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1甘味処 雪屋Conco甘味処 雪屋Concoお城口天神通にあるかき氷をメインとして扱っているお店。 パンケーキやドリンクメニューもあり、駅にも近いので時間があるときに立ち寄りたい場所。 一休みするのにベストな古民家風カフェでゆっくり過ごせる。2021-05-05
2cafe and bal LIFEcafe and bal LIFE上田市赤坂付近にあるバル。 普通の家のような外観だが中はおしゃれなバルで安くておいしい料理を提供している。 昼はカフェ、夜はバルとして楽しめる。2021-05-05
3cafe and bal LIFEcafe and bal LIFE赤坂上駅から徒歩約5分。脇道を入ったところにある隠れ家的存在。おしゃれな内装で、落ち着いた雰囲気。2021-05-05
4柳町柳町北国街道沿いの家並みが残る通り。現在では信州上田の魅力的な名物・銘品を扱う店舗が並ぶ、江戸時代の面影を残した上田城下の商い処。昔ながらの街並みがとてもいい雰囲気を醸し出している。写真ではなかなか伝わらないので実際に行ってみることがおすすめ。2021-05-05
5呈蓮寺呈蓮寺浄土宗のお寺。もともとは太郎山のふもと付近にあったが、参詣者に不便な地ということから1433年に現在地に移転した。 車での移動では見つけられないような大通りから離れたところにあった。この周辺を歩いてこそ見つけることのできた場所。緑が多く風が気持ちいい。大通りから離れた場所にあるため静かでとても落ち着く。2021-05-05
6古関裕而記念館古関裕而記念館 福島市出身で福島市名誉市民第1号である大作曲家、古関裕而さんの業績を称え建設されました。全国の小学校の校歌の作曲や、「夏の全国高等学校野球選手権大会の歌」としてつくられた「栄冠は君に輝く」など現在にも残る多くの楽曲を世に残しました。外観は名曲「とんがり帽子」がモチーフになっています。  2020年に放送された連続テレビ小説「エール」の反響は大きく、観光客が古関裕而記念館を訪れたり、撮影セットの展示がされたり、「エール」に合わせてデザインされた路線バスが運行したりと、地域の活性化に繋がったようです。  自分の出身小学校の校歌も古関裕而さんが作曲されたので、「エール」で生涯を知ることができて良かったです。2021-05-05
7谷信菓子店谷信菓子店アイスは昔懐かしの白アイスからミルクティーなど今時なものまで全て手作り。濃厚でクリーミーな舌触りは手作りならではのもの。食べ歩きにもおすすめ。  コロナ渦で夏祭りの中止やお盆でのお墓参りの人出の減少があったものの、現在は、並んでいる人同士の間隔を開けるなどして感染対策をしている。  このお店のアイスを思い出の味としている人も多いため、今年の夏は県外にいる家族と一緒に食べたいと願う人も多い。2021-05-05
8salon as salonsalon as salon中町通りに位置するカフェ。ここは一階がサロンで二階にカフェがあるという珍しいタイプ。古民家風で二階の窓から中町通りを眺めながら、のんびり食事を楽しめる。2021-05-05
9中町通り中町通り松本の旧町名であり、白と黒の簡潔な土蔵造りの家が多く建ち並ぶ。民芸・工芸・飲食などあらゆる観光が楽しめる。2021-05-05
10信夫山(福島県)信夫山(福島県) 信夫山(しのぶやま)は、春にはお花見ができたり、公園で飲食が可能だったりと地域の人々に多く利用されてきました。小学生の時は遠足に行き、高校生の時は部活の新入生歓迎会でお花見に行きました。  あまり知られていませんが、スタジオジブリ「となりのトトロ」の主題歌「さんぽ」の歌詞は、作詞家の中川李枝子さんが、幼少期阿武隈川や信夫山を遊び回った経験を元につくられています。このエピソードを知ったうえで信夫山に足を踏み入れると、「となりのトトロ」の世界を感じられるかもしれません。2021-05-05
11ブエナビスタカフェブエナビスタカフェ 見附市の商店街にあるガラス張りで、オープンな雰囲気のあるカフェ。  ランチメニューのチーズ入りオムライスは食べ応え抜群。日替わりパスタやカレーもあり、バラエティに富んだメニューは何度行っても飽きない。カレーはスパイスから工夫しているためか、お店の近くを通るだけでおいしそうな匂いが漂う。タピオカや自家製ケーキなど、カフェメニューも充実している。  コロナ渦で営業が難しい中、見附市の旅館とコラボレーションをし、テイクアウトメニューの販売を行っていた。この企画は話題となり、店の前では行列ができて、大成功だった。カフェと老舗旅館のコラボレーションは接点も少ないことから、誰も思いつかなかった。このコラボレーションはコロナ渦だったからこそ実現した、この苦しい状況を逆手にとったものであり2021-05-05
12ビストロ ムッシュの店 ビストロ ムッシュの店  今はランチ限定での営業。  料理はパスタ、ハンバーグ、オムライス、ビーフシチューなどがあり、どれもボリューム満点で、絶品。サラダ、パン、ドリンク、デザート付きで1500円と値段も量も満足感のあるお店。  ランチ限定での営業ではあるが、店内はとても賑やかで、家族連れから女子会まで幅広い年代から愛されている。前日までに予約をすればディナーも貸し切りで可能。  コロナ渦でみんなが苦しい中ではあるが、おいしいものを沢山食べてもらいたいというシェフの優しい思いの詰まったお店。2021-05-05
13隠れた古民家風店舗隠れた古民家風店舗時間 16時 天候 晴れ 上田駅前一帯は比較的お店も多く発展している地域ですが、その中でも古民家のような雰囲気のある建物があることに驚きました。先輩がお店で働いているらしくいつかは訪れたいお店のひとつです。2021-05-05
14島屋菓子舗島屋菓子舗別所温泉、北向観音裏参道にある和菓子の専門店「島屋菓子舗」。 季節のお菓子を中心に、自家製オリジナル製の商品の製造販売を行っています。 一個から厄除饅頭を買うことができるお饅頭屋さん。 どら焼きやバターどら焼き、黒胡麻クルミ餅なども購入可能。 別所温泉には島屋菓子舗以外にも、鹿教湯温泉中程に位置する「塩川菓子舗」さんや「手塚屋製菓舗」などの和菓子屋さんで、厄除饅頭を販売しています。 別所温泉で厄除饅頭のお気に入りのお店を見つけることもできそう。 お土産や小腹の空いたときにおすすめだと思いました。2021-05-05
