信州が蚕糸王国ってホント? ポスト蚕糸業(産業)の視点から

信州が蚕糸王国ってホント? ポスト蚕糸業(産業)の視点から

信州が蚕糸王国ってホント? ポスト蚕糸業(産業)の視点から(講演採録全文)
講師:前川道博(長野大学企業情報学部教授)
▼元の講演はコチラ
https://youtu.be/yS-xdWDMTwE?t=2779

信州学「信州の蚕糸業とシルクロード」講座 第2回
 2016年10月6日/まちなかキャンパスうえだ


【1】蚕糸業って何? 蚕種製造、養蚕、製糸


■そもそも蚕糸業とは?


 今回、この講座は、多くの方に、後からも学習していただけるように、ということで、オンデマンド配信することを想定していますので、全く初めての方がこれを見ると「えっ? 蚕糸業って何?」、そういう基本的な疑問ですね。これを最初の方は誰もわからないわけです。その辺のところも含めてお話をさせていただきたいと思います。
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 蚕糸業、蚕の糸と書きますけれども、「これ何て読むのかな? そもそもわかんない」というところからも含めて、非常に世の中全体でわからないものになっているかなと思うんですね。

 蚕糸業という言い方をしますけれども、製糸という言い方もしたりしますが、ここは厳密にはそれぞれ違うということなんですね。蚕糸業と言うのは蚕種製造、養蚕、製糸、この3つを合わせて蚕糸業と総称しています。その総称ですね。

 蚕種製造と言うのは養蚕で必要になる蚕を孵化させるために必要な原資である「蚕の卵」ですね。それを作るというのが蚕種製造なんです。そしてお蚕さんを育てて、繭を作ると言うのが養蚕ですね。養蚕は全国の農家で行われていたものですね。そして形になってくるもの、これが製糸。これは繭を原料として生糸を取るということなんですね。生糸を作る。これが製糸です。この3つを指します。それ以外に織物ですね、それから着物。こういうのを絹業という言い方をするわけなんですけれども、蚕糸絹業と言う言い方で合わせて言ったりすることもあります。

■長野県は図抜けた蚕糸王国


 蚕糸業に関しては、群馬県が図抜けて有名になってしまったと。独壇場ではないかと思いますね。とにかく富岡製糸場で非常に有名になった。本当に富岡が世界遺産になって改めて思うことは、それだけの非常に大きな牽引力のあるものがないと、他も引き立てようがなかったということにも私たちは改めて気づかされるわけです。

 非常に一番損をしているという言い方をしていいのかわからないんですけれども、蚕糸王国長野県、こちらが一番の本場ではないかと思うわけですね。

 そこを特に長野県の皆さんにはお感じいただいて、自分たちの地域の誇り、歴史、こういうものを見直していただこうということで、蚕糸業を捉えていくとよいと考えています。

■蚕種製造の中心地、上田小県


 で、蚕種製造、信州全域で非常に盛んな産業であったわけなんですけれども、特にここ上田が中心なんですよね。その中でも塩尻地区というところですけれども、上塩尻、下塩尻、秋和という、ここがとりわけ中心地であったということなんですね。
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 これは現在の風景ですけれども、ちょっと高いところから見下ろすと非常に特色のある家並をしている。比較的大きな民家が建っている。そして二階建てで、越屋根という、これは蚕室、養蚕をやっていたという特色のある越屋根が付いていますね。これが特色。いまだにこれだけの建物が残っている素晴らしい文化遺産だと思います。これは塩尻地区だけではなくて、この辺一円で盛んでしたね。伊勢山などは代表的な地域ですし、それから塩田、その他、別所など各地域で盛んであったと。

 富岡との関係で捉えると、小諸ですね。小諸の蚕種製造もかなり大きな存在なんです。その辺もフォーカスを当てる必要があるというふうに考えているところです。

■現役の蚕種製造会社、上田蚕種


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 この蚕種製造に関しては、ポスト蚕糸業ではなく、蚕糸業そのものの話なんですけれども、実はこの上田蚕種株式会社なんですけれども、場所で言うと、上田東高校の隣にある八十二銀行ですとか、西友がありますけれども、そこに挟まれた洋風建築の建物、ここが上田蚕種さんなんですね。実はここは現在、長野県内で行われているというよりも、日本の中で蚕種製造が行われている殆ど唯一の企業であるというふうにご認識いただいて間違いありません。今、蚕種製造をやっているのは全国でたったの2社しかないんです。一つは上田蚕種、そしてもう一つは松本にある高原社、この2社しかありません。で、上田蚕種が4分の3のシェアを持っています。

