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1蚕種の里「上塩尻まちあるき」実施蚕種の里「上塩尻まちあるき」実施11/26(土)、藤本蚕業プロジェクト主催による「蚕種の里『上塩尻』まちあるき」を実施しました。上塩尻のまちあるきはこれまで何度となく実施してきました。今回のまちあるきは「佐藤家住宅(三ツ引)」が国登録有形文化財に登録されて実質的に最初のまちあるきです。地元上塩尻の住民の方々を交えて参加者それぞれが途中途中解説をしながら、または参加者どうしで対話をしながら上塩尻をめぐりました。 13:00、藤本蚕業歴史館前に集合し、佐藤家住宅(三ツ引)、旧佐藤宗家の蚕室、旧佐藤宗家の屋敷跡、旧馬場邸(現原邸)、清水卓爾氏邸、清水邸(加賀の殿様が使った雪隠)などをめぐりました。いつものことながらまちあるきはまったり、道草くいのイベントともなり、この日も例外にもれず。地元の方々も改めて地元の歴史を感じられた様子でした。2022-11-29
2上田紬上田紬上田駅のお土産コーナーに上田紬が売られているコーナーがある。現代の人でも使いやすいようなものになっており、お土産に丁度良いものとなっている。上田が蚕種で有名な所をアピールするポイントとなっているに違いない。2022-11-28
3常田館資料室常田館資料室長野県での蚕種製造の歴史は上田地方が最も早く、藤本善右衛門家によって寛文の時代に始められたとされている。はじめ奥州産蚕種を仕入れ販売していたものが、次第に奥州へ出向き蚕種製造をするようになり、自家製造へ発展し全国へと販路を広げていった。上田地方が日本一の蚕種製造地帯となった背景としては、蚕種の改良と歩桑による種繭の生産によるものである。2022-11-28
4上田蚕種協業組合上田蚕種協業組合養蚕が盛んだった上田盆地は、千曲川とその支流が作る扇状地や河岸段丘が発達し、桑の栽培適地であった。年間降水量が少ないことも蚕の飼育に適していたため、上田盆地は春蚕の産地であった。2022-11-28
5五階鉄筋繭倉庫五階鉄筋繭倉庫長野県内に現存する最古の鉄筋コンクリート造五階建て建築物である。大正14年10月に旧倉庫が出火全焼したため、当時の技術を集結し建て替えられた。2022-11-28
6笠原組常田館製糸所笠原組常田館製糸所明治11年諏訪岡谷で笠原組が製糸業を始め、明治33年に上田へ進出した。2022-11-28
7蚕養国神社①蚕養国神社①蚕養国神社は、木に囲まれた中にひっそりとある雰囲気がとても素敵だと思いました。 神社のすぐそばに駐車場があるので、車で行くことができます。2022-11-28
8常田館製糸場常田館製糸場常田館製糸場に行ってきました。 かわいいクラフトや貴重な資料などが展示されており、大変興味深かったです。 私は古い建物が好きなので、とても楽しかったです。2022-11-28
9上田の蚕業について⑤上田の蚕業について⑤常田館製糸場に行きました。飾ってあるクラフトの中には猫が多く「猫は蚕の神様です」という張り紙もあり、また、猫瓦というものも展示されていました。 上田の蚕業について記された記録には、「養蚕で恐ろしいことは、蚕が病気で死んでしまうことです。(中略)羽虫や鼠の防除にも配慮するよう注意しています。鼠は蚕を食べてしまうので、猫を飼ったり、猫の画を蚕室に貼ることも流行しました」(「上田市誌 近現代編(2) 蚕都上田の栄光」22ページ 上田市誌編さん委員会 平成15年3月1日信毎書籍印刷株式会社より)という記述があります。 公益社団法人 日本動物福祉協会のホームページでは、「【動物福祉】とは一言でいえば、『動物が精神的・肉体的に充分健康で、幸福であり、環境とも調和していること』です。」と紹介されています。2022-11-28
10上田の蚕業について④上田の蚕業について④蚕業を行っていた頃の農家の主婦についても現在の社会の状況と重なる部分が多々あります。 女性の労働について記録された書籍(「人権の確立と女性のあゆみ」 (平成14年)編集者 上田市誌編さん委員会 発行者 上田市・上田市誌刊行会より)に載っている写真を見ると、家の一角のような場所で女性や子どもが写っていたり、女性が男性に交じって働く写真があったり、特定の性別や年齢で限らず、人々の生活に蚕業が根付いていたように思われます。特に女性の仕事は家事育児、給桑作業や農作業など多岐にわたるように見受けられました。 同誌によると、 「明治から大正期に蚕糸業が全盛であった上田地域では、多くの農家の主婦が蚕の世話に始まる農作業や家事に追われ、目の回る忙しさでした。乳幼児をかかえた母親たちも例外ではなく、重2022-11-28
11上田の蚕業について③上田の蚕業について③上田の蚕業について記された記録には、工女の消費活動についても以下のような記述があります。 工場の休日は日頃の長時間労働から解放された工女にとっては楽しいひとときで、小間物屋に寄って化粧品や小物を求めたり、呉服屋で普段着を買ったりしました。おやつの鯛焼きは工女に人気があり、休日や工場の開業前になると店先に行列ができるほどでした。(中略)常田館などのような大きな工場になると、呉服屋や小間物屋などが出張して郷里へのお土産を売りました。(「上田市誌 近現代編(2) 蚕都上田の栄光」135、136ページ上田市誌編さん委員会 平成15年3月1日信毎書籍印刷株式会社より) 既婚でもなく、子どもでもない、大人の労働者である工女たちの消費行動は羽振りが良いように感じられます。加えて、結婚前に、経済力と自由がある2022-11-28
12上田の蚕業について②上田の蚕業について②上田の蚕業について記した記録には、工女の労働待遇について以下のような記述があります。 糸引きは手の器用さが求められることから繰糸の仕事は主に女性が行い、製糸工場で働く人の9割以上は女性で、男性は1割にも満たなかったそうです。製糸工場が盛んになるにつれ労働力を確保するため各工場が工女募集に力を入れるようになり、金銭面の事情から、前貸し金を用意できる大きい工場が有利でした。工女の8割ほどは16~26歳の義務教育終了から結婚前の人たちだったため、勤続年数によって、針箱・鏡台・ちりめん羽織などが出され、長期勤続者になると結婚するときの嫁入り道具が揃うほどでした。工場では休日を利用して、花見や温泉へ連れて行ったり、工場が落語・浪花節・義太夫などを聞かせる慰安会をすることもありました。楽しいひ2022-11-28
