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1お菓子の歴史(南蛮菓子時代)お菓子の歴史(南蛮菓子時代)室町時代末期、ポルトガル人やスペイン人によって南蛮菓子が渡来した。南蛮菓子は、カステイラ(カステラ)、ボーロ、パン、金平糖、カルメラ、ビスカウト(ビスケット)などがあり、これらの菓子が後世の菓子に非常に大きい影響を与えています。 南蛮菓子は、砂糖の大量輸入と、砂糖菓子の製法を伝えて、無糖時代と有糖時代の間に明確な一線を引いただろう。 守安正 著『お菓子の歴史』,白水社,1965. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2507981 (参照 2023-01-27)2023-01-27
2はじめにはじめに上田市によると、『平成18年3月6日に、旧上田市、旧丸子町、旧真田町、旧武石村の1市2町1村が合併し、新しい「上田市」が発足しました。』とある。そのため上田の過去の資料を調査するにあたって上の4地域に分割して比較していく。 参考 ”合併(平成18年3月6日)に関すること”,上田市,2019-12-12https://www.city.ueda.nagano.jp/soshiki/gyokan/6028.html(2023年1月27日閲覧)2023-01-27
3持続的な地域活性化~大洗モデル~3 発表(最終)版持続的な地域活性化~大洗モデル~3 発表(最終)版プロジェクト研究の足跡をまとめた発表資料になります。 それぞれの実施内容はこのマイテーマ(プロジェクト研究・卒業研究)をご覧ください。 持続的な地域活性化策~大洗モデル~とは、大洗町において持続的な地域活性化策というテーマを研究する者であり、卒業研究、地域活動という視点から3つの取り組みを行い、そこで得た知見を大洗町にフィードバックするものです。 茨城県大洗町とは茨城県東部に位置する小さな観光都市で、海が観光資源となっています。また、アニメ『ガールズ&パンツァー』を利用したコンテンツツーリズムを10年間推進しています。 その一方で、人口減少、海水浴客の減少、町の活気のなさといった社会課題を抱えています。 そこでまず実施内容1として、「create owarai」に参加しました。この「create owarai2023-01-26
4市街地方面の神社・寺院と真田氏市街地方面の神社・寺院と真田氏上田城周辺には、神社・寺院が多数存在する。しかも、同じような場所に集まっている場合が多い。これは、地域のシンボルである上田城に深く関わってくる。1583(天正11)年、上田城を築城した真田昌幸は、城下町として海野町を作った。これは、先祖の地である海野郷(現在の東御市本海野)より、新たな本拠地近くに住民を移住させたことに由来する。それに伴い、海野郷近辺にあった寺院を城の近くに移した。例えば願行寺や日輪寺といった寺院がこれに該当し、真田氏の先祖である海野氏が開いたとされる場合が多い。特に願行寺は、江戸時代に上田藩の菩提寺になったほど、この地域や人々に深く根付いていたと考えられる。また海野町には、商売繁盛を利益とする高市神社がある。これは昌幸がつくったものだ。 このように、上田城を築城す2023-01-26
5上田のelaboration 上田の「観光産業」を知ってほしい!!上田のelaboration 上田の「観光産業」を知ってほしい!! キュレーションとは、インターネット上の情報を、特定の視点を持って収集、選別、編集することで新しい価値を持たせ、それを共有することを意味する語である。https://www.hrpro.co.jp/glossary_detail.php?id=99より引用 そこから私は上田のキュレーションとは上田の情報を我々の視点から収集、選別、編集することで価値を持たせ、上田の良さの再発見するということだと定義した。 私の上田のキュレーションは上田の「魅力」「良さ」の再発見であり、私は、それは「観光産業」にあると考えた。私が第一に上田で目を付けた観光産業は「十福の湯」だ。上田にお住まいの人ならば知っている人は知っている上田の名温泉だ。この温泉は信州最大級の大露天風呂を有しており、屋外独立の檜サウナもある。さらに自然豊かなため、温泉浴だけではなく、森林浴2023-01-25
6吉田東伍について吉田東伍について越後の農民として生まれた吉田東伍は、郷土の大地こそが日本の風土の一部であり、日本を正しく理解するためには、風土を組み立てている郷土についてしっかり見なければならないと考えていた。13年という長い時間をかけて編纂した、大日本地名辞書は人間の活動地帯である「土地」と刻まれた歴史の語り部としての「地名」を大切にすることを教えた。我が国全土の「郷土の未来」を見据えるための学問であると言える。 彼は教育をほとんど独学で行い、図書館に保管されている書籍や学術論文を主な教材としていた。その知識を活かして小学校教諭になった経歴がある。 彼の地理学の研究から、彼は小さな町の目立たない郷土や風土は決して意味のない産物ではなく、日本という国を作る一つの要素として働きかけているのだと伝えているのだと2023-01-25
7北向観音北向観音『現世利益を願う厄除観音として知られる「北向観音堂」。本堂が北を向いて建てられることはほとんど例がなく、長野市にある未来往生を願う善光寺(南向き)と向き合っていることから「北向」と名付けられて』(別所温泉旅館組合)いる。境内からは、町の景色を見ることができた。また、通りには、お土産屋さんやジェラート屋さんなどがあった。 別所温泉旅館組合「別所温泉のオススメ観光情報[公式]」 https://www.bessho-onsen.com/ (最終閲覧2023/1/26)2023-01-25
8兎束武雄(うづかたけお)兎束武雄(うづかたけお)上田町大手の銀行家兎束鐘一郎の長男として生まれた武雄は、幼い頃から音楽に特別な興味を示す子どもでした。しかし、父親は音楽は男のするものではないと考え、武雄の音楽に対する熱意を快く思っては居ませんでした。母親は、音楽を好み自ら琴を弾いたり、4人の姉妹たちにも琴を習わせていました。  上田中学校(現上田高校)を卒業した武雄が、音楽の道に進みたいと父親に相談しましたが猛反対を受けましたが、母親の協力と武雄の熱意に最後には承諾しました。  武雄は上京し、東洋音楽学校に入り勉強に励みましたが、東洋音楽大学だけの勉強では満足できず、他の大学でも聴講し、作曲やピアノ、チェロなどを勉強しました。大学を卒業した武雄は、高等学校の教師になることを決意して上田に帰ってきました。  上田に戻った武雄2023-01-25
91910年の上田の気候1910年の上田の気候長野地方測候所の記録によると、1910年の上田(小県郡上田町)の最高気温は7月21日の34.7度、最低気温は2月3日のマイナス12.1度だったことが分かる。 2022年の上田市の最高気温は38.8度、最低気温はマイナス10度であり、これは現代の上田市の気候より冬はやや寒く夏はやや暑いくらいである。今と変わらず上田は夏は暑く冬はとても寒い気候であったことが分かった。 また最大積雪量を記録したのは3月23日の一尺一寸(約33センチ)であり、この年は現代の上田市の平均的な積雪量よりかなり多かったことが分かった。2023-01-25
