登録リスト(該当:5843件)

写真タイトル説明登録日
1長野の観光地の持続性 菅平高原長野の観光地の持続性 菅平高原菅平高原と峰の原高原はとても雄大な景色を持つ場所である。この場所は様々なスポーツをするのにも向いていてラグビーやサッカー、ウィンタースポーツなどができる。そのためスポーツシーズンでは訪れる人が多いがそれ以外の機会では訪れることがないのが現状である。しかし、訪れてみると高原はとてもきれいな場所で空気も澄んでおり、木々もたくさん茂っていた。このことから、様々なシーズンで楽しめると考えたので、このテーマに合うと考えた。実際に話を聞いてみるとスポーツの試合などでしか使われないと聞いたので、もっと盛り上げていきたいと考えた。2024-01-25
2平日・夕暮れの商店街(2)平日・夕暮れの商店街(2)海野町商店街などでは、現在、タワーマンションの建設が進んでいる。これは中心街の人口が増えていることに起因する(特に高齢者層) しかし商店街の継続のためには、高齢者のニーズに合わせていくだけでなく、学生などの若者を引きつける魅力をつくることとの両立が求められている。 西にはアリオ、東にはイオンという大手商業施設を構えている中、これらと商店街の共存が、上田の課題である。2024-01-25
3保育園の送迎バス保育園の送迎バス上田市内を車で巡っていると、よく保育園の送迎バスを見かけます。 中にいる小さな園児たちが笑顔で手を振ってくることもあります。朝大学に行く道中でもバスを待っている親子も見かけます。朝の送迎は親にとって時間がない中で行うので大変ですよね… その負担を軽減できるので助かっていると思います!2024-01-25
4山に囲まれて山に囲まれて上田は周りを山に囲まれた盆地である。そのため降水量が少なく、夏は暑く冬は寒いという特徴がある。 私の出身地は茨城県南部であるため夏はムシムシとし冬はカラッとしている。今年から上田に住み始めて、夏の紫外線量の多さと乾燥具合いには慣れるまでに時間がかかったと感じる。 また、関東平野と違い、周りを360°山に囲まれているのは最初のころは慣れず、ずっと旅行気分であった。 このような場所で生活するのは息苦しくなるものかと思ったが案外そうでもなく、綺麗な山の自然を見ると癒される気さえしてくるのだ。2024-01-25
5平日・夕暮れの商店街(1)平日・夕暮れの商店街(1)上田駅前には長い商店街がある。レストラン、八百屋、衣料品、薬局、書店が点在。かなり歩くが、この通りにはライブハウスも。 金曜日の夜になると、飲み会・打ち上げのため多くの社会人や学生が居酒屋を巡り楽しく騒いでいる。2024-01-25
6長野の観光地の持続性 牛臥川長野の観光地の持続性 牛臥川牛臥川は古来よりたくさんの洪水が起きているところで、様々な対策が行われている場所である。その対策である砂防工事の完成形がとてもきれいで、それは階段工と呼ばれるものである。階段工は名前の通り階段のように連なっている水路でそこに水が流れる様子は実際にみてもとてもきれいだった。そして、その石積技術や景観をもとに、国指定の重要文化財となった。しかし見に行ってみたら、季節的な問題もあるかもしれないが人は全然いなかったためやはり盛り上げていきたいと考えた。2024-01-25
7別所神社別所神社別所神社は、古くから熊野社といわれていて、社伝によると、紀州の熊野本宮大社からの分祀されたといわれている。明治11年までは熊野社とされていたが、以降は別所神社に改められた。横には神楽殿もあり、別所が一望できる。現在では、神楽殿を利用したヨガなどがある。 建築様式や、建物を飾る彫刻も華やかで、建築物として優れ、当初の形式がよく残され、文化財として保存価値の高いものです。2024-01-25
8上田城の地形上田城の地形上田城は難攻不落の城といわれた防御力に長けた城だった。南端は千曲川の分流である尼ヶ淵に面しており、上田泥流層が浸食されて作られた崖になっている。実際に見てみると10mほどの崖になっていた。江戸時代は分流が流れていたためより防御力があったと考える。自然地形を巧みに利用した防御機能は、上田城が難攻不落といわれる大きな要因ではないだろうか。2024-01-25
9Ario 上田Ario 上田 駅からのアクセスもよく、老若男女問わず地元の人々から愛されている大型商業施設。  イトーヨーカドーやAZULなどの衣料品店、レストラン街や雑貨店、また映画館も隣接している。 近々リニューアル予定らしい。2024-01-25
10菅平でウインタースポーツ菅平でウインタースポーツ 上田駅から車で40分。私は菅平高原のスキー場を訪れた。初めてのスノーボードをやるためだ。 私の地元では雪は降ってもまったく積もらない程度なので、一面の雪景色に感動したのを覚えている。 前日に雪が降ったためか雪は新雪でいくら転んでも平気であった。初めてであったがそれなりに滑れるようになったのは嬉しかったし楽しかった。 上田ではこのような体験が身近に体験できることに羨ましさを感じた。2024-01-25
11長福寺長福寺長福寺はその八角のお堂は信州の夢殿と称されている。奈良の法隆寺の夢殿完全二分の一に写し、瓦なども奈良のものを使用するなど、当時の匠の技術が集結した昭和を代表する建築である。実際に見てみて、これまで見てきたものと比べて、八角形が珍しく、感じた。縁起のあるものとされているのだから、もう少し、存在感を強調したほうがいいと感じた。この時は見ることができなかった、長福寺銅像菩薩立像があるのだが、これは国の重要文化財にもなっていて、飛鳥時代の歴史遺産として、いつかは見てみたいと感じた。2024-01-25
12活気溢れる・上田わっしょい活気溢れる・上田わっしょい 八月某日、上田市内で行われた上田わっしょいという祭りを見に行った。当初は規模の小さい地域の催し物程度の認識であったが、実際に見物して印象がガラリと変わった。  それぞれの地区に分かれて集団で神輿を担いでいる様子はとてもエネルギッシュで熱気が直に伝わってきた。これは一度は見に行ってみて欲しい祭りの一つである。2024-01-25