15自然と暮らす喫茶 hanatoki自然と暮らす喫茶 hanatoki2020年12月に別所温泉にオープンしたカフェと雑誌のお店「hanatoki」。 パンとお菓子のお店「marufugi」さんの店舗を借りて営業中だそうです。 「自然と暮らす喫茶」というお店の名前がぴったりなお洒落なカフェ。 古民家を改築したカフェを営業中で、深煎りコーヒーやブレンドコーヒーの他にプリンやベイクドチーズケーキなどのデザートも食べられます。 マフィンや焼き菓子をテイクアウトすることも可能。 お子さん連れのお客さんもいらっしゃいました。 コーヒー以外にもカフェオレ、リンゴジュース、シロップジュースなどがありお子様も気軽に来られるカフェ。2021-05-05
16上田城跡公園上田城跡公園徳川家康が上杉氏に対抗するために築城した。その後上杉に奪われ増築されている。真田氏が第一次上田合戦時、徳川の軍を撃退。現在残っているモノは江戸時代に再建されたモノらしい。堀は深く出入り口も限られているため、責めるのはとても苦労したことがうかがえる。自然豊かで、落ち着いているため観光目的でも休憩目的でも立ち寄る価値は十分あると思う。2021-05-05
17道祖神の時に渡すお札道祖神の時に渡すお札写真は、家の壁に貼ってあるものです。 このような習字の時に使うような紙に、ハンコのようなもので押して作っていきます。 私自身、小学生の時に地区の友達と一緒に作りました。 猿田彦大神は、その昔、天孫降臨の時の道案内をしたと言い伝えられている神様だそうです。 ★天孫降臨とは… 天皇家の由来と古代国家の起源に関する神話。天照大神が孫の瓊瓊杵(ににぎ)尊に神宝(三種の神器)を与え,天壌無窮の神勅を発し,天児屋(あめのこやね)命などの神々を供に高天原から日向(ひむか)の高千穂峰に降臨させたという。2021-05-05
18上田育英館上田育英館上田電鉄別所線中野駅から徒歩5分程度の場所にあります。 文献(地図)を調査しましたが,見つけることが出来ませんでした。しかし,少なくとも建物の状況から数十年前であると考えられます。現在は,市の空き家対策課によって,バリケードが設置されています。 昔の子どもたちが学校以外の場でどのように学習するのか知ることができました。2021-05-05
19日輪寺日輪寺バイト先へ向かう途中に毎回目に付いていたので気になり調査しました。日輪寺は天文14年(1545年)真田家の先祖である海野小太郎幸義公によって建てられた曹洞宗の寺です。町中にあり、さらに両隣には真新しい家や建物がありますが、門ををくぐるとガラッと景色が変わります。2021-05-04
20地域情報メディア論 おもちゃ屋 クロダ地域情報メディア論 おもちゃ屋 クロダ商店街にはたくさんのお店がありますが、特に目を引き付けるのは「クロダ」というおもちゃ屋です。昔ながらのものから今どきのものまで売られています。外からでもおもちゃがたくさん見えて、小さい子どもがいる家族連れがいつもいます。このお店だけにしか売っていないものもあります。子どもの頃に来ている人が大人になって、自分の子どもと一緒に来ることが多いです。前橋市の商店街に来たらぜひのぞいてみてください。2021-05-04
21地域情報メディア論 洋食屋 モモヤ地域情報メディア論 洋食屋 モモヤ商店街には昔から地域の人に愛されている「モモヤ」という洋食屋があります。特に私がオススメする料理はオムライスです。フワフワな卵にモモヤ特製のソースを2種類かけて食べます。モモヤに行くと必ず注文します。小さい頃から食べていて、私の家族も通っていました。今回は注文しませんでしたが、群馬の上州豚を使用した料理もあります。ビッグパフェなどのデザートもあります。前橋市の商店街に来たらぜひ食べてみてください。2021-05-04
22地域情報メディア論 萩原朔太郎ゆかりの地地域情報メディア論 萩原朔太郎ゆかりの地群馬県前橋市に生まれた詩人・萩原朔太郎は、三十八歳まで過ごしました。前橋市の商店街には記念館や生家跡などがあって、萩原朔太郎のことについての資料を見ることができます。生家跡は実際に住んでいた家がまだ少しだけ残っていて、中に入ることができます。前橋文学館という場所の前には銅像も建てられています。前橋市と萩原朔太郎は今でも深くつながりがあります。2021-05-04
23ぶたひつじぶたひつじ上田駅から徒歩3分にあるジンギスカンとサムギョプサルの専門店です。高タンパクでヘルシーなジンギスカンは特性の鍋で野菜と焼き、うまみが凝縮されて絶品です。また、余分な油を落としてくれるプレートで焼き、サンチュでつつんで食べるサムギョプサルも大人気です。友達や家族連れなど幅広い層で楽しんで利用することができます。2021-05-04
24甘味処 雪屋 Conco甘味処 雪屋 Conco上田駅前天神商店街にある古民家甘味カフェです。レトロ感が満載の店舗でかき氷を中心に様々なメニューがあります。インスタ映えしそうなかわいい見た目と和モダンなお店の雰囲気がとても素敵です。2021-05-04
25ちゃあしゅうや 武蔵ちゃあしゅうや 武蔵このお店はラーメンも美味しいですが、チャーシューが主役のラーメン屋です。他のお店のチャーシューと比べるととても柔らかくとろけるような食感です。 ラーメンの種類も豊富なので行ってみてください。2021-05-04
26須坂市動物園須坂市動物園臥竜公園内に併設する動物園。亡くなったカンガルーのハッチは全国的に有名であった。 園内にはD51形蒸気機関車が飾られている。 園内には遊園地も併設されている。 サタデーナイトズーなどの数多くのイベントが行われる。2021-05-04
27竜ヶ池竜ヶ池臥竜公園にある池が竜ヶ池である。 須坂市は竜の里と呼ばれ、池には竜が眠っていると言われている。 池には多くの鯉が泳いでいる。鯉は竜になることからいるのだろう。 アヒルボートで遊べるので家族連れやカップルで行くと良い。また、前澤社長のふるさと納税でボートを新しくしたようだ。2021-05-04
28臥竜公園臥竜公園須坂駅から東の方向へ登っていくと臥竜公園はある。 ご存知の通り桜の名所に選ばれるほど、春には多くの桜が咲く。 公園内には動物園もあることから家族連れで賑わい、須坂市の観光スポットとなっており、春にかかわらず年中楽しめる場所である。 写真の滝は公園内にあり、どうやらパラースポットのようだ。2021-05-04
29眞田神社眞田神社真田家が公に認め参詣のある唯一無二の真田神社。 真田氏発祥の地より時の流れに変節せず、誠の心で真田氏の遺徳を後世に受け伝える。2021-05-03
30真田神社真田神社真田氏、仙石氏、松平氏という歴代の上田城主を御祭神としている。おみくじの種類が豊富で、歴史に興味が無く友達や家族と来ても楽しめるだろう。2021-05-03
31武石の森武石の森長野県上田市にあるアウトドアができる武石の森に行きました。ため池にいるニジマスとイワナが釣れ、その場で調理し、食べることが出来ます。美味しかったです。また行きたいなあ2021-05-03
