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1上田西小で「子ども地域探検隊」学習支援上田西小で「子ども地域探検隊」学習支援★みんなでつくる西部地域デジタルマップ/子ども地域探検隊2023 https://d-commons.net/seibu?c=1261 2/28(水)上田市立西小学校で5年1組が総合学習で取り組んできた「地域探検」の画像記録から子どもたちそれぞれが自分のイチオシをネットにアウトプットする学習を学生、地元の「西部地域まちづくりの会」の方々と支援してきました。 地域の探検をしたのは7月の暑い日と1月の雪が降った日。子どもたちは自分のタブレットPCを持って、探検先の様子を画像に収めてきました。この日はそのまとめとなるふり返り学習の日。西部地域まちづくりの会が開設している『みんなでつくる西部地域デジタルマップ』に子どもたちが投稿しました。自分たちの探究をネットに公開して地域の人々なども見てもらえるようにしました。これまで大人たちが投稿し2024-02-29
2上田西高等学校との対談初回上田西高等学校との対談初回2024年2月27日に上田西高等学校の方々と対談を行いました。参加者には上田西高の生徒2人と担当教諭2人が参加しました。内容は今後の西高での活動の計画の相談や生徒の今取り組んでいるテーマを聴くことなどがありました。今後も定期的に西高と連携を行い、活動を進めていく予定です。2024-02-27
3企業情報学部1期生のオリ合宿2007/04/20企業情報学部1期生のオリ合宿2007/04/202007/04/20の記録。 企業情報学部が2007年度に新設され、学部の1期生が入学したのがその年の4月。長野大学の私立時代、毎年新入生歓迎のオリエンテーション合宿(略して「オリ合宿」)が1泊2日の日程で行われていました。2007年度のオリ合宿は環境ツーリズム学部と合同で松代、小布施を見学し、菅平に宿泊、翌日は菅平湿原を見学しました。現在の在学生にかつて「オリ合宿」があったことを伝承するのは、当時の体験もし、画像記録もある私から伝えることかな?と思い、画像記録をいくつか載せてみました。 大学から2学部の新入生約200名がバスで見学先に移動。松代で松代城跡(海津城跡)、続いて城跡のすぐ隣にあった池田満寿夫美術館(現在はなし)を見学。おぎのや長野店(これも現在はなし)で昼食をとり、その後、小布施へ。続きの2024-02-27
4長野大学の広告看板2019/04/14長野大学の広告看板2019/04/142019/04/14の記録。 魚民などが入っているJR上田駅前近くのビルの上に大きな広告塔があります。この頃は「公立大学法人 長野大学」の広告が大々的に掲げられていました。「地域を考え? 未来を創造する!」というコピーが書かれています。長野大学が公立化したのは2017年4月のこと。この時は公立化から既に2年経過しています。折りしもこの日4/14は桜が満開でした。2024-02-21
5上田・4月の雪2019/04/10上田・4月の雪2019/04/102019/04/10午後3時の記録。 これはめずらしい。上田はもともと冬でも降雪は少ないのですが。何と4月に雪が降りました。2024年に画像を見て、この記録を発見しました。寒冷地でもある上田では4月の降雪は稀にあります。2024-02-21
6塩田平観光マップ(上田駅構内)今昔2005→2024塩田平観光マップ(上田駅構内)今昔2005→2024写真上:信州の鎌倉と周辺の図(2005/05/04の記録) 写真下:日本遺産・信州上田・塩田平(2024/02/03の記録) 上田駅構内のしなの鉄道改札出入り口に面したコンコースの壁に塩田平の大きな観光マップが掲げられています。塩田平が日本遺産「レイラインがつなぐ『太陽と大地の聖地』」に選ばれてしばらく経ってから「日本遺産」マップにリニューアルされました。 レトロ感たっぷりの「信州の鎌倉」マップが今となっては貴重な記録です。このマップ、デザインは古い時代様式のものです。退色もしています。あるいは退色したように装ったデザインかもしれません。一見したところ相当に年季が入ったもののように見えますが、新幹線や上田大橋が描かれてもいることから推察すると上田大橋開通後の2000年頃に観光PRのために掲げられたものではないかと2024-02-19
7「生涯学習のまちうえだ」2005/04/16「生涯学習のまちうえだ」2005/04/162005/04/16の記録。 上田城跡のお城下、ハローワークの近くの沿道に「誰もが豊かに生きる 『生涯学習のまち うえだ』をめざして 平成12年12月18日議決宣言 上田市・上田市教育委員会」と書かれた横断幕が掲げられていました。 上田市で生涯学習が盛んなことはその後に知ることになりましたが、こういう宣言文がどのような意味や効果をもたらすだろうかということは、この横断幕を見た時に抱いた疑問でした。社会教育が盛んではありましたが。「生涯学習のまち うえだ」はその後特段聴くことがありませんでした。どうしたのだろうという疑問。 「議決宣言」。行政の意気込みがこの横断幕になったものと思います。平成12年と書かれていますので、議決宣言をしたのは2000年のこと。この時は2005年、それから5年経過しています。文科省のホー2024-02-17
8別所線の車両デザイン2005/05/07別所線の車両デザイン2005/05/072005/05/07の記録。 私が上田に移り住んでから間もないころの2005年5月。赤坂上の別所線踏切で信号待ちになり、別所線の車両が通過していきました。それ自体は何の変哲もないものですが、現在の2024年からふり返ってみると、「あれ?このデザインの車両は今は走っていない」と気づき、逆に新鮮でした。このような知らず知らずの変容には古い写真を参照しないと気づけないものです。2024-02-15
9別所温泉【第五回上田氷灯ろう夢まつり】別所温泉【第五回上田氷灯ろう夢まつり】2月8日から2月12日の五日間、別所温泉にて【第五回上田氷灯ろう夢まつり】が開催された。「2024年は甲辰の年、塩田平の日本遺産が象徴する龍をテーマに新しく動き出す成長の年を表現します」というテーマで開催された。私はこのイベントに長野大学MIZUMATCHサークルの一人として、キャンドルアートの制作等に携わった。また、五日間参加した。 このイベントに参加して、別所は地域の人から強く愛されているということを実感した。また、来場者の方々とお話することがあったが、県外から来ている方もいらっしゃって、日本遺産である北向観音堂をはじめ、別所全体は、上田の主となる観光地であると感じた。このイベントには小さなお子さんから、家族連れ、若者、高齢者等様々な方が足を運んでおり、特に休日は多くの人で賑わっていた。このよ2024-02-13
10国宝安楽寺国宝安楽寺神聖な雰囲気に包まれた安楽寺。長い年月をかけて育った杉の大木に囲まれながら、階段を上るとそこには見事な八角三重塔。とても素晴らしい歴史文化財である安楽寺は地域観光財として大きな価値を持ち、上田&別所地域に大きく貢献している。少し立地は悪いが、この一つだけでも観光が成り立つ資源としての強みは、地域観光の在り方を考える際の軸としての意味も担っているだろう。2024-02-13
