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1岩国の象徴・錦帯橋岩国の象徴・錦帯橋こちらは山口県岩国市の象徴である「錦帯橋」です。 日本三大名橋のひとつです。 今はただの橋になってしまいましたが、昔は岩国城に敵が攻め込もうとした際に道をふさげるように、板を一本抜くとすべて崩れるようになっていたそうです。2021-05-05
2太神宮社(通称おたやさん)太神宮社(通称おたやさん)この神社もバイトへ向かう途中にあり、毎回気になっている所でした。太神宮社は「おたやさん」という通称で親しまれているらしく伊勢御師による大麻頒布の旅屋に祀る神社です。境内には八坂社・津島社・猿田彦社蛭子社・天満社・稲荷社・秋葉社四条公神社といった多くの社が奉られていました。その中でも稲荷社の赤鳥居の存在感が強く、引き寄せられるように鳥居をくぐりました。不思議な空間で神隠しを連想させるようなスピリチュアルな場所でした。一つ一つの鳥居の大きさは私がギリギリ通れるサイズでした。2021-05-05
3[14/09/11]真田町の真田→横沢を進む[14/09/11]真田町の真田→横沢を進むまさに里山の秋、収穫の秋です。稲が黄金色の実をつけて稲穂の先が垂れ下がってきました。収穫も間近いことでしょう。 真田氏発祥の地とされるのがこの周辺、旧真田町真田です。標高730mですから、上田城よりさらに300mほど高い位置になります。 上田から菅平へと続く国道144号線から一歩集落の中に入ると傾斜地に展開する独特の景観に変わります。何度訪れてもどこがどこなのかがよく記憶できません。道が曲がり、似たような傾斜地の特性を持っていることに一因があります。2021-05-01
4本秋の麥作に就て(『西塩田青年団報』第2号(1946年9月20日)1頁)本秋の麥作に就て(『西塩田青年団報』第2号(1946年9月20日)1頁)麥作に関する記事。 各農家へのお願いが書かれている。 食糧危機ながらも乗り越え、稲作も順調に進んだとあり、食糧不足に光明をもった様子。 肥料不足は続いている模様。 ▼この記事は以下から参照できます。 #955 『西塩田青年団報』第2号(1946年9月20日)1頁2021-02-10
5菱野温泉郷不動滝菱野温泉郷不動滝「小諸眺望百選12 菱野温泉郷不動の滝 秋の紅葉と冬の氷柱」として小諸市観光協会(当時、現小諸市観光局)認定された。 菱野温泉薬師館の手前を左側に入っていった道の奥の方にある。夏は滝行が行われ、冬は凍って氷柱が出現する。 大里地区の水田を潤す用水は女堰、荒堰そして深沢水系の3つある。荒堰の上流の水源は水出(小姓水源)と観音沢水源の2つあり、この不動滝は観音沢水源からの水路の途中にある。  令和2年度第2期分として小諸ふるさと遺産に認定された。2020-12-25
6太平洋戦争における上田地域の状況太平洋戦争における上田地域の状況上田地域は上田合戦や太平洋戦争など数々の戦いに関わっているが、とりわけ日本の総力を挙げて戦った太平洋戦争では様々なモノ・事・人に影響が出ている。そのような状況を上田地域ではどのようであったのか調査したいと思う。どんな生活だったのか、行政は何をしていたのかなど見ていき当時の戦争を考えていきたい。ネット情報や「西塩田時報」のような資料、国会図書館デジタルコレクション、上田市立公文書館などで戦争に関する資料(農業や徴兵、訓示など)を調べる予定。 「西塩田時報」を中心に調べた結果。 農會欄(『西塩田村公報』第1号(1941年3月30日)2頁) 農會欄(『西塩田村公報』第3号(1942年2月15日)2頁) 2020-12-21
7桑樹栽培法(『西塩田時報』第48号(1927年11月1日)1貢)桑樹栽培法(『西塩田時報』第48号(1927年11月1日)1貢)蚕都上田と呼ばれるほど蚕業が盛んであった上田であるが、餌となる桑の品質管理の大変さや飼育の苦労さが書かれている。 長野県は春は掃立と呼ばれる附加した蚕を蚕座に移して飼育する作業が遅く、秋は早く寒くなってしまうため成長期間が短い。長ければ長いほど良いため改正する必要がある。 小学校の時に蚕を飼育したことがあるのでこの記事に興味を持った。 ▼この記事は以下から参照できます。 #207 『西塩田時報』第48号(1927年11月1日)1頁2020-12-14
