長野県立歴史館の常設展示にて当時の蚕糸業について見て学んできました。※撮影OKと表示がありました。
和田英が工女たちの指導をしていた六工製糸場は、官営富岡製糸場をモデルとし、一回に50人が作業できることから「フランス式50人繰り」と言われていました。
当時の様子を描いた絵にも、大人数の工女が並んで作業している様子が描かれていました。
また、人の小ささから工場は自分の想像しているよりも大きいことが容易に想像できました。それだけでも、この時代の蚕糸業の産業としての重要さや中心になっていたのだろうなと感じることができました。
地区コード | 千曲市 |
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管理番号 | 4 |
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カテゴリ名 | 2022信州上田学テキスト |
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