上田市マルチメディア情報センター

上田市マルチメディア情報センター

上田市マルチメディア情報センターは、長野大学の少し上に位置している、情報化を総合的に支援する環境が整っている施設である。

●施設・概要
学生は無料で使用できる学習スペース、3Dプリンターがあり、アニメや映画などを250作品以上見ることができるPCが置かれていた。また子供や大人も活用できる学習空間がある。
他には教育支援や無線LAN有線LANの管理など地域にも貢献している施設である

●上田資料映像鑑賞
上田市の50年前の資料映像を見させていただいた。
そこでの貴重な映像を紹介する。

●「上田つむぎ」信越放送 1964年1月16日放送/上田紬/私たちの周辺
人手を要する養蚕は機械化をする必要はあるが、あまりにも機械化をしてしまうと伝統が欠如してしまう可能性があるとのこと。
手織りのものは個人に合わせて作り、機械で大量生産したもの問屋などを通じて流通するのが主流であった。

●「カラスととうふ」信越放送 1965年1月20日放送/上田・真田(傍陽)/私たちの周辺
上田では冬の副業として、しみ豆腐づくりが行われていた。
製造者の睡眠時間は4時間で、午前2時から豆腐工場は運営が始まる。工程がすべて終わるのに10日かかるが、68円しか稼げないのである。
豆腐の商売方法は売り子により一件一件売られていた。
次にカラス田楽とは、カラスに罠を仕掛けフクロウを囮に捕まえ、そのあとはカラスの羽をはぎ取り、肉を擦ってそれを串にかためて焼く食べ物である。
信州人たちの反骨精神から悪さを働くカラスを名物として浸透させていったのであった。

●「塩田鯉」信越放送 1964年10月14日放送/塩田/私たちの周辺
過去に塩田地域でため池で鯉の稚魚の養殖がおこなわれていた。
養殖された鯉は木箱に詰められ、滑り台を使って土手の上まで上げる。目まぐるしい作業が映像で流れていた。
20kgずつ量りそのままトラックの水槽に詰め、その後畜養センターに運ばれる。
ゆくゆく長野県の鯉の生産量の半分をこの塩田鯉で占めるようになるのであった。
米、養蚕に続く名産になった塩田鯉があることを映像を通じて知った。

●「依田社の記録」大正10年頃 丸子地区 製糸結社依田社がアメリカ向けに制作したPR映像
依田社は、女子工員が7000人在籍していた紡績工場である。
紡績工場とは簡単に言えば糸を作る会社である。
まゆの糸は1本につながっていて1000m以上ある。
当時依田社の製品は高く評価されていたらしい。

●「現代に生きる蚕種製造技術」・平成14年 上田地域デジタルアーカイブ 上田市マルチメディア情報センター制作
この映像では、養蚕の始まりを学んだ。
蚕の卵は植物の種に似ていることから蚕種と呼ばれている。蚕都と呼ばれた上田は、塩尻地区を中心に桑畑に覆われていた。現在は果樹畑としてその片鱗を残している。
蚕を飼っていた場所は蚕室であり、風穴に蚕の卵を保存することで、時期を問わず生産できるようになった。
後に生糸が海外で珍重されるようになり、生産量が爆増。日本の蚕種輸出の衰退が起こる。
その結果蚕種は国内向けに輸出が行われるようになるのであった。

こうした上田の過去の映像はとても貴重であった。
こうした情報化に特化した環境である上田市マルチメディア情報センターならではの体験を通じ、上田という地域の足跡を辿ることができた。

登録日:2023-01-12 投稿者:たむ
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