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1映画上映遅延の話(『西塩田広報』第68号昭和28年5月5日)映画上映遅延の話(『西塩田広報』第68号昭和28年5月5日)映画館での上映時間が一時間ほど遅延したときの内容です。現代の映画で遅延する事はほとんどないし、遅延したとしても、記事になることはないので、当時の映画の貴重さ、珍しさを感じられる面白い内容でした。2023-12-10
2禁酒の話(『西塩田時報』第1号(大正12年7月1日))禁酒の話(『西塩田時報』第1号(大正12年7月1日))酒についてのリスクが多く書かれていて禁酒を勧めている記事です。著者がどれだけお酒に痛い目にあったのかと思うほど、お酒について悪く書かれていて、ニュースなどではない、著者の思いが書かれていて面白いと思いました。2023-12-10
3『西塩田時報』第119号(1933年10月1日)2頁『西塩田時報』第119号(1933年10月1日)2頁こちらの記事では、産業組合が更生記念貯金を始めていたり、木炭調査規則が定められていたりしていることが掲載されています。 この時代の長野県では、木炭も盛んに作られていることが分かります。2023-12-10
4『西塩田青年団報』第4号(1966年11月25日)1頁『西塩田青年団報』第4号(1966年11月25日)1頁これは、日本国憲法の全文が掲載されている記事です。やはり、憲法が変わるという大きな出来事なので、大きく掲載されています。2023-12-10
5部落通信(「西塩田時報」戦後第1号 昭和22年1月25日)部落通信(「西塩田時報」戦後第1号 昭和22年1月25日)村で行われた会議の日付と内容が書かれている。一般の方にも西塩田時報を通して情報が共有されたと考えられる。2023-12-10
6伝染病の発生状況についいて(「西塩田時報」戦後第18号 昭和23年9月25日)伝染病の発生状況についいて(「西塩田時報」戦後第18号 昭和23年9月25日)記事の右下に伝染病の発生状況が載っている。具体的な数字を知ることは感染予防の促進にもつながる。2023-12-10
7品種試験結果 (『西塩田時報』戦後 第73号[1953年10月5日])品種試験結果 (『西塩田時報』戦後 第73号[1953年10月5日])塩田分校で行われてきた麦の品種試験についての結果を掲載した記事です。出穂期、成熟期、50cm間茎数などが細かく記されています。また、みすゞ大麦やユウヤケ小麦など面白い品種名も確認することができます。2023-12-10
8部落ニュース (『西塩田時報』戦前 第121号 [1933年12月1日])部落ニュース (『西塩田時報』戦前 第121号 [1933年12月1日])様々な部落の話題が掲載されています。例えば、事務所の大掃除の報告や住民の訃報、気候の様子などが記されています。現代の新聞にも掲載されるような内容を随所で確認することができるので読んでいて面白いです。2023-12-10
9訪ねて(西塩田時報「戦後」第42,43併号(1950年10月20日)1頁)訪ねて(西塩田時報「戦後」第42,43併号(1950年10月20日)1頁)この短い枠のポップさとは反対に辛辣な内容がとてもいい。短い文の中で説得力が高いものを書いているところに面白味を感じた。 この記事は以下から参照できます。 #1105 西塩田時報「戦後」第42,43併号(1950年10月20日)1頁2023-12-09
10睡眠について(西塩田時報「戦前」第39号(1926年4月1日)4頁)睡眠について(西塩田時報「戦前」第39号(1926年4月1日)4頁)睡眠について詳しく書かれている記事。睡眠をとりさえすればなんでもいいと考えていたが、これは全くの間違いらしい。要は、夢を見ている間は脳が活動していて休息になっていないということだ。睡眠についてというタイトルだけで惹きつけるところが面白い。 この記事は以下から参照できます。 #130 西塩田時報「戦前」第39号(1926年4月1日)4頁2023-12-09
11西塩田中学校増築工事報告(『西塩田時報[戦後]』第26号(1949年5月20日)1頁)西塩田中学校増築工事報告(『西塩田時報[戦後]』第26号(1949年5月20日)1頁)学校の工事の進行状況や工事費について書かれている記事。今の時代だと工事現場の付近に看板として表示されているようなものだが、この時代だと新聞の中で人々に知らせているのが珍しいと感じた。2023-12-08
12乳児の育て方(『西塩田時報』第31号(1926年6月1日)1頁)乳児の育て方(『西塩田時報』第31号(1926年6月1日)1頁)乳児の育て方がネットでも手軽に調べられるようになった現代。昔の時代にはそんなものは存在するはずがなく、育て方の情報を共有する方法が限られていた。この記事には乳児が飲むミルクの作り方や入浴、排泄物の処理の仕方など育児に関する情報がこと細やかに書かれている。 今の時代の新聞にはあまり書かれないようなことでも、公共の記事の中で大々的に書かれているのは面白いと感じた。 この記事は以下から参照できます。 #135 『西塩田時報』第31号(1926年6月1日)1頁2023-12-08
13税金について 『西塩田時報』第5号(1924年5月1日)2頁税金について 『西塩田時報』第5号(1924年5月1日)2頁大正13年度の税額が決まったようで、その中で家畜税として犬一頭飼うごとに税金が課せられていた。他にも金庫税や倉庫税などがあり面白いと思いました。 ▼この記事は以下から参照できます。 #26 『西塩田時報』第5号(1924年5月1日)2頁2023-12-08
14編集室より 『西塩田公報』第5号(1924年6月1日3頁)編集室より 『西塩田公報』第5号(1924年6月1日3頁)編集室に今集はあまり原稿が集まらなかったようです。「思わしい物ができなかったのは編集室のみの責任でない」というのが今回出してくれた人に失礼じゃないかなと思いました。赤裸々で面白かったです。 ▼この記事は以下から参照できます。 #31 『西塩田公報』第5号(1924年6月1日)3頁2023-12-08
15入学前にしておくこと入学前にしておくこと小学校一年生になる前に学んでおいてほしいことが記載されている。先生を怖がらないようになど少しユーモアあふれてつい笑ってしまった。2023-12-08
16酒は薬か酒は薬かアルコールが人体に及ぼす影響について書かれている。酒は百薬の長という言葉にもあるようにアルコールは適量なら体にいいのではと思われるが果たしてどうか。2023-12-08
