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1大洗町の日常の異色さ大洗町の日常の異色さふと街を歩いた際、目にアニメーション作品のパネルが映ることは稀でしょう。しかし、大洗町は違います。キャラクターのパネルに旗、旅館の網戸までキャラクター柄です。しかしそれが普通といった風に地元住民の方が過ごしています。私はこの異色の状態は、コンテンツツーリズムを研究する上で欠かせない要素になると考えています。2022-02-08
2丸山商店丸山商店この写真は、海野町商店街にある海野町会館が所蔵する一枚である。2022-02-08
3アルファアルファこの写真は、海野町商店街にある海野町会館が所蔵する一枚である。 一枚目が平成11年のアーケード取壊し前、二枚目が昭和41年の海野町拡幅工事前に撮影された写真である。2022-02-08
4いも平いも平この写真は、海野町商店街にある海野町会館が所蔵する一枚である。 一枚目が平成11年のアーケード取壊し前、二枚目が昭和41年の海野町拡幅工事前に撮影された写真である。2022-02-08
5キクチ洋装店キクチ洋装店この写真は、海野町商店街にある海野町会館が所蔵する一枚である。 一枚目が平成11年のアーケード取壊し前、二枚目が昭和41年の海野町拡幅工事前に撮影された写真である。2022-02-08
6銀座食堂銀座食堂この写真は、海野町商店街にある海野町会館が所蔵する一枚である。 一枚目が平成11年のアーケード取壊し前、二枚目が昭和41年の海野町拡幅工事前に撮影された写真である。2022-02-08
7果てない魅力の発見 ーちゅう心ー果てない魅力の発見 ーちゅう心ーもう何回目かわからない、大洗町への訪問でした。 しかし、普段歩いていた商店街の脇道をのぞいてみると、 そこには「ちゅう心」というお店が存在していました。 この景色は非常にノスタルジックな雰囲気のあるもので、 まだこのような魅力ある景色が存在したということに感心しました。また、この風景を魅力であると感じたことから、地域の魅力とは果てないものなのではないかという考えに辿り着きました。2022-02-08
8海野町ふれあいサロン海野町ふれあいサロンこの写真は、海野町商店街にある海野町会館が所蔵する一枚である。 一枚目は平成16年の新アーケード開設後、二枚目は平成11年のアーケード取壊し前、三枚目が昭和41年の海野町拡幅工事前に撮影された写真である。2022-02-08
9堀内紙店堀内紙店この写真は、海野町商店街にある海野町会館が所蔵する一枚である。 一枚目が平成11年のアーケード取壊し前、二枚目が昭和41年の海野町拡幅工事前に撮影された写真である。2022-02-07
10仲よし衣裳店仲よし衣裳店この写真は、海野町商店街にある海野町会館が所蔵する一枚である。 一枚目が平成11年のアーケード取壊し前、二枚目が昭和41年の海野町拡幅工事前に撮影された写真である。2022-02-07
11市民の日曜広場市民の日曜広場この写真は、海野町商店街にある海野町会館が所蔵する一枚である。2022-02-07
12海野町レトロ写真館海野町レトロ写真館デジタルマップに投稿してある古い写真を利用して、スライドショーイベントを開催する予定です。 場所は海野町商店街にて行います。 詳細は後日投稿します。2022-02-05
13醋屋呉服店醋屋呉服店この写真は、海野町商店街にあるすや呉服店が所蔵する一枚である。2022-02-05
14謎の球体謎の球体この写真は、海野町商店街にあるすや呉服店が所蔵する一枚である。2022-02-05
15田園風景田園風景この写真は、海野町商店街にあるすや呉服店が所蔵する一枚である。2022-02-05
16石柱碑石柱碑この写真は、海野町商店街にあるすや呉服店が所蔵する一枚である。2022-02-05
17気球気球この写真は、海野町商店街にあるすや呉服店が所蔵する一枚である。2022-02-05
18醋屋呉服店醋屋呉服店この写真は、海野町商店街にあるすや呉服店が所蔵する一枚である。2022-02-05
19南川久太郎氏 一同南川久太郎氏 一同この写真は、海野町商店街にあるすや呉服店が所蔵する一枚である。2022-02-05
20愛國(信濃)愛國(信濃)この写真は、海野町商店街にあるすや呉服店が所蔵する一枚である。2022-02-05
21上田祇園祭上田祇園祭この写真は、海野町商店街にあるすや呉服店が所蔵する一枚である。2022-02-05
22上田市集会上田市集会この写真は、海野町商店街にあるすや呉服店が所蔵する一枚である。2022-02-04
23上田市の建物上田市の建物この写真は、海野町商店街にあるすや呉服店が所蔵する一枚である。2022-02-04
