登録リスト(該当:2210件)

写真タイトル説明登録日
1当時の八日堂縁日の様子当時の八日堂縁日の様子この絵は昔の八日堂縁日の様子を描いたものである。この絵の中に人は363人描かれているが、現代ではこの地域に住む多くの方は八日堂縁日に行っている。昔から伝わる伝統的なお祭りである。2021-01-25
2信濃国分寺資料館信濃国分寺資料館信濃国分寺資料館は国道18号線沿いにある。ここには信濃国分寺跡に関する資料を中心に、文化財はもちろん、伝統的なお祭り(八日堂縁日)に関する資料などが多く保管されている。 この地域のこれまでの歴史を学ぶ場として利用ができる。2021-01-25
3郷中教育郷中教育薩摩半島に昔から根づく郷中教育について調べました。 読み方は 郷中(ごじゅう)です。 URL:file:///C:/Users/bookm/Desktop/%E5%BE%A1%E4%B8%AD%E6%95%99%E8%82%B2j17502%20%E6%9C%AC%E8%8B%B1%E5%B9%B8PDF.pdf2021-01-25
4台風19号 堤防復旧台風19号 堤防復旧台風19号災害から1年が経過し、堤防が決壊し被害の大きかった長野市穂保地区に訪れた。浸水被害から被害の大きかった穂保地区や長沼地区の住宅では多くの家で再建や浸水被害からの整備が済んでいたが、現在でも工事中の住宅やボランティア活動などでの整備を必要としている住宅があると思う。 決壊した堤防復旧の様子は、前回訪れた時よりも進んでおり、地域住民の方々が願っているように今度こそ決壊しない、越水しない、切れない堤防への復旧を進めて行く事が必要であると考える。2021-01-25
5台風19号災害ボランティア活動台風19号災害ボランティア活動12月に行った災害ボランティア活動について、また現地に訪れる事で分かった事などをまとめていく。災害ボランティア活動は新型コロナウィルスの影響から長野市役所に集まり、自身の車で各自現地に訪れて朝の9時〜16まで活動していく。今回訪れた住宅では台風19号により住宅が浸水してしまった後に床や畳等を変えたのだが、畳の下の地盤が未だに浸水の影響から水を含んで泥のようになっていたため畳が湿ってしまっていた。そこで当日、ボランティアの方々が畳の下の泥を住宅外に掃き出していく活動を主に行っていき、またガラス戸などに付いた泥の清掃等を行った。1度は住宅を整備した後に、1年以上浸水から経過した住宅の地盤が未だに湿っている事があるのだと気づからされた。また現地の方々や長野市に長く定住している方は、当時の浸水2021-01-25
6旧玉井フルーツ店・現VACILANDO COFFEE旧玉井フルーツ店・現VACILANDO COFFEE1枚目が2012年、2枚目が現在の外見を表した写真である。 2012年の時にはあった玉井フルーツは現在移転し、今はカフェとして使われている。建物の茶色の部分とはだいぶ違う真っ白な壁となっており、とてもきれいな雰囲気を感じる。 (2012年の写真→Googleマップ・ストリートビューより引用)2021-01-24
7上田市の観光客推移上田市の観光客推移観光地利用者統計調査/長野県 H21年から令和元年までの上田市の主要観光地の利用客の数位を調査した(別所温泉はH23年からの統計) これを見ると上田城周辺は26年まで1400-1500程度で横ばいになっていたが27年に大河ドラマ放映が決まり2100台に急増28年には放映が開始されたため3488と急増しこの年ががピークとなっている。別所温泉も同様に28年がピークである。その後は放映前と変わらない客数であることは問題だ。観光地とは非日常を体験させることが求められる場所、上田の強みである歴史と温泉という観光資源をただそのままにしておくのではなく戦略立てて活用していくことで他の観光地との差別化を図り、ここでしかできない体験を生み出し魅力2021-01-24
8清水書店清水書店1枚目が2012年、2枚目が現在の外見を表した写真である。 全体的に変化していないのが特徴であり、まさに歴史を感じやすいお店・建物である。 (2012年の写真→Googleマップ・ストリートビューより引用)2021-01-24
9コエダ時計店コエダ時計店1枚目が2012年、2枚目が現在の外見を表した写真である。 外見はほとんど変わらないが、入り口の左側にあるガラス張りのところに飾られているものを見ると、歴史を感じる。 (2012年の写真→Googleマップ・ストリートビューより引用)2021-01-23
101976と今の別所温泉街の比較1976と今の別所温泉街の比較1976年の別所温泉と今の別所温泉の違いを、俯瞰写真から感じてみましょう。 別所温泉駅の近くに建物が増え、大きな建造物がならぶようになりました。 参考文献 地図・空中写真閲覧サービス https://mapps.gsi.go.jp/maplibSearch.do#1 googleマップ2021-01-23
11松尾カメラ松尾カメラ1枚目が2012年、2枚目が現在の外見を表した写真である。 左上のフジカラーの看板がお店の名前の松尾カメラに変わったくらいで、その他はほとんど変化がないことが分かる。歴史を感じる建物である。 (2012年の写真→Googleマップ・ストリートビューより引用)2021-01-23
12上田プラザホテル上田プラザホテル1枚目が2012年、2枚目が現在の外見を表した写真である。形としては時に変化していないが、さすがに古くなってきていることもあり、現在はきれいに塗装されており、古さを感じさせない、また新しい雰囲気のように感じる。 (2012年の写真→Googleマップ・ストリートビューより引用)2021-01-20
13みすゞ飴本舗 飯島商店みすゞ飴本舗 飯島商店1枚目が2012年、2枚目が現在の外見を表した写真である。 見て分かる通り、この建物もほとんど変化がなく、歴史ある建物として大切に残り続けている。 (2012年の写真→Googleマップ・ストリートビューより引用)2021-01-20
14リンズコーヒーリンズコーヒー1枚目が2012年、2枚目が現在の外見を表した写真である。 このカフェは約10年経っても外見に関しては特に変化がないことが分かる。 (2012年の写真→Googleマップ・ストリートビューより引用)2021-01-20
15魚民 上田お城口駅前店魚民 上田お城口駅前店1枚目が2012年、2枚目が現在の外見を表した写真である。 今では魚民の上の階にKATEKYO学院があり、2012年当時はなかったことがわかる。そして、その上の大きな看板には、2012年から変わらず長野大学を表す看板があることも分かる。 (2012年の写真→Googleマップ・ストリートビューより引用)2021-01-20
16松尾町商店街について松尾町商店街について歴史的変遷の説明の前に、まず松尾町商店街について調べたことを少し紹介しようと思う。 松尾町が誕生したのは明治21年(1888年)であり、今年で133年目を迎える。別名真田坂とも呼ばれている。上田市の玄関として、これまで多くの人が行き来している商店街である。 また、松尾商店街についての情報がまとめられたフリーペーパーがある。2005年から発行されており、今現在も発行され続けている。そのホームページもあり、誰でもネット上で見ることができるため、興味がある方はぜひ見てみて欲しい。 今回改めて自分の目でも松尾町商店街を見てみたが、長い歴史がありこれまでたくさんの人に親しまれてきた商店街と知り、この商店街は上田市にとってとても大切であり欠かせない存在であると感じた。 【参考文献】 フリーペーパー真田坂ホ2021-01-20
17富士アイス「じまんやき」富士アイス「じまんやき」上田市の「富士アイス」で販売されているじまんやき。 あんこ(つぶあん)とカスタードクリームの二種類があり、どちらも一つ80円である。 人気のお店で、筆者が平日に訪れたときには5~6人ほどの列ができていた。 あんこは甘さ控えめで食べやすく、小豆の味を堪能できる。カスタードはあんこより甘いが、くどい甘さではない。 あんこは大人向け、カスタードは子供向け、という感想を抱いた。 皮はモチモチとした食感が楽しめる。 ボリューム満点であり、二つ食べただけでも結構腹にたまる。 おやつだけではなく、朝食や昼食に食べるのも悪くないと感じた。 上田に訪れたときは、是非とも食して欲しい一品である。2021-01-20