32富士山本宮浅間大社富士山本宮浅間大社全国に約1,300社ある浅間神社の総本社で、本宮の本殿は徳川家康による造営で、「浅間造」という独特の神社建築様式であり、国の重要文化財に指定されています。GWということもあり、流鏑馬祭りを行っていました。とても賑わっていました。2021-05-03
33黒田代官屋敷黒田代官屋敷黒田代官屋敷とは、現在の静岡県菊川市下平川にある江戸幕府旗本・本多助久の代官となった黒田家の屋敷。現存している18世紀中頃の建築物として大変価値が高く、主屋、長屋門、米蔵、宅地など 屋敷全体が重要文化財に指定されている。この貴重な文化財の黒田代官屋敷は、現在、22代黒田家のご家族が居住されている。2021-05-03
34[14/09/11]長小学校周辺を通る[14/09/11]長小学校周辺を通る傾斜地に広がる真田の集落は私には迷路のようです。「上州街道石碑群」を次の目的地に移動してみましたが、入る道がわからず山家神社・長小学校周辺をぐるぐる回ってしまいました。道が意外に狭く、曲がっていて、わかりにくい。2021-05-01
35[14/09/11]山家の「真田氏館跡」[14/09/11]山家の「真田氏館跡」枡形道路とたつ道を進むと民家の石垣にぶつかりT字路となります。余談ですが、このような傾斜地に広がる集落がどことなく和歌山県の九度山に似ていることを想起しました。 この民家のある土地が平らに整地されていることから、ここに館があったという推定が興味を引きます。さらに、ここが真田氏の館跡であるという仮説もワクワクするようなものです。 真田氏の館跡はすでに真田町の各所で見てきました。角間の館跡、ここ山家の館跡、お屋敷公園の館跡、伊勢山にも館跡があったらしい。真田氏は角間から次第に低い方へと移り、やがて上田城へ。やがて真田信幸の代になり、上田藩主居館跡に、更にその後は松代へ移ることになります。この変遷をたどるだけでも実に興味深い。2021-05-01
36[14/09/11]枡形道路・たつ道[14/09/11]枡形道路・たつ道この道を見て、これが枡形とは感じにくい。なぜならこのような曲がった道筋はそこら中にあるからです。「たつ道」は説明板を読んで知りました。 史跡をめぐる時に重宝するのは地元の観光パンフ類です。この日は上田市真田地域自治センターによる『真田三代に出会うMAP 本城・長谷寺・山家神社コース』がどれほど役に立ったか計り知れません。簡潔に勘所が押さえてあって、参照しながら感心していました。 この場所はややわかりにくく、また道路幅が狭く車で進入できなくはありませんが、本来、どこかに車を置いて歩いて訪れる方がよいところであることは現地に行ってみて初めて気づきます。「現地の道は狭いので、山家神社の駐車場に車を置いて歩いて行こう。徒歩?分」のような説明がパンフに載っていたら、そうしたと思いま2021-05-01
37[14/09/11]長村役場等の跡、山家神社[14/09/11]長村役場等の跡、山家神社向畑遺跡から山家神社へ移動しました。山家神社へは過去にも訪れたことがあり、この時は一時休止しただけです。山家神社の駐車場が長村役場跡です。真田自治会による説明板のおかげで歴史がよくわかります。 2009年(平成21年)までここに旧役場庁舎があったことも驚きです。
長村役場・農協・駐在等の跡  「長村」は明治9年5月大日向・横沢・真田・横尾4か村が合併して誕生した。 当初の役場庁舎は、明治元年の神仏分離令により廃寺となった白山寺の一部があてられていたが、ここに庁舎が新築されたのは明治36年。昭和33年に真田町に合併されるまで、改築を経て村政が執行された。 当時から長村の中心地として役場の他、農協や警察官駐在所などがあった。 旧役場庁舎は平成21年に取り壊された。      平成
2021-05-01
38[14/09/11]安智羅明神[14/09/11]安智羅明神日向畑遺跡に行くつもりで安智羅明神に先に立ち寄りました。史跡「安智羅様」の看板に誘導されました。祠と鳥居が建っています。その手前には門石のような石柱が2つ建っています。「辛亥九月建立」と読めます。辛亥(しんがい)と聞くと先に「辛亥革命」を連想してしまうせいか、「辛亥九月」には違和感がありました。これは干支のイノシシという意味のようです。イノシシ年9月…何年をさすのでしょうか。 角間自治会による説明板の存在が実にありがたい。この説明を見て安智羅明神を理解しました。
安智羅明神(あんちらみょうじん)  鎮座地 上田市真田町長角間 この地は真田家の古いお屋敷跡で松尾古城のふもとに位置する。 神社のご神体は真田幸隆の幼少の姿を写した像と伝えられている。 ※創立は一五三〇年(
2021-05-01
39[14/09/11]松尾古城の解説、角間渓谷を進む[14/09/11]松尾古城の解説、角間渓谷を進む角間渓谷の入口に道案内と「松尾古城」の説明板があります。そのすぐ隣にもう一つの案内板があります。 道案内のある場所から角間渓谷までは3kmと記されています。角間川の谷筋になるこの道筋は緩い傾斜で延々と続きます。途中に転々とする角間の集落は傾斜地のため、家の前に築かれた石垣などが印象的です。道路も狭い。途中拡幅工事が行われていました。周辺は杉林に変わり、山道らしくなります。2021-05-01
40上田招魂社上田招魂社この上田招魂社は戊辰戦役従軍の戦死者をはじめ日清日露の戦争を経て今次の大東亜戦争に至る間国家の為尊き命を捧げられた人々の英霊をまつる御社。 真田神社の近くにあるため、向かった際にも足を延ばしてみてはどうでしょう。2021-04-25
41真田神社真田神社上田城本丸跡に鎮座するこの真田神社は、真田氏、仙石氏、松平氏という歴代の上田城主を御祭神としています。 しかし、もともとは松平家の御先祖をお祀りする御宮であり、松平神社と称していました。 神社の近くには、実際に昔使われていた井戸や巨大な兜、真田幸村の像などがあります。 個人的には、神社前の門や兜が記憶に強く残っています。2021-04-25
42飯綱神社飯綱神社マップを開いた時に山道にあるこの神社を見つけ実際に行ってきました。 家と家の間の狭い道を通った場所にあって、見つけるのに少し苦労しました。 少し下った所に「熊人」という人気のあるラーメン屋があるので、行ったついでに立ち寄るというのもいいかもしれません。2021-04-25
