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1眞田神社眞田神社 眞田神社は上田城本丸跡に鎮座しており、真田氏、仙谷氏、松平氏という歴代の上田城主を御祭神としている。しかし、本来は松平家の御先祖をお祀りする御宮であり、松平(しょうへい)神社と称していた。  松平家は、真田氏、仙谷氏のあと、江戸時代中期から明治の廃藩に至るまで7代160余年の長きにわたる上田藩主であった。  上田藩主となった系統の藤井松平氏の初代忠晴公は、隠退後は忠山と号した。寛文9年(1669)に亡くなった。忠山公の御墓所は京都の金戒光明寺にあり、京都に忠山公の御霊をまつる忠山社が設けられてもいた。これが眞田神社の起源となっている。  明治維新の変革の中、国に接収された上田城もまもなく民間に払い下げられ、城跡は急速に桑園・麦畑などに変化していった。そのような情勢の中で、旧上田藩士や2022-11-30
2上田藩士・山口毅(平太郎)上田藩士・山口毅(平太郎)山口毅(つよし、通称:平太郎、号:玄山)1818年(文政元)-1873年(明治6) 山口家は初代権兵衛が1673年(延宝元)に召し出されてより代々上田藩士で、毅は6代目。松平忠礼が藩主を継いだ後、塩崎の旗本松平家へ養子となった弟の忠厚について塩崎知行所代官として仕える。明治維新後は権大参事職。明治2年に忠礼の御婚姻御用掛、明治4年には翌年にアメリカ留学を控えた忠礼と忠厚の御修行御供を命じられたが、病気のため次男の山口慎(別のファイル)に後を託し退職する。明治6年、東京の旧藩邸で死去、56才。2022-05-10
3『埋もれた歴史』自費出版の労作『埋もれた歴史』自費出版の労作今から3年ぐらい前になるのかな? ふだんは翻訳のお仕事をされている東郷えりかさんが歴史の探求で上田市に来られてその時にお話をお聞きし、上田市教育委員会にご案内しました。その探究成果を『埋もれた歴史』という書籍にまとめられました。それが2年前の2020年です。 書籍の表紙の写真にご注目ください。馬に乗る人物が最後の上田藩主松平忠礼です。その傍に佇む方が東郷さんの高祖父の方になります。この方は「門倉伝次郎[LINK]」です。『上田市史・下巻[LINK]』(1940年、1238~1239頁)に記されています。 幕末、上田藩上屋敷は隅田川に面した浅草瓦町、幕府の御蔵のすぐ隣にありました(「2022-05-08
4山口慎『白露日記』改訂・現代語訳(明治中期のペルー日記)山口慎『白露日記』改訂・現代語訳(明治中期のペルー日記)私の曾祖父・山口慎の『白露日記』(明治22-23年)の現代語訳を今回少し改訂しました。上田藩出身の武士道精神は潔く、故郷の多くの方に知っていただければと思います。 山口慎(1846-1913)は上田藩士・山口毅の次男で、明治5年に松平忠礼・忠厚兄弟公のアメリカ留学に随行し、帰国後、東京銀座で日本初の西洋酒問屋「清水谷商会」を営みました。明治22年、高橋是清のペルー銀山開拓事業に同行し、その顛末を『白露日記』として残します。明治45年、旧藩主・松平家の財政再建を頼まれ、東京の松平邸に移り住んで私財を投げうつも病いに倒れました。 五味篤氏の『銀嶺のアンデス』、板谷敏彦氏の『小説高橋是清』でも取り上げられた日記です。2023-05-20
5山口慎『白露日記』原本山口慎『白露日記』原本激動の明治時代を生きた上田出身の私の曾祖父・山口慎について上田の方々に知っていただけたらと思い投稿します。別ファイルに現代語訳があります。 山口慎(1846-1913)は上田藩士・山口毅の次男で明治5年松平忠礼・忠厚兄弟公のアメリカ留学に随行し、帰国後は東京銀座で日本初の西洋酒問屋「清水谷商会」を営む。明治22年、高橋是清のペルー銀山開拓事業に同行し、その顛末を『白露日記』に残す。明治45年には松平家から財政再建を頼まれて、東京の松平邸に移り住み私財を投げ打つが病いに倒れた。2022-05-07
6自力で、ファミリーヒストリー自力で、ファミリーヒストリー人物伝に、曾祖父志津衛は、上田の士族、鈴木幸蔵の次男とあります。兄は平吉さん。こちらが本家筋になります。外地で殉職して、引き揚げてきたため、志津衛の墓石は、本家の隣に置かせていただいています。そこには古いご先祖様方の墓石があり、三太夫重明、彦三郎重義、重直、六郎衛門頼母などの名前が読み取れます。これら検索して行くと、静岡あたりにつながるようなのですが、どうなのでしょう?上田にはたくさん古地図が残っていてアーカイブ化されていますね。街中にも掲示されているものがあります。どれどれと探していると、鈴木姓がいくつか見つかりました。助之進という方は娘が殿様に嫁入りされたような・・・ 昨日、上田にお邪魔した際に、再度その地図を確認したところ市役所に隣接している場所に、鈴木平太左衛門とい2022-02-21
