信州上田学 地域資料集

登録リスト(該当:13件)

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2528塩尻村大字上塩尻字信福寺/宮田全図(地籍図[旧公図])塩尻村大字上塩尻字信福寺/宮田全図(地籍図[旧公図])小県郡上塩尻村大字上塩尻之内 第六番字真福寺 第七番字宮田 全図 (上田市税務課所蔵) 塩尻村大字上塩尻(かみしおじり)字信福寺(しんぷくじ)/宮田(みやた)の地籍図である(現在は上田市上塩尻)。 字信福寺、字宮田は区画が小さいことから合体した全図となっている。藤本蚕業歴史館から南に150mほど下った辺りの区画である。かつては水田であったが、現在は宅地化している。 なお、「上田市文化財マップ」に字信福寺にあった「上塩尻板碑」の解説がある。 地籍図は1889年(明治22年)の市制町村制施行に伴い、上田町大字常磐城(旧常磐城村)の地籍図として1890年作成したものと思われるが、年代の記載がないため確認できない。2021-03-22
2121上田市大字常磐城字生塚全図(地籍図 1921年 )上田市大字常磐城字生塚全図(地籍図 1921年 )上田市大字常磐城第弐拾参番字生塚全図(上田市税務課所蔵) 調製 1890年(明治23年)12月 複製 1921年(大正10年)12月 製図者/測量士 馬場亀松(上田市役所地理主任) 曲尺 壱分ヲ以テ一間トス サイズ:A1版より小さい(A1版の台紙に貼付されている) 上田市大字常磐城(ときわぎ)字生塚(うぶつか)の地籍図である(現在は上田市常磐城四丁目)。地籍図は1889年(明治22年)の市制町村制施行に伴い、上田町大字常磐城(旧常磐城村)の地籍図として1890年作成したものを、1919年(大正8年)、上田町の市政施行に伴い、上田市に書き改めたものである。基本的には1890年と同じである。 ★上田市大字常磐城第弐拾参番字生塚全図(PDF)1.1MB 2021-01-11
2120小県郡城下村大字小牧全図(地籍図1890年)小県郡城下村大字小牧全図(地籍図1890年)小県郡城下村大字小牧全図(上田市税務課所蔵) 調製 1890年(明治23年)5月 縮尺 3,000分の1 サイズ:A1版より小さい(A1版の台紙に貼付されている) 城下村大字小牧(地籍図作成当時、現上田市小牧)の「地籍図」を基に作成した地図。 図版は上田市税務課所蔵の当該地籍図の複写図版を合成し作成したものである。 (データ編纂:長野大学前川研究室) ★小県郡上田町全図(PDF)1.2MB 小県郡上田町全図(高精細JPEG画像)18420×13080ピクセル 115MB 2021-01-11
2117小県郡上田町全図(1901~1910年頃)小県郡上田町全図(1901~1910年頃)小県郡上田町全図(上田市税務課所蔵) 制作年代:1901~1910年頃 縮尺12,000分の1 サイズ:A1版より小さい(A1版の台紙に貼付されている) 上田町(地籍図作成当時)全域の「地籍図」を基に町全図として作成した地図。上田町各地の字が一瞥できる。 制作年代は不詳ながら、「上田尋常男子小学校」(1901~1922)、「小県蚕業学校」(権現坂上の時代 1900~1922)が記されている。また上田蚕糸専門学校(1910~1951)は記されていないことから1901~1910年(明治34~43年)の間の地図と推定される。 図版は上田市税務課所蔵の当該地図の複写図版を合成し作成したものである。 (データ編纂:長野大学前川研究室) ★小県郡上田町全図(PDF)1.3MB 2021-01-10
1470大輪精舎之図(日本博覧図1897所載)大輪精舎之図(日本博覧図1897所載)『日本博覧図』は関東を中心とした地域の名所旧跡、寺社、豪商の邸宅等を描いた銅版画集。1897年(明治30年)発刊の第12編には上田小県の寺社・邸宅等20点の銅版画が収録されている。「大輪精舎之図」はその一つである。 タイトルには「長野県信濃国 大輪精舎之図 小県郡上田町」と記されている。 大輪寺(大輪精舎)は、真田昌幸による上田築城に伴い、砥石城の麓の畑山から移されたと伝えられている。大輪寺には真田昌幸の妻寒松院の墓がある。 参考資料:『上田市誌』第9巻「真田氏と上田城」2002年2020-09-25