18蚕都喫茶室/蚕都上田を知る楽しみ~人物編~蚕都喫茶室/蚕都上田を知る楽しみ~人物編~ この動画は以下の再掲です。 「蚕都喫茶室/蚕都上田を知る楽しみ~人物編~」(2010/12/19)(蚕都上田プロジェクト) →https://youtu.be/ALpsdlUN0zI?t=2624 (話し手:新津新生氏、桂木恵氏) この動画はフリートークの中で藤本善右衛門縄葛(つなね)に言及している個所に頭出ししてあります。 以下のような言及がされています。詳細は動画でご確認ください。 ・藤本善右衛門縄葛は、並外れた産業人であったと同時に教養人でもあった。 ・縄葛文化レベルの高さは並大抵ではない。余技で書いた『続錦雑誌』は凄い。 ・桑の葉にも数多くの種類があり、それを一つ一つスケッチ(正確には押し花)2021-01-20
19『蚕かひの学』藤本善右衛門保右著1841『蚕かひの学』藤本善右衛門保右著1841▼蚕かひの学(デジタルアーカイブ資料) https://trc-adeac.trc.co.jp/WJ11D0/WJJS05U/2000515100/2000515100100050?dtl=all NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ 藤本善右衛門保右(やすすけ 1793-1865)が残した養蚕技術書。1841年(天保12年)に著し改版を重ねました。息子の縄葛もその改訂に携わったのではないかと推察をします。「信州地域史料アーカイブ」に収録された『蚕かひの学』はネットに公開された希少な一次資料です。 蚕種製造家は、蚕種を製造するだけでなく、教養に優れていることが蚕種の信用の保障となり、蚕種を販売しながら養蚕技術書を販促ツールとして活用したことがわかります。2021-01-20
20上田人物伝「藤本善右衛門」上田人物伝「藤本善右衛門」「上田を支えた人々 上田人物伝 藤本善右衛門(昌信・保右・縄葛)」 https://museum.umic.jp/jinbutu/data/028.html (上田市マルチメディア情報センター) ネットで藤本善右衛門を検索すると参照ページは意外に少なく、現時点ではWikipediaにすら記載されていません。ほぼ唯一、内容を知ることができるのがこの記事です。説明文は『上田市誌第28巻』の「藤本善右衛門」を要約した内容になっています。 「上田地方を蚕種製造の全国的な中心地に発展させた功労者」として紹介されています。藤本善右衛門は蚕種製造を営んでいた上塩尻の佐藤本家の当主の襲名です。代々の当主のうち、特に業績のあった昌信(1722-1773)、保右(1793-1865)、縄葛(1815-1890)が紹介されています。 縄葛は1845年、蚕種の新品種「掛合」を育成し2021-01-20
21上田elaboration 中間発表上田elaboration 中間発表2021-01-14
22過去記事まとめリンク+α過去記事まとめリンク+α生島足島神社 上田市内のローカルレストラン探訪 #1 ミルキーウェイ 【エモい】夜のローカル鉄道無人駅 【道なき道】くらます山散歩道 上田市内のローカルレストラン探訪 #2 拉麺酒房 熊人 上田市内のローカルレストラン探訪 #3 隠れキッチン 上田駅周辺市街地 上田市内のローカルレストラン探訪 #4 刀屋 2021-01-14
23リンク一覧リンク一覧https://d-commons.net/uedagaku/admin/content_edit.php?id=3117 https://d-commons.net/uedagaku/admin/content_edit.php?id=3231 https://d-commons.net/uedagaku/admin/content_edit.php?id=3232 https://d-commons.net/uedagaku/admin/content_edit.php?id=3233 https://d-commons.net/uedagaku/admin/content_edit.php?id=3235 https://d-commons.net/uedagaku/admin/content_edit.php?id=3236 https://d-commons.net/uedagaku/admin/content_edit.php?id=3349 https://d-commons.net/uedagaku/admin/content_edit.php?id=3353 https://d-commons.net/uedagaku/admin/content_edit.php?id=3391 https://d-commons.net/uedagaku/admin/content_edit.php?id=3392 https://d-commons.net/uedagaku/admin/content_edit.php?id=3393 https://d-commons.net/uedagaku/admin/content_edit.php?id=3598 https://d-commons.net/uedagaku/admin/content_edit.php?id=3599 https://d-commons.net/uedagaku/admin/content_edit.php?id=3600 https://d-commons.net/uedagaku/admin/content_edit.php?idhttps://d-commons.net/uedagaku/admin/content_edit.php?id=3602=36012021-01-14
24リンク一覧リンク一覧https://d-commons.net/uedagaku/detail.php?cat=&id=3226 https://d-commons.net/uedagaku/detail.php?cat=&id=3227 https://d-commons.net/uedagaku/detail.php?cat=&id=3228 https://d-commons.net/uedagaku/detail.php?cat=&id=3229 https://d-commons.net/uedagaku/detail.php?cat=&id=3230 https://d-commons.net/uedagaku/detail.php?cat=&id=3382 https://d-commons.net/uedagaku/detail.php?cat=&id=3383 https://d-commons.net/uedagaku/detail.php?cat=&id=3386 https://d-commons.net/uedagaku/detail.php?cat=&id=3388 https://d-commons.net/uedagaku/detail.php?cat=&id=3589 https://d-commons.net/uedagaku/detail.php?cat=&id=3590 https://d-commons.net/uedagaku/detail.php?cat=&id=3591 https://d-commons.net/uedagaku/detail.php?cat=&id=3593 https://d-commons.net/uedagaku/detail.php?cat=&id=3596 https://d-commons.net/uedagaku/detail.php?cat=&id=36092021-01-14
