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1塩田平観光マップ(上田駅構内)今昔2005→2024塩田平観光マップ(上田駅構内)今昔2005→2024写真上:信州の鎌倉と周辺の図(2005/05/04の記録) 写真下:日本遺産・信州上田・塩田平(2024/02/03の記録) 上田駅構内のしなの鉄道改札出入り口に面したコンコースの壁に塩田平の大きな観光マップが掲げられています。塩田平が日本遺産「レイラインがつなぐ『太陽と大地の聖地』」に選ばれてしばらく経ってから「日本遺産」マップにリニューアルされました。 レトロ感たっぷりの「信州の鎌倉」マップが今となっては貴重な記録です。このマップ、デザインは古い時代様式のものです。退色もしています。あるいは退色したように装ったデザインかもしれません。一見したところ相当に年季が入ったもののように見えますが、新幹線や上田大橋が描かれてもいることから推察すると上田大橋開通後の2000年頃に観光PRのために掲げられたものではないかと2024-02-19
2信州上田学2023/地域キュレーションVol.2信州上田学2023/地域キュレーションVol.2長野大学講義科目「信州上田学」(2023年度後期)を受講した学生たち(主に新入生が対象、3学部横断)の「地域キュレーション」(地域を探究しアウトプットする学び)のアウトカム集です。講義内容は「信州上田学2023①~④地域キュレーション」をご参照ください。 「学生による地域キュレーション2023(信州上田学A受講生)」それぞれのマイテーマにリンクしています。[ Vol.1 | Vol.2 ]
 No. ニックネーム/探究テーマ    探究のねらい
  1. よう/地域交通と産業のつながり
    交通インフラと産業は密接に関連していると考えたから。産業の発展には
2024-02-16
3信州上田学2023/地域キュレーションVol.1信州上田学2023/地域キュレーションVol.1長野大学講義科目「信州上田学」(2023年度後期)を受講した学生たち(主に新入生が対象、3学部横断)の「地域キュレーション」(地域を探究しアウトプットする学び)のアウトカム集です。講義内容は「信州上田学2023①~④地域キュレーション」をご参照ください。 「学生による地域キュレーション2023(信州上田学A受講生)」それぞれのマイテーマにリンクしています。[ Vol.1 | Vol.2 ]
 No. ニックネーム/探究テーマ    探究のねらい
  1. こぶた/別所を盛り上げるには
    サークルの関係で別所に行く機会が多々あるが、別所の魅力にまだ自分自身
2024-02-16
4聖博物館・航空資料館2008/05/06聖博物館・航空資料館2008/05/062008/05/06の記録。 施設内の説明によると聖博物館は1965年に建設され、民俗資料等1300点が展示されています。航空資料館は麻績小学校の旧校舎を1971年に移築復元したものということです。麻績村の小さな博物館に航空機が展示されていることが唐突で面白い。2008年に訪れた時点で既に開館から37年が経過し、展示形態が旧態化した印象は否めませんでした。社会の価値観の変容、デジタル社会への変容などにより、麻績村の地域資料が数多く保存された貴重な施設であると同時に、地域や歴史を学習する博物館施設のあり方も見直されてよい。児童生徒が教室からこれらの展示にアクセスできたら、どれほど地域学習に役立つことかと思います。 Wikipediaによると2012年にリニューアルされたとのこと。現地を訪れ、時の経過の意味を感じてみたいと思います2024-02-15
5長福寺銅造菩薩立像長福寺銅造菩薩立像長福寺「信州夢殿」の本尊として安置されている。アルカイックスマイルを特徴とする、像高36.7㎝の小金銅仏で、7世紀後半の白鳳時代の作品と考えられる。もとは上高井郡小布施町の旧家に伝わるものだったが、昭和13(1938)年に長福寺に移された。 長福寺はこの講義を受講するまで名前も聞いたことがなかった。ここは生島足島神社の前に訪れたが、休日であるにも関わらず、訪ねている人は私一人だった。正直なことを言うと、日本遺産に登録されているにしては、閑散としていると感じた。観光客を呼び込むためには、もっと情報発信に努めるべきだと感じた。2024-02-13
6沓掛酒造 蔵見学 PART3沓掛酒造 蔵見学 PART3こちらは沓掛酒造の「互」シリーズです!!互いに酒を酌み交わすという意味で互と書いて「ご」と読みます。面白いのがそのシリーズの名前で、先発、中継ぎ、抑え、隠し玉、夏の青春など、野球に関連した名前になっています。 その中でも「先発はストレート勝負ピッチャーで、体力あるんだよ」言っていたのが面白かったです^^2024-02-13
7自転車レーンの整備例について自転車レーンの整備例について 山梨県甲府市の自転車レーンの整備例だ。歩道を白いタイルと赤いタイルに分け、車道に遠い方から順に白いタイルが歩道、赤い方が自転車レーンとなっている。バス停と干渉する場所には自転車レーンにも横断歩道が整備され、人と自転車が安全に区分けされている。今後、しかし、上田市街、特に上田駅前や他の国道、県道では自転車レーンはおろか歩道も満足にない道がある。上田で自転車をより使いやすいものにするには、こうした大規模な自転車レーンの整備による歩車分離を促進しなければならいのではないか。  さらに、ポートの整備と自転車の配分も考えなければならないと思う。上田市内には、10を超えるポートがあったが、そのうち半分以上が千曲川の北側の上田市街である。市街でも、ポートが上田駅や上田城址公園のまわりに2024-02-13
8【上田市の銭湯】地図から銭湯の分布を見てみよう~「史的ニ上田」編~【上田市の銭湯】地図から銭湯の分布を見てみよう~「史的ニ上田」編~突然ですが、皆さんは銭湯に行ったことはありますか? 銭湯というと、富士山の壁画が描かれた、東京の大きな下町銭湯を思い浮かべる人が多いと思います。ここでいう銭湯とは、法律で定められた一般公衆浴場のことです。 ここ上田市にも、地域に根付いた街のお風呂屋さん、銭湯が2軒あります。ですが最盛期には、なんと24軒もの銭湯がありました。昔は市街地ではお風呂のある家庭は一般的ではなく、農村部のお百姓さんの家、どこかの大富豪の社長さんの家など、限られた家庭にしかありませんでした。そこで、「浴場業(銭湯)」という一つの業種が確立されたんですね。今回は、上田市の銭湯を研究するための必読書、「史的ニ上田(15)上田の銭湯」という文献をご紹介します。 (画像は、文中にも登場する中央3丁目(松原町)の「竹の2024-02-12
9上田駅前のお店上田駅前のお店上田の城下町の雰囲気を醸し出しているお店。建物の下の部分が白と黒の城のようなデザインになっている。2024-02-12
10上田氷灯ろう夢まつり~別所温泉・北向観音堂~上田氷灯ろう夢まつり~別所温泉・北向観音堂~「上田氷灯ろう夢まつり」を訪れた。別所温泉の北向観音堂や温泉街が灯ろうやボールライトによって綺麗にライトアップされていた。開催は今年で5回目。毎年異なるテーマでライトアップされているらしい。 今年のテーマは「龍」。北向観音堂も緑色にライトアップされていた。日曜日の夜なので人手は少ないのではなかと思ったが、向かう別所線の電車の中や、北向観音堂には多くの人がいた。温泉街独特の風情のある街並みが灯ろうによって照らされ幻想的な雰囲気だった。 北向観音堂は、平安時代初期の天長2年(825年)に比叡山延暦寺座主の慈覚大師円仁により開創された歴史のあるものである。歴史的な仏閣と、現代的なライトアップの組み合わせはとても面白いなと感じた。 また、訪れる人の中には家族連れも多く地元の人も訪れてい2024-02-12
11【第2回】ルートイン長野本部【第2回】ルートイン長野本部ルートインには、日本国内に3つの本部がある。東京本部、大阪本部、そして上田にある長野本部だ。東京と大阪は日本の2大都市であり、ビジネスの拠点として本部が立地することが多い。しかし、3つ目の本部が東名阪の名古屋でなく、長野県そして長野市でも松本市でもなく、上田にあることは面白い。その理由は、言うまでもなくルートインの発祥が上田だというからだろう。 ルートインの前身である永山興産株式会社が1977年に上田市に設立された。そこから、運営総客室数 60,233室に及ぶ巨大ホテルチェーンが誕生した。2024-02-10