10プロジェクト研究実践報告(修正版):持続的な地域活性化策~大洗モデル~2(ゼミ時発表資料補足)プロジェクト研究実践報告(修正版):持続的な地域活性化策~大洗モデル~2(ゼミ時発表資料補足)プロジェクト研究の実践報告の発表用資料になります。 詳細が知りたい場合は、もう一つの詳細版のスライドや、マイテーマ(卒業研究・プロジェクト研究)をご覧ください。 ゼミ内で行った発表の資料の補足(図式化した部分を多く)したものです。 「私たち(地域住民×よそ者のつながり)が熱意を持つ地域住民とよそ者を結びつける役割を継続的に行っていくことが必要である。」 これが私の行ってきた活動のまとめともいえる部分になります。 この知見を町に活かしていくことが今後の目標です。2023-01-24
11海野町レトロ写真館 活動報告海野町レトロ写真館 活動報告1.研究目的 上田市にある海野町商店街には、人情味溢れる店主が集まり、どちらの店主にお話を伺っても優しい対応である。また、祇園祭や七夕祭りなどのイベントをきっかけに、大勢の人々で賑わっている。しかし、大型店舗の出店増加や急速な高齢化と人口流出による客数の減少などにより、新しい取り組みを行う機会が少なくなり、魅力や集客力が低下しつつある。同じ街でも商店街に住む人とマンションの住人とのコミュニケーションが取れていない現状である。そして、商店街の人々が好きだった界隈の空間を忘れ、変わってしまった街の風景に慣れてしまっている。 そこで、海野町商店街の昔の風景の様子を今の景色と合わせてみることができる思い出の写真を地域に共有することで、人情味溢れる町の個性が表現され、地元の人々が魅力の2023-01-23
12インターネット上での交流が人々をつなげるインターネット上での交流が人々をつなげる大洗町の事例研究を考察したところ、インターネット上での交流が、町とよそ者を結びつける手段として大きな役割を持っていると考察しました。 情報発信を始めとするインターネットを活用した取り組みを行うことで、他の地域に点在する町づくりや大洗町に興味、熱意を持つ人々を結びつけることが出来る。 そして同じ志を持つ者同士が繋がりを得ることで、自覚的な活動が促進される。 このように、DX化の進む現代におけるインターネット上での交流の必要性は非常に大きいと言える。2023-01-22
13農業放棄地を減らしていくためには農業放棄地を減らしていくためには上田市には農地が沢山あるのになぜ農業が盛んではないのだろうか。 我が家にも農地があるが現在農業をしているのは所有する農地の半分にも見たいない程度である。このような農業放棄地が発生してしまっていることが農業が盛んになっていくうえで邪魔になっているのではないだろうか。 農業放棄地が増えていく原因の一つに農地に関する法律があると考えた。そこで農地法を調べたところいくつかの問題点が見つかった。 ・農地の売買や貸借に農地の所在する市町村の農業委員会の許可が必要な点。 ・農地売買の許可を得るのに農地の権利取得後の経営面積に原則として都府県50a北海道は2ha以上になること(例外あり) ・農地を取得する個人またはその家族等が取得後に行う農業事業に必要な農作業に常時従事しないと農地を買えないこ2023-01-19
14前川ゼミ最終まとめ 上田の課題解決と魅力発信前川ゼミ最終まとめ 上田の課題解決と魅力発信前半のゼミ活動で行った町歩きを通して上田市について魅力と課題の両方を感じることができた。 まず私がゼミ活動やこれまでの日々で感じた上田市の魅力は以下のものがある。 ①分野別で名所が多い 例旅行→別所温泉  歴史→上田城  ウィンタースポーツ→菅平 ②美味しい食 ③学生へのサポートが手厚い  例町キャン ④自然が豊か 一方で感じた課題は以下の通りだ ①別所線の利用者の少なさ  原因→本数少ない、運賃高い  私も悪天候、帰省時以外めったに使わない ②情報が伝わりにくい  店側、イベント主催側からの発信が少ない ③商店街の元気が無い  例海野町商店街で若者を見ることが少ない ここで考えた課題の解決策がイベントの活性化である 例えば別所線をつかってスタンプラリーなどのイベントを行うことで利2023-01-19
15交通機関を使って上田観光を!交通機関を使って上田観光を!上田市での交通手段は主に車、電車やバスなどの交通機関、タクシーなどがあります。その中でも特に、電車やバスといった交通機関は、たくさんの人々が利用し、日常生活に必要不可欠となっています。 上田市の主な電車には、しなの鉄道と上田電鉄別所線があり、上田電鉄別所線は大学前にも通っているため、長野大学の皆さんも普段から利用しているのではないかと思います。上田電鉄別所線は上田駅から別所温泉駅まで続いており、上田市屈指の観光地である別所温泉に気軽に行くことができます。上田電鉄別所線の車両には、1月1日~30日限定の車両「謹賀新年 HM」、「れいんどりーむ号 HM」、「真田傍陽線開業95周年 HM」「真田傍陽線廃止50周年 HM」、「さなだどりーむ号 HM」などのラッピングが施された特殊車両があり、外見でも楽しむ2023-01-19
16前川ゼミ活動考察前川ゼミ活動考察 今まで上田市の外で生活をしたことがないので、客観的な視点ではないかもしれないが、自分なりに上田市について感じたこと、考えたことをまとめる。上田市というのは上田城の城下町であったり、北国街道が通っていたこともあり、歴史がある町である。気候も安定していて、自然も多い。スキー場やキャンプ場、温泉も多く、車があれば日帰りでスキーや温泉を楽しむことができる。新幹線も通っており、東京など首都圏へのアクセスも良い。そのせいか、近頃では海野町商店街などに若者向けのバーや、都会志向の洒落た店が増えてきた印象がある。加えて県外からの移住者向けかと思われる高級マンションも増えてきた。一時的ではあるが真田氏の本拠地が上田城ということもあり、NHK大河ドラマ「真田丸」の人気によって上田が賑わっていたこ2023-01-19
17御柱祭御柱祭長野県諏訪地方で七年に一度開催される御柱祭は正式名称を「式年造営御柱大祭」と言います。 平安初期から行われているとされる御柱祭。室町時代の『諏訪大明神画詞』という文献に、最初の記録が残されていますが、起源や由緒は明らかではありません。 https://www.ro-da.jp/shinshu-dcommons/museum_history/03OD02M16060002023-01-19
18前川ゼミ まとめ前川ゼミ まとめ課題の提起 大学に進学するにあたり塩田平のアパートを借りた。半年ほど生活してみて上田市の中心地や海野町商店街と比べてあまり生活しやすいとは言えなかったため。 なぜそうなのか 田んぼやため池が多いため土地が確保できないので生活に必要な施設などの距離が遠い。 探求の目標 どのようにすればもっと住みやすい街にできるのかを見つける 「塩田平を住みやすい街に」 塩田平は上田駅周辺と比べて非常に住みにくく感じた。スーパーなども遠く24時間営業ではないし、スポーツ用品店などもアリオまだ行かないとない。それなのに電車の本数も少なくバスもないためどこに行くにしても車が必要となってくる。そのためまだ免許や車を持っていない人や免許を返納したお年寄りなどにとっては非常に生活しずらくなっていると思2023-01-19
19洪水の記録洪水の記録災害といえば、洪水も置いておけないものである。洪水は、地震の土砂崩れの影響でも起きるが、本来台風や大雨など比較的起こりやすい自然状況で発生するので災害頻度的にはかなり危険な部類の災害となる。写真の歴史書ではその被害についての苦しさについて書かれている。 松代町地誌略(信州デジタルコモンズ) https://www.ro-da.jp/shinshu-dcommons/library/02BK01041319332023-01-18
