すべきは本体のかわいらしいウサギの形でしょう。 ウサギの顔をデフォルメ化し表現したものや、簡単に耳のみを焼き目としてつけているものなど、昔から変わることなく愛されているこのデザイン。変にモダンチックな凝った仕上がりでなく、このような親しみやすい見た目だからこその愛され度合だと感じました。
2023-01-27
48
防空講習(1937)
1937年7月7日に当時の上田中学校で、防空に関する講演があったと書いてある。防空とは敵の空中からの攻撃から身を守ることである。1937年7月7日は日中戦争が開戦した日であり、当時の学校にも戦争に対する緊迫感が漂っていたことが予測される。 #738 「西塩田時報」第165号(1937年8月1日)2頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/pdf/nishishioda/ns10_161to180.pdf
2023-01-27
49
お土産の定番! 信濃路うさぎやのくるみそば
引用元:https://www.usagiya-ueda.com/ 上田お土産の代表格ともいえる、蕎麦粉の皮で餡を包んだ、素朴で美味なお菓子「くるみそば」。 サクッ ホロッとした風味漂う皮部分に上に乗ったたっぷりのくるみ、中に詰められたネットリ食感の飴・餡、上田市民含め多くの人たちに愛され続けています。 この製品のデザインを見ていったとき一に目につくのは、パッケージの背景として描かれた水彩画調の植物の数々でしょう。原料に自然豊かな地だからこそのそばやくるみを使用しているこの製品らしさが表れているように思います。またタイポグラフィーも習字調で歴史ある製品なのだなということを強く感じさせてくれます。
2023-01-27
50
”温泉”という身近なお風呂
住んでいる中で一番、観光する目的が明確にある場所といったら別所温泉であるといえる。 なぜ目的が明確にあるのか。 それは、上田市に住んでいる学生は実家を離れてアパートなどで一人暮らしをしている人が多い。 そのため、お湯を沸かしてくれるリモコンなどの設備が無いため、シャワーだけで済ます人がほとんどである。そのため、温泉という「湯船」に気軽に浸かれる場所というものはとても貴重である。さらに、今の時期(これを書いている日付は2023/01/27)は寒さが厳しく給湯器が凍ってしまいお湯が出にくいという人も大勢いるのではないだろうか? そのため、風呂に行くという目的の下、温泉に観光に行けるのではないだろうか。 別所温泉付近だけでも約7箇所あるため、1週間ごとのシフトを組んでみて赴いてみるというのも面白いかも
2023-01-26
51
桑皮生産増強に就て(『西塩田村公報』第5号2項)
桑皮生産の増強についての記事である。上田は桑栽培の適作地であったことから桑が多く栽培されていた。 蚕の餌として生産していたと考えていたが、戦時中は繊維資源としても生産していたようである。 また、「東亜共栄圏」という言葉が多く使われている。 日本政府がスローガンとして使っていただけでなく、日常でも「東亜共栄圏」という言葉が使われていたことが分かる。 ▼この記事は以下から参照できます。
#928 『西塩田村公報』第5号(1942年5月22日)2頁
2023-01-25
52
仙石氏中興の祖 仙石秀久
上田藩主を務めてはいないが、仙石氏について調べる上で欠かせない人物が秀久である。秀久は織田、豊臣に仕えた後、関ヶ原の戦いでは徳川方に参戦していた。豊臣時代に小諸城主と小諸藩主を務めたが、仙石氏は小諸藩から上田藩に移封されることとなった。秀久は小諸藩時代に死去していたため息子忠政が信之の跡を継ぎ、仙石氏3代による上田統治の時代が始まった。 参考サイト 上田市デジタルアーカイブポータルサイト https://museum.umic.jp/sakuhin/web.html 上田市立博物館 https://museum.umic.jp/hakubutsukan/ueda-castle-history/03/
2023-01-25
53
真田氏~仙石氏 藩主の移り変わり
仙石氏が上田藩主を務めることになった理由は、1622年に当時の上田藩主を務めていた、真田信之(幸村の兄)が松代へ移封されたことが原因である。 「上田城は真田の城」というイメージが強いが、実は真田氏が城主を務めたのは信之とその父昌幸の2代だけである。 参考サイト 上田市立博物館 https://museum.umic.jp/hakubutsukan/ueda-castle-history/03/
2023-01-25
54
温泉薬師瑠璃殿 解説
本尊薬師如来。北向観音堂の西方の崖の上に建てられた一風変わった建物で「医王尊瑠璃殿」と呼ぶ。建立年代は明らかでないが、資料によれば焼失した後文化6年(1809)に地元湯本薬師講中によって再建されたという。温泉の効能に併せて病気を除き解脱するという深い温泉薬師信仰に由来するものである。「瑠璃殿」という名は、薬師如来を瑠璃光如来とも呼ぶところからとった名である。 http://db.umic.ueda.nagano.jp/johogura/datadisp.php?arg_sano=668014より引用
