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1瓢箪池(塩田運動公園)瓢箪池(塩田運動公園) 長野大学の隣の、塩田運動公園(上田自然運動公園)内にある。公園として整備されているため、田に囲まれたものと比べて行きやすい。  用水路はつながっているようだが、ため池として現役で使用されているかは不明。2023-11-07
2長野大学付近のため池(夫婦池)長野大学付近のため池(夫婦池) 長野大学の近くにある、その付近では比較的大型のため池。降水量の少ない塩田平では、このようなため池が多く存在する。  あふれないようにするためか、高い土手で囲まれている。土手の下からは用水路が出ている。ここから田へ取水するのだろう。  撮影日の数週間前から雨が降っていなかったが、水量は多いように見えた。撮影時点ではすでに稲刈りが終えられていたため、水の消費量が少ない時期と考えられる。2023-11-07
3八木沢駅八木沢駅上田電鉄別所線の八木沢駅です。パステルグリーンの駅舎とハートが描かれたベンチが可愛く、映画やMVのロケ地としても度々使われました。時期によっては桜やコスモス見られます。ベンチに座ってのどかな田んぼと雄大な山々を見ていると、いつもより時間の流れがゆっくりになっているように感じました。2023-11-01
4御船の松御船の松常楽寺境内にある船のような不思議な形をした松です。 なんと樹齢350年程度あるらしいです。 芸術的な形だったので思わず写真を取ってしまいました!2023-10-31
5常楽寺常楽寺上田市の指定文化財です。 平安時代の始めに北向観音の本坊として慈覚大師(円仁)によって建てられた天台宗の寺で、大日如来の化身妙観察智阿弥陀如来がまつられています。 学問への貢献も知られている寺で、多くの青年僧が学んだとされています。 重厚な茅葺き屋根が神聖な雰囲気を醸し出しています。 寺の裏手の林は北向観音が出現したと言われ、石像多宝塔があります。(100円の拝観料が必要) また境内に美術館も併設されています。(記事作成者が行ったときは残念ながら閉まっていました。)2023-10-31
6風情ある道風情ある道別所神社や常楽寺に至る石畳の道です。地域住民の家々の間を通るように伸びていることが分かるかと思います。 地域文化の中に寺社が密着していることを再認識しました。2023-10-31
7将軍塚将軍塚別所温泉郵便局近くにありました。 古墳時代に、有力な豪族の墓として作られたようです。 素朴ながらも芸術的な小さな石塔が盛り土の上に建てられています。 夕日に照らされ、荘厳な雰囲気を醸し出しています。2023-10-31
8別所神社参道別所神社参道厳かな雰囲気の別所神社の参道です。 鳥居をくぐるとすぐにこのような山道が出現します。 竹林に囲まれ、別世界に入り込んだような不思議な感覚を覚えました。 この参道から俗世界を離れて神の領域に入ることができます。2023-10-31
9別所神社別所神社別所温泉にある上田市の指定文化財です。 建てられた当時は熊野大宮大社(和歌山県)の熊野大神を祭ったものでした。 後に本殿の後ろにある「男石」、「女石」、「子種石」 も「縁結び」のご利益があるとされ、祀られました。 現在の「別所神社」は明治11年からの名称になります。 熊野大宮大社の分社でありながら、別所の地域文化に根ざしている特殊な神社です。2023-10-31
10別所神社神楽殿別所神社神楽殿別所神社神楽殿(べっしょじんじゃかぐらでん)は別所神社の境内にあり、神社に関する儀式の場です。 写真は別所神社神楽殿から撮った別所の風景です。紅葉する山の借景が美しいですね。 この場で地域住民が神と共に自分たちの住む地域を見下ろしながら儀式をしていたと想像すると何やら感慨深いものがあります。2023-10-31
11【第8弾移動企画シリーズ 諸ものがたり ~純水館・名前の由来~】【第8弾移動企画シリーズ 諸ものがたり ~純水館・名前の由来~】2023/10/29開催 【第8弾移動企画シリーズ 諸ものがたり ~純水館・名前の由来~】 主催:糸のまち・こもろプロジェクト 共催:諸公民館 お問い合わせ:事務局 栁沢浩一(090-7265-1315) 後援:信濃毎日新聞社・小諸新聞・東信ジャーナル社・小諸市教育委員会・(株)コミュニティテレビこもろ・(株)純水館・純水館資料館・氷風穴の里保存会・週刊さくだいら 【内容】 「諸を語り唄~絹の奏で 坂本 明央氏(津軽三味線奏者)」  坂本 明央氏は青森県北津軽郡坂柳町出身。民謡全国大会連続優勝後、クラウンレコードよりデビューし、全国ツアーを開催。津軽三味線名人藤田淳一師の門下生となり、日本コロムビアより「津軽を弾いて津軽を唄う」を発売。平成12年に小諸市に移住、津軽じょんがら座を設立。現在も公演を続け、三味線や民謡の指導を行っている2023-10-29
12学生の地域探究テーマ2023学生の地域探究テーマ2023【第3回課題10/19】信州上田学2023/マイサイトと探究テーマ  ▼社会福祉学部学生 1 長野県の自然 2 蚕都上田はどのようにして生まれたか 3 上田の地域の特徴から、福祉に活用できる社会資源を考える。 4 上田にある文化財について 5 上田市の特産物にはなにがあるのか、特産物と気候や地形との関係、特産物を使った料理について 6 上田市の食とそこから見る地域の特性 7 上田城の季節による変化 8 食と福祉(飲食店と社会福祉施設、養護施設との連携) 9 真田幸村と上田の関わり 10 なぜ上田には晴れが多いのか 11 別所温泉の自然風景とその風景に関する歴史学的・地理学的な知識 12 上田と福祉について 13 上田市内の地区の名前の由来について 14 上田市は子育てや生活をする上で、便利な地なのかどうか 15 上田市の子ど2023-10-29
13信州上田学2023①~④地域キュレーション&蚕都上田を未来に活かす信州上田学2023①~④地域キュレーション&蚕都上田を未来に活かす【1】信州上田学へのいざない/デジタルコモンズ&地域キュレーション(第1回10/05) 74分 【2】地域キュレーションの進め方(第2回~第4回) ①地域キュレーションの進め方(1) (第2回10/12) 76分 ②地域キュレーションの進め方(2) (第3回10/19) 58分 ③地域キュレーションの進め方(3) (第4回10/26) 13分 【3】蚕都を未来に活かす(第3回、第4回) ①世界を救った蚕種 (第3回10/19) 28分 ②ポスト蚕糸業の視点から(第4回10/26) 69分 2023-10-29
