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1信州シルクストーリー《千曲川流域編》信州シルクストーリー《千曲川流域編》シルクロード長野ネットワークが「信州シルクロード」の観光資源、産業遺産を広く知っていただくために作成した冊子。物語を活用して信州シルクロードのより一層の観 光資源の意味付け、魅力ある観光地の創造を目指して作成した。 ●内容(目次) 小諸 小諸のシルクストーリー    小諸のシルクスポット 酢久商店、氷風穴 上田 上田のシルクストーリー    上田のシルクスポット 信州大学繊維学部講堂、旧常田館製糸場 松代 松代のシルクストーリー    松代のシルクスポット 旧横田家住宅、松代まち歩きセンター 須坂 須坂のシルクストーリー    須坂のシルクスポット 須坂クラシック美術館、臥竜公園 温泉街にもシルクストーリー? 別所温泉  別所温泉のシルクスポット 倉澤家蚕室、氷沢風穴 その他のシル2023-10-16
2新「信州学」プレイバック新「信州学」プレイバック画像は『わたしたちの信州学』表紙の一部を転載 ▼新「信州学」推進事業(長野県教育委員会教学指導課) https://www.pref.nagano.lg.jp/kyoiku/kyoiku/documents/19shinshugaku.pdf 阿部長野県知事が旗ふりして始めた地域学「信州学」推進事業です。その副読本も作られ、ネット公開されました。 ▼eReading Books『わたしたちの信州学』 https://ereading.cs.nii.ac.jp/nagano/book/shinshugaku/1 長野県の県立高校全校で地域学を実践するという方向付けは望ましいことであった一方、いきなり「信州学」を実践しなさいという号令はそれぞれの学校にとって反応のしようがないものであったことは否めません。 「信州学」は地理学者の故・市川健夫先生(1927-2016)が生涯をかけ2023-10-10
3蚕都上田ものがたり~歴史のとびら~蚕都上田ものがたり~歴史のとびら~  今から約百年前、日本は世界の蚕糸王国であり、蚕糸業は外貨獲得の中心産業でした。  この産業において、長野県は日本の蚕糸王国でしたし、上田はその長野県の蚕都でした。 (『蚕都上田ものがたり』前文) 制作・発行 蚕都上田プロジェクト「蚕都上田ものがたり」編さんチーム 発行日 2012年3月30日2023-10-05
4蚕都上田年表蚕都上田年表 歴史を学ぶ楽しさを知っていただく「はじめの一歩」として、「蚕都」の歴史・文化に関わる「年表」をご用意しました。様々な「ものがたり」を紡ぎだす歴史をあなたも発見してみませんか? (年表解説文から編集) 参考資料『上田市誌』他 制作・発行 蚕都上田プロジェクト 発行日 2012年3月30日2023-10-05
5蚕都上田マップ2【上小地域】蚕都上田マップ2【上小地域】「上小(じょうしょう)」は上田小県の略称です。当初の上田市はエリアが小さく「蚕都上田」は「上田小県」を意味していました。「塩尻地区」「塩田地区」「旧丸子町」などが該当します。 小県(ちいさがた)は蚕都上田を支える後背地域であった。千曲川沿岸では養蚕とともに蚕種製造業が発達した。丸子町は岡谷、須坂と並ぶ製糸都市に成長した。 (マップ解説文から編集) 基図『小県郡及上田市地図』(信濃教育会小県上田部会, 1930年) 制作 蚕都上田プロジェクトマップ部会 発行日 2010年3月31日2023-10-05
6蚕都上田マップ1【市街地】蚕都上田マップ1【市街地】 城下町であった上田は北国街道の宿場町でもあった。江戸時代後期以降の蚕種業、製糸業の発達によって市制を施行した上田市(1919年~)は蚕都と呼ばれるようになった。 (マップ解説文から編集) 基図『上田市全図』(上田市役所, 1928年) 制作 蚕都上田プロジェクトマップ部会 発行日 2010年3月31日2023-10-05
7善光寺の絵馬善光寺の絵馬善光寺の昔と今の絵馬の違いを調べる。 写真を見ると、昔の絵馬では絵を描くことが主流ということが分かる。どの絵馬でも、神様をモチーフとした絵になっていることから、お寺で自分の願いを叶えたい、そのために神様にお願いしようというスタンスは変わっていないと言えるだろう。 現在の絵馬と言えば、願い事を文字に起こして書くスタンスである。絵を描くことに自信がない人にとっては文字で書く方が気が楽である。また、願い事を文字に起こした方が自分で目的が視覚的に見えて明確になり、願い事が叶いやすくなるのではないかと思った。 信州地域史料アーカイブ https://adeac.jp/shinshu-chiiki/viewer/mh088100/081/2023-02-08
8小諸代々城主小諸代々城主信州佐久群大井庄小諸代々城主になった人がまとめられており城主になった年数となくなった年齢も記載されている。48歳で亡くなったり、53歳で亡くなったりと現在よりも明らかに寿命が短いことが分かる。 https://www.ro-da.jp/shinshu-dcommons/museum_history/03OD06222012002023-02-08
