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1桔梗ヶ原〔信州の浮世絵〕桔梗ヶ原〔信州の浮世絵〕江戸時代の浮世絵師、二代歌川広重による錦絵の揃物「諸国名所百景」の一つ。 初代広重の門人で、師の亡き後その画風を継承した二代広重が、安政6年(1859)から文久元年(1861)にかけて制作した。版元は、初代広重晩年の作「名所江戸百景」を出版した魚屋栄吉。「桔梗の原」は天文年間(1532~55)に武田信玄と小笠原長時が相対した合戦場で、左にある「勘助子そだての松」は、合戦の最中に山本勘助が乳児を救い、その根元に置いて戦の後に戻ったところ、松の葉から落ちる雫を母親の乳房から出る乳のように口に含んでいたという伝説がある。その後、中山道の一里塚が築かれた。江戸日本橋の基点から59番目、江戸へ55里、京へ85里の道標で、塩尻市宗賀平出には、道を挟んだもう一方の塚が松の木とともに残されており、現存する数少ない一対2023-02-01
2一里塚の道標一里塚の道標一里塚の道標を見るために上田市のスシローやドン・キホーテがあるほうへと向かいました。。しかし、最初はお地蔵さんのみを見つけ、一里塚が見つかりませんでした。それもそのはずで、お地蔵さんの横にある草や植物をかき分けた後のような細道を登った上に一里塚はありました。このお地蔵さんが一里塚の目印にもなっていました。2022-11-03
3上田市の隠れた名所達上田市の隠れた名所達今回、私達は上田の隠れた名所を回っていきました。 手始めに愛宕神社へ私達は向かいました。鳥居の奥に182段もの角度が急な階段があり、上るのに一苦労でした。 the山奥の神社という感じで自然豊かでした。その次に私達は一里塚へと向かいました。アピナやバローの後ろ側の通路の片隅に地蔵さんがいるのですが、その横に植物が踏まれていった後のような細い道の先に道標がありました。上田にこのような場所があることを長年上田に住んでいるのに初めて知りました。このような隠れた名所というのも静かな雰囲気があって心癒されると思い、良いなと感じました。2022-10-31
4北向観音道標北向観音道標大きな石に綺麗に彫ってあった 自然に置かれているので気づかなかった2022-10-25
5向源寺向源寺北向観音道標から上田上に向かう際に見つけたお寺です。とても荘厳な雰囲気が漂っていました。2022-10-24
6北向観音道標北向観音道標道端にたたずんでいました。北向観音堂にも行ってみたいです。2022-10-24
7西原区の橋のところにある菱野薬師への道標西原区の橋のところにある菱野薬師への道標西光寺近くの橋のところにある菱野薬師への道標2020-07-06
8六供中沢川仲乃橋のところの道標六供中沢川仲乃橋のところの道標「右浅間山 左菱野冷泉」2020-07-01
9大正時代の別所街道道標(上田市保野)大正時代の別所街道道標(上田市保野)大正13年3月に保野青年會によって設置された別所街道の道標。泉田、室賀村方面への分岐点である旨が記されている。 大正10年に現在の別所線が開通しているが、それ以降も主要な道として使われていたことを示すものとして興味深い。2020-05-26
10別所街道の道標(上田市本郷)別所街道の道標(上田市本郷)別所方面、上田方面、塩田方面へ行く道の交差点であったことを示す道標。 現在の県道はこの交差点を東西に貫くが、別所方面の旧道はここから北西方向へ分岐する。かつての塩田平の交通の要衝であったのだろう。 道際の草むらに飲み込まれつつあるが、道路拡張時にも撤去されずに残された道標である。2020-05-25
11下塩尻 庚申塔下塩尻 庚申塔庚申塔(こうしんとう)は、庚申塚(こうしんづか)ともいい、中国より伝来した道教に由来する庚申信仰に基づいて建てられた石塔のことを言います。庚申講を3年18回続けた記念に建立されることが多いそうです。塚の上に石塔を建てることから庚申塚、塔の建立に際して供養を伴ったことから庚申供養塔とも呼ばれています。 出典:庚申塔 - Wikipedia 庚申という言葉もその歴史についてもあまり知る人は少ないのではないかと思います。実際に調べてみると多くの歴史があり、様々な情報があるため歴史的に興味が持てます。他の都道府県にもあるため、実際にその場へ赴き、どういった歴史があったのか調べたくなります。2020-05-21
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