17御用心 空巣ねらい(『西塩田時報[戦後]』第15号(1948年5月25日)1頁)御用心 空巣ねらい(『西塩田時報[戦後]』第15号(1948年5月25日)1頁)終戦後頻発していた空巣被害に対する注意喚起をしている。一般的な「空巣から家を守ろう」というメッセージだけでなく、「空巣をしないようにしよう」というメッセージが含まれていて当時の時代が反映されているところが面白い。2023-12-08
18親は子供にどれ程の関心があるのか(『西塩田時報』第66号 1953年)親は子供にどれ程の関心があるのか(『西塩田時報』第66号 1953年)この記事では、小学校で行われた父兄懇談会についての内容が記載されています。 出席状況調査票から分かるように全体の出席率は80%以上と比較的高い出席率だと思います。 「親は子供にどれ程の関心があるのか」というタイトルに惹かれ記事を読みました。親は子供に関心があるのかという点では、高い出席率から昔も今も変わらず親は子供に関心を持っていたと感じます。 『西塩田時報』第66号(1953年3月5日)3頁2023-12-08
19葛苧製造所より(『西塩田時報』第13号(1924年12月1日)3頁)葛苧製造所より(『西塩田時報』第13号(1924年12月1日)3頁)葛苧製造事業を始めるまでの苦労が短い文章でまとめられている。葛苧(くずお)とは、葛の茎から取った繊維であるそうだ。葛苧の製造に成功したにも関わらず、その労力がゆえに喜びきれていない様子がうかがえて面白い。2023-12-08
20卒業論文執筆にあたっての課題とその解決の成果卒業論文執筆にあたっての課題とその解決の成果後期開始から卒論執筆を開始 →項目立て、本文を鋭意執筆中 課題 生涯学習、社会教育、地域づくりについて 自分の中で理解が深まっていなかったため、混同していた。 →ミスリード、ひいては全否定につながる恐れがある 生涯学習 一般には人々が生涯に行うあらゆる学習,すなわち,学校教育,家庭教育,社会教育,文化活動,スポーツ活動,レクリエーション活動,ボランティア活動,企業内教育,趣味など様々な場や機会において行う学習の意味で用いられます。 https://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/html/hpab201901/detail/1421865.htm 社会教育 学校の教育課程として行われる教育活動を除き、主として青少年及び成人に対して行われる組織的な教育活動を指します。 https://www.mext.go.jp/a_menu/01_l.htm 違い これに対して、「生涯学習」は、学習者の視点から2023-12-07
21別所温泉 石湯別所温泉 石湯別所温泉は日帰りで入れる温泉が立ち並んでいますが、その中でも石湯はとてもいい温泉でした。行ったことない人はぜひ行ってみてください。2023-12-07
22生島足島神社生島足島神社平安時代初期にまとめられた延喜式に「生島足島神社二座名神大」と載っている。中世末期以降には「下之郷大名神」などと呼ばれ、武田氏や歴代上田藩主の保護を受けていたという歴史がある。2023-12-07
23夜の上田城跡公園夜の上田城跡公園ここは上田城の門をくぐった先にある絵馬のアーチです。夜になるとライトアップされてとても綺麗なのでぜひ行ってみてください。2023-12-07
24美味だれ焼き鳥美味だれ焼き鳥ここは上田駅の近くにある「鳥正」という居酒屋です。 お店の中に入ってみると、お客さんが沢山いました。友達によると、鳥正はいつも混み合っていて、お店の中に入れたらラッキーだそうです。行ってみたら、偶然席が空いていて入店することが出来ました。 お店の名前の通り、ここは焼き鳥がメインの居酒屋です。 上田名物である、美味だれをつけて焼き鳥を食べることが出来ます。しょうゆベースの特製ソースに、すりおろしたリンゴとニンニクが入った特製たれ(美味だれ)で味付けてあるたれです。 美味だれをつけて食べる焼き鳥はとてもおいしかったので、ぜひ行ってみてください。2023-12-07
25『西塩田時報Vol.1』(戦前編1923~1943年)『西塩田時報Vol.1』(戦前編1923~1943年)1. 地域の組織やクラブなどが、支部や施設の改修が完了したことを公に知らせるために催しを行っているようです。 2. 事務所で春季の行事や催し物を行うことを意味している可能性があります。 3. 組織の指導者や管理者のポジション(支部長や副支部長)と、産業統計に関連する活動が行われていることが示唆されています。 4. 組織のメンバーが新しいリーダーシップやポジションに選ばれるプロセス。 5. 複数の組織や部門からのメンバーが一堂に会して合同で役員会を開いていることを示唆しています。 6. 新年を祝うためのイベントやパーティー。 7. 高齢者を敬愛し感謝する日。日本では9月の第3月曜日が敬老の日とされています。 8. 青年団や青年会の活動に関連するものと思われます。 9. 寄付や寄贈を受けたことを報告している箇所。 10. 収支2023-12-07
26『西塩田時報Vol.1』(戦前編1923~1943年)『西塩田時報Vol.1』(戦前編1923~1943年)1. 金融機関が保管サービスについて説明しており、特に武保の金融組合が米の貸し付けを行っていることが述べられています。金利や条件についても触れられています。 2. 産業組合に関する情報が含まれています。特に、農業における品種や飼料についての指針や注意が述べられています。 3. 特に米の保管についての重要なポイントが述べられています。新聞における注意喚起もあります。 4. 学校の最新情報や行事に関する内容が含まれています。書週間や学校の成績、講堂集合の予定などが触れられています。 5. 民精神作興週間に関する呼びかけやイベントの告知があります。 6. 鮮魚に関する情報があり、特に良質な大豆や小麦、骨などの原料について触れられています。 7. 毎日が祝日になることが一時的であるが、それを抜けて平和であることへ2023-12-07
27季節行事の由来(『西塩田公報』第60号(1952年8月5日)3頁)季節行事の由来(『西塩田公報』第60号(1952年8月5日)3頁)毎年やってくる様々な季節行事。皆さんは、その行事やお祭りの由来を知っていますか?ここでは「お盆」について、なぜ「お盆」という行事が生まれたのかについて書かれています。 おそらく諸説があると思いますが、普段特に考えもせずに、毎年親に言われるままお墓参りをしたり、実家や祖父母の家のお仏壇にお線香をあげたりしていると、“その意味”を忘れてしまいがちです。ですが、この記事を読むと行事一つひとつにもちゃんと由来があり、意味があるということを思い出すことができて面白いと思いました。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1177 『西塩田公報』第60号(1952年8月5日)3頁2023-12-07