1469信濃蚕種組合事務所外部及内部之図(日本博覧図1897所載)信濃蚕種組合事務所外部及内部之図(日本博覧図1897所載)『日本博覧図』は関東を中心とした地域の名所旧跡、寺社、豪商の邸宅等を描いた銅版画集。1897年(明治30年)発刊の第12編には上田小県の寺社・邸宅等20点の銅版画が収録されている。「信濃蚕種組合事務所外部及内部之図」はその一つである。 信濃蚕種組合は1889年(明治22年)、藤本善右衛門(塩尻村)、工藤善助(丸子村)、田中忠七(上田町)、倉島弥平(神川村)、佐藤郡三(県村)の5人が発起人となって上田小県全域の蚕種製造家と販売業者が一緒になって結成した。良質の蚕種の製造と販売を保つため、蚕病検査、種繭の処理法、採桑の規定を設けて組合員に遵守させた。組合長の藤本善右衛門らは長野県に検査所を設ける運動を起こし、国会にも要請し1897年(明治30年)、蚕種検査法が成立した。その結果1898年(明治31年)、小県郡蚕種同業組合が設立された。18972020-09-24
876『上田市史・下巻』2/2(1940年)画像データ『上田市史・下巻』2/2(1940年)画像データページ番号(画像データの連番)は表紙からの通し番号になっています。それぞれはJPG画像です。ダウンロードしてお使いください。 647ページ 第四章 諸官衙 648ページ 649ページ 650ページ 651ページ 652ページ 653ページ 654ページ 2020-06-28
874『上田老舗図鑑』(滝澤主税編)画像データ『上田老舗図鑑』(滝澤主税編)画像データページ番号は表紙からの通し番号になっています。それぞれはJPG画像です。ダウンロードしてお使いください。 1ページ 表紙 2ページ 3ページ 4ページ 目次 5ページ 監修のことば 6ページ 7ページ 上田老舗図鑑 序文 8ページ 2020-06-28
872『上田市史・下巻』2/2(1940年)画像データ『上田市史・下巻』2/2(1940年)画像データページ番号(画像の連番)は表紙からの通し番号になっています。それぞれはJPG画像です。ダウンロードしてお使いください。 1ページ 表紙 2ページ 目次 3ページ 4ページ 5ページ 6ページ 7ページ 8ページ 92020-06-28
864『信濃蚕糸業史・下巻』(1937年)『信濃蚕糸業史・下巻』(1937年) <目次> 製糸篇  第一章 総論  第二章 江戸時代信州各地に於ける製糸業の発達  第三章 開港以後の製糸業  第四章 日清戦争より世界大戦に至る時代  第五章 大正時代  第六章 現代  第七章 製糸技術の変遷  第八章 経営史  第九章 皇室と信州蚕糸業  第十章 本県製糸業者の米国視察と米国絹業者の入信  第十一章 生糸貿易に関する史料 <奥付> 昭和十二年六月一日 昭和十二年六月五日2020-06-24
863『信濃蚕糸業史・中巻』(1937年)『信濃蚕糸業史・中巻』(1937年) <目次> 蚕種篇  第一章 蚕種製造業の発達  第二章 蚕種販売  第三章 蚕種業の奨励  第四章 蚕種業に関する組合の起源及其変遷  第五章 江戸時代に於ける蚕種に関する法規の変遷  第六章 明治時代に於ける蚕種規則の変遷  第七章 蚕種検査  第八章 きょうそ駆除  第九章 蚕業取締事務機関の変遷  第十章 国立原蚕種製造所松本支所設置の沿革  第十一章 蚕品種の変遷附蚕品種整理に関する2020-06-24
758『信濃蚕糸業史・上巻』(1937年)『信濃蚕糸業史・上巻』(1937年) <目次> 栽桑篇  第一章 桑園の期限及発達  第二章 桑品種の変遷  第三章 桑苗生産の変遷  第四章 栽培法の桑栽培法  第五章 桑樹仕立法の変遷  第六章 桑園肥料  第七章 歩桑々園の発達  第八章 夏秋蚕専用桑園の期限及発達  第九章 桑葉売買  第十章 桑園災害  第十一章 桑園の消長  第十二章 桑園経済  第十三章 桑園改善に関する本県当局の施設  第十四章 桑園の分布  第2020-06-21
756『上田市史・下巻』(1940年)『上田市史・下巻』(1940年)

上田市史・下巻』(1940年)

1352頁/容量 234MB ダウンロード表示には時間がかかります。 目次と奥付(抜粋・PDF)
<目次> (第二紀 自上田築城至廃藩置県)  第二篇 第二篇藩政時代(続)[LINK]  第四篇 自明示維新当時至廃藩置県迄[LINK] 第三紀 自廃藩置県至上田市政施行迄  第一篇 廃藩置県
2020-06-21
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