25上田探検 リンク上田探検 リンク柳町の水路 http://d-commons.net/uedagaku/admin/content_edit.php?id=3343 リンゴの自販機 http://d-commons.net/uedagaku/admin/content_edit.php?id=3234 道祖神 http://d-commons.net/uedagaku/admin/content_edit.php?id=3237 熊人(ラーメン屋) http://d-commons.net/uedagaku/admin/content_edit.php?id=3239 臼だったもの http://d-commons.net/uedagaku/admin/content_edit.php?id=3240 古びた井戸 http://d-commons.net/uedagaku/admin/content_edit.php?id=3242 刀屋(そば屋)の薬味 http://d-commons.net/uedagaku/admin/content_edit.php?id=3342 上田城跡公園 http://d-commons.net/uedagaku/admin/content_edit.php?id=3344 至る所にいる真田 http://d-commons.net/uedagaku/admin/content_edit.php?id=3345 サマーウォーズ自動販売機 http://d-commons.net/uedagaku/admin/content_edit.php?id=3346 日輪寺 観音堂 http://d-commons.net/uedagaku/admin/content_edit.php?id=3564 宗吽寺 http://d-commons.net/uedagaku/admin/content_edit.php?id=3566 常田館製糸場 h2021-01-14
26上田探検リスト上田探検リスト第1回探検 ○超誓寺 https://d-commons.net/uedagaku/detail.php?cat=&id=3175 ○カレーラーメン https://d-commons.net/uedagaku/detail.php?cat=&id=3176 ○あんこ餃子 https://d-commons.net/uedagaku/detail.php?cat=&id=3177 ○くらます山散歩道 https://d-commons.net/uedagaku/detail.php?cat=&id=3178 ○リンゴの自販機 https://d-commons.net/uedagaku/detail.php?cat=&id=3179 第2回探検 ○赤い橋 https://d-commons.net/uedagaku/detail.php?cat=&id=3296 ○ローソン https://d-commons.net/uedagaku/detail.php?cat=&id=3297 ○刀屋 https://d-commons.net/uedagaku/detail.php?cat=&id=3298 ○謎の釜 https://d-commons.net/uedagaku/detail.php?cat=&id=3299 ○呈蓮寺 https://d-commons.net/uedagaku/detail.php?cat=&id=3300 ◎第1回第2回まとめ https://d-commons.net/uedagaku/detail.php?cat=&id=3329 第3回探検 ○宗吽寺 https://d-commons.net/uedagaku/detail.php?cat=&id=3525 ○日輪寺 https://d-commons.net/uedagaku/detail.php?cat=&id=3526 ○常田館製糸場 h2021-01-14
27上田のeraboration上田のeraboration2021-01-14
28議事書類綴(1919/大正8年 別所村)議事書類綴(1919/大正8年 別所村)下のリンクを選ぶと文書全体のPDFをダウンロード表示します。ダウンロード表示には時間がかかります。 ▼上田市公文書館資料情報 議事書類綴 ぎじしょるいつづり 請求番号 01-T08-01-13389 文書の種類 旧役場文書 地域 別所村 作成年度(和暦) 大正8年 作成年度(西暦) 1919 作成部課 別所村役場 保存場所 上田市公文書館 概要 大正8年度歳入出予算、村長退職報告、鉄道敷設に関する意見書、温泉浴槽改修調査書、別所村臨時温泉工事委員規程、大正7年事務報告ほか →上田市公文書館目録検索システムの当該資料情報 この資料は2021-01-13
29村会書類(1919/大正8年 泉田村)村会書類(1919/大正8年 泉田村)下のリンクを選ぶと文書全体のPDFをダウンロード表示します。ダウンロード表示には時間がかかります。 ▼上田市公文書館資料情報 村会書類 そんかいしょるい 請求番号 01-T08-01-1220 文書の種類 旧役場文書 地域 泉田村 作成年度(和暦) 大正8年 作成年度(西暦) 1919 作成部課 泉田村役場 保存場所 上田市公文書館 概要 渡船場費郡費補助稟請の件、上田市松本間鉄道施設に関する意見書提出の件ほか議事録 →上田市公文書館目録検索システムの当該資料情報 この資料は上田市公文書館収蔵のものをデジタル化し(非公開部分を除く)2021-01-13
30村会書類(1917/大正6年 泉田村)村会書類(1917/大正6年 泉田村)下のリンクを選ぶと文書全体のPDFをダウンロード表示します。ダウンロード表示には時間がかかります。 ▼上田市公文書館資料情報 村会書類 そんかいしょるい 請求番号 01-T06-01-1216 文書の種類 旧役場文書 地域 泉田村 作成年度(和暦) 大正6年 作成年度(西暦) 1917 作成部課 泉田村役場 保存場所 上田市公文書館 概要 鉄道停車場位置に関する意見書ほか議事録 →上田市公文書館目録検索システムの当該資料情報 この資料は上田市公文書館収蔵のものをデジタル化し(非公開部分を除く)、長野大学前川研究室が上田市に歴史公文書等2021-01-13
31別所線路ニ関スル書綴(1893/明治26年 川辺村)別所線路ニ関スル書綴(1893/明治26年 川辺村)下のリンクを選ぶと文書全体のPDFをダウンロード表示します。ダウンロード表示には時間がかかります。 ▼上田市公文書館資料情報 別所線路ニ関スル書綴 べっしょせんろにかんするしょつづり 請求番号 01-M26-01-136 文書の種類 旧役場文書 地域 川辺村 作成年度(和暦) 明治26年 作成年度(西暦) 1893 作成部課 保存場所 上田市公文書館 概要 上田原より神畑に至る里道開削に要する土地収用に関する資料・里道開削潰地小前調査表・別所線橋梁目論見帳ほか →上田市公文書館目録検索システムの当該資料情報 この資料は上田市2021-01-12
32公文書利用で始める地域学講座(2021/02/06開講)公文書利用で始める地域学講座(2021/02/06開講)【受講申込】受講申込は終了しました。 まちなかキャンパスうえだ市民向け講座(長野大学/ネット利用講座) 市民キュレーション講座「公文書利用で始める地域学講座」 開催期間:2021/2/6, 2/13, 2/20, 2/27 毎週土曜日4回 13:30~16:30  ビデオ会議Meet利用、全国から受講できます。受講される方にはMeet URLをお伝えします。 【講座のお問合せ先】◆は@に置き換えてください。  ◎講座申込について 地域づくり総合センター事務局 TEL:0268-39-0007 renkei◆nagano.ac.jp  ◎講座内容について 前川道博(長野大学/講座担当) TEL:090-2270-5074 maekawa◆nagano.ac.jp <講座案内PDF版> ※2頁以降に詳しい説明を載せてあります。 【プログラム】 第1回 2月6日(土) 一次2021-01-12