8家庭メモ (『西塩田公報』第83号(1954年8月5日)4頁)家庭メモ (『西塩田公報』第83号(1954年8月5日)4頁)今では衣服にしみを付けてしまったらしみ取りで簡単に取ることができます。しかし、昔の人たちはどうしていたのでしょうか。そのようなことを知ることができるのかこの記事です。 身近にあるもので工夫してどのように生活してきたのか、という家庭の工夫が詰まっています。今の便利になった世の中から見たら、こんなものでこんなことをしていたのかという過去の新たな発見をできる面白い記事なのではないでしょうか。 この家庭メモはしみ取りのほかにも、おいしいイモの食べ方や秋の漬物のレシピなど先人たちの知恵が詰まった記事になっています。いまでも役立つ知恵がたくさん出てくるので、気になるものを探してみるのもいいかもしれません。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1260 『西塩田公報』第83号(1954年8月5日)4頁2020-12-14
9西塩田時報 第107号西塩田時報 第107号私が一番面白いと感じた点は歌のような俳句のようなものが描かれていく事です。秋から冬に移り変わる寒さや機械の力が人間を大きく上回ってしまったことなどその時の感情が手に取るように分かりやすく書かれています。 言い方は違えど現代と思うことはあまり変わらないのだなと感じました。2020-12-10
10科野大宮社 +まとめ科野大宮社 +まとめ上田駅東にあるイオンスタイル近郊にある小さな神社です。入口すぐにある太い木が特徴的です。 秋ということで紅葉がとても綺麗で、葉が舞い散る様はとても情緒を感じました。 今回の探検では、本来は信濃国分寺に訪れるつもりでしたが、時間とメンバーの体力の都合上断念しました。が、常田館製糸場では今までで一番と言っていいほど面白い情報が入手できたのでこれだけでも十分かと思います。信濃国分寺については駅も近くにあるので時間があるときに行きたいです。2020-11-19
11閑静な住宅街の公園閑静な住宅街の公園上田駅からイオンのほうに歩いて路地裏に入ると見えてくるこじんまりとした公園。木の紅葉と枯れ葉が秋を感じさせた。町の中にひっそりと佇む公園は個人的に好きだと感じた。2020-11-18
12上田電鉄@下之郷駅上田電鉄@下之郷駅田舎の小さな駅舎 向こうに見える独鈷山は秋色に... 銀色ボディーに赤いラインがが上田っぽい上田電鉄! 昔は丸子線が走っていたということで、跡地が残る今の勤務地(丸子)まで繋がっていたことを思うと、かつてはだいぶ栄えていたんだなあということを実感。2020-11-06
13松茸の看板松茸の看板噂には聞いていましたが上田には松茸の看板がものすごいありました。秋ですね。 食べてみたい!2020-11-06
14上田城跡公園 上田城跡公園 上田城跡公園の木々が色づき始めていました。 春の終わりに訪れた時には新緑の緑が印象的でしたが、紅葉のはじめもまた違った魅力があり美しかったです。 天気も良かったのでのんびりとした秋の穏やかな空気が流れ、リラックスできました。木々の色づきから季節の移り変わりを感じられるのは、贅沢なことだと感じました。 これからどんどん色が変わり、紅葉のピークにはもっと見ごたえが出てくるのだと思いました。そして紅葉が終わって冬の雪景色になるのも楽しみです。2020-11-03
15呈蓮寺呈蓮寺本堂の前にある紅葉スポット。周りの雰囲気と違ってとても綺麗な場所。秋におすすめ。2020-11-02
16モンテリアのジェラートモンテリアのジェラート長野大学のすぐ近くにあるモンテリアのジェラート。 上は洋ナシの、下は牛乳のジェラートである。 秋の夕方に食べるには冷たすぎる。2020-10-15
17信州の学海 秋の前山寺信州の学海 秋の前山寺信州上田には素晴らしい歴史と観光資源があるものです。とりわけここ塩田平は中世において「信州の学海」とも呼ばれたように、この地の寺院が学問の場となっていました。 秋のある日、気持ちよい気候に誘われて、塩田平を少し回ってきました。前山寺にも久しぶりに立ち寄ってきました。さらに秋が深まり、紅葉の前山寺はさぞかし美しいことでしょう。三重の塔のたたずまいの端正なこと。信州上田を代表する名勝地です。観光資源化した「前山寺のくるみお萩」についても改めて考察してみたいものです。2020-09-12