28補習学校より『西塩田時報』第3号(1923年11月30日)3頁補習学校より『西塩田時報』第3号(1923年11月30日)3頁補習学校が始まるという記事で、昔の学校について書かれています。 夜学であまり効果が出ていないことについて、家庭環境などを考慮しながら作者の考えや生徒を鼓舞する文章が書かれています。家庭の環境に差があることや、男子部と女子部が分かれていることなどは今にはあまりない環境で見ていて面白いです。また学校が始まる日にちや時間についても書かれていてそういったことも公報で伝えていたんだなと今との違いを感じます。 ・この記事は以下から参照できます #11 『西塩田時報』第3号(1923年11月30日)3頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0011.jpg2023-12-07
29幼き日の日記帳より(『西塩田時報』第77号(1930年4月1日)4頁)幼き日の日記帳より(『西塩田時報』第77号(1930年4月1日)4頁)子供の頃つけていた日記を読み返し、その中から厳選した文章をまとめたものだと思われます。男は常に何かにつけて酒を飲むことばかり考えている、こんなにせっかちだと生き急ぐことになりはしないか、など筆者の発想の豊かさに驚かされました。 ▼この記事は以下から参照できます。 #334『西塩田時報』第77号(1930年4月1日)4頁2023-12-07
30どうしてもうまく書けぬ綴方(『西塩田時報』第191号(1939年10月1日)2頁)どうしてもうまく書けぬ綴方(『西塩田時報』第191号(1939年10月1日)2頁)作文学習に苦戦する高校生が筆者の随筆です。自分も作文を書くのに時間がかかるタイプの人間なので、題が思いつかなかったり、6、7行書くと止まってしまうという筆者の苦しみには大いに共感してしまいました。筆者は自身の能力を高めるために投稿を決意したのか、それとも例の伯父さんにこれも練習と強制されて嫌々投稿するに至ったのか、非常に気になるところです。 ▼この記事は以下から参照できます。 #856 『西塩田時報』第191号(1939年10月1日)2頁2023-12-07
31前川ゼミWEBサイト制作 途中経過報告前川ゼミWEBサイト制作 途中経過報告先日ゼミのWEBサイト制作の途中経過を報告しました。 その時の発表資料です。 制作中のWEBサイトのURL→[https://mmdb.net/maekawa-zemi/]2023-12-06
32青少年不良化対策 必要な補導育成(『西塩田時報[戦後]』第33号(1949年12月20日)3頁)青少年不良化対策 必要な補導育成(『西塩田時報[戦後]』第33号(1949年12月20日)3頁)今でもいる不良。昔は、不良に対してどのような補導育成を行っていたかが、わかる記事です。 補導育成事項が11項目もあり、今でも適応されるようなことも書かれている。しかし、「(8)青年男女の集合して行う演劇、演藝会等は無軌道に陥らないように注意すること」と書かれており、別に不良に関係あるのかが微妙なラインのものまで書かれていた。不良のことについて細かく書いてあるのが面白いと思いました。 標語例を見て、現代に通じるものを感じてみてください。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1073 『西塩田時報[戦後]』第33号(1949年12月20日)3頁2023-12-06
33生活改善に就て(『西塩田時報』第10号(1924年10月1日)2頁)生活改善に就て(『西塩田時報』第10号(1924年10月1日)2頁)今でも話題になる、生活改善について。昔の人は、どう考えていたのかが、わかる記事です。 消費節約とは、浪費せず、奢侈をしないで、倹約することである。と書かれてあります。現在でも、お金に関しては節約しないといけない、と考える人が多いのではないでしょうか。今も昔も変わらずに日常生活についての問題となっています。同じことで悩んでいることがわかる興味深い記事だと思いました。 この記事を読んで、改めて自分の生活を振り返るのもいいかもしれません。 ▼この記事は以下から参照できます。 #50 『西塩田時報』第10号(1924年10月1日)2頁2023-12-06
34自覚して投票せよ(『西塩田時報』第4号 1947年)自覚して投票せよ(『西塩田時報』第4号 1947年)この記事では、選挙で深く考えずに投票したことを後悔している内容が書かれています。 選挙で良いことを言っている人に投票したが、実際に市民のために行動することはなく、「自分の利益のためにばかり生きるきたない人間」と率直な意見が記述されていました。 自分の住む地域のために相応しい人を選ぶべきだというこの記事の内容は、今の自分達にも言えることであると感じました。 『西塩田時報』第4号(1947年4月20日)1頁2023-12-06
35入学前の家庭教育に就て(西塩田時報 第1号昭和22年1月25日)入学前の家庭教育に就て(西塩田時報 第1号昭和22年1月25日)この記事には、入学前に家庭教育でやってほしいことが記載されていれています。具体的には、家庭や友達、先生、学習、身体的なしつけについてなどの項目に分けて、詳しく述べられていました。 私は、この記事の中の「性格は、家庭の育て方一つで決まるので生まれつきなどではない」という表現に時代の違いを感じます。このような言い切った表現に対して、負の感情を抱く現代人が多くいるのではないかと考えました。 ▼この記事は以下から参照できます。 『西塩田時報』第1号(昭和22年1月25日) https://mmdb.net/mlab/uedagaku/pdf/nishishioda/ns14_post001to020.pdf2023-12-06