2023-01-25
55
別所温泉 解説
塩田平を囲む山なみの西方にそびえる夫神(おがみ)岳のふもとに、この地方の古い歴史とともに、絶えまなく湧き続けて来たのが別所の温泉である。この自然の出湯と人とのかかわりは、夫神岳の麓から古代の布目瓦が多数発掘されたことによっても、その古さが想像される。 国造や国府の所在していた古代から、庶民の安息療養の場所であり、また温泉の効能と医薬信仰が、やがて仏教の霊場としての北向観音堂となったであろう。 別所の温泉は昔から”七久里(ななくり)の湯”と呼ばれたといわれ、平安時代の有名な和歌集にもその名をとどめている。 鎌倉時代には北条氏の居館塩田城にも近いので北条一族の好んで来湯することも多かったと想像される。国宝八角三重塔のある名刹安楽禅寺は北条氏の開基によるところから、別所という地名は
2023-01-25
56
大湯
大湯別所温泉外湯のひとつ。景行天皇の御代、日本武尊の東征の折発見されたと伝えられ、古名七久里の湯、枕草子にも記された信州最古の温泉。大湯は木曽義仲が愛妾葵御前をつれて逗留したと「新・平家物語」に書かれている。 http://db.umic.ueda.nagano.jp/johogura/datadisp.php?arg_sano=3032090より引用
2023-01-25
57
別所温泉
別所温泉JR上田駅から電車で25分、バス30分、海抜650メートル静かな高原の湯の里。温泉は54度C単純硫化水素泉で無色透明。宿は20軒、平安貴族の別荘があったところから別所という。 http://db.umic.ueda.nagano.jp/johogura/datadisp.php?arg_sano=2691013より引用
2023-01-25
58
大東亜戦争完遂映画会(『西塩田村公報』第5号4項)
農村でも映画会を開き、戦果を伝え、国民の団結力と忠誠心を強めていたと考えると、いかにマスメディアが戦争に利用されていたかが分かる。 上映されていたものはおそらく大本営の戦果発表だと思われる。そのアーカイブはNHKの戦争証言アーカイブス、戦時録音資料で参照できる。 この記事が書かれた当時(1942年5月22日)は、日本軍が優勢であったとされる。アジア・太平洋戦争の転換期であるミッドウェー海戦はこの新聞が発行されて約2週間後に起こる。 NHK「戦争証言アーカイブ 戦時記録資料 勝利の記録」
https://www2.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/sp/list.cgi?cat=kiroku
2023年1月25日閲覧 ▼この記事は以下から参照できます。
#930 『西塩田村公
2023-01-25
59
プロジェクト研究 週ごとの報告集
2022年度の研究における週ごとの報告をまとめました。 可能な限り、同じ週に投稿した動画も添付しておきます。 0510 5月9日は、それ以前の週で行った研究に際しての動画制作とその公開に関する記事をマイサイトに投稿しました。詳しくはそちらに記入してあります。 また私は16日のゼミには参加できないため、研究テーマのまとめ制作を少しずつ進める予定です。
0613 コメント遅れてすいません。 活動報告はマイサイトの方に投稿済みです。具体的には、動画1本投稿、各チャンネルの傾向をメモ等を行いました。現在は動画を投稿しつつタイトル、字幕、チャンネル名、概要などの英語対応化を進めています。
0620 先週は動画を1本投稿し、今日マイサイトに報告を投稿しました。 https://d-commons.ne
2023-01-18
60
スマートな時報サイレン(『西塩田公報』第71号(1953年8月5日)2頁)
この記事はスマートな時報サイレンを紹介した記事です。役場屋上に取り付けたということでしたが、埋め込み式なのはとてもシュールだと感じました。サイレンといえば浮いているイメージでしたから、当時では画期的なサイレンだったのでしょうか。しかし、サイレンの音が建物に共鳴して役場に影響は無かったのでしょうか。それだけが気になります。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1210 『西塩田公報』第71号(1953年8月5日)2頁
https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p1210.jpg
2023-01-16
61
バス時間表(『西塩田公報』第56号(1951年12月5日)4頁)
この記事は、古文書を探るという記事の中になぜかバスの時刻表が載っている記事です。何の脈絡もなく時刻表が出てきているところと、運賃は果たしてかかるのだろうかという疑問も湧き出てきます。バスもイラストではなく写真を利用しているところに編集者のセンスが垣間見えます。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1160 『西塩田公報』第56号(1951年12月5日)4頁