43端山貢明さんと学生の対話 2009年長野大学前川ゼミ端山貢明さんと学生の対話 2009年長野大学前川ゼミ端山貢明さん(東北芸術工科大学名誉教授)と学生の対話 92分 2009/07/27、長野大学の前川道博ゼミ(企業情報学部プロジェクト研究)に端山貢明さん(1932年~)をゲストとしてお迎えし、プロジェクト研究をすることについてお話いただいた時の記録。端山さんは20世紀の大作曲家オリヴィエ・メシアンのもとで音楽を学び、後にコンピュータの社会的有用性に着目したメディア研究に転じ、1993年度から1999年度にかけて東北芸術工科大学で教鞭をとった。 学生との対話では冒頭、Project(pro/ject)とは何か、information(in/ex・formation)とは何かを口説く。学生との対話にはなかなかならないが学生からも質問やレスポンスは少し出るようになる。学生はしばらくその理解ができず、その説明でかなり手こずる。 ここでのポイントは端山さん2021-04-05
44上田市 手塚地区について上田市 手塚地区について手塚(てづか)は上田市の西塩田に位置する地区である。付近には独鈷山があり、ため池も多く、別所温泉も近い。 手塚の地名の由来は、伝承によると、奈良時代に塩焼王が反乱を起こして当地に流罪となったが、再び勢力を挙げて反乱を企てたため、最終的に坂上田村麻呂によって討伐され、その塩焼王の怨霊を恐れた当地の人々によって両手を埋葬された事に由来するとされる。なお、この塩焼王の両手を埋葬した場所が、現在も「王子塚古墳」として残っている。 平安時代にはこの地より手塚氏が出て、手塚光盛が源義仲の家臣として活躍した。後に、この手塚氏からは江戸時代に水戸藩に仕えた手塚良仙光照という蘭方医 がおり、さらに、日本漫画界の巨匠である手塚治虫もこの手塚氏の系統だとされる。 手塚の地名の由来にこれほど偉大な歴2021-02-27
45南牧村議事録(s10~15)南牧村議事録(s10~15)南牧村満蒙開拓資料として役場で閲覧。 この期間中は、該当する記録なし。戦争に関する議事少ない。 18年に先遣隊として、一家族派遣しているが、議事録は s16以降、見つかっていない。2021-02-27
46あゝ開拓千曲郷の断末―開拓難民引揚げの記録―あゝ開拓千曲郷の断末―開拓難民引揚げの記録―千曲郷開拓団の資料、佐久穂町図書館蔵、1974年(s49) 編集発行:北相木村役場 南牧村から開拓団の先遣隊として、唯一派遣された家族は、千曲郷に属した。2021-02-27
47覚(餅米値段等につき) 川伊藤家文書(追加分)覚(餅米値段等につき) 川伊藤家文書(追加分)覚(餅米値段等につき) 川伊藤家文書(追加分)2021-02-27
48砂糖類御煉油 御通 川伊藤家文書(追加分)砂糖類御煉油 御通 川伊藤家文書(追加分)砂糖類御煉油 御通 川伊藤家文書(追加分)2021-02-27
49芝生田区新家の道祖神芝生田区新家の道祖神新家池下に建立されています。2021-02-22
50萬葉集(写本)萬葉集(写本)『萬葉集』(写本)全9帖 (市立小諸図書館所蔵) 『萬葉集』とは・・・ 飛鳥・奈良時代の歌集で、約130年間の長歌、短歌、旋頭歌、仏足石歌など4500首余りを収録。天皇、皇后をはじめ一般民衆の歌まで含んだ歌集。 【参考文献】『国史大事典』(国史大辞典編集委員会/編 吉川弘文館 1992) 本書は、江戸初期の写本といわれていて、国文学者佐佐木信綱氏の著書『萬葉集事典』(平凡社 1956)の諸本―写本の項で『小諸本萬葉集』として収録されています。 綴葉装(てっちょうそう)の活字附訓本で、缺本(欠けた巻がある本)で、5,6巻が欠けています。 サイズは、縦23.5cm×横17.5cm。 小諸藩主牧野氏の蔵書で、のちに小諸町で酒造業を営んでいた大塚宗次氏が購入、大正3年(1914)に財団法人小諸図書館へ寄贈されました。 大塚宗次氏に関2021-02-16
51本秋の麥作に就て(『西塩田青年団報』第2号(1946年9月20日)1頁)本秋の麥作に就て(『西塩田青年団報』第2号(1946年9月20日)1頁)麥作に関する記事。 各農家へのお願いが書かれている。 食糧危機ながらも乗り越え、稲作も順調に進んだとあり、食糧不足に光明をもった様子。 肥料不足は続いている模様。 ▼この記事は以下から参照できます。 #955 『西塩田青年団報』第2号(1946年9月20日)1頁2021-02-10
52大衆食堂 夢の家大衆食堂 夢の家大学前駅から徒歩11分ほどで行ける食堂です。 鉄板があり焼き肉が楽しめる他にも、ラーメンや、かつ丼カレーなど地元の特産を使った豊富なメニューがあります。席がとても広くたくさんあるので宴会にも便利です。 昼11時30~14時15 夜17時~22時 月曜定休2021-02-10
53花のマリモ花のマリモ【高校2年生に息子を持つ主婦へインタビュー】 海野町で生まれ育っているので、とても愛着を感じているそうです。 昔は、七夕祭りにミス七夕というイベントがあったり、30年前には毎週日曜日の9時ごろから5時まで海野町商店街の通りを交通規制して、パラソルやいすを並べたり、風船おじさんが来たり、マジックをして街を盛り上げる日曜広場というイベントが行われていた。 また、海野町にはマンションが急増している。その中でマンションの住人と海野町商店街に住んでいる方々は交流があるのかを聞いてみたところ、子供がいても親同士の関わりはない状態であるということが分かった。しかし、商店街同士の関わりはあって、イベントの打ち上げを行ったり、母親同士のつながりは徐々に強くなっているそうだ。 今後どのような街になっ2021-02-01
54明治時代の大屋地域明治時代の大屋地域これは明治時代の実際の大屋地域の写真です。 ㉓と書かれている場所が大屋地域で明治30年に入ってから多くの住宅が建てられました。 明治初期は130軒ほどだった民家も平成に入ると1300軒を超える民家が建てられました。 ㉑はスーパーがありましたが移転するなど、大きな変化があったのは昭和30年~60年ごろです。 【参考文献】 上田市史 第66図 155貢2021-02-01
55山本鼎による農民美術運動山本鼎による農民美術運動山本鼎が始めた農民美術運動は、農民によって作られる作品が国を豊かにすると提唱しました。農閑期に農民が工芸品を作ることで農家の副収入を増やすことと、国民の美に対する意識を高めることを目的としたものです。 具体的な工芸品は木っ端人形や木彫があります。国分にある尾澤木彫美術館には多くの作品が展示されていました。どんなに小さい人形でも人間の手によって彫られたと思うとすごいなと感心するばかりです。2021-02-01
56サントミューゼ美術館概要サントミューゼ美術館概要〈美術館概要〉 常設展示室、企画展示室を2階に配置し、ゆったりと作品をご鑑賞いただける空間としました。大ホールとの行き来もしやすく、公演の前や後にもお立ち寄りいただけます。 1階には、市民アトリエ・ギャラリーや子どもアトリエなどを設置。貸し出しも行っており、誰もが気軽に創作や発表を行うことができます。 〈美術館施設〉 ◆企画展示室 鑑賞しやすいシンプルな形状、自由度が高く広い展示壁が特徴の展示室です。 5枚の可動壁と2箇所の展示ケースを設置し、大型の作品や資料まで多様な展示計画に対応できます。 ◆常設展示室 常設展示室では、作品・資料などの展示を通じて郷土上田にゆかりのある作家の顕彰を行います。 ◆市民アトリエ・ギャラリー 市民の誰もが気軽に、日ごろの創作活動の成果を発表できる場と2021-02-01