20プロジェクト研究の足跡プロジェクト研究の足跡プロジェクト研究の足跡を綴ってきたものをまとめました。 4月25日 前半はグループメンバーの共通項として、研究への取り組み方や考え方を共有しました。後半は、各自のプロジェクトの説明とそれに対する質問や問題意識の共有を行いました。ゼミ内で横のつながりが出来ることで、各自の持つ問題意識への様々な考え方が示され、非常に有意義なものとなったと感じました。今後は、自身のプロジェクトを進める中で頻繁に意見交換をすることで、より多角的な視点から研究していこうと考えています。 5月11日 大洗町における地域学習に関する記事の閲覧及び調査を行いました。また、大洗にフィールドワークに赴く際の調査事項などをまとめました。今後も活動を報告し合う事で様々な視点から調査を行っていきたいと考えています。 5月17日2023-01-16
21大洗町のキャラクターパネル大洗町のキャラクターパネル大洗町の商店街にはガルパンキャラクターの等身大パネルが店舗ごとに設置されています。 このパネルは2013年3月の海楽フェスタの際に行われた取り組みです。 この前年の11月に行われたあんこう祭りで多くガルパンファンが大洗町に訪れたことに引き続き、この取り組みはガルパンファンを商店街に呼び込む原動力となりました。 その結果が10年間ものコンテンツツーリズムに行き着いたと考えると、きっかけとなったこのキャラクターパネルが商店街とガルパンファンを結びつけたといえるのではないかと考えました。2023-01-16
22Beach culture brewing(大洗のクラフトビール醸造所)の取り組みについてBeach culture brewing(大洗のクラフトビール醸造所)の取り組みについて大洗町のクラフトビール醸造所「Beach culture brewing」さんの取り組みについて紹介する。 Beach culture brewingさんは大洗町のシーサイドステーションという施設内で営業を行っているクラフトビール醸造所なのですが、とても面白い取り組みをしていることがわかりました。 それは、おつまみ持ち込みokということです。 実は、シーサイドステーションの中には大洗まいわい市場という店舗があり、ここでは大洗町で作られた野菜や水産加工品が幅広く売られています。 つまり、Beach culture brewingさんでは、大洗の地元産品をおつまみとして、大洗のクラフトビールを楽しむことが出来ます。 店内もおしゃれな雰囲気なのでぜひ大洗尽くしの飲みを体験してみてください。2023-01-16
23交流ノート設置の経緯交流ノート設置の経緯茨城県大洗町において交流ノートの設置の経緯について聞き込み調査を行った際の記録を残す。 交流ノートの設置の経緯について聞き込みを行ったところ、ある水産店が設置したことに辿り着きました。 経緯としては、ガルパン効果で多くの人々がお店に来店してくれるようになるにつれ、全国各地から人々が訪れることに驚いたそうです。 そこで多くのお客さんに出身地を訪ねる中で、ノートを置いてそこに書いてもらおうと考えたのが最初であるとお話しして頂きました。 また、その他の店舗にもお聞きしたところ、ガルパンファンが是非おいてほしいということで持参したケースや、他の店舗が置いているから起き始めたといったケースがみられました。 ファンが自らノートを置いていくというという広がり方をしているというところに2023-01-16
24第二回create owaraiの開催にあたり第二回create owaraiの開催にあたり2023年1月15日に、去年に引き続き二度目の開催となる、茨城県外から参加者を募り、大洗町の事業者様の抱える課題を解決に導く地方創生プログラム「create owarai」のDay1が行われました。 私は今回事務局として、このプログラムの運営と、プログラム風景の発信、そしてこのプログラムを通しての意義、効果の考察を主な役割として参加しています。 Day1では各参加者やチームの参加風景を撮影すると共に、雨天ということもあり、一つのチームの町巡りを運転兼説明役としてサポートしました。 参加者の皆様は既に多くの活動に参加経験のあるスキルフルな方々が多く、初日から地元の課題解決に向け多くの議論が飛び交っていました。 今後も三か月間、このプログラムを少しでも意義あるものにしていけるよう取り組んでいこうと思います。 ま2023-01-16
25江戸火消の力文字江戸火消の力文字火消とは江戸時代の消防組織。 町火消しが、組の印として定着させた書体を力文字、伊達文字、撥鬢(ばちびん)文字、纏(まとい)文字などと呼んでいる。火消し着用の革羽織、印半纏(しるしばんてん)、刺子(さしこ)の長半纏(ながはんてん)など、背の代紋や襟に染め付けた文字は、起筆、終筆とも力を入れて極端に肉太とした書体で、いかにも力文字と呼ぶのに相応しく江戸町火消の心意気と威勢と誇りを示した。 『〔江戸町内火消之組印〕』(東京都立中央図書館 所蔵) 「東京都立図書館デジタルアーカイブ(TOKYOアーカイブ) 収録」 (https://cultural.jp/item/tokyo-R100000086_I000041580_00)2023-01-09
26上田を知ってもらうには上田を知ってもらうには前回上田の「魅力」を伝えたいという言葉では魅力という単語が漠然と過ぎていて、別の単語を選ぶことにした。 今回のゼミでは私自身が上田について知ってほしいものが上田の「観光産業」についてのものが多かったため、上田の「魅力」を伝えたいという趣旨から、上田の「観光産業」について知ってほしいという趣旨へと変えた。根っこの考え方である上田の魅力を伝えたいという考え方自体は変わらないが、魅力の内容をとり具体的にした。 それに加え、上田のPRにはなにかインパクトのある単語で上田を紹介すると良いとのことで、○○な町上田、と言えるなにかを現在探し中。2022-12-25
2712月22日分 調査まとめ12月22日分 調査まとめ上田城の築城・歴史 「日本一の兵」真田幸村を輩出した真田氏は、現在の上田市真田町の周辺を拠点として活動していた。上田城の築城が開始されたのは1583年のことで、真田幸村の父である真田昌幸によって築城が開始された。当時徳川家康に仕えていた昌幸は、その援助を受けながら築城をしていた。しかし、北条と手を組もうとする徳川から土地の受領を要請された際にこれを拒否。徳川と断絶した昌幸は、上杉家に助力を求め次男の幸村を人質に差し出す。これにより、上杉方から戦力と築城の支援を受けた。上田城が一旦の完成を迎えた1585年、家康は鳥居元忠らを真田領に進軍させ「第一次上田合戦」が始まった。およそ1万の軍勢で進軍してきた徳川軍を昌幸は謀略を用いて少数の軍勢で撃退した。時は流れて関ヶ原の戦い最中の1600年、家康の息2022-12-22
28上田elaboration上田elaboration探求テーマ「上田のシンボルの普及+若年層に対するアプローチ」 私が上田探検隊や自らの目で見てきた上田の魅力は、歴史的な建造物に身近に触れられるという点である。しかしながら、それに気づいている人は限りなく少なく思える。そんな上田市と地元の松本市を比較した時に、松本も上田と似た魅力を持ち合わせている。だが、松本に住んでいると頻繁に歴史に触れたくなる。それはなぜなのか考えた時に、松本城という圧倒的なシンボルの魅力に隠されていると考えた。もちろん天守閣があり、存在感が凄まじいことは大前提として、それだけで、地元の人々が訪れているとは思えない。では、観光客だけでなく地元市民も頻繁に訪れる理由は何か。調べれば一瞬で訳が分かった。それは、多種多様な四季折々のイベントである。春は夜桜会、光2022-12-21