33芳泉寺【白】芳泉寺【白】上田城の西にある結構大きい規模のお寺です。 とにかく白ベースの綺麗な入口が目立ちますが、中もかなり豪華。本堂と周りに生えている松の木は、これぞ日本庭園という感じでとても堂々としていて壮観でした。 おまけで蕎麦の草笛の蕎麦と豚丼の写真も載せておきます。とても美味しかった上、かなりお手頃な価格なので是非。2021-01-11
34上田市大字常磐城字生塚全図(地籍図 1921年 )上田市大字常磐城字生塚全図(地籍図 1921年 )上田市大字常磐城第弐拾参番字生塚全図(上田市税務課所蔵) 調製 1890年(明治23年)12月 複製 1921年(大正10年)12月 製図者/測量士 馬場亀松(上田市役所地理主任) 曲尺 壱分ヲ以テ一間トス サイズ:A1版より小さい(A1版の台紙に貼付されている) 上田市大字常磐城(ときわぎ)字生塚(うぶつか)の地籍図である(現在は上田市常磐城四丁目)。地籍図は1889年(明治22年)の市制町村制施行に伴い、上田町大字常磐城(旧常磐城村)の地籍図として1890年作成したものを、1919年(大正8年)、上田町の市政施行に伴い、上田市に書き改めたものである。基本的には1890年と同じである。 ★上田市大字常磐城第弐拾参番字生塚全図(PDF)1.1MB 2021-01-11
35小県郡城下村大字小牧全図(地籍図1890年)小県郡城下村大字小牧全図(地籍図1890年)小県郡城下村大字小牧全図(上田市税務課所蔵) 調製 1890年(明治23年)5月 縮尺 3,000分の1 サイズ:A1版より小さい(A1版の台紙に貼付されている) 城下村大字小牧(地籍図作成当時、現上田市小牧)の「地籍図」を基に作成した地図。 図版は上田市税務課所蔵の当該地籍図の複写図版を合成し作成したものである。 (データ編纂:長野大学前川研究室) ★小県郡上田町全図(PDF)1.2MB 小県郡上田町全図(高精細JPEG画像)18420×13080ピクセル 115MB 2021-01-11
36私の『西塩田時報』面白記事ピックアップ②私の『西塩田時報』面白記事ピックアップ②『ムシ歯予防デー(昭和12年6月1日)』通しp732 『ムシ歯予防デー(昭和12年6月1日)』についての私の意見を述べる。『歯の衛生と農村保健運動とは重大な関係を持つて居ります。』という書き出しにインパクトを感じ選んだ。現在の「歯と口の健康習慣」(6月4日~10日)はこの虫歯予防デーが元である。私は予防医療が浸透した時代に生まれたが、予防医療の発達以前はどのような取組み・姿勢だったのか興味がある。当該記事では『病は口より入る』の諺や『私達の病気は口から入つていくと言つてもいい位で、言はば病気の通路みたいなものと言へる』と、概念的に理解しやすいような記述が見られる。2021-01-10
37HOWTO本(『西塩田時報』第31号(1926年6月1日)1頁)HOWTO本(『西塩田時報』第31号(1926年6月1日)1頁)「乳児の育て方」と言うタイトルで、小さい赤ちゃんの様子から、どの様にお世話したら良いのかが細かく書いてあります。 離乳食のレシピや、外出についてのアドバイスなど、 読んでいてとても面白かったです。 「地域の記録」と言うイメージが強かった為、この様な内容の記事もあるのだなと驚きました。2020-12-22
38驚くべき不正肥料(『西塩田時報』第33号(1926年8月1日)4頁)驚くべき不正肥料(『西塩田時報』第33号(1926年8月1日)4頁)数多くある記事の中でも、タイトルが目についたのでつい読んでしまいました。 「とんでもない成分が入っていて、ぐんぐん育っちゃう肥料なのだろうか」と想像しながら読んだのですが、 書いてあるのは、 「表示されている成分量と、実際に入っている成分量が違う」という「不正肥料」でした。 今も昔も問題になる事は同じですね…2020-12-22
39上田市の重要文化財上田市の重要文化財テーマを選んだ理由は、上田市の重要文化財に指定されている信濃国分寺について調べたいと思ったからである。 信濃国分寺の歴史を主に探求したいと考えている。 調べる方法としては、実際に信濃国分寺に行ったり信濃国分寺資料館を訪れたいと考えている。また、信濃国分寺のホームページなども活用して調べていきたい。2020-12-21
40上田市と岡谷市における蚕業の比較上田市と岡谷市における蚕業の比較・地域探求テーマ 「上田市と岡谷市における蚕業の比較」 ・この探求テーマを選んだ理由 私の地元では、小学校の地域学習として岡谷蚕糸博物館や宮坂製糸所の見学を行っており、蚕業を身近に感じる機会が多くあった。また、上田市と岡谷市は蚕業が盛んであったことが共通しており、それぞれの蚕業の歴史の仔細や、そこに共通点があるかどうかについて興味があるから。 ・探求しアウトプット化すること 上田市と岡谷市の蚕業の歴史や当時の様子について探求するとともに、そこから共通点や相違点等を見つけ出し、記事にまとめて投稿したい。 ・具体的に調べる資料 信州上田デジタルマップ 信州デジタルコモンズ 長野大学附属図書館の地域資料室 岡谷蚕糸博物館 など ・調査記事一覧 2020-12-21
41太平洋戦争における上田地域の状況太平洋戦争における上田地域の状況上田地域は上田合戦や太平洋戦争など数々の戦いに関わっているが、とりわけ日本の総力を挙げて戦った太平洋戦争では様々なモノ・事・人に影響が出ている。そのような状況を上田地域ではどのようであったのか調査したいと思う。どんな生活だったのか、行政は何をしていたのかなど見ていき当時の戦争を考えていきたい。ネット情報や「西塩田時報」のような資料、国会図書館デジタルコレクション、上田市立公文書館などで戦争に関する資料(農業や徴兵、訓示など)を調べる予定。 「西塩田時報」を中心に調べた結果。 農會欄(『西塩田村公報』第1号(1941年3月30日)2頁) 農會欄(『西塩田村公報』第3号(1942年2月15日)2頁) 2020-12-21
42群馬県から出土した歴史的遺産群馬県から出土した歴史的遺産〇地域探求テーマ ‐群馬県から出土した歴史的遺産 〇選んだ理由 ‐群馬県は国宝・国指定重要文化財に指定されている埴輪の45%を出土していたり、大型古墳数が全国4位を誇る程歴史的遺産が多く出土していたりと県民が誇れるほどの古墳県である。実際私が通っていた小学校の敷地内にも古墳があり、『蛇塚古墳』といいおおよそ6世紀後半の遺跡であった。そこから出土した馬型埴輪は重要文化財に指定されている。そのため群馬から出土した歴史的遺産は他にどう言ったものがあるのか興味を持ったから。 〇探求・アウトプット化内容 ‐出土した遺産(文化遺産等に指定されているものを中心に)の種類・そのものの歴史的背景・それから考えられる地理的歴史的特徴 ‐出土したモノから歴史を辿る面白さ・個人の地域の歴史的遺産について知る2020-12-21
43茨城県日立市と常磐線の関係茨城県日立市と常磐線の関係あえて上田ではなく地元の日立市とそこを通っている常磐線に注目して見ることにした。 昨今では鉄道路線の衰退が全国的にみられる中で常磐線は目立った衰退が見られない。 その理由などを、日立市にある5駅の周辺などを拾いながら自分なりに注目して見ようと思った。 調査方法としては、常磐線に関してすでに自分で持っている知識に、日立市ホームページや図書館などで調べた資料で裏付けをしていくような形にしていきたい。2020-12-20
44韓国の観光名所韓国の観光名所いつも思っていたテーマで、日本に比べ韓国は世界の人々が注目できる有形観光スポットがあまり思い浮かびません。 今回の課題を機会に韓国の観光名所について調べてみたいと思います。2020-12-19
45サマーウォーズに関する上田市の取り組みと成果サマーウォーズに関する上田市の取り組みと成果聖地巡礼に興味関心があり、地域とアニメーション作品の在り方と両者を組み合わせた地域活動に関する事例に多く触れたいと感じたから。 上田市の取り組みがどのようなもので、それによりどれほどの成果が出たのか。 上田市hp サマーウォーズイベントの記事2020-12-19