12Cafe BossoCafe BossoCafe Bosso 上田駅から徒歩15分位の場所にあります。お店の壁は鮮やかなブルーでひときわ目を引く存在でとってもオシャレでした。サンドイッチが有名で、分厚い食べ応えのあるサイズでした。種類も色々あり、美味しかったです。個人的はデザートの美味しさに驚きました。あまりにもクオリティが高くてスイーツ屋さんでもおかしくないと思います。店内は1人の定員さんしかおらず、自由な空間を楽しんでいるようで素敵なお店でした。カウンターなどもあり1人でも入りやすそうな雰囲気でした。店内には様々な陶器やお皿などが飾ってあるスペースがあり、店主の方の世界観に溢れていて面白かったです。2024-01-31
13豊上モンテリア豊上モンテリア豊上モンテリア 長野大学から徒歩15分ほどの場所にあります。ここは、地元の人に人気なアイスクリームやさんです。毎日フレーバーが変わるところが面白いです。どれも美味しくていつ行っても新しい味があるので楽しいです。また、外にはウッドデッキの机やベンチがあり、家族やと友達などとワイワイ喋りながら食べるのも楽しいと思います。ここに行って驚いたことは、価格の安さです。学生のお財布にも優しく、好きな味が色々楽しめます。そして、気になる本日のフレーバーは毎日Instagramで更新してくれているので行く前にチェックすることが出来ます。ただしとても人気なので夕方には売り切れてしまうことも多いので注意です。2024-01-31
14白い壁の汚れの取り方白い壁の汚れの取り方このような古典的な方法は今での主流だと考える。 だが、現代は白い壁に汚れが付いた場合にアプローチする様々な方法がある。 『西塩田公報』第86号(1954年11月5日)4頁2024-01-31
15白山比咩神社白山比咩神社 白山比咩神社は、天平3年に上田地方において疫病が流行した際、加賀の国(石川)の白山より分産したとされる。弘安元年に現在の位置に再建され、眞田昌幸・信之などの戦国武将からの寄付状など、歴史を物語る資料が多く残されている。幕末から明治初期に信濃の地で活躍した宮大工の彫り物なども多数存在し、先人たちが地域の文化財として脈々と守り受け継がれてきたことが理解できる。  白山比咩神社は毎年初詣に行く神社であり、私の住んでいる地元住民に親しまれている神社である。初詣に行くだけで、石碑などの存在を認識していなかった。歴史についても調べる機会はなかったので、親しみある神社について知ることができ良かった。2024-01-30
16長福寺長福寺平安時代の康保2年(965)創建された。境内の一隅にある八角円堂は奈良、法隆寺の夢殿を模して、二分の一の縮尺で建てられた美しい御堂で、信州夢殿と呼ばれて親しまれている。観音様の正式名称は「銅造菩薩立像」と言う。この観音さまが当山に寄進された年は、戦中真っ只中であり、今日とも明日とも知ることのできない生活の中、みんなが笑顔で暮らせるようにと、通称を「救世観音」名付け親しまれている。このお観音様は古仏特有の微笑み「アルカイックスマイル」別名「少女の微笑み」から白鳳(奈良時代前期)の面影を残していますが作風などからして天平(奈良時代中期)の作と推定されている。2024-01-30
17長福寺長福寺長福寺「信州夢殿」の本尊として安置されている。アルカイックスマイルを特徴とする、像高36.7cmの小金銅仏で、7世紀後半の白鳳時代の作品と考えられる。 長福寺の中には、何があるというわけではなく、今の状態で観光客を呼ぶことは、難しいのではないかと感じた。2024-01-30
18地域史料のデジタルアーカイブとその活用地域史料のデジタルアーカイブとその活用前川ゼミでの集大成の発表を行いました。具体的には、4年次に行った書籍の3D撮影、史料の面白さを伝える動画の様子を中心にまとめています。これまでのデジタルアーカイブの様に単に史料と解説文を載せるだけでなくこの史料の何が重要で面白いかを伝えることや、紙面だけでなく物体としての史料を立体的に見せる必要性について述べています。2024-01-29
19下之郷下之郷上田市の塩田地区に属する。 産川支流の尾根川が形成する扇状地の扇端部にあたる。生島足島神社横の十字路を中心に形成された塊村で、格子状の道路網を骨格として形成された交通の要地である。 天文22年(1553年)武田信玄が生島足島神社に下した安堵状に「下之郷上下社」とあるもので、上本郷(現・本郷)に相対する地名と考えられている。 駅から徒歩ですぐのところに生島足島神社があるため、観光に訪れる際には別所線がとても便利だと感じた。駅の待合室の外観も神社に似た赤と白が基調となっていて、駅に着いた時点から神社の雰囲気を人々に感じさせるという工夫がなされているのではないかと考えた。2024-01-29
20準備中のシェアサイクルスタンド準備中のシェアサイクルスタンド別所温泉駅のシェアサイクルスタンド。この日はサービス開始前だったため白い布がかかっていた。別所温泉側は坂が急で、足腰が弱い人では歩くのが大変なのでそれを電動アシスト自転車で補助できるのかもしれない。しかし、自転車は往々にして坂の町では普及しない傾向にあり、サービス開始後もあまり利用者は見なかった。近くの日置電機では、無人運転バスの実証実験もやっているため、車の通行量の少ないことを活かして無人運転バスの実証実験も兼ねた巡回バスを走らせるほうがより来やすい温泉街になるのかもしれない。2024-01-27
21上田駅デザイン上田駅デザイン城下町上田の名残が残った駅の下の方の黒地に白のあみあみのデザイン。上田のPRのためにこのようなデザインがされたのかもしれないが街の統一感が出ているデザインがここ上田駅にもある。2024-01-26
22塩田平の民話や伝説について まとめ塩田平の民話や伝説について まとめ塩田平の民話は、現場に行って体験しないと気づかないこともあると思った。例えば、前山塩野神社の伝説の拝殿に彫刻された龍が出てくる話は、文だけを見て、龍は一匹だけなのかなと思って読んでしまったのだが、実際に前山塩野神社を見てみると、龍は複数彫られている。(写真参照)そのことから、目玉をくり抜かれた龍はどれだったのか。はたまた複数いたのではないか。と色々考えることができるため、現場に行かないと分からない面白みが塩田平の民話にはあると感じた。したがって、塩田平の民話に興味を持った際には、ぜひ民話の現地に行って体験してみることをおすすめする。また、縁結びの美欄樹の話など、インターネット上で紹介されていない民話が塩田平には存在していたことが分かった。加えて、自分が調べた限りでも、塩田平2024-01-26
23長福寺長福寺生島足島神社にある長福寺を訪れてみた。長福寺は信州夢殿と呼ばれ、赤と白が基調となる八角の御堂が印象的であった。2024-01-25
24上田原古戦場公園上田原古戦場公園 最初は上田原古戦場公園。  ここは、甲斐国の戦国大名・武田信玄と北信の戦国大名・村上義清の戦った場所である。上田原の合戦では、武田信玄が初めて敗北した戦いとも知られていて、武田家重臣である、板垣信方や甘利虎泰などが戦死している。  現在では、上田原古戦場公園として、野球場やスケートボード場、テニスコートなど皆が楽しんで運動できるような場所になっている。自分が行った時も、犬の散歩や、夫婦でウォーキングなど、運動している人が多くいた。  だいたい500年前には殺し合いをしていた場所が、今では皆の憩いの場になっているというのは、なかなか面白いと思う。上田原の戦いで死んでしまった将兵たちは、これをどう思っているだろう。恨めしく思っているだろうか。それとも、一緒に野球を楽しんだりして2024-01-25
