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2022信州上田学テキスト
2023信州上田学テキスト
その他
最初の投稿
登録リスト(該当:30件)
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1
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写真
タイトル
説明
登録日
1
上田城
真田幸村の父、真田昌幸によって築城されました。桜の時期の祭りや、秋のライトアップなど一年を通して様々なイベントも行われ、地元の人たちにも愛される観光名所となっています。歴史ある上田の遺産に、皆さんもぜひ足を運んでみてください。
2024-02-13
2
生島足島神社
日本遺産にもなっている、地元の人々から愛される神社です。七五三の時期には多くの子どもがお宮参りに訪れます。祀られているのは生きとし生けるもの万物に生命力を与える「生島大神」と、生きとし生けるもの万物に満足を与える「足島大神」の二神です。真田昌幸の朱印状など、国の重要文化財に指定された94通の古文書が残っており、内殿は「県宝」に指定されています。この神社は神池に囲まれた神島に建っていてとてもきれいでした。下之郷駅のすぐ近くなので、訪れてみてはどうでしょうか。
2024-02-13
3
生島足島神社 日の入り
冬至の生島足島神社に行ってきました。 この神社は、太陽が夏至には東の鳥居の真ん中から上がり、冬至には西の鳥居の真ん中に沈むよう、鳥居が太陽の至点と一致するように配置されています。 実際この写真を撮影できたのは当時の三日後でした。雲がかかっているとみることができないため、きれいに鳥居の間に日が沈む光景を見るには、運も必要です。 とても寒かったですが、地元の方も多く集まっていました。とても美しく、見に行く価値があると思います。 次は夏至に、反対側の鳥居から日が昇る光景を見ることができます。是非行ってみてください。
2024-02-13
4
白山比咩神社
白山比咩神社は、天平3年に上田地方において疫病が流行した際、加賀の国(石川)の白山より分産したとされる。弘安元年に現在の位置に再建され、眞田昌幸・信之などの戦国武将からの寄付状など、歴史を物語る資料が多く残されている。幕末から明治初期に信濃の地で活躍した宮大工の彫り物なども多数存在し、先人たちが地域の文化財として脈々と守り受け継がれてきたことが理解できる。 白山比咩神社は毎年初詣に行く神社であり、私の住んでいる地元住民に親しまれている神社である。初詣に行くだけで、石碑などの存在を認識していなかった。歴史についても調べる機会はなかったので、親しみある神社について知ることができ良かった。
2024-01-30
5
信濃国分寺跡
信濃国分寺跡は、平将門の乱により消失した当時の国分寺が立っていたとされる場所である。昭和38年から46年にかけて行われた7回の発掘調査では、僧寺や尼寺が並ぶ伽藍配置と瓦、陶器などの遺物が発掘されている。全国の国分寺においても僧寺と尼寺が近接して建設されることは稀であり、10世紀頃の国分寺衰退の痕跡も確認できるなど歴史的価値の大きい遺産である。現在は、史跡公園として整備されている。 上田市が地元でありながら国分寺跡まで、足を延ばす機会がなかった。行くことがあっても道路沿いまでで、線路を挟んだ向こうにも続いていることを知らず驚いた。併設されている信濃国分寺資料館では、発掘時の釘や瓦を見ることができ当時の歴史を知ることができる。また、安楽寺八角三重塔の模型もあり細部まで構造を確認するこ
2024-01-30
6
於佐加(おさか)神社
長野市を流れる犀川の南岸旧・丹波島宿の最西端に位置する神社。 丹波島宿は、善光寺街道の重要な宿場町で東西に約654mの距離がある。善光寺参りの最後の宿場であるため、参拝者や旅人たちが多く利用した。 「丹波島の渡し」の無事を祈ってこの於佐加神社に参拝した。 現在でも地元の住人が参拝している様子が見られた。 写真は於佐加神社の案内掲示板。小坂神社の外観(鳥居)。摂社。旧・丹波島宿の地図。旧・丹波島橋の一部。狛犬などである。 小学生の頃に公園代わりによく遊んだが、久しぶりに訪れたら、ブランコとジャングルジムといった遊具がなくなっていて驚いた。
2023-05-11
7
上田映劇の歴史
