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1上塩尻における養蚕業①上塩尻における養蚕業①上田駅からしなの鉄道で一駅の場所にある「西上田駅」。 「西上田駅」は1920年(大正9年)に塩尻区の養種家などの請願によって国鉄信越本線の「北塩尻駅」という名で開業されました。1956年(昭和31年)に現在の西上田駅に改称されています。 駅前には【まゆ浪漫】という上塩尻における養蚕業の名残りに触れられるような散策ルートと説明が書かれた大きな看板が設置されていました。2022-11-30
2上田市発祥の美味だれ上田市発祥の美味だれ美味焼き鳥は長野県の上田市発祥のご当地グルメ。 すりおろしたニンニクが入っている醤油ベースのたれをかけて食べます。 2010年に信州上田の食文化を表現していこうと市民によって「美味だれ」と名付けられました。 「おいだれ」はもともとあった方言で、「おまえたち」という意味があります。 そこに「美味しいタレ」と後から追ってかける「追いかけるたれ」という意味を語呂合わせて「美味だれ」となったそうです。2022-11-30
3蚕糸王国信州ものがたり蚕糸王国信州ものがたり今回上田の蚕糸業について調査していく中で、信州上田学の講義内でも取り上げられていた「蚕糸王国信州ものがたり 阿部勇編著」を大学図書館にて発見した。蚕糸業の変革から詳しい解説、ポスト蚕糸業についてなど、事細かにわかりやすく書いてある。ぜひ一度手に取って読んでいただきたい。2022-11-30
4繊維学の転換繊維学の転換上田市に立地する信州大学繊維学部、源流を辿ると1910年の上田蚕糸専門学校から始まる。当初は蚕糸や紡績業に関しての研究、教育を目的としていた。現在では繊維を広義に捉えて、炭素繊維やファイバー工学の研究へと転換している。2022-11-30
5感染対策ばっちり感染対策ばっちり 眞田神社を訪れたときにお参りしようとしたら、鐘を自分で揺らして鳴らすのではなく、手をかざすことによって鳴らすという画期的なものを見つけました。お賽銭箱の上に3つ並んでいたので、順番を待つ時間も短縮され、一石二鳥です。  本当は動画を掲載したかったのですが、うまくいきませんでした。。。2022-11-30
6蚕糸業からの転換蚕糸業からの転換上田市を代表する蚕糸業の遺構と言っても過言ではない建築物である常田館製糸場。その所有者である笠原製糸は笠原工業に改称したのち現在では、精密機器や電子部品の開発、製造を行っている。常田館も笠原工業の現在の事業の一つである発泡スチロールの倉庫として現役で活躍している。内部を見学すると奥まった場所には発泡スチロールが積まれて保管されていた。2022-11-30
7製糸業、紡績業跡地の活用製糸業、紡績業跡地の活用現在のアリオ上田店、サントミューぜ、上田警察署周辺の区画は鐘紡の紡績工場の跡地である。蚕糸業、紡績業の工場であった広大な土地は工場の廃止、撤退後の再開発事業で活用されている。アリオ上田の西隣にある積水ハウスの宅地開発分譲地「コモンステージ天神の杜」の西端は工場跡の区画のままの形のまま残っている点も興味深い。 2枚目資料: 上田市ホームページ『 コモンステージ天神の杜 』 建築協定 https://www.city.ueda.nagano.jp/uploaded/attachment/40476.pdf2022-11-30
8生島足島神社生島足島神社 生きとし生けるもの万物に生命力を与える「生島大神」と、生きとし生けるもの万物に満足を与える「足島大神」の2神が祀られ、摂社(下社・下宮)には諏訪大神が祀られる信濃屈指の古社である。  ご本殿は神池に囲まれた神島のまわりを老樹に囲まれて建っている。御扉の奥には御室と呼ばれる内殿があり、内殿には床板がなく大地そのものが御神体として祀られている。この池を巡らせて神域とされる島を作る様子は「池心の宮園池いけこころのみやえんち」と称され、出雲式園地の面影を残す、日本でも最古の形式の1つとされるものである。  2枚目の神楽殿からちょこっとのぞく内殿の写真が個人的ベストショットです。2022-11-30
9眞田神社眞田神社 眞田神社は上田城本丸跡に鎮座しており、真田氏、仙谷氏、松平氏という歴代の上田城主を御祭神としている。しかし、本来は松平家の御先祖をお祀りする御宮であり、松平(しょうへい)神社と称していた。  松平家は、真田氏、仙谷氏のあと、江戸時代中期から明治の廃藩に至るまで7代160余年の長きにわたる上田藩主であった。  上田藩主となった系統の藤井松平氏の初代忠晴公は、隠退後は忠山と号した。寛文9年(1669)に亡くなった。忠山公の御墓所は京都の金戒光明寺にあり、京都に忠山公の御霊をまつる忠山社が設けられてもいた。これが眞田神社の起源となっている。  明治維新の変革の中、国に接収された上田城もまもなく民間に払い下げられ、城跡は急速に桑園・麦畑などに変化していった。そのような情勢の中で、旧上田藩士や2022-11-30
10アリオ神社アリオ神社 2021年12月28日にアリオ上田に設置された通称アリオ神社。本当の名前は「四阿流尾神社(あずまやりゅうおじんじゃ)」といい、上田市真田町長にある「山家神社」の分祀だそうだ。  社の大きさは横68㎝、奥行き88㎝、高さ約100㎝で総ヒバ造り。真田町の建築業者が設計し、武石村の大工が建築した。  山家神社の始まりは、食物の実り、郷の安寧、人々の無事を大きなしぜんのなかの一部として生かされていることに感謝し、祈りを捧げ掌を合わせたことである。  主祭神は国造り、国護り神話の中心的な神である大国主神、対偶神の伊邪那伎神との国生み、神生みの伊邪那美神、伊邪那伎神が伊邪那美神を追って黄泉国に到り、そこから逃げ帰ろうとして、黄泉平坂で争った際、間に立って二神の調停をした菊理媛神である。  神社の隣には2022-11-30
