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1上田のelaboration上田のelaboration 上田の一番の課題は地元の住民が上田市の歴史についての姿勢が問題あると考えた。交通の不便さ、若者へのアプローチの弱さ、そこから繋がる上田の地の魅力が広く知られていないなどの課題がいろいろある中、地元理解という土台が無ければ上田市が発展するにあたり、観光客の理解が深まらず上田の魅力が伝わらないと考えた。これより、上田の課題を地元理解に絞り、なぜその課題が提起され、その課題をどう解決させていき、どのような結果になることが理想的であるかを探究し提示することを目的とする。  例を挙げると、「真田丸」というドラマが始まり、真田幸村が大いに話題を呼んだ。上田市はその話題に際して、上田城を築城したのは真田昌幸であるという真実を広く公表することなくイベントや観光客を迎えた。さらに現在、上田2023-01-19
2前川ゼミ最終まとめ 上田の課題解決と魅力発信前川ゼミ最終まとめ 上田の課題解決と魅力発信前半のゼミ活動で行った町歩きを通して上田市について魅力と課題の両方を感じることができた。 まず私がゼミ活動やこれまでの日々で感じた上田市の魅力は以下のものがある。 ①分野別で名所が多い 例旅行→別所温泉  歴史→上田城  ウィンタースポーツ→菅平 ②美味しい食 ③学生へのサポートが手厚い  例町キャン ④自然が豊か 一方で感じた課題は以下の通りだ ①別所線の利用者の少なさ  原因→本数少ない、運賃高い  私も悪天候、帰省時以外めったに使わない ②情報が伝わりにくい  店側、イベント主催側からの発信が少ない ③商店街の元気が無い  例海野町商店街で若者を見ることが少ない ここで考えた課題の解決策がイベントの活性化である 例えば別所線をつかってスタンプラリーなどのイベントを行うことで利2023-01-19
3交通機関を使って上田観光を!交通機関を使って上田観光を!上田市での交通手段は主に車、電車やバスなどの交通機関、タクシーなどがあります。その中でも特に、電車やバスといった交通機関は、たくさんの人々が利用し、日常生活に必要不可欠となっています。 上田市の主な電車には、しなの鉄道と上田電鉄別所線があり、上田電鉄別所線は大学前にも通っているため、長野大学の皆さんも普段から利用しているのではないかと思います。上田電鉄別所線は上田駅から別所温泉駅まで続いており、上田市屈指の観光地である別所温泉に気軽に行くことができます。上田電鉄別所線の車両には、1月1日~30日限定の車両「謹賀新年 HM」、「れいんどりーむ号 HM」、「真田傍陽線開業95周年 HM」「真田傍陽線廃止50周年 HM」、「さなだどりーむ号 HM」などのラッピングが施された特殊車両があり、外見でも楽しむ2023-01-19
41年後期 前川課題発見ゼミ最終まとめ1年後期 前川課題発見ゼミ最終まとめ調査テーマ「地域の特色・歴史」まとめ 上田の歴史的な出来事・人物と聞かれれば多くの人々が「真田氏」に関する事柄を思い浮かべるだろう。しかし、今回の調査を行う中で、真田氏以外にも日本の歴史・文化に多大な影響を与えたと言える人物も存在することを知った。 例えば、上田藩主を務めただけでなく、江戸幕府老中として条約の締結にも尽力した「松平忠固」、日本の児童画に大きな転換・影響を与えた「山本鼎」は良い例だろう。功績としては素晴らしい物であると断言できるものばかりだ。 特に山本の考えは当時としては(今の価値観で考えても)先進的な物だった。山本は真の意味での「自由」を求めた人物であり、今日の教育活動に一石を投じるものであると感じた。現代ですら「型にはまった教育」が基本的である中、山本は2023-01-19
5前川ゼミ活動考察前川ゼミ活動考察 今まで上田市の外で生活をしたことがないので、客観的な視点ではないかもしれないが、自分なりに上田市について感じたこと、考えたことをまとめる。上田市というのは上田城の城下町であったり、北国街道が通っていたこともあり、歴史がある町である。気候も安定していて、自然も多い。スキー場やキャンプ場、温泉も多く、車があれば日帰りでスキーや温泉を楽しむことができる。新幹線も通っており、東京など首都圏へのアクセスも良い。そのせいか、近頃では海野町商店街などに若者向けのバーや、都会志向の洒落た店が増えてきた印象がある。加えて県外からの移住者向けかと思われる高級マンションも増えてきた。一時的ではあるが真田氏の本拠地が上田城ということもあり、NHK大河ドラマ「真田丸」の人気によって上田が賑わっていたこ2023-01-19
6上田市に来てもらうには上田市に来てもらうには課題の提起 上田市には多くの魅力があるが、長野県にあるほかの観光地より観光客は少ない。うまく魅力を伝え多くの人に来てもらうためには。 上田市の現状 ・魅力は多くある。 ・1回限りの人が多く2回目以降訪れる人がほかの市の名所に比べて少ない 何を探求するか ・どうしたら多くの観光客に来てもらえるか。 何をすべきか ①うまく魅力を伝える。 ・SNSによる紹介 ・面白かったりインパクトのあるご当地PRてきなもの ・ここでしか食べられないもの、買えない ・デジタルマップの活用、簡単に移動時間やツアールートを作れるような機能を作ってみる →まず上田市に来てもらうための工夫そして2回目以降も来たいと思ってもらえるような工夫が必要 ②上田市内の交通アクセスをよくする ・路線バスや別所線の値段をもう少しお手2023-01-19
7課題ゼミ まとめ課題ゼミ まとめ地域の魅力を伝えるには魅力を自分たちで理解しなければならない 地域の魅力とは? 魅力は人の主観・価値観による →例:自分 実家が牡蠣の養殖(元から水産業に関わりあり) ・高校で地元の水産業により関わり、地域の良さを知る →自分が水産業に関わっていたから感じた「魅力」 他の人なら?=個人差がある 「だからこそ広くわかりやすく伝える」 「興味を持つ人を見つけることが重要」 「広くわかりやすく伝えるには? どのような価値(歴史的観点・地理的観点など)があるかを明確にする。 ただ上田にこのようなものがある(看板・掲示板など)と伝えるだけでは効果は薄く、印象に残りにくい。 イベントは? 例:上塩尻の街歩き→地域の人が自分の地域の歴史的価値をはっきりと認識できた。 価値の内容を明確にすること2023-01-19
8上田市の課題(途中経過)上田市の課題(途中経過)①歴史を伝えるアプローチが小さい。 ②若者を外であまり見ない。若者離れの傾向 ③交通手段の薄さ(私鉄への依存、ばすのすくなさ) ④上田市の住民が上田市を理解しきれていない。 ・なぜそうなるのか ①過去・歴史のエピソードを伝えるための広告が少なく、その魅力を押し出せていない。 ②若者向けのイベント・建造物が少ない。また、若者だけでなく高齢者向けの娯楽施設が少ない。 ③広大な土地の使い方の工夫が足りない。 ④交通手段の普遍化 ⑤駅、駅周辺の過疎化 ・何を探求するか ①歴史を持つ建造物を世の中に伝える方法の工夫 ②上田の環境に適合するイベント、娯楽施設など ③交通手段の活性化のための交通手段(電車又はバスなのか)そしてそのルート(どこを運行するのか) ④若者を離れさせず、若者が進んで将2023-01-19
9探求テーマ「別所=上田を広める」探求テーマ「別所=上田を広める」・Elaboration課題の提起 別所温泉があることは知っていても上田にあることはあまり知られていない 若者がツイッターやインスタグラムを多用しているならば、そのプラットホームで発信したら、効果的に知名度を上げらえるのではないか。 ・なぜそうなのか(=仮説、問題の構造を描いてみる) 別所温泉が独り歩きしている ・何を探求するのか どのように発信したら、見ている人に内容が伝わるのか ・探求の目標(何を明らかにするのか) ツイッターやインスタグラムで発信するときに、どのような文章、画像が一番効果的に魅力を伝えられるのかを明らかにする。 ・どのように探求するのか インスタグラムやツイッターで別所=上田をアピールする。(投稿時の写真やイラストを工夫する) どのくらいの人に伝わったのか調べ2023-01-19
101月12日の成果1月12日の成果1月12日は別所地域へフィールドワークへ行きました。事前に調べた「風乃坂道」というカフェに行きました。 お店の外装は木材で、花が植えられていて周りの雰囲気と調和していました。 店内は落ち着いていて、飲み物やケーキをいただきました。このカフェを訪れた人が感想を残すことが出来るノートがあり、小さな交流ができたような気がしました。 私は今回、ほうじ茶ラテ、りんごのクリームケーキ、紅茶のシフォンケーキをいただきました。ケーキは綺麗な飾り付けで、とても美味しかったです。 今回行った「風乃坂道」をSNSに投稿して、上田の別所には温泉以外にも魅力があると伝えたいです。2023-01-19