25越後の伝説についての考察(『越後の国雪の伝説〔正〕』鈴木直著 昭和十七年七月二十二日発行)越後の伝説についての考察(『越後の国雪の伝説〔正〕』鈴木直著 昭和十七年七月二十二日発行)越後の国雪の伝説〔正〕に収録されている23の伝説の中の4つについて、それがなぜ生じたのかという自分なりの考察をおこないました。 *越後の国雪の伝説〔正〕とは、越後に古くから伝わる伝説のうち、雪に関するもののみをピックアップして収録した本です。なお、地域としては中・下越の中でも比較的豪雪な地帯の話が中心的です。 1,茂助地蔵 《あらすじ》 昔、一人の旅人がいた。宿屋を出発して目的地へと歩いていたが、天候は最悪で、顔を前に向けることも困難なほどの吹雪だった。そして、その途中で偶然にも一人の女性に遭遇し、自分の家に泊まっていくことを勧められる。旅人は女についていくことにし、彼女の家で手厚いもてなしを受けた。数日後、旅人は死体となって発見された。死因は凍死であり、近くの村の村人は旅人は雪2024-01-24
26旧上田市立図書館旧上田市立図書館旧上田市立図書館 信州上田学の農民美術の授業でお話しされていた 旧上田市立図書館を見に行ってきました。 初め旧上田市立図書館を見かけた時、教会かなとかんちがいしていました。 洋風な美しい建物だったため、図書館であると気がつきませんでした。 現代には少し珍しい建物で、白い壁に赤色がとても映えていました。2024-01-22
27伝説のワイン「ヴィランジュ・ドゥ・ベッショ」伝説のワイン「ヴィランジュ・ドゥ・ベッショ」2011/04/22の記録。 マンズワインが製造販売している(いた?)伝説のワイン「ヴィランジュ・ドゥ・ベッショ」。赤ワイン(ルージュ)と白ワイン(ブラン)とがあります。「塩田平契約栽培善光寺種100%」と銘打っています。当時、上田市中野にある若林醸造のお店で購入しました。久しぶりにこのワインを賞味したいのですが、今もあるのでしょうか? 「ヴィランジュ」と書くといかにもフランス語の意味ありげな名前に見えますが、実は別所温泉の地名にもなっている「比蘭樹」にちなみ、ネーミングを洒落たものです。現在の「あいそめの湯」の前にバス停の名前として「比蘭樹」が残っています。遠い美味ワインの記憶も甦ってきます。2024-01-21
28紺屋町 八幡神社紺屋町 八幡神社 上田市中央西にある神社。境内には小さな公園もある。  市指定の文化財に指定さている「紺野町八幡社絵馬」が奉納されていた。現在は上田市立博物館に展示されている。 1688(貞享8)年、徳川綱吉が世を収めていたこの時代に当時の上田藩主、仙石政明らによって奉納された大絵馬である。高さは102㎝、幅160cmの大きさを誇り、黒と白の大鷹が描かれている。長谷川派の作者によるもの。 この神社は上田城から見て鬼門の方向にあるため、当時から上田城主に手厚く保護されていたようだ。 近くにはスーパーやホームセンター、喫茶店があるため買い物やお茶ついでにいらしてほしい。2024-01-20
29白湯拉麺 こうや白湯拉麺 こうやこうやというラーメン屋さんを訪れた。 上田駅から少し歩いたところにあり、アクセスはいいほうだろう。 こじんまりとしたお店だが人がいない日を見たことがなく、地域に愛されているラーメン屋さんのようだ。 かくいう私もこうやのラーメンに魅了されてしまった一人である。ラーメンも油そばも絶品なのでお近くに用事等あった際はぜひ行ってみてはいかがだろうか。2024-01-17
30一番肉まんらしく見える浅間山一番肉まんらしく見える浅間山2009/12/29の記録。 上信越道を上田から軽井沢方面に進んでいます。小諸付近から見える浅間山のこの山容。楕円状の白い山容に縦縞が入り、これが一番肉まんらしく見えます。2024-01-16
31軽井沢:日陰に残る雪の痕跡軽井沢:日陰に残る雪の痕跡2009/02/06の軽井沢。雲場池の地面にはうっすらと粉雪をまぶしたように乗っていました。空気は一段と冷たく身が引き締まる思いがします。天気もよく、池沿いの棒杭が地面に影をつくっていたのが印象に残りました。影のところだけ雪が解けず影と同じ形の痕跡となっているのが面白い。軽井沢ならではの光景です。2024-01-16
32塩田平から望む遠くの浅間山塩田平から望む遠くの浅間山塩田平から浅間山は遠くにあり、上信越高原国立公園の山々の連なりの一番右手に位置します。一際白い山容が特徴的ですが、手前の山々に隠れて一部だけが見えます。(2009/02/07の記録)2024-01-16
33純白の浅間山純白の浅間山毎年、年末年始には茨城に帰省するため、上信越道を上田から茨城に移動するのが恒例でした。そのたびに進行方向左手にある浅間山を眺めることを繰り返し、また同時にその時々の浅間山の景観をデジカメ画像に記録してきました。 そういえば、純白の浅間山を見たことは滅多になかったかもしれないと思い出しました。山頂付近は強風に雪が除かれるため、たいていは雪の下に地肌が見えています。この時のような純白の浅間山はめずらしい!(2006/12/31記録)2024-01-16
34活火山としての浅間山活火山としての浅間山この辺りは小諸から御代田の辺り。浅間サンラインから眺める浅間山。周辺に広がるこの広大な浅間山麓から眺望する浅間山の雄大さもさることながら、上空にたなびくように見える白いものにもご注目を! これは雲ではありません。浅間山の火口から噴き出す煙です。2005年頃は火山活動が少しあり、火口が活性化していました。さすがに活火山ならではの光景です。(2005/05/21記録)2024-01-16
35浅間山の変容? なだらかな稜線浅間山の変容? なだらかな稜線浅間山の見え方の面白さ。上信越道を上田方面から軽井沢方面に移動しています。小諸付近で先ほどまで眼前に現れていた形状のふくよかな肉まんはここに来ると「あれ?どこにあるの?」という感じになります。肉まん形状を特徴づけていた幾本もの縦筋はつい左手の一部に過ぎなかったことがわかりました。その背景になだらかにのびる稜線の美しさ。肉まんがまるで潰れて平板になったかのようです。東側の浅間山から高峰山、湯の丸山、烏帽子岳とパノラマ展開する上信越高原国立公園の山々の疎ら感も実に素晴らしい。ひとつながりになったアルプスとはまるで違い相互独立の山々。(2010/12/31記録)2024-01-16
36家庭メモ ( 『西塩田公報』第45号(1951年1月1日)4頁)家庭メモ ( 『西塩田公報』第45号(1951年1月1日)4頁)この記事では日常生活の豆知識のような内容が書かれていて面白いと感じました。昔はお茶に含まれるカフェインをテインと呼んでいたことも分かります。 この知識を家庭内で知っていれば、食事も気を付けて作ったり食べたりできるでしょう。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1118 『西塩田公報』第45号(1951年1月1日)4頁 2024-01-08
37生活改善に就て (『西塩田時報』第10号(1924年10月1日)2頁)生活改善に就て (『西塩田時報』第10号(1924年10月1日)2頁) 昔の人たちがどのように節約してるのか掲載されています。昔ならではの男女の役割についても書かれています。  現代とは違った節約方法が書かれていて面白いと感じました。生活の仕方までも強制される世の中であったのは現代では考えられません。 ▼この記事は以下から参照できます。 #50『西塩田時報』第10号(1924年10月1日)2頁  2024-01-08
38水かけ地蔵水かけ地蔵 旧街道でもある柳町商店街の入り口付近にちんまりとたたずむ一体のお地蔵様。すぐ近くにある湧き水を柄杓ですくい、お地蔵様にかけると縁結びのご利益があるようだ。 この湧き水は明治時代初期に海禅寺の境内から柳町まで地中に敷いた木管を流れてくる「保命水」だという。  隣の石碑には江戸時代の俳人である加舎白雄が柳町で詠んだ句が彫られている。白雄は上田藩主の次男である。 「白壁に 百筋あまり 柳かな」2023-12-21
39泥宮大神と上窪池泥宮大神と上窪池 上田市本郷にある泥宮大神は、非常に珍しい泥を御神体とした神社である。古くから泥、つまり大地は稲などの作物を育ててくれる存在として崇められてていた。日本全国様々なものを御神体とする神社があるが、泥をご神体とした神社は多くはない。  本来は生島足島神社が建立された際に、その時の死者の魂を遺すためとして作られた社である。なお、生島足島神社が創建された年代はわかっていないため、この泥宮大神が建てられた時期も不明ということになる。  もともとは「諏訪大明神」という名で呼ばれていたが、1790(寛政2)年、松平定信が幕府の財政を引き締め立て直しを図った時代に「泥宮」の愛称で親しまれるようになった。  この神社の東側には上窪池という溜池があり、私が訪れた際にはサギのような白くて大きな鳥も見られ2023-12-21