https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p1160.jpg
2023-01-16
62
実践講座1:地域資料活用によるキュレーション講座[第3回]
実践講座1:地域資料活用によるキュレーション講座[第3回] 皆さんのキュレーション披露会 ★講座「皆さんのキュレーション披露会」129分
。 講師:前川道博(長野大学企業情報学部教授) コメンテーター: 小平千文(上田小県近現代史研究会会長) 桂木 惠(上田小県近現代史研究会事務局長) 【講座タイムテーブル】 13:00 講座解説(前川道博) 13:30 皆さんのキュレーション披露会、意見交換、Q&A(途中休憩あり) 16:00 終了 16:30 デジタルアーカイブクリエータ認定(希望者対象) 《キュレーション紹介》公開できる成果をリストアップしました
鈴木さん/
諏訪湖のスケート
[LINK]
(下記メディアクリップ収録)
長沼さん/一代交雑
2023-01-14
63
川西野球排球大会
今でもこれほどな大差がつくのは野球でも珍しいため面白かった。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1180 『西塩田公報』第60号(1952年9月5日)2頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p1180.jpg
2022-12-27
64
禁酒
今回私が面白いと思った記事は禁酒です。 どの時代でもお酒は嗜好品とされており、昔であれば手に入れることが難しい物であったためより価値があったと推察できます。 そのお酒を禁止することによる弊害や悲しみをおもしろおかしく表現されている記事になります。 ●この記事は以下から参照できます。 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0004.jpg
2022-12-26
65
子供はしつけ第一 服従の習慣から――(『西塩田時報』(1930)第81号(昭和5年8月1日)3頁)
子どものしつけについて書かれた記事です。子どもが言うことを聞くのは親が習慣をつけているかどうかだと、子どもの心のあり方を述べながら説明しています。 ▼この記事は以下から参照できます。 #349 『西塩田時報』第81号(1930年8月1日)3頁
https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0349.jpg
2022-12-26
66
体力検査成績発表!!(『西塩田時報』第187号(1925年6月1日)1頁)
学校のカリキュラム上の新体力テストのようなものだと思いましたが、地域の青年団員の成績結果でした。一番上に百米(100m)の結果が広報されているのですが、12秒台の方が先頭にいらっしゃいます。現在においてもかなりの記録です。靴や走り方を学べばもっと良い記録を狙えると思います。 ▼この記事は以下から参照できます。 #364 #364 『西塩田時報』第187号(1925年6月1日)1頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/pdf/nishishioda/ns11_181to204.pdf
2022-12-26
67
健康第一
いつの時代も健康って大事だよなあと考えさせられたこの記事が好き。 『西塩田時報』第16号(1925年3月1日)4頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0074.jpg
2022-12-26
68
生活雑記(『西塩田時報』(1954)第82号(昭和7月3日)3頁)
日常の様子が描かれた雑記です。朝からご飯をつくり、主人を送り出し、洗濯をして…とせわしなく家事や畑仕事をこなす女性の姿が描かれています。 新聞をゆっくり読む暇もない様子の女性から、ひとときと書いたのはなぜかなと考えてしまいます。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1255 『西塩田公報』第82号(1954年7月5日)3頁
https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p1255.jpg
2022-12-26
69
支部通信「浅間山行」
浅間山登るのがしんどいというのが伝わってきて面白いと感じた。そして、今よりは道も整備されてなかったのではないかなどと想像が膨らんで、見ていて面白いと感じた。 『西塩田時報』第9号(1924年9月1日)3頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0047.jpg