18塩田平のため池:舌喰池と里山の秋塩田平のため池:舌喰池と里山の秋2012年10月の記録。この時期、ため池は池干しされて地面が丸見えになっています。さらに塩田平の遙か彼方に広がる浅間山から烏帽子岳の山々の美しいこと。独鈷山の山麓に緩やかに広がる棚田の景観、里のたたずまいなど風情があります。いつもの見慣れた風景とは感じられるものが違っていました。2020-07-31
19麦秋 ほたるの会麦秋 ほたるの会「麦秋」が夏の季語だと初めて聞いた時は、「へぇ~」と思っただけでした。でも身近で見ると、麦の刈り入れ時は、麦だけを見ると秋色ですが、これから梅雨が明ければ夏が来る、その前ですから夏の季語になるとスーっと頭に入ってきます。実際の麦畑を梅雨の合間に見るとその美しさが何とも言えません。 ご近所で「ほたるの会」を作ってほたるを育成しようという話で盛り上がっています。いろいろ教えてくださる方から「蛍が飛ぶ時期は全国で違いはあるが、「麦を刈る時期」とおぼえていればいい」と聞きました。麦秋。蛍。私のUターンは成功です。2020-07-27
20上田城跡公園やぐら下多目的広場上田城跡公園やぐら下多目的広場 上田城の下にある公園。バスケットボールコートとゴールが2つ、スケートボードコートがある。 平成17年度から毎年秋に3ON3の大会が行われている。   使用可能時間は午前8時半可能時間は午前8時半。2020-07-22
21下塩尻蚕種製造民家群の佇まい下塩尻蚕種製造民家群の佇まい2017/11/27の記録。日本一の蚕種製造地を私は「上塩尻蚕種製造民家群」と呼んできましたが、より包摂的には「塩尻地区蚕種製造民家群」と呼ぶのが適切です。本日、日本ナショナルトラストのUさんが上田に来訪され、地元の方と塩尻地区(秋和・上塩尻・下塩尻)を見聞しました。 下塩尻はこれまであまり見聞したことがなく、地元のMさんの御案内で私も認識を新たにしました。下塩尻は北国街道沿いばかりでなく、千曲川沿いの一帯に「蚕種製造民家群」が集積しています。上塩尻と違い、千曲川沿いの低地に屋敷が広がっているせいか、一軒一軒の家々の敷地が広く、狭いところに屋敷がひしめきあう上塩尻とは対照的です。総じてゆったり感があります。その佇まいが下塩尻の景観をなしています。川べりという立地のせいか、集落の景観が群馬県2020-07-18
22上田にモリス先生来訪上田にモリス先生来訪2019/11/30、千葉大学のマーティン・モリス先生が上田に来訪されました。翌日12/1のまちなかキャンパス講座「わたしたちの地域マップをつくる第3回」の講師を引き受けていただき、その前日のこの日、塩尻地区のある古い民家を地元の方々と見聞させていただきました。モリス先生はイギリス出身ですが、驚くほど日本の伝統建築に詳しく、訪問先の室内を簡易的に測定し、建築上の特徴などからその年代の推定までされていました。 少し驚いたのはフィートのメジャーで寸法を測り始めたこと。「あれあれメートルでなくていいの?」と思いましたが、よくよく考えてみればフィートと尺の単位は極めて近似しており、尺のメジャーの代わりにフィートのメジャーを使っているのだとわかりました。なるほど!です。 モリス先生は、長年上塩尻を研究2020-07-18
23鯖湖湯鯖湖湯飯坂温泉は宮城県の鳴子温泉、秋保温泉と共に奥州三名湯に数えられる。城県の鳴子温泉、秋保温泉と共に奥州三名湯に数えられる。鯖湖湯は飯坂温泉の9つある共同浴場のうちのひとつ。 元禄2年奥の細道の途中に松尾芭蕉がはいったとされている温泉。 入浴料は大人200円子供100円 お湯の温度が高いため入るのに慣れるのが少し大変。2020-07-14
247/9課題7/9課題地元佐世保の最大の観光地であるハウステンボス 春は様々な花が何万本も咲き誇り、夏は会場にプールのお城が建設されたり、花火の世界大会が行われる。秋はヨーロッパの食文化に触れ、冬は大規模なイルミネーションが楽しめる日本一広いテーマパークである。2020-07-13
25『信濃蚕糸業史・上巻』(1937年)『信濃蚕糸業史・上巻』(1937年) <目次> 栽桑篇  第一章 桑園の期限及発達  第二章 桑品種の変遷  第三章 桑苗生産の変遷  第四章 栽培法の桑栽培法  第五章 桑樹仕立法の変遷  第六章 桑園肥料  第七章 歩桑々園の発達  第八章 夏秋蚕専用桑園の期限及発達  第九章 桑葉売買  第十章 桑園災害  第十一章 桑園の消長  第十二章 桑園経済  第十三章 桑園改善に関する本県当局の施設  第十四章 桑園の分布  第2020-06-21