9支払い手形と名刺支払い手形と名刺「揚荷手形 通人馬会所」と書かれた封筒に入っていた、名刺と、手形である。 『なかに木版刷りの未使用の預かり手形が数枚と、中村六左衛門ら3人の名を書いた名刺が数枚入っている。幕末の金沢藩の通し人馬の賃銭の支払い手形である。中村六左衛門ら3人は、金沢藩の参勤交代の通し人馬を請け負っていた。』(覚(預切手記入用紙) | 信州デジタルコモンズ https://www.ro-da.jp/shinshu-dcommons/library/02OD5160890000) 3人分の名前を一枚の紙に書いてあることから、紙が貴重だったのか、一人ひとりが名刺を用意する習慣がなかったのか、この時代の名刺は紙と筆さえあれば直ぐにできてしまうものだったのか、など様々な想像ができる。 また、この名刺は連絡などのために必要だったとされている。その割には住所などの情報が全く載っていないので、この2023-02-01
10中村利貞の名刺十五枚②中村利貞の名刺十五枚②名刺の書かれ方がバラバラで、恐らく今のような大量印刷ではなく一枚一枚作っていただろうことから、紙が貴重な時代だったことが伺える。 名刺は必要になったら少し作って足す、という習慣があったのだろうか? 内容はシンプルで、名前のみ印刷されているもの、それに加えて手書きか赤黒印で肩書が記されているものがある。 『名刺十五枚(中村利貞)』| 信州デジタルコモンズ| https://www.ro-da.jp/shinshu-dcommons/library/02OD51701000002023-01-31
11中村利貞の名刺十五枚①中村利貞の名刺十五枚①明治19年に古間・大井・平岡・穂波・富濃・荒瀬原・柏原の七つの村の連合戸長を務めた、中村利貞の名刺である。 名刺15枚が反故紙に包まれている。反故紙は女性からの手紙を再利用したもののようだ。 七つの村を治める偉い人物でも、紙を無駄にできないぐらい、紙が貴重だったのだろうか。 『名刺十五枚(中村利貞)』| 信州デジタルコモンズ| https://www.ro-da.jp/shinshu-dcommons/library/02OD51701000002023-01-31
12まとめ~武田信玄武将の起請文〔八三通〕~まとめ~武田信玄武将の起請文〔八三通〕~写真の起請文は、武田信玄が配下の武将を、下郷(下之郷のこと。以下同じ)諏訪大明神(生島足島神社)へ集めて、信玄に絶対背かぬことを、神前で誓わせたものです。誓いの言葉を牛王紙の裏に書き、血判を押して、差し出させたもので、全国的に有名なものです。 この貴重な文書が生島足島神社に残っていることに歴史的な価値があると感じました。 https://museum.umic.jp/bunkazai/document2/089-1.html 武田信玄と信州は深い関わりがあり、その中でも生島足島神社に信玄がこだわったというのも面白く感じました。そして、信玄についてだけではなく当時の人びとがどのような宗教観や価値観を抱いていたのかを副産物として知ることができ、特定の人物だけでなく、社会がどのように動いていったのか文書から読み解けることにもつながることがわかりました2023-01-30
13桑原康盛等連署起請文桑原康盛等連署起請文この一族は、信州の海野幸貞の被官ひかん衆。桑原くわばら氏は更級郡桑原(千曲 市)、塔原とうのはら氏は筑北地方の塔ノ原(東筑摩郡明科町)を本拠とする海野氏血族である。山崎氏・城内氏も、筑北地方の地侍じざむらいであろう。誓詞の最後の条からみて、上杉氏の勢力と接する地域であるため、特に警戒されたようです。 起請文の内容はほぼ似ているようですが、これを含めた三通は特に従順な忠誠心を誓わせているようです。 https://museum.umic.jp/ikushima/kishomon/rokukajyo.html2023-01-30
14塩田から見る塩田から見る私は信州上田学の授業を通じて、塩田の地域の発展に必要なことを自分なりに考えました。2023-01-26
15地域の魅力発信サイトの事例地域の魅力発信サイトの事例 信州上田デジタルマップにて自分の地域を紹介した際に、工夫された発信サイト・メディアであったり、気軽に普段の生活風景を投稿し発信することが、地域の活性化に必要なことではないかと考えたため、このような地域の魅力発信サイトを行っている事例を調べて、今後地元の発信力につなげたいと思ったため、このテーマに設定した。6つの事例をWordにまとめた。2022-08-09
16地域学習モデル「蓼科学アーカイブ」(2019)地域学習モデル「蓼科学アーカイブ」(2019)【PDF左】研究発表予稿 【PDF右】研究発表説明資料 予稿は2017年、発表説明は2018年の蓼科学を対象とした点に違いがあります。 前川道博/スマホ・アーカイブサービスを適用した地域学習モデル「蓼科学アーカイブ」 デジタルアーカイブ学会第3回研究大会 2019年3月16日 ▼研究の概要 長野県蓼科高校の「蓼科学」は、生徒が地元立科町を学ぶ地域科目である。学習メディア環境にはスマホとアーカイブサービスを適用した。アクセス側の主体性において成立する自己開発/学習機能の実現にその主眼を置いている。「蓼科学アーカイブ」は、生徒たちの地域探検(取材)をアーカイブサイトに載せ合う形で地域理解を深める学習プログラムである。生徒がスマホを使って地域を記録し、皆で地域アーカイブを構築できる学習メディア環境「信州デジ2022-06-10