 これはまた後で話をしますけれども、なんでこれをあえて話をしたかと言うと、蚕種がですね、これからの産業を担う非常に大きな新たな原資になりつつあるということなんです。ここが注目すべきことですね。どういうふうな作業をしているかと言うと、ここに、これは私が撮った写真なんですけれども、蚕の蛹が成虫になって、蛾になるわけなんですけれども、蛾を交尾させるんですね。オス、メス交尾させて、卵を産ませるわけなんですけれども、その作業をしているところなんです。非常に面白い生物なんですけれども、この蚕蛾というのは、自分自身で交尾したりとか、いろんなことができないんですよね。人が手を貸してくっつけてあげないとできないんですよ。非常に人間に都合よく飼い慣らされて、改造されてしまったかわいそうな生物なんですね。なので、私たちはこの恩恵を受けなければいけないということなんです。

 ここで注目すべきことは、上田蚕種が現役の企業であって、これは未来につながるまた新たな源になりつつあるという可能性を秘めているということなんです。

■製糸業、上田の旧常田館製糸場


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 養蚕は言うまでもない。省略させていただいて次の製糸業なんですけれども、この製糸業に関しては、今年の8月に天皇皇后両陛下が上田を視察されました。信大繊維学部とこちらの旧常田館製糸場施設を視察されました。実はここ、殆どというかあまり世の中全体で知られていないんですよね。富岡が圧倒的に有名で全国に知らない人がいませんけれども、もう一つ残っている近代の製糸工場、それは上田にあるこの製糸場なんです。なんですけれども、殆どの人が知らない。全国的には殆ど無名なんですね。地元の方は知っていますけれども、そういう存在ではないと思いますね。これは富岡製糸場とここしか、とにかく全国にないんですよ。これは素晴らしい文化遺産、産業遺産なんですね。そういう意味でもこれを過去と捉えてしまってはいけないですね。これはまた後ほどもう一回、別な視点から出したいと思っています。

■蚕糸教育の中心地、上田


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 それと関連して、これはまだポスト蚕糸業に至ってはいないんですけれども、かつての基幹産業であった蚕糸業を支えた大きなもの、これは教育なんですけれども、その教育の中心地というのは、ここ上田なんですね。これはやはり特筆すべきものだと思います。

 信州大学繊維学部はもともとは上田蚕糸専門学校という、蚕糸学を専門とする高等教育機関としてつくられた訳なんですけれども、蚕糸業の高等教育機関というのは全国で3つしかなかったんですね。その一つは東京にある現在の東京農工大学、それから京都、京都工芸繊維大学ですね。そして上田、信州大学繊維学部。この3つなんです。京都、東京、ここにあるのは当たり前なんですけれども、もう一つがこういう上田という、非常に小さな地方都市にあるということ自体が驚きなんですね。それだけの位置づけがあったというところを私たちはもっと再認識をしていくということなんです。

 これもまたポスト蚕糸業につながっていく話なんですけれども、繊維学という、ファイバー工学、後ほどもう一回話をさせていただきますけれども、最先端のポスト蚕糸業につながっているということなんですね。

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 信州大学繊維学部の話をしましたついでにこれもまた話をしておく方がいいということで、あえてここで話を入れさせていただきましたが、小県蚕業学校、現在の上田東高校なんですけれども、現在はいわゆる普通の高校になってしまったんですが、かつては蚕業学校という特別な役割を与えられた学校で、全国から生徒が来て、そして寄宿舎生活をしていたわけなんですね。全国の養蚕教師を養成する学校であったということなんです。
   
 まさに上田が人材を養成をし、全国に人材を送って、そして全国の蚕糸業を支えていたというところを見ておく必要があるということなんです。

■近代のシルクロード:信州~横浜


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 これは先週話がありました近代のシルクロードなんですけれども、信州、横浜、ここを見ていきましょう、ということで、前回、山浦さんの方から詳しくお話があったとおりです。上田を知るためには横浜へ行こう。横浜を知るには、その最大の輸出品目である生糸の最大の生産地である信州を知る必要がある、ということなんですね。ですから本当に日本の近代と言うものは、まさにここ信州、これを抜きにしては語れない、シルクロードという視点からするとますますそうですね。

■蚕糸王国を現代に伝える『信濃の国』


 たびたびの話で、まだポスト蚕糸業の話に至っていなくて申し訳ないんですけれども、たびたびまた話に出る『信濃の国』。やはり私も再びダメ押しで3回目の話をするわけなんですが、前回も山浦さん、これを強調されていまして、先ほど市川先生もこれを強調されていまして、私も強調するということなんです。
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 やはり、ここにかなりエッセンシャルなものがあるということなんですが、私の視点は『信濃の国』という歌は県歌な訳ですね。長野県歌。現在歌われている現役の県歌な訳です。これが116年前に出来て、歌詞を替えずに、替え歌にせずに歌われ続けているということは大変素晴らしいことですね。これは情報の世界でいう、いわゆる文化的遺伝子というもの、これの情報になっているんではないかな、ミームになっているんではないかなと思うわけです。



