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写真
タイトル
説明
登録日
1
藤本蚕業歴史館資料箱 上ーH
藤本蚕業歴史館資料箱 上ーHの3Dモデルを撮影し、藤本蚕業アーカイブに投稿しました。
2024-06-24
2
松平忠固の側室おつま夫人
(写真は左から松平忠厚・忠礼・山口慎、留学中の明治6年ニューヨークにて) 東京在住ですが、数年前から折に触れて上田藩士だった山口家のファミリーヒストリーを追っています。『埋もれた歴史』を出版なさった東郷えりかさんと2022年秋にお会いして以来、多くの方法を教えていただいています。この春、上田市立博物館と上田市立図書館で調査したところ、松平忠固の側室おつま夫人について私なりの発見がありました。先祖調べを始めた亡母にもきっと想定外のこと、調べるほどに興味深い事実に出会い、歴史を大切に扱ってこられた上田の方々に感謝の念を強くしています。
2024-06-20
3
藤本蚕業歴史館の展示物
2024-06-03
4
藤本蚕業歴史館のそろばん
2024-06-03
5
上田西高等学校5月フィールドワーク
上田西高等学校で5月29日に行われたフィールドワークに参加させていただきました。藤本蚕業歴史館や佐藤本家など塩尻地区を探索し、生徒それぞれが興味を持ったことなどを写真に収め学習を行いました。僕たち大学生は資料の解説や3D技術の説明を行いました。
2024-05-29
6
5月20日ゼミ活動
塩尻小学校にある歴史館を訪問しました。農業に使用する機械や機織り機、古い紙幣など様々な貴重な展示物がありました。その中でも、昔の紙幣は大小様々なものがあり、見ていて面白かったです。
2024-05-21
7
物を大切にする文化
昨日、藤本産業歴史館を訪れました。当時の蚕業の様子を実際に建物を見ることで、状況をイメージすることが出来ました。 ここは佐藤宗家の蚕室です。年季が入っているため、建物自体も補強でしょうか…?工事を行っていました。 中を見学していると、壁紙がはがれていたのを見つけました。よくよく見てみると、文字が書かれています。 どうやら書物のようです。 写真に撮り、どのようなことが書かれているか画像検索してみると…。 「通商条約廃棄ヲ通告シ目下外交…」 → 七日中通商条約改訂問題 ? もしあっているとするならば、記事は昭和3年頃のもの、約96年前のものです。 昔は紙が貴重であったそう。使わなくなった本を壁紙として利用する、昔の方の「物を大切にする精神」が感じられます。 モノが多くあふれ
2024-05-21
8
小岩井紬(つむぎ)工房
小岩井紬(つむぎ)工房は長野県上田市の上塩尻地区にある伝統的な手織り紬の工房です。上田紬は300年以上の歴史を持ち、日本三大紬の一つとされています。小岩井紬工房では、100年の歴史を持つ木製の織機を使用し、自分だけのオリジナルの上田紬を作る体験ができます。この工房は、江戸時代から続く伝統的な織り方を守りながら、現代的なデザインも取り入れています。
2024-05-20
9
塩尻小学校資料館見学
2024年5月20日に上田市立塩尻小学校に訪れ、資料館を見学しました。そこでは蚕に関する道具や歴史的展示物が置いてありました。特に自動鑑別機は以前動画で見たことはあったが実物を見たことがなく、実物を見れて興味を持ちました。
2024-05-20
10
道路の境界
最近工事が終わった道路。古い道路との境界線がくっきりと見える。年月が経つにつれこの境界線は薄れていくのだろう。
2024-05-16
11
青木線:国道となった廃線跡
他の記事でも記したが、青木線は現在の上田原駅から西に直進し、青木村へと至る路線であった。80年以上前の1938年に廃止された路線であるが、地元民からは「電車道」と呼ばれる道がある。それは現在の国道143号、上田市川西地区の主要街道である。 国道143号には昔の宿場町を避けて敷設された歴史がある。それ故に、もともと青木線があった場所に道路を通したと思われがちだが、実際のところは国道143号の路面を使う形で路面電車として運行されていたという経緯があり、現在の国道143号は廃線跡のぶん拡張されただけに過ぎない。
2024-05-05
12
漁業記念公園
シンボル樹の大イチョウは、昭和天皇の即位記念に配られた1本です。浦安での漁業の歴史が描かれたものもあり、公園の歴史についてくわしく記された記念碑もあります。身近なところに浦安の漁業の歴史について知れる場所があるなんて知りませんでした。
2024-05-09
13
城山史跡公園 荒砥城跡
千曲市にある「城山史跡公園 荒砥城跡」です。敷地内には、善光寺大本願別院もあります。 荒砥城は、当時一帯を治めていた地方豪族“村上氏”の支族にあたる“山田氏”により、大永4年に築城されたと伝えられています。 城の形は、郭をいくつも連ねて作られる「連郭式山城」という、当時一般的な形式で築かれています。 川中島合戦の中で、武田軍の城となったり上杉軍が支配したりと、目まぐるしい奪い合いの渦中にありました。 入場料は大人一人300円で、車で行くのも少し大変な場所ですが、興味がある方はぜひ訪れてみてください。
2024-05-09
14
北国街道柳町
上田市内とはまたガラッと雰囲気が変わる旧北国街道は、平日だったにも関わらず観光客の方々が食べ歩きや景観を楽しんでいました。訪れるのは初めてだったのですが、風情を感じる建物やお店などが多い素敵な場所であると思いました。
2024-05-09
15
上田紬の看板
上田市の伝統工芸である「上田紬」を取り扱うお店の看板です。上田駅周辺より遠くにはあまり行く機会がなかったので、数は減ってきているものの実際に上田紬が上田の中で生きていることを実感できました。
2024-05-09
16
旧北国街道-海野町商店街
海野町商店街では、マップを見ながら、由利鎌之助像を探しつつ、食べ歩きをしてみた。他の部分より歴史ある街並みがそろっており、少し中に入れば、地元の飲み屋街さながらの場所も存在していた。
2024-05-09
17
歴史も感じられる場所
我が家行きつけのカフェです。名前をseidenstrassenと言います。丸子にあった鐘紡の工場の倉庫を現在はカフェとして利用しています。店主の人柄もよく、料理も美味しいです。ぜひ一度訪れてみて下さい。
2024-05-09
18
高市神社
海野町商店街には今回の探検をきっかけに初めて訪れたのですが、商店街の一角に神社が置かれているのを見て驚きました。真田昌行公が創建された神社であるということでしたが、町の景観に馴染んでいる姿が印象的でした。
2024-05-09
19
地域の歴史資料館
歴史資料館にはちゃんと管理されているものから、入れるのかわからないものまでありました。
2024-05-09
20
上田原合戦跡地
自宅の近くにありました。 あまり有名ではないかもしれませんが、しっかりと歴史が残されていて感心しました。
2024-05-09
21
上田映劇
写真やSNS等で見かけることはありましたが、実際に足を運ぶのは今回が初めてでした。大正時代から100年以上続くという映画館ということで、上田市内の中でも特有の雰囲気と時代に流れを感じる風景を見ることができます。
2024-05-09
22
公衆電話
まちのところどころに設置されていた。スマートフォンなどの端末が普及した現在では使う場面が少ないが、災害など、もしものときのために場所や使い方を知っておいた方が良いかもしれない。
2024-05-09
23
掘辰雄の径
軽井沢別荘地にある掘辰雄の径(みち)です。実際にこちらの少し奥の別荘にて、結核の療養をし、「風立ちぬ」を執筆されたようです。
2024-05-08
24
3Dで藤本蚕業歴史館をデジタルツイン化
上塩尻にある藤本蚕業歴史館の新しい情報空間のご紹介です。 ★藤本蚕業歴史館ウォーク https://d-commons.net/fujimoto-walk/ 資料館はとても行きにくいし、行っても資料を見るのも大変です。このたびデジタル技術を使って、資料館まで行かなくても館内をバーチャルに歩き回り、資料にアクセスできるバーチャル空間にしました。本物の資料館がそこにあるかのように再現する技術を「デジタルツイン(デジタルな双子)」と呼んでいます。その試みです。長野大学前川ゼミの協力により藤本蚕業プロジェクトが制作しました。 皆さんもどうぞバーチャルな体験、資料へのアクセスをお楽しみください!