17『埋もれた歴史』自費出版の労作『埋もれた歴史』自費出版の労作今から3年ぐらい前になるのかな? ふだんは翻訳のお仕事をされている東郷えりかさんが歴史の探求で上田市に来られてその時にお話をお聞きし、上田市教育委員会にご案内しました。その探究成果を『埋もれた歴史』という書籍にまとめられました。それが2年前の2020年です。 書籍の表紙の写真にご注目ください。馬に乗る人物が最後の上田藩主松平忠礼です。その傍に佇む方が東郷さんの高祖父の方になります。この方は「門倉伝次郎[LINK]」です。『上田市史・下巻[LINK]』(1940年、1238~1239頁)に記されています。 幕末、上田藩上屋敷は隅田川に面した浅草瓦町、幕府の御蔵のすぐ隣にありました(「2022-05-08
18デジタルコモンズが拓く地域資料のデジタルアーカイブ化デジタルコモンズが拓く地域資料のデジタルアーカイブ化
▲デジタルアーカ犬
前川道博 d-commonsプロジェクト/長野大学
【1】消費する知識から活用する知識へのパラダイムシフト 知識消費型社会から知識循環型社会へのパラダイムシフトが今世界中で起きています。これまでの社会では知識を書籍や講座などから受け取るものが知識、学問分野の権威が提供する知識、それを獲得することが学習と思い込まれてきた傾向があります。知識の源泉の一つは、それ以上は遡れない情報源、つまり一次資料にあります。書籍や講座は研究者などが咀嚼・編纂した二次情報に過ぎず、受け手は普通それを受け売り(消費)することぐらいしかできませんでした。さらにはデジタルな手段が当たり前に使えるようになったことにより、知識とは活
2022-03-13
19当研究会発行のブックレット バックナンバー当研究会発行のブックレット バックナンバー号によっては品切れがあります。上田市内の書店でお買い求めください。または上田小県近現代史研究会事務局へお申込みください(下記に住所記載)。 号数 ブックレットタイトル 著者 発行年月 1 『深町広子と上田自由大学』上原民恵[著] 1995.03,2000[改訂]【品切れ】 2 『上田小県地方に空襲があった』新津新生[著] 1996.07,2005[改訂]【品切れ】 2 『上田小県地方に空襲があった 増補改訂版』新津新生[著] 2005.07【品切れ】 3 『信州の鎌倉 別所温泉―歴史と文化―』上田小県近現代史研究会[編] 1997.10,1998[改訂]【品切れ】 4 『2022-03-06
20信州は山の国信州は山の国信州も信濃も、ほとんどいまと同じ長野県のことだと、初めて知りました。 信濃の地名は、山国の地形から「段差」を意味する古語である「科」「級」(しな)に由来しているとされ、名付けられ方で分かるとおり、坂と峠の多い県です。 長野県は、四方八方を2,000~3,000m級の山々に囲まれたまさに山国。県面積は、1万3,562.23平方キロメートル。(境界未明含む)全国第4位の広さです。 総人口は206万5,359人 (2,018年7月1日時点)ですが、 人口密度は1平方キロメートルあたり152.3人で、全国で下から9番目と少ないことも、山国の特徴。 県のほぼ全域が標高500メートル以上、 可住地面積の割合が低く、また人口密度(1平方キロメートルあたり)も152.3人と全国で第38位にランクインするぐらい少ないなど、山国の特徴が顕著に出ています。 特に、妙高山(2,4542022-01-24
21『蚕かひの学』藤本善右衛門保右著1841『蚕かひの学』藤本善右衛門保右著1841▼蚕かひの学(デジタルアーカイブ資料) https://trc-adeac.trc.co.jp/WJ11D0/WJJS05U/2000515100/2000515100100050?dtl=all NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ 藤本善右衛門保右(やすすけ 1793-1865)が残した養蚕技術書。1841年(天保12年)に著し改版を重ねました。息子の縄葛もその改訂に携わったのではないかと推察をします。「信州地域史料アーカイブ」に収録された『蚕かひの学』はネットに公開された希少な一次資料です。 蚕種製造家は、蚕種を製造するだけでなく、教養に優れていることが蚕種の信用の保障となり、蚕種を販売しながら養蚕技術書を販促ツールとして活用したことがわかります。2022-01-12
22信州と風穴:知識の新たなフロンティアとしてのデジタルアーカイブ信州と風穴:知識の新たなフロンティアとしてのデジタルアーカイブ著者:前川道博(長野大学企業情報学部教授) 「第4回全国風穴サミットin信州小諸」(2017年)の記念誌に寄稿した原稿の再掲です(pp.88-95掲載)。 《目次》 1.信州デジタルコモンズ創成と風穴アーカイブ (1) 「風穴」データをアーカイブサイトに載せて遍在させる (2) 風穴を知る資料の発掘とシェア (3) 信州デジタルコモンズ構想 (4) 地域に偏在していた蚕糸業と風穴をシェアする方向へ 2.風穴の蚕種冷蔵と信州・上州のつながり (1) 蚕糸王国信州の実態 (2) 信州風穴の蚕種冷蔵の数量 (3) 小諸の風穴が果たした役割の大きさ (4) 上州の蚕糸業に貢献した小諸の冷蔵蚕種 (5) 田島本家と氷風穴蚕種との関連 3.最後に2021-07-12
23キュレーションモデルによる地域資料のアーカイブ化(2021)キュレーションモデルによる地域資料のアーカイブ化(2021)【PDF左】研究発表説明資料 【PDF右】研究発表予稿 前川道博/キュレーションモデルによる地域資料のデジタルアーカイブ化~MALUI連携に向けた学習者中心のアプローチ~ デジタルアーカイブ学会第6回研究大会 2021/04/23  前川道博(長野大学) ▼研究の概要 地域資料のデジタルアーカイブ化は、知識循環型社会の進展において極めて重要な課題である。学習者が必要とする知識・情報源に思うがままにアクセスし、参照データを活用して学習成果を公開する学習をここでは「キュレーションモデル」と呼ぶことにする。MALUI連携はその支援策として期待されるものであるが、制度的な壁、慣習的諸条件により連携にすら至れないのが実情である。本研究で提起するキュレーションモデルは、学習者が主体となり、MALUIが収蔵2021-04-23
