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1千曲川橋梁千曲川橋梁千曲川橋梁は、上田電鉄別所線の鉄道橋である。かつて、上田盆地には、多くの地方鉄道が存在していた。多くあった鉄道路線の中で、「川西線」を現在の信濃鉄道に乗り入れるために、建設された。今も長く愛される上田電鉄別所線を支えている。2024-02-11
2信濃国分寺信濃国分寺信濃国分寺は、天平13年の国分寺建立の詔により、上田に建てられた。信濃国分寺は、承平8年に平将門と平貞盛の戦いで焼失した歴史がある。上田地域の雨が少なく太陽が出る気候も国分寺の建設地に選ばれた理由の一つとされている。2024-02-11
3【第9回】ルートン【第9回】ルートン上田市とルートインの最終回は、ルートインホテルズのキャラクター「ルートン」を紹介する。。 ぐっすり眠れるルートインホテルズが気に入っていつの間にかすみついた羊の男の子だそう。ふわふわの里出身だが、ルートインホテルズが生んだキャラクターとして上田市出身のキャラクターともいえるだろう。 写真はルートインで発売されている、ルートングッズである。写真は長野限定わさびルートンだが、全国のルートインでご当地ルートンが販売しているため、集めるのもよい。また、ラインスタンプも販売中だ。2024-02-11
4【第8回】上田さつき保育園【第8回】上田さつき保育園ルートインと保育園との関係がについて疑問に思うかもしれない。しかし、ルートイングループには寿翔永会という社会福祉法人もある。この法人が運営している保育園の一つにこの上田さつき保育園がある。ルートイングループの中に保育園があるということは意外と知られていない。2024-02-11
5上信越道から見える富岡製糸場上信越道から見える富岡製糸場世界遺産「富岡製糸場」が上信越道から一瞬見えます。富岡市街にガスタンクが2基見えます。そのすぐ後ろにある大きな建物が富岡製糸場です。ガスタンクを目印に照準を合わせると走行している車窓からでもはっきりと確認できます。2024-02-11
6愛染カツラ愛染カツラ日本遺産の1つ。「影向の桂」ともいわれる霊木の1つ。2024-02-11
7水の移動経路水の移動経路 川やため池の水は、直接そこに雨が降ったものだけでなく、周囲の高地から流れ込んできたものも多い。高い山があれば、雪解け水も入ってくる。このため、降水量が少ない地域であっても、上流の降水量が多かったり、山脈に面していたりすれば、十分な水を確保できる。  水底は田より低いため、水位が低いときは用水として使いにくい。洪水のリスクが高まるため、底を上げればよいというものでもない。水位が低い場合は、ポンプを使うようだ。  しかし、近代的なポンプは、ため池が造られた江戸時代にはなかった。現在のため池を見ると、当時は底近くに水路を引いたり、水位が一定以上のときのみ水を水路に送っていたと考えられる。現在も、水位が高いときはポンプとは別に排水するようだ。2024-02-11
8鉄道輸送の選択肢鉄道輸送の選択肢これまで上田で走っていた鉄道路線について調べたが、これらは住民の足としての役割だけでなく、野菜や生糸など地域の生産物を輸送する役割を果たしていたことを知った。現在では鉄道輸送のコストの問題から、トラック輸送が主流だ。しかしトラック輸送にもデメリットがあり温室効果ガス排出による環境問題である。鉄道輸送は速く遠くに輸送でき、温室効果ガスの排出も少なくSDGsの観点からも優れている。過去に上田でも貨物列車が走っていたことを知り、鉄道輸送の重要性についても考えることができた。2024-02-10
9丸子の蚕業を支えた鉄道丸子の蚕業を支えた鉄道かつて上田小県では蚕業が盛んだったことは有名です。現在は廃線のため存在しませんが、当時それを支えた鉄道路線がありました。丸子では製糸業者によって丸子鉄道という会社が設立され、丸子線が建設されました。この路線は旅客だけでなく、丸子で生産された生糸などを東京に輸送する役割がありました。しかしモータリゼーションによって衰退し、廃線になりました。写真は丸子駅跡地とその名残です。2024-02-10
10傍陽駅傍陽駅傍陽駅は傍陽線の終着駅でした。こちらも真田駅のように野菜を大都市に輸送するための拠点でした。現在駅跡には当時からある農協の倉庫のみが残されています。2024-02-10
11【第7回】ルートイングループ本部建設予定地【第7回】ルートイングループ本部建設予定地上田駅お城口からまっすぐ原町方面へ向かった上田信金原町支店の目の前に広大な更地がある。ここに第2回で紹介したルートイングループ長野本部が移転してくるようだ。地上3階建てで、建築計画を見ると普通の建物と違った凝った建物にも見える。上田駅前にルートインの関連施設が増え、ルートイン発祥の地としてふさわしい街になるのではないか。2024-02-10
12北本原駅と駅前食堂北本原駅と駅前食堂北本原駅は真田線の駅です。この駅では野菜など貨物の取り扱いが行われていたそうです。駅の跡地前には駅前食堂という食堂があり、廃線となってから50年以上たった現在でも地元住民に愛されている。20年近く真田に住んでいる私ですが、ここのもつ煮は食べないと損です。2024-02-10
13【第五回】上田駅前ロイヤルホテル【第五回】上田駅前ロイヤルホテル1985年に開業したルートインの第一号店であり、ルートイン始まりの地である。ルートインにおいてロイヤルホテルブランドは、ここが唯一であり、名前を変えずに今日まで営業していることから一号店を大切にするルートインの姿勢が見える。34室と規模は大きくないものの眼の前を通ると、日本3大ビジネスホテルチェーンの1つであるルートインの原点を感じさせる威厳がある。玄関上には、開業時の名称「上田ロイヤルホテル」が残っている。 他のビジネスホテルチェーンが開業したのがほとんど同じ時期のため(APA1984年、東横イン1986年)、当時はビジネスホテルの開業が盛んだったのではないかと感じさせる。2024-02-10
14公園前駅公園前駅公園前駅は上田城跡公園に架かる二の丸橋の下にあった真田傍陽線の駅です。真田傍陽線とは、1972年まで上田駅と旧真田町にあった真田駅、傍陽駅を結んでいた鉄道路線です。この駅は上田城の堀の跡に駅が設置され、現在でもホームや架線の跡、駐車場に転用された線路跡を見ることができます。ちなみに城跡公園の北西の堀の跡は野球場、陸上競技場に転用されています。2024-02-10
15【第4回】ホテルルートインGrand上田駅前【第4回】ホテルルートインGrand上田駅前上田駅前にあるルートイン。ここは、Grandブランドであり、普通のルートインに比べハイグレードになっており、観光客をターゲットとしている。歴史は浅く、2019年に開業した。 もともとこの地には、上田西武があった。西武とはいえ、運営は西武百貨店ではなく、西友であった。おなじセゾングループであったことから西武と名乗っていたのだろう。その後、セゾングループ崩壊などもありLIVIN上田店になり、2009年に西友の経営悪化により閉店した。LIVINは昭和後期から平成初期の上田の商文化を語るうえで外せない重要なものであった。 話はルートインに戻り、LIVINが閉店するにあたり上田駅前の空洞化が危惧された。そんな中、ルートインが観光の需要を増やすルートインGrandが開業が決まり、上田市にとって良い方向へ動いた。2024-02-10