2024-02-27
25
柳町の記憶2005/04/15
2005/04/15の記録。 私が上田に移り住んで間もない頃の記録です。北国街道の上田宿でもあった「柳町」。柳町を訪れたのはこの時が初めてです。上田の城下町の面影を残す歴史スポット、観光スポットとしてその後、地元ばかりでなく広く全国からも知られるようになりました。 歴史的景観を活かしたまちづくりもなされ、徐々に環境も整備されてより美しくなりました。昔どうだったのか、その経過・変遷を視認できる情報源として当時のありのままの写真は大切なのではないかと思い、ここに掲載しておきます。 参考サイト:信州上田北国街道 柳町 https://yanagimachi-ueda.jp/
2024-02-17
26
信州上田学2023/地域キュレーションVol.2
長野大学講義科目「信州上田学」(2023年度後期)を受講した学生たち(主に新入生が対象、3学部横断)の「地域キュレーション」(地域を探究しアウトプットする学び)のアウトカム集です。講義内容は「
信州上田学2023①~④地域キュレーション
」をご参照ください。 「
学生による地域キュレーション2023(信州上田学A受講生)
」それぞれのマイテーマにリンクしています。[
Vol.1
|
Vol.2
]
No.
ニックネーム/探究テーマ
探究のねらい
よう/地域交通と産業のつながり
交通インフラと産業は密接に関連していると考えたから。産業の発展には
2024-02-16
27
信州上田学2023/地域キュレーションVol.1
長野大学講義科目「信州上田学」(2023年度後期)を受講した学生たち(主に新入生が対象、3学部横断)の「地域キュレーション」(地域を探究しアウトプットする学び)のアウトカム集です。講義内容は「
信州上田学2023①~④地域キュレーション
」をご参照ください。 「
学生による地域キュレーション2023(信州上田学A受講生)
」それぞれのマイテーマにリンクしています。[
Vol.1
|
Vol.2
]
No.
ニックネーム/探究テーマ
探究のねらい
こぶた/別所を盛り上げるには
サークルの関係で別所に行く機会が多々あるが、別所の魅力にまだ自分自身
2024-02-16
28
旧長野病院(信州上田医療センター)2005/05/17
2005/05/17の記録。 旧国立長野病院が上田市にあったことが人々の記憶からも遠ざかっています。長野病院が2011年、旧国立東信病院を統合し「信州上田医療センター」に改称しました。現在の施設自体は2005年当時と殆ど変わりませんが、名称が変わりました。病院名がシンプルで一度聴いたら忘れません。「信州上田~」は少し長く覚えにくいのは否めません。建物に記された「長野病院」のシンプルな病院名をご確認ください。 参考資料:信州上田医療センター https://shinshuueda.hosp.go.jp/ Wikipedia/国立病院機構信州上田医療センター https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E7%AB%8B%E7%97%85%E9%99%A2%E6%A9%9F%E6%A7%8B%E4%BF%A1%E5%B7%9E%E4%B8%8A%E7%94%B0%E5%8C%BB%E7%99%82%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BC
2024-02-15
29
別所線の車両デザイン2005/05/07
2005/05/07の記録。 私が上田に移り住んでから間もないころの2005年5月。赤坂上の別所線踏切で信号待ちになり、別所線の車両が通過していきました。それ自体は何の変哲もないものですが、現在の2024年からふり返ってみると、「あれ?このデザインの車両は今は走っていない」と気づき、逆に新鮮でした。このような知らず知らずの変容には古い写真を参照しないと気づけないものです。
2024-02-15
30
聖博物館・航空資料館2008/05/06
2008/05/06の記録。 施設内の説明によると聖博物館は1965年に建設され、民俗資料等1300点が展示されています。航空資料館は麻績小学校の旧校舎を1971年に移築復元したものということです。麻績村の小さな博物館に航空機が展示されていることが唐突で面白い。2008年に訪れた時点で既に開館から37年が経過し、展示形態が旧態化した印象は否めませんでした。社会の価値観の変容、デジタル社会への変容などにより、麻績村の地域資料が数多く保存された貴重な施設であると同時に、地域や歴史を学習する博物館施設のあり方も見直されてよい。児童生徒が教室からこれらの展示にアクセスできたら、どれほど地域学習に役立つことかと思います。 Wikipediaによると2012年にリニューアルされたとのこと。現地を訪れ、時の経過の意味を感じてみたいと思います
2024-02-15
31
実相院宝篋印塔
実相院は、坂上田村麻呂が東征の途中、角間渓谷に住む毘邪という鬼を霊験あらたかな馬頭観世音に祈願して捕まえました時、鉄の鎖で縛り上げたことから、金縄山「実相院」になったと記されています。 歴史的な趣を感じられるスポットでした。
2024-02-14
32
上田駅
北陸新幹線、しなの鉄道、別所線が乗り入れる上田市の中心駅です。北口はお城口、南口は温泉口と呼ばれています。真田家の家紋である六文銭が特徴的です。通勤・通学に利用する人、観光に来た人などでにぎわっています。駅前広場の真田幸村の騎馬像が観光客を出迎えてくれます。上田の歴史を感じます。
2024-02-13
33
北向観音堂からみた上田地域
別所温泉に位置する北向観音堂は、本堂が北に向いた全国でも非常に珍しい寺である。平安時代初期、最澄から天台宗を受け継いで比叡山延暦寺の座主となった円仁によって開かれた。山を背に構える別所温泉は信州最古の温泉地と言われており、現在も観音様への参拝前に体を清める手水舎には、別所温泉で湧き出た源泉が用いられている。また、北を向いて建てられた本堂は、南向きに建てられた善光寺の本堂と向かい合っている。現世利益を願う北向観音堂と極楽往生を願う善光寺の両方を参拝することが推奨されている。実際に訪れてみると、あちこちで湯煙が上がり、その奥には上田の市街地が一望できたのが印象的である。しかし、人気(ひとけ)はほとんどなく、かつての賑わいを感じることはできなかった。観光客に向けて、全国的に希少価