【2】蚕糸王国長野県と蚕糸業


■ポスト蚕糸業の視点


 ポスト蚕糸業という視点に移りたいと思います。ここでどういう視点で捉えるか、ざーっとここに挙げておきました。たくさんあります。

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 まず蚕糸業という産業そのものがどう変わったかということなんですけれども、いくつかの産業に大きくシフトしていきますね。その一つは間違いなく製造業です。それから製糸工場、そして紡績工場というのは非常に広大な敷地を持っていたので、大規模店舗、ま、ショッピングセンターなどに転用されやすいという、非常に有力な条件になっているわけなんですね。不動産業、ショッピングセンター業、こういうものにシフトをしていくということですね。

 そしてこれも先ほど市川先生が強調されたセイコーエプソンは再び採り上げさせていただきたいと思います。これは疎開企業という文脈で紹介をさせていただきたいと思います。

 そしてこの地域一円にあった桑畑、これが果樹園に転じているわけですね。全てがということではないんですけれども、なぜここが果樹王国かと言えば、元々は桑畑であったというふうな因果関係がありますね。ここは非常に大きいと思います。

 そして歴史遺産、産業遺産。こういうものが残ったわけですけれども、これは未来へ向けての新たな資源になるということなんですね。その保全活用。これはポスト産業というふうに位置づけられるということです。そしてファッション文化と着物文化ですね。これは言うまでもありませんね。それから先ほどの話、信州大学繊維学部が一つ代表的な研究機関でありますけれども、繊維工学、そして素材開発、この方向性があるということなんです。

 さらに、ということで新しい蚕業という…。蚕業と言うのはインダストリアルではなくて、お蚕さんの蚕業ですね。そちらの方の商品開発。この辺の可能性が大きいというふうに捉えることができます。そしてこういうものを地域づくりに活かしていく。これが皆様の方にお伝えをしたいポスト蚕糸業という視点です。

■蚕糸王国長野県の書籍は80年ぶり


 それぞれ見ていきたいと思います。その前に待望の『蚕糸王国信州ものがたり』が出版されました。前回、山浦さんからご紹介があったとおりなんですけれども、信濃毎日新聞社から発行されましたので、ぜひお買い求めいただきたいと思います。これはある意味画期的な本でして、何が画期的かと言うと、蚕糸王国信州について一冊にまとめた本というのは、1937年の『信濃蚕糸業史』以来ないんです。なんでないのかという理由はいろいろあるんですけれども、その辺の話は後ほどしたいと思います。
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 ここで一つコピーとして謳っているんですけれども「長野県発展の源流は、すべて蚕にあった」と、ああ、いいコピーつくってくれたな、と思って、帯のところに書いてあるんですけれども、これを見てうれしく思いました。私はこの中の「ポスト蚕糸業」という一番最後の章、第5章を分担執筆しております。今日の話もその辺に沿った形で組み立ててあります。

■産業は変遷する 蚕糸業は長野県産業の礎


 蚕糸王国だった長野県というのをまずポスト蚕糸業を捉えるためにも押さえる必要があるだろうということで、ここもまたポストではない話なんですけれども、蚕糸業を再確認しましょうということなんです。

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 私、大学で長野県の企業ですとか、学生の企業観養成ですとか、そういった科目も担当しているんですけれども、その中でもやはり蚕糸業というのは非常に重要なんですね。これを抜きに長野県の産業を語ることはできないんですね。『エラベル』っていう冊子に書いてある言い方で言うと「長野県はかつて蚕糸業を誇」っていたと。そして「全県の8割を蚕糸業と関連産業が占めていた」ということなんですけれども、8割ってどれぐらいの感じだと思いますか。殆どですよね。ですから、それ以外のものが少しあるというだけ。もう圧倒的に蚕糸業で成り立っていた地域社会ということなんです。

 蚕業が全盛だった時代というのは、今から約100年前になりますかね。1920年代がピークです。1929年にいわゆる世界恐慌というものが起こりますけれども、ここで株の大暴落、経済不況が世界的に深刻になって、やがて戦争へと突き進むというふうな社会不安の状況になりますけれども、1920年代、ピークで絶頂だったんですね。いきなりドカンと落ちちゃうわけですね。というふうに一つの隆盛を極めていた蚕糸業が一つ凋落するというような現象が起きるという訳なんです。これは別に蚕糸業に限らずに、どんな産業でも栄枯盛衰していくんですね。そして新たな産業にとって代わられるというふうな新陳代謝で産業と言うものは継続し、変わり、発展していくというふうな経緯をたどっています。産業の栄枯盛衰ということなんです。

 ポスト蚕糸業というのをどういうふうに線引きしたらいいかなというのがここの図式なんですけれども、ここ、私「150年前」とか「100年前」と書こうと思ったんですけれども、そんなこと書くと、歴史研究している方から「一体何の根拠があるんだ」というふうに言われかねないので、「100年前ぐらい」と。100年ぐらい前の前後の数十年というふうに緩くしました。150年前なんて言うと「断定し過ぎだろう、根拠ないだろう」と言われますので、非常に緩くしました。

