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写真タイトル説明登録日
1別所線改札前に「峠の釜めし」売店2006/04/24別所線改札前に「峠の釜めし」売店2006/04/242006/04/24の記録。 別所線上田駅の改札前にしばらくおぎのや「峠の釜めし」の売店がありました。いつなくなったか記憶に定かではありません。2024-02-24
2中央二丁目交差点2005/08/07中央二丁目交差点2005/08/072005/08/07の記録。 上田市の中心市街地の一番の中心、中央二丁目交差点。当時、さりげなく撮っていたスナップ写真が残っていました。海野町商店街の七夕まつり準備中の時の記録です。「わかまつや」、スーパー「やおふく」があることにご注目ください。その隣の建物には「テナント募集」の貼り紙が貼ってあります。目の前にある「甲州屋」さんはそのまま。商店街の変遷が激しいことを物語っています。2024-02-23
3旧飯山駅の様子2009/04/10旧飯山駅の様子2009/04/102009/04/10の記録。 JR飯山駅は北陸新幹線の延伸により、新幹線の駅となり、古い駅舎は取り壊され、新築の立派な駅舎に様変わりしました。雪深い地域のため、周囲には消雪剤が撒かれる影響でレール下の砂利や小屋などが茶色に変色しています。 2009年時点ではまだ新幹線の工事は全くなされていません。古いレトロな駅舎と構内の様子が私の写真に記録されていました。今となっては貴重な地域の記録です。2024-02-11
4リヴィン上田店2008/05/04リヴィン上田店2008/05/042008/05/04の記録。 Wikipediaによると上田西武店がリヴィン(LIVIN)に改称したのは2000年9月とのこと。リヴィン上田店は2009年に閉店しました。リヴィンは総合スーパーながら、店内は前身でもある西武百貨店時代のデパートらしい装いが印象的な店舗でした。営業していた期間、店内を撮影するのははばかられたので私の写真記録の中にはありません。今となっては写真の記録もなく、記憶に残るのみです。 リヴィン跡地には現在ホテルルートインGrand上田駅前(2016年創業)が建っています。都市の変容の痕跡が記憶からも薄れていきますね。 参考資料:Wikipedia「リヴィン」 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%B32024-02-10
5平林堂書店2015/03/17平林堂書店2015/03/172015/03/17の記録。 上田市の老舗書店の一つ、原町にあった平林堂書店は数年前に閉店し、その後、建物も取り壊されました。『信濃蚕糸業史』全3冊を購入したのもこの書店です。地域に関する古い書籍も数多く品ぞろえされていました。今となっては記憶の中にしか残っていませんが、幸い私の写真に記録されていました。2024-02-02
6国分寺国分寺過去に国分寺へ訪問した際の写真です2024-01-25
7チャイナウ!チャイナウ!12月5日から一週間ほど、中国の雲南省へ行ってきました。というわけで、テーマはチャイナウ!としました。 チャイナ・ナウ。の略です。 帰国して約一週間、疲れからか風邪を引き、中国への色んな振り返りができないまま寝ていましたが、そろそろ思い出が褪せる前に想い出を綴っていきます。 雲南省の中の、昆明・大理・麗江の3か所に行ってきました。上海空港から乗り換えで向かう場所にあり、少数民族で出来ている場所になります。多様性が社会全体の雰囲気であり、その点日本人も浮くことなく受け入れてもらえました。 中国の投稿用に別ページを用意する予定ですが、ひとまず、私の備忘録として、ここに残しておこうと思います。 私の感想:ご飯がめっちゃおいしかった。です(笑) 文化の違いはあれど、ご飯がおいしいのが私に2023-12-18
