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1海野宿、宿場から蚕種製造地へ海野宿、宿場から蚕種製造地へ中山道の宿の一つ、海野宿は重伝建(重要伝統的建造物群保存地区)に指定されています。江戸時代は宿場として栄えましたが、明治期に入ると宿場としての役割は終わり、それぞれの家は蚕種製造民家として新たな形成が図られました。 明治20年代に多くの家屋が建て替えられています。宿場と解釈される方が多いですが、現在の街並みは蚕種製造民家群が残されたものです。ウダツが上がっているのも特徴です。信州蚕糸業遺産として広く知られて欲しい歴史遺産です。2023-09-23
2観光客でにぎわう海野宿観光客でにぎわう海野宿ゴールデンウィークの4/30(日)、車で大屋駅から海野宿を通り御代田方面へ向かいました。この日はさすがに観光客の姿が多く目につきました。申し訳ない思いで海野宿をドライブスルーしました。 江戸時代は北国街道の宿として栄え、その後は蚕種製造が営まれるようになり、それ以前にも増して繁栄した地域です。これらの建物はいわゆる宿場町の宿ではなく、蚕種製造民家群と捉える方が実態に合っています。明治20年代に多くの家々が建て替わっていることも特色の一つです。うだつが上がっていることも蚕種製造で栄えたことを物語っています。2023-05-01
3上塩尻地域 佐藤邸上塩尻地域 佐藤邸上塩尻地域の蚕種製造民家。藤本善右衛門の四男佐藤尾之七の邸宅であった。現在も佐藤邸では蚕種業を営んでいた頃の雰囲気を感じることができる。2021-01-26
4上塩尻 蚕種製造民家まちなみウオッチング上塩尻 蚕種製造民家まちなみウオッチング私の所属するJIA(日本建築家協会)長野県クラブと、長野大学前川道博研究室において、上田市上塩尻地区に残る蚕種製造民家や歴史的な街並みの見学会が行われました。全国的にも珍しい民家建築が多く残るこの地の未来に向けた保全や活用方法を考えるきっかけとして、企画されたもので、詳しくはJIA長野県クラブのHPの会員レポートをご覧ください。 https://jia-nagano.com/blog/9487.html2020-08-07
5上塩尻蚕種製造民家群上塩尻蚕種製造民家群全国一の蚕種製造地といっていい上塩尻の蚕種製造民家群。古いまちなみの地区は全国に数多くあっても蚕種製造民家群がこれだけの規模で現存している地区は国内では稀有です。世界一の蚕糸王国であった日本の蚕種製造の中心地として並外れた価値を持つ産業遺産ではないかと思います。これこそ「世界遺産」にふさわしい。 上塩尻蚕種製造民家群はこれまでにも全国的に関心を持たれる節目がありながら、それをステップに次に踏み出しきれなかった経緯があります。 ふり返ってみると小林昌人氏による集落・民家の調査レポートが古い(「蚕業の先駆者を輩出した上田市 上塩尻の集落と民家」『信濃』1990年1号)。同氏による『写真集 民家の風貌』(1994年)にも上塩尻の民家が収録されています。大がかりな調査事業としては上田市による「塩尻地2020-07-18
6下塩尻蚕種製造民家群の佇まい下塩尻蚕種製造民家群の佇まい2017/11/27の記録。日本一の蚕種製造地を私は「上塩尻蚕種製造民家群」と呼んできましたが、より包摂的には「塩尻地区蚕種製造民家群」と呼ぶのが適切です。本日、日本ナショナルトラストのUさんが上田に来訪され、地元の方と塩尻地区(秋和・上塩尻・下塩尻)を見聞しました。 下塩尻はこれまであまり見聞したことがなく、地元のMさんの御案内で私も認識を新たにしました。下塩尻は北国街道沿いばかりでなく、千曲川沿いの一帯に「蚕種製造民家群」が集積しています。上塩尻と違い、千曲川沿いの低地に屋敷が広がっているせいか、一軒一軒の家々の敷地が広く、狭いところに屋敷がひしめきあう上塩尻とは対照的です。総じてゆったり感があります。その佇まいが下塩尻の景観をなしています。川べりという立地のせいか、集落の景観が群馬県2020-07-18