11上田電鉄の重要性を露わにしよう上田電鉄の重要性を露わにしようElaboration課題の提起 2019年9月の「台風19号」により千曲川橋梁が崩落した上田電鉄別所線には、日本中から早期復旧を求める声が届いた。このように、利用者は存続の危機に際して重要性を訴求している。しかし、現状の上田電鉄は補助金に依存した経営を余儀なくされ、観光資源としては物足りないものがある。上田電鉄沿線は貴重な遺構や見どころであふれているのは間違いないが、こういった観光資源を有効活用するには、どうすればよいだろうか。 なぜそうなのか(=仮説、問題の構造を描いてみる) 一番の問題は、会社や地元民が上田電鉄の重要性に気づいていないという点である。また、上田電鉄は利益率が低く、改革を起こしづらいというのも足枷となっている。改革を起こすにも資金がなく、そもそも会社自体にそういった発想がないの2023-01-19
12前川ゼミ まとめ前川ゼミ まとめ課題の提起 大学に進学するにあたり塩田平のアパートを借りた。半年ほど生活してみて上田市の中心地や海野町商店街と比べてあまり生活しやすいとは言えなかったため。 なぜそうなのか 田んぼやため池が多いため土地が確保できないので生活に必要な施設などの距離が遠い。 探求の目標 どのようにすればもっと住みやすい街にできるのかを見つける 「塩田平を住みやすい街に」 塩田平は上田駅周辺と比べて非常に住みにくく感じた。スーパーなども遠く24時間営業ではないし、スポーツ用品店などもアリオまだ行かないとない。それなのに電車の本数も少なくバスもないためどこに行くにしても車が必要となってくる。そのためまだ免許や車を持っていない人や免許を返納したお年寄りなどにとっては非常に生活しずらくなっていると思2023-01-19
13スマートな時報サイレン(『西塩田公報』第71号(1953年8月5日)2頁)スマートな時報サイレン(『西塩田公報』第71号(1953年8月5日)2頁)この記事はスマートな時報サイレンを紹介した記事です。役場屋上に取り付けたということでしたが、埋め込み式なのはとてもシュールだと感じました。サイレンといえば浮いているイメージでしたから、当時では画期的なサイレンだったのでしょうか。しかし、サイレンの音が建物に共鳴して役場に影響は無かったのでしょうか。それだけが気になります。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1210 『西塩田公報』第71号(1953年8月5日)2頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p1210.jpg2023-01-16
14バス時間表(『西塩田公報』第56号(1951年12月5日)4頁)バス時間表(『西塩田公報』第56号(1951年12月5日)4頁)この記事は、古文書を探るという記事の中になぜかバスの時刻表が載っている記事です。何の脈絡もなく時刻表が出てきているところと、運賃は果たしてかかるのだろうかという疑問も湧き出てきます。バスもイラストではなく写真を利用しているところに編集者のセンスが垣間見えます。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1160 『西塩田公報』第56号(1951年12月5日)4頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p1160.jpg2023-01-16
15上田のキュレーション上田のキュレーション上田のキュレーションとは上田の情報を我々の視点から収集、選別、編集することで価値を持たせ、上田の良さの再発見するということだと定義した。 なので 上田の魅力、良さ、及び「観光産業」について自分なりに感じた良さをまとめ、wordにまとめた。2023-01-16
16プロジェクト研究の足跡プロジェクト研究の足跡プロジェクト研究の足跡を綴ってきたものをまとめました。 4月25日 前半はグループメンバーの共通項として、研究への取り組み方や考え方を共有しました。後半は、各自のプロジェクトの説明とそれに対する質問や問題意識の共有を行いました。ゼミ内で横のつながりが出来ることで、各自の持つ問題意識への様々な考え方が示され、非常に有意義なものとなったと感じました。今後は、自身のプロジェクトを進める中で頻繁に意見交換をすることで、より多角的な視点から研究していこうと考えています。 5月11日 大洗町における地域学習に関する記事の閲覧及び調査を行いました。また、大洗にフィールドワークに赴く際の調査事項などをまとめました。今後も活動を報告し合う事で様々な視点から調査を行っていきたいと考えています。 5月17日2023-01-16
17実践講座1:地域資料活用によるキュレーション講座[第3回]実践講座1:地域資料活用によるキュレーション講座[第3回]実践講座1:地域資料活用によるキュレーション講座[第3回]  皆さんのキュレーション披露会 ★講座「皆さんのキュレーション披露会」129分 。 講師:前川道博(長野大学企業情報学部教授) コメンテーター:  小平千文(上田小県近現代史研究会会長)  桂木 惠(上田小県近現代史研究会事務局長) 【講座タイムテーブル】 13:00 講座解説(前川道博) 13:30 皆さんのキュレーション披露会、意見交換、Q&A(途中休憩あり) 16:00 終了 16:30 デジタルアーカイブクリエータ認定(希望者対象) 《キュレーション紹介》公開できる成果をリストアップしました
  1. 鈴木さん/諏訪湖のスケート[LINK](下記メディアクリップ収録)
  2. 長沼さん/一代交雑
2023-01-14
18elaboration探求まとめelaboration探求まとめ上田城と地元の松本城を比較し、松本城が地元の人から愛され誇られているのかを探求した。 前提として、天守閣の有無は割愛させてもらいこの探求テーマを考えた。 上田城と松本城の魅力の比較について主に2つ挙げる。 一つはイベントの豊富さである。 まず、松本城は春夏秋冬でイベントが設けられている。2022年に松本城で行われたイベントを調べていくと 春のイベントは「夜桜会」、「桜並木 光の回廊」をはじめとする5つ。 夏のイベントは「太鼓祭り」、「和服来場者入場無料事業」などの計3つ。 秋では「そば祭り」と「お城祭り」の2つ。 冬は、「冬囲い」、「氷彫フェスティバル」をはじめとする6つ。 四季折々のイベントが合計で16件も催されている。 県外の人だけでなく、地元の我々も訪れる機会が多くそのため、自信をも2023-01-12
191/12日 調査まとめ1/12日 調査まとめ上田と「山本鼎」 自由画運動 山本鼎(やまもと かなえ)は愛知県岡崎市出身の画家であると共に、上田を拠点に「自由画運動」「農民美術運動」の先駆けとなった人物である。愛知県出身の山本であるが、父親が小県郡神川村大屋(現在の上田市大屋)に病院を開業したことをきっかけに上田と縁を持つこととなる。1912年にフランスに5年間の留学へ向かった山本は、日本に帰国後、児童画の改革を目指した運動を起こした。山本の言葉に「自分が直接感じたものが尊い」というものがあるが、当時の児童画の指導方法は「お手本の模写」が主流であった。山本はこれに対し、絵の技術や方法が重要なのではなく、自分の目で見た物、感じた物を描くことが児童の発達にとって大切であると説き、1919年に神川小学校で第一回児童自由画展覧会が開催され、2023-01-12
20上田市マルチメディア情報センター上田市マルチメディア情報センター上田市マルチメディア情報センターは、長野大学の少し上に位置している、情報化を総合的に支援する環境が整っている施設である。 ●施設・概要 学生は無料で使用できる学習スペース、3Dプリンターがあり、アニメや映画などを250作品以上見ることができるPCが置かれていた。また子供や大人も活用できる学習空間がある。 他には教育支援や無線LAN有線LANの管理など地域にも貢献している施設である ●上田資料映像鑑賞 上田市の50年前の資料映像を見させていただいた。 そこでの貴重な映像を紹介する。 ●「上田つむぎ」信越放送 1964年1月16日放送/上田紬/私たちの周辺 人手を要する養蚕は機械化をする必要はあるが、あまりにも機械化をしてしまうと伝統が欠如してしまう可能性があるとのこと。 手織りのものは個人に合わせて作2023-01-12