8記憶の現前化-画像は記憶を補う外在的記録記憶の現前化-画像は記憶を補う外在的記録旅と音楽、旅と音 日頃からデジカメで何かと日々のことを撮り溜めています。撮ったものをほんのごく一部はSNSなどにアウトプット化することはありますが、圧倒的大多数の画像はPCの外付HDD内に保存したままになっています。よほどのことがない限り、それを取り出しふり返ることもありません。しかし個人の記憶のアーカイブとしてはかけがえのないものです。10年、20年経った時、画像を見ることにより、記憶が甦ってきます。自分の記憶の外部装置である画像の効用です。この現象、作用を「記憶の現前化」と呼んできました。その時の記憶が画像をトリガーに引き出されてきます。「画像は記憶を補う外在的記録」です。 写真を撮ることも不自由だった時代、記憶は脳内にしかなく、結果的2023-09-15
9小諸市糠地地区の警鐘楼小諸市糠地地区の警鐘楼小諸市消防団第7分団の管轄地域(西小諸地区)の糠地地区の警鐘楼(火の見櫓) (写真撮影 赤池氏) 小諸市内の警鐘楼(Localwiki小諸)2023-03-26
10コミュニティスクールコミュニティスクール埼玉県の方へ用事があり行った際、ある中学校の門に写真のような横断幕がかかっていました。 コミュニティスクールとは、学校内だけではなく保護者はもちろん、学校外の地域の方と繋がりを持って学校運営をしていく学校のことです。 長野県にも独自のコミュニティスクールなどは存在しますが、これほど大きな横断幕を掲げている学校を私は見たことがありませんでした。 実際、この学校がどんな取り組みをされているかは分かりませんが、「コミュニティスクールである」という情報をこれだけ大々的に掲げられるのは素敵だなあと感じました。 そして、長野県を離れても、学校の取り組みのことへ意識が向いている自分がいたことにも驚きました。 これからも様々な取り組みに視野を向けていきたいと思います。2022-11-21
11サントミューゼサントミューゼ私は蚕都上田に興味を持ち、実際に自分で足を運びフィールドワークをした場所を紹介していく。 上田市にある複合型文化施設で「蚕都」=「サント」と「芸術の女神」=「ミューズ」が由来になっている。 長野県上田市にある「上田市立美術館」やホール、交流芝生広場などを有する地下1階地上5階建ての建物で、アートに触れ、人々と交流し、ゆったりとした時間を楽しむことができる。 先日、サントミューゼにて、「ため池フォーラム」が開催され、その際に撮影した写真である。2022-11-14
12最初の投稿最初の投稿ドーモ、茨城県からやって来た魚を愛する者です。 綿半ができてから、茨城にいた時よりも魚を食ってる気がします。 あ、写真は好物のカサゴです。2022-10-13
13海野町商店街マップ(昭和41年版)海野町商店街マップ(昭和41年版)海野町商店街が所蔵する写真を基に、昭和41年の海野町商店街マップを作成しました。2022-07-25
14武重医院(大正7年1918年頃)武重医院(大正7年1918年頃)大正7年 1918年頃の武重医院の写真を先生から送っていただきました。2022-01-27
15藤本善右衛門縄葛の遺影藤本善右衛門縄葛の遺影(藤本蚕業歴史館展示の遺影) 左:藤本善右衛門縄葛 右:夫人 藤本善右衛門縄葛(1815-1890)の写真は数少なく、この写真が広く使われている。2022-01-12
16東照宮東照宮写真12021-12-24
17おみくじと桜おみくじと桜眞田神社で撮影したおみくじ結び所の写真。背景の桜も相まって非常に印象的な写真である。2021-05-05
18夜の眞田神社と夜桜夜の眞田神社と夜桜夜の眞田神社で撮影した夜桜の写真。参道に覆いかぶさるように開花している桜がきれいで印象的。2021-05-05