 もちろんその時は蚕糸王国なわけですね。国の基幹産業を牽引したということなんです。で、戦争を挟んで戦後になる、と。ポスト蚕糸業と言うのは、戦後確かに蚕糸業は復活をするんですけれども、ただ戦前ほどの勢いはもちろんないですよね。そこで蚕糸王国とは言うものの、頂点を極めているわけではないので、やはり蚕糸王国って言った場合は1920年代の絶頂を極めるところに駆け上がっていくところだろうというふうに思うんです。その後はいろいろな意味でポスト蚕糸というふうな捉え方になるんではないかな。戦後も後半途中からは明らかに産業の換骨奪胎が起きて、まさしくポスト蚕糸業になっていくというふうな蚕糸業の転移と変質が起きていくということかな、と。そういうふうにざっくりと捉えていくといいと思います。あまりピシッと線引きしない方がいいかなと思っています。

■蚕種・養蚕・製糸ともに日本一だった信州


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 これは前回もご説明したところなのでご確認いただければと思いますけれども、蚕糸王国と言われているものの三つの産業、その一つ目の蚕種製造。これで長野県はとにかく1位。しかも2位の倍近く引き離して圧倒的な1位であるということなんですね。そして養蚕の面でも長野県が2位を約倍引き離して圧倒的な1位ということなんです。

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 さらに驚くべきことはこれなんですね。生糸生産。25%なんですよ。2位の2.5倍ということだけではなく、全国の4分の1を占めている。これは物凄いですよね。

 蚕種、それから繭。パーセンテージはこんなにないので、県外から材料を輸入して、繭を輸入して生糸生産を長野県でやっているわけです。その状況がはっきりわかりますよね。

 だからまさに蚕糸業というのは製糸を中心とした産業であったと。しかもそれが長野県を中心に行われていたということを数字が端的に示しています。

■生糸生産に見る蚕糸業の推移、現在は?


 ポスト蚕糸業を知るためには、生糸生産の推移というところを改めて確認をしておく方がいいかなと思うので、改めて「ポスト」ではない話をし続けているわけなんですけれども、戦争でかなり一度落ち込んだものが戦後の復興とともに持ち直してくると。ただ1970年代に入り、生活スタイルが多様化して再び低落傾向が続いて、殆どゼロに近くなるというふうな急展開をするというのがここ数十年の変化。この辺がポスト蚕糸業の一つの視点になるかと思います。
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 全国的には蚕糸業、生糸の生産に関しては圧倒的に中国なんですよね。日本は0.5%。私もこれを見て意外に思ったんですけれども。これは2001年のデータなので新しいものではありません。ですから日本のシェアはやや大きいかもしれないんですけれども、それでも0.5%あるということは逆に驚きなんですね。世の中全体で、世界全体でこういう状況になっているということなんです。


【3】ポスト蚕糸業


■現在の長野県の産業


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 ポスト蚕糸業のいよいよ本題のところに入るんですけれども、長野県の産業。現在はどのような状況かと言いますと、もちろん蚕糸業はここは入ってきません。主要な産業と言うのは、情報が15.2%。これは平成26年の工業統計に基づいていますけれども。電子が14.5%、生産が9.3%、その他というふうになっています。非常に一極集中していないんですよね。比較的分散しているというのがトップのバランスからもおわかりいただけるかと思います。製造品の出荷額が全国で19位ということですので、この辺はほぼ人口比に比例した出荷額になっていてほぼ順当な数かなというふうに捉えてよいかと思います。かつての蚕糸王国で圧倒的に1位を誇っていた時のシェアと比べると、だいぶ違いますけれども、それでもかなり健闘している県なんではないかなと思うんですね。この辺、ポスト蚕糸業の特色が現れているかと思います。

■ポスト蚕糸業:製糸業から製造業への転換


 「ポスト蚕糸業:製糸業から製造業へ」というところが第一の大きな変換なんですけれども。これは笠原工業、旧常田館製糸場。重要文化財なんですが…、「が」、なんですね。これは文化財というふうに捉えてはいけないんですよ。まさにこれは現役の企業の倉庫なんです。そこに注目していただきたいんですね。
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 笠原工業は笠原製糸という名前から改めて久しい訳ですけれども、それで現在は製糸業はもちろんやめていますけれども、発泡スチロールなどを製造しています。発泡スチロール、今も製造しているんですけれども、実はここ、発泡スチロールの倉庫なんですよ。ですからいつも私、毎年見学でご案内させていただいているんですけれども、奥の方に発泡スチロールが置いてあるんですね。白く軽いものなのでまるで繭に置き換わって発泡スチロールがあるというふうに見えるので、発泡スチロールを見ると繭があるように見えるんですね。非常に不思議な体験。しかも現役の工場だということ。現役の倉庫だということに感銘を受ける訳なんです。ということで文化財と見てはいけないということなんですね。