36酒は薬か(西塩田時報 第28号大正15年3月1日)酒は薬か(西塩田時報 第28号大正15年3月1日)お酒を適量に飲むことは、体の薬であると世の中の多くの人が信じていますが、統計による調査を見ると、少しも酒を飲まない人の平均生存年より、四年程度短い命であったことがこの記事には、記載されています。そして、お酒は、飲んだその人の体に害を及ぼすだけでなく、子孫の体質にも影響を及ぼすことから、青年に対して、自身の健康問題だけでなく、日本民族の体質の向上という面からも禁酒することを促していました。 この記事の最後の日本民族の体質の向上の面から禁酒を促している点が、昔の日本の民族意識のようなものが感じられて面白かったです。 ▼この記事は以下から参照できます。 『西塩田時報』第28号(大正15年3月1日) https://mmdb.net/mlab/uedagaku/pdf/nishishioda/ns03_021to040.p2023-12-06
37上田の文化財 前山寺上田の文化財 前山寺前山寺は独鈷山の山麓に位置しており、塩田平が望める寺である。812年に空海によって開かれたという歴史を持つ。境内には国の重要文化財に指定されている三重塔や天皇陛下の当寺参拝に合わせて作られた長い石段があり、非常に見どころがあった。石段にそっておかれている石碑には心にしみる格言が書かれていた。山麓にあるため寺にたどり着くまで険しい道が続くが、境内に休憩所や売店があるため疲れを癒せる。2023-12-05
38別所温泉にてフィールドワークを行った感想別所温泉にてフィールドワークを行った感想 日本で最も古い歴史を持つ温泉である別所温泉を訪れ、北向観音堂、安楽寺、別所神社を中心とした神社仏閣について理解を深めた。また、別所温泉の観光地としての魅力や課題を考察し、考えを求めた。別所温泉の良い点として、多くの店で電子マネーが使えること、バリアフリー化が進んでいること、シャトルバスが運行していることなど、観光の大衆化に合わせた仕組みが取り入れられている点だ。また改善が必要だと感じられる点は、道が狭く自動車と接触する恐れがあること、体験型の観光ではない、外国人向けの配慮が不足しているなどの点があげられる。2023-12-05
39紙資料のデジタルアーカイブ化①紙資料のデジタルアーカイブ化①今年度の9月から11月までの紙資料のデジタルアーカイブ化という題材で行ってきたプロジェクト研究の振り返りとまとめです。2023-12-04
40地域史料のデジタルアーカイブ 2023 後期中間発表地域史料のデジタルアーカイブ 2023 後期中間発表地域史料のデジタルアーカイブ 2023 後期中間発表 J20052 竹中丈二 ・活動の趣旨 地域に保管され、活用機会が与えられない地域史料をネット公開し、地域づくりや地域 探究活動の発展に寄与すること。 ・活動の詳細記録 デジタルマップ記事「2023年度デジタルアーカイブ後期中間作業報告(10/9-11/27)」にて掲載 URL: https://d-commons.net/uedagaku?c=&p=126298 ・地域における活動報告 ・上田(藤本蚕業歴史館) 外部ではキモノマルシェ、史料を見合おう会、情報通信文化論講義の参加を通じて史料の紹介を行った。内部では、段ボール整理棚作成、Matterportを使用した歴史館の全体図の3D撮影を行った。 ・小諸 いとのまち・こもろチャンネルで過去の動画をほぼ全て投稿し、また新たに10/29に行われた講演会の動画撮影、投2023-12-04
41端山プロジェクト楽譜のデジタル化端山プロジェクト楽譜のデジタル化2023前川ゼミ後期中間発表から2023-12-04
42菅平中の総合学習 中間発表菅平中の総合学習 中間発表 菅平中の総合学習の支援の中間発表になります。まだ形としては未完成のものになるのでこれからよいまとめにしていければと考えています。2023-12-04
432023年度デジタルアーカイブ後期中間作業報告(10/9-11/27)2023年度デジタルアーカイブ後期中間作業報告(10/9-11/27)10/9 先週は日曜日に上田市で開催されたキモノマルシェに参加し、藤本蚕業の史料の魅力についてスライドショーで常時公開しました。中にはスライドショーに興味を持って見たいという人もおり、非常に驚くと共に史料の貴重さについて改めて認識しました。金曜日は藤本蚕業の段ボール史料の整理棚の組み立てを一日中行い、史料展示の再整理について考えました。今後は藤本蚕業史料の解説サイト、及び小諸の史料サイトの開設に向けて動く予定です。 10/23 先週は藤本蚕業歴史館で史料紹介の配信についてテストしました。その中で、史料を紹介するには1人で解説をしながらでは面白さが伝わらず、関心の高い方を介した対話形式で史料について語り合う事で面白さを引き出せることが分かりました。今週は水曜日にKAN-PRO中村さんと話し合いがあり2023-12-04
44スーパーNANA'Sが東御にスーパーNANA'Sが東御にスーパーマーケットNANA'S(ナナーズ)を知ったのは川上村を訪れた時です。高原野菜の生産地で知られる川上村の生活を支える地元スーパーです。そのNANA'Sが2023年3月、東御市にも進出したことはニュースで知りましたが、その東御店に昨日12/3、初めて訪れました。 いくつものスーパーがしのぎを削っています。長野県では、ツルヤ、デリシア、綿半、やおふく、その他他県からも展開する西友、イトーヨーカドー、バロー、ベイシア、原信など。その激戦地に食い入る力強さを感じます。お客さんも数多いことにも感心をしました。2023-12-04
45軽井沢風越公園と軽井沢アイスパーク軽井沢風越公園と軽井沢アイスパーク12/3、「軽井沢国際カーリング選手権大会」が催された軽井沢アイスパークを訪れました。素晴らしいスポーツ施設であることにまずびっくりです。 風越公園は1998年、長野オリンピックのカーリング会場となった時から今年2023年で25周年を迎えました。その後風越公園は軽井沢町のスポーツ施設としてさらに環境が充実し、カーリング場は2013年、通年で使える立派な施設「軽井沢アイスパーク」となりました。ここを訪れるのは初めて。カーリング場だけでなく、屋外には開放的で大きな天然のスケートリンクがあります。風越公園にはその他、通年で使えるスケートリンク、やはり通年で使える温水プール(旧カーリング施設「スカップ軽井沢」の転用)があります。軽井沢町のスポーツ文化振興には驚くばかりです。 ★2023-12-04
46軽井沢/刈宿バイパスとラウンドアバウト軽井沢/刈宿バイパスとラウンドアバウト上田方面から軽井沢町風越に向かうため、久しぶりに信濃追分駅の前を通過しました。この道筋は「借宿バイパス」と呼ばれています。道が整備され、さらには国道18号線バイパスとはラウンドアバウトで接続されていました。この周辺を通るのはコロナ禍以前のこと、久しぶりです。軽井沢の都市環境が改善に向かっている状況を目の当たりにしました。 観光シーズンなどで顕著に起きる軽井沢の交通渋滞、とりわけ幹線道路でもある国道18号線の渋滞は解決しようのない社会問題となっていました。国道18号線バイパスが信濃追分駅を経由し追分方面に貫通するよう借宿バイパスのさらなる延伸工事もなされていました。 軽井沢の慢性的な渋滞が緩和され、旧市街の郊外でもある国道18号線バイパス沿線が新たな商業地・観光地となりつつある状況を実2023-12-04