26大蔵京古墳大蔵京古墳秋和地区の北側にそびえる虚空蔵山南麓の傾斜面に自然の地形を利用して造られた古墳。古墳の形は方墳とされているが、かつては双子塚とも呼ばれたことがあり、前方後円墳と見られた時期もある。  古墳の東隣には、江戸時代に神社の社殿が造られたり、古墳の頂部には日露戦争戦没忠魂碑が建てられている。上田盆地では、今のところ最も古い古墳と考えられている。2020-06-12
27生島足島神社生島足島神社 上田市にきて日は浅いですが、私のイチオシスポットは生島足島神社です! ご祭神は生島大神と足島大神です。 私の地元にある諏訪大社に鎮座まします建御名方神とも縁のある神社だと知り、とても興味がわきました。 境内の中には、下宮に諏訪大明神(建御名方神)が祀られています。また、御柱もあって地元を身近に感じられました。 御本社と下宮以外に、八幡社、秋葉社、荒魂社などの社があります。 お社だけでなく欅などもあり、自然も豊かで見所が沢山あるので、ぜひ足を運んでみてはいかがでしょうか。2020-05-31
28秋葉神社秋葉神社二子塚古墳の隣にある神社です。御祭神は火之迦具土神です。二子塚古墳の存在は知っていましたが、神社の存在は今回初めて知りました。草が茂っていたのと神社が古かったため、少し不思議な空気感を感じました。また草が茂っていますが、人が歩ける道があり、誰かが手入れをしてくれたり、参拝をしている人がいまでもいることも感じられました。2020-05-26
29大星神社大星神社創建時代は不詳ですが、第60代醍醐天皇延長2年(924)に社殿を改築された記録が存在しています。御祭神は、事代主命・建御名方刀美命・前八坂刀売命です。秋にはお祭りが開かれるため、賑わいを見せます。自然が豊富でその場にいるだけで、力を貰える、パワースポットのような雰囲気を感じられることができます。境内案内板が古く、一部読むのが困難な箇所がありました。また以前は、ゲートボール場があり、ご老人の遊び場となっていたのですが、いつの間にか駐車場になっており、時間を感じさせられ少し寂しい気持ちになりました。2020-05-26
30加美畑神社加美畑神社武田信玄縁の神社。秋ごろになると子供が集まる。桜が綺麗。2020-05-26
31とちぎ山車会館とちぎ山車会館栃木県の指定有形民俗文化財である山車の保存も兼ねて、2年に1度開催される『とちぎ秋まつり』の興奮をいつでも楽しめるようにと、3台の山車を常時展示し、定期的に他の3台と入れ替えながら、デジタル技術を駆使して秋まつりを再現して見ることが出来ます。平成30年には、映像の改修及び多言語音声ガイドの設置を行い、最新技術でリニューアルされました。2020-05-26
32上田城上田城大河ドラマ真田丸で有名な上田城です。 春は上田城千本桜まつり・秋には上田城紅葉まつりが行われます。上田市の主たる観光地として観光客で賑わいます。2020-05-26
33秋葉神社秋葉神社ぽつんとある神社。 調べては見たのだが情報が少なく、謎の神社だ。 祠だけが山の中にある光景は少しシュールである。2020-05-26
34全力で駆け抜けた上田城陸上競技場全力で駆け抜けた上田城陸上競技場少年時代に決して止まることなく必死にこのグラウンドを駆け抜けた日々を思い出す。 ここは上田城跡に建てられた陸上競技場で春夏秋をメインに老若男女とはず、多く人々に使われています。2020-05-25
35色々な顔をもつ産川色々な顔をもつ産川家からバイト先までの通り道から見た産川。上田市を流れる1級河川である。 通る日によって、変なものが川に捨てられていたり、流れが激しかったり、水質が綺麗であったりと様々な変化を見ることができるので、密かに通ることを楽しみにしている。 春から夏にかけては緑がまぶしく、秋は紅葉、冬は雪が積もる後ろの山々が上田に来たことを感じさせる。2020-05-25
36超誓寺超誓寺寺下駅のすぐ近くにあるお寺。 春は桜がとても綺麗な場所です。景色もとてもいいです。 毎年秋には「お薬師祭」が行われている。 由来や本堂の変遷など、立て看板で詳しく書かれています。実際に足を運んで、場所の良さを感じながら学ぶのもいいのではないでしょうか。2020-05-25