13戦前と戦後の北海道新聞における文化の移り変わり戦前と戦後の北海道新聞における文化の移り変わりまず初めに何故北海道新聞で文化の移り変わりを調べたかったのかというと西塩田時報で様々な大正から昭和にかけての記事を閲覧していた際に自分の地元ではどのように変化していったのか素直に興味を持ったからだ。 そこで今回は現代の北海道新聞と昔の戦前の新聞を用いて文化をそれぞれ比較しようと思う。 比較する新聞の年は1942年と2020年だ。北海道新聞は1942年に創刊された。1942年といえば日本は第二次世界大戦中であり、アメリカと戦っていた時期であった。実際の記事を見てみるとそれが伺える。下方に「アメリカの焦燥」と書かれた項目がある。当時の日本がアメリカを牽制していたのが分かる。さらに、「戰」や「諸勅令」といった今となっては使われなくなった漢字や表現が使われている。ここからも北海道での戦時中の緊張感が伝2024-01-25
14長野の観光地の持続性 柏屋別荘長野の観光地の持続性 柏屋別荘柏屋別荘は空家問題になっている空家である。柏屋別荘は歴史ある建物で1910年に開業していて、100年もの歴史が積み重なっている。中庭のつつじ園が有名であり、著名な小説家なども利用したという実績がある。行ってみた感想はとても幻想的で雄大な景色を見ることができた。2024-01-25
15長福寺長福寺生島足島神社にある長福寺を訪れてみた。長福寺は信州夢殿と呼ばれ、赤と白が基調となる八角の御堂が印象的であった。2024-01-25
16生島足島神社 西鳥居生島足島神社 西鳥居生島足島神社の西鳥居は、前回投稿した泥宮とのつながりがある。昔は、西鳥居と泥宮が直線でつながっていた。また、太陽は東の鳥居~西の鳥居を抜けて一直線に伸びる参道の先へと沈んでいくのは非常に幻想的である。 この鳥居は日没の光が鳥居を抜けて差し込むように計算されている。大地をご神体とする生島足島神社にこの仕掛けが施されていることは、太陽と大地の聖地であることを象徴しているように思わせる。2024-01-25
17生島足島神社生島足島神社生き物に生命力を与える生島大神と満足を与える足島大神の二神が祀られている。摂社には諏訪大神が祀られている古社である。 全体的に朱色で統一されていて、景観が美しかった。鳥居から太陽が出ているところを見てみたかったが、タイミングが分からず難しかった。太陽の上る時間、沈む時間は毎日異なるため、大鳥居、西鳥居にそれぞれ太陽が重なる時間を発信したら、神秘的な瞬間を見ることを目的とした集客ができるのではないかと感じた。また、日本中心の石像があったが、生島足島神社が日本の中心とはあまり聞いたことがないので、発信したいと感じた。2024-01-25
18上田原古戦場公園上田原古戦場公園 最初は上田原古戦場公園。  ここは、甲斐国の戦国大名・武田信玄と北信の戦国大名・村上義清の戦った場所である。上田原の合戦では、武田信玄が初めて敗北した戦いとも知られていて、武田家重臣である、板垣信方や甘利虎泰などが戦死している。  現在では、上田原古戦場公園として、野球場やスケートボード場、テニスコートなど皆が楽しんで運動できるような場所になっている。自分が行った時も、犬の散歩や、夫婦でウォーキングなど、運動している人が多くいた。  だいたい500年前には殺し合いをしていた場所が、今では皆の憩いの場になっているというのは、なかなか面白いと思う。上田原の戦いで死んでしまった将兵たちは、これをどう思っているだろう。恨めしく思っているだろうか。それとも、一緒に野球を楽しんだりして2024-01-25
19生島足島神社生島足島神社生きとし生けるもの万物に生命力を与える「生島大神」と、生きとし生けるもの万物に満足を与える「足島大神」の二神が祀られ、摂社には諏訪大神が祀られる信濃屈指の古社である。 初めて訪れた際に感じたことは、全体が赤で統一された建築に魅了された。赤くそびえたつ鳥居がとても印象的だった。 創建の年代は明らかではないが、平安時代の天皇からの崇敬が厚く、鎌倉時代の北条国時や戦国時代の真田昌幸からも寄進があり社殿を修築するなど古くから日本の歴史に関わってきた神社である。2024-01-25
20上田レイライン 泥宮上田レイライン 泥宮泥宮は字のごとく大地をご神体として、生島樽島神社が建設されたときに、遺霊をここに残したという歴史がある。 かつては生島樽島神社の西鳥居とまっすぐな道でつながっていたといい、ご神体と同じくこの二つの神社は、深いつながりがある。実際に見に行き、感じたことは目の前にため池があり、周りが住宅に囲まれており、地域住民に大切 にされながら今日まで保存されてきたんだと感じた。2024-01-25
21江戸の面影が残る・北国街道江戸の面影が残る・北国街道歴史的な街並みが並ぶ北国街道の柳町。わたしが訪れた印象は名前の通り柳が多く歴史を感じられる場所というイメージであった。ここには地酒や地ワイン、カフェやパン屋などの店舗が軒を連ねる。他県の人にもよく知られているためか多くの人が訪れていた。2024-01-25
22長野のローカルスーパー長野のローカルスーパー長野のローカルスーパー「ツルヤ」には、横断歩道が設置されていました。親子でお買い物をする時に一緒に横断歩道のわたり方を教えるきっかけにもなると思います。中には手を挙げてわたる子供もちらほらいました!2024-01-25
23最初の投稿最初の投稿今更最初の投稿になってしまった。 自分の興味のある所に実際に行ってきたりしたので、それを投稿していこうと思う。2024-01-25
24別所駅別所駅温泉に行く際に取りました2024-01-25
25国分寺国分寺過去に国分寺へ訪問した際の写真です2024-01-25
26石久摩神社石久摩神社石久摩神社は隣の川辺小学校とつながりが深く、北鳥居の下に埋められたタイムカプセルの中に児童作文があります。 また、東鳥居付近にある上田原自治会館では5年に1度「上田原古戦場祭り」が行われます。2024-01-25
27デジタルアーカイブの利用例デジタルアーカイブの利用例デジタルアーカイブを実際に利用している施設をいくつかピックアップし、現時点でのメリットを利用者の視点から考える。2024-01-25