57上田市立美術館サントミューゼ上田市立美術館サントミューゼ今までの投稿で長野県全体の美術館について探求してきた。今回は上田市の美術館であるサントミューゼについて調べていく。 〈サントミューゼの概要〉 サントミューゼ(上田市交流文化芸術センター・上田市立美術館)は、平成26年10月2日に開館しました。大小ホール、美術館、交流芝生広場など、多くの皆さまが芸術とふれあい、人々が交流する場として整備されています。 苗木を植え、育て、木になり、森になる 芸術を通じて感じたこと、体験したことは心のどこかにずっとあり続けます。 森になるには、長い時間がかかります。 でも、まちやひとが芸術や芸術家を通じて感じたことが、このまちの財産となって、いつか大きな木になり、森になってほしい。 サントミューゼがまちとともに続ける活動には、そんな想いを込めています。 2021-02-01
58長野県の美術館紹介長野県の美術館紹介長野県の美術館を紹介します。 すべて紹介するときりがないので、じゃらん観光ガイドの長野県の美術館TOP10を紹介します。 ◆軽井沢千住博美術館 世界で活躍する日本画家・千住博の作品を美しい樹々や花々とともに楽しんでいただける美術館です。 ◆世界の影絵・きり絵・ガラス・オルゴール美術館 ビーナスラインの中心地。白樺湖で、通年営業の美術館です。 ◆北斎館 葛飾北斎の肉筆画・画稿・書簡など50点と北斎筆の天井絵で知られる上町・東町の祭り屋台2台(県宝)を展示。龍と鳳凰、男浪・女浪の怒涛図が、時代を経た今、美しく妖しい魅力をかなでています。 ◆松本市美術館 鑑賞の場、表現の場、学習の場、交流の場を4つの柱とした地域に根ざす開かれた美術館です。松本市出身の芸術家・草間彌生の作品展示のほか上條信山2021-01-31
59海野町史-海野町の誕生海野町史-海野町の誕生海野町は、真田安房守昌幸が先祖の地である海野郷から住人を移住させて、街並みをつくらせたのが起源である。また、三年遅れて、原の郷から招致したのが原町である。この海野町と原町を上田城下の元町という。海野町と原町は、真田・仙台・松平時代から明治・大正・昭和まで上田の中心枢要な位置にあり、共に商業経済の発展に貢献している。 海野町へ移住して来た人々は、海野郷大平寺村の住人で、氏神様の深海神社の祠(ほこら)だけを残し、全村挙って五十八家族が移住した。その人々は、思い思いに農村風の家を作り、大方南側に向き、従来に出入り口のない家や瓦をのせず床もない素朴な家に住んでいたという歴史が残っている。(海野町史第1章より)2021-01-31
60現在の海野宿(2021年)現在の海野宿(2021年)2021年1月27日に撮影した海野宿の写真である。 奧には白鳥神社がある。 写真の一番手前に見えるうだつは、「本うだつ」と呼ばれており、江戸時代の裕福な家に見られたうだつである。 また、屋根の横の白く、黒い横の線が入っているうだつは「袖うだつ」と呼ばれているうだつであり、明治時代の裕福な家に見られた。2021-01-27
61五月の常會(『西塩田村公報』第8号(1943年5月5日)1頁)五月の常會(『西塩田村公報』第8号(1943年5月5日)1頁)農繁期の食糧生産についての記事。 麥(むぎ)や甘藷(かんしょ=さつまいも)の生産量を増やし、農家だけでなく皆で協力して食糧戦に勝とうという内容。 ▼この記事は以下から参照できます。 #937 『西塩田村公報』第8号(1943年5月5日)1頁2021-01-27
62農會欄(『西塩田村公報』第3号(1942年2月15日)2頁)農會欄(『西塩田村公報』第3号(1942年2月15日)2頁)農會欄での“昭和十七年度農業增産に就て”という太平洋戦争の始まりによる食糧確保についての記事。 アメリカとの戦争がはじまり農民には食糧自給から国家食糧の確保という立場に変わり今後の生活が厳しくなっていくことを思わせる記事となっている。 ▼この記事は以下から参照できます。 #924 『西塩田村公報』第3号(1942年2月15日)2頁2021-01-27
63前橋市にある日本一安い遊園地「るなぱあく」前橋市にある日本一安い遊園地「るなぱあく」「るなぱあく」は群馬県前橋市にある「にっぽんいちなつかしいゆうえんち」。1954年に開園して以来、三代にわたり群馬県の人に愛されている。テレビ番組等で日本一安い遊園地とも紹介されており、その価格は、なんと10円から乗ることができる。10円木馬という乗り物があるもくば館は国の登録有形文化財に指定されている。移動する国産の木馬としては、日本一古い木馬である。 『こどもにもどりたい、おとなたちのために』というコンセプトのもと、毎年夏の夜には限定で夜間開園されている。遊具で遊ぶことも、お酒を飲んで楽しむことも可能。 ~実際に行ってみて感じたこと~ 遊園地内は一般歩行者が通る通路につながっていて、出入りが自由になっている。実際に敷地内を歩いてみると、そこまで広くなかったためすぐにぐるりと一周回る2021-01-27
64高崎だるま高崎だるま群馬県ではだるまが有名である。どこのお店や家に行っても大小様々でデザインも豊富なだるまが飾られている。 ○だるまの歴史○ だるまの発祥の地は群馬県の高崎市の少林山達磨寺だといわれている。高崎のだるまはもともと「富岡だるま」と呼ばれ親しまれてきた。しかし昭和30年に富岡が高崎市と合併し富岡村の名前が消えて以来、「高崎だるま」「縁起だるま」「副だるま」などの呼び名が付いた。だるまは江戸の人々が疫病から逃れるために、祈り、まじないを信じて作ったと考えられている。当時疱瘡が子どもの間で流行り、この病気は赤色を嫌うとされていたことから、早く治るようにとだるまには赤色に塗られた。疫病の予防法が見つかったことにより、だるまは農作祈願のための縁起物として買い求められるように変化した。特に群馬2021-01-26
65各国の農民美術各国の農民美術この資料には、各国の農民美術の写真や特色が記されている。 スカンディナヴィア…縞や繪模様を織り出した手織りの壁掛、唐草の浮彫の大家具、草花などの模様を刺繍したクッションの胴着など イタリ―(イタリア)…繪や模様を打ち出した金銀細工、青と黄で彩られた素焼の陶器、レース、手織物、木工品等 フランス…レースや白糸刺繍、オーストラリー・ハンガリーに於ける金属、貝などを篏入した木材工芸品など 各国の農民美術の作品には、日本と違った特色が多くみられる。同じ農民美術であっても、様々な特色があり、とても面白い。 参照した資料▼ 国立国会図書館デジタルコレクション 児童百科.22(美術教育篇)157/3082021-01-26