2022-12-26
70
秋冬の短歌と俳句(『西塩田時報』第32号(1949年11月20日)2頁)
数多くの短歌や俳句がある中で、房子さんの「雨晴れや夕日に映える紅葉山」が風景・情景が頭の中で想像できて、素敵だったため、選びました。 皆さんはどの短歌や俳句がお好きですか? ▼この記事は以下から参照できます。 『西塩田時報』第32号(1949年11月20日)2頁
https://https://mmdb.net/mlab/uedagaku/pdf/nishishioda/ns15_post021to040.pdf
2022-12-26
71
禁酒
飲酒のデメリットが延々と綴られており、ユーモア溢れる記事だった。非常に文章のリズムが良いため、声に出して読んでみることをオススメする。 これを読めば「禁酒してみようかな」と思えるかもしれない。 ▼この記事は以下から参照できます。 #75 『西塩田公報』第1号(1923年7月1日)4頁
https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0004.jpg
2022-12-26
72
昭和27年(1952)の殺人事件(『西塩田時報』第73号)
西塩田広報第73号より 加害者の住所が朝鮮でしたので、てっきり異邦人の犯罪かと思いましたら、当時の朝鮮のこの地区は日本領土でした。強盗内容も千円とありますが、当時の相場としては約5倍ほどだそうです。(間違っていたらすみません)時代背景がわかる記事ですので取り上げさせていただきました。 ▼この記事は以下から参照できます。 #364 #364 『西塩田時報』第73号(1952年7月3日)2頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/pdf/nishishioda/ns17_post061to080.pdf
2022-12-26
73
食べる楽しみ食べる工風(『西塩田時報』第22号(1949年1月25日)3頁)
お正月の雰囲気がこの記事から感じられるので、お気に入りです! ▼この記事は以下から参照できます。 『西塩田時報』第22号(1949年1月25日)3頁
https://https://mmdb.net/mlab/uedagaku/pdf/nishishioda/ns15_post021to040.pdf
2022-12-26
74
女子の意見の出ない訳(『西塩田時報』第6号(1947年6月20日)4頁)
男女同権の思想がちょうど広まった時代、女性の意見が少ないことが、当時の男性はどう思っていたのかが分かるお記事です。一理あると思える意見もあれば、それは筋違いだろうと思ってしまう意見もありおもしろいと思いました。 ▼この記事は以下から参照できます。 『西塩田時報』第6号(1947年6月20日)4頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/pdf/nishishioda/ns14_post001to020.pdf
2022-12-26
75
農村のテトメよ
男尊女卑が激しく当時は束縛が多かった女性だが農業をすることには何の束縛はないという当時の風習が分かるという部分が興味深く面白いです。 ▼この記事は以下から参照できます。 #364 #364 『西塩田時報』第84号(1930年11月1日)2頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0364.jpg
2022-12-26
76
標語(『西塩田時報』第28号(1926年3月1日)3頁)
今から約100年前の時代の標語です。 緩い現代を生きている身からすると、少し厳しく感じました。 ▼この記事は以下から参照できます。時報』第28号(1926年3月1日)3頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/pdf/nishishioda/ns03_021to040.pdf
2022-12-26
77
成人式行事(『西塩田時報』第100号、1956年)
私は今年度成人式を行いますが、こんなに昔から成人式があったことに驚きました。しかし、式の内容はいまと全く違う内容であったので非常に興味深かったです。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1327 『西塩田公報』第100号(1956年1月1日)1頁
https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p1327.jpg
2022-12-26
78
農業議員選挙(『西塩田時報』第82号、1954年)