24醋屋呉服店醋屋呉服店この写真は、海野町商店街にあるすや呉服店が所蔵する一枚である。2022-02-04
25瀬下洋服店前瀬下洋服店前この写真は、海野町商店街にあるすや呉服店が所蔵する一枚である。2022-02-04
26旧上田図書館旧上田図書館この写真は、海野町商店街にあるすや呉服店が所蔵する一枚である。2022-02-04
27醋屋呉服店醋屋呉服店この写真は、海野町商店街にあるすや呉服店が所蔵する一枚である。2022-02-04
28醋屋呉服店醋屋呉服店この写真は、海野町商店街にあるすや呉服店が所蔵する一枚である。2022-02-04
29醋屋呉服店醋屋呉服店この写真は、海野町商店街にあるすや呉服店が所蔵する一枚である。2022-02-04
30醋屋呉服店醋屋呉服店この写真は、海野町商店街にあるすや呉服店が所蔵する一枚である。2022-02-04
31醋屋呉服店醋屋呉服店この写真は、海野町商店街にあるすや呉服店が所蔵する一枚である。2022-02-04
32真田十勇士真田十勇士真田十勇士の一人、三好清海入道の像。物陰にありわかりにくかったが、海野街商店街に潜んでいたので見つけることができた。2022-02-02
33じまんやきの歴史と比較じまんやきの歴史と比較引用 「あんこ」と「カスタードクリーム」どちらがお好き?「じまんやき」の「富士アイス」 ~上田市海野町商店街6~ https://blog.nagano-ken.jp/wp/josho/wp-content/uploads/2015/09/20fuji2.jpg じまんやきは上田市のソウルフードの1つになっている。 じまんやきは海野町商店街の一角の富士アイスで売られている。じまんやきを作っている富士アイスの本店は山梨県甲府市に本店を置いている。富士アイス上田店は昭和10年に開業し、長野県で一番古参の店になっている。富士アイスは創業当初は富士屋という店名だった。富士アイスの富士は日本一の山を自慢している富士山に由来する。 次にじまんやきについて解説します。じまんやきは「自慢の味。自慢したくなる味。」から由来しています。 じまんやきは1個80円とリーズナブルな価格であり、太鼓上に2022-01-27
34あんかけ焼きそばとの出会いあんかけ焼きそばとの出会い 以前から耳にしていた「上田に来たならあんかけ焼きそばを食べるべき」というおすすめを聞いて、気になっていました。バス停から少し上り坂を上ったところにあるお店「しんりん」さんで無事いただくことができました。  酢とからしをかけて食べた方がさらにあんかけ焼きそばの真価を味わえたと思いますが、忘れてしまい、かけずに食べきってしまいました。  それらを抜きにしても、濃すぎず、冷たい体に染みるような、ちょうど良い温かさのあんかけと、焦げ目がついて香ばしい味がするちりめんが程よいバランスでとても美味しかったし、ボリュームがあるあんかけ焼きそばをお腹いっぱい食べることができて、あんかけ焼きそばへの好感度が上がりました。 発祥は、真田坂を上った先にある海野町商店街を左折したところにある福2021-12-15
35機械縫裁機械縫裁この写真は、海野町商店街にあるすや呉服店が所蔵する一枚である。 この写真の写る人々の服装から、このお店は裕福だったことが分かる。2021-12-13
36柳町柳町城下町だった頃を想像できる景観。350年の歴史がある酒蔵から、東京からやってきた天然酵母のパン屋さんまで古いものも、新しいものも景観として上手く溶け込んでいた。店の看板には、上田の農民芸術「こっぱ人形」が使われていて、こだわりを感じた。また、橋は生活圏と生活圏を繋げているものだと思った。2021-11-17
37富士アイス富士アイス海野町商店街にある行列の絶えないお店。名物は志゛まん焼き。出来立て熱々の志゛まん焼きはあんこもクリームも薄めの皮にたっぷり詰まっていてとてもおいしいです。1つ80円という安さも魅力の一つ。10個以上買っていく人もいる、言わずと知れた上田の名物です。2021-11-15
38甘味処 雪屋Conco甘味処 雪屋Conco天神商店街にある甘味処。落ち着いた雰囲気の木造の店内ではかき氷をはじめとしたスイーツやソフト麺定食などの食事が楽しめます。 今回私が食べたのはチーズ焼ミートです。こんがり焼かれたチーズの下には熱々のミートソーススパゲッティ!トッピングにはブロッコリーかマシュマロが選べますが、おすすめはマシュマロです。焼きマシュマロのやさしい甘みはチーズとの相性抜群です。2021-11-15