16【第3回】ホテルルートイン上田【第3回】ホテルルートイン上田一番長野本部から近いのがここホテルルートイン上田だ。現在広く展開されているルートインブランドである。2023年4月現在、このブランドで271ホテル展開されている。 ルートインという名の通り、国道18号線沿いにあり、無料駐車場が完備されている王道のルートインといっても過言ではない。室数84室で人工温泉、朝食バイキングがある。人工温泉は男女入れ替え制だが、女性の入る時間が短いため、男性客が多いのではないかと予想できる。2024-02-10
17【第2回】ルートイン長野本部【第2回】ルートイン長野本部ルートインには、日本国内に3つの本部がある。東京本部、大阪本部、そして上田にある長野本部だ。東京と大阪は日本の2大都市であり、ビジネスの拠点として本部が立地することが多い。しかし、3つ目の本部が東名阪の名古屋でなく、長野県そして長野市でも松本市でもなく、上田にあることは面白い。その理由は、言うまでもなくルートインの発祥が上田だというからだろう。 ルートインの前身である永山興産株式会社が1977年に上田市に設立された。そこから、運営総客室数 60,233室に及ぶ巨大ホテルチェーンが誕生した。2024-02-10
18北向観音北向観音善光寺と対になる観音様。参拝の際は両者ともに行くのがしきたりだそうです。2024-02-10
19ため池の自然における役割ため池の自然における役割 天然の湖や池が少なく、川も浅い塩田地域では、ため池が水鳥のすみかとなっている。  また、水草が多く茂っているため池もある。その中には水辺にすむ昆虫などが生息していると考えられる。草が多いため池は十分に管理されていない可能性があり、自然に還りつつあるとの見方もできる。  水が少ない地域では、ため池は生き物にとっても貴重な水場である。しかし、ため池はあくまでも人工的な環境である。石やコンクリート、金属で作られた箇所が多く存在する。  ため池を人が利用し続けるなら、人工的な部分を残してもよいだろう。しかし、野生生物のためだけに保存するのであれば、パイプなどの人工物は撤去するべきだと考える。ため池を使い続けるのかどうか、はっきりと決める必要がある。2024-02-10
20梅花幼稚園2008/06/22梅花幼稚園2008/06/222008/06/22の記録。 梅花幼稚園は上田市内にあるキリスト教主義の幼稚園です。1900年に開設されました。現在の園舎は1903年に建てられた歴史的建築です。現存する全国の幼稚園の園舎の中では大阪市立愛珠幼稚園の園舎(1901年竣工)に次いで日本で2番目に古い園舎です。幼稚園の隣には蚕糸業の発展に貢献した三吉米熊(1860-1927)邸があり、クリスチャンでもあった三吉米熊は梅花幼稚園との関わりもあったようです。蚕糸業で古くから栄えた上田の歴史を物語る歴史的スポットです。 参考資料: 学校法人梅花学園梅花幼稚園http://www.baikayouchien.com/ Wikipedia:大阪市立愛珠幼稚園 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%98%AA%E5%B8%82%E7%AB%8B%E6%84%9B%E7%8F%A0%E5%B9%BC%E7%A8%9A%E5%9C%922024-02-10
21講義「信州上田学Ą」報告2024/02/10講義「信州上田学Ą」報告2024/02/10「『信州上田学』学びの成果発表会2023」(2024/02/10開催、会場:長野大学リブロホール)で、長野大学の独自科目「信州上田学」の報告を行いました。 ★長野大学講義「信州上田学2023」報告 12分  報告者:前川道博(企業情報学部教授)、学生3名   当日発表した学生3名に「信州上田学」と各自が取り組んだ「地域キュレーション」に対する動機や感想などを語ってもらいました。 <信州上田学2023ふり返り> ★村上柚葉さん(社会福学部1年生)/別所を盛り上げるには 3分 ★佐藤杏一さん(環境ツーリズム学部1年生)/藤井松平氏の遺構を上田の観光資源として活かす 6分 ★古賀寛也さん(環境ツーリズム学部1年生)/上田が今後、持続可能な発展を遂げるためには  ~蚕糸王国だった2024-02-10
22リヴィン上田店2008/05/04リヴィン上田店2008/05/042008/05/04の記録。 Wikipediaによると上田西武店がリヴィン(LIVIN)に改称したのは2000年9月とのこと。リヴィン上田店は2009年に閉店しました。リヴィンは総合スーパーながら、店内は前身でもある西武百貨店時代のデパートらしい装いが印象的な店舗でした。営業していた期間、店内を撮影するのははばかられたので私の写真記録の中にはありません。今となっては写真の記録もなく、記憶に残るのみです。 リヴィン跡地には現在ホテルルートインGrand上田駅前(2016年創業)が建っています。都市の変容の痕跡が記憶からも薄れていきますね。 参考資料:Wikipedia「リヴィン」 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%B32024-02-10
23無形の伝統を伝えるために無形の伝統を伝えるために調査をしてみて、形のない伝統をただデジタルの形におこすのではなく、それらに込められた意味に思いをはせることも大事ではないかと感じた。込められた意味をデジタルアーカイブに盛り込むのは難しいかもしれないが、あらゆる角度からの資料をのこすことで、少しでも伝統に関わる人達の心が伝えられるのではないか。2024-02-09
24前山寺三重塔前山寺三重塔塩田平の南方、東前山の集落の山麓にある前山寺は弘法大師空海の開創と伝わる。 三重塔は室町時代初期の造立とされ、初層と二層に掲げられた大日如来の額で金剛界五仏を表す。 何らかの理由で二層・三層には扉や回廊がないが、簡素かつのびやかで美しいことから、未完成であるにも関わらず何の不調和もなく、「未完成の完成塔」と絶賛される。 一見、未完成の状態には見えず塔の精密さが感じられた。2024-02-09
25常楽寺常楽寺常楽寺は北向観音が建立された825年に建立された。 北向観音の本坊であり、ご本尊は「妙観察智弥陀如来」で全国的にも珍しい阿弥陀様である。 また、本堂裏の北向観音の霊像が出現した場所には、石造多宝塔が保存されており、鎌倉時代に天台教学の拠点として大いに栄えた常楽寺の歴史を証する貴重な文化財となっている。 階段を上がって最初に萱葺の本堂が目に入る。屋根から重厚さを感じられる。2024-02-09