47あんかけ焼きそばあんかけ焼きそばあんかけ焼きそばは、中華料理のひとつで、焼きそば麺にとろみのあるあんかけをかけた料理です。具材には野菜や豚肉などが使われます。2023-12-03
48おやきおやき味付けした野菜や山菜を、小麦粉やそば粉の皮でくるんで焼いた「おやき」は、長野県を代表する郷土料理です。 生地に包まれる具材の定番は、野沢菜や切り干し大根などの野菜系ですが、餡やチーズが入った変わり種もあり人気です。2023-12-03
49美味だれ焼き鳥美味だれ焼き鳥美味だれ焼き鳥(おいだれやきとり)は、焼き鳥をしょうゆベースの特製ソースにすりおろしたリンゴとニンニクが入った特製たれで味付けた上田の名物グルメです。 上田市では50年の歴史があるそうです。2023-12-03
50くるみそばくるみそばくるみそばとは長野名物も「そば」と上田市名産「くるみ」をコラボさせたユニークな信州そばです。 実はそばつゆが「くるみ」であることから名づけられたおそばですが甘くコクのある不思議だけどヤミツキになります。2023-12-03
51湯かけ地蔵湯かけ地蔵「ななくりの湯」の隣にある「湯かけ地蔵」では、お地蔵様にお湯をかけることができます! お地蔵様に3回お湯をかけると、肌がツルツルになるという言い伝えがあります。 別所温泉のあいそめの湯の方にインタビューをしてみたところ、別所温泉の源泉は弱アルカリ性であり、肌が少し溶けるため、ツルツルになるのだそうです。別所温泉は、「美人の湯」とも呼ばれ、肌がツルツルになるのはお墨付きです。 お地蔵様にお湯をかけて、より肌がツルツルになるといいですね!2023-12-01
52【上田市の銭湯】②宮桜の湯【上田市の銭湯】②宮桜の湯突然ですが、皆さんは銭湯に行ったことはありますか? 銭湯というと、富士山の壁画が描かれた、東京の大きな下町銭湯を思い浮かべる人が多いと思います。ここでいう銭湯とは、法律で定められた一般公衆浴場のことです。 ここ上田市にも、地域に根付いた街のお風呂屋さん、銭湯が2軒あります。今回は、日の出町(常田3丁目)の「宮桜の湯(みやざくらのゆ)」さんをご紹介します。 宮桜の湯さんは、イオンスタイル上田や信州大学繊維学部の近くにあります。イオンの前の「信大繊維学部入口」交差点から信大正門の方へ進み、道なりに行けば右手に看板が見えてきます。玄関の「わ」の看板と薪のいい香りは営業中の証。ちなみに夏と冬で暖簾が違うんです。水色地に花火の絵柄が牛乳石鹸制作の2005年夏バージョンの暖簾、紺地に図形が描2023-11-30
53別所温泉にのこる伝承③ ~大師湯~別所温泉にのこる伝承③ ~大師湯~これまで上げてきた、石湯、大湯、とこの大師湯の三つが別所温泉の内湯である。大師湯は慈覚大師円仁が入浴し、病を治療した、という伝承からこの名前が呼ばれている。大師湯は、特に目に関係する病に効くと昔から多くの人々に知られた温泉であった。また、大師湯には、別所内にある、安楽寺の開山樵谷、二代幼牛らの木造が夜な夜な入浴に来たり、大入道が目を洗っていた、など、石湯、大湯とは雰囲気の違った伝承が残されている。  2023-11-30
54別所温泉足湯「足湯ななくり」別所温泉足湯「足湯ななくり」別所温泉を回っていると途中に足湯を発見した。とても暑い日だったが気持ちよかった。別所温泉にはここだけではなく、他にも何か所か足湯があった。また、洗い場もあった。2023-11-30
55男池男池 日本遺産の「塩田平のため池群」の一つである。上田市の池は戦国時代から昭和時代までの間に数多く作られてきた。その背景には、上田地域が全国でも有数の寡雨地域であることがある。一方、雨が少ないため晴天の日が多く、気温も低すぎることは無かった。したがって、肥沃な土地で農業用水を確保さえすれば、水田農業に適した土地であった。農民たちはため池を造成し、男池も農業用水確保のために作られた。男池は、江戸時代に仙石氏が統治していた時に作られたため池であるとされている。江戸時代では、ため池の存在は重要であったため上田藩をあげて作られた。現在の男池は、農業用水として使われ、産川からため池に水を貯水している。男池の貯水量は約50000㎥で、満水面積は約20600㎡、堤高は8mである。  男池が作られた背景を知る2023-11-30
56長福寺銅造菩薩立像長福寺銅造菩薩立像 ⻑福寺銅造菩薩立像は、⻑福寺「信州夢殿」の本尊。 アルカイックスマイルを特徴とする、像高36.7cmの小 金銅仏で、7世紀後半の白鳳時代の作品と考えられる。腰部をひきしめた均整のとれた流れるような細身の体つき、そして笑みをたたえた柔和な表情、やわらかな体部の肉づけのこの菩薩像は「夢殿観音」とも呼ばれる、七世紀後半の白鳳時代の特徴をよく示している。国の重要文化財に認定されている。  長福寺銅造菩薩立像のアルカイックスマイルは、安らぎを与えてくれているように感じた。また、ずっと見守ってくれているような感じがした。  2023-11-30
57泥宮泥宮 日本遺産に認定されている泥宮は、字の如く「大地(泥)」を御神体としていて、神が下之郷(生島足島神社)に遷座された際に遺霊をここに残したという。「泥宮」という呼称は寛政2年以降とされ、それまでは「諏訪大明神」であった。泥は稲を育てる母として古来神聖なものとされてきた。泥宮はその古代からの祖先の習俗を伝える宮としてきわめて貴重な存在である。  泥宮を訪れて感じたことは、「本当にここが日本遺産なのか」と思うような場所だった。しかし、泥宮の周辺を歩いてみたり、滞在している中で、独特な雰囲気を感じ取ることができた。また、泥宮の鳥居を通して見る景色はきれいだった。泥を祀るというのは、塩田の地域において、昔から泥がどれだけ大切なものだったのかを感じた。2023-11-30
58別所温泉にのこる伝承② ~大湯~別所温泉にのこる伝承② ~大湯~大湯も、別所温泉に存在する内湯の一つである。この温泉は、湯量が多いため、大湯と名付けられた。そしてこの温泉にも数多くの伝承が残されている。昔、猟師に矢を射られたキジがこの温泉で傷をいやした、という伝承から、きじ湯とも呼ばれていた。また、平安時代の武将である木曽義仲とその愛妾である葵の前が戦いの傷をいやすため、大湯を利用し、「葵の湯」とも呼ばれていた。  このように様々な別名を持つ大湯は、現在も公衆浴場として営業中なため、一度訪れることをお勧めする。2023-11-30