66上塩尻地域 佐藤邸上塩尻地域 佐藤邸上塩尻地域の蚕種製造民家。藤本善右衛門の四男佐藤尾之七の邸宅であった。現在も佐藤邸では蚕種業を営んでいた頃の雰囲気を感じることができる。2021-01-26
67りんご農家のこれからりんご農家のこれから2019年10月 台風19号災害で被災したりんご農家の方にインタビューをしました。  インタビューによると、今回の台風災害で多くの方との縁が出来たことから「りんごの可能性」に気づき、今後は「オンライン販売」や「リンゴ狩り」といった新しい食体験に挑戦したいと仰っていました。2021-01-25
68りんご農家の復興りんご農家の復興2019年10月 台風19号災害で被災したりんご農家の方にインタビューをしました。  当時、家や農機具だけでなく精神的にも大きなダメージを受けたという農家さん。そんな中、支えとなったのがボランティアの方やSNSでの励ましのメッセージだったそうです。毎年りんごを楽しみにしてくださっている人をはじめ、今回を機に初めて関わる方々。色んな人からの応援がとにかく励みになったそうです。 今年無事実ったりんごを「恩返し」という形で多くの人に届けたいと仰っていました。2021-01-25
69りんご農家の被害りんご農家の被害2019年10月の台風19号災害で被災した長沼地域。 今回はそのりんご農家さんにインタビューをしてきました。  インタビューをしたところ、当時は千曲川氾濫の影響でりんご畑だけでなく、自宅や車・農機具までもが濁流に飲まれてしまったという農家さん。仮設住宅での生活を余儀なくされましたが、現在では復旧した自宅での生活をしているそうです。  また、収穫間近であったりんごの8割が濁流に浸かってしまったため廃棄処分。生活の源であるりんごを失ってしまったそうです。2021-01-25
70長沼地域 りんご収穫長沼地域 りんご収穫2019年10月の台風19号災害から1年。 当時はりんごの収穫が続けられるかどうかすら不透明な状況の中、再び長沼地区に足を運ぶと真っ赤なリンゴがたくさん実っているのを目にしました。 農家さんもひとまず安心といったところでしょうか。2021-01-25
71台風19号 災害関連死台風19号 災害関連死台風19号災害から1年が経過した現在、報道などでは避難生活に伴う持病の悪化や疲労、精神的ストレスなど間接的な原因で死亡してしまう災害関連死が増加してしまっている。最近の記事でも、災害で被災した長沼地区の住民が災害公営住宅を巡り市職員と議論した。長沼地区に災害公営住宅が建設された場合、入居希望者は一定数いるとし住民からは入居要望があるのだから市は早期に建設方針を示して欲しい、住宅の問題が解決されないと先の事は考えられないと言った切実な声があがった。住宅課の職員からは長沼地区は洪水の浸水想定区域内にあり入居希望者には高齢者が多いため、建物の構造や災害時の避難誘導が課題だとした。私が現地の方々と話す中で、ある方は住宅が浸水し避難先の建物に訪れたが、避難先での不慣れな生活や部屋の大きさ2021-01-25
72千曲川とりんご栽培千曲川とりんご栽培かつて長沼地域では養蚕業が盛んに行われていました。しかし明治末の度重なる千曲川の氾濫によって、養殖していた蚕を破棄するほどの被害を受けました。その中で水害に強いりんごを栽培する農家が徐々に広まっていき、信州リンゴ発祥の地と呼ばれるまでになりました。2021-01-25
73台風19号 堤防復旧台風19号 堤防復旧台風19号災害から1年が経過し、堤防が決壊し被害の大きかった長野市穂保地区に訪れた。浸水被害から被害の大きかった穂保地区や長沼地区の住宅では多くの家で再建や浸水被害からの整備が済んでいたが、現在でも工事中の住宅やボランティア活動などでの整備を必要としている住宅があると思う。 決壊した堤防復旧の様子は、前回訪れた時よりも進んでおり、地域住民の方々が願っているように今度こそ決壊しない、越水しない、切れない堤防への復旧を進めて行く事が必要であると考える。2021-01-25
74えんぎや京町家えんぎや京町家1枚目が現在、2枚目が2012年の外見を表した写真である。 この建物は全くというほど変化がないことが分かる。このお店は居酒屋だが、歴史的でとてもおしゃれな建物のように感じる。 (2012年の写真→Googleマップ・ストリートビューより引用)2021-01-23
75『蚕かひの学』藤本善右衛門保右著1841『蚕かひの学』藤本善右衛門保右著1841▼蚕かひの学(デジタルアーカイブ資料) https://trc-adeac.trc.co.jp/WJ11D0/WJJS05U/2000515100/2000515100100050?dtl=all NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ 藤本善右衛門保右(やすすけ 1793-1865)が残した養蚕技術書。1841年(天保12年)に著し改版を重ねました。息子の縄葛もその改訂に携わったのではないかと推察をします。「信州地域史料アーカイブ」に収録された『蚕かひの学』はネットに公開された希少な一次資料です。 蚕種製造家は、蚕種を製造するだけでなく、教養に優れていることが蚕種の信用の保障となり、蚕種を販売しながら養蚕技術書を販促ツールとして活用したことがわかります。2021-01-20
76上田人物伝「藤本善右衛門」上田人物伝「藤本善右衛門」「上田を支えた人々 上田人物伝 藤本善右衛門(昌信・保右・縄葛)」 https://museum.umic.jp/jinbutu/data/028.html (上田市マルチメディア情報センター) ネットで藤本善右衛門を検索すると参照ページは意外に少なく、現時点ではWikipediaにすら記載されていません。ほぼ唯一、内容を知ることができるのがこの記事です。説明文は『上田市誌第28巻』の「藤本善右衛門」を要約した内容になっています。 「上田地方を蚕種製造の全国的な中心地に発展させた功労者」として紹介されています。藤本善右衛門は蚕種製造を営んでいた上塩尻の佐藤本家の当主の襲名です。代々の当主のうち、特に業績のあった昌信(1722-1773)、保右(1793-1865)、縄葛(1815-1890)が紹介されています。 縄葛は1845年、蚕種の新品種「掛合」を育成し2021-01-20