13上田の蚕業について①上田の蚕業について①上田の蚕業の発展について記された書籍では、「町村誌をみると、『男、農桑を業とす、農隙養蚕、山稼をなす、。女、養蚕をなす。余間生糸及び縫織をなす。』とあるように、上田地方では桑が稲作に次ぐ重要な作物であり、男女とも養蚕を手掛け、」(「上田市誌 近現代編(2) 蚕都上田の栄光」37ページ上田市誌編さん委員会 平成15年3月1日信毎書籍印刷株式会社より抜粋)と述べられています。そのことから、男女が同じ事柄について役割分担を行い、分業して働いていたことがうかがえます。また、上田の女性の人権の確立について記録された書籍によると、江戸時代は仕事の線引きはあまりなく、必要とあれば一家が協力して家を回すという文化だったとのことです(「人権の確立と女性のあゆみ」134ページ(平成14年)編集者 上田市誌編さん委員会2022-11-28
14美ヶ原高原美ヶ原高原上田市の有名な観光地である美ヶ原高原。あまり蚕都と関係の無いように思えるこの地域では、お正月に三九郎と呼ばれる行事(一般的に言うどんど焼き)にて、繭玉と呼ばれる、蚕の繭の形に似せたお餅を焼いて食べる習慣があるそうです。上田地域では広い範囲で、蚕都と関係のある遺産や文化が残っていることが分かりました。2022-11-28
15旧宣教師館旧宣教師館下之郷に位置するこの建物は、明治後期にカナダから来日した宣教師達のために建設されました。明治期は上田が蚕都として急速に発展していた時期でもあり、当時の発展の一部でもあると考えることができます。今では明治期の本格的な西洋建築を残す貴重な建物であると同時に、当時の上田が蚕都として栄えていた事が伺える遺産の一つでもあるように感じました。2022-11-28
16生島足島神社生島足島神社県内でも諏訪大社に次いで古いとされている生島足島神社。創建がいつかはっきりしていないが、平安時代の書物にはその名が記されていた事から、かなり古い歴史を持つことがわかる。生島足島神社では毎年1月に、お粥を使ってその年の農作物や蚕の出来高を占う行事が行われており、蚕都としての長い歴史を垣間見ることができる。2022-11-28
17サントミューゼサントミューゼ上田市交流文化芸術センター、サントミューゼです。サントミューゼの「サント」が「蚕都」から取られていたことが意外でした。定期的に上田の「蚕都」としての歴史を伝えるイベントが行われており、機会があればぜひ行ってみたいと感じました。2022-11-28
18常田館製糸場常田館製糸場上田市の蚕都としての歴史を示す、重要な遺産である常田館製糸場です。国の重要指定文化財にも指定されており、明治から大正にかけて建設された15棟もの建物が現在も保存されています。平日だということもあり、観光客らしき姿はほとんど見られませんでした。蚕都としての歴史を伝えていく為にも、より多くの人に訪れてもらえるようなPRが必要だと感じました。2022-11-28
19手織り 上田紬 小岩井紬工房手織り 上田紬 小岩井紬工房上田紬は、400年ほど前、真田昌幸が上田城を築城した際に地場産業として奨励した真田織が始まりと言われています。上田の気候や風土が養蚕に適していたことで、江戸時代には日本三大紬の一つとなりました。 上田紬の特徴は、丈夫なことです。この小岩井紬工房さんは創業以来手織り一筋で、上田紬独自の丈夫でしなやかな風合いを織りつむいでいます。 小岩井紬工房さんでは、工房見学、花瓶敷織体験、着尺や帯、小物の販売をしています。ぜひ行ってみてください!2022-11-28
20蚕養国神社②蚕養国神社②県歌である「信濃の国」の3番後半の歌詞には、蚕都上田の蚕糸業が日本経済の命運を左右する程重要な産業であることが歌いこまれている。 養蚕・生糸から始まった上田市産業文化の発展を願い、平成19年に神社脇に「萬葉歌碑」が建立された。上田市の産業と蚕には深い関わりがある。2022-11-27
21蚕養国神社①蚕養国神社①上田市内には「蚕」の名がつく神社が7社ある。 その中で、蚕が繭になる直前の大きさと同じ大きさの女神像が安置されている蚕養国神社に行ってきた。 昭和12年に上小蚕糸同盟会は蚕糸業界の尊崇神として蚕影神社の建立を決議したが、具体的には上田大星神社の摂社蚕養国神社の増営をすることとなった。工事が完了したのは昭和16年6月28日で、同時に遷奉祝祭が執り行われた。以後関係者によって例年蚕糸祭が開かれている。2022-11-27
22蚕神像蚕神像手に繭をのせた「蚕神」のブロンズ像が上田駅構内に飾られている。上田市内には蚕の神に関する神社も多数存在している。2022-11-27
23みすゞ飴本舗みすゞ飴本舗今では養蚕農家もほとんど見られなくなったが、蚕の餌となる桑の木が上田市には数多く存在する。みすゞ飴本舗では、桑の実を使った商品を作ろうとして試行錯誤の末に昭和40年代初頭に桑の実ジャムが製品化した。 期間限定の販売ではあるが、上田ならではの珍しいジャムである。2022-11-27
24真田十勇士真田十勇士通った道沿いにいた真田十勇士たちです。10人探すために歩くだけでも十分な運動になりますし、一緒に旅をしている気分になります。2022-11-27
25信州上田道しるべ信州上田道しるべ歩いたところにあった信州上田道しるべと石碑です。こういったものの前で足を止めると、行ってみたい場所が新しく出てきたりこんなに歩いたのかと実感できたりします。2022-11-27
26上田まち物語上田まち物語訪れた場所の通り道にあった上田まち物語です。ゆっくり読み歩くと上田について詳しくなれるし、興味深いです。2022-11-27
27高市神社高市神社海野町商店街にある神社です。受験前にここに立ち寄り、運の石を触って験担ぎしてから受験しました笑笑。2022-11-27
28サントミューゼサントミューゼサントミューゼは平成26年10月2日に開館しました。名前から蚕都上田を感じられる施設です。サントミューゼの「サント」は「蚕都」「太陽(SUN)」そして施設の基本理念の文化を育て、人を育て、まちを育てるという「3」つの育成を目指すという意味を持ちます。「ミューゼ」は「ミュージック」と「ミュージアム」からの造語です。2022-11-27
29旧上田蚕糸専門学校(信州大学繊維学部)旧上田蚕糸専門学校(信州大学繊維学部)旧上田蚕糸専門学校は1910(明治43)年に設立しました。信州大学繊維学部の講堂が登録有形文化財として保存されています。この建物は蚕糸にちなんだ桑・繭・蛾の意匠が内部の各所に付けられていることが特徴です。2022-11-27