26常楽寺石造多宝塔常楽寺石造多宝塔石造多宝塔は1262年の作で、総高274㎝の重厚で堂々とした風格や造り方は鎌倉期多宝塔の優品である。国の重要文化財に指定されている。 多宝塔の形は土台石の上に横長の直方体の石をのせ、幅の広いひさしをさしかけている。その上部は円筒形の身舎を造り出しその上に笠をのせ、一番上に細長い相輪を立てている。 塔が建てられている所は北向観音の出現地といい、境内でもっとも神聖な場所とされる。 常楽寺本堂から石造多宝塔まで向かっていくと徐々に神聖な雰囲気が感じられた。 周りを木や緑に囲まれており、空気がとても澄んでいる印象だった。 また、石造多宝塔のすぐ右側には上田市指定文化財である常楽寺石造多層塔が建っている。2024-02-09
27前山寺三重塔前山寺三重塔塩田城の鬼門に位置している、前山寺の中にある塔。写真を見てわかるように、とても整っていて、美しさを感じられる塔なのだが、なんと未完成らしい。どうやら、廻廊など足りない部分があるらしいため、「未完成の完成塔」と言われているそうだ。一見、どこが未完なのかは本当に分からない。なので、ぜひ自分の目で見て確かめてはどうだろうか。日本遺産になっているのは三重塔だが、他の建築物も素晴らしく、茅葺き屋根の本堂はとても大きく、迫力を感じられる。私が見てきた茅葺き屋根の建築物の中では、ダントツで大きいと思ったので、それも兼ねて見学することをおすすめする。2024-02-09
28【第一回】上田市とルートイン【第一回】上田市とルートイン 大手ビジネスホテルチェーンとして、全国に展開するルートイン。ルートインが上田発祥だということをご存じだろうか。今回は、上田市にあるルートインの関係施設を回り、全九回にわたって紹介するうちの第一回。  上田市とルートインが市民に広く知られるのは、信州上田大花火大会での協賛ではないか。写真は第36回の協賛であるが、上田市内の企業で一番大きくルートイングループの名前があり、つまり一番お金を出していると思われる。(ミクニは東御市の企業であるため、今回は除外)上田市の花火大会にとって、ルートイングループはとても重要な存在だ。2024-02-09
29これは最低気温を折れ線グラフ化したものである。「西塩田時報」の数値の上下が気象庁のデータと比べて非常に大きい。「,14」の「西塩田時報」のデータは他のデータに比べて非常に数値が高くなっている。表記の解釈次第では「ー4」とも「ー14」ともとれる。他の水準から考えるとー14℃が正しい解釈の可能性が高い。2024-02-09
30これは平均気温を折れ線グラフ化したものである。「西塩田時報」の数値の上下が気象庁のデータと比べて非常に大きい。これが正しいデータであるのかを検討するためには当時の気温に関するデータを他に参照しなければならないが、当時は手計算であったこと、気温の測定方法の明記がなく現在のように統一化された条件のもとで測定されたものである確証がないことからデータ自体が間違っている可能性が大いに考えられる。なお大正10年のデータは記録がないため「西塩田時報」の「,12」の数値はグラフに表示されていない。2024-02-09
31これは最高気温を折れ線グラフ化したものである。「過去の気象データ」(1998~2023のデータ使用)の方が若干高い水準で推移している。2024-02-09
32「西塩田時報」のデータに合わせ「気象庁」の「過去の気象データ」も25年分のデータから14年分のデータをまとめる。2024-02-09
33諸ものがたり20231107 #shorts諸ものがたり20231107 #shorts2023年10月29日に開催した、「第8弾移動企画シリーズ 諸ものがたり」のダイジェスト動画です。 2024-02-08
346代松平忠優(忠固)はどんな人物か6代松平忠優(忠固)はどんな人物か下の画像:ミッチーの画像を引用    上田市中央にある願行寺の松平氏の墓所を訪れた。写真に見えるのは、四角い石碑を外して、右手側から、上田藩6代藩主の松平忠優(ただます)またの名を忠固(ただかた)、4代藩主の松平忠済、そして忠済の嫡男で20歳くらいで若くして亡くなった忠英(ただつね)の墓である。この記事では、松平忠固の功績を取り上げたい。  忠固を一言で表すとすれば、幕府の体制を、開国つまり外国と貿易を始めるよう向かわせた人物である(オランダ、中国、朝鮮は入らない)。なぜか。忠固は二度、幕府の中枢つまり幕閣で老中という役職を務めている。そして、忠固の一度目の就任期間時には、幕府は日米和親条約を締結し、二度目の就任期間時には、幕府は日米修好通商条約を締結している。忠固は開国派の立場を2024-02-08
35vol7六供ものがたり 202307vol7六供ものがたり 2023072023年7月1日に六供公民館で開催されたイベントの様子です。 糸のまち・こもろプロジェクト、移動企画シリーズ第7弾。 小諸蚕糸業の発祥地で温故知新~企画 「民間で始まる蚕糸業ものがたり」 2024-02-08
36製糸城下町・歴史探訪 ルーツを訪ねて第1回 純水館資料館製糸城下町・歴史探訪 ルーツを訪ねて第1回 純水館資料館味噌と糸がどのようにつながるのか、そこがミソなのです! 移動企画シリーズの後追いで歴史を探訪します。 2024-02-08
37氷風穴の里保存会主催 風穴講演会 氷風穴をめぐる人々と交通・産業 かっくんのハーモニカ演奏、宮下健司氏講演会(宮下氏側撮影)(スクリーン側撮影)氷風穴の里保存会主催 風穴講演会 氷風穴をめぐる人々と交通・産業 かっくんのハーモニカ演奏、宮下健司氏講演会(宮下氏側撮影)(スクリーン側撮影)【風穴講演会 氷風穴をめぐる人々と交通・産業】 主催:氷風穴の里保存会 開催日:2024年1月28日(日) 会場:安藤百福センター(小諸市大久保千百番) 詳細URL:https://fuuketsu.wixsite.com/koori/%E8%A4%87%E8%A3%BD-2023%E5%B9%B48%E6%9C%882%E6%97%A5-1 【かっくんのハーモニカ】 各務 雄太さん(通称かっくん)はアスペルガー症候群を抱え、ハーモニカ奏者としてマネージャーの父貞雄さんと共に地元小諸市を中心に活動しています。主に発達障害の理解を進めることや東日本大震災の被災地支援活動を行っています。また、今年は「平和への祈り」をテーマに、地震や戦争が続く中での平和への祈りを込めて演奏されています。 【講師:宮下 健司氏】  宮下健司氏は1951年東筑摩郡麻績村に生まれ、明治大学で歴史学を専攻されました。その後、県史編纂や県立図書館勤務を通じ、2024-02-08
