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写真タイトル説明登録日
1常盤街の歴史 昭和45年から昭和49年まで常盤街の歴史 昭和45年から昭和49年まで昭和45年 1   自治会会則が一部変更し、監事2名を置く。 9   「これからの親と子のあり方」の講習会を開く。     講師は上田三中校長黒坂周平氏。 10   西小・三中PTA支部廃品回収を実施、収益金20,884円 11   新上田橋が完成する。 昭和46年 9    敬老会を市老人福祉センターで開く。米寿会員33人出席。 10   常盤町簡易郵便局が開局する。 10   上田市交通安全協会鎌原支会の分会として常盤町分会が設立される。 10   自治会館南側の道路を日曜広場として利用し始める。 12   町婦人部主催で金子康夫さん撮影の8mm映画「常盤町の誕生より今日まで」の上映会を開く。 12   団地南端の交差点(山寺さん宅前)へカーブミラーや「止れ」の交通標識が建つ。 12 2023-08-09
2馬力神馬力神母校の小学校の通学路にある石碑。 馬力神信仰は、栃木県を中心に江戸末期から昭和初期まで盛んだった風習である。 大部分は愛馬の供養のために造立されたものであり、栃木県内に274の馬力神の石碑が存在するという。 石碑には「大正十年七月三十日死亡」とあることから、その時代に建てられたものと考えられる。2023-05-10
3通学路の鳥も使う歩道橋通学路の鳥も使う歩道橋この大きく存在感のある歩道橋は、交通量の多い下の通路と近道になる上の通路を支えるため作られました。長い年月からか植物も巻き付き歩道橋内部の鉄線には鳥も生息しています。このような自然との調和からここに興味を持ち記録させていただきました。2023-04-27
4古い通学路近くのカーブミラー古い通学路近くのカーブミラーこれは長野大学近くの通学路にあるカーブミラーです。一見ただのカーブミラーですがよく見ることで所々が錆びており、鏡部分に凹凸があることから古くからそこにあり何度も車に衝突したものだと考察できます。今回このカーブミラーが歴史ある物だと気づき記録させていただきました。2023-04-27
56 松根油の生産について6 松根油の生産について画像は「長崎ディープブログ「長崎街道11~松並木と松根油と」」から転載 http://blog.nadeg.jp/?eid=43&imageviewer&image=20171028_726412.jpg 年表・数字からひもといた中で、特に「航空燃料用の松根油」の生産に関して注目したいと感じた。 興味を感じた理由は下記の二つである。 ①自分の生まれ育った地域、しかも長野県の山の中で航空機の燃料を作っていたことを全く知らなかった。日本の山奥で航空燃料を生産するに至るまでに、どのような経緯があったのか調べたい。 ②のちに記すが、坂井村誌内の記述によると、私の実家の近く、小学校の通学路の橋の袂で生産を行っていたらしい。そのためより身近に感じた。

村誌内の記述

下記は坂井村誌内に記述されている、松根油に関する記述である。 -------------------- 松根油 昭和20年に入ると、松根
2022-01-29
6思い出のベンチ思い出のベンチ時間 18時 天気 曇り なかなか気づかないものではありますが、上田にはベンチがいたるところにあります。ここは私が中学生のときによく友達と帰り道にだべっていた場所です。一見なんでもない、この空間はだれかにとっては思い出の場所だったりします。どうかこういう場所がこの先も残ってほしいですね。2021-05-05
7本当に緑色 緑橋本当に緑色 緑橋 上田原の合戦の地は、今は県営球場や小学校になっている。辺りを散策していると何やら緑色で塗られた橋が。  その名も緑橋。住宅街から産川を渡り小学校に行くためにかかっている橋で、ペンキでベタベタに塗られている。渡ってみると鉄板の音が心地よく何か懐かしい気持ちになる。自然の中にケミカルな人工物、異質な感じが面白い。  筆者は上田市立川辺小学校の卒業生なのでよくこの橋を渡っていた。学校の始まりと終わりにいつもわたるこの橋は、行くときは嫌で帰るときはウキウキだった。2021-05-05
8グリーンベルトグリーンベルト歩道のない道路の路側帯に色を付け通学路であることを示すものです。地元では見たことがないものでした。細い道も多く車との接触が心配なときもありますが、このような配慮があると安全性が高まりますね。2020-06-23
9少し危険を感じる橋少し危険を感じる橋町中を歩いていたら木の小さな橋を見つけました。危険性からか入口が鎖で封鎖されています。2020-05-26
10亀田小学校通学路の黄色い道亀田小学校通学路の黄色い道安全に配慮された広い道。昔は鮮やかな黄色であったが、現在は塗装が剥がれて黒い道になりつつある。なぜわざわざ黄色に塗装されたのかはわからない。おそらく通学路としての機能が最初から想定されていたため、小学生に通る道がわかりやすいように指定されたのではないかと思う。実際に、私も小学生の時はこの道を通って下校するように指導された。2020-05-26
11宮浦踏切から続く線路宮浦踏切から続く線路多くの鏡があることがわかるが、これは亀田の性質として細い道が多いためだと思われる。中には住民が自主的に設置した鏡もあった。 さらに、踏切の柵は仮のものであるとされていたはずなのだが、未だにこの柵は健在である。小学生の通学路でもあるため、きちんとした柵の整備が必要である。2020-05-26
12宮浦踏切宮浦踏切近くに神社があることから名付けられたと思われる。神社の裏すなわち宮裏であるが、それでは縁起が悪いため浦になったと推測。2020-05-26
13曇りの日の浦町公園曇りの日の浦町公園平日の午後には子供で賑わいます。元々付近には駄菓子屋があり、買ったお菓子をここで食べている人もいました。当たりが出るとまたお店まで往復するのも楽しかったです。2020-05-26
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