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4代松平忠済と藩主居館の門
これは歴代の上田藩主が住んでいた居館の表門である。寛政1年(1789)にこの門と居館は全焼したが、松平忠済(ただまさ)が翌年に再建させている。 瓦屋根の軒の両端を見てほしい。上田藩松平家の家紋「五三の桐紋」があしらわれた瓦が取り付けられている。屋根の棟板金を見てほしい。ここにもまた家紋の飾りが2つ取り付けられている。家紋の瓦からは、この門が持つ格式の高さが感じられる。門の両側には、白い塀がずらっと続いている。何だか「居館」というよりも「お寺」のイメージを彷彿とさせる。軒下には雨樋が付いている。化合した金属で作られたものだろう。江戸時代だったら、木材や竹で雨樋を作っただろうから、この樋は最近のものだろう。 門だけでなく雨樋や塀、屋根の状態などを見ると面白いだろう。
2023-11-25
2
眞田神社
眞田神社は真田氏、仙石氏、松平氏という歴代の上田城主を御祭神としています。しかし、もともとは松平家の御先祖をお祀りする御宮であり、松平神社と呼ばれていました。 4枚目の写真は城内唯一の大井戸で、この井戸の抜け穴は白の北方、太郎山麓や藩主居館跡にも通じていたとの伝説があります。
2022-12-05
3
[14/09/11]山家の「真田氏館跡」
枡形道路とたつ道を進むと民家の石垣にぶつかりT字路となります。余談ですが、このような傾斜地に広がる集落がどことなく和歌山県の九度山に似ていることを想起しました。 この民家のある土地が平らに整地されていることから、ここに館があったという推定が興味を引きます。さらに、ここが真田氏の館跡であるという仮説もワクワクするようなものです。 真田氏の館跡はすでに真田町の各所で見てきました。角間の館跡、ここ山家の館跡、お屋敷公園の館跡、伊勢山にも館跡があったらしい。真田氏は角間から次第に低い方へと移り、やがて上田城へ。やがて真田信幸の代になり、上田藩主居館跡に、更にその後は松代へ移ることになります。この変遷をたどるだけでも実に興味深い。
2021-05-01
4
[14/09/11]角間川と角間橋
角間川に架かる角間橋です。そのすぐ背後に古い真田氏の居館跡(日向畑遺跡、安智羅明神)、さらにその背後に松尾城跡があります。この橋からは川はさらに下ったところにあります。つまり当時は川を地面とし、居館が高いところに位置していたと想像できます。
2021-05-01
5
[14/09/11]日向畑遺跡と松尾城跡登り口
『真田氏資料集』(上田市立博物館)によると日向畑遺跡が発掘されたのは1971年。それほど昔でないのが意外です。「古くは真田氏の菩提所であったと伝えられる常福寺の跡M」にあたり、「幸隆以前の真田一族の墓地ではないかと考えられている」。 真田氏の古い居館跡とされていることから、日向畑遺跡がその墓所であるとするのは最も順当な推定です。歴史の未知の領域に一歩踏み出したかのようなワクワク感を感じる遺跡でした。 なお、日向畑遺跡は松尾古城の登り口にもなっています。背後の山が古城であるということもさらにそのもっともらしさを後押ししているようです。
2021-05-01
6
上田藩主居館跡(上田高校)
上田城に近く現在の上田高校のある地に、関ヶ原の合戦後、上田を治めることになった真田昌幸の嫡男である信幸(信之)の居館が築かれた。信之はここで政務を取り仕切っていたといわれている。その名残で上田高校の正門は写真のように当時の正門が使われ、周囲には堀(水堀り)も見ることができる。
2020-06-23
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