40道路で遊ばないように道路で遊ばないように昭和25年4月5日の西塩田広報第1項の記事。交通取締法が改正されて、その変更点、注意すべき点が掲載され、自転車や歩行者、さらには保護者の子供に対する注意事項まで書かれていた。  「事故を防ぐために」という項目で、荷牛馬車についての注意点は細かく書かれているのに、一番危険だと考えられる自動車について書かれていないのは変に感じて面白いと思った。もちろん、自動車が当時はまだ、全然普及していなかったからだと思うが、現代の交通のメインの1つである自動車についての注意点が書かれていないことに私は違和感を感じた。 参照元 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/pdf/nishishioda/ns15_post021to040.pdf 2023-12-11
41村民運動会プログラム村民運動会プログラム昭和24年10月20日の西塩田時報第3項での記事。同年11月3日に行われる村民運動会の開催プログラムが掲載されていた。 その内容を見てみると、リレーやマラソンなど今でもよく行われているようなものもあるが、ドヂョーつかみや女子仕度競争などユニークなものもあった。特に、「自轉車(自転車)徐行」は何を採点基準に競うのか謎に思えたので面白いと感じた。 参照元 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/pdf/nishishioda/ns15_post021to040.pdf 2023-12-11
42禁酒(『西塩田時報』第一号(大正十二年七月一日)四ページ)禁酒(『西塩田時報』第一号(大正十二年七月一日)四ページ)お酒を飲む人は意気地がなく、飲まなければ元気もなく、だらしがない等お酒を飲むことに対するデメリットや人格について書かれている。それらを提示し禁酒を勧める記事となっている。 科学や医学的な根拠を基に禁酒を勧めるのではなく、第三者から酒飲みの人をみて感じるだらしなさやどうすることもできない呆れ等を根拠に禁酒を勧めている部分が面白いと感じた。 ・参照資料 『西塩田時報』第一号(対象十二年七月一日)四ページ https://mmdb.net/mlab/uedagaku/pdf/nishishioda/ns02_001to020.pdf2023-12-11
43面白い話面白い話火事が起きた際に知らせる半鐘を火事が起こっていない状態で鳴らすと実際に火事が起きるというなんともおかしな話から始まる。これは俗な者たちが世間についてろくでもない演説をすると世間がそれを鵜呑みにして騒がしくなるという例えだと自分は解釈した。正直、これを読んで面白いとは思えなかったが、昔から政治については物議を醸す論争が起こっていたことはここから伺える。 ▼この記事は以下から参照できます。 #277 『西塩田時報』第63号(1929年2月1日)3頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0277.jpg2023-12-11
44子供の教育一歩先に 親自身の教育へ子供の教育一歩先に 親自身の教育へ今も昔も子供の教育は人々の関心事の一つであり、子供を立派に育て上げるために大人は良い手法を考えあぐねています。 子供の教育にばかり目を向けられるのではく「親自身の教育」に力を入れるべきだという風刺的なタイトルから始まる、新鮮な切り口から子供の教育について説いた記事となっています。 記事の末部では当時の子供が求められていた理想像を知ることができます。今の子供と重なる部分を照らし合わせながら、現代と昔の価値観の違いを比較して記事を読み進めると面白いかもしれません。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1119 『西塩田公報』第46号(1951年2月10日)1頁2023-12-11
45戦争時の金はどこから( 『西塩田時報』第189号(1939年8月1日)1頁)戦争時の金はどこから( 『西塩田時報』第189号(1939年8月1日)1頁) 第二次世界大戦のさなか、この戦争を続けていくにはどうしてもお金が必要になるでしょう。ではそのお金、特に金(きん)はどこから出ていたのか。  この記事は、今政府が金不足にある理由と、それを補うために各家庭から金を徴収する旨が書かれており、金の出どころの一端が伺えて面白いと思いました。 ▼この記事は以下から参照できます。 #843 『西塩田時報』第189号(1939年8月1日)1頁2023-12-11
46入学前の家庭教育に就て 西塩田時報入学前の家庭教育に就て 西塩田時報入学前に家庭内で教育してほしいことについて友達のことや先生を怖がらないように教育してほしいといったことが書かれており、今の新聞ではないので珍しく面白いと感じた。 西塩田時報 戦後 昭和22年1月25日 第1号2頁2023-12-11
47西塩田時報 面白いと感じた記事 2西塩田時報 面白いと感じた記事 2情報通信文化論 西塩田時報切り抜き2 この記事も自身がもう一つ選んだ記事と同じく、過去の日本の変化がみられる記事の一つで、第二次世界大戦が終わった日本が封建的思想から次第に目覚めていき、デモクラシー的な自由な世界となろうとしてる、といった記事であり、終戦後から大正デモクラシーにつながっていくであろう過程が分かるような記事になっており、これもまた自身が学んだ歴史を振り返っているようで面白いと感じました。西塩田時報vol.2 7ページ左上農村青年より2023-12-11
48西塩田時報 面白いと感じた記事1西塩田時報 面白いと感じた記事1情報通信文化論 西塩田時報切り抜き1 この一つ目の記事では終戦後一年目を迎えた日本の状況やその時代の青年に求められたことが読み取れる良い記事だと思いました。終戦後一年経った日本は依然として食糧問題が発生しており、農村に住んでいる青年の仕事ぶりが大事であるといったことや、「ポツダム宣言以来、日本の人々が好む好まずを関係なしに、民主主義的生活様式を採用せざるを得なかった」という文章から戦後に変わっていく日本が過去に自身が歴史の授業で学んだ通りに西塩田時報に描写されているのが個人的に面白く感じました。 西塩田時報vol.2 3ページ左下現代青年の任務より2023-12-11
49ビタミンの話 西塩田公報ビタミンの話 西塩田公報ビタミンが体に及ぼす良い影響がやビタミンの種類がたくさん記載されといる。 そのビタミンが取れる野菜や食べ物の種類も載っており面白いと感じた。 西塩田時報 戦後 第5号3頁2023-12-11
50お茶の効能お茶の効能お茶の成分とその効果についての記事である。  まだカフェインなどの言葉は日本には伝わっていなかったようだが、お茶を飲むことのメリット、デメリットを紅茶と比較しながら正確に書いている点が面白く感じた。  参照 西塩田時報第81号2頁2023-12-11
51時間時間これは会議が始まるまで待たされた人が時間に無頓着な人たちへ愚痴を綴った記事である。  この記事は時代が戦前なのにもかかわらず今の自分の感覚と同じようなもの持っており、昔の人もあまり変わらないことが面白いと感じた。 参照 西塩田時報第81号1頁2023-12-11
52アブラ虫の話  (『西塩田公報』第83号(1954年8月5日)10頁)アブラ虫の話  (『西塩田公報』第83号(1954年8月5日)10頁)アブラ虫の退治方法や発生しやすい植物について書かれています。 先日実家で白菜を収穫した際、アブラ虫の被害を目の当たりにしたため、興味が湧きました。 蟻などの他の虫とも共生し、大量発生した上で野菜を育たなくしてしまいます。 小さい虫ですが被害は大きいため、植物を育てている方は読んでみてください。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1258『西塩田公報』第83号(1954年8月5日)10頁2023-12-11