24塩尻村大字上塩尻字壱丁田全図(地籍図[旧公図])塩尻村大字上塩尻字壱丁田全図(地籍図[旧公図])小県郡上塩尻村大字上塩尻之内 第七番字壱丁田全図 (上田市税務課所蔵) 塩尻村大字上塩尻(かみしおじり)字壱丁田(いっちょうだ)の地籍図である(現在は上田市上塩尻)。 字壱町田は現在の塩尻保育園の辺り、塩尻小学校と北陸新幹線に挟まれた区画、国道18号線の上塩尻交差点の北西側の区画である。 地籍図は1889年(明治22年)の市制町村制施行に伴い、上田町大字常磐城(旧常磐城村)の地籍図として1890年頃作成したものと思われるが、年代の記載がないため確認できない。2021-03-22
25塩尻村大字上塩尻字信福寺/宮田全図(地籍図[旧公図])塩尻村大字上塩尻字信福寺/宮田全図(地籍図[旧公図])小県郡上塩尻村大字上塩尻之内 第六番字真福寺 第七番字宮田 全図 (上田市税務課所蔵) 塩尻村大字上塩尻(かみしおじり)字信福寺(しんぷくじ)/宮田(みやた)の地籍図である(現在は上田市上塩尻)。 字信福寺、字宮田は区画が小さいことから合体した全図となっている。藤本蚕業歴史館から南に150mほど下った辺りの区画である。かつては水田であったが、現在は宅地化している。 なお、「上田市文化財マップ」に字信福寺にあった「上塩尻板碑」の解説がある。 地籍図は1889年(明治22年)の市制町村制施行に伴い、上田町大字常磐城(旧常磐城村)の地籍図として1890年作成したものと思われるが、年代の記載がないため確認できない。2021-03-22
26議事書類綴(1919/大正8年 別所村)議事書類綴(1919/大正8年 別所村)下のリンクを選ぶと文書全体のPDFをダウンロード表示します。ダウンロード表示には時間がかかります。 ▼上田市公文書館資料情報 議事書類綴 ぎじしょるいつづり 請求番号 01-T08-01-13389 文書の種類 旧役場文書 地域 別所村 作成年度(和暦) 大正8年 作成年度(西暦) 1919 作成部課 別所村役場 保存場所 上田市公文書館 概要 大正8年度歳入出予算、村長退職報告、鉄道敷設に関する意見書、温泉浴槽改修調査書、別所村臨時温泉工事委員規程、大正7年事務報告ほか →上田市公文書館目録検索システムの当該資料情報 この資料は2021-01-13
27村会書類(1919/大正8年 泉田村)村会書類(1919/大正8年 泉田村)下のリンクを選ぶと文書全体のPDFをダウンロード表示します。ダウンロード表示には時間がかかります。 ▼上田市公文書館資料情報 村会書類 そんかいしょるい 請求番号 01-T08-01-1220 文書の種類 旧役場文書 地域 泉田村 作成年度(和暦) 大正8年 作成年度(西暦) 1919 作成部課 泉田村役場 保存場所 上田市公文書館 概要 渡船場費郡費補助稟請の件、上田市松本間鉄道施設に関する意見書提出の件ほか議事録 →上田市公文書館目録検索システムの当該資料情報 この資料は上田市公文書館収蔵のものをデジタル化し(非公開部分を除く)2021-01-13
28村会書類(1917/大正6年 泉田村)村会書類(1917/大正6年 泉田村)下のリンクを選ぶと文書全体のPDFをダウンロード表示します。ダウンロード表示には時間がかかります。 ▼上田市公文書館資料情報 村会書類 そんかいしょるい 請求番号 01-T06-01-1216 文書の種類 旧役場文書 地域 泉田村 作成年度(和暦) 大正6年 作成年度(西暦) 1917 作成部課 泉田村役場 保存場所 上田市公文書館 概要 鉄道停車場位置に関する意見書ほか議事録 →上田市公文書館目録検索システムの当該資料情報 この資料は上田市公文書館収蔵のものをデジタル化し(非公開部分を除く)、長野大学前川研究室が上田市に歴史公文書等2021-01-13
29鉄道 道路 河川 橋梁(1898/明治31年 城下村)鉄道 道路 河川 橋梁(1898/明治31年 城下村)下のリンクを選ぶと文書全体のPDFをダウンロード表示します。ダウンロード表示には時間がかかります。 ▼上田市公文書館資料情報 鉄道 道路 河川 橋梁 てつどう どうろ かせん きょうりょう 請求番号 01-M31-01-2109 文書の種類 旧役場文書 地域 城下村 作成年度(和暦) 明治31年 作成年度(西暦) 1898 作成部課 城下村役場 保存場所 上田市公文書館 概要 株式会社京釜鉄道株式申込 鉄道敷設の影響調査通知 里道修繕の件 郡補助道編入願 備考 明治34年まで 図面(彩色)あり。裏表紙なし →上田市公文書館目録検索2021-01-13
30別所線路ニ関スル書綴(1893/明治26年 川辺村)別所線路ニ関スル書綴(1893/明治26年 川辺村)下のリンクを選ぶと文書全体のPDFをダウンロード表示します。ダウンロード表示には時間がかかります。 ▼上田市公文書館資料情報 別所線路ニ関スル書綴 べっしょせんろにかんするしょつづり 請求番号 01-M26-01-136 文書の種類 旧役場文書 地域 川辺村 作成年度(和暦) 明治26年 作成年度(西暦) 1893 作成部課 保存場所 上田市公文書館 概要 上田原より神畑に至る里道開削に要する土地収用に関する資料・里道開削潰地小前調査表・別所線橋梁目論見帳ほか →上田市公文書館目録検索システムの当該資料情報 この資料は上田市2021-01-12