11第5回上田氷灯ろう夢まつり に行ってきました第5回上田氷灯ろう夢まつり に行ってきました2月8日から2月12日まで開催されていた「上田氷灯ろう夢まつり」に行ってきました! 北向き観音のライトアップや、長野大学の「MIZUMATCH」(ミズマチ)というサークルの方達が行っているライトによる展示もありました。 北向き観音堂は日本遺産であり、平安時代初期に開かれた霊場です。名前にも北向きと入っていますが、日本の中でも北向きの本堂は珍しいものです。善光寺は南向きで本堂があるのですが、北向き観音堂と善光寺が相対するようになっているそうです。 上田市に存在する日本遺産を調べていると、相対になっているものがいくつもあり、興味深いと感じます… 実際に行けていない場所も多くあるので、行ってみようと思います。 話しが脱線してしまいましたが、上田氷灯ろう夢まつりでは、北向き観音堂始め、市指定文化財の、愛染2024-02-13
12別所温泉別所温泉客室は和の情緒とやすらぎが満ちる純和風の造り。温泉は、自慢の岩風呂や檜風呂などで天然温泉を愉しむことができます。料理は、四季折々の信州の味を月替わりの本格会席で味わうことができます。2024-02-13
13姨捨駅2008/05/06姨捨駅2008/05/062008/05/06の記録。 JR篠ノ井線の姨捨(おばすて)駅。Wikipediaによると姨捨駅が開業したのは1900年とのこと。「田毎の月」で知られれる姨捨の棚田が眼下に広がり、姨捨駅からは善光寺平が一望できます。日本三大車窓と呼ばれるほどの景勝スポットです。さらにスイッチバック方式の全国的にもめずらしい駅です。 何と言ってもホームから展望する善光寺平の景色は絶景です。ホームのベンチが鉄道側にでなく、善光寺平に向かって設置されている点にもご注目を。篠ノ井~名古屋間を電車で移動する際には姨捨付近を通過します。その夜景も素晴らしい。鈍行の電車は、スイッチバックして姨捨駅に停車します。このスイッチバックもぜひ体験してみたい。 参考資料:Wikipedia/姨捨駅 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A7%A8%E6%8D%A8%E9%A7%852024-02-13
14観光目的でのシェアサイクル利用例観光目的でのシェアサイクル利用例新潟県妙高高原でのシェアサイクルの事例。妙高高原でのシェアサイクルサービスは、雪のない時期限定となっており、これは常設化されている。付近の野尻湖や、赤倉温泉へのアクセス手段として機能している。上田・千曲シェアサイクル実証実験でも、観光目的の利用を中心とし、冬季は閉鎖するシステムを取っているが、雪の降る日が少ない東信地方では、冬季閉鎖よりも雪の日と路面が凍結する降雪後の数日のみ貸出禁止にする措置が妥当ではないだろうか。  特に、妙高高原では少ない地元利用も上田では増えている。2023年10月には、今までポートがなかったザビック上田中央店にも新設されたことが証拠となっているだろう。近くには上田バスのバス停もあるが、時刻表に縛られない自由なシェアサイクルは、バスやタクシーの補完も2024-02-12
15【上田市の銭湯】銭湯の分布から見る地域の考察【上田市の銭湯】銭湯の分布から見る地域の考察突然ですが、皆さんは銭湯に行ったことはありますか? 銭湯というと、富士山の壁画が描かれた、東京の大きな下町銭湯を思い浮かべる人が多いと思います。ここでいう銭湯とは、法律で定められた一般公衆浴場のことです。 ここ上田市にも、地域に根付いた街のお風呂屋さん、銭湯が2軒あります。ですが最盛期には、なんと24軒もの銭湯がありました。昔は市街地ではお風呂のある家庭は一般的ではなく、農村部のお百姓さんの家、どこかの大富豪の社長さんの家など、限られた家庭にしかありませんでした。そこで、「浴場業(銭湯)」という一つの業種が確立されたんですね。今回はこれまでの調査のまとめとして、「銭湯の分布から見る地域の考察」を題として、上田市の銭湯の現状とともに記していきます。 ◎上田市の銭湯の現状 下に上2024-02-12
16【上田市の銭湯】地図から銭湯の分布を見てみよう~「史的ニ上田」編~【上田市の銭湯】地図から銭湯の分布を見てみよう~「史的ニ上田」編~突然ですが、皆さんは銭湯に行ったことはありますか? 銭湯というと、富士山の壁画が描かれた、東京の大きな下町銭湯を思い浮かべる人が多いと思います。ここでいう銭湯とは、法律で定められた一般公衆浴場のことです。 ここ上田市にも、地域に根付いた街のお風呂屋さん、銭湯が2軒あります。ですが最盛期には、なんと24軒もの銭湯がありました。昔は市街地ではお風呂のある家庭は一般的ではなく、農村部のお百姓さんの家、どこかの大富豪の社長さんの家など、限られた家庭にしかありませんでした。そこで、「浴場業(銭湯)」という一つの業種が確立されたんですね。今回は、上田市の銭湯を研究するための必読書、「史的ニ上田(15)上田の銭湯」という文献をご紹介します。 (画像は、文中にも登場する中央3丁目(松原町)の「竹の2024-02-12
17【第3回】ホテルルートイン上田【第3回】ホテルルートイン上田一番長野本部から近いのがここホテルルートイン上田だ。現在広く展開されているルートインブランドである。2023年4月現在、このブランドで271ホテル展開されている。 ルートインという名の通り、国道18号線沿いにあり、無料駐車場が完備されている王道のルートインといっても過言ではない。室数84室で人工温泉、朝食バイキングがある。人工温泉は男女入れ替え制だが、女性の入る時間が短いため、男性客が多いのではないかと予想できる。2024-02-10
18リヴィン上田店2008/05/04リヴィン上田店2008/05/042008/05/04の記録。 Wikipediaによると上田西武店がリヴィン(LIVIN)に改称したのは2000年9月とのこと。リヴィン上田店は2009年に閉店しました。リヴィンは総合スーパーながら、店内は前身でもある西武百貨店時代のデパートらしい装いが印象的な店舗でした。営業していた期間、店内を撮影するのははばかられたので私の写真記録の中にはありません。今となっては写真の記録もなく、記憶に残るのみです。 リヴィン跡地には現在ホテルルートインGrand上田駅前(2016年創業)が建っています。都市の変容の痕跡が記憶からも薄れていきますね。 参考資料:Wikipedia「リヴィン」 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%B32024-02-10
19長野大学長野大学上田市の公立大学。2023年3月から奥田大賀が在籍。2024-02-09
20軽井澤町道路元標軽井澤町道路元標大正11年12月1日長野県告示第636号により、北佐久郡東長倉村の道路元標の位置が、大字長倉2,009番地先と定められた。 大正12年8月1日に東長倉村が町制を敷き、軽井澤町となったことにより、軽井澤町道路元標に作り替えられた。2024-02-09
212つの資料のデータを比較するために折れ線グラフをつくる。まずは「西塩田時報」のデータを折れ線グラフにしていく。大正13年から昭和6年のデータを見ると、気温が℃の単位以外で表示されていることがわかる。気温や温度を表す単位として他に℉があることから、これらのデータは℉での表示であると判断し上記の式を用いて℃での表示に直す。なお数値は小数点以下第2位を四捨五入して、第1位まで求める。また昭和3年4月の平均・最低気温に書かれている「仝」という漢字の意味が分からなかったため調べたところ「同」の古字であると説明されていたため、最高気温の数値の前に書かれている「室内(資料のタイトルなどが横書きの場合右から書いてあったことを踏まえ当時は横書きの文字は右から読むことがわかった。この資料では現代の表記に2024-02-09
22「西塩田時報」の「長野縣小縣郡西鹽田村一覧」という各種データを取り扱うページから「氣候」という項目をまとめた。大正13年(1924)4月~昭和24年(1949)12月の期間で14年分のデータを見つけることができた。それぞれ「氣温」「結霜」「積雪」という項目があり、さらに「氣温」は「最高」「平均」「最低」に、「結霜」「積雪」は「初月日」「終月日」の項目に分かれる。今回は「氣温」のデータを活用する。2024-02-09