39雪屋 Conco雪屋 Conco上田駅のすぐ近くの天神商店街の通りにある、甘味処「雪屋 Conco」。和の雰囲気を感じるようなお店で、店の内装やBGMで気持ちを落ち着かせることが出来、とても居心地の良い場所だった。 私は「クリーム抹茶あんみつ」を頼んだが、見た目が赤、オレンジ、黄緑、黄色と色鮮やかで目でも楽しめた。そして、一口食べてみると「甘いものって人を幸せにさせるのだな」と改めて思うことが出来た。 しかし、ずっと食べていると口の中が甘ったるくなってくるのだが、なんと塩昆布も一緒に提供されたのだ。なので「甘い、しょっぱい」を繰り返すことが可能となり、いくらでも食べられるような気がした。2021-11-15
40「言葉」屋さん?「言葉」屋さん?上田市柳町にある本屋さん。古本を含め、店主のこだわりを感じる様々な本が並んでいた。絵本がたくさん置いてある印象だが、お客さんのほとんどは大人。「子どもの頃読んだな~」「もう一回読みたい!」そんな声が聞こえてきた。ここは、懐かしさという癒しと、とっておきの一冊に出会える本屋なのだろう。そして、思い出という過去と現在の自分、その本を楽しんでいた誰かとつないでくれる場所だ。2021-11-15
412020信州上田学Aふり返りまとめ2020信州上田学Aふり返りまとめ▼全体まとめと成果
  1. 2020信州上田学A講義録(担当教員:前川道博)
  2. 信州上田学A2020⑭オンライン発表会記録 2020/07/29
  3. >信州上田学2020/学びの成果発表会(信州上田学A/B合同) 2021/01/24
▼上田市行政チャンネル
  1. >長野大学公開講座「信州上田学A」学生と市民の合同発表会 2020/07/29
  2. >信州上田学2020/学びの成果発表会(信州上田学A/B合同) 2021/01/24
▼学生受講生のマイサイト
ニックネーム、テーマと内容は一致していないケースがあります。
  1. 上田の食
2021-10-06
42海野町商店街の歴史探求海野町商店街の歴史探求2021-09-25
43醋屋(すや)呉服店醋屋(すや)呉服店この写真は、海野町商店街にあるすや呉服店が所蔵する一枚である。 日本の伝統的な着物を身にまとい、まっすぐ立っている男性は、醋屋呉服店の主人の御遺族である。 瓦屋根の建物の入り口の上に「二五三番」と書かれている。これは住所を表示している。その上の提灯に書かれてる文字は濁って読めない。2021-07-24
44上田染谷丘高等学校上田染谷丘高等学校この写真は、海野町商店街にあるすや呉服店が所蔵する一枚である。 明治34年「小県郡立上田高等女学校」として設立された。写真の建物が建てられたのは、現在の上田城跡公園の東側、清明小学校がある場所である。 明治42年には女子中等教育の充実を図るため、郡立から県立へ移管され、「長野県立上田高等女学校」と変更された。 大正 5年に校舎は、上田城近くの丸堀校舎から、上田町鍛冶町裏の新校舎へ移転となった。 現在の「上田染谷丘高等学校」になったのは、昭和 23年4月である。2021-07-24
45奉祝提灯行列奉祝提灯行列この写真は、海野町商店街にあるすや呉服店が所蔵している一枚である。 「奉祝」と書かれた旗や提灯を掲げていることから、祝い事だということが分かる。また、真ん中に書かれている文字をよく見ると「銀婚式祀念」と書かれていることから、誰かの銀婚式を祝っているということも分かる。昔の祝い事には着物や浴衣を着ている人もいれば、スーツを着ている人もいて、今とあまり変わらない。2021-07-24
46旧上田市役所旧上田市役所この写真は海野町商店街にあるすや呉服店が所蔵している一枚である。 写真には、旧上田市役所の全体が鮮明に映っている。建物の設計がシンメトリになっているので、バランスの良い安定した建物であると感じる。 この建物は、現在の上田商工会議所の場所に建っていた。2021-07-24
47海野町商店街の歴史探求海野町商店街の歴史探求2021-07-05
48軽食喫茶 ブロンズ軽食喫茶 ブロンズ今回は「商店街の店舗と顧客のつながり」について取材するために、アニメガールズアンドパンツァーにも登場した軽食喫茶ブロンズさんの鉄板ナポリタンを食べてきました。 お店の雰囲気もガルパンのアンツィオ高校(イタリアモチーフ)仕様になっており、通貨の単位がリラになっています。 ファンの人もファン以外の人も楽しめるとても素晴らしいお店だと感じました。 ファンの方との交流も盛んで、ファンの方から贈られた様々な作品が飾ってありました。2021-07-05
49醋屋本チラシ醋屋本チラシこの写真は、海野町商店街にあるすや呉服店が所蔵しているチラシである。 明治23年11月信州上田海野町のチラシで、醋屋呉服店の広告が掲載されているほか、干支や節分・お彼岸などの行事が書かれている。 現在とは全く異なったチラシに価値を感じる。2021-07-04
50カメラの梅花堂カメラの梅花堂一枚目は、戦前に撮影されたカメラの梅花堂の写真である。夜間照明を行っていたころで、ゑびす講の日に撮影された。 二枚目は、現在のカメラの梅花堂の写真である。今と昔で変わらず、同じ場所で営業を継続している。2021-07-03