31上田市大字常磐城字生塚全図(地籍図 1921年 )上田市大字常磐城字生塚全図(地籍図 1921年 )上田市大字常磐城第弐拾参番字生塚全図(上田市税務課所蔵) 調製 1890年(明治23年)12月 複製 1921年(大正10年)12月 製図者/測量士 馬場亀松(上田市役所地理主任) 曲尺 壱分ヲ以テ一間トス サイズ:A1版より小さい(A1版の台紙に貼付されている) 上田市大字常磐城(ときわぎ)字生塚(うぶつか)の地籍図である(現在は上田市常磐城四丁目)。地籍図は1889年(明治22年)の市制町村制施行に伴い、上田町大字常磐城(旧常磐城村)の地籍図として1890年作成したものを、1919年(大正8年)、上田町の市政施行に伴い、上田市に書き改めたものである。基本的には1890年と同じである。 ★上田市大字常磐城第弐拾参番字生塚全図(PDF)1.1MB 2021-01-11
32小県郡城下村大字小牧全図(地籍図1890年)小県郡城下村大字小牧全図(地籍図1890年)小県郡城下村大字小牧全図(上田市税務課所蔵) 調製 1890年(明治23年)5月 縮尺 3,000分の1 サイズ:A1版より小さい(A1版の台紙に貼付されている) 城下村大字小牧(地籍図作成当時、現上田市小牧)の「地籍図」を基に作成した地図。 図版は上田市税務課所蔵の当該地籍図の複写図版を合成し作成したものである。 (データ編纂:長野大学前川研究室) ★小県郡上田町全図(PDF)1.2MB 小県郡上田町全図(高精細JPEG画像)18420×13080ピクセル 115MB 2021-01-11
33小県郡上田町全図(1901~1910年頃)小県郡上田町全図(1901~1910年頃)小県郡上田町全図(上田市税務課所蔵) 制作年代:1901~1910年頃 縮尺12,000分の1 サイズ:A1版より小さい(A1版の台紙に貼付されている) 上田町(地籍図作成当時)全域の「地籍図」を基に町全図として作成した地図。上田町各地の字が一瞥できる。 制作年代は不詳ながら、「上田尋常男子小学校」(1901~1922)、「小県蚕業学校」(権現坂上の時代 1900~1922)が記されている。また上田蚕糸専門学校(1910~1951)は記されていないことから1901~1910年(明治34~43年)の間の地図と推定される。 図版は上田市税務課所蔵の当該地図の複写図版を合成し作成したものである。 (データ編纂:長野大学前川研究室) ★小県郡上田町全図(PDF)1.3MB 2021-01-10
34『西塩田時報』Vol.2(戦後編1946~1956)ページごとの画像『西塩田時報』Vol.2(戦後編1946~1956)ページごとの画像それぞれはJPG画像です。ダウンロードしてお使いください。 (『西塩田時報』全ての号のページごとの画像リンクHTML記述データはコチラ。) #951 『西塩田青年団報』第1号(1946年8月25日)1頁 #952 『西塩田青年団報』第1号(1946年8月25日)2頁 #953 『西塩田青年団報』第1号(1946年8月25日)3頁 #954 『西塩田青年団報』第1号(1946年8月25日)4頁 #955 『西塩田青年団報』第2号(1946年9月20日)1頁 #956 『西塩田青年団報』第2020-12-06
35『西塩田時報』Vol.1(2)(戦前編1933~1943)ページごとの画像『西塩田時報』Vol.1(2)(戦前編1933~1943)ページごとの画像それぞれはJPG画像です。ダウンロードしてお使いください。 (『西塩田時報』全ての号のページごとの画像リンクHTML記述データはコチラ。) #481 『西塩田時報』第110号(1933年1月1日)1頁 #482 『西塩田時報』第110号(1933年1月1日)2頁 #483 『西塩田時報』第110号(1933年1月1日)3頁 #484 『西塩田時報』第110号(1933年1月1日)4頁 #485 『西塩田時報』第110号(1933年1月1日)5頁 #486 『西塩田時報』第110号(1933年1月1日)6頁2020-12-06
36『西塩田時報』Vol.1(1)(戦前編1923~1932)ページごとの画像『西塩田時報』Vol.1(1)(戦前編1923~1932)ページごとの画像それぞれはJPG画像です。ダウンロードしてお使いください。 (『西塩田時報』全ての号のページごとの画像リンクHTML記述データはコチラ。) #1 『西塩田時報』第1号(1923年7月1日)1頁 #2 『西塩田時報』第1号(1923年7月1日)2頁 #3 『西塩田時報』第1号(1923年7月1日)3頁 #4 『西塩田時報』第1号(1923年7月1日)4頁 #5 『西塩田時報』第2号(1923年9月1日)1頁 #6 『西塩田時報』第2号(1923年9月1日)2頁 #7 2020-12-06
37『西塩田時報』Vol.2(戦後編1946~1956年)『西塩田時報』Vol.2(戦後編1946~1956年)

西塩田時報Vol.2』(戦後編1946~1956年)

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<目次>  西塩田村青年団報(1946)第1号~第5号[LINK] 11MB  西塩田時報(1947~1948)第1号~第20号[LINK] 23MB  西塩田時報/公報(1948~1950)第21号~第40号(公報34号~)