28上田駅上田駅長野県上田市天神一丁目にある、東日本旅客鉄道・しなの鉄道・上田電鉄の駅。JR東日本の北陸新幹線、しなの鉄道のしなの鉄道線、上田電鉄の別所線の3路線が乗り入れ、そのうち別所線は当駅が起点となっている。 駅の北口、市街地側は「お城口」。南口、別所温泉側は「温泉口」と呼ばれている。 写真はお城口。鞍をイメージしたデザインとなっており、夜には上田市ゆかりの真田家の家紋「六文銭」が間接照明で照らされる。 市街地側に上田市ゆかりの六文銭を持ってきたことは、上田に来た人に市の自慢のものを印象付ける効果があり、とても良いと感じた。夜にはライトアップがされていて、日中と一味違う六文銭の美しさを感じることができると思った。2024-01-24
29戦前に発行された西塩田時報は戦争、学校、地域などの時事ニュースが多く書かれており、生活の知恵と思われる記事は957ページの中でたった5つほどであった。戦後になると生活の知恵を特集したコーナーのようなものができ、数ページごとに1つ生活の知恵と思われる記事が掲載されている。また、記事の内容も変化しているように感じられる。戦前は、睡眠やビタミン、乳児の育て方という基礎的な生活の知恵であったのに対して戦後は基礎的な生活の知恵も残しつつ、季節の料理やさらにより良い暮らしを求める記事が多い。この変化は、戦前から戦後にかけて人々の暮らしに対する意識の変化があると考える。戦前は生きていくことに必死で暮らしの質は求めておらず、戦後になり心にゆとりが生まれることで暮らしに対する質を求めることができる2024-01-24
30赤痢という発熱や腹痛、下痢などの症状が出る病気が蔓延しておりそうなってしまった時の対処方法が掲載されていた。この病気は発展途上国で主に蔓延する病気らしく当時の日本の状況が伺える。2024-01-24
31神社におけるデジタルアーカイブ神社におけるデジタルアーカイブ2024-01-24
323Dデータを用いたデジタルアーカイブ73Dデータを用いたデジタルアーカイブ7まとめ  SCANIVERSを使って手軽に3Dスキャンを行うことができ、デジタルアーカイブにも役立つと感じた。 デジタルアーカイブ化は素人でも手軽に行うことが分かったため、今後何か3Dという形で残したいと思った際はまた利用してみたい。2024-01-24
333Dデータを用いたデジタルアーカイブ63Dデータを用いたデジタルアーカイブ6 赤べこは本来、首が上下に動く置物であるため、動画のような形で3Dスキャンを行うことができるのか、など今後も様々なデジタルアーカイブを試してみたい。2024-01-24
34西塩田時報と他県の時報~それらの抱える課題~西塩田時報と他県の時報~それらの抱える課題~西塩田時報に似た他県の時報を調べ違いや共通点を見つけていく予定で進めていたが似た時報がデジタルアーカイブとして残っていなかった。そこで、歴史的資料がなぜデジタルアーカイブとして残っていないのかについて考え、デジタルアーカイブの問題点と実際に使ってみての問題点をまとめてみた。2024-01-24
353Dデータを用いたデジタルアーカイブ53Dデータを用いたデジタルアーカイブ5 これが今回3Dスキャンを行った結果。  現在、手元に張り子の赤べこがないため、家にあった赤べこの貯金箱で3Dスキャンを行った。2024-01-24
363Dデータを用いたデジタルアーカイブ33Dデータを用いたデジタルアーカイブ3 はじめに、赤べこの紹介。  赤べこは、私の出身地である福島県の会津地方の郷土玩具である。「べこ」は東北地方の方言で「牛」という意味である。  体の赤色には魔よけの効果があるとされており、黒い斑点は痘を表し、病にかかっても重くならないように、と子供に送る風習があったとされている。  2020年以降は新型コロナウイルス感染症終息を祈願して購入する人が増えているそう。2024-01-24
373Dデータを用いたデジタルアーカイブ23Dデータを用いたデジタルアーカイブ2 情報通信文化論の講義を通して、藤本産業歴史観の資料などから紙媒体の資料については学ぶことができたが、物体のアーカイブについてはあまり触れられていなかったため、深堀してみたいと思い、このテーマを選んだ。  また、地元の郷土玩具について知ってもらいたいと思い、このテーマを選んだ。2024-01-24
383Dデータを用いたデジタルアーカイブ3Dデータを用いたデジタルアーカイブ3Dデータを用いたデジタルアーカイブについて研究しました。 今回は地元・福島の会津地方の郷土玩具である「赤べこ」を用いて3Dデータを取り、デジタルアーカイブ化を行いました。2024-01-24
39デジタルアーカイブの課題についてデジタルアーカイブの課題について情報通信文化論 デジタルアーカイブの課題について デジタルアーカイブの課題とはなにか • データ保存量が増え続ける • データ消息のリスク • 一般公開による近隣住民への被害 • 知識を横に広げることが難しい • サイトが見にくい データ保存量が増え続ける データを保存していけばデジタルデータの保存量は増え続けていく。そのためデータ保存量の増加はシステムに負荷がかかることはもちろん、どれが最初のデータだったのかわからなくなるなどデータのバージョン管理が難しくなったり、意図しないところにデータが出現してしまったり、巧妙な加工で情報操作されたデータが出回ってデータの信頼性が失われたりするリスクもある。 データ消息のリスク ・デジタルデータの場合はシステムエラー、保存ディスクの破損、読み取2024-01-24
40デジタルアーカイブ化した資料を より多くの人に閲覧してもらうためにデジタルアーカイブ化した資料を より多くの人に閲覧してもらうためにデジタルアーカイブをより多くの人に認知してもらうため デジタルアーカイブをより有用なものにするため2024-01-24
41信州の蚕糸業の発展信州の蚕糸業の発展信州でどのように蚕糸業が発展したかを追求してみました。2024-01-24
42西塩田時報から見る ラジオ放送の普及西塩田時報から見る ラジオ放送の普及 1925年ラジオ放送が開始され、我が国の現状や問題点、将来性や、欧米諸国との比較について言及されていました。上田地域でもラジオ放送が聞けるようなり、西塩田時報からも当時の様子が記されていました。この後急速にラジオ放送が普及していくのですが、その背景について、考察していく。  2024-01-24