7上田の人物伝一覧(『上田市史』1940から)上田の人物伝一覧(『上田市史』1940から)上田市史・下巻(1940)』の「社寺古墳及人物誌/人物篇」をハイパーメディア化。(長野大学「マルチメディア論」2020/2021実習で分担作成) 人物01 真田昌幸
 真田一徳斎幸隆の第三子、天文十六年生る。 人物02 真田信之
  真田昌幸の嫡男、永禄九年生る。母は寒松院三修氏、幼名を源三郎と言ふ。 人物04 真田幸村
 幸村は正幸の代二子、永禄十一年生ると云う。 人物05 仙石政俊
 先の小諸城主後上田城主たりし仙石忠政の
2021-07-21
8人物40 門倉伝次郎人物40 門倉伝次郎上田藩士。文政三年八月二十六日生る。(略) 慢性腎臓炎に罹り、十月十八日逝く。年七十一 『上田市史・下巻(1940)』1238~1239頁を転載 (目次位置) 社寺古墳及人物誌  人物篇2021-07-19
9人物19 山田維則人物19 山田維則維則は上田藩士。(略) あすよりは春をむかふるいとなみに軒の松葉の雪や拂はん 『上田市史・下巻(1940)』1209~1210頁を転載 (目次位置) 社寺古墳及人物誌  人物篇2021-07-19
10人物56 鈴木志津衛人物56 鈴木志津衛父は旧上田藩士、幸蔵の次男。明治五年九月二十七日生る。 『上田市史・下巻(1940)』1269~1271頁を転載 社寺古墳及人物誌  人物篇2021-07-19
11人物11 井上直元人物11 井上直元直元は上田藩士。元俊の子。通称は四郎左衛門。字は仲泰、宜休又水風と号す。延宝5年6月生る。天性温潤、学を好む。風に伊藤仁斎に就きて学び、終身其説を奉ず。 『上田市史・下巻(1940)』1195頁を転載 (目次位置) 社寺古墳及人物誌  人物篇2021-07-19
12人物18 糸賀希亮人物18 糸賀希亮希亮は上田藩士、通称は聘三。(以下略) 『上田市史・下巻(1940)』1209頁を転載 (目次位置) 社寺古墳及人物誌  人物篇2021-07-19
13人物43 服部元戴人物43 服部元戴上田藩士、義孚の二子。享和元年5月生る。名は義則、通称は半左衛門、元戴或は半斉と號す。(略) 『上田市史・下巻(1940)』1242頁を転載 (目次位置) 社寺古墳及人物誌  人物篇2021-07-19
14人物53 正力直太郎人物53 正力直太郎安政三年十一月九日上田藩士正力六郎左衛門の長男として、上田市木町(当時鉄砲屋敷という)に生る。(略) 殊に信州教育界に対しては空に輝く明星として、永遠に不滅の光を放つべし。 『上田市史・下巻(1940)』1266、1267頁を転載 (目次位置) 社寺古墳及人物誌 人物篇2021-07-19
15人物25 瀧澤省吾人物25 瀧澤省吾上田藩士。文政九年十一月十九日生る。(略) 『上田市史・下巻(1940)』1033頁を転載 (目次位置) 社寺古墳及人物誌  人物篇2021-07-19
16人物36 勝俣守謙人物36 勝俣守謙守謙は上田藩士。(略) 門下に掛山勘右衛門、木村盛珍あらはる。 『上田市史・下巻』2/2(1940年)1236頁 人物誌2021-07-14
17人物33 田毎月丸人物33 田毎月丸上田藩士、平野六左衛門の子にして、天文六年三月上田鎌原口に生る。(略) ~後評者と仰がれたり。 『上田市史・下巻(1940)』1044~1048頁を転載 (目次位置) 社寺古墳及人物誌  人物篇2021-07-14
18人物21 山口毅人物21 山口毅上田藩士。通称は平太郎字は子強、玄山と号す。(略) 明治五年死す。年五十六。 『上田市史・下巻(1940)』1030頁を転載 (目次位置) 社寺古墳及人物誌  人物篇2021-07-14
19人物33 田毎月丸人物33 田毎月丸上田藩士、平野六左衛門の子にして、天文六年三月上田鎌原口に生る。(略) ~後評者と仰がれたり。 『上田市史・下巻(1940)』1044~1048頁を転載 (目次位置) 社寺古墳及人物誌  人物篇2021-07-14
20人物16 林希言人物16 林希言希言は上田藩士。道信(原泉)の孫。初名道理、字は有中又士寛、金渓と号す。兄弟五人希言は其長なり。(以下略) 『上田市史・下巻(1940)』1208・1209頁を転載 (目次位置) 社寺古墳及人物誌  人物篇2021-07-14