23諸ものがたり20231107 #shorts諸ものがたり20231107 #shorts2023年10月29日に開催した、「第8弾移動企画シリーズ 諸ものがたり」のダイジェスト動画です。 2024-02-08
24vol7六供ものがたり 202307vol7六供ものがたり 2023072023年7月1日に六供公民館で開催されたイベントの様子です。 糸のまち・こもろプロジェクト、移動企画シリーズ第7弾。 小諸蚕糸業の発祥地で温故知新~企画 「民間で始まる蚕糸業ものがたり」 2024-02-08
25氷風穴の里保存会主催 風穴講演会 氷風穴をめぐる人々と交通・産業 かっくんのハーモニカ演奏、宮下健司氏講演会(宮下氏側撮影)(スクリーン側撮影)氷風穴の里保存会主催 風穴講演会 氷風穴をめぐる人々と交通・産業 かっくんのハーモニカ演奏、宮下健司氏講演会(宮下氏側撮影)(スクリーン側撮影)【風穴講演会 氷風穴をめぐる人々と交通・産業】 主催:氷風穴の里保存会 開催日:2024年1月28日(日) 会場:安藤百福センター(小諸市大久保千百番) 詳細URL:https://fuuketsu.wixsite.com/koori/%E8%A4%87%E8%A3%BD-2023%E5%B9%B48%E6%9C%882%E6%97%A5-1 【かっくんのハーモニカ】 各務 雄太さん(通称かっくん)はアスペルガー症候群を抱え、ハーモニカ奏者としてマネージャーの父貞雄さんと共に地元小諸市を中心に活動しています。主に発達障害の理解を進めることや東日本大震災の被災地支援活動を行っています。また、今年は「平和への祈り」をテーマに、地震や戦争が続く中での平和への祈りを込めて演奏されています。 【講師:宮下 健司氏】  宮下健司氏は1951年東筑摩郡麻績村に生まれ、明治大学で歴史学を専攻されました。その後、県史編纂や県立図書館勤務を通じ、2024-02-08
26 1925年8月に発行された西塩田時報では無線通信分野における、我が国の現状や問題点、将来性や、欧米諸国との比較について言及されていました。詳しく説明すると、従来日本でも無線技術を兵器工場などでの軍用利用にとどめる形で利用してきていたが、秘匿されていました。国民の科学思想の普及を図る目的もあり、この技術が公開され、さきがけとして東京放送局でラジオ放送が開始されました。  この年、長野県でも1か所放送局開設が許可され、年中に上田市の多くの地域でもラジオ放送が聞くことができることが記されていました。2024-02-07
27北向観音堂北向観音堂北向観音堂は別所温泉街だけでなく上田地域を見渡すことができる位置にある。境内には藍染カツラをはじめとした様々な文化財があり、その一つ一つから地域に根差した歴史を感じることができる。2024-02-06
28生島足島神社生島足島神社国土の守り神として仰がれている生島足島神社。 神池に囲まれた本殿の最深部、内殿には床板を張らないことで大地を直接祀っている。 近隣住民の中には神池を囲む参拝ルートを歩くことを日課にしている人がいる。2024-02-06
29科野大宮社科野大宮社信濃国府の総社という説もあるほど由緒ある古社である。 境内には簡素な公園と喫煙所があり、私が参拝した際には近所の御老人方が談笑していた。2024-02-06
30常田毘沙門堂常田毘沙門堂江戸時代、この毘沙門堂の地には「多聞庵」という私塾がありました。そこでは活文禅師という人の下であの佐久間象山が学んでいたそうです。境内の碑文には佐久間象山直筆の篆額があります。2024-02-06
31学生による地域キュレーション2023(信州上田学A受講生)学生による地域キュレーション2023(信州上田学A受講生)学生による地域キュレーション2023(信州上田学A受講生) 長野大学の地域科目「信州上田学A」2023を受講した学生が「信州上田」を接点として地域キュレーションした地域学習のアウトカムです。タイトルを選ぶとその学生のマイサイトを表示します(2024/02/15更新)。 各キュレーションの「マイテーマ」は次のページからご参照ください。[ Vol.1 | Vol.2 ]
    ▼社会福祉学部学生
  1. いちご/上田の食
  2. しおり/上田の食べ物
  3. な/上田の日本遺産について
  4. るるる/塩田平の文化財
2024-02-05
32安楽寺の文化財安楽寺の文化財安楽寺の文化財について、3つ紹介する。  一枚目の写真は重要文化財の「安楽寺前開山樵谷惟仙和尚像」。樵谷惟仙(しょうこくいせん)は安楽寺の初代住職。二枚目の写真は重要文化財の「安楽寺前二世幼牛恵仁和尚像」。幼牛恵仁(ようぎゅうえにん)は安楽寺の二代目住職。これらのような禅宗の僧の彫刻像のことを「頂相(ちんそう)」という。  三枚目の写真は上田市指定文化財の「輪蔵」。このなかには「黄檗版一切経」というお経が納められている。この輪蔵を回転すれば、文字を読めない人もお経を読める人と同じ功徳が与えられるといわれている。 参考文献: 上田市塩田地区学校職員会、上田市塩田文化財研究所編,『信州の鎌倉塩田平とその周辺』信毎書籍出版センター発行,昭和六〇年一二月二五日初版発行,p.66-69 曹洞宗安2024-02-02
33常楽寺の''石造多宝塔と石造多層塔''常楽寺の''石造多宝塔と石造多層塔''常楽寺の石造多宝塔について。写真の場所は、昔大きな火柱と一緒に観音が現れた場所と言い伝えられている。  多宝塔というのは一枚目の写真のような塔のこと。多宝塔には木造のものと石造の物がある。常楽寺の物は石造の多宝塔で、重要文化財に指定されている。  多宝塔のほかにも多層塔もあり、二枚目の写真が多層塔。六〇年前の大正一三年に、別所温泉北向観音堂の近くの裏山の地下で発見された。その後どこかに行ってしまったが、滋賀県で発見。別所に返してもらった。 参考文献:上田市塩田地区学校職員会、上田市塩田文化財研究所編,『信州の鎌倉塩田平とその周辺』信毎書籍出版センター発行,昭和六〇年一二月二五日初版発行,p.56-582024-02-01
34北向観音の''絵馬''北向観音の''絵馬''北向観音堂に奉納されている絵馬はとても興味深い。馬の絵や、鬼退治の絵、善光寺地震などが描かれた絵馬がある。絵馬の由来は、神は馬に乗った姿で現れるとするため昔は本物の馬を奉納していたそう。しかし次第に木や紙、馬の像で代用するようになっていった。鎌倉時代以後には、絵馬の図柄は馬だけではなく多様なものが描かれるようになっていった。 一枚目の写真は板絵鬼女紅葉退治の絵馬。平安時代、信州戸隠山に住み悪事を働いた鬼を退治したとされる伝説。鬼女征伐の命令を受けた平維茂は、北向観音の加護によって退治することができたといわれている。 二枚目の写真は善光寺大地震の絵馬。一八四七年に御開帳でにぎわう善光寺を突然大地震が襲い、多くの人が亡くなった。絵馬の中央にいる市之助という人は、一五人の一行と旅を2024-02-01
35上田の象徴!月明り照らす上田城上田の象徴!月明り照らす上田城上田と言えば上田城!大河ドラマ「真田丸」にて脚光を浴びたこの城は上田を大きく発展させるとともに、多くの人々に消費される文化財となった。私は長野県民として、高校時代から上田の観光の在り方について考えることがあったが、文化財による観光誘致の在り方についてこの城は今一度投げかけてくれるであろう。それでも上田城はそこに佇んでおり、私たちに寄り添ってくれる。2024-02-01