29探求テーマ探求テーマ探求テーマ 上田にしかない魅力をアピールしていくにはどうすればよいか elaboration課題の提起 上田には、上田城をはじめとする様々な歴史的建造物があるが、城だけならば松本城のほうが見ごたえがある。そういった他と比べて優劣がつけられてしまうものではなく、上田にしかないものを発信していく必要があると思う なぜそうなのか SNSの活用不足 何を探求するのか よりよいアピールの方法、上田にしかないもの 探求の目標 上田の魅力を発見し、それを他の人に発信できるようにする どのように探究するか 実際に町を歩く。デジタルマップなどを活用する2022-12-15
30後期 前川課題発見ゼミ後期 前川課題発見ゼミ1年後期 前川課題発見ゼミ 地域の特色・歴史を広めるために J22103 渡辺己太朗 elaboration課題の提起 上田地域探検や、長野大学での講義を通していく中で、自分が今まで知っていた「真田」についてはもちろん、上田自由大学や蚕種業など、興味を引き立てられる歴史・特色が多いことを知った。これらについて自分の中で更に知識を深めたり、広めたいと思い今回の課題発見テーマとした。 なぜそうなのか? 上田は歴史ある町であり、多くの歴史的な場所や伝統的な文化が残っている。しかし、「真田氏」の話題性が高いことや上田市がそれをシンボルのように扱っていることや、単純に認知度が不足していることでその他の場所や物について視点が向きにくいということが原因だと思った。 何を探求するのか ・上田の魅力を伝えていく方法 ・地元2022-12-15
31上田の魅力・特徴を幅広い世代に知ってもらう上田の魅力・特徴を幅広い世代に知ってもらう課題の提起 他県の人や地元の人でも知らない歴史的景観やスポット、街並みなどがありその魅力や特徴を発信できていない なぜそうなのか 自分も含め地元の人でも知らないところが多いので、他県の人はより上田に ついては知らないというのが現状である 何を探求するか 上田市の魅力特徴を見つけたうえでその情報の発信方法 探求の目標 効率よく多くの人に上田の魅力・特徴を知ってもらう方法 どのように探究するか 現状ではどのようにして上田の魅力・特徴を発信しているのかを調べ る 週間計画 ネットで調べる 商業の活性化 中心商店街ではカフェやタピオカなどが出店したこと、ワインフェスタ、フードサミットなど飲食のイベントや七夕、年末セールなどの季節限定のイベントにより商店街に賑やかさがでた。真田丸で一時期2022-12-15
32千ヶ瀧用水改修記念碑千ヶ瀧用水改修記念碑千ヶ瀧用水改修記念碑 について知っていることをぜひ教えてください 佐久市岩村田にあるため池「仙禄湖」畔に建つ記念碑。 1972(昭和47)年4月建立。 碑文 千ヶ瀧用水改修記念碑 北に浅間の活火山南に蓼科八ヶ岳連峯 を望む佐久平の中央に位置する岩村田 町は往古より水利に恵まれす灌漑水に 難渋し近代に至っては上水道水源の確 保に悩みこれが根本的解決は町民長年 の願望であった 昭和二十六年町理事者町議会議員は町 民の要望にこたえ岩村田町の事業とし て土地改良法による千ヶ滝用水の改修 を目的として土地改良区の設立を計画 し関係の南大井村御代田村小沼村中佐 都村に協賛を求めたしかしこの用水に 特権をもつと信ずる人人によってその 設立が遅延し遂には変則なる土地改良 区の設立の止むなきに至ったが用水改 2022-12-09
33柳町柳町北国街道上田宿柳町。石畳と現代にはないような建物とが相まって美しい古き街並みを作りだしている。通りのお店はスイーツを売っているお店や、お酒を売っているお店などがあり、幅広い年齢層が楽しめる場所だ。2022-12-08
34インドカレーインドカレー2022/12/05 この日の夕食はインドカレーを食べた。 数ヶ月に一回インドカレーを食べたくなる。 というのも、 私は中学2年生の時インドにホームステイしたことがある。インドのカレーは甘さを選ぶことができず非常に困った。(私は辛いものを食べることができない) 当時、インドという国に衝撃を受けた。 町の人々・文化・風習・活気。どれをとっても日本といい意味でも悪い意味でも異なっていた。 インドの投稿はいつかまた。2022-12-07
35上田大神宮上田大神宮柳町を抜けた先にある神社。赤い屋根が目印です。2022-12-05
36山家神社山家神社上田市真田町長にある山家神社です。「白山大権現(はくさんだいごんげん)」と称えられ、ご利益としては上田城鬼門除けの神として広く信仰されています。2022-12-05
37柳町柳町歴史ある街並みが続いており、建物一つ一つに風情を感じられます。かつては参勤交代や、佐渡金山の金の通路としてにぎわいました。現在はこの古き良き町並みを保存する取り組みも行われていて、上田の歴史が残された観光名所にもなっています。柳町は町全体が白壁の建物が多く、また家々の屋根や軒の高低差が少なく、高さがそろった整然とした町並みも見所です。2022-12-05
38養蚕業が作った大屋駅養蚕業が作った大屋駅今は街の中心となっている大屋駅ですが、その開業には養蚕がかかわっていました。 当時養蚕が盛んだった諏訪地域から東京へ生糸・蚕種を運ぶ際、元来は田中駅を利用していました。しかし、諏訪から田中に向かう道は険しく、長和町というところから峠道がありました。ここで、長和から丸子に向かい、大屋で列車に乗せるルートが考案され、大屋駅ができたのです。 その後大屋駅周辺は栄え、特急列車も止まるようになりました。2022-12-05
39市街地方面の寺院、神社市街地方面の寺院、神社やはり城下町らしく、この地を治めた真田氏に縁あるものが多い。欧州ではキリスト教、東洋で仏教、そして日本の神道。古来より信仰というものは人々の生活の隣にあるものだった。信仰のあり方はその地域の生活のあり方ともいえる。歴史を紐解くうえで貴重な材料となり得るものである。(今回キリスト教を取り上げなかったのは、ここいら一帯はキリシタンが現れた時期が遅かったと考えられるためである。)2022-12-04
40願行寺願行寺浄土宗の寺院、願行寺。設立には海野小太郎が関わっており、入り口の四脚門は市の指定文化財に登録されている。 古くは真田昌幸が上田城下町を作る際に海野郷から城に近い厩裏町に移され、その後息子の真田信之によって現在地に移された。 それにしても、「願い行く寺」ってなんかいいですよね。2022-12-04
41高市神社高市神社海野町の通りにある神社。祭神は「大国主(オオクニヌシ)神」、「事代主(コトシロヌシ)神」。大国主神は大黒天、事代主神は恵比寿神として七福神にも数えられる。 この神社は海野町の商いの神様である。 境内には「運の石」という石があり、開運と悪運除けがご利益。真田昌幸が上田城築城の折に白鳥神社から霊力宿る石を授かった。それがこの神社のご神体。そして、その石に縁ある石を高野山から持ってきて運の石とした。2022-12-04
42坂城町坂城町最近、坂城町に温泉に行くことが多い。 その理由はマイサイトでも投稿している通り「びんぐし湯さん館」に行っているから。 上田市の隣にある坂城町は何もないイメージがあった。 しかし、湯さん館がありバラも有名。調べてみるとバスケットコートもある。実は子育てしやすいのかもしれない。 何もなさそうな街でも以外といろんなものがあるなと思った。2022-12-01