43神社のデジタルアーカイブと文化継承神社のデジタルアーカイブと文化継承神社には歴史的に価値のある宝物や、昔から伝わってきた神楽などがあります。それらのデジタルアーカイブ化と文化継承について考えます。2024-01-24
44デジタルアーカイブを利用しやすくするにはデジタルアーカイブを利用しやすくするにはデジタルアーカイブをより多くの人に利用してもらい、使いやすいと感じてもらう 参考 藤本蚕業デジタルコモンズ https://d-commons.net/fujimoto-dc/ 上田市公文書 https://www.city.ueda.nagano.jp/soshiki/kobunshokan/ 国立公文書館デジタルアーカイブ https://www.digital.archives.go.jp/ デジタルアーカイブ学会 https://digitalarchivejapan.org/ 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/ja/ デジタルアーカイブとは?https://solution.toppan.co.jp/newnormal/contents/digitalarchive_toha.html 内閣府知的財産戦略推進事務局「デジタルアーカイブ活動」のためのガイドラインhttps://www.kantei.go.jp/jp/singi/titeki2/digitalarchive_suisiniinkai/pdf/guideline_2023.2024-01-24
45今後のデジタルアーカイブの在り方について今後のデジタルアーカイブの在り方についてPowerPointでまとめました。 参考URL ・「国立国会図書館デジタルコレクション」https://dl.ndl.go.jp/ ・「上田市公文書館」https://kobunshokan.city.ueda.nagano.jp/ ・「上田老舗図鑑」https://d-commons.net/uedagaku/detail.php?id=2351 ・「西塩田時報」https://d-commons.net/uedagaku/detail.php?id=36132024-01-24
46結論とまとめ結論とまとめデジタルアーカイブは、情報の保護とアクセスの改善、保存の効率化を実現します。 デジタルアーカイブは、文化や知識の継承に大きな役割を果たし、成功例も多く存在します。 研究により、デジタルアーカイブが情報の保存・共有・開発において重要であることが示されています。 このように、デジタルアーカイブは文化や知識の継承において不可欠な役割を果たしており、その重要性は今後ますます高まることが予想されます。 デジタルアーカイブの普及と活用は、社会全体の教育、文化、研究の発展に貢献することが期待されます。2024-01-24
47研究結果に基づくデジタルアーカイブの重要性研究結果に基づくデジタルアーカイブの重要性研究では、デジタルアーカイブが知識の保存・共有・開発において重要な役割を果たすことが示されています。データの保全とアクセス性の向上により、学術的な進歩を促進します。2024-01-24
48上田市の景観上田市の景観今回私は上田市の現在と過去の写真や街並みを比べてみることで新たな発見や気づきがあるかもしれないと考え、調べてみることにしました。今回参考にさせていただいたのは上田の海野街や上田のスクランブル交差点の過去の写真と現在の上田の写真に写っている場所です。 比べてみたところ海野街は確かに歴史の流れを感じるほど変わっていましたが、スクランブル交差点の写真に写っているは昭和48年の海野街の写真と現在の海野街の風景はほぼ同じでした。昭和48年から変わらない商店街があり続けていることに少し不思議を感じ、なぜ現在の最新鋭のモダンな見た目の商店街にしていないのか疑問に感じたため上田の景観について調べてみることにしました。その結果過去の街並みや景観が保たれている場所の多くはその景観や見た目の良さ守るた2024-01-24
49デジタルアーカイブの文化や知識の継承への貢献デジタルアーカイブの文化や知識の継承への貢献デジタルアーカイブは、文化や知識の継承を促進するための貴重なツールです。アクセスの向上や情報の保存により、次の世代に貴重な遺産を引き渡すことができます。2024-01-24
50具体的な事例と成功例具体的な事例と成功例博物館は、デジタルアーカイブを活用して、貴重な展示品や文化遺産をオンラインで公開し、広範な観衆に対してアクセス可能にします。 図書館は、デジタルアーカイブを通じて、古い書籍や文献をデジタル化し、学術研究や教育に役立てることができます。 画廊は、デジタルアーカイブを使用して、アーティストの作品や展示会の写真をオンラインで共有し、アート愛好家にインスピレーションを与えます。2024-01-24
51須坂と蚕糸業の関係須坂と蚕糸業の関係蚕糸業に関わる施設「ふれあい館まゆぐら」に調査してなぜ須坂市が蚕業で有名なのかを考察・まとめました。2024-01-24
52狙い:デジタル化された一次資料を実際に活用し、そこでの気づきを自分なりにまとめてみる。 今回はデジタルアーカイブとして閲覧できる一次資料「西塩田時報」の「長野縣小縣郡西鹽田村一覧」と「気象庁」の「過去の企業データ」を題材にし、「気温」についてデータをまとめながらデジタルデータの活用に関して気づきをまとめていく。2024-01-24
53デジタルアーカイブの役割とメリットデジタルアーカイブの役割とメリットデジタルアーカイブの役割とメリットとしては、以下が挙げられます デジタル化による情報の永続性と保存の信頼性の向上  簡単なアクセスと検索能力の強化  物理的なスペースとリソースの節約  データのセキュリティと保護の強化  情報の共有と協力の促進2024-01-24
54戦後の記事で「夏の料理」の特集記事があり、その中に「イカの桃和え」という料理があった。甘く煮詰めた桃と酸っぱいイカを混ぜた料理らしい。この料理は現在世に出回っていないことからあまり人々に好まれていなかったのではないだろうか。2024-01-24