30常田館製糸場常田館製糸場常田館製糸場は1900(明治33)年に創業した製糸工場です。現在は所有主の笠原工業株式会社の社用地社屋として営業使用中です。国指定重要文化財となっています。2022-11-27
31旧小県蚕業学校(上田東高校)旧小県蚕業学校(上田東高校)旧小県蚕業学校は1892(明治25)年に設立されました。現在の上田東高校の敷地に移転しました。養蚕教師の養成のために建てられた施設です。全国から生徒が集まっていました。1944(昭和19)年に米軍による爆撃を受けて炎上しました。今でもその痕跡が残っています。2022-11-27
32大手門公園大手門公園散策中、雨が降ってきたため休憩のために訪れました。2022-11-27
33スイーツ、カフェ巡りスイーツ、カフェ巡り上田といえば、というじまんやきと、目に入ったカフェを訪れた記録です。2022-11-27
34常田館製糸場見学まとめ常田館製糸場見学まとめ常田館製糸場を見学させて頂いて改めて、蚕糸業、製糸業について興味を持つことができました。常田館製糸場の施設15棟のうち7棟は重要文化財、他の施設は上田市指定文化財に指定されており、貴重な建物であることが感じられました。 分かったこととして、建物の至る所に繭を守るための工夫がされていると感じました。その中でも国内唯一の木造五階繭倉庫は存在感があり、繭を守るため扉が四重になっているそうです。長い歴史の中で最善の工夫がされてきたから、ここまで建物が残り、製糸業が続いているのだと思いました。そして養蚕業、製糸業が上田の発展を支えてきたのだと感じました。 今回は予約をとっていなかったので、五階繭倉庫の中は見学することはできませんでしたが、団体で見学する際は予約をとって、ガイドをしてもらい、2022-11-26
35常田館製糸場見学4常田館製糸場見学4三階繭倉庫、二階繭倉庫、五階繭倉庫の壁にそった通り道です。階段ではなく、なだらかな傾斜になっていました。なぜこのような造りにしてあるのかは分かりませんが、歩きやすく、重たいものを運ぶ際は運びやすいと感じました。 その通り道にせみ竿が展示されていました。現在のクレーンのような役割をしており、重いものを少ない労力で持ち上げるためのものだそうです。昔の人の工夫が感じられました。2022-11-26
36常田館製糸場見学3常田館製糸場見学3五回鉄筋繭倉庫の1、2階を見学させて頂きました。現在は展示会場となっていましたが、建物はそのままなので、階段の急さに驚きました。また防火が重視された造りになっており、火事などが起きても建物が焼失しないよう工夫されているのだと感じました。 様々な作品や切り繭などを見ることができました。蚕や蛹をかじってしまう鼠を駆除する目的で猫が飼われたり、祈願されたりしていたということも初めて知りました。2022-11-26
37二十四の瞳二十四の瞳2022/03/01 二十四の瞳の舞台。小豆島へ。 小豆島というと私が思い浮かぶのは「オリーブ」「二十四の瞳」「昔の車のCM」。小学校の頃からいつか行きたいな~。と思っていた。 小豆島に入ってすぐに、二十四の瞳の像が。 うわ~、ホンモノだ。写真で見てたやつ!となり小豆島に来たんだな~と実感した。 その後、車で小豆島を回り念願の「二十四の瞳映画村」へ! しかし、なんとコロナウイルスの影響で臨時閉館していた。行きたくてたまらなかった私はすき間から映画村をたくさん覗いた。 二十四の瞳映画村がしまっていてショックを受けたのかなと思いながら、この日の日記を見ると 「二十四の瞳映画村にいくと臨時休館していた。また小豆島に来る理由ができた。ラッキー!」(当時の日記より) と書いてあった。 いや、、どん2022-11-25
38びんぐしの湯びんぐしの湯2022/11/23 2ヶ月ぶりにびんぐしの湯へ。 びんぐしの湯は上田市と上山田温泉の中間地点にある温泉。10月1日~11月18日まで改修工事をしていたため長い期間来ることができなかった。11月19日にリニューアルオープンするということで楽しみにしていた。 もともと非常に綺麗な施設だったためどこをリニューアルするんだろうと思いながら向かった。 私が気づいた中で大きく変わったと思うところは「サウナ」と「森林浴テラスと展望テラス」。 特にサウナは全面ヒノキで張り替えられていた。新しい木の香りがする非常に綺麗なサウナに入ることができた。 他にもレストラン、大広間に移設したキッズコーナーなどがリニューアルしている。 この機会に是非。2022-11-25
39笠原工業常田館製糸場笠原工業常田館製糸場笠原工業に残る製糸工場の遺産は、「蚕都」とうたわれた上田地域の製糸工場に関連する倉庫群や建造物が、セットとして残っていることにその価値が集約されています。製糸場道構では、この常田館は民営で、イタリー式製糸を行っており、日本の近代製糸業を語り対比する上で欠かすことのできない遺産です。繭倉庫は、南乾燥機が発達した時代の倉庫までの変選が歴然と残り、学術的にも貴重な近代化道産として指定されました。2022-11-25
40生糸の活用案1生糸の活用案1生糸を特産品として再度広めるには地元民だけでなく、お土産のように買える体制を整えたらどうかと考えます。 たとえば手軽に変えるみすず飴、一般的なプラスチックの包装とは別に生糸を使った袋があれば食べ終わったあとでも袋として使うことが出来ます。元々有名なものとかけ合わせて認知度を高めることが需要の増加、普及の手助けとなるだろうと考えます。2022-11-25
41おぶ~ 【林檎の湯屋】おぶ~ 【林檎の湯屋】2022/11/24 温泉を入りに松本へ。 私は日頃からInstagramなどで温泉の投稿をしていることが多い。それもあり、なぜか友達を含めいろんな人から温泉の情報を教えてもらえる。 一月前ほどにこの温泉を教えてもらい、そこから気になっていた。そして念願の入浴。 おぶ~に着くとなんか駐車場見たことがある、、、。 中に入って確信、来たことある!!! 衝撃、、。入ったことのある温泉を忘れているとは。 温泉は最高。料金は750円と(長野にしては)高め。 サウナは2つ(ミストサウナとアロマロウリュ)あり露天風呂も5つほどあった。内風呂は低周波の湯船がたくさんあった。 筋肉をほぐし、体も温まって帰宅。2022-11-25