37神畑にある加美畑神社神畑にある加美畑神社よく自分が通る道沿いにひっそりとある神社です。 名前が加美畑神社ということで名前の中に神畑の漢字が入っていて面白いと思いました。 ペットの散歩に利用する方が多く、写真を撮りに行った際にはキャッチボールをしている親子もいて、地域の人の利用が多い場所でした。 木々に囲まれているので、夏でも涼しく、夏には小さい祭りが開かれています。 運動や散歩だけではなく、ベンチなど置いてもらえれば読書などゆっくりするスペースとしても利用できそうだなと感じました。 祭神は建御名方命(たけみなかたのみこと)といい、境内には蚕影社、疱瘡社、阿夫利社、神明社、秋葉社、飯綱社が合祀されているそうです。2020-05-24
38田中本家博物館田中本家博物館江戸時代の豪商の館を利用した博物館。江戸時代中期からの豪商・田中家の所蔵品・資料が展示されています。昔のおもちゃや人形なども展示されているため、子供も楽しむことができると思います。また、春は桜、夏は芍薬、秋はもみじ、冬は雪と四季により表情を変える日本庭園を見ることもできます。2020-05-24
39塩田平の野焼き塩田平の野焼き21世紀に入ってもなお続いている野焼きの文化。塩田平を一望するとそこかしこに野焼きの煙が立ち上がっています。2019/11/16は好天に恵まれ、いつもより一際多く煙が立っていました。信州上田に移り住んで以来、秋になると日々立ち上がる煙の風景に日本の原風景を感じ、現代に生きる地域の無形文化として22世紀に残してもらいたいと心惹かれてきました。以来、ずっと変わることなくその思いを持ち続けています。 野焼きは稲作という営みから派生しています。農業をする方が高齢化する中、これから20年後、30年後は、この地域の風景がどう変わっていくのだろうかという思いで、毎年、あるがままの野焼きの煙の光景を眺め続けています。2020-05-23
40天満宮天満宮1771年(明和8年)の創建と伝えられ、舟形の地形が特徴です。古い絵馬や俳句の額が掲げられています。明治6年に村社になり、かつては春秋の例祭には村人の踊り、大々神楽、相撲等が奉納されました。敷地内には、福島安正書の「菅公一千年記念碑」もあります。 出典:『上田 しおじり』/塩尻地区近代化遺産活用ガイドブック編集委員会/ 発行 上田市教育委員会 2003年3月 学問の神様とも呼ばれている菅原道真を祭神とする神社の一つであり、正月にはここで年を越す方もいます。昭和時代からありながらきれいなまま現存しているのが面白い。2020-05-21
41上塩尻の蚕種製造民家群と文書を見聞する上塩尻の蚕種製造民家群と文書を見聞する2018/08/18、上田市上塩尻の蚕種製造民家群と文書を見聞する会を開きました。長野大学前川研究室、上塩尻自治会、上塩尻今昔の会の連携で実施したものです。地元上塩尻の方々を中心に、建築や歴史文化の専門の方などが加わり20名ほどが参加しました。暑いとは言え、連日の猛暑からは解放されたように秋めいた爽やかさが感じられる一日となりました。

全国的にも稀有な蚕種製造民家群

幕末から近代にかけて日本の産業を牽引した蚕糸業の中でも、長野県は蚕糸王国と呼ばれるほどに近代日本の殖産興業に貢献をしました。その中で上田小県は蚕都上田と呼ばれ、その中心地の一つでした。とりわけ上塩尻を中心とした塩尻地区は蚕種製造の一大中心地となり、江戸時代から幾人もの優れた蚕種製造家を輩出した他、各家が蚕種製造業を営んで
2020-05-10
42秋和の文庫蔵を訪ねる秋和の文庫蔵を訪ねる2/17、地元の方々と学生と秋和文庫蔵を訪ねました。 秋和は蚕種製造の中心地であった塩尻村の中で、上塩尻、下塩尻と共に蚕種製造が営まれ、蚕都上田の興隆にも大きく貢献した一地域です。そうした近代の地域の背景を知る上でも地元の古い資料は欠かせないものです。 いくつか手にした文書は「明治十八年 祭典諸事記載帳」「明治三十年度 人夫賃金支払帳 塩尻村秋和土木委員」「明治十年第三月 秋和学校貸附金証書」「明治十三年金銀出納簿 一月ヨリ 秋和学校」などなど。少し手に取っただけでもまるでタイムカプセルから地域の埋もれた歴史に陽光が当てられたかのような感興がありました。 これらの資料をどうするか。それが問題です。地元の資料は地元の力でともかくも目録化に着手するのが第一との課題を共有しました。2020-04-22
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