14棟方志功展:ネット時代の美術展棟方志功展:ネット時代の美術展東京国立近代美術館で開かれている「棟方志功展 メイキング・オブ・ムナカタ」を観てきました。棟方志功の作品がこれだけ品揃えされて展示されたのは今回が初めてでは? 初期の油絵から始まり、人と芸術の変遷・進化が手に取るようによくわかりました。何より作品に直に接してワクワクしました。 ワクワク感を助長してくれたのが撮影を許容していること。方々でスマホのシャッター音が聞こえていますが、全く耳障りではありません。むしろ「撮ってよい、むしろどんどん撮ろう」という賛辞音のように心地よく響いてきます。 この企画展で画期的なことの一つは作品の撮影とブログやSNSへの画像転載を許容していること。次のようにハッシュタグをつけることを条件としています。 #棟方志功展 #メイキング・オブ・ムナカタ 「撮影厳禁2023-10-27
15【上田市の銭湯】①柳の湯【上田市の銭湯】①柳の湯皆さん、銭湯に入浴したことはありますか? 銭湯というと、富士山の壁画が描かれた、東京の大きな下町銭湯を思い浮かべる人が多いと思います。ここでいう銭湯とは、法律で定められた一般公衆浴場のことです。 ここ上田市にも、地域に根付いた街のお風呂屋さん、銭湯が2軒あります。今回は、柳町(中央4丁目)の「柳の湯」さんをご紹介します。 柳の湯は、北国街道柳町の外れにあります。路地を歩いていると、「湯乃柳」と右書きの文字と看板建築が目に入ります。玄関に入りますと、右手が男湯、左手が女湯になっています。木戸を開けてさっそく中に入ってみましょう。 入るとすぐ番台があり、ここで料金を払います。脱衣場で服を脱ぎ、さっそく入浴です。浴室は広く、奥に2つ浴槽があります。両脇にはシャワーとカランがあり、椅2023-10-27
16上田合庁の売店上田合庁の売店材木町の上田合同庁舎の地下に生協の売店がある。 飲み物や軽食などが販売しており小さなコンビニのようなものだ。 おすすめなのは、近くのお店から仕入れたお弁当だ。複数種類の弁当を販売しており、おいしい。 写真は、「なかむら屋」のししゃも弁当だ。どのおかずを取ってもおいしかった。2023-10-27
17上田城跡の桜上田城跡の桜上田城は真田昌幸によって築城された城で、徳川軍の攻撃にもびくともしなかった難攻不落の城です。しかし、その後関ヶ原の戦いで徳川軍が勝利をあげた後、上田城は廃城も同然となってしまいました。その後に、仙石氏により上田城が1620年代に復興され、これがほとんど同じ形のまま今も残っています。上田城跡公園は、そのような歴史を今の視点から見ることができるという点でとても有意義なものです。訪れた時は桜が美しかったですが、城から見える四季折々の自然の移ろいが、戦いに挑む兵士たちを癒やし元気づけたのかなと、昔に想いを馳せました。2023-10-26
18安楽寺八角三重塔安楽寺八角三重塔中国から伝わった「禅宗様」で造られた、現存する日本唯一の木造八角三重塔。かつては「四重塔」とされたが、現在は一番下の屋根は裳階(ひさし)と解釈されている。創建は1290年代とされ、八角形のどっしりとした落ち着きがある塔で、頂上には相輪が青天高くそびえている。屋根の下の華やかな木組みも相まって、安定感と崇高美、華麗さを兼ね備えた名塔である。 ここはこれまでに二回訪れたが、何回行っても感動する場所であると私は思う。何段も階段を上ったあとに、姿をあらわす木造の塔は実際に足を運んで見るからこそ感じられるものが多くあると改めて思った。自然との調和もとても趣がある。しかし、この魅力はまだ多くの人に伝わり切っていないと感じている。よって、まずは魅力を伝えるために、信州上田の日本遺産のストーリーを2023-10-24
19上田市のラーメン屋上田市のラーメン屋最初の投稿は、私がおすすめするラーメン屋の一つである「はっちゃき」という場所の味噌ラーメンです。 はっちゃきという店名は、北海道弁の元気に頑張ることを意味し、店内のスタッフもイキイキ元気で、気配りが行き届いているお店です。 こってり、あっさり、とんこつと、様々な種類があり、私がアルバイト終わりによく行きますが、全然飽きません。 定食メニューやセットメニューも豊富です。ここのチャーシュー小丼がとてもおいしいので、ラーメンとセットで食べるのがおすすめです。2023-10-23
20田んぼに稲藁、秋の風景田んぼに稲藁、秋の風景今年2023年は春から10月頃まで30℃台の暑い日々が続いたかと思うと、いきなり晩秋のような寒い日々に一転しました。これは10/24の朝の風景。収穫後の田んぼに稲藁が整然と並ぶいい風景! 機械化が進んだ田んぼに手作業でしつらえた稲藁がこのように並ぶ風景は全国的にもめずらしくなりました。22世紀に残したい風景です。 奥の方に奇岩「岩鼻」が見えますが、わかりますか?2023-10-24
21上田ならではの低い雲上田ならではの低い雲朝7時台の千曲川沿い。普通雲は高く空に浮かんでいるものですが、雲が低くたれこめています。この辺りは標高が400メートル台。茨城県だったら筑波山の中腹とほぼ同じ高さ。標高が高いところに暮らしていることを実感しますネ!2023-10-24
22初めて見る1929年上田市の航空写真!初めて見る1929年上田市の航空写真!『アサヒグラフ臨時増刊号 東日本航空号』(1929年=昭和4年)にあっと驚く写真が! 当時の上田市の航空写真です。市街のほぼ中心部を捉えています。まさか戦前の上田市の航空写真があるとは思ってもいませんでした。藤本蚕業歴史館に保存されている資料の一つです。これは手に取って見るしかないですね!2023-10-24
23藤本蚕業/史料を見合おう会10/22藤本蚕業/史料を見合おう会10/2210/22(日)午後、藤本蚕業歴史館で「藤本蚕業/史料を見合おう会1stトライアル」を実施しました。ハイブリッドで文書館に気軽にアクセスできるようになり、場所を問わず、閲覧したりみんなで見合えたりしたらぐっと利便性が高まります。史料の利用可能性が広がります。 「史料を見合おう会」は、そのようなアクセスの壁をなくし、むしろ遠隔地からでも資料館に居るかのように閲覧を共有体験できたら、資料館の物理的制約を超え、みんなで楽しく史料が見合えたらいいよね、というリクエストに応えるものです。Webカメラ、マイク、Zoomがあれば場所を問わずどこからでも実施できます。 1stトライアルではどんな感じでできるのかをトライしました。前半(Part1)の様子を録画したのでご覧ください。 最初の約25分はイベントの2023-10-23
24カナヘビカナヘビ探求テーマとしては上田市の自然について、特に動物を中心として深めていきたいと考えています。自然豊かな上田に生息する生物について調べ、上田ならではの環境を見つけたり、地元と比較して探求していきたいとです。自然について興味を持ってもらい、ふとした景色に目を向けていただけたら嬉しいです。 近所で見つけたニホンカナヘビです。 名前だけ聞くとヘビの一種と勘違いされやすいですが、トカゲの一種です。 ニホントカゲと勘違いされる方もいますが、ニホントカゲの皮膚はツルツルで、特に幼体の尾は青みがかかっているのが特徴ですが、ニホンカナヘビの皮膚はカサカサと乾燥しており、体に対して尾が長いのが特徴です。 飼育したことがありますが、たまたま卵を持ったメスの個体で3匹の幼体も見ることができたのを覚2023-10-23