51あさつゆ海野町店あさつゆ海野町店海野町コミュニティショップ「CoReeeWaコレイーワ」にて、あさつゆ海野町店がオープンした。 この日は、多くの人々が新鮮な野菜やお花、お惣菜などの加工品を求めてこの店に訪れていた。 毎週火曜日・金曜日の午前10時から正午に営業している。2021-07-03
52醋屋藤金物店醋屋藤金物店 海野町商店街にある醋屋呉服店が所蔵している写真の一枚である。  この写真の店舗は、現在の海野町商店街にはない醋屋藤金物店である。昔は醋屋という名前の店舗はいくつかあった。しかし、今は醋屋(すや)呉服店のみとなっている。  一般的に金物店では、「鍋・釜」類、「利器・工具」、「建築金物」「家具金物」などの種類に分類されるが、どのようなものが販売されていたのか興味がある。2021-06-11
53気球倉庫気球倉庫 海野町商店街にある、すや呉服店が所蔵していた貴重な写真の一枚である。  この写真の裏面には、「明治三拾八年四月二十五日」「焼失セシ気球倉庫」と書かれ、この年代に焼失した気球倉庫であることが分かる。  また、周辺に建物や山が一切なく、開けている場所だということは分かるが、どの地域にあったのかは特定できない。気球の真ん中に、「日の丸」の旗のようなものを掲げていることから、日本を代表する気球だったのではないかと考える。2021-06-11
54雨の日の海野町商店街雨の日の海野町商店街雨の日の海野町商店街は人の気配がなく静かだった。 気候に関わらず、賑わう商店街になって欲しい。2021-06-11
55すや呉服店すや呉服店醋屋(すや)呉服店は海野町商店街で創業130年を超えた老舗である。現在は、年配向きの呉服やジャケット、ブラウス等を販売している。 呉服店の店主とその家族が大事にしている昔の写真を見せていただいた。白黒の写真であったが、上田市の風景や代々のご先祖様の写真は迫力があり、とても貴重な物だった。2021-06-06
562021プロジェクト研究活動計画2021プロジェクト研究活動計画2021-05-26
57手芸のアオシマ手芸のアオシマ観光地、という訳では無いがイチオシしておきたいお店。 寂れてきてしまっている商店街の中でパッと見同じように寂れて見えるが、中は夥しい数のボタンで埋め尽くされており圧倒される。映える写真も撮れるし店長も優しい2021-05-06
58上田市 商店街上田市 商店街長野県上田市 大手通り 朝の商店街です。 素晴らしい青空ですが、人はいません。2021-05-06
59真田城下町看板真田城下町看板上田駅前の商店街に置かれていた看板。 真田ゆかりの地を巡れるようになっている。2021-05-06
60龍神のイルミネーション龍神のイルミネーション箕輪町の活性化をはかろうと、地元商店街の事業者や住民などで毎年イルミネーションが飾られています。 龍神のイルミネーションは、イルミネーションの時期が終わった後も明かりが灯され、商店街を明るく照らしています。 大きさは、高さ約5メートル、全長25メートルほどです。 色は毎年違い、通りかかるのが楽しみです。2021-05-06
61地元の商店街地元の商店街これは地元の清水区にある商店街のイベントの様子である。 ここでは、七夕祭りや仮装の祭りなどが行われることがある。普段は地元の人通りしかないが、イベント時にはたくさんの人が訪れる。 上田市にもこのようなイベントがあるのだろうか。2021-05-05
62ブエナビスタカフェブエナビスタカフェ 見附市の商店街にあるガラス張りで、オープンな雰囲気のあるカフェ。  ランチメニューのチーズ入りオムライスは食べ応え抜群。日替わりパスタやカレーもあり、バラエティに富んだメニューは何度行っても飽きない。カレーはスパイスから工夫しているためか、お店の近くを通るだけでおいしそうな匂いが漂う。タピオカや自家製ケーキなど、カフェメニューも充実している。  コロナ渦で営業が難しい中、見附市の旅館とコラボレーションをし、テイクアウトメニューの販売を行っていた。この企画は話題となり、店の前では行列ができて、大成功だった。カフェと老舗旅館のコラボレーションは接点も少ないことから、誰も思いつかなかった。このコラボレーションはコロナ渦だったからこそ実現した、この苦しい状況を逆手にとったものであり2021-05-05
63相生町商店街相生町商店街小諸駅から登っていくと真っ先にあるのがこの相生町商店街。現在では閉まっているお店も増えてきてしまったが、現代の風潮に合わせた街づくりを展開していけば全盛期以上の盛り上がりを見せるのではと感じた。そう感じるのも、その周りには真新しい施設が幾つか出来ており、観光客が訪れるきっかけになっていると思うからだ。私自身も街の活性化の手伝いを何か出来たらいいなと感じている。2021-05-05