38諸を語り唄~絹の奏で~ 坂本 明央氏(津軽三味線奏者)諸を語り唄~絹の奏で~ 坂本 明央氏(津軽三味線奏者)2023/10/29開催 【第8弾移動企画シリーズ 諸ものがたり ~純水館・名前の由来~】 主催:糸のまち・こもろプロジェクト 共催:諸公民館 後援:信濃毎日新聞社・小諸新聞・東信ジャーナル社・小諸市教育委員会・(株)コミュニティテレビこもろ・(株)純水館・純水館資料館・氷風穴の里保存会・週刊さくだいら 【内容】 「諸を語り唄~絹の奏で 坂本 明央氏(津軽三味線奏者)」  坂本 明央氏は青森県北津軽郡坂柳町出身。民謡全国大会連続優勝後、クラウンレコードよりデビューし、全国ツアーを開催しました。津軽三味線名人藤田淳一師の門下生となり、日本コロムビアより「津軽を弾いて津軽を唄う」を発売しました。平成12年に小諸市に移住、津軽じょんがら座を設立。現在も公演を続け、三味線や民謡の指導を行っています。 2024-02-08
39風穴学習会(主催:氷風穴の里保存会)風穴学習会(主催:氷風穴の里保存会)前半動画の「15:53~17:05」の間 機材トラブルにより無音になっています。栁澤裕子氏を始め、視聴者の方々大変申し訳ございません。 【風穴学習会】 2022/08/28開催 主催:氷風穴の里保存会 会場:安藤百福センター https://www.momofukucenter.jp/ 発表者:栁澤定重 氏(小諸風穴に精通)     栁澤裕子 氏(小諸風穴創設者の末裔)     佐藤 登 氏(氷風穴の元番人)     土屋 清 氏(氷区の郷土研究家) 司会進行:前田重雄(氷風穴の里保存会 事務局長) 2024-02-08
40「蚕糸業とシルク利用の展望」「蚕糸業とシルク利用の展望」【2022/11/3開催】「民間で始まる蚕糸業ものがたり」 [第5弾移動企画シリーズ 民間で始まる蚕糸業ものがたり 【紺屋町ものがたり】 共催 紺屋町区公民館] 令和4年度小諸市市民活動促進事業 補助金活用事業 主催:特定非営利法人 糸のまち・こもろプロジェクト 後援:小諸市教育委員会/株式会社コミュニティテレビこもろ 講演会「蚕糸業とシルク利用の展望」講師:塚田 益裕氏(元 信州大学繊維学部 特任教授) 2024-02-08
41民間で始まる蚕糸業ものがたり民間で始まる蚕糸業ものがたり【民間で始まる蚕糸業ものがたり】 主催:特定非営利活動法人 糸のまち・こもろプロジェクト 【講演】(2022/07/02開催) 講演1:「シルクの里 純水館ものがたり」~制作秘話~ CTK報道制作部長 後藤 理恵氏  明治23(1890)の創業から昭和期に至るまで小諸の製糸業をけん引した純水館に関わった方々の話やそれを基に制作された「シルクの里 純水館ものがたり」の制作についてのお話です。 講演2:「小諸の交通と蚕糸業」元長野県立歴史館総合情報課長 宮下 健司氏  幕末から近代に至る蚕糸業の歴史を信州全体に亘って解説し、特に小諸の交通に着目してその蚕糸業における役割について語っています。 https://youtu2024-02-08
42ミルキーウェイミルキーウェイレトロな雰囲気のレストラン 地元の方に愛されているお店です 比較的低価格なのにボリューム満点 とっても美味しかったです 神畑駅からも近いので是非行ってみてください2024-02-08
43常田館製糸場について常田館製糸場について これは大浴場と炊事場になります。2000人に及ぶ従業員の食事を作るためかなり大きいです。浴室は男女両方ありました。(写真は男性のみですが…)当時はこの場所にはありませんでした。すぐ横にある道路開発によって退去を命じられたそうで曳家さんに依頼してここまで引っ張ってきたそうです。すごいですね。残念ながらその際、内装は埋め立ててしまいないのですが、今もその姿を残し、後世に蚕都上田の歴史を伝えています。2024-02-07
44常田館製糸場について常田館製糸場について これは、みそ樽です。当時、従業員は住み込みで働いており、なんと2000人ほどいたそうです。その際の食事に使うみそなどを作っていたそうです。上田市はみそも有名ですが、ルーツは製糸場で作っていたみそだと社長さんが言っていました!!!みそは師弟制度で作っており、ここで修業した職人が独立して、上田市内外でみそを作っていったそうです。 ※立ち入り禁止エリアだったのですが、社長さんが特別に許可してくれました。2024-02-07
45SKFのチケット販売上田会場2008/05/24SKFのチケット販売上田会場2008/05/242008/05/24の記録。 毎年松本で開催される「サイトウ・キネン・フェスティバル(SKF)」(現在は「セイジ・オザワ松本フェスティバル(OMF)」)はクラシック音楽の催しとしては人気が高く、チケット販売初日、長野県内の5つある販売会場にはどこにも長蛇の列が出来ていました。指揮者・小澤征爾さんの人気によるところが大きい。松本会場は前日からテントを持ち込み列をつくる「テント村」が出来ることがマスコミで取り上げられ話題となっていました。 上田の場合は、徹夜をして並ばなくていいように市民有志が販売初日の数日前から整理券を配り、順番を確保できる「上田方式」が取られていました。松本に比べると上田は整理の運営が合理的でクールです。主催者とは関わりなく市民有志が行っていたことも上田ならではのグッドプラクティスでした2024-02-07
46旧上田一中跡2008/05/24旧上田一中跡2008/05/242008/05/24の記録。 ツルヤ上田中央店と健康プラザうえだのある場所は旧上田一中の跡地でした。校舎が取り壊された後、2008年頃は空き地になっていました。駐車場、子どもがスポーツを楽しめるグラウンドになっていました。その奥は長野県の合同庁舎になります。体育館、音楽室の建物はこの時点では壊されずにあり、子ども劇場で使われていたようです。 都市環境から昔の記憶が遠のいていきます。2024-02-07
47マンホール:木島平村マンホール:木島平村2008/05/17の記録。 木島平村を訪れた際、路面のマンホール蓋に目が向かいました。着物姿の子ども2人が踊っている姿があしらわれています。地元の祭りかと思いましたが、「よろこび」(次世代を担う子供たちが環境整備がなされ喜んでいる姿)をデザインしたものとのこと。周囲にフクジュソウがあしらわれています。マンホールもさることながら、木島平の自然豊かな地域景観にも魅せられます。 参考:木島平村のマンホール https://rojonomanhole.web.fc2.com/nagano/kijimadaira_village.htm2024-02-07
48 次に戦争の影響です。当時、満州事変などもあり、新聞よりも、いち早く戦争の情報を得られるラジオに関心が高まったのではないかと考えられます。実際に西塩田時報で時系列を追って、過去の記事を探した時にも、刊行日に空きがあり、著しく変化する戦時状況をとらえるには新聞は適していなかっただろうなと考えていました。その上、政府は当時、国防強化の面からラジオ放送を聞くことを推奨し、ラジオを聞くことは国策に協力することと強く発信してあおっていたことも要因の一つだと考えました。 また、政府にとって、ラジオは戦争で懸念される民意のコントロールにも役立っていのではないかと考えました。2024-02-07