25上田市の日本遺産安楽寺八角三重塔上田市の日本遺産安楽寺八角三重塔この安楽寺八角三重塔は現存する国内唯一の木造八角三重塔で、長野県の国宝第一号である。建立年代は平成16年の年代調査によって三重塔用材の伐採年代は1289年ということが判明し、少なくとも1290年代(鎌倉末期)に建立されたことが明らかになり、わが国最古の禅宗様建築であることが証明された。また、西大寺(奈良)法勝寺(京都)などの八角塔が失われた今日、わが国に残された唯一の八角塔である。2023-10-23
26花火を楽しむ会花火を楽しむ会10月10日に上田道と川の駅で開催された「第4回花火を楽しむ会」に行った時の写真です。2023-10-23
272代松平忠愛と尼ヶ淵2代松平忠愛と尼ヶ淵 上田城南側に切り立つ崖の下段には、横に長く敷き詰められた石垣がある。この石垣は、松平忠愛(ただざね)が築造したものだ。享保17年(1732)に大雨で増水した千曲川がこの崖面を大きく削ったため、護岸工事を行ったそうだ。(戌の満水)  上田城南側の芝生広場を訪れた際に感じてほしいのは、江戸時代にはその地に広場はなく、尼が淵という千曲川の分流が流れていたということだ。そのため、崖面を見ることができている我々は貴重な体験をしている。そして、下段の石垣は強固に見えるが、敵が登ってくるのをを防ぐために築かれたのではないことも知ってほしい。  二度の上田合戦や大坂の陣で名を轟かせた真田氏の居城であったからこそ、忠愛は、南櫓、西櫓を崩れささせたくなかったのだろうと私は思った。  2023-10-23
28舌喰池(したくいいけ)舌喰池(したくいいけ)塩田平にあるため池の一つです。「大池」とも呼ばれています。2023-10-23
29稲倉の棚田稲倉の棚田田植え時期の稲倉の棚田 青々とした葉と田の茶が綺麗です。2023-10-23
30上田の商業施設上田の商業施設アリオとイオン2023-10-23
31小布施小布施大学1年前期の課題探求ゼミナールで小布施に行き、フィールドワークした時の写真です。2023-10-23
32高校野球高校野球県営上田野球場に母校の応援をしに行きました。2023-10-22
33上田城の銅像上田城の銅像上田城にある真田家を彷彿とさせる銅像2023-10-22
34信州国分寺史跡公園の藤の花信州国分寺史跡公園の藤の花毎年5月中旬に見頃を迎える藤の花。 明治13年に黒沢鷹次郎が南佐久郡の農家からカバンに入れて苗を運んだためカバンの藤と呼ばれています。 およそ500平方メートルの藤棚が設けられ、藤の花の名所として地元住民に親しまれています。 毎年見に行きますが、藤の花の壮大さに圧巻します。とてもおすすめの場所です。2023-10-22
35柳町柳町柳町は、信州上田の歴史を現在へと繋ぐ城下町として、上田市の重要な観光地になっている。柳町で行われるイベントは上田市の発展を担っているに違いない。2023-10-22
36青空と雲青空と雲軽井沢アウトレットの、ソラーパネルが付いた屋根と綺麗な空を写した写真である2023-10-21
37北向観音へと続く道北向観音へと続く道参道の両側にお店があるのがとても観光地という感じがして良かった。2023-10-21
38柏屋別荘からの眺め柏屋別荘からの眺めゼミで柏屋別荘という別所温泉にある廃旅館をリノベーションして使用している施設に行って来ました。写真はこの施設から見える景色です。2023-10-21
39長野大学避難訓練長野大学避難訓練大学にいる時に大地震が起きたらどう行動するか。この日10/12、大地震を想定した避難訓練がありました。4号館から避難。4号館の脇、大学院棟の前を通り、グラウンドへ。うかつにもこのルートを通ったことがなくフレッシュな体験でした。一度経験しておくことにより、このルートが想定できます。貴重な避難訓練でした。2023-10-20
40塩田平の絶景スポット=長野大学塩田平の絶景スポット=長野大学塩田平を眺望できる絶景スポットは? 長野大学は塩田平の山沿いの傾斜地にあり、6号館はキャンパス内の一番の高台にあります。その最上階の4階が塩田平を一望する一番の眺望スポットです。学生や教職員でもここが絶景スポットだと認知していないのでは?遠く美ヶ原までが見通せます。グラデーションのかかった山並みの美しいこと。残念なことは塩田平を訪れる観光客にこの絶景スポットを開放できないことです。 他にここに代わる眺望スポットを発見できたら塩田平観光の福音となりますネ!2023-10-20
41別所温泉「石湯」別所温泉「石湯」別所温泉には3つの共同浴場がある。その一つの石湯だ。一番山付近に位置しており堂々とした佇まいである。2023-10-20
42お賽銭はペイペイでお賽銭はペイペイで別所神社に行くとお賽銭箱にPayPayが!周りのお寺は現金なのに1番廃れてそうなここが1番最先端!なんだか複雑な気持ちです2023-10-20
43大学前駅の草むら大学前駅の草むら大学前駅の草むら。 これだけだと駅には見えない。2023-10-19
44別所温泉別所温泉歴史ある別所温泉にある駅です 駅舎がレトロ感があって観光にも大変適している2023-10-19
452019年、台風19号/崩落した鉄橋と跡形もない河川敷の森2019年、台風19号/崩落した鉄橋と跡形もない河川敷の森台風19号の大きな衝撃の一つは別所線の鉄橋の崩落です。2019/10/13、全国にも大きく報道されました。鉄橋は崩落したものの堤防は間一髪のところで崩壊を免れています。もしこれが崩落したら広大な川沿いの住宅地が浸水被害になるところでした。この画像はそれから数日後10/19の記録です。 ここで注目いただきたいことは河川敷にあった樹木の森が全く消滅していることです。数多くあった大きな樹木が根こそぎ流され、堤防や鉄橋に激しく衝突した結果、堤防と鉄橋の崩落をもたらしたのではないかと推察します(誰も崩落の要因を語る人はいませんが)。2023-10-16
462019年、台風19号/避難先の混乱2019年、台風19号/避難先の混乱2019/10/12、台風19号、上田市では警戒レベル4となり避難指示が発令されました。問題は住まいが安全かどうか、避難先はどこかです。私は千曲川に近い低地に暮らしていることもあり、高台に移動した後、最寄りの避難先の一つ、泉田の防災センターに避難しました。 避難所は多くの場所が大勢の人々で大変だったと聞いています。泉田のこの施設は避難先としての周知が行き届いていなかったせいか、避難者が少なく済みました。市の職員の方が丁寧に就寝用マットを配られるなど対応されていました。 翌日深夜2時頃、よく寝付けず、スマホで見る情報を見ると千曲川の水位が徐々に低くなる状況を確認し、家に戻ることにしました。途中、川辺小学校の前を通過しました。校庭に避難した方々の車が多数停まっているのを目撃しました。 後から2023-10-16