1917年に建てられたのが上田映劇の前身「上田劇場」です。当時一階には桟敷(さじき)と花道があり、回り舞台仕様歌舞伎座と同じような作りをしていました。長い歴史の中でDVDプレーヤーの普及などから客足が遠のき一度定期上演を終了するも、 2014年5月 上田映劇をメイン舞台とした「晴天の霹靂」が上映される。そして 2016年12月「映画の街上田」のシンボルとして再起動させていくために「上田映劇再起動プロジェクト」が開始され、 2017年4月 「上田映劇再起動準備会」として定期上演を再開した今もなお地元のひとの愛のおかげでシンボルとして立っているのだと感じた。
2023-02-01
8
上田蚕種協業組合
上田蚕種協業組合は、大正5年に地元の蚕種家が出資して上田蚕種株式会社として設立したのが始まりである。現在の事務棟・採卵室など主要な建物が翌6年に完成した。その後、昭和45年から現在の社名となっている。最盛期には22万箱の蚕種をこの組合から出荷していた。 「上田蚕種協業組合」より https://museum.umic.jp/bunkazai/document/dot25
2023-01-26
9
糸のまち・こもろツアー
こちらの写真は、2022年7月3日に行われた糸のまち・こもろツアーの様子です。 まず、酢久商店(純水館資料館前)へ集合し、そこから地元会員ガイドの清水季志子さん、清水寛美さんを中心にこもろの町を散策しました。 散策した場所は以下の通りです。 ・嶋田屋(明治16年まで萬屋太物呉服店) ・海慶院 ・宗心寺の高橋平四郎のお墓 ・小山家一族のお墓 ・寿町の蚕種蔵 ・工女さんのお墓 ・丸萬製糸場 ・光岳寺 ・宗心寺山門より荒町通り豪商 ・純水館(小山家前)(渋沢栄一宿泊の家) ・玄関前の小山久左衛門銅像
2022-07-10
10
松本城
松本といってまず思い浮かべるのは国宝松本城だろう。 黒を基調とした外壁は美しく、戦国末期の日本最古である天守と平和な江戸時代初期の優雅な櫓とにより造られている。 その姿は季節によって変化する。 今回撮影した5月には緑の木々と松本城との景色が美しかった。また、記憶に残る姿として2月には初の試みであるレーザーマッピングが行われ、地元民にも光輝く松本城という新たな一面をみせてくれた。
2022-05-10
11
松本神社
松本城の真北に位置する松本神社は、暘谷大神社を前身に持ち、1797年以降そこに5つの神社が合祀する形で現在の松本神社となったそうです。そのため地元の人々からは「五社」という呼称で親しまれています。 松本城と隣接していることからもわかる通り、松本城主松平康長をお祀りしている社であり、国の重要文化財にも指定されています。 つつましやかな造りの社殿が厳かな雰囲気を醸し出しています。 画像引用:「新まつもと物語」https://visitmatsumoto.com/spot/%E6%9D%BE%E6%9C%AC%E7%A5%9E%E7%A4%BE/ 画像アドレスhttps://visitmatsumoto.com/spot/%E6%9D%BE%E6%9C%AC%E7%A5%9E%E7%A4%BE/attachment/sp_3291/
2021-05-05
12
上田飛行場跡
第二次世界大戦中、軍用機の訓練場として利用された飛行場。現在は上田千曲高等学校などになっており、元関係者、地元住民により「碑」が建てられた。今現在は町とし上書きされてしまっており、面影もなくなっている。飛行場があったということを伝えるためにも、碑はとても重要だと感じた。
2021-05-05
13
龍翔館
地元の歴史にまつわる者が多く飾られている。有名な船も入り口に飾られている。
2021-05-05
14
須々貴山神社
天白山の頂上に須々貴山神社があります。頂上に着くまでに石段が507段ありました。傾斜もキツく、石段のの終わりが見えないほど永遠と続いていました。途中で何度も心が折れそうになりながらようやく頂上に着きました。 この神社には、天白大権現と猿田彦命が祭られているそうです。須々貴城は上田原の戦いで村上義清が布陣した城で、 元は地元の豪族、小泉氏が築城した城らしいです。 また階段を上ると社が祭られていました。社からの長めは開けていて見晴らしが良かったです。 帰りは参道で帰ろうとしましたが、草木におおわれていて通れず、急な石段をおりてきました。大変すぎてもう行かないと思いますがいい経験になりました。
2020-11-18
15
別所線大学前駅の「信州の学海」説明板
「学問を志す者が大海に流れ込むがごとく集まる」ことが学海の意味するところです。 「凡そ経論に渉るの学者…遠方より来(きた)って皆至る」 歴史ある鉄道、別所線の大学前駅にた説明板「信州の学海」の謂れを記した説明板が掲げられています。長野大学の学生たちが設置したものです。しっかりと地元に「信州の学海」を明示してくれていてありがたい。
2020-09-12
16
第二代上田市長・勝俣英吉郎の像