42養蚕と着物養蚕と着物今や服はユニクロやGUなどでとても安く買うことが出来ます。それこそ1着2.3000円で手に入ります。 一方生糸を使った着物は1着どんなに安くても十数万はします。 何故こんなにも高価なのでしょうか。 私は昨年上田蚕種株式会社様を訪問させて頂きました。その際、蚕の飼育の様子などを拝見しました。実際に見てみたところ、厳しい温度や湿度管理、病気など労力が想像以上にかかることを知りました。もっと安価に手に入れば着物を日常の中で着ることが出来るのではと思った私は問題の多さを目の当たりにしました。2022-11-25
43「カンパアニュ」のパン「カンパアニュ」のパン上田市の「カンパアニュ」というパン屋さんのパン 右からピザパン、チョコパン、りんごシナモン2022-11-24
44上田蚕種株式会社上田蚕種株式会社蚕都上田歴史・文化財マップにて現存している蚕に関わる場所を巡ってみました。 五つ目は、上田蚕種株式会社です。 大正6年に建てられた、蚕都の象徴の一つである、蚕種会社です。2022-11-24
45笠原工業常田館製糸場笠原工業常田館製糸場蚕都上田歴史・文化財マップにて現存している蚕に関わる場所を巡ってみました。 四つ目は笠原工業常田館製糸場です。 明治33年からある、製糸工場です。2022-11-24
46旧上田市立図書館旧上田市立図書館蚕都上田歴史・文化財マップにて現存している蚕に関わる場所を巡ってみました。 三つ目は、現在は石井鶴三美術館の旧上田市立図書館です。 近代の上田市は、蚕都の経済力を背景に、このような学習活動が盛んで、この建物はその気風を象徴する建物だそうです。2022-11-24
47上田倉庫上田倉庫蚕都上田歴史・文化財マップにて現存している蚕に関わる場所を巡ってみました。 二つ目が現在はみすず飴本舗飯島商店になっている場所で、上田倉庫です。 当時は信越線上田への出荷前線基地として活躍したそうです。2022-11-24
48蚕神像蚕神像蚕都上田歴史・文化財マップにて現存している蚕に関わる場所を巡ってみました。 一つ目が上田駅にある蚕神の像です。 中村直人さんから贈られたものだそうです。2022-11-24
49みすゞ飴店舗みすゞ飴店舗土蔵は明治27年に建てられた繭蔵です。上田駅から出荷される蚕の繭を一時的に集積されるために建てられました。当時多くあった繭蔵は、やがて蚕業の衰えと共に壊されてしまいました。蚕都だった当時の上田を伝える貴重な産業遺産として今も大切に保存されています。2022-11-24
50サントミューゼサントミューゼサントミューゼは、上田市立美術館と上田市交流文化芸術センターから構成される複合型文化施設です。 サントミューゼの『サント』は蚕都上田、『ミューゼ』は蚕都の女神という意味があります。また、「ひと」「まち」「文化」の3つの「サン」、そして太陽の「サン」をイメージし、施設を盛り立てる音楽や美術館にも関連しています。このように、上田市の歴史と文化を想起させてくれる由来となっています。2022-11-24
51蚕神の像「繭の女神」蚕神の像「繭の女神」中村直人さんから贈られ、正面の水飲み場の上に飾られたのが、蚕神の像です。蚕都上田の残像によせる上田・小県地方の人々の心を現したのが、手に繭を捧げる、この女神だったのでした。2022-11-24
52常田館製糸場見学2常田館製糸場見学2常田館製糸場の外観です。 製糸場は蚕の繭から生糸を作る工場であり、繭を乾燥させ保管する工程、繭を出庫し、煮て柔らかくする工程、繰糸機械を使って糸とりする工程などが行われているそうです。 4棟残る繭倉庫は、初期の多窓式多層倉庫から繭乾燥機が発達した時代の倉庫までの変遷が歴然と残り、学術的にも貴重な近代文化遺産として指定されています。2022-11-24
53常田館製糸場へ見学常田館製糸場へ見学信州上田学で触れた養蚕の歴史を掘り下げるため、常田館製糸場へ見学へ行きました。 道中、「蚕影町の由来」という看板を見つけ、思わぬところで蚕都の面影を感じることになりました。2022-11-24
54常田館製糸場見学1常田館製糸場見学1蚕都上田について学ぶため、常田館製糸場に見学に行ってきました。 上田駅から常田館製糸場に行くまでの道で「蚕影町の由来」と書かれた看板を見つけました。そこの周辺が一面桑畑であったことや、常田館が建設されて、機械製糸業が主流となり、蚕の道(シルクロード)と呼ばれて蚕都の全盛を迎えたことなどが書かれていました。神社や町の名前に「蚕」という字が入るほど、蚕糸業が当時の生活に大きな影響を与えていたのだと感じました。2022-11-24
55中間まとめ中間まとめ上田に触れて感じたことは二つあった。自分が感じていた以上に「良い街」だったことと直接見てみなければわからないような魅力があったことだ。僕は探検の内容を決める際、パンフレットを参考にルートを決めたのだが正直上田市の魅力に対して、半信半疑なところが大きかった。しかし実際に足を運んでみると、昔ながらの街並みや上田の歴史を感じられる場所が多くあった。特に上田地域の凄みを感じたのは残されている歴史資料の多さだ。僕が住んでいた地域ではここまで多くの資料は存在していなかったと思います。上田市公文書館やマルチメディアセンターなど、資料を補完する施設が多くあり、ほかの地域と比べて歴史的な魅力が特に多いと感じた。具体的には養蚕業や地域に伝わる郷土料理、政治に関する文献などが残っており、特に養蚕2022-11-24
56日光東照宮日光東照宮栃木県、日光東照宮へ。 人生で一度はいきたかった日光の紅葉。 秋になると写真で見ては遠いなと思っていたが空き時間ができたため見に行った。 観光客がとても多く賑わっていたが、 少し道を外れると静かに紅葉をみることができた。日光の紅葉はとにかく強い赤だった。 自身2回目の日光だったが、とても感動した。前回は5月で今回は11月。 きせつによって感じ方は大きく違う。2022-11-22
57卒業研究 概要卒業研究 概要卒業論文の概要の草案です。 <概要> これまで地域活性化策として、地域外から大企業や工業を誘致することで地域の発展を図る「外来型開発」が行われてきたが、誘致企業の本社が地域外にあることによる経済効果の低さや雇用が創出できないなどの問題点からその有用性は疑問視された。 その結果、「外来型開発」の代わりとして、地域の連携や固有性を重視し、企業や自治体、住民が主体となりその地域の文化や自然を守りながら行う「内発的開発」が取り組まれ始めた。 実際先行研究として、この「内発的開発」は地域の雇用創出や経済効果といった面において有用であり、その効果の持続性も高いとされている。また先行研究ではさらに、持続的な地域活性化に必要なものは「人づくり」であると結論付けられており、地域活動を行う主2022-11-22