472019年、台風19号/千曲川増水で橋桁に打ち付ける波2019年、台風19号/千曲川増水で橋桁に打ち付ける波2019/10/12、22:00頃の千曲川の状況を記録した画像です。古舟橋の情景です。暗くて見えにくいですが、横に伸びる黒い帯が橋、その下に延びるやや白い帯が波です。危険水位まで水が上昇し川面が激しく波打って橋桁の下にぶつかっていました。周囲にはゴーッという川音が遠くからでも響いていました。 この個所は幸いにして越水や洪水の被害からはまぬがれました。その後まもなくそれぞれの橋は通行禁止になりました。私もこの後安全な高台に車で移動しました。2023-10-16
482019年、台風19号/上田で千曲川の越水発生2019年、台風19号/上田で千曲川の越水発生2019/10/12、台風19号は大雨をもたらし特別警告が発令されましたが、より深刻な状況は千曲川の異常なほどの増水です。千曲川の上流で発生した豪雨により千曲川の水位が危険水位に達しました。国分では越水が起こり、住宅が浸水の被害に合いました。 当日直面した問題は状況の把握、行動の判断に必要な情報の取得の困難です。上田市役所のホームページは常時つながらない状況が続き全く役立たずでした。最も参考になったのはCATV(上田ケーブルビジョン)の地元に密着した情報、国土交通省の河川ライブカメラの映像です。20時過ぎ、国分は既に越水した状況がわかります。2023-10-16
492019年、台風19号/特別警報時の長野大学2019年、台風19号/特別警報時の長野大学2019年10月12日、台風19号の到来により気象庁から長野県特別警報(大雨)が発令されました。この日、大学の午後の授業は休講となり、学生・教職員にも早めの帰宅が促されました。2023-10-16
50信州シルクストーリー《千曲川流域編》信州シルクストーリー《千曲川流域編》シルクロード長野ネットワークが「信州シルクロード」の観光資源、産業遺産を広く知っていただくために作成した冊子。物語を活用して信州シルクロードのより一層の観 光資源の意味付け、魅力ある観光地の創造を目指して作成した。 ●内容(目次) 小諸 小諸のシルクストーリー    小諸のシルクスポット 酢久商店、氷風穴 上田 上田のシルクストーリー    上田のシルクスポット 信州大学繊維学部講堂、旧常田館製糸場 松代 松代のシルクストーリー    松代のシルクスポット 旧横田家住宅、松代まち歩きセンター 須坂 須坂のシルクストーリー    須坂のシルクスポット 須坂クラシック美術館、臥竜公園 温泉街にもシルクストーリー? 別所温泉  別所温泉のシルクスポット 倉澤家蚕室、氷沢風穴 その他のシル2023-10-16
512005年の千曲川、洪水被害前の河川敷の森2005年の千曲川、洪水被害前の河川敷の森2005/08/10の記録画像です。私が上田に移り住んだ最初の年が2005年。上田花火大会を見るのもこの時が初めてでした。花火大会が始まる前、川沿いの堤防に多くの市民がシートを敷いて花火が始まるのを待っています。暗い中撮影したのでカメラもややブレています。それはともかく、河川敷に豊かな森が広がっている状況にご注目ください。 2019/10/12、上田をはじめとし長野県の各地は台風19号により甚大な水害に見舞われました。最も衝撃的で象徴的だった被害が別所線鉄橋の崩落です。河川敷に森となっていたこれらの樹木は根こそぎ流され、跡形もなくなっていました。つ洪水の凄まじさを物語る災害でした。これらの画像、災害前の河川敷の状況の記録です。2023-10-14
52蓼科高校「蓼科学」プレイバック蓼科高校「蓼科学」プレイバック蓼科高校「蓼科学」の授業記録や高校生たちの学習成果であるアウトプットは主に以下の2つのサイトから公開しています。 ★地域学習アーカイブ 蓼科学2015~2019を個別に蓄積。 ★みんなでつくる蓼科学アーカイブ 蓼科学2020~2022の成果を蓄積。 蓼科高校の地域科目「蓼科学」は、長野大学と蓼科高校の高大連携講座として位置付けられ、長野大学が蓼科高校に出前講座を提供するという形で実施されてきました。私は2015年から2022年まで8年間にわたりその担当をしました。「蓼科学」はカリキュラムの見直しにより2022年度が最終年度となり現在は終了しています。 日頃、大学生とゼミや授業で接してはいますが、高校生と直接対峙する機会はなく、私にとっ2023-10-10
53「信州学サミット2017」プレイバック「信州学サミット2017」プレイバック長野県内の県立高校で実施された地域学「信州学」のお披露目の場として「信州学サミット」が2017年10月21日、長野駅コンコースを会場に開催されました。 初めての信州学サミットに各学校から意欲的な発表と展示がなされました。次の記事は信州学サミットの様子を具体的に伝えていてふり返りの参考になります。 ▼信州学サミット~信州・学びの旅に出ように参加しました 2017年10月21日 https://manabitojichinohiroba.hatenablog.com/entry/2018/12/12/143956 私が学習支援をしていた蓼科高校の「蓼科学」の成果もパネル発表の形で展示に供されました。商業高校など地域の商品開発に取り組んでいる高校は実践がまさに地域学のねらいに合致して成果をPRしている一方、全体としてはいまひとつ活気が2023-10-10
54新「信州学」プレイバック新「信州学」プレイバック画像は『わたしたちの信州学』表紙の一部を転載 ▼新「信州学」推進事業(長野県教育委員会教学指導課) https://www.pref.nagano.lg.jp/kyoiku/kyoiku/documents/19shinshugaku.pdf 阿部長野県知事が旗ふりして始めた地域学「信州学」推進事業です。その副読本も作られ、ネット公開されました。 ▼eReading Books『わたしたちの信州学』 https://ereading.cs.nii.ac.jp/nagano/book/shinshugaku/1 長野県の県立高校全校で地域学を実践するという方向付けは望ましいことであった一方、いきなり「信州学」を実践しなさいという号令はそれぞれの学校にとって反応のしようがないものであったことは否めません。 「信州学」は地理学者の故・市川健夫先生(1927-2016)が生涯をかけ2023-10-10
55前川道博/信州シルクロード@キモノマルシェ2023前川道博/信州シルクロード@キモノマルシェ2023 前川道博(長野大学教授)/ミニ発表「信州シルクロード」 2023/10/01 キモノマルシェ2023 in 信州上田「信州の蚕糸を知ろう」ブース(ゆたかや2階)2023-10-10
56めずらしい美ヶ原の逆さ霧めずらしい美ヶ原の逆さ霧上田地域で「逆さ霧」は千曲川の北側の山々の峰に時折り発生します。他の山々で発生する逆さ霧は見たことがありません。 10/4の正午過ぎ、美ヶ原の峰から逆さ霧が降りている現象を目撃しました。これは非常にめずらしい。美ヶ原の西側の松本市側がどのような気象だったのかを確認するのを忘れました。こういう現象が起きるのですね。2023-10-07