77ネット展示:藤本善右衛門が残したものネット展示:藤本善右衛門が残したもの日本一の蚕種製造の地・信州上田を知る上で欠かせない最も重要な人物の一人が藤本善右衛門縄葛(ふじもと ぜんえもん つなね)です。蚕種製造の中心地であった上塩尻村(現在の上田市上塩尻)にはそれぞれの家々が蚕種製造を営み、その中でも佐藤本家は代々が優れた蚕種製造家となり、当主は藤本善右衛門を名乗ってきました。 いったい縄葛(1815~1890)とはどのような人物だったのか、資料からその実像をさぐってみたい。2021-01-20
78山本宣治 高倉・テル 齋藤房雄 記念碑山本宣治 高倉・テル 齋藤房雄 記念碑別所温泉の交番から安楽寺へ向かう途中右手上に、建てられている。 説明板のテキスト 山本宣治 高倉・テル 記念碑について 齋藤 房雄 昭和初期の大恐慌の中、上小(上田・小県)農民組合連合会が結成 され、小作料値下げ、土地取り上げ反対などの運動に立ち上がった。 これよりまえ、上田自由大学の講師として別所に在住していたタカ クラ・テル(高知県出身、文学者、日本共産党衆・参議院議員)は 農民運動・民主主義と社会進歩の運動に指導的役割を果たした。 一九二九年三月一日、上小農民組合連合会は第二回総会にタカクラ の義兄弟にあたる山本宣治(京都府出身、生物学者、労農党代議士 『山宣』)を招く。 この記念講演は「千名を超える聴衆に深い感動を与えた。 この講演から四日後の三月五日、山宣は治安維持法改悪承認の議2020-12-30
79家庭心得帖 (『西塩田公報』第69号(1953年6月5日)4頁)家庭心得帖 (『西塩田公報』第69号(1953年6月5日)4頁)古くなった鏡の手入れや油ビンの洗い方など、日常生活において役立つ様々な情報が書かれている。 また、「ごま汁かけうどん」や「ゆでキャベツのカラシみそ」という美味しそうな料理の作り方まで書かれており、実際に作って食べてみたくなった。非常に読みやすく、家庭に寄り添った記事に興味を持ち採り上げた。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1206 『西塩田公報』第69号(1953年6月5日)4頁2020-12-14
80夏の料理『西塩田時報[戦後]』第16号(1948年6月25日)2頁夏の料理『西塩田時報[戦後]』第16号(1948年6月25日)2頁家庭で作る夏の料理のレシピを紹介した記事。 「いかの桃和え」や「れんこん飯」「エッグのプラントサラダ茄子のサラド」など馴染みのないレシピが紹介されている。 文字を追って工程を想像するだけでも楽しい。 これを参考にすれば昭和の料理を味わうことができるかもしれない。 名前の間違いがペンで直されているのもレアではないだろうか。 ▼この記事は以下から参照できます。 『西塩田時報[戦後]』第16号(1948年6月25日)2頁2020-12-14
81入学前の家庭教育に就て(『西塩田時報[戦後]』第1号(1947年1月25日)2頁)入学前の家庭教育に就て(『西塩田時報[戦後]』第1号(1947年1月25日)2頁)この記事は、親御さん宛に、小学校入学前の子どもに教育しておいてほしいことが書かれている。 親であれば教えているような基本的な内容ではあるが、箇条書きで、マナーから、友達や先生との接し方、家庭での生活に関わることまで、とても細かく書かれていて驚いた。 わたしが小学校に入学するときに「これはできていないとだめ」「せんせいやともだちとはなかよくしなさい」などと教育された覚えがない。当時西塩田地域では記事のように徹底して教育されていたのだろうか。この記事を読んでから、この時代の教育に興味が湧いた。 ▼この記事は以下から参照できます。 #976 『西塩田時報[戦後]』第1号(1947年1月25日)2頁2020-12-14
82民主々義と現代青年の任務(『西塩田時報』第1号(1946年8月25日)3頁)民主々義と現代青年の任務(『西塩田時報』第1号(1946年8月25日)3頁)戦後日本が民主主義を採用することは必然であり、日本独自のデモクラシーを建設して日本の存在意義や世界への貢献としようという記事。 終戦後日本は民主主義国家へとなっていくがアメリカやイギリスの真似ではなく日本独自の天皇を戴く民主主義を建設しなければならないといったような内容が書かれており、国家のアイデンティティというものを考える面白い記事である。 ▼この記事は以下から参照できます。 #953 『西塩田青年団報』第1号(1946年8月25日)3頁2020-12-14
83家庭メモ (『西塩田公報』第83号(1954年8月5日)4頁)家庭メモ (『西塩田公報』第83号(1954年8月5日)4頁)今では衣服にしみを付けてしまったらしみ取りで簡単に取ることができます。しかし、昔の人たちはどうしていたのでしょうか。そのようなことを知ることができるのかこの記事です。 身近にあるもので工夫してどのように生活してきたのか、という家庭の工夫が詰まっています。今の便利になった世の中から見たら、こんなものでこんなことをしていたのかという過去の新たな発見をできる面白い記事なのではないでしょうか。 この家庭メモはしみ取りのほかにも、おいしいイモの食べ方や秋の漬物のレシピなど先人たちの知恵が詰まった記事になっています。いまでも役立つ知恵がたくさん出てくるので、気になるものを探してみるのもいいかもしれません。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1260 『西塩田公報』第83号(1954年8月5日)4頁2020-12-14
84君たちは幸福だ(『西塩田時報』第2号(1923年9月1日)4頁)君たちは幸福だ(『西塩田時報』第2号(1923年9月1日)4頁)ヒコーキという作家か匿名住民が、同年に愛人と心中した有島武郎に影響されて自殺していく若者について語っている。 概要は「信じる人に命まで捧げられる君たちは幸福だ。今まで古い考えを壊していくのが若者であり、文化というやつなのだろう。」という感じなのだが、私には「信じる人に後先考えずに命まで捧げちゃう君たち若者はオメデタイ奴らだな」と皮肉っているように見えた。 このヒコーキという人は様々な記事でこのような皮肉を込めたような記事を書いているので、他の号でも探してみたい。 ▼この記事は以下から確認できます 『西塩田時報』第2号(1923年9月1日)4頁2020-12-13
85何を意識して暮らすべきか (『西塩田時報』第94号(1931年9月1日)4頁)何を意識して暮らすべきか (『西塩田時報』第94号(1931年9月1日)4頁)この記事では戦前の日本における善良的な意思や美徳について記されている。この記事の面白さは、現代の意識との認識のずれだ。 国家に対しての強い愛国心や服従、また、宗教に対する現代にも通じるであろう考え方など、今との相似点や考えられないような相違といった様相が窺え、非常に興味深い。 この記事から現代思想と戦前の思想を比較してその実態を観察してみると、そこからより深い学習につながるかもしれない。 ▼この記事は以下から参照できます。 #412 『西塩田時報』第94号(1931年9月1日)4頁2020-12-09