64わたしの海野町商店街わたしの海野町商店街時間 16時 天候 晴れ 私が19年間過ごした商店街です。外見も人も変わりつつありますが、私の愛する地元の街であることにはかわりありません。いまでも素晴らしいお店がたくさんあるのでみなさんぜひ一度はいらしてください。2021-05-05
65志のぶ 精肉店志のぶ 精肉店長野県の箕輪町にある、精肉店です。 ここのお店の特徴は「馬刺し」が売っていることです。癖がなく、おいしいと評判です。 お肉に厚みもあり、安いというわけでもないですが、多くのお客さんが買いに来ます。2021-05-05
66海野町市神高市神社海野町市神高市神社この神社に祭祀されている御両神は福の神の代表の恵比寿様、大黒様です。商店街の真ん中に置かれており、周りの環境で薄れることなく威厳のある神社だと感じました。 こちらも神社にしては小さいですが、どの地図にも載っているので多くの方に認知されているのだと考えます。 やはり商店街の中に置かれているだけあって、何人か人が集まっていました。今回の調査で人がいた神社・寺は唯一ここだけです。2021-05-04
67開運出丗(出世)稲荷神社開運出丗(出世)稲荷神社別の神社へ向かう途中の海野町商店街を歩いていた時に偶然見つけた神社です。かなり小さい神社で、大きさは2メートルちょっとです。 この神社の情報を見つけることは出来ませんでしたが、石に刻まれている文字を見てみると「昭和24年12月吉日」と書いてあるのがわかります。私が調べた寺や神社と比べるとかなり最近に出来たことがわかります。 この神社は路地にひっそりと建てられており、月極駐車場の中にあります。 タイトルの「出丗」は誤字ではなく、石に刻まれた漢字をあえてそのまま記しました。2021-05-04
68地域情報メディア論 商店街の様子地域情報メディア論 商店街の様子前橋市の商店街は写真を見てください。今はあまり人が多くありませんが、コロナウイルスが流行る前は年に何度もイベントを行って、道路の両端には屋台がたくさん出ます。人も普段より何十倍も来ます。写真の右側の奥には「イベント広場」があって、イベントがあるときには演奏をしたりダンスをしたりしてとても盛り上がります。1枚目の写真が現在で、2枚目の写真がコロナ禍前のイベントの時の写真です。これは7月に毎年行われていた七夕まつりの様子です。2021-05-04
69地域情報メディア論 百貨店 スズラン地域情報メディア論 百貨店 スズラン商店街には個人商店がたくさんありますが、「スズラン」という百貨店もあります。商店街の中では大規模な建物です。出入口が複数あって、中でつながっている仕組みになっています。入口には必ずスズランと大きく書かれている看板があるので分かりやすいと思います。百貨店なので食料品から衣料品まで様々なお店が入っています。ぜひ買い物をしてみてください。2021-05-04
70地域情報メディア論 おもちゃ屋 クロダ地域情報メディア論 おもちゃ屋 クロダ商店街にはたくさんのお店がありますが、特に目を引き付けるのは「クロダ」というおもちゃ屋です。昔ながらのものから今どきのものまで売られています。外からでもおもちゃがたくさん見えて、小さい子どもがいる家族連れがいつもいます。このお店だけにしか売っていないものもあります。子どもの頃に来ている人が大人になって、自分の子どもと一緒に来ることが多いです。前橋市の商店街に来たらぜひのぞいてみてください。2021-05-04
71地域情報メディア論 洋食屋 モモヤ地域情報メディア論 洋食屋 モモヤ商店街には昔から地域の人に愛されている「モモヤ」という洋食屋があります。特に私がオススメする料理はオムライスです。フワフワな卵にモモヤ特製のソースを2種類かけて食べます。モモヤに行くと必ず注文します。小さい頃から食べていて、私の家族も通っていました。今回は注文しませんでしたが、群馬の上州豚を使用した料理もあります。ビッグパフェなどのデザートもあります。前橋市の商店街に来たらぜひ食べてみてください。2021-05-04
72地域情報メディア論 萩原朔太郎ゆかりの地地域情報メディア論 萩原朔太郎ゆかりの地群馬県前橋市に生まれた詩人・萩原朔太郎は、三十八歳まで過ごしました。前橋市の商店街には記念館や生家跡などがあって、萩原朔太郎のことについての資料を見ることができます。生家跡は実際に住んでいた家がまだ少しだけ残っていて、中に入ることができます。前橋文学館という場所の前には銅像も建てられています。前橋市と萩原朔太郎は今でも深くつながりがあります。2021-05-04