55デジタルアーカイブの必要性デジタルアーカイブの必要性デジタルアーカイブは、アナログデータの脆弱性や劣化、スペースの制約といった問題に対処し、情報を長期的に保存する必要性を満たします。2024-01-24
56無線電話について無線電話について1925年に日本でラジオ放送が開始されて、無線通信分野における、我が国の現状や問題点、将来性や、欧米諸国との比較について言及されています。当時、受信機は庶民にとってなかなか手に届かない代物で、村で1つ大きなロードスピーカーを購入して、みんなで聞くことを提案しており、ラジオ放送がこの地域でも関心が高まっていたことをミクロな視点で体感できた。 参考文献  西塩田時報https://mmdb.net/mlab/uedagaku/pdf/nishishioda/ns03_021to040.pdf2024-01-24
57富士山の恐ろしさ富士山の恐ろしさ私は静岡県出身で富士山を見て生活していた。富士山は昔から富岳百景などで有名である。世界中からも人気で外国人観光客が多く来て、世界遺産にもなった。しかし、災害が多い今そこで私は富士山の恐ろしい面を調べることにした。恐ろしい面を知り、今後どのように富士山と関わっていくかを考えた。 参考資料 葛飾北斎 画『富岳百景 3編』二,永楽屋東四郎[ほか],天保5-6 [1834-1835] 序. 国立国会図書館デジタルコレクションhttps://dl.ndl.go.jp/pid/8942998 富士市「フリー写真素材集」 https://www.city.fuji.shizuoka.jp/page/gazou/fmervo000001dsro.html 山梨県 編『富士山の自然界』,山梨県,大正14. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/983213 富士市 富士山の噴火史について https://www.city.fuji.shizuoka.jp/safety/c0107/fmervo000000oxtb.html2024-01-24
58戦前と現在の学校教育戦前と現在の学校教育探求のねらい 過去と現在では学校の授業形態などは異なっていると考えるが、教育の目的・内容は変わらないものであるので、過去と現在の学校教育を比較し、その時代の背景について考察し、理解することを目的としている。2024-01-24
59デジタルアーカイブデジタルアーカイブデジタルアーカイブは、アナログな文書やメディアをデジタルフォーマットで保管し、アクセスや管理を容易にする方法です。2024-01-24
60デジタルアーカイブの重要性デジタルアーカイブの重要性デジタルアーカイブは、文化や知識の継承に重要な役割を果たしています。それは、情報の保護、アクセスの向上、保存の効率化といったメリットを提供します。2024-01-24
61群馬県と長野県の養蚕の違い群馬県と長野県の養蚕の違い群馬県と長野県の両県はどちらも養蚕が盛んに行われているため、どのような違いがあるのかについて調べました。2024-01-24
62サブカルチャーのデジタルアーカイブ化についてサブカルチャーのデジタルアーカイブ化について2023情報通信文化論の講義の一環でデジタルアーカイブについて学び、その中で興味を持ったサブカルチャーに焦点を当てまとめた。2024-01-24
63クレープリー アンクレープリー アンクレープリーアンでヘーゼルナッツチョコクリーム、バナナ、バニラアイスがトッピングされたショコラバナーヌのクレープを食べた。 ガレットには上田市殿城産の蕎麦粉を使用しており、クレープにはフランス産の小麦粉を使用している。 生地がもちもちでとっても美味しかった2024-01-24
64豊上モンテリア豊上モンテリア長野大学から徒歩10分ほどの距離にある豊上モンテリアでジェラートバームを食べた。 信州の自然酪農牧場で放牧された牛の低温殺菌の牛乳に独自の天然素材を混ぜたベース、そして四季折々のこだわりの素材を使用した毎日製造、限定販売のジェラードだそう。 季節ごとに季節のフレーバーがあり楽しむことができる。2024-01-24
65刀屋刀屋上田駅から徒歩10分ほどに位置している蕎麦屋 刀屋 でもりそばを食べた。 「刀屋」は昭和36年創業の老舗蕎麦屋です。 こちらの「刀屋」というお店の名前は先祖が刀鍛冶であったことに由来しているそうです。 もりそばをいただき、ボリュームがあり、蕎麦自体にもこしがあって食べごたえがありました。2024-01-24
66よろづやよろづや上田駅すぐそばにあるそば処 よろづやで蕎麦をいただいた。 「そば処よろづや」は創業明治29年の地元で愛される歴史ある老舗蕎麦屋です。 そんな「そば処よろづや」はそれ以前よりうどんを中心に提供する食堂として営業していた名店。 鳥肉そばは温かくて寒い日にぴったりです。2024-01-24
67牡丹地蔵牡丹地蔵北佐久郡軽井沢町追分の泉洞寺境内にある、第四次東海浪瑞原義勇隊開拓団 瑞原会が昭和46年9厚26日に建立した地蔵尊 泉洞寺ホームページの説明文 「角背型の牡丹地蔵尊(宝性地蔵)で、全長3.14メートル。元満州東海浪瑞原義勇隊開拓団員物故者の27回忌に当たり、仲間の冥福と、永遠の平和を祈願し、無事帰国することのできた団員が組織した「瑞原会」により昭和46年(1971)9月26日に建立された。」https://sentouji.com/stroll/index.html2024-01-24
68越後の伝説についての考察(『越後の国雪の伝説〔正〕』鈴木直著 昭和十七年七月二十二日発行)越後の伝説についての考察(『越後の国雪の伝説〔正〕』鈴木直著 昭和十七年七月二十二日発行)越後の国雪の伝説〔正〕に収録されている23の伝説の中の4つについて、それがなぜ生じたのかという自分なりの考察をおこないました。 *越後の国雪の伝説〔正〕とは、越後に古くから伝わる伝説のうち、雪に関するもののみをピックアップして収録した本です。なお、地域としては中・下越の中でも比較的豪雪な地帯の話が中心的です。 1,茂助地蔵 《あらすじ》 昔、一人の旅人がいた。宿屋を出発して目的地へと歩いていたが、天候は最悪で、顔を前に向けることも困難なほどの吹雪だった。そして、その途中で偶然にも一人の女性に遭遇し、自分の家に泊まっていくことを勧められる。旅人は女についていくことにし、彼女の家で手厚いもてなしを受けた。数日後、旅人は死体となって発見された。死因は凍死であり、近くの村の村人は旅人は雪2024-01-24