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 製糸業、そして紡績業もありますけれども、それが製造業に転化をしていくということなんですが、ここ(長野県)は何と言っても日本一の製糸大国ですからね。製糸工場がたくさんあったわけです。大規模な工場がたくさんあったわけです。そういった製糸業の数多くの技術・技能というものがこの地域には集積をしているということなんですね。そして製糸業で培われた生産・製造技術やシステムというものがその後の製造業に継承、活かされているというふうに捉えていただいていいと思います。そして広大な不動産資産があるということなんですね。またセイコーエプソンの時に話をさせていただきますけれども、女子社員が非常に勤勉で優れた労働力であると。その労働力を再雇用することで企業が始まるという非常にアドバンテージがあったということなんですね。…というふうなことがあります。

 ということで紡績、製糸、これは「〇〇工業」というふうに名前を変えていますけれども、換骨奪胎して現在の製造業に非常にうまくシフトしていっているということなんですね。

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 例を挙げ出すと切りないんですけれども、紡績業から製造業へ転換した企業の一つとしてシナノケンシがあります。元々は信濃絹糸紡績、1918年に創業したんですけれども、戦後になってしばらく経ってから1973年にカタカナでシナノケンシという名前に変わりました。当初は絹糸紡績をやっていましたけれども、精密モーターの製造に転換するという非常に大きな舵取りをした訳なんですね。そして現在に至っています。

■ポスト蚕糸業:桑園から果樹園への転換


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 先ほど何度も話が出てきました片倉工業なんですけれども、片倉工業は全国に非常に大きな不動産資産を持っているんですよね。土地を持っているんです。今発展著しい都市の一つ、さいたま市なんですけれども。大宮の周辺ですね。ここが新都心、さいたま新都心として再開発をされています。そこのかなり大きなエリアを占めるのが「コクーン新都心」なんですけれども。これ、片倉工業の土地なんですね。元々は片倉工業の大宮工場の跡地です。ここを再開発して非常に巨大なショッピングセンターが出現しているんですね。名前がまたなかなかいい。それを思わせるもになっていて「コクーン」ですね。コクーン新都心。「繭」って言うともっと易しいかもしれないんですけれども、コクーン新都心。大変な展開を遂げているわけです。

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 ここ地元、上田で見ると、今アリオのある場所ですね。イトーヨーカドーのある場所。そして文化施設であるサントミューゼがありますけれども、ここは非常に広大な敷地になっています。皆さんはおそらくここは「JT跡地」というふうにご記憶されていると思うんですけれども、JTというのはずっと後の話であって、ここは元々は鐘紡上田工場だったんですね。マルチメディア情報センターに昔のフィルムなどが保全されていて見れるような形になっていますけれども、戦前にですね、鐘紡上田工場で働いている女子社員たちがここで仕事をしている様子がちゃんと映像に捉えられていて、その背景にですね、上田城の櫓がちゃんと見えています。「あ、ここだった」という何よりの証拠ですね。

 このように非常に広大な土地があって、それが次のショッピングセンター産業に転換しているということなんですね。

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 これは蛇足なんですけれども、文化施設、サントミューゼ。カタカナで書かれていて、どこにも何の説明もないんですけれども、このサントは言うまでもなく蚕の都ですね。あまりカタカナで書いて説明しないのはよろしくないと私は思います。やはり地域全体で誇りを共有する、歴史を共有する。非常にそれを放棄するもったいないことをしていると思います。これは蛇足ながら言わせていただきます。

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 以前にですね。山梨に甲府に仕事で行った帰りにちょっと韮崎へ寄ってみようと思って寄ったことがあるんですけれども、韮崎市ですね。なんで寄ったかと言うと、真田昌幸がですね、新府城を造ったという、その新府城がある場所なんですよ。新府城の跡見たいなと思って寄ったんですけれども。駅前に行ってみたらこういうサッカーのモニュメントがあってですね。どうもサッカーのまちなんですね。サッカーのまちでもあり、ちょっと後ろの方に何か大きなショッピングセンターが見えるということなんです。でちょっとここに寄りたくなったのは、実はカーナビ見ていたら「片倉工業」って出てたんですよ。カーナビ更新していないんで、古い状態で出ていたんですけれども、「ああ、片倉工業だ」というふうに見えたので行ってみたらショッピングセンターに変わっていたということなんですね。

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 あと、上田のいくつかの例を挙げ出すと切りがないんですけれども、今イオンがあります。イオン上田店。ここは元々、昭栄製糸の場所。それが今はイオンに転じているということなんですね。