21一次資料としてのminiDV一次資料としてのminiDVこれまで社会活動はビデオ映像に記録をしてきました。蚕都上田プロジェクトを始めたのは2008年のこと。当時の記録媒体はもっぱらminiDV(小型ビデオカセット)です。それから15年が経過し、当時は現役で活動された方もご高齢になったりお亡くなりになったり、社会の状況・様子も変遷し続けてきています。miniDVは個人的には1997年以来使い続け、記録テープは1000本を超えます(数えたことはありませんが)。 テープ媒体の問題は再生しないことには記録映像にアクセスできないこと。さらにはこれらの媒体がいつまで再生可能かの保証はなく、テープ媒体の経年劣化の問題、再生機器の保全の限界の問題と重なり、ある時期に全てをデジタル化しデジタル保存しておかないと取り返しがつかないことになります。 この年末年始、デスクワークの片隅でパ2023-01-10
222023元日の上田2023元日の上田2023年の元日は晴天に恵まれ、塩田平にある生島足島神社へ初詣に出かけました。いつも見慣れている風景ながら、「上田とはどんなところか?」、改めて眺め直してみました。 上田からは烏帽子岳が最もよく見えます。何よりも烏帽子状の山容が美しい。 次に美ヶ原、深田久弥が「日本百名山」に選んだ山の一つ。山の頂は起伏が極めて少なく平坦に長く続き、これが一つの山とは認知しがたいぐらいに「控えめ」な佇まいをしています。地元の人は美ヶ原とは呼ばず「うつくし」と呼びます。山頂はほぼ平坦ながらわずかばかり高く見える山頂にテレビ塔がいくつも立ち並んでいます。美ヶ原はこのテレビ塔の存在がアクセントとなり不思議に美しい。 小牧山は地元の人々もそれが何山かを意識することなく存在している超低山です。この地点は地2023-01-03
23女の多い話(『西塩田時報』第7号(大正13年7月1日)4頁)女の多い話(『西塩田時報』第7号(大正13年7月1日)4頁)【女の多い話】 小学校において、男児よりも女児の方が多いとする統計データについて、「飛鳥生」なる人物が私見を述べるという項目。一般に男性と女性の人口比は105:100と言われている。飛鳥は先述の統計を「面白い研究材料」と述べていたが、私も甚だそう思う。飛鳥はこれについて、女性の労働が少ないことが原因であると冗談交じりに述べていた。 【雑草】 「名のある人によって成し遂げられた事ばかりが尊い事ではない」という書き出しが目を引いた。功績をあげた人がどんなに名のある人かよりも、功績そのものがいかに素晴らしいかを評価すべきであるというのは、私の人生観に一致する。価値観というのは時代と共に変わっていくものと思っていたが、共にする場合もあるものだと感じた。2022-12-28
24川西野球排球大会川西野球排球大会今でもこれほどな大差がつくのは野球でも珍しいため面白かった。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1180 『西塩田公報』第60号(1952年9月5日)2頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p1180.jpg2022-12-27
25子供はしつけ第一 服従の習慣から――(『西塩田時報』(1930)第81号(昭和5年8月1日)3頁)子供はしつけ第一 服従の習慣から――(『西塩田時報』(1930)第81号(昭和5年8月1日)3頁)子どものしつけについて書かれた記事です。子どもが言うことを聞くのは親が習慣をつけているかどうかだと、子どもの心のあり方を述べながら説明しています。 ▼この記事は以下から参照できます。 #349 『西塩田時報』第81号(1930年8月1日)3頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0349.jpg2022-12-26
26体力検査成績発表!!(『西塩田時報』第187号(1925年6月1日)1頁)体力検査成績発表!!(『西塩田時報』第187号(1925年6月1日)1頁)学校のカリキュラム上の新体力テストのようなものだと思いましたが、地域の青年団員の成績結果でした。一番上に百米(100m)の結果が広報されているのですが、12秒台の方が先頭にいらっしゃいます。現在においてもかなりの記録です。靴や走り方を学べばもっと良い記録を狙えると思います。 ▼この記事は以下から参照できます。 #364 #364 『西塩田時報』第187号(1925年6月1日)1頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/pdf/nishishioda/ns11_181to204.pdf2022-12-26
27健康第一健康第一いつの時代も健康って大事だよなあと考えさせられたこの記事が好き。 『西塩田時報』第16号(1925年3月1日)4頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0074.jpg2022-12-26
28生活雑記(『西塩田時報』(1954)第82号(昭和7月3日)3頁)生活雑記(『西塩田時報』(1954)第82号(昭和7月3日)3頁)日常の様子が描かれた雑記です。朝からご飯をつくり、主人を送り出し、洗濯をして…とせわしなく家事や畑仕事をこなす女性の姿が描かれています。 新聞をゆっくり読む暇もない様子の女性から、ひとときと書いたのはなぜかなと考えてしまいます。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1255 『西塩田公報』第82号(1954年7月5日)3頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p1255.jpg2022-12-26
29農事メモ(『西塩田広報』第80号)農事メモ(『西塩田広報』第80号)当時の気候変動に農家はどのように対応すればよいかが描かれていた。 #1246『西塩田広報』第80号 2ページ2022-12-26
30支部通信「浅間山行」支部通信「浅間山行」浅間山登るのがしんどいというのが伝わってきて面白いと感じた。そして、今よりは道も整備されてなかったのではないかなどと想像が膨らんで、見ていて面白いと感じた。 『西塩田時報』第9号(1924年9月1日)3頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0047.jpg 2022-12-26
31秋冬の短歌と俳句(『西塩田時報』第32号(1949年11月20日)2頁)秋冬の短歌と俳句(『西塩田時報』第32号(1949年11月20日)2頁)数多くの短歌や俳句がある中で、房子さんの「雨晴れや夕日に映える紅葉山」が風景・情景が頭の中で想像できて、素敵だったため、選びました。 皆さんはどの短歌や俳句がお好きですか? ▼この記事は以下から参照できます。 『西塩田時報』第32号(1949年11月20日)2頁 https://https://mmdb.net/mlab/uedagaku/pdf/nishishioda/ns15_post021to040.pdf2022-12-26
32禁酒禁酒飲酒のデメリットが延々と綴られており、ユーモア溢れる記事だった。非常に文章のリズムが良いため、声に出して読んでみることをオススメする。 これを読めば「禁酒してみようかな」と思えるかもしれない。 ▼この記事は以下から参照できます。 #75 『西塩田公報』第1号(1923年7月1日)4頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0004.jpg2022-12-26
33家庭メモ(『西塩田広報』第77号)家庭メモ(『西塩田広報』第77号)料理や衛生管理に必要なものについて今では様々な便利なものが普及し、それを買えばよいが当時はそういったものがなかったので身近にあるもので工夫されてきたことが記されている。 ♯1230 「西塩田広報」(昭和29年)4ページ2022-12-26
34昭和27年(1952)の殺人事件(『西塩田時報』第73号)昭和27年(1952)の殺人事件(『西塩田時報』第73号)西塩田広報第73号より 加害者の住所が朝鮮でしたので、てっきり異邦人の犯罪かと思いましたら、当時の朝鮮のこの地区は日本領土でした。強盗内容も千円とありますが、当時の相場としては約5倍ほどだそうです。(間違っていたらすみません)時代背景がわかる記事ですので取り上げさせていただきました。 ▼この記事は以下から参照できます。 #364 #364 『西塩田時報』第73号(1952年7月3日)2頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/pdf/nishishioda/ns17_post061to080.pdf2022-12-26