58上田の蚕種業の歴史上田の蚕種業の歴史いつから始まったのか、上田の特徴を踏まえて蚕種業の歴史をとらえていきたいと思います。 江戸時代の末期から昭和にかけて、長野県の経済を支えたのが蚕糸業です。養蚕が盛んだった上田盆地は、千曲川とその支流が作る扇状地や河岸段丘が発達し、桑の栽培適地でした。また、年間降水量が1000㎜未満という気候は蚕の飼育に適しており長野県内でも上田盆地は春蚕の産地でした。また、松本盆地では夏秋蚕を中心として発展してきた地域であり、いつも対比されていました。こうした傾向は養蚕飼育技術が改良される明治末期まで続きました。2022-11-22
59大湯 【別所温泉】大湯 【別所温泉】2022/11/21 私がよく入りに行く温泉「大湯」 外湯もあるため、冬はなんとも気持ちがいい。 いつからか、”木曽義仲挙兵の地”という旗を見るようになった。 草津温泉は源頼朝にゆかりがあり、別所温泉は木曽義仲にゆかりがある。どうやら、長野は源氏にゆかりがある土地らしい。 また、見つけたら投稿したい。2022-11-22
60土佐神社土佐神社2022/02/27 高知県、土佐一宮 土佐神社へ。 ここ、土佐神社は1570年に長宗我部元親により再建されてる神社。国の重要文化財にも指定されている。 私は旅行に行くと調べることが2つある。 1つ目は山。その場所で有名な山を調べることは山好きあるある。 2つ目に寺社仏閣と教会。一見、寺社仏閣と教会は反対のように見えるかもしれない。しかし、私がこれらが好きなのは”時には人の心のよりどころ””時には願う場所”と人を惹きつけるという所になんともいえぬ魅力を感じているから。 実はこの土佐神社には個人的なエピソードがある。 マイサイトでも投稿したが5月に北海道に行ったときのこと。 私がいつも通り、御朱印帳に日記を書いているとCAさんに「御朱印やられているんですか?」と声をかけていただいた。御朱印帳2022-11-22
61小諸・上塩尻・その他地域における活動中間報告小諸・上塩尻・その他地域における活動中間報告小諸・上塩尻・その他地域における後期の活動について述べています。 具体的な内容としては、小諸では講演会の参加やそのYouTube撮影・投稿を行い、上塩尻では藤本蚕業歴史館資料のデジタル化、その他地域では神川小学校のデジタルマップを利用した学習支援や上田自由大学シンポジウム及びキモノマルシェの参加について書いています。2022-11-21
62高崎駅高崎駅2022/11/04 福岡から来てくれた友達を迎えに高崎駅へ。 本当は上田駅まで来る予定だったのだが、東京駅で迷ったらしく新幹線の終電に乗り遅れたので高崎駅まで行った。 私も友達も糸島市出身で田舎者にとっては東京駅は迷路。2022-11-21
63蓼科高校訪問 2蓼科高校訪問 2二度目となる蓼科高校の訪問を行いました。 今回引率した班では病欠により非常に少人数での行動になりましたが、より積極的な活動への参加が出来たように思いました。 また、権現の湯様にお話を伺い地域の歴史だけでなく、温泉についての基本的な知識から学ぶことが出来ました。 生徒も興味を持って取り組めていたように思いました。2022-11-21
64蓼科高校訪問蓼科高校訪問蓼科高校の教育支援に参加しました。 高校生への学習支援をするのは初めてで緊張しましたが、 自身も楽しみながら参加することが出来ました。 今後のゼミにつなげていこうと思います。2022-11-21
65現時点での登録者数の推移現時点での登録者数の推移先週は予定が立て込んでおり動画の投稿はできませんでした。 ですが先週の研究報告での動画によって登録者数がかなりの数増加したので(その動画については先週の研究報告をご覧ください。)、その経緯をメモ書き程度ですが残しておきます。 投稿日 11/13 登録者数127 11/14 147 11/15 170 11/16 200 11/17 215 11/18 240 11/21 256 この報告を記入している時点で過去48時間で3016回再生、総再生時間1195時間というこれまでにない数字になっています。 今後の課題としてこの数字を維持できるか、また維持できなかったとしても最低限のマイナスに留められるかが挙げられます。2022-11-21
66卒業研究 仮説の検証 イベント企画卒業研究 仮説の検証 イベント企画現在私は卒業研究において自身の仮説を検証する手段の一つとしてイベントを企画しようとしています。 現在考えているイベントは、大洗町が来訪者のリピート率が高い地域であり、ガルパン放送から10周年という区切りであることから、「あなたが今まで大洗に通ってきた中での研究成果と題して、自分の一押しスポットを対外的に紹介して頂く」というイベントです。 これは、大洗町にリピーターとして訪れる方や、大洗町に関わりたいと感じている人々が多いにもかかわらず、大洗町の中で、部外者が積極的にかかわることの出来る横のつながりが少ないことを問題提起しました。 私は人づくりの中でも、外部の人間が町に受け入れられる横のつながりの必要性を感じています。そのため、私が参加したcreate大洗と共に、このイベントを仮説の2022-11-21
67卒業研究の骨組み卒業研究の骨組み卒業論文を書くにあたり、論文の骨組みを書きだしました。 その結果、研究の背景、意義、対象地域の選定理由、先行研究、本論、考察、評価という構成になりました。 こちらの画像は、その構成内容を書きだしたものです。 私の研究の目的は持続的な地域活性化策のモデル化であり、その手段として情報発信という観点から現代における人づくりを定義していきます。 今後は。私がcreate大洗に参加した経験や大洗町でのフィールドワークを通して収集したデータを元に、仮説の検証と卒業研究の更なる改善をしていこうと考えています。2022-11-21