36日本の中心!生島足島神社日本の中心!生島足島神社池の上に浮かぶ真っ赤な神社。その荘厳な雰囲気は見るものを惹きつけます。地域住民だけではなく外国人観光客も度々見受けられ、インバウンド誘致も成功していると読み取れます。初詣では県内外の客が集いその姿は、長い年月を通して多くの人から愛される地方における、信仰・観光・地域開発の象徴だといえます。2024-02-01
37互 先発 水掛酒造互 先発 水掛酒造上田市の地酒2段目です! 中辛 実際に飲んだら、とても酸味が強く感じた。 原料米 長野県産ひとごこち 水掛酒造は2月4日に蔵見学に行くので、投稿楽しみに!!2024-02-01
38蚕都上田 常田館製糸所 天皇来訪蚕都上田 常田館製糸所 天皇来訪2016年8月23日に天皇皇后両陛下が視察に来られたそうだ。現存する大規模製糸場はここ、常田館製糸場と富岡製糸場だけであり、大変価値がある場所だということが改めて分かった。その際に天皇皇后両陛下の対応にあたった笠原工業の社長に今回お話を伺った。2024-02-01
39蚕都上田 笠原組常田館製糸所蚕都上田 笠原組常田館製糸所2024年1月24日、笠原組常田館製糸所を訪れた。 笠原工業の社長から様々な説明を受けた。 これから、施設の写真とともに説明の要約を記載し、自分の考えたこと・感じたことを中心に投稿していく。 笠原組常田館製糸所は現在も施設見学や職員による概要の説明など、現地調査が十分に行える場所であった。 製糸業の最盛期には当時、2500人近くの従業員がここ、笠原組常田館製糸所で働いていたという。2024-02-01
40喫茶店 「茶房まるげん」喫茶店 「茶房まるげん」・16時ごろに訪れ、お店の外観に一目ぼれ?し入店。 ・店主の方が、一人でされおり気さくな優しい方でした。 ・ゆったりとした空間がとてもよかったです。 ・近くには薪ストーブがあり12月にピッタリな暖かさ ・ところどころに飾られてる置物や食器がこだわりを感じます。 ・あんみつ美味しかったです(⌒∇⌒)2024-02-01
41ニホントカゲニホントカゲ7月17日に学内で見つけたニホントカゲです。 幼体は尾が青くなっているのが特徴です。当時近くに3匹ほど同じようなサイズの個体がいたので、兄弟であると思われます。 この時期にニホントカゲもニホンカナヘビも学内で観察することができました。 実家の方ではニホントカゲしか見られなかったので、どちらも同じ場所で観察できるというのは新鮮でした。地元の方は標高がかなり高めであったので、カナヘビは適応していないのかなと考えました。 改めて観察していると、ニホントカゲの方が蛇行のようにスルスル動くように感じました。2024-02-01
42比蘭樹 (びらんじゅ)比蘭樹 (びらんじゅ)・平成20年に「あいそめの湯」オープン以来、施設内で調理した料理の提供ができませんでしたが、市が食堂を整備し、あいそめの湯指定管理者別所温泉観光協会が運営する食事処「比蘭樹(びらんじゅ)」を平成31年4月にオープンした ・あいそめの湯は、市民の健康増進を目的とした施設であり、食堂のテーマは「健幸食」食材は安心・安全な地場産農産物を中心にした「地産地消」の推進、また調理くずなどの生ごみは堆肥化処理し、ごみの減量化を目指す「資源循環型」のコンセプトを掲げた食堂となっている (上田市ホームページより) 比較的低価格にもかかわらず、多くの副菜があり栄養バランスが考えられているなと感じました おばあちゃん達が作ってくれるご飯で、とっても美味しいです! 別所温泉を訪れた際には是非行ってみてくだ2024-01-31
43hanatokihanatokiパン屋さんの休業に伴い、店舗を借りて始まった喫茶店 2020年12月にオープンしたばかりの新しいお店 時間は掛かるけど古いものを大切に。という気持ちから お店の外観はあえて、レトロな雰囲気にしているとのこと 夫婦で切り盛りしているカフェで、お2人ともとても優しい方でした プリンは固めで、濃厚でとても美味しかったです 別所温泉へ行った際は是非食べに行ってみてください!2024-01-31
44岳の幟岳の幟岳の幟は別所地域で毎年七月の十五日に近い日曜日に行われる雨乞いの儀式である。五百年以上続く伝統の儀式である。国の重要無形民俗文化財や、日本遺産にも登録されている。岳の幟当日は夜明け前、幟の行列の担い手は別所温泉を出発し、夫神岳に登る。午前六時頃、夫神岳に祀られた九頭竜神の祠に住民代表が神事を行った後、岳の幟の布と、御神酒をお供えし、祝詞をあげ、地域の安全と五穀豊穣を祈願してお祓いを行い、午前六時半頃、登り流を先頭に四十本ほどの幟を立て、最後に降り竜がついて山を下る。途中から三十本ほどの幟が加わり、その後、三頭獅子、ささら踊りの一項と合流し、別所の温泉街を一巡する。2024-01-31
45白い壁の汚れの取り方白い壁の汚れの取り方このような古典的な方法は今での主流だと考える。 だが、現代は白い壁に汚れが付いた場合にアプローチする様々な方法がある。 『西塩田公報』第86号(1954年11月5日)4頁2024-01-31
46昔と現代の豆知識の変化昔と現代の豆知識の変化今はシミ取り用の洗剤、石鹸、等が普及しているが、当時はそのような便利なものがなかったので、容易に手に入る身の回りものでシミ取りを行っていたと考えられる。 今でもいざというときに使えそうなものはありそうだ。 『西塩田公報』第83号(1954年8月5日)4頁2024-01-31
47祖父母宅の蘇民将来符祖父母宅の蘇民将来符 蘇民将来符は、毎年1月7日・8日の八日堂縁日にて招福除災を祈り、参拝者に授けられる護符のこと。信濃国分寺の蘇民将来符は、ドロヤナギの木を六角錘形に作ったもので、形状や模様の一つ一つに意味がある。6つの側面には「大福・長者・蘇民・将来・子孫・人也」の文字が記されている。その形状と図柄は民芸的に格調が高く、民俗学的にも貴重な文化財とされている。昭和43年4月には上田市の民俗文化財に指定されている。  祖父母宅には、以前から蘇民将来符があることは認識していたが、どんな意味があるかなど理解していないことが多かった。毎年購入し増え続けるため、何かしらの意味があるとは思っていたが、歴史・意義に興味を持つことは無かったので良い機会となった。2024-01-30
482024年1月31日長野大学企業情報学部卒業論文発表会2024年1月31日長野大学企業情報学部卒業論文発表会2024年1月31日に行われた長野大学企業情報学部卒業論文発表会を視聴しました。様々な分野の発表を聞き、私自身の卒業論文の参考にしたいと思いました。画像は発表時のモノです。2024-01-30
49松平氏とゆかりのある上田のスポット松平氏とゆかりのある上田のスポット 上田を治めた松平氏にゆかりのあるスポットを載せたマップを作製した。今まで紹介してきた記事に加え、4つのスポットをマップに加えた。  信濃国分寺の三重塔修復で紹介した松平忠周であるが、彼は正徳2年(1712)5月に山家神社の社殿を、正徳4年(1714)8月には紺屋町八幡神社の社殿も修復している(ただ、どちらの修復も三重塔修復より前の時代になる)。上田に引っ越してきて間もない忠周は、古くから上田住民の心の拠り所となってきた上記の神社仏閣を修復することで、上田領民の信用・信頼を得ようとしたのではないか、と私は考える。加えて、これから先、領内で天災や大きな事件が起こらないように、と土着の神仏に願かけをする気持ちもあったと思う。  山家神社であるが、額縁の『山家神社』という字は、上田最後の藩主で、知2024-01-30
50信州上田祇園祭信州上田祇園祭祇園祭の起源は869年、疫病の流行を鎮めるため御霊会が行われたことから始まりました。この御霊会が祇園祭の起源とされています。 上田市の祇園祭は、1584年6月12日真田正幸公が上田城へ入城された日が、土地の祇園祭であったことから「お城祭」とも言われています。 上田祇園祭は真田氏、仙石氏、松平氏の時代を経て疫病退散祈願、豊作祈願、地域安泰祈願を兼ねたお祭りです。平成18年には、信州上田祇園祭実行委員会組織され、宮神輿、樽神輿、こども神輿などを合わせて100基以上が集まり開催されました。今では地域に根付いたお祭りになっています。2024-01-30