19やまびこ公園からの諏訪湖やまびこ公園からの諏訪湖岡谷市にあるやまびこ公園から撮影した諏訪湖の写真。開放感あふれる景色が非常に綺麗でお気に入りの場所。2021-05-05
20お月様お月様山から月が登ってきた瞬間を写真に収めた2021-05-05
21日暮れの真田神社日暮れの真田神社時間帯 17時 天候 晴れ 真田神社の絵馬を吊るしている通りは上田城跡公園の写真スポットのひとつでもあり、今どきの若い人たちには撮ってみたい写真の一枚ではないだろうか。 日が出ている時間帯は特に写真を撮るのが好きな人は訪れてほしい場所の一つである。2021-05-05
22明治28年の海野町を記録した写真明治28年の海野町を記録した写真海野町のすや(酢屋)呉服店が所蔵している古い写真の一枚。写真の裏面には「明治二十八年」との書き込みがある。1895年(明治28年)は、日清戦争が終結、勝利した年に当たる。旭日旗や「送小林」の旗などが見える。出征兵士を送り出す情景の記録ではないだろうか。海野町商店街の沿道に大勢の人々が繰り出し、人々の目線が写真機の方を向いている。向かいの店の看板「酢屋本治郎」が読み取れる。 驚くことにその軒先の屋根上に楽隊が陣取っている。大太鼓、小太鼓、クラリネット、チューバ、ホルン(他にシンバルも?)が確認できる。明治のこの時代にこれだけの楽器を有する音楽隊があったことを物語る貴重な証拠写真である。当時、上田が西洋文明をいち早く吸収した先進的な文化都市であったこと、経済的にも反映していたことを雄弁に物2021-03-26
23喜光堂喜光堂この喜光堂は地元の自分からしたら一番のおすすめの食べ物屋さんです!僕は抹茶が嫌いでしたがここの抹茶ソフトというものは僕の抹茶の概念を変えてくれました!同時にほうじ茶ソフトというものもおすすめです!すこし贅沢をしたいときにしつこいあまさは控えたい・・・そんなあなたに一度は食べていただきたいです!ここのお店はInstagramもやっています!ぜひ写真をみてみてください!2020-11-18
24崩落した別所線の橋崩落した別所線の橋昨年の豪雨で崩落した別所線の橋の写真。上田駅側から撮影。普段は横のアングルでしか橋を見ることがないため、踏切上から真正面に橋を見るのは新鮮だった。来年の3月には完全に復興するようなので、電車の中からの千曲川の景色も見てみたいと感じる。2020-11-16
25富士アイス富士アイスここは私が小さい頃からお世話になっているふじアイスですね。このお店で売られているもので一番売れているじまんやきはこの写真のように制作状況を実際にお客さんの目の前で行います。それはとても手慣れていてリズミカルにクリームを入れていくのを見るとつい買ってしまいたくなります。ちなみにこの商店街のイベントなどでは期間限定の味などが売られているという話もお聞きします!ぜひコロナが収まったら見に行ってみてください!2020-11-05
26別所温泉遊歩道展望台別所温泉遊歩道展望台別所までなんと自転車で来たのだが、道中長い坂が印象に残っているが登ってきただけにとても見晴らしが良いところが多い! 写真の右側に写る少し低い山地は僕の実家の上田駅方面と塩田方面を見事に遠回りさせているものである。 あれがなければもっとはやく学校に行けるのに・・・!と思った一枚です。2020-10-20
27外側から見た八幡大神縣社外側から見た八幡大神縣社八幡大神縣社を外側から撮った写真。社の周りは杉の木に囲まれており、こちら側からは見えない。 周辺が住宅街であり開けた土地であることが、この一帯のミステリアスさを際立たせている。遠くから見ても、この場所だけ高い木に囲まれており、神聖な場所であることを感じた。2020-08-06