2024-02-13
34
北向観音堂、本堂
別所温泉に位置する北向観音堂は、本堂が北に向いた全国でも非常に珍しい寺である。平安時代初期、最澄から天台宗を受け継いで比叡山延暦寺の座主となった円仁によって開かれた。山を背に構える別所温泉は信州最古の温泉地と言われており、現在も観音様への参拝前に体を清める手水舎には、別所温泉で湧き出た源泉が用いられている。また、北を向いて建てられた本堂は、南向きに建てられた善光寺の本堂と向かい合っている。現世利益を願う北向観音堂と極楽往生を願う善光寺の両方を参拝することが推奨されている。実際に訪れてみると、あちこちで湯煙が上がり、その奥には上田の市街地が一望できたのが印象的である。しかし、人気(ひとけ)はほとんどなく、かつての賑わいを感じることはできなかった。観光客に向けて、全国的に希少価
2024-02-13
35
安楽寺八角三重塔
日本最古の禅宗様建築で、長野県内では松本城とともに最初の国宝指定を受けた文化財である。また、日本で現存する唯一の八角塔である。高さ18.75mで、内部の天井や八角の仏壇も他に類を見ないものである。しかし、その希少価値の高さや歴史の深さなどが観光客に最大限伝わっておらず、一連の観光資源として活用できているようには感じられなかった。特に、別所温泉には数多くの寺社が建てられており、古くから中国の高僧や全国の学僧が訪れた。だからこそ、地域として関連性のある遺産が多い。それをもっと有効に活用するべきだろう。
2024-02-13
36
上田城
真田幸村の父、真田昌幸によって築城されました。桜の時期の祭りや、秋のライトアップなど一年を通して様々なイベントも行われ、地元の人たちにも愛される観光名所となっています。歴史ある上田の遺産に、皆さんもぜひ足を運んでみてください。
2024-02-13
37
別所温泉のマンホール
別所温泉のマンホールです。 何をしている様子なのでしょうか。 これは、別所温泉に伝わる「岳の幟」というお祭りをしている様子です! 「岳の幟」の読み方は、たけのぼり、です。 このお祭りは、雨乞いをするものです。少雨である上田だからこそ生まれたお祭りなんですね。 この岳の幟は国の重要無形民俗文化財になっています。 私が行ってきた「上田氷灯ろう夢まつり」の会場にも岳の幟で使用される(奉納される)、色とりどりの布と竹竿の絵が描いてあるライトがありました!それくらい、別所温泉にとって大事なものなんですね。 別所温泉の町を歩いていると、マンホールが3つも近くにあるところを見つけて、テンションが上がりました! 1枚の写真で3つのマンホールが撮ることができる場所はそんなにないんじゃないかと思いまし
2024-02-13
38
国宝安楽寺
神聖な雰囲気に包まれた安楽寺。長い年月をかけて育った杉の大木に囲まれながら、階段を上るとそこには見事な八角三重塔。とても素晴らしい歴史文化財である安楽寺は地域観光財として大きな価値を持ち、上田&別所地域に大きく貢献している。少し立地は悪いが、この一つだけでも観光が成り立つ資源としての強みは、地域観光の在り方を考える際の軸としての意味も担っているだろう。
2024-02-13
39
舌喰池
日本遺産の「塩田平のため池群」の一つである。年間降水量が全国で最も少ない上田市は、農業用水を確保するためにため池を100か所以上作った。そのうちの一つが舌喰池である。貯水量は、138,000㎥、満水面積は、61,400㎡、堤高は7.0mである。舌喰池周辺の水田では、上田藩で作られる米の約半分が作られ、他にも雨乞いをする儀式の場としても使われた。舌喰池の名前の由来の一つとして、ある昔話が関係している。昔この池が造られた頃、土手から水が漏れて、十分に水を溜めることができなかった。そこで池の改修をするにあたり、土手に、生きた人を土中に埋めて祈るという「人柱」を入れなければ水が溜まらないという話があった。 くじ引きで決められたある娘さんは、日夜悲しみに明け暮れていたが、人柱に立つ前の晩、身の不運を嘆いて舌
2024-02-13
40
生島足島神社
延喜式にもその名が記されている由緒ある古社である。生島大神と足島大神の二神が祀られ、武田信玄や真田昌幸・信之をはじめ歴代の上田城主からも厚く崇敬されたという。生島大神と足島大神を祀る神社は全国的にも珍しく、近畿地方中心に数社しかなく、東日本ではここを入れて2社のみである。昌幸の朱印状など、国の重要文化財に指定された94通の古文書が残っている。 敷地面積が特に大きいわけではないが、手入れがされていて池も相まって綺麗にまとまっているなという印象を受けた。境内には歌舞伎舞台もあるため。神社だけではない多くの歴史も感じることが出来る。また、日本の真ん中に位置していることでパワースポットとしても人気を集め、観光客を引き付ける魅力の1つでもあると感じた。
2024-02-13
41
安楽寺の三重塔
安楽寺の三重塔は国宝に指定されている。1290年頃建てられたといわれており日本最古の禅宗様建築とされる。山奥にどっしりと構えておりまさに別所温泉の歴史の象徴のような存在である。温泉街を訪れる人たちの多くが国宝を一目見ようやってくる。
2024-02-13
42
別所温泉近くの寺 常楽寺
常楽寺は別所温泉街のすぐ近くに位置する歴史ある寺である。当寺は825年に創設され、鎌倉時代には「信州の学海」の中核を担う存在として多くの修行僧を受け入れた。境内にはきれいに整えられたマツが茂っており、落ち着いた雰囲気であった。寺の中に「息調」という言葉が書かれていたが、この寺の基本理念のようなものなのかもしれないと思った。
2024-02-13
43
まとめ
これまで上田市の街や神社を訪れてきましたが、上田の歴史について深く知ることができたように感じます。例えば、眞田神社は真田氏よりも松平氏の方がゆかりがあるなどのことを知ることができました。残りの3年間でより上田を知っていきたいと感じました。
2024-02-13
44
上田市の歴史を活かした観光
生島足島神社についてです。 延喜式にもその名が記されている由緒ある古社。生島大神と足島大神の二神が祀られ、武田信玄や真田昌幸・信之をはじめ歴代の上田城主からも厚く崇敬されたという。昌幸の朱印状など、国の重要文化財に指定された94通の古文書が残っています。
2024-02-13