43上田市と大正ロマン上田市と大正ロマン上田市には柳町以外にも旧常田館製糸場、上田蚕種会館、信州大学繊維学部講堂など蚕都を感じさせる建築物が多く残っている。また、市には、このような建物以外にも別所温泉周辺の旅館や施設、またみすずあめの飯島商店、上塩尻など「大正ロマン」あふれる街並みが多く顕在しており、最近では上田を紹介する際にも「大正ロマン」というワードが使われているように感じる。これを活かし、町のデザインや都市開発につながってほしいと考える。2022-11-30
44柳町柳町この街道は「上田市における蚕を活かした都市開発」で述べた歴史的建築物の転換がほかの街道よりも顕著に表れている場所である。その背景として柳町にはかつて栄えていた小宮山製糸があったことが考えられる。町のパン屋さんをはじめとした、歴史的な家屋を改装した店舗が多く風情を残した景色は、歴史を感じることができる上田ならではの発展、街づくりにつながっていくのではないかと考える。2022-11-30
45上田市における蚕を活かした都市開発上田市における蚕を活かした都市開発上田市の景観形成における蚕の役割として、蚕都としての歴史性を重視するというものがある。上田市の景観計画の一部として、かつて栄えていた城下町や養蚕が盛んであった地域周辺の家屋、並びに歴史的資産や街並みの保全をしながら活用することを都市計画の一部に組み込んでいる。特に、建築物や工作物においては蚕室造りといった伝統的な様式の建築物を継承または意匠することを景観における基準としている。また、色彩においても蚕都としての風情を感じることができる落ち着いた色調を求めている。2022-11-30
46蚕影社蚕影社上田の最初の町の成型として考えられるのが蚕影社であり、神畑にあるこの社は28か所あるとされている神社の一つである。この神社群は養蚕の神を奉り、蚕の安定を図るために作られた。そのような経過を経て、上田地方では養蚕の拡大に伴い各地で養蚕振興が盛んになったことがうかがえる。また、神社は古代における村や集落の中心であったため、昔から現在にかけてまで、蚕は街づくりの基盤となっていたと考えることができる。2022-11-30
47振り返って振り返ってこれまで上塩尻と桑折町における養蚕業について説明してきました。上塩尻では養蚕に関する情報がいくつも残されていましたが、桑折町には残されている遺産はほとんどなく、情報や文献が少ないように感じました。現地に赴くことでしか分からないこともあるので、帰省した際にはじっくり散策を行い、再確認したいと思います。 小学校中学年の頃に理科の授業の一環として蚕を飼育していたことや祖父母の家でも養蚕が営まれていたという話から「養蚕」というテーマには馴染みがありました。しかし、私自身地元のことであるのにも関わらず新たな発見がたくさんあり、視野を広げて興味を持ってみることの重要性を実感しました。地域産業の誇りとなった養蚕業の歴史を上塩尻での取り組みのように何らかの形で未来に繋いでいけるのが理想の形2022-11-30
48桑折における養蚕業②桑折における養蚕業②現在桑折町では製糸業は営まれていません。しかし、いくつか名残りのある場所を発見したのでそれについて述べていきます。 まず、桑折町における養蚕業①で触れた郡是製糸工場ですが平成15年に建物が解体された後、東日本大震災の災害公営住宅が建てられています。郡是製糸工場時代の面影は庭園の一角にある「多行松」のみになってしまいましたが、「桑折町蚕糸記念公園」と名を付け、養蚕業によって繫栄した歴史を伝え、町民や来訪者の交流の場になることを願って新たに公園として再生されました。また、桑折町の伊達崎と呼ばれる地区にはかつて養蚕家だった大きな家が見られる他、桑折町の本町通りにある商店街には繭を取り扱う問屋である蚕問屋が今でも残されています。そして、実際に私が通っていた醸芳中学校では校章に桑の葉が2022-11-30
49桑折における養蚕業①桑折における養蚕業①福島県の北側に位置する桑折町は現在毎年皇室に桃を献上することから献上桃の郷として知られていますが、実は古くから養蚕との関係が深い地域とされています。 養蚕には、蚕を育てて繭を出荷する養蚕業と蚕種の売買の二つがありますが、桑折町では江戸時代からそのどちらの生産も盛んでした。そのため、桑折町を含む伊達地方の蚕種(蚕の卵)は「奥州本場蚕種」として全国に販売され、輸出もされていました。その後、明治からの昭和初期にかけては製糸業が発展しました。昭和8年には郡是製糸工場が桑折町に建てられ、約500人の女性従業員を雇用すると共に工場内に「家政女学院」が設立されたことにより、女性に教育と労働の機会が与えられたといいます。昭和22年には昭和天皇も視察として訪れ、記念として「蚕祖神」の記念碑の建設2022-11-30
50アリオ神社アリオ神社 2021年12月28日にアリオ上田に設置された通称アリオ神社。本当の名前は「四阿流尾神社(あずまやりゅうおじんじゃ)」といい、上田市真田町長にある「山家神社」の分祀だそうだ。  社の大きさは横68㎝、奥行き88㎝、高さ約100㎝で総ヒバ造り。真田町の建築業者が設計し、武石村の大工が建築した。  山家神社の始まりは、食物の実り、郷の安寧、人々の無事を大きなしぜんのなかの一部として生かされていることに感謝し、祈りを捧げ掌を合わせたことである。  主祭神は国造り、国護り神話の中心的な神である大国主神、対偶神の伊邪那伎神との国生み、神生みの伊邪那美神、伊邪那伎神が伊邪那美神を追って黄泉国に到り、そこから逃げ帰ろうとして、黄泉平坂で争った際、間に立って二神の調停をした菊理媛神である。  神社の隣には2022-11-30
51旧小県蚕業学校(現上田東高校)旧小県蚕業学校(現上田東高校)明治25年1892年に小県蚕業学校が蚕業学校として全国に先駆けて設立された。当時は上田町の丸堀の民家を校舎にして開校した。大正8年には皇太子様が来校されていることから当時でも注目されていた学校なのだと考えた。昭和19年12月9日に戦災によって本館の建物外10棟、1093坪を焼失してしまった。その後昭和21年以降、林業科、農業科、蚕業科を置いた上田農業学校となった。昭和35年には2度目の火災にあい、建物は全半焼、1237坪を焼失した。昭和37年には現在の名である長野県上田東高等学校となる。翌年昭和38年には蚕業科の生徒募集停止され、その後続々と農業科、林業科、家政科が廃止され、普通科のみの学校となった。2022-11-29
52上塩尻まちあるき:北国街道上塩尻まちあるき:北国街道上塩尻の中心部である大村は北国改造に沿って集落が展開しています。上塩尻は千曲川に面し、洪水の常襲地でもありました。洪水に見舞われた集落が太郎山系の裾野に移ったとも伝えられています。城下町、宿場町、商業の町は全国の街道筋にはどこにでも見られますが、上塩尻の蚕種製造民家で構成される集落は極めてめずらしい。おそらく全国でここだけではないでしょうか。歴史的景観を備えた美しい町並みにも感心します。2022-11-29