53映画上映遅延の話(『西塩田広報』第68号昭和28年5月5日)映画上映遅延の話(『西塩田広報』第68号昭和28年5月5日)映画館での上映時間が一時間ほど遅延したときの内容です。現代の映画で遅延する事はほとんどないし、遅延したとしても、記事になることはないので、当時の映画の貴重さ、珍しさを感じられる面白い内容でした。2023-12-10
54禁酒の話(『西塩田時報』第1号(大正12年7月1日))禁酒の話(『西塩田時報』第1号(大正12年7月1日))酒についてのリスクが多く書かれていて禁酒を勧めている記事です。著者がどれだけお酒に痛い目にあったのかと思うほど、お酒について悪く書かれていて、ニュースなどではない、著者の思いが書かれていて面白いと思いました。2023-12-10
55品種試験結果 (『西塩田時報』戦後 第73号[1953年10月5日])品種試験結果 (『西塩田時報』戦後 第73号[1953年10月5日])塩田分校で行われてきた麦の品種試験についての結果を掲載した記事です。出穂期、成熟期、50cm間茎数などが細かく記されています。また、みすゞ大麦やユウヤケ小麦など面白い品種名も確認することができます。2023-12-10
56部落ニュース (『西塩田時報』戦前 第121号 [1933年12月1日])部落ニュース (『西塩田時報』戦前 第121号 [1933年12月1日])様々な部落の話題が掲載されています。例えば、事務所の大掃除の報告や住民の訃報、気候の様子などが記されています。現代の新聞にも掲載されるような内容を随所で確認することができるので読んでいて面白いです。2023-12-10
57訪ねて(西塩田時報「戦後」第42,43併号(1950年10月20日)1頁)訪ねて(西塩田時報「戦後」第42,43併号(1950年10月20日)1頁)この短い枠のポップさとは反対に辛辣な内容がとてもいい。短い文の中で説得力が高いものを書いているところに面白味を感じた。 この記事は以下から参照できます。 #1105 西塩田時報「戦後」第42,43併号(1950年10月20日)1頁2023-12-09
58睡眠について(西塩田時報「戦前」第39号(1926年4月1日)4頁)睡眠について(西塩田時報「戦前」第39号(1926年4月1日)4頁)睡眠について詳しく書かれている記事。睡眠をとりさえすればなんでもいいと考えていたが、これは全くの間違いらしい。要は、夢を見ている間は脳が活動していて休息になっていないということだ。睡眠についてというタイトルだけで惹きつけるところが面白い。 この記事は以下から参照できます。 #130 西塩田時報「戦前」第39号(1926年4月1日)4頁2023-12-09
59乳児の育て方(『西塩田時報』第31号(1926年6月1日)1頁)乳児の育て方(『西塩田時報』第31号(1926年6月1日)1頁)乳児の育て方がネットでも手軽に調べられるようになった現代。昔の時代にはそんなものは存在するはずがなく、育て方の情報を共有する方法が限られていた。この記事には乳児が飲むミルクの作り方や入浴、排泄物の処理の仕方など育児に関する情報がこと細やかに書かれている。 今の時代の新聞にはあまり書かれないようなことでも、公共の記事の中で大々的に書かれているのは面白いと感じた。 この記事は以下から参照できます。 #135 『西塩田時報』第31号(1926年6月1日)1頁2023-12-08
60税金について 『西塩田時報』第5号(1924年5月1日)2頁税金について 『西塩田時報』第5号(1924年5月1日)2頁大正13年度の税額が決まったようで、その中で家畜税として犬一頭飼うごとに税金が課せられていた。他にも金庫税や倉庫税などがあり面白いと思いました。 ▼この記事は以下から参照できます。 #26 『西塩田時報』第5号(1924年5月1日)2頁2023-12-08
61編集室より 『西塩田公報』第5号(1924年6月1日3頁)編集室より 『西塩田公報』第5号(1924年6月1日3頁)編集室に今集はあまり原稿が集まらなかったようです。「思わしい物ができなかったのは編集室のみの責任でない」というのが今回出してくれた人に失礼じゃないかなと思いました。赤裸々で面白かったです。 ▼この記事は以下から参照できます。 #31 『西塩田公報』第5号(1924年6月1日)3頁2023-12-08
62御用心 空巣ねらい(『西塩田時報[戦後]』第15号(1948年5月25日)1頁)御用心 空巣ねらい(『西塩田時報[戦後]』第15号(1948年5月25日)1頁)終戦後頻発していた空巣被害に対する注意喚起をしている。一般的な「空巣から家を守ろう」というメッセージだけでなく、「空巣をしないようにしよう」というメッセージが含まれていて当時の時代が反映されているところが面白い。2023-12-08
63葛苧製造所より(『西塩田時報』第13号(1924年12月1日)3頁)葛苧製造所より(『西塩田時報』第13号(1924年12月1日)3頁)葛苧製造事業を始めるまでの苦労が短い文章でまとめられている。葛苧(くずお)とは、葛の茎から取った繊維であるそうだ。葛苧の製造に成功したにも関わらず、その労力がゆえに喜びきれていない様子がうかがえて面白い。2023-12-08
64季節行事の由来(『西塩田公報』第60号(1952年8月5日)3頁)季節行事の由来(『西塩田公報』第60号(1952年8月5日)3頁)毎年やってくる様々な季節行事。皆さんは、その行事やお祭りの由来を知っていますか?ここでは「お盆」について、なぜ「お盆」という行事が生まれたのかについて書かれています。 おそらく諸説があると思いますが、普段特に考えもせずに、毎年親に言われるままお墓参りをしたり、実家や祖父母の家のお仏壇にお線香をあげたりしていると、“その意味”を忘れてしまいがちです。ですが、この記事を読むと行事一つひとつにもちゃんと由来があり、意味があるということを思い出すことができて面白いと思いました。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1177 『西塩田公報』第60号(1952年8月5日)3頁2023-12-07
65補習学校より『西塩田時報』第3号(1923年11月30日)3頁補習学校より『西塩田時報』第3号(1923年11月30日)3頁補習学校が始まるという記事で、昔の学校について書かれています。 夜学であまり効果が出ていないことについて、家庭環境などを考慮しながら作者の考えや生徒を鼓舞する文章が書かれています。家庭の環境に差があることや、男子部と女子部が分かれていることなどは今にはあまりない環境で見ていて面白いです。また学校が始まる日にちや時間についても書かれていてそういったことも公報で伝えていたんだなと今との違いを感じます。 ・この記事は以下から参照できます #11 『西塩田時報』第3号(1923年11月30日)3頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0011.jpg2023-12-07
66青少年不良化対策 必要な補導育成(『西塩田時報[戦後]』第33号(1949年12月20日)3頁)青少年不良化対策 必要な補導育成(『西塩田時報[戦後]』第33号(1949年12月20日)3頁)今でもいる不良。昔は、不良に対してどのような補導育成を行っていたかが、わかる記事です。 補導育成事項が11項目もあり、今でも適応されるようなことも書かれている。しかし、「(8)青年男女の集合して行う演劇、演藝会等は無軌道に陥らないように注意すること」と書かれており、別に不良に関係あるのかが微妙なラインのものまで書かれていた。不良のことについて細かく書いてあるのが面白いと思いました。 標語例を見て、現代に通じるものを感じてみてください。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1073 『西塩田時報[戦後]』第33号(1949年12月20日)3頁2023-12-06