57蚕都上田ものがたり~歴史のとびら~蚕都上田ものがたり~歴史のとびら~  今から約百年前、日本は世界の蚕糸王国であり、蚕糸業は外貨獲得の中心産業でした。  この産業において、長野県は日本の蚕糸王国でしたし、上田はその長野県の蚕都でした。 (『蚕都上田ものがたり』前文) 制作・発行 蚕都上田プロジェクト「蚕都上田ものがたり」編さんチーム 発行日 2012年3月30日2023-10-05
58蚕都上田年表蚕都上田年表 歴史を学ぶ楽しさを知っていただく「はじめの一歩」として、「蚕都」の歴史・文化に関わる「年表」をご用意しました。様々な「ものがたり」を紡ぎだす歴史をあなたも発見してみませんか? (年表解説文から編集) 参考資料『上田市誌』他 制作・発行 蚕都上田プロジェクト 発行日 2012年3月30日2023-10-05
59蚕都上田マップ2【上小地域】蚕都上田マップ2【上小地域】「上小(じょうしょう)」は上田小県の略称です。当初の上田市はエリアが小さく「蚕都上田」は「上田小県」を意味していました。「塩尻地区」「塩田地区」「旧丸子町」などが該当します。 小県(ちいさがた)は蚕都上田を支える後背地域であった。千曲川沿岸では養蚕とともに蚕種製造業が発達した。丸子町は岡谷、須坂と並ぶ製糸都市に成長した。 (マップ解説文から編集) 基図『小県郡及上田市地図』(信濃教育会小県上田部会, 1930年) 制作 蚕都上田プロジェクトマップ部会 発行日 2010年3月31日2023-10-05
60蚕都上田マップ1【市街地】蚕都上田マップ1【市街地】 城下町であった上田は北国街道の宿場町でもあった。江戸時代後期以降の蚕種業、製糸業の発達によって市制を施行した上田市(1919年~)は蚕都と呼ばれるようになった。 (マップ解説文から編集) 基図『上田市全図』(上田市役所, 1928年) 制作 蚕都上田プロジェクトマップ部会 発行日 2010年3月31日2023-10-05
61「蚕都上田マップ」長野大学附属図書館に設置「蚕都上田マップ」長野大学附属図書館に設置長野大学附属図書館の地域資料室に「蚕都上田マップ」を設置しました。地図は2種類あります。横1.8m/縦2.8mの巨大マップです。それぞれのPDFマップは下のリンクからも参照できます。 ★市街図(明治~昭和) 1928年(昭和3年)の「上田市全図」に土地利用を色分け蚕糸業スポットをポインティングしました。蚕糸業で栄えた上田の絶頂期の記録です。 ★上小地域(明治~昭和) 日本一の蚕種製造地であった塩尻地区、製糸業で栄えた丸子地区にフォーカスを当てています。 これらのマップは蚕都上田プロジェクト(代表:前川道博)が2010年に作成したものです。当時日本地理学会会長だった斎藤功先生(故人、当時は環境ツーリズ2023-10-04
62キモノマルシェ in 上田2023キモノマルシェ in 上田20232023年の「キモノマルシェ in 信州上田」は前年と同じく海野町商店街+ゆたかやの分散会場で実施しました。 長野大学前川ゼミはきものニスト工房清水寛美さんとコラボし、呉服店のゆたかや2階で「信州の蚕糸を知ろう/蚕の卵(蚕種)からキモノまで」を実施しました。着物愛好家の方を中心に展示、映像を見ていただきました。2023-10-03
63キモノマルシェin上田2016 プレイバックキモノマルシェin上田2016 プレイバック毎年恒例の「キモノマルシェin上田」は2016年、重要文化財「常田館製糸場」を会場に10月22日に開催しました。 長野大学前川ゼミも運営に協力しました。前川はキモノアカデミー「信州の蚕糸を知ろう」でミニ講座「蚕糸王国信州への誘い」を実施しました。大勢の方にご参加いただき、製糸場施設であった常田館製糸場も併せて見学案内をしました。 隣のコーナーでは岡谷蚕糸博物館の林さんによる真綿づくり、糸取りのデモがあり、こちらも大盛況でした。昔行われていたことも現代で知る人は少なく、前川ゼミの学生もこのパフォーマンスに釘付けになっていました。2023-09-27
64キモノマルシェin上田2017 プレイバックキモノマルシェin上田2017 プレイバック毎年恒例の「キモノマルシェin上田」は2017年、重要文化財「常田館製糸場」を会場に開催しました。この日10月22日はあいにくの雨。こういうこともあります。それでも大勢の人々で賑わっていました。2023-09-27
65キモノマルシェ2019in上田 プレイバックキモノマルシェ2019in上田 プレイバック毎年恒例の「キモノマルシェin上田」は2019年、それまでの会場常田館製糸場から何と海野町商店街で開催しました。長野大学前川ゼミは、今回、ゼミ生竹中美里さんが中心になり、ハンドメイドサークルattyの学生さんたち、信州大学のボヘミアンコーヒーの学生さん、きものニスト工房清水寛美さんが加わって、会場のまちなかキャンパスうえだを若者パワーがあでやかに彩りました。若い女性たちが着物で装うと会場が晴れやかになります。さらに若い男性たちがコーヒーでおもてなし。来訪された皆様がこの会場に釘付けになっていました。2023-09-27
66キモノマルシェ in 上田 2022プレイバックキモノマルシェ in 上田 2022プレイバック毎年恒例の「キモノマルシェ」。コロナ禍で中断した後、2022年再開しました。着物の似合うまちネットが主催しています。昨年2022年は10月23日開催。かれこれ何年になるかな? 毎年、着物愛好家を中心に数多くの人々が訪れます。 2022年、長野大学前川ゼミは小諸のきもニスト工房清水寛美さんとコラボで「信州の蚕糸を知ろう」を開催しました。会場はまちなかキャンパスうえだです。数多くの方々に来場いただき、着物文化、蚕糸王国信州の魅力を感じていただくよい場になりました。2023-09-27
67鬼怒川は絹川?鬼怒川は絹川?北関東自動車道を茨城から栃木方面へ。途中、鬼怒川を越えます。河川敷が広い! この橋の地点は栃木県上三川町になります。結城紬でも知られる結城地方はこの地点より南にあり、日本で最も古い養蚕の地とされています。 蚕の化身・黄金姫が海からこの地域にやってきたと言う伝説があります。暴れ川の鬼怒川は鬼が怒る川と書きますが、元々は絹川ではなかったかとの説があります。鬼怒と絹は大違い。できれば鬼怒でなく絹としたい。2023-09-27
68上田から望む北アルプス上田から望む北アルプス上信越自動車道の下りの進行方向・真正面に北アルプスの山々が見えます。上田菅平ICの1kmぐらい手前の地点です。上田は周辺が低山で囲まれ、このような高い位置からでないと北アルプスは見えません。 夕焼けの情景と重なり、北アルプスの山容がまるで絵画に描いたかのような芸術的なパノラマとなって展開していました。ビューティフル! 一番特徴的な山は槍ヶ岳。一際尖って見えます。その左に見える高い山は常念岳です。2023-09-27