68蓼科高校学習支援中間報告蓼科高校学習支援中間報告これまで蓼科高校で「蓼科学を通して自分の興味関心を外部に発信し、『成功体験』を得る」という目的のもと、全10回、これまで6回の授業を行った。授業内容は以下の通り。 1 9 月 26 日 校内ミニ探検 自分の興味を地域に向ける導入体験 2 10 月 3 日 立科町を探ろう 立科町の情報ゲット 3 10 月 17 日 立科町探検隊 Part1 4 10 月 24 日 立科町探検隊 Part2 5 11 月 7 日 探検を記事にして伝える 1 6 11 月 14 日 立科町探検隊 Part3 7 11 月 28 日 探検を記事にして伝える 2 8 12 月 5 日 クイズ作成 9 12 月 12 日 クイズ大会リハーサル 10 12 月 19 日 立科町クイズ大会(立科小)  全3回フィールドワークで長門牧場・蓼科第二牧場・芦田宿・道の駅・権現の湯に訪問をした。  3回のフィールドワークを通して、生徒の立科町に対する興味の関心は全体的に薄いという2022-11-21
69コミュニティスクールコミュニティスクール埼玉県の方へ用事があり行った際、ある中学校の門に写真のような横断幕がかかっていました。 コミュニティスクールとは、学校内だけではなく保護者はもちろん、学校外の地域の方と繋がりを持って学校運営をしていく学校のことです。 長野県にも独自のコミュニティスクールなどは存在しますが、これほど大きな横断幕を掲げている学校を私は見たことがありませんでした。 実際、この学校がどんな取り組みをされているかは分かりませんが、「コミュニティスクールである」という情報をこれだけ大々的に掲げられるのは素敵だなあと感じました。 そして、長野県を離れても、学校の取り組みのことへ意識が向いている自分がいたことにも驚きました。 これからも様々な取り組みに視野を向けていきたいと思います。2022-11-21
70道の駅 女神の里 たてしな道の駅 女神の里 たてしな蓼科学で通る道の確認へ行った際、時間が余ったので道の駅たてしなへお邪魔しました。地域の方が作られたお野菜がたくさん並んでいました。 その中でも、作業用の箱に入って袋売りされていたリンゴたちがありました。リンゴは11月頃ーちょうど旬になります。 形が不ぞろいであっても味は変わりません。生産者が箱詰めしたりするコストを減らし且つ食品廃棄物を減らす良い取り組みだと感じました。 そんな農家さんたちが多くいる「立科町」をどうやって「蓼科学」に入れて伝えていくか。そんなことを考えながらルート確認をしていました。2022-11-21
71長岡天幡宮長岡天幡宮2022/02/23 京都府長岡八幡宮。 日頃、他人に見せることはほとんどないが御朱印帳の裏に書いている日記を書いてみる。 2022.2.23 京都「長岡天満宮」 太宰府天満宮と同じ、菅原道真公が祀られている。境内までの道のりは大きく異なるが、中は似たものが多かった。 本殿の隣の飛梅・牛の像。 ふと昔のことを思い出し、感傷に浸る。 おじいちゃんといろんな所に行ったな。キジマとか天満宮も、白糸の滝も。 「いつでも楽しそうに」 これからも続ける。2022-11-19
72一番お世話になっている神社一番お世話になっている神社生島足島神社に行ってきました。我が家から徒歩10分程度で行けるので初詣に毎年訪れています。パワースポットしても有名らしく観光バスなどをよく見かけます。様々な行事を行っているので今度参加してみたいなと思いました。身近な場所が有名になると自分も誇らしくなります。2022-11-18
73魅力が沢山あるため池魅力が沢山あるため池舌喰池に行ってきました。長野大学の入り口にも生態系の書かれたものがあり知っている人もかなりいるのではないでしょうか。上田市にはため池が沢山ありますがそれぞれに違いがあり面白いです。舌喰池歴史が詳しく研究されており近くに資料館もあります。ため池も観光資源になりうるのだなと感心しました。2022-11-18
74山菜料理の食べられるお寺山菜料理の食べられるお寺龍光院というお寺に行ってきました。塩田北条氏の菩提寺です。3月から11月の間は予約をすると山菜膳の精進料理を味わえるそうです。参道を上るのは大変ですが落ち着きのあるいいところです。2022-11-18
75前山寺前山寺上田市で有名な観光スポットの前山寺に行ってきました。入山料として大人は200円かかりました。200円払って後悔の無い場所だと思っています。お寺好きにはぜひおすすめしたい場所の一つです。2022-11-18
76上田の秋の名物上田の秋の名物上田市では松茸が取れるため秋になると松茸山に多くの人が訪れます。自分は松茸はそんなに好きな方ではないですが家族が好きなので一緒に食べに行きました。県外のお客さんも多く松茸が上田市の観光資源になっているのだなと感じました。2022-11-18
77養蚕によって作られるものと需要養蚕によって作られるものと需要養蚕ではその作業により生糸が作られることとなりますが、最近ではその生糸の需要が減ってきています。 では生糸から何が作られるのか。有名なところでは絹織物でしょう。他には絹靴下などの編物や、組紐(くみひも)などの組物、琴糸や三味線糸などにも使われています。需要の観点から言えば明らかに「着物離れ」であることは明確です。 着物は普段着から特別な日に着る晴れ着としての役割に移り変わってきました。そのため着物の需要は減り、直接的に養蚕の需要も減っていきました。 その解決策の一つとして街の景観の整備を提案します。近代化する都市で着物は浮いてしまいます。京都の景観保持の例のように上田地域でも着物が溶け込めるような景観を作り出す、あるいは復元すれば需要も増えるのではないでしょうか。2022-11-18
78上田で養蚕はなぜ始まったのか。上田で養蚕はなぜ始まったのか。養蚕のこれからを考えていくとき、過去を振り返ることはとても大切なことです。今回では上田で養蚕がどのようにして始まっていったのかを振り返ります。 年間降水量が1000ミリ以下の上田地域は長野県内でもとりわけ蚕の飼育に適しています。全国的にみてもこれほど降水量が少ない土地はそうありません。養蚕業をするには輸出がしやすい海辺の方がコストがかかりませんが、どうしても降水量は多くなります。 そういった理由も一部あり長野が養蚕の名産になったのです。 また、上田の養蚕の始まりは寛文の時代に藤本善右衛門家によってはじめられたとされています。2022-11-18