59上田城の地理上田城の地理上田城のある地は斜面になっており、2重の堀で遮断し、南北の斜面に堅堀列を掘って防御を固めている。斜面に建てられていることから城のすぐ横は崖になっており敵兵を倒すのに役立った。2023-11-30
60生島足島神社生島足島神社 上田市を代表する生島足島神社を探求することで、歴史について感じ取れると思ったので、生島足島神社について紹介する。  日本遺産に認定されている生島足島神社は、太古より国土の鎮守と仰がれ、国の真ん中あたりにお祀りされる大八洲(日本列島)の神、生島大神・足島大神が鎮座している。寛政11年に生島足島神社と社名を改めており、中世以降には「下之郷大明神」「諏訪法性大明神」などと呼ばれ、武田信玄や真田氏、歴代上田藩主の手厚い加護を受けた。参道は、夏至に朝日の太陽が昇り、冬至には夕日の太陽が輝くという東西に延びる太陽の線上に配置されており、「太陽」と「大地」を結ぶ神社といわれる。  生島足島神社を訪れた時、七五三の人数が多くて、上田市を代表するとともに、昔から市民に愛されている神社であると2023-11-30
61別所温泉にのこる伝承① ~石湯~別所温泉にのこる伝承① ~石湯~石湯は、別所温泉の内湯の一つである。天然の岩石で作られた浴槽を利用するため、石湯と呼ばれている。この石湯には、様々な民話が残されている。  昔、ある季節になると、別所では蛇が作ったとされる道が現れるのであった。ある時、村の若者がこの道を作るものの正体を確かめようとした際、道の終わりに大蛇の抜け殻を発見した。その抜け殻の先に湧き出る温泉を発見したことが石湯の起こりである、と伝えられている。 他にも、岩場から落下した牛が足をこの温泉で癒した伝承から、うし湯とも呼ばれていたなど、様々な伝承が残される温泉である。2023-11-30
62コア塩田直売所「愛菜館」(A-COOP)コア塩田直売所「愛菜館」(A-COOP) 皆さんご存じの、地元スーパーです。店内には直売所コーナーが設けてあり、地元の直売所並みの品揃えです。野菜は手ごろな価格で、大学生でも手が出しやすいです。お肉も国産や信州産にこだわっています。値段が高いのでなかなか手が出しづらいかもしれませんが、品質は間違いないと思います。割引を狙ってみるのもアリかも…。  皆さんも、訪れてみてくださいね。2023-11-30
63サントミューゼの樹木サントミューゼの樹木「蚕都」が名前の由来となった建物「サントミューゼ」。 昼間はイベントが行われていたり、外の広場に人が集っていたり、賑わいをみせているが、夜のサントミューゼは静かなムードに漂っていた。広場周辺の樹木はライトアップされていて正面のArio上田店の明かりと共に光の美しさを作っていた。2023-11-30
64上田城の歴史上田城の歴史上田城は1583年、真田昌幸によって築かれた。徳川軍による二度の襲撃を、その半数以下で撃退した実績を持ち、その防御力は伊達ではない。 明治以降は払下げられるも、神社、城址として保存しようとする動きが高まり、現在の公園に至る。2023-11-30
65舌喰池の伝承舌喰池の伝承舌喰池は、大池とも呼ばれる塩田平のため池の中の一つである。他の池と比べても名前が一段と奇妙な理由には理由がある。昔、池の水がなかなかたまらないという時があった。その際に、人柱として村の娘が一人選ばれてしまった。その娘は、人柱に選ばれたということを聞いて、悲しみ、舌を食い切って池に身を投げてしまった。この悲しい伝承から、舌喰池と呼ばれるようになったといわれている。  しかし、昭和50年には、池の北側の田から、墓石が4基出土するなど、あながち伝承と言い切ることが出来ないことも、この人柱伝説の怖さなどを伝えているように感じる。2023-11-30
66高台からの上田市街の風景高台からの上田市街の風景上田創造館横のため池から上田駅方向に真っ直ぐ歩いていくと他の道と合流する地点に下りるための階段に辿り着く。そこからは上田の街の景色が一望できる。上田の街の活気が伝わってくる景色だ。2023-11-30
67別所温泉直売所別所温泉直売所 (*1枚目の写真)と、いうことです…。9:00~12:30の間に訪れましょう。(GoogleMapには17:00までと書いてありますが、12:30です!)  午前中に温泉に来た人、観光に来た人は、帰りに寄ってみてくださいね。  筆者はここまで自転車で来て、そして帰りました…。 (追記)  その後、もう一度別所温泉を訪れる機会があったので、午前中に立ち寄らせてもらいました。すごい品揃えです!午前中しか営業していないのがもったいないくらい…!漬物類や地元特産の惣菜類、銘菓などが特に豊富です。地元でつくられた工芸品も置いてありました。もちろん野菜もかなり良心的な価格です。  ぜひ皆さんも訪れてみてくださいね。2023-11-30
68創造館横ため池創造館横ため池上田創造館横には大きなため池がある。ツルハドラッグ上田原店上の坂道を登ると開けた土地が出現する。そこにはたくさんの水が張られている。少し高くなった地から臨む町並みはため池と1つの画となって風景を飾っている。2023-11-30
69上田のシンボル 上田城上田のシンボル 上田城上田城は真田昌幸が1583年に築城を開始した城である。関ヶ原の戦いで、真田昌幸が敗れたことにより天守は解体されたが、石垣や櫓は今でも現存している。また、明治時代初頭には陸軍の分営が置かれたが、その後払い下げられた。何度も戦いの拠点となり、時代によって様々な利用をしてきた上田城だが、現在では観光地と上田の歴史資料として利用されている。春の桜は見どころで、満開の季節には全国から多くの観光客が訪れる。2023-11-30
70Natural&Vegitable Shop のうのう(+パン屋”麦の笑”)Natural&Vegitable Shop のうのう(+パン屋”麦の笑”) こだわりの国産オーガニックのお店です。皆さんが普段使っている、ありとあらゆるものがオーガニックで手に入ります!地産地消としては国内に幅が広がってしまいますが、小麦食品(ラーメンまで)が国産で手に入るのは驚きです。しかもオーガニック!  また、店内には環境に配慮した様々な商品も並べてあります。昔の人がおにぎりを包むときに使っていた「紙木」は天然の木からできています。野菜は無農薬で、化学肥料も使っていません。朝採れです。お茶やコーヒーも、オーガニックで取り揃えています。さすがにコーヒーは外国産ですが、フェアトレード商品です。ちなみに、”脱ビニール袋”にも取り組んでおられて、商品は新聞紙を折った袋に入れてくれます。  「ちょっと贅沢したい」、「本気でこだわりたい」という方、”おす2023-11-30