28産川近くから撮った生島足島神社 御旅所社産川近くから撮った生島足島神社 御旅所社生島足島神社の御旅所社の鳥居が遠方に見える風景。この場所は、生島足島神社からは少し離れた場所に位置する。この鳥居の先には、八坂刀売命を祀る小さな石の祠がある。 周辺は田んぼと住宅に囲まれている中に大きな鳥居が見え、遠方でありながらもかなりの存在感を放っている。人工物の中にあろうとも、どことなく神聖な雰囲気を感じた。2020-08-06
29畑の中を走る上田電鉄別所線畑の中を走る上田電鉄別所線上田電鉄別所線が畑の中を走っている。これは、下之郷から中塩田に向かっている最中であろうか。 車さえ通らない畑の中を電車が走っている様子は、あの「千と千尋の神隠し」のワンシーンを彷彿とさせた(もっとも、あっちは水の上であったが)。また、緑と夕焼けの組み合わせが、夏を感じさせた。2020-08-06
30自然公園プール前の山道自然公園プール前の山道自然公園プール前の山道から撮った写真。周囲は木々に囲まれているが、ここだけぽっかりと空間が開いている。また、この隣にはベンチが置いてあり、自然の中に休憩スペースが作られている。 私がこの写真を撮った際には、犬の散歩中の男性と交流した。夏でも涼しいこの道は、犬の散歩やジョギングなどに適した場所なのだと感じた。2020-08-06
31自然公園の瓢箪池自然公園の瓢箪池自然公園の瓢箪池。この写真は、横に作られている休憩スペースから撮ったものである。多種多様な生物が住み着いている。 冬にここを訪れた際には、サギ・コイ・アヒルなど、多くの生物もこの池に訪れていた。この池だけで生態系が出来上がっており、非常に面白かった。2020-08-06
32上田電鉄別所線の赤鉄橋上田電鉄別所線の赤鉄橋上田電鉄別所線の赤い鉄橋です。 同じ場所で撮影した写真を約一か月ほど前の投稿にあげさせていただきました。前回の投稿は雨天の中での撮影となってしまいましたが、今回は晴天の中撮影することが出来ました。 赤い鉄橋の良さが出るのはやはり晴天の日です。夕日(西日)に照らされ赤く照り輝いていました。そこを電車が走る光景は地元の方にとってもきっと待ち遠しいことでしょう。2020-08-03
33ひと区間だけ交通IC可駅ひと区間だけ交通IC可駅こちらは富山県高岡市の主要駅JR高岡駅から南部に向かって走るJR城端線の新高岡駅のホームの写真です。 高岡市を中心に北(氷見市)から高岡駅を結ぶ氷見線、また南部に向かう城端線、富山市や金沢市への接続を可能にしているあいの風富山鉄道などが発着する高岡駅は、市街地中心部にありますが、北陸新幹線はこちらを経由せず、少しいやかなり離れた新設の『新高岡駅』を通過します。 JR線や路面電車が発着する高岡駅周辺は賑わいを見せるも、駅前商店街はシャッター街と化しつつありますが、以前はショッピングセンターと地方都市らしいチェーン店ほどだったいわゆる「駅南」と呼ばれた地帯も北陸新幹線開通から数年を経て『新高岡駅周辺』として地元ならではの店が増え賑わいがうまれました。また、ショッピングセンターの大型増床が2020-07-31
34地域の記憶:上塩尻・段々畑の桑園地域の記憶:上塩尻・段々畑の桑園地域のありようは長い間には大きく様変わりします。昔その地域がどうであったのかを確認するにはその当時の資料が欠かせません。人の記憶の中にその様相は残っていても、第三者がそれを確認できるのはデータとして残された何らかの記録です。証言のような言葉(人の記憶)でも補えますが、それを証言してくれる映像なり、道具なり、資料なりがあってその確認ができます。 先日、上塩尻のSさんのお宅を訪問しました。蚕種製造の中心地・上塩尻の古い資料をデジタルアーカイブ化しようというのがメイントピックです。過去に上塩尻の記録がまとめられたものとしては『塩尻地区写真集:20世紀の歩み』(1999年、塩尻地区写真刊行会)があります。 Sさんのお宅にあった一枚の写真に注目。少年たちと大人たちの集合写真です。脱穀作業を共同2020-07-18