79瀬戸内海瀬戸内海2022/02/25 春休みに実家に帰るついでに中国・四国地方の旅行へ。 この時期、日記によると私はいろんな事に悩んでいたらしい。「将来どうしよう」「学校にやりがいを見出すことができない」など様々な不安を日記に書いていた。 そんな中、旅行中だけは不安なく過ごすことができていたため長旅に行く事に決めた。 不安から逃げるように行った旅行がマイサイトのネタになっている。それだけで不安と過ごした日々に価値を見いだせる気がする。2022-11-18
80今治タオル今治タオル2022/02/25 愛媛県今治市へ。 急にどこの紹介をしているんだと思われそうだが、日付を見てほしい。これから、投稿する写真は春休みに四国、中国地方を回った思い出。日付もバラバラだが、思い出しながら書いていく。 この今治タオルカフェは非常にシンプルなデザインで良い空間だった。ここでは、今治タオルを使用したヘアバンドを2つ購入。(母と妹に) 値段は2000円弱だった気がする。 今治タオルは説明不要かもしれないが今治タオル工業組合が製造するタオルのことで実は1つのメーカーというわけではない。認定されると今治タオルブランド認定され有名な赤・白・青のタグがつく。 ちなみに私の使っているタオルは今治タオルと佐賀県のタオル美術館のものである。2つとも吸水性が非常に高く肌触りもよい。おすすめ。2022-11-18
8110/31 塩尻小学習支援10/31 塩尻小学習支援10月31日に塩尻小学校の児童がデジタルマップ「塩尻小まなびサイト」に記事を投稿するお手伝いをしてきました。 今回はサポートとして参加したので教室の後ろの方で見守っていましたが、どんどんと記事を書き多い人は5件ほど投稿できていて驚きました。 普段から少しクロームブックを使っているとのことだったのですが、ローマ字でどんどん文字を入力していっている児童が多かった印象です。 みんなその場で天井の写真を撮ったので同じような写真ばかりになっていましたが、その中でもしっかり説明文を書いている児童が何人もいました。 児童からは「これから地域探検や写真を撮るときにこのサイトを使ってみたい」という声もあり、今後に活かせる学習の支援ができたのではないかなと思います。 次の神川小の学習支援を行うにあたり参2022-10-31
82d-commons.net考察 その3「記事まとめ機能」d-commons.net考察 その3「記事まとめ機能」先日のd-commons.net研修会アンケートに、以下の意見が上がった。 ・授業ごとや単元ごとにトピックを作成できる機能 ・クラスを作れる機能、その時間ごとに投稿できる機能(授業ごとできるように)→後にすぐにフィードバックができるように ・1年1組などクラスを分ける機能。 ※教員向けd-commons.net(eduスクウェア)の研修会 アンケート結果 この回答についてよくよく考えてみると、d-commons.netには複数の人が投稿した記事を簡単かつ見やすくまとめる機能が存在しない。 例えば、「マイテーマ」で自分の記事を連ねる事は可能だが、他者の記事を一緒くたにすることはできない。 一応、他者の記事を一緒にまとめるだけなら現時点でも可能である。 記事のURLを貼り付けて投稿すればある程度のま2022-11-17
83上田探索 中間まとめ上田探索 中間まとめ2日間に渡り、西部地域と街中を探索した。上田市は相対的に文化的な雰囲気と若者を対象とした近代的な雰囲気を兼ね持つ素晴らしい地域だなと確信した。地域の人たちが、意図的にその歴史から成る文化を守り提供してくれているのだなということが、実際に足を運び、その文化に触れることで強くそれらを感じることが出来た。具体的には、その文化がある場所の周りを開拓せず、所有・保護し、その土地の説明の看板などが立てかけられ、見る人によく伝わるような工夫が様々な形で現れていた。上田市は過去を現存させ、後世に伝えていくための必要不可欠な地域であるということが分かった。この過去を伝える工夫や、大切にする気持ちなどを地元の地域へ持ち帰りたいと思った。2022-11-17
84上田探索 中間まとめ上田探索 中間まとめ今回2日間のまちなかと西部地域探索を通して。まず、まちなかには地元に愛されているお店や観光客が訪れるスポットがあった。このようなお店が町おこしになり地域を盛り上げるきっかけになっていることがわかった。次に西部地域では、昔からの歴史的なものがたくさん残っていた。町や道を守るためのお守り的存在だったため今も大事に残されていることがわかった。 上田市は長野市や松本市と違って魅力に欠ける市なのでここでしかできないこと(体験、イベント、地域の特性を活かした施設)を行っていくべきだと考えた。2022-11-17
85中間まとめ中間まとめ西部地域散策には行っていないが、別所方面には行った。 自然が美しく歴史を感じさせる街並みや建造物が多かったので落ち着いた雰囲気をしていた。2022-11-17
86高原の星空高原の星空 綺麗な夜景で有名な美ヶ原高原。冬の澄み切った空気でくっきりと星を見ることができた。  そして到着したときなんと流れ星が!人生初の流れ星は驚いている間に消えてしまったが、運が良ければはっきりと見れるかも知れない。  夜が静かな上田市だからこそ夜景のスポット。お気に入りの景色を見つけていきたい。2022-11-17
87みすゞ飴本舗②みすゞ飴本舗②みすゞ飴本舗出入口の階段には、この建物が変化していった様子が記されています。 通りすがりにも、ここで蚕都の歴史に触れることができます。2022-11-17
88夜の松本城夜の松本城夜に松本市へ。 夕方に来ることはよくあるが、夜に松本城に来たのは初めて。昼に比べて、城が水面に綺麗に写っている。 周りにある光も昼より存在感があり非常に綺麗。 2枚目の写真の赤い男の正体は自分。 昔、夜の善光寺という投稿をあげたがそれ以来の夜シリーズ。 長野市の「夜の善光寺」松本の「夜の松本城」次は「夜の」何にしよう? それを探すだけで気分の沈みがちな夜が明るくなるかも。2022-11-17
89上田の食文化⑤ 〜蕎麦編〜上田の食文化⑤ 〜蕎麦編〜長野県自体がそばで有名ですが、特に上田のそばは「田舎盛り」と呼ばれる盛りの多さが有名です。確かに自分が食べに行った時も、一人前を頼みましたが結構多いと感じました。 また、東御市がクルミで有名なため、くるみだれのそばや、クルミおはぎもセットで頼むのもよく見られます。 (関係ないですが、このだし巻き卵が、普段は甘めのだし巻きは絶対食べないのですが、これは甘味が優しくて食べやすかったです。)2022-11-17