51しめ縄しめ縄 前回、別所を知っていただくため別所の特産物として売りだしている「まこも」について紹介した。  そして今回は、自分たちが育てた稲やまこもの葉の活用を紹介する。  別所でお世話に農家さんとおじいちゃんおばあちゃんに教えて頂きながら、私は「しめ縄づくり」を体験した。実際に作ってみて、昔の人はこんなに大変な思いをして手作りでしめ縄を作っていたのだと気づいた。まず乾燥させた稲を形を変えやすいように石などでたたいて柔らかくした。そして、すべて手作業で稲を手の上で転がすように編み込むことを繰り返して完成させた。手の上で転がすということが難しく、コツをつかむまでにとても時間がかかった。私は稲でしめ縄を作ったが、まこもの葉でも、同じようにしめ縄を作ることが出来る。  自分で頑張って作ったし2024-01-30
52お盆にまつわる話①お盆にまつわる話①この記事では「お盆」という行事がどのように伝わってきたのか書かれています。この記事によると、どうやら中国の仏教がルーツのようです。 現代では、今は「何となく夏にある長期休みで実家に帰る期間」くらいに捉えがちですが、今一度、その由来やルーツを考えてみると発見があります。 このような記事が広報誌に載るくらい、お盆は当時の人々にとって関心の高い行事だったのでしょう。 この記事は以下から抜粋したものです。 『西塩田公報』第71号(1953年8月5日)1頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p1209.jpg2024-01-29
53昔から大切にされてきたお盆昔から大切にされてきたお盆これは昭和四年八月一日の西塩田時報より抜粋したもので、物価高騰でお盆の準備に困っている人は、組合が安く提供できると呼びかけているものです。 物価が高騰してもそれぞれの家で事前の準備がなされていることから、昔の人がお盆の大切にしていると読み取れます。 『西塩田時報』第69号(1929年8月1日)3頁よりhttps://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0301.jpg2024-01-29
54紙資料のデジタルアーカイブ化②紙資料のデジタルアーカイブ化②2024年1月27日にプロジェクト研究発表会で発表した資料です。紙資料のデジタルアーカイブ化という題材で資料を作成しました。2024-01-29
55神畑神畑1921年(大正10年)6月17日に上田温泉電軌により、川西線の駅として開業した。 地名の由来は下之郷生島足島神社近く、同社の神服部が神畑と訛ったものといわれる。 開業時から無人駅である。 民家やアパートなどが立ち並ぶところに位置している。当駅は周辺に住む多くの学生が利用している印象がある。学生たちにとってはとても利便性の高い駅なのではないかと感じた。2024-01-29
56寺下寺下寺下駅の名前の由来は、その名の通り「寺の下」にあるからである。所在地の字名「寺下」は当駅は開業(大正10年6月)後に称されるようになったものである。 駅名の由来となった背後のお寺は、「超誓寺」といい、永禄11年建立。阿弥陀如来を本尊としている。 隣の神畑駅とともに神畑地区に所在する。 春になると、駅の周辺は桜でいっぱいになる。寺下駅の桜は枝垂桜。夜はライトアップもされていて非常にきれいな夜桜を楽しむことができる。別所線に乗っている際に車窓から見える桜もとても美しい。ぜひ春には寺下駅へ行ってみてほしい。2024-01-29
57藤本蚕業プロジェクトミーティング藤本蚕業プロジェクトミーティング2024年1月23日に藤本蚕業歴史館でミーティングを行いました。今後の課題などについて話し合いを、意見を交換しました。画像はその時出た課題の一部です。2024-01-28
58源泉もある北向観音堂源泉もある北向観音堂北向観音堂へやってきた。ここでは、境内に源泉があるので、温泉で手や口を清めることができる。温かい湯で清めることができるのは、寒い季節にはうれしいことだと感じた。11月に善光寺に行ってきたので、個人的に北向観音堂は、一番行きたい場所であったので、今回の散策で行くことができてよかった。また、境内からは、美しい景色を眺めることができたので、みなさんにもぜひ行ってほしい。そして、温泉で手と口を清めるという体験もやってもらいたい。2024-01-27
59【2024/1/28開催】氷風穴の里保存会主催 風穴講演会 氷風穴をめぐる人々と交通・産業【2024/1/28開催】氷風穴の里保存会主催 風穴講演会 氷風穴をめぐる人々と交通・産業【風穴講演会 氷風穴をめぐる人々と交通・産業】 主催:氷風穴の里保存会 開催日:2024年1月28日(日)14:00-16:00(13:30受付) 12:30- 温風穴見学会(希望者のみ 風穴駐車場集合) 参加費:無料 定員:100名(先着順) 会場:安藤百福センター(小諸市大久保千百番) 駐車場:第二駐車場(県道沿い) 講師:宮下 健司氏(元 長野県立歴史館 総合情報課長) 詳細→氷風穴の里保存会ホームページ2024-01-26
60上田市街をフィールドワーク上田市街をフィールドワーク10月自分の所属している課題探求ゼミにて上田市街のフィールドワークを行った。 お昼の時間から午後にかけてだったためお昼を求めkadokkoさんへ行ったものの本日は休業であった。 写真はその後、教授おすすめのニュービーナスというお店に向かう途中の路地の様子。日中の静寂な空間と華やかな看板がとても印象的であった。 フィールドワークを通してすれ違う人と挨拶から始まりお話をするということがあったが、皆さん楽しそうに話す方ばかりで、学生と話せることがうれしいのだそう。 もっと密着した活動ができたら楽しいだろうな。2024-01-26
61信濃国分寺信濃国分寺信濃国分寺は奈良時代に建立された寺であり長い歴史を持ちます。三重塔は国の重要文化財に指定されています。 1月には500年以上続いている伝統行事である「八日堂縁日」があり、多くの人でにぎわいます。八日堂縁日では、疫病や災難を避けて福を招くといわれる護符である蘇民将来符を手に入れることができます。2024-01-25
62上田城千本桜まつり上田城千本桜まつり毎年3月下旬から4月上旬にかけて上田城跡公園にて行われている千本桜まつり。 千本桜まつりでは、上田のご当地グルメや特産品が集結するため、上田のグルメを堪能することができます。 夜にはお堀を囲むように咲く桜が幻想的にライトアップされます。 日本夜景遺産にも認定された美しい風景をお楽しみください。 千本桜まつりは上田市を代表するイベントのひとつだと思うのでぜひ訪れてみてほしいです。2024-01-25
63別所 part4別所 part4 前回までに、別所で行われている観光客を呼び込むことが出来る行事や、イベントなどみんなに知っていただきたいものを紹介してきた。  そして、今回は夏に行われた北向観音での「盆踊り」について紹介する。    毎年、北向観音では盆踊りが八月の中旬に4日間かけて行われている。  その時にも、地域とのつながり、盆踊りを盛り上げるためとして、私たち若い力が必要とされた。さらに、盆踊りなどのお囃子も一部任せて頂いた。いくつかの踊りを地域の方と一緒に踊り、とてもいい時間を過ごさせていただいた。別所の地域に、子育て世代が増え、広々遊べ、のびのび育つ環境で子育てをするひとが増えるといいと思う。  その時の写真である。2024-01-25