46私の地域探求私の地域探求私は上田市の商店街のルーツについて調べようと考えています。 商店街の歴史やどのようにしてできたのか。また現在の商店街と比べてどのような所が違うのかなどを資料と実際の商店街を照らし合わせたいと考えています。2020-12-18
47上田市の観光資源上田市の観光資源別所温泉誌 NPO長野県図書館等協働機構/信州地域資料アーカイブ 上田市は観光地というイメージがある。 上田市にどのような観光資源があるのかを調査。利用方法や客層を調査しました。 上田の観光資源といえば別所温泉。この資料には別所温泉、別所村の地理と歴史の概要が記されています。 この本は明治時代に刊行されており、当時から観光地として発展していっていたほか、湯治を行う場所として医療の面でも大いに利用されていたことが正しい入り方、利用の仕方を本の中で解説されていることから詳しく理解できます。2020-12-18
48上田と沼田の歴史観の違い上田と沼田の歴史観の違いこのテーマを選んだ理由は、地元の沼田市と上田市はどちらも真田の里ということで共通点がある。どちらにもアクセスできるという利点を生かして調査を進められると考えたからだ。 主な着眼点としては、同じ内容の歴史に対して、上田と沼田ではとらえ方がどう違うのかということに注目してみたい。 調査方法としては、両方の地方の資料館及びサイトにアクセスしてみて、それらに触れてみたいと考えている。2020-12-17
49上田探検 番外編上田探検 番外編自分のテーマが決まって再度上田探検へ行きましたが、時間があまりなくて一か所くらいしか行けませんでした。カフェを探すということで、「ぷちらぱん」というお店へ行きました。オムライスの種類が多くあって、お店の雰囲気もとてもよかったです。お店の方が気軽に話しかけてくれたので、良い時間を過ごすことができました。2020-12-16
50松尾町商店街の歴史的変遷松尾町商店街の歴史的変遷この探求テーマを選んだ理由は、私自身生まれも育ちも上田で、長年上田に住んでいることから、昔のから今現在までの地元の街の歴史の変化について知りたいと思ったからである。しかし、上田市全体となるとなかなか調べきれないため、今回は通勤者や通学者など比較的多くの人が通ったりする松尾商店街に焦点を当てて、歴史的変遷を調べていきたいと思う。 歴史的変遷ということで、主に上田駅の目の前にある松尾町商店街を中心に街の様子はどのように変化してきたのかを調べて、場所ごとに細かくその変化が分かる写真をマイサイトに投稿していきたい。 具体的な資料については、ネット上で歴史の変化が分かる地図や資料などをもとに調べていきたいと考えている。2020-12-16
51卒業生の名簿(『西塩田公報』第47号(1951年3月10日)2頁)卒業生の名簿(『西塩田公報』第47号(1951年3月10日)2頁)この記事は西塩田時報に載っていた当時昭和26年3月の卒業生の名前が書かれています。 この記事の面白いところは今では恐らくあり得ないということです。 卒業生の名簿は顔写真が載っていないとしても名前は立派な個人情報です。 今の世の中で例えるならば、新聞にどこの学校を卒業した何組の誰さんと載る訳で様々な親御さんがいる中、このようなことになれば当然のごとくクレームが入るのではないかと思います。 誰でも読むことができる時報に公に個人情報を載せられるのはこの時代だからこそだと思うので、今とは異なるという意味で面白いなと感じました。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1124 『西塩田公報』第47号(1951年3月10日)2頁2020-12-16
52雑草 (『西塩田時報[戦前]』第30号(大正13年12月1日)4頁)雑草 (『西塩田時報[戦前]』第30号(大正13年12月1日)4頁)この記事は大正13年12月1日に書かれた記事です。 雑草という題名と季節に惹かれて選びました。12月のはじめという冬の寒さを表しており、水槽の水の色も草の色も変わり冬本番を表した記事になっています。 冬の様子や景色など書かれていてとうじの冬を感じられます。 ▼この記事は以下から参照できます。 #62 『西塩田時報』第13号(1924年12月1日)4頁2020-12-15
532020年11月4日前橋県庁2020年11月4日前橋県庁前橋市にある県庁前で行われたドラマの撮影を見に行った時の写真。 アップの県庁と、バックの空模様がお気に入り。 この日はとても寒かったような気がします。 撮影では竹内涼真がちらりと見えました。2020-12-15
54家庭心得帖 (『西塩田公報』第69号(1953年6月5日)4頁)家庭心得帖 (『西塩田公報』第69号(1953年6月5日)4頁)古くなった鏡の手入れや油ビンの洗い方など、日常生活において役立つ様々な情報が書かれている。 また、「ごま汁かけうどん」や「ゆでキャベツのカラシみそ」という美味しそうな料理の作り方まで書かれており、実際に作って食べてみたくなった。非常に読みやすく、家庭に寄り添った記事に興味を持ち採り上げた。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1206 『西塩田公報』第69号(1953年6月5日)4頁2020-12-14
55ビタミンの話(『西塩田時報』第5号(1946年12月25日)3頁)ビタミンの話(『西塩田時報』第5号(1946年12月25日)3頁)ビタミンについて説明している記事である。(一)ビタミンの人体内に於ける役割、(二)ビタミンの種類、(三)主なるビタミンの分布並に缺乏性という3つの小見出しがある。昭和21年12月25日までに見つかっていた主なビタミンの種類や効果が文章や表形式で分かりやすく説明されている。 ビタミンをVと略していることや、昭和21年12月25日までのビタミンについての情報が分かりやすく書かれていて面白いと思ったため、この記事を採り上げた。 ▼この記事は以下から参照できます。 #973 『西塩田青年団報』第5号(1946年12月25日)3頁2020-12-14
56夏の料理『西塩田時報[戦後]』第16号(1948年6月25日)2頁夏の料理『西塩田時報[戦後]』第16号(1948年6月25日)2頁家庭で作る夏の料理のレシピを紹介した記事。 「いかの桃和え」や「れんこん飯」「エッグのプラントサラダ茄子のサラド」など馴染みのないレシピが紹介されている。 文字を追って工程を想像するだけでも楽しい。 これを参考にすれば昭和の料理を味わうことができるかもしれない。 名前の間違いがペンで直されているのもレアではないだろうか。 ▼この記事は以下から参照できます。 『西塩田時報[戦後]』第16号(1948年6月25日)2頁2020-12-14
57入学前の家庭教育に就て(『西塩田時報[戦後]』第1号(1947年1月25日)2頁)入学前の家庭教育に就て(『西塩田時報[戦後]』第1号(1947年1月25日)2頁)この記事は、親御さん宛に、小学校入学前の子どもに教育しておいてほしいことが書かれている。 親であれば教えているような基本的な内容ではあるが、箇条書きで、マナーから、友達や先生との接し方、家庭での生活に関わることまで、とても細かく書かれていて驚いた。 わたしが小学校に入学するときに「これはできていないとだめ」「せんせいやともだちとはなかよくしなさい」などと教育された覚えがない。当時西塩田地域では記事のように徹底して教育されていたのだろうか。この記事を読んでから、この時代の教育に興味が湧いた。 ▼この記事は以下から参照できます。 #976 『西塩田時報[戦後]』第1号(1947年1月25日)2頁2020-12-14