35駅がないのに「駅前」?(駅前食堂)駅がないのに「駅前」?(駅前食堂)壁一面に貼られた、古ぼけた写真。 そして、ところどころ塗装の剥げた大きなライト。 ここは北本原駅があった場所のそばにある、駅前食堂。 とっくの昔に駅がないのに「駅前」という不思議なお店だ。 壁に飾られた写真は真田傍陽線の現役当時のもので、写っていない範囲にもたくさんあった。 また手前にある大きなライトは実際に電車についていたものなのだそうだ。 値段がかなりお手頃価格で、しかもとても美味しい。 菅平高原への道中にふらりと立ち寄ってみるのもよいかもしれない。2020-07-15
36近き水面のそばで(矢出沢川橋梁の橋脚)近き水面のそばで(矢出沢川橋梁の橋脚)勢いよく流れる川のそばで、護岸の一部が飛び出している。 かつては川を渡る橋を支えていた、橋脚である。 くぼんだ部分に鉄骨の橋げたが乗せられ、その上を毎日電車が人々や物資を載せて行きかっていた。 現地で見ても写真で見ても思うのだが、橋桁の下の面があったと思しき高さから水面までがとても低いようである。 現役時代にはいったいどのような景観をしていたのだろうか、などと妄想にふけるのもまた楽しいことだ。2020-06-24
37高市神社を目指して②~市街地にある自然~高市神社を目指して②~市街地にある自然~写真は大手門公園で撮りました。 地図にも示してある通り、上田市役所の付近にあるので市街地に位置しています。また、公園といってもかなり狭く、運動などには適していないように思えました。 ただ、とても落ち着く場所です。自分が本当に市街地にいるのか錯覚してしまうほど自然を感じることが出来ます。雨天でもかなり綺麗に写真を撮ることが出来るので、写真を撮ることが好きな方は是非とも足を運んでいただきたいです。2020-06-23
38高市神社を目指して①~台風の爪痕と復興~高市神社を目指して①~台風の爪痕と復興~写真は台風19号によって崩落した上田電鉄別所線の赤い鉄橋の現在の様子です。 つい最近までは崩落した部分がそのままにされていましたが、現在では撤去され堤防の整備が進んでいます。 これからもこの鉄橋や堤防がどのように復興していくのかに注目していきたいと思います。 あのような災害が二度と起きませんように。2020-06-23
39生島足島神社の池生島足島神社の池生きとし生けるものに生命力を与える「生島大神」と、生きとし生けるものに満足を与える「足島大神」の二神が祀られている神社。 池には多くの量の鯉が泳いでいる。また、100円で鯉のえさを買うこともできる。豪快にえさを与えてみた所、二枚目の写真のようになった。かなりの勢いで驚いた。2020-05-26
40魚道(諏訪湖)魚道(諏訪湖)諏訪湖と天竜川間を魚が行き来できるように作られた魚道。 運や時期が良いと、魚が上流に向かってぴょんぴょんと跳ねるのを釜口水門の橋の上からみることができます。以前は学校への登下校時に釜口水門の橋を利用していたため、その上からよく魚道を眺めていました。しかし、魚が跳ねたのを見られたのは一度きりで、その光景が今でも印象に残っていたため、写真に収めてきました。2020-05-26
41寺下駅近くの踏切寺下駅近くの踏切寺下駅近くの踏切。 踏切と坂が混同している場所なため、車などがしっかり一時停止している印象がある。 この写真を撮影する際にちょうど電車が来て、踏切がおりている写真をできた。踏切が下がる音は、状況によって聞こえ方が異なると思う。個人的に、夕暮れ時の踏切の音にエモを僕は感じる。2020-05-26
42寺下駅寺下駅寺下駅は上田電鉄別所線の駅である。 名前の由来は、超誓寺という寺の下に駅があることだそうだ。とてもシンプルで分かりやすいネーミングセンスに、逆に魅力を感じる。地名などまったくもって関係ないという名付けた方の意思を感じる。 そこに、僕は得を感じた。2020-05-26
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