64別所 part3別所 part3 前回、「あいそめの湯」での地域を盛り上げている活動としての紹介をした。    初回は、「北向観音」の基礎情報について投稿した。  そこで今回は、「北向観音」での観光客を取り込み、北向観音へ初めて来た人や外国の方に楽しんでもらえ、地域を盛り上げるために行っている活動を紹介する。北向観音へは、外国人のかたも多く訪れている。だから、外国の方が予想だにしない状況で日本の文化に触れる機会となり、喜んでいただけることが多い。北向観音の境内で太鼓と踊りを行ったり、大門通りで行ったりする。こちらも、あいそめの湯と同様に、昨年まで、月に一回のペースで行っていた。    今回貼り付けているものは、その時の写真だ。  2024-01-25
65信濃国分寺・三重塔信濃国分寺・三重塔信濃国分寺は、薬師如来を安置する本堂をはじめとした堂塔伽藍がそろい、1月8日の縁日にちなんだ「八日堂のお薬師さん」の名で近在の信仰を集めている。 そして信濃国分寺三重塔は、日本遺産に登録されており建久8(1197)年に源頼朝が善光寺参詣の帰途、寺の衰退を憂い、塔の復興を命じた。建築様式は、「和様」の外観となっている。2024-01-25
66別所 part2別所 part2 前回では、「北向観音」「岳の幟」と別所にまつわる、多くの人に興味をもって頂きたいと思うものをのせた。  そして今回は、別所の大きな温泉施設である「あいそめの湯」について紹介する。別所温泉にあるあいそめの湯は、信州の鎌倉・塩田平の西側に位置し、古くは「七久里の湯」と呼ばれ枕草子にも登場する信州最古の温泉である。 ●開館時間:10時〜22時 ※入館受付は21時20分まで ●休館日:毎月第2・第4月曜日(第2・第4月曜日が祝日の場合は翌日が休館日) ●料金  大浴場、露天風呂、福祉風呂(予約制)  未就学児童 無料  小中学生 250円  一般 500円  障害者手帳をお持ちの方については、大人250円、小中学生120円 ● ボディソープ・リンスインシャンプー(無料) ● ドライヤー(無料) となっている。(あいそめの2024-01-25
67別所 part1別所 part1 探求テーマとして、私は「別所を盛り上げるには」と設定した。今よりも多くの人に、別所のことを知ってもらい、別所でのイベントや行事について興味を持ってもらうとともに、足を運ぶ人が増えることがこのゴールであると考えた。  そこで、まず初めに、別所の大きな観光地である「北向観音」についての基本情報をあげた。  そして今回は、自分ができる、行っている活動を紹介する。  part1では、岳の幟について紹介する。 岳の幟は、7月の夏に行われているもので、別所温泉に伝わる雨乞いの祭りである。青竹に色とりどりの反物をくくりつけた幟の行列が練り歩き、笛や太鼓に合わせてささら踊りや三頭獅子舞も奉納されます。国の選択無形民俗文化財に指定された珍しいお祭りになっている。 (上田市ホームページ、信州上田観光2024-01-25
68活気溢れる・上田わっしょい活気溢れる・上田わっしょい 八月某日、上田市内で行われた上田わっしょいという祭りを見に行った。当初は規模の小さい地域の催し物程度の認識であったが、実際に見物して印象がガラリと変わった。  それぞれの地区に分かれて集団で神輿を担いでいる様子はとてもエネルギッシュで熱気が直に伝わってきた。これは一度は見に行ってみて欲しい祭りの一つである。2024-01-25
69戦前と戦後の北海道新聞における文化の移り変わり戦前と戦後の北海道新聞における文化の移り変わりまず初めに何故北海道新聞で文化の移り変わりを調べたかったのかというと西塩田時報で様々な大正から昭和にかけての記事を閲覧していた際に自分の地元ではどのように変化していったのか素直に興味を持ったからだ。 そこで今回は現代の北海道新聞と昔の戦前の新聞を用いて文化をそれぞれ比較しようと思う。 比較する新聞の年は1942年と2020年だ。北海道新聞は1942年に創刊された。1942年といえば日本は第二次世界大戦中であり、アメリカと戦っていた時期であった。実際の記事を見てみるとそれが伺える。下方に「アメリカの焦燥」と書かれた項目がある。当時の日本がアメリカを牽制していたのが分かる。さらに、「戰」や「諸勅令」といった今となっては使われなくなった漢字や表現が使われている。ここからも北海道での戦時中の緊張感が伝2024-01-25
70石久摩神社石久摩神社石久摩神社は隣の川辺小学校とつながりが深く、北鳥居の下に埋められたタイムカプセルの中に児童作文があります。 また、東鳥居付近にある上田原自治会館では5年に1度「上田原古戦場祭り」が行われます。2024-01-25
71牡丹地蔵牡丹地蔵北佐久郡軽井沢町追分の泉洞寺境内にある、第四次東海浪瑞原義勇隊開拓団 瑞原会が昭和46年9厚26日に建立した地蔵尊 泉洞寺ホームページの説明文 「角背型の牡丹地蔵尊(宝性地蔵)で、全長3.14メートル。元満州東海浪瑞原義勇隊開拓団員物故者の27回忌に当たり、仲間の冥福と、永遠の平和を祈願し、無事帰国することのできた団員が組織した「瑞原会」により昭和46年(1971)9月26日に建立された。」https://sentouji.com/stroll/index.html2024-01-24
72越後の伝説についての考察(『越後の国雪の伝説〔正〕』鈴木直著 昭和十七年七月二十二日発行)越後の伝説についての考察(『越後の国雪の伝説〔正〕』鈴木直著 昭和十七年七月二十二日発行)越後の国雪の伝説〔正〕に収録されている23の伝説の中の4つについて、それがなぜ生じたのかという自分なりの考察をおこないました。 *越後の国雪の伝説〔正〕とは、越後に古くから伝わる伝説のうち、雪に関するもののみをピックアップして収録した本です。なお、地域としては中・下越の中でも比較的豪雪な地帯の話が中心的です。 1,茂助地蔵 《あらすじ》 昔、一人の旅人がいた。宿屋を出発して目的地へと歩いていたが、天候は最悪で、顔を前に向けることも困難なほどの吹雪だった。そして、その途中で偶然にも一人の女性に遭遇し、自分の家に泊まっていくことを勧められる。旅人は女についていくことにし、彼女の家で手厚いもてなしを受けた。数日後、旅人は死体となって発見された。死因は凍死であり、近くの村の村人は旅人は雪2024-01-24
73上田紬上田紬長野県の上田市、飯田市、松本市、岡山市、駒ケ根市周辺などで生産されている絹織物の総称を「信州紬」という。 信州紬の種類として上田紬、飯田紬、伊那紬、松本紬の四種類ある。上田市の上田紬とは江戸時代に信州紬の中で最も有名だった紬の着物である。昔は愛染系の縞柄が基調の着物だったため、「上田縞」とも呼ばれていた。特徴として縞と格子柄で丈夫でしなやかな風合いである。 この上田紬の織りを体験できる場所として「織りの休日俱楽部」がある。そこではストールが作れる。一ヵ月に一回と開催日が少なく、参加費も一万二千円と高めではある。 このような体験は上田市に限らず、他の地域でも行われていることが分かった。 上田紬についてもう少し詳しく調べてみた。 生糸に適さない屑繭を真綿にし、 真綿からつむいだ紬糸2024-01-23
74組合立中學校設立研究会生まる組合立中學校設立研究会生まる研究環境の改良を図るため、当時上田市では組合立中學校の設立が検討されていた。合同での校舎を設立することで、学生の学習環境に様々な効果がもたらされることを期待していた。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1235 『西塩田公報』第80号(1954年3月5日)1頁2024-01-23