73甘味処 雪屋 Conco甘味処 雪屋 Conco上田駅前天神商店街にある古民家甘味カフェです。レトロ感が満載の店舗でかき氷を中心に様々なメニューがあります。インスタ映えしそうなかわいい見た目と和モダンなお店の雰囲気がとても素敵です。2021-05-04
74Buena Vista CAFEBuena Vista CAFE昼と夜で違う顔を持つ南米風のオシャレなカフェ。南米をイメージしたという店内は、ゆったりくつろげるソファ席を中心に広々。ランチはスパイシーなカレーやホットサンドなど、夜はお酒に合う多彩なおつまみがそろう。オシャレな空間で素敵な時間を過ごせます。2021-05-04
75大黒製パン大黒製パン昔懐かしいコッペパンと食パンのお店。 開店から客足が途切れることがなく、何度追加焼きしてもすぐに売り切れるほど地元の人に人気です。 こちらのコッペパンは、一般的な製法よりも発酵時間を長くすることでしなやかさと旨みがあり、次の日でもしっとりやわらかに食べることができます。 そんな美味しいコッペパンに、クリーム系、惣菜系などをサンドしたメニューが合わせて20種類以上もあります。2021-05-04
76pictopicto本場フランスで経験を積んだオーナー・宮島さんが作る、毎日飽きずに食べられるパンが評判のお店。「焼きたてを楽しんでほしい」と少量を一日に何度も焼くクロワッサンは、やや大きめサイズながら、軽やかな食感と生地のうま味が際立つ。毎日の食卓を華やかにしてくれるような美しいビジュアルも、宮島さんのこだわり。2021-05-04
77明治28年の海野町を記録した写真明治28年の海野町を記録した写真海野町のすや(酢屋)呉服店が所蔵している古い写真の一枚。写真の裏面には「明治二十八年」との書き込みがある。1895年(明治28年)は、日清戦争が終結、勝利した年に当たる。旭日旗や「送小林」の旗などが見える。出征兵士を送り出す情景の記録ではないだろうか。海野町商店街の沿道に大勢の人々が繰り出し、人々の目線が写真機の方を向いている。向かいの店の看板「酢屋本治郎」が読み取れる。 驚くことにその軒先の屋根上に楽隊が陣取っている。大太鼓、小太鼓、クラリネット、チューバ、ホルン(他にシンバルも?)が確認できる。明治のこの時代にこれだけの楽器を有する音楽隊があったことを物語る貴重な証拠写真である。当時、上田が西洋文明をいち早く吸収した先進的な文化都市であったこと、経済的にも反映していたことを雄弁に物2021-03-26
78運の石運の石これは2021年2月10日に撮影した運の石の写真である。 この運の石は海野町商店街の高市神社に祀られている。 高市神社のご神体は、海野宿の隣にある白鳥神社にあった霊力のある石であり、真田昌幸が築城する際に祀られたといわれている。このとき祀られたご神体には直接触れられない。そのため、真田昌幸と関係がある高野山九度山の神石が触れられる運の石として祀られている。2021-02-10
79海野宿と海野町商店街の共通点海野宿と海野町商店街の共通点海野宿と海野町商店街について調べて、以下の共通点があることがわかった。  まず、真田昌幸が海野郷の豪族の海野氏の子孫だったことから、海野町商店街は海野郷にいた住民によって作られた。そのため、海野宿と海野町商店街は海野氏という豪族に関係があることがわかった。  また、海野宿の横に位置する白鳥神社にあった霊力がある石を、真田昌幸が築城する際に海野町商店街の高市神社に祀ったことがわかった。そのため、高市神社と白鳥神社には、ありがたい石でつながっているという関係があることがわかった。2021-02-09
80花のマリモ花のマリモ【高校2年生に息子を持つ主婦へインタビュー】 海野町で生まれ育っているので、とても愛着を感じているそうです。 昔は、七夕祭りにミス七夕というイベントがあったり、30年前には毎週日曜日の9時ごろから5時まで海野町商店街の通りを交通規制して、パラソルやいすを並べたり、風船おじさんが来たり、マジックをして街を盛り上げる日曜広場というイベントが行われていた。 また、海野町にはマンションが急増している。その中でマンションの住人と海野町商店街に住んでいる方々は交流があるのかを聞いてみたところ、子供がいても親同士の関わりはない状態であるということが分かった。しかし、商店街同士の関わりはあって、イベントの打ち上げを行ったり、母親同士のつながりは徐々に強くなっているそうだ。 今後どのような街になっ2021-02-01
81海野町史-海野町の誕生海野町史-海野町の誕生海野町は、真田安房守昌幸が先祖の地である海野郷から住人を移住させて、街並みをつくらせたのが起源である。また、三年遅れて、原の郷から招致したのが原町である。この海野町と原町を上田城下の元町という。海野町と原町は、真田・仙台・松平時代から明治・大正・昭和まで上田の中心枢要な位置にあり、共に商業経済の発展に貢献している。 海野町へ移住して来た人々は、海野郷大平寺村の住人で、氏神様の深海神社の祠(ほこら)だけを残し、全村挙って五十八家族が移住した。その人々は、思い思いに農村風の家を作り、大方南側に向き、従来に出入り口のない家や瓦をのせず床もない素朴な家に住んでいたという歴史が残っている。(海野町史第1章より)2021-01-31