11観光地としての塩田地域観光地としての塩田地域 無言館のそばにある山王山公園にあった看板。  私は今回初めて塩田地域を歩いてみたが、かなり多くの標識や看板があり、道順を調べずとも観光施設などの目的地まで容易に向かうことができた。看板は方向と距離のみがわかるようなシンプルなものだが、英語の表記やイラストもあって外国人観光客にも配慮がなされていた。このような看板の設置は、塩田平が日本遺産に指定されたことで外国人観光客の増加が予想されるためと考えられる。  塩田地域は観光資源や遺産、文化芸術施設が多く存在するが、それらは目立たない場所にあったりそれぞれの距離が遠かったりして、個人で車を利用せずに巡るには少し不便だった。だがこのような観光客向けの看板の設置は、塩田平を初めて訪れた私のような人の不安を解消させてくれる良い存在であり2022-11-30
12別所線再生支援の取り組み②別所線再生支援の取り組み② 別所線では温泉駅前に移転した日帰り温泉施設あいそめの湯に併せ、別所線往復乗車券と入浴券をセットにしたお得な切符を販売されています。他にも一日フリーきっぷ、外湯入浴券付き切符、別所線・信州上田レイライン線電車・バスフリーきっぷなどがあります。 また、別所線の上田駅から別所線までの11.6㎞のうち、下之郷から別所温泉まではまるでレイラインに沿っているかのように見えることから、信州上田レイライン線の時刻表が上田駅にも張られている様子を見かけました。 地域の特性を最大限に活かすための鉄道の運営が盛んにされており、それが地域活性化や別所線再生支援にもつながっていくと思います。2023-01-22
13檻の俳句館檻の俳句館 前山寺まで向かう途中の道にあった俳句を展示するギャラリー「檻の俳句館」。  訪れた日は閉まっていて、建物には蜘蛛の巣が張っていて開放している日があるようには見えなかった。気になったため、向かい側にある上田紬を取り扱う「藤本」というお店で話を伺ったところ、店員の方も俳句館が開いているところはしばらく見ていないらしい。  古い古民家を利用したようなこじんまりとした建物だが、窓からのぞいてみると俳句数点とそれをイメージしたような美術作品が展示されていて、ぜひいつか中に入って見てみたい。  隣には槐多庵というギャラリーもあったがこちらも開館している様子はなく、うまく活用できていないのが大変残念だった。せっかくこだわりの詰まった興味深い建物なので、無言館や残照館と合わせて塩田地域でよ2022-11-30
14蚕糸業の衰退蚕糸業の衰退上の資料から読み取れる通りピーク時日本の主要産業であった日本の蚕糸業は今や細々と続けられているもののみとなってしまった。 そこでその蚕糸業の、主要拠点であった上田市がその後どのような変革、転換を遂げたか調査してみることにした。 参考資料:蚕糸業をめぐる事情 農林水産省 令和4年7月 https://www.maff.go.jp/j/seisan/tokusan/attach/pdf/sannshi-3.pdf2022-11-30
15上田蚕種協業組合事務棟上田蚕種協業組合事務棟この建物は、1917年に上田蚕種株式会社として成立したのが始まりです。1970年に現在の社名に変更されました。 上田蚕種協業組合事務棟は、蚕都上田の歴史を伝える象徴で、貴重な建物です。2022-11-30
16前山寺前山寺 真言宗のお寺である前山寺。  マツやサクラなどの並木が両側をおおう約150メートルの参道は、昭和54年に上田市文化財保護条例により市指定記念物に指定された。山に向かって参道を進むと、色あせた木でできた風情漂う門が出迎える。門をくぐった先には国の重要文化財に指定されている三重塔がそびえ立ち、戦国時代から伝わる建築美を間近で楽しむことができた。  入山料は一般・大学生200円。2022-11-30
17傷ついた画布のドーム傷ついた画布のドーム 無言館の第二展示館である「傷ついた画布のドーム」「オリーブの読書館」を訪れた。  ドーム型の天井には画学生のデッサンや下絵が380点余り貼られている。入り口前にある庭には沖縄の磨文仁の丘の石が敷き詰められており、作品が展示されている没画学生も戦時中に踏みしめていたのかもしれないと思うと心を締め付けられた。  オリーブの読書館には多くの美術関連書籍が壁一面に並んでいて、日差しが差しむ静かな館内で読書を楽しめる。他にも無言館館長の窪島誠一郎さんの著書も閲覧できた。2022-11-30
18無言館無言館 太平洋戦争などで戦死した画学生の遺作や遺品を展示する、戦没画学生慰霊美術館 無言館。  今年の24時間テレビのスペシャルドラマの題材にも取り上げられていたため以前から興味があり、今回初めて訪れることができた。  「自問坂」という大変急な坂道を上った先の、コンクリート造りで静けさに包まれた館内には、画学生が出兵前や戦地にいる間に描いた作品や家族に送った手紙、画材などが展示されている。遺族が語る画学生の人物像や彼らとの思い出とともに作品を眺めることで、彼らが必死に作品に込めた家族や故郷への愛、絵画・彫刻への情熱を受け取れた気がした。2022-11-30
19別所線再生支援の取り組み①別所線再生支援の取り組み① 別所線の車内や上田駅、別所温泉駅などでは、子ども達の応援の声を見かけることが多く実際に小学生が別所線にのって、地域交流をしている様子を感じます。  駅長による車内のハーモニカ演奏や貸し切りライブなどが行われその際の感想が上田駅にはられている様子を見ることが出来ました。別所線の100周年の際には、SNSにテレビに人気のハラミちゃんが祝福するピアノ演奏を披露していただいたそうです。音楽を通して別所線を応援したり、地域の人々がつながったりしている様子が見えとても温かい気持ちになりました。小さなことでも地域の方々が別所線を大事にしている様子が見えて愛されていることを感じることが出来ました。2022-11-30
20気候と養蚕業気候と養蚕業上田市は年間降水量が1000mm未満であり、日本一晴れの日が多い街である。この気候は蚕の飼育に適しており、上田市は日本でも屈指の蚕の産地になった。2022-11-30