昔は農業議員選挙というものがあったことに驚きました。さらに今では選挙はCMやチラシなどで目にすることが多いですが、かつては時報でそれを伝えていたことにも驚きました。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1254 『西塩田公報』第82号(1954年7月5日)2頁
https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p1254.jpg
2022-12-26
79
運動のシーズン!(『西塩田時報』第70号(昭和4年9月1日)3頁)
運動促進を喚起する内容の記事である。まず「ゴム底足袋」というワードのインパクトがすごかった。また百年程度で足袋からいまの靴に進化していることにも驚いた。現在の新聞にあるような小さな広告だが面白さを感じた。 ▼この記事は以下から参照できます。 #305『西塩田時報』第70号(1929年9月1日)3頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0305.jpg
2022-12-26
80
お盆用必需品は自分の店で!(『西塩田時報』第69号(昭和4年8月1日)3頁)
お盆に必要なものは組合でそろえてくださいという内容の広告の記事だが、現在のCMを文面にしたらこうなるのかなと想像もできて面白い。また、「組合」「配給」も当時の様子を想像できて興味深かった。 ▼この記事は以下から参照できます。 #301『西塩田時報』第69号(1929年8月1日)3頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0301.jpg
2022-12-26
81
いゝ本を読みたい
「いゝ本を読みたい」という極めて世俗的なタイトルに惹かれた。何かに触れて心が動かされるという行為は、今も昔も変わらないということを実感できた。昔の人というのは遠い存在に感じがちだが、この記事を読んで近くに感じることができた。 「そして自分の頭の悪いのが何より悲しみの深い一つだ」という最後の一文が特に共感できる部分である。 ▼この記事は以下から参照できます。 #75 『西塩田公報』第17号(1925年4月1日)1頁
https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0075.jpg
2022-12-26
82
さばとにしんの調理法
西塩田時報には、「家庭メモ(家庭欄)」というコーナーがあり、ここでは家庭の豆知識を読むことができます。 昭和24年と古い記事なのですが旬の魚のレシピとしてサバとニシンが紹介されていました。 ぜひ皆さんも作ってみてはいかがでしょうか? この記事は以下より読めます。 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/pdf/nishishioda/ns16_post041to060.pdf
2022-12-26
83
子供の主食
記事にて、昭和28年頃子供のパン食が増えている状況やそこから懸念される栄養面の解説、また、当時のパンの値段等が記されています。 学校給食でもパンが多く取り扱われる昨今、パンが主流でなかった昔の記事を見返してみると、当時のパンへの認識等も感じ取れて面白いです。 この記事は以下より参照出来ます https://mmdb.net/mlab/uedagaku/pdf/nishishioda/ns17_post061to080.pdf
2022-12-26
84
小学校だより 『西塩田時報』第19号(1925年6月1日)3頁
当時の西塩田小学校生徒の身体測定の結果が載せられた記事。「身体測定の結果が公にされる」こと事態が現代では考えられないことですが、結果についての講評から軍隊としての戦力をほのめかす様な印象を受け、時代の違いを感じられる記事でした。 ▼この記事は以下から参照できます #85
『西塩田時報』第19号(1925年6月1日)3頁
2022-12-26
85
家庭パンの作り方 『西塩田時報』第138号(1935年5月1日)3頁
一般家庭向けの食パン、菓子パン用のフルーツジャムやクリームのレシピが掲載されている記事です。小麦粉、砂糖などの単位がグラムだけでなく匁(もんめ)でも書かれていたり、文体が現在と異なっている点に興味を惹かれました。一番気になったのは材料についてで、「家庭パンの作り方」とありますが、当時の一般家庭でバター等はどれぐらい貴重だったのか等想像が広がる記事でした。 ▼この記事は以下から参照できます。 #615
『西塩田時報』第138号(1935年5月1日)3頁
2022-12-26
86
文芸・雑煮(『西塩田時報』第12号(1948年1月30日)4頁)
文芸のコーナーに掲載された小説。戦後の雰囲気を感じさせる。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1006『西塩田時報』第12号(1948年1月30日)4頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p1006.jpg