75塩田分校を訪問する塩田分校を訪問するこれは塩田にある分校でのインタビュー内容が記載されている史料である。記事を見ると、塩田分校では教育方針として「農村を担う中堅的人材」を育てることを掲げており、そのために高等学校での基礎的な一般教養に加え、家庭科や農業科の専門的技能を体得させること、そして一番に「人間としての素養を育て上げること」を重んじていることが読み取れる。 このことから、塩田分校では学生に対して専門的知識を持った地域に根差す人材、並びに志や人徳の高い学生を理想像としていたのではないかと考察した。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1192 『西塩田公報』第66号(1953年3月5日)2頁2024-01-23
76學校だより學校だより当時は時報に學校だよりが記載されており、学校でどのような行事が行われるかを知ることができた。 ここでは11月の行事について説明されている。 記事を読むと、当時は陸上競技会が珠算競技会が開かれており、幾名の生徒が表彰されている。また、籠球大会や珠算検定会での表彰者が記載されている。 これらのことから、現代で言う部活動のような取り組みが戦後でもなされており、学校での座学から逸脱した様々な機会が設けられていたのではないかと考えた。 また、小学校の行事内容を確認すると、「産業文化祭に児童の図学工作品を出品する」「校内音楽会」などが行われていたことが読み取れる。他にも、小学校での映画鑑賞などの機会が設けられていることが分かった。 記事の内容から、小学校でも机上での学びに囚われない多様な2024-01-23
77校舎増築に就て(ついて)校舎増築に就て(ついて)1948年の西塩田時報に、児童数の増加に伴った校舎の増築についての一報が記載されていた。 記事によると、増築前には校舎の裁縫室や工作室と言った、俗に言う特別教室を普通の教室として使用していたそうだ。また、校舎を増築するにあたり、学校の新教育課程の順守について説かれている。文献を読むと、当時の新課程は個人の尊重を図り、自主性を重んじた学習環境を構築することを目標としていたことが読み取れる。 さらに、記事の末尾では地域住民に対して学生が自由に研究できる環境や、特別室(裁縫室、工作室)の設置のための支援を呼び掛けている。 この記事から戦後の人々は学生に対し、学生自身の興味を探求できる教育を施そうとしていたと考察した。また、当時から裁縫室や工作室が存在していたことから、座学だけではなく2024-01-23
78生島足島神社生島足島神社生島足島神社を初めて見に行きました。 赤い鳥居がとても大きく、圧倒されました。 神社の内殿は平成10年9月に「県宝」に指定されたそうです。 信濃屈指の古社は、一度は訪れてみる価値があると思います。2024-01-23
79学校水泳における変化学校水泳における変化現在と以前の学校環境、特に水泳に変化があるかを調査する。 西塩田時報にある水泳についての記載で、海に囲まれた国である日本の国民として泳げないのは恥ずかしいとある。ストレートな言い方であるが、日本国民には水泳は必須であることを表現している。ここから水泳が生命に関する重要な運動であることは現在と同じ認識だと思う。 また当時の夏休みの水泳は午前と午後の部に分かれており、なるべく短い時間で寒いと感じたらすぐに泳ぐのをやめることが書かれている。水泳の時間を一時間を制限して管理するのではなく、自己管理を促しているのではないかと思う。自己管理の面では、他にも空腹時に水泳を行わないことや頭まで水につけること等の子供達自身が意識して行うことが記載されている。 以上の記事から、学校水泳は過去でも2024-01-23
80生島足島神社生島足島神社生島足島神社の鳥居です。 式年祭として、御柱祭が6年に一度、寅年・申年の4月中旬に催行される。この祭は、諏訪神が諏訪に向かう途中で当地に留まった際、生島・足島両神に対して御柱を奉ったのが由来です。 御本殿は神池に囲まれた神島の中にまわりを老樹に囲まれて建っています。御扉の奥には御室と呼ばれる内殿(室町期建立)があり、内殿には床板がなく大地そのものが御神体(御霊代)として祀られています。現在の社殿は昭和15年に国費をもって竣工したものです。内殿は平成10年9月「県宝」に指定されました。 駅から近いため、だれでも訪れやすいと感じました。2024-01-23
81上田街歩き上田街歩き上田街歩き 上田市を歩きました。 上田高校前には堀があり、川に亀がいました。 柳町は趣があり、素敵な場所でした。柳町のルヴァンというパン屋さんでパンを買い食べました。 また、海野町で有名なじまんやきを食べました。 4月2024-01-22
822011年3月「新生上田市5周年」2011年3月「新生上田市5周年」2011/03/22の記録。 平成の大合併により、新生上田市がスタートしたのが2006年3月6日。それまでの上田市は丸子町、真田町、武石村と対等合併し、新たな上田市となりました。 2011年3月、上田市役所には「祝・新生上田市5周年」の垂れ幕が掛けられていました。この旧市庁舎は現在は新庁舎になっています。変わる前の市役所の姿の記録ともなっています。2024-01-21
83長野大学卒業式の様子2011/03/19長野大学卒業式の様子2011/03/192011/03/19の記録。 2010年度の卒業式は上田城跡公園内にあった旧上田市民会館で催されました。新しい市民会館でもある「サントミューゼ」が開館するまでは旧市民会館が卒業式会場として使われていました。「ナショナルテレビ」の緞帳が施設の歴史を物語っています。 卒業式直前の3月11日、東日本大震災が起こり、その影響を受けた卒業生もいました。司会者の脇のスクリーンにパソコン要約筆記による情報が表示されています。この年度の長野大学学長は野原光先生、企業情報学部長は高橋進先生でした。画像で記録を再現することによりそれもはっきりと確認できます。13年前の2011年が現在に蘇ってきます。2024-01-21
84塩田城跡塩田城跡塩田平の南方にそびえる独鈷山の一支脈である弘法山の北山麓にあり、塩田平を一望できる位置にある。鎌倉時代に北条義政が鎌倉から塩田の地に入ったときに居城として築いたといわれているもの。 現在はあじさいの名所として知られ、6月下旬ごろからの見頃には満開のあじさいを見ることができる。 実際に訪れてみて、山の中腹にあるこの石碑から見る眺めは非常に広大だった。北条氏が当時ここから塩田平を眺めていた風景が浮かんでくるような、そんな景色であった。2024-01-11
85家庭メモ ( 『西塩田公報』第45号(1951年1月1日)4頁)家庭メモ ( 『西塩田公報』第45号(1951年1月1日)4頁)この記事では日常生活の豆知識のような内容が書かれていて面白いと感じました。昔はお茶に含まれるカフェインをテインと呼んでいたことも分かります。 この知識を家庭内で知っていれば、食事も気を付けて作ったり食べたりできるでしょう。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1118 『西塩田公報』第45号(1951年1月1日)4頁 2024-01-08
86生活改善に就て (『西塩田時報』第10号(1924年10月1日)2頁)生活改善に就て (『西塩田時報』第10号(1924年10月1日)2頁) 昔の人たちがどのように節約してるのか掲載されています。昔ならではの男女の役割についても書かれています。  現代とは違った節約方法が書かれていて面白いと感じました。生活の仕方までも強制される世の中であったのは現代では考えられません。 ▼この記事は以下から参照できます。 #50『西塩田時報』第10号(1924年10月1日)2頁  2024-01-08