71上田城のすぐ隣を走っていた真田傍陽線の跡上田城のすぐ隣を走っていた真田傍陽線の跡かつて上田市から真田地域、菅平高原方面に繋がっていた真田傍陽線(さなだそえひせん)は、上田城のすぐ横を走っていたとされる。今では、上田城のケヤキ並木遊歩道となっている。他にも、街中には路線の跡が残っており、昔の菅平高原開発の名残が見て取れる。2023-11-30
72上田市の玄関口 上田駅上田市の玄関口 上田駅上田鉄道別所線、しなの鉄道、JR北陸新幹線が乗り入れる上田駅は、まさに全国からの観光客を迎える玄関口と言えるだろう。昔は、丸子地域や真田地域へ向かう鉄道もあったようだが、今では3路線だけとなっている。時代とともに移動手段が変化しているが、これからも上田市の玄関口として、そして上田の住民を支える足として今後も活躍するだろう。2023-11-30
73いずみの里・生産者直売所いずみの里・生産者直売所 地元の野菜・加工品など、様々なものが楽しめます! 野菜はその時期の旬のもので、その日出荷されたものが多く並べられています。加工品は、豆腐・パン・味噌、さらには地元のカフェのパンまで!ケーキも自家製。豆腐も地元のお店のもので、豆腐ドーナツといったものまで置いてあります。他にも、地元の卵が200円ほどで手に入ります。この値段は、大学生にもありがたい。  並べてある商品は地元産のものが多く、県内産がほとんどです。皆さんも地元の食品に興味があれば、ぜひここで様々なものに触れていってください!2023-11-30
74別所神社別所神社別所温泉にある神社で、祀っている神様はその土地の守り神(土産神)である。境内には本殿の3倍以上の大きさがある神楽殿があった。鳥居から本殿までの道は思ってたよりも高低差があるように感じられた。そのせいもあってか、人の気配を感じることがないので、神聖さも感じられた。おみくじが置いてあるので、運勢を占ってみても良し、神楽殿から見える別所地域の雰囲気を味わっても良しのたくさんの魅力があると思った。2023-11-30
75泥宮と上窪池泥宮と上窪池泥宮は、古くから稲作に使われた泥を神聖視し、上窪池の泥を御神体としている。よって、その目の前にある上窪池と二つで一つのものだといえる。また、生島足島神社とも、江戸時代から関係があり、生島足島神社の旧跡地であったという伝承もある。   神社自体はそこまで大きくはなく、簡素なものであったが、自分が行った時間が夕方だったからか、非常に荘厳な雰囲気があった。昼間の時間に行くことも良いが、夕方の雰囲気もぜひ味わってみてほしい。2023-11-30
76愛染カツラ愛染カツラ愛染カツラは、観音菩薩が姿を表したと言われている霊木である。「別所五木」のひとつであり、その太さは幹囲5.8mある。市の天然記念物に認定されている。近くで見ると思っていたよりも大きく、見上げるほどだった。縁結びの木としても親しまれているようなので、カップルで別所を訪れた時にはぜひ訪れてはいかがだろうか。2023-11-30
77農園直売農園直売 無人の直売所です。直売所の労働力、経費削減を行っている、優れた例だと思います。住宅地の中に、ポツンとたたずんでおり、自動販売機のように当たり前に存在していて、地元の人に愛されているのかも。筆者が訪れたときは何もありませんでしたから、もう売り切れてしまったのかもしれません。  神畑のほっともっとから、わずか400m!皆さんもぜひ訪れてみてください。2023-11-30
78上田城跡公園上田城跡公園夜の上田城跡公園。上田城跡公園は真田氏の居城、上田城跡を中心とした公園で、休日は多くの人々が訪れる。夜はライトアップされており、日中とは違った魅力を感じられた。2023-11-30
79ここが日本の中心!? 生島足島神社ここが日本の中心!? 生島足島神社上田を代表する神社の生島足島神社は、生島大神と足島大神を祀る神社である。周りを水に囲まれた神社の本殿は、独特の神聖さを感じることができる。昔の地図を見ても周りは水と木に囲まれ、神社の姿は変わらない。変わった点を挙げるとするならば駐車場ができた点で、昔と今では足を運ぶ手段が変化していることが分かった。2023-11-30
80昭和レトロな喫茶店昭和レトロな喫茶店上田駅前にある喫茶店「ニュービーナス」。私はこの店の持つ雰囲気と魅力が自分のテーマにあっていると感じたためピックアップした。店内は昭和レトロな雰囲気が感じられる、非常に魅力のある良いお店だった。メニューにはハンバーグ定食やオムライスなどがあり、どれもお手頃な価格にもかかわらずかなりのボリュームがあった。また、学生はドリンク一杯無料やご飯のおかわり無料などのサービスがあるため、ぜひ一度足を運んでもらいたい。昔ながらの喫茶店が好きな人にはおススメな店だ。2023-11-30
81東塩田農産物直売所東塩田農産物直売所 生島足島神社の境内にある農産物直売所。その季節の旬の食材が並べられています。価格もお手頃です。特に、この時期のリンゴはとてもお買い得です。傷モノではありますが、味に変わりはなく、3玉300円(1玉100円)は安い!  直売所の方にお話を聞くと、日本の食糧自給率が低いことを心配しており、「外国に食料を頼っている現状を変えたい」と言っていました。また、「地元の食材を売ることで、地元を元気にしたい」とも言っていました。  生島足島神社は大学からも近いので、ぜひ立ち寄ってみてください。2023-11-30
82北向観音堂北向観音堂北向観音堂は825年に開創された霊場である。本堂が北に向いていることが大きな特徴であり、これと向かい合っている善光寺と両方をお詣りすることが良いとされている。地域の人々に愛されている場所だと感じた。2023-11-30
83歴史を感じる別所の湯 石湯歴史を感じる別所の湯 石湯別所温泉は古くから温泉街として栄えた町で、その名残を残す建物が多くある。温泉は貴重な資源で、一家に一つお風呂が引けない時代には、外湯という共同浴場が住民の憩いの場となった。別所温泉には外湯が三か所あり、その中の一つが石湯である。国土地理院の地図などを調べると、昔からその場所に石湯が存在していることが分かる。昔からの風情を残す別所温泉にぜひ足を運んでみてはいかがだろうか。2023-11-30
84アリオ上田アリオ上田アリオ上田は上田を代表するようなショッピングモールであり、多くの人に利用されている。店内には様々な店が集まっており、幅広い年代の人々が楽しむことができるだろう。2025年2月を目途に改修が行われる。2023-11-30