35食べる楽しみ食べる工風(『西塩田時報』第22号(1949年1月25日)3頁)食べる楽しみ食べる工風(『西塩田時報』第22号(1949年1月25日)3頁)お正月の雰囲気がこの記事から感じられるので、お気に入りです! ▼この記事は以下から参照できます。 『西塩田時報』第22号(1949年1月25日)3頁 https://https://mmdb.net/mlab/uedagaku/pdf/nishishioda/ns15_post021to040.pdf2022-12-26
36女子の意見の出ない訳(『西塩田時報』第6号(1947年6月20日)4頁)女子の意見の出ない訳(『西塩田時報』第6号(1947年6月20日)4頁)男女同権の思想がちょうど広まった時代、女性の意見が少ないことが、当時の男性はどう思っていたのかが分かるお記事です。一理あると思える意見もあれば、それは筋違いだろうと思ってしまう意見もありおもしろいと思いました。 ▼この記事は以下から参照できます。 『西塩田時報』第6号(1947年6月20日)4頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/pdf/nishishioda/ns14_post001to020.pdf2022-12-26
37農村のテトメよ農村のテトメよ男尊女卑が激しく当時は束縛が多かった女性だが農業をすることには何の束縛はないという当時の風習が分かるという部分が興味深く面白いです。 ▼この記事は以下から参照できます。 #364 #364 『西塩田時報』第84号(1930年11月1日)2頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0364.jpg2022-12-26
38標語(『西塩田時報』第28号(1926年3月1日)3頁)標語(『西塩田時報』第28号(1926年3月1日)3頁)今から約100年前の時代の標語です。 緩い現代を生きている身からすると、少し厳しく感じました。 ▼この記事は以下から参照できます。時報』第28号(1926年3月1日)3頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/pdf/nishishioda/ns03_021to040.pdf2022-12-26
39成人式行事(『西塩田時報』第100号、1956年)成人式行事(『西塩田時報』第100号、1956年)私は今年度成人式を行いますが、こんなに昔から成人式があったことに驚きました。しかし、式の内容はいまと全く違う内容であったので非常に興味深かったです。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1327 『西塩田公報』第100号(1956年1月1日)1頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p1327.jpg2022-12-26
40農業議員選挙(『西塩田時報』第82号、1954年)農業議員選挙(『西塩田時報』第82号、1954年)昔は農業議員選挙というものがあったことに驚きました。さらに今では選挙はCMやチラシなどで目にすることが多いですが、かつては時報でそれを伝えていたことにも驚きました。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1254 『西塩田公報』第82号(1954年7月5日)2頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p1254.jpg2022-12-26
41運動のシーズン!(『西塩田時報』第70号(昭和4年9月1日)3頁)運動のシーズン!(『西塩田時報』第70号(昭和4年9月1日)3頁)運動促進を喚起する内容の記事である。まず「ゴム底足袋」というワードのインパクトがすごかった。また百年程度で足袋からいまの靴に進化していることにも驚いた。現在の新聞にあるような小さな広告だが面白さを感じた。 ▼この記事は以下から参照できます。 #305『西塩田時報』第70号(1929年9月1日)3頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0305.jpg2022-12-26
42お盆用必需品は自分の店で!(『西塩田時報』第69号(昭和4年8月1日)3頁)お盆用必需品は自分の店で!(『西塩田時報』第69号(昭和4年8月1日)3頁)お盆に必要なものは組合でそろえてくださいという内容の広告の記事だが、現在のCMを文面にしたらこうなるのかなと想像もできて面白い。また、「組合」「配給」も当時の様子を想像できて興味深かった。 ▼この記事は以下から参照できます。 #301『西塩田時報』第69号(1929年8月1日)3頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0301.jpg2022-12-26
43いゝ本を読みたいいゝ本を読みたい「いゝ本を読みたい」という極めて世俗的なタイトルに惹かれた。何かに触れて心が動かされるという行為は、今も昔も変わらないということを実感できた。昔の人というのは遠い存在に感じがちだが、この記事を読んで近くに感じることができた。 「そして自分の頭の悪いのが何より悲しみの深い一つだ」という最後の一文が特に共感できる部分である。 ▼この記事は以下から参照できます。 #75 『西塩田公報』第17号(1925年4月1日)1頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0075.jpg2022-12-26
44給桑上の注意給桑上の注意当時の蚕への給桑について書かれていました。 桑の状況や蚕の状況、気温などに考慮して与えていたのかが分かります。 蚕の食欲に普通期、此連食期、間食期、休食期があるのがとても興味深かったです。 この記事は以下から参照できます。 「西塩田時報」第142号(1935年9月1日)4貢2022-12-26
45さばとにしんの調理法さばとにしんの調理法西塩田時報には、「家庭メモ(家庭欄)」というコーナーがあり、ここでは家庭の豆知識を読むことができます。 昭和24年と古い記事なのですが旬の魚のレシピとしてサバとニシンが紹介されていました。 ぜひ皆さんも作ってみてはいかがでしょうか? この記事は以下より読めます。 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/pdf/nishishioda/ns16_post041to060.pdf2022-12-26
46小学校だより  『西塩田時報』第19号(1925年6月1日)3頁小学校だより  『西塩田時報』第19号(1925年6月1日)3頁当時の西塩田小学校生徒の身体測定の結果が載せられた記事。「身体測定の結果が公にされる」こと事態が現代では考えられないことですが、結果についての講評から軍隊としての戦力をほのめかす様な印象を受け、時代の違いを感じられる記事でした。 ▼この記事は以下から参照できます #85 『西塩田時報』第19号(1925年6月1日)3頁2022-12-26
47家庭パンの作り方 『西塩田時報』第138号(1935年5月1日)3頁家庭パンの作り方 『西塩田時報』第138号(1935年5月1日)3頁一般家庭向けの食パン、菓子パン用のフルーツジャムやクリームのレシピが掲載されている記事です。小麦粉、砂糖などの単位がグラムだけでなく匁(もんめ)でも書かれていたり、文体が現在と異なっている点に興味を惹かれました。一番気になったのは材料についてで、「家庭パンの作り方」とありますが、当時の一般家庭でバター等はどれぐらい貴重だったのか等想像が広がる記事でした。 ▼この記事は以下から参照できます。 #615 『西塩田時報』第138号(1935年5月1日)3頁2022-12-26
48文芸・雑煮(『西塩田時報』第12号(1948年1月30日)4頁)文芸・雑煮(『西塩田時報』第12号(1948年1月30日)4頁)文芸のコーナーに掲載された小説。戦後の雰囲気を感じさせる。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1006『西塩田時報』第12号(1948年1月30日)4頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p1006.jpg2022-12-26