67酒は薬か(西塩田時報 第28号大正15年3月1日)酒は薬か(西塩田時報 第28号大正15年3月1日)お酒を適量に飲むことは、体の薬であると世の中の多くの人が信じていますが、統計による調査を見ると、少しも酒を飲まない人の平均生存年より、四年程度短い命であったことがこの記事には、記載されています。そして、お酒は、飲んだその人の体に害を及ぼすだけでなく、子孫の体質にも影響を及ぼすことから、青年に対して、自身の健康問題だけでなく、日本民族の体質の向上という面からも禁酒することを促していました。 この記事の最後の日本民族の体質の向上の面から禁酒を促している点が、昔の日本の民族意識のようなものが感じられて面白かったです。 ▼この記事は以下から参照できます。 『西塩田時報』第28号(大正15年3月1日) https://mmdb.net/mlab/uedagaku/pdf/nishishioda/ns03_021to040.p2023-12-06
68地域史料のデジタルアーカイブ 2023 後期中間発表地域史料のデジタルアーカイブ 2023 後期中間発表地域史料のデジタルアーカイブ 2023 後期中間発表 J20052 竹中丈二 ・活動の趣旨 地域に保管され、活用機会が与えられない地域史料をネット公開し、地域づくりや地域 探究活動の発展に寄与すること。 ・活動の詳細記録 デジタルマップ記事「2023年度デジタルアーカイブ後期中間作業報告(10/9-11/27)」にて掲載 URL: https://d-commons.net/uedagaku?c=&p=126298 ・地域における活動報告 ・上田(藤本蚕業歴史館) 外部ではキモノマルシェ、史料を見合おう会、情報通信文化論講義の参加を通じて史料の紹介を行った。内部では、段ボール整理棚作成、Matterportを使用した歴史館の全体図の3D撮影を行った。 ・小諸 いとのまち・こもろチャンネルで過去の動画をほぼ全て投稿し、また新たに10/29に行われた講演会の動画撮影、投2023-12-04
692023年度デジタルアーカイブ後期中間作業報告(10/9-11/27)2023年度デジタルアーカイブ後期中間作業報告(10/9-11/27)10/9 先週は日曜日に上田市で開催されたキモノマルシェに参加し、藤本蚕業の史料の魅力についてスライドショーで常時公開しました。中にはスライドショーに興味を持って見たいという人もおり、非常に驚くと共に史料の貴重さについて改めて認識しました。金曜日は藤本蚕業の段ボール史料の整理棚の組み立てを一日中行い、史料展示の再整理について考えました。今後は藤本蚕業史料の解説サイト、及び小諸の史料サイトの開設に向けて動く予定です。 10/23 先週は藤本蚕業歴史館で史料紹介の配信についてテストしました。その中で、史料を紹介するには1人で解説をしながらでは面白さが伝わらず、関心の高い方を介した対話形式で史料について語り合う事で面白さを引き出せることが分かりました。今週は水曜日にKAN-PRO中村さんと話し合いがあり2023-12-04
70【上田市の銭湯】②宮桜の湯【上田市の銭湯】②宮桜の湯突然ですが、皆さんは銭湯に行ったことはありますか? 銭湯というと、富士山の壁画が描かれた、東京の大きな下町銭湯を思い浮かべる人が多いと思います。ここでいう銭湯とは、法律で定められた一般公衆浴場のことです。 ここ上田市にも、地域に根付いた街のお風呂屋さん、銭湯が2軒あります。今回は、日の出町(常田3丁目)の「宮桜の湯(みやざくらのゆ)」さんをご紹介します。 宮桜の湯さんは、イオンスタイル上田や信州大学繊維学部の近くにあります。イオンの前の「信大繊維学部入口」交差点から信大正門の方へ進み、道なりに行けば右手に看板が見えてきます。玄関の「わ」の看板と薪のいい香りは営業中の証。ちなみに夏と冬で暖簾が違うんです。水色地に花火の絵柄が牛乳石鹸制作の2005年夏バージョンの暖簾、紺地に図形が描2023-11-30
71長福寺銅造菩薩立像長福寺銅造菩薩立像 ⻑福寺銅造菩薩立像は、⻑福寺「信州夢殿」の本尊。 アルカイックスマイルを特徴とする、像高36.7cmの小 金銅仏で、7世紀後半の白鳳時代の作品と考えられる。腰部をひきしめた均整のとれた流れるような細身の体つき、そして笑みをたたえた柔和な表情、やわらかな体部の肉づけのこの菩薩像は「夢殿観音」とも呼ばれる、七世紀後半の白鳳時代の特徴をよく示している。国の重要文化財に認定されている。  長福寺銅造菩薩立像のアルカイックスマイルは、安らぎを与えてくれているように感じた。また、ずっと見守ってくれているような感じがした。  2023-11-30
725代松平忠学と明倫堂5代松平忠学と明倫堂 この場所にはかつて、松平忠学(たださと)の命によって設立された明倫堂があった。ここで、上田藩の多くの若者が文武教育を受けた。  私が散策したところ、この学校(現在は上田市立第三中学校となっている。)は3種類の石垣によって囲まれているのが分かった。左から二つ目の石垣は、横に長く敷き詰められており、一枚一枚はの厚さは薄く、どれも四角形であった。左から三つ目の石垣と一番右の石垣を比べると、左の石垣は、全体的に白く、配列がきれいである。それに対し右の石垣は、全体的に黒いけれども青、赤、黄などの色の石もあり、また、上にいけばいくほど石の大きさが小さくなっている。配列が乱れている箇所もある。  おそらく左から二番目の石垣は今日に近しい時代に、一番右の石垣は古い時代に積まれたものだろう。2023-11-25
734代松平忠済と藩主居館の門4代松平忠済と藩主居館の門 これは歴代の上田藩主が住んでいた居館の表門である。寛政1年(1789)にこの門と居館は全焼したが、松平忠済(ただまさ)が翌年に再建させている。  瓦屋根の軒の両端を見てほしい。上田藩松平家の家紋「五三の桐紋」があしらわれた瓦が取り付けられている。屋根の棟板金を見てほしい。ここにもまた家紋の飾りが2つ取り付けられている。家紋の瓦からは、この門が持つ格式の高さが感じられる。門の両側には、白い塀がずらっと続いている。何だか「居館」というよりも「お寺」のイメージを彷彿とさせる。軒下には雨樋が付いている。化合した金属で作られたものだろう。江戸時代だったら、木材や竹で雨樋を作っただろうから、この樋は最近のものだろう。  門だけでなく雨樋や塀、屋根の状態などを見ると面白いだろう。2023-11-25
74東洋音楽学会で学際的交流、偏在知を遍在に変える東洋音楽学会で学際的交流、偏在知を遍在に変える東洋音楽学会第74回大会 11/18-19の2日間、京都教育大学を会場に開催された東洋音楽学会第74回大会に参加してきました。初日の「京都の六斎念仏公演」は大変興味深いものでした。地元伏見桃山で伝承されている「六斎念仏」が披露されました。無形的な民俗文化は継承がされにくいだけでなく、その可視化・共有も極めてしにくい課題があります。民俗学者の柳田國男が全国に偏在する文化を可視化・共有するのが民俗学であると生前に発言をしていました。だから民俗学は面白い、と。デジタルな時代になり、やっとそれが民俗学を超え、やろうと思えば実現できる社会に変容しつつあるという社会状況の深化を想起しました。地域に偏在していた知・リソースを遍在する関係に変えるのが、私たちが今取り組んでい2023-11-20
752023/11/04開催「歴史的景観ウォッチング:西部地域の歴史的景観」2023/11/04開催「歴史的景観ウォッチング:西部地域の歴史的景観」「歴史的景観ウォッチング:西部地域の歴史的景観」に参加しました。丸山平八郎家を始めとした上田の歴史的景観を持った民家をいくつか訪れることが出来た他、その様子を撮影することが出来、改めて上田の街に対する観念が変わりました。こうした出来事は他の地域でも良く起こるのですが、それだけ地域の歴史が周知されていないという意味でもあり、こうした魅力をどう面白く発信できるかを考える必要性を認識させられました。2023-11-19
76自然自然白馬の紅葉2023-10-27
772019年、台風19号/千曲川増水で橋桁に打ち付ける波2019年、台風19号/千曲川増水で橋桁に打ち付ける波2019/10/12、22:00頃の千曲川の状況を記録した画像です。古舟橋の情景です。暗くて見えにくいですが、横に伸びる黒い帯が橋、その下に延びるやや白い帯が波です。危険水位まで水が上昇し川面が激しく波打って橋桁の下にぶつかっていました。周囲にはゴーッという川音が遠くからでも響いていました。 この個所は幸いにして越水や洪水の被害からはまぬがれました。その後まもなくそれぞれの橋は通行禁止になりました。私もこの後安全な高台に車で移動しました。2023-10-16