82隠れた魅力の発信 上田のelaboration 最終隠れた魅力の発信 上田のelaboration 最終上田探検、中間発表、個人の調査を経て最終的に「隠れた魅力の発信」というテーマで自分の活動をまとめました。たった数か月の活動でしたが、そこで見つけたことは自分の経験になったと思います。至らない点や説明不足の部分があるとは思いますが、ぜひご覧ください。これらは次の活動に活かしたいと考えています。2021-01-29
83私の地域探求テーマ一覧(情報通信文化論2020)私の地域探求テーマ一覧(情報通信文化論2020)長野大学の講義科目「情報通信文化論2020」(講義担当:前川道博)では、情報通信文化の根幹をなす文化伝承・知識伝承を概念的に学ぶだけではなく、受講生たちに自ら文化伝承・知識伝承による「キュレーション型」の学びを実践してもらいました。地域循環型社会にシフトしつつ現代においては、自ら問いを立て、一次資料に当たったり、地域に赴いて自ら得たデータを新たな一次資料とし、主体的に探求していくことが求められます。その学習プロセスが文化伝承・知識伝承に他なりません。 それらの課題探求テーマと成果を以下のマイサイトからカテゴリ「私の地域探求」を選んで御参照ください。 <私の地域探求テーマ一覧> 1 舌喰池の名前の由来(LGTMのサイト) 2 2021-01-28
84海野町商店街の起源海野町商店街の起源 海野町商店街の始まりには、真田幸村の父の真田昌幸が関係している。真田昌幸は現在東御市本海野の海野宿がある地にあった、海野郷の豪族、海野氏の子孫だった。真田昌幸は1583年(天正11年)に上田の千曲川の支流にあった尼ヶ渕という地名の場所に城を築くときに、海野郷大平寺村にいた住民に町を作らせた。これが、海野町商店街の起源である。 参考資料 「海野町史」中澤好冨 「海野町商店街の歴史」 ナガブロ URL「http://unnomachi.naganoblog.jp/e1286383.html2021-01-27
85現在の海野町商店街(2021年)現在の海野町商店街(2021年)2021年1月27日に撮影した海野町商店街の写真である。 海野町商店街がある場所は海野町通りとも呼ばれている。 また、お茶所喜光堂という看板が見える。喜光堂は1882年から操業している、歴史のある店である。 喜光堂の少し先には高市神社がある。 昔(1913年)の喜光堂 URL「http://www.d-commons.net/uedagaku/detail.php?id=3875」 海野町通り(1913年) りらっくすさんのサイト みんなで作る信州上田デジタルマップ2021-01-27
86だるまとつながりのある群馬県の主なお祭りだるまとつながりのある群馬県の主なお祭り高崎だるまの歴史についてまとめた前編はこちらから↓ 高崎だるま ①前橋初市まつり 毎年1月9日に国道50号の本町二丁目で行われるお祭りで、前橋では三大祭りの一つとして有名である。別名「だるま市」と呼ばれ、その名の通りたくさんのだるまが売られている。50号沿いだけでなく、すぐ近くの中央通りアーケード(前橋の商店街)でも屋台の出店やイベントが開催されるので非常に賑やかである。 1番の名物は古いだるまを供養して燃やす「お焚き上げ」で、当日はお昼ごろまで多くのだるまと、火と煙を見ることができる。市民の間で、この行為を「どんど焼き(どんと焼き)」と呼ぶことが多い。群馬県では、新年になると各地でこのどんど焼きが行われる。 ②高崎だるま市  毎年1月1日から22021-01-26
87海野町通り(1913年)海野町通り(1913年)1913年(大正2年)に撮影された海野町通りの写真である。 海野町商店街がある場所は海野町通りとも呼ばれている。1913年の海野町通りは海野宿を思わせる町並みをしている。 この写真は、西側から東側に向けて撮られており、荷車や着物姿の子供が多く見られる。 また、左側に「喜光堂茶舗」という名前が見える。これは、現在もあるお茶屋喜光堂の店舗である。 画像は海野町通り,「写真集上田いまむかし:上田市・丸子町・真田町/郷土出版社編」,郷土出版(1980年2月18日),P50より引用 現在の喜光堂 URL「http://www.d-commons.net/uedagaku/detail.php?id=3954」 現在の海野町商店街(2021年) りらっくすさんのサイト みんなで作る信州上田デジタルマップ2021-01-26