2020-11-30
38『西塩田時報』Vol.1(戦前編1923~1943年)『西塩田時報』Vol.1(戦前編1923~1943年)

西塩田時報Vol.1』(戦前編1923~1943年)

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<目次>  縮刷版・巻頭頁[LINK] 7MB  西塩田時報(1923~)第1号~第20号[LINK] 41MB  西塩田時報(1925~)第21号~第40号[LINK]
2020-11-23
39上田市街明細図(1922年 大正11年)上田市街明細図(1922年 大正11年)上田市街明細図 1922年(大正11年)12月26日発行 発行所 東京交通社 サイズ 81.0cm×54.5cm 上田市が1919年、市制施行して間もない1922年(大正11年)の中心市街地を中心とした地図に事業者の位置を克明に記載した地図である。裏面には上田市の事業者名一覧を記してある。蚕都上田と呼ばれるほどに蚕糸業で興隆した当時の上田市の状況を仔細に知ることができる。 本資料は、滝沢主税氏が編纂した『上田老舗図鑑』(2004年)の版下に使用した地図の実物をコピーしたものである。 ★上田市街明細図(1922年)表裏分割収録PDF 表面地図と裏面事業者名一覧を8ページに分割して収録 53MB
サイズが大きな地図のため、PDF版を用意しました。 ★
上田市街明細図(1
2020-10-07
40〼屋 宮原庄右衛門(日本博覧図1897所載)〼屋 宮原庄右衛門(日本博覧図1897所載)『日本博覧図』は関東を中心とした地域の名所旧跡、寺社、豪商の邸宅等を描いた銅版画集。1897年(明治30年)発刊の第12編には上田小県の寺社・邸宅等20点の銅版画が収録されている。「〼屋 宮原庄右衛門」はその一つである。 〼屋 宮原庄右衛門は現在のますや旅館(青木村田沢温泉)である。2020-09-25
41日本三所信濃長谷観世音全図(日本博覧図1897所載)日本三所信濃長谷観世音全図(日本博覧図1897所載)『日本博覧図』は関東を中心とした地域の名所旧跡、寺社、豪商の邸宅等を描いた銅版画集。1897年(明治30年)発刊の第12編には上田小県の寺社・邸宅等20点の銅版画が収録されている。「日本三所信濃長谷観世音全図」(長谷寺)はその一つである。2020-09-25
42延喜式内子檀嶺神社境内全図(日本博覧図1897所載)延喜式内子檀嶺神社境内全図(日本博覧図1897所載)『日本博覧図』は関東を中心とした地域の名所旧跡、寺社、豪商の邸宅等を描いた銅版画集。1897年(明治30年)発刊の第12編には上田小県の寺社・邸宅等20点の銅版画が収録されている。「延喜式内子檀嶺神社境内全図」はその一つである。2020-09-25
43西内村 斎藤弥惣太(日本博覧図1897所載)西内村 斎藤弥惣太(日本博覧図1897所載)『日本博覧図』は関東を中心とした地域の名所旧跡、寺社、豪商の邸宅等を描いた銅版画集。1897年(明治30年)発刊の第12編には上田小県の寺社・邸宅等20点の銅版画が収録されている。「西内村 斎藤弥惣太」はその一つである。2020-09-25
44呉服太物商 瀬川清兵衛(日本博覧図1897所載)呉服太物商 瀬川清兵衛(日本博覧図1897所載)『日本博覧図』は関東を中心とした地域の名所旧跡、寺社、豪商の邸宅等を描いた銅版画集。1897年(明治30年)発刊の第12編には上田小県の寺社・邸宅等20点の銅版画が収録されている。「呉服太物商 瀬川清兵衛」はその一つである。2020-09-25
45松平神社之図(日本博覧図1897所載)松平神社之図(日本博覧図1897所載)『日本博覧図』は関東を中心とした地域の名所旧跡、寺社、豪商の邸宅等を描いた銅版画集。1897年(明治30年)発刊の第12編には上田小県の寺社・邸宅等20点の銅版画が収録されている。「松平神社之図」はその一つである。2020-09-25
46丸山平八郎邸宅(日本博覧図1897所載)丸山平八郎邸宅(日本博覧図1897所載)『日本博覧図』は関東を中心とした地域の名所旧跡、寺社、豪商の邸宅等を描いた銅版画集。1897年(明治30年)発刊の第12編には上田小県の寺社・邸宅等20点の銅版画が収録されている。「丸山平八郎邸宅」はその一つである。2020-09-25
47常磐城 西構山向源寺(日本博覧図1897所載)常磐城 西構山向源寺(日本博覧図1897所載)『日本博覧図』は関東を中心とした地域の名所旧跡、寺社、豪商の邸宅等を描いた銅版画集。1897年(明治30年)発刊の第12編には上田小県の寺社・邸宅等20点の銅版画が収録されている。「常磐城 西構山向源寺」はその一つである。2020-09-25
48大輪精舎之図(日本博覧図1897所載)大輪精舎之図(日本博覧図1897所載)『日本博覧図』は関東を中心とした地域の名所旧跡、寺社、豪商の邸宅等を描いた銅版画集。1897年(明治30年)発刊の第12編には上田小県の寺社・邸宅等20点の銅版画が収録されている。「大輪精舎之図」はその一つである。 タイトルには「長野県信濃国 大輪精舎之図 小県郡上田町」と記されている。 大輪寺(大輪精舎)は、真田昌幸による上田築城に伴い、砥石城の麓の畑山から移されたと伝えられている。大輪寺には真田昌幸の妻寒松院の墓がある。 参考資料:『上田市誌』第9巻「真田氏と上田城」2002年2020-09-25