21サントミューゼサントミューゼサントミューゼのサントは、かつて蚕都として栄えた上田市の歴史と、日本一の晴天率を誇るため、太陽が燦々と、さらには文化・まち・人を育てるという3つの目標が込められている。 ミューゼはミュージアムからの造語である。2022-11-30
22上田の蚕業上田の蚕業長野県上田市では、かつては蚕業が盛んな地域であった。それを象徴するのが常田館製糸場である。この製糸場は明治33年創業の歴史ある建造物である。当時の養蚕業は日本の近代化の原動力であり、様々な箇所で利用されていた。この施設では、室温度、通風、乾燥などを整えることで、一年を通して平均的に生糸を生産することが可能となっていた。 木造5階建繭倉庫、鉄筋コンクリート5階建倉庫群などは、国指定重要文化財に指定されている。2022-11-30
23安楽寺安楽寺長野県上田市別所温泉の近くにある寺。中国から伝わった禅宗様で作られている。現存する国内唯一の木造八角三重塔であり、とても貴重な建築物である。2022-11-30
24安楽寺安楽寺長野県上田市別所温泉の近くにある寺。中国から伝わった禅宗様で作られている。現存する国内唯一の木造八角三重塔であり、とても貴重な建築物である。2022-11-30
25サントミューゼサントミューゼ蚕都が由来であるサントミューゼを訪れました。 とてもきれいで素敵な雰囲気の建物でした。再び訪問してみたいと思いました。2022-11-30
26上田蚕種協業組合事務棟上田蚕種協業組合事務棟上田蚕種株式会社の事務棟として大正6年に完成し、建物はほとんど改変されていないそうです。正面は左右対称の構成となっており、木造二階建てで屋根は瓦葺きの建物です。 文化庁の登録有形文化財にもなっています。とても歴史を感じる建物でした。なぜ、改変されずに当時の姿をとどめていられているのか疑問に思いました。2022-11-30
27四階繭倉庫四階繭倉庫干繭倉として建てられた。東西には窓が一つもなく、通し柱がなく繭の保管や作業に考慮した造りになっています。壁に雨がかからないように、各界部分に下屋がついていました。2022-11-30
28蚕の神様蚕の神様蚕やさなぎ、繭までをかじり荒らす鼠は養蚕を悩ませてきました。鼠駆除のために猫を飼う一方、蚕が良い繭を作ってくれるように猫にまつわる様々な祈願をしました。上田地域周辺では「唐猫さま」と呼ばれていたり、「猫瓦」と呼ばれる猫耳状の二つの角が出ている屋根もあるそうです。 常田館製糸場内の展示にも四匹の猫を見つけました。現在身近な存在である猫が神様として祀られていることが興味深かったです。2022-11-30
29五階鉄筋繭倉庫五階鉄筋繭倉庫出火全焼のために建て替えられた、鉄筋コンクリート造りの五階建て建築物です。木造五階建繭倉とは異なり、干繭倉として建てられたもので、入り口は両開きの鉄扉が使用されています。階高も約240~345㎝と木造より高くなっており、繭の乾燥に優れた造りになっていました。2022-11-30
30生糸の活用案2生糸の活用案2生糸を使用した商品をもっと広めるべきだと思います。 着物でなくとも、例えば着物カードケースなど手ごろなサイズで手にできるます。このようなものを上田で広めることができれば需要ももっと伸びるのではないでしょうか。 養蚕業の衰退はつまるところ需要の問題に行きつきます。供給が足りなくなればまた発展することができるはずです。2022-11-30
31常田館製糸場 見学常田館製糸場 見学現笠原工業株式会社の常田製糸場は80年余りにわたって生糸の製造がおこなわれていました。構内には建物15棟が現存しており、うち7棟が国の重要文化財に指定されています。 この写真は五階繭倉庫です。多窓式繭乾燥・保管のための生繭倉庫として建設されました。製糸方法の変化に伴い、繭の保管・乾燥という目的から品質向上を目的とした干繭倉に改造され、小窓の多い造りになっている。2022-11-30
32猫は蚕の神様です猫は蚕の神様です常田館製糸場の建物の中で見かけた「猫は蚕の神様です」という文がとても印象的でした。蚕が無事育ち、良い繭を作ってくれるようネズミよけのため猫にまつわる様々な祈願がされていたようです。2022-11-29
33上田蚕種協業組合上田蚕種協業組合登録有形文化財である上田蚕種株式会社に行ってきました。この建物は上田蚕種株式会社の事務棟として大正6年に完成したそうです。「蚕都上田」を象徴する建物であることが伝わってきました。2022-11-29
34常田館製糸場常田館製糸場現在の笠原工業株式会社である。明治11年岡谷市にて製糸業を開始し、明治33年に常田館製糸場として上田市にて工場を創業した。しかし1984年には構造改善事業によって上田工場製糸操業は休止されてしまった。現在は発砲スチロールの販売、研磨切断などを行っている。また現存している建物のほとんどが国重要文化財とされている。2022-11-29
35上田紬について上田紬について上田紬は結城・大島紬に並ぶ三大紬として江戸時代から称されていた。上田で蚕種の製造がはじまり、生糸にできなかったまゆ、くずまゆを紬の原料にしていた。良質であったため紬織りが盛んになったのだ。今回訪れたのは藤本さんである。こちらは上田東高校から近くの工房だ。浴衣なども織っていて現在も上田紬の魅力を発信している。私自身過去に小岩井公房さんで機織り体験をさせていただいた。とても難しく、職人の多大な労力を要するものであった。そこでお話を聞いたのが、上田紬を後世まで伝えていきたいが、職人不足が問題だとおっしゃっていた。上田にたくさんあった工房も今では2件である。一時期は日本の蚕業を支えていた蚕都上田がこのように衰退してきている。私たち学生が上田紬を使って何か発信できたらなと思う。2022-11-29
36信州大学繊維学部信州大学繊維学部信州大学は明治43年1910年設立の旧制上田蚕糸専門学校を前身とする日本唯一の繊維学部である。この上田蚕糸専門学校は蚕糸に関する最初の高等教育機関であり、長野県下初の官立学校として設立された。 この繊維学部は信州大学設置の昭和24年1949年と同時に設置された。その後も多様な学科が設置され、全国からたくさんの学生が集まる大学である。2022-11-29