45
上田市の歴史を活かした観光
長福寺についてです 生島足島神社に隣に建つ長福寺は平安時代の康保2年(965)創建で、創基は祐存上人と伝えられています。境内の一隅にある八角円堂は奈良、法隆寺の夢殿を模して、二分の一の縮尺で建てられた美しい御堂で、信州夢殿と呼ばれて親しまれています。
2024-02-13
46
上田市の歴史を活かした観光
上田市の別所温泉・北向観音についてです 別所温泉は上田電鉄別所線の最端に位置しています。 別所温泉にある北向観音。境内には愛染カツラの木があります。その昔、川口松太郎氏が書いた小説の題名となり、その後映画になり大ヒットしました。それ以来縁結びで有名な木となり、別所温泉を訪れた人々が樹齢300年を超えたこの霊木に参拝などをして親しんでいます。この木は1939年より上田市指定天然記念物に認定されています。
2024-02-13
47
上田市の歴史を活かした観光
海野町についてです。 この街は、江戸時代の旅籠づくりの建物と明治時代以降の養蚕が盛んな頃に建てれた家々が今も大切に保管されています。養蚕づくりに適した伝統的な造りをしており、1986年には「日本の道百選」に、 1987年には「重要伝統的建造物群保存地区」に選定され重要な文化財となっています。
2024-02-13
48
沓掛酒造 蔵見学 PART1
沓掛酒造の蔵見学に行ってきました。杜氏さんから蔵の歴史や、酒造りの工程のお話を聞いた。 昔は小谷村からオフシーズンの農家さんたちを雇って大人数で日本酒を作っていたが、今は全員で4人だけ! 写真は蒸した米に麹をかけてでんぷんをブドウ糖に変える麹室。
2024-02-13
49
【上田市の銭湯】銭湯の分布から見る地域の考察
突然ですが、皆さんは銭湯に行ったことはありますか? 銭湯というと、富士山の壁画が描かれた、東京の大きな下町銭湯を思い浮かべる人が多いと思います。ここでいう銭湯とは、法律で定められた一般公衆浴場のことです。 ここ上田市にも、地域に根付いた街のお風呂屋さん、銭湯が2軒あります。ですが最盛期には、なんと24軒もの銭湯がありました。昔は市街地ではお風呂のある家庭は一般的ではなく、農村部のお百姓さんの家、どこかの大富豪の社長さんの家など、限られた家庭にしかありませんでした。そこで、「浴場業(銭湯)」という一つの業種が確立されたんですね。今回はこれまでの調査のまとめとして、「銭湯の分布から見る地域の考察」を題として、上田市の銭湯の現状とともに記していきます。 ◎上田市の銭湯の現状 下に上
2024-02-12
50
【上田市の銭湯】地図から銭湯の分布を見てみよう~「史的ニ上田」編~
突然ですが、皆さんは銭湯に行ったことはありますか? 銭湯というと、富士山の壁画が描かれた、東京の大きな下町銭湯を思い浮かべる人が多いと思います。ここでいう銭湯とは、法律で定められた一般公衆浴場のことです。 ここ上田市にも、地域に根付いた街のお風呂屋さん、銭湯が2軒あります。ですが最盛期には、なんと24軒もの銭湯がありました。昔は市街地ではお風呂のある家庭は一般的ではなく、農村部のお百姓さんの家、どこかの大富豪の社長さんの家など、限られた家庭にしかありませんでした。そこで、「浴場業(銭湯)」という一つの業種が確立されたんですね。今回は、上田市の銭湯を研究するための必読書、「史的ニ上田(15)上田の銭湯」という文献をご紹介します。 (画像は、文中にも登場する中央3丁目(松原町)の「竹の
2024-02-12
51
上田氷灯ろう夢まつり~別所温泉・北向観音堂~
「上田氷灯ろう夢まつり」を訪れた。別所温泉の北向観音堂や温泉街が灯ろうやボールライトによって綺麗にライトアップされていた。開催は今年で5回目。毎年異なるテーマでライトアップされているらしい。 今年のテーマは「龍」。北向観音堂も緑色にライトアップされていた。日曜日の夜なので人手は少ないのではなかと思ったが、向かう別所線の電車の中や、北向観音堂には多くの人がいた。温泉街独特の風情のある街並みが灯ろうによって照らされ幻想的な雰囲気だった。 北向観音堂は、平安時代初期の天長2年(825年)に比叡山延暦寺座主の慈覚大師円仁により開創された歴史のあるものである。歴史的な仏閣と、現代的なライトアップの組み合わせはとても面白いなと感じた。 また、訪れる人の中には家族連れも多く地元の人も訪れてい
2024-02-12
52
信州上田花火大会~上田の夏の風物詩~
2023年で36回目の歴史のある花火大会である信州上田花火大会。 数千発もの花火が打ち上げられ、千曲川河川敷には多くの市民が集まる。とても綺麗だった。地元の企業が数多く協賛しているらしく、上田地域全体を巻き込み、長年地域の人々に愛されてきたものだということがよく伝わってきた。 会場は上田城からも近く、周辺の観光資源を盛り上げることにも繋がっているのではないだろうか。
2024-02-12
53
信濃国分寺
信濃国分寺は、天平13年の国分寺建立の詔により、上田に建てられた。信濃国分寺は、承平8年に平将門と平貞盛の戦いで焼失した歴史がある。上田地域の雨が少なく太陽が出る気候も国分寺の建設地に選ばれた理由の一つとされている。
2024-02-11
54
【第4回】ホテルルートインGrand上田駅前
上田駅前にあるルートイン。ここは、Grandブランドであり、普通のルートインに比べハイグレードになっており、観光客をターゲットとしている。歴史は浅く、2019年に開業した。 もともとこの地には、上田西武があった。西武とはいえ、運営は西武百貨店ではなく、西友であった。おなじセゾングループであったことから西武と名乗っていたのだろう。その後、セゾングループ崩壊などもありLIVIN上田店になり、2009年に西友の経営悪化により閉店した。LIVINは昭和後期から平成初期の上田の商文化を語るうえで外せない重要なものであった。 話はルートインに戻り、LIVINが閉店するにあたり上田駅前の空洞化が危惧された。そんな中、ルートインが観光の需要を増やすルートインGrandが開業が決まり、上田市にとって良い方向へ動いた。
2024-02-10
55
梅花幼稚園2008/06/22