78「信州学サミット2017」プレイバック「信州学サミット2017」プレイバック長野県内の県立高校で実施された地域学「信州学」のお披露目の場として「信州学サミット」が2017年10月21日、長野駅コンコースを会場に開催されました。 初めての信州学サミットに各学校から意欲的な発表と展示がなされました。次の記事は信州学サミットの様子を具体的に伝えていてふり返りの参考になります。 ▼信州学サミット~信州・学びの旅に出ように参加しました 2017年10月21日 https://manabitojichinohiroba.hatenablog.com/entry/2018/12/12/143956 私が学習支援をしていた蓼科高校の「蓼科学」の成果もパネル発表の形で展示に供されました。商業高校など地域の商品開発に取り組んでいる高校は実践がまさに地域学のねらいに合致して成果をPRしている一方、全体としてはいまひとつ活気が2023-10-10
79新「信州学」プレイバック新「信州学」プレイバック画像は『わたしたちの信州学』表紙の一部を転載 ▼新「信州学」推進事業(長野県教育委員会教学指導課) https://www.pref.nagano.lg.jp/kyoiku/kyoiku/documents/19shinshugaku.pdf 阿部長野県知事が旗ふりして始めた地域学「信州学」推進事業です。その副読本も作られ、ネット公開されました。 ▼eReading Books『わたしたちの信州学』 https://ereading.cs.nii.ac.jp/nagano/book/shinshugaku/1 長野県の県立高校全校で地域学を実践するという方向付けは望ましいことであった一方、いきなり「信州学」を実践しなさいという号令はそれぞれの学校にとって反応のしようがないものであったことは否めません。 「信州学」は地理学者の故・市川健夫先生(1927-2016)が生涯をかけ2023-10-10
80ソリレスソリレスたまにしか来れない上田ですが、せっかくなので美味しいお店を探します。東御のヴィラデストさんが貸切で予約できないとなり新たにお店を探したところ、ありました! 眺めのよい素敵なレストラン。 とても急な坂道を上がってたどりついた先は上田市を見渡せるテーブル3~4席のオープンキッチンです。 もとヴィラデストさんで活躍されていたシェフのお店だそうで、シェフお一人とマダムとで、さりげなくも心地よい接客で、居心地よかったです。お料理も素材にこだわり、本格的で洗練されていて、大満足。是非また来たいお店でした。 ワインも充実したお店のようですが、あまり飲まない派なので、エルダーフラワーのスパークリングに。 写真は、前菜2品目のモンサンミッシェルのムール貝、白ワインとソースで美味しかったです。こ2023-09-01
81白山神社白山神社こちらの神社は住宅街の中に建っている。名前は白山神社となっているが、読み方に関しては「ハクサン」なのか「シラヤマ」なのかインターネット上では不明である。 詳しい情報をまとめたサイトも見当たらないため、創建された年は不明だが、2023年5月時点の建物は平成六年(1994年)四月に創建したものであると建物東側の壁に記されていた。(建設に携わった人の個人名が記されているため、本記事には掲載しておりません)また、鳥居も同年十一月に創建されている。 著者が掲載している他の神社よりも最近建てられた神社であるため、建物の状態はとても良いと言える。2023-05-10
82雲の切れ間の青空と上田市の車社会を物語る一枚雲の切れ間の青空と上田市の車社会を物語る一枚まだらな白い雲の切れ間に見える青い空がきれいです。上田市に住むうえでは車はほぼ必須。駐車場がびっしりと埋まっています。 長野大学の近くで撮影しました。都会や街中にキャンパスを構える大学と比べると長野大学へ車で通学する人が多いですよね。2023-05-09
83猫瓦猫瓦猫瓦という瓦を知っていますか。猫瓦とは蚕を食べるネズミの天敵である猫を模した瓦のことです。上塩尻という地域は蚕種、養蚕が盛んであったため猫瓦が多くみられます。猫瓦にも様々な形、文様があり、意味にも違いがあります。昔の方は瓦で願い、思いを表現していて面白いと思います。2023-05-09
84番外編:湯の橋番外編:湯の橋大正橋からさらに堤防を通って上流へ...と進むことはせず、少し回り道して戸倉の温泉街に。 以前の上田での調査の際、入り組んだ街並みには案外面白い発見があると学んだため、いざ温泉街へ。 そこで見つけたのが、この「湯の橋」。温泉に相応しい名前ですね。橋と言って良いのかと首を傾げるくらいにはこぢんまりとした橋でしたが、下を覗くと蔦まみれの建物に草の茂った用水路...とレトロさが味わえてなんとも気に入ってしまいました。 風景をより魅力的にする、というのも橋の利点なのかもしれません。2023-05-07
85千曲川水管橋千曲川水管橋千曲橋と並んで目を引くのが、この「千曲川水管橋」です。人を運ぶ橋とは違い、水を運ぶのがこの橋の役割です。 真っ白で細いそのフォルムはまるで脊椎のようで、どこか先進的。こちらも千曲橋と同じくインパクトある景観を創り出しています。2023-05-07
86中山道69次資料館中山道69次資料館4/30(日)、軽井沢町追分にある中山道69次資料館を訪れました。上田から軽井沢をつなぐ浅間サンラインはその終点で国道18号線に合流します。中山道69次資料館はその合流点の突き当りにあります。軽井沢に行くたび、その前を通過しながら、これまで資料館を訪れる機会がありませんでした。 ★中山道69次資料館 私設の資料館です。冬期は休館し、ゴールデンウィーク初日の4/29に開館したとのこと。館長さんのこだわりから展示が構成されており、非常に面白いものながら、時間の限りもあってじっくりと見学するというわけにもいきません。 江戸・京都間を結ぶ東海道53次に対して中山道は69次。数が多い。いずれも浮世絵によっても知られています。東海道は広重の作。では中山道は? 英泉の作です。英泉は知り2023-05-01
87霊峰月山が真正面に見える西川町の魅力霊峰月山が真正面に見える西川町の魅力本日3/15山形自動車道で山形市から西川町へ。何と進行方向の真正面に純白の霊峰月山が見え続けています。月山へ向かっているというこのアクセス感が月山をいっそう神々しくその存在感を高めてきます。中山町から寒河江市にかけての区間が特によく見えます。景観的には至福すら感じる景観体験でした。2023-03-15
88電柱のない都市景観:筑波研究学園都市電柱のない都市景観:筑波研究学園都市電柱と電線は日本のどの都市にも例外ないぐらいに存在しています。日本の景観的な美しさを損ねているのみならず、日々、「なんて見劣りのする社会」なのだろうかと感じます。電柱・電線のない都市に暮らしたいという思いは常に抱いています。 筑波研究学園都市の中心部は概ね電線は地中化され電柱はありません。これがノーマルな日本の都市景観であってほしいと願います。 ところで、つくば市は全国に先駆けて「無電柱化条例」を制定した都市であることを知りました。いくつも関連した記事をリストアップしておきます。 《関連記事》 ★つくば市/つくば市無電柱化条例 2023年03月01日 ★週プレNEWS/茨城県つくば市で、地中に埋めて「2023-03-07
89夏目坂珈琲夏目坂珈琲2022年の4月に伺いました。 通っている大学の近くにある喫茶店です。店内は白基調の内装でスッキリとしています。またキャッシュレス決済限定で、今の時代ならではなのかなと感じました。 チョコケーキをいただきました。甘さ控えめな中にナッツで食感のアクセントがありとても美味しかったです。2023-02-18