37重文常田館製糸場重文常田館製糸場重要文化財に指定されている常田館製糸場へ行ってきました。現在は笠原工業株式会社となっており、事務所のある繰糸棟には今でも湯気抜きの小屋が残っていました。倉庫の中にも入ることができ、貴重な体験ができました。2022-11-29
38上田蚕種協業組合上田蚕種協業組合大正5年1916年地元の蚕種家が出資して上田蚕種株式会社として設立したのがはじまり。昭和45年に現在の社名となった。最盛期には22万箱の蚕種をこの組合から出荷していた。建物は検査室、食堂、催青室(蚕の卵を掃立予定日にそろって孵化させるため温度・湿度・光線を調節した部屋)、貯蔵の冷蔵庫や採卵室が配置されている。2022-11-29
39旧小県蚕業学校(現上田東高校)旧小県蚕業学校(現上田東高校)明治25年1892年に小県蚕業学校が蚕業学校として全国に先駆けて設立された。当時は上田町の丸堀の民家を校舎にして開校した。大正8年には皇太子様が来校されていることから当時でも注目されていた学校なのだと考えた。昭和19年12月9日に戦災によって本館の建物外10棟、1093坪を焼失してしまった。その後昭和21年以降、林業科、農業科、蚕業科を置いた上田農業学校となった。昭和35年には2度目の火災にあい、建物は全半焼、1237坪を焼失した。昭和37年には現在の名である長野県上田東高等学校となる。翌年昭和38年には蚕業科の生徒募集停止され、その後続々と農業科、林業科、家政科が廃止され、普通科のみの学校となった。2022-11-29
40サントミューゼサントミューゼ授業の中でも紹介されていたサントミューゼに行ってきました。蚕との関連はあまり見られませんでしたが、とても綺麗な建物です。2022-11-29
41繭の女神繭の女神上田駅内に蚕神の像が飾られていました。駅舎改装の折、故中村直人画伯から贈られたそうです。2022-11-29
42別所線のれいんどりーむ号別所線のれいんどりーむ号 別所線の車両についてです。 別所線は側面に丸窓を持つ丸窓電車が走っていたこで知られ、丸窓は路線を象徴する特徴になっています。 平成17年2月には丸窓ラッピング電車の愛称が募集され、全国から250通の応募をもらいました。選考した結果、多くの人に夢を与えながら、ずっと走り続けて欲しいという思いからまるまどりーむ号になり上田駅で命名式が行われました。  現在では、信州上田日本遺産のラッピングがされたれいんどりーむ号も運用されている様子を見ることが出来ます。上田市の日本遺産のデザインとして、塩田平の歴史・文化の一つである雨乞いの儀式にちなんだ、塩田平に進む龍が表現されています。鉄道に親しみが持ちやすい愛称を募集したり、地域にちなんだデザインがされたりしている様子から地域住民に密着した鉄道だ2022-11-29
43上田電鉄別所線について上田電鉄別所線について上田電鉄別所線は長野県上田市内を走る11.6㎞のローカル私鉄です。上田駅を起点に別所温泉駅まで約30分かかり全部で15駅設置されています。多くは無人駅ですが、上田駅・下之郷駅・別所温泉駅が有人駅です。券売機がある駅もあれば券売機がない駅もあるため、券売機がない場合や定期券、回数券を利用する人は整理券をとる必要があるためお気をつけください。また、時間帯や駅によっては、乗降口がすべて開く場合がありますが、一般的には乗降口が進行方向の一つで他のドアが開かないためご注意ください! 私自身最初はローカル線になれてないため上田に来た際に知らないことが多く戸惑うことがありました。同じように初めて乗る方や私のようにローカル線になれない方や別所線を知らない方の参考になればうれしいです。2022-11-29
44蚕都としての上田 ー常田館製糸場見学をうけてー蚕都としての上田 ー常田館製糸場見学をうけてー私は県外から進学してきました。養蚕と聞いて思い浮かぶのは、やはり富岡製糸場でした。 しかし、信州上田学の講義の中で、上田の蚕都としての歴史に触れ、現代に残る歴史を広くアピールする必要があると思いました。 養蚕業全盛期から、衰退してからの長野県の主要産業への流れや、背景にある気候や地域性などをアピールすると良いのではないかと感じました。 常田館製糸場を見学し、当時の人々に養蚕が身近なものであり、工夫の詰まった産業であったことを学びました。 後世へ伝えていくには、このようなデジタルアーカイブは特に重要な役割を果たしていくように感じます。2022-11-29
45常田館製糸場外観常田館製糸場外観左から、五階鉄筋繭倉庫・三階繭倉庫・五階繭倉庫。 三つの建物は、国指定重要文化財です。 木造の繭倉庫は国内随一の規模であり、鉄筋コンクリートの繭倉庫も当時の技術・知恵が残るものとして、貴重な遺産であるとされているそうです。 年間通して、均一な生糸の生産には「湿度・温度・風通し・乾燥・保管管理」など、大切なことがたくさんあるようです。これを管理しやすくする工夫が、建物の構造にあるのだと思いました。2022-11-29
46常田館製糸場へ。常田館製糸場へ。上田駅から徒歩で10分弱。重要文化財として登録される常田館製糸場があります。 現笠原工業の構内に現存する15棟の製糸場時代の建物のうち7棟が重要文化財に指定されています。現在は、製糸業は終了し、他事業へ転換していますが、当時の建物を倉庫として使用されているようです。その為、予約なしで見学できるのは、「五階鉄筋繭倉庫」「三階繭倉庫」「五階繭倉庫」の三つの建物のみとなっていました。 入口付近、常田館製糸場の概要が書かれた看板には、 群馬県富岡製糸場は、「国営」の模範工場として「フランス式」の製糸が行われた。対して、常田館など、諏訪・岡谷では「民営」で「イタリー式」の製糸が行われた。 といったことが書かれています。 富岡製糸場など、群馬の製糸業と比較するのも面白いなと思いました。2022-11-29
47猫瓦猫瓦蚕種で栄えた上塩尻地区では猫瓦というものが多く見られます。 猫瓦とは、名前の通り猫の顔のような形をしておりおまじないとして、屋根につけたものだと言われています。 養蚕農家などによく見られていて、蚕を狙うネズミを寄せ付けないように猫瓦がつけられたそう。 現在でも、上塩尻地域で見ることが出来ます。2022-11-29