69海野宿、宿場から蚕種製造地へ海野宿、宿場から蚕種製造地へ中山道の宿の一つ、海野宿は重伝建(重要伝統的建造物群保存地区)に指定されています。江戸時代は宿場として栄えましたが、明治期に入ると宿場としての役割は終わり、それぞれの家は蚕種製造民家として新たな形成が図られました。 明治20年代に多くの家屋が建て替えられています。宿場と解釈される方が多いですが、現在の街並みは蚕種製造民家群が残されたものです。ウダツが上がっているのも特徴です。信州蚕糸業遺産として広く知られて欲しい歴史遺産です。2023-09-23
70信州蚕糸業遺構、和田峠信州蚕糸業遺構、和田峠下諏訪町と長和町の境界にある和田峠と和田トンネル。現在、国道142号線はバイパスされ新和田トンネルを経由するため、通常迂回しなければ旧和田トンネルを通ることはありません。 この道は国道の旧道であるだけでなく、明治初期に車が通行できるよう勾配を計算して開削された道路です。旧中山道に並走しています。トンネルが開通したのは1933年です。トンネル脇の土手に彫り込まれた道筋の跡があります。これがその開削路です。当時、諏訪方面の生糸はこの和田峠を越え、小県を経由して横浜まで運ばれました。信州蚕糸業遺産として記憶すべき歴史的遺構です。2023-09-23
71都市変遷の可視化-Googleストリートビュー都市変遷の可視化-Googleストリートビュー▲Googleストリートビュー:茨城県つくば市中心部の大清水公園前の地点 上から2013/08, 2018/04, 2020/07のGoogleストリートビュー画像(各データ出典は下記にリンク掲載) 都市の構造、景観は時間経過と共に変遷していきます。ただし昔どうだったのかをふり返る手段はあまりありませんでした。GoogleMapのストリートビューを見ていたら過去の記録にタイムスリップできます。まるでタイムマシンです。全国各地域の変遷がはっきりと視認できます。デジタルアーカイブが共有されパブリックなものになっていることの効用を実感しました。ある意味、私たちの歴史認識を一変させるほどのインパクトです。 <Googleストリートビュー:つくば市大清水公園前> 上の画像は以下のストリートビューデータからクリッピングしたものです。 2023-09-21
72紅太郎-国文祭やまがた2003マスコット紅太郎-国文祭やまがた2003マスコット2003年、山形県で開催された国民文化祭やまがた2003のマスコットキャラクター「紅太郎」。かつて山形県の特産品であった紅花にちなんでデザインされました。黄色い頭の毛が紅花の花をあしらっています。かわいく、出来もよいマスコットキャラクターながらその後、何にも使われることがなかったことが惜しまれます。 3Dでも再現してみました。 紅太郎-国文祭やまがた2003マスコット 催しが終わると人々の記憶から遠ざかっていきます。しかもあれから20年。当時生まれていなかった世代、記憶になかった世代にも知ってもらえるのはうれしいです。2023-09-16
73記憶の現前化-画像は記憶を補う外在的記録記憶の現前化-画像は記憶を補う外在的記録旅と音楽、旅と音 日頃からデジカメで何かと日々のことを撮り溜めています。撮ったものをほんのごく一部はSNSなどにアウトプット化することはありますが、圧倒的大多数の画像はPCの外付HDD内に保存したままになっています。よほどのことがない限り、それを取り出しふり返ることもありません。しかし個人の記憶のアーカイブとしてはかけがえのないものです。10年、20年経った時、画像を見ることにより、記憶が甦ってきます。自分の記憶の外部装置である画像の効用です。この現象、作用を「記憶の現前化」と呼んできました。その時の記憶が画像をトリガーに引き出されてきます。「画像は記憶を補う外在的記録」です。 写真を撮ることも不自由だった時代、記憶は脳内にしかなく、結果的2023-09-15
74旅れぽ『津軽滞在記2015』旅れぽ『津軽滞在記2015』マッピング津軽/津軽滞在記2015 今から8年ほど前の2015年8月、青森県弘前市に滞在しました。長野県上田市を発ったのが8月2日、上田市に戻ったのが8月22日、約3週間の滞在です。弘前滞在の理由は家内の実家の整理。その滞在期間に小坂(秋田県)、弘前(以下青森県)、黒石、青森、田舎館、五所川原などを見聞しました。 特に夏の期間でなければ見れない津軽各地のまつり、弘前ねぷた、青森ねぶた、立佞武多(五所川原)、大河原の火流し(黒石)、黒石よされ(黒石)などを記録しました。 それから8年が経過し、記録した画像を見直してみると、津軽という地域を記録したことの価値に気づき、当時の記憶をこのマイサイト『ミッチーのサイト』とは別サイト『2023-10-03
75岡谷蚕糸博物館を視察、意見交換岡谷蚕糸博物館を視察、意見交換岡谷蚕糸博物館 先日9/1、前川ゼミの学生と岡谷蚕糸博物館を訪問し、バックヤードの視察、所蔵資料のデジタルアーカイブ化に関する意見交換を行ってきました。 博物館の業務は一般的には資料収集・保存、調査研究、展示が主になります。現代においては社会のデジタル化が進展し、博物館法も改正され、登録博物館に対してはデジタルアーカイブ業務が義務付けられました。GIGAスクールが全国で実施された状況も重なり、デジタル社会への博物館の対応は待ったなしの課題です。その先に博物館DX (Digital Transformation)があります。その方向を視座に入れていくことがこれからの博物館には求められます。言い方を変えると、これまで以上に博物館を利用する人が増える、利用形態はネットなども使ったハイブリッドな形態とな2023-09-04
76ソリレスソリレスたまにしか来れない上田ですが、せっかくなので美味しいお店を探します。東御のヴィラデストさんが貸切で予約できないとなり新たにお店を探したところ、ありました! 眺めのよい素敵なレストラン。 とても急な坂道を上がってたどりついた先は上田市を見渡せるテーブル3~4席のオープンキッチンです。 もとヴィラデストさんで活躍されていたシェフのお店だそうで、シェフお一人とマダムとで、さりげなくも心地よい接客で、居心地よかったです。お料理も素材にこだわり、本格的で洗練されていて、大満足。是非また来たいお店でした。 ワインも充実したお店のようですが、あまり飲まない派なので、エルダーフラワーのスパークリングに。 写真は、前菜2品目のモンサンミッシェルのムール貝、白ワインとソースで美味しかったです。こ2023-09-01
77日本三大車窓 姨捨駅日本三大車窓 姨捨駅特急しなのの車窓から撮影。善光寺平を眺望する景観は確かに素晴らしいですが、姨捨駅のホームから望む風景がもっと素晴らしい。2023-08-27