49信濃蚕種組合事務所外部及内部之図(日本博覧図1897所載)信濃蚕種組合事務所外部及内部之図(日本博覧図1897所載)『日本博覧図』は関東を中心とした地域の名所旧跡、寺社、豪商の邸宅等を描いた銅版画集。1897年(明治30年)発刊の第12編には上田小県の寺社・邸宅等20点の銅版画が収録されている。「信濃蚕種組合事務所外部及内部之図」はその一つである。 信濃蚕種組合は1889年(明治22年)、藤本善右衛門(塩尻村)、工藤善助(丸子村)、田中忠七(上田町)、倉島弥平(神川村)、佐藤郡三(県村)の5人が発起人となって上田小県全域の蚕種製造家と販売業者が一緒になって結成した。良質の蚕種の製造と販売を保つため、蚕病検査、種繭の処理法、採桑の規定を設けて組合員に遵守させた。組合長の藤本善右衛門らは長野県に検査所を設ける運動を起こし、国会にも要請し1897年(明治30年)、蚕種検査法が成立した。その結果1898年(明治31年)、小県郡蚕種同業組合が設立された。18972020-09-24
50蚕種製造酒類醸造 沓掛権右衛門(日本博覧図1897所載)蚕種製造酒類醸造 沓掛権右衛門(日本博覧図1897所載)『日本博覧図』は関東を中心とした地域の名所旧跡、寺社、豪商の邸宅等を描いた銅版画集。1897年(明治30年)発刊の第12編には上田小県の寺社・邸宅等20点の銅版画が収録されている。「沓掛権右衛門」(旧塩尻村下塩尻)はその一つである。 沓掛権右衛門は、沓掛家当主が代々受け継いできた世襲名である。 図版「沓掛権右衛門」のタイトルには「蚕種製造酒類醸造」と添えられている。図からは1897年当時は手前が蚕種製造所、その奥が酒類醸造所であったことがわかる。現在は種類醸造所となり、建物は殆どが建て替わっている。図右端の建物のみ現在の建物と形状がほぼ一致する。ただし敷地の後方には虚空蔵山の裾野が迫っており、この図に描かれたような広大な姿であったかどうかは検証がいる。 なお、図版中のアルファベット記述は全てヘ2020-09-24
51佐藤尾之七邸宅(日本博覧図1897所載)佐藤尾之七邸宅(日本博覧図1897所載)『日本博覧図』は関東を中心とした地域の名所旧跡、寺社、豪商の邸宅等を描いた銅版画集。1897年(明治30年)発刊の第12編には上田小県の寺社・邸宅等20点の銅版画が収録されている。「佐藤尾之七邸宅」(旧塩尻村上塩尻)はその一つである。 佐藤尾之七(さとうおのしち)家は、江戸時代から上塩尻村(現在の上田市上塩尻)で代々蚕種製造業を営んできた佐藤本家の分家に当たる。1727(享保12)年、本家から分家し六代嘉平次を襲名して上塩尻村の庄屋を営んでいた。尾之七は佐藤本家の当主であった藤本善右衛門縄葛(つなね 1815-1890)の四男で、分家の佐藤嘉平次家の養子となった。尾之七は1908年、佐藤本家を宗家とする佐藤一族が共同出資して発足させた藤本蚕業合名会社の設立に中心的に関わった。大正期、上田蚕種株式会社の社長となり、蚕種業界の2020-09-23
52藤本善右衛門邸宅(日本博覧図1897所載)藤本善右衛門邸宅(日本博覧図1897所載)『日本博覧図』は関東を中心とした地域の名所旧跡、寺社、豪商の邸宅等を描いた銅版画集。1897年(明治30年)発刊の第12編には上田小県の寺社・邸宅等20点の銅版画が収録されている。「藤本善右衛門邸宅」はその一つである。 藤本善右衛門(ふじもとぜんえもん)は江戸時代から上塩尻村(現在の上田市上塩尻)で代々蚕種製造業を営んできた佐藤本家当主の世襲名である。昌信(まさのぶ 1773-1822)に始まり、保右(やすすけ 1793-1865)、縄葛(つなね 1815-1890)、信汎(のぶひろ 1850-1905)が藤本善右衛門を襲名した。 「藤本善右衛門邸宅」は、佐藤本家の邸宅である。佐藤本家は「藤本」を屋号としていた。1897年当時の当主は信汎(のぶひろ、1850~1905)である。 邸宅跡は現在は更地となったが、藥井門(1932頃再建)、外塀が残っている。 〔図版は上田市立博物館所2020-09-17
53『上田市史・下巻』2/2(1940年)画像データ『上田市史・下巻』2/2(1940年)画像データページ番号(画像データの連番)は表紙からの通し番号になっています。それぞれはJPG画像です。ダウンロードしてお使いください。 647ページ 第四章 諸官衙 648ページ 649ページ 650ページ 651ページ 652ページ 653ページ 654ページ 2020-06-28
54『上田市史・上巻』2/2(1940年)画像データ『上田市史・上巻』2/2(1940年)画像データページ番号は表紙からの通し番号になっています。それぞれはJPG画像です。ダウンロードしてお使いください。 653ページ 第八章 民政 654ページ 655ページ 656ページ 657ページ 658ページ 659ページ 660ページ 6612020-06-28
55『上田老舗図鑑』(滝澤主税編)画像データ『上田老舗図鑑』(滝澤主税編)画像データページ番号は表紙からの通し番号になっています。それぞれはJPG画像です。ダウンロードしてお使いください。 1ページ 表紙 2ページ 3ページ 4ページ 目次 5ページ 監修のことば 6ページ 7ページ 上田老舗図鑑 序文 8ページ 2020-06-28
56『上田市史・上巻』1/2(1940年)画像データ『上田市史・上巻』1/2(1940年)画像データページ番号は表紙からの通し番号になっています。それぞれはJPG画像です。ダウンロードしてお使いください。 1ページ 表紙 2ページ 序 3ページ 4ページ 緒言 5ページ 6ページ 編集の経過 7ページ 8ページ 目次 2020-06-28