48上田紬上田紬上田駅のお土産コーナーに上田紬が売られているコーナーがある。現代の人でも使いやすいようなものになっており、お土産に丁度良いものとなっている。上田が蚕種で有名な所をアピールするポイントとなっているに違いない。2022-11-28
49常田館資料室常田館資料室長野県での蚕種製造の歴史は上田地方が最も早く、藤本善右衛門家によって寛文の時代に始められたとされている。はじめ奥州産蚕種を仕入れ販売していたものが、次第に奥州へ出向き蚕種製造をするようになり、自家製造へ発展し全国へと販路を広げていった。上田地方が日本一の蚕種製造地帯となった背景としては、蚕種の改良と歩桑による種繭の生産によるものである。2022-11-28
50上田蚕種協業組合上田蚕種協業組合養蚕が盛んだった上田盆地は、千曲川とその支流が作る扇状地や河岸段丘が発達し、桑の栽培適地であった。年間降水量が少ないことも蚕の飼育に適していたため、上田盆地は春蚕の産地であった。2022-11-28
51笠原組常田館製糸所笠原組常田館製糸所明治11年諏訪岡谷で笠原組が製糸業を始め、明治33年に上田へ進出した。2022-11-28
52常田館製糸場常田館製糸場常田館製糸場に行ってきました。 かわいいクラフトや貴重な資料などが展示されており、大変興味深かったです。 私は古い建物が好きなので、とても楽しかったです。2022-11-28
53上田の蚕業について⑤上田の蚕業について⑤常田館製糸場に行きました。飾ってあるクラフトの中には猫が多く「猫は蚕の神様です」という張り紙もあり、また、猫瓦というものも展示されていました。 上田の蚕業について記された記録には、「養蚕で恐ろしいことは、蚕が病気で死んでしまうことです。(中略)羽虫や鼠の防除にも配慮するよう注意しています。鼠は蚕を食べてしまうので、猫を飼ったり、猫の画を蚕室に貼ることも流行しました」(「上田市誌 近現代編(2) 蚕都上田の栄光」22ページ 上田市誌編さん委員会 平成15年3月1日信毎書籍印刷株式会社より)という記述があります。 公益社団法人 日本動物福祉協会のホームページでは、「【動物福祉】とは一言でいえば、『動物が精神的・肉体的に充分健康で、幸福であり、環境とも調和していること』です。」と紹介されています。2022-11-28
54上田の蚕業について④上田の蚕業について④蚕業を行っていた頃の農家の主婦についても現在の社会の状況と重なる部分が多々あります。 女性の労働について記録された書籍(「人権の確立と女性のあゆみ」 (平成14年)編集者 上田市誌編さん委員会 発行者 上田市・上田市誌刊行会より)に載っている写真を見ると、家の一角のような場所で女性や子どもが写っていたり、女性が男性に交じって働く写真があったり、特定の性別や年齢で限らず、人々の生活に蚕業が根付いていたように思われます。特に女性の仕事は家事育児、給桑作業や農作業など多岐にわたるように見受けられました。 同誌によると、 「明治から大正期に蚕糸業が全盛であった上田地域では、多くの農家の主婦が蚕の世話に始まる農作業や家事に追われ、目の回る忙しさでした。乳幼児をかかえた母親たちも例外ではなく、重2022-11-28
55上田の蚕業について③上田の蚕業について③上田の蚕業について記された記録には、工女の消費活動についても以下のような記述があります。 工場の休日は日頃の長時間労働から解放された工女にとっては楽しいひとときで、小間物屋に寄って化粧品や小物を求めたり、呉服屋で普段着を買ったりしました。おやつの鯛焼きは工女に人気があり、休日や工場の開業前になると店先に行列ができるほどでした。(中略)常田館などのような大きな工場になると、呉服屋や小間物屋などが出張して郷里へのお土産を売りました。(「上田市誌 近現代編(2) 蚕都上田の栄光」135、136ページ上田市誌編さん委員会 平成15年3月1日信毎書籍印刷株式会社より) 既婚でもなく、子どもでもない、大人の労働者である工女たちの消費行動は羽振りが良いように感じられます。加えて、結婚前に、経済力と自由がある2022-11-28
56上田の蚕業について②上田の蚕業について②上田の蚕業について記した記録には、工女の労働待遇について以下のような記述があります。 糸引きは手の器用さが求められることから繰糸の仕事は主に女性が行い、製糸工場で働く人の9割以上は女性で、男性は1割にも満たなかったそうです。製糸工場が盛んになるにつれ労働力を確保するため各工場が工女募集に力を入れるようになり、金銭面の事情から、前貸し金を用意できる大きい工場が有利でした。工女の8割ほどは16~26歳の義務教育終了から結婚前の人たちだったため、勤続年数によって、針箱・鏡台・ちりめん羽織などが出され、長期勤続者になると結婚するときの嫁入り道具が揃うほどでした。工場では休日を利用して、花見や温泉へ連れて行ったり、工場が落語・浪花節・義太夫などを聞かせる慰安会をすることもありました。楽しいひ2022-11-28
57上田の蚕業について①上田の蚕業について①上田の蚕業の発展について記された書籍では、「町村誌をみると、『男、農桑を業とす、農隙養蚕、山稼をなす、。女、養蚕をなす。余間生糸及び縫織をなす。』とあるように、上田地方では桑が稲作に次ぐ重要な作物であり、男女とも養蚕を手掛け、」(「上田市誌 近現代編(2) 蚕都上田の栄光」37ページ上田市誌編さん委員会 平成15年3月1日信毎書籍印刷株式会社より抜粋)と述べられています。そのことから、男女が同じ事柄について役割分担を行い、分業して働いていたことがうかがえます。また、上田の女性の人権の確立について記録された書籍によると、江戸時代は仕事の線引きはあまりなく、必要とあれば一家が協力して家を回すという文化だったとのことです(「人権の確立と女性のあゆみ」134ページ(平成14年)編集者 上田市誌編さん委員会2022-11-28