53上田の蚕業について④上田の蚕業について④蚕業を行っていた頃の農家の主婦についても現在の社会の状況と重なる部分が多々あります。 女性の労働について記録された書籍(「人権の確立と女性のあゆみ」 (平成14年)編集者 上田市誌編さん委員会 発行者 上田市・上田市誌刊行会より)に載っている写真を見ると、家の一角のような場所で女性や子どもが写っていたり、女性が男性に交じって働く写真があったり、特定の性別や年齢で限らず、人々の生活に蚕業が根付いていたように思われます。特に女性の仕事は家事育児、給桑作業や農作業など多岐にわたるように見受けられました。 同誌によると、 「明治から大正期に蚕糸業が全盛であった上田地域では、多くの農家の主婦が蚕の世話に始まる農作業や家事に追われ、目の回る忙しさでした。乳幼児をかかえた母親たちも例外ではなく、重2022-11-28
54上田の蚕業について①上田の蚕業について①上田の蚕業の発展について記された書籍では、「町村誌をみると、『男、農桑を業とす、農隙養蚕、山稼をなす、。女、養蚕をなす。余間生糸及び縫織をなす。』とあるように、上田地方では桑が稲作に次ぐ重要な作物であり、男女とも養蚕を手掛け、」(「上田市誌 近現代編(2) 蚕都上田の栄光」37ページ上田市誌編さん委員会 平成15年3月1日信毎書籍印刷株式会社より抜粋)と述べられています。そのことから、男女が同じ事柄について役割分担を行い、分業して働いていたことがうかがえます。また、上田の女性の人権の確立について記録された書籍によると、江戸時代は仕事の線引きはあまりなく、必要とあれば一家が協力して家を回すという文化だったとのことです(「人権の確立と女性のあゆみ」134ページ(平成14年)編集者 上田市誌編さん委員会2022-11-28
55高市神社高市神社海野町商店街にある神社です。受験前にここに立ち寄り、運の石を触って験担ぎしてから受験しました笑笑。2022-11-27
56常田館製糸場へ見学常田館製糸場へ見学信州上田学で触れた養蚕の歴史を掘り下げるため、常田館製糸場へ見学へ行きました。 道中、「蚕影町の由来」という看板を見つけ、思わぬところで蚕都の面影を感じることになりました。2022-11-24
57常田館製糸場見学1常田館製糸場見学1蚕都上田について学ぶため、常田館製糸場に見学に行ってきました。 上田駅から常田館製糸場に行くまでの道で「蚕影町の由来」と書かれた看板を見つけました。そこの周辺が一面桑畑であったことや、常田館が建設されて、機械製糸業が主流となり、蚕の道(シルクロード)と呼ばれて蚕都の全盛を迎えたことなどが書かれていました。神社や町の名前に「蚕」という字が入るほど、蚕糸業が当時の生活に大きな影響を与えていたのだと感じました。2022-11-24
58卒業研究 概要卒業研究 概要卒業論文の概要の草案です。 <概要> これまで地域活性化策として、地域外から大企業や工業を誘致することで地域の発展を図る「外来型開発」が行われてきたが、誘致企業の本社が地域外にあることによる経済効果の低さや雇用が創出できないなどの問題点からその有用性は疑問視された。 その結果、「外来型開発」の代わりとして、地域の連携や固有性を重視し、企業や自治体、住民が主体となりその地域の文化や自然を守りながら行う「内発的開発」が取り組まれ始めた。 実際先行研究として、この「内発的開発」は地域の雇用創出や経済効果といった面において有用であり、その効果の持続性も高いとされている。また先行研究ではさらに、持続的な地域活性化に必要なものは「人づくり」であると結論付けられており、地域活動を行う主2022-11-22
59卒業研究 仮説の検証 イベント企画卒業研究 仮説の検証 イベント企画現在私は卒業研究において自身の仮説を検証する手段の一つとしてイベントを企画しようとしています。 現在考えているイベントは、大洗町が来訪者のリピート率が高い地域であり、ガルパン放送から10周年という区切りであることから、「あなたが今まで大洗に通ってきた中での研究成果と題して、自分の一押しスポットを対外的に紹介して頂く」というイベントです。 これは、大洗町にリピーターとして訪れる方や、大洗町に関わりたいと感じている人々が多いにもかかわらず、大洗町の中で、部外者が積極的にかかわることの出来る横のつながりが少ないことを問題提起しました。 私は人づくりの中でも、外部の人間が町に受け入れられる横のつながりの必要性を感じています。そのため、私が参加したcreate大洗と共に、このイベントを仮説の2022-11-21
60卒業研究の骨組み卒業研究の骨組み卒業論文を書くにあたり、論文の骨組みを書きだしました。 その結果、研究の背景、意義、対象地域の選定理由、先行研究、本論、考察、評価という構成になりました。 こちらの画像は、その構成内容を書きだしたものです。 私の研究の目的は持続的な地域活性化策のモデル化であり、その手段として情報発信という観点から現代における人づくりを定義していきます。 今後は。私がcreate大洗に参加した経験や大洗町でのフィールドワークを通して収集したデータを元に、仮説の検証と卒業研究の更なる改善をしていこうと考えています。2022-11-21
61蓼科高校学習支援中間報告蓼科高校学習支援中間報告これまで蓼科高校で「蓼科学を通して自分の興味関心を外部に発信し、『成功体験』を得る」という目的のもと、全10回、これまで6回の授業を行った。授業内容は以下の通り。 1 9 月 26 日 校内ミニ探検 自分の興味を地域に向ける導入体験 2 10 月 3 日 立科町を探ろう 立科町の情報ゲット 3 10 月 17 日 立科町探検隊 Part1 4 10 月 24 日 立科町探検隊 Part2 5 11 月 7 日 探検を記事にして伝える 1 6 11 月 14 日 立科町探検隊 Part3 7 11 月 28 日 探検を記事にして伝える 2 8 12 月 5 日 クイズ作成 9 12 月 12 日 クイズ大会リハーサル 10 12 月 19 日 立科町クイズ大会(立科小)  全3回フィールドワークで長門牧場・蓼科第二牧場・芦田宿・道の駅・権現の湯に訪問をした。  3回のフィールドワークを通して、生徒の立科町に対する興味の関心は全体的に薄いという2022-11-21
62道の駅 女神の里 たてしな道の駅 女神の里 たてしな蓼科学で通る道の確認へ行った際、時間が余ったので道の駅たてしなへお邪魔しました。地域の方が作られたお野菜がたくさん並んでいました。 その中でも、作業用の箱に入って袋売りされていたリンゴたちがありました。リンゴは11月頃ーちょうど旬になります。 形が不ぞろいであっても味は変わりません。生産者が箱詰めしたりするコストを減らし且つ食品廃棄物を減らす良い取り組みだと感じました。 そんな農家さんたちが多くいる「立科町」をどうやって「蓼科学」に入れて伝えていくか。そんなことを考えながらルート確認をしていました。2022-11-21
63上田探索 中間まとめ上田探索 中間まとめ今回2日間のまちなかと西部地域探索を通して。まず、まちなかには地元に愛されているお店や観光客が訪れるスポットがあった。このようなお店が町おこしになり地域を盛り上げるきっかけになっていることがわかった。次に西部地域では、昔からの歴史的なものがたくさん残っていた。町や道を守るためのお守り的存在だったため今も大事に残されていることがわかった。 上田市は長野市や松本市と違って魅力に欠ける市なのでここでしかできないこと(体験、イベント、地域の特性を活かした施設)を行っていくべきだと考えた。2022-11-17
64高台からの眺め高台からの眺め別所温泉の高台からの写真です! こんなに上田を見晴らせる場所があるなんて知りませんでした。もう少し天気がいい時だともっときれいに上田の町が見渡せるかなと思いました。2022-11-14