58吾が村の養蠶業を探る(『西塩田公報』第81号(1954年6月5日)3頁)吾が村の養蠶業を探る(『西塩田公報』第81号(1954年6月5日)3頁)私の地元である岡谷市でも蚕業が盛んだったため、この記事に興味を持った。 桑芽が予想外の晩霜のため凍害となったことや、広報部員が飼育所を訪問した際に給桑室から楽しそうな合唱の歌声が流れて来たことなどが書かれており、当時の養蚕業の様子を事細かに知ることができる。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1251 『西塩田公報』第81号(1954年6月5日)3頁2020-12-14
59広告(『西塩田時報』第193号(1939年12月1日)2頁)広告(『西塩田時報』第193号(1939年12月1日)2頁)1941年に太平洋戦争が開戦することを考えると、まだ随分豊かな広告が流れていたと思い、気になった。誰に向けた広告なのだろうか。 地主が居たことを考えると、その富裕層に向けたものであるかもしれない。戦地の兵隊のためにこれを購入し送るものもいたかもしれない。2020-12-14
60皆様と共に(『西塩田青年時報』第1号(1946年8月25日)1頁)皆様と共に(『西塩田青年時報』第1号(1946年8月25日)1頁)私が気になったのは、この投稿の内容ではなく、この投稿自体に関してである。左下に原稿募集の文字がある。つまり、これは市民投稿によって成り立つ地域誌であるということがわかる。住んでいる人に寄り添った記事作りもさることながら、一緒に作り上げるという意味でこれは非常に有益であると考える。2020-12-14
61人間のくひもの(『西塩田時報』第67号(1929年6月1日)4頁)人間のくひもの(『西塩田時報』第67号(1929年6月1日)4頁)この記事は「人間のくひもの」という見出しで、恐らく川邊時報を見た人が書いたと思われるものです。 人が食べるものを6つの項目に分けてその特徴と共に書かれています。 この記事では、今で言う五大栄養素のようなものだと思いますが、5番目に「液体をあたへるもの」と書かれているのを見た時に、急に項目の毛色が変わったように感じ面白いなと思いました。 また、最後のそれぞれの項目に当てはめた6つのアドバイスのようなものを見た時には思わずクスッと笑ってしまいました。 ▼この記事は以下から参照できます。 #294 『西塩田時報』第67号(1929年6月1日)4頁2020-12-14
62『西塩田時報』第15号(1925年2月1日)1頁『西塩田時報』第15号(1925年2月1日)1頁この記事の主な内容は、補習教育についてである。 現代より前から補習というものがあったことがわかる。 「人間の改良こそ、凡ての改良案の出発点で到着点であらねばなりません。」という文章があり、補習教育がどのような目的であるのか改めて理解できる。 ▼この記事は以下から参照できます。 #67『西塩田時報』第15号(1925年2月1日)1頁2020-12-14
63「西塩田時報」第104号(1956年5月5日)「西塩田時報」第104号(1956年5月5日)西塩田時報が廃刊になる最後の刊の、最後のページである。 筆者目線から時報や広報が残ることの意味を考えていて、興味深いものだと思う。2020-12-14
64「西塩田時報」戦後 第10号・11号 (1947年11月30日)「西塩田時報」戦後 第10号・11号 (1947年11月30日)日本の敗戦後の復興について語っている。 過ちを認め、反省することで先の未来が待っていると言っていて、マスメディアとして素晴らしいと思った。2020-12-14
65「西塩田時報」第4号(1946年11月25日)1項「西塩田時報」第4号(1946年11月25日)1項日本国憲法が掲載されている。記事の日付からも確認できるだろうが、日本国憲法の公布日は1946年11月3日であるのに対しこの記事は25日の記事だ。つまり当時としてはまだ交付されたばかりの憲法は非常に重要でタイムリーな情報だったのであろうことがわかる。2020-12-14
66民主々義と現代青年の任務(『西塩田時報』第1号(1946年8月25日)3頁)民主々義と現代青年の任務(『西塩田時報』第1号(1946年8月25日)3頁)戦後日本が民主主義を採用することは必然であり、日本独自のデモクラシーを建設して日本の存在意義や世界への貢献としようという記事。 終戦後日本は民主主義国家へとなっていくがアメリカやイギリスの真似ではなく日本独自の天皇を戴く民主主義を建設しなければならないといったような内容が書かれており、国家のアイデンティティというものを考える面白い記事である。 ▼この記事は以下から参照できます。 #953 『西塩田青年団報』第1号(1946年8月25日)3頁2020-12-14
67虫牙虫発生と防除法(「西塩田時報」第4号(1946年11月25日)1項虫牙虫発生と防除法(「西塩田時報」第4号(1946年11月25日)1項私は、この記事が面白いと思った。この記事には、この時代の農作物情報も載っており、豆牙虫の防除方法まで書いてある。 また、この時代にこの虫のせいで大きな損をしたことも書いてあり、時代背景が良くわかる記事だなと思った。 この記事は以下から参照できます。 #963 『西塩田青年団報』第4号(1946年11月25日)1頁2020-12-14
68家庭メモ (『西塩田公報』第83号(1954年8月5日)4頁)家庭メモ (『西塩田公報』第83号(1954年8月5日)4頁)今では衣服にしみを付けてしまったらしみ取りで簡単に取ることができます。しかし、昔の人たちはどうしていたのでしょうか。そのようなことを知ることができるのかこの記事です。 身近にあるもので工夫してどのように生活してきたのか、という家庭の工夫が詰まっています。今の便利になった世の中から見たら、こんなものでこんなことをしていたのかという過去の新たな発見をできる面白い記事なのではないでしょうか。 この家庭メモはしみ取りのほかにも、おいしいイモの食べ方や秋の漬物のレシピなど先人たちの知恵が詰まった記事になっています。いまでも役立つ知恵がたくさん出てくるので、気になるものを探してみるのもいいかもしれません。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1260 『西塩田公報』第83号(1954年8月5日)4頁2020-12-14
69トタン箱育注意要項(『西塩田時報』第127号(1934年6月1日)2頁)トタン箱育注意要項(『西塩田時報』第127号(1934年6月1日)2頁)長野県蚕業試験場の試験成績を抜粋し、箱育のメリットやデメリットについてまとめている。 今回選択したものは、蚕の箱育についての記事だが、西塩田時報には、この他にも多くの蚕関連の記事が掲載されており、上田の人々にとって養蚕がいかに大切であったかを感じることができる。 ▼この記事は以下から参照できます。#562 『西塩田時報』第127号(1934年6月1日)2頁2020-12-14
70禁酒(『西塩田時報』第1号(1923年7月1日)4頁)禁酒(『西塩田時報』第1号(1923年7月1日)4頁)全体がラップ調に感じられるほどテンポが良く、酒を飲むことで起こる様々な弊害を語っていた。最後には禁酒をして、貯金をしよう、と締めくくられるのだが、授業内であったように若者がこのような文章を書いていると思うと、いかに酒で壊れる部分が多く、いかに金銭的余裕がなかったかを伺わせる。 個人的パンチラインは、「ホントに仕様がない仕方がない。一生出世の望みがない。望みがないからやけが出る。~四百四病の其の本も、貧の病の原因も、酒でないとは言はせない。」のあたり。 ▼この記事は以下から確認できます 『西塩田時報』第1号(1923年7月1日)4頁2020-12-13
71産業組合欄(『西塩田時報』第181号(1938年12月12日)2頁)産業組合欄(『西塩田時報』第181号(1938年12月12日)2頁)産業組合からの物価高騰による消費節約を進めるお知らせと、鳥の飼育についてのお知らせが記載された記事である。 記事の中には産卵能力を向上させることのできる餌について書かれており、そんな餌の存在を初めて知ったため、何故産卵能力を向上させることが出来るのか、そのメカニズムについて知りたいと大変興味を持った。 戦前からそんなものがあるということは、現在の養鶏場もこういった特別な餌を用いているかどうか気になったため調べてみたいと思う。 ▼この記事は以下から参照できます。 #806 『西塩田時報』第181号(1938年12月12日)2頁2020-12-11