49偶言(『西塩田時報』第124号(1934年3月1日)4頁)偶言(『西塩田時報』第124号(1934年3月1日)4頁)悪意はないのに人との用事を先送りにしてしまう悪習を改めるべきだという記事。 現代にも通ずるこの習慣は戦前にもあったのかもしれない。 ▼この記事は以下から参照できます。 #552『西塩田時報』第124号(1934年3月1日)4頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0552.jpg2022-12-26
50乳児の育て方乳児の育て方現代ではネットや書籍など様々な情報ツールが存在し、分からなければそれらを頼れば大抵は解決できます。しかし、過去戦前の世ではそのような対応をとれない中、本記事のように時報の中で情報の提供が行われていたようです!今回はその中で目に付いた「乳児の育て方」といった内容の記事を取り上げてみました。 想像以上に詳しく説明がなされていて驚きました。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1168 『西塩田公報』 第31号(1926年6月日)1頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/pdf/nishishioda/ns03_021to040.pdf2022-12-26
51睡眠について睡眠について現代、理想的な睡眠についてはいろいろな研究や見解をもとに様々な意見が展開されています。そんな中、過去戦前の世の中では一体どういった睡眠サイクルが良いものとされていたのか本記事ではそう言った内容を知ることができます。 戦前の世の中だからこその違った視点などで論じられている部分もあり、なかなかに興味深かったです... ▼この記事は以下から参照できます。 #1168 『西塩田公報』 第29号(1926年4月1日)4頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/pdf/nishishioda/ns03_021to040.pdf2022-12-26
52主食類盗難予防に就て(『西塩田時報』[戦後]第30号 1949年9月20日)主食類盗難予防に就て(『西塩田時報』[戦後]第30号 1949年9月20日)この時代でもまだお米は貴重なものであったことが分かった。盗んでいくものがお金ではなく、お米を盗んでいる所が今の時代には全く見当がつかないところで面白さを感じた。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1063 『西塩田時報[戦後]』第30号(1949年9月20日)3頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p1063.jpg2022-12-26
53なぜ金を政府へ(『西塩田時報』第188号 1939年7月1日)なぜ金を政府へ(『西塩田時報』第188号 1939年7月1日)金を納めさせる理由として日本で使われている「お札」では海外との取引が出来ないということが書かれている。 当時はそれを理解していなかった人も多かったのかもしれない。 ▼この記事は以下から参照できます。 #843 『西塩田時報』第189号(1939年8月1日)1頁 (恐らく表記ミスで189号になっているが正しくは188号) https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0843.jpg2022-12-26
54故郷から兵たいさんへ(『西塩田時報』第176号 1938年7月12日)故郷から兵たいさんへ(『西塩田時報』第176号 1938年7月12日)兵隊さんが安心して戦えるように故郷から幼い子供がメッセージを送っている。 漢字とひらがなが織り交じっており、どこか心にグッとくるものがあった。 ▼この記事は以下から参照できます。 #784 『西塩田時報』第176号(1938年7月12日)2頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0784.jpg2022-12-26
55学校だより学校だより学校生徒の身長体重について、全国と比較したデータなどが載っている。 現代では、生徒の発育状況について詳しく記事になることは考えられないが、当時は身長や体重も重視されていたのだと思った。 ▼この記事は以下から参照できます。 西塩田時報 第一号(大正12年7月1日発行 3ページ)2022-12-26
56歳入出予算表歳入出予算表村のお金がどのような用途に使われていたのかが細かく書かれている。 伝染病の予防費や学費ものっていて、金銭の状況から当時の村の様子が想像できて新鮮だと思った。 ▼この記事は以下から参照できます。 西塩田時報 第一号(大正12年7月1日 2ページ)2022-12-26
57法律の施行内容、詳細に関する説明。法律の施行内容、詳細に関する説明。今回、私が紹介させてもらう記事は恩給法についての説明の箇所です。 当時、戦後による急速な時代の変化により法律改正があった際は一般国民にしらせるべく、あらゆるメディアを活用してその法律制度について説明がなされていたようです。昨今、法律改正が行われることがありますが細かい説明、項目までしっかり掲載されることは少なくなったと感じる点があります。私はこの当時の掲載の仕方が非常に効果的であると思ったので、現代にも反映させるべき点であると考えます。 (参考文献:西塩田広報第七六号 46頁)2022-12-26
58パトロールカーパトロールカー西塩田村にパトカーが導入された際の記事を見つけました。今とは違ってパトカーと略さずに「パトロールカー」と呼ばれていることが新鮮に感じました。また、形状も現代のパトカーとかけ離れていて驚きました。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1196『西塩田公報』 第67号(1953年4月5日)2頁2022-12-25
59野菜のゆでかた野菜のゆでかた野菜をゆでる際のコツが書かれた記事を見つけました。料理が下手な自分にとっては、結構参考になりました。あと、右上にミッキーマウス(?)が描かれているのが気になりました。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1168 『西塩田公報』 第57号(1952年4月1日)4頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/pdf/nishishioda/ns16_post041to060.pdf2022-12-25
60夢を読む夢を読む時代背景が伺える言葉選びと病弱な青年が活字によって人々の夢について語る部分がとても興味深かった。2022-12-25
61上田を知ってもらうには上田を知ってもらうには前回上田の「魅力」を伝えたいという言葉では魅力という単語が漠然と過ぎていて、別の単語を選ぶことにした。 今回のゼミでは私自身が上田について知ってほしいものが上田の「観光産業」についてのものが多かったため、上田の「魅力」を伝えたいという趣旨から、上田の「観光産業」について知ってほしいという趣旨へと変えた。根っこの考え方である上田の魅力を伝えたいという考え方自体は変わらないが、魅力の内容をとり具体的にした。 それに加え、上田のPRにはなにかインパクトのある単語で上田を紹介すると良いとのことで、○○な町上田、と言えるなにかを現在探し中。2022-12-25
62朝の一時朝の一時朝目を覚まして、外を見たときの感情や情景がとてもわかりやすく表現されている。そして最後に「今日一日を無事に送らしめ給へ」という言葉で締めくくられていて、一日一日健康に過ごすことの大切さを思い出させてくれる気がした。2022-12-25
63戦前の野球戦前の野球戦前の野球の記録までもが残っていることがとても意外で興味を引かれた。自分が野球好きと言うこともあるけど、この時代から野球が行われていたことがうれしく感じた。2022-12-25
64K君の日記K君の日記弟妹のけんかしている描写から始まるK君の日記。何気ない日常の中に現在の弟妹の姿から昔の自信を連想し懐かしんだりしているところに面白みを感じた。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1183『西塩田公報』第62号(1952年11月5日)3頁 2022-12-25