65モアイ像モアイ像なぜか上田にはモアイ像がいっぱいいる気が。 町中の居酒屋さん?の前でモアイを発見。 上田東高校前のファミマにもモアイが! 調べてみたら上田だけじゃなくて長野県的にたくさんいるみたいでした。 なぜなのかを調べたかったのですが理由については不明です。世界遺産になっているイースター島のモアイ像の設立理由も謎のままのようなのでちょっと似ているなと思いました。2022-11-13
66キモノマルシェ -当日の様子-キモノマルシェ -当日の様子- こちらの写真は、海野町商店街のまちなかキャンパスで行われた「キモノマルシェ」の様子です。  写真から分かる通り、多くの方々に来場して頂きました。小諸や上田の藤本蚕業、海野町商店街の今昔に関わる展示を見て、感動してくださる方や、この写真は一体何なのか不思議そうに見ている方がいらっしゃいました。  実際に着物を着て、来場してくださった方々と着物について語り合うことがとても楽しく感じ、あっという間の一日でした。  2022-11-08
67キモノマルシェ -まちなかキャンパス展示様子-キモノマルシェ -まちなかキャンパス展示様子- こちらの写真は、海野町商店街で行われた「キモノマルシェ」の展示の様子です。  日時:10月23日(日)10:00~16:00  場所:まちなかキャンパス  内容:1.和裁講座 ちくちく半衿付け     講師 きものニスト工房 清水寛美さん     2.信州の蚕都     企画展示 上田と小諸をピックアップ     3.海野町商店街今昔展示     4.ミニレクチャー      ・海野町商店街今昔 長野大学企業情報学部学生      ・上田(藤本蚕業) 長野大学 前川教授      ・小諸 きものニスト工房 清水寛美さん 多くの方に来場して頂きました。 ありがとうございました。    2022-11-08
68上田探検隊・中間まとめ上田探検隊・中間まとめ真田ゆかりの地であることは知っていたが、少し堅苦しいと感じていた。しかし実際上田を探検してみて、歴史的な町並みは残しつつも観光客を呼び込むためのまちづくりがなされていると感じた。特に海野町商店街は、商店街と聞くと古めかしい印象があったが、若い人向けのお店なんかがあっていいと思った。城下町であるため仕方ないかもしれないが、近隣の佐久市何かと比べて商業施設が少ないと感じる。歴史的建造物は残しつつ、観光客や新規の住人を取り込む街づくりをこれからも考えて行くことが課題だと思った。2022-11-07
69上田探検隊・中間まとめ上田探検隊・中間まとめ二回の上田市探検を通して、上田市にはたくさんの魅力ある場所、施設が増えてきていると感じた。例として丸山邸をあげると、今では邸内にカフェや観葉植物の販売をしていたりするが、10年前は言い方は失礼かもしれないが、立派な邸宅というだけのイメージを持っていた。海野町商店街もここ数年でカフェやバーなど若い人も楽しめるような店が増えていた。中にはSNSを積極的に利用して宣伝している店もあった。 一方で上田市には歴史的な建造物が多いのだが、散策を通して自分自身上田市で生活してきたのだが、知らないようなものも多く、また積極的にPRがなされていないものも多いように感じた。このようなものにも焦点を当てることでさらに上田市の魅力が引き出せたらいいなと思った。2022-11-06
70大手門公園大手門公園上田城と海野町商店街の中間地点的な所にある公園です。公園というよりは休憩場所見たいな場所です。この時期は紅葉も見れますし、夏場は緑が生い茂って季節を感じられます。 涼しくきれいな場所で落ち着くことができます。歩き疲れた時に一息つくのにもってこいです。2022-11-03
71江戸の名残・一里塚江戸の名残・一里塚「一里塚」というものを知っているでしょうか。江戸時代以前、全国の街道沿いにありました。「1里(約4キロメートル)ずつ」置いてある塚なので「一里塚」といいます。上田市は「北国街道」という街道の宿場町でした。 画像の塚は「文久元歳(ねん) 上塩尻」とあり、上塩尻という地籍に、文久元年(1861年)に建てられたということがわかります。2022-11-03
72喜光堂喜光堂海野町商店街のお店です。ここの抹茶アイスは絶品でした。海野町商店街では手軽に食べれるものがたくさん売っていて、食べ歩きにはもってこいの場所です。2022-11-03
73cafe&Bar『up moat』cafe&Bar『up moat』海野町商店街にあるカフェ。夜はバーになります。 ここのクレーブは絶品です。少し高いですがぜひ一度食べてみては。近辺に他の食べ物屋さんが多いので食べ歩きにもってこいです。海野町商店街ではお手軽に食べれるものがたくさんあります。2022-11-03
74富士アイス富士アイス海野町商店街のお店です。自慢焼きを班のみんなと食べました。出来立てで美味しかったです。 安くてオススメです。運町商店街にある他のお店の食べ物も一緒に是非一度食べてみてはいかがでしょう。2022-11-03
75じまんやきじまんやき海野町にあるじまんやきでです。いつも行列で人気なお店です。作ってるところを見るのも楽しいです。2022-11-03
76北国街道・柳町北国街道・柳町北国街道・柳町の景観はとても風情あります。2022-11-03
77丸山邸丸山邸明治4年、廃藩置県により上田城を買い取り、明治18年、当時の上田町に寄贈したのが丸山平八郎です。丸山邸はその私宅「木屋平」です。2022-11-03
78常楽寺常楽寺今紅葉が見頃の常楽寺。天員数学の道場として全国の学問僧が集った。 国の重要文化財に指定されている【石造多宝塔】がある。ふすまには水墨で塩田町の風景画が描かれている!2022-11-01
79浄念寺浄念寺七重山「浄念寺」は浄土宗のお寺です。室町時代の後期、永録2年(1559)に上田市の房山に源法寺として創建されたそうです。元禄9年(1696)に現在の場所に移転し、浄念寺と改称したそうです。 参道の入り口には小さな石橋があります。この橋は縁切り橋と呼ばれているそうです。奥の大きな地蔵尊は悪縁を切ることができることから「縁切り地蔵」と呼ばれています。2022-11-01
80浄念寺浄念寺七重山「浄念寺」は浄土宗のお寺です。室町時代の後期、永録2年(1559)に上田市の房山に源法寺として創建されたそうです。元禄9年(1696)に現在の場所に移転し、浄念寺と改称したそうです。 参道の入り口には小さな石橋があります。この橋は縁切り橋と呼ばれているそうです。奥の大きな地蔵尊は悪縁を切ることができることから「縁切り地蔵」と呼ばれています。2022-11-01
81海野町商店街海野町商店街上田の商店街いえば海野町と呼ばれるくらい有名な場所です。昔から上田市民に愛されているじまんやきのお店があり上田市の雰囲気を味わうことができます。2022-10-31
82温泉の町温泉の町北向観音を訪れた時に温泉が出る水道がありました。他にもお清めをする水も温泉になっていました。さすが温泉で有名なところだと感じました。水道から出るほうは飲めるそうです。自分は怖くて飲めなかったので、北向観音を訪れた際はぜひ飲んでみて感想を教えていただけると嬉しいです。。2022-10-31
83真田十勇士⑤真田十勇士⑤⑨穴山小助 槍の達人 幸村の知恵袋&影武者(容姿がにていたため) ⑩由利鎌之助 くさり鎌の名手 穴山小助にいけどりにされ、幸村の家来になる この二つの像は見えないところにあるので探すのがおもしろかった。 また町中にある看板に十勇士がかかれていたが、像とは違うタッチでかかれていておもしろかった。2022-10-31