■ポスト蚕糸業:製糸業から不動産業・大規模ショッピングセンターへの転換


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 ポスト蚕糸業。それ以外に何があるかということなんですけれども、非常に大きな存在の一つは桑の栽培ですね。桑園というものがこの地域一円に広がっていた。山間に多かったと思うんですけれども。ここが現在はさまざまな形で果樹園に転換をしていると。これはマリコヴィンヤードのブドウ畑なんですけれども、上田市の塩川にあるんですけれども、非常に風光明媚で美しいんですよね。これ、皆さんも一度見に行かれるといいと思います。それからここで何かブドウを摘めるみたいですね。その作業をできるみたいですね。その作業がとても人気があって倍率高いみたいなんですけれども、大変素敵なところですね。こういうふうなものがポスト蚕糸業というふうに捉えられますね。ですから果樹王国というのはポスト蚕糸業かなと思いますね。

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 これは上塩尻にある山なんですけれども、前に大雪降った時に、雪の白い線が縞状に見えていて、「あれあれ?」っていう感じなんです。これは何かと言うと、実は蚕種製造の中心地であった塩尻の裏山は山の上の方までずっと桑畑なんです。ですから桑を摘みに塩尻の方々は毎日毎日山登りをしないといけないという非常に重労働だったわけですね。この話皆したがらないという話を聞いていて、誰も語らない訳なんですね。それぐらい重労働であったと。これまさに桑畑の段々畑、山が段々畑になっていたと。非常にはっきりとした痕跡。これが雪が降ると見える。ちょっと余談でしたが、こういう地域だったわけですね。

■ポスト蚕糸業:疎開企業、代表的な企業セイコーエプソン


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 この辺が核心の一番の一つなんですけれども、ポスト蚕糸業の一つとして位置づけられるのが「疎開企業」です。その中で一番代表格はセイコーエプソンではないかと思うんですね。これは生産高、売上高、その規模から言っても長野県ではダントツの1位の企業ですね。トップ企業ですね。長野県で一番というだけではなくて、日本を代表する世界的な企業と言っていいですね。この写真はセイコーエプソンさんの方からご提供いただきました。本社が諏訪市にある。これは大変誇らしいことだと思います。

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 で、疎開企業ってそもそも何かということなんですけれども、第二次世界大戦中ですね。1943年に「都市疎開実施要綱」というものを閣議決定して、ということなんですけれども、その前後から実は企業の疎開が始まっているんですね。より安全な信州に首都圏から移るということなんですけれども、その代表的な企業の一つはこのセイコーエプソンの前身の企業ですね。ここ、第二精工舎というのは書き方として正確ではないかな? それから富士通信機製造、富士通なんですけれども、須坂工場。ここは製糸場の跡なんです。これが富士通信機の方に移ったということなんですね。この辺も疎開として始まっているということなんです。

 このセイコーエプソンに関しては、今どちらかと言うと、いろいろとご関心のある方は御調いただければと思うんですけれども、私もこちらの『蚕糸王国信州ものがたり』に書く時に会社の変遷が非常にややこしくて、非常に書きにくくてですね、実は困ったんです。セイコーエプソンの経緯を書くことがねらいではないんですけれども、端折って書くと事実関係が説明できないので非常に実は困りました。

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 実はいろいろこういうふうに書いてありますけれども、大和工業ですね。1942年に創立されたという流れがあって、ここから始まる訳なんです。元々のルーツになっている企業は服部時計店ですね。その時計製造というところが発展をして後にセイコーエプソンになるということなんですね。この経緯の中でこの諏訪地方、信州というものが、空気が澄んで雨が少ない、非常に乾燥した精密業に適した風土であるということなんですけれども、それに加えて、これはセイコーエプソンに訪問した時にご説明を受けたんですけれども、この地域は製糸業の中心地であって、多くの女子労働者が失業をしていたと。再雇用することによって企業がすぐに始まる、これが非常に重要であったということを説明されていますね。そしてそういった製糸業で確立した生産システムというものが活かされたということなんです。ですから時計、精密機械というものと製造業、ここはある意味実はずっと製糸業と非常に大きくつながっているということなんですね。

■ポスト蚕糸業:産業遺産の保全と活用


 ポスト蚕糸業、他の視点を挙げさせていただきたいと思いますけれども「産業遺産の保全と活用」、そういう点からすると、現在残っている産業遺産、こういうものがもっと活かされていく。で、今年、天皇皇后両陛下が視察をされた旧常田館製糸場施設。ここはそういう意味で非常にシンボリックな歴史遺産だというふうに捉えることができます。
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 保全活用という点では、博物館として保全されているところがありますね。先ほど市川先生からもお話がありました岡谷蚕糸博物館、宮坂製糸所なんですけれども、何と工場の生産ラインを博物館の中に作ってしまったと。つまり博物館を胴体展示するという非常に画期的な展示方法なんですね。これは驚くべき展開だと思います。
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 代表的な施設としては、駒ケ根にシルクミュージアムというのがあります。2002年にオープンしたところなんですけれども、ここも元々は龍水社という組合製糸の記念館を、という地元の要望があってつくられたというふうに説明されています。
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 そして文化遺産そのものなんですが、これも挙げ出すと切りないのでちょっと触りだけ紹介したいと思いますけれども、代表的なものの一つは岡谷にある旧林家住宅。これは林国蔵、製糸家の居宅なんですけれども、その財力でつくられた非常に質の高い建物ですね。
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 それから須坂にあるクラシック美術館。こちらも製糸家の居宅だったところなんですけれども、現在はクラシック美術館。銘仙などを展示する美術館として活用されているものなんですね。
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■上塩尻の蚕種製造民家群:まだ産業遺産と認知されていない地域の宝