49 先ほどもご覧になった通り、長野市で放送局が開設されたのちに、上田市にも放送局が開設したことが西塩田時報に記載されていました。これにより、25円程度先ほどの1/4程度で放送が聞けるようになるとも伝えられており、このような状況が全国各地で起こっていたことが推測されます。また、機械性能の改良により、受信機の値段も低下することも普及につながると考えました。他にもかなり推測になりますが、特需景気による好景気も、受信機を手に取ることに影響した可能性も考えました。2024-02-07
50 しかしながら、当初、ラジオ放送を聞くためのレシーバーや大型のロードスピーカーは非常に高価で誰にでも買えるものではありませんでした。そのため、当時の時報でも大型のスピーカーを村で一つ購入して住民たちで聞くことを推奨していました。  ではなぜこのような状況からラジオ放送は普及したのかいくつか考察してみました。2024-02-07
51 1925年8月に発行された西塩田時報では無線通信分野における、我が国の現状や問題点、将来性や、欧米諸国との比較について言及されていました。詳しく説明すると、従来日本でも無線技術を兵器工場などでの軍用利用にとどめる形で利用してきていたが、秘匿されていました。国民の科学思想の普及を図る目的もあり、この技術が公開され、さきがけとして東京放送局でラジオ放送が開始されました。  この年、長野県でも1か所放送局開設が許可され、年中に上田市の多くの地域でもラジオ放送が聞くことができることが記されていました。2024-02-07
52前山寺のくるみおはぎ前山寺のくるみおはぎ2008/05/11の記録。 塩田平の名刹・前山寺のくるみおはぎを賞味したいと思い、この日、前山寺を訪れました。通常、予約が必要ですが、幸いこの日は予約なしで入ることができました。前山寺のホームページによると、檀家さんを接待するのに住職さんが手作りしたのが始まりとのこと。精進料理を提供してくれるお寺さんもありますが、前山寺の檀家さんに対する接待文化を一般の私たちも体験できることはこの上ないおもてなし文化です。いわゆる普通のグルメとは違います。美味なものでした。 くるみおはぎの文化は前山寺の環境の中で一際映えたものになります。障子戸のガラス窓越しに見える借景には風情があります。軒先に立つと塩田平が一望できます。「くるみおはぎ」のみでこの文化を語ってはいけません。 参考:前山寺ホームページ2024-02-07
53電波利用の歴史電波利用の歴史では、まず簡単にラジオ放送が普及していった歴史をおさらいする。1988年にヘルツが電磁波を確認して、1920年にアメリカでラジオ放送が始まりました。日本でも、それから5年がたつと、ついに東京放送局がラジオ放送を開始して、電波文化が到来しました。2024-02-07
54長野県上田市にある別所線の終点である別所温泉駅長野県上田市にある別所線の終点である別所温泉駅別所線は大正から昭和にかけて開業した蚕都(サント)上田を支えた5つの私電鉄のうち、唯一現役なのである。また、上田から別所温泉に至る路線は大正10年(1921年)に開通した。また、中塩田駅や別所温泉駅など、駅舎に近代の趣を残す建物が多いのも特徴である。また、別所温泉駅は別所温泉街の玄関口として、別所温泉の発展に大きく貢献してきたと言える。また、別所温泉駅も信濃国分寺・生島足島神社・泥宮も結ぶレイラインの一部である。そして、別所温泉駅は、別所温泉街への玄関として長年、別所温泉の歴史や文化を伝える拠点として重要な役割を担っているとされている。そして別所温泉駅もまた竜と生きる町、上田としての文化的な背景を示す象徴的な存在と言える。 実際に訪れてみて、昭和のレトロ感があり、駅としてだけでなく、2024-02-06
55長野県上田市にある愛染カツラ長野県上田市にある愛染カツラ愛染カツラは、826年に、山中から火の手が上がり、円仁が祈ったところ千手観音が現れ、地面から温泉が湧出し、千手観音は北向山のカツラの大木に留まったため、円仁がその姿を写して祀ったのが北向観音の発祥とされている。また、ハートの形の葉が珍しく、川口松太郎原作の映画「愛染カツラ」のモデルとなり、今でも縁結びの霊木として老若男女に親しまれている。 実際に訪れてみて看板があるものの発見しづらいので日本遺産という目印を付けた方がより観光客に見てもらえるかなと感じた。しかし、木の周りも綺麗に保たれていて見やすかった。また、看板に説明はあるが日本語でしか書かれていなかったので英語なども書かれているとよりよくなりかなと感じた。2024-02-06
56科野大宮社科野大宮社信濃国府の総社という説もあるほど由緒ある古社である。 境内には簡素な公園と喫煙所があり、私が参拝した際には近所の御老人方が談笑していた。2024-02-06
57学生による地域キュレーション2023(信州上田学A受講生)学生による地域キュレーション2023(信州上田学A受講生)学生による地域キュレーション2023(信州上田学A受講生) 長野大学の地域科目「信州上田学A」2023を受講した学生が「信州上田」を接点として地域キュレーションした地域学習のアウトカムです。タイトルを選ぶとその学生のマイサイトを表示します(2024/02/15更新)。 各キュレーションの「マイテーマ」は次のページからご参照ください。[ Vol.1 | Vol.2 ]
    ▼社会福祉学部学生
  1. いちご/上田の食
  2. しおり/上田の食べ物
  3. な/上田の日本遺産について
  4. るるる/塩田平の文化財
2024-02-05
58上田の街つくり2上田の街つくり2これは上田高校の校門の写真である。松本市と比べる以前に全国各地を見ても高校の門が昔ながらの門であるのは珍しいものである。これは古城の門と呼ばれ、1789年消失後、翌年再建された。文化財にも認定され歴史ある建造物として日々使用されて使用されている。これもまた上田しの街つくりの一部となっている。2024-02-05
59上田の街つくり上田の街つくり上田市も松本市と非常に似た、景観を意識した街つくりを行っている。写真は上田市の柳町の通りのものである。以前に投稿した松本市の中町通りとかなり似ており、建物から石畳に至るまでかなりの共通点が見受けられる。2024-02-05
60プロジェクト研究(長野大学前川ゼミ)2023アウトカムプロジェクト研究(長野大学前川ゼミ)2023アウトカム長野大学企業情報学部前川ゼミ/プロジェクト研究2023成果報告 ▼前川ゼミ2023成果報告 60分 ゼミメンバーの各自が成果を報告しています。(発表順は以下の順と同じ) ▼前川ゼミ・ポートフォリオ(マイサイト) 〔地域デジタルアーカイブ〕 【1】竹中丈二(4年) 地域史料のデジタルアーカイブとその活用 【2】久保山遥(4年) デジタルアーカイブ化と社員日誌 【3】石平飛揚(3年) 紙資料のデジタルアーカイブ化 〔地域づくり支援〕 【4】福田晴紀(4年) メディアの活用と地域づくり 【5】春原百々羽(3年) 地元上塩尻の文化の2024-02-05