2022-12-26
87
偶言(『西塩田時報』第124号(1934年3月1日)4頁)
悪意はないのに人との用事を先送りにしてしまう悪習を改めるべきだという記事。 現代にも通ずるこの習慣は戦前にもあったのかもしれない。 ▼この記事は以下から参照できます。 #552『西塩田時報』第124号(1934年3月1日)4頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0552.jpg
2022-12-26
88
乳児の育て方
現代ではネットや書籍など様々な情報ツールが存在し、分からなければそれらを頼れば大抵は解決できます。しかし、過去戦前の世ではそのような対応をとれない中、本記事のように時報の中で情報の提供が行われていたようです!今回はその中で目に付いた「乳児の育て方」といった内容の記事を取り上げてみました。 想像以上に詳しく説明がなされていて驚きました。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1168 『西塩田公報』 第31号(1926年6月日)1頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/pdf/nishishioda/ns03_021to040.pdf
2022-12-26
89
睡眠について
現代、理想的な睡眠についてはいろいろな研究や見解をもとに様々な意見が展開されています。そんな中、過去戦前の世の中では一体どういった睡眠サイクルが良いものとされていたのか本記事ではそう言った内容を知ることができます。 戦前の世の中だからこその違った視点などで論じられている部分もあり、なかなかに興味深かったです... ▼この記事は以下から参照できます。 #1168 『西塩田公報』 第29号(1926年4月1日)4頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/pdf/nishishioda/ns03_021to040.pdf
2022-12-26
90
主食類盗難予防に就て(『西塩田時報』[戦後]第30号 1949年9月20日)
この時代でもまだお米は貴重なものであったことが分かった。盗んでいくものがお金ではなく、お米を盗んでいる所が今の時代には全く見当がつかないところで面白さを感じた。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1063 『西塩田時報[戦後]』第30号(1949年9月20日)3頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p1063.jpg
2022-12-26
91
なぜ金を政府へ(『西塩田時報』第188号 1939年7月1日)
金を納めさせる理由として日本で使われている「お札」では海外との取引が出来ないということが書かれている。 当時はそれを理解していなかった人も多かったのかもしれない。 ▼この記事は以下から参照できます。 #843 『西塩田時報』第189号(1939年8月1日)1頁 (恐らく表記ミスで189号になっているが正しくは188号)
https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0843.jpg
2022-12-26
92
故郷から兵たいさんへ(『西塩田時報』第176号 1938年7月12日)
兵隊さんが安心して戦えるように故郷から幼い子供がメッセージを送っている。 漢字とひらがなが織り交じっており、どこか心にグッとくるものがあった。 ▼この記事は以下から参照できます。 #784 『西塩田時報』第176号(1938年7月12日)2頁
https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0784.jpg
2022-12-26
93
日本国憲法 第二章
今も変わらず残っている大日本国憲法の第九条の制定についての記事を見つけた。 この憲法が今も残っているおかげで他の国との武力的な大きな衝突なく平和に過ごせているのだと思うと感慨深い。 面白記事とは少しずれてしまっているかもしれないが一番興味深いと感じたのでこの記事をピックアップした。 ▼この記事は以下から参照できます https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0967.jpg
2022-12-25
94
野菜のゆでかた
野菜をゆでる際のコツが書かれた記事を見つけました。料理が下手な自分にとっては、結構参考になりました。あと、右上にミッキーマウス(?)が描かれているのが気になりました。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1168 『西塩田公報』 第57号(1952年4月1日)4頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/pdf/nishishioda/ns16_post041to060.pdf