 産業遺産に関しては、いろいろと課題がありまして、上塩尻の蚕種製造民家群、これは未来に向けての非常に大きな地域の宝だと思いますけれども、こういうものが失われつつある。ただその社会的な評価が不足しているんですよね。ここが歴史遺産だ、産業遺産だ、という認識を皆さんが持てないでいるんです。住民の方も難しいんですけれど、他の方も難しい。そうすると先に進まないという非常に切実な現実がありますね。
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■ポスト蚕糸業:ファッションと着物文化


 ポスト蚕糸業で挙げるとすると、やはりファッションと着物文化、ここはかなり大きいと思います。紬工房いくつかありますけれども、ここに写真で紹介させていただいたのは藤本つむぎ工房さんです。着物だけではなくて手提げ袋ですとかポーチですとか上田紬を素材とした商品があって、こういう商品のラインナップはなかなかに楽しいなと思いますね。
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 そしてこれはどちらかと言うと絹業というところになりますけれども「信州紬」。これは1975年に通産省で伝統的工芸品に指定したというものなんですが、本当はここは「上田紬」と言って欲しいな、というのはやまやまなんですけれども、ただ規模がかなり縮小していたと。それから長野県内にいろいろもっとあるということで、松本紬、上田紬、飯田紬、伊那紬、伊那紬、山繭紬などを総称して「信州紬」という呼び方で通産省が指定したということなんですね。ということで、呼び方が包まれているので、「信州紬って何ですか?」っていう感じになってしまうんですけれども、結城紬、大島紬と並ぶ三大紬とも言われていますけれども、信州紬、やはりここがもっと再興していくといいかなというふうにいつも思っているところです。
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■ポスト蚕糸業:繊維工学と素材開発


 ポスト蚕糸業、挙げ出すと切りないというぐらいにあるんですが、本命の一つは間違いなく繊維工学です。繭、それが今後に向けての素材としての可能性を秘めているということなんですね。シルクと言うのは繊維体なんですけれども、繊維と言うのはファイバーと言いますが、そのファイバー工学。これを素材とした工学的アプローチで新しい商品、素材というものが開発されていく。ここの可能性が非常に大きいということです。信州大学繊維学部にはその辺の最先端のファイバー工学を展示する「疾走するファイバー展」というのが常設展示されていまして、希望される方は見ることができます。学生たちを連れていった時もあるんですけれども、(学生たちは)すごい興味津々でしたね。手に触れる。その辺も大変興味があるみたいです。
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 これはその代表的な研究の一つなんですけれどもスパイダーシルク。靴下になっていますけれども。これは驚くべき研究なんですが、蚕に蜘蛛遺伝子を組み込むんですよ。そうすると非常に強い強度の生糸が作れる。これは驚きですね。こんなこと出来るんですか?というものですね。
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 これはナノテクノロジーと言うんでしょうかね。非常に細かい繊維で織られている織物なんですけれども、このように水が染みていかないんです。非常にキメ細かいんですよ。こういうものが作れているんですね。素材開発、これは驚くべきものですね。
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■ポスト蚕糸業:新しい「蚕業」、シルクソープの例


 もう一つ例を挙げたいと思いますが、代表的なものとしてシルクソープを挙げました。
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 実はシルクソープ、私、2年ぐらい前からモノは試しで使ってみたら素晴らしくいいんですよ。他の石鹸使えなくなりまして、毎日洗顔にシルクソープ使っています。60gで3,000円。高いか安いかってあるんですけれども、結構長持ちするんで、長持ちの度合い考えると決して高くはないですね。それよりもこれだけ肌に優しく、程よくしてつっぱらないこの感触のよい石鹸、こういうの他になくて、洗顔石鹸いろんなのがありますけれど、あんまりよくないんですね。これだけ抜群にいいですね。おすすめです。いくつかのブランド出ていますけれど、宮坂製糸もこれを出しています。
 
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 「シルクソープのインパクト」ということでここでは紹介させていただきましたけれども、「蚕業」っていう発想が一つあるかなと思うんですね。これまでは蚕業と言うのは生糸・絹製品というところに直結していたわけなんですけれども、素材を使うっていうことで考えると、別に生糸を作る必要はないですね。むしろそれがさまざま活かされる素材としていろんな商品開発に活かされる可能性が大きい。その一つとしてこのシルクソープがあると捉えていただくといい。これは実はつくばにある生物資源研究所で開発をして牛久市、つくば市の隣ですけれども、そこにある絹工房ということころが製造しているというものなんですね。