69上田紬上田紬長野県の上田市、飯田市、松本市、岡山市、駒ケ根市周辺などで生産されている絹織物の総称を「信州紬」という。 信州紬の種類として上田紬、飯田紬、伊那紬、松本紬の四種類ある。上田市の上田紬とは江戸時代に信州紬の中で最も有名だった紬の着物である。昔は愛染系の縞柄が基調の着物だったため、「上田縞」とも呼ばれていた。特徴として縞と格子柄で丈夫でしなやかな風合いである。 この上田紬の織りを体験できる場所として「織りの休日俱楽部」がある。そこではストールが作れる。一ヵ月に一回と開催日が少なく、参加費も一万二千円と高めではある。 このような体験は上田市に限らず、他の地域でも行われていることが分かった。 上田紬についてもう少し詳しく調べてみた。 生糸に適さない屑繭を真綿にし、 真綿からつむいだ紬糸2024-01-23
70まとめまとめここまで戦後の上田の学習環境の変化を概観してきた。戦後の上田の学校を調べた所感として、戦後と現代で学生に求める理想像に重なる点が多々見受けられると考えた。学習環境を整える中で頻繁に「自由な学習環境」「個人の関心を尊重すること」が説かれており、このことから戦後は画一的な教育方針よりも、個人の裁量に合わせた柔軟性の高い教育環境を構築しようと奮起していたと考察した。このような観点は現代にも通ずるものがあり、個人の特性を活かし、のびのびと学ぶことができることを重んじる価値観は今も昔も変わらないのだと調べ学習を通して実感した。 なお、現代の学習方針と比較した見解として、現代では外国語学習を推進したり、個人の特性を重んじたキャリア教育がなされていたりすることから、現代では特に「多様性が2024-01-23
71現代の上田市中学校現代の上田市中学校今回は数ある小中学校の中から、上田市第一中学校を一例として取り上げる。 上田市第一中学校の教育方針を見ると、戦後の教育方針と重なる面が多々存在すると考察した。また、戦後の学習環境と異なる点として、外国語学習やキャリア教育などに力を入れていることが顕著な例として考えられる。このことから、戦後と現代で重視される学習内容が異なっており、時代と共に重んじられる価値観が変化していると推察した。 参照元:「上田市第一中学校」http://www.school.umic.jp/ueda1/2024-01-23
72組合立中學校設立研究会生まる組合立中學校設立研究会生まる研究環境の改良を図るため、当時上田市では組合立中學校の設立が検討されていた。合同での校舎を設立することで、学生の学習環境に様々な効果がもたらされることを期待していた。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1235 『西塩田公報』第80号(1954年3月5日)1頁2024-01-23
73塩田分校を訪問する塩田分校を訪問するこれは塩田にある分校でのインタビュー内容が記載されている史料である。記事を見ると、塩田分校では教育方針として「農村を担う中堅的人材」を育てることを掲げており、そのために高等学校での基礎的な一般教養に加え、家庭科や農業科の専門的技能を体得させること、そして一番に「人間としての素養を育て上げること」を重んじていることが読み取れる。 このことから、塩田分校では学生に対して専門的知識を持った地域に根差す人材、並びに志や人徳の高い学生を理想像としていたのではないかと考察した。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1192 『西塩田公報』第66号(1953年3月5日)2頁2024-01-23
74學校だより學校だより当時は時報に學校だよりが記載されており、学校でどのような行事が行われるかを知ることができた。 ここでは11月の行事について説明されている。 記事を読むと、当時は陸上競技会が珠算競技会が開かれており、幾名の生徒が表彰されている。また、籠球大会や珠算検定会での表彰者が記載されている。 これらのことから、現代で言う部活動のような取り組みが戦後でもなされており、学校での座学から逸脱した様々な機会が設けられていたのではないかと考えた。 また、小学校の行事内容を確認すると、「産業文化祭に児童の図学工作品を出品する」「校内音楽会」などが行われていたことが読み取れる。他にも、小学校での映画鑑賞などの機会が設けられていることが分かった。 記事の内容から、小学校でも机上での学びに囚われない多様な2024-01-23
75子どもたちが過ごしやすい環境子どもたちが過ごしやすい環境神畑公園 私は子どもたちの居場所、子育て支援、地域づくりについて探求したいと考えた。 日中は多くの子どもたちの居場所となっており、子どもたちが過ごしやすい環境となっている。 すぐ近くには、神畑公園多目的グラウンドやゲートボール場となっており、子どもからお年寄りまで様々な世代が訪れる憩いの場となっている。見渡しがよく、自然に囲まれた神畑公園は子育てをする方々にとって大切な場である。2024-01-23
76校舎増築に就て(ついて)校舎増築に就て(ついて)1948年の西塩田時報に、児童数の増加に伴った校舎の増築についての一報が記載されていた。 記事によると、増築前には校舎の裁縫室や工作室と言った、俗に言う特別教室を普通の教室として使用していたそうだ。また、校舎を増築するにあたり、学校の新教育課程の順守について説かれている。文献を読むと、当時の新課程は個人の尊重を図り、自主性を重んじた学習環境を構築することを目標としていたことが読み取れる。 さらに、記事の末尾では地域住民に対して学生が自由に研究できる環境や、特別室(裁縫室、工作室)の設置のための支援を呼び掛けている。 この記事から戦後の人々は学生に対し、学生自身の興味を探求できる教育を施そうとしていたと考察した。また、当時から裁縫室や工作室が存在していたことから、座学だけではなく2024-01-23