2022-12-25
95
K君の日記
弟妹のけんかしている描写から始まるK君の日記。何気ない日常の中に現在の弟妹の姿から昔の自信を連想し懐かしんだりしているところに面白みを感じた。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1183『西塩田公報』第62号(1952年11月5日)3頁
2022-12-25
96
みんな輪になれ
この曲が発売されたのは昭和16年8月とされている。当時の踊りと言えば盆踊りが主流とされていたが軍歌に振り付けを付けて子供たちに教えていた人たちがいたそうだ。まさに軍国世界の音頭である。 ▼この記事は以下から参照できます。 『西塩田村公報』第7号(1943年3月30日)6頁
2022-12-25
97
君たちは幸福だ
人の妻と心中したA氏と彼の後を追った若者達について書かれている。A氏を崇拝した若者達への皮肉がこもっている。 ▼この記事は以下から参照できます。 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0008.jpg
2022-12-25
98
学力試験問題
試験問題 当時の時勢が試験問題に現れている。 ▼この記事は以下から参照できます。 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0001.jpg
2022-12-25
99
暦の話『西塩田時報』第92号(1931年7月1日)1頁)
学者たちは、現在の暦はよく出来ているが不都合な点も多いため、もっと合理的で便利な暦を作ろうと長年研究していた。その結果、一年が13ヶ月からなる暦が作られ、それが国際会議に提案され採択されそうになっている。この機会に、暦の編み方、暦の歴史などについて書いてみるという内容の記事です。 まず1年が13ヶ月の暦が開発され採択されそうになっていた事実に驚きました。また、筆者は6ヶ月に渡り太陽や月、その他惑星について詳しく解説しており、この記事を読むだけで科学について学べそうだと感じました。 ▼この記事は以下から参照できます。 #397『西塩田時報』第92号(1931年7月1日)1頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0397.jpg
2022-12-25
100
壮丁学力検査問題(『西塩田時報』第1号(1923年7月1日)1頁)
明治時代、徴兵制度に基づいて満20歳の青年全員に行われた「壮丁検査学力試験」の問題が載っていました。壮丁検査とは、徴兵検査受検義務者を壮丁と称し、教育や学力の程度を測るための調査です。 「人の本分は何か」という問いや、「我等の進むべき道」という題の作文がありました。また、書取では「議会協賛」や「心身鍛錬」などが出題されていました。問題から、戦争が身近にあり、求められているのは化学的な知識や学力ではなく、愛国心や天皇や国策に関する理解だったことが読み取れました。 この記事は以下から参照できます。 #1『西塩田時報』第1号(1923年7月1日)1頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0001.jpg
2022-12-25
≪
1
2
3
4
5
≫
西塩田時報(116)
長野大学(80)
時報(42)
歴史(36)
信州上田学(27)
上田市(25)
地域学習(25)
文書(22)
地域キュレーション(20)
大学広報改善(20)
上田市公文書館(18)
前川ゼミ(17)
地域課題(17)
大東亜戦争(15)
公文書(14)
近代(14)
太平洋戦争(14)
プロジェクト研究(14)
農業(14)
図書館(12)
西塩田村公報(11)
明治時代(10)
学生(8)
上田紬(7)
郷土料理(7)
大正時代(6)
上田(6)
地域メディア(6)
地域史(6)
画像(6)
別所温泉(6)
泉田村(5)
西塩田青年団報(5)
上田町(5)
一次資料(5)
近代史(5)
別所線(5)
温泉(5)
蚕(4)
海野町商店街(4)
蚕糸業(4)
講義(4)
上田市史(4)
郷土史(4)
上田電鉄別所線(4)
長大サミット(4)
地域資料(4)
デジタルアーカイブ(4)
地図(4)
戦争(4)
信州上田(3)
動画(3)
シティプロモーション(3)
地籍図(3)
地域PR映像(3)
デジタルコモンズ(3)
字界(3)
藤本蚕業歴史館(3)
字(3)
ビデオ(3)
西上田時報(3)
長野県(3)
信濃国(3)
産業史(3)
蚕糸王国(3)
蚕糸業史(3)
禁酒(3)
上田小県近現代史研究会(3)
映像(3)
養蚕(3)
近現代史(3)
健康(3)
上田小県(3)
西塩田公報(3)
キュレーション(3)
海野町(3)
感染症(3)
新聞(2)
養蚕業(2)