2008/06/22の記録。 梅花幼稚園は上田市内にあるキリスト教主義の幼稚園です。1900年に開設されました。現在の園舎は1903年に建てられた歴史的建築です。現存する全国の幼稚園の園舎の中では大阪市立愛珠幼稚園の園舎(1901年竣工)に次いで日本で2番目に古い園舎です。幼稚園の隣には蚕糸業の発展に貢献した三吉米熊(1860-1927)邸があり、クリスチャンでもあった三吉米熊は梅花幼稚園との関わりもあったようです。蚕糸業で古くから栄えた上田の歴史を物語る歴史的スポットです。 参考資料: 学校法人梅花学園梅花幼稚園http://www.baikayouchien.com/ Wikipedia:大阪市立愛珠幼稚園 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%98%AA%E5%B8%82%E7%AB%8B%E6%84%9B%E7%8F%A0%E5%B9%BC%E7%A8%9A%E5%9C%92
2024-02-10
56
リヴィン上田店2008/05/04
2008/05/04の記録。 Wikipediaによると上田西武店がリヴィン(LIVIN)に改称したのは2000年9月とのこと。リヴィン上田店は2009年に閉店しました。リヴィンは総合スーパーながら、店内は前身でもある西武百貨店時代のデパートらしい装いが印象的な店舗でした。営業していた期間、店内を撮影するのははばかられたので私の写真記録の中にはありません。今となっては写真の記録もなく、記憶に残るのみです。 リヴィン跡地には現在ホテルルートインGrand上田駅前(2016年創業)が建っています。都市の変容の痕跡が記憶からも薄れていきますね。 参考資料:Wikipedia「リヴィン」 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%B3
2024-02-10
57
常楽寺
常楽寺は北向観音が建立された825年に建立された。 北向観音の本坊であり、ご本尊は「妙観察智弥陀如来」で全国的にも珍しい阿弥陀様である。 また、本堂裏の北向観音の霊像が出現した場所には、石造多宝塔が保存されており、鎌倉時代に天台教学の拠点として大いに栄えた常楽寺の歴史を証する貴重な文化財となっている。 階段を上がって最初に萱葺の本堂が目に入る。屋根から重厚さを感じられる。
2024-02-09
58
製糸城下町・歴史探訪 ルーツを訪ねて第1回 純水館資料館
味噌と糸がどのようにつながるのか、そこがミソなのです! 移動企画シリーズの後追いで歴史を探訪します。
2024-02-08
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氷風穴の里保存会主催 風穴講演会 氷風穴をめぐる人々と交通・産業 かっくんのハーモニカ演奏、宮下健司氏講演会(宮下氏側撮影)(スクリーン側撮影)
【風穴講演会 氷風穴をめぐる人々と交通・産業】 主催:氷風穴の里保存会 開催日:2024年1月28日(日) 会場:安藤百福センター(小諸市大久保千百番) 詳細URL:https://fuuketsu.wixsite.com/koori/%E8%A4%87%E8%A3%BD-2023%E5%B9%B48%E6%9C%882%E6%97%A5-1 【かっくんのハーモニカ】 各務 雄太さん(通称かっくん)はアスペルガー症候群を抱え、ハーモニカ奏者としてマネージャーの父貞雄さんと共に地元小諸市を中心に活動しています。主に発達障害の理解を進めることや東日本大震災の被災地支援活動を行っています。また、今年は「平和への祈り」をテーマに、地震や戦争が続く中での平和への祈りを込めて演奏されています。 【講師:宮下 健司氏】 宮下健司氏は1951年東筑摩郡麻績村に生まれ、明治大学で歴史学を専攻されました。その後、県史編纂や県立図書館勤務を通じ、
2024-02-08
60
民間で始まる蚕糸業ものがたり
【民間で始まる蚕糸業ものがたり】 主催:特定非営利活動法人 糸のまち・こもろプロジェクト 【講演】(2022/07/02開催) 講演1:「シルクの里 純水館ものがたり」~制作秘話~ CTK報道制作部長 後藤 理恵氏 明治23(1890)の創業から昭和期に至るまで小諸の製糸業をけん引した純水館に関わった方々の話やそれを基に制作された「シルクの里 純水館ものがたり」の制作についてのお話です。 講演2:「小諸の交通と蚕糸業」元長野県立歴史館総合情報課長 宮下 健司氏 幕末から近代に至る蚕糸業の歴史を信州全体に亘って解説し、特に小諸の交通に着目してその蚕糸業における役割について語っています。
https://youtu
2024-02-08
61
常田館製糸場について
これは大浴場と炊事場になります。2000人に及ぶ従業員の食事を作るためかなり大きいです。浴室は男女両方ありました。(写真は男性のみですが…)当時はこの場所にはありませんでした。すぐ横にある道路開発によって退去を命じられたそうで曳家さんに依頼してここまで引っ張ってきたそうです。すごいですね。残念ながらその際、内装は埋め立ててしまいないのですが、今もその姿を残し、後世に蚕都上田の歴史を伝えています。
2024-02-07
62
旧上田一中跡2008/05/24
2008/05/24の記録。 ツルヤ上田中央店と健康プラザうえだのある場所は旧上田一中の跡地でした。校舎が取り壊された後、2008年頃は空き地になっていました。駐車場、子どもがスポーツを楽しめるグラウンドになっていました。その奥は長野県の合同庁舎になります。体育館、音楽室の建物はこの時点では壊されずにあり、子ども劇場で使われていたようです。 都市環境から昔の記憶が遠のいていきます。
2024-02-07
63
電波利用の歴史
では、まず簡単にラジオ放送が普及していった歴史をおさらいする。1988年にヘルツが電磁波を確認して、1920年にアメリカでラジオ放送が始まりました。日本でも、それから5年がたつと、ついに東京放送局がラジオ放送を開始して、電波文化が到来しました。
2024-02-07
64
長野県上田市にある別所線の終点である別所温泉駅
別所線は大正から昭和にかけて開業した蚕都(サント)上田を支えた5つの私電鉄のうち、唯一現役なのである。また、上田から別所温泉に至る路線は大正10年(1921年)に開通した。また、中塩田駅や別所温泉駅など、駅舎に近代の趣を残す建物が多いのも特徴である。また、別所温泉駅は別所温泉街の玄関口として、別所温泉の発展に大きく貢献してきたと言える。また、別所温泉駅も信濃国分寺・生島足島神社・泥宮も結ぶレイラインの一部である。そして、別所温泉駅は、別所温泉街への玄関として長年、別所温泉の歴史や文化を伝える拠点として重要な役割を担っているとされている。そして別所温泉駅もまた竜と生きる町、上田としての文化的な背景を示す象徴的な存在と言える。 実際に訪れてみて、昭和のレトロ感があり、駅としてだけでなく、