65みんな輪になれみんな輪になれこの曲が発売されたのは昭和16年8月とされている。当時の踊りと言えば盆踊りが主流とされていたが軍歌に振り付けを付けて子供たちに教えていた人たちがいたそうだ。まさに軍国世界の音頭である。 ▼この記事は以下から参照できます。 『西塩田村公報』第7号(1943年3月30日)6頁 2022-12-25
66お嬢様試験の問題集ーアナタは如何?ー(『西塩田時報』第31号(1949年10月20日)4頁)お嬢様試験の問題集ーアナタは如何?ー(『西塩田時報』第31号(1949年10月20日)4頁)10個の質問で自分がどのくらいのお嬢様かどうかを知ることが出来る記事。古い記事や堅い内容の記事が西塩田時報の中で非常にカジュアルな内容で目に留まった。お嬢様とはこうあるべきという心持を学ぶことが出来る。現代にも通じる内容などもあり、興味深いものだった。2022-12-25
67君たちは幸福だ君たちは幸福だ人の妻と心中したA氏と彼の後を追った若者達について書かれている。A氏を崇拝した若者達への皮肉がこもっている。 ▼この記事は以下から参照できます。 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0008.jpg2022-12-25
68青年の聲 【『西塩田時報[戦後]』第4号(1947年4月20日)1頁】青年の聲 【『西塩田時報[戦後]』第4号(1947年4月20日)1頁】太平洋戦争が終結した際の日本国内の様子が書かれている。自分にとっては教科書的な内容であった国民主権や思想良心の自由への移行への国内の動向を知ることが出来た。今では当たり前にあるような考え方も当時は反発もあったようだ。現代とギャップが非常に興味深いものだった。2022-12-25
69学力試験問題学力試験問題試験問題 当時の時勢が試験問題に現れている。 ▼この記事は以下から参照できます。 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0001.jpg2022-12-25
70暦の話『西塩田時報』第92号(1931年7月1日)1頁)暦の話『西塩田時報』第92号(1931年7月1日)1頁)学者たちは、現在の暦はよく出来ているが不都合な点も多いため、もっと合理的で便利な暦を作ろうと長年研究していた。その結果、一年が13ヶ月からなる暦が作られ、それが国際会議に提案され採択されそうになっている。この機会に、暦の編み方、暦の歴史などについて書いてみるという内容の記事です。 まず1年が13ヶ月の暦が開発され採択されそうになっていた事実に驚きました。また、筆者は6ヶ月に渡り太陽や月、その他惑星について詳しく解説しており、この記事を読むだけで科学について学べそうだと感じました。 ▼この記事は以下から参照できます。 #397『西塩田時報』第92号(1931年7月1日)1頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0397.jpg2022-12-25
71壮丁学力検査問題(『西塩田時報』第1号(1923年7月1日)1頁)壮丁学力検査問題(『西塩田時報』第1号(1923年7月1日)1頁)明治時代、徴兵制度に基づいて満20歳の青年全員に行われた「壮丁検査学力試験」の問題が載っていました。壮丁検査とは、徴兵検査受検義務者を壮丁と称し、教育や学力の程度を測るための調査です。 「人の本分は何か」という問いや、「我等の進むべき道」という題の作文がありました。また、書取では「議会協賛」や「心身鍛錬」などが出題されていました。問題から、戦争が身近にあり、求められているのは化学的な知識や学力ではなく、愛国心や天皇や国策に関する理解だったことが読み取れました。 この記事は以下から参照できます。 #1『西塩田時報』第1号(1923年7月1日)1頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0001.jpg2022-12-25
72部落ニュース部落ニュースこの記事は西塩田時報の中で2番目に興味深いと思った記事である。これをなぜ選んだか、それは今ではあまり良い印象で使われない用語とされている「部落」という言葉が日常で使われていたということをしっかりと確認出来る生地だからである。 時代の移り変わりをしっかりと認識させる、そんな1枚であるなと思い昔のことに思いをはせながら読める記事である。 ▼この記事は以下から参照できます。 #567 『西塩田時報』第128号(1934年7月1日)3頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0567.jpg2022-12-25
73イスカの嘴イスカの嘴私が西塩田時報の中で一番面白いと思ったものは「イスカの嘴」というタイトルの上田劇場で披露する予定の物語 今では使われないような「お役人」という言い回しもさることながら、文末が「エへヽヽヽヽ」で終わっているところにとても惹かれた。 村長にお願いする文言が書かれていたりしており、文末の「エへヽヽヽヽ」があることにより、下の立場のものらしい小物感がとても醸し出されていて読んでて面白い文章であった。 ▼この記事は以下から参照できます。 #5 『西塩田公報』第号(1923年9月1日)1頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0005.jpg 2022-12-25
74不況に對する意見表示(『西塩田時報』第82号(1930年9月1日)1頁)不況に對する意見表示(『西塩田時報』第82号(1930年9月1日)1頁)この時代の景気や社会情勢が顕著に示されていてこの文だけで不況であったことが読み取れる部分が面白いと思った。 農民は節約をせざるを得ない状況にあり、生活が非常に苦しい状況であったことがわかった。また、この状況に対して消費節約、生活改善を促す内容ばかりであり、政治的な対応はされていなかったということも読み取れた。2022-12-24
75青年期の問題に就て(『西塩田時報』第65号(1929年4月1日)2頁)青年期の問題に就て(『西塩田時報』第65号(1929年4月1日)2頁)青年期の問題について記載されており、その内容の中でも結婚年齢が徐々に遅れているという内容が現代と通じていて面白いと思った。この頃から「青年」や「壮年」が何歳からと規定されていたことを知り、驚いた。昔は15~25歳を青年と呼んでいたが、時が経つにつれ年齢が変化しているということを知った。 ▼この記事は以下から参照できます。 #284『西塩田時報』第65号(1929年4月1日)2頁2022-12-24
76お嬢様試験の問題集ーアナタは如何?ー(『西塩田時報』第31号(1949年10月20日)4頁)お嬢様試験の問題集ーアナタは如何?ー(『西塩田時報』第31号(1949年10月20日)4頁)「お嬢様なら○○であるでしょうね」と書かれた10個の問題があり、自分はどのくらいお嬢様であるか知ることができる記事だ。 男の友達を持っている、化粧が上手、花嫁修業のお稽古に忙しい等がお嬢様の条件とあり、偏見のことばかりが書かれているように思えるが、自分に当てはめて考えてみると面白いと思うので、是非ご覧いただきたい。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1068『西塩田時報』第31号(1949年10月20日)4頁2022-12-23
77女性の心理(『西塩田時報』第3号(1946年10月20日)3頁)女性の心理(『西塩田時報』第3号(1946年10月20日)3頁)女性は感情性が強く、その感情が女性の心情を支配するものだと記されている。 同年4月に、女性に参政権が与えられた。「女性として、最も大切なことは慈愛心であり、柔順にして判断力が強く、徒に感情に走らず、事に嘗つては堪え忍ぶ底力の強いのが日本女性の美点とする處である。」という文章が、男女平等、女性を下に見ないために書かれた記事なのかと推測できる。 ▼この記事は以下から参照できます #961「西塩田時報」第3号(1946年10月20日)3頁2022-12-23