61松本の街つくり2松本の街つくり2松本は松本城を起点とし、碁盤の目のように道が整備された作りをしている。そのため築城当時の景観を生かし、現代においてもそれを崩すことなく保存しつつ街を作っていることが窺える。2024-02-05
62松本の街づくり松本の街づくり松本市は国宝松本城を有し、それを基盤とした街づくりを行っている。写真は松本市の中町通りである。御覧の通り、和風なつくりをしており、両脇の店は倉をりのーベーションしたものを使っていたり、またそれに似せた外観であるものがほとんどである。また石畳が敷かれており、景観の良さを引き立てている。2024-02-05
63長野の観光地の持続性 泥宮長野の観光地の持続性 泥宮泥宮は泥をご神体とし、慰霊をここに残しという。泥宮は1790年以降に名付けられた。かつては、生島樽島神社と一本道でつながっていて、深い関係があった。 とても趣がある場所だと感じた。2024-02-05
64長野の観光地の持続性 長福寺長野の観光地の持続性 長福寺長福寺には信州夢殿や菩薩像などがあり、それは昭和17年からできていたとされる。その建築方法は奈良の物を使用するといった当時の匠の技がたくさん施されていて、昭和を代表する建築ということが分かった。また観音像は菩薩立像とも言うが、法隆寺にならい救世観音という。 とても歴史を感じる建築で、その当時の文化や歴史が直接伝わってきたような気がした。2024-02-05
65長野の観光地の持続性 生島足島神社長野の観光地の持続性 生島足島神社生島足島神社の西鳥居は運気の転換点として知られていて、太陽が東の鳥居から西の鳥居を抜けて一直線に伸びる参道へと沈んでいく様子が有名である。このような参道の仕掛けは太陽への深い信仰心が見られると考えた。また、生島大神がいると考えられていて、それは万物えお生み育て力強い生命を与え、足島大神は国中を満ちたら占め人々の願いをかなえてくれると言い伝えられている。 実際に行き、太陽が沈む様子はとてもきれいだった。2024-02-05
66平林堂書店2015/03/17平林堂書店2015/03/172015/03/17の記録。 上田市の老舗書店の一つ、原町にあった平林堂書店は数年前に閉店し、その後、建物も取り壊されました。『信濃蚕糸業史』全3冊を購入したのもこの書店です。地域に関する古い書籍も数多く品ぞろえされていました。今となっては記憶の中にしか残っていませんが、幸い私の写真に記録されていました。2024-02-02
67丸窓電車丸窓電車別所線のシンボルともいも言える丸窓電車(モハ5252)。昭和2年に製造された。それから昭和61年まで使用され、別所温泉駅構内に保存されている。 訪れたことで別所線の歴史を学ぶことが出来た。また車内をのぞき込むと木造でできているところが多く驚いた。2024-02-02
68別所線赤い橋別所線赤い橋上田電鉄別所線のシンボルともいえる赤い橋(千曲川橋梁。1924年に架橋された。 2019年の台風19号により崩落したが、市民の協力により復活した。 上田市民の市民力や別所線が地域に愛されていることを感じた。2024-02-02
69日本一短い?県道162号日本一短い?県道162号上田駅前お城口にある横断歩道の部分が短いともいわれている県道162号上田停車場線。長さなんと実延長は7メートル。 実際は県道77号と重複しているため総延長は126メートルである。 重複区間は長い方が優先されるため実延長は日本一短いといえるかもしれない。 上田の隠れスポットなので一度は訪れてみてはどうでしょうか。2024-02-02
70ドライフルーツ販売店「玉井フルーツ店」ドライフルーツ販売店「玉井フルーツ店」様々なドライフルーツとチーズが売られている。地元信州の果物が使われていたり、珍しいドライフルーツが売られている。また、パッケージが「大」と「小」があるため、必要な分を購入できるため、お土産にも良い。おすすめは信州のリンゴで作られたチップス。2024-02-02
71安楽寺の文化財安楽寺の文化財安楽寺の文化財について、3つ紹介する。  一枚目の写真は重要文化財の「安楽寺前開山樵谷惟仙和尚像」。樵谷惟仙(しょうこくいせん)は安楽寺の初代住職。二枚目の写真は重要文化財の「安楽寺前二世幼牛恵仁和尚像」。幼牛恵仁(ようぎゅうえにん)は安楽寺の二代目住職。これらのような禅宗の僧の彫刻像のことを「頂相(ちんそう)」という。  三枚目の写真は上田市指定文化財の「輪蔵」。このなかには「黄檗版一切経」というお経が納められている。この輪蔵を回転すれば、文字を読めない人もお経を読める人と同じ功徳が与えられるといわれている。 参考文献: 上田市塩田地区学校職員会、上田市塩田文化財研究所編,『信州の鎌倉塩田平とその周辺』信毎書籍出版センター発行,昭和六〇年一二月二五日初版発行,p.66-69 曹洞宗安2024-02-02
72生島足島神社生島足島神社鳥居がとても大きかったです。 近くにあるお蕎麦屋さんがとてもおいしかったので、生島足島神社に訪れた人はよって見るといいかもしれないです。2024-02-01
73夢の家夢の家とてもおいしかったです。値段も手ごろな価格で学生にやさしかったです。ラーメンのほかにも焼肉などいろいろあったので、また行きたいです。2024-02-01
74常楽寺の''石造多宝塔と石造多層塔''常楽寺の''石造多宝塔と石造多層塔''常楽寺の石造多宝塔について。写真の場所は、昔大きな火柱と一緒に観音が現れた場所と言い伝えられている。  多宝塔というのは一枚目の写真のような塔のこと。多宝塔には木造のものと石造の物がある。常楽寺の物は石造の多宝塔で、重要文化財に指定されている。  多宝塔のほかにも多層塔もあり、二枚目の写真が多層塔。六〇年前の大正一三年に、別所温泉北向観音堂の近くの裏山の地下で発見された。その後どこかに行ってしまったが、滋賀県で発見。別所に返してもらった。 参考文献:上田市塩田地区学校職員会、上田市塩田文化財研究所編,『信州の鎌倉塩田平とその周辺』信毎書籍出版センター発行,昭和六〇年一二月二五日初版発行,p.56-582024-02-01
75北向観音の''絵馬''北向観音の''絵馬''北向観音堂に奉納されている絵馬はとても興味深い。馬の絵や、鬼退治の絵、善光寺地震などが描かれた絵馬がある。絵馬の由来は、神は馬に乗った姿で現れるとするため昔は本物の馬を奉納していたそう。しかし次第に木や紙、馬の像で代用するようになっていった。鎌倉時代以後には、絵馬の図柄は馬だけではなく多様なものが描かれるようになっていった。 一枚目の写真は板絵鬼女紅葉退治の絵馬。平安時代、信州戸隠山に住み悪事を働いた鬼を退治したとされる伝説。鬼女征伐の命令を受けた平維茂は、北向観音の加護によって退治することができたといわれている。 二枚目の写真は善光寺大地震の絵馬。一八四七年に御開帳でにぎわう善光寺を突然大地震が襲い、多くの人が亡くなった。絵馬の中央にいる市之助という人は、一五人の一行と旅を2024-02-01