58美ヶ原高原美ヶ原高原上田市の有名な観光地である美ヶ原高原。あまり蚕都と関係の無いように思えるこの地域では、お正月に三九郎と呼ばれる行事(一般的に言うどんど焼き)にて、繭玉と呼ばれる、蚕の繭の形に似せたお餅を焼いて食べる習慣があるそうです。上田地域では広い範囲で、蚕都と関係のある遺産や文化が残っていることが分かりました。2022-11-28
59旧宣教師館旧宣教師館下之郷に位置するこの建物は、明治後期にカナダから来日した宣教師達のために建設されました。明治期は上田が蚕都として急速に発展していた時期でもあり、当時の発展の一部でもあると考えることができます。今では明治期の本格的な西洋建築を残す貴重な建物であると同時に、当時の上田が蚕都として栄えていた事が伺える遺産の一つでもあるように感じました。2022-11-28
60サントミューゼサントミューゼ上田市交流文化芸術センター、サントミューゼです。サントミューゼの「サント」が「蚕都」から取られていたことが意外でした。定期的に上田の「蚕都」としての歴史を伝えるイベントが行われており、機会があればぜひ行ってみたいと感じました。2022-11-28
61常田館製糸場常田館製糸場上田市の蚕都としての歴史を示す、重要な遺産である常田館製糸場です。国の重要指定文化財にも指定されており、明治から大正にかけて建設された15棟もの建物が現在も保存されています。平日だということもあり、観光客らしき姿はほとんど見られませんでした。蚕都としての歴史を伝えていく為にも、より多くの人に訪れてもらえるようなPRが必要だと感じました。2022-11-28
62手織り 上田紬 小岩井紬工房手織り 上田紬 小岩井紬工房上田紬は、400年ほど前、真田昌幸が上田城を築城した際に地場産業として奨励した真田織が始まりと言われています。上田の気候や風土が養蚕に適していたことで、江戸時代には日本三大紬の一つとなりました。 上田紬の特徴は、丈夫なことです。この小岩井紬工房さんは創業以来手織り一筋で、上田紬独自の丈夫でしなやかな風合いを織りつむいでいます。 小岩井紬工房さんでは、工房見学、花瓶敷織体験、着尺や帯、小物の販売をしています。ぜひ行ってみてください!2022-11-28
63蚕養国神社②蚕養国神社②県歌である「信濃の国」の3番後半の歌詞には、蚕都上田の蚕糸業が日本経済の命運を左右する程重要な産業であることが歌いこまれている。 養蚕・生糸から始まった上田市産業文化の発展を願い、平成19年に神社脇に「萬葉歌碑」が建立された。上田市の産業と蚕には深い関わりがある。2022-11-27
64蚕養国神社①蚕養国神社①上田市内には「蚕」の名がつく神社が7社ある。 その中で、蚕が繭になる直前の大きさと同じ大きさの女神像が安置されている蚕養国神社に行ってきた。 昭和12年に上小蚕糸同盟会は蚕糸業界の尊崇神として蚕影神社の建立を決議したが、具体的には上田大星神社の摂社蚕養国神社の増営をすることとなった。工事が完了したのは昭和16年6月28日で、同時に遷奉祝祭が執り行われた。以後関係者によって例年蚕糸祭が開かれている。2022-11-27
65蚕神像蚕神像手に繭をのせた「蚕神」のブロンズ像が上田駅構内に飾られている。上田市内には蚕の神に関する神社も多数存在している。2022-11-27
66みすゞ飴本舗みすゞ飴本舗今では養蚕農家もほとんど見られなくなったが、蚕の餌となる桑の木が上田市には数多く存在する。みすゞ飴本舗では、桑の実を使った商品を作ろうとして試行錯誤の末に昭和40年代初頭に桑の実ジャムが製品化した。 期間限定の販売ではあるが、上田ならではの珍しいジャムである。2022-11-27
67真田十勇士真田十勇士通った道沿いにいた真田十勇士たちです。10人探すために歩くだけでも十分な運動になりますし、一緒に旅をしている気分になります。2022-11-27
68信州上田道しるべ信州上田道しるべ歩いたところにあった信州上田道しるべと石碑です。こういったものの前で足を止めると、行ってみたい場所が新しく出てきたりこんなに歩いたのかと実感できたりします。2022-11-27
69上田まち物語上田まち物語訪れた場所の通り道にあった上田まち物語です。ゆっくり読み歩くと上田について詳しくなれるし、興味深いです。2022-11-27
70サントミューゼサントミューゼサントミューゼは平成26年10月2日に開館しました。名前から蚕都上田を感じられる施設です。サントミューゼの「サント」は「蚕都」「太陽(SUN)」そして施設の基本理念の文化を育て、人を育て、まちを育てるという「3」つの育成を目指すという意味を持ちます。「ミューゼ」は「ミュージック」と「ミュージアム」からの造語です。2022-11-27
71旧上田蚕糸専門学校(信州大学繊維学部)旧上田蚕糸専門学校(信州大学繊維学部)旧上田蚕糸専門学校は1910(明治43)年に設立しました。信州大学繊維学部の講堂が登録有形文化財として保存されています。この建物は蚕糸にちなんだ桑・繭・蛾の意匠が内部の各所に付けられていることが特徴です。2022-11-27
72常田館製糸場常田館製糸場常田館製糸場は1900(明治33)年に創業した製糸工場です。現在は所有主の笠原工業株式会社の社用地社屋として営業使用中です。国指定重要文化財となっています。2022-11-27
73旧小県蚕業学校(上田東高校)旧小県蚕業学校(上田東高校)旧小県蚕業学校は1892(明治25)年に設立されました。現在の上田東高校の敷地に移転しました。養蚕教師の養成のために建てられた施設です。全国から生徒が集まっていました。1944(昭和19)年に米軍による爆撃を受けて炎上しました。今でもその痕跡が残っています。2022-11-27
74スイーツ、カフェ巡りスイーツ、カフェ巡り上田といえば、というじまんやきと、目に入ったカフェを訪れた記録です。2022-11-27
75蚕都上田蚕都上田上田は江戸時代から昭和まで蚕糸業が盛んでした。そのため「蚕都(さんと)」と呼ばれています。現在はほとんど廃れてしまいました。しかし、当時の面影が残る地や施設も多く残っています。2022-11-27