86戸隠神社 奥社戸隠神社 奥社長野市の果ての果て、山を何度も越えた先にある神社です。親に連れられて行きましたが、車酔いがひどい自分はずっと吐き気に襲われていて気が気でなかったですね・・・ そんな中到着した奥社ですが、車で家から2時間以上移動して、本殿に行くには更にそこから30分歩く必要があります。大変です。しかし、道中は私たちが住んでいる世界とはまるで違う、人がいなければ何百年か前にタイムスリップしている感覚のようなものが味わえます。 空気も他の場所とは明らかに違って澄んでいます。非日常を味わいたい方には是非お勧めしたいスポットです。2020-11-19
87シャインマスカットシャインマスカット道と川の駅 おとぎの里の直売でシャインマスカットが売られていました。週末に友人の家に行く予定があったのでお土産として買っていきました。坂城町産のシャインマスカットを購入しました。値段は少し高めでしたが、高いのも納得の美味しさでした。 友人もとても喜んでくたので買って行って良かったです。以前親戚にもシャインマスカットを初めとした詰め合わせのセットを送ったことがあるのですが、その時もとても喜ばれました。 長野県のシャインマスカットが日本一であることを改めて実感しました。2020-11-18
88石窯パン ハル石窯パン ハル商店街にあるパン屋、長野県産小麦100%、自家培養発酵種を使用している。私はベーグルを買った。密度が半端なく一つでも十分だった。味はほんのり甘い感じだった。とてもおいしかった。2020-11-18
89千曲公園千曲公園奇岩として有名な半過岩鼻の上にある公園です。頂上に着くまでは、細くて狭い曲がりくねった道がひたすら続いていました。途中片面がガードレールのない道もあり、日曜の夜に放送しているぽつんと一軒家を思い出しました。 頂上からの景色は、千曲川と上田盆地が一望できる絶景でした。日本百景にも選ばれているそうです。また、この地は武田軍と村上軍の間で激しい合戦が行われた古戦場であるらしく、古戦場巡りスポットの一つとして訪れるのも楽しみの一つだそうです。 紅葉のシーズンということもあり、とても綺麗でした。夜景も絶対に綺麗だと思うので機会があれば行きたいですが、夜道には気をつける必要があると思いました。2020-11-18
90【肝試し会場?】常田館製糸場 内観 #2【肝試し会場?】常田館製糸場 内観 #2常田館製糸場北側にある三階繭倉庫、五階繭倉庫の廊下、内観です。 重たい扉を開けると、#1の鉄筋倉庫と比べて明らかに手が付けられていない上、殆ど光が入ってこずほぼ真っ暗な空間が出現。床も古いが故にかなりギシギシしていて、今にもお化けが出そうな場所でした。 ただ、祖父母の家にも無いような古い機械、骨董品、天板や壁、文字書きなど、かなり面白いものが見れて良かったです。2020-11-17
91宗吽寺・日輪寺宗吽寺・日輪寺上田駅北の住宅街の中に墓地を挟んで隣接しあっている2つの寺です。 宗吽寺は家と隣り合わせで、派手さはないものの昔懐かしい古風庭園という感じでした。 一方の日輪寺は、狭いながら本堂のような建物は非常に豪華な内装をしていて、かなり煌びやかで仏教に近い雰囲気がありました。2020-11-17
92石窯パン ハルの黄な粉のお菓子 石窯パン ハルの黄な粉のお菓子 海野町商店街の一角にあるパン屋ハルで購入したお菓子。ハルでは長野県産の小麦を100%使用した自家製パンを味わうことができる。 黄な粉の味とクッキーのような食感が相まっておいしかった。手ごろな価格で購入しやすいと感じた。2020-11-16
93水路の水3水路の水3川と合流したけれど時々匂う温泉の香り。 民家の前に温泉のにおいの水場を発見2020-11-06
94家族欅家族欅一本の欅から子の欅が生えてできた大木。 家族が寄り添う様に見える。2020-11-06
95七五三七五三上田市にある生島足島神社に行ってきました。境内は七五三の参拝客でいっぱいで本社の前にはご祈祷の順番を待っている家族が大勢いました。駐車場にも次から次へと車が入ってきていて、七五三に人気の神社であることがよく分かりました。2020-11-06
96柳町柳町昔の道という感じがした。家も昔の母屋みたいな感じの家が多く歴史を感じた。2020-11-04
97小山亮先生像小山亮先生像小諸出身の政治家、小山亮の像。内堀功の作。 糠塚山の中腹に小諸の町、浅間山を望むように設置されている。2020-11-04
98上田探検Ⅱ まとめ上田探検Ⅱ まとめ今回上田駅周辺の上田城や柳町を散策して、無理に現代に合わせていないことに気づきました。 観光業を発展させることを考えると、やはり若い層の需要にこたえようとすると思います。そこで昔から受け継がれてきた文化を一掃して無理に若い層の需要を増やそうとするのではなく、柳町などでは積み上げられた歴史の上で「若者の需要」を考えていました。例えば古民家をそのまま利用したカフェや古着屋、神社ならではの味のある撮影スポットなどです。 現代の風潮として華やかで輝かしいものだけが注目を浴びているわけではないと思います。落ち着いていてどこか懐かしさを感じさせるスポットにも需要があると思います。上田市の特色を壊さない上田市ならではの観光業があると気づきました。2020-11-03
99ルヴァン 信州上田店ルヴァン 信州上田店ルヴァンは柳町通りにあるパン屋さんで、天然酵母パンが有名です。ルヴァンとはフランス語で天然酵母という意味らしいです。店内は、古民家を生かしたおしゃれで落ち着く雰囲気でした。一階はテイクアウトのパンが売られていて、二階はカフェになっていました。 私は、アップルパイを買ったのですが、天然酵母のパイ生地のシンプルな味わいが林檎の甘ささをさらに引き出していて、とてもおいしかったです。 普段食べているパンとはまた違った、天然酵母特有の風味・香り・食感が楽しめました。次回はぜひ二階のカフェにも行ってみたいです。2020-11-03
100柳町柳町柳町は戦国時代上田城の城下町として栄えました。 現在も石畳の道路や長屋など昔の街並みが残っていて雰囲気があり、思わず写真を撮りたくなっていまう外観でした。また、「犬神家の一族」のロケ地にもなったそうです。 地酒・信州そば・ワイン・酵母パンなど地域グルメを中心としたお店が並んでおり、雰囲気ある歴史的な街並みと上田の地域グルメを一度に楽しめる場所でした。2020-11-03
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