72學校たより(『西塩田時報』第2号(1923年9月1日)3頁)學校たより(『西塩田時報』第2号(1923年9月1日)3頁)保護者の方から小学校児童の体格が良くないといわれたらしく、それに対し学校側が全国平均と比較することで問題ないと回答している記事である。 ここで掲載されている身長・体重・胸囲ともに数字の単位が現在私たちが用いるメートル法とは異なり尺貫法を用いているようだ。以下が私なりに調べて出した数値と現在の全国平均との比較である。 ・身長の単位:分(1分=3.0303㎜) -当時7年生:106㎝(男)105㎝(女) -現在(令和元年)小学1年生:116㎝(男)115㎝(女) ・体重の単位:匁(1匁=3.74g) -当時7年生:17㎏(男)16㎏(女) -現在(令和元年)小学1年生:21㎏(男)20㎏(女) ▼この記事は以下から参照できます。 #7 『西塩田時報』第2号(1923年9月1日)3頁2020-12-11
73皆さん!!風邪に気をつけましょう(『西塩田公報』第102号(1956年3月5日)4頁)皆さん!!風邪に気をつけましょう(『西塩田公報』第102号(1956年3月5日)4頁)インフルエンザに感染しないように注意を呼び掛ける記事である。当時(昭和31年3月)はまだインフルエンザにかかった人は少ないが寒暖差が激しい春先が危険な時期と明記されている他、インフルエンザ予防について簡単に記されている。 現在は新型コロナウィルスの感染防止のため、日本以外の各国でもマスクを着用する人が増えたが、日本ではマスク着用の習慣が根付いており、感染防止策として以前から広く知られている。当時の西塩田も現在と変わらず、マスク着用が風邪の防止策になると認識されていることに興味を引かれたので、この記事を選んだ。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1338 『西塩田公報』第102号(1956年3月5日)4頁2020-12-11
74抜け切れぬ弊習 村議戦を顧みて (『西塩田時報[戦後]』第5号(1947年5月20日)1頁)抜け切れぬ弊習 村議戦を顧みて (『西塩田時報[戦後]』第5号(1947年5月20日)1頁)この記事は、地方村初めての民主選挙の不完全性や不足点を列挙しているというものだ。この記事の面白い点は、歴史的な変遷の形を地方の目線から見ているということだ。 選挙制度の整備や選挙運動の問題といった改革直後の甘さを感じさせている点は面白く、また歴史的な目線でも学習になる。女性の候補者の問題も今にも名残を感じる課題として歴史を感じた。 こういった戦後の不安定な状況からいかにして立ち上がっていったのかここからの興味が尽きない素敵な記事である。 ▼この記事は以下から参照できます。 #989 『西塩田時報[戦後]』第5号(1947年5月20日)1頁2020-12-09
75農村の若人に捧ぐ(『西塩田時報』第26号(1926年1月1日)4頁)農村の若人に捧ぐ(『西塩田時報』第26号(1926年1月1日)4頁)この記事は、農村の若人に対して捧げたいことが書かれており、それぞれの段落が「若人よ、」という詩のような始まり方で、若人に投げかけるように書かれている。 今でも若者が重要視されることが多いが、この記事が書かれた当時もやはり若人が注目されているように感じ、そして、若者は村や地域にとっては今も昔もとても大きな存在であると感じられる。 ▼この記事は以下から参照できます。 #118 『西塩田時報』第26号(1926年1月1日)4頁2020-12-09
76公設電話開設に就て(『西塩田時報』第28号(1926年3月1日)1頁)公設電話開設に就て(『西塩田時報』第28号(1926年3月1日)1頁)今では当たり前のように公衆電話がある中で、それもあまり使われなくなり、現代は個々が持つ携帯電話を使用することが多くなった。 しかし、昔は公設電話でさえなく、生活に不便を感じていた村人もいたのではないかということが分かる。 本文には、そんな公設電話開設までの流れや設置してみて思ったことなどが書かれている。 改めて、このような開設があったからこそ今につながっていると思うと、今公衆電話があることは当たり前ではないのではないかと感じる。 ▼この記事は以下から参照できます。 #123 『西塩田時報』第28号(1926年3月1日)1頁2020-12-09
77上田市公文書館利用のすすめ上田市公文書館利用のすすめ上田市公文書館利用のすすめ~あなたが歴史発見のパイオニアになる~ 5分 前川道博(長野大学企業情報学部教授)  情報通信文化論2020からの講座クリップ あなたのまちに文書館(archives)はありますか? 物語られる歴史の源泉になる一次資料がわんさかあって誰でも読めます。デジカメで撮ってデータにして持ち帰ることもできます。 教科書や歴史書から学ぶ歴史、講座で学ぶ歴史もありますが、本来歴史は物語られたもの。フランス語で歴史と物語はhistoire(イストワール)。区別なく同じです。誰かが物語った歴史もあるけれども、一次資料からが歴史を訪ね歴史を物語る方がずっと面白い。2020-12-09
78国立小諸療養所(現小諸高原病院)の旧門柱国立小諸療養所(現小諸高原病院)の旧門柱陸軍軍医学校小諸療養所が前身だったのですね。 病院の沿革はこちらにでています。 http://bit.ly/2JNq6Hn 沿革 昭和18年7月31日 陸軍結核治療研究機関として建物が落成 昭和19年1月19日 陸軍軍医学校小諸診療所として開所し、結核患者を収容 昭和20年12月1日 終戦に伴い厚生省に移管され、国立東京第一病院小諸分院となる 昭和25年4月1日 国立小諸療養所と改称 国立菱野療養所を分院とする 昭和29年12月25日 菱野分院を閉鎖 昭和36年3月31日 精神病棟を併設 昭和38年4月1日 精神療養所に転換 昭和52年7月1日 重症児病棟併設 平成5年11月1日 老人性痴呆疾患治療・研修事業施設の指定 平成6年4月1日 研修施設群による精神科臨床研修病院 平成7年4月1日 老人性痴呆疾患治療病棟開設 平成12年4月1日 精神科救急病院 平成12年8月1日 応急入院指定病院 平成16年42020-12-08
79『西塩田時報』Vol.2(戦後編1946~1956)ページごとの画像『西塩田時報』Vol.2(戦後編1946~1956)ページごとの画像それぞれはJPG画像です。ダウンロードしてお使いください。 (『西塩田時報』全ての号のページごとの画像リンクHTML記述データはコチラ。) #951 『西塩田青年団報』第1号(1946年8月25日)1頁 #952 『西塩田青年団報』第1号(1946年8月25日)2頁 #953 『西塩田青年団報』第1号(1946年8月25日)3頁 #954 『西塩田青年団報』第1号(1946年8月25日)4頁 #955 『西塩田青年団報』第2号(1946年9月20日)1頁 #956 『西塩田青年団報』第2020-12-06
80『西塩田時報』Vol.1(2)(戦前編1933~1943)ページごとの画像『西塩田時報』Vol.1(2)(戦前編1933~1943)ページごとの画像それぞれはJPG画像です。ダウンロードしてお使いください。 (『西塩田時報』全ての号のページごとの画像リンクHTML記述データはコチラ。) #481 『西塩田時報』第110号(1933年1月1日)1頁 #482 『西塩田時報』第110号(1933年1月1日)2頁 #483 『西塩田時報』第110号(1933年1月1日)3頁 #484 『西塩田時報』第110号(1933年1月1日)4頁 #485 『西塩田時報』第110号(1933年1月1日)5頁 #486 『西塩田時報』第110号(1933年1月1日)6頁2020-12-06