77生島足島神社生島足島神社生島足島神社を初めて見に行きました。 赤い鳥居がとても大きく、圧倒されました。 神社の内殿は平成10年9月に「県宝」に指定されたそうです。 信濃屈指の古社は、一度は訪れてみる価値があると思います。2024-01-23
78学校水泳における変化学校水泳における変化現在と以前の学校環境、特に水泳に変化があるかを調査する。 西塩田時報にある水泳についての記載で、海に囲まれた国である日本の国民として泳げないのは恥ずかしいとある。ストレートな言い方であるが、日本国民には水泳は必須であることを表現している。ここから水泳が生命に関する重要な運動であることは現在と同じ認識だと思う。 また当時の夏休みの水泳は午前と午後の部に分かれており、なるべく短い時間で寒いと感じたらすぐに泳ぐのをやめることが書かれている。水泳の時間を一時間を制限して管理するのではなく、自己管理を促しているのではないかと思う。自己管理の面では、他にも空腹時に水泳を行わないことや頭まで水につけること等の子供達自身が意識して行うことが記載されている。 以上の記事から、学校水泳は過去でも2024-01-23
79上田地域の高校の蚕産業についての歴史上田地域の高校の蚕産業についての歴史上田市にある上田東高等学校。旧小県蚕業学校とも言い、農業課程・林業課程・蚕業課程がありました。 学校の校内には蚕業学校時代をしのぶ、しだれ桑が植えられています。さらに、爆撃の際に黒ずみになった欅の痕跡が今も残っています。 そして、この学校の有名な人といえば鈴木敏文さんです。 鈴木敏文さんは、坂城町の生まれで、小県蚕業学校の出身です。また、セブンーイレブンの元社長でもあります。鈴木社長は、創立120周年の時には「変化対応」というメッセージを贈っており、今でも石碑に刻まれています。 創立130周年では、新型コロナウイルスの影響でオンライン開催になりましたが、実際に貴重なお話を聞かせていただきました。 その際、「この学校はとても長い歴史があります。」と言い、実際に学生時代に経験したことを2024-01-23
80上田市千本桜まつり上田市千本桜まつり第20回(2023年)の桜まつりの画像です。 上田城は天正11年(1583)真田昌幸によって築城され、天正13年(1585)第一次上田合戦・慶長5年(1600)第二次上田合戦の二度にわたり徳川の大軍を退けたことで知られています。廃城後は公園となり、現在に至っています。春には約1000本の桜が咲き誇る桜の名所です。 城として使われなくなっても、現在まで、市民の憩いの場として残っていることがすごいと感じました。2024-01-23
81常楽寺常楽寺別所温泉・北向観音の本坊。鎌倉時代には天台教学の道場として栄えました。境内には国の重要文化財に指定されている石造多宝塔があります。 階段を上がって最初に目に飛び込んでくるのは茅葺の本堂です。平成15年に修復工事を行った際、建立当時の建築様式に改めました。 堂内には当時そのままの色彩を残す格天井が美しく、ご本尊の妙観察智弥陀如来は、阿弥陀如来には珍しい宝冠を頂く阿弥陀です。 授業の課題で訪れました。2024-01-23
82北向観音堂北向観音堂厄除観音として昔から信仰を集め、長野市善光寺と向かい合うように本堂が北を向いている事から北向観音と呼ばれるようになりました。善光寺と合せてお参りするとさらにご利益があるといわれています。 北向観音は825年(天長2)、比叡山延暦寺座主・慈覚大師円仁により開創された霊場です。 現世でのご利益を授けてくれるという千手観音を御本尊とし、本堂に祀っています。 坂道が多いので、足腰が弱い人は訪れづらいなと感じました。2024-01-23
83安楽寺安楽寺境内の奥にたたずむ塔は日本で唯一の木造八角塔で、長野県で最初に国宝に指定されました。中国宋時代の禅宗様(唐様)という建築様式で、一番下の屋根は裳階と呼ばれ、ひさしにあたります。当時の国宝、重要文化財など、多くの鎌倉時代の文化遺産を貯蔵する、信州最古の貴重な禅寺となっています。 坂道が多かったので、高齢者が訪れるには大変だと感じました。2024-01-23
84上田城紅葉祭り上田城紅葉祭り上田城を彩る美しい紅葉と屋台などのグルメを楽しんだ。 春の桜とは違う顔を見ることができる。 上田城に行き、季節を感じることが出来た。 夜にはライトアップもされ、観光地として、にぎわっていた。2024-01-23
85生島足島神社生島足島神社生島足島神社の鳥居です。 式年祭として、御柱祭が6年に一度、寅年・申年の4月中旬に催行される。この祭は、諏訪神が諏訪に向かう途中で当地に留まった際、生島・足島両神に対して御柱を奉ったのが由来です。 御本殿は神池に囲まれた神島の中にまわりを老樹に囲まれて建っています。御扉の奥には御室と呼ばれる内殿(室町期建立)があり、内殿には床板がなく大地そのものが御神体(御霊代)として祀られています。現在の社殿は昭和15年に国費をもって竣工したものです。内殿は平成10年9月「県宝」に指定されました。 駅から近いため、だれでも訪れやすいと感じました。2024-01-23
86地域に伝わる逸話地域に伝わる逸話舌喰池を訪れた時の写真です。 結構前の写真ですが,当時はもう少し水位があったようです。 人々の信仰心は恐ろしいと感じた。 このような話は他地域でも存在するはずである。   だからこそ,調査し続け後世に伝えていくことが重要だ!2024-01-23
87デジタルアーカイブデジタルアーカイブデジタルアーカイブを知っている人が少ないので、実物を記録・保存するより良いところは何か。多くの人に利用してもらうためにできることはあるか考えました。 デジタルアーカイブは、公文書・書籍・芸術作品などをデジタル化して保存、公開します。今回は、①国立公文書館デジタルアーカイブ ②Col Base ③NHKアーカイブス を閲覧しました。 ①国立公文書館 ・言語は日本語、英語。中国語や韓国語も加えて欲しい。サイトの文字全体も大きくできる。 ・TOPページには、ジャンルが6つ挙げられていて、選びやすい。検索もできる。 ・ジャンルを一つ選ぶと、該当する資料が並ぶ。資料名と読み仮名、資料の画像も表示されるので、見やすい。表示方法を変えると、資料の説明も加わる。選んだ資料を拡大しても、細かい文字が鮮明に見える。(上2024-01-22