2024-02-06
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長野県上田市にある愛染カツラ
愛染カツラは、826年に、山中から火の手が上がり、円仁が祈ったところ千手観音が現れ、地面から温泉が湧出し、千手観音は北向山のカツラの大木に留まったため、円仁がその姿を写して祀ったのが北向観音の発祥とされている。また、ハートの形の葉が珍しく、川口松太郎原作の映画「愛染カツラ」のモデルとなり、今でも縁結びの霊木として老若男女に親しまれている。 実際に訪れてみて看板があるものの発見しづらいので日本遺産という目印を付けた方がより観光客に見てもらえるかなと感じた。しかし、木の周りも綺麗に保たれていて見やすかった。また、看板に説明はあるが日本語でしか書かれていなかったので英語なども書かれているとよりよくなりかなと感じた。
2024-02-06
66
上田市の日本遺産である北向観音
北向観音像が生まれた歴史的背景は、平安時代初期の天長2年(825年)、比叡山延暦寺座主の円仁により開創された。また、北向きの理由は、観音像は大抵南向きか東向きのことが多かった。しかし、昔の人は航海をする際、北の空にある北極星を頼りにしていたことから、人生に迷いがあった際に、光を指してくださるように北向に観音を設置したと言われている。また、北向きの北向観音堂と南向きの善光寺と相対していて、「来世住生」を願う善光寺と「両参り」し、ここで「現世利益」を祈ることでご利益があるとされている。 ぜひ北向観音堂と長野市にある善光寺の両方を参り、両参りを達成させてみましょう。
2024-02-06
67
北向観音堂
北向観音堂は別所温泉街だけでなく上田地域を見渡すことができる位置にある。境内には藍染カツラをはじめとした様々な文化財があり、その一つ一つから地域に根差した歴史を感じることができる。
2024-02-06
68
学生による地域キュレーション2023(信州上田学A受講生)
学生による地域キュレーション2023(信州上田学A受講生) 長野大学の地域科目「信州上田学A」2023を受講した学生が「信州上田」を接点として地域キュレーションした地域学習のアウトカムです。タイトルを選ぶとその学生のマイサイトを表示します(2024/02/15更新)。 各キュレーションの「マイテーマ」は次のページからご参照ください。[
Vol.1
|
Vol.2
]
▼社会福祉学部学生
いちご/上田の食
しおり/上田の食べ物
な/上田の日本遺産について
るるる/塩田平の文化財
2024-02-05
69
上田の街つくり2
これは上田高校の校門の写真である。松本市と比べる以前に全国各地を見ても高校の門が昔ながらの門であるのは珍しいものである。これは古城の門と呼ばれ、1789年消失後、翌年再建された。文化財にも認定され歴史ある建造物として日々使用されて使用されている。これもまた上田しの街つくりの一部となっている。
2024-02-05
70
プロジェクト研究(長野大学前川ゼミ)2023アウトカム
長野大学企業情報学部前川ゼミ/プロジェクト研究2023成果報告 ▼前川ゼミ2023成果報告 60分 ゼミメンバーの各自が成果を報告しています。(発表順は以下の順と同じ)
▼前川ゼミ・ポートフォリオ(マイサイト) 〔地域デジタルアーカイブ〕 【1】竹中丈二(4年)
地域史料のデジタルアーカイブとその活用
【2】久保山遥(4年)
デジタルアーカイブ化と社員日誌
【3】石平飛揚(3年)
紙資料のデジタルアーカイブ化
〔地域づくり支援〕 【4】福田晴紀(4年)
メディアの活用と地域づくり
【5】春原百々羽(3年)
地元上塩尻の文化の
2024-02-05
71
長野の観光地の持続性 泥宮
泥宮は泥をご神体とし、慰霊をここに残しという。泥宮は1790年以降に名付けられた。かつては、生島樽島神社と一本道でつながっていて、深い関係があった。 とても趣がある場所だと感じた。
2024-02-05
72
長野の観光地の持続性 長福寺
長福寺には信州夢殿や菩薩像などがあり、それは昭和17年からできていたとされる。その建築方法は奈良の物を使用するといった当時の匠の技がたくさん施されていて、昭和を代表する建築ということが分かった。また観音像は菩薩立像とも言うが、法隆寺にならい救世観音という。 とても歴史を感じる建築で、その当時の文化や歴史が直接伝わってきたような気がした。
2024-02-05
73
長野の観光地の持続性 生島足島神社
生島足島神社の西鳥居は運気の転換点として知られていて、太陽が東の鳥居から西の鳥居を抜けて一直線に伸びる参道へと沈んでいく様子が有名である。このような参道の仕掛けは太陽への深い信仰心が見られると考えた。また、生島大神がいると考えられていて、それは万物えお生み育て力強い生命を与え、足島大神は国中を満ちたら占め人々の願いをかなえてくれると言い伝えられている。 実際に行き、太陽が沈む様子はとてもきれいだった。
2024-02-05
74
平林堂書店2015/03/17
2015/03/17の記録。 上田市の老舗書店の一つ、原町にあった平林堂書店は数年前に閉店し、その後、建物も取り壊されました。『信濃蚕糸業史』全3冊を購入したのもこの書店です。地域に関する古い書籍も数多く品ぞろえされていました。今となっては記憶の中にしか残っていませんが、幸い私の写真に記録されていました。
2024-02-02
75
丸窓電車
別所線のシンボルともいも言える丸窓電車(モハ5252)。昭和2年に製造された。それから昭和61年まで使用され、別所温泉駅構内に保存されている。 訪れたことで別所線の歴史を学ぶことが出来た。また車内をのぞき込むと木造でできているところが多く驚いた。
2024-02-02
76
上田交通真田傍陽線廃線跡
上田駅と真田駅を結んでいた路線。1927年に開業し1972年に廃止された。現在では遊歩道として整備されている。 実際に訪れたことで上田の繁栄の歴史や当時の姿を感じることが出来た。
2024-02-02