81『西塩田時報』Vol.1(1)(戦前編1923~1932)ページごとの画像『西塩田時報』Vol.1(1)(戦前編1923~1932)ページごとの画像それぞれはJPG画像です。ダウンロードしてお使いください。 (『西塩田時報』全ての号のページごとの画像リンクHTML記述データはコチラ。) #1 『西塩田時報』第1号(1923年7月1日)1頁 #2 『西塩田時報』第1号(1923年7月1日)2頁 #3 『西塩田時報』第1号(1923年7月1日)3頁 #4 『西塩田時報』第1号(1923年7月1日)4頁 #5 『西塩田時報』第2号(1923年9月1日)1頁 #6 『西塩田時報』第2号(1923年9月1日)2頁 #7 2020-12-06
82信州上田学B2020③民生委員制度と小河滋次郎信州上田学B2020③民生委員制度と小河滋次郎信州上田学B2020第3回 2020/10/15 福祉の源流を知る、源流に触れる 1. 民生委員制度と小河滋次郎 進行 宮本秀樹(長野大学社会福祉学部教授)

講座記録

▼第3回10/15講座(市民開放講座第3回)  講師:講師 市村光志氏(小河滋次郎博士顕彰会事務局長) 70分
2020-12-03
83信州上田学B2020②青年たちの手で学び舎をつくり、文化的地域をつくってきた歴史に学ぶ信州上田学B2020②青年たちの手で学び舎をつくり、文化的地域をつくってきた歴史に学ぶ

講座記録

▼第2回10/08講座(市民開放講座第2回)  講師:小平千文氏(上田小県近現代史研究会会長) 86分

講義資料

青年たちの手で学び舎をつくり、文化的地域をつくってきた歴史に学ぶ
補足資料
2020-11-30
84『西塩田時報』Vol.2(戦後編1946~1956年)『西塩田時報』Vol.2(戦後編1946~1956年)

西塩田時報Vol.2』(戦後編1946~1956年)

398頁/容量 252MB ダウンロード表示には時間がかかります。 目次からは分割したPDFをダウンロードしていただけます。
<目次>  西塩田村青年団報(1946)第1号~第5号[LINK] 11MB  西塩田時報(1947~1948)第1号~第20号[LINK] 23MB  西塩田時報/公報(1948~1950)第21号~第40号(公報34号~)
2020-11-30
85市民参加型キュレーションによる 地域資料のデジタルアーカイブ化市民参加型キュレーションによる 地域資料のデジタルアーカイブ化発表資料、予稿は以下の「PDFファイル」から御参照ください。 日本教育情報学会・第15回デジタルアーカイブ研究会 2020/11/23(月) 研究発表「市民参加型キュレーションによる地域資料のデジタルアーカイブ化」  前川道博@長野大学企業情報学部 PDFファイル(発表資料)PDFファイル(予稿) <市民キュレーション支援サイト> ★みんなでつくる下諏訪町デジタルアルバム →https://d-commons.net/shimosuwa/ ★みんなでつくる信州上2020-11-23
86『西塩田時報』Vol.1(戦前編1923~1943年)『西塩田時報』Vol.1(戦前編1923~1943年)

西塩田時報Vol.1』(戦前編1923~1943年)

918頁/容量 371MB ダウンロード表示には時間がかかります。 目次からは分割したPDFをダウンロードしていただけます。
<目次>  縮刷版・巻頭頁[LINK] 7MB  西塩田時報(1923~)第1号~第20号[LINK] 41MB  西塩田時報(1925~)第21号~第40号[LINK]
2020-11-23
87まとめまとめ上田市の歴史的なものとして、どうしても真田の印象が強くなるが、蚕もそれと対等に近いと、今回の探検で感じた。蚕の印象を根付かせる策は何かないのだろうか。2020-11-19
88日輪寺日輪寺宗吽寺のすぐ隣にある日輪寺に行きました。お寺の内装のデザインが凄く凝っていて綺麗でした。庭もしっかりと手入れされていて風情を感じました。2020-11-19
89半過洞門半過洞門1956年に竣工。大規模な崩落があったため1996年に廃道となる。半過岩鼻の根本にある。内部には入れない。崩落の危険があるため入らないほうがいい。2020-11-19
90常田館製糸場 エレベーター常田館製糸場 エレベーターこのエレベーターを使って大量の繭を運んでいたのだろう。階段が非常に急で一段一段高かったが、労働者はこのエレベーターを使っていたのだろうか。2020-11-19
91常田館製糸場内の床常田館製糸場内の床所々隙間があり、歩いていると床を貫通しそうで心配だった。ここを通って当時の女性たちが大量の繭を運んでいたと考えると、感慨深い。2020-11-19
92常田館製糸場常田館製糸場明治時代からの建物が現在に至っており、当時の様子が伺える。繭を大量に保管しており、蚕糸業において重要な役割をしていたのだろう。2020-11-19
93千曲公園 休憩所千曲公園 休憩所岩鼻の山頂にある千曲公園にある休憩所。よく見たら形が八角形になっている。安楽寺の八角三重塔をモチーフにしているのだろう。2020-11-19
94上田探検3 まとめ上田探検3 まとめ前回の上田探検2に続き上田市街地を散策したが、今回の探検では特に地域の人の温かさや地域の活発的な一面を発見できたように感じる。今までの散策でも上田市の活発的な一面を捉えることができたが、今回はゆっくり散策できたというのもありより活発的な一面を捉えることができたと感じる。 普段は自転車で市街地を通り抜けるだけでゆっくりと散策することはないので、ゼミの上田探検を通して、上田市の良い一面や課題面をじっくりと探すことができたことはよい機会だったと感じる。 3回の探検を通して上田市の良いところ、悪いところのそれぞれが何となくだが浮かび上がってきたので、これらを自身の地元と比較することでより具体的な課題発見をおこなっていく。2020-11-19
95上田探検3 まとめ上田探検3 まとめ今回もたくさんの所を回ることができたが、歩いて市内を回ることで、普段は気づかないような商店街の多くの魅力や工夫の数々が施されていることに気付くことができたと思う。2020-11-18
96見晴らしの丘公園見晴らしの丘公園名前の通り見晴らしがよく、上田市を一望できるところだった。たどり着くまでの道のりが急な坂で上るのが大変だったが、その分きれいな夜景を見ることができた。2020-11-18
97上田映劇(雷門ホール)上田映劇(雷門ホール)昭和の雰囲気を感じることのできるおしゃれな映画館。 浅草を知っている人ならば、映画館のある通りの名前が花やしき通りだったり映画館の名前が雷門ホールだったりと、あさくさ?パクリ?みたいな印象を最初は持つかもしれないが。 この映画館は映画のロケセットをそのまま残して、劇場としているものだった。上田市にありながら浅草として撮影をするために改装されたセットの名残。 作られたものだけありとても雰囲気がある。2020-11-18
98常田館製糸場-5常田館製糸場-5 当時の天皇皇后両陛下が御観賞された桑の木。左から臥竜桑・3倍体桑・枝垂れ桑の3品種が植えられている。常田館製糸場を有する笠原工業にはこれまで二代二度にわたって天皇皇后両陛下が訪れており、昭和39(1964)年に昭和天皇皇后両陛下が、平成28(2016)年に現在の上皇上皇后陛下がご視察されている。まさに、上田を代表する施設である。2020-11-18
99崩落した赤い鉄橋崩落した赤い鉄橋地元民ではないので鉄橋が崩落したことを詳しくは知らなかったが、実際に河川敷から川の様子を見てみて、本当にこの川が豪雨で橋を崩落させるほど氾濫したとは思えないほど穏やかな川の様子だった。2020-11-18
100科野大宮社科野大宮社時間帯のおかげもあったかもしれないが、とても紅葉が綺麗な神社 参拝している人は自分たち以外誰もおらず、落ち着いた雰囲気で、参拝しやすかった。2020-11-18
地図で見る

キーワード

ログイン トップページへ