90上田の食文化④ 〜お酒編〜上田の食文化④ 〜お酒編〜自分のバイト先でも上田の地酒をたくさん扱っていて、観光客の方もよくいらっしゃるので上田の地酒のオススメを聞かれます。 まだ未成年なので飲むことはできませんが、20歳になったら飲み比べたりして味わってみたいです。 ちなみに、この亀齢という銘柄のお酒の中でもたくさんの種類があり、海外向けの種類もあるそうです。このお酒に合う料理は、そばだそうです。信州っぽくて、いい嗜み方だと思います。2022-11-17
91上田の食文化③ 〜魚編〜上田の食文化③ 〜魚編〜この記事が1番興味があったことなのですが、上田のスーパーで1番驚いたのが、フナやコイの煮付けが普通に売っていたり、どじょう料理のお店が普通にあることです。鮎は自分も大好きで地元にいた時から食べていましたが、フナやコイ、ドジョウがそんなに浸透しているこの違いにびっくりしました。海がない分、川魚がよく食べられているのかなと思いました。 自分が1番びっくりしたのはコイのお刺身です!!2022-11-16
92上田の食文化② 〜松茸編〜上田の食文化② 〜松茸編〜上田市にきて思ったことが、この時期やたらと松茸料理のお店の看板を見かけるな、ということです。 坂城に行く道中でも道沿いにたくさん見かけました。調べてみると、上田市のサイトには松茸料理のお店を紹介する「松茸マップ」がありました。それぐらい上田では松茸が有名なんだということが分かります。 松茸はアカマツの下に生え、そのアカマツが上田市にはよく生えていることで必然的に松茸が有名だということを聞きました。地元にはアカマツがあまり生えていないので、松茸もあまり見かけません。ちゃんとした理由があって面白いと思いました。2022-11-16
93上田の食文化① 〜美味だれ編〜上田の食文化① 〜美味だれ編〜大学入学のタイミングで初めて上田に来て、自分は各地のグルメに興味があって、グルメについて調べることにしました。 まずは、上田のスーパーや串焼きのある飲食店では必ずと言っていいほど見かける「美味だれ」についてです。 美味だれはすりおろしのニンニクたっぷり入った醤油ベースのタレで、自分も家でよく使ってます。 美味だれの由来は、美味だれが出来た1960年当時、鶏肉の他に安価な豚の内蔵などが提供されており、内蔵の特有のクセを無くして美味しく食べられるように開発されたそうです。 自分はにんにくが好きなので、かなり愛用しています。2022-11-16
94鹿と星鹿と星松本方面から上田に帰る途中。 運転していると横から「ガサガサッ!!」という音が。 見てみると鹿がこっちを見ていた。福岡じゃあり得ない光景。テンションが上がる。急いで写真を撮ると綺麗な星も写っていた。 野尻湖遺跡の「月と星」ならぬ「鹿と星」。遺跡として発見されることはないが素敵な一枚。 蓼科学でお世話になっているバスの運転手さんが鹿は絶対に轢いたらいけない。車が負けることもあるからね。と助言をいただいたのでぶつからないように注意しながら上田へ。2022-11-16
95裏草津 【草津温泉】裏草津 【草津温泉】暗くてよく見えないがこちらは裏草津。 湯畑の草津温泉とは違い、物静かな所。 人が多いところが苦手な私はどちらかというと裏草津の方がお気に入り。 裏草津には地蔵がいて、「目洗地蔵」(めあらいじぞう)と呼ばれている。 その理由は昔(江戸時代辺りだった気がする)草津温泉に入っていた人の中で目が良くなったという人がちらほらいたという。そのことからこの地蔵は「目洗地蔵」と呼ばれている。 草津温泉の泉質は強い酸性。口に含んでみると酸っぱい。もしかしたら、ものもらい等が酸性の温泉によって良くなったのではないかといわれている。 という話を友達にしたところ「なるほど。ものもらいは細菌性の病気だもんね!」と言われた。2022-11-16
96御座の湯 【草津温泉】御座の湯 【草津温泉】大学生活5回目の草津温泉。 いつもは、西の河原露天風呂に入る。しかし、今回は友達のつよい希望で「御座の湯」へ。 ちなみに、御座の湯の隣には「白旗源泉」という草津温泉の源泉の1つがある。この白旗源泉は源頼朝が見つけたと言われており頼朝は源泉にある石に座ったといわれている。そのため、ここの湯船は源頼朝が座った「御座の湯」と言うらしい。 草津温泉の湯畑を見てみると「頼朝」というご飯屋さんがあるほどである。 このような豆知識を知ると観光地が一層楽しくなる。2022-11-16
97企業社長より依頼された動画を作りました企業社長より依頼された動画を作りました今週は1本の動画を公開しました。 この動画はこれまでの研究に沿った動画ではなく軽井沢と銀座に店を開いているジェラート店「リビスコ」の社長さんの依頼と協力の元で制作したものになります。 ですが、動画の構成を鉄道動画界隈で非常に人気のあるジャンル「迷列車で行こう」(※1)にしたため、投稿後1~2日で当チャンネル最多記録である5302回再生、登録者+33人という数字を記録しています。 ここで得られた視聴者を維持、さらには増加に繋げられるよう、今後の動画投稿と研究を進めます。 ※1「迷列車で行こう」とは 自動音声ソフト「ゆっくり」を用いて、鉄道に関する「ちょっとおかしな車両」や「訳ありの鉄道会社の歴史」などを少し小ばかにしつつ紹介する動画ジャンル。今年で13年目を迎え、100以2022-11-15
98蚕神の像蚕神の像かつて日本の蚕種・製糸業をリードした上田の玄関口らしく、上田駅のエントランス前には、故中村直人画伯から贈られた「蚕神像」が飾られている。2022-11-14
99上田市マルチメディア情報センター 振り返り上田市マルチメディア情報センター 振り返り個人的に印象的に残っているのが蚕糸業でした。上田市に深い関わりがある蚕糸業は今ではそこまで見なくなってしまいましたが、一昔前は上田の中でも名のある産業でした。昔から上田に住んでいたため学校でも習ってきたので、ある程度は理解していましたが、ビデオで見ると養蚕の効率化が凄く、職人の手付きで蚕が凄まじい速度で育って行くのを見るのは感慨深いものがありました。自分も子供の頃に蚕を育てたことがあったので、蚕をこんなにも手際よくお世話できるのは凄いと感じました。2022-11-14
100こんなところに!こんなところに!これは大学前駅付近の川の写真です。こんな近くにこんなに大きな鳥がいてビックリしました。やっぱり自然豊かだなと感じました。2022-11-14
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