7上塩尻元宿・蚕室民家の佇まい、清水さん宅上塩尻元宿・蚕室民家の佇まい、清水さん宅2018/11/05、上塩尻・元宿の清水さん宅を訪れました。元宿は上塩尻の中心である北国街道沿いの大村とは違い、千曲川沿いの平坦な土地に広がる区域です。かつて千曲川の大洪水により壊滅的な被害を受けた歴史的背景があります。その一方で、千曲川の上流から運ばれる肥沃な土砂が桑の栽培に適し、この地の蚕種製造を育みました。この条件は千曲川沿いに広がる下塩尻にも共通しています。 清水さん宅の主屋は上田市の調査資料によると明治28年に建てられたらしい。蚕種製造民家の多くが明治20年代に建てられています。門の構えも立派です。中庭も丁寧に手入れがされて、屋敷全体の佇まいが美しい。家の品格というものを感じます。 清水さん宅の敷地からは上塩尻の中心の集落が遠望できます。背後に虚空蔵山系の山が一望できます。蚕種製造2020-07-18
8上塩尻の蚕種製造民家群と文書を見聞する上塩尻の蚕種製造民家群と文書を見聞する2018/08/18、上田市上塩尻の蚕種製造民家群と文書を見聞する会を開きました。長野大学前川研究室、上塩尻自治会、上塩尻今昔の会の連携で実施したものです。地元上塩尻の方々を中心に、建築や歴史文化の専門の方などが加わり20名ほどが参加しました。 幕末から近代にかけて日本の産業を牽引した蚕糸業の中でも、長野県は蚕糸王国と呼ばれるほどに近代日本の殖産興業に貢献をしました。その中で上田小県は蚕都上田と呼ばれ、その中心地の一つでした。とりわけ上塩尻を中心とした塩尻地区は蚕種製造の一大中心地となり、江戸時代から幾人もの優れた蚕種製造家を輩出した他、各家が蚕種製造業を営んでいました。その当時の蚕種製造民家は現在もなお数多く残り、「蚕種製造民家群」という全国的にも稀有な歴史的景観地区となっています。 2020-07-18
9上塩尻の景観上塩尻の景観2018/09/09、(長野県上田市)上塩尻へ立ち寄ってきました。北国街道沿いに広がる上塩尻の景観が美しい。それぞれの家々は街道沿いには塀がめぐらされて門が構えられています。飾り気がなく、シンプルな集落の佇まいです。特色あるのはそれぞれが二階建ての瓦葺の建物で、2階に蚕室が備わっていること。建物も塀も質が高く、それが趣のある文化的景観をつくり出しています。二階の蚕室の雨戸も景観に美しさを添えています。旧街道の道筋は車が1台通過できる程度の幅しかありません。車を屋敷の中に入れる事は不可能です。現代の生活に欠かせない車が屋敷の中にすら入れない不自由を抱えながら、古い建物が維持され、このような美しい景観が維持されていることに感銘を受けます。 西側に面している建物は細い路地に面し、窓のない木造2020-07-18
10上塩尻の集落の模型(1992年)発見上塩尻の集落の模型(1992年)発見蚕種製造民家群が数多く残る上塩尻の民家は1989年度から1991年度にかけて当時の工学院大学山崎弘研究室によって調査されました。それからかれこれ30年近くが経過し、その調査を知る人も少なくなったばかりでなく、所在がわからなくなっていた調査資料を最近になってやっと探り当てることができました。そのことだけでも大きな感動です。 そしてつい先日、その調査で作成された上塩尻の集落のミニチュアが発見され、眼前で確認しました。「長野県上田市上塩尻の養蚕民家集落 Scale:1/500 1992.3.28 工学院大学 山崎研究室」と記されています。 山崎研究室の調査では、上塩尻の蚕種製造民家のうち23軒が調査され、それらの民家については間取りも仔細に調査されました。それらの民家については実物そっくりのミニチュアが作られています。現在は2020-07-18
11上塩尻の蚕種製造民家群と文書を見聞する上塩尻の蚕種製造民家群と文書を見聞する2018/08/18、上田市上塩尻の蚕種製造民家群と文書を見聞する会を開きました。長野大学前川研究室、上塩尻自治会、上塩尻今昔の会の連携で実施したものです。地元上塩尻の方々を中心に、建築や歴史文化の専門の方などが加わり20名ほどが参加しました。暑いとは言え、連日の猛暑からは解放されたように秋めいた爽やかさが感じられる一日となりました。

全国的にも稀有な蚕種製造民家群

幕末から近代にかけて日本の産業を牽引した蚕糸業の中でも、長野県は蚕糸王国と呼ばれるほどに近代日本の殖産興業に貢献をしました。その中で上田小県は蚕都上田と呼ばれ、その中心地の一つでした。とりわけ上塩尻を中心とした塩尻地区は蚕種製造の一大中心地となり、江戸時代から幾人もの優れた蚕種製造家を輩出した他、各家が蚕種製造業を営んで
2020-05-10
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