90苺菓子 りつか苺菓子 りつか2022年の3月、金沢旅行へ行った際に立ち寄りました。 徒歩で最寄駅から倶利伽羅不動寺(往復6km!)まで山登りした後だったのでくたくたで、まるでオアシスのような甘味でした。 いちごのショートケーキをいただいたのですが、スポンジ生地が薄めでムースやラズベリーのジュレが挟まっていたりなど食べ応え抜群でした。また、粉砂糖を散らしたり、バラの花びらをかけたりなど仕上げを席で店員さんがやってくれました。 内装も和風なのですが、赤色の背景など特徴的で面白かったです。2023-02-18
91明治時代のスキンケア、パーソナルカラー明治時代のスキンケア、パーソナルカラー日傘は廃れ、西洋風の小型な蝙蝠傘が流行っていた。雨の時は不便であるが、「流行のため仕方がない」と言われているのが面白い。 流行に振り回される当時の人の苦労が垣間見えた。 青みがかった顔色の人は紅色、茶色の傘を選ぶと顔色とうまく調和する。青、紫、緑は顔が尚更青ざめてみえ、黄色の顔色が悪く見える。 赤みがかった顔色の人は、青、紫、緑色の傘を選ぶと顔色とうまく調和する。紅、茶色は顔が尚更赤く見える。 現代の「ブルーベース」「イエローベース」は最近生まれた概念だと思っていたが、明治時代から存在していた。 明治時代の人はグリセリンを水に溶いたものを顔に塗り保湿していた。現代の化粧水の主な成分にグリセリンは含まれている。また、肌が白いのが美しいとされている価値観は明治時代から変わっていな2023-02-08
92明治時代のお洒落と色明治時代のお洒落と色 https://jpsearch.go.jp/item/dignl-848938 婦人の装飾には二方面があり、そのいずれもおざなりにはできない。二方面とは第一が肉体の美、第二が服飾の美とある。 肉体の美とは、紅を塗り白粉を施しあるいは肉色を麗しくはせ、あるいは穢れを着けず、あるいは手の指を美しくさせ、あるいは爪紅を入れあるいは顔立ちによって白粉の塗り方を違える。 顔色を良くする化粧や、顔立ちによって化粧を変える等は現代と共通していることがわかる。 服飾の美とは髪の飾りから始めて、衣服、指輪、下駄など体の格好に応じて帯の締め方もあり、顔の色に応じて半衿や羽織などの色の去り嫌いもあり、良くも悪くもこれひとつでどうでもなる。とある。 顔の色に応じて服装や化粧を変えるのは、今で言う「パーソナルカラ2023-02-08
93西塩田時報から学ぶライフハック④西塩田時報から学ぶライフハック④ 西塩田公報には『家庭メモ』というコラムがあり、生活に役立つコツやレシピなどを紹介している。  ここでは私が気になった記事を紹介していく。 ~この記事で知ることができるライフハック一覧~ ・味噌のカビを防ぐには笹の葉を表面に敷き詰める ・食塩をさらさらのまま保存するには、容器の底に粉炭を入れてその上にザラ紙(新聞紙などのわら半紙)を12枚敷き詰めておく ・水虫対策には、煎茶を患部に当てる ・切り傷に応急手当には、煙草の粉を患部に当てておくと出血が止まる ・醤油の白カビを防ぐには容器に焼酎を入れておく ・やけどをしたときにはきゅうりの種を綿にしみこませて患部に当てると痛みも引き水ぶくれにもならない。 今回は応急手当だったり、調味料の保存法の知恵ですね。私が気になったのは「煙草の粉」2023-02-08
94村のトピック村のトピック村での些細な出来事を取りあげられている。お祭りや講演などのイベントから、火の用心といった注意喚起まで、町中の出来事が掲載されている。 現在の広報と似ている部分であり、何年経っても続いているのが面白いと思った。 「西塩田公報」昭和26年6月10日 https://www.mmdb.net/mlab/uedagaku/pdf/nishishioda/vol2.pdf2023-02-08
95農事メモ農事メモ農業で大切になるポイントや注意すること、栽培方法などがメモとしてまとめられている。 「馬鈴薯の収穫は必ず乾燥した時に実施して下さい」など、農業初めての人でも読んだら分かりやすく、ここまで詳しく説明する広報は見たことがないため、面白いと感じた。 「西塩田公報」第59号 昭和27年7月5日 https://www.mmdb.net/mlab/uedagaku/pdf/nishishioda/vol2.pdf2023-02-08
96昔の地図を使った冒険昔の地図を使った冒険今の自分の住んでいるアパートや通っているバイト先が昔はどんな姿だったのかと考えたことはあるだろうか? そういったものをこのような絵図と見比べてみても面白いのではないだろうか? 自分のアパートは昔どういう役割を持っている建物だったのか?1つ前は八百屋だったのか?その前はだれの、どのような家だったのか? そのようなことを考えながら、友達の家を巡ってみるのも、この春休みの良い暇つぶしになるのではないだろうか。 引用画像 信州デジタルコモンズ 上田城下町絵図 https://www.ro-da.jp/shinshu-dcommons/museum_history/03MP14000600012023-02-08
97終わりに終わりに西塩田時報を読み進めていく中で、自分のテーマと関係のない面白い記事がいくつかあり、探求に時間がかかってしまった。 戦前の記事からは、まず「食」に関する記事を探すことが難しく、記事があっても、材料の栽培方法や保存方法について書かれていることが多いという印象を受けた。 戦後の記事からは、たくさんの「食」に関する記事を見つけることができ「家庭メモ」や「季節の料理」のような記事が多い印象を受けた。その中には現代でも食べられているメニューやレシピがあったが、食材の違いや、栄養素の偏りといった面で、現在とは大きく異なっていた。 戦前と戦後の記事から、戦前は材料の栽培保存、戦後はレシピや栄養素について書かれていることが多いと感じた。 このことから戦後は戦前に比べ、他国の食文化が普及したり、2023-02-01
98西塩田時報から学ぶライフハック②西塩田時報から学ぶライフハック② 西塩田公報には『家庭メモ』というコラムがあり、生活に役立つコツやレシピなどを紹介している。  ここでは私が気になった記事を紹介していく。 ~この記事で知ることができるライフハック一覧~ ・壁についたインクや墨汚れを落とすには白布に食酢を二倍に薄めたものをぬらして拭く ・手についた魚臭さはミカンの皮を茹で、その煙を手に当てると匂いは消える ・鼻が詰まるとき、洗ったドクダミの葉を塩でもみ、細かく刻んだものを鼻の中に入れる。30分から1時間ほど待機×3回ほど行うと鼻詰まりが解消される。  薬が簡単に手に入らない時代だと思うので、こういった身近な植物を使った治療法が良く記載されています。  現代でもこの知識は活用され、薬という風に形を変えて存在しているものも数多くあります。昔の人の知識2023-02-01
99信州の自然と人、47年前と今信州の自然と人、47年前と今昭和51年(現在2023年から47年前)に長野県が制作した、信州の自然と人の暮らしとの関わりを記録した映像です。 白馬三山の雪形、山の信仰、水質・大気汚染、自然観察会などをまとめており、2023年の現在と比較検証し、変っていない点と変わっていった点を考察していく。 仮説として、現在と47年前で変わっていない点は普遍的な部分で今後も変わらないのではないかと推測する。 URL:https://www.ro-da.jp/shinshu-dcommons/museum_history/03FS00000001322023-02-01
100中村直人 (なかむらなおんど)中村直人 (なかむらなおんど)大正期中ごろ山本鼎が提唱した「農民美術」と「児童自由画教育」の二つの運動の、発祥の地、神川で少年期を過ごした直人は、リアルタイムに農民美術、児童自由画教育の誕生を直視し、その渦中で小学校時代を過ごしました。  15歳の時、山本鼎の世話で上京し、木彫家吉田白嶺の木心社に入門。兄弟子松村外次郎より木彫の手ほどきを受け、小杉法庵にデッサンを習い、自己の彫刻表現の模索が始まりました。大正14年、直人21歳で院展初入選、以後連続入選し大正15年に日本美術院賞を受賞。昭和10年には院展同人(会員)に推挙され日本の彫刻界の新風として頭角を現し始めました。  終戦後は、新日本美術会創設に参加し、各種展覧会に出品しました。その後、以前から親交を深めていた画家で彫刻家の藤田嗣治がフランスに渡り、2023-02-01
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