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1大屋駅・旧駅舎の記録大屋駅・旧駅舎の記録2009/02/06の記録。しなの鉄道・大屋駅の旧駅舎は建て替えにより2023年に取り壊されました。過去の駅舎がどのようなものであったのかを私の画像で再現しました。 大屋駅は信越本線開通後の1896年、諏訪地方からの生糸輸送のために、諏訪地方の業者等の請願により新設された駅です。蚕糸王国長野県の蚕糸業の歴史を刻んだ近代化産業遺産です。取り壊し前の駅とその周辺がどのような様子であったのかを画像クリップでもご参照ください。2024-01-16
2解体された大屋駅解体された大屋駅しなの鉄道の大屋駅が解体され建て直されます。5月1日に訪れた際にはまだ古い駅舎のまま残っていました。 ★解体前の大屋駅 2023/05/01 この日7/21に訪れた時には完全に解体されていました。駅舎は完全に取り壊され、大屋駅建設を記録した石碑のみが残されています。駅舎部分の基礎工事が行われている段階でした。2023-09-23
3観光客でにぎわう海野宿観光客でにぎわう海野宿ゴールデンウィークの4/30(日)、車で大屋駅から海野宿を通り御代田方面へ向かいました。この日はさすがに観光客の姿が多く目につきました。申し訳ない思いで海野宿をドライブスルーしました。 江戸時代は北国街道の宿として栄え、その後は蚕種製造が営まれるようになり、それ以前にも増して繁栄した地域です。これらの建物はいわゆる宿場町の宿ではなく、蚕種製造民家群と捉える方が実態に合っています。明治20年代に多くの家々が建て替わっていることも特色の一つです。うだつが上がっていることも蚕種製造で栄えたことを物語っています。2023-05-01
4大屋駅を未来に伝えるには大屋駅を未来に伝えるにはしなの鉄道大屋駅の歴史的な駅舎が建て替えられるとのこと。建て替わる前の駅舎の様子を記録にとどめておこうと思い、車窓越しに写真を撮りました。丁寧に記録することは後日に。 諏訪と小県をつなぐ中山道は1859年の横浜開港後、横浜とつなぐ生糸の輸送路として重要な役割を果たしました。信越本線開業後は、中央本線が開通するまでの間、大屋駅は生糸の一大生産地であった諏訪地方、とりわけ岡谷とつなぐ要衝の駅としての役割を果たしてきました。建物は建て替わってもその歴史は留めて未来に伝えたいものです。2023-05-01
5養蚕業が作った大屋駅養蚕業が作った大屋駅今は街の中心となっている大屋駅ですが、その開業には養蚕がかかわっていました。 当時養蚕が盛んだった諏訪地域から東京へ生糸・蚕種を運ぶ際、元来は田中駅を利用していました。しかし、諏訪から田中に向かう道は険しく、長和町というところから峠道がありました。ここで、長和から丸子に向かい、大屋で列車に乗せるルートが考案され、大屋駅ができたのです。 その後大屋駅周辺は栄え、特急列車も止まるようになりました。2022-12-05
6日本農民美術記念看板日本農民美術記念看板令和3年10月14日に設置された記念看板です。上田を拠点に農民美術や児童自由画教育を提唱し、活動の基点となった「日本農民美術研究所」の案内板を設置し、長く後世に語り継ぐという目的で設置しました。設置場所は大屋駅のすぐ近くです。2021-11-22
7日本農民美術研究所記念看板日本農民美術研究所記念看板「神川・山本鼎の会」では大屋駅のすぐ近くに日本農民美術研究所の記念看板を設置しました。10月には除幕式も行われる予定です。山本鼎がどのような活動を行いどのように生涯を終えたのかなどわかりやすく書かれています。2021-10-04
8散策マップ散策マップこのマップは旧神川村を案内するものであり、とてもわかりやすく描かれています。大屋駅から信濃国分寺駅のたった一駅であるが紹介されているものが多いです。2021-01-31
9大屋停車場碑大屋停車場碑依田社の生糸は世界に通用する生糸であり、その生糸を横浜まで持って行くのに不便だということで、大屋停車場を作ったそうです。3000人の署名と700人の寄附を集め、それを国鉄に請願したことから請願駅とも呼ばれています。 請願駅という証であるため、価値のあるものだと思います。2020-06-15
10大屋駅内の時計大屋駅内の時計以前の投稿にも書いたように、大屋駅は昔蚕の繭から取れる糸を運ぶ駅として利用されていました。 駅内にある時計は対象11年に設置され、修理や改善は行われているものの、今でも時を刻んでいます。 まさに「大きな古時計」です。古い建物や物の存続は難しいと思うのに、今でもこうして残されているのは地域の方の思いがあるからなのではないかと思いました。これらは存続していくべきだと思います。2020-06-15
11大屋駅大屋駅大屋駅は昔、生糸を運ぶ駅として利用されていました。 日本の産業近代化に貢献した産業遺産としての価値を持っていると評価されました。 その結果、経済産業省の近代化産業遺産に認定されました。 日本初の請願駅として駅前に石の碑文が設置されています。 当駅は歴史のある駅なので昔ながらの雰囲気を感じることができます。2020-05-25
12蚕都上田まちあるき2009(1)~西塩田・別所編~蚕都上田まちあるき2009(1)~西塩田・別所編~ 【日時】 2009年9月19日(土) 【ルート】  上田駅温泉口→飯沼(高札場跡、郷蔵、飯沼公民館、古文書保管庫)→カネタの煙突→近代工業百年記念公園→丸子郷土博物館→丸子公園(依水館で昼食)→大屋駅(石碑)→上田駅温泉口 〈内容〉 かつて製糸業のまちとして活況を呈した旧丸子町を中心にまちあるきを行った。飯沼では、幕末・明治期に横浜貿易で活躍した生糸商人の足跡をたどる。その後、器械製糸工場で発展した丸子の史跡・歴史をめぐる。 〈案内人〉 阿部勇氏(上田歴史研究会代表、上田飯沼史学会会員、上田教育委員会) 奥村栄邦氏(上田飯沼史学会会長) 〈制作〉 企画・制2020-05-24
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