76常田館製糸場見学まとめ常田館製糸場見学まとめ常田館製糸場を見学させて頂いて改めて、蚕糸業、製糸業について興味を持つことができました。常田館製糸場の施設15棟のうち7棟は重要文化財、他の施設は上田市指定文化財に指定されており、貴重な建物であることが感じられました。 分かったこととして、建物の至る所に繭を守るための工夫がされていると感じました。その中でも国内唯一の木造五階繭倉庫は存在感があり、繭を守るため扉が四重になっているそうです。長い歴史の中で最善の工夫がされてきたから、ここまで建物が残り、製糸業が続いているのだと思いました。そして養蚕業、製糸業が上田の発展を支えてきたのだと感じました。 今回は予約をとっていなかったので、五階繭倉庫の中は見学することはできませんでしたが、団体で見学する際は予約をとって、ガイドをしてもらい、2022-11-26
77常田館製糸場見学4常田館製糸場見学4三階繭倉庫、二階繭倉庫、五階繭倉庫の壁にそった通り道です。階段ではなく、なだらかな傾斜になっていました。なぜこのような造りにしてあるのかは分かりませんが、歩きやすく、重たいものを運ぶ際は運びやすいと感じました。 その通り道にせみ竿が展示されていました。現在のクレーンのような役割をしており、重いものを少ない労力で持ち上げるためのものだそうです。昔の人の工夫が感じられました。2022-11-26
78常田館製糸場見学3常田館製糸場見学3五回鉄筋繭倉庫の1、2階を見学させて頂きました。現在は展示会場となっていましたが、建物はそのままなので、階段の急さに驚きました。また防火が重視された造りになっており、火事などが起きても建物が焼失しないよう工夫されているのだと感じました。 様々な作品や切り繭などを見ることができました。蚕や蛹をかじってしまう鼠を駆除する目的で猫が飼われたり、祈願されたりしていたということも初めて知りました。2022-11-26
79びんぐしの湯びんぐしの湯2022/11/23 2ヶ月ぶりにびんぐしの湯へ。 びんぐしの湯は上田市と上山田温泉の中間地点にある温泉。10月1日~11月18日まで改修工事をしていたため長い期間来ることができなかった。11月19日にリニューアルオープンするということで楽しみにしていた。 もともと非常に綺麗な施設だったためどこをリニューアルするんだろうと思いながら向かった。 私が気づいた中で大きく変わったと思うところは「サウナ」と「森林浴テラスと展望テラス」。 特にサウナは全面ヒノキで張り替えられていた。新しい木の香りがする非常に綺麗なサウナに入ることができた。 他にもレストラン、大広間に移設したキッズコーナーなどがリニューアルしている。 この機会に是非。2022-11-25
80笠原工業常田館製糸場笠原工業常田館製糸場笠原工業に残る製糸工場の遺産は、「蚕都」とうたわれた上田地域の製糸工場に関連する倉庫群や建造物が、セットとして残っていることにその価値が集約されています。製糸場道構では、この常田館は民営で、イタリー式製糸を行っており、日本の近代製糸業を語り対比する上で欠かすことのできない遺産です。繭倉庫は、南乾燥機が発達した時代の倉庫までの変選が歴然と残り、学術的にも貴重な近代化道産として指定されました。2022-11-25
81養蚕と着物養蚕と着物今や服はユニクロやGUなどでとても安く買うことが出来ます。それこそ1着2.3000円で手に入ります。 一方生糸を使った着物は1着どんなに安くても十数万はします。 何故こんなにも高価なのでしょうか。 私は昨年上田蚕種株式会社様を訪問させて頂きました。その際、蚕の飼育の様子などを拝見しました。実際に見てみたところ、厳しい温度や湿度管理、病気など労力が想像以上にかかることを知りました。もっと安価に手に入れば着物を日常の中で着ることが出来るのではと思った私は問題の多さを目の当たりにしました。2022-11-25
82「カンパアニュ」のパン「カンパアニュ」のパン上田市の「カンパアニュ」というパン屋さんのパン 右からピザパン、チョコパン、りんごシナモン2022-11-24
83上田蚕種株式会社上田蚕種株式会社蚕都上田歴史・文化財マップにて現存している蚕に関わる場所を巡ってみました。 五つ目は、上田蚕種株式会社です。 大正6年に建てられた、蚕都の象徴の一つである、蚕種会社です。2022-11-24
84笠原工業常田館製糸場笠原工業常田館製糸場蚕都上田歴史・文化財マップにて現存している蚕に関わる場所を巡ってみました。 四つ目は笠原工業常田館製糸場です。 明治33年からある、製糸工場です。2022-11-24
85旧上田市立図書館旧上田市立図書館蚕都上田歴史・文化財マップにて現存している蚕に関わる場所を巡ってみました。 三つ目は、現在は石井鶴三美術館の旧上田市立図書館です。 近代の上田市は、蚕都の経済力を背景に、このような学習活動が盛んで、この建物はその気風を象徴する建物だそうです。2022-11-24
86上田倉庫上田倉庫蚕都上田歴史・文化財マップにて現存している蚕に関わる場所を巡ってみました。 二つ目が現在はみすず飴本舗飯島商店になっている場所で、上田倉庫です。 当時は信越線上田への出荷前線基地として活躍したそうです。2022-11-24
87蚕神像蚕神像蚕都上田歴史・文化財マップにて現存している蚕に関わる場所を巡ってみました。 一つ目が上田駅にある蚕神の像です。 中村直人さんから贈られたものだそうです。2022-11-24
88みすゞ飴店舗みすゞ飴店舗土蔵は明治27年に建てられた繭蔵です。上田駅から出荷される蚕の繭を一時的に集積されるために建てられました。当時多くあった繭蔵は、やがて蚕業の衰えと共に壊されてしまいました。蚕都だった当時の上田を伝える貴重な産業遺産として今も大切に保存されています。2022-11-24