76大湯 別所温泉大湯 別所温泉【木曽義仲ゆかり葵の湯〜北条氏ゆかりの湯】 木曽義仲がはるか上洛の機をうかがっていた頃、愛妾葵の御前としばしば入浴していたので「葵の湯」とよばれていました。 その後、北条義政が浴室を建て、北条湯ともよばれていましたが、後にその溢れ出る湯の量の多さから「大湯」と改められました。 →引用 https://www.bessho-spa.jp/sight/spa.html かぼさ ・写真撮るの忘れてしまいました。 ・無料駐車場からは行きは上りで少し歩きます。 ・入浴料200円と安くて驚きました。(いつも行く温泉の三分の一) ・アメニティなどは近くの券売機?で購入できます。 ・シャワーではないので、そこが注意点です。またドライヤーは有料なのとコンセントがないので、基本濡れたまま帰るかお金を払うしかありません。髪が長い方は時間が足りず。100円じゃ乾きき2024-02-01
77上田市マルチメディア情報センター上田市マルチメディア情報センターいにしえの丘公園からさらに山を登ったところにある施設です。大きなサイズのミッケなどがあり、大学生でも楽しめる施設でした。2024-02-01
78【再掲】未完成の完成塔・前山寺【再掲】未完成の完成塔・前山寺前山寺に訪問させていただいた際にとった写真です。未完成の完成塔と称されている通り荘厳な良い文化財だと思いました。迫力があり、平日の日中でも観光客がちらほらいていい雰囲気だった。2024-02-01
79過疎地域の文化財・中禅寺過疎地域の文化財・中禅寺静寂のなかで精神を整え、対峙する中禅寺はとても魅力的であった。しかし文化財の維持や観光という点で言うといい印象は抱かない。交通手段が車しかなく、行くまでの道も困難。さらに私が訪れた際には受付に人が居らず非常に困惑した。地域文化財の在り方について問いかけられるものであった。2024-02-01
80上田の象徴!月明り照らす上田城上田の象徴!月明り照らす上田城上田と言えば上田城!大河ドラマ「真田丸」にて脚光を浴びたこの城は上田を大きく発展させるとともに、多くの人々に消費される文化財となった。私は長野県民として、高校時代から上田の観光の在り方について考えることがあったが、文化財による観光誘致の在り方についてこの城は今一度投げかけてくれるであろう。それでも上田城はそこに佇んでおり、私たちに寄り添ってくれる。2024-02-01
81日本の中心!生島足島神社日本の中心!生島足島神社池の上に浮かぶ真っ赤な神社。その荘厳な雰囲気は見るものを惹きつけます。地域住民だけではなく外国人観光客も度々見受けられ、インバウンド誘致も成功していると読み取れます。初詣では県内外の客が集いその姿は、長い年月を通して多くの人から愛される地方における、信仰・観光・地域開発の象徴だといえます。2024-02-01
82拉麺酒房 熊人拉麺酒房 熊人ここは、上田市上田原の山の麓の近くにあるラーメン屋さんの「熊人」というところです。 外見を見ると、いたって普通の民家の見た目をしていて、中に入ってみると、畳の座敷とカウンター席がありました。やはり、民家をリニューアルしてラーメン屋さんに改造したんだなと思いました。 私が食べたラーメンは、味噌ラーメンです。この写真を見ての通り、ラーメンの器が一つ一つ違っていて古風でとてもおしゃれでした。 ラーメンの味も濃すぎずやさしい味で、とても美味しかったです。 私がその中でも印象に残っているのは、店員さんの温かさをとても感じました。水餃子をお勧めされ、頼んでみたらとても柔らかく美味しかったので、追加で頼んでしまうくらいでした。 ぜひ行ってみてください。2024-02-01
83蚕都上田 常田館製糸所 煙突蚕都上田 常田館製糸所 煙突この煙突に関して2つ、新たに学びがあった。 1つ目はこの煙突は当時、石炭で稼働しており、現在の上田駅とこの煙突のふもとの間にトロッコが通っていたという。当時、物資の輸送は大変重要な役割であった。 2つ目は笠原工業(笠原製糸)が常田館製糸所をこの地に置いた理由は大きく3つあるという。「多くの労働力・都市部や地域内の輸送手段の発達・澄んだ水」である。上田市は当時、人口の8割を超える市民が養蚕業・製糸業に従事していたという。実際、常田館製糸所は2500人の従業員を抱えていた。また、東京・横浜への物資輸送手段が発達していたこと、上田駅と常田館製糸所間にはトロッコが開通していたことから交通が発達していたことがわかる。そして、菅平から流れる澄んだ水を貯水し、水が重要な製糸業に利用していたという。 今2024-02-01
84蚕都上田 常田館製糸所 食堂蚕都上田 常田館製糸所 食堂常田館製糸所の食堂は敷地内に1ヵ所で特に広いわけではなかった。2500人分の3食を毎日用意していたことを思うと驚きだ。この建物の天井は特徴的で、三角屋根であるのだが、てっぺんが外気と接していて、換気扇の役割をしていたという。木造の建物で温かみがあり、当時この小さな食堂が大人数で賑わっている状況をイメージするだけでも上田市が養蚕業・製糸業で盛り上がっていたことがわかる気がした。2024-02-01
85お祭りの日お祭りの日上田わっしょい祭りの日の海野町。この日は交通規制が行われていて駅前は一般車の通行が禁止されて中心地に人が集結している状態になった。この日は、普段着席できる別所線も座れないほどで、駅近の求心力が強い施設や行事があれば人は電車に乗ることが証明された。この日は、市内中心部にあるセブンイレブンの自転車スタンドが使用中止となり、代わりとなるスタンドの設置や臨時スタンドで対応となった。こうした柔軟な対応が取れるのも、シェアサイクルの利点と言える。2024-02-01
86互 先発 水掛酒造互 先発 水掛酒造上田市の地酒2段目です! 中辛 実際に飲んだら、とても酸味が強く感じた。 原料米 長野県産ひとごこち 水掛酒造は2月4日に蔵見学に行くので、投稿楽しみに!!2024-02-01
87蚕都上田 常田館製糸所 オーナー家蚕都上田 常田館製糸所 オーナー家常田館製糸所はオーナー宅が敷地内にあったそうだ。オーナーも従業員もともに生活していた。今は当時の従業員の住宅地はないので、このオーナー宅は現存している当時の住居としての重要な意味があるそうだ。2024-02-01
88蚕都上田 常田館製糸所 蚕保管場所蚕都上田 常田館製糸所 蚕保管場所この蚕保管場所は4階の建物に見えるが実際は5階立てだという。中は風通しを良くする面から窓が特徴的だったり、床に秘密が隠されたりしているそうだ。今回の訪問時は見学できなかったが春以降、見学ができるようになったらまた視察にきたい。現在の建築物で木造5階建ての建物は珍しいという。とても大きく迫力のある建物だった。2024-02-01