85上田の玄関口「上田駅」上田の玄関口「上田駅」上田駅はJR東日本、しなの鉄道、上田電鉄の駅だ。上田駅は日々多くの人々に利用されており、まさに上田の玄関口といえる。2023-11-30
86北向観音堂北向観音堂別所温泉にある観音堂。名前の通り、本堂は北向きに面していて、全国的にも珍しいそうである。この本堂に安置している本尊は、千手観音菩薩であり、南向きに面している善光寺阿弥陀如来に相対している。そのことから、善光寺だけでは片参りなると伝えられており、また古くから厄除観音として知られているそうだ。付近には他の文化財もあって、上田の歴史を感じることのできる場所になっている。別所地域を見渡せるところに立地しているので、温泉巡りのついでに立ち寄って、景色を堪能してはどうだろうか。2023-11-30
87上田真田まつり上田真田まつり上田真田まつりは1983年から始まり、今年で40年目となった。上田城建城400年記念から始まった祭りで現在は上田一帯で催し物を行うなど巨大なイベントとなっている。2023-11-30
88上田市の特産品 ワイン2上田市の特産品 ワイン2スーパーで売られている上田市特産品のワイン 「椀子のあわ」 雨が少なく、夜間の気温が低いなど、上田市は、ワイン用のブドウ栽培に適している産地のひとつ。2023-11-30
89上田市の特産品 ワイン1上田市の特産品 ワイン1スーパーで売られている上田市特産のワイン 「椀子シラー」 上田市は、雨が少なく、夜間の気温が低いなど、ワイン用のブドウを栽培するにあたって、適している産地の一つ。2023-11-30
90信濃国分寺に残る、初代・松平忠周の影信濃国分寺に残る、初代・松平忠周の影 信濃国分寺本堂には、上田松平氏の「五三の桐」が描かれた垂れ幕と提灯が掛けられている。上田市立博物館が発行した『松平氏史料展』によると、松平忠周(ただちか)はそれまで損傷していた信濃国分寺の三重塔を、享保11年(1726)3月8日に修復したと書いてある。修復された当時の状態のまま今日まで残されているかどうかはわからない。だが、忠周が三重塔を今見えている形状に正したのは確かだろう。なお、忠周だけでなく、仙石氏や、その後の松平藩主も国分寺を保護・援助している。  私は実際に塔を見てみて、三重の屋根は青銅で葺かれているのではないかと思った。その青緑色と塔の木材部分の茶色の組み合わせは綺麗だった。また、塔のすぐそばには池がある。池側から三重塔を見ると、池の大きさはかなり違うけれど、京都府木津川2023-11-30
91椀子ワイナリー椀子ワイナリー「上田市の特産品とイベント」のテーマにあげられている「椀子のあわ」と「椀子シラー」の二つのワインはここでつくられている。 世界最高のワイナリー50に日本で初選出された。2023-11-30
92特産品の松茸を使ったパエリア特産品の松茸を使ったパエリア上田松茸ワイン祭りで作られたパエリア。 上田市の特産品である松茸をふんだんに使っている。 同じく特産品のワインにとても合う味。 イベントに来た多くの方にふるまわれた。2023-11-30
93上田松茸&ワイン祭り上田松茸&ワイン祭り9月23.24に上田城後公園芝生広場で行われたイベントです。 約25店舗の出店もありました。 特産品であるワインと松茸をメインにしたイベントです。 ボランティアの一員として活動させていただきました。 この写真はその際の着ていた服です。2023-11-30
94馬肉うどん馬肉うどん上田名物の馬肉うどん2023-11-30
95信濃国分寺信濃国分寺寺伝では、1197年に源頼朝が善光寺参拝の帰りに寺の衰退を憂い、塔の復興を命じたとされている。建築様式から室町時代に建立されたと推測され、「和様」の外観をしている。第一層の大日如来が安置されている仏壇の鏡天井を囲む「如意頭文」は「禅宗様」の建物で用いられているものである。 駐車場が境内のすぐ側にあったが、そこまでの道が細く、車では少し通りにくいと感じた。境内の周りの民家も雰囲気あるつくりの家が多く、地域になじんでいる印象であった。境内の中には、小さな寺院が多くあったが、本堂とのつながりがあまりよく分からなかったので、どのような関連性があるのか説明が欲しいと感じた。 信濃国分寺の建立は推定室町中期で、昭和7年から解体修理が行われた。その時に、三重塔古心柱も取り換えが行われ、その柱が2023-11-30
96北向観音北向観音平安時代初期に比叡山延歴寺座主慈覚大師円仁が開いた霊場である。北向きの本堂は全国でもほとんど例がなく、南向きの善光寺本堂と相対している。「極楽浄土」を願う善光寺と両参りし、ここで、「現世利益」を祈ることで、御利益があるとされている。 境内に入る前に商店街があったが、平日だったため、あまりお店が開いていなかった。いつ来た観光客でも楽しめるように活性化を目指すべきだと感じた。また、別所温泉地域全体で坂道や狭い道が多い印象だった。 北向観音と善光寺の両方に参拝すると、より縁起が良いことをもっと発信することで、所温泉の集客にも繋がると感じた。そして、境内から見える景色が綺麗だったため、これもSNSなどで発信していきたいと感じた。2023-11-30
97安楽寺安楽寺曹洞宗の寺院であり、山号を崇福山、院号を護国院としている。本尊は釈迦如来で、国宝の八角三重塔があり長野県で最古の禅寺である。 本堂にたどり着くまでの道のりがとても綺麗で感動した。日差しが強い日でしたが、安楽寺周辺に来るとひんやりとした空気が流れていてとても雰囲気のあるお寺だった。2023-11-30
98常楽寺常楽寺別所温泉駅から徒歩で10分程度の場所にあった。近くにある北向観音の本坊で、建立は825年。御本尊は「妙観察智弥陀如来」で全国的にも珍しい。 実際に見てみると、すごく雰囲気があり屋根の造りが特徴的だなと感じた。2023-11-30
99別所温泉駅 別所温泉駅 上田電鉄の終着駅。1921年の6月17日に開業。駅舎は昔の映画にも登場する。近くには別所温泉があり駅名の由来となっている。 別所駅舎は大変趣が深く昔にタイムスリップしたようだった。2023-11-30
100生島足島神社生島足島神社生島足島神社は別所線の下之郷駅から徒歩3分の場所に位置している。 駐車場もあり、車での参拝も可能である。 生島足島神社は、生島大神と足島大神のニ神が祀られている。 生島足島神社の歴史は古く、平安時代初期の書物、「延喜式」にも載っているほどである。 たくさんの起請文が残っており、国指定文化財になっている。2023-11-30
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