上田が興隆した背景には蚕糸業の興隆があります。蚕糸業で発展した上田は1919年に市制を施行し、その頃から「蚕都上田」と呼ばれるようになってきました。歴代市長の政治的貢献も顕彰すべきものでしょうが、歴史的には第3代・成澤伍一郎、第4代・伊藤傳兵衞のネームバリューの大きさからかどうも第1代、第2代の影が薄いのは否めません。 市制施行からもかれこれ100年近くが経ち、当時の市長を知る人などはこの世に存在しなくなりました。上田城跡公園の中にひっそりと佇む銅像があります。それが、第2代市長・勝俣英吉郎の像です。 勝俣こそ蚕都上田の絶頂期に市長を務めた人物です。1929年の世界恐慌で蚕糸業のみならず、日本が一挙に大不況に陥った直後の1930年に逝去したというあたりも不思議に象徴的です。 この顕彰像、面白
2020-07-18
17
野球と蚕糸業
1927年に建設された上田市営野球場。蚕都上田の隆盛があって、地元に野球場が出来る。キモノマルシェで旧常田館製糸場の鉄筋繭倉庫を現存する長野県最古の鉄筋コンクリート造の建物(1926年=大正15年)として紹介したばかり。なるほど、この野球場の建物に接する鉄筋コンクリート造の橋はその竣工年がその翌年(1927年=昭和2年)になっています。蚕都上田の隆盛を背景に当時としてはまだ数少なかった鉄筋コンクリートの建造物が建造されたことがわかります。 野球と蚕糸業。この視点で知り得ているのは諏訪蚕糸学校(現岡谷工業)の甲子園での輝かしい準優勝の記録。校名に「蚕糸」とあることからもはっきりとその学校の背景がわかります。蚕糸業による経済的繁栄があって、野球が盛んになったことが物語られています。 (2016/10/28投稿
2020-07-18
18
下塩尻蚕種製造民家群の佇まい
2017/11/27の記録。日本一の蚕種製造地を私は「上塩尻蚕種製造民家群」と呼んできましたが、より包摂的には「塩尻地区蚕種製造民家群」と呼ぶのが適切です。本日、日本ナショナルトラストのUさんが上田に来訪され、地元の方と塩尻地区(秋和・上塩尻・下塩尻)を見聞しました。 下塩尻はこれまであまり見聞したことがなく、地元のMさんの御案内で私も認識を新たにしました。下塩尻は北国街道沿いばかりでなく、千曲川沿いの一帯に「蚕種製造民家群」が集積しています。上塩尻と違い、千曲川沿いの低地に屋敷が広がっているせいか、一軒一軒の家々の敷地が広く、狭いところに屋敷がひしめきあう上塩尻とは対照的です。総じてゆったり感があります。その佇まいが下塩尻の景観をなしています。川べりという立地のせいか、集落の景観が群馬県
2020-07-18
19
学生と旧常田館製糸場を見学
2018/05/10午後、1年生のゼミで「上田まちなか探検」を実施しました。最初の約1時間、常田館製糸場を見学しました。常田館製糸場は製糸工場の産業遺産で、笠原工業が管理しています。重要文化財に指定されています。2年前の2016年、天皇皇后両陛下が視察で訪問されました。 蚕都上田の中でも常田館製糸場は代表的な上田の製糸場です。1900年に創業しています。歴史ある産業遺産であるにもかかわらず、上田の地元住民でも知らない方が多い。 見学当日、笠原工業の笠原会長が1年生17人に対応をしてくださいました。次世代を担う若い学生たちへの産業文化の伝承というミッションをお感じになってのことと思います。蚕糸業のことを平易に手短に解説をされ、皇后陛下とのお約束だからと、皇室の養蚕に関するビデオを見せていただきまし
2020-07-18
20
上田藩主/老中・松平忠固の墓
2018/05/10、願行寺にある松平忠固の墓を訪れました。上田藩主・松平忠固(1812~1859)は2度に渡り、老中をつとめた人物です。老中の職にあった時に、日米和親条約(1854年締結)、日米修好通商条約(1858年締結)を結んだことの功績は極めて大きい。日本が列強と互角に対し、列強並みの好条件で列強と貿易協定を結んだことは、その後の日本の近代化を決定づけたと言ってもいい。貿易を推進し、殖産興業を推進しました。 上田における松平氏に対する関心の低さは、この墓の状況が端的に物語っています。かつての願行寺は上田城と対峙するように大手町~海野町の旧城下町のメインストリートの対極に位置し、海野町の通りはその門前のように位置していました。しかし、その道筋が真っ直ぐに貫通し、願行寺の真ん中は道路によって分断されました。さら
2020-07-18
21
上塩尻の蚕種製造民家群と文書を見聞する