 先日、今年7月に富岡製糸場を訪問した際にちょっと驚いたんですけれども、富岡製糸場の一番真ん前のところに常設の両隣のお店がありまして、実はどちらもシルクソープ売っているんですよ。ちょっとびっくりしましたね。これだけ人気が出ているんだということを知って私はびっくりしました。おそらくこれは売れるので一番いい場所に店出して売っているんですね。ブレークする予感がしています。
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 蚕業遺産の未来に向けたというところで言うと、近代化産業遺産としての認定、これは非常に大きなインパクトかなと思っています。
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■未来に向けた産業(蚕業)遺産群の活用


 2007年に経済産業省が「近代化産業遺産」とうものを選定したんですけれども、その中に13番目の剪定の中に「上州から信州そして全国へ」というのがあるんですね。これは「近代製糸業発展の歩み」というものなんですけれども、ここに長野県がかなりフォローされています。「全国へ」ということなので、上州、つまり群馬県。そして信州だけではなくて、全国というところへ広げているんですけれども、グンゼで有名な綾部ですね。その他ってあるんですけれども。それから埼玉の方は蚕都熊谷と言われたところが中心であったりするんですけれども、圧倒的に長野県が多いってことはわかりますよね。35件長野県なんです。群馬県を圧しているんですよ。やはり数が非常に多いということなんですね。これは活かさなかったらもったいない。お隣(群馬県)は世界遺産ですので、信州王国もっと頑張っていいいんじゃないでしょうか。
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【4】未来への贈り物


■歴史的価値を派生させた信州蚕糸業の遺産群


 「未来への贈り物」ということで、まとめに近いところの話なんですけれども、ポスト蚕糸業。これは蚕糸業の転移と変質であるというふうに捉えていただいてよいと思います。そして蚕糸業の全盛期から約100年が経過していますので、そもそも遠くになり過ぎている。そして知らない人が増え過ぎているということなので、これは新しい資源というふうに捉え直してもらう方がよいかと思いますね。そういう意味でポスト蚕糸業、再び蚕糸業を資源とする段階に至っているんではないだろうか、と捉えていただくとよいと思います。
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■地域資源としての「信州の蚕糸業とシルクロード」


 で、今回のタイトルにしています「信州の蚕糸業とシルクロード」ということなんですけれども、信州の地勢的な特性、先ほど市川先生からもお話があったとおり。そしてもう一つの特色は社会的な面でして、地域が山に囲まれ、川でつながりということなので、細く長くつながっているので、地域社会は非常に枝分かれして小さいんですよね。なもんですからここの上田小県というエリアも長野県の中では約10分の1に過ぎない。なかなか他の佐久とか、他のところに行くことも少ない。南信なんかましてや行かない、知らない、というふうに非常に遠いんですね。これは私も他県から来てから感じるんですけれども、長野県はこの特色が著しいです。10個に著しく分散している。さらに言うと著しく小さく自律分散している社会。それぞれが相互独立なので、「小さい、小さい、小さい」というつながりなんです。これが世界遺産になるような凄いものを抱えているという価値認識に至りにくいという状況というのはよくわかるんですね。これ10個束ねないといけないんですよ。県の行政区画だと地方事務所、10個に分かれていますけれども、10倍しないといけないんですね。そうした時にここの地域の凄さが見えてくるわけなんです。だから「蚕都上田」と言っていてはいけない。「糸都岡谷」と言っていてはいけない。いけなくはないんですけれども、これが束なったのがここの地域の凄みだと言うことなんですね。
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 今年この本(『蚕糸王国信州ものがたり』)出しましたけれども、なかなかここまで全体をまとめたものが出なかったというのはその辺に大きな理由がありますね。

 1937年の『信濃蚕糸業史』の中にも書かれていますが、遅まきながらやっと出しました、みたいなことを書いているんですね。ですけれども、それ以降は遅まきながらどころじゃないですね。何十年経ったんでしょうかということなんです。それっくらいここの長野県と言うのは束ねられることがなかったということなんですね。

■「信州の蚕糸業とシルクロード」を未来に活かす


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 そんなことで各資源というものは「ポスト蚕糸業」、「未来創成の原資」になると。そして地域づくり、これはいろんな意味がありますけれども、教育、観光振興、産業振興、その他、そういう地域づくりでの活用というものが期待される。そういうふうに捉えていただいて、皆さんにぜひ「信州の蚕糸業とシルクロード」を今後に活かすということで、未来へ向けて活用を考えていただきたいというふうに思います。

 私からは以上で説明を終わらせていただきます。ありがとうございました。

登録日:2021-07-15 投稿者:ミッチー
管理番号3030
カテゴリ名講座等記録
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