89蚕都上田 笠原組常田館製糸所蚕都上田 笠原組常田館製糸所2024年1月24日、笠原組常田館製糸所を訪れた。 笠原工業の社長から様々な説明を受けた。 これから、施設の写真とともに説明の要約を記載し、自分の考えたこと・感じたことを中心に投稿していく。 笠原組常田館製糸所は現在も施設見学や職員による概要の説明など、現地調査が十分に行える場所であった。 製糸業の最盛期には当時、2500人近くの従業員がここ、笠原組常田館製糸所で働いていたという。2024-02-01
90北向観音前・温泉街北向観音前・温泉街川を中心とした、温泉街らしい風情のある光景。 道中もこうなれば魅力的だろう。 駅の近くからこの付近まで湯川という川が流れているので、湯川沿いにこういった風情のある遊歩道を整備すれば、駅から温泉街までが退屈であるという課題の解決につながるだろう。2024-02-01
91駅から温泉街まで(駐車場前)駅から温泉街まで(駐車場前)別所温泉駅から温泉街までの中間に位置する駐車場前。 車をここに停めてここから温泉街まで歩く人も多いと思うが、ここから温泉街までの道のりも普通の田舎道といった感じで、あまり魅力的ではない。2024-02-01
92喫茶店 「茶房まるげん」喫茶店 「茶房まるげん」・16時ごろに訪れ、お店の外観に一目ぼれ?し入店。 ・店主の方が、一人でされおり気さくな優しい方でした。 ・ゆったりとした空間がとてもよかったです。 ・近くには薪ストーブがあり12月にピッタリな暖かさ ・ところどころに飾られてる置物や食器がこだわりを感じます。 ・あんみつ美味しかったです(⌒∇⌒)2024-02-01
93安楽寺八角三重塔安楽寺八角三重塔信州最古の禅寺。境内の奥にある塔は日本で唯一の木造八角塔(正式名称、裳階付き木造八角三重塔)である。 ・なぜここに珍しい塔ができたかはよくわかっておらず、何らかの形で日本に運ばれたといわれる。 →参照サイト https://museum.umic.jp/bunkazai/document/dot1.html かぼさ ・重要文化財の像がありました。 ・国宝の三重塔を間近でみれました。 ・三重塔の近くでは、お墓があったのでこんな近くにあるのはあんま見たことがなかったので驚きました。。 ・安楽寺に入ると気温が低くなったきがした。とても涼しかった。夏場に行くのがあり? ・二度目に訪れたときはちょうど三周年だったらしく御朱印が特別仕様になってました。 ・拝観料が必要です。2024-02-01
94愛染カツラ愛染カツラ・縁結びの霊木として老若男女に親しまれている ・別所温泉の北向観音にある霊木。 →参照サイト https://japanheritage.bunka.go.jp/ja/culturalproperties/result/5061/ 近くに説明文があるので、それを見るのもありだと思います。 かぼさ ・霊木が好きなので(詳しくはない)、せっかくだからと思い別所温泉ぶらぶら散策で訪れた。 ・調べていて、根本が太いとあったので実際に見ると本当だと思った。 ・冬なので葉がかれてしまい少し、魅力は落ちたが、「荘厳さ」が増した気がした。 ・実際に行くと不思議なパワーがもらえた気がした。2024-02-01
95おなじみのジェラート屋おなじみのジェラート屋私が紹介するのは、長野大学から徒歩約5分圏内にある、この辺に住んでいる大学生ならおなじみの、「豊上モンテリア」です。 ここは、たくさんの種類のジェラートがあり、日ごとにレパートリーが変わっていきます。また、季節限定のジェラートもありました。今の時期だと「ストロベリーショートケーキ」や、「きなこもち」、「チーズタルト」などがあります。 私が今回食べたのは「抹茶」です。とても濃厚でレギュラーシングルでもたっぷり入っていました。とても美味しかったです。2024-02-01
96千曲川で見られる水鳥千曲川で見られる水鳥千曲川で観察できた水鳥です。 冬になってから水鳥がよく見られるようになりました。 画像上の真ん中に見える鳥は、種類までは判断することができませんでしたが、羽を広げた姿がカワウとみられるようなシルエットでした。 他にも画像手前と奥にカモ類が泳いでいるのが確認できました。中には幼個体とみられる小型の個体も泳いでいました。 冬に個体数が増加したように感じたのは冬鳥が越冬するためにやって来たことが関係していそうだと感じました。2024-02-01
97生島足島神社生島足島神社平安時代初期に生まれたものか 生島大神は万物に生命力を与え太古より守り神として信仰されてきた。 →日本遺産の掲示板から引用しました。詳しくは実際に行くと近くに分かりやすい説明があります。 かぼさ ・小さい頃から初詣にお世話になっており、しっかり見たことはないなと感じ、探求しに。 ・初詣の三日目は少し人通りが少ないなと思いつつ、いつもよりは多いと思う。 ・大学に行く際に見られる鳥居はここから繋がっているのかと感じた。 ・池には鯉や鳥?がいて餌やりをすることができる。 ・写真は12/7撮影2024-02-01
98北国街道北国街道上田城の城下町、上田宿として発展した昔ながらの街並みを残している。昔ながらの街並みの中には昔からあるお店だけでなく、モダンなお店も並んでいた。大変趣深かった。2024-02-01
99ニホントカゲニホントカゲ7月17日に学内で見つけたニホントカゲです。 幼体は尾が青くなっているのが特徴です。当時近くに3匹ほど同じようなサイズの個体がいたので、兄弟であると思われます。 この時期にニホントカゲもニホンカナヘビも学内で観察することができました。 実家の方ではニホントカゲしか見られなかったので、どちらも同じ場所で観察できるというのは新鮮でした。地元の方は標高がかなり高めであったので、カナヘビは適応していないのかなと考えました。 改めて観察していると、ニホントカゲの方が蛇行のようにスルスル動くように感じました。2024-02-01
100ニホンジカの痕跡ニホンジカの痕跡長野大学裏の恵みの森で観察できたニホンジカの痕跡です。 足跡:ニホンジカの足跡は二つの蹄が特徴です。ニホンカモシカも似た特徴を持ちますがニホンジカの方が一般的に幅が狭いとされています。 糞:足跡と同様にニホンカモシカと似た特徴を持ちますが、個数と縦横比からおおよそ正確に判別することが可能と考えられています。 参考文献  安藤正規、島村咲衣、後藤真希(2015)「形態的特徴からニホンジカおよびニホンカモシカの糞を判別する」『日本森林学会大会発表データベース』 角研ぎ跡:オスが木に自身のツノをこすりつける習性によるものです。縄張りを示すマーキングの意味やツノを立派に見せて繁殖に有利にするためなどとされています。 他にもニホンジカの食痕も観察できました。食痕とはニホンジカが高いと2024-02-01
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