77
長福寺
生島足島神社のすぐ隣にあります 平安時代に建てられた、歴史あるお寺です 端には八角のお寺、「信州夢殿」があります 信州夢殿は奈良法隆寺の夢殿の完全二分の一写しです 奈良時代の瓦を使うなど、職人の技が詰まった建築です
2024-01-31
78
白山比咩神社
白山比咩神社は、天平3年に上田地方において疫病が流行した際、加賀の国(石川)の白山より分産したとされる。弘安元年に現在の位置に再建され、眞田昌幸・信之などの戦国武将からの寄付状など、歴史を物語る資料が多く残されている。幕末から明治初期に信濃の地で活躍した宮大工の彫り物なども多数存在し、先人たちが地域の文化財として脈々と守り受け継がれてきたことが理解できる。 白山比咩神社は毎年初詣に行く神社であり、私の住んでいる地元住民に親しまれている神社である。初詣に行くだけで、石碑などの存在を認識していなかった。歴史についても調べる機会はなかったので、親しみある神社について知ることができ良かった。
2024-01-30
79
信濃国分寺跡
信濃国分寺跡は、平将門の乱により消失した当時の国分寺が立っていたとされる場所である。昭和38年から46年にかけて行われた7回の発掘調査では、僧寺や尼寺が並ぶ伽藍配置と瓦、陶器などの遺物が発掘されている。全国の国分寺においても僧寺と尼寺が近接して建設されることは稀であり、10世紀頃の国分寺衰退の痕跡も確認できるなど歴史的価値の大きい遺産である。現在は、史跡公園として整備されている。 上田市が地元でありながら国分寺跡まで、足を延ばす機会がなかった。行くことがあっても道路沿いまでで、線路を挟んだ向こうにも続いていることを知らず驚いた。併設されている信濃国分寺資料館では、発掘時の釘や瓦を見ることができ当時の歴史を知ることができる。また、安楽寺八角三重塔の模型もあり細部まで構造を確認するこ
2024-01-30
80
石造多宝塔
信濃国分寺石造多宝塔は、現在の多宝塔は屋根や塔身の一部に窪みがみられる。これは、削り取った粉を飲むと「病気が治る」や「お守りとするとよい」などの信仰から、民衆が削り取ったものとされる。各部の様式、手法などから鎌倉時代の造立と推定される。全国的にも石造による多宝塔は少ないが、上田市には常楽寺含め二つの多宝塔が現存しており貴重なものである。 三重塔などなどの複数の歴史的価値のある建物が存在していることは知っていたが、その細部まで見ることは無かった。国分寺と共に一体感や壮大さを体感でき、良い経験となった。平日に行ったため、人が少なくゆっくり見ることができ良かった
2024-01-30
81
信濃国分寺
信濃国分寺は、741年に発せられた国分寺建立の詔により建立された。当時の国分寺は、平将門の乱において消失したと伝えられており、この事件を機に現在の位置に再建されたとされている。現在の信濃国分寺は天台宗の寺院で、本尊は薬師如来である。境内は天平の伽藍の北側、⼀段高い場所にかつての僧寺と主軸線を合わせて整備されている。 信濃国分寺には、八日堂縁日に際に行くのがほとんどで行く機会はなかった。縁日の際に行くため、人が多く境内をしっかり見たことが無かった。本堂のほか石造多宝塔や三重塔など、多くの歴史的価値がある建物が残る場所であると理解できた。
2024-01-30
82
祖父母宅の蘇民将来符
蘇民将来符は、毎年1月7日・8日の八日堂縁日にて招福除災を祈り、参拝者に授けられる護符のこと。信濃国分寺の蘇民将来符は、ドロヤナギの木を六角錘形に作ったもので、形状や模様の一つ一つに意味がある。6つの側面には「大福・長者・蘇民・将来・子孫・人也」の文字が記されている。その形状と図柄は民芸的に格調が高く、民俗学的にも貴重な文化財とされている。昭和43年4月には上田市の民俗文化財に指定されている。 祖父母宅には、以前から蘇民将来符があることは認識していたが、どんな意味があるかなど理解していないことが多かった。毎年購入し増え続けるため、何かしらの意味があるとは思っていたが、歴史・意義に興味を持つことは無かったので良い機会となった。
2024-01-30
83
安楽寺
境内の奥にたたずむ塔は日本で唯一の木造八角塔で、長野県で最初に国宝に指定された、信州最古の禅寺である。中国宋時代の禅宗様という建築様式で、1番下の屋根は裳階と呼ばれ、ひさしにあたる。 杉の木に囲まれた、道を抜け、本堂に向かった。趣があり、歴史を感じることができる、建物で、とても雰囲気の良い場所だった。
2024-01-30
84
生島足島神社
平安初期にまとめられた「延喜式」に載る古社で、生島大神と足島大神を祭神としている。御神体は「大地」であり、日本列島の真ん中に鎮座する神である。 とても大きな神社だなという印象が強く、普通の神社では、塗装が剥げているなどの建物自体の劣化が感じられることが多くあるが、生島足島神社は、綺麗な状態で保たれていて、歴史の長さを感じさせない建物だった。
2024-01-30
85
信州上田祇園祭 ー下紺屋町にとっての祇園祭ー
下紺屋町は旧城下町自治会として、中心となって参加しています。祇園祭は下紺屋町にとって最大の行事であり、こどもから大人まで、地域の歴史の共有、社会参加意識、助け合いの精神を図る機会となっています。
2024-01-30
86
炭焼き小屋
炭焼きや薪取りなどの山の仕事は主として冬の仕事であったため、冬の山は賑やかであった。良い炭を焼くには経験と勘が大切で、体力的にも大変な仕事であった。窯の造り方も経験を要するもので、窯の良し悪しで炭の出来具合が分かると言われていた。 実際に訪れてみて、石積みの作りから歴史と時代の流れを感じられた。訪れた時期が秋であったこともあり、周辺の紅葉がとても綺麗だった。
2024-01-29
87
別所温泉の街並み
別所温泉は全国でも有名な温泉地です。温泉旅館はもちろん、日帰り温泉施設も充実しています。神社などの歴史的建造物も複数あり、観光スポットとしても人気があります。
2024-01-29
88
生島足島神社
長野大学の近くにある神社で、日本遺産にも指定されています。赤い鳥居が特徴的です。上田市に来たら訪れてほしいスポットの一つです。
2024-01-29
89
蚕のサナギ
