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1筑波研究学園都市の景観筑波研究学園都市の景観筑波研究学園都市の建設が始まったのが1970年代。初期に建設されたペデストリアンデッキの橋の銘板を見ると1978年が竣功年です。概ねその頃から学園都市の建設が本格化したとみてよいでしょう。その頃からは既に45年が経過しました。日本で本格的に都市計画された都市の先駆けと捉えてみると筑波研究学園都市の都市特性がよく見えてきます。 ここ10年ほどの筑波研究学園都市で著しい変化は「研究学園」地区の開発により中心部から研究学園への大規模な人口移動が起きてきたことでしょう。都市計画された新しい都市であったこの中心部が「旧市街地」化し、通常であれば中心市街地の衰退化を招きかねないところ、中心部には高層マンションが増え、公舎型の住まいから分譲型の住まいに移行しつつあります。人口は減らず、逆に増加しつつあり2023-02-26
2上田市における蚕を活かした都市開発上田市における蚕を活かした都市開発上田市の景観形成における蚕の役割として、蚕都としての歴史性を重視するというものがある。上田市の景観計画の一部として、かつて栄えていた城下町や養蚕が盛んであった地域周辺の家屋、並びに歴史的資産や街並みの保全をしながら活用することを都市計画の一部に組み込んでいる。特に、建築物や工作物においては蚕室造りといった伝統的な様式の建築物を継承または意匠することを景観における基準としている。また、色彩においても蚕都としての風情を感じることができる落ち着いた色調を求めている。2022-11-30
3筑波研究学園都市の年輪筑波研究学園都市の年輪筑波研究学園都市が建設されたのは1970年代からのこと。私が高校生だった1970年代後半はまだ都市全体が造成中でした。それからかれこれ40数年が経過しました。 当時としては都市計画をして形成された稀有な計画都市です。日本の都市計画の威信がかかった都市計画であったともいえます。その後40年も経過すると建物は老朽化し未だにそこに暮らし続けることの厳しさを感じます。多くの公務員宿舎などが廃屋となり、実質的に放置されています。その荒廃は驚くばかりです。 竹園一丁目住宅は現在も使われているアパートです。その入口に古い研究学園都市の周辺地図がありました。1987年に「つくば市」になる以前の「桜村」「谷田部町」の旧町村名で記されています。まるで時が止まったかのように過去の学園都市が眼前に現れたかの印象を受け2022-07-18
4柳町の水路柳町の水路柳町のおしゃれな雰囲気作りに一役買ってるであろう苔の生えた水路。 苔が生えていると言うことは日頃近隣の住民が利用しているのだろうかと疑問に思い調べてみたところ、上田市の都市計画に「歴史的まちなみの保存・活用」という項目があり、景観水路の整備を行い実用性と見栄えを両立していることがわかった。2020-11-04
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