78シベリアの想いで(『西塩田時報[戦後]』第24号3頁)シベリアの想いで(『西塩田時報[戦後]』第24号3頁)ロシアの捕虜として満洲からシベリアに送られた人が書いた記事である。 シベリア送りになった捕虜は辛い目にあったんだろうなと悲惨な状況を想像して読んだが、想像していたものとは違い心温まる話だった。捕虜になった人々の悲惨な話はよくニュース等で聞くが、この記事のような温かい話は聞いたことも読んだこともなかったので新鮮だった。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1043 『西塩田時報[戦後]』第24号(1949年3月25日)3頁2022-12-23
79米の節約!勝利の一歩(『西塩田時報』第198号1項)米の節約!勝利の一歩(『西塩田時報』第198号1項)日中戦争時、東京などの都市だけでなく、地方でも節米運動が行なわれていたことが分かる記事である。白米ではなく、麺類や七分づき米、雑穀米を代用として食べるように書かれている。戦時中、栄養不足にならないために栄養豊富である雑穀米などを食べていたのだと考えていたが、日本の物資不足も要因の一つであったことが分かった。 また、「勝利への第一歩」という言葉から、国民の戦争意欲を高めようとしていることがうかがえる。戦時中という時代背景を強く実感できる記事のタイトルだと感じた。 ▼この記事は以下から参照できます。 #879 『西塩田時報』第198号(1940年5月1日)1頁2022-12-23
80別所温泉  (四) 第142別所温泉  (四) 第142最初は何度読んでも理解できなくて、この中に脅迫文でも描かれているのかと思ったのですが、よく見たら右から読む形態の文で少し驚いた。 この記事だけではなく様々なところで右から読む文を見つけて時代を感じた。 また、部落ニュースや歌など現代にはあまり耳なじみのないテーマを扱っている割に、この記事は別所温泉という身近なものを見つけて、近いようで遠い存在だと感じた。 参照元↓ https://mmdb.net/mlab/uedagaku/pdf/nishishioda/ns11_181to204.pdf https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p1261.jpg2022-12-22
81おまるのめのひ (六)第181おまるのめのひ (六)第181不思議な日記を読んでいるようでした。昔の言葉なのに全部ひらがなで書いてあるのが面白いなと思いました。今の新聞でいうとあんずちゃん的な位置にある子供用の文章なのかと思いました。 私が子供だったらきっとこの文を読まずに外に遊びに行っているだろうなと思います。 参照元↓ https://mmdb.net/mlab/uedagaku/pdf/nishishioda/ns11_181to204.pdf https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p1261.jpg2022-12-22
8212月22日分 調査まとめ12月22日分 調査まとめ上田城の築城・歴史 「日本一の兵」真田幸村を輩出した真田氏は、現在の上田市真田町の周辺を拠点として活動していた。上田城の築城が開始されたのは1583年のことで、真田幸村の父である真田昌幸によって築城が開始された。当時徳川家康に仕えていた昌幸は、その援助を受けながら築城をしていた。しかし、北条と手を組もうとする徳川から土地の受領を要請された際にこれを拒否。徳川と断絶した昌幸は、上杉家に助力を求め次男の幸村を人質に差し出す。これにより、上杉方から戦力と築城の支援を受けた。上田城が一旦の完成を迎えた1585年、家康は鳥居元忠らを真田領に進軍させ「第一次上田合戦」が始まった。およそ1万の軍勢で進軍してきた徳川軍を昌幸は謀略を用いて少数の軍勢で撃退した。時は流れて関ヶ原の戦い最中の1600年、家康の息2022-12-22
83d-commons.net考察 その5 「記事」と「マイサイト」 言葉の融和d-commons.net考察 その5 「記事」と「マイサイト」 言葉の融和前回に引き続き、UIの考察についてである。 前回 d-commons.net考察 その4 デザインと迷子 このd-commons.netでは、記事の投稿者名をクリックすると「〇〇のサイト(所謂マイサイト。〇〇には投稿者名が入る)」という場所へ飛ぶ。 マイサイトでは、投稿者の成果物が閲覧可能であり、アーカイブとしての役割を持つ。 個人的には「〇〇のサイト」の「サイト」という表記は一瞬で理解しにくく、自分がどこへ飛んでしまったのか分からなくなると感じた。少なくとも、自分が初めて投稿者名をクリックした時、信州上田デジタルマップではなく別のサイトへ飛んでしまったのかと混乱した事がある。 (別ウィンドウで表示されたため余計に混乱したという事情もある) これは「サイト」という言葉と「アーカイ2022-12-22
84歴史的事象が想像されて来る。アイヌ式土器(『西塩田時報』第7号(1924年7月1日)1頁)歴史的事象が想像されて来る。アイヌ式土器(『西塩田時報』第7号(1924年7月1日)1頁)上田とアイヌに古代の繋がりがあるとは思わなかったので、西塩田時報に「アイヌ」という言葉が出てくるだけで驚きだった。しかも、上田地域からアイヌ式土器が発掘されているというのだから、更に驚いた。 ▼この記事は以下から参照できます。 #37 『西塩田時報』第7号(1924年7月1日)1頁2022-12-22
85お願ひ(『西塩田時報』第4号(1924年1月1日)4頁)お願ひ(『西塩田時報』第4号(1924年1月1日)4頁)個人的な忘れ物についてのお願いが、公的な発行物に平然と載っている様が面白いと感じた。 現代にはおそらく見られないような記事だと思う。 ▼この記事は以下から参照できます。 #18 『西塩田時報』第4号(1924年1月1日)4頁2022-12-22
86課題ゼミ 第2回課題ゼミ 第2回広く伝える」には? ①どのような価値(歴史的観点・地理的観点など)があるかを明確にする。 ただ上田にこのようなものがある。(看板・掲示板など)で伝えるだけでは効果は薄く、印象に残りにくい。 イベントは? 例:上塩尻の街歩き→地域の人が自分の地域の歴史的価値をはっきりと認識できた。 価値の内容を明確にすることで地域に「魅力」を感じた。 価値を理解した人たちがその良さを伝えていく。 看板や掲示板もイベントの告知に使用できる。 長期的に見るほど効果的 イベントの強みは価値を実際に体験できること それにより価値を明確にしやすい →どのようなイベントを作る?  イベントの告知2022-12-21
87引揚者を暖かい気持ちをもって迎えましょう引揚者を暖かい気持ちをもって迎えましょう過酷な環境から帰ってくる引揚者の人々に冷たい態度をとらず暖かく迎えましょうと呼びかける内容です。 第二次世界大戦が終わった後の記事で海外にとどまることを強いられた人々への思いやりや終戦後の日本の一体感が読み取れる記事です。 #965 『西塩田青年団報』第4号(1946年11月25日)3頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0965.jpg2022-12-21
88火の用心火の用心他の災害と比較して火事は我々の意識で防ぐことができあるという内容をユーモアを交えて訴えかけた記事です。 地震雷火事親父という今でも耳にする言葉を用いられていて、当時から親父の部分に疑問を持つような書き方がされていて、そのうえ火事への注意喚起は真面目に訴えかけている点が面白いと感じました。 #957 『西塩田青年団報』第2号(1946年9月20日)3頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0957.jpg2022-12-21
89青年の聲 【『西塩田時報[戦後]』第4号(1947年4月20日)1頁】青年の聲 【『西塩田時報[戦後]』第4号(1947年4月20日)1頁】これは当時の太平洋戦争が終わりポツダム宣言を受諾した日本の意見が良く分かる記事です。おそらくこの記事のようにポツダム宣言に賛成した派と否定派で激しく争ったように感じ取れます。そのような昔の雰囲気を感じ取れる記事として面白く思えました。 ▼この記事は以下から参照できます。 #985 『西塩田時報[戦後]』第4号(1947年4月20日)1頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p1261.jpg2022-12-21