78上田蚕種:蚕種製造の現場・交尾割愛作業上田蚕種:蚕種製造の現場・交尾割愛作業上田蚕種株式会社での蚕種製造の様子。これが養蚕の原料となる蚕の卵の生産現場です。来年の養蚕の原料となります。6/23、この日は蛹から羽化したオスメスの蚕蛾を交尾させ割愛する作業を記録しました。1年に一度の貴重な蚕種製造の現場です。既に産卵した蛾も。中国種、日本種の異なる品種を掛け合わせることにより養蚕用の蚕種を製造します。作業員の手際よい作業ぶりにも感心しました。貴重な蚕種製造の現場が記録できました。ビデオ映像は後日公開します。2023-08-24
79東京藝術大学の大学史史料室訪問東京藝術大学の大学史史料室訪問日本の近代音楽は文部省の音楽取調掛に始まります。後に東京音楽学校となり、戦後、東京藝術大学に。日本の音楽教育、音楽文化の源泉と言っても過言ではありません。音楽の記憶・記録がこの大学に詰まっています。7/4、大学史史料室を訪問し、史料室も見せていただき、関係の方々とも情報交換をしました。 アーカイブ系のセクションが未来創造継承センターに再編されたことも知りました。 《「未来」のために「過去」を創造する。》 なんと逆説的なアート的表現でしょう。アーカイブの本質と言ってもよいことです。2023-08-24
80コンピュータアートの系譜、幸村眞佐男さんを迎えてコンピュータアートの系譜、幸村眞佐男さんを迎えて「端山貢明アーカイブプロジェクト」の一環で、端山さん(1932~2021)とは最も近い位置にいた方のお一人、幸村真佐男さん(1943~)に長野大学にお越しいただきました。お達者で何よりでした。奔放な生き様は現在もなお健在です。関係者でそのヒアリング、情報交換を行いました。 幸村さんはコンピュータアートの先駆者のお一人。1960年代前半にいち早くコンピュータアートを始めた川野洋氏(1925~2012)の存在の大きさを改めて再認識しました。川野氏は1990-1994年度長野大学に在籍した後、幸村さんがいた東北芸術工科大学に移りました。幸村さんが活躍したCTG(1966-69)については大泉和文氏の『コンピュータ・アートの創生』に詳しい。今後、CTG、CAC(コンピュータ・アート・センター, 1972~)を共通項とするコンピュータアートの系譜アーカイブを関係者で作2023-08-24
81山形視察、デジタルミュージアムに向けて山形視察、デジタルミュージアムに向けて山形では恒例の花笠祭りの前日8/4、山形を訪問して来ました。 県立図書館、県立博物館、そしてDX推進本部のみらい企画創造部を訪問し、デジタルミュージアムに関わる課題・ニーズを調査しつつ、デジタルミュージアムの方向性を提案するのが大きなねらいです。前川ゼミの「メディア環境プロジェクト」の一環として学生のT君と一緒に訪問しました。 DXをにらめば単館や個別の市町村でアーカイブをどうのこうのと言ってがんばればいいというものではありません。オープンでフラットで平易なプラットフォームがあってDXの地平が開かれます。DXに対応できる人材育成も重要な課題となります。DX社会の夜明けは近いがまだまだと実感して来ました。2023-08-24
82信毎メディアガーデンとメディアの未来信毎メディアガーデンとメディアの未来社会が変容し地方紙はいずれなくなるのではないかとも言われています。長野県における地方紙の雄「信濃毎日新聞」(通称信毎)が今後どう変容するのかは私にとっても関心の的です。 信毎メディアガーデンがオープンしたのは2018年のこと。正直なところ未来を示すものが何もない。駐車場もなく利便性も悪い。今時このようなテナント形式のコミュニティゾーンを求めている人はあまりいないのでは? 平成の頃まではこういう施設はまだあったかもしれない感がします。このメディア企業、本当にこれからも大丈夫なの?と心配です。2023-08-24
83土浦駅近くの新築マンション土浦駅近くの新築マンション変わりゆく都市環境。中心市街地の中心商店街がマンション群に変わりつつあります。 土浦駅近くには、ここ1、2年の間に新築のマンションが2棟建ちました。1棟(A)は遠くからでもよく見える高い建物。背後に見えるソリッドタワーに次ぐ高さです。もう1棟(B)はその向かいに立つマンション。この画像にはごく一部だけ写っています。 Aはかつてのイトーヨーカドーの跡地です。その後建物は取り壊され、久しく駐車場となっていました。私もここに車を停めたことがあります。Bは線路に面しています。土浦市立図書館(アルカス土浦)のすぐ隣に並んで建っています。ここはもしかすると関東鉄道筑波線のホームのあった場所ではないかと推察をします。2023-08-22
84かすみがうら市庁舎に土浦日大応援の横断幕かすみがうら市庁舎に土浦日大応援の横断幕8/14、かすみがうら市霞ヶ浦庁舎の前を通った際、この横断幕が目にとまりました。土浦日大高校は隣市・土浦市にありますが、なぜかすみがうら市が市役所が横断幕を出すのか。 土浦日大野球部のグラウンドはかすみがうら市にあって、実質的に地元の出場校です。このグラウンドで練習した成果が甲子園での快進撃につながりました。市をあげて公式にもその応援を表現するのは素晴らしいと実感しました。地元かすみがうら市としても誇らしいことです。 土浦日大高校は本日8/21の準決勝で惜しくも慶応高校に敗れたもののベスト4まで勝ち進んだことは快挙です。2023-08-21
85「〔18/10〕世界湖沼会議とつくば」始める「〔18/10〕世界湖沼会議とつくば」始める私のウェブサイト『マッピング霞ヶ浦*』に「〔18/10〕世界湖沼会議とつくば」の掲載を始めました。 マッピング霞ヶ浦*/〔18/10〕世界湖沼会議とつくば 今から5年前、茨城県つくば市をメイン会場に国際会議「世界湖沼会議」が開催されました。世界各国から数多くの参加者が訪れ、会場は国際会議らしい雰囲気を醸していました。当日は皇室の秋篠宮様を迎え、仰々しい警備体制の中で開催されました。 湖沼の環境問題を提起し、情報交換をすることは大切なことながら、私個人はこれに関して何もコミットしてこなかったなあ、という思いが先に立ちます。2023-08-21
86霞ヶ浦のワカサギ不漁霞ヶ浦のワカサギ不漁私にとってはソウルフードでもあるワカサギ干しを地元土浦で久しぶりに買いました。さすがにこの味、懐かしく口に馴染みます。 土浦ピアタウンにある川魚店「出羽屋」で購入。霞ヶ浦産のワカサギはほんのわずかで「秋田産」が売られています。販売個数も「お一人様2個までの販売とさせていただきます。」との但し書きも。その後、スーパーの店頭に並んでいたワカサギ干しも秋田産でした。 ▼霞ヶ浦北浦におけるワカサギ漁獲量の推移(茨城県農林水産部, 2023年) この統計を見るとワカサギ漁獲量が激減し2022年(令和4年)は17トンにまで減少しています。 ワカサギの漁獲量が減った原因ははっきりしていないということです。この統計データを見ると県別では茨城は青森2023-08-15
872023年度前川ゼミ前期活動まとめ2023年度前川ゼミ前期活動まとめ前期末での発表資料です。2023-08-10
88地域情報メディア論最終レポート地域情報メディア論最終レポートオープンデータの課題と有効活用についてまとめました。2023-08-09