2018/08/18、上田市上塩尻の蚕種製造民家群と文書を見聞する会を開きました。長野大学前川研究室、上塩尻自治会、上塩尻今昔の会の連携で実施したものです。地元上塩尻の方々を中心に、建築や歴史文化の専門の方などが加わり20名ほどが参加しました。 幕末から近代にかけて日本の産業を牽引した蚕糸業の中でも、長野県は蚕糸王国と呼ばれるほどに近代日本の殖産興業に貢献をしました。その中で上田小県は蚕都上田と呼ばれ、その中心地の一つでした。とりわけ上塩尻を中心とした塩尻地区は蚕種製造の一大中心地となり、江戸時代から幾人もの優れた蚕種製造家を輩出した他、各家が蚕種製造業を営んでいました。その当時の蚕種製造民家は現在もなお数多く残り、「蚕種製造民家群」という全国的にも稀有な歴史的景観地区となっています。
2020-07-18
22
レポート 玄蕃山公園の銅鉱石と山砂鉄について
はじめに 私は小学高学年のころから「石コロ」が好きで、野山を歩いては「小石」を持ち帰る癖がありまして、その癖が今でも続いています。我が家は庭も家の中も「石コロ」がゴロゴロしています。 今70歳になり本気で好きな「石コロ」と向き合っています。 令和元年9月14日、真田の佐藤工房で砂鉄の製錬実験をしました。始めての体験ですが2㎜ほどの鉄球を検出しました。砂鉄から「玉鋼」が出来ることを男児は皆興味を持ちます。今回驚いたことは、「銅色をした鉱物」が出来たことです。 検出した鉱物はハンマーで叩くと潰れてしまいましたが、写真を撮っておきましたので、郷土地質研究家の山辺邦彦先生を訪ね、砂鉄の産するサンプルの分析をお願いしました。 今回のサンプルは東御市のアケボノゾウの
2020-07-15
23
高市神社を目指して④~商店街の中にある神社~
とうとう今回の探検の目的地である高市神社に到着しました。 私の地元にも沢山の神社がありますが、商店街に神社があるということは聞いたことがありません。かなり珍しいのではないかと思います。 あいにくの雨天でしたが神社の趣を感じることが出来ました。また、「防犯カメラが作動しています」という張り紙が目立っていました。商店街にあるということもあってお賽銭泥棒が出没するのでしょうか。とんだ罰当たりですね。自分は作法を踏まえつつしっかりと参拝させていただきました。
2020-06-23
24
穂高神社
穂高駅から徒歩数分でつく地元では有名な神社。 ここ数年で改修作業がはいり建物がきれいになりとても厳かな雰囲気が出ていてとてもいい。パワースポットとしても有名でそこそこ観光客が訪れる。お土産屋さんも充実している。また、なぜか地元の人は車を買ったらここに来る。交通安全のご利益でもあるのだろうか?詳細求む。 ここには過去初詣や地元の祭りであるお船祭りに来ていてとても思い出に残る場所。みなさんも一度訪れてみてはいかがでしょうか。
2020-06-05
25
大星神社
創建時代は不詳ですが、第60代醍醐天皇延長2年(924)に社殿を改築された記録が存在しています。御祭神は、事代主命・建御名方刀美命・前八坂刀売命です。秋にはお祭りが開かれるため、賑わいを見せます。自然が豊富でその場にいるだけで、力を貰える、パワースポットのような雰囲気を感じられることができます。境内案内板が古く、一部読むのが困難な箇所がありました。また以前は、ゲートボール場があり、ご老人の遊び場となっていたのですが、いつの間にか駐車場になっており、時間を感じさせられ少し寂しい気持ちになりました。
2020-05-26
26
井子神社
まわりを小諸市指定保存樹林に囲まれた神社。二年参りなどで地域の方に参拝されている。 小さな集落を見守るかのように高台に建てられ、運動広場の一角になっている。 地元の人たちの憩いの場のようだ。 幻想的かつ神秘的で、時が止まったかのようなゆったりとした美しい空気が体を包むよう。
2020-05-26
27
芦ノ尻道祖神
地元の神様で、地域に病や災が入ってこないように守っている。毎年1月7日にお正月のしめ縄を使って道祖神の碑に特徴的な顔が作られる。 長野オリンピックの開催式に大きな道祖神が出たことでも有名。
2020-05-25
28
明治史料館
地元の主に幕末から明治のころの歴史とその資料について展示がされています。また、江原素六という人物についての展示もしています。
2020-05-24
29
上塩尻の蚕種製造民家群と文書を見聞する
2018/08/18、上田市上塩尻の蚕種製造民家群と文書を見聞する会を開きました。長野大学前川研究室、上塩尻自治会、上塩尻今昔の会の連携で実施したものです。地元上塩尻の方々を中心に、建築や歴史文化の専門の方などが加わり20名ほどが参加しました。暑いとは言え、連日の猛暑からは解放されたように秋めいた爽やかさが感じられる一日となりました。
全国的にも稀有な蚕種製造民家群