89サントミューゼサントミューゼサントミューゼは、上田市立美術館と上田市交流文化芸術センターから構成される複合型文化施設です。 サントミューゼの『サント』は蚕都上田、『ミューゼ』は蚕都の女神という意味があります。また、「ひと」「まち」「文化」の3つの「サン」、そして太陽の「サン」をイメージし、施設を盛り立てる音楽や美術館にも関連しています。このように、上田市の歴史と文化を想起させてくれる由来となっています。2022-11-24
90蚕神の像「繭の女神」蚕神の像「繭の女神」中村直人さんから贈られ、正面の水飲み場の上に飾られたのが、蚕神の像です。蚕都上田の残像によせる上田・小県地方の人々の心を現したのが、手に繭を捧げる、この女神だったのでした。2022-11-24
91常田館製糸場見学2常田館製糸場見学2常田館製糸場の外観です。 製糸場は蚕の繭から生糸を作る工場であり、繭を乾燥させ保管する工程、繭を出庫し、煮て柔らかくする工程、繰糸機械を使って糸とりする工程などが行われているそうです。 4棟残る繭倉庫は、初期の多窓式多層倉庫から繭乾燥機が発達した時代の倉庫までの変遷が歴然と残り、学術的にも貴重な近代文化遺産として指定されています。2022-11-24
92常田館製糸場へ見学常田館製糸場へ見学信州上田学で触れた養蚕の歴史を掘り下げるため、常田館製糸場へ見学へ行きました。 道中、「蚕影町の由来」という看板を見つけ、思わぬところで蚕都の面影を感じることになりました。2022-11-24
93常田館製糸場見学1常田館製糸場見学1蚕都上田について学ぶため、常田館製糸場に見学に行ってきました。 上田駅から常田館製糸場に行くまでの道で「蚕影町の由来」と書かれた看板を見つけました。そこの周辺が一面桑畑であったことや、常田館が建設されて、機械製糸業が主流となり、蚕の道(シルクロード)と呼ばれて蚕都の全盛を迎えたことなどが書かれていました。神社や町の名前に「蚕」という字が入るほど、蚕糸業が当時の生活に大きな影響を与えていたのだと感じました。2022-11-24
94中間まとめ中間まとめ上田に触れて感じたことは二つあった。自分が感じていた以上に「良い街」だったことと直接見てみなければわからないような魅力があったことだ。僕は探検の内容を決める際、パンフレットを参考にルートを決めたのだが正直上田市の魅力に対して、半信半疑なところが大きかった。しかし実際に足を運んでみると、昔ながらの街並みや上田の歴史を感じられる場所が多くあった。特に上田地域の凄みを感じたのは残されている歴史資料の多さだ。僕が住んでいた地域ではここまで多くの資料は存在していなかったと思います。上田市公文書館やマルチメディアセンターなど、資料を補完する施設が多くあり、ほかの地域と比べて歴史的な魅力が特に多いと感じた。具体的には養蚕業や地域に伝わる郷土料理、政治に関する文献などが残っており、特に養蚕2022-11-24
95上田の蚕種業の歴史上田の蚕種業の歴史いつから始まったのか、上田の特徴を踏まえて蚕種業の歴史をとらえていきたいと思います。 江戸時代の末期から昭和にかけて、長野県の経済を支えたのが蚕糸業です。養蚕が盛んだった上田盆地は、千曲川とその支流が作る扇状地や河岸段丘が発達し、桑の栽培適地でした。また、年間降水量が1000㎜未満という気候は蚕の飼育に適しており長野県内でも上田盆地は春蚕の産地でした。また、松本盆地では夏秋蚕を中心として発展してきた地域であり、いつも対比されていました。こうした傾向は養蚕飼育技術が改良される明治末期まで続きました。2022-11-22
96小諸・上塩尻・その他地域における活動中間報告小諸・上塩尻・その他地域における活動中間報告小諸・上塩尻・その他地域における後期の活動について述べています。 具体的な内容としては、小諸では講演会の参加やそのYouTube撮影・投稿を行い、上塩尻では藤本蚕業歴史館資料のデジタル化、その他地域では神川小学校のデジタルマップを利用した学習支援や上田自由大学シンポジウム及びキモノマルシェの参加について書いています。2022-11-21
97高崎駅高崎駅2022/11/04 福岡から来てくれた友達を迎えに高崎駅へ。 本当は上田駅まで来る予定だったのだが、東京駅で迷ったらしく新幹線の終電に乗り遅れたので高崎駅まで行った。 私も友達も糸島市出身で田舎者にとっては東京駅は迷路。2022-11-21
98蓼科高校訪問 2蓼科高校訪問 2二度目となる蓼科高校の訪問を行いました。 今回引率した班では病欠により非常に少人数での行動になりましたが、より積極的な活動への参加が出来たように思いました。 また、権現の湯様にお話を伺い地域の歴史だけでなく、温泉についての基本的な知識から学ぶことが出来ました。 生徒も興味を持って取り組めていたように思いました。2022-11-21
99蓼科高校訪問蓼科高校訪問蓼科高校の教育支援に参加しました。 高校生への学習支援をするのは初めてで緊張しましたが、 自身も楽しみながら参加することが出来ました。 今後のゼミにつなげていこうと思います。2022-11-21
100蓼科高校学習支援中間報告蓼科高校学習支援中間報告これまで蓼科高校で「蓼科学を通して自分の興味関心を外部に発信し、『成功体験』を得る」という目的のもと、全10回、これまで6回の授業を行った。授業内容は以下の通り。 1 9 月 26 日 校内ミニ探検 自分の興味を地域に向ける導入体験 2 10 月 3 日 立科町を探ろう 立科町の情報ゲット 3 10 月 17 日 立科町探検隊 Part1 4 10 月 24 日 立科町探検隊 Part2 5 11 月 7 日 探検を記事にして伝える 1 6 11 月 14 日 立科町探検隊 Part3 7 11 月 28 日 探検を記事にして伝える 2 8 12 月 5 日 クイズ作成 9 12 月 12 日 クイズ大会リハーサル 10 12 月 19 日 立科町クイズ大会(立科小)  全3回フィールドワークで長門牧場・蓼科第二牧場・芦田宿・道の駅・権現の湯に訪問をした。  3回のフィールドワークを通して、生徒の立科町に対する興味の関心は全体的に薄いという2022-11-21
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