21人物10 河瀬運甕人物10 河瀬運甕名は義胤。通稱は丈右衛門、字は貞郷、運甕又蓬州と號す。上田藩士。(略) 河瀬丈右衛門義胤之墓と刻す。 『上田市史・下巻(1940)』1198・1199頁を転載 (目次位置) 社寺古墳及人物誌  人物篇2021-07-14
22人物12 林道信人物12 林道信道信は上田藩士。通称は四郎兵衛。 原泉、また有隣と號す。(略) 『上田市史・下巻(1940)』1205頁を転載 (目次位置) 社寺古墳及人物誌  人物篇2021-07-14
23人物11 井上直元人物11 井上直元直元は上田藩士。元彼の子。(略) 以下続きにその事跡を載す。 『上田市史・下巻(1940)』1204頁を転載 (目次位置) 社寺古墳及人物誌  人物篇2020-07-23
24人物53 正木直太郎人物53 正木直太郎安政3年11月9日上田藩士正木六郎左衛門の長男として上田市木町に生まれる。 母つねは須坂藩駒澤氏の女なり。 『上田市史・下巻(1940)』1266頁を転載 (目次位置) 社寺古墳及人物誌  人物篇2020-07-20
25人物12 桂道信人物12 桂道信道信は上田藩士。 通称は四郎兵衛。 『上田市史・下巻(1940)』1205頁を転載 (目次位置) 社寺古墳及人物誌  人物篇2020-07-20
26人物23 上野尚志人物23 上野尚志上田藩士。(略) 幼にして山田篁軒學び、弱冠にして古賀伺庵(精理の字)に従ひ、昌平校に學ぶ、暇あれば四方に遊歴して、文武の士を訪ふ。 『上田市史・下巻(1940)』1215頁を転載 (目次位置) 社寺古墳及人物誌  人物篇2020-07-20
27人物38 八木剛助人物38 八木剛助上田藩士にして享和元年生。名は千之、通称は剛助後興一右衛門、 籟洞と号す。(略) 『上田市史・下巻(1940)』1236~1237頁を転載 (目次位置) 社寺古墳及人物誌  人物篇2020-07-20
28人物24 櫻井純造人物24 櫻井純造上田藩士。徳基の長子。文政九年十一月十五日上田に生る。 『上田市史・下巻(1940)』1216頁を転載 (目次位置) 社寺古墳及人物誌  人物篇2020-07-20
29人物20 山田貫兵衛人物20 山田貫兵衛上田藩士 兵藏の子。文化十年に生る。名は定吉、通称を貫兵衛。後永胤と改む。(略) 『上田市史・下巻(1940)』1027~1030頁を転載 (目次位置) 社寺古墳及人物誌  人物篇2020-07-19
30人物42 植村重遠人物42 植村重遠上田藩士。通称半兵衛。(略)数理を好み竹内武信の高弟なり。仕えて会計の吏となる。 『上田市史・下巻(1940)』1242頁を転載 (目次位置) 社寺古墳及人物誌  人物篇2020-07-19
31人物54 河内山寅人物54 河内山寅河内山寅は安政二年八月二十六日、旧上田藩士河内山長善の長女として、上田藩鷹匠町に生れる。(略) 刀自は常に「憂き事の尚此の上に積れかし限りある身の力ためさん」「心だに誠の道にかなひなば祈らずとても神や守らん」との二首を座右の銘となしたりと云う。 『上田市史・下巻(1940)』1267・1268頁を転載 (目次位置) 社寺古墳及人物誌  人物篇2020-07-18
32人物13 津田有栄人物13 津田有栄上田藩士。幼名有禎、後良基と改む。(略) 法名を教学院心休学道居士と云う。 『上田市史・下巻(1940)』1205・1206頁を転載 (目次位置) 社寺古墳及人物誌  人物篇2020-07-18
33人物17 加藤維藩人物17 加藤維藩維藩は上田藩士、(略) 『上田市史・下巻(1940)』1209頁を転載 (目次位置) 社寺古墳及人物誌  人物篇2020-07-18
34人物37 相馬通孝人物37 相馬通孝上田藩士、與右衛門と稱す。(略) 文政年間の作なる「童歌田面のさかへ」はよく時勢に適中せりと謂はる。 『上田市史・下巻(1940)』1236頁を転載 (目次位置) 社寺古墳及人物誌  人物篇2020-07-15
35人物63 山際勝三郎人物63 山際勝三郎上田藩士山本政策の三男、文久三年二月生る。(略) 『上田市史・下巻(1940)』1279・1280・1281頁を転載 (目次位置) 社寺古墳及人物誌  人物篇2020-07-15
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