88進化する商店街の形進化する商店街の形ゼミ活動による半年間の成果物です。2021-01-25
89ナオミナオミ1枚目が2012年、2枚目が現在の外見を表した写真である。 お店の雰囲気も建物全体の雰囲気も変わった様子はないが、商店街の雰囲気にとても馴染んでいるように感じる。 (2012年の写真→Googleマップ・ストリートビューより引用)2021-01-24
90旧美容室いちばん星Loop's・現cafebosso/Nofy旧美容室いちばん星Loop's・現cafebosso/Nofy1枚目が2012年、2枚目が現在の外見を表した写真である。現在は1階がカフェ、2階が美容室となっており、2012年の時点であった美容室いちばん星Loop'sは反対側の通りに移転している。 (2012年の写真→Googleマップ・ストリートビューより引用)2021-01-24
91ヨロズヤヨロズヤ1枚目が2012年、2枚目が現在の外見を表した写真である。 利用している人はあまり見たことないが、雰囲気が現在もそのまま残されていて、歴史を感じる建物である。 (2012年の写真→Googleマップ・ストリートビューより引用)2021-01-24
92フードショップみやしたフードショップみやした1枚目が2012年、2枚目が現在の外見を表した写真である。 雰囲気というのはほとんど変わらないが、このような食料品が売っている小さなお店というのはなかなかないため、とても貴重であると感じる。 (2012年の写真→Googleマップ・ストリートビューより引用)2021-01-24
93但馬軒但馬軒1枚目が2012年、2枚目が現在の外見を表した写真である。 一部塗り直したたところもあり、外見自体少しきれいになった感じもするが、もともととてもおしゃれな雰囲気もあり、まるで見た目では精肉店のような雰囲気ではない建物 のように感じる。 (2012年の写真→Googleマップ・ストリートビューより引用)2021-01-24
94万年筆の庄村万年筆の庄村1枚目が2012年、2枚目が現在の外見を表した写真である。 現在も営業しているお店であり、外見も変わらずそのままで、そして、看板の字も変わらず昔の雰囲気を感じる。 (2012年の写真→Googleマップ・ストリートビューより引用)2021-01-24
95旧玉井フルーツ店・現VACILANDO COFFEE旧玉井フルーツ店・現VACILANDO COFFEE1枚目が2012年、2枚目が現在の外見を表した写真である。 2012年の時にはあった玉井フルーツは現在移転し、今はカフェとして使われている。建物の茶色の部分とはだいぶ違う真っ白な壁となっており、とてもきれいな雰囲気を感じる。 (2012年の写真→Googleマップ・ストリートビューより引用)2021-01-24
96アサヒカメラ堂アサヒカメラ堂1枚目が2012年、2枚目が現在の外見を表した写真である。 見たことがあるのみで、実際お店の中には入ったことはないが、約10年経ってもそのままの形で残されている。 (2012年の写真→Googleマップ・ストリートビューより引用)2021-01-24
97ホケン堂藤岡薬局ホケン堂藤岡薬局1枚目が2012年、2枚目が現在の外見を表した写真である。 目印となる左上の看板は少し雰囲気は変わったが、建物自体はそのまま残されている。 (2012年の写真→Googleマップ・ストリートビューより引用)2021-01-24
98千串屋千串屋1枚目が2012年、2枚目が現在の外見を表した写真である。 現在も1階にある焼き鳥屋は特に変化がないが、2階に関しては、今では居酒屋ができていたり、一番上の広告のようなものも新しいものに変わっている。 (2012年の写真→Googleマップ・ストリートビューより引用)2021-01-24
99旧むぎの里・現Nakamura旧むぎの里・現Nakamura1枚目が2012年、2枚目が現在の外見を表した写真である。 ピンク色でとても目立つ建物だが、それ自体には特に変化がない。しかし、左下のお店が2012年ではむぎの里だったのが、現在はNakamuraという居酒屋に変わっている。 (2012年の写真→Googleマップ・ストリートビューより引用)2021-01-24
100旧らーめん邦心・現串まる旧らーめん邦心・現串まる1枚目が2012年、2枚目が現在の外見を表した写真である。 現在は串まるという居酒屋さんに変化したが、2012年ではラーメン屋さんであった。こう見ると、お店が変わるだけでなく、雰囲気も大きく変化している。 (2012年の写真→Googleマップ・ストリートビューより引用)2021-01-24
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