幕末から近代にかけて日本の産業を牽引した蚕糸業の中でも、長野県は蚕糸王国と呼ばれるほどに近代日本の殖産興業に貢献をしました。その中で上田小県は蚕都上田と呼ばれ、その中心地の一つでした。とりわけ上塩尻を中心とした塩尻地区は蚕種製造の一大中心地となり、江戸時代から幾人もの優れた蚕種製造家を輩出した他、各家が蚕種製造業を営んで
2020-05-10
30
秋和の文庫蔵を訪ねる
2/17、地元の方々と学生と秋和文庫蔵を訪ねました。 秋和は蚕種製造の中心地であった塩尻村の中で、上塩尻、下塩尻と共に蚕種製造が営まれ、蚕都上田の興隆にも大きく貢献した一地域です。そうした近代の地域の背景を知る上でも地元の古い資料は欠かせないものです。 いくつか手にした文書は「明治十八年 祭典諸事記載帳」「明治三十年度 人夫賃金支払帳 塩尻村秋和土木委員」「明治十年第三月 秋和学校貸附金証書」「明治十三年金銀出納簿 一月ヨリ 秋和学校」などなど。少し手に取っただけでもまるでタイムカプセルから地域の埋もれた歴史に陽光が当てられたかのような感興がありました。 これらの資料をどうするか。それが問題です。地元の資料は地元の力でともかくも目録化に着手するのが第一との課題を共有しました。
2020-04-22
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1
≫
歴史(8)
神社(4)
蚕都上田(4)
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自然(3)
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蚕糸業(2)
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秋和(1)
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蚕種製造民家群(1)
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上田市(1)
参拝(1)
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観光(1)
安曇族(1)
交通安全(1)
お船祭り(1)
高市神社(1)
海野町商店街(1)
イレギュラー(1)
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蚕室(1)
埋薪(1)
藤本の蚕室(1)
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松平忠優(1)
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墓(1)
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製糸場(1)
製糸業(1)
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野球(1)
野球場(1)
上田城跡公園野球場(1)
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勝俣英吉郎(1)
銅像(1)
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体育施設(1)
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坂井(1)
三国(1)
龍翔館(1)
船(1)
地図(1)
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第二次世界大戦(1)
訓練場(1)
上田千曲高等学校敷地(1)
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碑(1)
軍施設(1)
軍事遺跡(1)
陸軍(1)
17万坪(1)
1931年(1)
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五社(1)
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虎松(1)
松本市(1)
歴史・文化(1)
観光名所(1)
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城巡り(1)
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