84真田十勇士④真田十勇士④⑦筧 十蔵 鉄砲の名手 大阪の陣で活躍 家康を狙撃するも失敗に終わる ⑧根津甚八 幸村と同じ格好をし影武者となり戦う 大阪夏の陣で討ち死する2022-10-31
85真田十勇士③真田十勇士③⑤三好伊三入道 清海入道の弟  兄に負けず大男で怪力の持ち主  大阪の陣で大活躍 像の位置が昔と違う ⑥望月六郎 火術が得意 幸村の側近として知恵を働かす2022-10-31
86上田だけじゃない!蚕糸業で栄えた城下・松代上田だけじゃない!蚕糸業で栄えた城下・松代 長野県松代町は、明治期に養蚕業が盛んに行われていました。横浜・上田と共に日本シルクロードとも言われていました。  写真の旧横田家住宅は、国重要文化財に指定されており、和田(横田)英が生まれた場所でした。和田英は、15歳のころから群馬の富岡製糸場で努力し、帰郷したのち、六工製糸場で指導、製糸業発展に尽力した人物です。和田英の著した『富岡日記』も有名な書物です。2022-10-30
87真田十勇士②真田十勇士②③海野六郎 比較的目立たないが十勇士のまとめ役であり、いなくてはならない存在 知略で徳川方を悩ませた。 ④三好清海入道 像を見ただけではわからないが180センチで怪力の持ち主。 太い樫の棒を振り回し戦った。真田幸村の父と親戚。2022-10-29
88真田十勇士①真田十勇士①上田の町中にある真田十勇士の像を巡ってきました。 真田十勇士は架空の人物ですが、一人一人得意とする武器があり真田幸村とともに活躍したヒーローです。 前から気になっていたので調べてみました。 ①猿飛佐助 甲賀(滋賀県甲賀市に伝わる忍術)流忍術の名人 角間渓谷で修行をした。 ②霧隠才蔵 伊賀(三重県伊賀地方)流忍術の名人 甲賀忍術と伊賀忍術は対の関係 名前にあるように霧から雲隠れの術を会得。2022-10-29
89富士アイス富士アイスもはや海野町商店街の象徴とすら言える富士アイスのじまん焼き。 いつ訪れても行列ができているこのお店ではこのサイズが90円という安価で買えます。学生にとっては非常にありがたい存在です。2022-10-29
90大手門公園大手門公園海野町商店街と上田城の中間地点にある小さな公園。 商店街などで買ったものを食べる際はココがオススメ! 木々に囲まれ水の音が聞こえるここで癒されましょう。 秋には紅葉も見ものです。2022-10-29
91上田市の街上田市の街上田の町は道路が直線なものが多いなと思いました。2022-10-29
92城下町城下町上田城の城下町はどこなのか疑問に思い調べてみると、海野町、原町、鍛治町、紺屋町、横町、柳町、田町の七つの町が上田の城下町であることが分かった。上田が宿場になると、海野町分に横町、原町分に柳町田町ができたようである。今は、柳町が残っている。上田城とその城下町の大部分は、真田氏の時代にすでに形成されていたといえる。上田城築城から約80年後の寛文3年(1663)の資料によれば、海野町、鍛治町、横町、原町、木町、柳町、紺屋町、田町という町分は、戸数350戸、人口2610人であったようだ。2022-10-29
93北国街道・柳町北国街道・柳町旧北国街道沿いの家並みが残る通り。上田城下の商い処。 創業350余年の老舗酒蔵がある。歴史を伺える雰囲気の酒屋である。2022-10-28
94茂田井「間」の宿茂田井「間」の宿茂田井宿だと思って実際に行ってみると、茂田井「間」の塾という立て看板やパンフレットが多くありました。 なにが、間なのか、どうして、間なのか。 その答えになる看板がありました。 間の意味は、芦田宿と望月宿の間にある。という意味だそうです。今でも、隣の家が佐久市、自分の家が立科町。といった家もあるそうです。 市の境目は川が流れている、山を挟んで。などがあるそうです。家を境に市が変わるのはとっても珍しいとお話をいただきました。2022-10-26
95國酒國酒立科町の茂田井宿には、昔ながらの酒造会社さんが2つあります。その中の1つ、大澤酒造さんは、昔ながらの蔵を参観できるように民俗資料館として、一般に開放しています。 その資料館の中に、「國酒」の色紙が何枚もありました。色紙の送り主を見ると、歴代の内閣総理大臣たちのお名前でした。 何百年も昔から、その地でお酒造りをしていること自体もとてもすごいことなのに、そこで作られたお酒が総理大臣に納められていると考えたら、鳥肌が立ちました。 長野の魅力を改めて気づけました。2022-10-26
96綺麗だなあ…!綺麗だなあ…!立科町の茂田井宿の中には、昔ながらの家がたくさん並んでいます。その中のひとつに綺麗に積み重ねられた石垣がありました。 ひとつの石を抜いたら、全てが崩れ落ちてしまうんじゃないかと心配になるくらい、石と石が重なり合うことで重みを分散して、なん百年もの間、こうしていたのだと思いました。 お城の石垣として、大きな岩が積み重なっているのもすごいですが、一般家庭でも見れたのが嬉しかったです。2022-10-26
97昭和の残り香を巡る~④袋町編~昭和の残り香を巡る~④袋町編~「昭和の残り香を巡る」第四回は袋町。 このご時世、かなり厳しい状況に置かれているようですが、現在も歓楽街として栄えている袋町です、昭和時代の好景気の頃は人が多すぎて歩けないほど混雑していたそうです。 今はそこまでの活気はなくなってしまったかもしれませんが歓楽街としての役割は健在です。 数多くの看板が並び、多くの人々がここで夜遅くまでお酒を嗜むそう。 中の人はまだ未成年なのでお酒は飲めませんが、大人になったら、夜の袋町、一度は行って見たいですね。2022-10-25
98昭和の残り香を巡る~③北国街道柳町編~昭和の残り香を巡る~③北国街道柳町編~「昭和の残り香を巡る」第三回は柳町。 城下町の情緒を残した取り組みを行う土地であり。 街並みはそのままに、様々なお店がそこで商売をいとなんでいます。善光寺への参拝のために整備され、佐渡の金を江戸に運ぶ道として五街道に次ぐ重要な役割を果たした北国街道の宿場町として栄えていた土地は景観はそのままに今も観光地として栄えています。 ここは皆さんが来ても楽しめる場所です。 是非行って見てはいかがでしょうか?2022-10-25
99昭和の残り香を巡る~①上田城編~昭和の残り香を巡る~①上田城編~上田城やその城下町が残る上田市、江戸時代より城下町として繁栄を続けてきた。今回の探求では知られざる明治から昭和時代の「昭和の残り香を巡る」というテーマで探求を行いました。 今回は「遊郭としての上田城」の紹介です。 遊廓(ゆうかく)とは、公許の遊女屋(女郎屋)を集め、周囲を塀や堀などで囲った区画のことです。 上田城は戦国時代、真田家の防衛拠点として大きな戦果を挙げた城で有名な場所であります。 一方、戦国時代が終わった後明治維新以降、二基の櫓は、払い下げが行われ、それぞれ金州楼、万富楼という名前を付けられ、昭和の初期まで遊郭の妓楼としての役割を果たしていました。 ※妓楼→遊女を置いて客を遊ばせる家。 防衛拠点としての上田城は皆さんが良く知る歴史であります。しかしそれ以降の歴史は知らな2022-10-25
100足立光紅/海野町レトロ写真館@キモノマルシェ2022足立光紅/海野町レトロ写真館@キモノマルシェ2022 足立光紅/ミニレクチャー「海野町レトロ写真館」 2022/10/23 まちなかキャンパスうえだ 「海野町レトロ写真館」はコチラ→http://www.d-commons.net/uedagaku/mnmn11262022-10-24
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