89信州上田デジタルマップで記事を投稿したい方へ信州上田デジタルマップで記事を投稿したい方へ 近年、様々な情報がインターネット上に投稿され、不特定多数の人に共有されている。そのため、インターネットの検索機能を使えばどんな内容であれ見つけることが可能なように感じられる。しかし実際のところ、インターネット上に投稿されていない、調べても見つからない情報は2023年現在でも多くある。例えば、私の祖父が住んでいた上田市の常盤町という地域では、創立30年、50年、60年を記念した地域の情報をまとめた冊子が配られていた。この情報はインターネット上で検索を行っても、常盤町の歴史どころか「常盤町○年のあゆみ」が配られていた事すら、見つけることが出来なかった。こういった冊子は、誰かが保存していなければ後生には残らず、誰かが共有しなければ存在すら忘れられる。 そういった資料をお持ちの方2023-08-09
90常盤街の歴史 昭和45年から昭和49年まで常盤街の歴史 昭和45年から昭和49年まで昭和45年 1   自治会会則が一部変更し、監事2名を置く。 9   「これからの親と子のあり方」の講習会を開く。     講師は上田三中校長黒坂周平氏。 10   西小・三中PTA支部廃品回収を実施、収益金20,884円 11   新上田橋が完成する。 昭和46年 9    敬老会を市老人福祉センターで開く。米寿会員33人出席。 10   常盤町簡易郵便局が開局する。 10   上田市交通安全協会鎌原支会の分会として常盤町分会が設立される。 10   自治会館南側の道路を日曜広場として利用し始める。 12   町婦人部主催で金子康夫さん撮影の8mm映画「常盤町の誕生より今日まで」の上映会を開く。 12   団地南端の交差点(山寺さん宅前)へカーブミラーや「止れ」の交通標識が建つ。 12 2023-08-09
91常盤町の歴史 昭和40年から昭和44年まで常盤町の歴史 昭和40年から昭和44年まで昭和40年 1   新年の賀詞交換を行う。(以後毎年実施している。) 3   太郎山に山火事が発生して4時間余り燃え続け自治会館が消防詰所となり、炊き出しをする。 8   台風のため町内にも被害が発生する。 昭和41年 3   町内道路舗装促進の陳情書を市に提出する。 3   郵便ポスト設置実現の陳情書を上田郵便局へ提出する。 6   急行バスの生塚停車実現の陳情書を川中島バス会社へ提出する。 12  社会部と西小PTA支部共催で「ママポリスさんと語る夕べ」が開かれる。 12  道路簡易舗装第1期工事180mが団地入り口から始まる。 昭和42年 2   山火事が発生し、3時間余り燃え続ける。 3   町内下水路改装(100万円)がしゅん工する。 4   米寿会(初期は老人クラブと称した)2023-08-09
92常盤町の歴史 昭和35年から昭和39年まで常盤町の歴史 昭和35年から昭和39年まで今回の「常盤町の歴史」では、常盤町創立(昭和35年)から平成3年(「常盤町30年のあゆみ」に記載されている範囲)の範囲内を可能な限り記す。内容に関しては私個人が重要な事を抜き出し及び文章を変更して記載すると事実と異なる内容となる危険性があるため、記されている内容をそのまま記載する。尚、該当ページは第3章常盤町30年のあゆみ、第1節常盤町30年の沿革表が記されている77頁~100頁である。文量が多いため、5年毎複数のページに分けて記載する。 昭和35年 12  県企業局より住宅団地造成計画のあることが地元(生塚区)に示される。 昭和36年 2   このころから生塚区及び関係地主の対応が具体化し始め、団地造成委員会を設けたり関係地主大会も開かれ、県や市との交渉・話し合いが頻繁にも2023-08-09
93常盤町30年のあゆみ 目次常盤町30年のあゆみ 目次常盤町30年のあゆみ  1.入居当時の常盤町  2.昭和50年当時の航空写真  3.常盤町周辺の航空写真  4.常盤町の歌  5.常盤町地籍の小字図  6.歴代自治会長  7.完成近い自治会館  8.発刊に当たって  9.「常盤町30年のあゆみ」 第1章 常盤町の自然と歴史  第1節 大字常磐城地区の変貌  第2節 自然の様子  第3節 上田市の歴史  第4節 常盤町周辺の寺社・史跡等 第2章 常盤町の団地造成と自治会の発足  第1節 戦後の市内住宅事情と常盤団地の造成  第2節 団地造成に対する生塚住民の協力  第3節 県企業局の団地造成計画  第4節 宅地区画と住民募集経過  第5節 自治会の発足と自治会館建設  第6節 当時の入居者構成分布  第7節 初期の公共生活環境整備に向けて 2023-08-09
94信州デジタルマップに見るwebサイト型地域メディアの課題信州デジタルマップに見るwebサイト型地域メディアの課題2023-08-09
95記事投稿の良い例記事投稿の良い例 実際に記事投稿で情報が伝わりやすい良い例になります。「写真」のほうは同じ写真ですが、「タイトル」や「説明文」など詳細に書かれていてより情報が伝わるよいものになっています。どんなことを伝えたいのか意識して投稿を作っていきましょう!2023-08-08
96記事投稿の悪い例記事投稿の悪い例 実際に上田城についての記事投稿の悪い例になります。みてみると「タイトル」・「説明文」などともに情報が少なく実際にどんなものなのかが伝わらないものになっています!できるだけ行ったことや訪れたことのない人にも伝わりやすい情報を入れると良いでしょう!2023-08-08
97実際に記事を投稿していく流れ②実際に記事を投稿していく流れ② 実際に新規投稿を押すと以下の画面がでてきます。主に投稿する内容は「タイトル」・「記事の説明」・「この記事のカテゴリー」・「写真」の4項目になります。入力ができましたら下にスクロールをすると投稿のボタンがあるので押して実際に記事を投稿してみてください!2023-08-08
98実際に記事を投稿していく流れ①実際に記事を投稿していく流れ① 実際にログインができると自分の登録したニックネームと以下の画面がでてきます。新規投稿というボタンをクリックすると実際に記事を作って投稿することができるので実際に作ってみましょう!2023-08-08
99みんなの投稿した記事の調べ方みんなの投稿した記事の調べ方 記事のキーワードを検索するとそのキーワードにヒットした記事を見ることができます。よくわからないという人はまずはカテゴリを絞ってみたり、おすすめの記事を見てみるとよいでしょう!2023-08-08
100信州上田デジタルマップサイトの説明信州上田デジタルマップサイトの説明 信州上田デジタルマップを開くとこのような画面がでてきます。初めての人はまずは新規登録のボタンを押して一緒に投稿をしてデジタルマップを一緒につくってみましょう!2023-08-08
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