90火の用心 【『西塩田青年団報(戦後)』第2号(1946年9月20日)3頁】火の用心 【『西塩田青年団報(戦後)』第2号(1946年9月20日)3頁】この記事は当時はかなりの災害だった火災に対する恐ろしさとその対策について書かれている記事です。しかし単なる災害防止の記事だけでなく読みやすいようユーモアがある筆者の独白なども書かれていて面白いです。 ▼ この記事は以下から参照できます。 #957 『西塩田青年団報』第2号(1946年9月20日)3頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p1261.jpg2022-12-21
91家庭心得帖(『西塩田時報』第60号(1952年9月5日第2頁))家庭心得帖(『西塩田時報』第60号(1952年9月5日第2頁))料理や洗濯、予定の立て方など、生活がプラスになる情報が掲載されています。 主婦の知恵などが新聞に載っているのは読んでいても面白く、実際に使える知識なのでためになると思いました。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1180 『西塩田公報』第60号(1952年9月5日)2頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p1180.jpg2022-12-21
92幼女児おかっぱすすめ(『西塩田時報』第84号(1930年11月1日)2頁)幼女児おかっぱすすめ(『西塩田時報』第84号(1930年11月1日)2頁)学校便りのようなものに、運動するときや勉強するときに邪魔にならないために髪型をおかっぱにすることを進めている記事がありました。 昔の女の子はおかっぱのイメージがありますが、こんな理由でおかっぱの子が多かったのかなと思いました。 ▼この記事は以下から参照できます。 #364 #364 『西塩田時報』第84号(1930年11月1日)2頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0364.jpg2022-12-21
93上田elaboration上田elaboration探求テーマ「上田のシンボルの普及+若年層に対するアプローチ」 私が上田探検隊や自らの目で見てきた上田の魅力は、歴史的な建造物に身近に触れられるという点である。しかしながら、それに気づいている人は限りなく少なく思える。そんな上田市と地元の松本市を比較した時に、松本も上田と似た魅力を持ち合わせている。だが、松本に住んでいると頻繁に歴史に触れたくなる。それはなぜなのか考えた時に、松本城という圧倒的なシンボルの魅力に隠されていると考えた。もちろん天守閣があり、存在感が凄まじいことは大前提として、それだけで、地元の人々が訪れているとは思えない。では、観光客だけでなく地元市民も頻繁に訪れる理由は何か。調べれば一瞬で訳が分かった。それは、多種多様な四季折々のイベントである。春は夜桜会、光2022-12-21
94藤本蚕業歴史館で開くオンライン講座第2日藤本蚕業歴史館で開くオンライン講座第2日12/17(土)、藤本蚕業プロジェクト主催/デジタルアーカイブ学会地域アーカイブ部会共催によるデジタルアーキビスト養成講座の第2回講座を実施しました。 今回の講座は、上田小県近現代史研究会のお二人の方:桂木恵さん、小平千文さんから「キュレーション実例」「近現代を捉える視点」の話題提供をいただきました。話題提供のレジュメは以下の【講座資料】に掲載してあります。 午後は、「藤本蚕業歴史館アーカイブ」の史料などを参照し「一次資料を使ったキュレーション」を実習を交えて学習してもらいました。 講座の動画記録は後日、こちらに掲載する予定です。 【講座資料】https://d-commons.net/uedagaku/?c=&p=189442022-12-19
95上田のelaboration上田のelaboration上田の魅力の伝え方 J22030 工藤 天之 Elaboration課題の提起  上田の魅力は、はっきり言ってあまり伝わってこない、 それをどう色んな人に伝えるか。まず、上田の魅力とは、 なにか。 なぜそうなるのか  上田の様々な情報が地元の人で完結している。地元民し か知らないようなことが多い? 何を探求するのか  上田の魅力について、上田には何があるか、人々は何を 魅力的に感じるか。 探求の目標  上田と言えばこれだ!といえるような魅力的なものの発 見、そしてそれをどう様々な人に伝えるか。 どのように探求するのか  上田についての検索、上田の街歩き、知人や家族へのイ ンタビュー。 週間計画  上田検索→上田街歩き→上田の魅力に触れてみる。 今週、このテーマについて考えたのは、「上田の魅力」という言葉2022-12-18
96蚕のさなぎ蚕のさなぎ「みんなでつくる信州上田デジタルマップ」「蚕の蛹:食用」より転載 https://d-commons.net/upload/4/567/original/011720.jpg イナゴの他にカイコも! さなぎから油を取るとも聞いたことがあります。2022-12-17
97実践講座1:地域資料活用によるキュレーション講座[第2回]実践講座1:地域資料活用によるキュレーション講座[第2回]実践講座1:地域資料活用によるキュレーション講座[第2回]  藤本蚕業所蔵資料で近現代のキュレーション 【講座タイムテーブル】 10:00 一次資料を使ったキュレーションのいざない 10:15 キュレーション実例紹介  講師:桂木恵(上田小県近現代史研究会事務局長) 11:00 近現代を捉える視点  講師:小平千文(上田小県近現代史研究会会長) (12:00 休憩) 13:00 『藤本蚕業歴史館アーカイブ』で藤本蚕業の資料を探る 13:30 近現代のキュレーション・ミニ実習「一次資料をして語らせる」 (14:20 休憩) 15:30 キュレーションをアウトプットする(d-commons.net マイサイト実習) 16:00 終了 【オンデマンド講座(当日の講座記録)】 ▼①午前の部:藤本蚕業の一次資料&近現代を捉える視点  講師:前川道博+桂木恵+小平千文 110分 2022-12-16
98探求テーマ2探求テーマ2真田の知名度で得られるものは主に観光客、それにかかわる観光収入だけである。我々市民としては、真田が脚光を浴びることは嬉しいが、大河ドラマによる観光客を招くために市民プールがなくなったり、雨漏りがする市営体育館が放置されていたりするのは表面的なアピールということを重視して、市民の暮らしが軽視されていると感じる。(優先順位がおかしい) これからは、“真田”や、イベントなどによる一時的な観光客ではなく、上田市がこれまでおろそかにしていた医療、教育、福祉などをさせていくことで移住者や定住者を増やしていき、上田の活性化を図る。(首都圏から来やすい、晴天率が高い、自然が豊か等のその土地自体が持つ良さが最大限に生かせるのではないか)2022-12-15
99課題発見ゼミ 12月15日 まとめ課題発見ゼミ 12月15日 まとめ12月15日分 調査まとめ   開国後の日本による生糸輸出と上田の関わりについて 上田藩主・松平忠固と生糸輸出 鎖国を解き、開国を果たした日本が世界に進出する際に大きな武器となった生糸の輸出。それに多大な貢献をした人物が松平忠固である。六代目上田藩主、幕府の老中も務めた松平忠固は、日本開国のきっかけとなった日米和親条約の締結に関わりがあった。この開国をきっかけとして、忠固は上田藩の特産品を諸外国に売ることで利益を上げようとしていた。 その中で注目されたのが上田の「生糸」である。雨が少なく乾燥した地域である上田は江戸時代ごろから蚕種業が始まっており、のちに蚕種業の発展に大きな貢献をした「藤本善右衛門」の家系が先駆けだと言われている。忠固は生糸の輸出を行うことを決め、生糸輸出による利益2022-12-15
100課題ゼミ 第1回課題ゼミ 第1回・地域の魅力を伝えるには?  地域の魅力を伝えるには地域についての理解を広げることが重要だ。地域の良さや価値を知ることで、人に良さを伝えられる。 疑問点:「地域の魅力とは?」  そもそも魅力や価値は人によって違う。人には人生があってその人生観によって、物事の捉え方が決まる。地域の価値・魅力といってもやはり個人によって捉え方は違い、魅力に感じない人は多くいるだろう。  しかし地域の魅力を感じてくれる人は必ずいる。  僕が上田地域のイベントの「上塩尻街歩き」に参加した際、地域の人たちはもちろん上塩尻の建築物に興味をもってモリス教授という方が特別参加してくださった。  だからこそ大事なのは「広く伝える」だと考えた。広く伝えることで、地域に興味を持ち価値を感じてくれる人がいるはずだ2022-12-15
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