57『上田市史・下巻』2/2(1940年)画像データ『上田市史・下巻』2/2(1940年)画像データページ番号(画像の連番)は表紙からの通し番号になっています。それぞれはJPG画像です。ダウンロードしてお使いください。 1ページ 表紙 2ページ 目次 3ページ 4ページ 5ページ 6ページ 7ページ 8ページ 92020-06-28
58『上田市誌』(全31巻 2004年)目次『上田市誌』(全31巻 2004年)目次『上田市誌』全31巻 発行:2002~2004年 編集者:上田市誌編さん委員会 発行者:上田市、上田市誌刊行会 以下から各巻の目次と奥付が参照できます。なお、対象の「上田市」は2006年の合併以前の旧上田市が対象です。 第01巻 自然編(1)上田の地質と土壌 第02巻 自然編(2)上田の気象と川や湖 第03巻 自然編(3)上田の動物と植物 第04巻 歴史編(1)上田盆地のあけぼの 第05巻 歴史編(2)上田の弥生・古墳時代 2020-06-27
59『信濃蚕糸業史・下巻』(1937年)『信濃蚕糸業史・下巻』(1937年) <目次> 製糸篇  第一章 総論  第二章 江戸時代信州各地に於ける製糸業の発達  第三章 開港以後の製糸業  第四章 日清戦争より世界大戦に至る時代  第五章 大正時代  第六章 現代  第七章 製糸技術の変遷  第八章 経営史  第九章 皇室と信州蚕糸業  第十章 本県製糸業者の米国視察と米国絹業者の入信  第十一章 生糸貿易に関する史料 <奥付> 昭和十二年六月一日 昭和十二年六月五日2020-06-24
60『信濃蚕糸業史・中巻』(1937年)『信濃蚕糸業史・中巻』(1937年) <目次> 蚕種篇  第一章 蚕種製造業の発達  第二章 蚕種販売  第三章 蚕種業の奨励  第四章 蚕種業に関する組合の起源及其変遷  第五章 江戸時代に於ける蚕種に関する法規の変遷  第六章 明治時代に於ける蚕種規則の変遷  第七章 蚕種検査  第八章 きょうそ駆除  第九章 蚕業取締事務機関の変遷  第十章 国立原蚕種製造所松本支所設置の沿革  第十一章 蚕品種の変遷附蚕品種整理に関する2020-06-24
61『信濃蚕糸業史・上巻』(1937年)『信濃蚕糸業史・上巻』(1937年) <目次> 栽桑篇  第一章 桑園の期限及発達  第二章 桑品種の変遷  第三章 桑苗生産の変遷  第四章 栽培法の桑栽培法  第五章 桑樹仕立法の変遷  第六章 桑園肥料  第七章 歩桑々園の発達  第八章 夏秋蚕専用桑園の期限及発達  第九章 桑葉売買  第十章 桑園災害  第十一章 桑園の消長  第十二章 桑園経済  第十三章 桑園改善に関する本県当局の施設  第十四章 桑園の分布  第2020-06-21
62『上田市史・下巻』(1940年)『上田市史・下巻』(1940年)

上田市史・下巻』(1940年)

1352頁/容量 234MB ダウンロード表示には時間がかかります。 目次と奥付(抜粋・PDF)
<目次> (第二紀 自上田築城至廃藩置県)  第二篇 第二篇藩政時代(続)[LINK]  第四篇 自明示維新当時至廃藩置県迄[LINK] 第三紀 自廃藩置県至上田市政施行迄  第一篇 廃藩置県
2020-06-21
63『上田市史・上巻』(1940年)『上田市史・上巻』(1940年)

上田市史・上巻』(1940年)

1110頁/容量 232MB 下の画像を選ぶとPDFをダウンロード表示します。ダウンロード表示には時間がかかります。 目次と奥付(抜粋・PDF)
<目次> 上田市の地理的概観及市内大小字名表 【第一紀】 第一篇 上代の上田地方[LINK] 第二篇 奈良時代の上田地方[LINK] 第三篇 平安時代の上田地方
2020-06-21
64『ふるさと上田の地名』(滝澤主税著)『ふるさと上田の地名』(滝澤主税著)

滝澤主税著『ふるさと上田の地名』(1999年)

234頁/容量 75MB 本資料は著作権継承者の承諾を得てネット公開しています。 マップ掲載部分(PDF)
<奥付> 発行日 1999年2月11日 著者  滝澤主税 発行所 長野県地名研究所
2020-06-21
65『上田老舗図鑑』(滝澤主税編)『上田老舗図鑑』(滝澤主税編)

滝澤主税編『上田老舗図鑑』(2004年)

461頁/容量 73MB 本資料は著作権継承者の承諾を得てネット公開しています。 目次と奥付(抜粋・PDF)
<主な収録史料> 長野県地誌草案(1877 明治10) 上田街諸名家一覧表(1891 明治24) 上田市別所 田沢 沓掛 温泉 温泉電車案内並ニ塩尻 全図(1922 大正11) 上田市街宅地軽便地図(1924 大正13) 『信州民報』掲載上田の老舗( 1955 昭和30~) <奥付> 上田老舗図鑑改訂版 編者  滝澤主税 監修  小山一平 発行  長野県地名研究所 発行日 2004(平
2020-06-21
66『蚕糸王国信州ものがたり』『蚕糸王国信州ものがたり』『蚕糸王国信州ものがたり』 共著:前川道博 信濃毎日新聞社 2016年10月出版 分担執筆者:阿部勇[編著]、伊坪達郎、高林千幸、小野一英、桂木恵、山浦直人、前川道博 ISBN-13: 978-4784072934 【購入はAmazonで】『蚕糸王国信州ものがたり』で検索2020-05-25
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