前回イナゴを中心に信州の昆虫食について紹介したが、今回を含めあと三回投稿する。今回の主役は蚕だ。 上田市は過去、蚕糸業において国内でも有数の産地として名を馳せていた。今は蚕糸業は見る影もないのだが、現在のその面影を拝むことができる。その一つが蚕のサナギの佃煮である。前回紹介を失念していたが、イナゴ、蚕のさなぎ、次に紹介する蜂の子、ザザムシの佃煮は伊那市の食品会社「つかはら」で製造された物である。購入したのはツルヤ神畑店である。(身近に売っていて驚いた。) 蚕の歴史をさかのぼると、195年、百済によって蚕種が日本に伝えられ、283年には養蚕と絹織物の技術が伝えられた。実は日本では生糸だけではなく蚕種の輸出も経済発展を支えていた。韓国、中国、タイなどを中心とした東アジア地域では高級
2024-01-29
90
信濃国分寺三重塔
寺伝では、1197年に源頼朝が善光寺参詣の掃途、寺の製退を憂い、塔の復興を命じたといわれている。 建築様式から、室町時代に建立されたものと推定される。 「和様」の外観で落ち着いた雰囲気がある。 本堂の隣に建てられており、三重塔なので高く迫力がある。
2024-01-28
91
信濃国分寺本堂
信濃国分寺本堂は、天台宗の寺院で、本堂は薬師寺と呼ばれる。 県宝に指定されている。「国やすらかに人たのしみ、災いをのぞき福いたる」という聖武天皇の741年の勅願により建てられた。 しなの鉄道の信濃国分寺駅から徒歩5分で行くことができる。 秋の紅葉が綺麗な時期に行くのがおすすめである。
2024-01-28
92
常田館製糸場
常田館製糸場は1900年創業の製糸工場である。 笠原工業株式会社構内に常田館製糸場に関連する施設15棟が現存していて、そのうちの明治から大正時代にかけて建てられた7棟が平成24年に国の重要文化財に指定されている。 上田駅から歩いて15分くらいで行くことができる。 たくさんの歴史が感じられる製糸場に関連する施設があり、国の重要文化財がこんなに近くにあることに驚いた。
2024-01-28
93
藤本蚕業プロジェクトミーティング
2024年1月23日に藤本蚕業歴史館でミーティングを行いました。今後の課題などについて話し合いを、意見を交換しました。画像はその時出た課題の一部です。
2024-01-28
94
【2024/1/28開催】氷風穴の里保存会主催 風穴講演会 氷風穴をめぐる人々と交通・産業
【風穴講演会 氷風穴をめぐる人々と交通・産業】 主催:氷風穴の里保存会 開催日:2024年1月28日(日)14:00-16:00(13:30受付) 12:30- 温風穴見学会(希望者のみ 風穴駐車場集合) 参加費:無料 定員:100名(先着順) 会場:安藤百福センター(小諸市大久保千百番) 駐車場:第二駐車場(県道沿い) 講師:宮下 健司氏(元 長野県立歴史館 総合情報課長) 詳細→
氷風穴の里保存会ホームページ
2024-01-26
95
とっこ館について
塩田平の民話を調査するにあたって、とっこ館を見学したが、それがどのような施設だったのかを紹介する。見学を通して、とっこ館は塩田平の歴史・文化を学べるところになっていると感じた。具体的には地域の歴史や遺産の紹介がされている展示物や、上田市周辺で産出する鉱物などが展示されており、図や実物を見て、塩田平地域の文化や歴史を分かりやすく理解することのできる施設になっていると感じた。塩田平の歴史・伝承を知りたい人、特に、上田市に来たばかりで、塩田平地域について全く知らない人などはとっこ館を利用すると、塩田平がどんな地域であるのかが大体把握できると思った。 (館内写真は撮影・掲載の許可を得て掲載しています。)
2024-01-25
96
信濃国分寺
信濃国分寺は奈良時代に建立された寺であり長い歴史を持ちます。三重塔は国の重要文化財に指定されています。 1月には500年以上続いている伝統行事である「八日堂縁日」があり、多くの人でにぎわいます。八日堂縁日では、疫病や災難を避けて福を招くといわれる護符である蘇民将来符を手に入れることができます。
2024-01-25
97
観音寺
上田原の合戦において、武田側では、重臣である板垣信方や甘利虎泰などが、村上側では雨宮刑部や屋代源吾、小島権兵衛など、名だたる将たちが討ち死にした。 しかし、それ以外にも歴史に名を残すことはなかったが、勇敢に戦い、死んでいった将兵たちが数多く存在する。観音寺は、そんな将兵たちを弔っている。 寺は住宅地の中、少し奥まったところにあり、一度気づかず通り過ぎるところだった。画像のように、奥に入る入り口には、「上田原合戦戦没将士菩提寺入口」の碑が立っており、その奥に見えるのが観音寺である。
2024-01-25
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上田城
上田城を訪れた際に、桜を見ました。 桜にお城の風景が相まってとても美しかったです。 今まで、歴史文化スポットに興味がなかったのですが、これを機にお城や文化スポット巡りをしてみたいと思いました。 上田城は四季折々の催し物が開催されているので、大学在学中に見に行きたいです。
2024-01-25
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信濃国分寺・三重塔
信濃国分寺は、薬師如来を安置する本堂をはじめとした堂塔伽藍がそろい、1月8日の縁日にちなんだ「八日堂のお薬師さん」の名で近在の信仰を集めている。 そして信濃国分寺三重塔は、日本遺産に登録されており建久8(1197)年に源頼朝が善光寺参詣の帰途、寺の衰退を憂い、塔の復興を命じた。建築様式は、「和様」の外観となっている。
2024-01-25
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北向き観音堂
平安時代初期に比叡山延暦寺座主慈覚大師円仁が開いた霊場。厄除観音として昔から信仰を集め、長野市善光寺と向かい合うように本堂が北を向いている事から北向観音と呼ばれるようになった。「極楽往生」を願う善光寺と「両参り」し、ここで「現世利益」を祈ることで、御利益があるとされる。 手水舎には境内から湧出している温泉が使われていて、とても温かい。 ここでは上田市の景色を眺めることが出来る。 北向き観音堂に行くまでの道中も、魅力があふれているためおすすめスポットである。 日本遺産に登録されている北向き観音堂はぜひ訪れるべき場所だ。
2024-01-25
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