88だいぶ遅くのお参りだいぶ遅くのお参り昨日、上田市にある生島樽島神社に行きました。 兄が厄年なので、厄除けのお守りを買いました。2024-01-22
89上田城近くのカフェ上田城近くのカフェ上田城近くにあるカフェを訪れました。 上田市でカフェを探していたところ、上田城近くにとても素敵なカフェを見つけました。 今回はガレットとクレープをいただきました。 とてもおいしかったです、また訪れたいです。2024-01-22
90じまんやきじまんやき人生で3回目のじまんやきです。 1度目は長野に初めて引っ越してきた際に、じまんやきが有名であると聞いたため食べに行きました。 2度目はゼミのフィールドワークで先生がメンバーに振る舞ってくれました。 そして今回は一度もじまんやきを食べたことがないという友達にぜひ食べてもらいたいと思い、食べに行きました。 とても美味しくて安いため何度でも食べたいです。2024-01-22
91神社神社神社 海野町商店街の中に突如現れた神社 冬の受験の時期に見に行ったため、合格祈願がされていました。 商店街の中に神社があることは、他の地域にはない珍しいものだと思います。 そのため、これからも大切に守っていくべきだと感じました。2024-01-22
92旧上田市立図書館旧上田市立図書館旧上田市立図書館 信州上田学の農民美術の授業でお話しされていた 旧上田市立図書館を見に行ってきました。 初め旧上田市立図書館を見かけた時、教会かなとかんちがいしていました。 洋風な美しい建物だったため、図書館であると気がつきませんでした。 現代には少し珍しい建物で、白い壁に赤色がとても映えていました。2024-01-22
93上田城 二の丸橋 線路上田城 二の丸橋 線路上田城にある二の丸橋の下はかつて線路が通っていたそうです。 電車が通っていれば、上田城の美しい自然の景色を見ることができるためとても楽しそうだと感じました。 ぜひ今でも電車が通っていて欲しかったなと思う限りです。 上田城は春には桜が綺麗なので電車の中から見てみたかったです。 二の丸橋は今でも趣がありました、2024-01-22
94上田街歩き上田街歩き上田街歩き 上田市を歩きました。 上田高校前には堀があり、川に亀がいました。 柳町は趣があり、素敵な場所でした。柳町のルヴァンというパン屋さんでパンを買い食べました。 また、海野町で有名なじまんやきを食べました。 4月2024-01-22
95上田 そば・うどん上田 そば・うどん蕎麦が有名な長野県 そばを食べるために上田の町を歩きながら蕎麦屋さんがしました。 とても有名なお店らしく、店主の方も気さくにお話ししてくださいました。 私が食べたのは、天ぷらうどん 店主の方が説明してくださり、天ぷらには上田市で採れた山菜やピーマンなどが使われているそうです。 美味しいご飯を食べることができ、上田市について理解を深めることができました。2024-01-22
96伝説のワイン「ヴィランジュ・ドゥ・ベッショ」伝説のワイン「ヴィランジュ・ドゥ・ベッショ」2011/04/22の記録。 マンズワインが製造販売している(いた?)伝説のワイン「ヴィランジュ・ドゥ・ベッショ」。赤ワイン(ルージュ)と白ワイン(ブラン)とがあります。「塩田平契約栽培善光寺種100%」と銘打っています。当時、上田市中野にある若林醸造のお店で購入しました。久しぶりにこのワインを賞味したいのですが、今もあるのでしょうか? 「ヴィランジュ」と書くといかにもフランス語の意味ありげな名前に見えますが、実は別所温泉の地名にもなっている「比蘭樹」にちなみ、ネーミングを洒落たものです。現在の「あいそめの湯」の前にバス停の名前として「比蘭樹」が残っています。遠い美味ワインの記憶も甦ってきます。2024-01-21
97イトーヨーカドー上田店閉店売りつくし2011/04/05イトーヨーカドー上田店閉店売りつくし2011/04/052011/04/05の記録。 上田市のイトーヨーカドーはアリオ上田店に移転する以前は、上田駅前にありました。2011/04/10に閉店するまで33年間営業を続けてきました。閉店前に催されていた「閉店売りつくし」の記録も今となっては貴重な地域の記憶の記録です。2024-01-21
982011年3月「新生上田市5周年」2011年3月「新生上田市5周年」2011/03/22の記録。 平成の大合併により、新生上田市がスタートしたのが2006年3月6日。それまでの上田市は丸子町、真田町、武石村と対等合併し、新たな上田市となりました。 2011年3月、上田市役所には「祝・新生上田市5周年」の垂れ幕が掛けられていました。この旧市庁舎は現在は新庁舎になっています。変わる前の市役所の姿の記録ともなっています。2024-01-21
99長野大学卒業式の様子2011/03/19長野大学卒業式の様子2011/03/192011/03/19の記録。 2010年度の卒業式は上田城跡公園内にあった旧上田市民会館で催されました。新しい市民会館でもある「サントミューゼ」が開館するまでは旧市民会館が卒業式会場として使われていました。「ナショナルテレビ」の緞帳が施設の歴史を物語っています。 卒業式直前の3月11日、東日本大震災が起こり、その影響を受けた卒業生もいました。司会者の脇のスクリーンにパソコン要約筆記による情報が表示されています。この年度の長野大学学長は野原光先生、企業情報学部長は高橋進先生でした。画像で記録を再現することによりそれもはっきりと確認できます。13年前の2011年が現在に蘇ってきます。2024-01-21
100引越し直後の前川研究室2005/04/05引越し直後の前川研究室2005/04/052005/04/05の記録。 長野大学に赴任して間もない時の研究室の風景です。書架に本を並べ始めました。引越しの段ボール箱の多くが未開封のままです。2024-01-21
地図で見る

キーワード

ログイン トップページへ