87別所線『真田丸』ラッピング2017/01/05別所線『真田丸』ラッピング2017/01/05NHK大河ドラマで『真田丸』が放送されたのは2016年1月~12月のこと。当時、上田市内には『真田丸』の広報媒体が多数ありました。別所線のラッピング車両もその一つ。2017/01/05の時点ではまだ『真田丸』ラッピング車両が走っていました。2024-01-02
88「生涯備忘録」テンプレートご利用ください「生涯備忘録」テンプレートご利用ください▲「生涯備忘録」テンプレート(Excelファイル) 生まれてからこれまでの間にいつ何があったか、どこへ行ったか、その頃何をしていたか、何を考えていたか、どう成長したかをシームレスに記録できるExcelの「生涯備忘録」テンプレートを公開しました。生まれた日から100歳の誕生日の辺りまで約36,500日のデータ行が入力済です。 ★使い方 上のExcelファイルをダウンロードしてお使いください。1日目の生年月日に自分の生年月日を1980/05/01のように入力します。満100歳までの備忘録テーブルが自動的に作成されます。左半分の項目は自動記述項目です。関数と式が設定されているので値を入力しないでください。右半分の項目に必要事項を入力します。 <自動記述項目> ①日目(生誕日が起算日の連番、生まれてから何日目?) =上セル+1 ②年 =TEXT(F2,2023-12-27
89りんどうりんどう長野県花りんどうです。濃い青紫色の花びらがこの上なく美しい。 この個体は2013年9月、松本で開催されたサイトウキネンフェスティバルの最終日を飾るGigで来場者に配られたもの。 長野大学の大学祭は長野県のシンボル・りんどうにちなんで「りんどう祭」とネーミングされています。2023-12-23
90建設中のサントミューゼ2013/11/22建設中のサントミューゼ2013/11/22上田市の複合的文化施設「サントミューゼ」が開館したのは2014/10/02です。2013年11月はまだ建設途上でした。 千曲川河川敷の桑畑であったこの区画に鐘紡上田工場が建設され、1937年に操業を始めました。当時の様子の映像がネット公開されています。 (上田市マルチメディア情報センターの動画) 戦後は日本専売公社(後に日本たばこ)の工場となり、その跡地の再開発が進められてきました。2023-12-23
91超誓寺超誓寺 超誓寺は上田市神畑にある浄土宗系の寺院。京都府にある御末寺を総本山としている。御本尊は阿弥陀如来三尊像。  この寺の由来は、大永年間(1520年代)に足利将軍に仕えていた浦和式部大輔が神畑の山中にあった庵に篭り出家し、超誓道俊と名乗ったことから始まる。深く村人に慕われていた道俊であったが、亡くなると庵、尊像共に参拝する人も減り次第に荒れ果ていった。これを悲しんだ村人は永禄11(1568)年の神畑のこの地に、超誓寺を建立した。ちなみに、この年は織田信長が足利義昭を擁して上洛した年でもある。  境内には宗派を超えてお薬師様と親しまれた薬師如来像が安置されているお堂や武田信玄が川中島合戦に祈願したといわれているお堂もある。  寺下駅からも近く参拝は比較的容易。4月頃の夜になると桜の木がライトア2023-12-21
92生島足島神社生島足島神社2023年11月に撮影した生島足島神社の鳥居である。 生島足島神社は御神体が「大地」というとても珍しい神社である。鳥居や境内の建物は赤が印象的であり、美しい景観だった。 生島足島神社では毎年夏に祇園祭が行われているという。今年は直接祇園祭を見ることはできなかったが、来年はぜひ訪れてみたい。2023-12-21
93Excelで「生涯備忘録」のすすめExcelで「生涯備忘録」のすすめ生まれてからこれまでの間にいつ何があったか、どこへ行ったか、その頃何をしていたか、何を考えていたか、どう成長したかがシームレスにわかるといい。スマホで撮った画像やビデオやその時にゲットした資料なども紐づけできるといい。 仮に人生100年とすると日数は約36,500日。Excelでデータ作成すると、それがいとも簡単にコントロールできます。そんなことで「生涯備忘録」を作ってみました。誕生日を起算日とし1行=1日で下方向に3万6千行のデータを作ります。カラムは任意で。一番の柱は年月日です。他は全部年月日の属性。 1行目に生誕日を入力。 2行目には数式 =一つ上のセル+1 を書きます。これで日付が1カウントアップします。このセルを下方向コピー(フィル)すると100年人生の日付入力が全て完了します。とても簡単です。 私2023-12-20
94チャイナウ!チャイナウ!12月5日から一週間ほど、中国の雲南省へ行ってきました。というわけで、テーマはチャイナウ!としました。 チャイナ・ナウ。の略です。 帰国して約一週間、疲れからか風邪を引き、中国への色んな振り返りができないまま寝ていましたが、そろそろ思い出が褪せる前に想い出を綴っていきます。 雲南省の中の、昆明・大理・麗江の3か所に行ってきました。上海空港から乗り換えで向かう場所にあり、少数民族で出来ている場所になります。多様性が社会全体の雰囲気であり、その点日本人も浮くことなく受け入れてもらえました。 中国の投稿用に別ページを用意する予定ですが、ひとまず、私の備忘録として、ここに残しておこうと思います。 私の感想:ご飯がめっちゃおいしかった。です(笑) 文化の違いはあれど、ご飯がおいしいのが私に2023-12-18
95藤本蚕業でミーティング&資料を見合おう会藤本蚕業でミーティング&資料を見合おう会2023年11月27日に藤本蚕業歴史館で藤本蚕業でミーティング&資料を見合おう会を開催しました。内容は藤本蚕業歴史館内の資料を互いに見せ合うことをしました。今回はオンライン参加と現地参加のハイブリットで行いました。2023-12-18
96小諸視察2023年6月12日小諸視察2023年6月12日2023年6月12日に小諸へ視察に行きました。内容は小諸商工会議所での対談、和合会文庫蔵の見学を行いました。2023-12-18
97糸の町こもろプロジェクト糸の町こもろプロジェクト2023年10月29日に糸の町こもろプロジェクトの講演会に参加してきました。 内容は坂本氏による津軽三味線演奏、鈴木講師による小諸の地下水の解説、餐場家探訪、製糸場跡地めぐりなどを行いました。2023-12-18
98藤本蚕業歴史館でデジタル化ワークショップ披露会藤本蚕業歴史館でデジタル化ワークショップ披露会2023年12月17日にオンラインで藤本蚕業歴史館でデジタル化ワークショップ披露会を開催しました。前回行った藤本蚕業歴史館でデジタル化ワークショップ講座で学んだ技術を基に自分たちでscaniverseで撮影し、参加者がそれぞれ披露しました。2023-12-18
99藤本蚕業歴史館でデジタル化ワークショップ藤本蚕業歴史館でデジタル化ワークショップ2023年12月9.10日藤本蚕業歴史館で藤本蚕業歴史館でデジタル化ワークショップを行いました。講師に中村さん、岩村さんを招きmatterportやscaniverseについて学習を行いました。2023-12-18
1004年間の大学生活で学んだこと。4年間の大学生活で学んだこと。大学生活最後の後期課程の前川ゼミの振り返りで、9月以降自分が考えたり、見たり、思ったりしたことを書いた。 大学院試のために、時間を割いてきたが、院試のために頑張っていたことが、自分の振り返りになっているとも感じれた。 卒業を前にして、いろいろ自分らしく動いてみたが、まだ「私の考え」で止まってしまっているところが多くあるため、さらに一歩進んで、エビデンスをしっかりとつけて学びの幅が広がるようにしたいと思う。2023-12-15
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