スペイン風邪(2)
酒(2)
海野町レトロ写真館(2)
昭和時代(2)
地域学(2)
地域交流(2)
イベント(2)
上田城(2)
研究発表(2)
発表会(2)
地域活性化(2)
広告(2)
前川道博(2)
上田映劇(2)
情報通信文化論(2)
川辺村(2)
私の地域探求(2)
城下村(2)
地域アーカイブ(2)
道路敷設(2)
別所村(2)
高崎(2)
群馬(2)
キュレーション学習(2)
料理(2)
産業組合(2)
西塩田青年団(2)
桑(2)
市民キュレーション(2)
学生投票(2)
蚕糸(2)
文書館(2)
西塩田地区振興会(2)
#信州上田学(2)
デジタルアーキビスト養成講座(2)
信濃(2)
デジタル映像表現2020(2)
農産物(2)
#上田城(2)
地名(2)
蚕種製造(2)
西塩田村(2)
蚕都上田(2)
古い写真(2)
面白記事(2)
面白記事妙(2)
西塩田(2)
面白記事抄(2)
本(1)
おまるのめのひ(1)
つけば(1)
上田市映画館(1)
農村(1)
お盆(1)
真田氏(1)
音頭(1)
千曲川(1)
つけば漁(1)
川魚(1)
ハヤ(1)
兵隊(1)
家庭メモ(1)
アユ(1)
金(1)
草木染(1)
塩田(1)
慰問(1)
募集(1)
選挙(1)
投票(1)
教科(1)
スポーツ(1)
小學校(1)
中學校(1)
#西塩田時報(1)
#広告欄(1)
戦後(1)
野球(1)
真田街道(1)
真田(1)
生活(1)
徴兵(1)
勤儉週間(1)
土器(1)
親子(1)
ポツダム宣言(1)
健康こそ我々の唯一の武器だ(1)
日本国憲法(1)
雑記(1)
浅間山(1)
紬(1)
学長あいさつ(1)
桂木惠(1)
冨田隆順(1)
清水たか子(1)
地域づくり(1)
中村英三(1)
パンデミック(1)
主体的学習(1)
特産品(1)
足立光紅(1)
ブックレット(1)
商店街(1)
地域の記憶(1)
謎(1)
自費出版(1)
東郷えりか(1)
埋もれた歴史(1)
歴史探求(1)
すや呉服店(1)
海野町会館(1)
ジェンダー(1)
社会科学の課題(1)
原町(1)
写真(1)
稲倉の棚田(1)
デジタルアーカイブ学習(1)
洗濯(1)
季節(1)
知恵(1)
家庭心得(1)
おかっぱ(1)
池波正太郎真田太平記館(1)
忘れ物(1)
服(1)
アイヌ(1)
私の探究活動(1)
上田電鉄株式会社(1)
上塩尻(1)
アーカイブス(1)
松茸(1)
越屋根(1)
ぶどう(1)
りんご(1)
信州上田なないろ農産物(1)
ブランド化(1)
伝統(1)
蚕種製造業(1)
別所線応援プロジェクト(1)
ご当地グルメ(1)
上田紬 (1)
だるま市(1)
レイライン(1)
観光まちづくり(1)
日本遺産(1)
聖地研究(1)
内田一成(1)
地域ブランディング(1)
講座(1)
文化(1)
着物(1)
武石ともしび博物館(1)
和服(1)
小岩井紬工房(1)
UEDA SILK(1)
小岩井カリナ(1)
長谷川光(1)
農福連携(1)
学習支援(1)
地域デジタルアーカイブ(1)
小平千文(1)
上田自由大学(1)
信濃黎明会(1)
信濃自由大学(1)
学校教育(1)
テキスト(1)
合田盛人(1)
社会福祉(1)
総合的な学習の時間(1)
総合的な探求の時間(1)
アクティブラーニング(1)
上田藩(1)
松平忠固(1)
滝澤主税(1)
全8種(1)
長野県地名研究所(1)
町名(1)
桑苗(1)
栽桑(1)
UEDA(1)
市街地(1)
マンホール(1)
上田駅前(1)
六花文(1)
ツツジ(1)
シンボルマーク(1)
製糸(1)
製糸業(1)
真田町史(1)
丸子町史(1)
武石村史(1)
上田と生糸貿易(1)
開国(1)
横浜港(1)
武石村誌(1)
真田町誌(1)
上田市誌(1)
生糸(1)
市史(1)
旧上田市(1)
丸子町誌(1)
山本鼎(1)
青年(1)
上田探検1まとめ記録(1)
生島足島神社(1)
上田探検2(1)
上田探検3(1)
殿城(1)
岡谷市(1)
八角三重塔(1)
地域探求(1)
だるまの歴史(1)
高崎だるま(1)
前橋(1)
初市(1)
日中戦争(1)
だるま(1)
殿城村(1)
在外資産補償(1)
ツルヤ(1)
学生発表会(1)
スーパー(1)
地域探検(1)
地域課題発見(1)
古民家(1)
附属図書館改善提案(1)
人物伝(1)
上田築城(1)
上田町会議(1)
上田城跡(1)
写真アルバム(1)
知識循環型社会(1)
海野町通り(1)
常磐城村(1)
ヒコーキ(1)
尺貫法(1)
幸福(1)
民主主義(1)
成人式(1)
蚕業(1)
學校(1)
営み(1)
電話(1)
公設電話(1)
若人(1)
若者(1)
部落ニュース(1)
20歳(1)
食べ物(1)
個人情報(1)
名簿(1)
卒業生(1)
大字(1)
常磐城(1)
城下地区(1)
雑草(1)
家庭心得帖(1)
運動(1)
川邊時報(1)
森林(1)
蠶(1)
夏(1)
記事(1)
ログイン
トップページへ